2008年01月

2008年01月31日

1/30の小説技法

 中山市朗です。

 30日(水)の小説技法ではちょっと塾生に喝!
 こんなことを書くのは我が塾の恥ではありますが、このブログでは正直に記します。

 合評に参加したものの、作品が仕上がりませんでしたという塾生が2人。
 原稿は一週間前の作劇ゼミの授業後に提出すること(合評するには前もって読んでいてもらわないといけません)という約束なのですが、合評直前に提出したのが1人。
 これはいかん!
 
 締め切りを守る。これは厳守。
 例え書けなくても書いたところまででいい。とにかく締め切り日には何かを提出すること。以後、例外は認めないと言い渡しました。

 じゃあ、こんな場合は?
 
 締め切り日、風邪をひいちゃって塾へ行けません。原稿提出できません…
 おめぇんとこは、ファックスもメールもねぇのかよ!
 なかったら即買いなさい。もしプロになったらその瞬間から必要になるから。

 プロとアマチュアの最大の違いはここ。
 アマチュアや学生は、作品を落としても平気。まあ講師の先生に怒られるくらい。
 でもプロは原稿を落とすということは、命を落とすにも等しいこと。作家の人たちに一番なくなってほしいものは? 嫌なものは? と質問すると、締め切り、と大抵返ってくるでしょう。でも締め切りがあるから作品が書ける、というのも事実。

 締め切りは作家と編集の信頼関係をも計る大事なものです。締め切り日に原稿が間に合わなかったがために、押さえていた印刷所を止めたり、校閲係の拘束時間がズレたり、待機している人は帰れない。広告宣伝には支障が起きたりと、余分な費用が発生し、大勢の人に多大な迷惑をかけることになります。まあ大御所ならみんな黙って対処するでしょうけど、新人がこれをやっちゃあ…わかるでしょ?

 これは、私の知り合いのマンガ家さんの体験談です。

 連載を持っていたんですけど。
 風邪をひいたんです。かなり重い風邪。寝込んでしまって原稿が描けない。
 そしてとうとう締め切り日当日。頭が枕から離れない。何とか担当さんに電話。
「すみません。風邪ひいちゃいまして…今日原稿無理です」
「そう、じゃあいいよ」で、即切られた。
 あ〜、と熱がひいた。
 これ、連載がなくなる、そう思った。で、もう一度電話。
「今から全力で描きます。夜には絶対間に合わせます」
「当たり前じゃん」
 そんな世界。風邪ひいたなら風邪をひいた作家が悪い。読者への裏切りです。
 このマンガ家さん。連載がなくなるかもという緊張感が風邪を押し退け、夜まで必死に描いてなんとか間に合わせたそうです。後、この担当さんは「あれは試したんだよ」と笑っていたそうですけど。

 未完でもいいから締め切り厳守というのは、ともかく提出することによって何らかの対策が練られる。これは重要なことなんです。
 締め切りは少々遅れても、その分、完成度の高いものを書けばいいのでは?
 と思う人はプロじゃないと申しましょう。締め切りまでの期限でどれだけの完成度のあるものが書けるかがプロです。何度もいいます。小説やマンガは芸術じゃない。商品です。

 いくら完成度の高いものを書く塾生でも、締め切りを破る常習犯なら、私はその人に仕事を振ろうなんて思いません。一緒に仕事をするのは怖い。完成度はイマイチだけど絶対に締め切りは守る、ちゃんと連絡もしてくる、という人には仕事を振るかもしれません。周りの人がやきもきする必要もないし、サポートできるし、イマイチのところは添削すればいい。そのことを考えての締め切りです。
 だから締め切りを厳守するクセをつける。
 信用のある作家になる。
 我が塾生であるならば、それは絶対身につけてもらいます。
 
 
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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


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2008年01月30日

夢人塔パーティへ行きました

 中山市朗です。

 26日(土)は塾生3人を連れて、夢人塔パーティへ行ってきました。
 夢人塔についてですが、『作家の学校』の第一回掲載分に私との対談にて浅尾典彦氏が語っているところですが、いわば業界人たちのパーティなのです。
 主催者は、そのマルチライターの浅尾氏。『宇宙船』の創刊、企画に携わり、元構成者でもあったSF特撮研究家の聖咲奇氏。それに『日本版ファンゴリア』初代編集長で作家の石田一氏(『新耳袋第二夜』の第九十話「霊を退散させた男」のIさんというのがこの人です)といった人たち。

 この他、小説家、マンガ家、俳優、声優、CGグラフィッカー、映像メーカー、映画監督、ゲームデザイナー、出版社関係から作家見習いまで、約50名が参加。

 塾生を連れてきたのは、まずこういうプロの人のテンションとサービス精神を知ってほしいということと、名刺を配れ、ということ。24日のブログに書いたように、コネは無いよりあった方がいいに決まっています。「名刺を配った=コネ」というのは大きな間違いですけど、そうなる第一歩でもあるでしょう。特にこういう場所はワザワザそのためにセッティングされたようなところです。

 私が感動したのは、イラストレーター(というか怪獣絵師!)の田宮教明氏と会えたこと。私が愛読している『新映画宝庫』の表紙イラストはこの人。わっ、このジャケット懐かしくもイカス! と全巻買った東宝怪獣映画選集のCDジャケットのデザインもこの人。購買意欲がそそられ、つい買ってしまったあれやこれのガレージキットの箱絵もこの人。
 ポートフォリオを持っていらしたので見せてもらいました。オリジナルの迫力、この緻密さ、この構成、この感性、この発想力。戦艦大和と轟天号が同じ画面で出撃するイラストを見た日にゃ、あ〜た!
 河内桃子、水野久美、円谷英二、ゴジラ、赤影、モスラ対ゴジラ、海底軍艦、キャプテンウルトラ、ジャイアントロボ…。
 ハリウッドスターたちもいる! CGじゃない、全部筆とエアブラシのイラスト!

「これがプロのワザじゃ!」と塾生にも見せた。
 プロはこんな一流の人でも、いや、だからこそこうして自分の作品を持ち歩いて売り込んでいる。塾生や作家志望ですというアマチュアは手ぶらで来る。この違い! 私が常々アグレッシブに動け、と言っている意味も、痛感したのではないでしょうか。
 田宮さんには塾のことも話し、色々と協力要請をしました。塾生Fくんはなにやら田宮さんに仕事を振られたとか。パーティが終わった後「どうしましょうか、いきなりこれは」と悩んでいましたが、「こんなチャンスはないぞ。塾生がこんな一流の人と仕事をしているなんてことになったら、俺も誇れる! 行け!」と発破をかけました。
 ファンタジー小説を書きたいと常日頃無謀なことを言っている塾生のIさんは、S出版社の編集の人とコンタクトに成功。原稿を見てもらえますか、と尋ねると「うちは原則小説の持ち込みはお断りしているんだけど、こういう場所で知り合ったんだから仲間だ。見るよ」と言ってくれたみたいで(ほら、そういうもんなんだよ)。
 Iさんは聖さんにもファンタジー小説の書き方のアドバイスを受けましたが、「すぐにお金にしたい、デビューしたいと言うなら、ファンタジーはやめなさい。ファンタジーは好きなこと書いたらいいと皆勘違いしているけど、ファンタジーは世界を一から構築しなきゃならない。政治から環境学、自然科学、生態系、歴史、生活様式、全部一から作者が全部作りこんでいくんだよ。それには色んなことを勉強して5年、10年かかる。それでもやる?」「やります」「だったら、これあげる」となにやら極秘の設定資料をもらっていました。いきなりSF界の重鎮に説教されて、極秘資料をもらえるなんて!

 とにかくこの日は、山田誠二監督の6分のサイレントホラー映画の上映や、パフォーマンスを取り入れた作品の売り込み、非常にオタク的なプレゼントコーナーもあり、とにかく皆さんサービス精神がある。小説もマンガも読者を楽しませるサービス商品。ということは、普段から人を楽しませるというスタンスはもっておかないと。そういう人ばっかりでしょ。実感したかな?

 去年の夢人塔パーティだったかな。聖さんがこんなことを言っていました。
「ここにいる連中は、イヤなこと、嫌いなことを一切やっていない人たちです」
 そう。皆好きなことをやっている。いいオトナなんだけど、怪獣好き、ウルトラヒーロー好き、ファンタジー好き、と堂々と言えて、またそんな世界でメシを食う。それがこの業界。で、また大阪を拠点にしている人がこれだけいるんですな(まだまだ一部ですけど)。

 パーティが終わっても塾生3人の興奮は冷めやらず、私の書斎で三次会。
 「来年の夢人塔も行きます。今から私の分予約しておいてください」とIさん。それまでには、こんな小説を出しました、と絶対に持って行きたいとか。早く結果を出したくなりましたって。
 まあ、わかるけど、あんまり焦ってもね。

 翌27日はワッハ上方小演芸場にて『第五回へたなら寄席』の公演。
 前回はお休みしましたが、今回は「風邪うどん」で一席うかがいました。
 詳しくは、「へたなら寄席・桐の一門ブログ」をお読み下さい。 

 第六回は、ちょっと間が開いて、今年の10月頃になるかと思います。
 塾生以外の人でも、落語に興味のある人、遠慮なしに桐の一門へどうぞ。


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2008年01月26日

占いの世界

 中山市朗です。

 唐突ですが、私は占いを全く信じていません。
 実は仕事がら、色んな占い師と仕事をしたり、対談したりしました。中には非常に有名な方もおられました。

 占い師にも色々いて、占いは科学である、とその理論を真剣に説く人もいれば、私のやっているのはパチもんですから、と正直に告白した人もいました。

 まあ人類史上、戦争や遷都を行うには占いは重要なものでしたし、あの山本五十六も占いを重要視していました。ナチスにも顧問占星術師が存在していましたしね。あの陰陽師なんていう人たちも、簡単に言えば天文観測をしていた占い師。でも、今の時代に占いは科学である、と言われても…。

 特に占星術なんて、宇宙や惑星の運行、引力や物質、人間などが関係しますよね。だから占星術は立派な科学なんですよって、ある占い師から聞かされたことがあります。そりゃあ人間は宇宙の中のちっぽけな地球にへばりついて生きているんだから、影響するのは当たり前じゃん。なんですけど、それと占いの理論となると、これは別物。どう説明されてもわからないんです、これは。

 あのホロスコープというものは、地球から見た天宮図です。つまり地動説の上にある。月は惑星として勘定されていました。で、冥王星が発見される前は、当然ホロスコープ上には冥王星はなく、冥王星が発見されたらいつの間にかホロスコープ上にも存在し、惑星から外された途端、ホロスコープから消える。ていうか、250年前は天王星も海王星もなかったんでっせ。そんな都合によってコロコロ変わるもん信用できまっかいな。てなこと言うたらある占い師に「実態として存在する宇宙と占星術の宇宙は全く違うものです」と言われた。

 よ〜わからん。その占い師と占星術は科学だって力説しとった占い師を会わせたいな。

 以前、ある女性雑誌が占いのような非科学的なことはもうやめよう、と占いコーナーの掲載をやめたことがありました。そしたら、パタッとその雑誌は売れなくなったらしい。やっぱりそういうものに人は頼るんですな。

 私は占いなんて非科学的や、と否定するものではありません。だいたい物事はなんでも科学やというのもインチキ臭いですよね。科学の名で騙されることだってありますから。占いもあった方が気休めになったり、占い師がカウンセラーの代わりに依頼人の相談を受けたりすることもある。カルチャーとしてもあっていいと思います。

 要は当たるか当たらんか。
 これがぜ〜んぜん、ま〜ったく、私個人に関しては当たったことがないんです。
 さっき言ったように、色んな占い師と仕事して「中山さん、せっかくなので見てあげましょう」と言われて、何十回と見てもらったんですが、全部外れました。ひとつくらいマグレがあってもええん違う? 言うくらいにね。

 すごいのは10年ほど前、「すごく当たる占い師がいてるよ、政治家の○○さんも、タレントの××さんも見てもらってるよ。それに□□さんは3日後が見えないと言われて3日後本当に交通事故で亡くなったの。一緒に見てもらいに行きましょう」と言われて、まあ後学のために行ったんです。その人は占星と姓名の2つから占うらしい。そしたら「あなたは今年中に死にます」って言われた。「原因は?」「人間不信です」「もし死ななかったら?」「いえ、必ず死にます」「それでも死ななかったら?」「万が一、死ななかったらあなたは大臣になれます」

 結果はご覧の通り。大臣になる気配もありません。なる気もないけど。
 その年末、私を見送ろうと大勢の友人たちが訪れてくれました。私が死ぬまであと
10秒、9、8、7…とありがたいカウントを合唱されて。

 ある有名占い師。某元総理のご用達もやっていた人らしい。
 仕事の打ち合わせで、その人の店に行ったんです。そしたら「中山さん、この子タレントにどうです?」と若い女性の写真を見せられた。「あなた、放送作家でしたらテレビ局の出入りが多いでしょう。関係者にこの子を紹介してあげてよ。この子、華があるし、いいと思うよ」
 どうしたものかと「は、はあ…」と気のない返事をしていたら、お客さんが来た。
「ここで待っていてください」と言われて控え室で待っていたんです。そしたら2人の会話が聞こえたんです。
「先生、この前私タレントになれるって聞いたんですけど、いつでしょうか?」
「私の言うことは絶対当たるから。近いうちにきっとテレビ局から連絡があるでしょう」
 ちらっと見たら、そのお客さん、さっきの写真の子。
 で、占いが終わってお客さんが帰ったら、また私にその写真を見せてきて。
「テレビ局紹介してよ。この子、こんなに可愛いし…」
 わしゃ、知らんで。

 さて、知り合いの占い師から電話をもらったことがありまして。お店にあった大金が盗まれたというんです。それ、占えなかったの? と聞くと、占い師は自分を占ってはダメなんですって。そして私に頼みというのが、ある女性週刊誌(メジャー誌でした)に占いのコーナーを書いているんだけど、ショックで書けないから代わりに書いて、と言われた。
「はあ? 俺、占い師と違うし!」
と断ったんですけど、原稿は絶対に落とせない。適当に書けばいいから、と言われて、しょうがない。私が占いのコーナーを書いたんです。もちろんその人の名前で。
 牡牛座…職場かクラスに、あなたを見つめている異性がいます。恋愛に発展します。ラッキーカラーはブルー。
 なんて、まあいい加減に書いた。そしてそれ、誌上に掲載されました。

 今週の占い、全然当たらへんやん、というようなクレームが来たという事実はひとつもありませんでした。


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2008年01月25日

霊も超能力も占いも…

 中山市朗です。

 23日のブログ「スピリチュアルなんとか…」の続きです。

 霊現象はあります、と言う人がいたとして、それと見えるというのはまた別の問題ですよね。あるという根拠はもしかしたら、机上の理論で実証されたのかもしれない。ブラックホールがそうであるように。

 また見たから霊はいるという証言もアテにならない。それは思い込みかもしれないし、幻覚かもしれないし、見間違いかもしれないし、創作かもしれない。

 そして霊が見えるという人が全て霊能者なのかよ、というと、そんなわけない。美しい風景を見たからといって、みんなが画家になれるわけじゃないでしょ。
 音楽評論家は音楽理論は詳しいけど、実際に演奏できるわけじゃないでしょ。
 言うたらそういう思い込みは天体望遠鏡を覗いている研究者はNASAの宇宙パイロットだ、というくらい根拠のないことです。
 だけどなぜか一緒にみられるんですな、この世界は。

 だいぶ前でしたけど、あるテレビのスペシャル番組で霊は存在するかしないかをテーマとしたものが放送されたことがありまして。

 ひな壇には、たま出版の編集長のアノ人、心霊ライター、研究家、霊能者、霊媒師、占い師、超能力者といった人たちがゴッチャにひとくくり扱いされて座っていました。で、したり顔の常識人ぶった司会者や否定論者たちに「お前ら、霊の存在を証明してみろよ」といった無茶苦茶なことを言われていました。ひな壇の人たち、怒ればいいのに怒らずに、なんとかそれに答えようとして墓穴を掘って…
 なんかそんな哀しい番組でした。
 ライターや研究者は実践者ではないし、占い師は霊の肯定者というわけでもない。超能力が霊の存在を証明しなきゃならない意図もわからん。スプーンが曲がれば、幽霊が存在していることになるのか? これはもう、制作意図そのものが、そういう人たちを悪意でもって最初から馬鹿にしている。したり顔の否定論者たちも実は何にもわかっていないし、本気で知りたいとも思っていない。ひな壇に座らされている人たちは、どんな出演交渉を受けたのかな、と私はそこを疑問に思いました。

 後に、その番組のひな壇に座った人たちを集めたのは私です、という人物に会って話を聞いたら、テレビ局から電話があって「心霊や超能力をやっている人を100人集めてよ。ギャラは○万」ってそれだけ聞いて、片っ端から電話をかけまくったとか。

 ほんで本番になったら「お前ら」扱いの上「霊の存在を証明してみろ」って、これは詐欺でっせ。でも出た側も有名になりたいという欲目があったんでしょうな。で、そんな無茶な注文に答えようとして…

 彼らも言ってやればよかったんです。「なら霊が絶対存在しないと証明してみろよ」と。やっぱり哀しい話。

 実は私も以前『たけしのTVタックル』の霊肯定派の席に座らされて、大槻教授とやりあうハメになったことがあるんです。でもあれは、局側の巧みな陰謀があって…?

 江原啓之氏が出演した問題の番組も、BPOの意見書の全文(ネットに掲示)を読んでみると、これは完璧に制作態度の問題。江原氏もチョーシに乗っちゃったという感じ。有名人にドッキリ的に会わせりゃ、一般人はハイになるだろうという視聴者を馬鹿にしたやり方が問題なんですな。もちろん、霊能ありきの企画なので、そこは突っ込まれるだろうけど、これは江原啓之というキャラクターの問題だと思うのです。江原氏が何を言おうと、何をしようと、それと霊的なことを生業としている人たちには関係のないこと。でもきっと、当分言われるんやろな。怪談やりましょうというと、「うちは怪談はやりません。江原啓之さんの例もありますし、霊能やオカルトはやらない方針で」って。でも江原氏に企画提案して、女性の資料持ってきたのは局の人間だったって意見書にはあった。でもまあ、江原氏のやっていることに関しては、いずれこういう問題が起こるとは思っていましたけど。

 ところで、これも随分前の話ですが、ある広告代理店から「イベントで子供たちに怖い体験をさせたいので、そのシナリオを書いてくれ」と言われまして。で、とりあえず打ち合わせに行ったんです。そしたらミステリーを書いてくれと言われた。
 私は怪談作家です。ミステリーはお門違いです。
 と言ってもわかってくれない。
 
 「だって人が死んで、何か事件が起こって、怖いことが起こるんでしょ? そういうのを書いてらっしゃるんでしょ?」

 もうホラーも怪談もオカルトもミステリーも、みんな「怖いもの」でひとくくり。怪談とミステリーはかくも違うと説明したんですけど、どうしてもと言われて苦労して挑戦してみた。そしたら、イベントそのものが他の広告代理店に入札で取られちゃった…おーぃ。

 ところで細木数子さんも、3月からテレビ番組の出演、降板するんやそうですな。

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2008年01月24日

1/23の作劇ゼミ【原稿をお金に替える方法】

 中山市朗です。

 昨日のブログの続きは明日掲載します。
 23日の作劇ゼミの報告です。

 物凄く重要な話をしました。
 原稿をお金にする方法!

 プロのマンガ家、作家とは、書いた原稿にギャラが、出した出版物に対して印税が発生する人のことです。まあ当たり前ですけど。

 その第一歩がデビューです。
 マンガ家の卵、作家の卵、という若者たちは、そのデビューを果たすために作品を書いているわけです。
 そのデビューの方法なんですけど、新人賞を採るという以外にないのでしょうか?

 そこを考えてみました。

 私が、編集さんや編プロの人たちからよく聞く言葉があります。
 「若い書き手を捜しているんですけど」
 出版界は新しい才能をノドから手が出るほど欲しがっている。

 一方、出版デビューしたい若者たちは山ほどいて、なかなかデビューできないでいる。

 なにか矛盾していますよね?
 
 これは両者がうまく巡りあっていないんじゃないかと思うわけです。
 両者が巡りあうのは、やっぱり原稿の持ち込みから始まるわけです。
 けど、マンガ家はともかく、小説の持ち込みはどこの出版社もやっていない、と言います。これはどうも本当のようで、各出版社のホームページを見ても、自費出版系の出版社以外は、ほとんど小説の持ち込みは受け付けていないようです。試しに、角川書店の私の担当Nくんに聞いてみると「うちも小説の持ち込みはやっていません。まあ新人賞に送って下さいと言うしかありませんね」と言っていました。メディアファクトリーは、コミックの持ち込みは大歓迎としていますが文芸は? 今は怪談文学賞ができましたけど、それ以前はやっぱり怪談原稿の持ち込みがあったようです。当時の担当のTくんは「褒め殺して機嫌よく帰ってもらいました」って、残酷な男や。

 でもね、私の周りに色んな作家さんがいますけど、新人賞デビューじゃない人もたくさんいます。かく言う私もそうです。これはどういうことでしょう?

 実は持ち込みの方法があるんです。私も実践しました。私の教え子たちも実践してプロになった者もいます。その秘訣を、塾生たちにコッソリ(?)と伝授しました。

 その全貌はここには書けませんけど。

 でもね、出版社は小説の持ち込みを認めていない、とか、受け付けてくれない、とういのは他から聞いたり、ネットで見た情報でしょう? 自分の足で行って確かめてきたのかよ、と私は言いたいわけです。そりゃあ、いきなり講談社や、文芸春秋、角川書店などではハードルは大きいです。プロの人だってアポを取って行かないと受付で帰されちゃいます。でも、出版社はそれだけかよ!? ということです。電話帳で確認してごらん。中小含めてどれだけの出版社があるか。出版社だけではありません。ライターを集めて雑誌やムック本を制作・編集している編プロだってある。そういうところに名刺を配っているのかよ。と言いたいわけです。

 てなことを言うと、「私は小説家になりたいわけで、編プロからエッセイやコラム、ゲームのシナリオ、取材ものなんてもらって書くつもりはありません」と言う人もいる。こういうタイプの人は、賞をとってデビューするしか方法はありません。

 でもね、たいていのこういった小説家志望者は、生業に就かず、親族から冷たい目で見られているでしょう? 30を越え、40、50歳になっても書き続けることできるの?

 と心配するわけです。粘れずに、あるいは貧乏に耐えかねて夢を放棄していった若者を私はどれだけ見てきたか! 
 そういう人たちって、片意地に書きたい小説だけに固執するタイプが多かったように思います。小さいながらもコツコツと編プロや代理店からもらって原稿を書いている人は、常に書くというスタンスでいるし、その分チャンスも巡ってきます。なにより書くということが生業になる。私の教え子で成功しているのは、大抵こっちのタイプ。

 小説の持ち込みを迷惑がる編集さんの最大の理由は、「なんの実績もないヤツの原稿を持ってこられてもどうしようもないだろう」というのが本音なんです。無名の人が周りのことを小説にしてみました、と来られて、「誰が読むのそれ」となります。逆にそれ、あなたはお金を出して買って読みますか? ということですね。

 出版社は文化的慈善事業をやっているところではありません。
 ビジネスのスタンスで原稿を書ける人が欲しいわけです。
 ちゃんと注文通りの原稿を仕事としてこなして、打ち合わせもできて、締め切りを守ってくれる人かどうかを見極めねばなりません。途中でやっぱりできませんでしたと言って、突然連絡不能(よくあるそうです)になっちゃうと、その責任は編集さんにいきます。編集さんもサラリーマンですから、それは困るわけです。だから、実績のない人の原稿はちょっと、と拒否されちゃうわけです。

 そんなことを言いながらも、実は編集の人たちは作家やマンガ家の卵たちや、大学のミステリー研究部とか、文芸サークルなんかのホームページをこまめにチェックしていたりするんです。ある出版社の編集部は、持ち込みは公にしていないけれど、来たら絶対に見ると言います。「ひょっとしたら、金の卵がいるかもしれない」ってね。

 やっぱり「若い書き手を捜しているんですけど」というのも本音なんです。
 だからといって、素性のわからない実績のまったくない人は困るというのも事実。
 とすれば、コネを作って使うべきです。そして実績をコツコツ積み上げておくべきです。ゲームのシナリオ、企画、コピ−ライト、コラム、エッセイ、評論文、インタビュー記事、解説文、とにかく書くことでギャラを得る立場を作ることです。
 そうなると、自然に出版社の中で打ち合わせをしたり、文芸部の人と知り合えたりするチャンスだってできる。

 業界のマナーや挨拶だって身につきます。プロとして書くことで読んでもらう視点も養えられる。出版界の情報だって得られる。ひょっとしたらファンもつくかもしれない。そういう立場になって、文芸部に小説を持ち込んでごらんなさい。きっと対応は違ってきますから。

 なにより、私自身がそうやって作家になったわけですから。


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2008年01月23日

スピリチュアルなんとか…

 中山市朗です。

 江原啓之氏が出演した番組に番組制作上倫理違反があったと、「放送倫理・番組向上機構(BPO)の放送倫理検証委員会」がフジテレビに意見書を手渡したそうで。

 新潟中越沖地震の被災者たちにリンゴを贈るボランティア活動をしていた女性に、江原氏が突然面会し、自分自身の生活を度外視してはダメ、というような言葉を亡くなった父の言葉として伝えた内容が原因だそうです。女性は自分の本業である美容室が経営難と誇張され、自分や周囲の人たちが傷つけられたとBPOに訴え、問題となったらしい。

 江原氏とはお会いしたこともないし、よく知らないし、そもそもスピリチュアルなんとかに全然興味もないし、その番組も見ていませんので、彼のスピリチュアルなんとかというものがホンモノかニセモノかという議論は置いておきます。

 ただ、BPOが指摘した「一方的にスピリチュアルといった非科学的なカウンセリングを押し付けていいものかどうか」という言葉が、「怪談という非科学的なものをやるのは良いものかどうか」という同義語で、また放送業界には解釈されるんだろうなあ、とちょっと思ったわけです。

 まあ、今まで散々言われてきたわけですよ。「放送局にこんな怪談番組やってみませんか」と提案(提案するにはワケがあって、最初にオファーが局側から来るんです)すると、なぜか手のひらを返して、「ウチはオウム事件以来、オカルトはやらないという方針でして」とか「私は心霊だの幽霊だの信じない、否定論者なので」とか…

 怪談とオウムに何の関係があるんだろう?
 怪談ってオカルトだったのか!
 否定論者は怪談聞いちゃいけないんだ!

 とか色々と勉強になることを聞いたりして。
 でもねえ、公共電波使って番組流している人たちの認識がそんな程度、というのがなんか哀しくってね。こっちは怪談という話芸をやりたいわけなんですが、結局、画面がもたないから心霊スポット行こうとか、検証してみようと怪談をオカルト調にしちゃうのは制作側の人たち。そんなことをしなくても、ちゃんと画面ももって、リアルで怖くて、視聴率も取れた関西テレビの『恐怖の百物語』という例もあるんですけど。
 でも、江原氏の番組の問題もそこにいくような気がする。

 以前、あるタレントさんが、私の怪談会の情報を大阪のラジオ番組で取り上げてくれたことがありました。それはいいのですが、同席していた放送作家が「幽霊話で入場料を取るとは何事だ。だから霊感商法なんかが野放しになるんだ!」と言い出して、わけのわからん話になったり(ちなみに、その怪談会は無料やったんですけど)、タレント時代の上岡龍太郎さんとは会ったこともないし、何の関係もないのにラジオで名指しで「くだらないことをやっている無知なヤツ」とケンカを売られたこともありました。「オカルトやっているヤツが古代史やってるそうや。こいつに質問してみろ。きっと何も知らんはずや。オカルトやってること自体が無知なことやから」というような内容でした。『捜聖記』を出版する前でした。

 私よりリスナーがビビって私に知らせてくれました。「まあ、ほっときましょう」と無視していましたけど。
 以前一緒にお笑い番組を担当していた上方演芸会の大御所Aさんからも「怪談みたいなくだらんこと、やめなさい」と言われまして。このときはさすがにカチンときて「おぅ、ほっとけや」と周りのスタッフが引くほどケンカになった(私が血気盛んやった昔の話でっせ。今はホトケの中山で有名で…)。

 怪談を語る=心霊肯定者=オカルト信者=霊感商法

 そんな偏見があったんです。
 一般の人ならまだしも、大阪のマスメディアにいる文化人ですよ。
 また、

 怪談を語る=心霊現象が見える人=霊能者=霊が祓える人

 というイメージもある。
 この図式は未だにあって、私のところにたまに心霊相談がきたりします。

 これ、人間の思考は概念とか思い込みでできあがっているということですよね。
 怪談を語ることは霊のことも語るわけですけど、それと霊を肯定することとは違うわけです。怪談とは話芸ですから。落語家の人で喜六、清八(東京では熊さん、八つぁん)は実在の人だと思ってしゃべってる人は一人もいないはずです。ただ、そこに実在しているように聞かせる、見せるというのが芸なんです。

 三遊亭圓朝だって『累ヶ淵』なんて別に実話だと言ってないし。
 
 ただ、私のやっている怪談は、元ネタはあくまで実話ですよ、という約束事の上で成り立っているのは事実。でも私の場合、稲川淳二さんがあくまで自分の体験談という形で語るのと違い、取材で聞き集めたものなので、実話が事実だったかどうかは確認のしようがないし、わからない、というのが正直なところです。

 まあ、霊に関しては私は肯定も否定もしません。というか、本音を言うと「どっちなんだよ」と知りたいことが動機で怪談蒐集をはじめたんですけどね。

 ただ、「霊現象は絶対あるよね」というスタンスでこられたら否定したくなるし、「霊現象なんてあるわけがない」と言われると、「いいえ、あります」と言いたくなるのは私の性分です。その根拠の提示のしかた、考え方のやりとりが私にはとてつもなく面白いんで、よくそんな議論はしますけど。

 次回へ続く。
 

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2008年01月17日

1/16の小説技法

 中山市朗です。

 16日の小説技法の復習です。

 ちょっとした事件がありました。
 
 Oくんの原稿が、ずっとこの合評で修正してきたものと違う。課題のテーマとも合わない。
 聞いてみたら、今度同人誌の即売イベントに出す同人誌用の原稿なのでした。

 「2、3日後には印刷所に回すので、その前にみなさんの意見を聞いておきたいと思いまして」

 とOくん。
 だったら先にその説明しろよ!

 みんな、あれ? あれ? と思いながら読んだやんか。
 でも、そういう原稿をこの合評に上げるのはOKです。持ち込み用原稿とか、賞に出そうと思っていますとか。少しでもみんなの意見を聞いて、グレードの高いものにしたい。そういう態度はおおいに歓迎しますし、そのために作った塾です。

 ただし、かといって200枚、400枚といった長編ものをいきなり持ってこられても読むのが大変。時間も取られてみんなが迷惑(みんな優しいですけど)します。

 あまり長いものは、授業とは別に私が担当します。どうしても合評に出したいというのなら、ちゃんと説明して1週間前には、みんなに渡しておくように。

 さて、Oくんのその同人誌用の原稿。
 ひたすらコメディを書きたかったので、ちょっと淡い恋愛コメディを書いてみましたというんですけど。読んでみたら、初めの3〜4ページは面白かったのですが、その後はずっと一本調子でこんなノリが延々と続くのかと思うとウンザリしたというのが私の感想。他の塾生も同じ意見でした。

 まあ、正直言って独りよがり。
 彼が今まで書いていた小説は面白かったし、実にパワフルでした。私が、これ投稿用を意識してみようよ、と言ったくらいです。

 ひとつひとつの表現力、独特な語彙の使い方、語り口なんかは前の小説とほぼ同じなんです。キャラクターたちも同じオタクキャラ。なのに、なぜこんな独りよがりの印象を持たれてしまったのでしょう。

 これはOくんが言ったことなのですが「今回は書きたいことをひたすら書いたんです。でも課題で書いていたのは、自分の嫌悪するものを書いたんです」

 そこになにかヒントがある。

 好きなことだけを書いて世の中に受け入れられるのなら、それに越したことはありません。しかし、そういうことは稀です。好きなことだけで終始すると、作品の視野や世界観が狭くなりがちで、そこに独りよがりの印象を残してしまうのです。
 こう言ってはなんですが、同人とプロの違いがそこにある。
 大衆に読んでもらうのがプロのスタンス。そのためには工夫やひねりが必要です。出版社から商品として出され、全国の書店に置かれるための条件です。

 先ほどOくんが言った“嫌悪するものを書いた”という小説(11/29日付のこのブログ参照)、つまり暴力によって愛するものが突然破壊される無残さ、死んだり、大怪我をして動かなくなった人たち、テロという卑劣な行為、それに対する無慈悲な行政の動向…。
 これらはOくんの嫌悪する世界。正直考えたくもないもの。それを書いた。すると結果的に面白い小説になったんですね。

 これが作品の幅を大きくしたんです。愛するものと嫌悪するものの2つの中で葛藤が起こっている。主人公はオタクでセーラー服女子高生が大好きな、平和主義で平凡な男。それが愛するオタクの祭典をテロによって爆破され、血みどろになったセーラー服の女の子を見て、初めてオトコを発揮し、たった独り命をかけてその女子高生を救出する(そしてオチもある)。

 こんなこと許してなるか、と奮い立つ主人公の思いの変化、成長の過程が読む我々にある種の感動を起こさせたんです。コレを読むと、きっとオタクの人が読んで共感するし(私はオタク側の人間です)、そうでない人もエンターテイメントとして、純粋に主人公に感情移入しながら、いつの間にやらオタクの世界のことも知る。世界観にもキャラクターにもストーリーにも、大きな振幅が出来て左右に揺れた。だからパワフルで魅力のある小説になったんです。やり方次第では、一般書籍として世に出られるかもしれない。投稿用の原稿にしてみようと私が言った根拠は、そこにありました。

 ところが今回の同人誌用の小説は、まったくオタクの世界観のみで突っ走り、それで終始してしまった。それが一本調子になった原因で、ノリの解らない人は最初から置いてけぼりを食らってしまう。そして、それが同人誌のノリなんだ、と言う。同人誌にとっても、よからぬ印象を持たれてしまう。

 ここが、今回の小説の失敗の原因です。
 小説の魅力は文章力や語彙だけの問題ではないという、見事な見本です。

 もちろん同人誌は同人誌の世界もあるし、その世界だからこそ表現できるものもあると思うんです。否定はしません。どんどんやっていい。しかしOくんは、それではイカンと我が門を叩いたと言いますから、そこは正直にもっと客観的にその世界を見つめてみようと言わざるを得ません。

 まあ、ちょっとOくんには酷なことになってしまいましたが、すごくいい勉強になったと思いますし、他の塾生たちもいろんな事を気付かされた今回の合評だったと思います。

 他の塾生たちも、落とさずに原稿を書き続けている分、確実にスキルはあがっています。特にIさんの文章力のテクニックは、もうなにも言う事はない。ちゃんとキャラクターが動き、場面が転換し、その分、話も転がるようになって来ました。
 あとは色んな経験をすることです。

 Tくんも説明的だった部分をキャラクターの動きと、それに伴う気持ちで表現できるようになってきた。でも、こっちは設定不足。作家たちがなぜか出版社の奴隷となって無慈悲なゲームの世界を強要されている近未来、というのは確かに面白い切り口で、ワクワク読ませるんですが、じゃあなんでそんな世界になっているのか、となるといろいろ矛盾がでてくる。設定をもっときっちり立てておく必要があります。

 Nさんの女同士のエロな倒錯を書きたいということも、ちょっと見えてきた。でも最初の出だしがホラーチックになってしまった。エロスも感じられない。主人公と会う、いずれそうなる関係の女性キャラや登場の仕方に問題があります。だったらこの女性を絶世の美女にしたらどうかとアドバイスをしました。息をのむほど美しいのに、(陰湿な影がある。そして他人の心理を読み当ててしまう不気味さを持ち)、しかも男に一切興味の無い女。()内は元の設定。

 主人公は、ボーイズラブを描いているマンガ家志望の女の子ということですが、いっそのこと新鋭マンガ家にする。男に全く興味のない不気味な一面をもった絶世の美女と、ボーイズラブをひたすら描いて妄想している女性マンガ家との出会い。このキャラをうまく活かせば、倒錯のエロスの世界への予感が生まれ、読者の興味もそこに集約されるでしょう。あとは官能的な世界がどれだけできるか。

 Fくんもエロスの世界。主人公は悪い奴。だから悪そうな感じを詰め込んでみました、と言います。しかし他の塾生は、どうもお金に執着するキャラに感情移入はできないと言います。キャラ設定がまだしっくりいっていないようです。肝心のエロスの描写も流れてしまって、ちっとも官能的ではない。文章そのものはスッキリとまとまってきたので、今度は読者を楽しませるテクニックを習得するべきです。
 

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2008年01月15日

1/11シナリオ講座

 中山市朗です。

 1月11日のシナリオ講座の報告です。

 ※なぜ正式のカリキュラムにないのかは、昨年の10月22日付の私のブログをお読み下さい。

 小説技法と同じ合評を行います。
 基本的には私の著作『秦耳袋』からいくつかの話を選び、みんなの前でプレゼンして、一話を決めて映像用かマンガ原作用のシナリオにする勉強です。

 ここで培われるのは、原作を解釈する力。
 それを視覚的なものに変換する能力。
 ストーリーの構成力。
 セリフの回し方。
 そして原作が怪談ですから、恐怖に落とし込む手法、などが習得できます。

 また、書いているうちに映像に対する理論、演出、仕掛け方などにも気付きます。
 そして映像用のシナリオの場合は、ただおもしろい(怖い)ものを書くだけではなく、映像可能なのかどうかも考えます。予算だとか枠だとかも私が決めるんです。
 そして私はプロデューサーとしての視点でも、そのシナリオを見ていきます。
 キングレコードで映像化されている『怪談・新耳袋』をひとつの目安としています。私も一本シナリオにして演出しています。4分50秒のミニドラマ。

 もちろん、別に書きたいテーマや映像化、マンガ化したいものがあれば、そちらを書いて合評に参加することもできます。

 さてさて、みな思い悩み、苦心して書いている跡が見えます。
 合評では、登場人物の動きや心境が納得できるか、ちゃんと世界観が整合しているか、ヴィジュアルのイメージが伝わってくるか、そしてなにより怖く感じたか、といったところが議論の論点となります。わりとみんな活発に的を射た指摘をしてきます。
 矛盾点や伝わらない箇所、失敗の原因などが指摘されると、じゃあどうすれば修正できるのかをみんなで考え、最終的な判断は私が指示するという方法をとっています。

 みんなの書く小説やマンガもそうですが、特にシナリオとなると説明的にどうしてもなるんですね。説明は必要ですよ。この話はいつの、どこの話で、この登場人物は誰で、なにをしている人なのか、今はどういう状況でなにをしようとしているのか…。
 でもこれを説明しちゃうと、話はうまく展開しないし、野暮ったくなります。
 それにいかにも素人が書いたもの、ということがまるわかりになる。

 例えば、あるシナリオ。
 こんなシーンがあります。

 会社に一人居残って、怖ろしい目にあうという原作。
 その前フリとして、この会社は幽霊が出るということを主人公は知っているけど、信用はしていない。という説明があります。

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 原田「聞いたぞ〜平山。今日、会社に泊まり込むんだって。大丈夫か」
 平山「ええ。今日中にあげなきゃいけない仕事があるんで。夜は出入り禁止らしいんで、ちゃんとカップ麺を持参してます」
 原田「知らないのか。ここ出るって噂だぜ」
 隣に座り込み、ニヤニヤと笑う原田。

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 このやりとり説明的だとは思いませんか?
 こういう場合、カップ麺のことはセリフで言わせない。原田に持たせるセリフも極力短くする。

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 原田、平山の机にあるカップ麺を取り上げて
 原田「なんだこれ?」
 平山「今日は泊り込みなんです」
 原田「泊り込み?」
 平山「仕事たまっちゃって」
 原田「泊まりは…なあ」と、平山の隣の席にいる山下を見る。
 山下「うん。ここ出るってよ」
 平山「出る…?」

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 こうすれば、セリフで説明しなくとも状況がわかる。長セリフを短くして、会話のキャッチボールをさせるんです。そうするとドラマ仕立てになっていきます。それに幽霊の噂も原田一人がするより、もう一人いた方が噂にリアリティが出てくる。

 まあ、そんなわけでほんの数行だけでも、書き方によって随分変わるんです。
 特にシナリオは映像として見せる、ということを最優先すること。

 別のシナリオも説明文になっちゃっている。

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 S2 居間から庭へ
 
 居間のテーブルを囲んで座っているミコ。克弥、佐知。知恵子がジュースとお菓子をテーブルに置く。居間から縁側に臨む窓は開いており、広い庭が見えている。きれいに整えられた庭木や池がある落ち着いた雰囲気の庭。
 ミコがはしゃいでいる。
 ミコ「かっちゃんち初めてー。すごく広いんだねー!」

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 この場合、どう視覚的に違うか、ということが必要なんです。シナリオは設計図ですから、カメラでなにを、どういう順番で見せるのか。このシナリオはそこが曖昧です。それにテーブルを囲んでいる人物たちが映像として浮かびません。動きが見えない。
 人物を動かしてみましょう。

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 S2 居間 
 
 テーブルを囲んでいる子供たち。
 十歳くらいの男の子(克弥)、その2つほど上のお姉さん(佐知)。
 克弥と同じ歳のおんなのこ(ミコ)が立ちあがって縁側へと走り出す。
 ミコ「かっちゃんち広いんだね」
 縁側の向こうは、落ち着いた広い庭。
 お菓子とジュースをお盆にのせて、克弥の母(知恵子)がやってくる。

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 こうすれば、カメラはなにを撮るべきか(マンガの場合、コマの中になにを描くのか)、人物はどう動くのかがわかります。登場人物たちも同じ登場であっても、どうすれば躍動感が出るのかを工夫するわけです。

 今は小説にもヴィジュアル的な要素が求められます。特にライトノベルズなんてそうでしょう。ドラマやアニメーション的な世界観やキャラクターの動きやイメージが要求され、またゲームやアニメと連動することだって戦略としてあったりするわけです。

 その感覚を養うためにも、シナリオを書いたり解釈する能力は、こういう世界に身を置こうとするならば必要なものです。また、年々変化するメディアに対応していく知恵や技術も習得しておくべきだとも思います。その基本はシナリオにあります。

 シナリオを受講していない塾生諸君も、遠慮なくどんどん来て下さい。
 書けなくても、合評を聞いているだけで勉強になるはずです。
 

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2008年01月12日

ジェームズ・ボンドの履歴書

 前回の続きです。

 ジェームズ・ボンド 履歴書(イアン・フレミングの原作による)

 参考文献『ジェイムズ・ボンド白書』(キングズリー・エイミス)
     武田一男による「ジェームズ・ボンド・レポート」
 ※は中山が補足。

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 1924年2月1日、スコットランド・ハイランドで生まれる。

 ※あれあれ、今年84歳? 設定当時は1955年でしたから。なお、ボンドの生誕については諸説はあるが、タイガー田中が「キミはネズミ年」と言う場面があるので、これを信用するなら24年となる。

 父・スコットランド人 アンドリュー・ボンド
 母・スイス人     モニカ・テラクロア
 ちなみにボンドの家系は1180年代のノルマン人、ル・ボンドまで遡るらしい。
 ボンド家の紋章は“銀地にサーベルと3つのペザント”
 ここから推測するに、サーレーに領地を持つベッカム准男爵サー・トーマス・ボンドの子孫かもしれない、らしい。しかしボンドはこの件に関しては関心を示してはいない。
 父がヴィッガース兵器会社の海外特派員だった関係で、幼いボンドは初等教育を海外で受ける。フランス語とドイツ語が得意なのはそのためである。

 ※映画『007は2度死ぬ』では、ミス・マギーペニーに日本語ガイドを渡され、「日本語はケンブリッジ時代の得意科目だった」とボンドは言ってガイドブックを返しているが、原作を読む限りそんな事実は出てこない。ボンドは日本語は全く不得意である。

 11歳のとき、両親がアルプスのルージュ峰にて登山事故で死亡。叔母のチャーミアン・ボンドに預けられ、ケント地方のペットボットムという山村で育つ。
 12歳、イートンに入学。ところが友人のメイドと間違いを起こし退学。父の母校・フェラックスに入学。厳しい校則の中、友情とスポーツに目覚め、ライト級のボクシング代表となる。17歳で卒業するまでに、英国のパブリック・スクールとしては初の本格的な柔道部を創設。ボンドが素手での格闘に強いのは、この頃の修行の賜物といえよう。
 18歳でオックスフォード大学入学。専攻は心理学と法律。
 19歳で父の友人の援助もあって、在学中に政府機関のある出先機関に入る。その後、英国海軍特務中尉に任ぜられ、駆逐艦に配属。大西洋で戦歴を積む。第二次世界大戦終結時には中佐へ昇進。オックスフォード大学は中退。
 1946年、英国情報部へ復帰。その後世界各国の駐在武官として1952年まで勤務。その後、国務省付国家5級公務員に任命され、本部へ復帰。その後9ヶ月の訓練を受ける。
 1953年、英国海外情報部に配属。「007」のコードネームが与えられる。初任務はジャマイカ。
 1962年、ユニオン・コルスのマルク・アンジェ・ドラコの娘、テレサと結婚。しかし数時間後、妻を失う。

 身長183センチ 体重76キロ
 体格は骨細、目は明るいブルー、右頬に縦に、さらに左肩に傷痕。右手の甲に整形手術の跡。
 浅黒い顔でヒゲは無い。まっすぐでかなり長い眉の下に、大きな鋭い目。髪は黒で左分け。ばっさりと前髪が右の眉にかかるような無造作な櫛の入れ方…。

 勤務は英国海外情報部○○課。このセクションには006と009がいる。秘書はローリア・ボンソビー、後にソアリー・グッドナイトに交替(※ミス・マギー・ペニーはMの秘書)。海外情報部は表向きには、ユニバーサル貿易となっていて、ロンドン・リーゼントパーク側にある9階建てのビル内にある。
 ○○課はビルの8階(のち7階に移転)、ボンドの上司Mこと、サー・マイケルズ・メッサヴィ海軍中佐は9階にいる。
 地下室は20ヤードの射撃場になっている。
 海外情報部員は無論公務員であり、勤務時間は普通10時から18時半。海外勤務が終わると2週間の休暇がもらえる。
 俸給は年1500ポンド。この他に税金のかからないものや、特殊手当てが1000ポンドほど。これは当時の日本円にして200万円。

 ※ただし1955年の数字なので、今に換算すると15〜20倍。かなりの高給取りである。国家公務員の高級事務官待遇と考えてよいだろう。

 これに海外任務の場合、経費は自由に使えることになっている。
 これは彼の能力に対する評価であろう。

 ※キングズリー・エイスミスは「ボンドの職業意識は身についた資質の中でも最上のもののひとつである」と、情報部員としての資質を最大評価している。


 能力


 スポーツ万能、拳銃、拳闘、ナイフ投げの名人。外国語はフランス語、ドイツ語が堪能。喫煙多量。悪癖は飲酒。ただし度は越さない。そして…女。

 ※柔道は7段である。


 住居

 
 チェルシーのアパートに、スコットランド人の家政婦メイと住んでいる。19世紀初頭に作られたシックで小さな建物だが、芝生とすずかけの木のある小さな広場がある。広間には多量の蔵書を収めた本棚、古風なデスク、皮張りの椅子など凝った家具、大きな窓。白と金の葉模様の壁紙、えんじ色のカーテン、濃紺のベッドカバーのダブルベッドのある小さな寝室。
 住所は、ウェントリン広場30番地。


 食事

 
 在宅時はメイの作る朝食。濃いコーヒーは米国ケメックス製で、大きなカップで2杯ブラックで飲む。卵は3分30秒間ゆでたものをひとつ。これはメイが田舎の友人から仕入れてくるフレンチ・ラマン鶏の茶のまだらのもの。これを金の縁取りのある濃紺のタマゴカップに入れて食べる。白卵は嫌いらしい。粗麦パンの圧切りトースト2枚、黄色の濃いジャージ・バターとティブトリーのスカーレットいちごジャム、フランククーバー製のオックスフォード・マーマレード、ノルウェーのヒース蜂蜜。
 英国人には珍しく「紅茶は泥水みたいだ」と口にしない。

 ※ただし日本のお茶には抵抗がないようだ。日本ではキャシー鈴木と白米と豆腐という朝食を食べた後、お茶を飲んでいる。

 昼食は普段は本部食堂で。
 舌平目のグリルとからしをそなえたドレッシングの大盛ミックスドサラダ、ブルーチーズにトースト、ボルドーの白い小瓶のワイン、ブラックコーヒー2杯。
 夕食は色んな場所で。

 ある日のディナーは上司Mとブレイズ・クラブで。
 鮭の薫製、ベルギーのキャビア、腎臓のからし焼きにベーコンを添えた小羊のカツレツ、オランダソースをかけたアスパラガス、新鮮なジャガイモと豆、パイナップル、酒はドム・ペリニョン46年のシャンペンとストリチナヤのウォッカ。
 もっともこの日のメニューは、ロンドンでは稀だということである。

 ※「牛肉は嫌いだ」と原作でははっきり言っている。しかし日本では神戸牛のステーキをタイガー田中に勧められ、これほどのステーキは食べたことがないと言わしめた。

 酒に関しては、激務の場合でない限り、60度から70度の酒類を半ビンほど。
 好みの酒類はウォッカやジンをベースにした強いカクテル。ゴードン3、ウォッカ1、キナ、リレのベルモットを1/2割り、氷のように冷たくなるまでシェイクして、レモンの皮を薄く切ったものを入れたドライ・マティーニ。スコッチは好まないらしいが、バーボンはよく飲む。ジャック・ダニエル、オールドグラント、IWハーバーなどをオンザロックか水で割る。
 シャンペンはドン・ペリニョン。

 ※オリエント急行でロシアの殺し屋をワインの注文の仕方で見破る。ワインの知識も豊富と思われる。
 ※『007は2度死ぬ』の原作ではボンドがサントリー・ウィスキーをソーダで割って飲む場面があるが、ボンドはサントリーをやや好んでいる節がある。また映画ではサントリー・オールドがテーブルに乗っていた。原作ではタイガー田中と熱燗の日本酒を飲んだり、ふぐ料理を食べたりしている。盃のことを「ばかげた指輪みたいに小さいもの」とめんどくさがって、コップに熱燗を注いでふた口で飲み干した。ふぐに関しては舌触りはいいが、何の味もしない、と言っている。

 
 タバコ


 マケドニア産のバルカンシガレットを1日50本。ただし1960年、健康を損ねて以来、デューク・オブ・デュアレムのキングサイズに変更。ニコチンが少ないことが理由。海外ではチェルスター・フィールド。常に黒イブシのロンソンライターを持ち歩く。シガレット・ケースは黒い研金製のものを使用。

 ※ちなみに東京では、しんせい、を吸った。


 銃


 ボンドにとって銃は身体の一部である。腕前は一流。
 勤務地では1957年まではベレッタ25口径オートマチック。クリップは骨組みだけを残して飾りを取り、早く撃てるようにテープで巻き直してあった。これをセミ皮のホルスターに入れ、脇下3センチ辺りにくるように左肩に吊ってある。しかし1957年以後は上司Mと武器係のブースロイド少佐の助言によりワルサーPPK7-65ミリ・32口径自動拳銃に替えた。

********************************

 この他、愛用車、ゴルフの腕前、友人関係、服装、化粧品(石鹸やシャンプー)、時計(ロレックスを愛用、映画ではセイコーも)、新聞、愛読書など多岐に渡って細かく設定してありますが、もうキリがないのでこの辺で。 

 しかし、時代、情勢、役者は変わっても、ジェームズ・ボンドというキャラクターがずっと生きてスクリーン上で活躍し続けている秘訣が、この履歴書にあるように思いませんか?



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2008年01月10日

1/9の作劇ゼミ【キャラクターについて】

 中山市朗です。

 昨日の作劇ゼミの報告です。
 キャラクター造形について考察しました。

 我が塾では漫画、小説、シナリオの三本を柱にカリキュラムを組んでいます。
 各々とも、ストーリーが展開します。
 そのストーリーを引っ張るのがキャラクターです。

 魅力的なキャラクターが存在してはじめて読者や視聴者を、作者が作った虚構の世界に誘うことができるわけです。

 前回(12月27日)の小説技法で、登場人物の履歴書を作ってみよう、という話をしましたが、今回はそこを詳しく考えてみました。
 いかにプロが、この履歴書作りをしているか、論より証拠というわけで、色々な作品の登場人物設定書を提示しました。

 テレビドラマ→スペシャル番組→ノベライズ→舞台→劇場映画→スピンオフ作品
 とキャラクターが次々に進化し独立していった『踊る大捜査線』

 コミック→ゲーム→テレビアニメ→ラジオ番組→テレビドラマ
 と次々に媒体が拡大していった『のだめカンタービレ』

 いずれもネットで検索すると、膨大なキャラ設定がでてきます。

 その設定があるから『踊る』も『のだめ』も、どんどん作品が進化しているんです。
 キャラクターの出身地、生年月日、血液型、学歴、職歴、家族構成、現住所、趣味、思考、癖、友人関係、周りの評価、仕事への姿勢など、かくも完璧に主人公のみならず、サブキャラクターにまで、履歴が設定してあるんです。
 だから各々のキャラクターが、その世界の中で動き出し、言葉を発し、生活しはじめるわけです。するとそのうち各々のキャラクターが自己主張をしだします。

「オレはこういう時には、そうしたくない」
「でも私はこうしたいの」
「それはしちゃあダメだ」

 なんてね。
 すると、もう作者のコントロールが難しくなる。そこが、読者や視聴者にとっても読めない展開、意外な方向、びっくりする状況と、どんどん展開していくことになるんです。
 このように、生命を持ったキャラクターたちに作者はどんどん難関を与えていきます。するとキャラクターたちは各々考え、協力し合い、または反発しながら、その難関を超えようとするんです。
 ああ、そうくるか。と作者自身が驚くようなストーリーが、こうやって自然に出来上がって延々と続いていくわけです。

 あの『三国志』なんてそうですよね。一応あれは陳寿という当時の歴史家が記した歴史書が元になっていることは周知のことでしょうが、私達がコミックや小説で読んでいる『三国志』は史実というよりは、吉川英治が書いた『三国志』によるものなんです。悪役だった曹操を魅力的な人物に仕立て上げたのをはじめ、各キャラクターにあれほどの生命力を与えたのも吉川英治さん。だから『三国志』は日本人にあれだけ読まれて、あれほどブームが湧き起こったんです。みんなが読んでいる横山光輝のコミックは、吉川英治版が元になっています。もちろん横山氏独特の解釈も随分とありますけど、あれほど長大な物語を支えているのは、まさに魅力的なキャラクターなのです。

 特にマンガはキャラクターありきです。
 まあ、絵で見せるわけですから当然といえば当然なんですけど。
 でも、ストーリーから入ろうとする人がいる。間違いじゃないんですけど、これはしんどい結果になる。やっぱりキャラから入った方が、マンガの中の人物もよく動くし、セリフひとつとっても説得力が違ってきます。

 またデビューするのは読み切りでも、プロとして描き続けるためには、やっぱり連載を続けなければならない。すると、いちいち奇抜なストーリーを、なんて考えていたらもうヘトヘトになってしまうでしょう。

 でも、キャラクターが生きていれば、彼らが勝手に動いてくれて、なにかをやらかす。「だったらこういう人物と遭遇させてみよう」、とか「こんな人物を出してみよう」と作者も考える。そこにまた何か起こる。やっぱり人間を描いているわけですから。そうなると、長い連載にも耐え得る作品になるんです。

 ただ、小説はストーリーが重視されます。キャラクターが視覚化していないわけですから読者はストーリーを追う。もちろんそのストーリーは、主人公に感情移入しながら読んでいくわけですから、魅力的な主人公に越したことはありませんが。

 でも、それも読者の想像に任せるとう方策が正しい場合もあって、あまりキャラクターを押し付けるのも作品によっては避けたほうがいい場合もあるようです。

 ここはいずれ、小説技法でやりましょう。

 ところで、次回は教室に持ってくるのを忘れてしまった『007』のジェームズ・ボンドの履歴書をここに。
 これもイアン・フレミングの小説から大ヒットの映画シリーズになった世界的なキャラクターと言えましょう。
 
 履歴書作りの参考までに。


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2008年01月09日

年、あけましたな。映画ですわ。

 あけましておめでとうございます。
 中山市朗です。

 昔は楽しみにしていたお正月の映画興行。
 ところが最近、まったく映画館へ行かなくなりました。
 落語会は昨日も行きましたけど。

 年末年始に映画は観ましたよ。
 日本映画専門チャンネルとか、BSとか、地上波デジタルのハイビジョンで。
 ちょっとリストアップ(※は初見)

 阪東妻三郎 『無法松の一生』『王将』『素浪人まかり通る』『狐の呉た赤ん坊』
 高倉健 『八甲田山』『駅STATION』『居酒屋兆治』
 黒澤明 『悪い奴ほどよく眠る』『蜘蛛巣城』『赤ひげ』
 吉永小百合 『キューボラのある街』『うず潮』『大空に乾杯※』『花ひらく娘たち※』
 松田優作 『ひとごろし』『暴力教室※』『最も危険な遊戯』
 その他 『踊る大捜査線 THE MOVIE』『同2 レインボーブリッジを封鎖せよ』『交渉人真下正義』『容疑者室井慎次』『頭文字D THE MOVIE』
 それに昔の大映『ガメラ・シリーズ』全作!

 洋画は『エイリアン4』『硫黄島からの手紙』『ウルトラヴァイオレット※』『カボーティ※』『冷血』

 さて、やれやれ。ほとんどが何度も観た映画ですし、DVDでも半分くらいは持っているんですが、ハイビジョンんみての録画が目的だったのです。邦画も多かったなあ。今のハリウッド映画には興味なし!

 映画以外にも同じくハイビジョンで、
 『落語研究会』『歌舞伎 義経千本桜“吉野山”』『初笑い東西寄席』『新春能狂言“古鷹”“翁”』『小林研一郎指揮/新日本フィル演奏会 ブルックナー/交響曲第8番』『ウィーン・フィル/ニューイヤー・コンサート』『エサ・ベッカ・サロネン指揮/ロサンゼルス・フィル演奏会』『新春・米朝一座』ドラマスペシャル『のだめカンダービレ』

 『のだめ』は意外って?
 いやいや、私はこの作品のファンでして、コミックも読んでるし、深夜やっていたアニメもずっと観てました。小沢征爾さんや佐渡裕さんのサクセスストーリーを彷彿させる展開が実に来るんです。私には。

 そしてハイビジョン以外には、
 『らくごくら 林家染二独演会』『初笑い! オールスター昭和なつかし亭』『NHK訪問インタビュー 宮川一夫』などなど。

 映画館や劇場へ行かなくても、こんなに観れるわけです。
 いや、寄席とかライブコンサート、これはやっぱりいくらハイビジョンが普及しようとも需要はあるでしょう。やっぱり生モノですし、生きた人がアーティストがそこにいてる。ひょっとして、打ち上げに参加させてもらえるのかも?

 しかし映画はね、危機です。

 ハイビジョンの最大の特色は、映画のフィルムの質感、解像度がそのまま再現できることにあるんです。いや、フィルム上映するよりずっと映像は美しい。フィルムは傷がつくし、古いものは退色します。たまにフィルムがチョン切れたりして…。

 それもまあ、映画というフィルム芸術の魅力でもあったのですが、こうまざまざとデジタル修正された美しい映像を見せられると、やっぱり虜になる。

 撮る側もフィルムではもう撮っていない。ハイビジョンの方が安上がりで後処理も簡単ですから。私もハイビジョンでドラマを演出したとき驚いた。照明が暗かったらフィルムだとアウトなのですが、コンピューターで直せるんですな。
 カメラが傾いても修正できる。現像所に指定していたオプチカル処理なんていうのも、その場でどんどん処理できる。フィルムには音声は入らないんですけど、ビデオには入る。特にハイビジョンとなると、容易に5.1チャンネル対応の音声が演出できる。
 
 それで傷つかないし、退色もしない。フィルムの大きな缶を運んだり、映写機にガッシャンとかける必要もない。ブルーレイの小さなディスクひとつで劇場での映画の上映ができるわけです。その環境さえあれば、それはそのまま家庭でも再生できる。これ、配給会社いらなくなるってこと? そうなるとその分、またまたコストが安くなる。

 一昨年だったかな。あるローカル映画館で『亡国のイージス』をロードショーで観たとき、フィルムは傷だらけ(いわゆる雨降り状態)で、退色しかかっていた。ロードショーですよ!? これはヤバイと思ったんです。これじゃあ、家でDVDを観ていた方がマシ。現にお客さんは5、6人ほど。

 そら映画館に行かなくなります。
 言っておきますけど、私は映画が無かったら恐らく死にます。そんな映画狂の人間が、映画館へ行かない。「これ、映画の、いや映画館の危機や」と世間では言うとりますけど、その通りです。

 最大の原因は、家庭用AV機器とソフトのデジタル化のマーケットの拡大と、これはスタッフの森田がブログに書いているように、映画の鑑賞料金1800円はどう考えても高い。これ、ほんま家族で観るならちょっと待ったらDVDを買ってお釣りがくる。それに前売り券を買っても、当日なんやかんやと窓口で手続きせなあかん。フラッと看板観て、「あっ、ちょっと観てみよ」ということができない。完全入れ替え制。だいたいあの愛すべき映画の看板やポスターが街に無い。東京の渋谷にある某映画館なんて、全然わからなかった。入場したらしたで、始まる前のマナー講座や、おもろないCMを延々と見せ付けられる(CMは昔から)。食べ物は持ち込み禁止で売店の高いジャンクフードを買え、と。

 一体、こんな映画の興行形態にしたのは、どこのどいつでしょう?

 それについては、いずれこのブログで考察してみたいと思います。
 年始早々にぼやくのもアレなので。


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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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