2008年12月

2008年12月28日

宗教の勧誘について

 中山市朗です。

 日本人が3人集まったら、してはいけない話というのがあるそうです。
 それは野球と宗教。
 でも私は、この2つの話がとてもとても好きです。

 先日、塾生の高田くんが、ブログで「哀しき雛鳥」という題で、新興宗教をやって不幸になっている一家のことを書いていましたが、私もそんな話を。

 今では私は、「どこかの教祖さん?」て、言われるようなキャラになってしまいましたが、若い頃、20代の頃は、なぜか宗教の誘いが多かったんです。
 きっと定職に就かず、ブラブラしている(ように見えた)私を、哀れに思ったのか、それとも、人の言うことを素直に聞きそうな、好青年に見られたのでしょうか?

 大学時代のことです。
 高校時代の友人が、私の四畳半のアパートにやってきました。もちろん久しぶりに飲もうや、という口実で。
 しかし話しているうちに「お前は幸せになりたくないか」てなことを言い出した。
 「オレ、今充分幸せやけど」
 「でも、悲しいことや、悔しいことってあるやん。そんなことなくしたいと思わんか?」
 「あほか、悲しいこと、悔しいころがあるから、また報われて、喜びがあるんやないか」
 「その喜びだけの世界にしたないか? いつでもニコニコ笑ってられる世界に・・・」
 「ほな何か、親が死んだり、友人が困ってもニコニコすんのか」
 「そうや、お釈迦さんが死にはったときにな・・・」
 お釈迦さんが死んだとき、弟子はニコニコ笑っていたという話をされた。

 あほ、涅槃の話やろ。あれはそんな話やない!

 そしたら今度、仏壇の話になった。仏壇を買って幸福になった人の話、それを壊して捨てて不幸になった話。究極、仏壇を買ったら幸せになるぞ、言うてるんですな。
 もうわかった。彼が何者か。言うてやった。
 「あのなあ、信仰の自由や。それはかまへん。でもなあ、上の人に言われたことをそのまま信じるのはやめよう。もっと勉強せえや。お前の宗派の根元は○○上人なんやろ。でもな、あの人は鎌倉時代に辻説法した人や。鎌倉時代に仏壇はないし、ましてや仏壇が人を救うなんて言ってない。それとも何か、○○上人は仏壇背いたろうて説教したか? お前の言うてることは○○上人の教えに完全に反してるわ。バチあたりめが!」
 私の母はお寺の出、親戚に僧侶も多い。そのくらいのことは知ってるわ!
 そしたら彼、「また上の人連れてくるわ」と言って帰った。
 そして一週間後、ほんまに来た。
 「キミは映画が撮りたいんだって?」と、その優しそうなおニイさん。「だったらほら、うちにはこんなに映画監督や俳優さんや、芸能人がいるんだよ。みんなうちにいるから成功したんだねえ」と、まあいろいろエピソードを聞かせてくれた。
 で、私は言うたわけです。
 「でも、それ以外の人の方が圧倒的に多いわけですよね。僕の敬愛するK監督、O監督、N監督、大好きな俳優、Mさん、Kさん、Oさん、憧れの女優、Wさん、Yさん・・・ねえじゃん。違うやん。で、ハリウッドにはこれ、通用しないの? 名前ないですけど」
 本気でそう思った。こんなん業界のごく一部やん、て。
 帰っちゃった。

 若い子連れの母親が来た。
 「あなたは、人類終末に生き残りたくないですか?」
 そんなん考えたことない。だいたい終末なんてあるの?
 ある、というんです、その女性。だからひとりでも救わなければならない。あなたとこうしてお話できるのは、神の思し召しなのだと。
 「それは光栄です。で、今、あなたの宗派は世界でどのくらい、いらっしゃいます?」
 「は?」
 「は? やない。大事なことです。どのくらいの信者がおられますか?」
 まあ、大きな数字を言うた。 
 「そら大変や。僕など誘ってる場合やない。信者の数減らさな。あなたが危ない」
 「どういうことですか!」
 「ええっ、あなたは聖書を読んでいないのですか! 神は地上に大災難を起こさせる前に、お救いになる人数は決められているのですよ。14万4千人。これ以上増やしてどうするんですか? 僕はいいです。犠牲になりましょう。さあ早く帰って、減らしなさい」
 「せ、聖書のどこに書いてますか?」
 黙示録の7章じゃ、とは教えなんだ。
 彼女、読んでないわけがないんですけど、おそらく自分の頭で読んでないんですな。

 あの、これ宗教を馬鹿にしているわけやないです。馬鹿にしてたら聖書も仏教聖典も読まん。ただ、なんの疑いもなく、上の人の言っていることを信用して、自分の頭で考えてない信者に腹がたつんです。理論にも問答にもならない。こんなんええ金ヅルですわ。

 阪急某駅前を歩いていると、美人に声をかけられた。
 「私たちと、いいビデオ見ませんか」
 なんや、エロいシチュエーションやん? て、まあ思うは勝手。
 結局、教会の別室に連れていかれて、ひとりにされた。
 テレビの画面には牧師さんが映って、聖書の講義。かくて人類は神によって生まれた。
 「創世記」ですな。
 で、見終わったら、さっきの美女を含めた数人に囲まれて、「どう思いました?」と。
 「どうって、宇宙はビッグバンでできたものやと思い込んでいました」と返事した。
 「ビッグバンて、なんです?」と、全員に首をひねられたときには、エエッ、マジ? と、これは驚きました。一般教養さえ、こいつらない。何者やこいつら。で、延々とビッグバン説を解説してやると「へえーっ」て、いたく感心して、直後に無言になった。まさか彼らは、聖書の天地創造を信じとったんか?
 今の日本の、ええ若いモンの中に、まさかファンダメンダリストがおったとは!

 いや、信仰の自由です。あくまでビッグバンも仮説のひとつですから。
 そこで私は「ああ、ビッグバンね。あれには僕たちからすれば矛盾があるんです。例えば・・・」なんて話をしてくれると、オヌシやるな、と少しは見直すんですが、ちょっとこれは。理論も哲学もあったもんじゃない。他のものを知らんすぎる。人に勧めるのやったら、もっと勉強せな。その人の人生預かるんやで。

 私は仏教系の勧誘があったら、「聖書読んでます?」と聞くんです。
 キリスト系の勧誘があったら、「仏典読んでます?」と聞きます。
 絶対に読んでいません。じゃあなぜ、それが一番と言えるのか?
 「お読みになったら、またお話しましょう」と、一旦帰っていただきます。
 「読みました」と出直してきた例は一度もありません。

 世界基準から言えば、日本人は神も宗教も知らないと言われています。
 知らなくても幸せを感じる日本は、本来いい国なのかもしれません。
 で、何かを信心することも私は否定しないし、神社、仏閣、教会には、荘厳で聖たる威厳と神秘性を感じます。神社巡りが趣味ですしね。
 だからこそ、妙な勧誘には耐えられないんです。

 あっ、この前、駅のホームのベンチに座っていると、私の頭に手を掲げる人がいて、
 「あなたは、神の奇跡を信じますか?」と言う。
 「奇跡? 見ました」と言うてやると、その人ビックリしてましたな。
 「えっ、どこでですか? どんな奇跡です?」
 「あなたが神に加護されているなら、わかるはずです」言うて電車に乗りました。

 奇跡、ほんまに見たんです。
 なんと、その駅の駐輪場に数週間前にパクられた自転車があったんです・・・。


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2008年12月25日

クリスマスと12/24の小説技法

 中山市朗です。

 世間はクリスマス、いうて、ちょっと浮かれてますな。
 昨日の授業終わったあとも、女子たちはいそいそとお帰りになりましたが、男どもは教室にいつまでも残って、ぐだぐだしておりました。まっ、私もでしたけど。
 そういえば、塾生に限らず私の周りの女性たちは、みなさんいそいそと、何かありそうですが、男どもはなんだか暇そうです。
 男と女の数、合ってるんでしょうか?
 それとも、イブは忙しいの、という女性のプライドからくるポーズなんでしょうか?

 クリスマスで、何年か前のことを思い出しました。
 私が以前住んでいた部屋に、フジテレビがデビューさせようとしているアイドル予備軍の女の子が来たことがあったんです。CS番組のロケで、ディレクターが私の友人だったということもあって、まあ内容もわからずに許可したんですね。
 来た女の子は2人。本当は5人くらいのユニットを組んでいて、もうすぐメジャーデビューとかで。ところがディレクターが言うには、「最近のアイドルは見かけばっかりのバカなんで、バカではあかんと、説教するコーナーを作ったので、説教師をやってくれ」と。なんやようわからん。
 で、わざわざ説教されに、彼女らは大阪に来た。

 初対面の女の子2人。私の前にちょこんと座ってるんです。
 クリスマスも近い寒い部屋に、女の子は超ミニの半分裸みたいな恰好で、私は竹刀を持って椅子にどっかりと。ヘンな絵ですな。
 「じゃあ説教して」と合図が出たけど、初対面の子でっせ。まあかわいいし。
 で、もうすぐクリスマスやと気がついて。
 「クリスマスってなんの日か知ってる?」とキッカケを作ったら、
 「彼氏と過ごす日!」と元気に返ってきた。
 「ちゃうがな。クリスマスや。何かを祝う日やろ。何を祝う日やと尋いてんの」
 「あっ、わかった。サンタさんの日!」
 さあ、ちょっと説教モードに入ったぞ。
 言うときます。この子、17歳だったそうです。
 「サンタさんの日ィィ? なんやサンタさんの日て。サンタさんの誕生日か? ちゃうやろ! クリスマスや。クリスマス、クリストマスや」
 そしたらこの子、「あっ、わかった、キリストの死んだ日!」
 ボケてんの違う。マジ。
 「なんで死んだ日祝うねん。お前らキリスト知らんのか!」と言うたら、
 「私、幼稚園からずっとミッション系の学校なんですよぉ」
 「だったら、キリスト生誕日で、なんで知らん!」
 「だってえ、習ってませーん」
 「クリスマスはキリストのミサが源語や!」
 「えーっ、そうだったんだあ。すごーい!」(パチパチと拍手)
 これは学校が悪いのか、親が駄目なのか、この子がほんまにアホなんか?

 ・・・。

 この子、「宇宙」という言葉知らんかった。
 「宇宙ってなんですか?」と質問されたとき、質問の意味がわからなかった。
 「夜に空を見たら、星が見えるやん。あれが宇宙」と教えたら、「じゃあ宇宙って、地球の中にあるんですか?」て、ますます意味わからん。「あのなあ!」とマジ説教モードになっていると、もうひとりの子が「中山先生の部屋って、じょうほう系のビデオ多いんだあ」と訳の分からんことを言い出した。「なんや。そのじょうほう系のビデオって。そんなもんないわ!」と、ふとその子の見ている棚を見たら、びっしりと落語のビデオテープが。
 背ラベルに私の達筆レタリングで、「上方落語大全集」。
 上方をじょうほうと読んで、落語全集が読めなかった・・・。

 あとでディレクターに、「ちょっとアホ過ぎへん?」と言うたら、「最近のアイドルって、みんなあんな程度やで」言うてました。バカキャラ、アホキャラがどんどん出るはずですわ。
 この子、デビューしたんでしょうか?
 アイドルあんまり詳しくないんで、わかりませんけど。

 しかしほんと言うと、『聖書』のどこにもキリストが12月25日に生まれたなんて書いていないんですな。馬小屋で生まれたのが本当なら、冬ではない。いくらベツレヘムでも寒すぎるらしい。で、ある説によると、BC7世紀の9月15日とされたとか。
 本当は復活神ミトラの生誕日が、キリストの復活のイメージと合わさって、キリストの生誕日が、12月25日になったといいます。おそらくそうだと思います。
 ミトラ神ってなに? という人は、私の『捜聖記』をお読みください。

 ところで、日本人はキリスト教徒やないのにクリスマスは浮かれますな。
 なんででしょう?
 おそらくほとんどは仏教徒のはずやのに、お釈迦様の誕生日は知らん顔や。
 えっ、お釈迦様の誕生日はいつって?
 自分でしらべーい!
 でも、その日は精進料理って、そら盛り上がらんか。

 で、本題。
 24日は今年最後の授業でした(マンガの授業は今日もあります)。
 私のブログを読んで、見学しに来た小説家志望が1人。
 その彼にも入ってもらって、いつも通りの合評です。

 11日のこのブログで説教じみたことを書いたら、効果てきめん。
 全員が原稿をあげてきました。それはそれで大変です。読む量が全部で文庫本1冊ほどになります。でもみんな、ちゃんと読んできています。
 総体的なことを言うと、みんなちゃんと小説の体を成しています。
 実は、小説家志望の人の書く原稿って、小説になっていないのが多いんです。ほんまに小説読んでるの? と疑いたくなります。
 みんな小説の体を成しているのは、きっと仲間の書いているものを読んで、合評に備えて赤を入れているからでしょう。そうすると、自分のレベルもわかってくる。
 あとは何を書きたいのか、何にこだわっているのか、です。

 ただ、まだ高校生のKくんは、前回の合評から何回か連続で休んでしまって、原稿に日付も書いていなかったことから、その原稿を持ってきていない塾生がちらほら。でも、これだけ間が空いて、書き直ししてないということは、どういうことや、と、今回は見合わせ。
 新人のT野くんは、せっかく提出してあるのに体調不良でお休み。
 Sくんは、奇譚調の妙な小説を書いていて、面白くなりそうだったんですけど、全然違う方向へいって、まともな小説になったんですが、面白味がなくなった。でも、それが書きたいものだ、と言うんです。でも全然面白くないし、Sくんならではの味もない。「前に書いていたヤツのほうがよっぽど面白かったけどなあ」と私が感想を言ったら、今回はまた元のスタイルに戻って。何が書きたいのか定まっていないんですね。結局書いたものが、たまたま奇譚になったというだけなんでしょう。
 入って間もないKくんは、主人公とヘルス嬢の関係から始まって、そのヘルス嬢があとに自分の職場に赴任してくるというストーリー。しかもエロイ女教師。にしては、全然タッチがエロくない、と指摘されて今回はそこを修正してきたようなんですが、やっぱりエロい、というわけではない。そこをみんなに指摘されていましたが、「ちょっと待て、Kくんはエロが書きたいの?」と質問した。そしたら、どうも違うみたいなんですね。でも、この題材では読者はエロを期待しちゃいます。じゃあ、何が書きたいのかというと、まだ手探りなんですな。コメディタッチのものも書きたいし、どうしようもない男というのも書いてみたい・・・。
 Oくんは筆が遅い。今回は厳重注意! 
 彼は同人誌をやっているんですけど、仲間からは「辞めたら?」とたびたび注意されているようですが、「両立します」と言い切ったからには、両立するのを見せないと。
 Tくんは構成力がついてきたけど、その分独特な毒みたいな味が希薄になってきています。みんな文章力が巧くなると、とんがった面白さのようなものがなくなっていきます。そこんとこのバランスが難しいんでしょうか?
 Hさんは、約3ヶ月ぶりの復帰作品。彼女は某AV雑誌でコラムの連載をもっているだけあって、文章能力はあるし、73枚の原稿を一気に読ませるだけの構成力も、それなりの味もあります。しかし、コラムと小説は違うんですね。今回新しく書き上げた第二章の部分は、ドラマになっていない。でもこれは色々経験してきた女性でないと書けない独特の世界が描かれているので、毎回読むのは楽しみです。
 Iさんは、日本神話のファンタジー。前回指摘されたファーストシーン。まだ掴みきれていません。こうなったら最初の3行でインパクト勝負でいくか、このシーンだけ設定を変えてみるとか・・・。もう1本の作品は掴みOKなだけに、彼女もそこはわかっているんでしょうけども。プロを目指しているわけだから、そこは高い次元で悩んで欲しいものです。
 落語作家を目指しているO田くんは、別枠でアドバイス。
 やっと落語になりそうなプロットが上がってきた。
 それまで不自然な設定や、ムリにボケる、という勘違いからようやく抜け出た。
 不自然はけっして笑いを誘いません。日常の中に不自然が入って、リアクションが起こるわけです。それが笑いとか恐怖です。それがようやくわかってきた。
 「台本にしてみよう」と、光明が見えた。

 さて、今年の授業も終わり。
 その後はネトラジの収録でした。

 さあ、明日は塾の忘年会。
 明後日は、桐の一門の忘年会。
 明々後日は、塾とは関係ありませんが、あるところの忘年会。
 飲むぞ! 食うぞ! 朝までGO!
 31の夜から元旦にかけても、いつも10人ほどくるので空けてます。
 しかし、去年はモコピーしか来なかった・・・。
 でもなあ、年賀状も書かなあかんしなあ。
 依頼された原稿も、来年出す予定の遅れ気味の原稿も。
 早速目を通さないといかん資料、本も山ほど買ってきたし・・・。
 師走やなあ。


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kaidanyawa at 20:36|PermalinkComments(4)

2008年12月23日

忠臣蔵その3

 中山市朗です。

 『忠臣蔵』についてのパート3になっちゃいました。

 さて、大石内蔵助です。浅野内匠頭亡き後、赤穂城の筆頭はこの人となります。
 片岡千恵蔵が、重々しく演じています。この重々しさと威厳、貫禄が大石のキャラクターです。
 主は切腹、家は断絶、お城は明け渡し、と、お城勤めをしていた侍たちは、昨今あるような、急のリストラにあったようなことになります。ほんまの浪人ですわ。
 お城に集まって、みんなの血気が逸ります。「くやしい」とみんなは泣きます。
 まあ、殿様の一方的な切腹がくやしいのか、職を失ってくやしいのか・・・どっちもあるでしょうけど。
 でまあ、くやしいから、城を受け取りにくる幕府と、いっちょ戦って死ぬか、それとも死んでもつまらんから、やめとこう、か。その選択に迫られます。
 大石は、だったらみんなで殿の後を追って切腹しようぜ、と言います。ここで家来を試すんです。で、切腹に同意した者だけを集めて、仇討ちを提案します。

 城の明け渡しに上使脇坂淡路守が、大軍を率いてやってきます。みんな武装しています。
 つまり幕府も、争いは仕方なしとやや認めているんですな。
 脇坂淡路守を市川右太衛門が、これも重々しく貫禄をもって演じています。大石は明け渡しの準備をして、丁重に出迎えます。
 千恵蔵と右太衛門、東映の重役でもあったこの2人は、東映で『忠臣蔵』が作られるたびに交互に大石内蔵助をやっている印象がありますが、淡路守は城のある一室で、柱に彫られた子供の絵を見つけます。
 「これは?」
 大石は膝を落とすと「亡君、幼少の頃の戯れ彫りにございます・・・。この大石にまたがりて、天下の名君に・・・なるのじゃと・・・仰せられて」(千恵蔵調に)
 「なに、大石にまたがりて天下の名君になると?」(右太衛門調に)
 「御意」
 「うるわしい・・・、師従の情じゃのう。上野介さえなくば、その夢の通り、まさしく、内匠頭殿は、名君の生涯・・・完、されたであろうのう」
 2人は、じっと見つめ合います。
 腹芸です。黙ったまま、2人で間をもって、意思疎通をする。
 東映版の『忠臣蔵』ものでは、必ず千恵蔵・右太衛門の腹芸のシーンがあります。
 これがないと、東映版を観た気がしません。

 でもここのシーンも笑けました。あんな礼儀も知らずでキレやすいアホぼんが、天下の名君など、はっはっはっはっ、片腹痛いわ。だいたい教育がなっとらん。誰や教育係は? 
 だいたい、世の中なんて、耐え忍ぶもの。浅野内匠頭が吉良上野介にイジメられたと言ってもほんの数日のこと。江戸という時代を経済で支えたのは、年貢を取り立てられ、水粥すすっていた百姓たちでした。百姓たちは一生、侍にいじめられていましたから。
 
 実際の浅野内匠頭については、いろいろ記録は残っていますが、短気であったことは本当のようです。無骨者で頭を下げることを好まなかったらしい。
 やっぱり、プライドだけは高い、キレやすい殿だったようで。
 史実には、あの畳替えなどはなく、浅野内匠頭が吉良に遺恨をもった原因は明らかではないようなんですが、例年千二百両かかる勅使饗応役の費用を浅野は七百両しか出さなかったので、吉良はそこに異議申し立てし、そこで不仲になったという当時の記録(『浅野家滅亡之濫觴』)があるようで。もしそれが原因で刃傷事件となったのなら、そら、吉良上野介は悪くない。おとがめなし、というのは理解できる。
 しかも、元禄3年3月14日、刃傷事件があった日は、幕府の年間行事の中で、一番格式のある儀式だったんです。畳替え、烏帽子代紋は、このときにこそ、いうとき。尋くまでもない。しかもまあ、浅野家は、その予算をケチった!
 そうかあ、浅野内匠頭は美男子やけど、ケチンボやったんや。
 で、こういう刃傷事件は他にもあったのかというと、江戸城内では3件あった。でも3件とも加害者は相手を殺傷しているので、これは文句なく切腹(1件はその場で自害)。
 ということは、浅野内匠頭だけが相手をかすり傷だけ負わしたわけで・・・。
 あれえ、浅野内匠頭は美男子やけど、剣の腕はあかんかったんや。

 未熟者め!
 
 さて、大石以下、47人となった赤穂浪士たちは、主君亡き後1年10ヵ月もしてやっと吉良家へ討ち入ります。なんか逆恨みに思えてきましたな。
 だって、浅野内匠頭に切腹を申し付けたのは幕府でっせ。別に吉良は、それを幕府に嘆願したわけでもない。
 さてさて、討ち入りは約2時間ほどだったそうですが、「50人組東へ!」「30人組は西へ!」と100人以上はいるように見せかけたので、恐れをなした吉良側の侍たちはほとんど屋敷から出てこなかったらしい。それでも、吉良を討ち果たし、47人全員生き残ったというのは、ほとんど真珠湾攻撃みたいなもんでしたんやろね。槍なんて部屋の中でも使えるように短い特注のものだった。

 武士の本懐。
 47人はまことあっぱれな義の武士、武士の鏡とされました。とさ・・・。
 今まで、浅野内匠頭が辞世の句を詠むところで、涙でそうやったのに、急にそんな見方をしたのは、なんでやろ。浅野内匠頭みたいな若者を、ぎょうさん見てきたからやろうか。

 以上、あくまで先日、ハイビジョンで『忠臣蔵』を何本か観ての、私個人の感想でした。
 他意はありません。



 ただ、
 一度、こんなキャスティングで『忠臣蔵』はどう?
 私の言うてること、わかりまっせ。

 大石内蔵助………岸辺シロー
 浅野内匠頭………温水洋一
 吉良上野介………渡辺健 




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2008年12月22日

忠臣蔵その2

 中山市朗です。

 『忠臣蔵』について続きです。

 『忠臣蔵』は「くやしさ」のドラマである、とは作家・高橋治さんの言葉です。
 浅野内匠頭は「高家筆頭」とかいう格式の中で生きる、ジジイにいじめられイヤミを言われ、「くやしさ」に耐えます。あまりの上野介の無慈悲なるいじめに、観客は、浅野内匠頭とともに「くやしがる」という構造です。そして、松の廊下にて刃傷沙汰を起こします。「くやしさ」の暴発です。観客はそうしなければ収まらなかった浅野に同情します。
 しかし、吉良の顔と背中にわずかな傷を負わせただけ。なのに浅野は幕府の命により、一方的に切腹を申し付けられます。
 月夜、桜の散る庭前で、浅野内匠頭は辞世の句を詠みます。
 「風誘う、花よりもなほ、我はまた、春の名残りを、如何にとやせん」
 浅野の殿様は、立派に、美しく、荘厳に、殉じます。
 あまりに、無念・・・。
 とまあ、普通ここで、観客は涙するところなんですが。
 私には、共感が湧かなかった。
 と、いうより笑けてしまったんです。ワハハハハ。

 東映の昭和34年制作の『忠臣蔵』を例にとります。
 まずは、勅使の年始答礼の饗応役に召された浅野の喜びから始まります。 
 浅野内匠頭は、中村錦之助が演じています。
 勅使を迎える礼儀、作法は、吉良上野介の指南を仰げ、というお達しです。
 浅野は側近の家来たちに問います。
 「そこで吉良殿にご挨拶の節に持参する品じゃが?」
 まあ、吉良への指南料はどのくらいかと尋ねた。
 側近は、「これは公儀より命ぜられたことであり、私事ではございませんので、ほんのお印で、よろしかろうと」と申し出ます。そして、ほんまに、質素なものを吉良に贈ったわけです。さあ、一方吉良は五万三千石の浅野家よりの贈り物に期待しています。吉良上野介を演じるのは、老練の役者、進藤英太郎です。で、浅野家からの贈り物を見て失望し、怒ります。他の大名は相応のものを贈っているのに、浅野家だけが・・・。
 「よくもぬけぬけと・・・。この田舎大名めが」
 続いて挨拶に来た浅野内匠頭に対して、「なになに、拙者、人様にお教えするなど、とてもとても」と、ちょっと吉良は嫌味を言います。
 「ではござりましょうが、諸事万端貴方様のご指示を仰ぐようにと」と浅野は、その態度に戸惑います。「なれば、いた仕方がない」と、吉良は日程と行事を教えます。「してその接待の作法はいかに」と不安げに聞く浅野に、吉良ははっきり言います。
 「勅使とて人間でござる。日々のご進物が肝心であろう」
 そう、世の中、賄賂でござるとはっきり言うてるわけです。しかし、浅野は真面目な顔をして、「は?」てな顔をしている。吉良はまた言います。「はてはて、お血の巡りのお悪い方じゃ・・・」
 今とは違う社会です。勅使には敬意を払い、進物を贈ることがそもそもこの年始答礼の目的だったと思われます。そのための饗応役です。そこを浅野内匠頭は理解していない。
 吉良上野介は、「勅使様は芝増上寺ご参拝の折り、ご休息に伝奏屋敷に寄られるが、畳替えなどは無用でござるぞ」てなことを言います。しかし、本当は畳を新品なものに替えてお迎えすることが本来の作法。浅野は吉良の言葉を信用しながらも、家来たちに「手抜かりはないのう」と何度も尋くのですが「と、申しますと?」と、家来たちも呑気なものです。ところが、実は屋敷の畳は新品のものに替えることが本来の作法だと伊達家に偵察に行っていた家来の情報で分かった。驚いた浅野なんですが、ここは堀部安兵衛の機転により、なんとか間に合わせます。とはいえ、二百に余る畳。江戸中の畳職人を叩き起こして、早朝までに畳替えを終えます。新しい畳が敷かれた屋敷を見て、浅野内匠頭は涙を浮かべ、言います。「余は、余は、幸せじゃ」
 ・・・。

 これ、どう考えても、浅野内匠頭と側近が悪い。だって、勅使の年始答礼の儀は、このときに初めて行なわれたわけではない。つまり、調べればわかること。殿様がわからなくても、家来に詳しい者を置いておけばいい。しかしまあ殿様は、いつも不安げな顔をしているし、殿様に尋ねられると家来は、「と、申しますと?」と怪訝な顔をして、これまた何もわかっていない。
 つまり、吉良上野介の言う、ほんまの田舎大名なんですな、これ。
 主が主なら、家来も家来。

 西洋に、社交界、いうのがあります。上流階級や芸術家といった人が集まり、そこで知的で洗礼された会話や振る舞いをする、社交の場です。この社交界に参加するには、それなりの身分と社交術、マナーがないと駄目なんです。無作法は成り上がり者と馬鹿にされるわけです。上流社会の出なら、そんな教育は子供の頃から受けているはずですしね。
 ところが浅野内匠頭は、その素質がまったく身についていない。これ、教育をしていない周りに責任があります。しかしメソメソする浅野内匠頭の姿に、日本人は、かわいそう、のイメージが先行してしまうんですな。なんせ中村錦之助です。市川雷蔵です。テレビでは中井貴一、東山紀之、真田広之が演じている。それがイジメられて、イジメられて、耐えて耐えて・・・。イジメているのはジジイですから、どうしても感情移入は若い美男子にいく。でもねえ、浅野内匠頭は、五万三千石。立派なお殿様なんですよ! しかもこのとき、浅野内匠頭は34歳。ええ歳です。ほんま。ただし、赤穂は確かに田舎。
 一方、吉良上野介は江戸生まれの旗本です。一説によると吉良家のルーツは足利にいくと言います。しかも上野介の長男は上杉家に養子に行ってます。
 旗本と外様大名。元シティ・ボーイと、いなかっぺ、です。これは。
 吉良としたら、その立ち振る舞いの粗野さ、無知さに腹が立ったんですな。私が塾生に言うんです。「何でも尋くな。自分で考え。常識やろ」って、この心境ですな。でも浅野内匠頭は、自分で考えない。「吉良殿、お教えを! 吉良殿、お教えを!」と袴にしがみついて離さない。
 「えーい、離っしゃい!」と、蹴りたくもなる。
 で、なんとか、畳替えも間に合って、その夜、浅野は吉良に挨拶に伺います。
 「おかげを持ちまして、滞りなく、本日の御日程終わらせていただきます。御取り成しの儀、誠に御礼申し上げます」
 吉良は言います。「なになに、事無き済んだのはお手前の才覚。心にも無い世辞など言わぬことよ」
 正直ですな、吉良さん。そしたらまた浅野は吉良に尋きます。
 「明十四日の着用の式服は、烏帽子代紋でございましょうか。それとも・・・」
 吉良は言います。「申すまでもなく長袴じゃよ・・・」
 まあここまで吉良にバカにされて、もう気づけばええのに、次の日、江戸城内で、吉良に言われた通りに長袴に着替えて廊下に出ると、他の御人たちは全員、烏帽子代紋姿・・・。顔を隠して控え室に戻り、「また吉良に謀られた」と。ところが家来は「こんなこともあろうかと烏帽子代紋を持参しておりました」「なに、持参しておったとな・・・」また浅野は泣きそうな顔をして、側近に感謝します。
 さて、着替え終わり「殿、何事もご忍耐でございますぞ」と、ちょっと側近も空気がわかってきて、殿を鎮めます。「うん、わかっておる」と浅野は頷いて廊下へ。
 そやけどなあ、浅野以外の諸大名は、誰も服装、間違っとらん。浅野内匠頭だけが間違ってる。どう考えてもアホですこれは。
 で、松の廊下で吉良と会います。驚く吉良、血相変える浅野内匠頭。
 「ここは殿中でござるぞ。殿中で刀を抜けば、御身は切腹、お家は断絶、お手前、それをご承知か」と、ちゃんと吉良は警告しています。浅野は考え直し、吉良の袴にまたしがみつきます。「お教えください、お教えください・・・」
 もう儀礼が始まるというときに、これから勅使を迎える位置がわからない。それを教えてくれと嘆願します。もう、始まる、いうときにですよ。
 「お教えを、お教えを! 台の下で御座りましょうか、横で御座りましょうか」
 「だまらっしゃい。お手前の才覚で好きにいたっしゃい」
 なおも浅野はしがみつきます。「お教えください、お教えください」
 そこに知らせがきます。「浅野殿、何をしておられます。もう勅使様がお着きです」
 すると吉良は言います。「作法に疎い匠頭殿ではどのような不始末があろうかもしれん。代わってこの指南役の吉良がお出迎えいたす」
 もっともですな。浅野は何一つ礼儀作法を知らんわけですから。相手は朝廷の使いです。絶対ミスがあったらあかん。ところがこのあとですわ。突然、浅野がブチ切れて「おのれ、上野介、待てい」と、いきなり呼び捨て。しかも刀を抜いて・・・。
 刃傷事件!
 取り調べの席で、目付けが言います。
 「故意か、乱心か。乱心ならば幕府も考慮する」と。
 赤穂城の殿様とすれば、自分の切腹は仕方なくとも、藩を守る気持ちがあるなら、「乱心でござった」と言えばよかったのですが、「故意でござります」と言った。
 これで、浅野内匠頭は切腹、赤穂藩取り潰し。その日のうちにそう判決されます。
 一方、吉良上野介はお咎めなし。
 本来はここで、喧嘩両成敗となるのですが、そうはならなかった。
 「喧嘩ではない。あれは常識知らずの浅野内匠頭がバカをしたのだ」
 そう幕府が判断したわけです。わかります。だってあれが喧嘩だったと認めてしまうと、浅野内匠頭と吉良上野介だけでなく、任命した将軍家も責任を問われる。えらいことになります。武家社会は管理社会であります。そうなるのは分かっている。それが分かりながら刃傷に及んだ浅野内匠頭は、やはり乱心したとしか思えないわけです。
 ただ、武士のプライドが、故意だと言わせた。この瞬間、赤穂の武士、つまりはサラリーマンたちは全員職を失ったんです。
 「プライドで飯は食えん」とは、私が若い人によく言う言葉です。
 その通りになっちゃった。

 しかし、『忠臣蔵』が発動するのは、この瞬間からです。
 「殿が切腹なら、吉良にもなんらかの処罰があって然るべきではないか!」と。
 そして職を失ったサラリーマンたちは、赤穂城にてざわめきたちます。
 お話は赤穂城へと移り、筆頭家老・大石内蔵助が中心となり、ここから四十七士のお話になるんですが・・・。
 浅野内匠頭が、あまりに教育の行き届いていない、身勝手な、キレやすい人物だったから、こうなったと私には思えたんですが、大石内蔵助は「殿は青うござった」とは言いませんでした。「おいたわしや、わが殿!」と泣くわけです。
 で・・・。

 長くなります。この続きは、また今度。 

 




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2008年12月20日

忠臣蔵その1

 中山市朗です。

 12月は『忠臣蔵』の季節ですな。
 日本人の心といえば『忠臣蔵』。
 えっ、あんまり知らない?
 それでもおぬし、侍でござるか!

 江戸は元禄15年、12月14日(西暦1703年1月30日)に、幕府の一方的な裁量により、切腹処分となった播州赤穂藩主の遺恨をもった、赤穂浪士47人が、吉良屋敷に討ち入り、主君に代わって吉良上野介(きら・こうずのすけ)を討ち果たし、幕府の命により全員切腹したという史実が元となった、義勇物語であります。
 一般に元禄赤穂事件と呼ばれるこの出来事は、事件翌年には曾我兄弟の討ち入りという設定に替えられて早くも上演。その4年後には近松門左衛門により人形浄瑠璃となり、以後、歌舞伎、講談、狂言にと、どんどん脚色されては上演が続けられ、今もって映画やテレビドラマにと(映画だけで80本作られた)大人気の日本人である限り、どっかで目にし、耳にする、もはや『忠臣蔵』というひとつのジャンルといってもいい、作品群のことです。
 特に1748年に上演された人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が、続いて歌舞伎にもなって大ヒットしたため、赤穂事件ものの物語を『忠臣蔵』と、総じて称するようになったといいます。仮名手本、というのは四十七士の数が、かな47文字と同じ、を指すと言います。ちなみに鶴屋南北の『東海道四ツ谷怪談』は『忠臣蔵』の外伝です。
 さて、『忠臣蔵』は、いろいろな脚色、解釈、がありますが、なるべく手短に基本的なストーリーを紹介いたしますと。

 赤穂藩主(赤穂城のお殿様ですな)浅野長矩(あさのながのり)が、江戸幕府から饗応役に任命されます。長矩はその官名から浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)と呼ばれることが多いので、以後、浅野内匠頭とします。さて、饗応役とは何かと言いますと、天皇家より江戸に下向してきた使者を、幕府が接待するための接待係みたいなものだったのですよ。その係に任命されるのは、外様大名でした。接待には膨大な費用がかかるため、幕府は外様大名にその費用を負担させ、余計な貯蓄をさせないようにということが主眼としてあったようです。一方大名は名誉職だと喜んでこれを受けた。
 さて、浅野内匠頭は、難しい接待のやり方を、指南役・吉良上野介に問うわけです。ところが吉良に対するお心付け(いうたら賄賂)が少なかったため、それを根にもって吉良は浅野内匠頭に、意地悪をし、嘘を教え、それでも実直で若い浅野内匠頭は、その吉良の欲深く、陰険な態度に耐えに耐えるわけです。たいてい浅野内匠頭は、映画でいえば映画会社の若手の二枚目スターが演じます。東宝なら加山雄三、東映なら中村錦之助、東千代之介、大映では市川雷蔵、といったところですかな。対して吉良上野介は、憎々しい悪役顔のバイプレイヤーが演じます。進藤英太郎とか、月形龍之介、石黒達也、滝沢修、金子信雄あたり。
 ところが、あまりの吉良の高慢な態度に、とうとう浅野は、江戸城松の廊下で、堪忍袋の緒を切らせて、吉良に向かって斬りつけ、刃傷沙汰(にんじょうざた)となります。将軍の殿中の刃傷は、重罪とばかり、浅野内匠頭はその罪を問われ、幕府の命により切腹を申しつけられます。一方、高慢な吉良上野介は、一切おとがめなし。
 喧嘩両成敗が基本であるはずの裁量が、これでは片手落ちではないか!
 この無慈悲なる幕府の処分は、さっそく赤穂城にも伝えられます。
 もちろんこうなっては、お城は幕府に差し押さえられ、城勤めの侍たちは浪人となってしまいます。
 篭城か、幕府に対する抗議の切腹をするか、はたまた・・・。浪士たちはざわめき立ちます。
 城の筆頭家老・大石内蔵助(おおいしくらのすけ)は、最終的な決断として、吉良上野介への仇討ちを採択し、同調する藩士たちから血判を提出させます。
 大石内蔵助を演じるのは、大抵映画会社の重鎮的大スターです。東宝は先代松本幸四郎、大映は長谷川一夫、東映は片岡千恵蔵、市川右太衛門、その昔は阪東妻三郎、大河内伝次郎、最近では高倉健、この役を演じるのは日本映画界の顔、ともいうべきスター。
 さて、大石は血気はやる浪士たちを統率し、その機を待ちます。警戒する吉良家の家臣たちの目を欺くために、遊郭で遊び、昼行灯というあだ名が付けられ、味方をも欺きながら、妻子と離縁をし、準備を着々と進めます。
 そして、最後まで残った47人で、12月14日夜、討ち入り決行。
 江戸本所吉良屋敷へと切り込みます。
 そして最後には、吉良上野介の首を獲り、主君の仇をとります。
 翌早朝、江戸日本橋を行く四十七士の勇姿でもって、たいてい劇は終わります。
 この後、四十七士は幕命により切腹。
 彼らは武士としての本懐を遂げます。

 とまあ、こんな話。
 無念・浅野内匠頭。
 悪役・吉良上野介。
 義士・大石内蔵助以下赤穂浪士。
 主君思いの武士たちの、あっぱれな行動が、日本人の義の心の象徴として評価されていきます。四十七士は立派な義士、なのです。
 なんとこの日本の美談は、キアヌ・リーブス主演でハリウッドで映画化されるらしい!
 日本の『忠臣蔵』+『ロード・オブ・ザ・リング』のファンタジー+『グラディエーター』のスペクタクル=『47 RONIN』になる予定だそうです。

 うーん、期待してええもんか、やっぱり、と思うのか。

 さて、今週はWOWOWでその『忠臣蔵』特集をやっていましたので、ハイビジョン録画し、何本かを再見したのです。
 やっぱり、おもろい。

 考えさせることは、元禄赤穂事件は、一応史実があって、それが様々に脚色されて上演なり上映、あるいは小説になったりしていますが、少々歪められることはあったとしても、浅野家・正義、吉良家・悪役の基本図式はけっして変わることはなく、慣れ親しんでいるパターンは決して裏切ってはならない、という暗黙の了承があるんですな。
 『宮本武蔵』や『坂本龍馬』、それに『三国志』 だって、やはり何度も物語の作り直し、リメイク、決定版と人気アイテムですが、けっして小次郎が武蔵に勝ったり、あるいはブ男であったり、おつうさんとヤッちゃったりしてはいけない。
 大衆は、約束事を期待し、その通りの展開を望むんですな。
 そこに少々、違うスパイスさえ入ればいいんです。
 『男はつらいよ』の寅さんが、マドンナと結婚して、サラリーマンになって家族をもっちゃあ、もうそれ寅さんと違う。『水戸黄門』で印籠がでなかったら、なんか観た気がしないでしょう。
 『忠臣蔵』は、まさにそれが300年も続いてきたわけです。
 ただし、『仮名手本』など歌舞伎、浄瑠璃として江戸時代より伝わるものは、幕府や武家社会の事件を上演されることは禁止されていたので、浅野内匠頭は塩冶判官(えんやはんかん)、吉良上野介は高師直(こうのもろなお)、大石内蔵助は大星由良之助と名前は変えられ、時代も太平記の時代となったりしていました。

 で、私は久しぶりに『忠臣蔵』を観て、おやっ、と思ったことがありました。
 それは、私の感性がひねてきたからか、それとも隠されたメッセージを私は受け取ってしまったのか!
 それは・・・。
 長くなるので、また次回!





 


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2008年12月18日

12/17の作劇ゼミと、人との関係

 中山市朗です。

 18日の作劇ゼミの報告です。
 
 の、前に、前回の私のブログの件で授業後、塾生たちが集まって反省会を行なったようです(昨日の作劇公式ブログ参照)。
 あっ、さすらいさん、碧さん、ご心配いただきありがとうございました。塾生たちもそのコメント、ちゃんと読んでいました。

 昨夜10時30分くらいに、例の上映会を仕切っていた小島雪くんら数人の塾生が、私の書斎にやってきまして、「申し訳ありませんでした」と頭を下げました。
 やはりほとんどの塾生が、それでも上映会はやってほしい、そのためのルール作りをして、年長組がしっかり管理していきます、と。
 交流会の意味をしっかり受け止め、私のなんらかの犠牲の上に成り立っているということの意識の覚悟も、再度肝に命じます、と。
 「まあ、しばらくは見送ろう、様子見るわ」と私は答えました。

 人の気持ちを考える、自分に置き換えて自分なら・・・と仮定してみる。マナーを身につける。自分の立場をわきまえる。そういうこともクリエイターというより、社会人として必要なことです。
 会社に就職したなら、社員教育、社員研修とかで、そういう通過儀礼を受けるのでしょうが、我々の世界にはそういう機会はめったにありません。
 だから、塾にそういう場があるのはいいチャンスなんですけどね。

 実は私も昔、失礼なことをやってしまったことがあります。
 放送作家として活躍し始めた頃。
 ある大物作家さんと2人でお笑い番組の構成をやっていました。
 番組の打ち上げの後、二次会ということになって、その先生とプロデューサーたちとタクシーに乗って次のお店へ行きました。で、飲んでいるうちにその先生が私に対して、ブチ切れだしたんです。
 「君は私を誰だと思っているんだ!」と。周りのスタッフも驚くほどの怒鳴り声。
 「君は私にビールを注いだこともないし、その箸の上げ下ろしも気に食わん。だいたいさっき・・・」
 まあ、タクシーでの席順が気に入らなかったらしい。私は就職したことがないので、その辺りのことを教えてくれる人もいなかったし、気にも留めたこともない。新人ながら悠々と飲んでた。でもその先生は、こと細かいことを、過去にさかのぼって指摘してくれるんです。そして「君はなっとらん。私を侮辱している」と。実はこのとき聞いたことがいい勉強になったわけです。聞けば、まったくおっしゃる通り。ただ、その先生を侮辱したり、バカにした覚えは一切ない。でも先生にはそう見えたんです。
 そこは謝罪します。「申し訳ありません。以後気をつけます」
 そこまでは良かったんですが、この後この先生は、いらんこと言うた。
 「オカルトみたいなくだらんこと、もうやめとけ!」 
 これは私の逆鱗に触れた。まあ、私も若い。血気盛んですわ。
 「それ、言われる覚えないです。先生はオカルトについて、何をご存知なんですか」と喧嘩腰になった。「くだらんもんは、くだらん」「なにぃ!」と、その後は物凄いことになった。周りのスタッフはオロオロ。
 放送作家としてまだ駆け出しの私と、上方演芸界の重鎮の先生。格は違うけど、そんなんこっちは知らん。また当時の私は、偉そうぶっている人に喧嘩を挑むという癖があった。
 だいぶ損してましたな、今考えたら。

 で、その数日後のことでした。その先生から電話があって「中山さん、あなたにやっていただきたいことがあって。実は専門学校でシナリオの講師を頼まれたんだけど、若い人のほうがいいだろうと、中山さんを推薦したんです。ぜひ受けていただけませんか」と今度は態度がコロッと変わってた。
 で、専門学校の9年間の講師生活が始まるわけです。で、またその経験があったから塾ができた。
 酒の上での大喧嘩が、いわば私の運命を変えた、と言えるでしょう。
 また、その先生には、それからお酒を飲みに連れていってもらえるようにもなった。おもろいもんです。お酒の取り持つ縁は。

 さて、私がその専門学校の講師をしていた頃、教え子の女の子がマンガ家デビューして、連載を始めたんです。で、その大手出版社のパーティに呼ばれた。編集長クラスの人もいれば、憧れのマンガ家さんもいる。映像のプロデューサー、スポンサー・・・。でも、飲み会というのが初めて。人と話すのも苦手。仕方なくそんなすごい人たちに背中を向けてひとりで飲んでた・・・。飲み慣れていないお酒。限度がわからない。気がついたら、夜空の下、編集長さんに肩を抱えられて、道路にへど吐きまくっていたらしい。
 彼女、言うてました。「アホですこれは。学校は、クリエイター養成しているというのなら、飲み会のマナーも教えるべきですよ」と。さて、彼女、編集長の前でヘド吐きまくったことが原因なのか、そこんとこは不明ですが、その直後連載が打ち切られたらしい・・・。この子は才能あったんだけども、どうもこの辺りのことで、編集さんとうまくいかなかったようで。やっぱり大事なんです。人との関係を作っていくことは。

 作劇ゼミの報告をするスペースがなくなっちゃいました。

 まあ笑いのメカニズム、ギャグの生み出し方、そういうことをテーマに講義しました。これ、私の本業である怪談によく似ている、というより同じなんです。
 日常(というツマラナイもの)と非日常(オカシナ世界)の間の壁に、どんな穴を開けるのか、が、作家の仕事である、と。このバランスが、おかしみ、不思議、を生み出すわけです。非日常ばかりの世界にしちゃうと、わけがわからなくなる。
 漫才でいうと、日常がツッコミ、非日常がボケ。
 ツッコミ2人では漫才にならないし、ボケ2人もウザくて笑えない。

 怪談もそう。日常の生活空間に、ポンと非日常性の妙なものが顔を出すから、あれはなんだ、とゾッとする。

 だから作家になりたいのなら、バイトして、家に帰ってただ書いて、寝て、バイトして、書いて、寝て・・・みたいなことではなかなか、“オモシロイ”の発見がない。だから非日常と日常の間を行き来しなきゃあ、という話をしたんです。

 非日常はどこにあるって?

 だから言うてますやん・・・。






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2008年12月16日

前回のブログについて

 中山市朗です。

 前回(15日)のブログで、我が塾生への警告文を掲載しました。
 私の自宅まで謝罪にくる塾生、電話で事情を話してくれた塾生、またブログのコメントで反省してくれた塾生と、思ったとおりのリアクションがありましたが、ちょっと意味を理解していない塾生も・・・。あれは自由参加なので来れなかったことや、途中参加した人のことを責めたつもりはない。あの場にいた塾生の態度を戒めたのです。

 またこのブログを読んでくださっている塾関係者以外の方々は、何が起こったのかわからず、中には「どうしたの?」と、塾生宛にメールをくださった方もいたみたいで。

 ちょっと説明します。
 
 私が塾を作ったのは、決してオアソビでも、金儲けのためでもありません。
 少人数制で、あの金額の月謝で、常設の教室をもてば利益など出ません。
 それでも塾を必死になって維持しているのは、夢をもってがんばっている人たちの力に少しでもなれれば、という思い、それだけです。

 私は20代は苦労し、報われないことをやっていました。貧乏でした。気がつけば大学時代に学んだ友人のほとんどは消えていました。
 大型専門学校の講師を9年間勤めました。その専門学校はテクニック重視のカリキュラムでした。やっぱりほとんどの学生が夢半ばで消えていき、デビューしてもそこで終わりという現実を目の当たりにしました。
 学費を年に百何十万も取っておいて、これかよ! と怒りさえ感じた。

 私の経験で言うと、プロの人と会って、できれば手伝ったり、プロの中で作品を作ってみる。シビアなプロの現場を知る。そうしないと、仕事に対す対価や締め切り期限、プロのスキル、考え、人脈の大切さについての考えが生まれない、アマチュアの域から脱皮しない、そう思うのです。しかし専門学校は学ばせるところで、仕事をさせる場所ではないという方針が、私には受け入れられず、それで塾を作ったのです。

 確かに、クリエイターは学校に入らなくても、ひとりでやって、いつの間にかデビューして、プロになったという人はいます。でも、そういう人は最初からひとりでやっていく術(すべ)を知っています。放っておいてもやれる人です。
 また免許制でもないので、本人がそうだと言えば、まあ成り立つ世界。
 でも、ほとんどの若者は、プロの道を目指していると言いながら、まったく別の方向へ行っていたり、えらい遠回りをしていたり、中にはタクシーでも待っているのか、というのもいるわけです。業界のことを知らないんです。だから、道案内人が必要なんです。君には行けないよ、と言ってあげるのも道案内人の仕事です。
 淘汰されていく厳しい世界であることもまた事実ですけど、それはどこの世界でも同じだと思います。サラリーマンになってもリストラに怯える時代。だったら、同じ苦労でも好きな道で苦労しようよという思いが、最近特に強くなっています。

 私は30歳で作家デビューし、そこからでした、食っていけるようになったのは。
 大学を出て8年。仲間のほとんどは消えていました。
 よく20代に戻りたい、という人がいますが、私はまっぴらです。
 食えない辛い時代でした。相談できる人もなく、プロの思考性もレペルもわかりませんでした。コネという言葉を嫌いながらも、コネの必要性も実感していました。

 今思うのは、その世界を知るプロの人が、相談できる人が、ひとりでもいてくれれば、私の辛い8年は、6年、5年と、短縮できたことでしょう。そしたら、消えていった仲間も何人か残って、一緒に仕事をしていたかもしれない・・・。
 大学は卒業しましたが、先生方との関係は、その時点で終わりでした。
 あの方たちは、我々の偉大なる先輩だったと気づくのは、そのとき。
 ひとりで歩む道は、茨の道どころか、茨だけの道なし、の感じでした。
 でも道はあるんです。私が勝手に迷い込んでいただけ。
 道から抜け出たのは、8年やってきたなかで生まれた人の関係からでした。
 ひとりで生きていける世界では決してないと、実感しました。

 私が苦しかったときに一番欲しかったモノ、それは道案内だったんです。技術は自分でやって修得するしかない。また各々やり方も違う。
 実は有栖川有栖さんに塾をもってもらえませんか、と要請したとき、同じことをおっしゃられました。
 「小説の書き方は教えられないけど、道案内はできるかもしれない」と。

 昔は師弟関係でこの世界は成り立っていました。
 小説家と書生、マンガ家とアシスタント、監督と助手、職人、画家、音楽家、役者、歌手も昔は師弟関係から始まり、その関係は一生続きました。そこからまた弟子が・・・。
 技術というより、その世界での生き方、処世術、マナーを教わる。それが大事!
 師匠、先生の背中が、もの言わぬ道案内だったわけです。
 専門学校はこの制度をぶち壊し、これをビジネスにしてしまいました。
 功罪、どちらもあるでしょうが、妙に夢だけを見させて、ロクに業界のことも教えずに、卒業したらオシマイ、というのは講師をしていた私には辛いものがありました。
 そんな中の何人かが今塾に通っていますけど、うちは駆け込み寺的なところもありますが、それも私の塾の存在意義だと思っています。
 そう、うちは、卒業はありません。
 免許や資格という世界でもないし、ここで終わり、ということもない。
 プロになっても困ることはある。いつでも戻ってこい、という場所でありたい。

 ですから、私の塾では教室でテクニックも教えるが、教室以外がむしろ大事であるという方針を持ったわけです。関西テレビや奈良テレビから製作依頼されたり、山田誠二さんから映画の現場をいただいたり、『幽』や『映画秘宝』の取材同行、『ダ・ヴィンチ』に執筆、エンタイトル出版とのコラボで『怪怪怪』を出版したり、企業用のネットマンガの仕事をいただいたり、業界人のパーティに呼んでいただいたり・・・。そうやって、プロのスタンスや考え方を知りながら、キャリアも作る。これは教室の授業だけで生まれるものではありません。ただ、授業でキッチリと学ばないと、そういう現場へは送れませんけれども。
 しかし、プロの人とやっていくには頭もいる、戦略もいる、マナーも知らなきゃ、打ち合わせ能力もいる、なにより馬鹿では話にならんと。だからその訓練のようなものを、上映会という場でやっていたのです。

 私の書斎で、ハイビジョンの映画を上映し、みんなで鑑賞する。そしてその後、その映画について語り合う。同じものをみんなで観ても、見る場所、注目した場所、面白いと思ったところなどは違うものです。男と女の見るところも違う。また、面白かったら、なぜ面白かったのか、を理論として説明してみる。面白くなかったと思ったなら、失敗の原因を探す・・・。そういう意見のやりとりがモノを論理的に考える訓練になるわけです。そして、そこが面白いわけです。以前も『ベン・ハー』を観た後、キリストとは? ユダヤとは? という話になって、そこから神だの宇宙だのという話になった。それでいいんです。
 ともかく、コミュニケーションをとる。人に意見を言う、聞く、これをやらなきゃ。
 理論で攻めるか、情熱で行くか、とにかくやりたいことを相手に伝えないと。
 これはデビューするためではなく、その後プロとして継続するために必要なことです。
 編集、クライアント、プロデューサー、原作者、監督、スタッフ・・・、互いにコミュニケーションを重ねながらの作品創りになります。ひとりで書く小説の世界だって、ビジネスですからコミュニケーションは必要です。

 それを楽しく学ぼうよ、と。 

 それに、塾長は私なんですから、塾生たちとは膝を突き合わせて夜通し語るくらいの覚悟がないと、とても育てるなんてことはできないと思うんです。ですから、朝まで彼らと語り合う覚悟で、いつも私は臨んでいるのです。
 それは何より私が勉強になる。若い人たちの意見、感性、流行り、嗜好、考え・・・。

 しかし、先日の上映会では、この場があって当たり前、とばかりに上映が終わると同時に帰る者がいる、飲み代の集金が始まる、仲のいい友達同士で盛り上がる・・・。一度私は叱咤したんです。しかし結局、私の意図としたものにはならなかった。その後はただの飲み会、寝る奴はいる、挨拶なしに帰る者もいる・・・。
 なめられた、そう思いました。
 塾生たちと私の距離が近すぎたということなんでしょう。
 それもある意味、私の意図するところなのですが、これはイカン。
 私が塾生たちのために、やりくりしている時間は、私のなにかの犠牲の上に成り立っているのだという感覚が、もうなくなってしまっている・・・。

 その前にも、私との約束の時間が守れないとか(12月3日のブログ参照)、塾費の滞納者がいることもこの頃知ったんです。時間と場所を与えた上に、金銭的負担まで俺にかけるとは、どういうことや! と怒りが心頭したわけです。いくらなんでも、私はこれ以上自分を犠牲にできない。そういうことは私自身の口から言えることではないし、こんなことをブログに書いて世間様に知られることも、決していいことではないでしょう。
 ただ場合によっては、正直に私の気持ちを言って、塾生に理解してもらい、考えてもらわないと、今後この関係は保てなくなります。互いにしんどくなるだけです。
 ビジネスで、教える側、教わる側(お客さん)と割り切る専門学校と違って、ここは人と人が信頼関係で成り立つ場所でもありたい。
 もちろん、塾生と私との関係も。
 近い将来、塾生たちとは、共に仕事をしたり、企画を動かすパートナーにもなってもらいたい。
 それが、私の掲げるもうひとつの理想、大阪からの発信、にもなろうかと(2006年8月8日9日付のブログをお読みください)。

 とどのつまりは。
 彼らが好きな道に辿り着き、その世界で成功してくれなければ、私は何も報われないわけです。だから、塾にいる意味を考え、何をすべきかを見つめ直せと。
 私の口から言うのはおこがましいが、誰もここまでお前たちのことは考えてくれないよ、と。
 だから塾生たちに対して、外部の方々の目に入ることを承知で、あのようなメッセージをアップしたというわけです。

 あとは、あのメッセージを塾生がどう受け取ったのか、ということだけです。

 塾関係者以外の方々には、ご不信、ご迷惑を感じさせたものであったとは思いますが、私のようなものが、好きなことをやっていられるのは、先に述べたように、色々な人たちに支えられたお陰ですから、塾でその恩返しをしているつもりなのです。
 その点だけを、ご理解していただければ、幸いです。



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2008年12月15日

全塾生へ警告

 中山市朗です。

 今回は全塾生諸君に対する警告である。

 毎月第2、第4金曜日に我が書斎を解放し、名作の上映会をやっている。
 先週は黒澤明監督の『乱』のリクエストがあり、何度も観た映画ではあるが、俺も皆と一緒に鑑賞した。
 なぜ、俺も皆と一緒に観たのか?
 ほんとは、原稿書きたいよ。
 なぜ、映画鑑賞後も書斎を解放しているのか?
 俺の貴重なプライベート空間と時間やで。
 にも関わらず、毎回のように諸君に解放しているのは、何を意味しているのか!

 ましてや、『乱』は、今週のネトラジで語っているように、私は現場にいて、その裏話や、他では絶対に聞けない話が山ほどあった。それを諸君は期待していると思った。
 モノ作りに、キャラ作りに、演出に、脚本作りに、たいへん貴重なノウハウがそこに山ほどあった!

 しかし、先週の諸君の俺に対する態度は、まったく無礼なものであった。
 俺の気持ちを踏みにじるものであった。
 クリエイターになる資質にも疑問を投げかけるものであった。
 俺がなぜ、諸君のために時間も場所も与え、経験も知恵も惜しげなく与えようとしているのか、そしてこのような塾を専門学校を辞してまでも作ったのかを、諸君にとって作劇塾とはなんなのかを、今一度諸君で考えていただきたい。
 翻して、諸君は俺と同じことができるか?
 そこも考えてもらいたい。

 今後の諸君の態度次第では、上映会は無論、二度と塾生の要請で部屋を解放することや、授業外で諸君の作品を見たり、アドバイスをするということがなくなるかもしれないことを、肝に命じよ。

 俺がそれを望んでいるのではない。
 諸君が結果的にそれを選択したのだ。




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2008年12月11日

12/10の小説技法

 中山市朗です。

 10日の小説技法の報告です。
 うーん、いかんぞ。

 原稿を落とす、あるいは無断欠席する塾生がチラホラと。
 約束事として、一週間前の作劇ゼミに原稿提出。
 みんなだいたい400字詰め原稿用紙換算で40〜60枚ほど書いてくるので、合評までにそれを全部読んでおきます。全員が提出すれば読むだけでも大変です。
 でも、それも小説を学ぶことです。全員ちゃんと読んできています。
 なのに、無断欠席すれば読んでくれた人に失礼やろう!

 また書く期間は一週間あります。作家を目指していながら1枚も書けませんでしたということがあるはずがない。書いたところまででもいいから、合評にあげること。
 いい原稿を書くことより、書く習性を身につけることが大事です。
 書く習性が身につくと、あとは書いて書いてを繰り返して、初めてそこからいいものが書けるようになるわけです。
 それができないんなら、作家になろうなんて考えないこと。

 そんな中でIさんとTくんの2人は、何があっても原稿を落としません。
 特にIさんは今回50枚程度の小説を2本持ってきました。どちらも最終的には400枚ほどの長編小説として投稿することを目的としています。
 彼女はデビューするために書いているのではなく、小説家になるために書いていると思わせるほどになりました。
 
 彼女が提出した小説の1本は学園ファンタジーもの。1本は古代の日本神話の世界に現代の高校生カップルが介入していくというもの。
 日本神話、彼女は大好きでなんとかこの世界を中高生に知ってもらいたいという意図で書いているようです。そのためにはエンターテイメントの要素を全面に打ち出す必要があります。今の若い子はほとんど神話を知らないし、学校でも教えていません。そういう子たちが手にとって、読んでもらうための工夫がいるわけです。もちろん神話好きな子もいるでしょうから、そういう人たちを満足させることも絶対条件です。
 ハードルは高いですが、「だからこそやるんです」とIさんはがんばっています。
 
 「おもしろかった」とか「前よりも読みやすくなった」というような意見は出ますが、Bさんの「でも合評だから読んでますけど、これを本屋さんで買うかとなると、買わないでしょう」とピシャリ! そうです。これを投稿なり編集さんに読ませる、最低5000部売らないと次はない。という視点から意見を言ってほしい。これは投稿用なのだから。

 Iさんの原稿は、テクニック的にはプロ並みのものが身についてきています。会話もテンポよく無駄がなく、地の文もキャラクターの動きが見事に描写され、読みながら小説の中の世界が映像となって躍動します。しかしながらBさんの意見が出る。実は私もBさんの意見と同じなのです。おそらくそれは、ファーストシーン、つまり最初の2〜3枚にインパクトがないことに原因があると思われます。文庫本になった場合、新人作家は名前で買ってもらうことはよほど新人賞で騒がれない限り、まずありません。そこで大事なのは「タイトル」と「ファーストシーン」です。「タイトル」で、なんかおもしろそう、とか、なんだろうこれは、と手にとってパラパラッと本の中身を確認します。そしてまずファーストシーンを読んでみる。ここが勝負です。ここで、なんだそんなもんか、と元に戻されるともう2度と手にとってもらえません。
 投稿も同じ。当然下読みする人はファーストシーンから読みます。そこで駄目ならそこで終わり。よくネットなんかで、作家を夢見ている人たちが、下読みじゃなく、プロが読めよ、とか、最初だけ読むなんて失礼、なんて好き勝手に書き込みをしているのを見ますが、何千と送られてくる原稿全部に目を通すなんて不可能。それにプロは最初の2〜3ページで読む価値があるのかないのかを見抜きます。ネットにそんなことを書き込みしている暇があったら、対策を練ろ、と他人事ながら思ってしまいます。
 だから、ファーストシーン、冒頭の数行は物凄く大事なんです。

 Iさんの原稿は、いきなり神話の世界から入っています。おそらく神話に興味のない人は、全然入っていけない書き出しです。神話から入ること自体は悪くないんですが、それなら目をひく一行、あるいは、いきなり躍動しているキャラクター、または神話の世界を絶妙な(それが難しいんでしょうけども)描写で魅了させる、など方法はいくつもあります。
 そこが命題。
 Sくんがそれに同意します。
 「僕、あるマンガを読んだら、最初の2ページがむちゃくちゃ面白くて笑えたんです。でも、その後は全然面白くないし、話も盛り下がっていって・・・。でも最初の2ページがあったから最後まで読んじゃったんです」
 そう。マンガも映画も、ファーストシーンは大事。
 ただしファーストシーンだけ修正するのではなく、全体の微調整もやっておくこと。
 これをやらないと今度はファーストシーンだけが浮いてしまうことも。

 さて、この日は総務のスガノくんの誕生日。
 それを祝って、またまた朝まで飲み会。
 さすがに今日はしんどいぞ。
 ビールと焼酎とワイン、ウィスキーのチャンポンはもうやめよう。



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2008年12月10日

新怪談必殺地獄少女拳・吸血ゾンビと妖怪くノ一大戦争

5c465b53.jpg 中山市朗です。

 山田誠二さんが監督、脚本、撮影、照明とひとりで全部やっちゃったという映画『新怪談必殺地獄少女拳・吸血ゾンビと妖怪くノ一大戦争』(・・・長い)がいよいよ公開されるそうです。
 美術は塾もお世話になっている山口広喜さん、特殊メイクは勝又つかささん。
 ナレーター、編集、効果、題字は京極夏彦さん!?です。
 あとの製作進行、助監督、記録などは我が作劇塾生が担当しております。

 どんな作品なのかというと、チラシのコピーがそれを表しています。

 くノ一、妖魔退治人、日本妖怪連合軍VSドラキュラ率いるゾンビ軍団!
 果たしてゾンビ軍団から日本を守ることはできるのか!

 って、そんなスケールの大きな話やったっけ?

 でもこの作品で、山田誠二監督はデジタル革命をやっています。
 それについてはまたいつか。

 出演は、大野由加里、高嶋ひとみ、森愛子、中西絵里奈、唐沢俊一。
 そして『大魔神』で杭を突き刺されて死ぬ佐馬之助役で知られる、五味龍太郎氏。
 で、私も出ています。
 ゾンビ役で、美女を食い、美女剣士に斬られます。
 山口広喜さんに「日本アカデミーの助演賞ものです」と誉められた?

 ところで、私が五味龍太郎さんにインタビューした貴重なビデオがあるはずですが、山田さん、あれは一体どこに?


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2008年12月08日

12月8日に思うこと

 中山市朗です。
 今日は12月8日です。

 この数字を聞くたびに、私はいつも日本に生まれたという現実、日本とは、日本人とは何かということを思います。
 1941年のこの日、だったんですね。

 日米開戦。
 真珠湾攻撃。
 トラトラトラ。

 いつも言いますが、私は右翼でもないですし、極端な愛国主義者でもありません。
 ただ日本に生まれ、日本の教育を受け、日本の文化の中で育ち、日本の国土に住み、友人や恩人、教え子たちのほとんどは日本人です。日本語で話し、書き、それを生業(なりわい)としています。そして税金を日本国に納めています。
 もし、日本が戦争を起こしたり、巻き込まれたりすると、日本人である私は無関係ではいられません。
 ですから、私は日本の歴史を振り返り、世界のどういう状況で日本人は何を選択し、結果何をもたらせたのか、そしてその後日本人はどうなっていったかを考え、自分と照らし合わせます。そして、日本の将来を憂うのです。
 そのひとつの道標が、私にとっては12月8日というわけです。

 江戸幕府の鎖国、明治維新、大東亜戦争の敗戦。この3事件が、今の日本を作ったと私は思っています。そのひとつの象徴が12.8なのです。
 私は、歴史を、戦争を考えるということは、人間そのものを考えることだと思っています。人間がいるからこそ、歴史は作られ、そこには必ず戦争があるのですから。
 
 先週でしたか、やしきたかじんが司会をしているお昼のトーク・ワイドショー番組で、日本国憲法の第9条の問題を、先ごろ話題になった田母神氏を招いて取り上げていました。私は途中から観たのでその詳細は知りませんが、自衛隊は軍隊か否か、核三原則についてどう思うか、第9条で日本は守れるか、という議論をやっていました。
 喧々囂々、色々な意見が飛び交いましたが、ひとり社民党(?)の女性議員のあまりに能天気ぶり、歴史と戦争を知らないその見識に唖然としました。
 他の男性たちは、もしこうなったときには、どう備えるのか、そのためには何が必要か。ならないためには、どうするべきか、と議論している中で、ただひとり、
 「どうして皆さんは、そんな状況の想定の上での話をするんですか」「政治は理想を語るべきです」「武力では何も解決できない」「話し合いで平和解決するべきです」
 と言うんですな。
 これはもう学生の論理。
 歴史にも戦争にもちゃんと向き合っていないから、こんな意見が出る!

 もしもの状況の想定は――。リアルな世界の動きに応じた政治の基本である。

 政治は理想を語るべき――。その理想は国によって違う。過去、これが戦争を生む原因になったではないか。

 武力では何も解決できない――。武力が戦争の抑止になる事実もある。隣国が武力をもっている以上、武力なしでは解決の機会すら与えれらないであろう。
 
 話し合いで平和解決すべき――。理想や国益が各国違う以上、平和解決はどちらかの妥協なしにはありえない。どうしてもというなら、日本がその国益を譲歩するのか?

 
 もうひとつ、この女性議員は男の論理が欠如しているように思えましたな。
 気持ちと理想を語っても、理論の武装がなかった。
 さすが、武装は何も解決できないと言っただけあって、それを実証していました。
 だが過去戦争を起こし、歴史の表舞台を彩ったのは、そのほとんどが男でした。いつぞや私がこのブログに書いて、女性読者の逆鱗に触れた(?)という、男は征服欲が根底にあって、女はテリトリーを守るという本能がある、というものの裏づけです。
 男は戦争を好み、戦争をする動物でもあるのです。一方女性は男も女も同じ人間なんだから、同じ気持ちが通じると思っている節がありますね。
 しかし男は(少なくとも私は)、女とは違うと思っている。プラスとマイナスがあって磁石であるように、どちらもプラスではかえって反発して一緒にならないように。私は女にはなれないように。男と女はまったく違うものなのだと思います。
 どちらが良い悪い、強い弱いではなくて、互いに寄り添い、家族を作り守るための、互いに補う別々の特質をもっているということです。
 男も女も同じ人間、でなく、男と女で人間、なのだと思います。
 手塚治虫は言う、「ぼくにとって女性は宇宙人だ」
 でも、だから惹き合うのだと思うのですが?
 BLは、そこが受け入れられない少女たちの理想の男性像なんでしょうね。男の特性を全部排除すると、BLのキャラクターになりますから。身体は男性で中身は女性。

 まあ、そういう意見の相違が生まれた場合は、個人個人のカップルや夫婦の問題だと、二人で話し合えばいいんでしょうが、社会情勢、政治の世界、国際問題となればそうはいかない。政治家はそこを見られないと。
 カップルなら意見が決裂して「別れた」で済む話でしょうが、政治となると決裂はよもすれば戦争や条約破棄を意味しますから。
 そういう意味で、その女性議員、大丈夫? と不安を感じた。ほんま。
 彼女は「みんな同じ人間同士だから理解し合える」と思っています。
 あま〜い!
 アメリカや中国、北朝鮮の要人の前では、彼女の考えなど子供扱いでしょう。まあ「あなたは理想主義者ですね」とニコッとお愛想に笑ってはくれるでしょうがね。
 
 ともかくも、歴史、戦争を学ぶことは、人を学ぶことです。
 するとシビアで融通の利かない、そして利益優先の、そのためには人の命をなんとも思わない権力者の姿が見えてくるはずです。男が中心となって作られた社会秩序が見えてきます。そして民衆は国民は、その権力者に守られ、権力者の僕(しもべ)となって働き、報酬を得るんですな。権力者はそのための帝王学を学び、人民はその意に沿った教育を受けるわけです。
 だから国によって、民族によって、宗教宗派によって、それは異なるわけです。当然ですが。だから国益がぶつかる、宗教理念が火種になる、民族紛争が起こる、権力者同士の覇権争いが起こる、民衆が革命を起こす。
 どう考えてもこれらが話し合いなんかで、解決できるはずがないですな。
 それが、戦争が積み重なった歴史の本性。
 しかしそんな中で、日本のために命を懸けた人がいる。戦争を避けようと全力を尽くした政治家もいる。世界の見識の先を読んだ総理もいました。
 そこには頭も戦略も戦術も根回しも、用意周到な武装が必要なわけです。
 だから日本は六十数年間の平和を維持できたのです。
 尊いことなんですよ、これは。

 このことを忘れつつある日本人は、今後どのような道を選択するのでしょう。
 誰かが言いました。
 「歴史は繰り返す」

 12月8日。
 みなさんも、日本人について考えてみませんか?
  

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2008年12月04日

ある作劇塾の一日

 中山市朗です。

 3日(水)の作劇塾の様子をお知らせしましょう。

 いつもは私が受け持つ作劇ゼミの授業内容を報告していますが、ここは私の作った私塾です。作家やマンガ家のプロになるために必要な、おもしろいこと探し、のためなら。どんなことでも私は協力し、また10月8日のこのブログに書きましたように、教室という場を生かして何かをやるということにも私もスタッフも協力するものです。
 ですから今日は授業も含めて、3日に作劇塾で行なわれたことを全部報告しましょう。
 HPに載っているうちのカリキュラムなんて、ほんの一部なんです。

 この日の授業は19時からですが、私は15時には教室に入りました。

 まずは1月11日に開催する「へたなら寄席」の手見せ。
 最初は落語初挑戦の、桐のびわこ、の手見せから。
 彼女が何度もビデオで観てハマッているという『夢八』という落語。露の五郎兵衛師匠がよくおやりになっていたネタですが・・・。こりゃあ難しいぞ。私も台詞は頭に入っていますが、右手では割木を持って床をトントコトントコと叩きながら、左手では高野豆腐や握り飯を食べる仕草をやったり、首吊り死体を演じたり、伊勢音頭を唄ったり、ちょっとやれません。しかし、びわこは果敢にも挑戦。まだまだ落語になってないけど、楽しそうに演じているならそれでOK。彼女もギャグマンガを描いたりしているから、笑いを取るための工夫、台詞まわし、強弱、キャラクター同士の距離感、空間のイメージ、びっくりしたり、怖がったり、泣いたりという感情表現などのコツを身体で体得していくはずです。続いて、桐のはこぶたは『胴切り』というSFみたいなネタ。風呂帰りのある男が辻斬りにあい、胴と足が真っ二つに分かれます。でもそこは落語。通りかかった友達に、胴と足を家に連れて帰ってもらい、次の日から胴は風呂屋の番台に、足は麩(ふ)を踏む職人として奉公に出ます・・・。普段から不条理ネタを好んで書いている彼にふさわしい落語です。
 まあそれを見て、私が高野豆腐の食べ方はこう、とか、上下(かみしも)間違ってるよ、目線はこう、声をもっと張れ、このキャラクターはこう演じてみよう、みたいなことをアドバイスするわけです。最初は落語やってみよう、というと「えーっ」と言っている塾生たちも、やっていくうちにハマッていくみたいで。
 ほんま、桐の一門は楽しそうです。

 16時からは「ネトラジ」の打ち合わせと収録。
 実は2本録りをしています。
 この日は、『新耳袋』のファンだというモデルの片桐さくらさんが、ゲストとして参加です。進行役の青谷が、片桐さんから何を聞きだし、どう回して行くかを打ち合わせをしながら、その場で番組構成を考えます。構成力、瞬発力が鍛えられます。
 17時より1本目収録。番組の出来は、ただいま配信中のネトラジで。
 17時40分頃から2本目の収録。進行役は小島雪。この回は、私が黒澤明監督の現場に入るための苦労話。都合3回目。過去2回目ではまだ黒澤監督に会えていません。今回はどうなることやら。それは来週木曜日からの配信で。

 落語にしろ、ラジオにしろ、ともかく他人に話を聞かせるという訓練はデビューするためというより、むしろプロになってから必要になってくることです。人を楽しませたり、笑わせたり、感心させたりという技は、まず話術からきます。それに編集さんやクライアント、プロデューサー、原作者、脚本家、演出家などとの打ち合わせ・・・。

 ネトラジ終了。30分ほどの休憩。

 食事を採ったり、雑談したり、塾の本棚を物色したり、私やスタッフに相談したり。他の塾生たちもやってきます。

 19時から授業。
 新塾生がひとり。Fさんという女の子。なんと13歳の中学生です。
 先月、お母さんと面接にやって来られて、「マンガ家になるための勉強をしたいんですけど、なかなか中学生が学べるところがなかったんです。そしたらこの子、ネットでこの塾のこと知ったみたいで・・・。年齢制限なしというkとですが、大丈夫でしょうか?」
 まかせてください。中学生から本格的なマンガ家になるための勉強をするなんて、16、17歳になる頃がすごく楽しみです。ただし、20代30代で塾生のほとんどを占めていますから、少々アダルトなお話をするかも、とも正直申し上げた。「ええ、大丈夫です」とお母さん。
 Fさん、礼儀正しい子です。楽しみです。

 この日の講義内容は、笑いとはどういうときに出る感情なのか。どんな種類があるのか、どういうメカニズムなのか、を分析。例として古い漫才のテープを。
「え〜、漫才の骨董品でございまして・・・」の砂川捨丸、中村春代。古すぎ?
 捨丸師匠のやってるの、これ、都々逸(どどいつ)言うねんけど知らん?
 昭和の40年頃までは芸人さんがよく寄席でやってはった、情歌とも言うイキなもんなんやけど。

「蚊帳の中から片足出して、楠木正成これにあれ。足蚊が(足科)責めるじゃないかいな」

 続いて、鳳啓介・京唄子の漫才。どちらもキャラがむっちゃ立ってますわ。
 13歳のFさんが笑っているのを見て、やっぱり面白いもんは面白いと。
 21時授業終わり。
 13歳のFさんはお母さんが車で迎えに。毎回お疲れ様です。
 そして他の塾生たちも帰路に・・・誰も帰らん!
 投稿用の原稿を私に見せたり、塾生同士で批評しあったり、仕事もらって、その打ち合わせしたり・・・。帰るのが惜しいんです、みんな。
 するとこの日、青谷圭から全塾生に対して提案が。

「みんなで映画を撮りませんか?」
 これはひそかに青谷が画策していた企画です。塾生にはシナリオを書いている人もいます(第1、第3金曜日の19時30分から私の書斎でシナリオの授業もやっています。カリキュラムにないのは私のボランティアだから)し、シナリオライター専攻の人もいる。だったらそれを映像にしたい。それに映画作りから得られるチームプレイとか別のものを通したモノの見方とか、絵づくりや、演出やら、学ぶことは山ほどあります。

 ただし、素人が作って自己満足では意味がない。
 できれば商品として、それをTUTAYAなんかの棚に置いてもらいたい。これが叶ったら、実質シナリオデビュー、監督デビュー者も出ます。
 エンターテイメントの魂の育むには、これ以上の舞台はない!

 しかし、そんなことができるものなのか?

 まず山田誠二監督に監修をしてもらう。すでに山田監督からはOKが出ているようです(山田さん、ほんまお世話になっています)。私、中山市朗もどこかで関わります。とすれば怪談、ホラー映画? スポンサー捜しは青谷が「私がやります」と。それを聞いていた坂本くんも「おもろそうや、俺もやる」と参戦。「スポンサー見つけるの大変やで」とは充分青谷に言ってありますので、それは覚悟でやってみると言います。
「やって来い!」
 スポンサー捜し。つまりは営業。そうです。クリエイターに一番必要なのは営業力です。どうやってお金を引っ張ってくるか、どうやって利益を出すか。ここの重要性をいくら説いても所詮素人の学生や塾生にはなかなかわかってもらえなかったのですが、いよいよ尻に火がついたと見える。おもろいやん。燃えてきた!

「でも営業するからには、もっとプロの人にも入ってもらって、プロとしての仕事にせんとなあ」という声に、「俺、こんな人呼べるかも」「私はこういう人と親しいし、事務所の事情も知っている」と、いろんな映画関係者、役者さんの名前が並んだ。その上、久しぶりに復活の藩金蓮さんから、ある名前が出た途端、塾生の男子のテンションが俄に上がったー(私も上がった)!

 まあそういう人たちが本当に参加してくれるのかはわかりませんが、でもクリエイターって、面白いことを常に捜していて、熱意に弱い。という共通点をおもちなので、交渉次第、熱意次第、だと思います。
 駄目なのは最初から駄目だと、やらずに諦めること。
 過去、そんな奴ばっかりやった。口では大きいこと言うてる奴に限って。
 でもやってみないと、わからねえじゃん。

 23時、京都や滋賀県から来ている人は帰路に。他の塾生たちも・・・帰らん!
 そらそや、テンション上がったまま、腹も減ってる。

 と、いつものように私の書斎へなだれ込み、スーパー玉出に坂本くんがバイクで突っ走り、宴会が。
 坂本くん特性のカレー鍋や肉料理が並び、ビールとうちにあった日本酒で朝まで盛り上がり! これでひとり500円やて。

 朝6時。ようやくみんなは帰路についたのでアリマシタ。

 この日の作劇塾、ようやく終わり。

 あ〜、しんど。


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2008年12月03日

祝 五代目桂米団治!

1790a2e8.jpg 中山市朗です。

 師走ですなあ。
 忘年会だの、お歳暮だの、年賀状だの、そんな季節になってしまいました。
 早いなあ。ここのところ地球の回転、早うなってるんちがうかと疑っています。

 そんなある夜、マンガ家専攻の塾生たちが私の書斎を貸してくれ、と言ってきました。塾生モコピーのブログにあるように、ネームを持ち寄って合評しあって、描けなかった塾生には、マンガ家を目指すのを諦めてもらう(?)とのこと。まあ、そのくらいの気合でやっているということ。
 「まあ部屋くらい貸したるけど、俺夜いないよ。カギどうする?」
 「夕方4時に料理の準備をしに伺いますけど」とモコピー。
 「俺は5時半には出て行くから、その時間に部屋にいるんならええか」と。
 ところが当日「5時に変更したいんですけどいいですか?」とモコピーから電話。
 「5時半までに来るのやったらかまわんよ」

 ところが5時半、6時になっても誰もこない!
 出ちゃうとカギが締まっちゃうから塾生は入れない。待つしかない。
 自分の人のよさに我ながらゲンナリ。
 6時5分、ようやく総務のスガノが姿を現す。
 「誰も来てないぞ、どうなってんのや!」と怒りをスガノにぶつけて、急いで大阪ミナミへ。途中で酒屋に寄り、ちょっと高めの南蛮渡来のお酒を買って、熨斗をつけてトリイ・ホールへ。6時30分の開演直前に滑り込み。

 実はトリイ・ホールで五代目桂米団治襲名披露記念落語会が行なわれていたのでありました。本当はチケットはとうに完売していたのですが、支配人の鳥居さんに無理言うたら特別に用意してくれてはった。どうしても行っとかなあかん催しやったんです。

 桂米団治というのは現在、人間国宝、正しく言うと、重要無形文化財保持者であられる桂米朝師匠のお師匠さんの名前。当然この方は四代目桂米団治。キリスト教徒のお師匠さんやったらしい。四代目襲名は終戦直後の昭和21年。当時の上方の落語家はわずか数人だったそうで、絶滅寸前。四代目米団治という人は上方に珍しく(?)、知性を感じさせる芸風と、同人雑誌「上方はなし」の編集、執筆者としてネタの保存にも尽力され、五代目松鶴、二代目春団治らとともに、上方落語復興の大功労者のひとりと言われている人でした。何より桂米朝という噺家を輩出させたことは、すごい功績ですな。
 唯一残っている四代目の録音をレコード化したLP、当然持っています。演目は「親子茶屋」です。

 で、今回は約60年ぶりに米団治の名跡が復活したわけで、継がれたのは桂米朝師匠の実子にあたられる前名、桂小米朝さんであります。
 本当は十月に襲名しはったので、もう二ヶ月経つわけですが、なんせ襲名披露公演は全国で行なわれ、大阪、京都の襲名披露会はあっという間にチケットが売り切れ。
 で、遅まきながらこの日にトリイ・ホールで行なわれた襲名披露記念落語会にて、米団治師匠を祝福、とあいなったわけです。

 この日高座にかけられたのは、先代米団治の十八番「親子茶屋」と「まめだ」。
 「親子茶屋」はいつも道楽者の息子に意見を言っている船場の大家の親父さんと、その意見は聞き飽きて、親より芸者が大事と開き直る若旦那(米朝師匠と本人がこのキャラクターにダブッてくる?)の話。道楽で芸者遊びばかりしている息子に意見をしながらも、実は道楽者の親父さん。息子に意見をすると「こうなったら頼れるのは阿弥陀さんばかり」と、番頭に神信心に出かけると言って、やってきたのがミナミの宗右衛門町。いきつけのお茶屋に入ると、さっそく芸者遊び。キツネ釣りという顔に広げた扇子を括り付け、目隠しした形で「釣ろよ、釣ろよ」と踊りながら芸者を捕まえるという、古い鬼ごとの遊びに興じる。一方、朝から叱られた若旦那、むしゃくしゃすると、やっぱりミナミに足が向いてしまって、三味や太鼓の音にふとあるお茶屋の二階を見ると・・・。
 「ほーお、キツネ釣りか。粋な遊びをしたはんなあ、あの頭の禿げ具合から見て、うちの親父と変わらんがな。うちの親父にあの人の爪の垢でも飲ませたいもんや」と思案しているうちに名案が浮かんで、一緒に一座とばかり、子ギツネになって上がり込み、互いに親子ということも知らず、道楽者の親子同士がキツネになって踊る、という噺。
 日本舞踊の素養がないと演じられません。いわゆる音曲噺というやつ。

 今の春団治師匠のをよく聴くんですけど、親子のキツネになって(扇子の要の部分が顎のあたりにきて、その様子がキツネの顔に見えるので)踊るというシーンが、春団治流とはまた違う動きでした。春団治演出は、子ギツネは下で目隠しして、二階への階段を上がっていくという演出。絶品です。米団治演出は、米朝演出に近いのですが、二階まで芸者の腕に掴まって誘導してもらい、二階の襖を開けた途端に、部屋の中でおもいっきり踊るという、その距離感、リズム、親ギツネと子ギツネの違い、芸者たちの表情が演出され、確かに米朝師匠とも違う、新・米団治の「親子茶屋」になっていました。おおらかだけど繊細な落語を演じられる、大看板になれるんやないかと思った次第です。

 「まめだ」は、確か亡き三田純市さんの書かれた新作落語です。とは言え、古典の匂いが濃厚な、しかも人情っぽい噺です。道頓堀の大部屋の下っ端役者。小屋から帰ろうと雨が降る中、番傘を差して宗右衛門町を越え、三津寺筋を過ぎたあたりで、傘の上にズシリと何かが乗った。「こら、まめだ(仔狸)の仕業やな」と、そのままポーンとトンボを切ると「ギャア」という音がして、黒いモノが向こうへツツーゥ。「ざまあみさらせ」と見栄を張りながら家へ戻る。家では年をとった母親と二人暮らし。母親は「びっくり膏」という怪我をしたら貼る膏薬の入った貝殻を売っている。ところが次の日から、かすりの着物を着た陰気な男の子が膏薬を買いにくるようになったと母親が言う。それが不思議と、その子がきてからお金が1銭足らずに銀杏の葉が銭箱に入るようになったと首をひねる。何日かそんなことが続いたある朝のこと。表でなにやら人の声が。なんやと表に出てみると、三津寺の境内でまめだが死んでいた・・・。身体中に貝殻いっぱい引っ付けて。
 「あっ、このまめだ・・・あのときのお前やったんか。身体怪我したさかい、うちに膏薬買いに来てたんやな。言わんかい、そのまま貝殻身体に押し付けたかて治るかい。これは貝殻から薬取って、紙か布へ伸ばしてあてがうんやがな・・・」
 自分が殺したという自責の念で、母親や近所の人たちと境内の隅に埋めてやると、一面に敷いてあった銀杏の葉が秋風に舞って、まめだの墓に集まってきた。
 「お母ん、見てみい、ぎょうさん狸の仲間から香典届いたで」

 しんみり。

 米朝師匠がたまにお演やりになる演目です。

 落語の魅力のひとつに四季折々の描写、いうものがおますねや。
 冬の落語は、上方落語に限って言っても「掛け取り」「尻餅」「厄払い」「正月丁稚」「けんげしゃ茶屋」といった師走から年始にかけての噺や、「初天神」「蜆売り」「二番煎じ」「池田の猪買い」「不動坊」「徳兵衛ごたつ」「風邪うどん」・・・。
 春になると、ちょっと遠出と「牛の丸薬」、山へハイキングということで「愛宕山」、花見の季節で「天神山」「貧乏花見」「隣の桜」「百年目」「桜の宮」、5月になると「野崎詣り」、5月5日の「仙壇菖蒲」・・・。
 夏は「鯉舟」で舟遊び、涼みに行こうと「船弁慶」「遊山船」、暑い長屋で「舵含草」「青菜」、船場も暑いわで「宇治の柴船」「千両みかん」「次の御用日」「須磨の裏風」、京都も暑いわで「大丸屋騒動」、田舎も暑いわで「夏の医者」「狸の化寺」・・・それに怪談!
 秋は紅葉狩りで・・・おまへんねん。秋の噺、と米朝師匠言うてはった。
 「栗が出てくる『質屋蔵』と『まめだ』くらいでっしゃろかなあ」
 でも、人情噺は秋が似合ってるように思います。
 まあ、秋の青空が頭に映ってという描写のある「八五郎坊主」や深秋の感じがする「高尾」なんかは秋の噺。「滑稽清水」という秋から冬にかけての噺もあります。江戸には「目黒のさんま」という名作がおますけど、大阪には目黒おまへんし、大名もあんまりおらなんだ・・・。

 さて、落語会が終わって楽屋に米団治さんを訪ねる。ちょっとご無沙汰してました。
 以前は2人でよくお酒を飲みながら、古代史だのフリ−メーソンだの日ユ同祖論だのの話をしていたんです。「それおもろいから、ウチのホールでお客の前でやりはったら?」と鳥居さんの仕切りで「古代史研究会」なる怪しげなトークイベントをシリーズでやったり、CS京都の『京都魔界案内』にノーギャラで出演してもらったり。二人で奈良県の某高校の学園祭に呼ばれたこともあります。「古代史研究会」を聴きにきていたお客さんに高校の先生がいてはって、「これは生徒に聞かせたい!」と思われたそうで。いや、日本の教育もまだ捨てたもんやない。
 あるとき、米団治さん、米朝師匠に日ユ同祖論や陰謀説を夢中になって(この人、なんかハマッたらトコトン行くみたいで。今はコカコーラにハマッてるらしい)解説していたらしい。そしたら米朝師匠「あのな、その中山とかの話を聞いている暇があったら、稽古にこい!」とお叱りを受けてしまったとか。ところが、それでもそんな話を人間国宝に始終吹き込んでいると「中山さん、おもしろいですなあ。この前親父が新聞読んでて、『小米朝、これもユダヤの陰謀か』て真剣な顔で聞いてきました」

 ・・・。
 この日も久しぶりに会って、今執筆中のモーツァルト、フリーメーソンの話をすると、またまた大盛り上がり。横手でそれを聞いていた鳥居さん。「またホール貸しましょか?」

 さて、そうもしていられない。今頃塾生が我が書斎でマンガの合評してるんや!
 急いで帰ったら、私の元教え子のマンガ家のヤマサキくんも来てくれていて、大阪芸大の学生もひとり参加して、こちらは合評で盛り上がりの真っ最中。2年ほど前は「なんでお前ら描かんのや!」と嘆くこともありましたが、今は小説もマンガも、自主的に書いて、刺激しあうことの重要さにやっと気づいて、やっぱりその意識をもった途端、着々と技術も考え方も成長していくのが見えるようになりました。
 けっこう、けっこう。

 でも時間は守ろうぜ! なあモコピー!

 合評の後は、モコピーと坂本くんの手料理を肴に、朝まで飲みタイム。
 めっちゃうまいぞ。

 そこで出たみんなの総意。「高校卒業して、1、2年の自分を見ていると、その記憶は消去したくなるほどバカでした。あの頃の自分がここにいたら、確実に殴ってます」

 やっとわかってくれたか。
 私が、どれほどバカの操縦をするのに苦労したか。私も20歳の頃はバカでしたから。イキがって自分を過信して、大人の言うことも聞かず・・・。

 今の彼らは違う。それだけプロの思考に近づいたというわけですわ。

 でもこの前、私の専門学校時代の教え子たちが、久しぶりに私の書斎に集まって、いろいろ懐かしい話をしたことがあるんですが、成長どころか後退してるヤツもおった。
 やっぱり切磋琢磨が成長を促すんやね。
 
 我が作劇塾の結束は、米朝一門を見習って。
   



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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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