2008年03月

2008年03月27日

3/26の小説技法

 中山市朗です。

 26日の小説技法の報告です。
 合評です。

 今日はFくんが仕事でお休み。

 まずはOくんのオタクが主人公のコメディ小説。
 前回指摘されたノリの悪かったアクションシーンのテンポがよくなって、最初に書き始めた頃から比べると、格段にいいものになりました。

 読みやすくなって、次が読みたくなったという感想も出て。
 ただ、ここで問題となったのは、オタクである主人公のこだわりを書き込むべきか、そこはスルーしてよいのかということ。
 つまり、オタクの男の子のこだわりというものは、ちょっと普通の人と違うところにある。例えばOくんの作品には、オタクの祭典で大爆発が起こる。このとき主人公は、背中を抉られ、身体のどこかがちぎれた感覚がして息ができない…という状態で燃える超人気サークルの同人誌を見て「もったいねぇ」と思っている。あるいは瓦礫の山の下敷きになっているセーラー服の女の子を見て、異常なまでの力を発揮し、火事場の底力で彼女を救い出す…

 ノーマルな塾生はそこの説明があった方がいいんじゃないかと指摘するんです。商業用の小説を書くならば、なるべく大勢の人に読んでもらうスタンスがいる。これはよく私が指摘していること。だつたらオタクじゃない読者にわかりやすく説明なり書き込みをした方がいいんじゃないか、という意見。

 でもここが難しいところで、そこを書き込みすぎるとリズムも狂うし、野暮ったくなる。ある程度読者に想像させる部分も重要なのです。
 それより、オタクの人が読んでいて「そうそう、そうだよね」と思わせることが大事。気にしないで、もっとそのこだわりはあっていいと私は示唆しました。
 Oくんはとりあえず、第一章は完成。
 次は第二章へ続きます。

 Iさんの文芸調の小説も、塾生から「ここはこういう表現か」とか「セリフはこうした方がいい」という指摘もありますが、まあ、弁当箱の隅っこを突付いているような次元になつています。つまり、もうほとんどの門だがクリアされてきているということ。

 第一章、第二章合わせて原稿用紙で100枚近いものでしたが、よくまとまって、なおかつ主人公の心情が説明じゃなく、ドラマの中で展開しています。次なるステップ第三章へとうす無ように指示しました。

 Nさんの官能小説は大幅に変更。
 テーマは『変態性欲者の罪』あるいは『救いはあるのか』だそうです。

 いきなり始まる豚小屋でのセックスから近親相姦を思わせる心中事件のエピソードへ繋がります。そして葬式とくれば、死姦を思わせるんですが、そこまではいっていない。「このお葬式という場面は使えるだろう」と他の塾生たちからはアイデアがいくつか出ましたが…

 Nさんには、バゾリーニ監督の映画を観ることをお勧めします。
 『アポロンの地獄』(母と息子の近親相姦)、『テオレマ』(性的道徳の崩壊)、『豚小屋』(人間の離反と錯乱)、『ソドムの市』(性と快楽の狂乱と人的崩壊)といった作品があります。観ておけば、やろうとしていることのヒントとなり、想像を絶する世界を見ることができるでしょう。

 Tくんの“クリエイターズファイト”の世界を描く小説は、以前にも指摘した通り設定が甘く、壁に当たっているところ。登場人物の履歴書と小説の世界の設定と年表を書いてきてもらったんですが、あれあれキャラが小説とは別人になっているし、矛盾が解消されていない。設定をひねっているうちにいらんことを考えたようです。

 もう一度最初からやろうとした原点に戻ること。

 ということで、みんな考え、悩みながらも書いています。ひたすらに。
 課題だけじゃなく、Iさんは投稿用の小説をどんどん修正しているところですし、Nさんもコメディ調の短編を書き上げては私のところへ持ってきます。Tくんも不条理ものの小説を書いているようですし、Oくんは同人誌?

 お休みだったFくんも、どんどん企画を立案して色々営業をかけているようで。一昨年なんて、課題を上げるのにヒーヒー言うてた塾生がほとんどやったんですけどね。

 忙しい人ほど、どんどん作品を書いて、暇な人ほど何もしない。
 これ、長年若い人と接してわかった法則です。
 

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2008年03月26日

第七回『怪談の間』終了!

 中山市朗です。

 ちょっと報告が遅くなってしまいましたが、23日の第七回『怪談の間』が無事終了しました。
 参加してくださったお客さん、ありがとうございました。
 また、スタッフとして参加してくれた塾生諸君もお疲れ様でした。

 今回は夕方5時30分からという「黄昏怪談」だったわけですが、そのせいなのでしょうか、お客さんの数は50名足らずといつもより少なめ。
 ただし、円座となって膝突き合わせながら怪談を聞き語るという当初のコンセプトにいちばんピッタリと来るのが、このくらいの数なんですね。
 けっきょく、お客さんの語りが一周した頃には、もう時間はわずか、ということはみなさん積極的に怪談を語ったということ。私としてはラストの、少し妖怪がかっていて、しかも怖いという漁師の話が印象に残りました。その方の喋りのテクニックもなかなかのもので。
 打ち上げに参加(ほんとうはここからが怪談の間の真骨頂なのですが)していただいたお客さんの数はいつもと変わらず。20話くらいは体験談があると言っていた男性の方からいくつか取材させていただきました。
 いつもより早い時間に始まった打ち上げ、しかも翌日は平日ということでしたので、みなさん電車でお帰りかな、と思ったんですけど、結局お客さんの(というか私の?)要望により、私の書斎でオールナイト。十数名が居残り、鍋を囲んで体験談、霊スポットの噂、霊のメカニズム(?)といった、ここならではの話が延々と続きました。
 なんでも博多の某ホテルのある部屋には、必ず幽霊が出るのだそうで。
 行ってみよう、なんていう話が出ましたが、私は本気で行きたい!

 今回は塾生の参加も多かったんですが、怪談の魅力と取材の重要性にようやく目覚めたようです。懸命にメモを取る姿が見受けられ、そこをお客さんにも茶化されていましたが、結構結構。ただ、話を聞くためには、話をする、ということが大事。お客さんのパワーにタジタジしているようではまだまだ。いや、ちょっとお客さんが濃すぎた?
 パワー全開のまま、全員がお帰りになった時はもう昼が近かった・・・。
 朝方に空けたとっておきの新品のウイスキーもあっという間にカラになって。
 ふぅ。
 でも、ほんま楽しございました。


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2008年03月20日

3/19の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 19日の作劇ゼミの報告です。
 最近、このブログに対して塾生からちょっとしたブーイングが。

「授業の内容、ブログに詳しく書かれると損した気分になります。あの内容はやっぱり受講している塾生の特権じゃないかって…」

 心配ご無用。
 授業でどういうことをテーマに、どんなことを取り上げたのかは書いていますが、そのテーマを具体的にどう分析し、解析して、何を提示したのかという核心は書いてませんから。

 さて、この日は6名から見学希望のメールなり電話をいただいていましたが、時間通りに来られたのはたったの1名。
 雨が降っているからか、道に迷ったか、気が変わったか、はたまた神隠しかと心配しましたが、4名が来られました。
 
 今回は特に濃い内容でしたが、どうだったのでしょう?

 今回は“恐怖の演出と表現について・視覚編”でした。
 前回は、文芸における怪談、ホラーについて講義をしたのですが、今回はそれを視覚としてどう見せると怖くなるか、がテーマです。
 つまり、映像とコミックにおけるホラー、怪談の表現法です。
 これ実は難しいんですよね。
 肉体に直接来る恐怖は別として、想像させて、怖がらせるために一番有効的なツールは、怖い話を聞かせることだと思うんです。
 怪談の根幹です。
 次が文芸。これもそれなりに難しいことは確かですが、話を聞く、文字を追う、とうい行為はまさに受け手のイマジネーションに委ねるわけですから、ツボにはまると本人にとっての最大の恐怖が生まれるわけです。自分が一番恐ろしいと思うことを想像しているわけですから。
 ところが、これを見せてしまうと、「あっ、こんなものか」と思われる危険性がある。つまり読者なり視聴者の想像を超えたものを見せなければならないわけです。
 見せながらも、なおかつ怖さを想像させなければならない。
 その方法論を今回は考えてみたわけです。

 実は映像に関してはすごいお手本があります。
 『呪怨』の清水崇監督のデビュー作『学校の怪談G』(関西テレビ)。この中に短編枠があって、3分の映像でどう怖がらせられるかの腕を試されたという『44444444』という作品。
 早速ビデオで試写。
 これを塾生たちはどう見たかです。ギョッと怖がった人もいましたし、ひょっとしたら、あの白塗りの少年に笑ってしまった人もいたかもしれません。しかしこの短編が認められ、清水監督はVシネで『呪怨』を撮り、やがてそれはハリウッド進出へと繋がるわけです。
 とすれば、この3分の映像にとてつもない恐怖の演出の肝が隠されているはずです。そうなんです。この映像はまさに恐怖を生み出すための装置としての論理的な演出がなされているんです。どういう演出かというと…、おっと、これは塾生だけの特権。

 清水監督は映画美学校で『リング』の脚本家、高橋洋さん、『CUBE』の監督
黒沢清さんに学んだそうです。その高橋さん、黒沢さんに加えて『ほんとうにあった怖い話』の鶴田法男監督、『邪願霊』の小中千昭監督らが構築したのが、小中理論と高橋さんたちが呼ぶ映像における恐怖の演出の体系化でした。これがあって『女優霊』や『リング』シリーズが生まれ、その理論を応用し、ある意味反逆したのが『呪怨』であったわけです。その才能ある映像作家たちの発見は、まともに見せても怖くない、ということ。そして普通のドラマと同じ撮り方をしても怪にはならない、ということ。
 
 高橋洋さんは言います。恐怖を喚起するに重要なものは、
 音、気配、空気、怖いカメラ位置、人間じゃないものの表現。
 つまり、人間じゃないものの表現、はどう人間が扮した幽霊を幽霊として描くのか、の方法になりますが、あとの要素は実は幽霊は出てこないシーンの表現です。
 まあ、なんとなくわかりますよね。
 でも塾生の中には、映画をやりたいという人はいないわけで、関係ねえじゃん、と思う人もいるかもしれません。
 ところが、音、気配、空気、怖いカメラ位置、人間じゃないものの表現、をすべてキッチリとマンガで表現した作家がいます。そのマンガ、とっても怖いです。
 ということで、拡大コピーしたそのマンガのコマ割り、擬音、構図、構成、そして霊的なものをどう絵にしたのか、を詳細に解説。

 ほら、映画とマンガは違わない。もちろん媒体は違うし、表現方法も違う。やり方も違う。しかし見せることでストーリーを展開させる。そのためのキャラクターがいる、ということは同じ。

 それに恐怖の体験談を聞き集めていると、なぜ、それが幽霊、あるいは異界のものと認知したのか、にある共通点があるわけです。
 だからそれを観てゾッとしたんだ、という肝ですな。
 それをそのまま映像やマンガに視覚再現すると、ある法則が生まれるんです。
 それを今回提示した映像もマンガも共通してちゃんとやっているんです。
 取材が大事、というところにも行きますわな、こりゃ。
 ともかくマンガを描くのに、マンガからパクってもしかたがない。辛らつな読者からパクリじゃん、と言われるのがオチ。でも、他のものからパクるのはありです。高橋洋さんも、以前お酒を飲みながら話したとき、山岸涼子さんのマンガの、あの表現方法が、なんとか映画で生かせないかと考えています、と言っていたのを思い出しました。

 えっ、拡大コピーして解説したとっても怖いマンガって、何か教えろって?
 だめです。塾生たちに怒られます…


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2008年03月13日

3/13の小説技法

 中山市朗です。
 
 12日(水)の小説技法の報告です。
 いつもの合評です。

 Fくんは東京出張でお休み。お土産はなにかな?
 前回初参加のT2くんもお休み。今月は来ていないそうですけど。
 代わりと言ってはなんですが、マンガコースのSくんが初参加。
 ここが我が塾の特色。
 マンガ家ならマンガ、小説家志望は小説、ではなく、色々と参加してみる。シナリオのコースもありますから、シナリオも書いてみる。ネトラジや奈良テレビの『怪談の間』を利用すれば、放送台本を実践で書く機会もあります。グローバルにやってみる。これが創作活動の基盤になります。
 
 塾の映像部門のスタッフをやっている森田や、小説家デビューをした菅野も、一時塾で講師をやっていた堤谷くんも、今塾で小説を書いているIさんもTくんも最初はマンガ家志望者だったんです。彼らに文章を書かせたり、映像を作らせたりしているうちに自分の道を見つけたわけです。
 私だって大学時代は映画監督志望です。まさか怪談作家になるなんて思ってもいませんでした。これも色々やってみたから開けた道。

 やってみないとわからないこともあるし、やってみて初めて「あっ、これ、おもろい。自分に合ってる」と思うものに出会うかもしれません。マンガ家を目指して、マンガだけ勉強して、挫折したらつまらん。絵が描けなくてもストーリーを考えたり、書いたりするのが好きなら、シナリオや小説家の道もある。文章を書くのがどうも苦手というなら、シナリオは文章能力じゃなく映像の能力で構築できる。小説がダメでも、エッセイやノンフィクションは書けるかもしれない。そんな風に色々やってみるべきです。そんなマルチな人を私は育成したいし、業界は望んでいます。
 だから私は、この人はマンガ家志望、この人は小説家志望、この人はシナリオ作家志望、というカテゴリーの枠には入れません。みんな同じクリエイター、作家という同分野という意識で接しています。

 もちろん私はマンガ一本と頑なにのめり込むことも大切です。
 まあ、チャンスは与えるよ、というのが私の教育方針。

 さて合評です。
 小説家が出版権を得るために繰り広げられる“クリエイターズファイト”の世界を描くTくんの小説は、今、壁に当たっているところ。ナンセンスコメディとしてのアイデア、世界観は悪くない。書き方次第で面白くなる。でも、設定と絡んでくるキャラがやや場当たり的なんです。これを修正するためにもプロットを書いてもらったのですが、やっぱり解決していません。特に主人公に絡む元妻で、出版業界の影の権力に居座る女性キャラが破綻している。彼女は主人公を愛しているのか、そうでなかったのか。ラストがこの女性の言葉で締めくくられているだけに、これは大きな要素なのです。
 Tくんには次回のこの時間には、登場人物の履歴書と小説の世界の設定と年表を作成して提出するように伝えました。

 Oくんのオタクの殿堂がテロによって爆破されるところから始まるライトノベル調のアクションコメディ小説は、当初の課題が随分とクリアできて読みやすく、すっきりしてきました。特にキャラの配置、エピソードの切り替え方、各シーンに与えるインパクトがちゃんと改良されています。

「Oくんが同人誌で発表している小説を読んだけど、あれは正直読むのがつらかった。けど、これは全然できが違う。驚きました」とは初参加のSくんの感想。

 ただアクションシーンの説明がやや、くどくてテンポを壊しています。表現を変えているだけで、これ同じことじゃない? とか、この説明もうわかったよ、という描写がまだまだ多い。ここをすっきりさせると、もっとよくなります。

 ただ私はオタクの心境やこだわりがわかるので、Oくんが各エピソードで何を書こうとしているのかはわかるんですけど、オタクの心境がわからないノーマルな(?)塾生たちは「ここはどうしてですか? だったらその説明を入れた方がいいのでは?」という意見が飛び交います。「うーん」と思い悩むOくん。よくわかります。

 それを書いちゃうと野暮なんだよな、という気持ち。
 
 でも、説明ではなくて、主人公の気持ちの中で何が優先されているのか、の演技をさせれば野暮ったくならずにそのこだわりが読者に伝わります。そのために、ここに、こういう一行を付け加えたら、と私のアドバイス。それだけで、みんなの疑問は解消されるはずです。

 Iさんの家族の幸福を探るという文芸調の小説は、だんだんこなれてきた感じです。主人公の女性は小説家志望。第一章は岡山の郷里でのお父さんのお葬式や彼氏との別れが描かれ、やや地味な展開になっていくだけに、主人公の登場シーンにひと工夫を、ということで東京神保町の古書街から始まるファーストシーンが加わることによって、主人公の小説家志望としてのキャラが立ち、躍動するようになりました。ほぼ合格です。Iさんは一旦最終章まで書き上げた上での調整なので、次回は私が示唆した箇所を修正した第一章と第二章を提出してもらいます。随分第一章が改善されたので、その流れを汲んだ全体のバランスとリズムをとることを意識すれば問題ないでしょう。
 Nさんの官能小説については、いきなりTくんが「Nさんは本当に官能小説を書きたいのですか?」と質問。
「初めて書くジャンルなんですけど、挑戦してみたいと思っています」とNさん
「エロくないですよね」とTくん。
 つまり官能小説が書きたいのなら、もっとエロに対するこだわりや、これはどうだという描写があるはず。でもこの作品にはそれが見当たらないので、本当に書きたいの? とTくんは質問したわけです。
 Nさんも、そこは模索中なんです。

「どうすればエロくなるんでしょう?」

 そこで塾生たちはヒートしていきました。

「人物の動作を書いているだけだ。もっと細かい指の動きを描くとか、伸ばす、を、はわせたとするとか…」
「主人公の性癖をもっと出すべきですよ。ちょっとこれでは無機質な感じです」
「ねっとりと、しつこい描写にならないと。これ、サラッとしてますよね」

 まあ、何をエロいと思うのかは男と女で違うだろうし、それこそ性癖も違う。要はNさんがこの小説を通して何を言いたいか、何を書きたいか、なんです。

 官能の快楽を肯定するのか、背徳とするのか。
 その根底に精神的な愛はあるのか、それとは無縁なものなのか。
 快楽を突き詰めていくのか、倒錯し崩壊していくのか。
 同性愛をどう捉えるのか、など。

 それによって、同じベッドシーンを描くにしても、選択するものが違うし、どう濃厚さを増していくのかの計算もいります。そして何より主人公への共感度が重要。おそらくその視点から、読者も官能の世界を疑似体験していくのでしょうから。

 Nさんのことだから大丈夫でしょうけど、めげずに再挑戦してください。

 いや、しかしみんな作品をめぐっての大激論。結構結構。
 専門学校講師時代から14年間。こんなに毎回ヒートする、しかも感情的ではない合評は、初めてです

 今、我が塾の合評が熱い!

 

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2008年03月06日

3/5の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 3月5日(水)の作劇ゼミでは、“恐怖の演出と表現について・文芸編”についての講義とあいなりました。まあ、私自身が今まで、いやこれからも追求していくであろう最大のテーマのひとつです。

 うちの塾生のことだから、さぞやみんな怪談やホラーを書いていることだろうと、周囲の方は思っていらっしゃるようですが、これが全然なのです。私が怪談作家であることは知って来るのは確かなのですが、だからといって、うちの塾で怪談やホラーを書きたいというわけでもないようです。

 現に私の小説技法を取っている塾生たちは、小説家が格闘技を強いられるというコメディ小説とか、幸せになりきれないでいる小説家の女性が主人公となって、本当の愛を生涯かかって模索するという家族愛をテーマにしたものとか、官能小説とか…。

 面白いことに、有栖川有栖さんの創作塾では、怪談を書いている塾生さんが何人かいるということです。

 もっとも、私といるといつの間にか怪談の魅力に気がついて、いつの間にやら怪談を書き出して、という塾生がいるのも確かです。
 特に最近、塾生たちが自主的に心霊スポットに行ったりしているようですし、そこで妙な声が入ったとか、映ったとかで盛り上がっています。まず怪談、ホラーを書くには闇の感覚をしることだろう、ということで。

 いずれ彼ら、怪談を書くようです。

 それはさておき。
 小説もマンガもシナリオも、人間を描くことは間違いありません。
 それは喜怒哀楽を描くということ、ということになります。人間のさまざまな感情をこの四文字の中に表しているわけです。この感情を描かないで、人間を描写することはできません。人間関係もこの感情により成り立っているわけです。

 だから喜怒哀楽なしには、ドラマは描けないわけです。
 でも、私は四大感情ではひとつ足らない、と思っているんです。
 それが以前、作劇ネトラジでもお話しました、怖、という感情です。
 恐怖の怖ですね。畏怖の怖、おそれおののくの怖、です。
 人間というのは、自分はいずれ死ぬのだ、ということを知っています。それは恐ろしい、怖いことだと誰でも思うことです。だから神を作り、宗教ができて、哲学ができた。また、恐怖にかられて人はさまざまな行動を起こし、嫉妬し、呪い、殺し、戦争をするということを繰り返しているわけです。また恐怖は政治にも使われ、人を意のままに操ったり、服従させるための道具にも使われ、恐ろしさから逃避しようと自殺までする人もいます。また畏怖する心があるから未知なるものに心を魅せられるというのも人間ならではの心理です。

 すべてこれ、怖、という感情があるからです。
 恐怖から逃れたい、だからこんな人生になった、という人もたくさんいます。
 借金、暴力、勇気の欠乏…こんなことも怖につながります。怖、が不安や逃避を生み出します。怖があるから、魔が存在し、崇める対象にもなります。
 怖、なしでは人間は語れないと思うのです。
 だから私は、人間の感情は五大感情。喜怒哀楽怖、だと思っています。

 いや、怖は人間の感情というより、動物の生存的な本能だ、と言う人もいるでしょう。フロイトなどはそう言っています。確かに生命的な危険は生きている動物のほとんどが感知するdしょうし、原始的な本能であることには間違いありません。けれども、それをいうなら、喜怒哀楽も犬や猫でも持っている感情です。

 人間はもうひとつの怖、つまり想像して恐怖するという大脳の働きがあるんです。たとえば暗闇の中が怖い、という感情ですね。なぜ怖いと思うのか。それは想像力のなせることです。

 闇は何も見えない。だから何かいるのではないか、という想像が入る。
 犬と散歩していて道に迷い、山の中に入ってしまった、としましょう。そのうちに夜になって動けなくなった。あたりは闇です。人はこの状況が怖いわけです。蛇や熊がいるのではないか、と想像する。いや、得体の知れない幽霊とか妖怪が潜んでいて、それが闇の中から出てくるかもしれない…。そこまで思います。
 面白いですね。ほとんどの人は、実際幽霊や妖怪なんて見たことはないはずです。でも、それを想像してしまう。その想像の産物に、ゾッとする自分がいる。
 犬は幽霊や妖怪を想像しません。ただ怪しげな物音とか、匂いといった生命に対する危険を察知したときのみ、ピクリと反応するわけです。犬が悪夢にうなされていた…なんて聞いたことありませんよね。
 
 この想像力は生理とは別にある恐怖であり、人間の大脳が生み出すフィクションとしての恐怖、なわけです。
 これ、セックスにも同じことが言えるんです。
 性という問題も、これは子孫繁栄のための生殖本能としてすべての生物に存在しているものなんですが、人間にはエロティシズムという想像の性の世界がある。生殖とは無関係な性の世界。官能、ポルノ、エロといったものも、人間の大脳が生むフィクションな想像力の産物です。

 ついでに、笑うということも人間だけが行う感情の表現ですね。
 これも以前ネトラジで取り上げたとおり、おそらく高い価値と低い価値という定義があって、それが崩れる、壊れる、吹っ飛ぶ、ということに滑稽を感じてそれが笑いを誘うわけなんですね。
 
 価値観を持つということは、知的な概念ですからこれも人間のみ持ちうる感覚です。それが笑う、という表情を生んだとも言えるのではないでしょうか?

 枝雀さんが言っていた、笑いは緊張と緩和である、というのは、そういうことでしょう。緊張という価値が崩れるから笑いが起こる。
 お葬式という厳粛な場で、前に正座している人の靴下が少し破れて指が覗いている、という状況で笑えてしまう。それでは不謹慎だと、その笑いを抑えようとする緊張が、よけい笑いたい衝動となる。そこで横の人がプッと小さなオナラをしたらもう腹の皮がよじれてきますよね。これが価値観の崩れです。

 前でお経を唱えている偉いお坊さんの頭にハエがたかる。価値観の崩れです。
 ボケとツッコミもある意味、緊張と緩和ですな。
 ボケとボケでは笑いは起こらないし、ツッコミとツッコミでも成立しない。

 恐怖の表現も、実はツボは笑いと似ているんです。
 緊張があって、緩和で笑う、というのと逆。
 緩和があって、緊張でグッと怖がらせる。
 緊張と緊張では、一時的には怖くても、長い時間は持たないわけです。
 だから私の怪談ライブでも、結構笑いもあるんです。で、笑いが起こるライブは結構空気が縮まるんです。

 エロも考えたらそうですな。
 昼は淑女、夜は…なんて言葉がありますが、えっ、こんなに美しく清潔そうな女性が、という価値観の崩れが、いっそうエロい想像を喚起させるわけでしょう?
 ギャップと言いましょうか。

 だから、笑い、エロ、恐怖は、エンターテイメントの肝なわけなのです。
 面白い小説、売れるマンガのヒントはここにあります。

 まあ新人のマンガ家で、ここ笑えないね、と言われたり、エロを描けと強要されたなんて話は山ほど聞いていますので、それは間違いありません。
 だから恐怖のメカニズムを知っておくことは、作家やマンガ家になるには絶対に不可欠、いや、あんまり他ではやっていないでしょうから、すごい武器になるはずです。
 にしては、世に氾濫する笑いやエロに対して、なぜか怖に対する世間の認知はまだまだやなあ、とまあ私がこういう立場やからということもあるんでしょうが、思うわけです。
 でも遊園地にお化け屋敷は必ず作られるものですし、絶叫マシーンなんていうものもその遊園地の目玉アイテムになるわけです。バンジージャンプとかスカイダイビングとか…。でもこれらはどちらかというと、肉体に直接来る恐怖。
 想像する恐怖とは、やっぱりホラーとか怪談小説、映画、コミック。

 で、この想像させる恐怖、が難しいんです。
 ただ幽霊を出せば怖い、恨み言を恐ろしい顔で言うから怖い、でもないわけです。

 では、過去において文芸作家は、どんなテクニックを用いて恐怖を描写したか、を分析し、怪談文学の歴史も追いながら講義したんですが、2時間の講義の予定が、気がついたら50分オーバー。それでもまだまだ足らん…というわけで当然ながら深いわけです。

 以前、私が専門学校の講師をやっていたときのことですが、小説家志望のUくんというのがいたんです。彼は人間を描こうとしない。やたら未来の設定がどうの、メカの仕組みがどうの、こんな見たこともない風景が…そんなことばっかり言っている。
「ちょっとお前、ホラーとか怪談の勉強してみたら?」と勧めたら「僕が書きたいのはSFですから関係ありません」と答えた。
 そーか、キミの書く小説には主人公が何かに恐怖する、怯える、畏怖するということはしないわけか、ということになる。SFなんて、未知なる存在、それは正か悪かわからない、というものが描かれるわけでしょうから、それに対して主人公が恐怖も畏怖もしないのでは、小説としての体裁を成さないはずなんですが、Uくんはそこを理解しないまま、何年も前に学校を卒業して…

 これもある学生。
 私が恐怖についての講義をすると、「先生、私怖いの苦手なんで授業出なくてもいいですか」と…
 いやいや、今日は怖い話をするんやなくて、その表現方法や分析をするんやけど、と言っても「私怖いのダメなんです!」と断然拒否されたこともあります。

 でもね、こういう人にこそ、恐怖ものを描いてもらいたい。
 怖いのダメ、というのはそれだけ想像力が豊かというわけですから。
 私の知っているホラー脚本家のあの人、あのホラー映画のヒットを飛ばした監督、したり顔でホラー小説を書いているあの人も、み〜んな異常なほどの怖がりでした。
 だから恐怖が描ける。

 私?
 昔はほんま怖がりでした。
 しかし、恐ろしいもので怖いのは、やっているうちにだんだん慣れちゃうんですな。今は少々のことは怖くない。
 私は一生幽霊を見ない、なんてある人に言われたし…

 ということで、次回19日は、恐怖の表現の続き。
 主にマンガ、映像での見せ方を中心とした講義となります。
 見学日でもありますので、興味のある方、参加できます!


 

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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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