2007年12月

2007年12月27日

12/26の小説技法

 中山市朗です。

 26日、今年最後の小説技法の報告です。
 昨日の作劇ブログにあるように、今年最も少ない人数。
 まあ風邪も流行っているようだし、年末でもあることだし…って創作には関係ない!

 しかしその分、ひとりひとりの作品に時間をかけてみっちり分析、添削しました。
 
 Oくんの小説は相変わらずの荒削り。それはそれで武器になると前回書きました。勢いはあるが、ちょっと荒すぎの場面も。
 主人公の心情がつらつら書かれているけど、もっと状況や動きを丁寧に書かないと何が物語上で進行しているのかがよくわからない。

 登場人物たちの姿格好、表情、その距離、位置関係、そしてどの方向に、どう動いたのか。割とこういう描写にみな苦心しているようです。
 この場合一度、その状況を頭の中で映像にしてみるといいんです。または、実際そういうふうに自分で動いてみることです。
 登場人物は、ストーリーを展開させるために演技をしているわけですから、演技の動きを追って、その連続性を描写すること。

 やっぱり普段から映画やお芝居を観ておけという意味、わかるでしょ?

 Fくんの作品も、前回と比べて整理され、読みやすくなりましたがその分登場人物たちの心理や動き、矛盾やちょっとわかりにくい部分が目立ってきた。まあ、これはいいことです。整理され、読みやすくなったからこそ、次なる課題が浮かび上がってきたんです。
 ただ、主人公は嫌な男。そう描写されているし、Fくんもそこは狙ったと言う。でも、それでモテているという設定はなぜ?
 そこの説明がいります。その場合、そこを説明文で補うのではなく、その言動で描写すること。
 それと、最初からベッドシーンというのは、そういう小説だからあって正解だけど、その割りには女性の描写が無味乾燥。もっと女の官能的な動きや表情を入れてみよう。

 Tくんの小説も一進一退。ストーリーの流れに起伏がない。
 起承転結の「転」がない印象と、合評に参加している作家・菅野秀晃くんの感想。
 「転」の部分が一番の読ませどころなんだけど。
 一応、連載の一編という課題なんですけど、その一編にもやっぱり起承転結なり、序破急は必要です。それと10年後という設定なのでそこはもっと想像力を膨らませないと。きっと今とは社会の情勢、雇用問題、通信手段の方法が違うことになっているはずです。



 みんな勢いはあるんだけど、計算が働いていないという印象。
 きっとキャラ設定があまいんだろうな。
 というわけで、キャラクターの履歴書作りの話をしました。

 どこで生まれ、両親はなにをしていて、どんな教育を受けたのか。最終学歴、その身体つきやクセ、得意なもの、大切なもの、苦手なもの、友人関係、異性関係、異性に関してはマメか、ストイックか。職歴は。服装や身につけているものは。おしゃれなのか、そうでないのか。健康なのか病気がちなのか。座右の銘は。趣味は。
 とか。

 ただ、これらは履歴書。履歴書通りの人間なんていやしない。
 うまく読者を裏切る行為があると、その作品はグッと面白くなるんです。

 暴力を嫌悪している人物を、暴力をふるわざるを得ない状況の中に投げ入れてやる。
 女嫌いな堅い男性の前に、ものすごい美人を登場させて、モーションをかけさせる。
 穏やかだった人物が、あることをキッカケに復讐鬼と化す。
 東大出のインテリが、せこい犯罪を犯す。あっ、これは今の日本の政界の現状か…

 ともかく、その人物にとって、予定外、想定外のことが起きるところから、ストーリーは動き出すわけです。それには、ちゃんと人物の設定をしておかないと、その対比の妙も表現できません。

 それからプロになったら、風邪ひいたからって担当さんは締め切りを延ばしてくれません。
 ですから健康には気をつけること。
 この世界、有給休暇はありませんから。


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 19:15|PermalinkComments(0)

2007年12月26日

怪談の間配信スタート

 中山市朗です。

 奈良県民以外の怪談ファンの皆様、お待たせいたしました。
 奈良テレビにて放送中の『怪談の間』が、パソコンから観られるようになりました。

 USENが運営する大手無料動画サイトGyaO。
 そこで展開されている「GyaO @ ShowTime」にて公開中です。

 GyaO @ ShowTimeとは…
 ストリーミング映像を中心とした、ブロードバンド・エンターテイメントの会員制コンテンツポータルです。
 一度登録・購入すれば、好きなときにいつでも何度でも視聴できます。

 中山市朗怪談の間<Show Time>トップ画面はこちら。
        ↓  ↓  ↓
http://www.showtime.jp/special/variety/nakayama_kaidan/
(無料コメント映像アリ)

 30分間、カメラに向かって延々私が怪談を語るだけという、これ以上ないシンプルな番組です。ゲストもいません。ギャラリーもいません。スタッフも機材も最低限。

 ある意味、これはギネスものだと思っています。

 しかし、デジタルという技術と機材、パーソナルなものが求められる時代、マニアックなものが特化できる媒体と、色々な可能性を肌身でひしひしと感じながらやっております。


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 18:47|PermalinkComments(0)

2007年12月20日

12/19の作劇ゼミ

 中山市朗です。
 今回の作劇ゼミは、演出について考えてみました。
 演出、とはよく聞く言葉ですが、一体どういう意味なのでしょう?

 広辞苑で引いてみました。
 演出=脚本やシナリオを理解して演技、装置、照明などを指導、監督すること。
 とあります。

 これは映画やドラマ、舞台のお芝居やショーに対しての意味のように思えます。しかし、実はマンガにも小説にも大変重要な要素なんです。

 何度もこのブログで書いたように、特にプロのマンガ家は原作が別にあって、それを作画することが多いんです。あるいは、編集さんから意見や注文も出ます。ああもしてくれ、こうもしてくれ、と。それをどう理解してバランスをとって作品に落とし込むかがプロの腕の見せ所です。

 いや、自分は描きたいマンガを描くんだという人も、大手出版の人気コミックで、連載、となれば、そんなことも言ってられません。マンガは共同作業です。

 するとここに、与えられたシナリオや企画に対する読解力、応用力、分析力が求められ、強いては演出力が問われることになるんです。

 何度も言います。

 絵がうまいからマンガ家になれるわけじゃない。要は面白いストーリー、ユニークなキャラクターなんです。そしてストーリーがあって、キャラクターがいるんなら、そのキャラクターは躍動しなければならない。つまり演技。喜怒哀楽の表情、動き、立たせ方…色々考えなきゃんらないんです。その背後にある履歴、世界観、生活感、周りの人物たちとの関係、セリフ回し、バランス、統一感…。それに背景もしっかり表現しなければならない。それに小道具や服装をうまく使うとか、その上での構図、構成、コマ割り、意味づけ、流れ…

 みんなこれ、マンガ家のやる仕事です。
 映画監督なら、構図はカメラマン、服装は衣装さん、小道具係、背景は美術さん、構成、コマ割りは編集さん、表情は役者さんの演出力、アクションはアクション監督にと、任せる事ができます。当然、作品の統一感や流れ、主題の打ち出し方は演出家の仕事ですけど。

 それでもいちいちカメラを覗き、役者の指先の動きまでキッチリ決めて、編集も自分でやる監督さんもいれば、スタッフにまかせっきりの監督さんもいます。

 でも、マンガ家はそうはいかない。全部自分がやる。まあ連載持ってアシスタントが雇えられたら、ある程度の分担はできましょうが、それでも指示してチェックする作業は必要です。つまりこれ、演出力が問われるんです。

 イラストや美術作品との違いは、まさにそこです。
 だからマンガ家は作家であり、演出家であらねばならないんです。

 だからして、映画を観たり、芝居を観たり、人間観察を怠るなと常々言うてるわけなんですけど。

 で、今回の授業ではまず、スピルバーグ監督のある映画の1シーンを観てもらいました。

 『ジョーズ』。スピルバーグの出世作です。
 人喰い鮫が現れた後日、緊張した海水浴の浜。
 地元の人たちは、鮫を恐れながらも海水浴客に来てもらわないと商売あがったり。
 というわけで、浜辺にたむろしている人たちは一人、また一人と海へ入ってきます。そうなると子供たちは喜び勇んで海の中へ入って行きます…

 その情景をロイ・シィダー扮する警察署長が不安げに見ています。
 その、じりじりとした不安感がよく出ているシーン。やがて、そこへ鮫がやって来て、一人の子供に襲い掛かる…

 5分もない短いシーン。でもこれ濃いィッ!
 で、塾生たちに質問してみました。
 このシーン、どう見たか?

 −署長の不安な気持ちがよく描写されていました。

 いやいや、それは見たままやん。だから、その署長の不安な気持ちを表すのにどんなテクニックが使われたのか、ということを読み取ってほしいんやけど。

 −鮫の現れるかもしれない海とのショットが交互に編集されていました。

 そら署長も浜辺にいて海を見ているわけやから、どうしてもそういう撮り方になるわな。でもスピルバーグが天才なのは、それにプラスしたなにかがあるからや。それを見つけてほしいんやけど。

 −署長のところへ、色々な人が陳情したり話しかけたりしますが、署長の心情がそぞろですね。

 だから、そのそぞろ感を出すために、どんな手法が使われてたのか、ということを見てくれ。

 −大勢浜辺に子供や大人たちがいて、誰が襲われるんだろうという緊迫感がありました。

 それは状況でしょ? もっとしぼろう。カメラは署長をどう撮っていたか?


 つまり、専門的な目を訓練する必要があるんです。
 映画を観て、恐ろしいと思った、涙するほど悲しかった、美しくて泣いた、迫力があって、面白かった…なんて誰でも言えます。

 いち読者、いち視聴者ならそれでもいいんですが、表現する側に立つと、それではいかん。その程度の考えでは、いち読者、いち視聴者をうならすことはできません。恐ろしいと思わせる技法、涙させる話法、美しく見せる方法、迫力ある撮り方というものがあるんです。それは、画面のどこにそのキャラクターがどういるのか、それをカメラがどこから撮っているのか、どういう位置関係にあるのか、それがどういう効果をもたらし、全体の流れはどう計算されているのか、テンポはどうか、アップやロングショットのそれぞれの意味は…

 そういうことを読み取る訓練です。読み取れれば、そのテクニックは自分の作品にも応用できます。
 しかも天才スピルバーグのワザを!

 ちょっと話は逸れますが私見です。
 スピルバーグという人は、藤子不二雄のマンガを読んでいたのでは、と思うんです。
 『E.T』が封切りされたとき、アメリカでは斬新だと大絶賛され、メガヒットを飛ばしたんですけど、日本人は「ふぅーん」と思ったのではないでしょうか?
 そりゃあ、面白かったし感動もしたけど…なんかそこには原風景があったような…。
 だって、エリオット少年とETの関係って、ある意味正ちゃんとオバQじゃないですか。あるいは、家の裏の納屋に宇宙人が住み着いたなんて、『ウメ星デンカ』とも言える。私はそう思ったんです。何もビックリするほどのことはない。藤子不二雄がやってる。

 そしたら後年、日本のテレビクルーがスピルバーグのオフィスに入ったんです。スピルバーグはジョン・ミリアスたちと寿司を食べながら、わいわい話をしていた。そのスピルバーグのデスクには、忍者ハットリ君のフィギュアが!

 実は何かの雑誌で藤子不二雄さんの作品と『E.T』の世界観の共通点を指摘され、そのことを藤子不二雄の両氏が答える記事が載っていました。
 そしたら、藤子不二雄の両氏は「いやあ、あの月に自転車というのはヤラれました。あれはボクたちにはできない。完敗ですよ」と大賞賛を贈っていました。
 大物は懐が大きい!
 
 ちなみに、あれっと思ったのは、キューブリックの遺志をついでスピルバーグが完成された『A.I』。これは手塚治虫の『鉄腕アトム』の影響が明らかにある。でも日本の取材を受けてスピルバーグは(『鉄腕アトム』のことは)知らないとコメントしたんです。

 日本の記者も、そこを突っ込まなきゃ。「あんたは知らんでもキューブリックは知ってるわい」と。なぜならキューブリックは、あの名作『2001年宇宙の旅』の美術監督を手塚治虫に要請したという話は本当で、しかもそれは『鉄腕アトム』を見ていたから!
 そのキューブリックの原作が『A.I』なんでっせ!

 ちなみに、『スターウォーズ』シリーズに登場するヨーダというキャラクターは、私の芸大時代の恩師・依田義賢(よだ・よしかた)のヨダからきていると、依田先生自身からお聞きしたのですが(顔もソックリ)、これもルーカスが来日したとき、ある記者がこのことを聞いたんです。

「大阪芸大に依田という教授がいたんですが、ヨーダはその依田先生がモデルだとお聞きしていますが、本当ですか?」

 するとルーカス、「ソーリー、私はその人を知らない」

 このバカ記者が!
 この場合「溝口健二監督の名作の脚本を手がけられた日本を代表するシナリオライターの依田義賢先生が、ヨーダのモデルだと聞いていますが」と聞かなきゃ。
 ルーカスが溝口の名前を知らないはずがない…

 映画の演出とマンガは違うとか、映画の技法をどう小説に生かしたらいいのの、とか言うのは本当にまだまだ素人。すごいプロ中のプロほど、色んなものから色んなものを取り込んでいますから。

 ちなみに、『ジョーズ』の前半の巨大鮫の見せ方(見せない方?)は昭和29年版『ゴジラ』。カメラテクニックはヒッチコック。後半はメルヴィルの名作『白鯨』でしょう。

 クイントはエイハブ船長。そして巡洋艦インディアナポリス号の撃沈は本当にあったことです。



中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 18:18|PermalinkComments(0)

2007年12月18日

映画鑑賞会『道』

 中山市朗です。

 14日は第三金曜日。
 恒例の塾生たちとの映画鑑賞会は、フェデリコ・フェリーニ監督の『道』でした。

 この映画は、私が小学校の3年か4年の頃、テレビで観たんです。
 昼間だった記憶があるので、祝日か日曜日だったんでしょう。
 映画好きの母が、新聞のテレビ欄を見ていて「あっ、『道』やるな。観んと…」
 言うて、チャンネルひねったのを覚えています。そのまま私も観ました。

 でね、泣いたんです。
 まだ10歳になるかならんかの男女のことも、人間の機微も、なんも知らんアホな子供が『道』で泣いたんです。

 映像に力があれば、その言わんとすることは子供にだって伝わるということを証明した映画。それ以来、ずっと私の心のどこかにある作品です。

 美しい映画とはこれです。

 1954年に制作されたモノクロ作品。
 観て、やっぱり塾生たちも泣いたのです。

 「ジェルソミーナ、お母ちゃんが呼んでるよ」と、海辺を子供が走っていくところからはじまるこの映画。ジェルソミーナと呼ばれた、まだ子供っぽい面影の残る妙ちくりんな顔をした女が主人公。ジュリエッタ・マシーナという女優さんが演じますが、この人はフェリーニ監督の奥さん。このジェルソミーナという不思議なキャラクターはジュリエッタを現に見ていなければ頭に浮かびもしなかったろうと、フェリーニは後年、あるインタビューに答えています。

 さて、そのジェルソミーナのことを思い、母親が泣いている。ザンバーノという見るからに粗野な男の下にもらわれていくのだ。口べらしのために…

 ザンバーノは胸に鎖を巻き付け、それを息を吸ってブチッと切るというチンケな見せ物をしながら、あちこちに回る根なし草の旅芸人。アンソニー・クィンが演じます。

 『道』はこの野人のような教養のないザンバーノという女癖の悪い男と、これも頭の足りない、しかし純粋な心を持つジェルソミーナとの物語です。ジェルソミーナは、ザンバーノの芸を助ける役として、太鼓を叩き、道化芝居の相手をしながら、共に旅をしますが、どうもこの二人の間にはロマンチックなシチュエーションがあるわけではありません。そういう関係ではあるのでしょうが、官能なんていうものも感じさせない。二人とも美男美女でもない。それなのに、一つひとつのシチュエーションは美しく、映像は幻想的でザンバーノもジェルソミーナも生き生きと、戦後の貧困なイタリアの土の上で躍動しているんです。

 最初は、ジェルソミーナはザンバーノのことが好きになれず、逃げることばかり考えている。一方、ザンバーノもジェルソミーナを周りには妻だと紹介しながらも、ジェルソミーナを愛するなどということは全く考えていない。そんな関係。なのに、ジェルソミーナはザンバーノのそばにずっといて、離れることはできないでいるし、ザンバーノはそれが当たり前だと思っている…

 まあ、映画の紹介はそれくらいにしておきましょう。とにかくイタリア、貧困、無知、現実と夢想、食う、カソリック、道化、サーカス、音楽、といったものが、混然一体となって、フェリーニの宇宙を作っている。そんな作品なんです。

 ラストで、ザンバーノは初めて泣きます。ジェルソミーナのために。
 10歳の私は、ここで泣いたんです。
 哀れなジェルソミーナと、哀れなザンバーノが悲しくて。

 人は誰かと一緒でなければ生きられない。
 独りでは生きられない。
 男女の愛情も、燃えるような愛情もなければ、まるで空気のようにいつもそこにあるから全然わからずにいて、失って初めてわかる愛情もあるんだと。で、わかったときには、もうそれは決して取り戻せない。

 そんなことが10歳の私に理解できたんでしょうか。
 きっと頭だけでなく、心で理解していたんでしょうな。

 大人は、子供向けに言うと、子供を主人公にして優しいドラマを作ってしまいます。これは、絶対に間違いなんです。子供は、成長しようと背伸びをしているんです。愛もずるさも、媚だって、不正だって知っている。ある意味一番人間として正直なのは子供かも知れません。

 ちょっと頭の足りない、精薄児を思わせるジェルソミーナは、そういう意味で一番人間らしいのかも知れない(ただし、精薄的が真の人間なのだとする映画、小説がこの後たくさん出ましたが、それについては私は異議あるものです)とも思えます。

 大人は、自分の子供の頃のことは棚に置いて、子供は純粋で無垢なものだと考えようとしている。どこかで、これは子供にはわからんだろうと勝手に思い込んでいる。
 子供は、ああ、大人はボクたちに媚びてんねんな、と、どこかでわかっている。
 子供だましは子供もだませない、とはよく言います。しかし、子供だましの馬鹿なものばかり観て大人になると、今度は大人が子供だましにだまされてしまう。最近の映画とかドラマとか、CGグラフィックを観ていると、なんかそう思ってしまうんですけど…

 観終わって、そんな話を塾生たちとしました。 
 この日は、7人が居残って、鍋をつつきながら朝の6時まで色んな話をしました。
 誰かが私の書棚で、あるDVDを発見し、観たいと言う。やめとけ、言うたんですけど、結局見るハメに。全裸女性がジャケットを飾る『空飛ぶ女くの一』というVシネ。

 「なんでこんなん持ってるんですか?」
 
 実は、かつての教え子が2人も出ている…
 ひとりは準主役の3つ目の天狗役。もうひとりは、塾生のTくん。
 
 「それ初耳です。なんで黙ってたんですか」
 「いや、本人のためにも言わんほうがええかなと」

 で、観た!
 そしたら、どっと虚脱感。あまりにもヒドイ出来!
 ぶっ飛ぶくらい。
 どうやったら、こんなスゴイ駄作が撮れるんだろうと不思議に思うくらい。しかし、凄すぎて別の意味で目が離せなかったんですな。まあ、知っている顔が出ているから、むちゃくちゃおかしい。突っ込みどころ満載、ということもあったんでしょうが。

 絶対ひとりでは耐えられない。現に全編ノーマル再生で観るのは初めて。
 「先生、『道』の感動がなんか飛んじゃいました」とはある塾生。そやからやめとけ、言うたのに。

 「チマミレス!」
 口々にそう言いながら、塾生たちは帰っていきました。

 『道』(1954年/日本公開=57年)
 制作 カルロ・ボンディ
    ディノ・デ・ラウレンティス
 原案 フェニーニ
    トゥッリョ・ビネッリ
 脚本 フェリーニ
    ビネッリ
    エンニョ・フライアーノ
 撮影 オッテロ・マルテッリ
 音楽 ニーノ・ロータ
 監督 フェデリコ・フェリーニ

 出演 ジュリエッタ・マシーナ
    アンソニー・クィン
    リチャード・ベースハート

 『空飛ぶ女くの一』(1994年)
 脚本 杉下淳生
 音楽 佐々木武夫
 監督 西村和人
 
 出演 仲谷かおり
    玉井宏茂
    石野永奈
    中西絵里奈
    高田一樹 




中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 17:47|PermalinkComments(1)

2007年12月13日

12/13の小説技法

 中山市朗です。
 昨日の小説技法の復習です。

 前回(先月29日参照)どんな事件を起こして、どう展開させていけばいいのかわからない、と苦悩していたFくん。なんと吹っ切れた様子。

「人に会え、取材しろという先生のアドバイス。半信半疑ながらもある飲み会に参加して、マンガ家の先生と話していたら、すごいヒントをもらいました」とのこと。

 前回のアクション路線から、うってかわって今回の原稿はエロスの方向に!
 ここにも計算があるというんです。
 
「前回の合評でIさんの原稿にOKが出ながらも、あとは編集者の好き嫌いの世界やなあ、と先生がおっしゃっていたので、じゃあ編集の好きな作品を書いてやろうと。ターゲットは週刊文春やポストの世界です」

 それ! 
 好きなことをじっくり書くというのも大切なことですが、デビューするには計算、戦略も必要。落とし込むターゲットがハッキリしたら、あとはその読者層を期待させ、満足させる手法は? 題材は? 展開は? 見せどころは? と問題部分が鮮明になります。

 方向性のない小説に、この文体は、とか、この表現は、とか言っても少女用、青年用、おっさん用、マニアック路線、ファミリー層と、誰に何を読ませるかで違ってきますから。

 もうひとり、Nさんもアブノーマルな倒錯の世界です、と言いながら読んだ印象は普通の小説?

「いえ、これからそういう世界になっていくんです」

 そら間違い!
 Nさんがアブノーマルな官能の世界を描く作家だという世間の認知があれば、ノーマルな世界がだんだん倒錯の世界へ傾き、やがて…ということはできます。

 しかし、新人はのっけに「この小説はこうだ!」という世界観の示唆をしないと、読者は全然違うものを読もうとして、結果、期待していたものと違う、と言われてしまいます。

 こっちは倒錯を書いたつもりでも、純愛じゃないから嫌い! とか倒錯の世界へ行ってしまってガッカリした、なんて、読者は勝手に作品を自分好みにハメちゃうんです。私なんか、実話怪談を書いているのに、小説じゃないから減点、なんて言われて(笑)

 だから、最初に方向性を示唆しておくんです。
 そしたら、読者とのズレは最小限に抑えられる。

 えっ、やり方がわからない?
 例えば、菊池秀行のある小説の書き出しはこうです。

 コンクリートの床に、全裸の女が横たわっていた。

 これだけで、この小説は何を読ませるのだ、がわかりますよね。逆に、この書き出しで、エロもバイオレンスもなかったら、読者は怒ります。

 書き出しと言えば。

 "轟音が響き、建物が震えた"で始まるOくんの小説はおもしろい。
 オタクの聖地がテロにより爆破されるところから始まるこの作品は、テンションの上がりっぱなしのアクションストーリー。しかも、ヒーローは同人誌をこよなく愛するオタクであるところもユニーク。ヒーローは萌え系の女の子を救うために命を張り、意外な展開へ移り、失意も味わうという第一章だけで50枚の大作。だけど楽しく読んだ。

 テクニックは荒削り。荒削りなんだけど、こういう作品にはそれが武器になりそうな気がするんです。荒削りな文体が、まだ成長過程にある。熱い主人公の心情、もどかしさ、うまく言えない世の中の矛盾、などが読者の等身大として表現できそうな気がして。

「これ、最終的には投稿用の小説に仕込むことを考えよう」と私がOくんに言うと、彼もその気だったようです。でも、だったらなんぼなんでも、もうちょっと丁寧に書くところは書こうよ、ということで。まず人物の位置をはっきり描写しよう…

 ちょっとナンセンスでブラックな味が特徴のTくんは、理論武装にやや難アリ。なんだろう。構成力の問題なのかなあ。でも、これは稿を重ねるごとにクリアできる。世界観は独特でオリジナリティのある作品だから、感性の部分は自信を持っていい。ただ、近未来の出版事情というのが、作品の下地にあるからには、出版業界のことや近未来の通信手段、人々の生活なんかをもっと調べる必要があります。ナンセンスだからこそ、これはないよ、と言われたらおしまい。

 何度も言うように、知った上で嘘をつきましょう。

 えーっ、なんらかの事情で休んでいる人。
 10月から入ってきた人たちのパワーは、ちょっと違うよ。
 うかうかしてたら、取り残されちゃうから。
 いや、ホンマ。 


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 17:32|PermalinkComments(0)

2007年12月12日

『松竹名人会』のDVDを見る

 中山市朗です。

 またまた出ました!
 今度は『松竹名人会』!
 一ヶ月ほど前に紹介したのが吉本編の『なつかしの昭和爆笑漫才』というDVD。

 で、先ごろ発売されたのが松竹芸能のなつかし漫才のDVDなのでした。

 私は学生の頃、吉本の花月より松竹系の劇場によく通っていたんです。道頓堀角座。確か米朝師匠も出ていらした。新世界新花月。ここは安かったんでよう行った。やすこ・けいこ、宮川左近ショー、柳次、柳太、ジョウサンズ、そして松鶴師匠が「相撲場風景」ばっかりやってはった。

 さて、そのDVD。わざわざ注文で取り寄せたんですけど。
 これがすごい!
 4枚組!
 その顔ぶれがまあ!

 砂川捨丸・中村春代(漫才の骨董品でございまして〜)
 かしまし娘(残ってた!)
 中田ダイマル・ラケット
 三遊亭小円・木村栄子
 海原お浜・小浜
 京唄子・鳳敬助
 秋田Aスケ・Bスケ
 桜山梅夫・桜津多子
 夢路いとし・喜味こいし
 上方柳次・柳太
 横山ホットブラザーズ
 宮川左近ショー
 若井はんじ・けんじ
 桜川末子・松鶴家千代八
 フラワーショウ
 ジョウサンズ
 若井ぼん・はやと
 ちゃっきり娘
 暁伸・ミスハワイ
 ゼンジー北京
 吾妻ひな子
 正司敏江・玲児
 レツゴー三匹
 横山たかし・ひろし
 荒川キヨシ・小唄志津子
 はな寛太・いま寛大
 酒井くにお・とおる
 海原はるか・かなた
 春やすこ・けいこ
 特典として、ミヤコ蝶々・南都雄二(音声のみ)

 最初このラインナップを見たとき、ほんまかいな、と思ったんです。
 残ってましてんな。まあそのほとんどが読売テレビ『お笑いネットワーク』の映像。この番組も中学生の頃、よお観てました。これ、読売テレビの名物プロデューサーの有川さんが、残すというコンセプトで作りはった番組やったんですって。

 そやから昭和45年頃からのこういうビデオが奇跡的に残ったいうわけです。しかもステレオ音声で!

 でも、今日はジャケット見るだけ。
 やらんとあかん仕事があるんで、またの楽しみということで…
 でも、気になる…
 ちょっとだけサワリを…

 なんと! 捨丸・春江の映像から。
実はこのご両人は、たまに読売テレビが特集する"なつかしの漫才"でたまに一部流れる映像でしか知りません。その全貌が今ここに!
 昭和46年、しかも16ミリフィルムでの収録。これぞ映像資料。

 ええっ! ダイラケの映像、モノクロやん。それにダイマルさん丸顔で。昭和42年の『シャボン玉寄席』やて!

 どへっ! かしまし娘、『道頓堀アワー』やて、奇跡や! この映像は初めてですわ。花江さん美人やってんなあ。

 わわっ! 横山ホットブラザーズ、四人やん。おとっつぁんの東六さんや。「おじゃましました」って懐かしい。

 げげっ! 吾妻ひな子さんがビデオでじっくり見れるとは思わなんだ! ほんま何十年ぶりやろ、テレビで観るの。「ハハッ、のん気だね〜」

 ありゃ! 海原はるかさんの前髪、アブないけどまだ健在やん。
 
 ひえっ…!

 こら、仕事どころやあらへんがな…

 
 
 

 

中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 17:43|PermalinkComments(0)

2007年12月06日

話の転がし方

 中山市朗です。

 先日の作劇ゼミの報告です。
 テーマは話の転がし方。
 つまり、テンポよくキャラクターが動き回り、それでも世界観の破綻なく、キチッとセリフも回って、物語を広げ、転換させ、クライマックスを作り、合理的帰結で終わらせる方法です。

 これがうまくいくことを、話が転がる、と言います。
 
 プロとアマチュアの一番の違いは、ここではないかと思うんです。
 つまり、映画では凝った映像、実に作りこまれた素晴らしい画面を作るアマチュア・クリエイターがいます。
 マンガでも、絵のセンスは素晴らしく、描き込みも丁寧な人はいます。
 文章の表現力も、私なんかよりよっぽど巧い人、過去にもいくらでもいました。
 
 しかし、30分の映像、30ページのマンガ、100枚の小説となると、ストーリーがもたないし、今、主人公がどういう状況にあるのかさえ、わからなかったりする。人物の配置も不明、セリフも回っていない…ほとんどがそこに陥ります。

 どうすればいいのでしょうか?

 その前に、私が気になるのが、あなたのテーマはなんですか? ということ。
 テーマがないと、話は転がりません。

 例えば、ある小説家志望の塾生がいました。彼の書いてくる小説は、どこかで読んだ世界観、どこかで見たキャラクター、やっぱりそうか、というありきたりな展開、で、ラストにいく前に挫折。ついに一度も作品を書き終えることもなく塾を去りました。専門学校時代から山ほど見てきたパターンです。

 原因は明らかです。彼にはテーマがなかったのです。

 ただ、彼はゲームやライトノベルズの世界に憧れている。だから読んで面白かった、影響を受けた世界観をそのままなぞっているに過ぎなかったのです。だから話が展開しない。したがって途中で煮詰まる。テーマがないので方向性が見出せない。だから投げ出す、を繰り返していたんです。

 また彼にテーマがないもうひとつの証拠には、課題作以外を書いているのを見た事がなかった。つまり情熱をかけて書こうとするものがなかったんです。そりゃあ、小説を書くこと自体が苦痛になってきますわなあ。

 で、テーマ、題材ですね。
 前にも書いたと思いますが、作家を料理人に置き換えると、厨房に篭っていたんじゃ料理はできません。いい料理人は、食材を捜すために自分の足で産地へ出向きます。黒豚は埼玉県の○○養豚所のロース肉、玉ねぎは淡路島産で、○○家から直送、キャベツは宮城県産で春系キャベツとか…、これが料理人のこだわりで、それらの特徴、うまみをどうミックスしてオリジナル料理を作るのかが腕の見せどころなわけです。

 主婦はレシピの本で間に合わせる。で、安売りのスーパーへ直行。
 プロとアマチュアの違いはここなんです。
 主婦の料理がダメ、と言っているわけではありません。これは家庭の味なんです。でも、お金を取って不特定多数のお客さんに食べてもらって、それで生計を立てようとするなら、また話は変わってきます。万人が旨い、と思うもの、万人が満足する料理、となると食材探しからリサーチ、工夫、演出も必要なわけです。
 そして、数多くあるレストランや食堂に勝っていかなければなりません。油断するとお店は潰れてしまいます。

 小説やマンガも同じです。

 やっぱり万人に読んでもらわないと、作家で食べていくことはできませんし、デビューしたとしても、レシピの本を見て作ったようなものでは、一度は通用しても読者はあまくありません。数多ある有名作家と張り合う武器も必要です。

 だから前回このブログで書いたように、やっぱり出向く、人と会う、取材をする、ということはやってほしいわけです。
 先月29日にゲストで来られた古嶌宇市さんなんて、まさにそれを地で行っている人でした。楽屋で話ていても、2次会、3次会で飲みながら話していても、話題が豊富であの人と会った、この人とも会った、その人にはこの前取材させていただいた、と。
 だから作家としての人生が面白いし、その面白さが作品に出るんです。

 と、この話はまた別でしましょう。

 とにかく自分が、これを書きたい! と思う題材を捜すことです。それは机の前にじっと座って降りてくるものではありません。作家やマンガ家を目指していて、おっ、これは書きたいと思うものを発見したら、周りが必死で止めても書くでしょう。それが作家魂、てなもんです。それでこそ、あなたは作家です。

 さて、テーマが見つかったとします。すると、それを生かすための方向性が導かれます。これを元に、まずプロットにしてみるわけです。

 プロットにせず、いきなり小説やシナリオ、マンガに仕込む人がいるんですけど、それでは構成もなにもあったもんじゃありません。勢いで書くということも必要なんでしょうが、それではバランスにも欠けるし、話が転がらない。勢いはいずれ失速します。

 で、起承転結、という言葉があります。プロットにすると一応これに当てはめて考えるスタンスが生まれます。これでいくと、ストーリーとしてはまとまったものになるでしょう。でも例えば24ページや30ページといった読みきりマンガでこれをやると収まりきらなくなるんです。しかも今は映画やドラマも早い展開が求められる。

 シナリオは序破急で書け、と特に最近のシナリオ作家は言います。
 "序破急"とは、能や雅楽に見られる三段構成法のことです。

 序は起承転結の「起」に当たり、破は「転」、急は「結」になります。つまり承を省くやり方。いきなり事件なりドラマチックな状況が主人公を襲い、事態を深刻にするというやり方です。「承」「転」をくっつけちゃうんです。そしたらその部分のキャラクターの心理や状況の振幅が大きくなる。それだけにハラハラさせられるわけです。シーンが動くんです。

 それはどんな例があるか、を講義したわけですが、まああんまり長くなってもアレなので。

 ただし起承転結も序破急も、それに忠実に書け、というわけではありません。この作劇法をまず理解し、叩き込んで、それから破綻させていく。序の部分に「結」をもってくる方法もあるだろうし、『新耳袋』は「結」がないものだってあります。「起」「転」とかね。

 ただ、長編小説はきっちりと起承転結でやることを心得た方がいいでしょう。

 それから話を転がす、というのは、あなたの話しているテンポやリズム、構成力というのが関係しています。結構編集の人は、そこらを見ています。話の面白い人というのは、きっと面白くなるような構成がサッと頭の中でできて、話すテンポが小気味いい。あるいは情熱的でついつい聞いてしまう、ということなんです。
「じゃあ、それをそのまま作品にしちゃいましょうよ」とは、私もよく言われた言葉です。

 話が面白い、という原因のもうひとつは、その話に自信があるということ。
 ウケうりとか、本で読んだこと、テレビでやっていたことを言うときは、やっぱり話自体に迫力がないし、薄っぺらな印象になります。聞いている方もツッコミを入れたくなりますよね。でも、自分の目で見て、耳で聞いた体験は、やっぱり誰が聞いても説得力はあるし、迫力もある。なにより自分の身体で感じたものですから、自信を持って話せますよね。

 作品を描くって、そういうことです。
 その話もいずれまた。

 


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 19:33|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


Archives