2007年10月

2007年10月25日

小説技法の授業

 中山市朗です。

 昨日の小説コースの報告です。

 実は旧体制の9月までは、小説家を目指す塾生は意外にも3人しかいませんでした。
 それにライター志望が1人、脚本家志望が1人、マンガ家を目指しているんだけど、小説も勉強してみたいという人が1人。合計5〜6人での授業だったのです。

 ちょっと寂しい。しかし、その分、きっちり時間をかけて合評をしていましたけども。

 で、10月になって小説家志望が2人、マンガも描いているけど小説家にもなりたいという人が1人、それに作家志望ではないけれど、作劇法や話法を自分のビジネスのヒントにしたいという人が1人と、4人が新しくこの授業を受けることになりました。

 某出版社の賞を目指して書いている人や、同人誌で作品を発表している人もいて、レベルの高い人もいそうですが、一方小説を書くのは初めてという人も。

 前回の授業で課題を出してあったので、この日からは、みんなが書いてきたものを合評しています。

 作品は家で書いてもらいます。

 山のような資料にあたったり、調べたりする作業は自分の家でないとできないことでしょうし、パソコンの環境も必要でしょうし。なにより、普段から書いているようでないと、作家になるのは無理でしょうね。

 合評が作家志望者に何をもたらすのかというと、まず明確に締め切りが設定されます。この締め切りに間に合わないと、合評の場に作品は上げません。そして何があっても作品として完成させてもらうというルールを設定していますので、1本も完成作を書いたことがないという人でも、ちゃんとやっていれば、最終的には400字詰めの原稿用紙に換算して100枚以上の小説は書けるという仕組みにしています。

 この「書き上げる」という作業が大事なんです。書き上げることが自信に繋がるんです。それにペース配分もわかる。とにかく書かないことには何も始まりませんから。

 そして、書いていく段階で、みんなに読んでもらって意見をもらう。
 長いものは合評には不向きなので、章ごとに区切って書いてもらいます。まあ、連載と考えてもいいでしょう。

 長いものをいきなり「直せ」と言われても、全面書き直しという泣きたくなる状況に陥りますが、これだと直しやすいし、方向性も見えてくる。何より、そんなに無理をしなくても書けます。

 合評での意見、これは読者の意見と捉えます。
 これは辛辣な意見もくるし、意図しないことを要求されることもあります。そこを、どう筆の力で説得させていくかという、これはいい修行になります。

 最終的には私が問題点を明確にして、次回までに直すべきところと方法を示唆します。書きたいもの、文体、世界観はもちろん、その人のものですから、こうしろという明確な指示はできません。

 しかし、やっぱりみんなが読んで、少なくとも“わかる”作品にすることが必要だと私は思うんです。

 つまり説明すべきことがちゃんと書かれているか。あるいは説明しすぎていないか。その説明も、説明文ではダメ。小説として落とし込むことが必要です。

 登場人物やストーリーに破綻はないか。説得力はあるか。
 書きたい方向性に、その手法はあっているのかなど。

 こういう問題をひとつひとつクリアすることで、誰が読んでもまあ、好き嫌いは別として、作品としてちゃんと読めるものになっていくんです。

 この最低限のラインには、みんなに到達してもらいたい。
 そのために合評を繰り返すわけです。

 この日の合評は、やっぱり新塾生たちが書き方に戸惑っていたようでしたので…

 今回はまず小説を書く前にプロットにしてみること。
 文字を並べるルールや肉付けの方法。
 最初の3ページを読んで、何の小説かわからないものはNGなど。

 登場人物の整理の重要性など、私や合評には参加してもらっている今年作家デビューした菅野くんからも専門的なアドバイスを示唆しました。

 新塾生以外の継続者も同じこと。

 例えば、お笑いの世界を舞台に書いている塾生がいるんですが、だったらお笑いの専門家になるくらいの知識や情報が必要だということをアドバイスしました。

 まあプロへの道は遠いかもしれませんが、一歩一歩確実に前進しながら書き続けることが、それを現実たらしめることになると、私は自信をもって言います。

 次回の小説技法(11月14日)も合評です。
  


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2007年10月22日

作劇塾のシナリオ講座

 中山市朗です。

 先週の金曜日の夜7時、私の書斎に塾生たちが集まってきました。
 シナリオの講座をすることにしたのです。
 ホームページのカリキュラムには存在しません。
 私のボランティアです。

 10月からの新カリキュラムにより、それまで行っていたシナリオ講座がなくなりました。しかし当塾にはシナリオ作家を目指している者が2名。
 
 彼らを放ってはおけません。
 しかも、塾の母体となっている作劇舎では、映像制作の仕事を請け負ったり、たまに映画の現場に入れるチャンスもあります。ですから本音で言うと、映像に対応できる塾生を育てたいのです。

 それに、私ももともと映像畑が専門でしたから。

 シナリオは映像の設計図です。

 また、マンガ家志望の塾生にとっても、これは必要なものです。
 マンガの原作は(原作者によりますが)シナリオの形態で書かれます。

 これを読み込んでマンガにするのもプロの仕事です。

 デビューする前は、自分の描きたいテーマ、ストーリー、キャラクターで、と思いがちですが、大手出版社での連載となると、ほとんどが原作と作画は別作業というのは実情です。

 とすれば、シナリオの出来、不出来を作画する側は指摘したり、打ち合わせの段階で直したりする力が求められます。

 映画で言うと、原作者が脚本家、マンガ家が演出家、アシスタントがスタッフ、プロデューサーは編集者です。

 実はプロのマンガの現場って、わりと大勢の人間が関わって作業しているんです。
 原作はいわばその作業の核となるわけです。

 ということで、シナリオの勉強はいわば必須。
 またシナリオを書くという作業は、話の構成力だけでなく、人物の配置、関係、動きから台詞回しなどの力が格段につくことは保証します。

 というわけで、第1、第3金曜日の夜7時からは教室ではなく、私の書斎でシナリオ講座を開講することしたんです。その月の月謝を払ってくれていれば無料で受けられます。

 授業形態は小説技法とほぼ同じです。
 テーマを与えて、とにかく家でシナリオを書いてもらいます。

 そして授業内では合評。
 小説とは違い、映像化したときに矛盾が起こらないか、ちゃんとキャラクターが動いているか、無駄なシーンはないか、逆に必要なシーンを忘れていないか、など、合理的な思考が求められます。演出家やスタッフ、役者が読んで動く元となるわけですから。
 
 この日は9月まで受講していた塾生のほとんどが継続。
 ここに10月からの新塾生も4人加わりました。

 新塾生には原作を与えて、これを規定内の枚数で脚色してもらうところから。
 継続者は今書いているシナリオを、ともかく合評で指摘されたところを添削、添削、添削…。もう10数稿目という塾生も。

 この授業の内容も、また追って報告します。



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2007年10月18日

追伸

 ワイドショーで亀田大毅選手と、その父親の史郎氏の謝罪記者会見を見て思ったことがあります。

 大毅選手が悪いとか、そういうことはここでは関係なく、視覚的印象についてです。

 先ほど、左側、右側の位置から人間の受ける視覚的印象が違うという話をしましたが、アップで描くか、ロングショットで描くかも、視覚的に受ける印象が違います。

 アップはその対象物のディテールをよくわからせる描き方ですが、同時に威圧的、脅迫的な印象を残します。
 ロングショットは、客観的で説明的な印象が残ります。
 アオリのアングルは、強いものの表現、フカンのアングルは、強いものが弱いものを見下しているように見える。
 映像やマンガのプロなら、そのくらいのことはわかっています。

 以前、ある会社の不祥事による謝罪会見があったんです。新聞、雑指記者をまず広い会場に入れて、ギッシリ会場が埋まった上で、テレビカメラを入れた。テレビカメラは一番後ろに陣取るしかなかった。そうすると会見の模様をちゃんと収めるために三脚を高くして、フカンから撮るしかなかったんです。

 そしてワイドショーに流れた謝罪会見は…
 視聴者が謝罪者を見下した印象。しかも謝罪者は大勢の記者たちに質問攻めにあっている場面になった。もちろん、その姿勢もそうだったんですが、すごくかわいそうで、低姿勢というイメージがテレビから伝わったんです。で、この企業はたちまち好印象で迎えられ、すぐに信用を取り戻したんです。

 おそらく、この企業の広報担当に、スゴ腕の人物がいたと思われます。

 そして亀田親子の記者会見。
 あのコワモテのオヤジさんをアップ。大毅選手の表情はアオリで撮られた。
 「恐い」とか「反省していない」と、どうしてもそう映ってしまうカメラポジションですよ、あれは。

 あれほど亀田親子を演出してきたメディアの人間は、もう何も仕掛けていないし、何のアドバイスもしていない。TBSはもう亀田親子を見放したのでしょうか。
 それともあれは、敢えて亀田家の虚勢をまだ演出しようとしたのか?

 そうは見えなかったけど…

 言えることは、こと謝罪する側からすると、あれは演出ミス。
 
 視覚的印象…発信する側からすると、物凄く大事な要素なんです。


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17日の授業内容

 中山市朗です。

 さて、昨日の作劇ゼミは、すでに作劇ブログに書かれているように、フレームの使い方について考察しました。

 学生や塾生の作品を見ることが多いわけですが、プロとの差は、ことマンガという分野になると、絵とかキャラクターとか、ストーリーの未熟さより以前に、わかりにくい、ということがままあるんです。

 このキャラクターたちの立ち位置や距離は? 方向性は? 連続性は? そしてそれ以前にまとまっていないというこの印象は?

 だから「これはどういう意味?」とか「何が展開してるの?」と尋ねてしまうことがよくあるそうです。本当にわからないので。

 そして説明を受けて「ああ」となる。

 でも、そういう印象にならないんです。
 正直、絵のうまさというだけなら、プロでない人にもすごくうまい人がいる。ストーリーのつまらないプロの作品だってある。

 では、何が問題なのか、というと、おそらく「わかりやすいか、わかりにくいか」ということなんです。これはアマチュアが撮る映画なんかにも言えること。

 じゃあ、それはなに?
 作劇の方程式の認識だと思うんです。

 作劇の方程式?

 それはあるんです。
 これは演劇からきています。
 演劇の劇場には、上手(かみて)、下手(しもて)というものがあります。
 上手とは観客から向かって右側。
 下手は左側。
 
 新しく入ってきた塾生たちは、この言葉すら知らなかったのは、ショック。

 役者はその役によって、上手から出るか、下手から出るかを演出家によって決められます。ここに、ある決まりごとがあるんです。

 私は落語が好きで、聞くだけでなく、高座に上がって演じることもあります。
 落語にも上手と下手があり、ちゃんとどういう人物は上手を向いて話す、対してどういう人物が下手を向いて話す、とうい規則があるんです。もちろん演劇と同じ意味を持っています。さらには歌舞伎の花道はなぜ下手にあるのか、もこれに関係してきます。

 もちろんこれは、映画の演出にも応用されているわけで。
 
 今のマンガの形態を作ったのは手塚治虫。映画好きで、宝塚を観ていた人です。高座着を着て落語も演じた人です。だからこそ、その法則に気付いて長編マンガを生み出すための作劇法を編み出したんです。

 ちゃんとマンガの世界にも、この法則は生かされているんです。

 上手(かみて)か下手(しもて)か。

 この問題を突き詰めていくと、なぜ人は右側通行なのか(日本では左側通行ですが、ここんは日本独自のある習慣が関係しています)、トラック一周はなぜ右回りなのか。野球のダイヤモンド一周だってそう。会社の接待で上司は上座、部下は下座というのはなぜ? とか「左遷する」「右に出るものはない」といった言葉。これらには、そんなことが関係してくるんです。

 つまり、人の感情の根源を成す法則のヒントが、この左右の位置関係にある。

 そんな話をしました。

 まあ、マンガ家になるんならマンガだけ読んで、マンガだけ描いてちゃあダメ、というのはここらへんにあります。それでは、この法則は気付かない。

 映画を観る、芝居を観る、古典芸能に接する、大人の社会と交わる…
 そういう中で、実は自然とこういう法則を身につけるものなんです。もともと本能としてあるわけですから。

 で、本能からくる法則がわかったのなら、これが演出に使えるわけです。
 法則に乗っ取って描くと、安定した印象となり、物語の進行方向、上昇思考、善と悪、強者と弱者がちゃんと理解できる作品になります。
 少なくとも、わけがわからない作品にならないはず。同じ絵のスキル、ストーリー
キャラクターの動きでも、ですよ。

 法則にわざと逆らう演出をすると、「ヤバイ」とか「恐怖」の喚起を印象付けるし、また応用の仕方で、悲しみなんかも印象付けられるんです。
 
 ちゃんとしたプロは、この本能をちゃんと心得ているんです。
 ただし、最近のマンガや映画は、これがわかっていない作品が多い。
 だから、わかりにくかったり、何か違うと違和感を感じたりするんです。
 でも、ヒットして残っている作品は面白い面白くないは人の好き嫌いとしても、違和感を感じることはないはずです。

 作劇法がちゃんと成されているからです。

 その法則って、どういうもんもかって?
 それは…長くなるので、また来年、教室でやります。
 


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2007年10月17日

“やじきた”京都へ!

 中山市朗です。

 昨日、下記のメンバーが京都に集結しました。
 私、北野誠さん、カメラマンのSさん、担当のRくん、そして塾生のMくん。

 そうくれば、わかる人にはわかりますよね。
 日本唯一(いや、世界唯一?)の怪談専門誌『幽』連載中の“やじきた怪談旅日記”の取材を敢行したのです。

 この日は、我が作劇塾も色々とお世話になっている京都在住の作家で、映画監督の山田誠二さんがなぜか(?)同行。

 次号の『幽』は京都を特集するようです。
 で、久し振りに行ってきましたよ。
 どこって?

 『新耳袋』で、京都で、私と北野誠と言えば、あそこしかないでしょう。

 で、なんと新しい体験談と、裏づけ証言が現地にて、思わぬ形で取材できたのです。出ていたのは「あの部屋」だけではなかった。

 やっぱり!

 ところが、そうなると新たな疑問が出てきて…
 そしたら、その疑問を裏付けるまた新たな怪異の証言が…

 しかも、我々自身もちょっとした不可解な出来事に遭遇したんです。
 いや、考えようによっては、“ちょっとした”ではないのかもしれません。

 ともかく、今回は“やじきた”の連載が始まって以来の本当の“怪談”旅日記になったような手ごたえが…

 いやいや、これ以上は書けません。
 
 詳細は、12月10日発売予定の『幽』にて!
 「12月まで待てねえよ!」という方。ひょっとしたら11月24日開催予定の『怪談の間』にて、私の語りで一部披露する…かもしれません。

 それも待てないという方。
 私のアシスタントとして同行していた塾生のMくんが、近日中にマンガレポートという形で、そのごく一部の模様を作劇塾のホームページに上げる予定です。まあ、どんな出来具合かはわかりませんけど…

 ちなみに、ひょっとしたらあの美女…、山田誠二さんにとり憑いたかも…?
 


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2007年10月15日

天才・山中貞雄監督の上映会

 中山市朗です。

 先日、夜7時ごろ10人ほどの塾生たちが私の書斎に集まってきました。
 実は塾生たちが月に一度、私の書斎で映画鑑賞会をしたいというので、毎月第2金曜日を、その日に当てることにしたのです。

 みんな、いい映画を知らない。
 でも、素晴らしい映画はいっぱいある。
 作家になりたいのなら、是非観ておいてほしい。

 上映作品は塾生が決めるというルール。それは、と思うものはこちらで却下。
 で、この日の上映作は…

 『丹下左膳・百萬両の壷』

 この映画を指名したのは、時代劇フリークの塾生、榊くん。あっぱれな選択。

 何年か前、豊悦で映画化されましたが、今回はその本家本元。
 今から72年前、昭和10年制作の山中貞雄監督の名作です。

 えっ戦前? 日本映画? 時代劇? モノクロ? と、若い人には敬遠されがちな要素のオンパレードですが、そういう映画にこそ、ホントの映画の魂、映画の美学があるんです。そして山中貞雄という驚愕すべき天才映画作家が、かつて日本にいたことも同じ作家を目指すんなら是非知ってほしい。そう思って、この作品の上映に私も大賛成し、塾生に訴えたんです。

 そしてこの日、100インチのスクリーンに甦ったその名作は…

 構成・監督/山中貞雄
 原作/林不忘 脚色/三村伸太郎 撮影/安本淳 音楽/西梧郎
 出演/大河内傳次郎 喜代三 宗春太郎 沢村国太郎 花井蘭子 山本礼三郎
 昭和10年/日活作品

 こけ壷の中に塗り込められた百萬両の隠し場所。この壷をめぐっての珍騒動を、のんびりと、しかしゲーム展開よろしく描いた軽妙な喜劇タッチの作品です。丹下左膳というキャラクター(大河内の当たり役)は本来化け物みたいな片目片手の浪人ものなのですが、この映画では喜代三演じるお藤さんの尻に敷かれる居候。父親を殺され、ひとりぼっちになった、ちょび安という男の子に父親のような愛情を見せる人情味ある人物としても描かれます。

 その喜劇のタッチが素晴らしい!
 役者の力を最大限に引き出す演出力もさながら、登場する人物や小道具に至るまで、すべてがドラマのなんらかの伏線となり、構成の柱になっている、そして、画面がまったく古びていないこの事実!

 しかし、今ではもう見られないような、ゆったり、のんびりとしたテンポで話が始まるので、今の若い人たちがこれをどう受け止めるのか、ちょっと心配でした。でもそのテンポがすごくいいんです。そして、丹下左膳というキャラクターが登場すると、もう目が離せなくて…

 私は後半、なぜか目頭が熱くなってきました。なんでしょう、素晴らしいものに接しているという感動なんでしょうか…。

 また、大河内の道場破りのシーンの圧巻さは、もう役者の下地が違うというか、ぽーん、ぽ−んと、大河内は軽快に飛び跳ねながら疑斗をやるんです。今の役者には絶対にできない。まさに映画は動きで観せるものなんだという魂がひしひしと伝わってくる…。

 もう涙が出るほどに美しいんですわ!

 で、上映が終わった途端、塾生たちからは大きな拍手!
 その拍手が私には嬉しかった。

 72年前、25歳だった映画作家と、今作家として飛び立とうとする同じ年頃の若者が、時空を超えて対峙したというか、何かを共有した瞬間を、私は感じたんです。

「素晴らしい」と発した一人の塾生の一言から、たちまちこの映画に対する分析、質問、感想が繰り広げられ、あれよあれよと2時間近く続きました。

 今のテンポが早くて、やたらカメラが動き、イケメンばっかり出てくる映像を見慣れた彼らにも、やっぱりいいものはいいと。いや逆に、今の映像はこれを見ろ、こう見ろ、という半ば強制的な映像に見えはしないかという疑問も出たりしました。

 ともかく、こんなスタイルの映画は初めて見たという塾生たちも改めて、映画の、いや日本映画の本来持っていた底力を知ってくれたことでしょう。

 終電近くになっても、なかなか帰る塾生もいなくて、なんか興奮気味。
 そのまま何人かの塾生は朝まで残り、私も酒を飲みながら、朝まで映画談義に付き合いました。

 ちなみに、山中貞雄監督が、この作品を撮ったのは25歳。これも驚きです。
 そして昭和12年、日活から東宝に移籍し、日本映画史に燦然と輝く『人情紙風船』を27歳で撮ります。この映画の切なさはもうショックです。

 そして、こんな映画を27歳で撮るという現実にWショック。まさに天才です。

 山中監督は、翌昭和13年、中国戦線に召集されて急性腸炎を発病し、そのまま28歳と10ヶ月の命を断ちます。中国軍の黄河決壊作戦による洪水のため、水をかなり飲んだのが原因とされています…

『人情紙風船』が遺作となったのです。

 山中貞雄は1909年(明治42年)の生まれ。
 黒澤明が翌年の1910年の生まれですから、もし山中が戦争に召集されなかったら、よきライバルとなり、互いにもっとすごい映画を作り出して、世界の映画界を震撼たらしめていたであろうと想像されます。小津や溝口、成瀬という世界的巨匠たちとは違い、活劇が撮れるという意味では真に、黒澤に大いなる刺激を与えたであろうと。同じ東宝の専属でもあったし…

 ホント、山中監督の早すぎる死が残念でなりません。

 また機会があれば、みんなと『人情紙風船』を観て、泣きたいものですな。
 
 

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2007年10月11日

小説技法初授業

 中山市朗です。

 昨日は小説技法の第一回目の授業でした。
 本来、この時間は合評をします。
 課題となるテーマを出して、書くのは家で書く。

 締め切りを設けて、その日までにこの授業をとっている人たち全員に原稿を渡す。

 当日はみんなで合評。
 これを繰り返します。
  
 最初はアカの入れ方も分からないかもしれませんし、的確なことが言えるのだろうかと不安に思うかもしれません。でも、それでいいんです。

 今年の春、塾生たちが出版した『怪怪怪2』の帯コメントを、京極夏彦氏にいただいたのですが、そこにはこうありました。

“どんな選考委員よりも厳しく、どんな評論家より辛辣なるものが読者です…”

 これはその通りなんです。いや、ホント。

 だから、いち読者の目で意見を述べればいいんです。
 そのうち、専門的な目が持てるようになります。

 まあ、スキルをあげるのは、書いて人に読んでもらう。
 これを繰り返すしかありません。

 ただ、この日は新体制になっての初日ということで、総務であり、今年作家デビューした菅野くんに話をしてもらいました。 

 彼は、専門学校時代の教え子です。マンガ家を目指して入ってきたのもの、在学中まともにマンガを描かず、卒業寸前になって何もしていなかった自分に気付く。そして卒業。バイトをしながら「俺、こんなんでいいんかな?」と自問する毎日。専門学校を卒業したものが歩む、たいていのパターンです。

 しかし、彼はここで人と会うことで文章を書く喜びを知り、また厳しい現実も知る。ここから彼はライターとして仕事を請け負い、小説を書きたいという衝動に駆られる。そこから3年でデビューするわけです。

 彼に講義をしてもらったのにはワケがあるんです。
 私が何千人と見てきたこの世界を目指しながらも陥りがちなパターン。
 彼はそれを踏んでいる。 
 たいていはココで挫折するんです。

 バイト…。これは鬼門ですな。

 バイトしていると食っていける。たいていは与えられた仕事をこなしていれば、時給をもらえる。ラクなんです、これは。

 時間を入れれば入れるほど、収入が増える。「まあ、これでええか」となりがちなんです。でも、心のどこかでは「いや違う。俺の人生、そうではない」という自問もある。

 将来の不安があるのに「でも、そのうちなんとかなるかも」という根拠の無い自信もある。そう思わないと生きていけないのでしょう。それで家で少しだけ書いたしても、やる事をやっているつもりになる。
 
 私にもそういう時期がありました。

 でも、ここから這い出すには、自分から動くしかないんです。
 そういうときにアドバイスを受けられるプロの人間が身近にいるかどうかが、大きな運命の分かれ道になるんです。

 専門学校の先生なんかが、そういう人にあたるはずです。
 専門学校というものは、そのためにあるのですから。

 そして、そういうアドバイスのどこかには、人脈がある。紹介はしなくとも、そういう人に行き当たる。そういうモノです。

 それを彼は体現している。
 
 随分と私も彼にアドバイスをしてきましたが、どこかで反発しながらも、ちゃんと聞くところは聞いて、アグレッシブに動いたのです。そして彼は、人と出会い、業界を知り、厳しさも知ることになるのですが、同時に創作の楽しさも知る。作家を目指す人たちにとっては、彼はひとつの生きた教科書なんです。

 そんな話を作家を目指す塾生たちに聞いてもらいたかった。
 今回の話、きっと後々効いてくると思います。

 ただ、彼の正念場はこれから。
 デビューはできても、作家として書き続けることができるのか。
 次回作はいつ? どこから?
 とりあえず某出版社へ「ライトノベル原稿」をペンネームで送り込んでいる、と彼は言うのですが…
 
 ともかく、彼を身近にあるよき指針、目標としてもらえれば、プロへの道はきっと開くはずですし、菅野くんもうかうかとしていられないと思います。

 よきライバルになってもらえれば…。

 次回からはともかく書いて合評する。
 これが繰り返されます。


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2007年10月04日

昨日の作家・アイデアコース

 中山市朗です。

 新体制での作劇塾が始まりました。
 昨日がその第一日目。

 私の作劇ゼミが、最初の講座です。

 マンガ、小説を問わず、みんなが顔を合わせるのがこの講座です。
 今回入ってきた新入生と、今年の4月に入塾してきた塾生が、出席者のほとんどを占め、新しくなった作劇塾を実感。でも3年目、4年目のベテラン塾生も在籍しています。おそらく、木曜日のマンガコースで顔を合わすことでしょう。

 さて、この日の私の講義内容は…

 “より、らしく”見せるには? がテーマ。

 マンガも小説も映画も、すてべはフィクション。つまり嘘八百の世界。
 「ウソ」は「デタラメ」とは違うんですね。

 プロになるんだったら、読者や観客に対して巧いウソをつかなければならない。
 それには何が必要か、ということを考察してみました。

 で、2つの映画のシーンを観てみました。

 あるSF映画の1シーン。モノクロ、スタンダードの古い映画。
 もう1本は、そのリメイク作品。カラー、ワイド画面で、ステレオ音声。

 ほぼ同じシチュエーションです。リメイクの方は旧作という教科書はあるし、テクノロジーも発達しました。設定もバージョンアップしてある。

 どちらも3分ほどのシーン。

 で、観た後、塾生たちに質問してみました。
 「どっちがリアルだった?」
 すると、ほとんどの塾生たちが旧作と言ったんです。

 この作品。旧作の方が出てくる想像上のキャラクターがより大きく見えて、怖い感じすらした。しかし、リメイク版は画面はクリアだけど、かえってリアルな感じが希薄だった、と。

 では、なぜそう思ったのでしょう。
 それを細かく分析してみました。

 カメラワーク、構図、状況説明、ドラマの中の設定、カット割り、進行方向、仕掛け、入れ込み、色彩…。つまり演出です。それを細かく分析してみた。

 そしたら、「なるほど、それでか」と納得したんです。
 頭の中で、「これは駄目だ」と思っても、それが理論として展開しない。観る方だとそれでいいんですが、観せる側になるとそうはいかない。

 その頭の切り替えをやらなければ駄目なんです。

 さて、ここに出てくるあるキャラクターはこの世には存在しません。でも、フィクションワールドの中にはリアルに存在しています。つまり、ウソですよね。

 だとしたら、このキャラクターにリアルな存在感を与えねばならない。
 “より”、ホンモノ“らしく”観せることが必要なんです。

 それには映像のダイナミズムを理解する必要がある。映像のダイナミズムとは映像の計画された理論に基づくものです。これが巧く作用すると観客に感情を喚起させることができるんです。

 観終わって、「なんかつまらなかった」と思うのは、ストーリーが悪かったとか、キャスティングのミスとか、色々あるんでしょうが、往々にしてこの理論が崩れている場合が多い。ことに特撮をメインにおいたSFやファンタジーにおいては。

 “より、らしく”観せることは、特にマンガにおいては絶対必要でしょう。

 カワイイを、よりかわいらしく。
 強そうなものを、より強そうに。
 悪そうなヤツを、より悪そうに。
 戦国武将を、より武将らしく。
 大きいものを、より大きく見せる。
 速いスピードを、より速いスピードに。
 迫力あるシーンを、より迫力のあるように。
 怖いものを、より怖く見せるように。

 こういう描写ができるかできないかって、そのマンガや映画の面白さを左右する根源の問題だと思いません?

 それにはそれぞれ法則、原則があるんです。
 それを映像のダイナミズムというんです。
 
 それを知らずに描いて、これでいいだろうとプロのところへ持っていくと、バサッと斬られます。出版社に持ち込んだことのある人は、体験済みですね。

 感性だけでは作品はできません。

 『機動戦士ガンダム』などの監督、富野由悠季氏はこう言います。

 「感性の問題は、映像が発せられるダイナミズムを消化した者だけに許されるか、純粋に天才的アーティストにまかされるものである」

 『ガンダム』の魅力はあのキャラクター造形だけじゃなく、プロとしての演出計算があったわけです。

 はじめて映画を専門的な目で観たと新入生。
 それはそうでしょう。こんな講義、私がかつて学んだ映像専門の大学の授業にもなかった。なかったけれど、最もやってほしかった講義でしたし、プロになってからますますこれを理解しなければ、と思ったことです。私も勉強しながら、この講義に取り組んでいますから。

 で、次回の講座はアングル(視点)と、フレーミング(位置)について。
 これを知っておくと、同じ絵を描いても映画を撮っても、全然印象が違うよ。
 
 もちろん、小説にも大いに参考になります。
 
  

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2007年10月01日

新体制発動!

 中山市朗です。

 10月です。
 新体制の塾がスタートします。

 土曜日の夜は10人ほどの塾生が私の書斎に訪れてくれて、「一応区切りなんで、飲みましょうよ」と言うので、飲み会となった具合で。

 この日は男子諸君が手作り料理を披露。
 鮭のムニエル、マーボー豆腐、パスタ、焼肉…
 
 料亭でバイトをしている女の子が、ちょっと値段のはる松茸ごはんを持ってきてくれて久しぶりの松茸ごはんを堪能。

 塾創設時から在籍している塾生からは、当時の懐かしい話が出て、今年の4月に入ってきた塾生たちは「そんなことがあったんですか」と、ちょっと驚いた表情。

 まあ、色々あって、信じられないエピソードもたくさんあったんです。

 もちろんマンガから映画の話も盛り上がって… 
 BLの世界が男にわかるのか、とか、映画『2001年宇宙の旅』の解釈談義とか、江戸文化の話とか…

 で、散会したのが朝の8時頃。
 みんな、お疲れさん。

 まあ、ほとんどの塾生は「新体制になってからも塾で学びます」と言ってくれて、塾長の立場とすれば喜ばしいことです。せっかく、ここまで積み上げたものを、パッと辞められたのでは教えている者としては辛い気持ちもありますから。

 ちなみに、月謝制となったからは、辞めるという概念も無くなるのかな、と。

 一度塾生登録しておけば、いつでも好きなときに塾へ来て学べるシステムですから。例えばデビューしたあとに、「あっ、これはやっておく必要があったな」と思ったら、いつでも学べるわけですし、こっちもちょっとした原稿依頼や私の仕事を手伝ってもらうことだってできますしね。

 デビューしたとしても、仕事をコンスタントに取っていくのは困難なこと。そこをフォローするのもこちらの仕事だと思っています。

 こういう考えは、ある意味甘いとは思います。
 やっぱり、仕事は自分で取ってきて自分でこなす。特にこの世界はそうです。

 とはいえ、私は30歳になるまで、なかなか仕事がもらえなかった辛い経験があるのです。腹を減らしながら、それでもしつこくこの業界にしがみついて、やっと今の状況があるんです。特に作家なんて30歳、40歳を過ぎてからやっと自分の世界が書けるようになる人も多い。そら、苦労もしまっせ。

 ただ、苦労するのはどの世界でも同じ。

 「同じ苦労するなら、好きな世界で」というのが私のメッセージなんです。ですが、専門学校時代からずっと若者を見てきましたが、案外その辺が淡白というか、ハングリーじゃないというか。「お前、もうちょっと粘ったらデビューできるのに」という子が多かったんです。「今、彼は派遣の警備員やってます」とか、「ゲーセンでバイトしてます」とか、「彼女は諦めて実家に帰ったようです」とか、そんな話を聞くのは辛いんです。

 ですから、そこは何とか支えてやりたい。
 だから実践式の塾を作ったんです。
 まあ、アグレッシブに活動している作家志望者は、ほっといても動いている。そんな人は、あんまりウチとかには来ないんで。

 ただ、9月に実施した体験入学では、アグレッシブな人が来ていました
 「ある出版社の賞に応募する原稿があるので、添削してください」とか、「サークル活動をしていて、自費出版もやっています」とか、「すでに何社にも持ち込みをしています」とか。中には「プロの作家やマンガ家になりたいわけではないけれど、何か刺激がほしくて入塾希望します」といった社会人の人とか。

 そういった人たちと触れ合って、おもしろいことを仕掛けることができるのが、私としては大いに楽しみなのです。



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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 14:38|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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