2009年03月

2009年03月31日

露の五郎兵衛師匠、ご冥福を・・・

 中山市朗です。

 上方落語界の重鎮、露の五郎兵衛師匠が死去されました。
 77歳でした。
 大好きな噺家さんのひとりでした。

 前名は露の五郎。
 このお師匠さんを知ったのは、私が中学2年の頃でした。
 すでに落語に興味を持ち出したこの頃、必見のテレビ番組があったのです。
 サンテレビという関西ローカルでの「上方落語大全集」という番組。
 このとき出られた師匠がおやりになったのが、「夢八」という落語。これが、まあなんとも奇妙な怪談調の滑稽噺でして。
 以後、私の中では一風変わった落語を演じる落語家さんとして印象づきました。
 確かに「栴檀の森・異聞」「鉄拐」「鼠の耳」「金瓶梅」「大名道具」「西遊記」「人形の目」「蛸坊主」「紀州」「粉つぎや」「建礼門院」といった珍しく奇妙でエロティックは噺を高座に掛けてはりましたな。他の落語家さんではあまり聞いたことがないような・・・。また怪談噺も師匠の独壇場でした。
 圓朝噺である「怪談累ヶ淵」や「市川堤」「一眼国」。自作の「雪の旅笠」「雪の戸田川」「雪の子守唄」など。それに芝居噺も「瓢箪場」「義士
大根」「中村仲蔵」なんていうのも聞きました。
 「大丸屋騒動」も絶品。その他、「二番煎じ」「浮世床」「正月丁稚」「羽根突き」「子ほめ」「猫の災難」「初天神」「うなぎ屋」「常太夫義太夫」「加賀見山」「深山隠れ」「三人旅」・・・まだまだあったでしょう。
 今の上方の噺家さんは、いい意味でも悪い意味でも洗練された落語をおやりになる方が多いんですが、五郎兵衛師匠は、いい意味でも悪い意味でも大正、昭和の初期の噺家さんの芸風をもっていらしたような気がします。しぼったような声の出し方とか、でもその声はカン高いとか、ねちっこい芸というか、ちょっとオーバーな演技というか、高座の雰囲気とか・・・。

 実は、私がこの業界にいるのも、間接的にではありますが、五郎兵衛師匠の存在があったからかもしれません。落語が好きで好きでたまらん気持ちが、ビデオ版「上方落語大全集」の企画書を携え、あちこちに営業したわけですが、まったく落語界に縁もコネもなかった私が「露の五郎事務所」にいた大学時代の友人に紹介されたのが、今、私のマネージメントをやっている大滝哲雄でした。当時、キッチュ(今の松尾貴史)のマネージャーもやっていましたけど。それはもう25年前ほど前のこと。当時は誰もビデオで残した映像が文化的価値、商業的価値をもつなんて考えていない頃でした。大滝氏も、この企画にどんな価値観を見出していたのかも、ちょっと怪しい・・・。

 ソニーミュージックがこの話に乗って、いろいろ話をしたんですけど、あの企画はちょっと早かったみたいですな。露の五郎師匠だけで、落語全集をという話もあったんですけど、今思うとやっときゃよかったかな、と。
 しかし、それがきっかけで大滝社長とは飲み友達になって、そのうち『新耳袋』で作家デビューした途端、電話がかかってきて「うち、机ひとつ空いてまんねんけど・・・」
 現金なオッサンやと思いましたが、そこから放送作家の道が開けたわけです。このときは、五郎師匠とは別になって「大滝エージェンシー」という社長の名前が前面に出た少し怪しい事務所(?)になっていましたが。

 五郎兵衛師匠とはじめて仕事をさせていただいたのは、『ダ・ヴィンチ』誌上で展開していた「怪談之怪」での席でした。この頃は、私、木原浩勝、東雅夫、京極夏彦のメンバーが、怪談のプロをひとり招いて、共に聞き語るということをやっていたのです。
 編集から「中山さん、落語がお好きなようですが、今度のゲストは落語家さんで行こうと思っています。どなたかご推薦を」と電話があり、「露の五郎師匠!」と即座に推薦し、長い間の夢であった師匠との顔合わせが実現したわけです(2000年6月号掲載)。
 師匠はこの会に参加できたことを大変喜んでいらしたらしく、天満繁昌亭で、露の団四郎さんと怪談落語の特集をやろうと言ったとき、ゲストとして出演していただいたのです。「怪談累ヶ淵・水戸門前お久殺し」をたっぷりと演じられまして。楽屋でいろいろお話させていただきました。その後、独演会の招待券をいただいたり、「旭日小綬章」のパーティにも招待していただいたり・・・。

 「夢八」をもう一度、生の高座で拝見したかったですなあ。
 私の率いる塾生と大阪芸大の落研のメンバーで構成している「桐の」一門は、もともと「露の」から名付けたものですので、また「桐の」一門で追悼会やらなあかんなあ、と思っております。

 五郎兵衛師匠、上方落語のためのご尽力、お疲れさまでした。
 ご冥福をお祈りいたします。



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塾生たちの1分映画

 中山市朗です。

 何人かの塾生ブログに書いておりますように、先日、塾生たちによる映画制作が行なわれました。志願制で、ひとり1分の映画を撮るらしい。
 条件は、教室の中で撮れるもの、だとか。

 志願したのは6人。つまり6本の1分映画ができることになります。
 先日は3本が撮影され、来月10日にはもう3本が撮影されるとか。

 私は今回の映画制作については、あえて沈黙。
 塾生たちの自主性に任せています。
 でも、きっと効率の悪いことしてるんやろうなあ・・・

 私は学生時代、映画監督志望でしたので、芸大の映像計画学科在籍の4年間で、監督作品6本、関わった作品は数十本となります。私の創作の基盤には、これらの映画制作があったと確信しています。
 作る楽しみを味わいながら、作る苦労も知る。自ら責任のある監督という立場にいることによって作品を完成させる責務を負い、それをひとつひとつ完【まっとう】させることによって、少しずつ自信もついてきました。

 以前、私の芸大同期120人のうち、現在この業界にいるのは数人と、このブログに書いたことがありましたが、その数人はいずれも監督を経験した者です。責任のあるパートに就かずに、当時ラクをしていた者はひとりも残っておりません!

 映画はまず計画性が必要です。
 企画の実行、準備、人員招集、スケジュール調整、シナリオ執筆、パートの振り分け、機材の調達・・・。まず撮影前にこれらのことが管理されているかどうか。
 撮影当日も、うまくスタッフが動いているか。効率よく撮影されているか?
 撮影後も、編集だの、音響だの、調整だの、作業は残っています。
 そういうことを学生時代に学んだわけです。カメラワークだの演出論だの、そういうことも必要ですが、それを机上だけで学ぶのと、人を使った現場で実践するのとは全然違います。私は、それを同期の友人たちの中で一番経験してやろうと思い、そうなりました。これが自信となったのです。その自信もプロの世界でポキリと鼻を折られたのですが。それでもこの世界にしがみついてこられたのは、学生時代の現場の経験があったからです。この経験を当時スルーしていたら・・・考えるのも、おぞましいですわ。

 塾生たちの1分映画。いつ観られるのでしょうか?

 ところで、その製作管理の立場にいるSくんが、当日来なかったという問題が発生したようです。総務のスガノくんが機転を利かせた連絡をして、撮影中に顔を見せたと言いますが・・・

 彼はマンガの合評が火曜日にあるので、それを優先させたかったと言います。
 しかも、撮影当日、彼の携帯電話は切られていたらしいのです。
 撮影機材についての交渉、管理は彼がしていたと言います。
 でも撮影現場の教室は、勤務外のボランティアでスタッフが開けて、撮影終了まではずっと待機しています。撮影スタッフや役者さんも教室に来ています。衣装や美術も用意されていたことでしょう。

 もしそこで、機材が届いていないとか、誰かが怪我をしたといったトラブルがあった場合、製作管理をしている人間が来ていなくて、しかもその携帯の電源が切られているとなれば・・・?
 そしてそれは、自分のことを最優先した上での行動であると知れたときには?
 プロの世界であれば、Sくんはこの業界から抹殺です。
 彼への信用は失墜してしまっているわけですから、誰も仕事はしたがらないし、仕事は振らない。会社員だとしても、リストラですわ。
 撮影後、真っ先にSくんは私のところへ来て、自分が何をやってしまったのかが分かったと言って、反省していましたが・・・。塾生だから許された。スガノくんの機転があって助かった。
 もちろん、あとでSくんはみんなに吊るし上げられていましたが、これでSくんは目覚めたことだろうし、二度とそんな行動はやらないことでしょう。
 この吊るし上げも、みんなの愛情だと思って受け止めましょう。
 「もう、アイツはいい」と、みんなにシカトされることのほうが、お互い辛いし、Sくんも再起するチャンスを奪われることになりますから。

 先ほど、大学の同期で業界に残っている者は、監督経験者だけ、と書きましたが、そういう責任とか信用を学ぶ場にいて、痛い目にあった者だけが人材として成長し、そこをスルーしてきた者は、大学卒業して社会に入ってから初めて厳しさを知って、いつの間にやら去って行った・・・ということではなかったかと思います。

 今の塾生たちは、社会人もいて、それは仕事を優先してもらわないと困りますが、もし自分のやっている創作活動(マンガ、小説)に、「映画制作が支障をきたすから参加しない」と言うのなら、それも仕方ないことだと思います。タイミングもありますしね。
 ただ、ことごとく自分の創作活動を最優先して、こういう現場をスルーしている人間に限って、実は作品があがっていない、という現実があることも忘れてはいけません。
 きっと作品があがらないから、焦ってそれ以外のことを拒否しようとする気持ちが現れるんでしょうけれども。
 やっぱり、いろんなことにエネルギッシュに挑戦し、常に動いている人が本分もまっとうしているし、創作活動の範囲も広くなり、モノを見る目も肥えてきます。やっぱり作品を完成させる喜び、みんなで何かを分かち合う一体感、責任を終えた充実感、こういったものを知って創作していくのと、ひとりで悩んで一向に作品もあがらず、しんどいだけで、喜びのない活動なんて、萎えます。マンガ家になりたい、小説家になりたい、という思い込みだけが創作を支えているというのは・・・。

 まあ、人によるのかもしれませんが、作品創りに無用な体験などありません。せっかく塾という特別な環境にいるんですから、他ではできないことに、あえて挑戦し参加してほしいというのが、塾長である私の思いなんですけど。

 それと、マンガコースの参加が少なかったと聞きますが、マンガこそ映画から学ぶことがあるはずです。カメラワーク、画面構成、画面の繋がり、キャラクターの造形、演技の連続性、動き、背景にあるもの、強調、方向性・・・
 いい勉強の場やのにねぇ。 
 

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2009年03月26日

3/25の小説技法

 中山市朗です。

 昨日の私のブログに書いたことが、塾生の間で話題になっています。
 Kレンジャーは、編集さんに「14歳」と言われたようだけど、自分ならどうだったのだろうと・・・。
 好きなことが明確に言えて、やりたいことのヴィジョンがしっかりあって、それがきっちり業界の人にアピールできるのだろうか? これは他人事ではないぞ、と。
 ということで、昨日の小説の合評のあとは「14歳」を合言葉に、私の書斎に塾生たちが集まりました。Kレンジャーをねぎらい、ともに今後のことを考えようじゃないか、創作について語ろうじゃないか、という飲み会です。ところが、あれれ? Kレンジャー帰っちゃった? はあ? 「山の牧場に行ってから体調がよくない?」う〜ん、やっぱり14歳・・・。

 そういえば、以前こんなことがあった。

 もう3年ほど前のことですけど、『心霊タクシー』というテレビ番組の収録。やっぱりご迷惑ながら当時の塾生Sくんを同行させた。この番組の収録がまた過酷なものでして・・・夕方4時に制作会社に集合、打ち合わせのあと、日が暮れてロケ開始。あとは日が昇る早朝まで撮るだけ撮る。恐怖の4本撮り。しかも車での移動中も、私は怪談を語ったり、解説したり。ナビゲートもして、無線を使って後続車のスタッフにもリップサービス。ふらふらですわ。でもそんなこと言ってられない。低予算番組なので、なんとディレクターがタクシーの運転手役もしている。みんなしんどい。やっとロケから解放されたら、早朝7時になろうとしている。タクシーでそのまま自宅まで送っていただいたのですが、Sくんは後部座席で大口開けて寝ている。私は寝れません。送ってくださっているのが、ディレクターさん。彼も疲れています。やっぱ気ぃ遣いまんがな。
 帰宅が朝の9時過ぎ。で、その日の午後1時より、ある仕事の会議。そこにはSくんも参加することになっていまして。「1時、遅れるなよ!」「わかっています!」
 で、1時・・・。
 来ませんでした。後で聞いたら、ロケで疲れて起きたら夕方5時でした、とさ。て、仕事してたのワシや!
 お前、なんもしとらんやん!
 ロケ弁だけ一人前に食って。
 まあ、Sくんは「8歳」ですかな。

 まあ、そういうことですわ。
 プロの現場と、素人のフィールド。意識はそれだけ違う。
 自分が、その現場で、あるいはそこにいる人たちの中に、どんなメリットをアピールできるか。ビジネスは、メリットを相手に与えることで成り立つ。これはどんな世界でも言えることです。小説もマンガも同じ。出版社から印税なり、原稿料をもらう。ということはビジネスですからな。出版するときは、契約書も交わします。
 そういうことが分からない限り、いつまでも「14歳」から脱出できませんわな。

 さて、小説技法の報告です。

 出席者は13名。新塾生のSさんがお休み。見学者は珍しくいません。
 しかし、みんな書くねえ。9作品、あわせたら400字換算で500枚を突破!
 ハードカバー1冊分はあります。これを全部読んで、アカをいれて。これをたった一週間で!
 大変やけど、これは楽しみでもあります。

 まず初めての課題提出となるN子さん。ホラーテイストの作品です。最初はミステリー調で、だんだんホラーになる。という切り口はいいのですが、主人公のキャラが出ていない上に、場所や時間軸もわかりづらい。まあ、これからです。
 彼も初提出、K島くん。時代劇大好きの彼はサイレント映画に携わった人たちの人生から、映画の素晴らしさを主人公の青年が知っていく・・・。やっぱりナビゲート役の主人公が何者なのかがわからない。いきなり老人が青春時代を語るより、まず主人公と老人のやりとりをさせて、お互いのキャラクターなり、人生観を浮き彫りにさせつつ、映画の世界に引き込む手法が望ましいかな。
 Oくんのオタクが世直しをする、という小説も、なかなか前進しません。この日に出された原稿も、小説というよりはプロット。じっくり時間やるから、じっくりと作品に取り組むことを指示。これじゃあ、アカの入れようがないもんね。
 Hさんの官能的な不倫小説は、ちょっとキチキチ感があったので、行間を意識するように指示したところ、そこがクリアされて読みやすくなりました。オーケーです。次の章へいきましょう。
 Yくんのヒーローもの。121枚の大作。読ませます。巧い。でも作品の中に登場する化け物の形態がよくわからなくなってきた。また、怪事件が隠蔽されている設定なのですが、それには政府が関わっているのか、国際的にはどうなっているのかが、わからない。ケータイ、ネットの情報までどう検閲して、消去させているのか・・・。空想と現実の間を埋める作業が今後の課題です。
 Sくんの奇譚調の小説は・・・。ちょっと考えすぎ。素直に直してくるのはいいんですけど、いいところもいじくり回してつまらないものにしている。自分の長所と短所がまだわかっていない? 言うてるつもりなんやけどなあ・・・。
 Tくんの作家たちの過酷な世界を描くナンセンス小説。だいぶ内容も濃くなってきて、世界観が整理されてきた感じはありますが、もっとおもしろくすることができる。もっともっとイマジネーションを働かそうよ! それと時間軸がよくわからん。
 Mさんの青年が女性となって父親に復讐するという小説。設定も展開もおもしろくて、小説ならではの世界観があっていいのですが、まだ男性が女性となる過程とか、状況とかに不自然さが残ります。あえてそこはスルーしたい、というMさんの気持ちもわからなくもないですが、やっぱりこれだけ指摘されたらスルーはできない。読者はもっと辛辣ですから。
 Iさんの、日本神話をテーマとしたファンタジー。一人称を三人称にしたのはいいんですけど、私が以前から懸念していたことを指摘。どうもIさんが思っているほど、この小説の対象となる女子中高生たちは、日本の歴史と神話の知識はない。そこは知っているものとスルーしていくと、読者がいなくなる。現に、作家になろうとしている、しかも私から歴史だの古代史だのと吹き込まれているはずの塾生にして、よくわかっていない。まあ、だからこそ、こういう小説を書かねばならない、という気持ちは充分理解できるし、応援もしたい。けど、このままでは読者不在になる可能性も。難しいテーマですけど、なんとか一捻り、二捻りしてほしいと思います。

 合評は、予定より1時間オーバーの夜10時に終了。ふぅ。
 その後は、落語作家志望のO田くんの落語プロットにアカ入れ。
 中国の小咄を長編落語にしようという考えはいいんですけど、ちゃんと日本との違いを考えないと。それに主人公たちのこれまでの人生を設定してあげること。一体
この人たちは、どういう素性で、何を考えて、だからこういう行動をとるのだ、ということを言えないと、落語でもこれは演じられない。小説もそうですけど、こういうとき、こういう人なら何を選択し、何を優先し、何は絶対にやらない、という人間行動の原理は頭においておきましょう。

 さて、来週水曜日は、4月1日。エイプリルフール、じゃなくて塾の創立記念日&ワタクシのバースディ! 授業は一週ずつずらして(4月は5週ありますから)、この日は昼から大いに盛り上がるぞー!
 



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2009年03月25日

塾生の最大の勉強とは

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 中山市朗です。

 えらく遅くなりましたが、メディアファクトリーの担当、Rくんがようやく『しょこリータ/ホラリータ・ナイト』の楽屋で撮った写真を送ってきました。
 Rくんが撮った写真なんですが、なかなか送ってこない。
 「写真、送った?」と、あるとき聞いたら「ああっ!」って。
 ああっ、やない。

 左から東雅夫『幽』編集長、『超怖』の平山夢明氏。前列左から、伊藤三巳華嬢、加門七海嬢、田辺青蛙嬢。後列左から、京極夏彦氏、ワシ、ファンキー中村氏、安曇潤平氏。

 さて、先日ある怪談ものの取材ということで、東京の出版社より編集Sさんと、カメラマンの2人が来られたんですけど、ご迷惑かと思いつつも「塾生ひとりを同行させていただけないか」と頼んで、枠をひとり分あけてもらっていたのです。
 というのも、現在怪談取材をやりながらある企画を企んでいる塾生たちがいるのですが、どうも進行が遅く、目的もはっきりしない。そこで、プロとはどういう取材をやっているのかを見てほしい、ということと、やっぱりホンモノの編集さんと現場で接するということほど勉強になるものはないんですね。それに、そんなことは専門学校では「絶対ご法度」ですから。うちの塾生である特権! (もし、それをやっている学校があったら、その先生に感謝。きっとクビをかけて先生が独自にやっている)

 ところが、こんなチャンスに、なかなか「同行させてください」という猛者がいない。遠慮もあるのだろうし、なにより自分に自信がないのでしょうか・・・? それともバイトとかいうつまらん理由? 一生バイトしとけ! 
 そしたら前日、Kレンジャーから「明日のバイト休みました。まだ枠があるなら行かせてください」という電話。バイト休んだというのなら、ちょっとは根性あるかな、とSさんにひとり同行を許してもらったんです。

 本当に、私と仕事をしてくださっている業界の方々、毎度毎度、塾生がご迷惑をかけております。
 というのは、これをやってメリットがあるのは塾生本人だけ。
 先方は戦力にならない若造の心配をして、ひとり分余計な経費がかかります。
 私としても、彼らが遅刻したり、失敗したり、失礼なことをやってしまわないか、ハラハラもんです。なにかあったら、責任は私なり作劇塾のほうへ行く。塾生ですから当然素人。戦力の期待も、実はそんなにしていない。
 それでも、私はなるべく塾生を同行させてやりたい。
 なぜなら・・・、もう一度言います。それが最高の勉強の場だからです。

 さて、Kレンジャー。この日は特別手伝ってもらう用件もなし。我々の動きを見ていてほしかったんです。私の切り口なりSさんの引き出し方が勉強になる。でも、動きがついてきていない。肝心なときにいない。
 遠慮しているのでしょうが、こんなときに遠慮は不要。「邪魔だ、どけ!」と言われるくらいでないとあきません。少なくとも「彼(彼女)は何をしにきたの?」と言われるよりはマシ。それと己の観察力のなさを、彼は痛感したことだろうね。なにも見ていない。感性も働かない。フツーの学生。
 クリエイターを目指すなら、それはあかん。
 でも、そのことに気付いた、ということが重要。
 同じ仲間ばかりつるんでいる限りには、これには気付きません。プロの人と絡め、という意味がここにある。

 そして取材が終わったあと、編集さんたちと焼肉を食べることになったんですが、このときに泣きそうになったと、Kレンジャーはブログに書いています・・・。

 Sさん、よくぞ言ってくださった。
 塾生諸君のみならず、この世界を目指している若者よ、よく聞くがいいぞ。映画の話しているけど、小説やマンガに当てはめてみたらわかるから。

 Sさん(以下S)「Kレンジャーっていうのはペンネームなの?」
 Kレンジャー(以下K)「というか、ネットのハンドルネームがそうだったので、その名前が浸透してたので、そのままペンネームにしたんですけど」
 S「浸透? 業界には全然浸透してないよ。俺知らないよ?」
 K「ええ、まあ・・・」
 S「もうね、ハンドルネームって聞いた瞬間、あなたに興味もてないよ」
 K「は、はあ・・・」
 S「なに、作家になりたいの?」
 K「一応映画監督になりたくて、大学のサークルで何本か作ってました」
 S「好きな映画はなに?」
 K「そ、そうですねえ・・・(もごもごと、アニメや特撮の話にはなるが、明確にこの映画、素敵です、という答えが出ず)」
 S「じゃあ、どういう映画が撮りたいの?」
 K「そ、そうですねえ・・・(これまた明確なものが出ず、ごにょごにょと)」
 S「あのねえ、次これが撮りたいっていうことがすぐに出ないプロの監督さんって、お目にかかったことがないよ。それに、好きな映画が出てこないというんじゃあ、キミのスタンスがわからないじゃない。この映画はおもしろい、っていう気持ちをスタッフや関係者に伝えることができなくて、どうコミュニケーションを図るんだ? なにを伝えるんだ? モノ作りはコミュニケーションだからね。本気で映画監督になろうって思ってる?」
 K「は、はあ・・・(言い返せず)」
 S「厳しいことをあえて言うよ。今、キミに焼肉を奢っているのはなぜだかわかる? 会社の経費だよこれ。それは中山さんにお世話になっているから。今日仕事していただいたから。その中山さんの教え子だからだよ。でも、こっちから言わせてもらうと、本来そんなの関係ないんだよね。現場に来るからには戦力だと思うし、やってもらわないと困るし、なにかキミからメリットのあるものを受けられると思って、こういう場に座ってもらっているんだよ。残念だけど、キミと話していると何も伝わってこない。14歳と話しているみたいだ・・・」
 まあ、これだけ書くと、鬼のようなSさんを思い浮かべるでしょうけど、合間合間で私に向かって「こんなもんでいいでしょうか」と冗談交じりに頭を掻いてくれたりして。
 愛情なんですよ。これは。
 こんなふうに説教してくれるなんて、ありがたいと思わなきゃ。そんなん、叱ること自体Sさんになんのメリットもないわけですから。Sさんの、塾とKレンジャーに向けてのサービスですよ。これは。
 Kレンジャーもショックなことを言われたかもしれないけど、おそらく塾生の誰が来ても、それは言われていたと思う。キミだけじゃないから、それが聞けたというだけキミは偉いよ。

 でも、Sさんの言っていることは本当です。
 それに気付く、気付かされるのがこういうプロとの交流の場。
 Kレンジャーは、ブログで泣きそうになったとか書いていたけど、大学の4年間でやっていたことが、この業界ではまったく通用しない。という現実が骨身に染みたと思う。そして、その場にいて、編集のほうから旨い但馬牛をいただきながら、説教されるなんて、これも特権やと思ってこれから精進すればいいことやと思う。
 作劇塾を選んで、こんな場に来れて、編集さんに叱られて、泣きそうになって・・・
 それでいい。
 塾には来ているけど、そういう場をことごとくスルーしている塾生もいるもん。そいつらより、少しは度胸や知恵はついたはずやから。

 それから、私がいつも言う、飲み会の重要性もわかったことやろうしね。
 こういう場でこそ、現場で言えなかったことや、叱ったり怒鳴られたりしたフォローがあったり、人生の指針や、業界での生き残り方を話し、聞けるところやと。

 そういえば、ウチの社長が言うてた。
 「この前、塾生のT井を飲みに連れて行ったら、わしと話さんと食うてばっかりしとった。だんだん腹たってきたわ」

 皆さん、業界の人に奢ってもらうって、どういうことかも考えましょう。
 そして、常に奢られる場にいること。
 プロの意識、哲学、レベル、社交術、マナー、そして繋がりをそこで学ぶんや。
 そしたら、今制作している作品の技術や意識のレベルを知り、より明確な目標が定められることになるやろ。



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2009年03月21日

大怪獣クリプトン登場

 中山市朗です。

 18日の講義の報告が、こんなに引っ張れるとは思いませんでした。
 私は楽しんでますけど。

 さて、双葉社の『好奇心ブックス』の特集記事。
 「怪獣映画企画書」

 さあ、皆さんならどうします?
 なにから発想します?
 怪獣映画の好きな人もおられるかと思いますが、「平成ゴジラ」は何を失敗したのでしょうか? 初代ゴジラの成功はどこにあったのでしょうか? そもそも怪獣映画の魅力とは?

 私と木原は、まず条件を考えました。
 怪獣映画は何度もいうように、パターンとバリエーションにより成り立っています。
 しかしそのパターンとバリエーションが動脈硬化を起こしている。
 とすれば、やらねばならない、踏襲せねばならないパターン、バリエーションと、やっていけない、あるいはもうこれは止めよう、というパターン、バリエーションがあるはずです。
 そこを整理する必要がある。
 そして、それを満たした怪獣映画の企画を立案することこそが、我々のオリジナリティであり切り口であると思ったわけです。

 その条件とは?

 映画的条件・マニア的条件・NGワード。
 この三つに分けました。

 怪獣映画とはいえ、これは映画ですから、映画として成り立つことがまず必要です。
 そして、やっぱり怪獣ものは、マニアックな人たちによって支えられています。スルーしてはいけない条件を踏まえつつ、新怪獣を造形することが要求されます。
 で、NG。
 もうええ加減にしろ、という安易な怪獣誕生の原因や、辻褄の合わない世界観が足を引っ張ってました。
 
 そういう要素を出して、条件に組み込んだわけです。
 やるパターン、バリエーションを踏まえて、やってはいけないパターン、バリエーションを排除する。その上で、今までになかった要素を入れる。
 これがオリジナリティ、切り口、というわけです。

 えっ? その条件とは具体的になんだって?

 それは講義を受けた塾生だけの特権。
 というより、それを書き出すと、またこのブログ終わらないし。

 ただ、NGワードとして、

 宇宙からきた、NG。
 超科学、超文明、超能力、とにかく超はNG。
 時間超越、NG。
 バイオ、人工生命からの誕生、NG。

 としました。
 そしてもちろん、子供の見方、人類の味方、NGです。

 そういう中で、我々は大怪獣クリプトンを登場させました。
 クリプトンというのは、ある生物の生体機能から名づけられています。つまりその生態がクリプトンの特性であり、恐怖でもある。がために、自衛隊の現行兵器の通常運用ではまったく通用しない・・・。

 ちなみにその企画書は、その意図、怪獣の設定、生態、東京上陸の原因から、プロットまで添えて『好奇心ブックス69 怪獣魂VSメカ怪獣魂』の最後の記事として、8ページに及んで掲載されました。

 作品のオリジナリティとは、まったくぶっ飛んだ発想のことを言うのではない(それもおもしろいし、すごいものもあるんでしょうけども、業界や世間が認めなければ、というハードルを考えねばならないということ)ことがお分かりでしょうか?
 色んなパターンとバリエーションは、だからクリエイターとしては、知識の中に入れておかねばならないわけです。
 それにはどんどん古い作品から観たり読んだりすること。

 古いものなんか時代遅れだよ、学ぶものなんかないよ、と言うてる若者。ほら、そこのキミ。それは大間違い。
 キミが新しい、と思っているものは、実はもうとっくにやられているというパターンがバリエーションより成り立っているはずです。ただし、切り口が違う。というわけです。

 鋭い切り口を見出すためには包丁を磨いているだけでは駄目。
 切る素材を集めなきゃあ。

 包丁を磨くのは、さしずめテクニック。
 素材集めは、普段の遊び、見たり、聞いたり読んだり、取材したりからくるもの。

 やっぱり篭ってちゃいかん。


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2009年03月20日

オリジナリティとは、まず創作魂!

 中山市朗です。

 昨日のブログの続きであります。

 小説やマンガにおけるオリジナリティ、切り口について考えています。
 おもしろくて、ヒットする作品て?

 例えば、友達と映画を観たとしましょう。
 観終わったあと、その映画について話をしませんか?
 「なんや、もうひとつやったなあ」「盛り上がりに欠けたねえ」「あそこで主人公、あんなことやっちゃいかんわ」「けど、ヒロインかわいかったなあ」
 とまあ、勝手なことを言って盛り上がります。
 映画雑誌に限らず、たいていの雑誌には映画の紹介や批評が載っています。
 「世紀の傑作」とか「失敗作」とか。
 中には深い洞察力で作品をえぐるような批評もありますが、実に表面的で誰でも言えそうな“切り口のない”批評も見受けられます。ネットの世界でもそれはすごいですな。
 今や、誰でも評論家になれる時代です。

 私は常々、塾生たちに言っていることがあります。
 それは・・・
 批評するときは「好き嫌い、でするな」「論理的であれ」ということ。
 塾でやっている合評は、その精神で実行されています。

 好き、嫌いは誰でも言えます。幼稚園児だって、「おもしろかった」とか「おもしろくなかった」とか言いますもんね。
 しかし、プロのクリエイターを目指すのだったら、それではいかん。
 「おもしろくなかった」として、じゃあ何が失敗の原因だったのかを探る。
 テーマ? 演出? ストーリー? キャスティング? 設定?
 演出だとしたら、具体的にどのシーンが、どう失敗したのか?
 ストーリーだったとして、何が駄目だった原因なのか?
 それを見つけて、分析します。
 ここまでは、まあ映画好きな人なら指摘できます。
 飲み屋でぐだぐだ映画論かましている酔っ払いは、この類。
 いや、別にそれは悪いことではない。映画や文学が酒の肴になるのはいいことです。
 私もしょっちゅう、映画を肴にクダをまいてますから。

 しかし、ここからが問題。

 では、どうすればその作品はよくなったのか? より面白いものになったのか?
 その失敗は、どう回避して、その代わり何をもってくればよかったのか。その代案が考えられる。しかも、その失敗の原因となったものが、いかなる状況で現れたものなのかも考えないと、その映画の企画意図そのものが揺らいでしまう。その企画ありき、で、この映画が制作されたなら、その失敗の原因となったものも最低限活かすことも考えないといけない。そのためには・・・
 こういうことが見つけられるかどうか、指摘できるか、でクリエイターの資質が問われるわけです。
 批評なんて、一歩間違えば単なる悪口、中傷にもなりかねません。
 アマチュアの批評が怖いのはそこですね。批評されたほうは、好き勝手に叩かれるだけで救われようがない。何事も壊すのはカンタン。
 難しいのは建設すること。
 実際に作ってみること。
 これは難しい。エネルギーもいるし、知恵も時間もいる。お金もかかるかもしれない。おまけに報われないかもしれない。
 でも、それをやり続けるのがクリエイターというわけです。

 10年ほど前、『ガメラ3 邪神イリス覚醒』が公開され、平成ガメラ三部作のすごさに私は圧倒されました。一方、怪獣映画の本家筋にあたる平成『ゴジラ』シリーズの、まあ駄目なこと駄目なこと。
 ちょうどこの頃は、私と同じ世代、つまり子供の頃に観た怪獣映画や特撮ヒーローに憧れてこの業界を目指し、そんな人たちが活躍し出した時代だったんですな。
 出版関係でも、怪獣、特撮ヒーローなどの出版物、特集などが出ていました。
 色んな記事読みましたな。
 怪獣映画は自分の中でなんだったのか?
 造形からアプローチするものもあったし、世界観を整合し、埋める作業もあった。
 グッズを紹介したり、過去の映画に関わったスタッフや出演者にインタビューしたり、CDでもやたら伊福部昭さんの映画音楽集が発売されてましたなあ。

 そういう怪獣映画をテーマに、好き勝手に書いてインタビュー記事を載せて、怪獣達のキャラクターを特集ごとに紹介しているムック本がありました。

 双葉社の『好奇心ブック』がそうでした。
 ところが、この編集部、こんなことを考え出したんです。
 「好き勝手に怪獣映画のことを取り上げて、あーでもない、こーでもない、言うてるけど、じゃあ怪獣映画、お前らがそんなに言うなら作ってみろよと言われたら、どうする?」
 実際そんな意見も読者から寄せられたのかもしれません。

 そして、ついに双葉社『好奇心ブックス』は決断したのです・
 映画を創るのはムリだけど、新しい怪獣映画の企画なら誌上で発表できる。いや、してやろうじゃないか、と。
 今まで偉そうに怪獣映画を斬ってきたけど、我々はそれだけじゃない。
 新しい切り口の、オリジナリティのある怪獣映画、というのを提示してやろうじゃないか!
 これぞ、クリエイター魂です。

 さて、問題(また問題か)は、その企画を誰に依頼し、誰が引き受けられるのかということになりました。樋口監督? 金子監督? 手塚監督? 大森監督?

 それが、木原浩勝経由で、私のところにきたんです。
 「二人で考えてみんか」って。
 期間は一週間しかない。
 オリジナリティ? 新しい切り口?
 「やってやろうじゃねぇか」となぜか江戸っ子弁でこれを引き受けたのです。

 さて、木原と私、この二人で一体どうやって、オリジナリティと新しい切り口を提示したのか。
 その方法と過程を講義したのです。

 怪獣映画こそ、パターンとバリエーションが命です。
 だからシリーズが続いていた。
 しかし、パターンとバリエーションが、動脈硬化を起こしていたのも事実。
 これは難しい問題です。

 双葉社の編集が、大阪へやってきました。

 とうことで、この続きはまた次回。

 引っ張るなあ。



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2009年03月19日

18日の作劇ゼミ【オリジナリティとは?】

 中山市朗です。

 18日の作劇ゼミの報告です。

 塾をもっている立場ですので、編集さんと話しているとき、よく聞くことがあります。「新人の場合、どういう小説、マンガが求められているのか?」
 まず「文章の巧さです」「画力です」という言葉が返ってきたことがない。
 もっとも、それらは必要最低条件なのかもしれませんが。
 でも技術的なことは、編集でアカを入れて修正ができる、とも言います。
 一番求められるのは、「今までに読んだことがない、見たこともないストーリーやテーマです」だと言います。文芸評論家で『幽』編集長の東雅夫さんも同じようなコメントを塾にもいただいています。
 つまり、技術より頭の中にあるもの、というわけです。
 考えてみれば、技術はやり続けているうちに誰でもより巧くなります。でも、頭の中は別のような気がします。それはその人の発想や哲学、理念までは、アカは入れられない。これこそが、そのユニークさこそが、出版界に求められているというのです。
 私はこれを切り口、と言っています。

 切り口。

 それは、同じテーマでも見る角度が違うこと、誰も扱ったことのないモチーフ、新しい表現方法・・・難しそうですね。
 しかし、これは言えます。
 私も以前『ダ・ヴィンチ』誌上で「怪談スキル講座」のようなものを担当していたことがありまして、一般読者(中にはプロもいたようですが)から送られてくる怪談を読んで批評していたんですが、例えばその年にホラー大賞を受賞した小説に似ている文体、世界観そのものが俄かに多くなったり、あっ、この人この作家さんが好きなんだなあ、と思わせる文体だったり・・・が多かったんです。つまり切り口が同じか、似たもの、がやっぱりアマチュアの投稿には多かったわけです。作家性の欠如といいますが・・・。
 やっぱり審査する側から言うと、「こんなんあったなあ」「なんか似てるなあ」という作品は、いくら文章能力があっても落としていました。
 やっぱりそりゃあ、岩井志麻子本人の作品と、岩井志麻子似では、本人が勝つに決まってますわ。
 逆に、技巧的には少々粗くても、「なんだこれは!」という斬新なものがあれば、採用される可能性は大きかったですな。また少々粗いところに、これから伸びるんちがうか、と期待されたりすることもありました。

 つまり、オリジナリティが求められている、という現状は確かにあると。

 ところが、ここに問題が起こります。

 これは私の経験上からも言えることですが、だからと言って、あまり斬新なものをもっていっても、「前例がないしねぇ」と、これまた却下される可能性がある。
 オリジナリティがあまり全面に出すぎても、理解してもらえないということが起こるわけなんです。

 昔、永井豪先生が少年誌で初めて女の子を主人公にしたマンガを描いたら、編集部に「前例がない」と却下され、締め切りギリギリで菊の助という男性名に替えて再提出。でもやっぱりそれ、中学生の美少女・・・仕方なく掲載したら大ブレイク!
 『あばしり一家』ですな。バイオレンスとエロ満載で、主人公一家全員犯罪者というトンデモないマンガでした。
 ジョージ・ルーカスも『スター・ウォーズ』の企画は当初、ハリウッドのどのスタジオも買ってくれなかったと言います。銀河宇宙を舞台にした活劇で、しかも地球人が一人も出てこない! いわゆるパルプマガジンではよく見られたこのスペオペも、映画にするには斬新すぎると思われたんですな・・・。

 オリジナリティ・・・。

 実は私、おもしろい作品、ヒットする作品の格としてあるのは、オリジナリティではなくて、パターンとバリエーション、やと思うんです。
 このブログでも、その例は何度か取り上げたと思います。

 『忠臣蔵』『水戸黄門』『男はつらいよ』『こち亀』『座頭市』『ゴジラ』『タイムボカン』『サザエさん』『ドラえもん』『吉本新喜劇』・・・、ヒット小説や、連ドラ、アニメのシリーズ化なんていうのはまさに、パターンとバリエーション。
 ここでオリジナリティがいいからと言って、印籠を出さずに悩む黄門様とか、サラリーマン生活をしている寅さんとか、リアルサザエさんとか、そんなん誰も見たくないですわ。『スター・ウォーズ』なんて映像テクニックはすごいですけど中身は、昔の東映時代劇やジョン・ウェインやランドルフ・スコットが活躍していた頃の勧善懲悪の西部劇のバリエーションですもんね。
 「ジェダイ」が「時代劇」からきているというのは、どうやら本当のことのようですしね。
 だいたい、オリジナル、オリジナルなんていちいち考えていたら、とてもじゃないけど作品は書き続けられませんわ。また、多作でないと食っていけない世界ですしね。

 とすれば、オリジナルってなに?
 切り口って?

 ということになりますね。
 さあ、そこです。

 パターンとバリエーションを巧く使って、オリジナリティを追求するといいんです。
 よくわからんって?

 それを18日の講義のテーマとしたんです。

 どういうことを提示したのかというと・・・。
 それは受講した塾生だけのヒミツ、
 というのは嘘です。

 でも前置きが長すぎたので、明日、講義内容の一部をアップしましょう。



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2009年03月18日

ザ・ベストハウス123

 中山市朗です。

 16日のこのブログで告知しましたように、本日関西テレビ系で19時57分より『ザ・ベストハウス123 春の2時間祭り超プレゼンバトル』がオンエアされるのでありますが・・・私も塾生たちも、ちょうど塾での講義と重なるために視聴できません。まあ、録画はしておきますけど。

 時間にしてわずか数分の私の出演ですが、実は2度も東京へ行って収録しております。これがねえ、まあちょっと聞いてくださいよ。
 「奥さん、ちょっと聞いてください」(先代林家三平風に)

 最初撮った映像が、NGになったわけです。
 それは、どういうことかというと・・・。

 まず、私は霊能者ではありません。霊も見えません。
 怪異蒐集家なわけでして、霊のことは肯定も否定もしていない、というスタンスをとっているつもりです。ましてや「心霊」映像だの写真だの、本物なのかどうかは私にはわかりません。「それでもよければ」ということで、出演を了承したのです。私に出演依頼してきた制作会社の考えもそうだったはずですが、私のような立場の人間がコメントすることにより、より視聴者に近い目線になるように思うんです。
 だいたい霊能者みたいな人が出てきて「これは浮遊霊です」だの、「ご先祖さまが現れてあなたに語りかけています」なんていうのは、もう「アホか!」と言いたいときもありますもん。浮遊霊だの呪縛霊なんて、昭和40年代、中岡俊哉さんの言い出した造語です。それまではそんな言葉はなかったんですよ。それに心霊写真をもっていると、よくないとか、祟られるとか、あれ、誰が言い出したんでしょうかねえ?
 心霊写真なんていうのも、ここ百年にも満たない歴史しかない。
 心霊写真が祟るなんていうことは、どこの教典にも教えにもありません。
 私はたくさんの心霊写真らしきものを預かって、仕事机の引き出しにそのまま入れっぱなしにしていますが、怪我も病気もしたことがなくて、ここ20年ほど保険証を使ったこともない。両親も元気やし。
 心霊写真みたいなものあるんやけど、どうしたらええの、と思っている人がいたら、塾の私名義宛に送ってください(マジ)。
 まあ、ご先祖さまとか霊感とか、そんなこと関係なしに、日常に飛び込んでくる怪異こそが、「ほら、あなたのそばにもひょっとして・・・」ということが言えるわけでして。そこが不思議で怖いはずなんですけど。
 霊感があるから霊が見える、なんていうのはもうやめましょう。
 心霊写真が祟るとか、もうみんなイメージ。作られたイメージ。そんなん払拭せなあかん。
 前置きが長くなりました。

 そんなこんなで、呼ばれて東京へ行ったわけです。
 まず収録場所の編集スタジオで、心霊映像とやらを5本観せられて、「このうち3本を選びます。いろいろ使用許可とかスポンサーの関係で、使えないものも出てくるかもしれないので」と言うんです。
 で、5本のビデオについて、私の紹介コメントを収録したわけです。

 「心霊」とは断定しないことにしたんです。私も映像のことはわかりますので、それは絶対に撮れないか、というとそうとも限らない。それに妙なものが映りこんでいたところで、それが心霊とも限らない。現地に行ったわけでもなければ、撮った本人に取材したわけでもない。だから、なんとも言えないというのが正直なところ。
 ですから、コメントには「いわゆる心霊映像、とも言われる」とか「の可能性も」という言葉を使ったのですが、やっぱりそこは「言い切ってください」と言われた。
 それから、「これから観ていただく映像は怖いですよ。衝撃ですよ」と煽ることもやりたくない。そうではなくて、淡々と紹介して衝撃映像を観せる、というほうが効果的なこともあるんです。だから、そこは抑えたんです。
 もうひとつ、「笑い」を入れてみた。だいたいこういうのは、暗くて、いかにもという顔をしてコメントしてくれ、と言われるけど、それはあかん、と。
 恐怖も笑いも同じで、緊張と緩和が大切。
 現に、ちょっとギャグっぽいコメントをして、そのあと締める、というパターンを撮ってみたのです。そしたら最初否定的だったディレクターは「なるほど、これはありですね」と分かってくれて。アシスタントの子も、「これは僕もグッときました」と言ってくれたのですが、それを使う、使わないは、局のプロデューサー。だから、「笑いのないパターンも撮っておきたい」というので2パターン撮ったんです。

 さて、笑ったのはこれは確かオンエアされていたはずですが、米国の映像で、廃車置場の監視カメラに霊らしきものがうろうろしている、という映像の紹介。
 これは詳しいことがわかっていたんです。
 「ある主婦が、旦那さんと子供を家に置いたまま一人で車で遊びにいって、その帰り道に激突事故で即死。その大破した車が、この廃車置場に置いてあるらしいんです。しかも車の中に家族を撮ったビデオテープがあった。どうもそれを探している・・・」
 これを紹介できないわけです。
 「激突事故、NGです」「廃車置場に車がここにある、NGです」
 なんで?
 車のメーカーがスポンサーなので、事故、廃車、危険、をイメージさせる言葉は駄目、なのです。私、言ったんですけどね。「日本の車だったら、そうはならなかったでしょうね、とコメントをつけたらどうです?」
 現場はウケましたけど。

 さて、そんなこんなでわずか数分の出演のために、3時間ほど撮影して、予定通り帰ったのですが、数日後「すみません、撮り直ししたいので、もう一度東京へ来ていただけませんか・・・」という申し訳なさそうなディレクターさんからの電話。
 やっぱり、NGを食らったそうで。
 というより、編集したものを、髭男爵の紹介で本番収録で流したらしい。
 そしたら他のタレントさんは「怖っ!」という反応をしている中で、泉ピン子さんと中尾彬さんは「怖くない」と言い出したらしいんです。ピン子さんは、「私は実際そういう体験があるから、もう怖くない」と。これはまあわかる。中尾さんは、「怖いのは結局人間だよ」と言い出した。それを言っちゃあ・・・。現場の空気察しろよ(いやいや、これはスタッフの言葉)!

 で、やっぱり怖く盛り上げるコメントが欲しい、となっちゃったらしい。それに、やっぱり番組プロデューサーとしては、「これこそは最高に怖い本物の心霊映像だ!」と言い切ってほしい、と・・・。

 というわけで、再び行った東京のスタジオでは、「別に俺でなくともいいじゃん」的コメントに差し替えられて・・・。
 まあ、どんな感じに仕上がっているのか、わかりませんが。
 おそらく突っ込みどころ満載の紹介になっていますので、そこはみなさんで思いっきり突っ込みながら観ていただければ・・・。

 ただ、最後に流れた映像。
 あれも撮れないことはない。真後ろに少女をしゃがませてカメラのフレームから外れてもらい、合図でスッと立てばいいわけです。あの映像を否定するのは簡単でしょう。
 ただし、それは映像を本格的に撮っている者にしかできないテクニックであることは確かです。遠くで楽しそうに手を振っている少女と、突然少年の真後ろに現れた、おそらく同じ顔と思われるやや寂しそうな顔の暗い表情の少女、という緩和と緊張、という使い分けも、プロでも思いつかないほどの、作られたもの、だとすれば大した演出力です。
 しかもそんなことを単身赴任しているお父さんへのビデオレターで作りこむ意図も理由もわからない。それより、手前の男の子にはピントは合って(当たり前ですが)、クリアな映像なのに真後ろに立った少女は質感が違うんですね。それに、顔がボヤけている。
 「顔の印象がない」とは、霊体験した人たちの中でも、ほぼ共通した証言なんです。
 だからあれこそは、「霊らしきモノが映りこんだ」映像だと思います。

 そのこともコメントしたのですけど、活かされていたのでしょうか?

 でも・・・ここだけの話、よくある『ホントにあった呪いのビデオ』と題されて市販しているビデオは、ほとんどがプロによって作られたもの、であることも事実。
 鶴田法男さんや清水崇さんなど、若い頃はそんな映像を作っていたと言いますから。

 でもねえ・・・、違うんだよなあ。
 テレビやっている人の言うことって、固定概念、固定のイメージ。
 怪談 → 霊肯定 → おどろおどろしい → オカルト、みたいな。
 怪談はオカルトじゃねーよ、と私は言い続けているのですが、そんなイメージで番組作っちゃうのがテレビ局。怪談といえば、すぐ霊能者を出してくるのもテレビ局。
 で、怪談の企画をもっていくと言われるわけです。
 「うちはオカルトやらない方針でしてねえ」
 怪談をオカルトにしてるのは、おたくじゃんって。
 
 怪談は落語と同じ、話芸やっちゅうの!
 三遊亭圓朝はオカルトやってたのかっちゅうの!



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2009年03月16日

中山市朗、怪談バトルロイヤルに挑む

 中山市朗です。
 
 13日の金曜日。
 東京某所で怪談師たちが集合する、怪談イベントに出演してきました!
 そうです。
 テレビ東京の番組『しょこリータ』の特別イベント、「ホラリータ・ナイト」です。

 集まったメンバーは次の通り。

 語った順番に、

 ヴィンテージのぶ(霊乗り移り体質芸人?)
 伊藤三巳華(『幽』に「憑云草」連載中のマンガ家)
 吉田悠軌(怪談サークル主催、今回唯一の一般出場者)
 星野しずく(神戸より参戦の怪談師)
 島田秀平(手相占いもやるお笑いタレント)
 中山市朗(今さら何を紹介?)
 田辺青蛙(第15回日本ホラー小説大賞受賞者)
 ファンキー中村(怪談クリエイターの異名をもつ)
 松嶋初音(日本初の怪談アイドル?)
 安曇潤平(山岳怪談専門の作家)

 といったメンバー。
 
 実はもっと作家の方々も参戦するはずだったらしいのですが、いずれも3、4日前に出演交渉があったらしく、そら皆さん忙しいのにスケジュール調整できませんわな。 ことごとく断られた、というのがもう都市伝説化していました。
 私はファンキー中村さんから、以前ブログのコメントで「13日にお会いできることを楽しみにしております」というコメントをいただいていたので、13日にホラリータ・ナイトがあるんやと、スケジュールを空けていたのです。
 しかし出演交渉があったのは、確かに3日ほど前。しかも「何時に場所はどこ」ということは前日の夜7時の時点でも何も言ってこない。というバタバタものでした。
 とりあえず14時現場入りということで、30分遅れで楽屋に入ったらファンキー中村さんしか来ていない! で、そのまま17時まで、楽屋でほったらかし状態でした。
 14時入り、というのはなんだったのだ?
 しかし、楽屋に尋ねてきたのが、これまた豪華メンバー!

 本当はご意見番として出演するはずだった『幽』編集長の東雅夫さん。
 やっぱり来たか、京極夏彦さん。
 そして第一回『幽』怪談文学賞の長編大賞受賞の小説家、黒史郎さん。
 『幽』を代表して? 担当のRくんもなぜかピンクの靴下で。
 その他妖怪研究家の多田克巳さんや、『超怖』の平山夢明さんたちも、途中から客席参加とか聞いていたけどいらしたのかな?
 おかげで延々待たされた楽屋での長時間も有意義に過ごせました。お弁当を2個も食べたし・・・。
 出演メンバーもみんな集まって、ここで発覚したのが、誰も番組の進行を把握していない! どうやら怪談ナンバーワンを決めるらしい、とは私もなんとなくは聞いていたのですが、トーナメントをするのか、どうやって決めるのか、といったことが全然聞かされていないんですな。フツーは台本というか、進行表を前もってもらうものなんですが、これも誰も持っていない。大丈夫かいな?

 そしたらトーナメント方式で、怪談はひとり5分以内となっているらしいと。
 本当は5分前後の話を3本用意してくれと言われていたけど、前回の『ホラリータ・ナイト』ではみんな平気で10分くらいは話していたので安心していたら、

 5分以内? 
 それは絶対条件?

 「えーっ」と出演者は猛反発。
 だってそうやん。怪談は日常が崩れるところがミソなんですな。
 その日常を語り、説明していると5分かかっちゃうんです。だから7、8分は時間が欲しい。でもまあ、オンエア時には編集でバサバサ切られているわけだから、こちらも考えんといかん問題でもあるわけだけど。
 それに、怪談ナンバーワンを決める、というのもそれぞれがプロの語り手として来ているだけに、あまりいい気分もしませんな。
 てなことを言っていると、やっと直前になって進行表がみんなに配られた。
 トーナメントではなくて、10人が語った後、お客さんからの投票でベスト4を選出して、4人からベスト1を決める、となっていました。
 でも語る時間は5分以内、となっていましたが、まあ、みんな守らんでしょうな。

 18時30分開演予定が45分ほど押してやっと開始。
 しょこたんを始め、出演者は最前列の客席に座って、怪談語りをかぶりつきで鑑賞。
 いや、客席から怪談を聞くというのが今まであまり無いもんだから、いい勉強になりました。それにしても、「さすが」と言うか、みんなレベルが高い! 淡々と語る人、話芸として練り込まれている人、独自のキャラクターで押し込む人、いろいろあって。
 ただ、前列の方のしょこたんの法被を着ている若者たちの集団の前で怪談を語る、というのもなんかやりにくいもんですな。
 わからんのが田辺青蛙さん。
 楽屋では「私、しゃべるの苦手で、どうしましょう」としきりに不安そうにしていたので、京極さんがアドバイス。「怪談は中山さんのを参考にしたらいいよ。ガコンとかバタンとかグワァーとか、そんなんばっかりじゃん」
 ばっかりじゃねーよ!
 ところが田辺さん、ステージにはアニメのコスプレで登場。しかも、いつの間にやら着替えを。『ジョジョ』から『エヴァンゲリオン』・・・。
 語りは京極さんのアドバイスが利いたのか、バーンとかザァーとか擬音が活かされていました。

 さて、決勝選出の4人とは一体・・・。
 まあここでは書かないでおきましょう。
 オンエア観てください。
 関西では・・・いつオンエアなんやろ。
 いや、オンエアされるのかな?

 予定の21時30分終了予定が、23時近くになって終了。
 私はその後、某テレビ制作会社の方たちと池袋のネオン街へ。
 夏に向けて、いろいろ「怪談番組」を画策しておられるということで、その相談に、という名目だったのですが、ホテルに帰ったのは朝5時過ぎておりました。

 楽しい1日でした。



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中山市朗テレビ出演情報

事務局よりご連絡です。

3/18(水)
フジテレビ系
19:57〜21:48
『ザ・ベストハウス123 春の2時間祭り超プレゼンバトル』
司会 ロンドンブーツ1号2号、本上まなみ ほか

※この放送時間は近畿圏のみとなっています。

中山市朗が番組内にて、恐怖心霊映像のナビゲートをしています。
その裏話は近日中、ブログ内にて。


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2009年03月12日

3/11の小説技法

 中山市朗です。

 11日の小説技法の報告です。
 いつもの通り、合評です。
 習うよりまずやる、という方針です。
 とにかく書いてみる。
 書いたものを読んでもらう。
 プロの文筆家になりたいなら、これを繰り返すしかありません。

 2、3年前は、小説家やライターになりたいという塾生も、数人しかいなくて、それもあまり書いてこない。という信じられない状態が続いていました。
 いつぞやは、合評参加人数3人ということも。
 なんでやろ? と不思議でなりませんでした。

 ところが、何が起こったのでしょうか?
 昨日は、T野くん、Kさんの2人がお休みというのにも関わらず、15人が合評に参加していました。もちろん全員が小説家、ライター志望というわけでもなく、マンガ家志望者や落語作家志望者も参加しています。見学者も1人。
 そして、小説家、ライター志望の塾生たちは、とにかく今は書いています。
 合評用の原稿だけでなく、投稿用とか、以前書いていたものですけど、と、まとまった原稿も「読んでください」と渡されることも多くなって。当日もYくんの430枚の小説を渡されて・・・。これ、ハードカバー一冊分。

 専門学校での9年間の講師生活でも、こんなことはありませんでした。
 それも楽しんで書いている。創作の苦悩はあるんでしょうけど、とにかく書くことが好きなんだ、という気持ちが伝わってきます。
 えーやん、えーやん。

 これ、ひとつは合評の雰囲気が非常にいい。ということと、やっぱり一人で悩まない。遊びも大切。という塾の方針も浸透してきたのかな、と思っています。
 やっぱり楽しそうに生きている人は、おもしろい作品を書いています。

 合評というのは、非常に難しいんです。
 よくありがちなのは、好き嫌いで作品を評価しちゃうこと。これをやっちゃうと、感情のやり取りになってしまうので、批評が悪口に聞こえちゃう。そうなると批評された方は傷ついてしまって、合評に来なくなる危険性がある(女性に多かったです)。
 あるいは、合評は批評しあう場には違いありませんが、人の作品を上から目線で酷評して悦に入るような学生がたまにいます。これは場を悪くします。で、そういうことをやる学生に限って、実はロクなものを書いていない。
 そうではなくて、本来合評は、その作品をどうすればいい作品になるのか、何が不足しているのか、あるいは長所はどこだから、それを伸ばしてみようとか、とにかく良くするためのアドバイスにならなきゃ。言われた方には、その意見は自分にとってプラスの意見なんだ、と思われるように、合評が機能するのが理想なんです。
 それには、多少なりとも論理的思考が必要なんですな。
 プロの作品は、そういう論理的技法が巧妙に仕込まれているものです(ただし、作者本人は気付いていないことが多いようですが)。編集さんのアカ入れも、論理的な突っ込みであると考えて、ほぼ間違いありません。

 このやり方より、こっちの方法を使ったほうが効果的ですよ、とか。
 構成法が間違っているから、この部分をここに持ってきましょう、とか。
 これを見せたいのなら、伏線の張り方が間違っています、ここで伏線を張ってみたら、こういう仕込みができますよ、とか・・・。

 理論ですな。
 つまり、批評するときは、対策案もちゃんと提示してあげる。
 それも心がけることです。
 「これは駄目だね。私は面白くない」
 言われた方も、「だったら面白いと言ってくれる人を捜すわ」となります。
 これでは何も解決しません。
 「ここが間違っている。例えば、こうしてみたら」となると、言われる方も耳を貸そうという気になりますよね。

 それが本来あるべき合評。

 私の役割は、そのどの意見を採択するのか、あるいは具体的な解決策を指摘することだと思っています。まあ、私も出版社の編集さんが、何を求めているのかもわかりますし、私自身も色々編集さんとやりとりした経験もありますから。
 私のような、プロの現場の経験者もまた合評に欠けてはならない要素です。

 そういう意味で、今、塾の合評は非常にいい場になっていると思います。
 自画自賛?
 それは塾生の判断すること。

 さて、ざっと駆け足で塾生の作品について。

 Kくんのサバイバルゲーム小説。やっぱりサバイバルゲームをテーマにする理由が不明。主人公が誰なのかもわかりにくい。前回指摘された通り、読む人の立場になって書く必要があります。
 YくんのSF戦闘ものは、今回116枚! まだ第一章。それを一気に読ませるだけの技術はすごい。ただし世界観に綻びが。本人は科学知識がないので、と言いますが、細かい配慮は必要。そこがおそらくオリジナリティを感じさせる要素になるはず。
 Mさんの主人公の男性が、女性として生活せねばならなくなった、という小説。
その考え、世界観がオリジナリティなのでしょうが、やはり別に女性癖もない普通の男性が女性として生活せねばならなくなる動機に乏しい。そこの問題が解決すれば、読ませる作品になります。リズム、テンポ、展開は巧い。
 Hさんの不倫小説。不倫している30代の女性と、されている50代の人妻との表裏合わさる作品。読んでいて男性達はゾゾッと怖ろしくなる。あとは読ませ方の問題。
 行間を開けるとか、段落、句読点、などを微妙に調整することによって、作品の印象も変わります。ちょっと詰め込み感があります。重いんですな。
 新塾生のSさん。作文以外で初めて文章を書いたそうです。ちょっとエッセイ的な作品ですが、主人公が一体何者なのかわからない。Sさんは、「次回からはみんなの作品を読んで奮起して小説を書きます」と宣言しました。エッセイを書きたい人にも対応しますよ。
 Iさんの投稿用作品。日本神話をテーマにしたファンタジーです。最初は主人公の女の子の一人称だったのですが、彼女のキャラクターがのんびりしているので、起こっている事件に対応しない。ということで、第二章はそのボーイフレンドからの一人称に変えた途端、状況が見えてきて、起伏も出てきました。ただ、第一章が女の子から見た世界観なだけに、全体を通したときにどうなるのかの計算が必要となりました。三人称で書くという無難な選択肢もあるのですが・・・。
 Kレンジャーのホラー小説(?)は、登場人物の紹介にムラがある。美女キャラの説明をして、そうでないキャラは・・・?
 それに背景となる村の様子がよくわからない。広さは? 産業は? 人口は? その風景は?
 次回はその村の地図を書いてくること。
 Oくんのオタク小説。オタクの祭典がテロによって爆破され、主人公が萌え少女を救出する第一章は、もう誰もがオモシロイと絶賛する出来。しかし第二章で、延々足踏み。この作品の何がおもしろいのか、Oくん自身見つめなおす必要が出てきました。
 Tくんの小説家たちが格闘技をするというナンセンス小説。いよいよ日本中の小説家が一堂に集められ、過酷なサバイバルを強いられています。その発想はおもしろいのですが、まだまだその背景にある日本の状況がよくわからない。もっと量を書く必要があります。ちょっと情報不足です。

 というわけで、お疲れ様。
 
 で、やっぱりみんな帰らない!
 テンションが上がってしまって、そのまま帰るのがどうも惜しいようです。


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2009年03月11日

在阪クリエイターの皆さん、スクラム組みませんか?

 中山市朗です。

 先日、専門学校時代の教え子で、今はライターとして活躍している堤谷くんが、塾生の武層新木朗くんに会いたいというので、セッティングしたんです。
 堤谷くんは、以前塾でも講師をやってもらっていたこともあるんですが、一昨年の秋に入塾してきた武層くんとは面識がないわけです。

 なぜ、私が二人をセッティングしたのかというと。

 堤谷くんは、今育児ライターとして、大阪のみならず東京の出版社にも営業をかけて『AERA』などにも執筆したり・・・、で、これからの子供の教育には、携帯やパソコンなどを使ったゲームを無視してはありえない、ということで、彼なりの考えがあって、いろいろゲーム関係の雑誌に営業をかけたい企画があると相談を持ちかけられたんです。
 彼の企画書なども読ませてもらって。
 しかし、ゲーム雑誌といえば、ウチには昨年『ファミ通』にゲーム史のコラム連載をした武層くんがいます。
 「どうや、彼の力を借りてみたら」と私が提案して、二人を会わせてみたわけです。

 これは別に武層くんから仕事をもらえとか、そういう意味ではなくて、チームを作ることが必要だという意味なんです。
 これは大阪と東京を往復するにつれて思う、以前からの懸念でありまして。

 大阪のライターは、一人なんですな。まあ、取材したり執筆するのは当然一人なんですけど、みんなバラバラという感があるんです。
 あるいは放送作家は放送作家だけでまとまっているとか。
 いわゆるクリエイター同士の異業種交流がない。

 ところが東京はチームで動いている。
 例えばAというライターがいたとすると、彼と一緒に仕事をするメンバーが、多種多様なんですな。シナリオライター、ゲームクリエイター、芸能プロダクションのマネージャー、映像のディレクター、カメラマン、デザイナー・・・。で、それぞれが大きな仕事をとってきて、プロジェクトとして動かす。それだけ大きなメディアに発展するし、もらうギャラも大阪とは1桁、2桁違う(おそらくですが)。
 例えば、1月23日に東京から塾に来られた業界の方々がそうでしたな。

 キングレコードのプロデューサー。
 映画監督の所属しているシャイカーの監督たち。
 出版社として洋泉社とミリオン出版。
 そして、ライター(ここにマンガ家も入ります)。
 そういう人たちが協力しあって、ひとつのプロジェクトを動かしていました。
 『新耳袋・殴り込み』という企画をDVDにする、BSでオンエアする。
 単行本にする。雑誌展開もする。宣伝、広報も互いに展開できる。
 そういう仕事のやり方です。
 場合によったら、携帯コンテンツやゲーム、コミック化といった話も出たりします。
 映画のイベントなんかに参加すると、その楽屋や打ち上げの席で、監督、脚本家、出版社の編集さん、役者さん、プロデューサーの人たちが、お酒を飲みながらバカ話をしているんですけど、それが仕事になったりしているんです。
 「じゃあ俺、それ脚本にするよ」
 「いーねー。じゃあ俺監督ね」
 「じゃあ、劇場をあたってみますか」
 「おっ、本気だね」
 「私、出してよ」
 「いいよ。じゃあ、キミをイメージして一本書き上げるよ」
 「それ、とりあえず企画書にしてもらえませんか。ちょっと宛てがあるんで」
 と、まあそんなことも。
 作る人、セッティングする人、営業する人、宣伝してくれる人、揃っているんです。

 ところが、大阪のクリエイターからは、さっぱりそういう話を聞かないわけです。
 まあ、メディアがない、ということが原因かもしれませんけど。
 でもできないことはない。
 今は大阪でエンタイトル出版の編集長をやっておられる打越さんという方も、前の出版社の編集長をやっていた頃、東京の宝島社なんかに企画を売り込んで、大阪中のライターを集めて書かせたりしていました。これもプロジェクトですわな。
 でも、大阪のクリエイターたちは、総体的にバラバラで、よもすれば足の引っ張り合いをしていることも。
 少ない縄張りだから、警戒しているというわけですな。
 だったら縄張りを広げたらええやん、て思うわけです。
 そうなると、やっぱり人脈。

 武層くんは、本人にはまだそこまでの意識はないようですが、ゲームを文化の位置づけとするだけの情報と哲学があると思うんです。現に彼は次なる展開を望まれていて、動き出しています。そこにゲームと教育という考えをもった堤谷くんがいる。塾なり私という接点で二人は繋がっているのなら、スクラムを組まない手はない。
 また先日、以前カプコンの下請けのゲーム制作会社のプロデューサーをしていたという方から塾に電話をいただいて、「ゲームに関する企画がありましたら、ルートはまだ開けますから」と言っていただいたりしているわけです。
 こういう人たちが手を組んで、それぞれのバックにあるもの(人脈や取引先など)を紹介しあったりして、共に仕事をしていくと、その人個人も大きく見えるし、縄張りも広がるわけです。

 なかなかこれに気付かんのですな。
 どうしても「俺が、俺が」になる。
 でも取引先からすれば、そのバックにいろいろな業界やクリエイターがいるというライターなりイラストレーターと、まったくそういうものがないライターなりイラストレーターと、どっちの人と取引したほうが得か。明らかだと思うんです。
 人脈もまた、その人の力であり信用の形なんです。

 私があえて大阪にクリエイター養成塾を作ったのは、もちろん業界人の養成のためなのですが、もうひとつはデビューした人たちにやりがいのある仕事をやってもらうためでもあるのです。ですからウチには卒業がないわけです。大阪に、クリエイターの集いの場を作り、そこから色々なエンターテイメントを発信していきたい。そのために常設した教室、事務所です。

 堤谷くんと武層くん。何か共感しあうものがあったと見えて、互いに企画書を見せ合ったり、担当者に紹介する段取りをしたりしていました。
 これが仕事なんです。

 何度も言います。
 私の20代の頃には、そういう環境がなかった。だから一人で東京の出版社やメーカー、映像制作会社に営業をかけて8年・・・。

 バカにされたり、門前払いを食ったり、試されたり。そらもう・・・。
 若い子たちを見ていると、その苦労をあえてやろうとしている。そして、せっかくデビューしても後の仕事が続かない、来ない、世の中の厳しさにぶち当たった途端、相談できる仲間もいなくなっていて、なのに営業をしない、仕方がわからない。一人で悩んで、結局この業界から去っちゃうパターン。

 だから気付こう。
 仲間、人脈、組織、これはあったほうがいい。
 大阪で人材を養成しながら、彼らにチャンスを与え、できれば大阪発信の、なにかおもしろいもの、新しいメディア、それに対応したソフト、作品を作りたいというのが、私の今もっとも力を入れようとするところです。
 これは、塾生たちがそろそろそういう動きに対応してくれるのでは、というほどに成長してくれていることにもあるんですけどね。

 「デビューさえできれば、なんとかなるのでは」なんて考えている若者には、堤谷くんと武層くんのやり取りを見て欲しかったなあと。
 いかに自分の武器を持ち、いかに考え、どう営業をかけるか。
 そういう問題に、彼らは取り組んでいるわけです。でないと仕事は来ない。発展もない。やりたいこともできない。今、プロとして食っている彼らだからこそ、そのことがわかっている。

 デビューするために必要なことと、業界人として食っていくことに必要なことは、また違うんです。
 業界人として食っていくことを学ぶところが、塾の本来あるべき姿なんです。

 とうことで、セミプロ、プロの人も、我が塾は歓迎するところです。



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2009年03月06日

かつて私は宇宙人と話をした!

 中山市朗です。

 昨日のブログで書いた、私が宇宙人とお話ししたという件。

 実は・・・。

 昔、チャネラーというのが流行ったの、覚えてます?
 「バシャール」というのが有名で。

 バシャール、というのはオリオン座の近くのエササニ星の住人で、地球人の幸せに役立つためにテレパシーで、我々に話しかけてくる、というものでした。
 確か、地球より300年進化している星だと、言っていました。
 精神とか、愛とか、エコとか、そんな美しい言葉で我々に教訓と、なにが大切なことなのかをアドバイしてくれる、親切な宇宙人でした。
 ネットで調べたら、まだ活動やってはるんですな、バシャールさん。
 もっとも、イタコのように言葉を発しているのは、タリル・アンカというアメリカ人ですけど。

 いや、バシャールのことは私は直接知らないんです。

 私が話したのは、別の宇宙人、というか肉体をもたない知的宇宙精神体(?)のA(名前は伏せます。まだ活動やってはるかもしれないので)という、地球外意識です。宇宙人です。
 あるデザイナーの奥さんを通して、そのAが話しかけてくるのです。
 これも随分と前のことですが、当時は本も何冊も出版され、かなり話題になっていました。ネットでもかなり人気があったようですが・・・。
 で、宇宙意識とは、こんなやりとりをしたのです。
 「どこの住人ですか?」
 「母星はシリウスです」
 出た、シリウス! 
 「シリウスからは直接?」
 「いえ、我々は宇宙船で地球の近くまで来ているのです。今は金星に基地があります」
 「金星? あんな灼熱地獄みたいな惑星より、火星のほうが住みやすいのでは?」
 「火星には邪悪な宇宙人が住んでいます。ですから火星は危険なのです。金星にドームを建造しています。その中で暮らしていますから、ご安心ください」
 と、スケッチしてくれた。UFOの発着場もあった。
 で、このあと、私の生き方とか、地球の自然環境についてのご高説を聞かされたのですが・・・。

 塾生たちにこの話をして、「キミらやったら、さっきのやりとり、どこにツッコミを入れる?」

 しーん・・・。

 「おいおい、あるやろ。なんぼでも」 
 
 皆さんはどうです?

 そうですね。
 知的宇宙精神体、いうてるわりにはUFOに乗っとる。
 そういや、バシャールも肉体はない、とか言いながら男性と女性があって、宇宙船の操縦をしている言うてましたな。
 しかし、それより重要なことが! 
 バシャールも、その仲間もチポップとかいう宇宙人がシリウスの住人とか言うとった。
 宇宙人はシリウスがお好きなんですが・・・。
 私はAに尋ねました。
 「出身はシリウスのA、Bどちらです?」
 「は?」
 「は、て。シリウスって二重連星ですやん。シリウスAは太陽の1.3倍はあるんです。あれが輝いて地球ではひとつに見えるんですけど、実は伴星がありまして、これがB。これは白色矮星で輝いていない。白色矮星っていうのは、太陽の屍でして、小さいけど重力がものすごく重い。この二つのシリウスはお互い引っ張られて振り回されてますねん。つまり、ちゃんとした軌道をしていないわけでして・・・そんなところに、生命体の発生するような惑星が存在しますかねえ」
 「・・・私たちは、あなたがたと違って、違う次元に生きているわけです」
 「違う次元とは?」
 「7.5次元の世界です」
 「7.5次元! それはどんな世界?」
 「言ってもわかっていただけません」 
 「確かに7.5次元なんて、私には想像もつきません。でも、1、2、3次元ならわかります。2.5次元というものを説明してください」
 「・・・・・・」
 結局、科学的なツッコミを入れた途端、会話が成立しなくなって・・・。
 でも、みんなこの程度のもので騙されて(?)いたわけです。

 ところで、私の知り合いの女性で、宇宙人の彼氏をもってしまった、という人がいました。そのことで、私、色々相談にのっていたんです。
 「まあ、その彼氏、ちょっと頭おかしいん違う」って。
 ところが後、彼氏が宇宙人であったという決定的証拠が出てきて・・・。えっ、ほんまかいな!
 どんな出来事があって、どんな証拠が出たって?

 それを書くと長くなるので、これも塾生だけの特権ということで。

 でも、彼氏は宇宙人だったというこの話、『リング』シリーズの脚本家、高橋洋さんに話したところ、彼女は宇宙人だった。けど再会したら・・・というエピソードとして映画になっちゃったんです。
 佐々木浩久監督、高橋洋脚本の『血を吸う宇宙』。
 映画の中で、同見ても新宿なのに、スーパーで心斎橋、と出るのもこのエピソードは実話です、という強調なのだと監督さんからお聞きしました。

 「そんなアホな話・・・」と聞き流すのが素人。
 「おっ」と思って作品にしちゃうのがプロ、なんですな。
 



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2009年03月05日

3/4の作劇ゼミ【UFO事件のウラのウラ】

 中山市朗です。

 皆さんはUFOを見たことがありますか?
 私は見たことがあります。

 UFOはエイリアン・クラフトだと思いますか?
 確実なことは私にはわかりませんが、私の思っているのと同じようなことを、石波茂氏が防衛大臣だった頃にこんなコメントをしていました。
「個人的見解として、UFOとそれを操る生命体が存在しないと断定しうる根拠はない。そういうものはありえるべきだろうと私は思う」

 4日の作劇ゼミは、この不思議なUFOについて講義してみました。

 UFOとは、Unidentified Fling Object
 つまりは、未確認飛行物体というこですから、それは別に宇宙人の乗った宇宙船をさすわけではありません。領空侵犯した飛行機、スパイ機、ミサイルも、確認されるまではUFOとなるわけです。
 しかしです。
 74年の8月9日、東京湾上空に現れたオレンジ色の謎の飛行物体にスクランブルをかけるため、茨城県百里基地よりF-4ファントムが飛び立ち、接近するも、制御不能となって墜落するという事件が起こっています。搭乗していたひとりのパイロットは脱出するも炎上死、もうひとりは生還し、「追跡中、この物体は知能の進んだ生物によって操縦されているに違いない」と確認。以後、4年間にわたって極秘調査されたものの、なにもわからなかったと言います。この事件は日本では隠され、某研究家が果敢にも航空自衛隊や内閣調査室などに取材を申し込みましたが、「機密事項なので答えられない」と拒否され、戦闘機の製造番号の提出も拒否されたと言います。しかし、米国の「UFO REPORT 78/3」には、事件の詳細と墜落した戦闘機の製造機ナンバーも記載されているのです。

 「プロジェクト・ブルーブック」というUFO調査委員会がかつて米国に存在していました。UFOの目撃例が急増の一途をたどったので、1952年に設立され、調査されていましたが、コロラド大学のUFOプロジェクト「コンドン委員会」の勧告により、「UFOの存在は確認できなかった」として、69年12月17日に閉鎖されました。日本の新聞にもこのことは報道され、「あ〜、アメリカは公的にUFOを否定したなあ」と思わされたわけです。思わされた?
 そうです。
 この年の10月20日付けの米空軍文書には、「国家安全保障にかかわるおそれのあるUFOの情報は、JANAP-146、あるいは空軍マニュアル55-11に従って、プロジェクト・ブルーブックのシステムを流さず、別セクションで処理されている」とあったのです。
 つまり、そういう情報があった、ということと、ブルーブック意外にもUFOの調査機関が極秘に存在していた、ということを示唆していたわけですな。

 アレン・ハイネックというUFOの世界的権威がいました。本職は天文物理学博士で、UFOの否定論者でした。「ブルーブック」にも関わって、ほとんどの目撃例を科学的に解明し、「やはりUFOは存在しない」と胸を張っていました。ところが、「ブルーブック」が閉鎖される直前から、信憑性のあるUFO情報が別セクションに行っているという事実に気付き、自分でUFO調査委員会を作り、その後、UFOの存在を肯定するようになった人です。
 スピルバーグ監督の『未知との遭遇』のUFOアドバイザーとして、ハイネック博士の名前は聞いたことがあるでしょう。
 『未知との遭遇』の原題は『Close Enconters of Third Kind』つまり、UFOとの第三種接近遭遇をする話なのですが、この第何種接近遭遇、というのもハイネック博士が提唱した説です。

 第一種接近遭遇 UFOを至近距離より目撃すること。
 第二種接近遭遇 UFOにより周囲になんらかの影響を受けること。
 第三種接近遭遇 UFOの搭乗員と接触すること。
 第四種接近遭遇 搭乗員に誘拐されたり、なにかを埋め込まれたり、あるいは捕獲、拘束すること。

 さしずめ私が『新耳袋/第四夜』で告白した「山の牧場」に迷い込んだ体験は、第二種接近遭遇・・・なのでしょうか?

 まあ、そういう認知されているUFOに関する情報を提示しながら、その裏にあるもの、どうやら隠蔽されているUFOの、いや、隠蔽せねばならない事情、ということを、私なりに考察し、塾生たちに問いかける、というのがこの日の講義だったわけです。

 私も、怪異蒐集家ですから、UFOの目撃証言、あるいはそれに関する資料も、実はたくさんあります。それら不思議な体験談(というより、恐ろしい体験)を披露し、またもう20年ほど前のことになってしまうんですかねぇ。矢追淳一氏が、日テレで『木曜スペシャル』で組んでいたUFOスペシャルの、驚くべき裏話(私の知り合いが、この取材に同行していたのです!)なども、この際暴露しちゃいました。

 えっ?

 その不思議体験や、おどろくべく裏話を聞かせろって?

 それは講義を受けた塾生たちだけの特権ということで。
 というか、ここで書いちゃうと、私は消されてしまう・・・?

 ところで私、宇宙人とお話したことがあるのです。

 えっ? 嘘やろうって?

 嘘のようだが本当だ!
 その驚愕の内容は・・・



 続く



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2009年03月01日

省エネ撮影・後半

 中山市朗です。

 前回の続きです。
 
 デジタル。
 そうです。今や映画はフィルムで撮らないのです。
 ビデオ、しかもハイビジョンによる撮影。
 解像度は35ミリフィルムに匹敵します。
 フォーカスは助手がいなくても合います。いちいち露出を計ったりする必要もありません。つまり、カメラマンから助手が消えるわけですな。
 照明も、そんなに焚かなくても普通の家の照明でも充分映ります。
 ずらりと並んでいた大型のライトも現場から消えます。
 その分、スタッフの数も減ります。

 現像所にフィルムを持っていく必要もありません。現像というものをしなくていい。
 そのままスタジオに持って帰ってそのまま見れます。
 オプチカルも音響もパソコンで処理できます。少々照明が当たっていないところも、パソコンで当てられます。少しくらいの現場のミスはパソコンでカバーできちゃう。
 録音というパートもいらないかも知れない。
 そのままビデオの中に取り込まれますから。
 ただし、マイクをきっちり持って、動きによってフォローする人員は必要。

 そういうことは、私も『怪談新耳袋』の演出経験で知ったことです。
 とはいえ、私の現場には20人ほどのスタッフがいました。

 ところが山田誠二さんの現場を見てビックリ。
 これは私が見た現場に限るのですが。

 まずスタッフが数人しかいない。
 助監督が塾生MとI。Mは制作担当も兼任しています。記録が塾生O。制作進行がこれまた塾生S。みんな素人。
 特殊メイクの勝又さんは、塾生達とほぼ同じ年で親しくしてもらっていましたが、この人はプロ。美術が山口さん。殺陣師もプロ中のプロ。ここで名前を書けないのは、どうも事務所を通さず山田監督のために急遽駆けつけたためでした。
 そのくらいです。
 私の見たスタッフは。
 あとは進行に杉下さん、スチールに西田さん。

 カメラは山田さん自らがファインダーを覗き、監督がカメラマンもやっている。そして、照明の指示も出して、MやSが3灯ほどあるライトをあっちに向けたり、こっちに向けたり。つまり照明も監督が兼任しているんです。ヘッドホンも耳につけて録音も担当。
 フィルムじゃ、これは無理。
 おそらく監督は衣装なんかも担当しています。
 Mは、ゾンビの衣装を着ていて、出演もしている。
 超省エネスタッフ。
 これでアクション映画を撮っているんです!
 エンドタイトル、すぐ終わったもん。

 スタジオ。
 これがすごい。
 商店街の時計屋さんの2階を借りていました。
 元がなんなのか知りませんけど、民家の2階。まあ、そんなに広くない。
 美術の山口さんが、その周りを黒い岸壁を紙などで作って、照明を落とすと暗い洞窟のように見える。そこでくノ一とゾンビが戦っているわけです。
 走ったり、飛んだり、刀を合わせて移動したり・・・
 それを小刻みに撮って、編集で広く見せる。
 手前の植木を移動させるだけで、別の場所に見える。 
 そして、洞窟だけでなく、夜のシーンもここで撮影しているようです。

 これで、スタジオ代がまず大幅節減。
 移動が必要ないので、時間が節約できる。
 車の運転に人が取られない。もちろん車もガソリン代も軽減。
 
 完成作品見たら、半分以上は洞窟か夜。つまり大半はこの時計屋さんの2階で撮ったわけですな。もう一度言います。アクション映画でっせ。これ。

 それからこれは、後で聞いた話なんですが。
 唐沢俊一さんが全編を通して出演しているかのように見えますが、唐沢さんは1日しか現場にいなかったそうです。つまり、1日(半日?)の間に、出演場面全部カットを撮ったということになります。絡みのシーンとの関係を計算し尽くさないと、これも容易にできるものではありません。

 つまり、限られた条件で、着地点を明確にした理論的思考でもって、時間内で確実に撮る、とはこのことなんですな。

 これで制作費は、ウン百万円。 
 劇場公開して、DVD販売すれば、最低限アカを食らうことはないという数字。
 いや、これは想像ですけど。
 
 山田誠二さんの映画制作のもう一つの秘訣は、
 人脈です。

 あれだけの人が山田さんの撮影に馳せ参じているのは、やっぱりすごいですな。私もボランティアで出演しています。
 
 おそらく、京極さんも?

 編集、効果、画面処理、そしてナレーション、大変だったと思います。

 ともかく映画の出来は別として(?)
 山田誠二さんは、デジタル革命をやっています。
 この現場、旧態依然とした映画屋さんが見たら、きっと絶句すると思います。


 
 



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kaidanyawa at 21:31|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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