2008年11月

2008年11月28日

クォ・ヴァディス

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 中山市朗です。

 ハイビジョン・ソフトであるブルーレイで、ようやく古い映画が発売されるようになりました。新しい映画はWOWOWかスターチャンネルで、ハイビジョン放送をやっているし、まあ、あんまり興味もないので、古い映画がハイビジョンで復活するのは文化保存のためにも大歓迎。というか、それを期待してハードを買ったんだけど。

 さて、1951年制作の米映画『クォ・ヴァディス』をブルーレイで久しぶりに鑑賞しました。ハイビジョン、え〜わ!
 この映画を最初に観たのは、確か中学生のとき。金曜ロードショウ(高島忠夫が解説していた)で2回にわけてテレビ放送されたのを覚えています。それからだいぶたってNHKのBSで一度だけオンエア。DVDでの発売を心待ちにしていたら、なんとブルーレイで発売! それを知ったとき、私は心の中で小躍りしましたよ。

 なんか同名のSFファンタジーがあるらしいんですけど、こちらはヘンリク・シェンキェヴィッチ原作による、ローマ帝国を舞台にした歴史大作。
 『クォ・ヴァディス』とは「(主よ)いずこへ行き給う」というラテン語だそうで。

 ときは1世紀、キリストが磔となって30年後の話。
 総ての道はローマに通ず、というローマ帝国隆盛の時代、アッピア街道を意気揚々と行進するローマ軍から始まります。英国遠征から帰った軍の青年隊長マーカス・ヴィキニウスは、皇帝の命令で郊外で待機せよとの指示を受け、その真意を知るために皇帝ネロのもとへ。勝利の凱旋軍行進を執り行うから待て、という意図を知り、マーカスは叔父のペトロニウスに会いに行きます。そこでかつて敵国であった国王の娘、リジアに会い、互いに心魅かせます。
 そして勝利の大凱旋門行進!
 ローマ市民は熱狂でもって、このローマ軍とときの皇帝ネロの歓喜の声を浴びせます。ネロ皇帝の妃ポッペアは、この血気盛んなマーカスの素振りに気を魅かれて・・・。
 マーカスとリジア、実はリジアは皇帝の神以外を信仰するキリスト教の信者、マーカスはローマ軍の隊長として、その神は受け入れられない。しかしやがてネロ皇帝は、自分の歌の閃きのために、ネロポリスという都市を作らんがために、ローマに火を放ち、繁栄の都市ローマは炎上します。リジアを救わんと修羅場となったローマを駆け巡るマーカス。やがて民衆たちはローマに火を放ったネロ皇帝に対し、怒りの反逆の声を上げますが、ポッペアの入れ知恵により、ネロは「ローマに火を放ったのはキリスト教徒たちだ」と責任を転嫁し、教徒たちを捕らえます。そしてマーカスも捕らわれの身に。
 捕らえられた信者たちは、コロッセオに連れてこられ、復讐心を満足させようと待ち望む数万のローマ市民の前に引き出され、ライオンの餌となる・・・。
 キリストの直弟子だったペトロは、この惨状を聞き、ローマに向かう途中、キリストの幻影に遭い問います「クォ・ヴァディス・ドミネ?(主よ、いずこへ行き給う)」
 主は言われる「汝ローマを去る故に、我に代わりてローマへ赴き、今一度、十字架に架かるべし」

 まあクリスマスはえらく盛り上がるキリストの誕生日大好きな日本人にして、まったく理解に苦しむこの言葉ですが、第二次大戦が終わった直後の米国では、それは自国を賞賛する言葉にも受け取れたことでしょう。ネロの行為はナチス・ドイツのユダヤ人狩りであり、日本帝国のやりくちであったと。そして繁栄するローマ帝国こそ、今や我が米国であると。神の国はアメリカ合衆国である! と。

 しかし映画そのものは、堂々としたスペクタクル映画になっていて、まさに総天然色(古い?)で、古代ローマを、これが映画だ! とばかりにCGのない頃に見事再現したハリウッドのすごさには、頭が下がります。豪華絢爛、とはこのこと(ハイビジョンで改めて認識)。この映画が制作されたのは昭和26年。まだ日本は闇市があった頃でっせ。
 ちなみにロケは敗戦の廃墟の残るイタリアで行なわれたそうで、後にフェリーニたちによってイタリア映画の名作を生み出すローマのチネチッタ撮影所は、この映画の撮影から戦後の再開がなされたようです。

 実は私、この映画でローマ帝国に興味をもち、様々な古代ヨーロッパについての知識をもらった映画なのでした。

 まず、キリストの弟子ペトロは、主の御心に従い、ローマへ戻り、ネロによって磔になります。
「ああ、主と同じ最後とはなんという幸せ」
 ネロは言います。「同じではない」
 ペトロは逆さ磔となり殉教します。
 後にここは聖地となり、教会が建てられ、やがて、カソリックの聖地となります。その土地ヴァティカヌスの丘の名から取られ、バチカンとなります。
 ただし伝説によれば「主と同じ死に方をするだけの価値は自分にはない」と逆さ磔には自ら望んだというが・・・。

 ラッセル・クロウ主演の『グラディエーター』 でコロッセオでライオンの餌食となるシーンがあったけど、この映画がとっくにやっている。ただし当時のことだから残虐シーンはなし。迫害されるキリスト教徒を見て、キリスト教とはなんぞや? という興味が湧いたのはこの映画から。

 ネロという第5代皇帝を知ったのもこの映画。暴君とか、実は賢帝だったとかいろいろ噂はありますが、ピーター・ユスティノフの演じるネロはすごいインパクト。暴君と言うより愚帝といったほうがぴったりだけど。ローマの大火はネロの時代、64年7月19日に実際起こったらしいですわ。
 この大火はローマのほとんどを焼き尽くし、ネロは献身的に市民を救おうとしたらしいが、火を放ったのはネロだという噂が広間つたんですな。というのも母親殺し、妻殺しの疑惑がもたれていたんです。暴君、とは当時のローマ市民がもっていた感情だつたのでしょうか。結果的にネロはキリスト教信者に責任を押し付け、ローマ帝国における最初のキリスト教徒の弾圧となったことから、暴君ネロのイメージがますます固定されたようです。
 この後、1980年にマルコム・マクダウェル主演で『カリギュラ』が公開されました。やはりローマ帝国第3代皇帝の壮大な歴史劇が展開するのかなと思ったら、思いっきりスケールの大きなハードコア・ポルノでしたわ。

 面白いのは、ネロ皇帝を嫌いながらもご機嫌をとるペトロニウスという男をレオ・ゲンという役者が演じています。彼も実在した人物で、当時ギリシア思想を代表した知的人物であったらしい。彼は『サテュリコン』というネロ期の退廃と悪徳を描写した小説を書いていて、実はこの『サテュリコン』こそは、世界最古の小説と言われているのです(世界最古の小説は『源氏物語』という説もあるそうですが?)。フェリ−ニが映画化していて『サテリコン』が日本公開の題名。

 この映画を中学生で観て、家にあった原作(親父が持っていた! 『クオ・ワデス』という邦題だった)を読んで、夏休みの読書感想文の題材にしたら、先生から「テレビでやっていた映画観て感想書いたやろ」と理不尽な怒られ方をして。この後、やはりテレビで『ベン・ハー』を観てもっと衝撃を受けるんですけど。
 大学生になってギボンの『ローマ帝国衰亡史』を読んだのも『クォ・ヴァディス』を観ていたから。そしたら世界征服することは、いかにして人民から税金を取り立てることだ、と書いてあって、目から鱗が。税金を取り立てるために役人を派遣して、そのための役所も作って、役所と役所を繋ぐ道路を整備して、そのための測定数値を決めて、通貨を定めて・・・そしたら総ての道はローマに通じるとあいなったわけで。
 だからヒーローものを見るたびに思うわけです。ショッカーたちは仮面ライダーを倒したら、バルタン星人はウルトラマンを倒したら、ゴアはマグマ大使を倒したら、まず役人を派遣して、役所を作って、税金徴収するための戸籍を作って、通貨の制定、税金の納入方法やら制度やら、未納の場合は取り立てて・・・わあ、ショッカーや人間モドキのいる役所って!
 なんか頭悪そうやな。

『クォ・ヴァディス』(1951年・米MGM映画)

 制作  サム・ジンバリスト(『ベン・ハー』)
 監督  マーヴィン・ルロイ(『哀愁』)
 脚色  ジョン・リー・メイヒン
     S・N・ベーマン
     ソニア・レーヴィン
 撮影  ロバート・サーティス
 音楽  ミクロス・ローザ(『ベン・ハー』)

 マーカス   ロバート・テーラー(『哀愁』)
 リジア    デボラ・カー(『王様と私』)
 ペトロニウス レオ・ゲン(『北京の55日』)
 ネロ     ピーター・ユスティノフ(『死海殺人事件』)
 ポッペリア  パトリシア・ラフィン

 ちなみにこの映画でソフィア・ローレンがデビューしたそうですが、発見できませんでした。


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2008年11月27日

11/26の小説技法

 中山市朗です。

 えーっ、お気づきかもしれませんが、私のブログ、Commentsをしていただくと、瞬時に反映されるようになりました。今までは事務所の検閲(?)を通していましたが、それ、取っ払いました。事務所は塾のある日しかスタッフがいない場合が多く、せっかくコメントいただいても、私がそのことを知らないというケースが多々ありました。
 も〜しわけ、アリマセンデシタ。
 したがって、まったくご返事できませんでしたこと、深く深く深く地面にめり込むほど反省しております。というわけで、さっそく、さすらいさん、と楽しいやりとりをさせていただいております。
 以後、皆様、よろしうお願いします。
 今までの償いとして、なるべくお返事させていただきます。
 とは言っても、塾生に対する内輪的なメッセージがほとんどですけど。
 そこは、まあ叱咤激励をば。

 ただし、ブログは私のパソコンではなく、塾のパソコンから配信。私がワープロ(今どき? というツッコミは無しという一方的なルールで終結)で打ち出したものを、総務の誰かさんが打ち直す・・・。ははーぁ、誤字が多いのは、ソイツのせいやな、とソイツを血祭りに上げつつ。

 さてさて、26日(水)の小説技法の報告です。
 今月入ってきたKくん、T野くんが課題を初提出しました。
 今回は彼らに焦点を当てて。

 Kくん。3週ほど前のネトラジに出演してくれた大学生。その後授業の見学をして、いつの間にか入塾していました。
 さて、初めて書いた小説にしては、文章的にはちゃんと読ませるものがあります。
 ただし、何を読ませようとしているのかの意図が不明。
 コメディタッチなところもあるし、シリアスなところもある。男女の物語のような、そうでないような、どちらもあってかまわないけど、どっちを読ませたいのだキミは?

「性、セックスがテーマです。だからちょっとエッチな場面も書いてみたいんです。性を商売にしていた女と、それで不幸になった男が出会って・・・」とKくん。
 だったら、ファーストシーンでねっとりとした、性的描写を書こうよ。主人公とヘルス嬢が話をしているファーストシーンから始まっているのに、そんな描写が全然ない。まず、最初のページでこの小説はこれだ! という売りとインパクトで勝負すること。読者はそれを期待してページをめくってくれる。そのうちにキミが訴えたい悲劇なり衝撃な展開に誘えばいい。

 T野くんはSF作家志望だといいます。400字で13枚のまだ長編小説の発端部分だけど、惑星探査ロボットのカメラ・アイから始まって、やがてそのロボットを操るロボット開発チームの男たちの表情、動き、SFムードがちゃんと出ています。

 T野くんは言います。
「どうしても人型ロボットの話が書きたかったんです。そのためには『ガンダム』や『マクロス』にカブらないようにすること。じゃあそれが宇宙で何者かに遭遇して、何か別のものになって開発者たちの元に帰ってくるのはどうかと。でも近い話として『スター・トレック・ザ・ムービー』で、ヴォイジャーが創造者になるというものがあって・・・」

 SFの知識で、いろいろと自分のやりたいことと過去に創作されたSFの対比と比較で、何をやるべき、これはやるべきではない、と立派に水の如く説明されます。彼のオリジナル・プロットなのでその内容はここでは書けませんが、今後の展開はこうなりますというストーリーを聞くと、なるほど、それを描いたSFはないかも。それって目の付け所新しいやん。と、ちょっと期待がもてそうな。
 ただ、ちょっと気になることが・・・。
「T野くん、キミ、人に興味ある?」
「人は、ちょっと苦手ですね」
「やっぱり。それ、あかんよ・・・」

 実は最近のSF作家志望だという人に、ほぼ共通するのは、なぜか人に興味がないということ。
 ロボットだとか宇宙探査船とか、未来都市、未知の生物、未知の惑星、戦闘軍団、宇宙艦隊・・・そういう話には夢中になるのですが、それだけじゃあSF小説にはならない。「SF書くのに人間が必要ですか?」と聞いてきた奴も昔おったけど、じゃあ一体誰を介してその未知の世界へ読者を案内するの?

 科学解説書じゃないんだから。
 小説なんだから。
 そこに人間が描かれなきゃ、誰がドラマを動かすんだ? 誰を介して泣き、笑い、恐怖し、感動するんだ? 小説の基本、起承転結はどうやって作るつもり?
 SFのSはサイエンスという意味なのだけど、それは人が作ったもの。ということは人間の意思なり願望がそこにあるはず。矛盾も出てきたはず。そこを描かなきゃ。
 人が未知なるものと遭遇した驚愕や、人が科学に裏切られる警鐘や、現在では実現不可能な冒険に出る人の感動が、SF小説になるんです。そのためには、魅力的なキャラクターを生み出すことが必要ですな。

 「SFに人間が必要ですか」て、ルークやレイヤ姫、オビ・ワン、ハン・ソロ、ダースベーダーのいない『スター・ウォーズ』って? カーク船長やミスター・スポックのいない『スター・トレック』って?
 まあ上記のキャラクターって、カーク以外は地球人じゃないけど、その行動原理や感情や生活習慣や言っていることは地球人そのものです。そして愛し、愛されることを望んでいます。だからドラマが生まれ、SFのF、フィクションが成り立つわけです。

 T野くんは、そこはわかっていますと、首を縦に振りましたが。
 私もSFファンとして、T野くんの小説、楽しみにしています。
 ちょっと今、SF小説は壊滅状態やからなあ・・・。

 もうひとりの入塾者O田くんは、落語作家志望。
 そんなカリキュラムはないけど(まさか落語作家志望者が入ってくるなんて予想してなかった)ちゃんと私が対応します。これでもお笑い番組の構成やったことあるし、落語、漫才の映像、音源は、ワッハ上方には負けていない(と自負)。

 彼は毎週のように新作落語を書いて私のところに持ってきますが、そこはえらい。
 でもねえ、ボケたら笑いがとれる、と思っているがそれは違う。ボケとツッコミで笑いになるんです。正確に言うと、ボケてツッこんだときに笑いが起こる。
 これ、実は今の若手の漫才師もわかってない。
 ボケだけで笑いがとれるなら、二人いらんやん。
 なんで漫才師は二人いるのか。ここ、考えよう。
 ボケがおいしいと思っているそこの若手漫才師。キミやキミ。勘違いしてコンビ別れすんなよ。

 落語の場合、ボケもツッコミも、ひとりで担当せんとあかん。
 東京落語の熊さん、八っつぁん、上方落語の喜六、清八。これ、ボケとツッコミ、漫才ですわ。
 でも落語は、噺(はなし)というくらいだから、ストーリーを組み立てなきゃ。人間の性(サガ)を描かなきゃ。
 そこが漫才やコントとは少し違うところです。
 まずは落語を作りたいんやったら、落語以外のあらゆるストーリーに接してみることですわ。映画、小説、マンガのみならず、噂話、昔話、童話、歴史話、ゴシップ、三面記事、講談、浪曲、お芝居・・・。まあ、O田くんにそれ言うたら「もうそれ、実感しました」と言うとったけど。

 12月の作劇ゼミは「笑い」についての講義をしますから、そのときに笑いのテクニックについて、詳しくやりまっさ。



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2008年11月26日

黒澤明監督から見るプロ

bf812f79.jpg 『椿三十郎』パンフレット。昭和37年1月1日公開。
見よ! この三船三十郎のカンロク!!








中山市朗です。

 私のブログで森田芳光監督の『椿三十郎』をぶった斬ったら、何人かから「織田裕二嫌いなんですか?」と聞かれた。
 そやない。私が問題にしていたのは、森田監督の演出力。
 俳優は、監督によって生きも死にもするのです。

 三船敏郎という人は黒澤明監督のもとでのみ、光輝いていたし、ヴットリオ・デ・シーカの名作『自転車泥棒』の親子の役は、父、息子とも演技経験ゼロの素人だった・・・。

 最新号の『映画秘宝』に、日本演劇界の重鎮、若い頃は、桂米朝師匠のもうひとりの師匠(落語の師匠は桂米団治だが)、作家で落語研究家でもあった正岡容(いるる)の弟子でもあった、喜劇人・小沢昭一氏(川島雄三監督の一連の『幕末太陽伝』や『貸間あり』なんて小沢昭一が出てくるだけで笑える!)が、インタビューに答えてこう言っている。

「映画って監督が作るもの。だから演技賞なんてあれ、みんな監督がもらうべきなんだ。いい脚本、いい監督で、いい役だったら、たいてい賞はもらえるよ・・・」

 スポーツの世界では戦うのは選手でも、そこには必ずいい監督がいるものです。オーケストラだって指揮者によって出る音が違う。監督とは、本番よりもその準備、コンディションを作り、プレイヤーの管理の責任を負うんです。そして方向性を示唆し、導く。その上で結果を出すのが監督の仕事。
 一流の交響楽団の場合、実はリハーサルでほぼ出来上がっているといいますし、溝口健二監督は「映画の80パーセントは準備段階で決まる」と言ったとか。

 生前、黒澤明監督は「溝口(健二)さん、小津(安二郎)さん、成瀬(巳喜男)さんの映画に出て鍛えられた役者はやっぱり違う」とおっしゃっていた。
 今は役者を管理し、鍛える監督がいなくなったのか。それとも、役者を鍛え管理する余裕が日本映画界にはもうないのだろうか?

 私がこの目で見たことは、黒澤監督は、役者さんやスタッフたちとよく会食し、飲み、語らっていた。まさに黒澤一家だった。
 もちろん黒澤組は日本映画では特別なもので、長期ロケに仲代達矢さんをはじめ、そうそうたる役者さんたちを拘束できる環境にあったのも事実。でも、そうでなきゃあ、いい映画は創れないだろう、と。『乱』のような大作になると、馬の管理やエキストラ集めや指導と、想像するだけで大変ですわ。『ゴジラ』の監督・本多猪四郎さんが、監督補佐としてエキストラの指導をやられていましたけども。

 一方、私が助監督をした何本かの別の作品では、役者さん同士が顔をあわせて「はじめまして、よろしくお願いします」と挨拶した30分後には「はいっ、本番よぅーい、スタート!」という場面もしばしば。一度はそれ、親子の役やった。
 これ、管理も準備もへったくれもない。学生の自主制作の現場と、あまり変わらん!
 まあ、役者にしちゃあ、映画だけでは食えない、とか、事務所が仕事入れちゃっててスケジュールが、ということなんでしょうがね。

 東宝映画『海底軍艦』の中で高島忠夫扮するカメラマンが言います。
「そういうの、カミカゼ・タレントって言うんだ」

 でも、どんな役者さんと話しても、監督さんと話しても「いい映画を撮りたいんだ」という熱いものはおもちなんです。みなさん、いい感性、才能をおもちなんだと思うんですけどね。森田芳光監督も、そのおひとりだと思うんです。
 しかし、『椿三十郎』に限って言えば、黒澤明という人が巨大すぎたんでしょうな。

 黒澤明監督のすごいところはどこかというと。

 誰も気づかない、あるいは気づいていたとしても、業界ではここ、スルーしてきたからそれでいいんだよ、なんていうところを見逃さず、「こんなのおかしいよね」と言って、誰もやっていないことを必ずやる。タブーをタブーでなくする。嘘を見破る。それが黒澤演出のすごいところなんです。森田版『椿三十郎』は、しつこいようですけど、黒澤監督がやった嘘の見破りを、気づかずにスルーしちゃったところに、失敗の原因がある。黒澤スピリッツを継承しなかったのは、やはり罪。リメイクしちゃあダメ。

 『乱』の現場でこんなことがあったんです。

 ピーター扮する狂阿弥が、仲代扮する狂った秀虎の頭に、草で編んだ兜を載せる。
「御兜でござい・・・」
 
 あのシーンで咲いている花は、一本残らずスタッフが植えつけたものです。しかも美術さん特性の造花であります。
 朝早く起き出して、トラック何台かに分けて運ばれてきた造花を、スタッフ総出で1本1本植えていきました。私もお手伝いを・・・。
 お昼前、ようやく作業完了。現場は見事なお花畑に!
 と、うん? 何かちょっと違和感が・・・。やっぱり造花だからか? 
 でもフィルムを通すと、きっとホンモノっぽくなるんだろうね。

 そこに監督登場。
 一目見て「やり直し!」
 踵を返して、とっととお帰りになる監督さん。
「えっ、どこをやり直すのよ・・・」と固まっているスタッフ。
 黒澤組で、ずっと美術監督をやっておられた村木与四郎さんも、あれっ、ていう顔。
「監督、どこを直せばよろしいんでしょうか」と、あるスタッフがお伺い。
「花ってね、草むらに咲いているんだよ」
「ああーっ」と、みんな。
 それっ、とばかり、今度はみんなで草を植えた。
 で、あの通りのお花畑。ホンモノに見える!

 我々は花畑を作れ、と指令を受けて、ほんとに花を植えることしか頭になかったのですね。しかし、物事には法則がある、もっと根本がある、そこを我々凡人はわからないわけです。黒澤監督は、そこをひと目で見破るんです。それがすごい。
 指摘されて我々は、あっ、と思うんですが、指摘されなきゃ、わからないまま。
 きっと、万事がそうなんでしょう。
 しかし、これは違うぞ、という目をもつことが、作家としての個性になるんです。
 だから、いろいろ見なきゃならない。疑問をもつことが大事。

 プロっていう人は、それでもプロではない人の気づかないこと、スルーしていることに目がいって、その対策法が考えられる人だと思うんです。そしてそのレベルを見極められる人でもある。それは経験値に負うところが多い。
 技術的なことだけで言うと、プロを凌駕しているアマチュアはいたりします。しかし技術だけではプロにはなれない。
 昔は、師弟制度でそこをうまく継承していくシステムになっていたんです。

 今は専門学校という巨大なシステムが、その師弟制度を壊してしまった。
 技術だけ教えて・・・。アホな学生は、プロの経験値を古いとか、時代が違うとか言って吸収しようとしない。古いというのなら、今の学生が観たり聞いたりしているものも、すぐに飽きられ、新しい何かにとって代わるではないか! しかし経験値は古いほど価値がでるのだ!

 だからうちの塾生には言うわけです。

 プロの人たちと会え、話をしろ、できれば飲み友達になれ、と。
 その経験値の奥深さを教えてくれるから。

 最近の塾生たちは、そこがようやくわかってきて、プロの人たちとの交流も、自分で開拓できるようになって表情も生き生きしてきていますが、なかなか素人はここが理解できない。何度もこのブログで書いたように、打ち上げや飲み会の席で、真っ先に帰るのが学んでいるはずの、学生たちだったりする。

 帰るなら帰れ、お前らが寝ているときこそ、プロは情報収集しているんだ。
 これを繰り返していたんじゃあ、プロの人との差は開くばかりやわ。
 寝たい? 永遠に寝とれ。

 まあ、その場にいるプロの人間の思いはそんなもの。まだこれは気にしているだけ優しい方か。

 私のかつての教え子が、ある専門学校で小説の書き方を教えているらしい。
「古典から学べ、人と接しろと口をすっぱく言っても、ニコニコ動画の話とか、ゲームとか、そんなことばっかり話しているんです。知らないことがあっても、全然それを恥やと思わないんですよ」

 私は言いました。「そんなアホはほっとけ」
 彼らは本物を知らない。
 それだけのこと。

 淘汰されて生き残るヤツは、そこに気づいたヤツ。
 気づかないほとんどのヤツは、夢を諦めるはめになる。
 それだけのこと。


 それだけのこと。



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2008年11月24日

ブログの輪・中山編

中山市朗です。

 縁とは奇なるもの。
 最近、塾生の坂本ナオキくんが、ブログの輪とか、ブログでこんな人と知り合った、などと書いていて、また今配信中のネトラジも、ブログをテーマにしているので、私もブログの縁について書こうかなっと。

 私のブログは坂本くんのと違って、誰が読んでくれているのかさっぱりわからないのだけど。

 先日、22日の夜、堤谷くんが落語家の桂都んぼさんとともに、わが書斎に遊びに来てくれました。

 実は10月27日付けのこのブログで、元教え子でライターとして活躍している堤谷くんが、出版社の人を紹介してくれて・・・ということを書いたら、堤谷くんのところにメールがきたそうです。
 「堤谷さんは、中山先生のお知り合いなんですか?」
 そのメールの主が、桂都んぼさんだった、というわけです。

 都んぼさんとは面識はありません。ただ、いち落語ファンとして、高座姿は何度か拝見しておりました。
 都んぼさんは、怪談好きで私の著作のファンだったらしく、私のブログをいつも読んでいたところに、以前取材を受けた堤谷くんの名前が載っていたので、もしやと思ってメールをしてみたというわけなんだそうです。堤谷いう名前でライターって、あの人しかおらんやん、みたいな感じで。

 詳しい事情は、都んぼさんのブログで→http://diary10.cgiboy.com/0/tonchan/

 縁は奇なり、というのは都んぼさんのブログにある、シナリオライターの登米(トヨネ)くんは、数年前、私が携帯怪談コンテンツを監修していたとき、スガノくんや堤谷くんたちと共に仕事をやってもらっていたんです。彼はそのとき俳優を志していたんで、声優をやってもらっていた。そしたら3年ほど前、東京の渋谷駅前の歩道橋でバッタリ会ったんです。偶然やなあ、どころやないビックリした。そしたら登米くんから名刺をもらったら、落語家の名前がついていた。「落語やってんの?」と尋ねたら、「俳優やるんやったら落語もやっておけ言うたの先生じゃないですか」と。都んぼさんと知り合いやったんやね。そこから堤谷くんとの接点が出てきて・・・。

 さて、桂都んぼさんとは、どんな人なのかというと。

 あの、人間国宝、正しく言うと、重要無形文化財保持者の桂米朝師匠のお弟子さん。
 のお弟子さんの、桂ざこばさんのお弟子さん。
 の桂都丸さんの、お弟子さんが桂都んぼさん、というわけです。

 大変元気でインパクトのある高座が持ち前の人で、いつぞやのCS番組の『らくごくら』を観ていたら、出てきただけで笑いをとっていた・・・?

 落語家さんのお知り合いは何人かいますが、拙宅に招いて、じっくり話し込んだのは初めてです。

 囲炉裏に火を入れて、鍋で囲んで日本酒でキュッと。
 あ〜、え〜な〜、和やね。冬だんな、落語でんなあ。

 都んぼさんはKYOTO映画塾で映画の勉強をしていた、ということで、映画と落語について(私は落語のことを聞きたがる、都んぼさんは映画のことを聞きたがるという具合で)かなりディープな、とっぷりとえらいマニアックな話で盛り上がりました。
 堤谷くんは、妖怪おいてけぼり状態でした。

 しかし、わが書斎に秘蔵してあるサントラ・レコードの数々に、驚嘆の声を発してくれたのは嬉しかったですな。うちの塾生なんて、毎週のようにうちに来ているのに、この前囲炉裏で肉焼いて食べさせたのに、そこに興味が全然・・・。

 ロバート・ワイズ監督の『アンドロメダ・・・』六角形LPレコード、『用心棒』は公開当時、米国のMGMレコードでのみサントラ発売、『チャップリンのサーカス』は西独のみ発売、『旅芸人の記録』はギリシア盤、ボギー主演の『ケイン号の反乱』実はこれ海賊盤、『史上最大の作戦』のBGMのみ7曲収録の仏盤EPレコード、『ネレトバの戦い』は一般に流通しているバーナード・ハーマンではなく、日本で公開されたのと同じ音源で、製作国ユーゴスラビアの作曲家によるサントラEP盤・・・、邦画は『太平洋奇蹟の作戦キスカ』『椿三十郎(もちろん黒澤盤、佐藤勝作曲)』のシングル・レコードや、成瀬巳喜男監督『放浪記』の市販されていない、劇場に宣伝用として配られたと思われるピクチャー・レコード。これも市販されなかった三船と裕次郎の夢の共演『黒部の太陽』のLPレコード、寺山修司の『田園に死す』のLPは、先日東京の中古レコード屋にて12万円という値がついていた! 私は大阪の中古屋で4000円で買った!!

 とまあ、そんなような自慢が通用するマニアックな人でした。

 それと落語界の話を聞いていると、やっぱり師弟関係はええなあと。

 で、気がついたらもう11時30分。都んぼさんは京都へお帰り。
 約6時間という時間が、あっという間に過ぎ去りました。

「第2、第3金曜日は塾生たちが主催する上映会と交流会があるんですけど」と誘うと「是非、伺いたいです」とのこと。

 金曜日の交流会、ますますおもろなりそうやね。

 ちなみに堤谷くんは、朝日新聞出版『AERA』12/1号に執筆しているようです。


07dba338.jpg 
『椿三十郎』のシングル・レコード(キングレコード)
若侍のテーマは予告編に使われていた曲。




キスカ
『太平洋奇蹟の作戦キスカ』シングル・レコード(キングレコード)
映画では流れなかったボニー・ジャックスの合唱。
いずれの音源も今はCD化され、ジャケットのみ価値あり。



hourouki_01
『放浪記』の東宝ソノシート。
これはジャケットでなく、レコード面!
きっと劇場での休憩時間に流すためのものであったと思われる。




long_01こちらの戦争大作は未CDの作品
『史上最大の作戦』EPレコード(仏バークレイ)
米、日でLPレコードが発売されたことがあるが、
台詞とナレーション中心の構成。
モーリス・ジャールのBGMはこのレコードでのみ聴ける。


neretva_01『ネトレバの戦い』EPレコード(仏フィリップス)
ウラジミール・ラテリック作曲の印象深いネトレバ・マーチ!
日本公開版は、バーナード・ハーマンの曲ではなく、
この曲が聞こえた!




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2008年11月23日

森田版『椿三十郎』について(3/3)

 中山市朗です。

 森田芳光監督の『椿三十郎』について書いています。今回が最終回です。
 
 黒澤版『椿三十郎』が公開時、もっとも注目されたのは殺陣(タテ)であった。
 その殺陣は、それまでのチャンバラから、刀で人を殺すという演出に変わった。
 ドバッ、ビュッ、という擬音を使ったのも、この映画が最初だった。

 私ははたして森田監督が、黒澤監督、あるいは当時の殺陣を担当した久世竜氏が考えた、あの素晴らしい殺陣をちゃんと理解していたのかという疑問が残った。

 『椿三十郎』の殺陣といえば、ラストの三船VS仲代の一瞬で決まる居合いの、ドバッと吹き出る血しぶき。血しぶきを最初に見せたのはこの映画だった。それにプラスして擬音とスピード。これ以後、ハリウッドでは『ワイルド・バンチ』というバイオレンス西部劇が作られ、ニューシネマ運動と相まって、たちまちバイオレンス・アクションの波がアメリカ映画を被うことになる。日本の時代劇、任侠映画も血ドバドバ。そこを強調したマカロニ・ウエスタンが大盛況となって、世界中で大ヒット。とりわけ、クリント・イーストウッドは『用心棒』のパクリ、『荒野の用心棒」でスターダムに乗った。
 この血ドバッ、を森田版『椿三十郎』は、あえて避けたようだが?
 
 もっとも織田裕二に三船ばりの殺陣を期待するようなアホな幻想は私も求めない。
 それよりも森田監督が、黒澤監督の殺陣の意図をちゃんと理解していたかということが問題だ。例えば、三十郎に疑惑をもった若侍が三十郎と室戸に捕まって大目付の門内に猿ぐつわを噛まされ、縛られている場面。それを森田監督はどう演出したか?
 ちょっとシナリオから抜粋してみる。

****以下抜粋****

 それを取り巻いて、三十郎、室戸、十人ほどの大目付の配下、小者。
室戸「さ、引っ立てろ」
三十郎「この小人数で連れて行くのは危ねえぜ。敵はきっと奪い返しにくる。道で襲われたら防ぎようがねえぜ」
室戸「よし、(配下のひとりに)貴様、至急手勢を割いて連れてこい。いや、ひとりじゃ危ない、二人連れていけ」
 三人飛び出していく。
三十郎「いや、三人でも危ねえ、俺もついていく」

※四つ辻

 急いでくる三人。
「おい待て」
 と、いう声にギクッとして振り向く。
 三十郎が走ってくる。
三十郎「俺も一緒に行く」
 三人、ほっとする。
 次の瞬間、三十郎はその三人を叩き斬ってとって返す。

※大目付・門外

 三十郎、走ってきてその門を叩く。
「俺だ、開けろ」
 室戸がくぐり戸を開ける。
室戸「どうした?」
三十郎「いけねえ、あの三人はもう斬られているぜ」
室戸「!?」
 飛び出して見る。

※四つ辻

 死骸が三つ。

****抜粋終わり****

 黒澤版ではこのシナリオ通り、小気味いいスピードで演出をしている。
 
 三人が飛び出していく。
三十郎「いや、三人でも危ねえ。俺もついて行く」

 というこの間が難しい。あまり早くついて行くと「三人が斬られている」と言うには不自然で、遅すぎたら間に合わない。ともかく三人を斬って、この場から室戸だけを追い出して四人の若侍を助けなければならない場面。黒澤演出は、三人が飛び出し、三十郎がそれを追うタイミングの間が絶妙。ところが森田版では、三人の後をすぐ追っている。しかも「おうい待てい」という声、大きい。室戸に聞こえるで、あれ。
 しかもそのタイミングで戻ったら、誰が考えても三人を斬ったのは三十郎やとわかるやろう。この間が計れていない。

 叩き斬ってとって返す、というシナリオにある場面。
 三人の侍を一挙動で瞬殺する三船をカット割りなしで見せる黒澤演出。しかしカット割りしても瞬殺に見えない森田演出の殺陣では、普通の時代劇の殺陣にしか見えなかった。あっという間に三人目を斬って、瞬時にきびすを返した三船に比べ、織田は斬ったあと、ポーズをとってカッコつけて刀を鞘に戻した。それ、あかん・・・。ここは一秒という時間と三十郎が勝負している場面なのだ。

 さて、殺陣の最大の見せ場がこの直後にある。慌てた室戸が三十郎に後を任せて、ひとりで手勢を呼びに走り去る。三十郎は門戸のかんぬきを締め、若侍に近づいてギラリと刀を抜いてその縄を切る。ここはどうだったか?

 またシナリオからの抜粋。

****以下抜粋****

「なにをする」
三十郎「わからねえのか、こいつ等を助けるのよ」
「なにッ」
 三十郎の刀が光る。
ー立ち回りー
 三十郎、みんな片付けると、咆驚して棒立ちになっている若侍たちに近寄り、
「やい、手前達のおかげで、とんだ殺生したぜ」

****抜粋終わり****

 さて、脚本ではー立ち回りーとだけ書かれているこの殺陣シーン。
 私が黒澤版を観たとき、監督はなんて計算された合理的な殺陣を演出したのだろうと驚愕したものだ。

 それまでのチャンバラと同じく、主人公に敵方の侍たちが斬りかかる。主人公は敵を斬っていく。そこは同じ。しかし、今までの映画には斬られる側のキャラクターはなかった。斬りかかる敵の侍はどれも同じ腕、に見えた。つまりそこには単なる斬られ役がいただけだった。黒澤演出は違った。

 まず最初に、三十郎に斬りかかるのは、配下の侍でも腕に自信のある者からだろう。これを三十郎はバサバサと瞬殺していく。腕に覚えのある者から斬られていくと、腕に自信のない者が残っていく。当然、自信のない者はなかなか三十郎に襲いかかれない。だから斬っていくほどに配下の侍たちの腕は落ち、しまいには悲鳴を上げて逃げ惑う、という演出が黒澤版にはあった。三十郎は、ここにいる全員の息の根を止めないと、若侍の味方だったと室戸に悟られる。そうなると拉致された城代家老を助けることも、大目付の汚職を摘発することもできなくなる。いや、何より自分の命も危ない。だから鬼のような表情で斬りまくり、最後のほうは腰が抜けたり、逃げ惑う者を後ろから追いかけて斬り、無抵抗の門番をも最後に斬る。それが、あっという間のできごとだから、最後に斬られる門番はきっと金縛りになったような状態だったということを思わせる、理にかなった壮絶な殺陣シーンだった。あそこで全員を瞬殺したことにより、四人の若侍は助けられ、三十郎もとりあえずは疑われずに、若侍たちのもとへ戻っていくのだ。
 黒澤の殺陣は、単なる見せ場ではなく、連鎖するドラマの一部なのである。

 森田版にはそれがなかった。チャンバラは単なる織田裕二の見せ場であった。
 そこらの時代劇と同じ敵方の斬られ役がそこにいた。怖れて腰を抜かすような侍もいなかった。刀に血のりがついて、敵の刀を奪う、という一見新しい試みをやっているようでも、それはここでやることではない。あのシーンでは、全員を瞬時に斬らないといけないシーンなのだ。ひとり残らずあっという間の、ということが必要なシーンだった。なのに、森田版の殺陣では、織田三十郎が最初の一人目を斬って、見栄をきっているうちに、私には敵方の侍の何人かは門を出るなり、裏手にまわるなりして室戸を呼び戻す余裕があるように思えたし、斬りかかってくる配下の者の腕がだんだん落ちていく、という演出もなかった。「いや、黒澤演出と違うことをやりたかった」という意図があったとしても、その腕のたつ侍から斬られていく、という演出を踏襲してはならない、ということには絶対にならないはず。ここは黒澤監督の発見なのだから。やらないというのなら、それに匹敵する発見をやらなきゃあ。まあ、森田監督はそこに気づいていなかったんだろうな。
 
 つまり、同じ脚本を演出しても、ちゃんと読み込みができていなかったら凡作になっちゃったという理屈なのである。一場面一場面は凝ろうとしたのかもしれないが、ドラマの流れを森田監督は読み取っていないのだ。

 黒澤演出は殺陣ひとつとっても、カッコ良く見せようではなく、状況にあった殺陣、人を殺す壮絶さを表した。それが結果、カッコよく見えたのだ。森田版は、織田三十郎に斬ったあとの見栄やポーズをとらせたりして、カッコ良く見せようとしていた。しかし黒澤監督が時代劇を撮ったのは、そういうことへのアンチテーゼではなかったのか?

 そして同じ脚本で、黒澤版の上映時間96分、森田版119分・・・
 ここにも問題があったと私は思う。まあそれについて書くスペースはないけど。

 言うときますけど、『家族ゲーム』や『それから』などの森田監督は大いに評価しています。念のため。

 さて、今度は樋口真嗣版『隠し砦の三悪人』か・・・。
 予告編観たら、戦国時代劇というより時代もののファンタジー、いう画面やった。
 わあ、もうヤメロ!



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2008年11月22日

森田版『椿三十郎』について(2/3)

 中山市朗です。
 
 前回の続きです。
 森田芳光監督の『椿三十郎』について書きます。
 
 織田裕二の三十郎はもとより、あの九人の若侍の演技はなんだ?
 中村玉緒の奥方、千鳥を演じた誰だっけあの女優、も、ゆっくりとしたあのセリフ回しは、入江たか子と団玲子の言い回しを意識したんだろうけど、入江・団の場合は、普段からそういう言葉で生活している、という腹に入ったセリフ、中村・鈴木杏(だっけ)は、そういう口調で言ってくれと言われました、としか聞こえない。正直、耳障りなのだ。

 あれは映画の芝居ではなく、舞台のものである。あのオーバーなセリフ口調、若侍たちの顔面に力の入った表情、そんな声出したら敵に悟られるで、という大声の発声、妙なイントネーション、過剰な説明的演技・・・。確かに黒澤映画のキャラクターたちもオーバー気味の演技、発声であることは確かだが、それは計算つくされた演技であり、黒沢映画の世界観の中には、あのセリフ回しがキャラクターの動きにフィットするのである。

 ちなみに今年亡くなったチャールトン・ヘストンが『ミッドウェイ』公開時に、三船とテレビ出演し(『スター千夜一夜』だったかな?)、『七人の侍』の三船の演技について、「アクターズスクールでやってはいけないと教えられたことを三船さんは全部やっていた。それが不自然に見えないのは、我々の概念を覆すものだった」と言ったことがあった。
 これを森田監督は踏襲してしまったわけだが、これは失敗。
 若侍や奥方なども含めて、自然に見えなかったのは、森田監督のコントロールミスであろう。
 それに三船敏郎は、あんなに声を張り上げてしゃべらなかったぞ。
 三船は腹でセリフを言っていた。もちろん織田裕二もプロ中のプロの役者だから、腹でセリフを言っているはずなのだが、そうは聞こえない発声を森田監督が求めたのだろう。そこが耳障りだった原因かもしれない。普段からそんな話し方してたらしんどいやろ。

 黒澤映画は「日本映画によくある顔面神経痛かと言いたくなるあの演技や、そんな声出したらマズいだろうという一本調子のセリフは不自然だ」と言って、マルチカメラによる撮影で顔に力みが入らず、全身で動け、という演技指導をしたんだけども、森田演出は、その黒澤監督が毛嫌いしてあえてやらなかった部分を強調しちゃった。
 こうなると疑問が残る。
 森田監督は、黒澤映画のどこに惹かれて、なにをリメイクしたかったのだろう?

 昭和37年公開当時、『椿三十郎』でもっとも話題になったのは殺陣だった。
 森田監督は、この世界のアクション映画に変革をもたらせた、あの凄まじい殺陣に挑戦したかったのだろうか?

 次回はそこに焦点を当ててみたい。
 


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2008年11月21日

森田版『椿三十郎』について(1/3)

 中山市朗です。
 
「監督に一番大切なことは脚本だ。脚本を書けるということは映画がわかるということだ」
「脚本は米作における苗作りのようなものだと思っている。苗がしっかりしていないと米はできないからだ」
「いいシナリオを駄目な監督が撮っても、そこそこの映画にはなる。しかし、駄目なシナリオをいい監督が撮っても、決していい映画にはならない」
 いずれも黒澤明監督の言葉です。

 さて、遅まきながら森田芳光版の『椿三十郎』を観ました。
 黒澤版『椿三十郎』は絶対越えられないということがわかっている森田版は、劇場公開されたときは、とても恐ろしくて観る勇気がなかったのです。

 実は黒澤明・森田芳光というと、私が『乱』のメイキングドキュメントの映像班として大分県の飯田高原のロケ現場にいたとき、森田監督が何かの雑誌で「黒澤監督は何十億という制作費が必要な大作を撮るべきではない。もっと低予算で身近なものをテーマとした小作品を作るべきである」というトンチンカンな発言をしているのを読んで、憤慨した覚えがあった。黒澤明のことを全然わかっていないなこの人、と思った。そのこともあって、この作品がリメイクされるのはいいとしても、この監督で大丈夫かな? という疑問があったことも、観る勇気がなかった原因でもあった。
 ところがこのたび、WOWOWでハイビジョン放映されたので、さっそくハードディスクに取り込み、今回勇気を出して観た、という次第である。

 観たらやっぱり失望。
 では、どこが駄目だったのかを分析してみるのも、モノ作りのいい参考になると思うので、一冊の本になるほど書きたいんだけど、そんな暇は私にもこのブログを読んでくださっている方々にもないと思われるので、とりあえず3回に分けて連載します。

 実は、
 黒澤明監督、三船敏郎主演の『椿三十郎』(1962年正月公開)は、私は『七人の侍』『用心棒』とともに100回は観ているという、も〜好きでたまらん映画!
 だから私の頭の中にはワンカットずつ全部あるし、全セリフをソラで言えるのだ!
 『1941』で「ダンボ」を観ながら、映画のセリフに併せて口パクしているロバート・スタックみたいになっちゃうよ・・・

 さて、森田版『椿三十郎』は、もう50年近くも昔に書かれた黒澤明、菊島隆三、小国英雄による脚本をそのままにして演出したという。書かれた脚本は完璧だから、直す必要はない。という森田監督の判断であるらしい。
 従って、これは黒澤監督の言う「いいシナリオは駄目な監督が撮ってもそこそこのものになる・・・」という言葉は果たして本当なのか、という実験映画になってしまったのである。
 して、実験結果は?

 見事!
 黒沢理論を打ち破ったあーっ! 打ち破るな〜!
 
 な、なんだこれは? 金をかけた年末の隠し芸大会か?
 そういえば、黒沢監督が書いた脚本が、自らが撮られた作品のほとんどが名作として残っているわりに、黒沢脚本を他の監督が演出しても、さっぱり名作ができなかった事実の本質が、見えてきたような気がした。
 いいシナリオでも、駄目な監督が撮ったら、駄目になっちゃうというのが結論だ。

 しかし、何が駄目だったのだろう?
 黒澤版と森田版、どちらも脚本、カメラワークもほぼ前作に踏襲していて、セットまでほぼ同じである。モノクロがカラーになったのは違うけど・・・
 違うのは、まず役者。
 三船敏郎と織田裕二を比べるのは酷であろう。世界のミフネは凄すぎた。

 問題は三十郎を演じられる役者が織田しかいないのかということ。織田の三十郎は、私にはあまりに悲しかった。剣客に全然見えない。三船は人と世間を知り尽くした年輪を感じさせた。織田三十郎は、ただのイキッたおニイさんにしか見えなかった。
 でも、三十郎を演じた三船は当時41歳。織田は39歳。そんなに変わらないのに、あの三船の圧倒的貫禄と説得力はなんだ!
 同じく、旧作で室戸半兵衛を演じた仲代達矢が当時31歳! 豊川悦司は47歳!
 仲代のほうが貫禄あるのはどういうこと? あの仲代のヌメッとしたふてぶてしい室戸にも、トヨエツはとてもかなわなかった。
 そういうことを考えると、日本にはもう、等身大を越えた世界中を驚かせるキャラクターは創造できず、それを表現できる役者ももういないのかなと、悲しくなる。
 『SAYURI』の重要な配役を、芸者の役を、日本人女優ではなく中国系女優にキャスティングされたときにそれを思ったけど・・・

 ちなみに三十郎は素浪人だからわかるとしても、トヨエツの顔、なんで月代剃らないの? 大目付の懐刀、仕官でしょ? なんか町医者に見えて仕方なかったわ。その髷やら月代みたいなこともきっちりやろうよ、というのも黒沢時代劇の意図だったのでは?
 また『用心棒』ではじめて三十郎というキャラクターを観たときのインパクトはすごかった。頭はぼさぼさで髪がもつれている、無精髭の面で、ボロボロの着物の襟は垢でテカテカに光っていて、身体には蚤でもいるらしく、身体を揺すったり、あちこち掻いていたり・・・こんなヒーロー初めてだった。そこがまたリアル!
 衣装じゃない、もう何年も着古した臭い汚い着衣。
 今までの着流し浪人は嘘だったと暴露した瞬間だった。
 それまでの例えば東映の時代劇スターたちは、クリーニングしました、という衣装を着ていたもんね。旅しててもちっとも汚れないし。

 織田三十郎は、衣装を着ていた。テカテカと光ってもいない。若侍の着物の着付けも、普段の生活感が伝わってこず、やっぱり衣装。しかも侍なら日々鍛錬しているはずなのに腕や肩、胸に筋肉もついておらず、弱々しくひょろっとしたあの姿はいただけない。黒沢版の若侍たちも、加山雄三、田中邦衛、平田昭彦以下、東宝の現代劇の役者たちだったが、その着付けは普段着慣れているかのように違和感なく、俊敏に動き、腰の刀にも重みを感じさせた。黒澤監督は、時代劇を撮るにあたって、まず役者に1ヶ月は着物で過ごす、腰に重い刀を差す、ということをやらせたという。また着物は生活の上でどこで汚れるか、擦り切れるか、破れるかを考えさせて、汚しを衣装さんにやらせていた(これは『乱』の現場で私も見た)という。
 スピルバーグも『プライベート・ライアン』を撮るにあたって、トム・ハンクス以下出演者が兵役訓練を経て、今は命を賭けた戦場にいる、という顔を作るために、俳優たちに海兵隊の訓練を連日受けさせたという。
 もし、今の日本映画が役者をそこまで拘束する余裕も力もない、というならば、黒沢映画のリメイクなんてもう考えないことだ。
 そうでないと黒沢監督以下、あの映画に関わったスタッフ、出演者に失礼であろう。

 さて、次回は出演者たちの、見ていられないあの芝居について苦言を。



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2008年11月20日

11/19の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 19日の作劇ゼミの報告です。
 例えば、あなたがマンガ家になりたいと思ったとします。
 なんの勉強に力を入れますか?

 画力アップのための、クロッキーやデッサン、作画?
 もちろんやっておくべきです。
 しかし、マンガ家志望の人の大抵が気づいていないのは、ストーリー作りの大切さ。
 ストーリー作りの勉強のために、映画をどんどん観ろ、本を読め、とは随分私が言っていることです。
 さすがにウチの塾生たちは、ここの教育が行き届いていて(?)、映画を観たり、本を読んだり、古典芸能にハマッたり、怪談の収集をしたり、シナリオを書いて映画を撮ってみようよ、みたいな話しもあるようで、だいぶわかってきたようです。

 でも、専門学校の講師をしていた頃、なかなかここを理解する学生がいなかった。
「私はマンガ家になりたいんです。どうして映画の勉強しなきゃならないんですか」とか「本を読んだりする時間があったら、マンガを描きます」と言ったり。まあ、そういうヤツに限ってマンガも描かずゲームしとったけどね。

 で、今回の作劇ゼミでは塾生たちにそこを問うたわけです。

「キミはデビューしたいのか? それともマンガ家、作家になりたいのか?」

 そうです。
 新人賞を獲って待望のデビューをしたとしても、そこからが大変なんです。
 8割はこの1作で消えるわけです。
 ストーリー作りのお勉強をしていないから、後が続かないんですね。
 小説を1冊出しても、とても食えないわけです。
 マンガが1作、雑誌に掲載されても食えないです。
 どんどん次回作、次々回作、あるいは長期連載、シリーズ化を狙っていかないと、作家稼業なんてとても成り立ちません。
 もしキミに、なにかの奇蹟が起きて大傑作が完成し、それが新人賞の最優秀大賞を獲ったとしても、次の作品を描くのに1年、2年とかかったら、もう終わり。新人じゃないから新人賞は狙えないし、新人賞を獲ったという実績も過去のものになっちゃう。再デビューはもっと難しいよ、とは私が塾生にいつも言っていることです。

 そのためにストーリー作りの勉強をしておけと。

 それにはどんなストーリーのパターンがあるのか、種類があるのか、構成法があるのか、キャラを生かす方法があるのか、知っておかないと。
 これらを作劇法というんです。
 作劇塾、としたのは、ここが重要なんだという私のストレートなメッセージなんですけど。

 作劇法を身につけるには、映画をたくさん観ておく必要があるんです。もちろんマンガからストーリーを学ぶという方法もありますが、マンガを描くのにマンガからもってくるのはまずい。「パクリ」にどうしてもなっちゃいます。まあ映画もマンガはもちろんストーリー、お話というものに興味をもって読んだり、観たり、聞いたりすること。

 で、そういうものに接しているうちに、ストーリーのパターンとバリエーションがあるとわかってきます。これが判ると、長期連載、新作連発、シリーズ対応、のコツが身につくわけです。そうなると、はじめて作家として食えることになる。

 じゃあそのコツとは?
 それについて講義をしました。

 その内容は講義を受けた塾生だけのヒ・ミ・ツ。

 じゃあちょっとだけヒント。

 吉本新喜劇、マンネリ、ワンパターン、お約束のオンパレード。でも34年に発足以来、大阪では毎日のように上演されていますわ。「おじゃましまんにゃわ」、ドテッ。

『水戸黄門』、今やテレビ時代劇の代名詞。やっぱりマンネリ、ワンパターン、お約束。8時45分になると「この紋所が目に入らぬか〜」「ははーッ」

『こち亀』、正式名称は長いので略。ギネスブック認定、最長の少年誌連載マンガ。累計1億3000万冊売ったこのマンガも、マンネリ、ワンパターン、お約束の繰り返しで現在161巻! 最後は部長から大目玉。

『男はつらいよ』、これまたギネス認定の世界最長の映画シリーズ。やっぱりマンネリ、ワンパターン、お約束で48作。「あっ、お兄ちゃん帰ってきた」「気づかないフリするんだよ」

 ちなみに、周知のように『こち亀』は『男はつらいよ』からの影響によるところが多いですわな。

 で、このあたりに作劇法のヒントがありそうですな。

 マンネリとは?
 ワンパターンとは?
 お約束とは?


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2008年11月19日

「へたなら寄席」終演報告!

 中山市朗です。

 遅まきながら、16日の「へたなら寄席」無事、公演終了しました。
 ご来場くださった方々、本当に心からお礼申し上げます。

 実は私、高座に上がった時点でもまだ、何をやろうか迷っていました。
 
 というのも、21時終了、21時30分には完全撤収ということでしたが、私の前の演者が終わった時点で、もう20時50分。みんな素人やから時間の調整なんてできないもんね。あと10分?
 準備していた『饅頭こわい』は10分では無理。うーん、と考えながら、しんと静まり返った寄席の様子を伺いに、阪神ファンの屈折した精神状況などを振ってみたけど、野球に興味ない? わちゃあ、「そういうときのために噺家というのは、用意周到にこれならどこで喋ってもええやろ、という3ぼう、と言うのがあります。なんやと言いますと、どろぼう、に、つんぼう(放送禁止用語でした、すいません)、に、けちんぼう。の3つでんねん・・・」てな話をしているうちに、あれ? 泥棒の話の雰囲気になつてきたなあ・・・。で、ふと『一文笛』という噺がしたくなりました。人間国宝・桂米朝師匠が昭和30年代に作られたという創作にして古典的名作の一席。
 で、出来は知りません。
 本人は気持ちよく演じました。

 米朝師匠、及び一門のみなさん、どうもすみません。

 でも演じ終わったら21時20分。それやったら『饅頭こわい』でもよかった?
 
 落語、これ精神衛生上、演じてみることはいいことだと実感しています。
 それに独りで舞台を努めると、なんだか自信と度胸がついてくるんですな。
 うちの塾生でも人前で落語を演じた者は、性格が明るくなる。人を楽しませようというサービス精神が養われるんですな。
 実際に、性格が変わったヤツいますもん。いい方向に。

 大内明日香、若桜木虔共著の『マンガを読んで小説家になろう』の中に、こんなことが書いてあります。

「楽しむのは自分じゃなくて読者です。小説家になるには『読者を喜ばせるためなら、なんでもする。床の間でウンコでもする』くらいのサービス精神が必要」

 これ、その通りだと思います。でも、ホントに床の間にウンコしたら、みんな引くと思いますけど。

 夢破れて去っていく人の共通点は、まさにここ。
 篭もって書く。独りよがりなものしか書けない。当然おもしろくない。評価されない。書くことが苦痛になる。篭る。書く。独りよがり。面白くない。評価されない。篭る。書く。独りよがり・・・。で、なんのために書いているんだろうと疑問が湧いて、ふと気づくと30越えてて、結果去る。
 この場合、どうしても自分は作家(マンガ家、脚本家)になるんだ、という気負いがプレッシャーになるんですな。で、作家になる、つまり自分のためにだけ書くということに陥りやすいわけで。あんたの都合は他人は知らん。

 他人、それはまず編集さんであり、読者であるんですが、そういう人たちは、面白いものさえあれば、それを読んでくれる。お金を出して買ってくれる。それだけのこと。

 そこに気づけば、人の中に入っていかざるを得ないだろうし、それで色んな人の意見や話や世界に触れられる。絶対、篭っているときよりは面白く、ショッキングなものに触れられます。それ、ネタやテーマになりまっしゃろ。下手でも面白ければ小説もマンガも脚本もデビューできます。いや、デビューしたあとも楽しい作家人生が歩めます。
 それにみんなで楽しいことをやっていると、モチベーションも上がるしね。
 切磋琢磨、ですわ。

 ということで次回の「へたなら寄席」は1月11日です。同じ場所、時間です。
 この日逃すと、もう夏までありませんから!(波田陽区風に、古いか)


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2008年11月17日

聞きなさい。元教え子のZくん

 中山市朗です。

 総務のスガノくんのブログを読んでいたら、15日付けで知り合いのZくんから「夢を追いかけても無駄やで」というように受け取れるメールが送られてきたとあった。

 Zくんはスガノくんと同じ専門学校の同期だったというから、私の元教え子ということになる。
 だったらZくん、私のブログを読んでいる可能性もあるので、ちょっと言わせてもらいたい。

「25歳を越えると人間は創造する力がなくなり、28歳を越えると知識が身に付かなくなるということが歴史を見るとハッキリしているが、どうかね」
 本当にこんなことをスガノくんにメールしていたとしたら、Zくん、キミはアホ。

 なんの歴史を見ているのか知らないが、どうせ夢破れた職場の同僚か、ロクでもない友人と話をしていて、そんな話で盛り上がっていたんだろう。
 Zくんは就職しているというから、あえて言う。

 キミはどこで何をしているのかは知らないが、そんな考えで会社の戦力になるのか?
 それともキミはバイト感覚で仕事をしているのか?
 だったら長続きしないよ。

 30になろうが、40になろうが、50になろうが、会社員だって、お店の経営をしている人だって、創造して知識を身につけようと日々努力をしているんだ。それに対する報酬が金銭だ。営業する人だって頭を使って、泣きながらノルマを達成しようと努力しているんだ。創造する立場ならなおさらのこと。
 正直言って、これからの正規雇用はモノを作るか、それを売る営業に長けた人しか採ってもらえない時代になる。想像力も知識もない、あるいはいらない、というキミなど私が会社のオーナーならクビだ。そんな奴を雇用しても、会社の売り上げに貢献するはずがないからだ。
 私が作家やマンガ家の養成塾を作ったのは、「世に出たら何になるにせよ、頭は使わなきゃならないし、想像力も求められる。苦労はあるし、報われないことも多々ある。しかし、マンガ家や作家になりたい、という夢があるなら同じ苦労でも、好きな道で苦労しようよ」というメッセージなのだ。就職したら創造せんでええし、知識を身につけることないよ(私にはそう聞こえる)というのは、とんでもない間違いだ。サラリーマンを馬鹿にした発言だ。

 なんの歴史を見て言っているのか知らんが、私は聖徳太子をきっかけとして古代史、オカルトの研究を始めたのは31、32歳のときからだし、40過ぎて塾を作って今はどんどん新しい知識が身に付いている。まわりのおじさんたちも、頭をひねってどうビジネス展開をやろうかと必死になって考えて実践している。確かに20代に基礎的な知識や想像力を生む訓練をやる必要はあるが、それが花開くのは30歳を過ぎてからだ。
 20代半ばで想像力も知識も身に付かなくなる、なんてこと、キミは本気で思っているの? それとも「そうなってほしい」という夢が破れたキミのやっかみ?

 Zくんの発言を聞くと、昨年まで塾のスタッフをしていたMくんを思い出した。
 Mくんは私や塾のスタッフが、彼にチャンスを与えようと営業して、仕事を与えると金にはならないとか、めんどくせぇよ、という顔で仕事をしていた。納品日きりきりまで連絡も取れないことが多く、塾や私の信頼を損ねていた。それでも彼には成功してほしかった。彼によって得たものは正直なかったが、数年後には得られる人材になると思ったからだ。彼によって失ったものは多かった。しかし彼の成功がそれをチャラにしてくれると信じていた。
 しかし彼は、塾のHPから見れる自身のブログで、「がんばればなんでもできるというのは幻想だ」という塾の意図に反した意見を書いて、私が反論したことがあった(今年の2月12日の私のブログをお読みください)。
「チャンスは与えたんだから、お金が欲しいんだったら営業してこい。それは塾の売り上げと実績作りになるし、お前もちゃんとした報酬が得られるようになるぞ。経歴だけをみると、騙せるだけの実績はもうあるから」と言っても「営業する意味がわからない」という世間からすればまったくナンセンスな言葉を吐いて、

 そして塾を去った。
「お世話になりました」とも「ありがとうございました」との挨拶もなしに。

 おそらく、関わっていた人たちにもなんの挨拶もしていないだろう。
 自分で得た人脈じゃなかったから、きっとわからなかったんだろうね。

 そのMくんも、どこぞに就職したらしいが、人に感謝するとか、人が自分を支えてくれているんだ、という気持ちがないままなら、きっと今の職場も去ることになるだろうし、永遠に友人もできないだろう。
 もしこのブログを読んでいたら、Zくん、Mくん、もっと人間的な成長をしてほしい。悲しいほど器が小さいわ。世間が見えてないわ。

 あれ、ひょっとしたら、Zくん、Mくんは同一人物?
 


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2008年11月14日

作家になりたいという人、必読!

 中山市朗です。

 作家になりたいという人、必読!
 
 総務のスガノくんが、塾生Sくんと出版企画を練っているという作劇ブログが、一昨日あがっていました。
 「出版企画って何?」って思いません?
 作家になるには、まず原稿を書いて、賞に応募して獲ったら出版。
 みんなその道をたどります。それが当たり前やと思っているでしょう?

 小説は持ち込み原稿は見ないので、賞に送って、というのが大抵の出版社の基本スタンスです。ただし、普段の研磨と人脈があれば、うちの塾生Iさんのように持ち込みをして見てもらえることはできます。私も昔出版社に営業をかけたことがありますが、紹介状さえあれば結構見てくれました。それで一冊出しました。
 しかし、厳しい世界であることは変わりありません。
 作家志望の人は、賞を獲ってデビューさえすれば、あとは作家としての印税生活者としての輝かしい未来が、と思いがちですが、何度も言いますように2作目以降で苦労をする。デビュー作1冊だけの作家なんて、ゴロゴロ。8割はここで消えるんじゃないですか?

 ところで、専門学校の講師時代から十数年、小説家になりたい(ほとんどはライトノベル作家を目指しますというんですが・・・)という若者は入ってきますが、作家って小説家しかないの? と思うほど、みんな同じものを目指しているわけなんです。ノンフィクション作家とか、エッセイストなんていう作家もあるわけですが、みんな書けもしないくせに小説家になりたいです、と言う。
 しかもみんなが。ラノベ、ファンタジー。目指して勝ち残る自信あんのかいな、っていうくらいみんな同じものを目指している。まあ憧れるのはわかるんですけど、デビューへの競争率、東大に入るより難関やで。もっと頭使わんかいな。

 東京新宿に紀伊国屋書店の本店があります。
 8階建てのフロアのほぼ全部が書籍売り場となっていますが、実は文芸を扱っているフロアは1階と2階のみ。2愛は雑誌類も置いてますわ。
 3階はビジネスとか政治経済のノンフィクション、ドキュメント、レポート、論説文。
 4階は自然科学、やはりノンフィクション、専門書。
 5階は人文科学、文芸評論、つまりは歴史や民俗学研究、ノンフィクション、記録、評論、解説、専門書。
 6階は芸術、趣味、映画や絵画、音楽、アートについての評論、ドキュメント、雑文、画集、写真集、資料。
 7階が地図や旅行ガイド、洋書など。
 8階が参考書、児童書・・・

 小説以外にも作家、物書きの仕事はこれだけある。
 ここに気がつかんのかなあ、と。
 先月私のブログで紹介した堤谷くんは、児童文学を目指しながら、育児ライターとして何冊もの出版物に執筆し、家族を養う収入をちゃんと得ているわけです。もちろん児童文学にはいずれ挑戦するつもりでいるはずです。でもこれ「僕は小説家になるんだから、ライターはやらない」という態度でいたら、まあコンビニとかレンタルビデオ屋でバイト、あるいは警備員、派遣社員・・・。そらしんどいわ。でも彼はライターのおかげで出版社の担当さんと良好な関係にあるみたいだから、いざというときにはちゃんと業界のアドバイザーがいるわけです。これ、大きいよね。

 さて、ここです。
 作家予備兵のほとんどが、ラノベという共通の敵に正面攻撃して十字砲火を浴びて玉砕している間に、他の攻撃方法があることを考えなきゃ。紹介者という援護射撃をしてもらう方法もあるし、私がデビュー間もない頃にやっていたゲリラ戦法というのもある。ゲリラで講談社の文芸部長に会ったよ。
 私が今回指示したいのは、正面攻撃を仕掛けて死んでいく兵隊になるより、戦略を練る幕僚になろうよということ。
 なんやそれって?

 実は先日、総務のスガノくんと話をしたんです。
 先にあげたSくんとの出版企画の件。今はまだ詳しいこと言えませんが、Sくんの頭の中にある専門知識を生かして一冊の出版物にするべく某出版社に売り込むんです。Sくんはマンガ家志望なんだけど、今の画力、モチベーションから言って、まずデビューには2〜3年はかかるでしょう。いや、デビューできない可能性だって大きい。しかし企画物の出版なら、まずライターとしてデビューできる可能性は非常に大きい。スガノくんが今、原稿を書いている出版社は、企画物を色々出版していて、毎月企画を欲しがっているわけです。そこが企画を通してくれるかどうかは、Sくんとスガノくんの頭の捻りよう。私が「それやったら、こんなんどう?」って言ってるうちに、どんどんイメージが湧いてきて、私もやりたくなっちゃった。俺、監修やるから印税くれ!
 ともかくSくんとスガノくんが共著で出しても、一冊の本になったらSくんは作家デビューになるわけです。マンガ家としての履歴には、これは絶対プラスです。また、自分の作品が書店に並んで報酬を得た時、本当の創作の喜びを知ることでしょう。
 そういうことを、これから塾としてやっていこうよ、とスガノくんと意見一致したわけです。
 本当はずっと前からやりたかったんですけど、ひとつには対応できる塾生が育っていなかったということと、もうひとつは、スガノくん自身が小説だけで食うのはしんどい、ということにようやく気づいたということです。遅いわ。
 ここのところ、塾生はようやく育ってきたので、スガノくんや私のフォローで埋めていけるメドはついたんです。

 ノンフィクション、ドキュメント、ノウハウものなどは、企画で通る可能性があるんです。企画が通ったら、そこから書く原稿には必ず報酬が発生するし、必ず書店に並ぶ。立派に私は作家ですと言えるわけです。コンビニでレジを打っていることを思ったら、こっちをやるほうがよっぽど楽しいし、実績もできるし、続けていると信用もつく。それでも小説が書きたかったら、この時点で周囲にいる編集さんに相談すればいい。もうデビュー前の時点より、かなり立場が違うことになっていることに気づくはずです。
 いきなり一兵卒になって、孤軍奮闘のあげく、玉砕するよりもやり方が賢い。
 幕僚という考えは、企画、戦略を自ら練って戦場を自ら演出することです。予算もとって自分たちで書く人間を決める。そして出版社を介して書店に流通させる。まあ編プロに近いですけど。

 小説以外だったら、これが可能なんです。
 で、物書きで生活していくには、これ必要です。
 以前から私が言っていた「おもしろいことをやりたいけど、ノウハウも技術もないという人に塾に入ってほしい」というのは、まさにこのことです。出版だけやない。塾には映像や放送関係、芸能関係の協力者や取引先があるんやから、これを最大に生かそうという人がいれば、一緒におもろいこと仕掛けられるんやけどね。

 小説家になりたかったら、そこからでも遅くはない。
 本当の小説は、30歳過ぎてからやないと書けない、とは私の持論ですけど。
 大抵それまでに辞めてるね・・・。食っていかれへん言うて。
 そうはならないためにも。


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2008年11月13日

11/12の小説技法

 中山市朗です。

 12日(水)は小説技法。
 しかしこの日は、授業開始2時間前には和服姿の塾生が教室に集結?
 実は16日(日)にワッハ上方4階・上方亭で行ないます桐の一門落語会「へたなら寄席」のリハを兼ねたネタ見せをやったんです。
 今回の出演と演題は出順に、

「寿限無」   桐のおたく(小説家志望)
「動物園」   桐のはこぶた(小説家志望)
「明ぱん丁稚」 田舎家君吉(大阪芸大落研所属)
「とんち医者」 桐のぎりぎり(マンガ家志望)
「漫才」    モスグリーン
「喧嘩長屋」  桐のよぎり(マンガ家志望)
「延陽伯」   桐のはなを(小説家志望)
「未定」    桐の雄歌留斗(遊び人志望)

 という面々です。
 私は桐の雄歌留斗という高座名です。桐の一門の総帥です。

 なぜ「桐の」という亭号なのかというと、現在塾を運営しているOSプロデュースの代表が、以前、露の五郎(現・五郎兵衛)一門のマネージメントをやっていたのです。で、「桐の」という亭号に。まあ深い意味はありません。

 まあ会そのものが「へたなら寄席」ということなので押して知るべし。でも演じているほうは楽しいんですな、これが。ウケでもしたら有頂天。で、二度目は絶対スベる。冷や汗ダラダラ。ええ体験ですわ。
 なんで、私や塾生が落語をやるのかって?
 その辺りは、2006年8〜9月の私のブログをお読み下さい。

 それで、え〜っと、迷惑は重々承知しておりますが、そこのところ人助けやと思うて(土下座)、是非16日(日)、橋下府知事の政策によって数年後にはなくなってしまうワッハ上方4階へいらしてくださいませ。上方亭にて18時30分開場、19時開演。入場料は前売り900円、当日1000円と大胆にもお金を取っています。以前、一心寺の落語会で1000円払ったら春団治師匠が出てはった・・・。
 私の演題が「未定」なのはなぜかって?
 私一番後なんです。当初みんな10分から13分くらい演じたら、最後私の持ち時間は30分ある予定やったんです。そしたら「饅頭こわい」とか「住吉驚篭」あたりがたっぷりできるかな、なんて思っていたら、今回のネタ見せでみんなの時間を合計すると私の持ち時間13分しかなかった。ひょえ〜! 「饅頭こわい」無理やん。というわけで、模索中です。
 時間ない? わかってますわ!

 さて、もうスペースおまへん。
 小説技法の合評、熱きバトルが繰り広げられました。
 落語会のネタ見せの流れで入ったため、3人が和服姿のまま参加。
 なんや明治の文豪の書生さんみたいで、ええ雰囲気ですわ。

 今、Iさんの勢いがすごい。課題はとっくにクリアして投稿用の和製ファンタジーを合評にもってきているんですが、「もうひとつ書き進めているものがあるんですが、合評にあげていいですか」と言うので、「おっ、ええよ」と許可したら学園ファンタジーものがあがってきた。
 2作、どちらも第一章だけで合計400字詰め原稿用紙換算で120枚近い大作!
 その上にS社の担当さんに見せている手直し中の原稿がひとつ。その上に有栖川有栖さんから出版社を一社紹介してもらったとかで、そこにあわせて少年用ファンタジーに取り掛からなければならないといいます。
 この様子だと、来年の今頃には何か形になっているかもしれません。
 まあ、どんな形かは知りませんけど。
 一本の課題をあげるのにヒーヒー言うてるようでは、まだまだまだまだ道は遠い。

 よくあるのが、作品を書き出すと途端に余裕がなくなるというパターン。
 わかりやすいわ。途端に授業に出なくなる、飲み会にも顔を出さない。

「アイツ最近顔出さんなあ。なんでや」
「書いているらしいですよ」

 てな会話。アホらしいわ。
 それ「普段は書いてません」と告白してるようなもんや。
 本当に書いている人はIさんみたいに、書こうが書くまいが同じペースの人。彼女は「今、原稿書いていますから」という言い訳をして休んだことはない! 
「ライブ見たいので」と休んだことはあるけど。落語もやってんねんで彼女。桐のはなを。

 プロになったら何作か並行執筆。締め切りには常に追われている。という状況がずーっと続くわけでっせ。作品を書きながらどう遊ぶのか? このバランスを取れるようになってほしい。余裕はありません、という態度を取られたら仕事も振りにくいし。
 以前のブログでも書いたことだけど、ある打ち上げで「キタイ花ん」の若手芸人、魁塾と我が作劇塾の塾生たちと飲んでたとき「明日があるので」と塾生から先に帰って、だんだん少なくなって最後に残ったのが、私、かわら長介さん、構成作家S氏、大滝社長の4名やった。プロばっかり。えーなー、みんな我々より忙しくて。
 かわらさん、悠々と飲んでる。ダウンタウンや明石家さんまさんの番組構成やってる人でっせ。暇なわけない。Sさんも色々打ち合わせに終われてたけど、一緒に締めのラーメン食べに行った。

 こんなこと言いたくないですけど、「金曜日の交流会、忙しいので中止」と言うたこと一度も無いはずやで。授業を休講にしたこともない。まあ北野誠さんのスケジュールで、一度休講しましたけど。
 あっ、ボヤキになってもた。

 まあ、余裕もった態度がカッコイイと思うよ。で、ひとりになったら慌てて焦って、泣きながら原稿ととっくみあいすればいい。キミも、私も、京極夏彦も、イチローも、スピルバーグも、同じ24時間なんやから。

 ところでIさんの少女向けの学園ファンタジー。合評の席は私を含めて男性が多いので、「感想は言えても、なにが正解なのかわからない」という意見が。
 女性の作家志望の方、大いに歓迎しますよ!


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2008年11月12日

マスコミを斬らせていただきます

 中山市朗です。

 私はいつもテレビをつけっぱなしにして、原稿執筆や調べモノをしたりしています。
 主にニュース、ワイドショー。
 真剣に見る必要ないもんね。耳に飛び込んできた興味のある情報のときだけ、目がテレビに行く。しかし、昨今のニュース番組は、なんであんなにキャスターだの解説員だのの意見が多いのだろうか。昔は淡々とニュースを読んでいただけだったのにね。
 で、彼らの話を聞いていると、どうも煮えきれない。明らかに大衆(視聴者)
に迎合している当たり前の意見をしたり顔で言っているだけじゃん。意地悪く見ると、スポンサーに対する遠慮ともとれる。でもそれじゃ正しいこと言えないやん。
 それが報道でまかり通っているこの現実はいかに?

 今、耳にしているのは田母神・元空幕僚長が、なんか懸賞論文で政府見解に反する論文を書いたとかで更迭されたというニュース。空幕僚長たる公人が、「日本の侵略国家であったというのは濡れ衣」というような論文を書いたが、それはケシカラン、というわけですな。
 で、それを受けてキャスターだの解説員だのが、田母神氏を叩くわけです。
 公人のやることではない。こんな人物が空幕僚長とは任命責任が・・・。
 う〜ん。

 まあ、空幕僚長という立場とか、アパグループのことはちょっと置いといて。
 一体、田母神氏がどんな論説を展開していたのか、それを検証しないでただケシカランというのはどうなんだろう? 田母神氏は一体何を書いたのだ?
 政府の公式見解ってなんだ?
 報道番組は両方の論説の要約だけでも示すべきやろが。
 私が見た限りでは、それはどこもやらなかった。
 論文の内容を私は読んでいないので、よくわからないが、
「自虐的な日本、ダメな日本じゃ自衛隊の士気は上がらない。なにが悪いのだ」というようなことを言って一歩も引かない田母神氏の言うことは分かる気がするのだ。
 自衛隊員が保守的な思想をもって日本を守る、という現実は否定できないもん。

 私は、前大戦は日本の侵略戦争だったと思っている。
 ただし、それは米、英、露、仏、独、いずれも同じだった。
 侵略の意図があるから戦争が行なわれる。これは歴史の中で繰り返し行なわれていること。
 私が気に入らないのは、その中で日本の立場を自虐的なものにする論調はOKで、正当化しようとする論調はNGという政府やマスコミの方向性。また、周りの人たちも、それを「右翼や」と言いかねないこの雰囲気はなんだ?
 前のブログにも書いたが、伊勢神宮にバスで乗り付けた観光客にガイドさんは「参拝」と言えずに「見学」と言わされているのはなぜなんだ? 誰がそうさせたのか? 田母神初発言よりこっちのほうが大問題やと私は思う。外国からきた敬虔なキリスト教徒やイスラム教徒に、「ここはただの観光施設やからどうぞ」と言うてるわけ?
 それは彼らを、そして日本人をも愚弄している行為やとわからんのか!

 おそらくこれは、占領下にきまったGHQの教育方針を受け続けた我々の価値観のようなものや、韓国、中国への配慮などがあるのだろ。おかげで今の若い人なんて、総体的に愛国心も希薄ならば、ちゃんとした歴史観ももっていない。宗教についても無知、ということになっちゃった。その結果、あのオウム事件をはじめとする妙な新興宗教に若者たちが毒され、問題を起こし、最近では竹島や尖閣諸島問題だの、日本の教科書が中国と韓国に介入されて、しかもそれにちゃんと反論できない、国際的にバカにされる日本人になっちゃった。あげく、北朝鮮からは無視されちゃって。オバマ政権もアジア外交は中国路線を中心に、やて。
 司馬遼太郎さんの嘆き、ほんまようわかるわ。

 日本は素晴らしい、と言えないようにしたのは、旧文部省、現・文部科学省の方針と学校の先生と日教組と、そしてマスコミだと私は思っていますがね。
 で、そんな話題にもっていくと「めんどくせぇよ」となる日本人の体質は問題やで。

 で、報道番組なんですが、不思議なのは数人いる解説員だのゲストコメンテーターだのの意見が分かれたことがおまへんな。みんな同じ方向にいく。「いやいや、あれは正論だよ」「なわけあるか!」と、互いの意見が激突するのがほんまの民主主義なんですけどね。そうなったのを、私は見たことがない。
 その席をレギュラーとして守るには、あんまり意見主張するよりは、みんな意見に合わせたほうが無難、というわけなんでしょうか。
 でも数人スタジオに座っている、ということは色々な意見が求められているはずなんですが、まあテレビ局としては大勢いたほうが華やかで、視聴率取れそうじゃん、というだけの意図かもしれないけれどもね。

 とか思っているうちに番組は、兵庫県知事の「関東の大震災がチャンス」の失言問題に。これは関西の人間は冗談半分でよう言うてる話ですわ。ただ発言しちゃあ確かにいかん。これはアホ。まあ、口を滑らしたんやろうね。
 当然、この兵庫県知事の発言に、ニュースキャスターが「信じられません」と怒りの一言。

 でもね、その報道番組は以前「阪神大震災」があったとき、その惨状をVTRで流したのはいいが、BGMで黒澤映画『乱』のサントラを流してた。三の城が攻められる地獄絵巻のシーンの音楽・・・。それ報道映像違う、まるでBVG。制作したのは東京の制作会社で、番組は東京発の全国ネットの大型報道番組。
 そんな不謹慎な場面を見て「信じられない」と思った関西人は大勢いたと思うよ。

 ほら、このように立場によって見方も言うことも変わるんだから。
 見えるものも違うんやから。



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2008年11月06日

11/5の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 アメリカ合衆国大統領に、オバマ氏に決まりました。
 黒人系の大統領! 実はこれ、本来ありえないこと。
 アメリカという国はWASPの国なんです。
 白人、アングロサクソン、プロテスタント、これがエリート。
 今までの大統領は、ケネディやリンカーンといったカソリック(どちらも暗殺された)の例外はありましたが、アメリカ合衆国の大統領は、WASPであることが常識だったんです。で、テレビのワイドショー見てたら、大統領の話題になったとき、司会者が「アメリカといえば、この人です。デーブ・スペクターさん」やて。
 デーブ・スペクターさんはユダヤ人。ユダヤ教。マイノリティや。WASP違う!

 昔、『週刊文春』でデーブ・スペクターさんの対談が連載されたことがあり、『TOKYO裁判』という一冊の本にもなっていますが、ユダヤ陰謀論を持論とした中東問題研究センター所長の宇野正美さんと対談した回がメッチャおもろい。

「その発言。ちょっと病院行きだね」とスペクター氏。
「いや、あなたこそ偏執狂だ」と宇野氏。

 宇野さんによれば、あの対談記事は随分カットしてあって対談そのものは、もっとすごかったらしい。
 どうすごかったのかは、ここでは書けませんけど…

 でも、デーブ・スペクターって本名なんでしょうかね?
 ある外国人と話していたら「あの名前はおかしいとなぜ日本人は思わないのでしょうか?」と言われた。
 SPECTORといえば007シリーズで、世界征服を企む悪の組織の大ボスの名前を思い出しますわな。本来は、幽霊、怨霊、お化けという意味。DAVEというのは古代イスラエルの王となったダビデ、英語読みでディビット-DAVIDから来ているので、デーブ・スペクターを邦訳すると、ダビデの怨霊!
「日本人はそのことわかってあの人にコメントさせているの?」と、その外国人(しかも大学教授!)が言うてはりました。
 そういえば随分前、あるテレビ番組で幽霊はいるかいないかの論争に出席して「幽霊なんてバカな概念もってるの日本人だけだよ」と、ダビデの怨霊さんは言うてました。それに対して「『ハムレット』は誰が書いたの?」と誰も言わなかった心霊肯定派も情けない。「アメリカ人はそんなの信じてないよ」とダビデの怨霊さんは言ってたけど、ネイティブ・アメリカンは完全無視?

 さて、5日の作劇ゼミの報告です。
 デーブ・スペクターさんの話は全然関係ありません。
 入塾者も増えてきました。
 新聞記者をやっているというWさん。経済担当らしいんですけど、フィクションがどうしても書きたいからと見学。そのあと即決で入塾ということに。
 かわら長介魁塾一期生、Oくんは落語作家になりたいと我が塾に転塾。創作落語の原稿を読ませてもろたけど落語になってへん。SFが書きたいとTさんも今月から。ネトラジ出演で来塾した京都の大学生も、授業を興味深く見学。塾生たちともう親しくなって、一緒に映画を撮ろう、などという話をしていました。
 
 さて、時代劇大好き塾生の小島雪くんが、東映時代劇で美空ひばりさんの座付き役者だった人や、有名な殺陣師に会っていろいろ貴重な話を聞いてきたというので、ちょっとそんなお土産話をしてもらいました。
 
「もう70とか80歳なんですけど、やっぱり好きな道で一流の人たちと共に映画の歴史を歩んできた人の目は、その輝きが違いました」と雪くん。
 本を読んだり映画を観ることは大切なことですが、まずはそういうプロフェッショナルな人たちと友達になることです。絶対頭では考え付かないドラマが、生きざまが、そこにあるはずです。

 私の講義は今と将来の出版業界を考えてみました。
 いくら作品を書いても、出版されないことにはプロにはなれん。
 では、出版社とはどんなスタンスで仕事をし、どういう契約をするのかをまず知ってもらおうと、著作権、販売権、印刷や製本の過程、広報、宣伝、二次使用や翻訳、電子出版についての契約、金銭の流れ、作業過程、印税・・・そんな話をしました。小室哲哉の逮捕の原因も、ここらが関連している。
 思うんですが、マンガ家志望者はよく「目標はジャンプです」「マガジンです」「花とゆめです」と言うわけです。わからんでもないけど「僕は○○という雑誌が好きです。マイナー誌ですけど、僕のマンガでジャンプ以上の雑誌にしてみせます!」という言葉を吐いた意気のいいヤツは今までひとりもいなかった。
 『ジャンプ』『マガジン』は編集からの注文が厳しく編集、原作も含めたチームプレイが要求されます。「『ジャンプ』めざしてます」言うなら、そういうスキルを体得する必要がある。で、自分の好きな世界だけマンガを描こうとするなら、マイナー雑誌であるほどその欲求は満たされます。
 機械の歯車となってまで『ジャンプ』での名声が欲しいのか、やっぱりマイナー誌でいいから好きなマンガを楽しんで描くのか、どっちやねん、と。
 やっぱり知らんわけです。そういうことを。

 しかし!
 その『ジャンプ』だの『マガジン』だの、言っている場合やない出版界の変革が、今起ころうとしています。ひょっとしたら数年後、相当の数のマンガ雑誌が廃刊しているかも知れません。いや、おそらくそうなります。
 その原因は?
 対策は?
 メリットは? デメリットは?
 将来性は? 
 そんな話をしました。
 ものっすごっく、大事なことです。
 だからそれを間にいれて、原稿を持ち込むといころを考えようと。
 今はまだほとんどの人が気づいていない。チャンスなんです!

 どんな内容かって? 
 まあ、それは私の講義を受けたものだけの特権ということで。
 じゃあヒント。

 映画ができた頃、みんなバカにしたんです。一流の役者は映画なんて出ないものだと。あんなの本当の芝居じゃねえよ、と。
 テレビが家庭に普及し出した頃、もう芸術の仲間入りしていた映画の役者が言うたですな、「テレビなんて電気紙芝居やないか」と。テレビに出るのは二流の役者だった。しかし今はテレビで人気者になった役者やタレントが映画の主役をやっている。
 しかも今やハイビジョンとなつて、映画とテレビは融合しつつあります。
 そして今、ケータイ小説なるものが出てきた。「あんなもの、小説とは言えないよ」と文芸関係者は黙殺しています。しかしすごく売れています・・・。そして・・・。

 歴史は繰り返す。

 


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2008年11月05日

オタク、これもってますか?

 中山市朗です。

 先月の27日、歌手のフランク永井さんが亡くなっていたと発表がありました。
 ムード歌謡曲(なんか死語になってしまいましたなあ、歌謡曲・・・)といえば、この人を思い出します。
 昭和32年に大ヒットした『有楽町で逢いましょう』は、有楽町そごうデパートのCMソングだったらしい・・・。映画のLD持ってます。

 えっ、フランク永井のこと、あんまり知らない?
 実は私もそんなにファンだったというわけでもないのですが、ある自慢がしたくて無理矢理この話題に触れました。


yushaここに掲載した1枚のシングルレコードジャケット。フランク永井が唄う『勇者のみ』。A面が日本語版、B面が英語版となつています。ん? それに、ジャケットに写っているのは、やや! フランク・シナトラ! 兵隊姿!


 そうです。このレコードは1965年に製作された日米合作映画『勇者のみ』の主題曲が収録されたちょっと珍しいものです。
 この映画はフランク・シナトラのシナトラ・エンタープライズが東京映画に協力をもちかけて製作されたもので、太平洋戦争末期のソロモン諸島のある孤島を舞台とし、日本軍と米海兵隊の友情と戦いを描いた戦争ドラマです。
 主演はシナトラにクリント・ウォーカー、トミー・サンズ、三橋達也、加藤武、田村奈巳などが共演しています。特撮シーンは円谷英二の特撮チームが担当、監督はシナトラと井上和男が共同であたりました。
 と、いかにも知っているように書いていますが、これ版権の問題でしょうか。BS、CSでも一度も放送されず、ビデオにもDVDにもなっていません。
 幻の映画なのです。したがつてさすがの私も未見!
 みたーい!

 作曲はなんと後に『ジョーズ』『スター・ウォーズ』『インディ・ジョーンズ』などでハリウッド音楽の巨匠となるジョン・ウィリアムス(レコードにはジョニー・ウィリアムスと表記されています!)
 主題曲をフランク永井を唄うきっかけになったのは、映画の打ち合わせに日本へ来ていたシナトラが、フランク永井の歌声に魅せられて、ご指名があったとジャケットの解説に書かれています。

 大変力強い、ゆったりとした行進曲風の曲です。

dokuritu_01dokuritu_02








 自慢ついでに、
 最近、ネットオークションで落とした『独立愚連隊・西へ』のシングルレコードとソノシートです。
 岡本喜八監督の痛快戦争アクション映画の主題曲が2曲入っています!
 「独立愚連隊マーチ」も「イキな大尉」も、ゴキゲンな軽快な曲です!
 岡本喜八監督自身の作詞、作曲は映画だけに専念したという巨匠、佐藤勝です。
 カラオケにあったら加山雄三になりきって披露してあげたいですが、おそらくないです。

kaijuu
※オマケです。最近映画専門チャンネルで、ハイビジョン放送していた『怪獣総進撃』のソノシートです。





 ところで思います。
 自慢ほど、それを聞かされる人にとって、迷惑となるものはありませんな。
 自己満足であることを承知した上で、今回のブログは終了です。



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2008年11月02日

鼻血が出そうになった飲み会

 中山市朗です。

 今日2度目のブログです。
 
 先週の金曜日から土曜日にかけて、我が書斎で行なった恒例の「上映会という名の飲み会」が大阪芸大生たちも数人迎えて、えらく盛り上がりました。
 感化された塾生たちのブログを是非お読みください。

 刺激がありすぎて、鼻血が出そうになったと、相変わらず言うことがオーバーな総務スガノくんのブログ。
 ブログが10回は更新できるくらいの濃い内容だったという芸大生と塾生を繋いでくれた坂本ナオキくん。
 最近、熱血空振り野郎の異名をもつ猪名山門士くんの「負けてらんねええええええええええ!」という叫び! ついでながら門士くん、スピルバーグの『激突』は正しくは『激突!』と「!」が入ります。気をつけてね門士くん。
 作劇に偽物がいるなら俺が潰す、とプロへの情熱は誰よりも熱い、まさきくんのモコピー・ホームページ。

 みんな熱い。ええぞ!

 あれ、お騒がせの青谷圭のブログの更新がないぞ?



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イルミナティ

 中山市朗です。

 感謝、感謝です。
 29日のブログで、ネスタ・H・ウェブスタ著、馬野周二訳『世界革命とイルミナティ』という本を、みつけてー、と叫んだら5人の方より「見つけたよ」と連絡があったことをお礼させていただきました。
 が、その後、なんと2冊が送られてきたんです! 定価3600円の本でっせ!
 枚方市の山本昌弘さま、東阪企画の山本浩史さま、ほんとうにありがとうございます。
 実は1冊注文してしまっていて、おそらく3冊になってしまいますが、1冊は塾の本棚に置いて、教養ある(?)塾生たちに読んでもらおうと思っています。
 ブログにコメントがつくことも滅多にないので、悠長に塾の報告などを中心に書いておりましたが、色々な方に読んでいただいていると改めて実感した次第です。

 しかし山本浩史さんは「これは大学の課題図書だった」とお手紙にありましたが、こんな本を課題図書にした教授に、私は興味をもちました。

 イルミナティってなに? という方、お礼の意味でちょっと説明いたしましょうか。
 といっても、ちょっとではとても説明は無理、それこそ1冊の著作になるくらい説明しないとさっぱり分からないでしょう。

 ただ、こういうことは言えます。
 中世から今に至るまでのヨーロッパの歴史を語るには、2つの基本があると言われています。1つはキリスト教、1つは王朝です。王朝は、英国のスチュワート家、フランスのブルボン家、イタリアのメディチ家、ロシアのロマノフ家、そしてヨーロッパ連合の中心としてあったオーストリアのハプスブルグ家。我々の歴史の教科書ではこの2つの基本が、特にキリスト教の概念がスッポリ抜け落ちています。だからよく分からんわけですな。カソリックとプロテスタントの違いを、どれだけの人が説明できるでしょうか? でも、これは重要なことなのです。
 で、そこを押さえた上で、ヨーロッパの歴史を語るもう1つの基本があるのです。
 それはフリーメーソンなのです。
 このフリーメーソンを説明するのが、また厄介なのです。一般にマスコミにこのフリーメーソンなる結社の動向が掲載されることはほとんどなく、目にするとしたら、陰で世界を動かせている秘密結社だの、陰謀を企てている裏の力だの・・・。しかし、確かにこのフリーメーソンという組織を抜きには近代ヨーロッパは語れないのです。18世紀にヨーロッパの貴族や政治家、文化人たちがこぞって入って、フリーメーソンを媒体にしながら、啓蒙主義が広がり、アメリカ独立運動やフランス革命に影響を与えたのは紛れもない事実なのです。とは言っても、なんのことかわからないですよね。

 1992年6月12日付けの毎日新聞に、珍しくこんな記事が載ったんです。
「【ロンドン10日時事】全世界に600万人の会員を擁する巨大秘密結社フリーメーソンの会合が、初めてロンドンでマスコミに公開された。英国内組織の創設275周年を記念して、英ケント公が主宰、フリーメーソンへの不信感を払拭する狙いで公開を決断。同結社は会員相互の扶助と友愛を目的とした結社だが、多数の政財界の有力者が会員のため、会員の利益を図るのに影響力を公使しているとの批判を浴びていた(原文のまま)」

 なんで275周年やねん、いう突っ込みはまあ置いておいて、重要なのは政財界の有力者を中心に、全世界に600万人の結社! だということ。
 これがブリタニカ百科事典では、「世界にはなんの影響も与えていない」と、その陰謀論を否定した解説があるが、欧米の政財界の有力者を中心に600万人の組織が、世界の時勢になんの影響も与えていないなんて、ちょっと考えられないし、不自然ですよね。それになんの影響ももたらさない組織に、600万人も入るか?
 ところがこのフリーメーソンと、あのザビエルで有名なキリスト伝導の一大組織、イエズス会を基盤にして組織された明らかな秘密結社があったんです。これが啓明結社=バイエルンのイルミナティなのです。その思想は、マキャベリズムそのものです。マキャベリズムというのは、民衆のエゴイスティックな本質を逆利用した統治者の権謀術を言い、あるいは目的のためには手段を選ばない、策謀主義のことを指すわけです。この思想原理を元に活動を始めたイルミナティは、フリーメーソンの右翼派、と言われるほど過激な組織でしたが、当時のバイエルン政府とカソリック教会から危険視され、結成10年にも満たない1784年に解散させられます。ところが・・・ここでは言えない。でもこの思想原理は今も、特にアメリカで生きているのです。今のアメリカで起こった突然の大不況、貧富の格差の拡大、マスコミの煽り方、教育の荒廃、私に言わせればそれらを分析していくと、まさに解散したイルミナティの思想原理がぴったり合わさるわけです。以前、日本のバブルが弾けたとき、ユダヤ系投資会社ソロモンブラザーズの不当な買いつけだったという結論が出ながら、まったくそれは闇に封されていたわけですが、またか、という感想。
「ユダヤだのフリーメーソンだのの陰謀なんてありえない」と学者は言っていますが、ちゃんとした論説は聞いたことがない。もっとも陰謀説を頭から信じるのも危険ですが。

 あの、モーツァルトは、親愛なるイグナーツ・フォン・ボルンとともにイルミナティに出入りしていました。また彼は、フリーメーソンの会員であったことは周知の事実です。そしてフリーメーソンオペラ『魔笛』を最後にモーツァルトは謎の死をとげ、イルミナティの会員だったボルンも『魔笛』の企画に関わり、同年に亡くなります。
 暗殺、だという説もあります。
 モーツァルトの死には、調べれば調べるほど矛盾と隠蔽の壁に立ちふさがります。

 この謎、モーツァルトの死因、フリーメーソン、イルミナティを今、私は追っているわけです。そしてこの謎を解くカギが、どうやら日本にある、と言ったら信じますか?
 おっと、これ以上は企業秘密。
 モーツァルトの友人の回想録という形で今、調査と同時に執筆中です。でも、こんなに難しく、長引く執筆は初めてです。書き進んだかと思うと、矛盾が出てきて破棄、それの繰り返しです。でもなんとか今年中にはメドをつけたいのですが・・・。
 なんとなく、これは8年前角川より上梓した『捜聖記』の姉妹編、になりそうな感じです。
 そんな折りでしたので、皆さんのご協力は大変助かりましたし、勇気も100倍いただきました。

 ちなみに今執筆中の作品の題名ですが、

『モーツァルトの血痕(仮)』

 です。


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kaidanyawa at 22:32|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


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オフィスイチロウ


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