2008年02月

2008年02月29日

2/27の小説技法

 中山市朗です。

 27日(水)の小説技法の報告です。
 いつもの合評です。
 今日は官能小説に挑戦中のNさんがお休み。
 代わって、マンガコースのTくんが初参加。歓迎します。
 あっ、Tくんはこれで2人になるのか。
 最初から参加しているTくんはTくんのままで、初参加のTくんは、勝手にT2くんと名付けよう。ターミネーターみたいや。

 活発に、しかもいい雰囲気で合評が行われています。
 合評はあくまで作品としていいもの、おもしろいものを書くための駄目出し、意見、指摘、感想、アドバイスです。学生間で合評をやると、必ず駄目出しされたりするとムキになって反論したり、感情的になったり。たまにですが、女性の中には泣いてしまう人もいるんです。
 泣かれてもねぇ…別にキミの人格に駄目出ししているわけやなくて、少しでもいい作品にするためのひとつの作業だ、けなしているわけではない、と言ってもわかってくれなかったりする。
 過去、こんな人は必ずいたもんです。
 でもプロになりたいんでしょ? すると、いずれ編集からアカだらけの原稿が戻ってくることになりますから。もっともアカは否定じゃない(まあ、否定もありますが)、もっといい表現はないか、もっとよくならないか、もう少し全体の構成のバランスがとれないか、といったさらに上を目指すためのアカです。不特定多数の読者に少しでも多く受け入れてもらうための修正、改良、書き直しなわけです。

 だから泣いている場合やない。いいものを書くんだ。より多くの読者に読んでもらうんだ、という意識になること。その意識にならないのならプロになるのはちょっと無理。
 それだけ編集とやりあって、練りに練り上げた原稿を上梓しても、本になって読者の手に渡ると、辛辣な感想や意見がネット上で流れます。“読む価値なし”とか言われて。だから忍耐強さ、打たれ強さを養うことも必要です。
 もちろん、合評では素直に誉めるということもやっています。
 褒められれば勇気100倍。「よし!」てなもんです。
 合評は、そういう意味でもプロになるための一番有効な方法です。

 我が小説技法で繰り広げられている合評は、おもしろくない、と感想を言うだけでなく、おもしろくない原因はなんだろう、と、そこまで言及する発言になってきました。だから、こうしてみてはどうだろう、こんな方法はどうだろうと。
 好き嫌いは誰でもあります。しかし、それを論点にすると感情的な言い回しになるし、そんなことは誰も聞きたくありません。そうではなくて、いいか、悪いか、を論点にすると、これは技術や理論の話になります。すると批評されている方は、けなされているというのではなく、改善点を指摘されている、と受け取ります。そしたら互いに感情的になることもない。
 これが本当の合評です。
 これが塾生たちにはできるようになった。論評する目が養われてきた、と言いましょうか。

 ただ、個々の小説の出来は、二進一退といったところ。
 Tくんは、最初調子がよかったのですが、ちょっと行き詰まり。このブログでも何度も指摘した通り、設定に甘さがある。そこをごまかし、ごまかししているうちに矛盾が大きくなり、作者のTくん自身が小説の中の世界を説明しきれなくなってきているんです。それでは読者はわからない。

 Tくんには、今まで書いた部分を一度プロットにして、今書いている部分、これから書こうとする部分も含めて構成の練り直しをやるように指摘しました。このまま書き続けても矛盾は解消しない。自分で自分の書いたものを、ちょっと冷静な目で見る必要があります。そして、問題に関しては胃が痛くなるほど考えること。ちょっと、そこが甘いのでは?
 Iさんは文章のテクニックは、何度も言うように、もう言うことはありません。主人公の家族に対する複雑で繊細な心の動きの描写などは、とても私には書けないでしょう。ただ、主人公の動きや話の展開となると、どうもリズム良くいかない。妙なところに回想が入ったりして、それがストーリーを止めてしまっている。その辺りの、エンターテイメントとしての描写力をつける必要があります。それとIさんは、やっぱり取材をして書くタイプかな。みっちり取材をすることを身につけると、もっと説得力のある描写力が備わり、懐の深い作品が書けるようになると思います。

 Oくんが一進一退。
 彼の小説も、オタクの主人公が、つらつらとくだらん妄想をする場面は面白いのですが、やっぱりアクションとなると描写力に難があります。読者が読んでビジュアルとして頭に浮かべられるかどうか。どうもビジュアルにすると、「えっ、じゃあこれはどうなっているの?」とか、「ここまで距離はどのくらいなの?」とか「主人公はこういう状況なのに、これをやるというのは動きとしてどうなるわけ?」といったことが起こっています。Oくんの作品はライトノベルズのノリなので、やっぱりビジュアル。映像を意識して書くことが、最大の課題でしょうか。

 ただ、Oくんもそれは自覚しているようなので、いずれ解消されていくでしょう。発想はいいんだから、あとは技術の問題。まあ、Oくんももっと悩むことです。

 Fくんも悩んでいます。
 困ったことに、前回指摘された小説が、全く別のものになっている。ということが続いています。
主人公は同じなのですが、設定や世界観、脇役として登場する人物たちがコロコロ変わる。まあ、模索することは必要ですし、思い切って設定を変えてみるという勇気もあっていい。でも、提出するたびにコロコロ変わると、指摘されたりもらったアドバイスが生きてこないことになります。一応これは習作なのですから、指摘を受けたらそこを直し、バランスを整え、よりよい描写方法を選択する、ということもやってほしい。それをやると、前回より今回、今回より次回、と確実に作品はよくなるはずなんですが、このままだとその実感が受けられません。
 まあ今度は大丈夫です。と、Fくんは笑顔を見せていたので何かは掴んだのかな?

 初参加のT2くんは、みんなの小説を読んで、「この続きとうなるの? ハッピーエンド? 続き読みたいなあ」などとしきりに気にしていました。読んで先が気になる、とうのは、みんなの作品は読ませる小説にはなっている、ということなのでしょうか?



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2008年02月22日

2/20の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 先日、驚くべき事実を知りました。
 去年の4月にシナリオを勉強し直したいと、専門学校を卒業したYくんが入塾してきました。でも彼の書くシナリオには映像理論が欠如しているんです。だったら実践で映像感覚を覚えろと、塾で映像収録をしているお笑いライブ「キタイ花ん」や奈良テレビ「怪談の間」の映像編集を、スタッフ森田の助手としてやらせていたんです。ところが最近顔を出さない。

 どないしてるんやろうなぁ、と思っていると、なんとYくんは古巣の専門学校で映像編集を学生に教えるように要請されて教えているんですって!

 おいおい、それはあかんやろ。
 まだ森田の助手がおぼつかない。課題のシナリオもまだ未完成。
 自分の作品をまだ作ったこともない。

 そんなんが、何を教えるのやと。

 言ってしまえば、そこの学校の学生は年間に百数十万円も払って映像の要である編集技術を、うちの塾生に教えてもらっているわけです。Yくんがどういう肩書きなのかは知りませんけど、これは恐ろしい話です。

 学生は業界のことを知らないから、教えてもらっている講師が何をしている人か見極める必要があります。豪華なパンフレットに写真付きで並ぶお偉いアーティストや業界人は、お金で名前だけ貸していて、入学式と卒業式に顔を出すだけということは多々見受けられることです。 

 私が以前教えていた専門学校も、9年間いて、一回も顔を見たことないアドバイザーだの特別講師だのという有名人がたくさん載っていました。で、現実に毎週教えている講師は、まだデビューもしていない卒業生という現状は決して珍しいことはなかったんです。でもこれは、教えている本人すらも潰す結果になるから考えてくれ、と、随分教務に噛み付いた。そしたら「講師料は安いし、なかなか先生もいませんから」と言われた。

 もちろん素晴らしい実績をもった講師の方々がちゃんと教えている専門学校もあります。それは事実です。ですが、高い授業料を払って将来を託すわけですから、専門学校へ進もうとしている人たちは、ちゃんとリサーチした上で行くようにする必要があります。

 マンガ家や作家なんて免許制じゃないから、自称で成り立つ部分もあるし、そういう系統の専門学校の講師は教鞭の資格なんてもっていないわけです。そこを高校を卒業して、専門学校へ行く人、及び父兄の方々は理解していらっしゃるのでしょうか。

 医療や福祉、調理師なんていう免許取得の不可欠な専門学校は別として、マンガ家や小説家、映像監督、脚本家、プログラマー、アニメーターなどを養成する専門学校の講師は業界の人であるはずです。本業はクリエイターで、教えることはあくまで副業です。

 そこには文部科学省が定める教科書なんていうものはない。
 こういうカリキュラムをやりなさいという決まりもありません。
 つまり、教壇に立つ講師が、今までの創作活動で積み重ねてきた自分なりの方法論を教えるしかないんです。

 じゃあ、その講師に積み重ねてきたものがまるでなかったら?

 …Yくんはあかん。詐欺や。
 

 さて、20日の作劇ゼミの報告です。
 塾のホームページでは、「男と女のあり方・日本文学編」となっていましたが、前回塾生の要望で、雑学をどう取り入れるかという話をしましたので、今回もそれに関連した講義をしました。
 「男と女のあり方・日本文学編」は、また改めてやります。

 今回課題にしたのは、自分だけのインデックスをいかに作るかということ。
 簡単に言うと、メモを取れ、ということ。ネタ帳ですね。
 そんなことか、と侮るなかれ。
 うちの塾生はちゃんと受講中、メモをしているようですが、入って来た頃は、机の上に何もないという状態の人、何人かいました。でも私の真ん前にいた本日作劇ゼミ初参加のTくんは最後までメモを取らんかった。よほどの大物か、ナメとるのか?

 専門学校で教えていた頃も、最初の授業では学生たちは机の上に何も出さんと、腕を組んで聞く、というのが毎年あることだったんです。こいつら高校で何しとった?
 で、「お前らメモ取れぇ!」と怒鳴ることから始まるのが恒例でした。怒鳴られて初めてバタバタと鞄から筆記用具を取り出して…
 筆記用具、持ってきてはいるんや。
 じゃあ、キミたち、高いお金払って何しにここに来てるの?
 と、まあ、そんな状況。そんなんやからYくんみたいな講師がいても、気付かんわけやな。

 人から聞いたことは当然ですが、全部は覚え切れませんよね。
 しかも時間が経てば、だんだん忘れていきます。
 でも創作活動をしようとするなら、なるべく多くの知識や雑学を頭の中の整理箱に入れておく必要がありますよね。その整理箱のインデックスが、普段から取り続けた膨大なメモであるわけです。

 SF界の巨匠、小松左京氏(『日本沈没』を書いた人です)も『未来からのウィンク』という若者に向けたエッセイの中で、
 “記憶はいつか薄れ、忘れてしまうものですが、メモは処分しない限り不滅です”
 と書いています。

 今はパソコンのネットで検索すれば、たいていの情報は出てきます。これは誰もが共有できるインデックスです。ただ、そこにどこからの引用があるのか、その情報源は誰からのものか、または正確な情報なのかはわかりません。プロの作家は色々な制約、契約を知っていて、ペンネームを明記して責任を負った著述活動をしています。しかしネットの世界は制約も契約もないし、書いた本人の身元を明記する必要もない。これではその情報は参考にはなっても作品では使えないわけです。ハンドルネームとペンネームは全然違うわけです。

 しかし、メモは人と会ったり雑誌や新聞を読んだりして、気になったり、これはおもろいとか、それなんやろ、と思うことを書いておくと、これは自分だけのインデックスになり得るわけです。メモを取っておくと、その正確性をのちに調べたり、確認したりすることもできる。物事を調べる基本がメモなんです。

 映画を観たら、観賞ノートを。本を読んだら、読書ノートも作っておく。これをやり続けると、10年、20年先には自分だけのすごいインデックスができあがっているでしょう。

 でも肝心なのは、やっぱり人と会うこと。
 取材すること。
 ここで得られたものは生きた証言であり、ある人の人生であり、よき指針であり、本に書かれていない知識、経験でもあります。作品の元は、案外ここにあります。

 例えば18日の作劇ブログにあるように、先週の土曜日に怪獣絵師・田宮教明さん(1月30日の当ブログ参照)と塾生の交流会があったんです。田宮さんご自身が、塾生さんの作品を見てみたいとおっしゃられて。参加した8人の塾生のほとんどは、割りと塾に長くいる年長組。10月以降に入ってきた塾生の参加がほとんどなかった。これはもったいないと思うんです。で、やっぱりわかってないなあ、と。

 普通の生活をしていて、こういう一流のイラストレーターの人と交流できることはまずない。塾にいるから繋がる。繋がりがあるんだったら利用するべきです。一流の人と膝を突き合わせて話をしたり、アドバイスがもらえることは、特にマンガ、イラストのプロになりたいという塾生たちにとって、これはチャンスなはずです。現に参加した塾生たちは、田宮さんのデビューするまでの苦労話や、発注の受け方、注文の熟し方、オリジナリティをどう出すかの闘い、プロとしてのこだわりなんかが聞けた上に、イラストやマンガを見てもらって筆使いや構図、絵柄について細かいアドバイスを受けていました。ちゃんとこれをメモしておくと、これはオリジナルのインデックスになります。
 
 こういうことを今後、どれだけ積み重ねるかです。
 これは、人として豊かな人生を過ごすことにも繋がります。

 このメモを取るという行為なんですが、気をつけないと、案外これが身についていない人は、プロになってエラいミステイクを起こす要因にもなるんです。

 マンガでも文筆作業でも、会議や打ち合わせがあつて、市場調査のグラフや読者からの感想を元にして原作者や編集さんとコンセプトや紙面構成、納入方法なんかが入念に話し合われるわけです。でも、メモを取ってなかったがために、納入方法を間違えたり、期限を勘違いしていたりすると、全部これ、水の泡になっちゃいます。当然、こんなことを続けられると信用してもらえなくなるし、仕事はこなくなる。何人か、それで業界から消えた人を知っています。だいたいテーブルに筆記用具がないというのは、会議に同席している人たちに不安感を与えます。

 小松左京さんや司馬遼太郎さん、井上靖さんといった文豪たちは、いずれも雑誌や新聞の記者を経た小説家です。多くの作品を次々と生み出し、しかも時代設定や正確な人物描写の根源はきっと記者時代に必要にかられて書いたメモと、その取材力にあると思われますし、小松さんはそれが作家たらしめた、と上記のエッセイに書いています。
 京極夏彦さんも「僕は絶対メモは取らない」と言っている人ですが、きっと広告代理店勤務時代に膨大にメモを取ったことによるトラウマか、実は陰では…?

 ともかく、篭ることも作品制作には必要なことですが、人に会い、取材し、メモを取ることを忘れずに。これが長く作家活動を続けていく秘訣であることは間違いありません。

 そういう話をしました。



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2008年02月14日

2/13の小説技法

 中山市朗です。

 13日の小説技法の報告です。

 10月に仕切り直しをしたときは8人いた小説技法の受講者も、今は5人になりました。
 書いては合評の繰り返し。
 突っ込みも入る。疑問も指摘される。説明を求められる。面白くないと言われる。
 辛いかもしれません。
 でも、プロに近づくには、これが一番の近道です。
 残った5人は、ここがタフなようです。タフさはプロになるための第一条件。
 合評というやり方に疑問を持つ人もいます。それはダメ出し、突っ込み、疑問が出ても「じゃあ、どうすればいいんだ」という策が出ないで終わること。
 これをされると落ち込みます。
 ボロクソに言われただけじゃん、と。

 しかし、ここでは各々の問題に対しての、対応策、修正案、改良点などを必ず明確にしています。
 書いた本人以外の4人の塾生は読者。読者としての意見が一番正直で辛辣なものです。けっこう意見が飛び交います。
 「主人公の動機がわからない」とか「ここでこんな描写があるのは納得できない」とか「説明が多すぎる」とか「ストーリーがわかりにくい」とか…

 それに答えようと書き手は、ああだこうだと説明するわけです。
 でも作者はいちいち読者の前で釈明はできません。
 そう思っているなら、その意思が読者に伝わるよう工夫をしようよ、ということになる。それは方向性の問題かもしれないし、書き出しの問題かもしれないし、伏線の張り方かもしれない。登場人物の設定ミスかもしれないし、世界観が合っていないのかもしれない。そういうことを議論しながら、最終的には私が判断するわけです。

 じゃあ、こうしてみよう。と。

 納得できないんだったら、なぜ納得できないのか、どうしたいのかを説明する。
 それでも解ってもらえなかったら、それは読者には絶対伝わらない。
 だから感性も大切なんですが、技術や計算、論理的思考が求められるわけです。
 私の指摘することは、文章の細かいテクニックや描写方法ではありません。
 いかに読者に伝えるか、いかに面白く読んでもらえるものにするか。ここに重きを置いています。

 例えば主人公が悩むシーンがあるとします。愛情について、将来について、つらつらと悩む心情が書かれているとします。昔の私小説ならこれは許されたことでしょうが、今は視覚に訴える小説でないと読者はつかない。あるいはストーリーが次々と展開していくことが要求される。じゃあ、どうしよう、ということを考えるわけです。
 部屋の中で、じくじく悩む主人公の心理描写を延々と書かれても、これは読者は読んでくれない。だからここを旅の途中にしてみよう、とか、恋人と共に過ごした朝にしてみよう、とかいきなりケンカをしているところから始めてみよう、とか。つまりシチュエーションを与えて登場人物の動きやリアクションをそこに当てはめてみる。すると文章でだらだら説明しなくても、こういうときにはこういう行動をとる人物なんだ、と、キャラクターの一端を読者に提示できます。それは、後半へ至る伏線にもなりえる。これはこういう小説なんだという世界観も提示できます。

 そうしたら、読者はドラマから入れます。読者はドラマを通して主人公を知る。そこからです。主人公の心情に興味がわくのは。そうすると、そこで初めて、ここの表現はこう変えた方がより伝わるよ、とか、この説明文いらないな、とかセリフをこう変えてみようといったテクニックの具体的な修正が、ここでなるわけです。

 これをずっと繰り返しているわけですから、残った5人の小説を面白くする、わかりやすくする、という力はメキメキと上がっています。悩んで足踏みしている者もいますけど、前進のための足踏みだからそれでいい。
 そこにこの日は岐阜県からわざわざ見学に来たという作家志望の20歳の男性が合評に参加。まあ前もって作品を読んでもらえなかったこともあって、なかなか質問できる状態にはなかったのですが、それでも「ちょっといですか?」とOくんの作品に対して直球の質問。これは頼もしい!
 合評が終わった後、「僕の作品も早くあの場にあげて叩いてほしいです。春には必ず来ます」と目を輝かせていました。作家志望には珍しく(?)陽のキャラクターでした。この塾を推薦してくれたという彼が通っている大学の先生が車で引率していらして。話を聞くと、この先生もユニークな方でした。

 見学者の彼も質問してきたことですが、うちの塾には色々なツールがあります。
 「怪談の間」のイベント、奈良テレビの番組収録、ネットラジオ、出版社との提携、吉本興業協力のお笑いライブ「キタイ花ん」など。その気になれば、これらを利用して色々な人たちと会えるし、構成者、文筆家としての仕事を覚えることもできる。取材力や交渉力だって養われる。私も手伝って欲しい仕事がある。でも、これは強制するものではないのと思っていますが、自分でアンテナを張って利用してほしいわけです。
 そして、自分のプロフィールを作ること。
 プロフィールが積み重なると、それが信用の元となります。
 そこからです。書くということがお金になり、書くことで生きていくチャンスが芽生えるのは。
 書く仕事をくれる人。
 書いたものをプロデュースしてくれる人。
 そういう人とめぐり合う場は、こういうところにあるわけです。 


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2008年02月13日

就職の非ススメ

 中山市朗です。

 さっき宅配便で、知り合いの作家さんの小説が送られてきました。
 その中に、その出版社の新刊広告が入っていました。

 こんなコピーが目に付きました。
 『自分に適した仕事がないと思ったら読む本』

 さらにこう続きます。

 富める者はますます富み、貧しい者はますます貧しくなる時代。年収200万円以下の給与所得者は、すでに1000万人を超えた。拡大する賃金格差は、能力でも労働時間でもなく、単に「入った企業の差」である。こんな世の中だから、仕事にやる気がなくて当たり前。しかし働くより他に道はない(以下省略)。

 まあ、分かっていたことです。
 だから私は「就職する以外にも生きていく道はあるよ」と、塾を作ったわけです。
 「学校を卒業したら、就職しなさい」という古い考えは、もういい加減どうにかならんもんかと。
 
 親は言うんです。
 就職しなさい。
 就職するための教育、就職するための学校。子供たちは大人になったら就職するしかないんだと教育される。そして学校を出たら、就職口がない。で、一人で生きる術を知らない。仕方がないからアルバイトか派遣。そしたら年収200万円。
 親たちのイメージしている就職は、一度就職すれば、まあ、よほどのことがない限りクビにはならない。続けているうちに給与も上がる。終身雇用で後は退職金だと。
 就職すれば家庭も築けて、食べるに困らない。

 でも、それは20年前の話。

 …そうか、今の親はそんな時代に生きていたから、その時代の価値観を子供たちに押し付けるしかないんだな。私とだいたい同じ世代か、ちょっと上だよな、今の親は。

 これは私の小学生のときだから、70年代の前半のことです。
 学校の先生がしたり顔で、こうおっしゃったことを鮮明に覚えています。

 「君達は大人になったら絶対潰れないというところへ就職しなさい。それは鉄鋼、造船、国鉄だ」

 と力強く!
 いやいや、この先生の言うとおりにしていたら、エライ目におうてるところや。
 世の中はどんどん移り変わります。そのサイクルは年々早くなる。正直、もう大人たちはついていけないんです。その中で子供たちに教育するわけですが、どうしても大人というものは自分が生きてきた価値観でしか、モノの価値が計れないんです。また、その価値観が壊れることを恐がるんです。

 だから「就職しなさい」と言う。
 また、それ以外の道を知らない。自分だって夢を持ったことくらい、あるはずなのに…。

 今や安泰企業なんてどこにもありません。破産、倒産、合併、縮小…。犠牲になるのは中小企業と雇用されていたサラリーマンたち。それこそ10年後、20年後、今の若者たちがまさに働き盛りになった頃の社会なんて全く予想がつきません。その将来を作っていくのが、まさに今の若者でなければならないのですが…。

 私の大学時代のある友人は、夢を持って上京し、いつの間にやら就職してしまって、40歳前後で脳出血で倒れた。退院して会社に戻ったら、席がなかったそうな。

 ある友人も、大手スーパーに就職。映画をやりたいと言ってた私を見下して「俺はこんなところに就職したんや。偉いんや」と大喜びしてた。そのスーパー、今はありません。

 その2人、今は仕事がない。派遣とか警備員…。1人はハローワークに未だに通っているようで。この年では仕事がないって言っています。

 映画制作会社やアニメ制作会社に入った者もいたけど、その会社もことごとく潰れました。
 この人たちは今、どうしているのかも知りません。
 ちょっと前ですけど、以前私を取材したことがあるという新聞記者から電話がありました。某ローカル紙だったんですけど。「中山さん、何か書く仕事はありませんか?」「どうしたんですか?」「会社潰れたんです。私、どうやって生きていけばいいんでしょう…」と相談された。

 会社はいずれ潰れるもの。そう思った方がよろしいようで。
 ここで悲惨なのは、企業の中で生きていた人は、ひとりで生きていく方策を持っていないということ。20代だったらまだしも、40代、50代で会社が潰れるというのはもう…。

 公務員はクビにならないし、職場は倒産しない。安泰言うたらここです。この安泰というのが恐ろしい。
 高校時代の友人が通産省のあるセクションにいます。入りたての頃、3日でやれ、と渡された仕事が1日でできた。上司に報告すると、「3日でやれ、と言ったものは3日でやりなさい」と怒られたそうです。税金の無駄遣いや、と本人が言ってました。利益を上げようとか、企業努力とか、融資してもらわないと仕事が回らない、なんてこととは無関係ですから。彼らにとってお金なんてどんどん落ちてくるわけですから。税金を食いつぶして、日本の経済も自然も夢も何もかも食いつぶしてしもた。で、誰も責任とらん。

 それでも就職しなさい、と大人たちは言うわけです。
 自分はボーナスカットされて、リストラに怯えながら…。

 就職する以外にも、生きる道はたくさんあります。
 というより、ひとりで生きていくこと、創意工夫次第で、今は色んな可能性があることを子供や若者たちに教えるべきでしょう。その中のひとつの選択として就職もあるよ、と。

 私が以前講師をしていた専門学校も、マンガ家や作家を育てる養成機関のはずやのに、就職しなさいと学生に勧めとった。就職率が上がると、親への信用があると言って。ある子はマンガ家を諦めさせられて、そごう百貨店に無理矢理就職させられて…すぐ潰れた。

 アメリカ人なんて、もう一般企業に入って物を生産することが時代遅れと思っています。そういう考えも問題なんですけど、あのGMでさえ1兆円の赤字で破綻かもと言われているこのご時世です。今や生産業界に就職しても賃金は上がらない。出世も閉ざされている、ということはわかっている。日本の企業も外資系が入ってきているわけだから、そうなるのも目に見えてますわ。工場は賃金の安い東南アジアや中国へ行くから単純作業でさえ求人はなくなる。

 まあ日本人の社会というのは、どうしてもサラリーマン社会にならざるを得ない国民性と言いますか、DNAみたいなものがあるようなんで、それでいいというのなら別に何も言うことはありません。
 何も私は就職するな、と言っているわけやない。
 でも、好きなことが、やりたいことがあるんなら本気でやれ、とは言いたい。そしたら会社がどうなろうが、どんな世間になろうが、生きていける術が身に付く。これからはそれが賢い生き方かな、と。

 私の周りには、作家、マンガ家、役者さん、芸人、プランナー、刀鍛治、意匠家、ゲームデザイナー、脚本家、映画監督、イベントプロデューサー、ライター、カメラマン、メイクアーティスト、料理人…色んな人がいます。みなさんフリーですが、就職を経た人もいるし、私のように就職経験ゼロ、という人もいます。ただ就職を経験した人でも、最初からそれは目的を達成するための手段であって、決して就職することが目的ではなかったと。好きで、本気になって、突っ走って、頭も使って、でも人一倍苦労はしているはずです。収入はヒットを飛ばせばサラリーマンの何十倍ということもありますし、ヘタすればゼロもあるかもしれません。でも何年も続けていくと、それはない。少なくとも、年収200万円でやる気がない、人生面白くない、と言っている人たちとは違い、毎日楽しんで、野望も持って、次なる挑戦に目を輝かせている人たちばかりです。

 そういう世界があることを、大人は子供たちに提示しない。それは不安定で、ヤクザな世界だと思っている。その考え方が、結局やる気のない本気になれない若者を作り出し、競争力のない海外資本に食われてしまうような、ヤワなサラリーマンを作り出してしまったと思うわけです。私は。

 運動会は順位つけたら負けた子がかわいそうだから、同時にゴール切ろうねって。
 そんな教育を受けたら、そら世界に負ける。
 で、気付いたときには年収200万円の会社員。

 これから日本人の生活は二局化すると言われています。
 何億、何十億というマネーを動かせる富豪か、年収200万円の一般庶民。
 アメリカではすでにそうなっています。
 ということは日本も必ずそうなる。なりかけてますけど。
 ところが、この中間に位置する職種があるんです。
 それが、フリーのクリエイターや、スポーツ選手。

 だからやりたいことがあるんなら、それで食って行きたいと本気で思うなら、ホントに本気になって、模索し努力すべきです。クリエイターはこれからますます重宝されるし、世界進出ももっと容易になっていきます。本気でやる価値は絶対にあります。

 固い決心があるのなら、親の言うことなんて聞かなくてもいい。
 でも親に逆らったなら、必ずその道で立って成功するように本気になること。
 それが本当の親孝行だと思うのです。

 年収200万円。それでもキミは就職するか?
 

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2008年02月12日

「夢は叶わない」への反論

 中山市朗です。

 スタッフの森田が2月11日付けで「夢は叶わない」というテーマのブログを書いていたので、ここで反論します。

「頑張ればなんでもできるというのは幻想だと僕は思う」
 これが森田の意見。

 確かにそれは言える。
 ただし、頑張らなくては何もできない。夢も叶えられない。これも事実。

 最初から夢のないという人は、ここでは論外としますが、例えばうちの塾などには「マンガ家になりたい」「作家になりたい」と夢を持った若者たちが来るわけです。
 なりたいというのなら、まず書くこと。そして持ち込みをするなり、賞へ応募すること。それをしないことにはデビューはない。それは本人の頑張りしかない。当たり前のこと。

 ところが、これはうちの塾生に限らず、私がかつて教えていた専門学校、あるいは大学時代の同期生を見ていると、まったくそういう努力をせずに、当たり前のことさえもしないであっさり諦めて去っていった者が、あまりに多かったわけです。
 専門学校の関係者が言う“せんみつ”(1000人入って3人モノになれば成功)とは、よく言ったものです。

 やってみて、「あっ、自分には合わない」と思ったら辞めるのもいいでしょう。
 別にそれは構わない。
 ただ、言うほどやってみたのかよ、というのが私が常々思うこと。
 やってもみずに、諦めるという若者を山ほど見てきたわけです。
 つまり好きなことにさえ本気になれないヤツ。
 だったらそれは好きではなかったのだろう、というところなのですが、好きなことでもそれを仕事とするならば、難所はある。より高いテクニックを求められるし、痛い目にも合う。大人の世界との軋轢もあるし、その業界なりのマナーや常識もある。プロになれても読者、視聴者、ユーザーの辛辣な意見、突き上げもくる。それに対する処世術などというものは、一朝一夕で身につくものではありません。一生の課題でしょう。今まではただ好きでやってきたものが、それでは通用しないとわかったとき、誰でも一度は諦めようと思うし、その壁は厚くも思える。好きだったものが本当に好きだったのかを疑うようになる。

 それは誰だって思うこと。
 私だって、学生時代にそんな経験しましたよ。
 しかも、やっとプロデビューしても最初はギャラもスズメの涙。食えるのかよ、と不安になる。
 でもね、それはどの世界でも当たり前にあることです。世の中は甘くない。
 甘くないから、「頑張っても仕方がない」というのは逃げでしかないでしょう。いつの世も、どこの国も、「世の中甘い」なんてことはなかったわけですから。まだ、今の日本はチャンスのある方だと思うのですけどね。

 でもね、世の中、ただただ生活のために働いている、という人がいっぱいいます。こういう人たちも、給料を少しでも上げ、リストラされないためには一生懸命努力をし、目の色を変えて頑張るしかない。私の周りにも、唯一の楽しみは赤提灯で一杯ひっかけて上司の悪口を言うこと、と言う人だってたくさんいます。家族のためには仕方がないんだよ、とため息をつかれて。「好きなことがあるお前が羨ましい」と何度も友人から聞いた言葉です。
 だったら、好きなことがあって、そのことで悩み、努力し、頑張るってことは、それだけ運がいいと思うんです感謝するべきです。

 にも関わらず、好きで目指したものがあるのに、プロになりたいと言いながら、努力はしない、バイトを優先する、ゲームばっかりやっている。そら、そっちの方が面白いだろうし、楽でしょう。やっぱり創作というのはしんどい。こっちは見かねて、勉強になるからと仕事を与えても、来ない、やらない、いい加減なことをして、やったつもりでいる(密かに、その尻拭いはこっちがやっている)。そうして一年、二年と経ると、これはさすがに不安になってきて「あっ、俺、できへんわ」で、諦める。そして今度は就職しますって。

 アホか!
 じゃあ聞きますがね。就職の面接で、なにも努力してこなかったキミは、どんな嘘をついて会社に自分を売り込むのですか?

 企画力? 営業力? 情熱? センス? 本気で仕事に打ち込めるってこと?
 どんな仕事でもやれますってこと? 何があっても諦めないってこと? 根性?
 
 詐欺や。
 こんなヤツに入られる企業が大迷惑や!
 雇う方の立場になってみいや。
 で、通用するって思うわけ?
 これ、世間を舐めてる、言うんです。

 脚本家の山田太一さんの言う、「努力できるのも天賦だと思うよ」というのはそうだと思います。
 「努力に勝る天才はなし」という言葉も半分嘘だと思います。
 天才はいます。努力してもとても適わない人。
 そんな人、何人か見てきました。一緒に仕事もしました。
 でも、この天才の人たちの基礎にあるのは、それが好きやっていうこと。
 だから諦めなかったという事実はある!
 マンガを描くのが大嫌いな天才マンガ家はいません。
 文章を書くのが嫌いな天才小説家はいません。
 映画は観るのも嫌い、という天才映画監督はいません。
 野球は大嫌いだけど、打てば天才バッター。そんなの聞いたことない。
 好きだから極められた。

 反対に「才能ないな、この人」というのも見てきました。
 でもその人たちも、この業界に本気でへばりついている。
 そして楽しそうにしている。
 業界人に会え、と塾生に言うのはそういう人たちと接して欲しいんです。
 諦めなかった見本が、そこにいる。私もその一人です。
 好きなことに本気で打ち込める人が、自分の道を歩める人だと思います。
 本気になれるものがない、というのなら仕方がない。
 しかし、マンガを描いてみたい、小説を書いてみたい、なにかを創作してみたいと思ったから本気になってみようとするものがあったから、専門学校やうちのようなところへ来たんでしょ? そこは本気だったわけでしょ?
 だったら本気を続けようよ。
 本気を続けると、じゃあ、プロになれるのか?
 その保証はないです。
 しかし、本気でやったことは、必ず自信になるし、生きていく基礎体力になる。そして仕事としてこなす応用がきく。そのスキルと経験は必ず他で生きているんです。またそれが信用というものになる。信用。これは本気の積み重ねでしかない。

 私は大学時代、映画監督になりたかったんです。
 だから、大坂芸術大学の映像計画学科に入った。
 そして、映画を誰よりも観て、誰よりも作りました。卒業制作は制作費200万円も使って我が故郷で大ロケーションを敢行し、16ミリフィルムのモノクロで撮った。劇団「そとばこまち」の協力を得たり、芸能プロダクションにも営業に行った。京都と大阪で上映会もやった。パソコンのない時代。チラシやポスターも手作りで作成した。
 それは、端から見れば努力しているように見えたようですけど、本人は楽しんでいた。そりゃあ、借金もしたし、創作上の苦悩はしましたよ。それに寝る間がほとんどなかった。3日、4日と徹夜が続くことだってありました。主食はパン屋にタダで置いていたパンのミミをもらってきて。でも私の監督作品の6本が残ったのは事実でした。
 これは大きな自信の根拠になりました。
 けど、結局は私は映画監督にはなれませんでした。
 ここで終わると、森田の言う「ほら、努力してもなれないでしょ」ということになるのかもしれません。

 しかし、この本気の経験が創作の楽しさと厳しさを、改めて私に知らせてくれたんです。さっき言った自信にもなった。だから人もついてきてくれた。
 本気だったからこそ、書き溜めたシナリオや企画書をバッグに詰め込んで、業界へケンカを売りに行けた。そのひとつが黒沢監督のもとへ『乱』のメイキングを撮らせてくれなんて言いに行けたことだったりしたんです。そして、黒沢明を身近に見た。プロ中のプロの仕事を知った。そのうち、モノを作り、仕事としてこなす、というスタンスは映画もテレビ番組も著作活動も同じことだとわかったんです。映画だけが創作じゃない、と。

 だから作家の道が開けた。
 そうしたら、テレビ番組の構成をやる機会を与えられ、自分の著作を原作としたドラマの監督をやらせてもらって、結局当初の希望が叶ったりしたんです。
 大学時代は、私は映画のことしか知らなかったんですけど、その後色んな表現の世界があることを知ったんです。映画があったから知ったことがいっぱいある。映画があったから、本気になれたから、今の私がある。

 本気の気持ちが、映像制作も著作活動も、怪談語りも、塾を作って苦労もしてみようともいう原動力になった。どれも、同じように苦しいし楽しい。みな同じ私のライフワークなんです。
 それは全部自分の意思でやった。それができた自分を、幸運だったと思っています。しかし、幸運は何かに本気になれたから掴めたものなんです。どんなにくだらないものでも本気になれば尊いものになる。
 本気になれずぐずぐずに生きている大学時代の同期生とか、30歳過ぎて警備員や派遣のアルバイトをやっているという。それで、「書いているの?」「いえ」なんていう専門学校時代の教え子の話を聞くと、なんかもう悲しいわけです。

 だから塾を作った。
 本気になれない人生と本気になれる人生。キミはどっちを選択するんだと。
 本気だと言うんなら、及ばずながら力になってあげたい。
 本気は人生を豊かにします。確実に。

 私は、塾生に頑張れとは言いません。
 本気になれよ、とは言います。
 頑張る、というのは時によって、やりたくないものをやらされている感覚もある。
 でも本気になる、というのは、その人の前向きな気持ちです。
 前向きな気持ちのないヤツは、人生つまらんだろうし、端から見ていてすごく損をしています。それで損してるよ、と注意しても、気持ちがないからわからない。それで損を繰り返していくんです。すると、気分がいじける。だから余計人生つまらんと思う。そして、将来を悲観し始める。その要因は自分でなく、世間だと思うようにする。そして世間に対してひがみ出す。そのうち努力してプロになった人をも見下すことになる。
 最悪です。こういうのを「負け犬」と言いませんか?
 
 もう一度言います。

 自分がなりたい、と今思っているものは、親に言われたわけじゃないんでしょう?
 自分からその道を志願したわけでしょ?
 だったら本気になろうよ。

 本気になって視野が狭くなって結構じゃん。
 狭い分、顕微鏡のように誰にも見えていないものが見えてくるはずです。
 そして、極めたときには、それを見なかった人たちより、絶対にぐんと広い視野を持つことができます。
 例え、極められなくって途中で諦めたとしても、人と違うものを見た、という経験は、その人の武器になります。それは誰にも盗めません。その人だけのものです。
 そのとき、他の道に進んでもいいじゃないか。
 他の道に行ったからって、全てがチャラになるわけじゃない。ここをみんな勘違いしている。どこへ行こうと、同じ努力の積み重ねはしなければならない。イチからやり直しです。
 これがわからないから、「この職場は合わない」とか、「やりたいことやらせてくれへん」と言って職場を転々とする。だったら、やりたいことやってみいや。本気で!

 一度何かに本気になれた人は、その応用が利くんです。それが新しい職場で生きていく処世術になる。どこまで本気でいいのか、どこで引くのか、のサジ加減もわかる。それに、そういう経験は周囲に重宝されます。

 黒沢明監督が現場でよくこういうことを言っておられたんです。
 「どんなつまらない仕事でも、本気になってやってごらん。きっと面白くなるから」

 スタッフ森田は、脚本家山田太一さんの「可能性のよき断念」という言葉を引き合いに出していたが、それは結構。人生は、よき断念の繰り返しです。
 ただし、私は「悪き断念」ばかりを見てきたのです。
 それも本人は気付いていない。後で気付く。そのときは後の祭り。失敗にはパターンがあるから、見ていて自分のことのように悔しいんです。

 森田も世間をナメてないで、与えられたものに感謝し、もう少し何かに本気になってみたら? 本気じゃないから、世間が面白くない。将来が不安なのです。何に怒っているかわからない怒りがあるんです。実はその怒りの元は自分にある、ということを誤魔化すために。私も学生の頃、そう思った経験があります。

 だから、これは森田だけじゃない。特にシラけた若い人たちに言いたいことです。
 私は敢えて言う。

「諦めるな! 本気になれ!」


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2008年02月07日

2/6の作劇ゼミ【雑学のススメ】

 中山市朗です。

 6日の作劇ゼミは予定を変更して、雑学のススメを講義しました。
 マンガ家志望なら、マンガ以外、小説家志望なら小説以外のものに興味を持つこと。それが作家としての武器になる。これは私がここで何度も言っていること。

 これは別に私だけの考えではありません。
 手塚治虫は「マンガ家になりたいのなら、マンガは読むな」と言いました。
『頭文字D』のしげの秀一さんもマンガ家になる秘訣は、「マンガ以外に興味のあることを5つは持つこと」と、これは私が本人から直接聞いた言葉です。
 SF作家の大御所、小松左京は情報や知識を蓄積し、創作に転化させるための書物の乱読を『未来からのウィンク』という若者に向けて書かれたエッセイの中で勧めています。
 大学時代は宮川一夫(『羅生門』『用心棒』などの映画カメラマン)先生から、いい映画も悪い映画も、とにかくどんどん観なさいと言われました。

 それはわかっているんだけど、何から手をつけたらいいんですか?
 どうすれば歴史やサイエンスに興味を持つことができるんですか?

 と、塾生たちから質問を受けることが多くなりました。
 まあ、自覚を持ち始めた現われだと思います。
 特に私が受け持っている小説もシナリオも、塾生たちにはまず書かせますから。
 書くと具体的に知らなきゃならないものが膨大にあることに気付くんです。
 私も未だにそうです。
 書かなきゃ、これに気がつかない。

 本を読めとか、映画を観ろと聞いて「私はマンガを描きたいので関係ありません」という人が必ずいます。よっぽど才能のある人か、全然描いていない人でしょう。

 でもねえ、本当にこればっかりは乱読、乱観しかないと思います。それ以外の方法があるんなら私が知りたい。
 よくある質問が、「SFを書きたいんですけど、どんなSFを読んだらいいですか」とか、「恋愛モノを描いているんですけど、どんな恋愛映画がありますか」というようなこと。
 SFを書きたいと言うてる人が、どんなSF読んだらいいですかって言ってる時点で手遅れやと思いませんか? どんな恋愛映画ありますかって、恋愛の出てこない映画を探す方が難しいやろが!
 やっぱり、普段から乱読、乱観。だいたい本が好きやから作家になろうとしているんじゃないの? この辺りがよぉわからん。

 で、難しいんですけど、私が学生の頃、あるいは作家になる前は、何を読んで、何を観て、それがどう現在の作家稼業の中に生きているか、という話をしました。

 映画の世界を志していたので、まず大学の学科中で一番多くの映画を観ることを実践し、一番多くの映画を撮ることを心に決め、4年間で、6本の監督作品を発表しました。質はわからんけど、数ならわかる。数で勝負したのです。同学年では私より映画を観て、私より作った学生はいませんでした。何かでナンバー1になること。これはこの世界の鉄則。
 そして黒沢明という人が、私の神のような存在だったので、映画は全作(ビデオの無い時代です)3回以上観たのはもちろん、彼に関する著作物、論評、解説、インタビュー記事なども全部読み、彼が影響を受けたというロシア文学も片っ端から読みました。
 映画も邦画からハリウッドのスタンダード、イタリアのネア・リアリズモ、フランスのヌーヴェルバーグ、アメリカのニューシネマ、アクションから歴史劇、文芸もの、メロドラマ、サスペンス、西部劇、ミュージカル、SF、ホラー…片っ端から観た。

 これらは今となっては私の財産です。

 その中でも『ベニスに死す』という映画に衝撃を受けました。イタリアの貴族出身のルキノ・ヴィスコンティ監督による'71年の作品。
 内容は簡単に言うと、崇高で純粋、完璧なる美を追求する初老の音楽家、グスタフ・アッシェンバッハが、療養先のベニスの地で、その崇高で完璧なる美を持った少年に出会って恋をしてしまうというもの。威厳あるものが、いち少年の前に自制心を失い、滅びてしまう話です。アッシェンバッハは最期には浜辺で戯れる少年を見ながら、コレラが元で醜く死んでいきます。音楽が流れます。美しすぎる弦楽の響き。なんだこれは! グスタフ・マーラー作曲の交響曲第5番の4楽章“アダージェット”の旋律でした。マーラーもこれで知ったのです。

 アメリカ映画には絶対にない、威厳、伝統、格式、美の象徴があり、それらが見事に象徴として崩壊していくこの世界観に、私は酔いしれてしまったんです。
 さっそくマーラーの交響曲のLPレコードを買い、トーマス・マンの原作を読みました。そしたら、あの映画の世界観を読み解くキーワードがたくさん出てくるんです。グスタフ・アッシェンバッハのモデルが実は、同じグスタフの名を持つマーラーだった。マンは、20世紀ドイツ文学を代表するひとり。マンとマーラーは親交があったようで、マーラーのイメージが主人公グスタフ・アッシェンバッハを模していることに興味がいった(原作では主人公は音楽家ではなく小説家なんですけど、ここも映画と小説という媒体の違いについて、1時間は語れる議題です)。
 そのマーラーの半生は、妻であったアルマ・マーラーが回想録を著述しています。あるいは、ルイ・ド・ラ・グランジュの記した『失われた無限を求めて』などを合わせて読むと、トーマス・マンやマーラーという人たちは、フロイトやクリムト、コジマ・ワーグナーやハンス・フォン・ビューローなどという人たちと共に、貴族社会が没落し、同時にパリ万博の開催からヨーロッパが世界に開かれ、近代化する産業や文化の中で苦悩し、喘ぎ、失望し、最愛のものには愛を捧げながらも、ものすごいエネルギーで芸術を生み出している。しかも、その芸術の表現方法は、新古典主義、ロマン派から印象派へと移行しつつあったんです。そしてまた、それは19世紀から20世紀へと移行する世紀末の時代でもありました。
 また、同性愛という概念。これは異性間の愛よりさらに純粋無垢な力であると解釈されるらしく、どうもこれは作者、トーマス・マンの実体験のようです。BLを描いている人たち、是非この作品に接してほしい。
 ともかく私は、この『ベニスに死す』という作品の得も知れない魅力の分析、解剖にとりかかり、徹底的に調べたわけです。
 そしたら、例えば印象派ってなに? と知る必要が出てきた。知るためにはその前の新古典、ロマン主義を知らなければならない。マーラーは印象派の時代に生きた後期のロマン派の音楽家やったんです。で、ロマン派ってなに? を知ろうとすると、バロックを知らなきゃならない。でも、その前にルネッサンスがあって…と、ヨーロッパの文化と芸術の形態をいつの間にか追っていたんです。そこで気がついた。ルネサンスでギリシア・ローマの美の復活を叫ぼうが、バロックで聖人が庶民の形に描かれようが、ロマン主義で再びギリシア・ローマの復権運動が起ころうが、印象派で写実主義が否定されようが、その中心にあるのが教会という神の象徴であり、そこには聖書があったんです。つまり聖書なしにはヨーロッパの文化も芸術も、思想も哲学も理解できない。それに気付いたんです。だから『聖書』が読めた。いきなりクリスチャンでもない日本の若造が『聖書』なんて読めるわけがないし、読もうとも思わないですわな。
 マーラーという人はユダヤ人であることが創作上、不利であると考え、ローマ・カソリックに改宗した人でもありました。
 で、 『聖書』を読んでいるうちに、聖徳太子の研究をやることになった。聖徳太子を追っていくと、仏教、神道を通って最後には古代ユダヤに行った。これはまさに『聖書』の世界。言うたら『ベニスに死す』と『聖徳太子』が聖書を媒介として私の中で繋がったんです。ちなみに、この聖徳太子、仏教にあらず渡来系の海族であった…。その海族の宗教概念こそが四天王寺の牛王尊の祠に隠されたミトラ神であり…なんていう私の追った聖徳太子の正体の解明を小説形態で記した『捜聖記』が4月に角川文庫から改訂出版される予定です。(宣伝)

 とにかく『聖書』は1冊がボロボロになるほど読み込んだ。そしたら聖書もまともに読まず、ただ教えられた教義だけで私を勧誘しようとした『もの○の塔』とかいうキリスト教信者の勧誘のやり方にはうんざりしました。聖書はそういうこと書いてな〜い!

 「『聖書』をちゃんとお読みになってから来て下さい」と再三追い返しました。
 言っておきますけど、聖書は読んでいても、キリスト教の信者では決してありません。

 ともかく『ベニスに死す』という作品は、私をヨーロッパ文化の形態と歴史、聖書の世界へと誘ってくれたわけです。もちろんヨーロッパの歴史の掘り下げは終わらず、ギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読むに至るわけです。これがアシモフのSF大作『銀河帝国の興亡』の元だとわかり、さらに『銀河帝国〜』の世界観が『スターウォーズ』に応用されていることにも気付いたわけです。そうなると歴史が面白い面白い。そして聖書を元にキリスト教、ユダヤ教、イスラム教を読み解くと、今の世界情勢が裏から読み解ける。
 私の肩書きにあるオカルト(隠された叡智、という意味です。怪談とは関係おまへん)研究という看板を上げた根拠がここにあったわけです。
 ファンタジーを書きたいと言う人、『ローマ帝国衰亡史』は読んで絶対損はないです。確か文庫化されています。

 というわけで、乱読、乱観しろと塾生に訴えました。
 そしたら、いずれ、生涯を変える作品、あるいは作家に巡りあいます。

 クリエーターとしての思考は、そこから生まれるんです。
 


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2008年02月05日

2/1のシナリオゼミ

 中山市朗です。

 2月1日(金)のシナリオ講座の報告です。
 ※なぜ正式なカリキュラムにないのかは、昨年10月22日づけの私のブログをお読みください。

 いつもは『新耳袋』を原作として、BS-iの『怪談新耳袋』の枠を想定して脚色し、みんなで合評しています。
 この日はちょっと趣向を変えまして、講義形式としました。
 私がシナリオを見るとき、内容もそうなんですが、映像化が可能かどうかを重要視しています。シナリオは映像化されてはじめて意味を持ちます。しかし映像化されるには色々な制約があります。まず予算。この映像はどのくらいの予算でできるのか。これ、ものすごく大事なことです。ロケ中心か、スタジオ収録か。ロケを中心とするなら、それは可能なのか? スタジオの予算はどれくらい? キャスティングは? 媒体はなに? ターゲットは? そういうことも質問し、塾生たちに考えて書いてもらっています。これも大事なシナリオ作業の一環です。学生映画と商業用映像の違いはここです。
 本当は、書けたシナリオをもとに映像にしてみるのが一番なんですけど。
 それは強制しません。

 実は私もBS-iの『怪談新耳袋』の脚本、監督をしています。そのとき私が書いたシナリオをテキストにして依頼があって、初稿が上がって、プロデューサーからのダメ出し、稿を重ねる、準備、打ち合わせ、最終稿、準備、ロケハン、キャスティング、衣装合わせ、演技指導、本番、編集、音響といった作業までを細かく説明したわけです。

 私が担当したのはファーストシーズン。1本、4分40秒。それが20本のオムニバス。各々の監督が『新耳袋』を題材にその時間内で、どれほど怖い映像を撮るかの腕比べです。
 そのときのラインナップが凄まじい。
 
 『呪怨』の清水崇、『リング0〜バースディ』の鶴田法男、TBSドラマのヒットメーカー吉田秋生、それに三宅隆太、豊島圭介に俳優の佐野史郎といった人たち。
 私もその中に入って同じ条件で勝負をしたわけです。

 私は、『第一夜』の第九十九話「百物語の取材」を選んだ映像化を試みました。これを選んだのにはもちろん理由があります。
 私の武器はなんだろう、ということ。
 映像だけの勝負になると、ハリウッド進出目前だった清水監督や、「ほんとうにあった怖い話」シリーズをずっと続けてきた鶴田監督に長があります。彼らになくて、私にあるもの。それを考えると、怪談、という結論が出ました。怪談なら、テレビやラジオでもライブでも随分とやってきました。「百物語の取材」は、その怪談会が舞台。原作では登場人物たちは具体的な怪談をしていませんが、映像の中で語らせてやろうと思ったわけです。
 まず原作では主人公は男ですが、女性に代えました。
 最後絶叫するのですが、男の絶叫なんて見たくありませんから。それに女優さんと仕事したい(本音)。

 内容は、彼女が編集長の命令で古寺で行われている百物語の取材に来る。
 怪談を語る人たちは、実はこの世に生きていない人たち。それが「私はこうして死にました」と言って怪談を語る。最初はそういう趣向かな、と思っているうちに、彼らは本当に死んだ人たちだとわかってくる。そして彼女の番。「さあ、あなたはどうして死んだんですか?」と問われて「私は生きています」「生きた人間がここにいるはずないでしょう」「さあ、どうして死んだのですか?」「言いなさい」……そこで彼女は絶叫します。「私が死んだのは!」

 原作では気がついたら雨の降る墓地だったというものでした。
 初稿は、やや原作に忠実だったんです。アパートに編集長から電話があって、真夜中に車を飛ばして寺へ行く。そこで百物語が行われて……という内容。

 鈴木プロデューサーからのダメ出しは、「アパートを削ってください」
 アパートのシーンを撮るのに、アパートかスタジオを借りなければならない。そんな時間も予算も余裕はない。削りました。「車の部分も削りましょう」「墓地いりますか?」「削りましょう」
 つまり、予算や準備が大変だから、一ケ所でやっちゃうことを考えましょうよ、というのがプロデューサーの考え。だから最終的に、お寺の中だけのドラマになったんです。
 このほか、ちょっと理不尽な書き直しも指示されました。例えば、出演していただく役者さんたちの事務所の関係やランクなどから、セリフを多くしたり、少なくしたり。昔の大部屋の感覚がまだ残っていた。まだ芸能界ってそういうところあるみたいです。また、これはテレビドラマ(関西の毎日放送ではオンエアされていませんが、関東のTBSではオンエアされた)ですから放送コードとか、自主規制でちょっとこれは遠慮してほしいとか。
 自主映画は随分撮りましたが、これは好きに撮れた。友だちや知り合いがスタッフや出演をしてくれているから、頼み込めばなんとかなる。でも、プロの世界には制約がある。役者やスタッフの拘束時間は決まっている。予算はオーバーできない。様々な制約、規約がある。
 そういうことを考えながら、その枠内で表現するわけです。
 その書き直しの変換をわかってもらうために、初稿、三稿目、完成版、台割(カット割りの指示)の入った現場台本など、本来見られたくない極秘資料を塾生たちに配って、どこをどう直したのか、どういう指示があって、どう従ったのか、その意味は、ここはどうしてこうなったか、など詳細に説明しました。
 そうやって出来上がったシナリオは、映画やドラマの設計図になります。
 設計図を元に、カメラワークやカット割り、演技についてはもちろん、衣装や小道具も明確にしておかなければ、衣装さんやメイクさん、美術さんに指示ができない。明確にするということは、そのキャラクターをきっちり作りこんで、画面には出ない過去や生活、趣味趣向、考え方なんかの設定をきちんとしておくことです。
 これを考えていないと「なぜこの衣装なんですか?」「この小道具の意味は?」なんて担当の人に突っ込まれます。「なんとなく」じゃあ、こいつ考えてんのか? と馬鹿にされちゃいますし。画面を見てもなにかしっくりこないものになる。そうなると、衣装のこと、小道具のこと、時代や流行、色彩、コーディネート、それを引き出す方法など、知っておかなければならないことがたくさんある。私の場合、主人公はジャーナリストでしたから、どうすれば見ただけでそれがわかるか
、とか。死んだ人たちの過去も作った。生きていたとき、どんな人物だったか。なんで死んだのか。など作りこんだんです。でも、映像になったのは氷山の一角。

 いやいや、これは映像だけのことやない。
 マンガも一緒。
 マンガのキャラクターたちも衣装は着てる。メイクもしてる。小道具も持ってる。時代背景や様々な設定の上にそれがある。連載持ったらアシスタントに指示するのもマンガ家先生の仕事。これ、映画監督と同じです。
 マンガの勉強だけやっとっても、マンガ家になられへん原因は、そこです。

 てな話をしました。
 ここには書き切れませんが、このとき、出演していただいた黒谷友香さんやスタッフに関する面白エピソード、編集時にあった恐ろしい出来事など、ぶっちゃけトークも。

 最後に完成した作品をキングレコード発売のDVDにて観賞。
 
 そしてもう一本。これは『怪談新耳袋』でも指折りの怖さだと私が思う高橋洋さん(『女優霊』『リング』シリーズの脚本家)の『庭』も観賞しました。


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2008年02月02日

前世

 中山市朗です。

 占いは信じない、と28日のブログに書きました。
 では、前世は? と聞かれました。

 これ、なんとなくですけど、あるんじゃないかと思うんです。
 全然根拠ないです。

 ただ、宇宙が誕生して137億年(というのが最新のデータ)
 太陽系の年齢が48億歳。
 地球の年齢が45億5000万歳。
 多細胞生物が生まれて10億年。
 人類が誕生して400万年。

 などという歴史が連綿と続いてきて我々の生きている時代がその最先端にあるわけです。いわば今、ここに生きていることが奇跡なんです。ちょっとでも過去か未来にずれると、もう私という存在はない。

 当たり前のように生きていますから、みんなそれは当たり前だと思っていますが、これ全然当たり前じゃないんです。

 歴史のどこを輪切りにしても、自分という存在はない。今、ここにしか。
 でも歴史を輪切りにしたら、どこかに自分は存在している。そんなふうに考えるんです。そうなると自分が今、ここに生きていることは奇跡じゃなくなる。戦国時代にも自分はいた。平安時代にも自分はいた。古代ローマの時代にも古代バビロニアの時代にも…。
 まあ、どこでなにをしていたのかは知りませんけども。
 だから、今度は何世紀か未来にも私はいる。そう思うんです。
 ほんまに根拠のないことを言っています。

 でも、前世があるなら自分の存在は奇跡ではない。
 前世を否定したら、自分の存在は奇跡になる。
 前世を信じるか、奇跡を信じるか。
 さあ、あなたはどっち?

 これ、つきつめたら哲学になります。

 でも、当たり前だと思っていることをよく考えると、全然当たり前じゃないことってたくさんあります。月なんて、夜空にあるのは当たり前。でも、この地球の大きさに比べて月は大きすぎるんです。自然にはありえない。でもある。あるから潮の満ち引きが海に起きて、生命が誕生して陸地にあがった。暦もできたし、生物の繁殖も月が大きく影響する。地球から見た月と太陽はほぼ同じ大きさなんです。だから日食も起こる。そのとき、ダイヤモンドリングも起こる。月がなかったら、我々は違う生命形態になっていたはずです。いや、海に閉じ込められたままだったかもしれませんね。そんなこと誰も考えないですけど。

 話が飛びました。前世でしたね。

 実は、前世があったことを示唆する証言や記録はわりとあって、特に以前ロンドンのある大学で教授をやっているという人からも、そういう資料はロンドンの図書館にいっぱい保管してあると聞きました。エジプト人の水戸学を学んでいるという学者からもそんなことを聞きましたなあ。ちょっと私も色々調べたことがあるんですが、面白い記録がたくさんある。またそのことは、いずれ。

 でも前世占いとか、江原なんとかさんの交信で出てくる前世は全くデタラメだと思います。
 私の知り合いで、前世が豊臣秀吉やと言われた人が3人。徳川家康が1人、エジプトの女王が1人、印象派の画家が1人、インドの富豪が1人、新撰組の1人だったというのもあります。んな、ばかな。

 確率で言うと、中国で生まれた、という人が一番多いはずですわな。
 その中でも百姓とか苦力(くーりーと読みます。手に職を持たない単純労働者のことです)とか、奴隷だったとかね。そんな前世だったと言われた人、1人もいない。
 もっともそんなこと言われたら、あんまりいい気はしないですけど。

 だから占いは信じないけど、前世は信じたい。そう言うと、「えーっ、わけわかりません」と言われた。


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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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