2008年07月

2008年07月30日

本田透さんとの対談

 中山市朗です。

 昨日、作家の本田透さんと対談をしてきました。
 場所は東京都文京区にあります講談社の26階応接室。ここを指定したのは私で、以前『ヤングマガジン』の企画でここで怪談を語ったことがあったのですが、最中に天井から「むおーッ」という女の声がはっきり聞こえてスタッフがビビッて緊急にお開きになったことがある、いわくつきの場所です。

 本田透さんは『電波男』というエッセイ本でサブカルチャーのカリスマになった人。”人間が人間たらしめているものは想像力(妄想)が生み出す二次元世界であり、二次元なくして人間性というものはない”として、二次元、つまり脳内で妄想して作られる物語の構造について、色々ユニークというか、型破りなアプローチを論じている人なのです。
 といえば、ちょっと堅そうですが、要は「もてない男」「もてたくない男」を喪男(本田氏は「モダン」とルビをつける)とし、喪男こそがもてないが上に哲学をし、文学を書くのだ、もちろん喪男はその際、萌えの魂をもっており、ゆえに永遠にもてない。と論じられています。
 そーいや、以前浅尾良典さんと対談してて「そんなんやっててもてました?」という問いに「もてるわけありません」と言われたこととダブっています。私も怪談を語ったら怖いもの好きの女の子のファンが増えるかな、と思ったら、なぜか大部分のファンはオッサンたちなのでした…

 本田さんの近著『電波男は世界中にいた』は、梶原一騎も手塚治虫も荒俣宏もスーパーマンのクラーク・ケントも『ドラえもん』ののび太も、みーんな喪男。いやヒーロー資格こそが喪男であるとし、喪男『フランケンシュタイン』とイケメン『ドラキュラ』の構図も、果ては『神曲』のダンテも『罪と罰』のドストエフスキーもセルバンテスの『ドン・キホーテ』も、みんな萌え話だ、という文学論でありました。『本当は萌えるグリム童話』という男の子のためのグリム童話を出版されたのも、この本田先生。もちろん萌えのラノベ作家さんでもあります。
 で、そんな本田さんと私の対談て、どーいう組み合わせ?
 実は講談社の運営するWEBマガジン:講談社Mouraの「神秘の国日本・本田探検隊」の中の企画だというのです。「神秘の国日本」というと、昭和初期、シベリア出兵に従軍した大本営付武官が、なぜか日ユ同祖論に傾倒し、パレスチナを調査して茨城県の皇祖皇大宮に伝えられていたという謎の古文書『竹内文書』を公開し、その文献をもとに東北にピラミッド群を発見、またモーゼの十戒石やキリストの墓などの存在を日本に認めて、それを『神秘之日本』という雑誌に延々と掲載した日本のオカルティズム運動の先駆者、坂井勝軍先生を思い出してしまうのですが…わっ、サイトを見ると、本田さんは本当に青森のキリストの墓に行っているではないか! 私も行きたかった!
 で、私はそういうユダヤの話でもすればよいのかなと思っていたのですが、本田さんはそういう物語ができるメカニズムというか、なぜ物語(二次元)が作られるのか、に興味を持たれていて。
 やっぱりそのメカニズムを解くには「実話系怪談」の分析でしょう、ということで、まあ私にお呼びがかかったようなんですわ。
 延々3時間30分繰り広げられた対談は、近く講談社Mouraに掲載(塾のHPからも見られるようにしておきます)されます。だからここでは詳しい報告はしません。が、まあこんな話をしました。
 私は確かに物語は本田さんの言うように「二次元の産物です」ということには異論はありません。小説も映画もテレビドラマもアニメもゲームもネットの世界も二次元のものですわな。でも、実話系怪談はちょっと違うんです。
 こう考えてみましょう。

 ホラーと怪談の違いって? 

 この問題、よお聞かれるんですが私はフィクションがホラー、ノンフィクションの体裁を繕うのが怪談だと思うのです。怪談には体験者が不可欠です。それで実際の話として語られます。怪談を語るとき、「これ、今作った話なんだけど」という奴はいない。また話したあと、「これは嘘話でした」なんて言おうものなら袋叩きにあっちゃうかもしれません。実話と思うから恐怖が身近なヤバいモードになる。で、怪談で盛り上がったら霊スポットへ行ってみよう…なんて。SFスポットやファンタジースポットなんて、おまへんでしょ?
 だからSFやファンタジー好きの人たちは、ますます二次元の世界へ没頭していくわけです。霊スポットは行くだけで向こうから幽霊さんが現れてくれる。三次元の女の子は口説かなわかってくれへんし、ふられたら死ぬほどショックやし、そもそも口説かれへんから二次元の女の子に憧れるんやと。これも萌えを求めてどんどん二次元にいくしかない。
 でも霊スポットに行けば、幽霊はめったに出ないけどひょっとしたら勝手に現れて…頼みもせんのに祟るかもしれん、と、随分受動的態度でも楽しめる。
 『東海道四谷怪談』なんて鶴屋南北が1825年に初演した古典怪談。でもあれが未だに怪談たりえているのは「元は実話なんでしょ」というゾワゾワ感。「お岩さん」を「お岩」と呼び捨てにするのさえ憚れるこの恐怖。『四谷怪談』を舞台化なり映画化するときは必ず誰かが死んだり、怪我をするというジンクス。だから「於岩稲荷」にはそう、お岩さんがお祀りしてあります…やっぱりお岩さんおったんや、ということで、実話の痕跡を残しているところが不気味で、だから本気で怖いわけですな。
 『皿屋敷』にだって、実際にお菊さんの墓はあるし、お菊井戸もあったりする…。
 東京人がやたら怯える「将門の首塚」も…
 ひゃあ!
 『新耳袋』も場所は隠しているのに、熱心な読者は「山の牧場」だの「幽霊マンション」だの「天狗神社」だのと探し出して実際に行って写真を撮ってネットに貼付けて…ああ、ほんまや、とゾゾッとする。俺、そこ行ってきたでということが二次元の『新耳袋』と三次元にいる自分がリンクする。
 つまり怪談そのものは二次元なんですが、これを三次元的な再生に試みて、肌で恐怖を味わってみたい、という要求がかなえられそうな物語が実話系怪談なんです。
 実話の体【てい】、これが怪談の命、みたいな話を本田さんとしたんですけど。

 ところで、実話系SFというトンでもないものがあるって知ってます?
 日本人が書きました。
 冒頭で紹介した『竹内文書』というのがソレです。これすごいんです。
 一応皇祖皇大宮という一見、古代の天皇家と関係があるかと思われる茨城県にある神社は、実は天皇とは全然関係のない天津教の本部。ここから古来より伝承されていた古文書が発見された、という体で発表されたんですな『竹内文書』は。昭和11
年のことです。これがまた、なんと武烈天皇の頃、5世紀に書かれたものらしくて、アヒル文字、あるいは豊国文字などという神代文字で書かれているんです。漢字が中国からくる前、という演出? またその内容がすごい!

 ビッグバンの宇宙創世(ビッグバン現象が科学で提唱される遥か前ですぞ!)から始まって神話では神武を初代天皇とするところ、それ以前の上古代の天皇の歴史が書かれているわけです。それが地球を飛騨王国の王が治めていて、王は天の浮き舟(『未知との遭遇』のUFOみたいな)に乗って世界を巡回していたらしい。で、まあ天地異変(『日本沈没』どころじゃない)とか、人類の覚醒(『地球幼年期の終わり』ばりの)みたいなことがあって、人類史ができあがっていく過程が書かれているわけです。で、そういう中でシャカやモーゼ、キリスト、マホメッドが登場してモーゼは能登半島から日本に上陸してキリストは青森の戸来(へらい)村で死んだ、とあるわけです。んなアホな! と否定するのは簡単。しかし昭和13年昭和45年に皇祖皇大神宮の神宝が公開され、それが『竹内文書』の史実性を裏書きするものだった、というんですな。このとき、伝説の「ヒヒイロカネ(オリハルコン?)」で作られた「神の本魂剣」とか(錆びてたらしいけど)、モーゼの十戒石みたいなものもあったらしい。で、実話の体はここで終わらない。日本の超古代文明の存在の証として坂井勝軍は『竹内文書』の解読から日本各地にエジプトより古いピラミッド(広島県の葦獄山や十和田湖周辺に)を発見。さらに神学校を卒業して福祉の仕事をやっていた山根キクによる青森県戸来村でのキリストの墓発見! とまあ、二次元の『竹内文書』が次々と三次元化していくわけですな。
 でもこれ、すべては竹内巨麿という宇多天皇の後釜と名乗る皇祖皇大宮を祀った天津教の教祖が作った物語。当時はSFなんて言葉はなかったし、概念もないから物語を三次元化していったんですな。今で言うクロスメディア。それで読者ならぬ信者を募った。
 これ、戦後にはGHQによって神宝のほとんどは接収されてしまったという結末つき。

 でその戸来村(今は新郷村になっています)のキリストの墓を見たという本田さんに聞くと、どうやら地元はこれが村おこしになると本気らしいし、観光客も来ているらしい。何より、イスラエル政府がここに興味をもって後押ししているそうです。
 どうです、竹内巨麿の書いたフィクションを、イスラエル政府が本気(かどうかは知りませんが)になって三次元化しようとしているこの現実。
 涙、出まんな。



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2008年07月24日

7/23の小説技法

 中山市朗です。
 小説技法の合評です。

 いつも合評をしていますが、どういうスタンスでやっているのかを説明しましょう。あくまでプロとしての視点で原稿を書く。プロの小説家になるための修練です。

1、締め切り厳守

 課題提出の締め切りは厳守。一日でも遅れると次の合評では取り上げません。残業があろうが、学業があろうが、風邪をひこうが、急なバイトのシフトの変更があろうが、祟られようが(?)言い訳は無用です。
 えっ、風邪ひいたら授業に出られない? それでもメールやファックスがある。原稿だけは送れます。これは信用の問題です。
 締め切りが守れなくて「すみません。次回はちゃんと提出します」で済むのではあくまで課題や宿題のレベル。出版社は何があろうと猶予してくれません。雑誌掲載なら雑誌に穴を開けてしまいます。印刷所を止めたり、スタッフが原稿待ちで徹夜だったり、広告が間に合わなかったりと、周りが大迷惑と大損害を被ることだってあるわけです。
 まずそのことを肝に命じてもらうわけです。


2、テーマを明確に

 課題ですから縛りだけは設けます。しかしその縛りをどう解釈するのかは各々自由です。SFだろうがファンタジーだろうが、青春ラブコメ、歴史物、時代劇、ホラー、エロ、なんでもかまいません。ただしそれはジャンルです。そのジャンルを使って何を描きたいのかを明確にすることです。テーマですわな。そのテーマが作品の方向性を指し示します。するとアドバイスや添削場所がはっきりしてきます。何が言いたいのかさっぱりわからない原稿は、正直具体的なアドバイスはなにもできません。読むのもつらい。
 テーマが明確になって初めてそれにあったスタイル、文体、世界観、構成、キャラクターがイメージされます。
「一言で言うと、何がしたいねん?」
 私がよく塾生に言う言葉です。


3、小説をぶち壊せ!

 小説は正直、こうすれば小説だ、というプロトタイプはないと思います。私はどちらかというと、どこかで読んだようなものより、技巧凝らせた文体より、こんなんあり? みたいな、なんだこりゃ! みたいな新しいものを書いて欲しいと思っています。少々過激に表現すると「小説をぶち壊せ」です。えてして、そういうものは出版社には理解してもらえないように思われがちですが、明確なテーマと一貫したスタイルがあれば大丈夫だと思います。
 現に色んな編集さんに聞いてみても、新人文学賞で最終選考まで残る条件として、「今までになかった、何か新しいもの、こんなの読んだことない! 見たことない! みたいなものがあれば確実に残りますよ」と必ずおっしゃいます。そしてやっぱりヒットする小説って、そういう衝撃があるんですな。
 衝撃。これは私自身のテーマでもあるんですけど


4、小説をちゃんと理解する。
 
 「小説をぶち壊す」には、小説というものを理解しないといけません。知った上で既成概念をぶち壊す。あえて逆らった構成法をとってみる。別の手法を使ってみる…
 これは絶対に必要なこと。知らずにやると「お前、こんなことも知らんのか」と素人扱いされてしまいます。知った上でやると「そうきたか!」と感心されます。これ、紙一重なんですよね。要はちゃんと小説を読んでいるか、分析できているのか、ということです。プロの編集はそこを見抜きます。だからまずは小説をちゃんと読み込むこと。流行している作品を読むのも悪くありませんが、名作といわれるのは興味のあるものからでいいからおさえておくことです。そして小説をぶち壊すわけですから、小説以外のものにも接して、別の何かから引っ張ってこないと…雑学、知識、応用力、好奇心、いります! 人間、知らないものは書けませんから。


5、エンターテイメント志向

 合評のいいところは、作品を読んだ仲間たちから色々屈託のない意見が聞けることです。中には的外れな意見も出ます。でもそれが読者です。小説をぶち壊そうが、ええんかいなこれ、みたいな表現を使おうが、要は読者にその意図が伝わるかということ。全く伝わらなかったら、これはゴミです。マスターベーションです。作家志望者の8割、9割はこのレベルです。だからここではそうならないための合評をしています。つまり読者の視点から自分の作品をみつめること。客観的視点から作品を見ることです。要は人が読んで面白いと思ってくれるものを書く方策を身につける訓練です。えんたーていめんとに仕込んでいく思考を養うわけです。どんなに小説をぶち壊そうが、常軌を逸した文体であろうが、その中にも法則や一貫性や世界観はあるわけですから、そこをちゃんと守って書けることが絶対必要です。そこには法則があるんです。エンターテイメントの法則です。芝居、映画、小説、マンガ、アニメと見回して、そこに絶対法則がある。それは作劇ゼミの方で講義しているところですが、要は読者の興味を喚起させ、いかにわかりやすく展開させ、一種の興奮を読者に与えるためにはどう仕掛けるか、とうい技です。こえrがエンターテイメントです。もちろんその方法は作品の方向性によって違いますから、この合評ではそこの指摘をもっとも重要な課題としています。塾生たちもようやくそこがわかってきたようです。


6、デビューと継続

 この合評でめげずに書いて、ステップアップを繰り返すと、手元に自然と300枚ほどの原稿が残ることになります。300枚、文庫本一冊の量です。デビューするための最低条件はこの300枚の小説を書くことです。さて、問題はその原稿500円の値段がついて本屋さんに並んだとき、最低でも5000部売れるかどうか、ということです。見知らぬ無名作家ですよ。5000人ですよ! 5000売れなかったら、次はない。そう思って下さい。5000という数字は出版社が編集作業費、製本、印刷代、流通費、宣伝広告費。赤字を出した作家さんとはもう仕事をしない。ビジネスですから当たり前の話ですよね。自費出版、出版協力というのはこの経費を作者が持つ、あるいは出版社と折半というものです。実は大手出版社を除くと、書店に並んでいる半分以上の単行本はそれかなと思います。自費出版であれ、書店に一般書籍として並ぶのは、それはたいしたものです。ただ、それではいつまでも続けていられないだろうし、プロの作家ともいえない。本出して食ってかなきゃ。
 本を出した報酬、これがまた問題。
 500円の文庫本、5000部出版された場合、作家に入ってくる報酬は幾らでしょう? 最高でも10パーセントの印税ですから、25万円です。書き下ろしに原稿料はありません。三ヶ月かけて書いたものだとしたら、一ヶ月8万円。そこから税金引かれて…。
 
 えっ、食っていけねえじゃん。だからです。エンターテイメントに仕込む必要があるというのは。読者に面白い、ワクワクする、感動した、こわ〜っ、と思わせる技がいるんです。それがないと誰もあなたの本は買ってくれません。プロの作家とは、この技を持っている人のことを言うわけです。面白ければ読者はついてきます。1万部で50万円、10万部では500万円と、売れるほどに印税は増えます。それだけ売れたら出版社の編集さんは「先生、次は何を書きましょうか」と次の出版契約に迫ってくるでしょう。これがプロの作家。
 自分の書きたいことを書いて、わかってくれる人だけ読んでくれればいい。というのは素人のスタンス。それで売れる人もたまにいますけどね。でもまあ、それは宝くじを引くのと同じくらいの確率です。でも、それは売れても次がない。
 プロは作品を書き続けて、売り続けて、それで生活する。定年はありませんから。私が口うるさく言うエンターテイメント志向になれ、ということは、そういう意味なんです。

 まあ、以上のようなことを意識しながらの合評です。

 スペース上、今回は各自の作品評論はカット!

 

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2008年07月23日

『新耳袋・殴り込み』発売!

150b64ae.jpg 中山市朗です。

 もう店頭には出ていると思いますが、キングレコードから『怪談新耳袋・殴り込み!』DVDが発売されました。『怪談新耳袋』シリーズは拙書『新耳袋』を原作としたハイビジョンドラマおよび三本撮られた劇場映画(TBS BS-i/キングレコード)のことですが『殴り込み』はドキュメント映像です。『映画秘宝』との共同プロジェクトです。
 5月19日のこのブログで、少しその紹介をしていますが、

1、狐火が飛び交う古城! 兵庫県・T城
2、UFO基地なるか? 兵庫県・山の牧場
3、幽霊がでるマンション! 京都府幽霊マンション
4、伝説の魔境洞窟! 福岡県・J洞窟
5、死者の声が入るスピーカー! 福岡県・某公園
6、最強心霊スポットで本当に出た! 福岡県・I峠

 の6ヶ所による構成となっています。
 このうち1〜4までは『新耳袋』に書いた怪談にまつわる場所、5と6は新たな場所と思われます。このうち1と2は私がナビゲーターをして出演しています。
 T城とはわが故郷、兵庫県朝来市の竹田城のことです。
 出てます。不思議な光がぴゅんぴゅんと。撮影時もこれは確認していてスタッフは「オーブが出た!」と大騒ぎしていたんですが、ちょっと待て。オーブってなに?
 ご存知の方教えてください。オーブなんて言葉、我々が『新耳袋』を最初に発表した頃には確かになかった言葉です。いつからオーブなどという不可解な心霊用語が?
 写真に撮られた謎の光体のことをどうやら「オーブ」というらしいですけど。どうもこの言葉と現象、うさんくさい、そう思っています。
 実は以前、プロのカメラマンの人にこのことを尋ねてみたんです。
 するとどうやら、安いデジタルカメラは画素数を性能的に相当無理しているようで、例えばひとつの埃がたまたま光が当たったりしたものが画面上で感知されると、その光を画面のあちこちに勝手にコピーしてしまうことがあるらしいんです。そういや以前、うちの塾生が心霊スポットで有名な関西のK廃ホテルを撮ったところ、いわゆるオーブだらけ。しかも携帯のカメラに限って多く写ってる。あそこ埃だらけでした。つまりそういうことですな。
 どうりでオーブという言葉はカメラがデジタル化したあたりから使われだした。そして素人には撮れるのに、プロには決して撮れないというメカニズムもそこにある。
 だから、現場でスタッフにあることを禁止したんです。それは「オーブ」という言葉を使うな! そしたら今回の映像では狐火という表現になっていました。
 ただ、映っている発光体は本当に不思議なものなんです。カメラのせいじゃない。ビデオにもちゃんと映っていて、動いています。
 まあ、みなさんの目でご確認を。

 ところで以前、うちの塾生がこの竹田城に霊探査に行ったことも書きました。「別に何もありませんでした」という報告だったんですが、今回のDVDを見せたところ、「あれ、こういう光なら見ましたよ」と、ざわついてきたんです。特に夜中、Nさんが懐中電灯をひとつ持って城内を周って帰ってきたときに、ずっと懐中電灯の光がふたつあったというんです。でも懐中電灯は一灯。他に光があるはずもない。それに、今回DVDに映っていたような動きをする光も、何人かの塾生は何個も見ていたようなんです。
「何もなかった言うてたやん」と言うと「だってまさかと思ったんです。で、言っても信じてもらえんかなと、胸の奥に閉じ込めてしまいまして…」

 「山の牧場」もオフィシャル映像としては初めて本格的に紹介された映像です。体験者の私が同行していますから確実です。二階建ての建物なのに階段がない。無理矢理壁に開けられた巨大な穴、お札が大量に貼ってあったと思われる跡、「たすけて」の文字…
 やっぱりなんだかわかりません。まあ二十数年前の独特の不気味さは薄れていますが、それでもスタッフ達は「なんだこれは!」を連発しておりました。不思議な現象(スタッフが言うには、スカイフィッシュ? だからなにそれ!)が私が立っている前に現れたのがビデオに映っていると現場では騒いでいましたが、なぜかDVDにはその映像はなかったなあ…

 でも最大の見ものは福岡県のI峠。
 豊島監督は編集していてどうも気づかなかったらしく、映像特典としてある映像が収録されています。これは、ちょっと怖い…

 できたら部屋の電気を消して、ひとりでご覧下さい。

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2008年07月17日

京都祇園祭にて

 中山市朗です。

 怪談の新作本、この夏は出ないのですかという問い合わせがよくあります。
 すみません、実は別のものを執筆しております。
 以前、私が聖徳太子の正体をフィクションの体裁で出版した『捜聖記』の姉妹編にあたるものです。これがテーマも構成もちゃんと頭の中にあるのですが、一筋縄とはいかず、非常に苦しみながらの創作となっています。
 なんせ舞台は18世紀のウィーン。登場人物に日本人はひとりもいない。
 そしてフリーメーソンの表と裏、モーツァルトの秘儀オペラ…
 ここに『捜聖記』で示唆した聖徳太子のある秘密が関係してきます。
 と、まあ、膨大な資料を読み漁りながらの執筆です。
 『捜聖記』では蘇我ではなく物部の本家、海部氏の血を引き、新羅の花郎(ファラン)という組織に繋がる、仏教ではなくミトラの秘儀を奉じていた聖徳太子を提示しました。まあストレートには表現していませんが、読む人が読めば、聖徳太子の血縁は遠くヘブライにいくと思われるでしょう。

 さて、昨日の授業が終わってすぐ京都在住の塾生Fくんに連れ立って、塾生数人と祇園祭の宵を迎えている京都のある町屋に行ってきました。祇園祭そのものは誰でも見に行けますが、その裏の事情が見れたり聞けたり、という機会はそうはないでしょう。
 実は『捜聖記』を書くにあたって、平安時代以前の京都を色々調べ、同時期に京都チャンネルの『京都魔界案内』のテーマ出し、構成、出演をやっていたこともあって、関西テレビという名目でかなりの郷土史研究家、作家、宮司、住職、祭の主催者、地元住人にお話を伺い、門外不出の古文献なども拝見、コピーさせていただいたんです。東京の国立図書館、東大と早大の図書館、片っ端から関係文献を漁って。
 すると、やっぱり古代の日本と『聖書』の民ヘブライとの関係が、直接ではないけども示唆されるものが膨大に出てきたんです。

 で、祇園祭。これも多分怪しい。

 まあこう言うと、オカルト好事家の語呂合わせと思われるでしょうが、祇園祭本番の7月17日はノアの箱舟がアララト山に漂着した日。で、船鉾がある。ギオンとシオン、スサノオ=牛頭天王の蘇民将来の伝説と、ユダヤの過ぎ越しの祭りの奇妙な一致点、今はなぜか消えた八坂神社の蘇民将来の護符にあった六芒星、さらにはヤサカはヘブライ語で「神よ!」という意味…と、まあこの謎のひとつでも解けないかな、と思ったわけです。
 町家の人に案内されて、目の前で山鉾を開設つきでじっくり鑑賞。中でも船鉾はやっぱりアークに似ている。インディ・ジョーンズが第一作目で捜したあのモーゼの十戒石の納められた神との契約の箱。この箱は船(アーク)と呼ばれていて、ふたつのケルビム(羽の生えた天使)が蓋の上に置かれた…。船鉾にもちゃんと鳳凰があって、御神体が船鉾の中に運び込まれるのを見たのですが、あれは日本人じゃない…。
 そんな話を町家の人たちと話していたんです。
 そしたら、「中山さん、そこまでお詳しいなら、お聞かせしましょう」と耳打ちされたのが、

「聖徳太子に関するあの象徴が、エジプト王朝のあるものとぴったり一致しています」
「えっ!? それは…」

 いやいや、ここでは言えませんが、驚きです。
 ヘブライの民はモーゼによって出エジプトをするまではエジプトでピラミッド作りに従事していたんです。エジプトの神々の概念は、実は日本の神々と似ているし、天皇とファラオには同じ象徴があるとは以前、エジプト人の大学教授から伺った話。
 やっぱりそうなんだ、とミステリーはいよいよ深まって…
 来てよかった! 大収穫。
 そばで、そんなやりとりをして発見している私を見ていた塾生Sくんがポツリと言った。

「先生は書いているんじゃなくて、何かに書かされていますね」

 えっ? 16日の作劇ゼミの報告はって?

 作劇ブログに載っているとおり、ディスカッションでした。
 課題は塾生から出たんですけど。議論できるほどの知識はない。
 当たり前のことや、自分の思いを語ってもしょうがない。
 やっぱり取材したり、誰も知らない資料を読んでいたり。そういうことが必要です。
 作品にしたときの説得力が違う。
 ところで、うちの塾生の半数くらいは答えられなかったんですが、みなさんはわかります?

 祇園祭の御神体は?
 さっき書きましたね。八坂神社のスサノオの命。
 では天神祭りは?
 お伊勢さんの御神体は? 内宮、外宮とあるんですけど。
 いつもお正月に参拝する初詣先の神様は誰? それはなんの神様?

 ちょっと前なんですが、あるテレビ番組で怪談特集をやっていると、東京のスタジオに呼ばれまして。そしたらスタッフ一同で神社に行って祈祷したらしい。

「どこの神社に行ったの?」
「近くの東郷神社に」
「ふーん、そこ、誰が御祭神にされてるの?」
「そんなこと考えていませんでしたけど、えーとたしか」
「東郷平八郎元帥。日本海海戦でバルチック艦隊を破った軍神!」
「そうなんですか」
「軍神に霊が祓えるかあ! 行くなら日枝神社」
「あっ、全然知りませんでした」

 最近入塾してきたバスガイドのHさんによると、「修学旅行では神様の話はできない決まりになっていまして、伊勢神宮もご参拝と言わずに、見学と言うようにされています」

 こらあかんわ。


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2008年07月10日

7/9の小説技法

 中山市朗です。
 9日の小説技法の報告です。

 いつもの合評ですが、参加者が増えました。
 今月から入塾のHさんとKくん。
 Hさんは先週のブログで紹介した京都在住のバスガイドさん。Kくんは今日が初めての19歳。Kくんは先月、お父さんと一緒に塾に来られて、実のところお父さんからは「息子が小説家になりたいと言っているが、それは厳しい世界。止めるように言ってくださいませんか」と言われていたんです。で、本人を目の前に私は言ったんです。

「小説書いているの?」

 そしたら小学生の頃からいろいろ書いているようで、本が好きでしょっちゅう読んでいるとお父さん。だったら止めることはない。

「お父さん、厳しいのはどの世界でもそうです。昔と違って就職すれば安心という時代でもない。だったら好きなことをやらせてあげましょうよ。うちに通ったから小説家になれるという保障は確かにできませんが、彼はまだ若いんだし、それほど好きなら本気でやらせてみることです。小説家になれなくても、本気でやったという行為は必ず人生の糧となりますし、これからの人生、やらなかったら後悔が残りましょうし、やれば後悔はしないはずです。それに私の知っている作家さんたちはKくんと同じ、小学生のときから小説を書いていて、なにより読むのも好きで、という人が多いので芽はあると思いますよ」

 と私はお父さんを説得してみました。
「うーん」と思案していたお父さん。でもこうおっしゃった。
「私の父は元新聞記者でしてねえ。そのときの部下が司馬遼太郎さんだったんです。司馬さんは記者時代からもう違ったと。天才だったと聞きました」

 わっ、司馬遼太郎さんと我が息子を比べていたのか!
 そしたら先日、急にそのお父さんから「入塾させます」という連絡があったんです。で、Kくんが参加。彼の書いた小説も読ませてもらいましたが、原稿用紙に鉛筆書き。今、各出版社の新人賞はパソコンかワープロの活字印刷かメールでの受け取りのみというものがほとんどとなっています。パソコンは苦手とKくんは言っていましたが、これからの作家志望者には必須のアイテム。ライターの仕事もページの構成までまかされたりすることもあります。文章が書ければいいという時代でもないわけですまあ、かくいう私もパソコンは苦手なんですけどね。
 さて、合評には他に久々参加のマンガ家志望T2くん。彼が塾に入ってきた頃はプロ志望というわけではなく、自分の描きたい絵が描けるようになりたい、ということでしたが、最近なぜかプロ意識が出てきたようです。Nさんはマンガ、小説どちらも書いており、以前はこの授業でエロ小説に挑戦していたのですが、どうやらマンガ一本に絞ることになったらしい。ただ、小説の合評には参加します、ということで。これにいつものメンバー、Iさん、Tくん、Oくん、Sくん。今回はこの4人の作品を合評しました。古代史小説に挑戦したいといっているAさんは体調不良でお休みです。

 まず、Tくんの小説。バランスが取れてきて、読みやすくなった。前回まではセリフのやたら多いシーン、逆にまったくなくて解説文を読まされているようなシーンとバラバラだったんですが、そこを指摘されて見事解消。セリフの裏にあるキャラクターの心情もわかる。細かい指摘は各塾生から出たものの、幹がしっかりしてきたので私はオーケーを出しました。次回からTくんは次の章に挑戦です。
 Iさんは最終章を書き上げてきました。前回は原稿用紙の枚数を気にして肝心な諦めの部分のリズムが崩れていたんですが、枚数を気にせず書きたいことを全部書いてみようよ、とアドバイスしたら、そこも修正されました。合格です。
 第一章から最終章まで約300枚の小説ができあがりました。単行本一冊になる量です。これを持ち込み・投稿作品にするには通しての調整と若干の加筆が必要ですけど、技術だけをとるとデビューできてもおかしくない出来栄えだと断言します。あとはIさん次第。
 Sくんの作品。読んだ感想が色々飛び交います。Sくんはそのたびに「なるほど。そうですね」とか「それやらないといけないっすよね」と、いちいち周りの意見に納得している。それは悪いことではないのですが、どうも主体性がない。
 で、私はSくんに言ったんです。「キミは一体なにが書きたいの?」
 するとSくんの解説が始まった。ああで、こうで、ここでこうなって…
「あのな、言いたいことは一言で言えないとアカンで」
 恐怖とか、シュールな笑い、ピストルと女、不毛な愛、女の友情、謎解き…
 ああで、こうで、と説明しなきゃいけない内容は、読者にストレートに伝わらない。自信のない人ほど、言葉が多くなります。言い訳が多いというか、あれと一緒。
 これを書きたい、と一言でいい。
 それがテーマであり、テーマが方向性を示します。そしてそれに似合ったスタイルが必要となります。それがないと、合評してても方向性が見出せず、各々が勝手なものを期待してしまいます。そんなバラバラな意見に作家がいちいち納得していたんじゃあ、いいものはできない。
 私がSくんの作品で思ったのは、これは「奇譚」かな? と。あの『ドグラマグラ』みたいな。ちょっと病んだ精神と夢とも現実ともいえない世界への誘い、そして謎の精神カウンセラー…エスくんの中には「奇譚」という意識はなかったみだいですけど。
 まあ探り探り。色々知識を身につけ、色々な人に会ってみることです。こもっていたら、いつまでも抜け出せないよ。
 Oくんの『ヲタク戦記』は切り口はいいんですが、テクニックがついていっていないようです。本人は「熱い、熱血なソウルを書きたい」と言っているわりには、その熱さが伝わってこない。おそらく主人公の動機や言動に説得力がないんですな。それと構成力の問題。課題では章ごとに区切っての提出ということになっていますが、さつきのIさんのように、完成すれば300枚ほどの分量になる。つまり全体を通しての位置づけ、一本の作品としての世界観の統一が計算されていないと、ストーリーが破綻しかねない。そこでちょっと色々な作品の構成についてレクチャーしました。

 次回からはHさん、Kくんも作品提出となります。
 さて、どんな世界を読ませてくれるのでしょう。
 楽しみです。
 

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kaidanyawa at 18:37|PermalinkComments(0)

2008年07月03日

7/2の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 今週のネトラジで青谷圭が言っていますように、毎日放送のテレビ番組『麒麟の部屋』の収録に行ってまいりました。
 麒麟とは6〜7年前に怪談ライブを何度か、TBSの番組でも一緒になったことがあり、麒麟の怪談好きの元は私やと思っています。田村くんの方は最初はマジで怪談を嫌がっていましたが、『麒麟の部屋』で久しぶりに会ったら随分と怪談馴れしていたようで…

 番組そのものは麒麟がマンションの一室に芸人仲間を呼んで(ほんまにマンションやった)フリートークや告知をするというもの。今回は怪談特集ということで呼ばれました。出演依頼があったとき、もうひとり素人の人で怪談を語れる人を、ということで塾生の青谷に「出てみないか」と振ってみたわけです。素人がテレビに出ること事態はよくあることですが、テレビカメラの前で延々5〜6分語るという機会はめったにないでしょう。怪談の勉強をしてみたいと言っていたので、まずは経験ということで。
 ストリークの吉本くん(野球のユニフォームを着て漫才をやっている彼)とソラシド本坊くん(ごめんなさい、よく知りません)も怪談好きでライブをやっているということで、芸人VS怪談語りのプロという怪談合戦に…これ打ち合わせと違う。青谷がプロということになっている。しかも塾生とか素人と言ってもらっては困るとか、話が制作と局でなんか違うぞ…というなんかわからん状況で収録を終えてきました。

 放送日は7月15日(火)24:55〜25:25
     7月22日(火)同時刻

 の2週に渡ってお送りいたします。まああくまで麒麟が主役の番組ということで。

 さて、2日(水)の作劇ゼミの報告です。
 いつもは私が講義をやっているのですが、今回は塾生たちの「自分のこだわり」について5分間のプレゼンをやってもらういました。もちろん事前告知をして、プレゼンのテーマや方法などはあらかじめ考えておくようにとお触れを出した上で…
 プレゼンテーション。
 これはぜひとも体得しておくべきものです。自分が書きたいもの、あるいは作品をビジネス展開させていくためのアイデアなどを、どう出版社や制作会社に売り込むか、あるいは担当とすり合わせるか。これプレゼン能力にかかってきます。
 で、塾生諸君のプレゼンのお手並み拝見…
 
 Sくんは「笑顔」と「考える」ということがコミュニケーションに不可欠、という話をしましたが、こだわりが見えてこない。マンガ志望のTくんはバッシングされがちな美少女キャラ向上のための秘策(?)について。Iさんは自分の書きたいファンタジー世界に関するこだわりを…。それは書きたいと言っているだけで、プレゼンになっていない。作家志望のTくんはプロレスについて。Aさんはチャゲ&飛鳥、UさんはTM NETWORKについて語ってくれましたが、紹介で終わっている。Nさんは自分が小説を読むときに欠かせない要素、Sさんはファッションと音楽について。うーん、何をプレゼンしたいのかイマイチ伝わってこない。今回より塾生となったバスガイドさん(もちろん女性)は、某雑誌にAVのコラムを連載している変わり種。歴史と京都が好きでバスガイドになった、ということで、エロ・歴史・京都、とテーマは面白そうだったのですが、踏み込みが足りない。Oくんはいきなり“世界征服”とホワイトボードに書き出したところまではいいのですが、後半トーンダウン。ちょっと掲げた看板が重かった? Fくんはパソコンを教室のモニターに繋げて画像を見せながらテレビゲーム機、Wiiはなぜ売れたか? の分析をしました。分析は興味がもてましたが、キミのこだわりとは? 唯一みんなの気を引いたのは、Mくんのコーヒー談義。会議室のホワイトボードが開示されるタイミングは見事。しかも実際にコーヒーメーカー、グラニュウ糖、ミルク用意で実践しながらの談義。時間超過しても、うまいコーヒーがこのあと飲めるかも、とみんな期待しながら…これはプレゼン合格。演出がうまい。
 要はみんな。前もっての用意をしていないんです。例えば好きなミュージシャンのここが素敵だ、と言いたいのならば曲やビデオを流しながら、プロフィールは資料で各自に渡るようにしておけばいきなりマニアックなキャッチから入れます。それがないからプロフィール紹介しているうちに時間がきてしまうんです。演出がない。
 基本的に自分がこだわっていることに対して、他人はそれほど関心を持っていないと思うこと。これが出発点。その関心を持っていない人に、どう興味を持たせるか、理解してもらうか。できれば、そうか! と膝を叩いてくれるのが理想。話術や構成力も必要とされますが、やっぱりアピールしようという気構えです。
 私、映画やバラエティ番組のオーディションに立ち会ったことが何度かあるんですが、役者さんやタレントさんが自分をアピールする姿には、もう殺気立ったすごいものがある。必死すぎてちょっと引いてしまうことも多々ありますけど。
 命をかけて仕事を獲ろうとする姿です。

 我々作家にも、ときにはそれが必要なわけです。原稿料で食っていくわけですから、原稿の仕事をもらわなくては黙って構えていてもよっぽどの人気作家でないかぎり仕事はきません。で、仕事がもらえるもらえないは、そのこだわりにあったりします。
 「なんでも書きます」では発注する方が困るわけです。この人は何について、どんな切り口をもっているのか、何にこだわっているのか。これがその人の作家性です。コラムやレビュー、エッセイなどにしてもその作家性は必要です。その作家性を生かしてなんでも書ける、というのが理想かな。
 それに自分のこだわりを、他人にどう伝えるかという作業は、実は小説やマンガでやっていることです。読者にそれをどう伝えようか、面白がってくれるのかを考えて、キャラを作り、構成し、演出し、表現するわけでしょ?
 もっともっと自分だけの徹底したこだわりを持ってほしい。で、それを一般の人たちが共感を得るような表現方法を模索してほしいと思います。
 めっちゃ大事なことですよ、これ。
 また半年後か一年後に同じことやります。
 そのときこそ、「なるほど」と膝を打つものを披露してほしいものですな。 
 


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kaidanyawa at 17:01|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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