2007年11月

2007年11月29日

11/28の小説技法

 中山市朗です。

 28日(水)の小説技法の報告です。
 書いてきたのもの合評です。

 みんな、いろいろ辛辣なことを言ったり、誉めたりしております。
 塾生Fくんは、エンターテイメントとして話を展開させたいけど、そこにどういう事件を起こしたらいいのかわかりません、と苦悩の様子。「あっ!」と読者を驚かすものを書きたいし、自分も読みたい。でも方法がわからない、と言うんです。

 なんとかしようと本も何冊か読んだらしい。ヤクザとか政治家が出てくるんだけども、どうやればリアリティのあるものになるのかも思案しているようです。
 
 これはね、家に篭って頭をひねっても、読者が膝を叩くようなものは書けません。
 本を読んだり、映画を観たり、お芝居を観たりは普段からしておきましょう。

 でも、やっぱり人と会うことです。取材してみることです。
 人の頭で考えていることなんて、タカが知れています。
 ある発想が浮かんでも、自分が発想するくらいだから他の人でもこれくらいのことを発想するだろうな、と思うくらいがいい。

 しかし取材で得たものは、自分のものです。
 会った人は、自分以外の人生経験や体験をしています。自分とは別の世界を知っています。お芝居だって、コンサートだって、ただ観に行くだけじゃなく、楽屋に行ってみることです。なにかの現場に入り込んで、お手伝いをして、打ち上げに参加してみることです。
 
 参加できる飲み会でもあれば、なんとか潜り込んでみるんです。色んな人がそこにいます。
 その人たちも、色んな人と繋がっています。信じられない話や、面白いエピソードが、そこにはゴロゴロ転がっていますから。

 そういうものを蓄積することが必要です。
 創作は記憶の蓄積です。これは、黒澤明監督の言葉。

 私の場合、『新耳袋』も『捜聖記』も作業行程の90パーセントは取材でした。『なまなりさん』も、あれが取材できたから1週間ほどでサッと書けた。あんな発想やエピソードは、私には無からは作れません。

 ただし、自分の中で書くというモードがないと、そしてこだわりがないと、人に会ってもただ「会った」という事実しか残らないし、取材に行ってもなにも見つからない。

 なかにはいますな、「書いてる?」と聞いたら「頭の中ではできてます」というヤツ。あるいは「映画観て勉強してます」というヤツ。そういう人たちは、結局なにも書かないで、でも書いているつもりになっている。映画を何百本、本を何千冊読んでも、世界中旅して回っても、書かなきゃ作家にはなれません。当たり前のこと。

 だから、書きながら映画を観たり、人と会わなきゃだめです。

 さて、一方塾生の萌え系大好きOくんは、「僕は残酷なものというか、グロいもの、暴力は大嫌いなんです。だからあえて、それを書いてみました」という。読んでみたら面白い。

 これですわ。

 例えば、怪談書いてみない? と言うと、「怖いの嫌いなんで」と書かない学生がいっぱいいました。
 でも、これは間違い。ここがテーマになるんです。
 怖いの嫌い、でもなんで? という発想が必要なんです。

 「嫌い」というのは、ひとつの意識なんです。
 「嫌い」と意識する。そこには理由があるはずです。理由があるから嫌い、となる。その理由を突き詰めるんです。すると怖いメカニズムが見えてくる。あっ、だからイヤなんだ、嫌悪するんだ、と気がつく。

 じゃあ、そのメカニズムに沿って書くといい。絶対にイヤだとか、怖いと思う作風になる。怪談やホラーを書いている人って、結構「怖いのダメ」という人が多いんです。

 そのOくんですが、彼の作品では、いきなりオタクの祭典が悲惨なことになる。主人公もそこに巻き込まれて気がつくと、身体の痛みよりも、萌えグッズや紙袋が燃えて、ラミカードが溶けて、赤く染まった同人誌などに興味がいく…

 好きな世界が嫌いな世界によって破壊され、その中で主人公が何を優先していくのかを描こうとしていて、テーマも方向性もわかるんです。

 だから読みやすいし、面白い。ただ、残念ながら未完成原稿。
 
 まあ、次回に期待してまっさ。
 
 Iさんは4月から課題を落とさずにコツコツと書き続けた。その成果があって、一応課題はクリア。今度は今まで書いてきた課題をひとつにまとめるステージに入ります。

 400字詰め原稿用紙で150枚くらい?
 これを整理し、加筆、添削してひとつの作品に仕上げるわけです。

 これも職業作家になるためには必要な行程です。

 休んでいる人、どうしてる?
 差が出てくるよ。


  

中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 16:52|PermalinkComments(0)

2007年11月26日

怪談の間終了!

 中山市朗です。

 24日(土)は第6回『怪談の間』でした。
 場所は最近、ホームグラウンド化している上方落語「阿弥陀池」で知られる和光寺さん。

 夏はまあ大入りになるんですが、こういう寒い時期はなぜか「怪談」となるとお客さんも減ってしまう傾向にあるんで、心配をしておりました。

 それでも、この日は60人近い怪談好きが集合!
 そこで今回は当初の通り円座になって聞き語るという形での開催としました。

 みなさん積極的に怪談を語っていただき、あっという間の3時間でした。
 懐かしい専門学校時代の教え子も顔を見せてくれて。

 この日、私は新作(?)を2話披露。
 ひとつは、23日の早朝にあった私の体験談。あったんですわ、奇妙な現象。
 しかも、我が書斎で原稿執筆中、ワープロと、最近つながったパソコンの画面で…

 お客さんに松下電器のエンジニアの方がおられて、後で「そんな現象、物理的にありえません」と驚いた。
 
 まあ、後でわかったんですけどね、あっ今日は11月23日、その現象があったのが4時24分(またこの時間を強調するような現象でした)、つまりは沙代子さん(詳しくは『なまなりさん』を読んでください)の11回目の命日。まだまだ続いているのかな…

 もう一話は、来月10日に発売される怪談専門誌『幽』に掲載している"やじきた"の取材の模様を。

 幽霊マンションです!

 掲載される文は文字制限があったのと、証言をくれた住民の方のプライベートの問題もあったので、書ききれなかった、あるいは書かなかった部分があったので、今回はそこも合わせて。

 『幽』掲載文がオリジナル版。
 今回語ったのが、ディレクターズカット版(こっちの方が長い)ということで、30分も語っちゃいました。

 おかげで終演は15分オーバー!

 ともかく、怪異蒐集局の紗那氏、紙舞氏、スタッフ森田などのサポートもあって、いろんなバージョンの怪談が入り乱れました。

 ありがとう!

 10時からはお客さんとの2次会。
 千葉県から馳せ参じましたというお客さんがいて、私も紗那氏も思わず握手。
 「これは関西だから可能なイベントですね」と彼も感慨。
 そういえば、名古屋のメンバーは来てなかったなあ。

 そして3次会へ。
 私、お酒入ってたんでしょうね。大学で人類文化について学んでいるというお客さんに絡んじゃいました。宗教を無視して何がわかるんだよ、とか、本ばっかり読んでないで外に出て取材してみよう、とか、既成概念でモノ見てんじゃねー、とか、学会の派閥が気にいらねー、とか。なんかつっかかって。

 ごめんなさい。

 そう思っていることは事実ですが、あなたに絡む筋合いじゃない。
 反省しとります。
 


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 16:03|PermalinkComments(0)

2007年11月22日

11/21作家アイデアコース【男と女のあり方】

 中山市朗です。

 昨日(21日)の作劇ゼミの報告です。

 前回(7日)の続き。えっ、前回は何をしたんだっけ?
 「男と女のあり方」でした。 

 人間は男と女。まあ中間の人たちもいますが、置いといて。
 男と女の本質は違うということを、前回勉強しました。

 すごく端的なことをいうと、男は戦争をする動物です。その証拠に、人類の歴史は戦争の歴史。今もってどこかで紛争や戦争が起こっています。
 これはなぜかというと、男の本質は領土拡大にあるわけです。

 資源を求めて、土地を求めて、まあそれもあるんですが、本質は自分の子孫をあちこちに残したいという欲望でしょう。種を撒く畑にどんどん拡大して、あちこちに作っておこうというのが男なんです。で、戦争をするには武器もいる。それには生産だの技術だの、それに合理的な作戦も必要、さらには協定や条約といったルール作り、組織も必要と社会を作らざるを得ない。だから男は理屈っぽいし、なんだかんだと男社会なんです。

 女は、子供を産むのは自分しかいないのですから、土地を求める必要はありません。ひょっとしたら、そんなものいらない。愛する自分を守ってくれる男がそばにいてれればいいんです。だから長距離恋愛は、女には無理なんです。その代わり、この男と見定めてたらどこまでもついていく。つまり自分のいる場所がすべてなんです。

 安心して子を産め、育てられるテリトリーがいちばん重要なんです。そしてそれを求めるには、動物的な本能が欠けてはいけないんです。

 理屈っぽい男と、本能に生きる女。

 だから、男と女の痴話喧嘩なんて、ちっとも折り合わない。
 
 「なんで俺の話がわからないんだ!」
 「どうして私のことわかってくれないのよ!」

 こんなことを塾生たちに聞いてみました。
 男と男の友情はあるか? これはあります。単純ですから、男は。
 女と女の友情はあるか?

 「あります」と、ある塾生。もちろん女性。
 そうかなあ…。まあ、これは色々考えるものがある。私は男なので、わからないこともあります。私は色々見てきたんですが…まあ、いいや。

 でも、言っておきますけど、友情ですよ。これはお友達とは、ちょっと次元が違う。女同士って「私たち、仲良しよね、友達よね」と、確認しあいますが、男はそんなことは絶対言わない。もし、言ってきたら「金はないぞ」と言うときです。確認しあう、ということは、本質では不安なんでしょ? その友情がホンモノなのかどうかが…。まあ、異論がありそうですから、問題は置いておきます。

 じゃあ、男と女の友情はあるか?

 「これもあります」という答え。
 ほほう。じゃあ、尋ねます。
 あなたに亭主(彼氏でもいい)がいます。その彼が、職場ですごく仕事のできる同僚の女性に友情を感じました。愛情じゃあない。友情です。だからあなたに後ろめたいことはないと思う。だからあなたに会わせます。そして紹介します。

 「僕の友人のA子さんだ」
 さあ、あなたは「彼をよろしくね」とニコニコと笑って彼女と仲良くできますか?
 えっ、それはできない。そうでしょう。
 でも男は言うんです。「これは友情だ。同僚だ。俺を信用できないのか!」
 女は思うはずです。いや、そんなの信じられない。そう、それが女の本能。自然な見方です。同僚だから一晩、同じオフィスで仕事をすることだってあろうし、ちょっと二人で食事なんてことも絶対にある。男がどう言おうと、男と女です。

 ところが男は、理性とか、信頼とか、仕事だとか、理屈で頭で考えようとします。そこが了見の狭いところ。ここには相手の女性がどう思うかという考えが抜け落ちているんです。

 自分は友情と思っていても、相手がそうではなかったら。
 もし、あるキッカケで彼女を女と意識したら。
 そんな関係は続きません。
 そこを女性は嗅ぎ取るんです。
 恋愛は女の命なんです。
 女に本質を見抜く力があるのは、これは自然の摂理なのです。
 で、話を戻します。女に友情はあるとは思いますよ。ただ、女はわかっているんです。でも、彼氏ができたら、そっちへ行っちゃうんだろうな、と。だから確認しあうんです。で、実際に彼氏ができたら…?
 恋愛は女の命。女はそれをわかっているんです。

 そこで、今回はその恋愛の真実を抉り出した、2本の文芸作品を紹介し、分析しました。どちらもロシアの文豪トルストイ。

 『戦争と平和』と『アンナ・カレーニナ』
 『戦争と平和』はまだ少女であるナスターシャの恋。
 『アンナ・カレーニナ』は人妻の不倫の恋。
 まあ、どんな分析をしたかをここに書いていると、なんか論文みたいになりそうなので、ここには書きません。また来年、この授業でやります。

 ただ、ここで提起したことは、恋愛などと一口で言ってしまいますが、恋と愛は違うぞということ。恋は誰でもします。でも愛は、誰もが享受できるものではありません。相手の幸せを望んで、自己犠牲となる愛、黙ってひく愛、世間を敵に回す愛がある。そういう厳しい男女の愛の世界を見て欲しい、ということです。そして男と女の思考はまた別のものであるとも。

 だから、愛に真剣に生きようとした、命をかけようとしたナスターシャもアンナも、悲劇の中に身を置き、アンナは自殺までします。そしてその原因を生むのは、女の心理を理解しない男の理論、常識、なんです。

 私も気をつけなければ…。

 いや、と、ともかく、ここに表現される作者トルストイの描写力、人間を見る洞察力、作者としてのスタンスなど、マンガや小説を書くというのならば、絶対に研究しておくべきものでしょう。そして今後のあなたの生き方にも…?

 さて次回は、演出について考察します。


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 19:05|PermalinkComments(0)

2007年11月19日

11/16シナリオ講座

 中山市朗です。

 先日の第3金曜日(16日)は、シナリオ講座でした。
 カリキュラム表にはありません(詳細は10月22日のこのブログをお読み下さい)が、シナリオは若干存在する映像志望者はもちろん、マンガ家志望者にとっても大切なアイテムです。

 大学の実情は知りませんが、私がかつて在籍していた専門学校がそうでしたし、今、作劇塾と協力関係にある専門学校にも映像科があるんですが、そこも今やCG制作がメインとなっていて、ひたすらパソコンの前で映像を作って動かし、編集するのが映像の実績となっているようです。以前、後輩にあたる大阪芸大生と話したときも、「シナリオはあんまりやらず、CG制作がメインです」と言っていましたけど。

 これは、プログラマーを育成するのだという方針であれば、それでもいい。
 でも、映画やドラマの世界に行くとしたら、これは違うと思うんです。

 以前、このブログで紹介した阪本順治監督の言葉にあるように、映画やドラマの世界は人間を描くことで成り立つんです。人間を観察し、人間を描く。その人間を通してドラマを構築するんです。

 この作業に関わるのは脚本家と演出家(監督)、そして、それを肉体で表現する役者です。まさに映画のメインです。カメラマンはその被写体からどう撮れば、その感情や表情を効果的に引き出せるのか、そして映画は光と影の芸術ですから、照明が当たらないと被写体にならない。照明部はその監督やカメラマンの意図を把握して被写体の状態を作るのが作業です。

 そのイメージの元となる設計図がシナリオです。
 設計図がなくては、いくらいい職人がいても、家は建ちません。

 プログラマーはいわばこの職人なわけで、家の形やデザイン、機能性を考えるのは設計図を書く建築家です。

 建築家になりたくて、学校に入ったら職人になった方が就職できるよ、と言われて、今職人を目指しています、というパターンが多いような気がします。いや、ここの矛盾がわかっているのならまだいいんですが、そういうものなんだと疑問を持たずにいる学生がいることが怖いような気がします。

 監督や脚本家はフリーの仕事。それを目指す学生は専門学校からすれば邪魔なんです。就職率を阻む存在ですから。だから、これからはCGの時代だという方針でカリキュラムを組むんです。まあ、講師をやってくれる脚本家、監督があまり関西にはいないということもあるようですし(実はそんなこともないんですけど、京都にも撮影所ありますし)、それにコンピュータ導入には相当お金も使ってますから、元を取らないと、という考えもありますしね。

 専門学校の講師時代、そのことで随分教務課のスタッフたちとやりあった覚えがあります。CGの世界が映像の全てではない! と。

 私が、大阪芸大で学んでいたときは、依田義堅(よだよしかた)先生が学科長におられましたから、その重要性は徹底されていました。依田先生は溝口健二監督の『浪華悲恋』『雨月物語』『西鶴一代女』といった世界史に残る傑作を手がけた人。マキノ雅博、新藤兼人、吉村公三郎、伊藤大輔といった巨匠たちの元でも脚本を担当されていました。

 一回生は、まずはシナリオを書くこと。これをやらされました。そして二回生になって短編映画を各々が監督となって作る。三回生から共同作業。ここで映画、テレビドラマ、アニメーションなど専門を選択したんです。そして、四回生で卒業制作。

 理にかなった教育方針だと思います。

 これによって作劇法が身につきましたし、他の企画を動かすときのベーシックな考えの元にもなりました。だから放送作家にもなれたんです。

 まあ当時はCGなんてものはなかったんですけど、それはCGがなくても映像は成り立つということでもあります。
 
 「映画のおもしろさは技術じゃない。いかにユニークなストーリーを編み出すかが大事。つまり映画を作るには文学的要素が一番求められるんだ」と言ったのは、あのスピルバーグ。「もし、映画はテクニックだという誤った考えが浸透しているとしたら、それは僕の責任かもしれない」ともあるインタビューで答えていました。

 ユニークなストーリーをどう表現していくかは、テクニックの仕事となります。でも、大多数の観客はテクニックを観に来ているわけじゃない。どんな話か、誰が出てるか、そこを観に来るわけです。

 だからシナリオは大事。
 というわけで、シナリオ講座だけはなんとかして継続していきたいんです。シナリオが書けないと監督にはなれませんし、読めないとプロデューサーにもなれない。放送作家や劇作家、マンガの原作、映像プランナー、いずれもシナリオを書くことからその道への第一歩が始まるわけです。

 マンガ家も、原作となるシナリオが読めないと仕事にならないんですけど。

 ところが、この日のシナリオ講座の参加者は男ばっかりの4人。あれ?
 今月は持ち込み原稿を完成させて持ち込みするので、と、休塾している塾生がいるのは知っていたけど、どうもマンガも描いてシナリオも書くというのが負担なのでしょうか。そんなことでは、プロになったら連載というハードな作業、できませんよ。

 しかし4人はきっちりシナリオを書いてきてました。そこに小説家志望のIさんが、興味あるので見学させてくださいと、紅一点の参加。

 4月からずっと模索して、けれどもようやくOKが出そうなKくんのシナリオを読んでいたIさん。

 「これ、姉妹が出てきますけど、こういうとき、姉はこんな考え方はしません」

 あっ、と全員が膝を打った。
 男にはわからない女の心理がある。そういや、そうだなと納得してしまいました。
 これが合評なんですね。
 自分の経験していない心理や、リアクションは経験者なり自分とは別の角度からものを見る人から意見を聞く。これを巧く取り込んでいくと、誰が見ても破綻のないキャラクター、ドラマが生まれるわけです。

 まあ今回指摘されたのは、ちょっとした動き。
 でも、その動きが、キャラクターをより自然な人物に仕上げるわけです。
 「じゃあ、そこを直したらOKね」と、Kくんに次回は最終稿を書いてくることを指示。新塾生は私が貸した高橋洋さんのシナリオを模写した上で書いたというだけに、ちゃんと形はシナリオになっていますが、長いし、動機が伝わってこない。
 
 もうひとり、Oくんはシナリオは初挑戦。やろうとしていることがストレート過ぎ。もっとヒネろうよ。ということで90分。

 ちょっと早めに終わりました。 

 

中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 16:53|PermalinkComments(0)

2007年11月15日

11/14作家アイデアコース

 中山市朗です。

 昨日(14日)の小説技法の報告です。
 
 合評です。
 与えられた課題を、どう解釈して小説に仕上げていくか、ということの繰り返し。
 4月からずっと落とさずに書き続けて、文章力、構成力、表現力が確実にあがっている人もいれば、来たり来なかったりして全く前進していない人、そして10月の新体制から始めて、まだ戸惑っている人と、進行状況は様々ですが、目標はひとつです。

 読者を意識して書くこと。

 別に読者に媚びろというのではありません。
 ただ、自分の思っていること、頭の中にあることを、どう読者に興味深く読んでもらえるかということが命題です。そのためのテクニックです。

 有栖川有栖さんと話していたとき、彼は私にこう言ったのを覚えています。
 「文章は誰だって書けます。うちのおばあちゃんだって、手紙を書いたりします。ただ、作家になるには、その文章が面白いかどうか。面白いものが書けると、作家になれます。差はそこです」

 その面白いものを書けるようにする訓練がこの合評です。

 この日、みんなの小説を読んでいて、どうも方向性がわからないんです。
 課題は連載の体で出してあるのですが、続きが読みたいか否かが、作品の善し悪しを計るひとつの基準です。もちろん、ある程度書けている作品もありますが、やっぱり新塾生が苦戦しています。

 完結してしまっているもの、興味が湧かないもの、正直意味がわからないもの…

 その要因は、方向性が見出せていないことにあるようです。
 これでは、私が担当だった場合、連載は頼めない。
 みんなに、「これ続き読みたい?」と聞くと、「う〜ん…」。

 「う〜ん」じゃあ、いかんわな。
 連載ということは、やっぱり全体の構成を考えて、その構成を貫く方向性の意識が作者にないと、読む方は読み辛いんです。

 で、私は一人ひとりに尋ねました。
 「この作品のテーマはなに?」
 すると、「自分の人生」とか「女性の生き方」といった、ちょっと漠然とした答えが出てきました。

 「自分の人生」を今から語ります。聞いて下さい。
 これで、一体何人の人が聞いてくれるでしょうか。しかも、お金を取って聞かせるとなると…

 それでも聞かせようとするなら、ワザが必要です。
 話法というやつ。
 聴衆の耳をこっちへ傾けさせる工夫ですな。
 小説も同じ。
 読者の興味をどう惹きつけるか、の工夫がいる。
 で、今回はスタイル、ということを考えるように指示しました。

 つまり、読者を泣かせたいのか、笑わせたいのか、怖がらせたいのか、感動させたいのか…

 すると泣かせるためのスタイル、笑わすためのスタイル、私小説なら私小説のスタイルというものがあるわけです。

 話題になったり、ヒットしたりする小説には、そのスタイルがあります。
 あの小説、泣くわよ、とか。めっちゃ怖いで、とか。感動するよ、とか。

 そうなると口コミで広がる。
 そのスタイルの意識が、どうもみんなにはない。
 ただ、書きたいことを書いているだけ。小器用にまとめているだけ。
 それじゃあ、他人は読んでくれません。
 だから、テーマに沿った、あるいは合った文章スタイルを探してみようと。それがおそらくテーマを示唆し、導く道しるべになるはずです。

 つまり方向性です。

 その方向性を作者がわかっていないんじゃ、読者もなにを期待して読めばいいのかわかりません。

 ということで、他人に読んでもらう、ということをもっと意識するようにと、一つひとつの作品にヒントを与えました。もし、他人に読んでもらうことなんかどうでもいい、自分の書きたいことを好きに書きますというのであれば…職業作家になることは諦めましょう。

 それが通用する人も確かにいますが、それを真似てはダメ。そんな人はほんの一握りだけですし、それは長くは続きません。


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 12:37|PermalinkComments(0)

2007年11月12日

大脱走

 中山市朗です。

 昨日は第一金曜日。
 塾生たちの名画鑑賞会の日です。

 上映作品は『大脱走』(THE GREAT ESCAP)
 1963年制作のアメリカ映画。公開時は日本でも主題曲“大脱走マーチ”とともに大ヒットし、その後何度もリバイバル、テレビ放送された名作です(紅白歌合戦の裏番組として放映されたこともあり、高校生だった私は親父とそっちを観ていた記憶があります。国民行事に対抗しえた偉大な映画やったんですな)。

 先日の私の授業で、男女の関係がまったく出てこないドラマや小説はあまりない、と言いましたが、こと戦争ものとなると、まったくの男のドラマが多くなります。この映画にも役のある女性が一人も出てきません。

 男の、アクションドラマです。
 男の子なら、観とけ! です。

 3時間近い大作ですが、ストーリーは簡単。第二次大戦下、ドイツの捕虜収容所に連合軍の航空兵たちが収容されてきます。ほとんどが、何度も脱走を仕掛け、未遂したツワモノたち。これに頭を痛めたドイツ側は、鉄壁の守りと監視を持ってこれを阻止しようとします。

 しかし、彼らは250名を逃がすことを目標とした史上最大の脱走作戦を組織立てて計画実行します。そして…

 これは実話を忠実に(1944年6月6日、ノルマンディ上陸作戦に合わせて実行された)映画化したものだそうです。

 私もワクワクしながら、何度も観た映画です。
 見所はなんといっても個性あふれるキャラクターたち。

 組織を統率するビッグX。
 スティーブ・マックイーンの独房王ヒルツ。
 調達屋ヘンドリー
 トンネル王ダニー
 製造屋セジウィック
 偽造屋コリン
 情報屋マクドナルド

 対して収容所長はゲシュタボを快く思わないルーゲル大佐、非常なゲシュタボ・クーンなど。これを個性溢れる俳優たちが生き生きと演じています。

 しかし、創作という点で観ると、実にシンプルで観客の関心をただ一点「彼らはいかに脱走するのか」にだけ集中させるシナリオ作りと演出プランが施してあるところが注目です。なぜヘンドリーは調達の名人なのか、コリンの偽造の腕の過去には何があったのか、などという人間の部分はまったく省略されていて、しかし観客はそこに目がいくことはない。ただただ、関心はその作戦が成功するのか否かをハラハラしながら観るだけなのです。

 その構成法も秀逸で、前半は収容所の中のみでドラマが展開します。
 監視の目を潜って、いかに脱走作戦を隠密に、しかも大規模に、一糸の乱れもないチームプレイで行うのが前半のテーマ。

 そして後半は脱走に成功した76名が、どう逃げおおせるかに興味の視点が移行し、収容所のみだった前半から、画面はヨーロッパの美しい街や森、田園風景をロングショットで映し出し、3時間という長丁場を全く長く感じさせません。

 ある者は汽車で、ある者はボートで、ある者は自転車で、ある者は飛行機で…
 特にマックイーンがバイクで突っ走り、柵をジャンプするというシーンは有名で、バイク好きな彼が「好きなことをしてカネがもらえる」と言ったという逸話があります。

 観終わって、まあ男がこれを面白いと思うのはわかります。
 女性はどうなのでしょう。

 「充分引き込まれて、すごく面白かったです」という反応。でも、こういう機会でもないと、あえて観るということはないでしょうね。というのが正直なところなのでしょう。

 決してハッピーエンドとは言えないんですが、観終わった後の爽快感は、中盤まではあくまでルールに乗っ取ったゲームの感覚でストーリーが構成されていたことと、ラストのマックイーンのキャラクター、エンディングに流れる大脱走マーチの印象なのでしょう。

 戦争なのですから、脱走兵は敵。見つけて殺せばいいじゃん、と考えがちですが、そうはいかないルールがあるんです。ジュネーブ条約という国際人道法の存在。この中では、捕虜の人道的な待遇や保護が規約されていたわけです。

 これを巧くストーリー上のルールとして取り込んであるから、RPGのような面白さがあるんです。

 ただし、映画の中では最後になってゲシュタボがこれを破って50人の脱走者を銃殺してしまいます。ゲシュタボというのは、ナチス時代、反ナチスの取り締まりを目的として親衛隊の統率下に置かれた国家秘密警察のことです。収容所長が反ナチスという伏線が、ちゃんと映画の中にあります。

 ちなみに、デヴィット・リーン監督の『戦場にかける橋』という、これも捕虜収容所の名作があります。こちらタイ・ビルマ国境にある日本軍の捕虜収容所が舞台。早川雪州演じる斉藤大佐と、アレック・ギネス演じるイギリス軍捕虜のニコルソン大佐の意地の張り合いも、このジュネーブ条約というルールが根底にあることを理解せねばなりません。

 とまあ、観終わった後は、いろいろ質問を受けて、そんな解説をしました。

 ちなみに監督は、ジョン・スタージェス。大戦中は空軍に従事しながらドキュメンタリーを撮っていた人で、『日本人の勲章』('54)で注目。その後『OK牧場の決斗』『老人と海』『荒野の七人』といった切れ味のいい、アクション映画で定評のある人でした。

 晩年はジョン・ウェイン主演の『マックQ』、ナチスのコマンド舞台がイギリス本土に隠密に上陸し、チャーチルを暗殺しようとする『鷲は舞い降りた』などがありました。

 ちょっと切れ味が衰えた映画だったかな。

 原作 ポール・ブリックル
 脚色 ジェームズ・クラベル W・R・バーネット
 撮影 ダニエル・ファップ
 音楽 エルマー・バーンスタイン

 ヒルツ        …スティーブ・マックイーン
 ヘンドリー      …ジェームズ・ガーナー
 バートレット"ビッグX" …リチャード・アッテンボロウ
 ダニー        …チャールズ・ブロンソン
 セジウィック     …ジェームズ・コバーン
 コリン        …ドナルド・ブリーゼンス
 ウィリー       …ジョン・レイトン
 アイヴス       …アンガス・レニー
 ラムゼイ       …ジェームズ・ドナルド
 フォン・ルーゲル大佐 …ハンネス・メッセマー 他

 もちろん、ハイビジョンにての上映でした。



中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 16:57|PermalinkComments(0)

2007年11月08日

11/7作家アイデアコース【男の女のあり方】

 中山市朗です。

 昨日のアイデアコースの報告です。

 今、CS放送の日本映画専門チャンネルをよく見ています。
 10月よりハイビジョン放送になったので、どんどん録画しているところです。
 さて、基本的にペイテレビなので商品CMは流れないのですが、ある電気メーカーの大型テレビのCMがたまに流れるんです。そこに出演している映画監督の阪本順治さんがこんなコメントを言っているんです。

 「映画は人を語ります。物語ではなく人語りです…」

 作家の仕事は、まさに人間観察です。
 ちゃんとした人間が描けないと、どんなユニークな設定やストーリーを設けても、読者を説得させるわけには至りません。読者はそこに出てくる人物を通して、その作品の中へと入っていくわけです。

 そこでものすごく重要な問題が出てきます。

 男と女の描写。

 男は女がわからない。
 女は男がわからない。

 ですよね?
 だから互いに魅せられる。関心がある。
 恋愛とかセックスの出てこないストーリーマンガ、小説、映画ってあんまりないですよね。サスペンスであり、スリラーであれ、SFやファンタジー、時代物でもヒーローとヒロインがストーリーを引っ張り、やがては結ばれるのでは、と期待させます。

 そこで、です。

 作家を目指すみなさんは、この男と女をどれほど描けますか、といことが今回の講義テーマだったんです。

 ボーイズ・ラブというジャンルがあります。たまに「先生、見て」とそんな原稿を見ることがあります。まあ、「こんな男、いねーよ」と言いたいところですが、まあそれは女性のファンタジーだとは理解していますので、そこを指摘することはありませんが、それでも作家として男を観察しろよ、とは言いたいわけです。
 
 逆もある。エロマンガ、エロ小説。女性からすれば、こんな都合のいい女がいるわけないじゃん、と言いたいところでしょう。あれは男の勝手なファンタジーです。

 でも、やっぱりそこで、男、女の本質が描ければ、その作品はきっと残るんじゃないかと思うんです。それができれば、男が読めるBL、女が見れる官能ものが表現できるかもしれません。読者層を広げるということは、まずもって職業作家の命題でもあります。

 まず、この日塾生たちに問いかけました。

 デートしました。
 エスカレーターを上がります。男性は女性の前に立ちますか? 後ろですか?
 では、降りるときは?
 レストランに入ります。男性が先ですか? 女性が先ですか?
 タクシーに乗るときは? パーティでの立ち位置は?

 みんなちゃんと答えられない。でもこれ、重要な知識です。
 もし、あなたがモテるいい男を描くとき、ここがちゃんと描写されないと、こんなのウソじゃん、となってしまいます。レディファースト、エスコートというのは西欧からきたマナーです。その形と意味は理解して損はないはずです。
 なんでもかんでもレディファースト、じゃないんです。この描写を間違うと、ヘタすりゃフォークでそばを食べるのと同じような奇異なるものを描いてしまいかねません。

 では、なぜこのようなマナーが西欧では生まれたのでしょう?
 日本はどうだったのでしょう?
 
 今度はそこを考えてみました。
 すると、男のあり方、女のあり方、というものが浮き出てきます。
 つまり、本質の部分が見え隠れするんです。

 そこを押さえた上で、では恋とは、愛とは、という話に展開していきました。
 
 恋はわかります。あの人が好き、とボーッとなる。
 では、愛は?

 実はこの愛、という概念は、明治以前は日本人はまったく持ち合わせませんでした。これは外国の文学とキリスト教によって、もたらされたものなんです。
 だから恋はわかっても、愛の本質が日本人にはもうひとつ理解できないんです。

 明治の文学者は、ここを模索し、悩んだんです。愛ってなんだ、と。

 よくヨーロッパの文学や映画が、愛の不在、愛の不毛、愛と官能、というものをテーマとした男女のドラマ、苦悩を描くんです。特に夫婦でありながら、真剣に互いの本質を見極め、知ろうとするような物語とか…。

 愛とはキリストの愛、からきています。つまり、これは真剣にならざるをえない。
 自己犠牲を強いられても、それがよしとされる愛だってあります。
 欧米の恋愛映画なんて、バッドエンドが多い。でも、そこがウケるのは、そういう概念があるからでしょう。「風と共に去りぬ」「カサブランカ」「慕情」「旅情」「終着駅」「旅愁」「ひまわり」…古い?
 
 中学生が夢見るような甘い愛なんて、20代後半ともなると描けません。

 そんなの危ない。
 純粋な愛を全うする人もいるかもしれませんが、しかし世の中は汚く、醜いものです。そこを描いて、初めてその純愛を意味がクローズアップされます。

「愛と誠」を思い出します。
「ロミオとジュリエット」も、若い男女の純愛ものですが、清らかな恋を人間同士の憎しみ合いがすべてを打ち壊してしまうという悲劇です。

 いばらもあれば、嵐もある。というのが人間の世界。

 いや、だからこそ、女の思うファンタジーとしての純愛、官能、男の思う性のファンタジーが求められるんでしょう。でもね、その本質を知った上であえて描く、描かないというところに、作家の懐の大きさ、作家としての説得力が出るんだと思います。

 あるイタリアの映画を例に、いろいろ分析してみました。
 愛の確かめ、執着、不在、官能との関係…。

 そして愛に殉ずるという生き方の考察。
 まあ、ちょっと今回は珍しく、アダルトな講義内容だったかな?

 次回は西欧文学が男女のなにを描いてきたか、を考えます。



中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 20:18|PermalinkComments(0)

2007年11月07日

なつかしの昭和爆笑漫才〜天国の笑星【スター】〜

 中山市朗です。

 昨日、『なつかしの昭和爆笑漫才〜天国の笑星【スター】〜』というDVDを購入し、さっそく視聴しました。
 いやあ、懐かしくも楽しい一時でした。

 収録されている演目と出演者は、

「僕は幽霊」
「拳闘漫才」
「僕は迷医・僕の恋人」
「僕の漂流記」
「家庭混線記」

         以上、中田ダイマル・ラケット

「お笑い私は旅行通」
「おかしなおかしな漫才同窓会」

         以上、島田洋之助・今喜多代

「僕はセールスマン」
「お笑い政治家づくし」

         以上、Wヤング

コント「殺人犯は誰だ!」
「お笑い野球は楽し」

         以上、花紀京・岡八郎

「人生ぼやき講座'78」
「人生ぼやき講座'80」
「ぼやきアラカルト」

         以上、人生幸朗・生恵幸子

 これに解説代わりに月亭八方さんの「楽屋ニュース」と、中田カウスさんによる「イタズラ伝説」が特典映像として収録。

 驚いたのは、ダイラケさんの伝説の「拳闘漫才」が観れたということ。いつもは、しゃべくり漫才を披露している師匠が、若い頃、トランクス姿にグラブをはめて、ボクシングをやりながら漫才をやっていた、とは聞いていましたが、'74年に朝日放送の「和朗亭」で放送されたものが収録されていたのです。

 しかも、このとき「20年ぶりに演る」とダイマルさんが言っていたので、'50年代のネタなんですなあ。驚いたことに、この格好でボクシングになるとコントになるはずが、ちゃんとした漫才なんです、これが。

 以前、ソニーミュージックが「いとし・こいし漫才傑作選」のDVDボックスを出したとき、それを担当していたSさんに「ダイラケを出してよ」と言ったら、「それがあんまり大阪の局は、ダイラケ残してないんですよ」とボヤいていましたが、今回の「なつかしの〜」を担当した日野伸哉さんのブログを読むと、もうダイラケの漫才ビデオは、これ以上出てこないだろうということだそうで。

 東京の芸人さんのものは、わりと残っているんですけど、'70年代の関西の芸人さんのものは、本当に映像が残っていないようです。

 洋之助・喜多代のご両人(紳助さんや、B&B、いくよ・くるよさんのお師匠さん)のビデオも貴重。大阪に残っているのは、おそらくこの2本。一年ほど前、NHKが「関西想いでシアター」で上方柳次・柳太さんらの漫才と一緒にオンエアしたとき、「えっ、こんなん残ってたんや」と驚いていたら、東京のNHKが収録していたものでした…。

 落語は古典として残りますが、漫才は残らない。古典漫才って聞いたことない。

 漫才はそのとき、そのときの世相や流行を取り入れ、笑いに転化させるものです。人生師匠の「ぼやき漫才」なんて、もっともたるもので、そのとき流行した歌謡曲の歌詞や、歌い手のキャラをいじってぼやいてる。ところが今、それを知らない人が聞いても十分笑えるんです。

 つまり、ネタの振り方と決着のつけかたが非常に巧いんです。そこに人生師匠のパワーが加わり、そのぼやきを隣でにこにこ笑って聞いていた幸子師匠がサッと和らげるか、矛先を人生師匠に向けるんです。

「いつまでボヤいてんねん、このドロガメが!」

 すると人生師匠「かあちゃん、かんにん」
 本来人の悪口を言っているわけですが、これで笑いがガラッと変わる。
 リズム、間、タイミング、そして言葉の選び方が、ここに収録されている師匠方は抜群です。それにキャラが立っている。

 今の漫才は、このDVDに収録された形から進歩していないし、若手はギャグや奇抜なシチュエーションを優先して、話芸をおざなりにしているような気がします。この前、久し振りにNGKで芸人さんたちをナマで見ていたら、ほとんどが何度も何度もテレビで見たことのあるネタ。金返せ、と言いたいところでしたが、新聞屋からタダでもらったチケットだったので…。

 ちなみに、この頃の幸朗・幸子師匠の台本を書いてはったのが、岐阜の田舎から出てきはったばかりの、今はウチで魁塾の塾長をやってはる「かわら長介」さんです。

 それと、中田カウスさんの「イタズラ伝説」は爆笑もんです。


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 19:43|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


Archives
ギャラリー
  • 東京で千日前怪談の詳細を語る!パート2
  • 東京で千日前怪談の詳細を語る!パート2
  • 東京で千日前怪談の詳細を語る!パート2
  • 東京で千日前怪談の詳細を語る!パート2
  • 東京で千日前怪談の詳細を語る!パート2
  • 東京で千日前怪談の詳細を語る!