2009年04月

2009年04月29日

作家はペンで哲学や思想を伝える

 中山市朗です。

 昨日の夜、大滝社長に呼び出されまして、「落語塾」が開塾できなかった要因と、三枝会長の立場などについて聞かされました。
 まあ、23日に書いた私のブログが、気になったのでしょう。
 何かを言われたのかもしれない。
 でも、あれは私の偽りなき思い。

 で、要因を聞いたのですが・・・。ちっとも理解できない。
 出てきた話は、立場、ということ。
 大人の社会、大きな組織、となるとそれぞれの立場は重要になってきます。
 それはわかります。
 けど、その立場は守るとなればどうしようもない動脈硬化を生み出しますし、何かをやるんだ、ということになれば、大きな武器になります。
 私らみたいなフリーの人間には、ある意味うらやましくもあり、一方無縁でいたい世界でもあります。
 別に社長は、あのブログは困る、と言いたかったのでしょうが、言わなかった。
 そこエラい。
 でも私は言ったんです。

 「いち作家が、何も言えない、何かの圧力で考えが抑えられるというのが一番怖いこと。辛らつな意見、危惧する意見。疑問を疑問と言えることが大事。憂うとはそういうことですから。そこを抑えちゃうと、今はネットでなんで言える世界。憶測や推測がどんどん一人歩きしてしまう」と。

 不透明なやり方は、もう流行りません、ということです。
 なにごとにも説明がいる、というわけなんですな。

 そういえば、大阪の芸能界には、ご意見番となる作家さんがいなくなりましたなあ。
 秋田實さんとか、香川登志緒さんとか、いっときの藤本義一さんとか。
 これもあまり好ましい状態ではない。
 芸人さんと作家が組んで、あるいは芸人さんの集団を作家が束ねて、何かを画策する、仕掛ける、ということが必要な気がします。 今はテレビ局のプロデューサーがその役割をしているように見えるんですけど、局の人間はやっぱりサラリーマンですからな、おのずと限界があるし、その思想やテーマ、方向性は皆目見えてきません。その上、視聴率だの、スポンサーだの、人事異動だの、他の局がだの・・・。
 その点、作家はそういうしがらみもないし、何よりペンがある。
 芸人は、身体を使って人を笑わせ、泣かせ、作家はペンで、その哲学、思想を伝える。この2つが両輪となって、はじめて大阪文化復興やと思うんですけど。

 やっぱり大阪に作家は必要でんな。
 「落語塾」も。社長も諦めたわけやない、と言うてましたのでちょっと安心。

 さて、お話変わって宣伝です。

 いよいよ明日30日より、千之ナイフさん画『なまなりさん』のコミックが配信されます。
 千之ナイフさんらしい、妖艶なホラーに仕上がっています。 
 NTTソルマーレのケータイコミックサイト「コミックi」「コミックシーモア」で、ぜひご覧ください。
 連載は6月いっぱいまでの3ヶ月。
 その後、メディアファクトリーよりコミックとして出版。
 その前後に『なまなりさん』が文庫化され、書店に出回ります。
 若干の直しと、あとがきを新しく書いています。
 ぜひ、話題にしてください。


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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。


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2009年04月27日

ワシは霊に憑かれていた?

 中山市朗です。

 先ほどMさんという人から電話があって、ちょっと恐ろしい話を聞かせてくれました。
 「中山くん、廃墟のホテル、そうKホテル行ったん、何年前やったっけ?」
 「3、4年前かなあ・・・」
 Kホテル。
 大阪のお笑い芸人たちが、その何年か前のお盆の真夜中に、肝試しにとそこに入り込み、結果、ある若手芸人の左肩越しに、女の顔がハッキリとビデオに映りこんでしまったという、あの場所のことです。
 その女は、どう見ても人なんだけども、人にしては異様、異形、異常・・・。
 まず、そこは真っ暗な廃墟で、明かりなしにその場所にいること事態が不可能。階段は途中から崩壊し、床もところどころ抜けているわけで、物理的にその部屋に明かりなしに行って、誰もいない闇の中にひとり立っているということが、もう異様なわけです。しかもどうやら、それは若い女。
 また、その芸人たちは、かなり長い間そこを散策していたが、誰も入ってくる気配もなかったし、車もなかった・・・。
 しかし、女はいるんです。
 ビデオ画面に、一瞬ではあるが、ハッキリ映っている・・・。
 それが、いきなりその芸人の肩越しにヌッと現れ、瞬きをして、フェードアウトする。
 女です。明らかに生きた女の顔。瞬きと、その芸人を見下ろす目線が生々しい。
 世の中、怪しいものなどない、これは何かの見間違いだ、というのなら、なにと見間違えているのか証明してほしい!
 異形というのは、顔の右半分が崩れている。もしくは、ない。

 そこに、某怪談専門雑誌の取材で、Mさんと訪れたのは4年前。
 その芸人さんも呼んで、実地検証した結果、あの女があのビデオのとおりに映り込むことは不可能と断定。いかにしても、あの映像通りには映り込まない。あの顔は、天井近くから、その芸人を覗き込んでいる・・・。
 その後、そのビデオを見た者たちに次々起こる事故、呪い、霊目撃談。それはまるで『リング』の世界・・・。
 今までいろいろな心霊映像を見てきた私も、ド肝を抜いた最恐ビデオ。
 その後、2、3度、テレビ番組でも紹介されたが、ちゃんと検証していない! 検証すればするほど不可解なことになっていくのに。
 そこで、つい一週間ほど前、例のGメンたちも突撃取材している・・・。

 で、Mさんの電話・・・。
 「あの女、今、俺んとこに来てるねん」
 え!

 彼は、2日ほど前、突如左肩に禍々しい違和感を感じたらしい。それがとんでもなく重く、ゾッとするものだったらしく、たまりかねて知り合いの霊能者に電話で相談したらしい。
 すると言われたのが・・・
 「3、4年ほど前、あなた廃墟に行きましたね。そのときの女の霊が、今になってきたようです。そのときの同行者に髭の生えた恰幅のいい男性がおられましたね。その方はおそらくお坊さんだと思いますが」
 その頃に行った廃墟といえば、Kホテルしかない。そして思い当たる男性とは、中山市朗?
 しかし、そいつはお坊さんではないけど。
 「いえ、お坊さんのはずです」と、その霊能者は言う。
 そういえば、アヤツは、お寺の系統の家系ではあるし、鎌倉の霊スポット巡りに行ったときには、同行していた霊媒師からは、その背後には強烈な徳の強い坊さんが憑いていて、集まってくる霊を浄化させていると言われていた・・・。
 「それまでは、そのお坊さん(つまり私)に、その女は憑いていたんです」
 ほんまかいな〜。
 霊能者が言うには、「廃墟にいた女は自殺した霊です。しかし、おそらくそのお坊さん(何度も言います、私だそうで)」にはなんの霊障として出ないし、本人もまったく気づいてません。ですから、最近あなた(Mさん)がものすごく落ち込む状況となって、その弱った隙にお坊さんから離れて、あなたに憑依したわけです」

 ・・・。

 「そやから俺、お清めの方法を教えてもろて、今それをやってんねん。でも、本格的な除霊しに来なさいて言われたわ。でも、それまではずっと中山くんのところにいたって。自覚なかった?」
 「ぜ〜んぜん」
 「そうやんなあ。ほんま霊には鈍感やねんから、あんたは」とMさん。「まあ、ちょっとそれ、言いたくて電話してんけどな。とにかく今も禍々しいんや。いや〜な違和感が消えんくてな」
 
 ちなみにMさんは、最近何か不祥事を起こして、謹慎しているそうです。
 で、こんな環境におりながら言うてました。
 「今のうちに、いろいろ心霊スポット見つけて行こうかなあと思ってるんやけど。どこかない?」

 霊に憑かれて禍々しい、怖い、言うてるのに、霊のいるところにまだ行こうとしているこの心境が、まったくなにも感じない私としては、理解不能であります。
 ちなみに私は、3、4年ほど肩こりすら感じていません。
 Mさんからすれば、そっちのほうが理解不能やそうです。

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2009年04月23日

落語塾について

 中山市朗です。

 えー、すでにお気づきの方もおられるかと思いますし、実際、どーなったの? と何人かに突っ込まれましたので、触れないわけにはいきません。

 4月2日のこのブログで、林家染丸師匠と卯三郎さんを講師に迎えての「落語塾」のお知らせをしたのですが、急遽開塾できなくなりました。
 非常に残念であると同時に、色々な疑問を感ぜずにはおれません。
 そこのところをちょっと。

 「落語塾」は長らく大滝社長が構想していた塾で、ずいぶんと前から色々動いていました。このところようやく吉本興業さんに理解いただいたと、満面の笑みを浮かべていたことを思い出します。
 私も「落語塾」の開設は是非必要と感じておりました。
 「落語塾」のコンセプトは、大阪文化復興への布石です。
 大阪文化復興は、私自身のテーマでありまして、何度もこのブログにて書いたとおりのことです。「かわら長介・魁塾」では放送作家、お笑い作家を、「有栖川有栖・創作塾」では小説家を、「中山市朗・作劇塾」では、マンガ家、脚本家、作家全般の若手の育成をしております。これらは、なんといっても大阪文化復興の核となるのは、まずクリエイターの新人、人材の養成であるとの理念に基づくものです。
 真剣になればなるほど、しんどく、人材が育たねば何も報われない仕事です。
 塾の料金を見てもらえれば、おわかりでしょうが、教室を常設してのあの金額では、経済的見返りもありません。
 それでもやらねばならないと思っています。

 もちろん、作家やマンガ家を養成している大型専門学校や、カルチャー教室などは大阪にも数多く存在していますが、大阪の文化復興とそれに伴った実践主義をテーマに掲げているところは、そしてそのきめ細かい育成のあり方は、ウチだけだと自負しています。私はそのうち、大阪文化復興を旗印に関西のクリエイターたちを集め、塾と連動した何らかのムーブメントを起こしたいと、いろいろ策を巡らせているところです。
 作家やマンガ家を目指す若い人たちは、どうしても東京へ流出していきます。映像関係者もメディア関係者も、役者も芸人までもが、どんどん東京へ流出しているのです。大阪弁を喋る吉本の若手芸人も、売れっ子のほとんどは実は東京から大阪へ通っているという現状です。関西歌舞伎の重鎮、坂田藤十郎さんも今、東京にお住まいと聞きましたが?
 東京一点集中のマスコミ、情報。文化も芸術も、東京という色眼鏡を通さないと、全国に認められない・・・私はけっしてそうだとは思いませんが、東京に流出する若い人たちは少なくともそう思っています。そして、放っておけば本当にそうなるでしょう。
 いや、もうなりかけています。
 そりゃあそうです。スポンサーはいない、メディアもない、劇場もない、業界は分裂して縄張り争い、おまけに人材は流出する。これではこれからの大阪はどうなってしまうのでしょう?
 私は決して、若い人たちに東京へ行くな、と言っているわけではありません。出版社を始めとした巨大メディアのほとんどは東京に集中しているわけですから、行くことは構いません。私自身も仕事の発注のほとんどは東京から受けています。
 しかし、その根っこには大阪、あるいは関西があるということを忘れずにいてほしい。そして、なんとか大阪にメディアを作るから、そのときは協力してほしい。
 その本拠地が塾である、というのが今大滝社長とコツコツ作り上げようとしている連動した塾のあり方であるわけです。

 しかし大阪の文化を理解するにはやはり、芸能を理解しなきゃ。
 歌舞伎、文楽、落語、漫才、新喜劇。関西生まれの芸能です。
 今の若い人たちは、あまりこれらを知りません。漫才くらい?
 私は、文筆も芸だと思っていますので、こういう芸能の世界に親しみ、あるいは理解することによって、大阪独自の言い回しや匂い、所作や言葉のニュアンス、生活習慣や工夫、笑いの形式、あるいは歴史といったものが自然に身につき、それが大きな武器になると確信しているわけです。そして若い人たちも、ちゃんと解説して文楽や歌舞伎、落語を生で見せてやると「面白い」と思う。これは私の長年、若い人たちと接してきた体感です。
 この解説、が重要なようですが。
 また、何度も言いますが、私の「怪談」のもとは、上方落語なのです。
 現在我が塾では、ド素人の集まりながら「桐の一門」を発足させ、年に2回ほどの落語会をワッハ上方で催したりしています。着物を着て、座布団に座って、人の前に出て、落語を演じて、人を笑わせる。これは創作活動においてすごい刺激であり、日本人というものを改めて見直すいい勉強にもなっています。私が指導した落語にして、落語を実際にやった塾生たちは、やっぱり話の作り方に変化が見られ、ユーモアも出てきて日本文化への興味が実際に出てくるようです。本格的な落語塾が、そういう意味でも必要だと感じました。「落語塾」で本当の落語の魅力を知ってもらい、大阪文化に興味をもってもらう・・・そういう主旨からの出発でした。芸人さんとの関わりも、モノ作りに大きな影響を与えますし、若いクリエイターの卵たちとの交流は、芸人さんにとっても新しい感覚や考え方を与えられるはずです。
 それに・・・老婆心ながら、やはり天満天神繁昌亭で上方落語は復活したというものの、やはり若い人の認知度、興味度は、実はそれほどでもない。という実感がするわけです。「寄席」という言葉を知らない大阪生まれ、大阪育ちの作家志望がいるくらいです。
 そういうクリエイターたちの集まる場所に、上方芸能の世界にいる人たちを招きたい。コラボさせたい。ともに手を取り合って動かしたい。
 その必要があると思っています。演じ手、作り手あっての大阪文化復興です。
 当然、その繁昌亭での「上方落語体験学習」、ECCの「落語教室」があることは承知の上で、別のコンセプト、例えばモノを作る上での落語の体験、作家やメディア活動との連動による新しい展開、あるいは落語そのものを、若い力で打ち壊してみる、という試みもやってみたいという思いもあったわけです。
 そしてまた、落語の「稽古屋」にあるように、いろいろな「落語教室」「お笑い教室」が町内にあって、いろいろなお師匠さん、先生に教えを請う場所がある、という大阪にもしてみたかったわけです。
 演じることから自己発見はあり、好奇心は生まれます。
 別にプロの落語家を育てるつもりではなく、こういったモノを見る目が、好奇心が、人材の芽を開かせる、そんな芽を少しでも多くする。
 そういう土壌が、大阪にはあるはずです。
 そのあたりのことを理解していただいたのか、吉本興業さんであり、林家染丸師匠とその一門だったわけです。色々と交渉が続き、やっと6月6日の開塾に漕ぎ着けたというわけでした。私も喜びはひとしおでした。大阪も捨てたもんやないなあ、と。

 で、急転直下。たった一日でNG。
 準備してきたものが全部瓦解しました。
 上方落語協会会長・桂三枝師匠からのNGでした。
 折衛にあたった大滝は、この件については何も語りません。
 ですから、なにが原因で三枝師匠が「落語塾」を差し止めにされたのかは、私にはわかりません。
 だが、少なくとも我々と、吉本興業サイドはその価値を認め、林家一門は、そこに賛同してくださった。つまり、「落語塾」の必要性を思う人たちはいたわけです。

 で、ここからは落語と大阪文化を愛する一作家の意見具申であります。
 これは「上方落語協会」の総意なのでしょうか?
 そうではないはずです。そうであるなら染丸師匠がお受けになるはずがありません。
 だとすれば、三枝会長の独断なのでしょうか?
 まずは三枝会長が、この件について聞いていなかったということは私も聞きました。私が理解できないのは、ひとつには吉本さんに話が通り、協力体制が敷かれた時点で、なぜ三枝会長に話がいっていなかったのか、という点がひっかかります。
 「誰かが言うてくれるやろ」という関係者一同の考えだったのでしょうか?

 が、しかし、ここまで準備されながら、大勢の人間が関わりながら、たった一日でこれら全てが、一人の考えによって水に流されてしまったことも不可解なことです。
 三枝会長の真意はわかりません。

 ECC落語教室、繁昌亭の落語入門講座には、協会が推薦したり協力していることは知っています。となれば、そことの利権なのでしょうか?
 そう勘ぐられても仕方ありません。
 しかしそうなれば、落語とは誰のものなのでしょう?

 もちろん、上方落語協会が、6代目松鶴師匠らの尽力により、先代染丸会長のもとに昭和32年に結成された経緯も、その活動内容も存じています。
 20数年前、桂米紫さんが事務局をやってらしたとき、ビデオ版「上方落語大全集」の企画書をもって、協会の事務局に通ったこともありました。そのときは「ええ企画やけど、うち力おまへんねん」言うて、米紫さん、涙浮かべてはりました。
 協会は一致団結して、戦後滅びかけた上方落語を見事に復興されました。しかし。なんといっても落語を聴きにくる、落語をこよなく愛する一般客もあってのことです。その橋渡しにはマスコミの存在が大いにありました。昭和40年代になって人気落語家がテレビやラジオを賑わせ、若い人たちの支持を得て、大学のあちこちに落研が作られました。落語には古典でありながら、新しい息吹と懐かしい原日本を体感させる何かがありました。三枝会長は、そんな中で落語界のスターになられた方です。おそらく、その時代の観客が、今の落語会の主なる層として戻ってきたということではないでしょうか?
 当時、兵庫県の片田舎の中学生であった私は、三枝、仁鶴に憧れ、姫路に落語会があれば、ローカル線に2時間揺られて聞きにいったものです。

 つまり、生の落語に接し、落語を知る場所や機会は多ければ多いほどいい。
 それが、観客と演じ手をもっと増やす布石にもなるはずです。
 それは三枝会長が、誰よりも理解されていることのはずです。
 そして我々のような、落語界の部外者でありながら、メディアの末席にいる者の落語に関する考え方や表現の仕方こそが、今後の落語界の新たな展開を可能にするのではないかと、私は思うのですが。

 そこで三枝会長にお聞きしたい。
 「落語塾」を差し止めにして、生まれるものはなんなのか? 
 そして失うものはなんなのか?
 そして、一人の人間の発言で、全部白紙撤回となるようなことで、上方落語界は大丈夫なのか? 組織としてありえるのか、そこにも疑問が湧くところです。
 もし三枝会長の発言が絶対というのなら、妙な媚、へつらい、お伺い、権力闘争、一門別の確執、裏工作の、それは三枝会長の意思とは関係なく、温床となるのは必須です。
 これは人間世界の残念な鉄則です。
 そのような上方落語協会など、少なくとも私は望みません。
 もちろん三枝師匠の会長になられる前からの、メディアへの落語の売り込みは、すさまじいものがあったともお聞きしています。その功績を重々理解しての、いや、だからなおさら、今回の件は理解に苦しむことなのです。

 ECC落語教室の推薦の言葉として、三枝会長はこう書かれています。

 「落語ブームだと言われた一昔前に比べ、やや落ち着いた感がある昨今の上方落語界ですが、このようなすばらしい講座が開かれることを伺い、またかつての隆盛の再来を少なからず期待せずにはおれません。といいますのが、幕末、明治、大正、昭和と落語界が盛んになるときには、必ず素人落語が盛り上がり、それから落語界が盛り上がっていったようでございますから。そういった意味でも、この講座で一人でも多くの皆さんが、落語に触れ、学び、そして演じていただくことは、我々落語家にとりましても大変喜ばしいことであります・・・」

 まったくその通りです。
 しかし・・・。
 「落語塾」の何が問題だったのか。それをお聞きしたい。
 今後の大阪の文化、芸能との関係のあり方を考えるためにも、胸に刻み込みたい。

 上方落語を愛し、大阪文化を憂う、一無力な作家としての、中山市朗の個人的な意見でした。
 黙して語らない大滝とは、今回のブログ内容は何も関係ないものであることもお断りしておきます。
 


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4/22の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 22日の作劇ゼミの報告です。

 約150年ほど前、日本は江戸幕府によって統治されていました。
 時代劇に出てくる江戸時代ですね。
 その江戸時代って、どんな世界だったのだろう?
 そんなことを考えてみました。
 今、当たり前にあるものが当時はない、当時当たり前にあったものが今はない。
 でも、同じ日本。私たちのご先祖様が生きていた時代です。
 それはどんな世界だったのかを想像することは、モノづくりをする頭の体操になります。

 江戸時代・・・私は憧れます。行ってみたいです。
 日本の原風景、というイメージがあります。

 当時の日本人は、男は丁髷を結って月代を剃っていました。幕末に日本へやってきたアメリカの外交官は、日本人は頭の上にピストルをつけていると思ったそうです。丁髷は、もともと戦のとき兜をつけるために結ったのですが、あれがカッコいい、ということでお百姓さんたちも真似したのだそうです。今、丁髷をしているのはお相撲さんくらいですが、月代は剃っていません。
 ただ、時代劇に出てくる立派な太い丁髷は、黒澤明監督に言わせれば「あんなトラヤのようかんみたいな髷は嘘だよ」だそうで。そういえば、幕末の写真なんか見ると、本当に頭の上にチョンと小さく細いピストルが乗っかっています。
 女性も髪を結ってました。少女は桃割れ、未婚女性は島田髷、結婚すれば丸髷、そして子供を産んだり、後家さんになったりするとまた髷の形が変わったんだそうです。不倫がしにくいです。「知らなかった」と言えません。そうそう、結婚したら女性はお歯黒してました。女の子はそのお歯黒に憧れたんです。お歯黒までされたら、よけい不倫の言い訳ができません。でも携帯電話がないので、そこからバレることはありません。
 みんな当たり前ですが、着物を着ていました。日本の民族衣装です。お侍と一部の町人、渡世のおニィさんたちは腰に人斬り包丁を差していました。
 平均身長は男が158センチ、女が145センチといいますから、えらい小柄です。
 歩くときは右足と右手が同時に出ました。走ることは特殊技能でした。
 喋る言葉は藩によって違ったようです。共通の日本語はありません。
 会津藩と薩摩藩の人が話したら、よくわかんなかったと思われます。だから侍同士が話をすると必ず内容を書面にしたと言います。いったん文字にして、あとに確認する。だから日本には当時の記録が多く残ってますし、その代わり話下手、交渉下手になっちゃったんですな、日本人は。
 当時の日本人は世界的に見ても識字率が高かったんですな。寺子屋は日本各地の農村、漁村にも普及していましたし、奉公に預けるという教育手段もありました。幕末には全国に寺子屋1万5千もあったといいます。
 識字率が高かった原因は、実は貨幣経済の安定にあったといいます。つまり、現金払いなら領収書、掛売りなら売掛帳、貸し借りには証文、それに手形の発行。こうなると読み書きとそろばんができないと生きていけないわけです。
 侍の知字率はほぼ100パーセント、男子全体では79パーセントだったそうです。
 これも日本に色々な文献が残った原因ですな。また当時の日本人は本を読むのが好きだったらしい。教養があったんです。
 教養、気品、りりしい態度、これらを兼ね添えた侍が、ホンモノの侍です。
 万延元年(1860年)、幕府が日米条約批推のために、使節団を米国へ送りました。
 アラン・ドロンと三船敏郎が共演した、イギリスの監督によるフランス製西部劇「レッドサン」を思い出しますわ。この使節団をニューヨーク市が当時2万ドルというお金を出して接待したそうです。日本の使節団、つまり3人のお侍さんとその従者が、なんとブロードウェイをパレードしたんです! 日本人を見てみたい、と物凄い数の人たちが集まったそうですが、誰もが関心したのは、その所作、品のよさ、毅然とした姿だったそうです。司馬遼太郎はこのことを「明治という国家」のなかで、“江戸270年の文化の上澄みが、ブロードウェイを行進した”と書いています。

 さて、日本人は信心深かったんです。
 神道も仏教もゴッチャになって、あたりかまわず頭を下げていました。お侍さんは、儒教も受け入れていました。キリスト教はご法度でしたが。
 神社仏閣へ出かけるのが、当時の日本人のレジャー。
 旅に出ると、ひたすら歩く。たまに馬、駕篭に乗る。あと舟。
 舟も大きなものは建造が禁じられていたし、大きな河にはわざと橋を架けさせなかったんですな、幕府は。だから河渡しの人足さんが肩車して渡してくれる。
 日本だけの風景です。
 駕篭・・・ぶさいくな乗り物ですな。1人の人間を運ぶのに、2人の人間が担ぐ。なぜか車の概念がなかったんです。なんででしょう? 荷車はあったんですけど。馬車がないんです。祭礼用としての牛車はありましたが・・・スピードとは無縁の世界やった。
 カバンだのバッグだの袋もない。みんな風呂敷に包んで。
 私、最近風呂敷使うことがあるんですが、あれ、便利でっせ。
 みんな正座ができる。お侍さんは時代劇にあるように刀を抜くなんてことも滅多になくて。
 な〜んか、かわいらしいですな、江戸時代の日本人。
 で、食べ物が違う。

 初代のアメリカ領事館ハリスが、口にしたくてもどうしても日本では叶わず、困り果てたという食べ物があります。なんだと思いますか?

 肉?
 ブー!

 乳製品でした。牛乳、バター、チーズがまったくない。幕府に所望しても、「そのような習慣は日本にはない」と言われたそうです。
 肉は、仏教の教えとして食べなかったのですが、他の仏教国ではそんなことはなかったんですけどねえ。で、魚介はよかった。なんででしょう?
 ただし、まったく食べなかったのかというと、そうでもない。厳格な侍は口にしなかったのでしょうが、町人たちは薬食いと称して、イノシシやシカの肉を食べたらしい。このあたりのことは落語の「池田の猪買い」や「二番煎じ」などに出てきます。
 江戸時代の中期のあたりから食文化も発達したんですが、それでも西洋の食文化とはまったく無縁なものだったんです。米が日本人の生命を支えました。
 江戸時代になる前の日本の食文化なんて、イエズス会の宣教師が閉口するほど貧しいものだったらしいですな。
 あのザビエルが手記に書いています。
 「日本には、おいしいものがまったくありません」
 ヴァリアーノという宣教師も書いています。
 「彼らの食物と調理法については、材料の点でも、味の点でも、まったくヨーロッパのものと類似するところがない。結局彼らの食物に慣れるまでは、多くの努力と苦痛を経なければならない」

 それがまあ、いまや日本が世界一、食のうまい国。
 スピードと合理性を求めてあくせくしている。
 せつかくある日本語をどんどん打ち壊す。
 着物を着た人は行事があったか、噺家さんかな、と思ってしまう。
 150年・・・劇的やったんでしょうな。日本という国は。
 
 そのきっかけとなったのが、明治維新。
 そして明治に生きた日本人たち。
 その日本人が娯楽として何を楽しみ、どういう文化を作り、育んでいったのか、というお話を、講義形式でいたしました。
 まずは、能です。室町時代に今の形となった能の最初は・・・

 以下、文字制限により講義内容は省略します。



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2009年04月20日

中山市朗、怪談Gメンと共に岐阜へ行く

 中山市朗です。

 17、18日の2日間、岐阜県の某リゾートホテルへ取材旅行に行ってきました。
 といえば、ちょっと和やかで癒しを求めた取材旅行のようですが・・・
 メンバーを見れば、それは違うとわかります。
 私が同行したメンバーは、自称Gメン!
 そう、あの連中です。

 それは次のようなメンバーです。

 キャップ 田野辺尚人 (洋泉社編集人・元『映画秘宝』編集長)

 隊員  ギンティ小林 (『映画秘宝』名物ライター)
     住倉カオス  (ミリオン出版編集人)
     市川力男   (洋泉社・シックスセンス担当)
     後藤剛    (シャイカー社長)
     豊島圭介   (シャイカー所属・映画監督)
     大郷水雄   (シャイカー所属・撮影担当)

 裏キャップ 山口幸彦 (キングレコード・プロデューサー)

 そうです。去年(08年5月1519日のこのブログ参照)に引き続き、好評だった『新耳袋・殴り込み2』のロケが始まったのです。
 前回参加の漫画家ヒロモト森一氏は、一身上の都合により今回はキャンセル。というか、事故に遭ったらしい。清水崇監督は、今3D映画を監督中だとか。代わって『ナックルズ』の編集人・住倉カオス氏が参加。名前のとおり、キャラクターも風体もカオスです。

 そして、彼らと共にやってきたリゾート・ホテルとは・・・。
 『新耳袋/第七夜』に「滑女」「廊女」「一本腕」として披露された怪談の舞台となったホテルです。私の専門学校での講師時代、学生たちと行ったサマーセミナーにて起こった怪奇な現象の数々。『新耳袋』で紹介できなかったその他の現象や、再び北野誠氏たちと訪れた際、またまた起こった不思議な現象は、『幽・3号』の「やじきた怪談旅日記」で詳細にリポートしております。
 なお、角川文庫版の『新耳袋・第七夜』を購入された読者の皆様方、メディアファクトリー版の『七夜』をご覧になることをお勧めします。表紙カバーを剥がすと、腕が一本多い「一本腕」の不気味な写真が実際にご覧になれます。

 というわけで、17から18日にかけて、メンバー全員で百物語の作法にのっとった怪談会を、この怪しげな現象が起こるホテルの一室で敢行したのです。一話語るごとに、一人別室に用意された闇の中の鏡台とその前に置かれた包丁を確認して戻る、というもの。
 しかも、このとき目にしたことを死ぬまで語ってはならない・・・。
 にしても、なんですな。
 こんなにうっとおしい、というか、モサい連中ばっかり相手の怪談会というのも初めてです。そして、鏡台のある別室にはビデオカメラを持って自分の顔と、鏡の奥、を撮ることという豊島監督の指令だったのですが・・・、みんなの性格がそのまま出るところが面白いですな。恐怖の前では地が全面に出ちゃうというか。
 あっ、アイツはチキンだ、とか。冷静だな、とか。ビビッてるけどプライドで抑えてんな、とか。それが一番笑えたりして。そして映像センスまでバレちゃった。そっちのほうが恐ろしい・・・。
 ところで「鏡に見たものを語ってはならないという作法ですが、ビデオに映っちゃったら、どうなるんです?」とGメンから質問された。「幽霊もそこまで想定していなかったから、ええんとちゃいます?」 と適当に返答。「僕、このことを原稿に書かなきゃならないんですが、書くのはどうなんです?」とマジ顔のギンティ氏。それを自ら実証するのがギンティ小林の使命ではないか!
 
 続いて、闇の渡り廊下を、シャイカーの後藤氏と、ギンティ小林氏の二人が挑戦。
 ほんまに真っ暗なんです。ここの渡り廊下。廊下そのものに照明はまったくないし、窓はあってもなんせ山の中ですから、外にも明かりがほとんどない。しかも幽霊が出るという話も複数あって、その幽霊がどのようなものであるのかを、前もって
私がじっくり語って聞かせている。その後、二人が一人ずつ渡り廊下を往復し、その様子もビデオカメラに収録する。チキンぶりを露呈しかねない、男としてのプライドをなくしかねない、過酷な指令です。指令を下した豊島監督は残酷な人です。
 ・・・。
 そこで何があったのかは、いずれキングレコードよりリリースされる『新耳袋・殴り込み2』にて。ただし、何もなかったとしてカットされる可能性も?
 「最近、ギンティさんのファンだという女の子が塾に入ってきたよ。18歳やで」と言うと、「マジッすか!」とテンションを上げていたギンティ小林氏の、残念なことに、その子もおそらく興ざめのものすごいチキンぶりが、ここに見事に再現される一幕も。
 人間、真の恐怖に遭ったとき、声も出せないものだ、ということの発見をしました。と、同時にギンティ小林氏の言うには「もう僕は最後だと思ったとき、悪戯したり、友人を裏切ったりしたことが走馬灯のように巡って、ごめんなさい、地獄へは行きたくないと思いました」・・・と、涙をうっすらと浮かべて・・・。

 翌18日。
 メンバーは大阪へ。私は途中で解散しましたが、その夜は怪談社紗那氏らと某・心霊トンネルへ殴り込みに行くのだとか。
 内容を聞くと、ほんまに罰当たりなことを考えていました。
 いつかこのGメンのメンバーは、エラい目に遭う。まあ、それをオイシイと彼らは思いかねない。そこらはプロ! 霊スポットで死ぬことこそが、彼らの本懐なのだ!

 えっ、私?
 私は正式メンバーじゃないので、ごめんなさい。
 怪談集めてるだけですから。


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2009年04月16日

4/15の小説技法・・・とドタキャンについて

 中山市朗です。

 15日の小説技法の報告です、といきたいところですが・・・。
 その前に別報告と、ちょっとした事件がありましたので、そちらのほうを。

 報告。

 先日、私の率いる桐の一門の総会が開かれました。
 7月5日にワッハ上方の小演芸場で開催される桐の一門落語会『へたらな寄席』の、まずは決起会。桐の五郎兵衛師匠の追悼会も兼ねた飲み会です。
 大阪芸大落研の田舎家君吉くんも参加。
 新弟子が増えました。
 桐のわしょく、桐のいそろく、桐のれんじゃあ、桐のころあい、霧のほらあ。
 5人のうち、3人までが女性です。
 これで桐の一門は総勢20人を超えました。もっとも連絡不能、あるいは引退同然の者も4人ほどいますけど。
 ところが飲み会の後、五郎兵衛師匠のビデオを観たり、落語についての基礎知識講座などを考えていたのですが、新弟子5人のうち4人までが帰っちゃった・・・
 意味ねぇじゃん!
 落語をなめたらあかんで。
 また仕切りなおします。

 さて、ちょっとした事件。

 小説技法の前日、なにかと話題のKレンジャーから電話。
 「明日の授業に、僕の大学の友人が来たがっています。で、そのあと中山先生の書斎をお借りして飲み会をやってもらいたいんですが、よろしいでしょうか?」 
 「その友人というのは何志望?」
 「同じ映画サークルの者で、今就職活動しているんですけど、映像関係にいきたいといって、そういう会社を受けています」
 「ならいいよ。スガノくんに言って、作劇メール打ってもらい。なるべく大勢の参加があったほうがええから」
 作劇メールというのは、なにかあったとき塾生全員の携帯電話に送信されるシステムのことです。
 「ありがとうございます」と、電話が切れた。

 翌15日。授業前にネトラジ収録です。2本録りをしているのですが、トラブルがありまして、1本しか録れなかった。「残りはじゃあ、授業終わったあとに録りましょうか」「だって今日、ゲスト来るやん」「そうですねえ・・・で、飲み会何時からです?」「ゲストはいつ来るの?」
 そういえばKレンジャーは教室に来ていますが、友人らしい人物の姿がない。
 「ちょっと聞いてこい」
 そしたらKレンジャーの口から、とんでもない一言が。
 「あっ、今日来ないそうです」
 ゲゲゲ! おい、それはないで。みんな飲み会あると思ってる。それもKレンジャーの映画業界志望の友人。ちょうど私の専門学校時代の教え子の映画監督志望のタマイくんが久々に顔を出してくれたので、引き止めていた。彼も映画の現場を経験しているし、いろいろ苦労もしている。彼のアドバイスもその友人のよき指針になればと思って。
 総務のスガノくんもびっくり!
 「おいおい、今日の授業受けてないヤツも来るって言うてるで。どうすんねん」
 また、「今日来ないんです」と涼しい顔をしているKレンジャーも問題。
 「いつ来ないってわかったんや」
 「2時間前です」 
 「なんで来ないんや?」 
 「サークルのビラ配りが朝からあるようなんで」
 ・・・。
 14歳はKレンジャーだけではなかった。この映画サークルの考え方が14歳。
 「お前、スケジュール押さえるって、どういうことかわかってんのか! しかも作劇メールが全塾生に送信されてる。それは俺の許可のもと行なわれて、Kレンジャーの友達やからいうて、スケジュール取ってるんやないか。これは俺の顔に泥を塗って、Kレンジャーの信頼も損ねることになるねんぞ!」
 ここではじめて、Kレンジャーの顔色が変わった。
 「トタキャンされて、あーそーか、言うてお前、簡単に承知したやろ。それって、学生の仲間だけに許されることや。そういうノリを、うちに持ち込むな!」
 そうですよね。チラシ配りて。
 うちの塾生には、ちゃんと会社に通ったりしている社会人もいる。そういう人たちを巻き込んでおいて、サークル活動が朝からあるからって?
 「でも金曜日のシナリオの授業には出ますって」 
 「来ていらんわ!」
 Kレンジャー、血相変えて携帯電話を取り出しました。
 「来えへん言うてる者を呼ぶ必要ない! みんなにどう説明すんねん!」
 もう、メチャメチャですわ。

 結局、Kレンジャーが来るように説得したみたいで、夜遅く、友人というKくんがきた。でも当初参加予定の半分ほどの塾生がシラけて帰っちゃった。
 しゃあないですわなあ。
 で、僭越ながら説教。でも初対面の人から説教されるというのもありがたいと思わなきゃ。もう就職活動しているというなら、社会人の自覚を持たんと。
 Kくん、神妙に話を聞いて反省していました。いい奴です。でも、だからこそドタキャンだの不義理だの、自分の都合優先は絶対にやったらあかん・・・。もう飲もう。そして映画の業界の話をしよう。芸能界で30年生きてきた大滝社長も来てくれている。

 KくんもKレンジャーも、いい勉強になったと思います。

 合評の報告枠がない。
 今回は省略。
 ただ、ここにも私の怒りが。

 前回、総枚数500枚を越える小説を読んで合評に臨んだのですが、これ以上の枚数となると、ちょっと各人負担になってきました。これから塾生も増えるかもしれないし。
 だから、今回提出分より、枚数制限を設けたのです。
 決められた枚数、字数で書くことも、この世界では大切なこと。
 ところが、提出作品が今回7編。
 つまり書いてこなかったのが数人いる。
 みんなが書いてくることを想定しての制限が、これやったら制限する意味がない。
 書いている人の中には、投稿作品を投稿規程にあわせて書いている人もいる。
 これでは、そういう人の足を引っ張る結果になります。

 そして合評は、月2回。考えたら1年に24回しかない。
 それでも、毎回書いて合評にあげている人はめきめき腕を上げているし、信頼できる。
 半分ほどスルーしたり、書いてこなかったりしていると、12回しか作品の合評をしてもらえない・・・。この差は1年で大きくなります。

 そこも各人自覚すること。

 とにかく人を裏切らない。責任は果たす。これ、大事。
 個人の信頼で仕事をもらうのがクリエイターですから。

 そしてドタキャンは許さん!


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2009年04月15日

マスコミについて

 中山市朗です。

 北野誠さんの芸能活動自粛のニュースが出ましたね。
 実はその一週間前から、このことは知っていたのです・・・。
 というのも、『幽』で連載している「やじきた怪談旅日記」の取材を今月中に終わらせないと、というこのせわしないとき、「突然マネージャーから『連絡をとることはできません』と言われたと、担当Rくんから電話がかかってきて、「は? どういうこと? じゃあ、直に俺が電話してみるわ」と、誠氏の携帯に電話してみたら・・・、「実は近々、芸能活動を当分自粛することになる」と聞いてしまったわけです。6月頃には『なまなりさん』が文庫化されるので、その前書きも誠さんに書いてもらう約束をしていたんですが、これもキャンセルせざるをえないと。「わちゃー!」と私と編集サイドは、代案なり再調整とバタバタしていたわけなのです。
 原因はラジオ番組『サイキック』での不適切発言、だそうで。
 どういう不適切発言なのかは、私は知りません。そこは聞かなかった。
 しかし、『サイキック』という番組は、その不適切発言というのが支持されていたのではないでしょうか? 「山の牧場」は大江山にあるという発言も、この番組で竹内義和氏より発言されました。まあ、これは不適切、ということでもなかったんですが、大勢のリスナーが大江山に行って、「そんなもんないやん!」と騒がれたことから、私の体験談が嘘話にされてしまうところで・・・。竹内さんとは大学時代からの知り合いでしたので、「確認してくれればよかったのに」と、番組に出演させてもらったときに釈明を求めたら、以後『サイキック』に呼ばれなくなった・・・ははは。
 まあそんなことは、さほど大きな問題ではありませんが、そうやってとんがった話や、危ない、ギリギリの話を生の感覚で喋る、というのが番組の魅力、話題性だったと思います。

 で、今回の不適切発言。
 ネットで見たんですけど、憶測ばっかりで、これが不適切発言だったという具体的なものがない。不適切発言であるなら、なにに対して不適切だったのかの釈明なり謝罪なりがなければならない・・・これは不自然。
 誠氏からは何も聞きませんでしたが、電話で聞く限り、なんとなく私には誠さんは所属事務所に詰腹切らされた、という感じがしたのですけど。でも朝日放送からも松竹芸能からもなんのコメントもない。ただ、北野誠氏の不適切発言により芸能活動の休止、というだけの報道がなされて。なかには芸能活動の危機とか、抹殺なんて文字も踊っていましたけど、なにが原因かがわからずに、ひとりの芸人の生命を断つなんていうことが、本当にあったとしたらちょっと日本のマスコミには信用がおけなくなるでしょうな。

 だいたいおかしいのは、『サイキック』は生放送ではなく、録音されたものが放送されているわけで、不適切発言は前もって編集でカットできたわけである。ということは、番組のディレクターなりプロデューサーにも処分がくだされなきゃおかしいでしょ? 少なくとも説明がなきゃ。それともディレクターの判断ではその発言は、さほど問題とは思われなかった? となれば、さほど問題ではないと判断したディレクターの裁量の罪は大きい。
 でありながら、北野誠氏ひとりが罪を被ったというからには、なにか別の力なり、陰謀が働いたのであろう・・・と、あくまで私の憶測ですよ!

 実は私も、マスコミによってえらい悔しい思いをしたことがありました。
 もう10年ほど前になるんですけど。
 稲川淳二さんとの問題。稲川さんとは仲良かったんです。2人で飲み明かしたこともあった・・・。で、あの人はライブで話したことを本にする(ゴーストライターが、ですけど)んです。その中に、『新耳袋』(扶桑社版を私が手渡しています)からの話があったので、ライブだけだったらよかったのですが、ある話が本になってコミックになった。一方同じ頃、『新耳袋』の中の6話が角川書店の雑誌『アンビリーバボ』にてコミック化された。そしたら同じ話が2つのコミックに載ってしまったんですよ。どっちかがパクリだなどとネットで騒がれて(奥付見ればわかるでしょうに)
 ともかく、一方は私は知らなかった。一方では原作料が発生している。稲川さんは作家ではないのでご存知ないのかもしれない。で、このときは直に話し合って、まあ不問としたんです。稲川さんもちゃんと謝罪してくれて。ただ出版社とは色々な事項で契約がなされているので、本来これは、私が出版社から責められてもしょうがないんです。
 ところが、その後も何度も同じことが繰り返されて、出版社のほうから「やっぱりこれは問題です」と言われて、交渉しようとしたら、稲川さん逃げちゃった。あるいは事務所がそうさせたのかもしれない。そしたら、それがどこからか漏れて、なにかの記事になったんです。そしたらワイドショー番組でそれが取り上げられて、稲川さんの一方的見解が放送された。まあ、それはいいんです。問題は、盗作したとされる人間にのみ、「無罪だ」と延々釈明させて、盗作されたほうの意見や経緯がまったく無視されたんです。無視というか、番組からはなんの取材も、一本の電話すらなかった。これっておかしいでしょ?
 ワイドショーの司会者も「淳ちゃんは俺も知っているけど、人のモノを盗る人じゃない。だいたい怪談に著作権なんてあるの?」だって。
 あれ? こっちが悪者?
 そんな報道がされながら、あれはおかしい、と誰も思わないっていうのも・・・。
 別に稲川さんとは険悪になるつもりもなかったし、歩み寄るつもりが妙なことになったのは事実。
 
 マスコミは恐ろしい、と、このとき思いました。
 その報じ方で、白が黒になるし、黒が白になる。
 ここで戦うのは命がけにならないといけない。
 マスコミを知っている人間は巧みにメディアを操り、力を利用する術がある。
 普通の人は、戦い方がわからない。
 そしてマスコミは、なんの責任もとってくれない。
 ・・・。

 北野誠さん。お察しします。
 近いうちの復帰を待っています!



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2009年04月13日

中山市朗、1分映画の撮影現場を覗く

 中山市朗です。

 今、塾生たちが1分映画を撮っている、と何度かこのブログで書きましたが、私はあえて介入せず、彼らの自主性にまかせていたのですが・・・
 第一回目の撮影現場は、どうも私の想像通りのものだったようです。

 監督以外は、ほとんど仕事をしていない。というか、仕事がない。
 とりあえず、あるもので撮る。
 誰も何の責任も負っていない。
 スタッフとしてのパートもあやふやだったみたいで。

 みんなで創って、創作の楽しさを分かち合おう、というのが今回の1分映画のコンセプトだと聞いていたのですが・・・Sくんのドタキャン問題もあったし。
 で、2回目の撮影が先日、教室で行なわれたので、ちょっと覗きに行ったんです。
 うーん。

 この日の監督は、Kレンジャーと高田くん。まずはKレンジャー監督。立命館大学の映画サークルに所属していたプロの監督志望。
 自らカメラを覗いて、主演の同じく塾生、青谷さんに演技指導しています。が、10人ほどいる塾生が、ぼーっ、とそれを見ている。Kレンジャーも何の注文もしない。
 あかん!
 で、私が言った。
 「隅にあるテレビを持ってこい」
 いつも授業で使っている25インチほどのテレビを運ばせ、Kレンジャーが覗いているカメラに繋げて、その画面をテレビ画面に映し出した。青谷さんの顔がアップで映る!
 これで今、どういう画が撮られようとしているのかが、他の塾生にも一目瞭然になった。Kレンジャーはそのまま撮影しようとしているが「待った!」
 このままでは映画にならない。ただ、カメラのスイッチを録画状態にして、ビデオをまわしているというだけ。カメラの性能がいいのも考え物ですな。我々の学生の頃のカメラなんて、夕方以降は照明がないと何も映らなかった。
 「レフ板あったよな?」
 シナリオライター志望の寺井くんが、画板にアルミホイルを張って作っているとは聞いていた。ただ使っていないだけで。
 「それ持ってきて青谷の顔に光当ててみ。そうそう、もうちょっと右。蛍光灯の光を受けて、反射させていることを意識して。ちょっと左手を上に・・・そうそう」
 「おーっ、全然違う!」と塾生たちの声が上がった。ちょっとしたフラットな光が、青谷さんの顔に表情を与えた。でも、もっとレフ板がいる。
 「トイレに行って鏡外して来い」
 鏡もレフ板の代わりになります。
 それまでは窓から入ってくる自然光(それも夕方)と天井の蛍光灯の光源だけで撮っていたから、出演者の顔に陰が入ったままなんです。それ、映画の撮影じゃない。ただ、撮っているというだけ。それで鏡とレフ板の2つの反射光でその陰を操ることができるんです。ちょっとレフ板を動かすだけで微妙に光が移動して、表情や印象が変わる。それがテレビ画面からよく見える。これが照明の仕事。演技だけに頼らず、いろいろテクニックを使って映像として表現しなきゃ。テレビ画面でそれを見せ付けられ、塾生たちはそれを理解したようです。杉山くんと坂本くんが照明助手みたいになって、青谷さんの顔に当てだしました。しかし夕方なのでだんだん光源は蛍光灯に頼るしかなくなった。本当は撮影用のライトがいる。けどないから仕方がない。
 「そうや、マンガのトレース台があるやん」
 トレース台の中には蛍光灯が一灯入っています。これは貴重な照明道具です。これを顔に当てると、ただの被写体だったものがキャラクターになってきた。
 しっかりと顔が映り出すと、今度はメイクや髪の毛が気になってきた。当然、メイクさんはいませんけど・・・
 女の子を撮影するんやもん。やっぱりメイクはいるやろ。
 映画のメイクは、やりようによってはメチャメチャおもろいんです。衣装とあわせてアニメのようなキャラクターだって作れて、それが実際動いて、セリフを言って、実写として残る。青谷圭を青谷圭で撮っても映画の意味がない。上映時に塾生たちを「これ誰? えっ、青谷さん? うそお!」とビックリさせなきゃ。それがサービス。ザッツ・エンターテイメント!
 マンガコースにいる塾生たちに、そういうキャライメージを作ってもらって、実際メイクや衣装としてやってもらうと、メチャメチャテンションあがるのに!
 そういうことを知らないから、映像に工夫がないし、周りのスタッフに仕事がない状態が起こる。ところで、Kレンジャーはしきりに青谷さんにセリフの言い回しの注文をつけているけど、そのセリフ、ちゃんと入るの? マイクないけど。
 「マイクはここにあります」とKレンジャー。
 カメラの内臓マイクやん。
 Kレンジャー、キミは大学で一体何をしてきた?
 そんなんカメラが動くたびに音が変わるし、ロングの場合、どうするの?
 「あとで音を上げて調整します」
 「あほ、そんなん雑音が入るし、素人まるだしやろ」
 音声は大事。ガンマイクがなくても、カラオケ用のマイクでもええやん。画面からキリキリ離れたところから構えて録るだけでだいぶ違う。人によりよい状態で観てもらおうとか、聞いてもらおうという意識が完全に欠けとる。
 というわけで、本来録音助手がひとり必要。

 2本目は高田監督。ヤクルトの監督じゃないよ(ごめん、おもしろくなかった)。
 総務室を使っての撮影。巨人ファンの会社員が何かを届けに来たOLに暗殺され、彼女は阪神タイガースに関係するなんらかの刺客だった・・・というもの。OLに扮するのは、男子塾生たちからは癒し系と言われている島奈世子さん。OLのスーツが似合います。
 さっそく言われなくともレフ板を持った2人が、島さんに張り付いています。テレビ画面を見ながら演出することができるとわかったら、カメラは別の人がいい。Kレンジャーがカメラを担当することになりました。ところが、狭い事務所の中で結構動きがある。
 それをルーズショットで撮ってもつまらん。
 「きっかけでズームを開始して、島さんの動きが止まったとき、ピタッと止めればメリハリのある画面になるから、やってごらん」と私がKレンジャーに指示。ところがなかなかピタリといかない。「カメラ助手いるなあ。じゃあ、俺やるわ」と寺井くんが参戦。
 ホントはタイガースファンのスガノくんが扮する巨人ファンの会社員が殺されるシーンは、やっぱり、らしく見せるための専門家がいる。いわばアクション監督。そんなオーバーなものでもないけど、でもこのままではサマにならない。そしたら坂本くんが「こうしたら、ああしたら」と指導しだした。
 この時点で、監督・高田、カメラマン・Kレンジャー、助手・寺井、照明・杉山くんとモンシくん、アドバイザー・坂本くんと、ほら、パートができて、みんながそれぞれ考え出して工夫して、それを監督が選択するようになった。そしたら、もっと別の方法はないかとか、新しいイメージが浮かびやすい状態になる。現場ですから、実際動いてもらって初めて見えるものができたり、別の見方を知ることにもなる。つまり、ひとりで考えているときより、いいものが生まれる。
 さあ、映画の現場になってきた。
 遊んでいる塾生もいなくなった。

 今度はカメラワーク。カメラは演技者が演技をしながら動いている場合は、常にその人物をフォローすること。演技している者が演技続行中にフレームから切れて、画面が壁だけになるなんて、ありえないぞKレンジャー!
 刺殺したあと、携帯電話で本部に「任務完了」と勝ち誇った報告をするOL。ワンショット撮って高田監督、「別角度でもうワンショット。抑えておきたいなあ」と悩んでいる。で、アドバイス。「さっきそれ俯瞰気味で撮ったけど、勝ち誇った表情をアオリで撮ってみ。勝ち誇った表情が強調されるから」
 カメラを島さんをややあおる形にポジショニング。そこにトレース台の光を当てたら、不適な笑みを浮かべる不気味な島奈世子が! 彼女のこんな表情見たことない。
 思わず塾生たちから声が漏れた。「こわっ」
 でもこれ、メイクが欲しい!
 
 ・・・
 きっとみんな、すでにあるものを使って撮ろうとしていた。
 違う。
 映画は、そこにないものを、フレームの中に作っていくもの。
 だからメイク、衣装で作りこんだ役者に演技をさせ、大道具、小道具といったものを被写体として配置し、別世界を作る。またそれを照明の当て方によって、雰囲気だとか季節、時間を作り出し、カメラで一番いい構図で切り取っていく。
 これが映画。
 作りこめば作りこむほど、映画の現場は楽しくなり、観る側にも一種のファンタジーを供給できる。みんなもそれに気付いたようで。第一日の一番最初に監督した青谷さんは「もう一度撮りなおしたい、撮りなおしたい」と言い出した。
 みんなで創るとはこういうこと。
 映画は、モノ創りの勉強になるとは、こういうことなんです。ひとりの作業ではわからないものが、こうなるともっと違う方法ないか、違う視点ないか、これとこれのどっちを選ぼう・・・と、より高い次元のものが生まれる。
 そういう経験は、きっとひとりでの創作活動にも生きるはずです。

 残念なことに、今回の映画の監督希望者のほとんどが、小説コースの受講者だったこと。映画の作り方はいい勉強になりますが、どちらかというと、これはマンガの勉強にこそふさわしい。マンガコースの塾生たちは、先月法山先生の授業で、モノを描く目線や角度、被写体にもたせる意味、というのを受講したはず。映画はそれをさらに体感できる実践の場です。マンガのコマにどうキャラクターを入れ込むのかについて、編集さんは「カメラワーク」という言い方をします。
 「クローズアップ」「バストショット」「ツーショット」「ロング」「アオリ」「俯瞰」「モブシーン」・・・映画の用語です。キャラクターを造形し、動かし、演技させてカッコよく、迫力ある、かわいく、恐ろしく、大きく、小さく・・・見せるのかも、映画とマンガの表現法として同じ。それもそのはず、近代マンガの始祖、手塚治虫先生は、マンガの構成・表現法は映画からもってきたんですから。

 ちょっと覗くつもりが、気がついたら夜10時の撮影終了まで塾生たちに、あれやこれやとアドバイスしていました。

 撮影は来週もあるらしいし、編集作業もこれから。
 上映会の日時を決めて、逆算したスケジュールを組まないと、きっといつまでも完成しないよ・・・



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2009年04月11日

大滝社長と呑む

 中山市朗です。

 昨晩、久しぶりにウチの塾関連の運営・管理をやってくれている大滝哲雄社長と呑みに行ったんです。
 この社長とは知り合ってから、もう25年ほど経つんですな。
 露の五郎兵衛師匠の追悼ブログで書いたように、元々露の五郎事務所の社長やった。
 25年前・・・。そこのマネージャーをやっていたIくんというのが居ていまして、ある映画の現場で私が助監督をやっていたとき、スタッフが泊まっているホテルのロビーで声をかけられたんです。
 「おう、中山やないか」
 覚えがない。
 「えっと・・・?」
 「僕や、Iや。同じ大学の同窓やん。まっ、3日ほど通って辞めたから知らんやろうけどな。そやけど僕はキミのこと覚えてるで」
 私はまったく覚えていない・・・3日て。
 で、「この映画に出てくる女優のマネージャーやってんねん」言うて名刺をくれたのが、「露の五郎事務所」。ところがIくんとは、それっきり会わなかったんです。ほんま千載一偶やったんですな。
 後、ビデオによる「上方落語大全集」というのを実現したくて(というより私が欲しかった)、あちこち営業しようとしたんですが、落語界に知り合いがいない。で、「露の五郎事務所」を思い出して電話してみたんです。そしたらIくん辞めてた。
 Iくんの転職先を見つけて会いに行ったら、「ほんなら社長の大滝を紹介したるわ」とその場で電話してくれて、会う日時を決めてくれた。
 そしたらその前日、私、交通事故に遭いまして・・・。
 某劇団公演のビデオ撮りの帰り、私は友人の運転するワゴン車の助手席の中。ワゴン車は側面から車に突っ込まれて2回転半して、ガードレールを突き破ったらしい。
 救急病院に搬送されて、全治1週間との診断。
 冗談やない。
 明日、「露の五郎事務所」の社長と会わなあかん。
 「上方落語大全集」をやらねばならんのや!
 で、翌日、病院を抜け出して、時間通り社長に面会して、企画の話をしたんです。
 帰る段になると、「一杯行きませんか」と誘われたんですが、「すみません、実は今日、病院から脱走してきてますので、もう帰らんとあきませんねん」
 「病院?」
 「実は昨日、交通事故に遭って、全治1週間やて。わやですわ」
 「ええっ!」
 以後、社長は「わし、中山さんと初めて会うたとき、前の日交通事故に遭うた言うて、全身包帯だらけで会いに来たんでっせ。そら、まるでミイラ男みたいで」
 なわけないやん!
 そこから飲み友達みたいになつて。当時はキッチュとか、五郎師匠のお弟子さんとか預かってはりました。中島らもさんとも親しくて、らもさんのマネージメントもしてはりましたわ。このときは「大滝エージェンシー」と名を変えてましたけど。
 で、『新耳袋』を出版した途端に、「事務所に遊びに来まへんか」と言われて、いつの間にやら専属の放送作家になっていた・・・。
 若い人を育てる、ということは考えてみたらその頃からやっていたんですな。
 関西テレビで『爆笑GONG SHOW』『爆笑BOOING』という番組を企画・運営が大滝エージェンシー、私の番組構成で、当時無名だった若手芸人を、3分間の本芸をやらせて、面白くなかったらお客に挙手させ、3分以内に10人の手が挙がったら即退場という・・・。似たような番組が今ありますが、これはうちの発想、オリジナルです。
 おそらくこの番組がデビューのはずなのが、雨上がり決死隊。オーディションを受けるように要請したら吉本興業から「うち、そんな芸人いましたっけ?」と言われた。千原兄弟、中川家、ますだおかだ、TKO、ジャリズム、メッセンジャー、LaLaLa(たむらけんじ)、松口VS小林(ケンドーコバヤシと現ハリガネロックのユウキロック)、スミス夫人(なだぎ武)、神無月、アンジャッシュ、海砂利水魚(現くりぃむしちゅー)などなど、今思うと草々たるメンバーがこの番組から出て行きました。みんなこの頃は無名でした・・・。

 さて、そんな社長と、今は若手クリエイターを育てようと、自腹を切りながら塾をやっているわけです。そして呑みながら大阪を憂いたわけです。
 大阪・・・。なんでしょうなあ。  
 大好きなんです大阪。食い物は旨いし、安いし、人情あるし、ノリがおもろいし、何より文楽、落語、新国劇、新派、漫才、新喜劇を生んだ街です。関西と広げると、映画をビジネスにしたり、浅草オペラより早く宝塚少女歌劇を発祥させたのも、こちら。東京違う。手塚治虫、さいとうたかを、水島新司、辰巳ヨシヒロといった大物マンガ家なんかも大阪の貸し本マンガからデビューしたんでっせ。
 しかし、今の大阪文化の現状は・・・。
 私なんかは、大滝に所属しようにも基本はフリーなわけですから、色んな企画を持って色んな人と会うわけです。しかし、会う人、会う人、保身。
 「これ、誰々に話通してます?」「これ、誰々さんにお伺いしとかんことには」「うちと取引するんやったら、あそことの取引はやめてもらえまへんか」・・・。
 お伺い、責任転換、うちがうちが・・・。政治力、目先の金、保身。
 黒澤明監督の『生きる』の冒頭にありますな。町のおかみさん連中が、「臭い水溜りをなんとかしてくれないか」と市役所の市民課の窓口にやってくる場面が。
 そしたら窓口の係りの人から「土木課」と言われて土木課の窓口に行くと「それは保健所の仕事になっておりまして・・・」、地区保健課に行くと「それは衛生課のほうへ」。「環境衛生係へどうぞ」、「予防課」「防疫課」「虫疫課」「下水課」「道路課」「都市計画課」「区画整理課」「地区消防署」とたらい回しにされて、また市役所の「教育課」に行けと言われて、そこで市会議員を紹介されて、市会議員から助役を紹介され、助役は「この方たちを市民課へご案内して」・・・。で、再び市民課窓口に行くと、「そのお話でしたら土木課へ」
 そら、おかみさんたちキレますわ。
 「あんたたち、やる気あんのか」って。
 同じです。ほんま。

 企画内容とかは関係ない。企画書に目を通す前にまず「誰々さんに・・・」
 これはやらんといかんやろ、こえrはやるべきだ、というこちらの抑えられない熱い気持ちと、企業や組織に属しているおじさんたちとは、あまりに温度差がある。サラリーマン根性、というとサラリーマンの方に怒られますが、やっぱりそれは感じるわけです。「私の立場が」「とりあえずお伺いを」「私は知らなかったということで」「それ、誰の責任違いますから」「誰々さんを通さんことには」
 そんな閉鎖的なことを言うてるうちに、大阪ダメになっちゃいました。ほんま、自分が自分が、という気持ちが大阪を・・・。

 例えば、ですよ。道頓堀から劇場が消えたなんてあかんやろ。昔は道頓堀言うたら芝居小屋があって、それを中心に賑わってたんです。道頓堀五座、言うて江戸時代中期から昭和40年代までは、浪速座、中座、角座、朝日座、弁天座があって、歌舞伎、文楽から演芸場や松竹新喜劇の本拠地、映画館に変わりながらも残ってた。
 芝居や演芸を観たお客さんが、メシを食って帰ろう、酒飲んで行くか、と飲食店に入る。そこには役者や芸人、作家や演出家も出入りしている。新聞記者や雑誌記者が張り付いて、テレビの中継もあって、東京からゲストが来る。それが大阪のミナミやったんです。
 今、ただの飲食街ですわ。五座、ひとつも残っとらん。
 そんなんメシ食うだけのことで、道頓堀に行きまっか? そら、「くいだおれ」もつぶれますわ。大きな角座なんていう大衆演芸場をもっていた松竹芸能なんて、あれだけ芸人を抱えながらも角座を手放した。儲かるか、儲からんかの判断で。
 天下の松竹芸能。一時、道頓堀五座は、5つとも松竹芸能の経営下にあったんでっせ。
 それが劇場を全部潰した、という罪は大きいと、これは私個人の意見です。
 儲けるために劇場を商業ビルにする、という発想は不動産屋の発想です。
 不動産業者なんて日本に何十万と存在しているでしょうが、大阪の文化を担う責務にある業者はそれこそ一握り。その一握りの権利を放棄して、儲け主義に走るこの行為は・・・。
 大阪文化への、大阪人への背信行為です。いや、日本文化の・・・。

 今、テレビ局が大赤字で、大阪の制作会社が潰れているらしい。テレビ局員もサラリーマンでした。番組企画を持っていくと「スポンサーを1社見つけてもらえませんか。ほんなら企画なんとかなると思いますわ」と言われた。スポンサー見つけるの、あんたらの仕事やろ! そう言いたかったです。まさに大名商売。そしたら不景気でスポンサー集まらんて。営業してないから、そのノウハウがあるわけない。そら、大赤字になりますわ。

 こういうのはほんの一例。このような拝金主義や保身者が今、いっぱいいる。それが結局、己の本当の財産を食い潰し、従業員をリストラし、将来を失う結果を招き、そのあおりを周囲が食らう・・・。お伺い、責任転換、うちがうちが、目の前の金、そして志(こころざし)なし。自分の立場さえ守れて、給料が減らないようにしなければいい・・・。

 まさにこれ『七人の侍』の勘兵衛の言う、離れの三軒を守っているうちに、部落が全滅する、という状態ですわ。残った三軒の人たちだけで、どんな経済が生まれます?
 これが今の大阪のような気がします。
 大阪商人って、そらお金儲けを大事にしたけど、そういうもんやないやろ。
 大阪八百八橋といって、ほんまは200ほどあった橋のうち、天神橋、天満橋、浪速橋、日本橋、京橋など12の橋が幕府の管理する橋で、あとは大阪商人が作ったんです。もちろん文楽や歌舞伎、演芸といった文化も大阪の町人たちによって作られ、育まれてきたんです。それが今・・・。
 橋下府知事も、ここに力を入れて欲しいんですけど。

 大滝社長と呑みながら話したのは、やっぱり大阪の大儀のために、立ち上がっている人はいないでもないけど、やっぱりテリトリーの奪い合い、潰しあいが多く、まとまっとらんよなあと。お偉い方々が集まったと思うと、国から金をひっぱることばかり考えているよなあ、と。あちこちにそんな法人や団体はあるけど、ちっとも手を握りあって、一致協力しましょう、とは言わんよなあと。「あそこはウチとは違うんや」「あそこは誰々を抑えてないからわかってない」「あそこは誰々がやっているから反対しているのが多いんや」・・・そんなことばっかり。

 でも、そういうことを言っている人たちを口説いてまわるのは面白いよなあ、と。
 私は、今は穏やかですが、20年ほど前はよく業界人にケンカを挑んでました。「こんなことも理解できんと、あんたはそれでもプロデューサーですか!」って。おかげで大滝の仕事が減ったらしい。ははは。
 若いって、怖い・・・
 でも、我々はそんなにお金もないアウトローやけど、その分身軽で、好きなことやっている充実感あるよなあと。権力もっている人に噛み付くのは、なんかワクワクしますなあと。作家の醍醐味は、この反逆精神かもしれません。
 そして、若い人を育てるというのは大変で、お金にはならないけど、なんか将来楽しみで、やっぱりワクワクしますねえと。
 社長と2人、そんな本音を話し合ったんです。
 ワクワクしているのはホンマです。何かが生まれる土壌には、若い才能と、夢を語り合う場所が必要なんです。だからそういう場を作るのは我々大人の義務ですよ。
 
 ちなみに大滝社長の運営する我が塾と、直結している大滝エージェンシーは、現在吉本興業の協力のもと、「キタイ花ん」という若手芸人育成のためのライブを主催しているんです。まあ言うたら、baseよしもとを目指す、プロ野球で言うたら三軍にいるような若手を育てるライブです。そら大変やわ。ライブいうても看板おらんし。
 しかし、ここから藤崎マーケット、スマイル、天竺鼠、ヒカリゴケなんかが育っていっています。彼らのキャラクターグッズは、我が作劇塾の塾生が作成し、会場で売っているのは塾生たちです。
 これも作劇塾ならではの実践のひとつです。

 さあ、我が塾からも、将来のスターは出るのでしょうか?


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2009年04月09日

4/8の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 8日(水)の作劇ゼミの報告です。

 ここのところ、うちの塾生が山田誠二監督の映画の撮影現場に、お手伝いに行っています。以前にもこのブログに書きましたように、商業用の映画を自分たちで創ってみたい、という塾生たちに、その難しさと楽しさを山田さんは現場で鍛えながら教えてくださっています。
 いきなり商業映画なんてできるわけがありませんが、ともかく映画を撮ったことのないほとんどの塾生のために、1分映画というのを創ってみよう、と塾生たちが自主的に企画したところ、監修を引き受けてくださった山田さんも「なら僕も作ってみようか」と思ったところ、某出版社から「それ、うちの書籍のDVD付録の映像にしてみませんか」という話になって、山田監督の1分映画シリーズは商業映画になったといいます。
 「そのキッカケを作ってくれたのは塾生さんなんです」と山田監督。
 現場でがんばってくれた塾生には賛辞をくださり、ダメなのはこうダメという屈託のない報告を受けています。

 現場にお邪魔した塾生は6人。
 シナリオ&映画監督志望が2人、小説家志望が3人、落語作家志望が1人、という布陣。「作家志望が映画?」と思われる人もおられるかもしれませんが、映画のストーリーの構築、キャラクター造形、動き、語り口、あるいは作品に仕上げるスタンスや方法論などは非常に勉強になります。また、プロの映画の現場で働けるなんて、普通はありえませんわな。そういうありえない体験をしておくことも大きな自信と武器になります。特にこの6人はアグレッシブな奴らです。
 ちょっと心配なのは、映画の作り方が直接作品に生きるはずのマンガ家志望者からの参加がなかったこと。ちょっとキミら、余裕がないという顔してへんか?
 ともかく、プロの現場を体験した上で、塾生たちも1分映画を撮るわけです。

 まず今回の授業の冒頭では、そういう現場での体験が何を生み出すのか、という話から始めました。新しく入ってきた塾生もいるので「ここは、小説家になりたいから小説のテクニックを。マンガ家になりたいからマンガのテクニックを。だけのところじゃない」と言いたかったわけです。テクニックは大事ですけど、要はその作家自身がどれだけおもろいことを知っているのか、豊かな感性や人間性をもっているかが問われる世界です。それをいろんなことから学んでほしい。
 でも、現場に入ってもボーッとしている奴もいる。
 そこで、現場にはどういう態度で臨むべきか、どういうところを見るのか、何が大切かということを提示したわけです。山田さんから、これは言っておいてほしい、という注文もありましたしね。
 それに、山田監督から絶大な信頼を得た2人の塾生には、今後の撮影現場にはぜひスタッフとして迎えたいと言ってくださいました。山田さんのブログによれば、低予算ながらハリウッドからオファーが来たと言いますから、え、ひょっとして2人はスタッフとしてハリウッドデビュー?

 それから、携帯コンテンツの企画の話が塾にきているんです。
 仕事をしながら塾に通っているれっきとした社会人の塾生もいますが、アルバイトやプータローみたいな塾生も当然います。この不景気の中、バイトをクビになったり、バイト先が潰れたりして「今、バイト探しています」とすぐ塾生たちは言うんですけど、「いや、待たんかい」と。「頭の中にあるおもろいストーリーやキャラクターや世界観、あるいは絵を描くテクニックを、どうしてお金にしようとしないの?」と私は言うんです。
 特に今回の携帯コンテンツの話は、大チャンス!
 企画が通って実際に配信されたら、バイトなんかよりよっぽど収入はいいし、楽やし、それにクリエイターとしての実績になる。これも塾ならではのチャンス! 飛びつかない手はない!
 ということで、企画書にはしなくていいから、ザックリと携帯電話を使ったおもろい遊びを考えてくれ、と要請しました。さっそく後になって、何人かの塾生が詳しいことを聞かせて下さいときましたけど。

 そう、携帯といえば、塾生青谷圭の小説が「夢小説」というサイトで配信されていますが、それが同サイトで人気1位となって、今度は長編小説を依頼されたそうです。今は、携帯小説、携帯マンガから書籍が出る時代です。いや、まだごく一部ですよ。でも今後この需要はますます大きくなって、書籍の世界も近い将来変わるはずです。ですから、やっぱり映像、携帯コンテンツ、ネットのコンテンツといったメディアに対応する能力を身につけておくことは、今後作家として生きていくには絶対に必要なことになります。
 映像に、ハリウッド(?)、携帯コンテンツ、キミらいい環境にいますよ、塾生諸君。
 あとは作品にするのは、キミたちやからね。

 ああっと、あんまりスペースがない。
 この日の講義の本題は、「日本文化と娯楽の考察」でした。
 このテーマについては、おいおいこのブログにて掲載しようと思います。
 ですから、今日の内容についてはそのときに。

 ところで、授業が終わってもいつものことですが、塾生たちはなかなか教室から出ようとしません。なんかみんなテンションが高い。いいことです。
 特にこの日は、先日行なわれた塾生による第一回1分映画撮影で、制作管理の立場にありながら現場に来ず、携帯電話も切っていたというSくんと、他の映画制作メンバーが、色々な話し合いをしていました。2回目の撮影が明日行なわれるわけですが、「Sくん、キミは続けるのか辞めるのか」という身の振り方についての話し合い。要はSくんがちゃんと意思表示をしていれば問題なかったのですが、どうもブレている。後付けの言い訳、楽なほうへ逃げようという態度、誰かのせいにする発言・・・。Sくん、追い込まれています。でも、みんな優しい。「おい、Sくん。一緒にやろうぜ。でないと、このまま辞めたりしたら、キミ後悔するよ。確かに信頼は失墜したけど、やれば信頼は取り戻せるやん。でも辞めちゃったら、どうやって信頼回復するの? なあ、やろうや」という空気が流れているんですな。
 でもSくん、アホなこと言うた。「自分のマンガを描いて信頼回復します」
 えっ、それって自分のことやん。また、マンガ家志望やねんから、描いて当たり前やし・・・。

 これ、昨日の私のブログに書いた枝雀さんの言葉「自分のことばっかり考えるのは、実は自分を滅ぼすんです。人のことを考えることこそ自分を思うことなんです」の自分のことばっかり状態。でも、みんな怒ったり、険悪なムードになったりせず、Sくんからいい返事が聞けるまで粘っている。というか交渉ですな。
 ふと見たら、映画に関わっていない塾生たちもずっと居残って、じっとそれを見守っている(野次馬もいたかな?)。おいおい、T野くん、キミの読んでる本、全然ページめくってないやん。
 まあ、Sくんは一晩考えて返事したらええやんとなった。

 その後、恒例パニクったSくんと、山田監督から「やっぱり14歳」と言われちゃった匿名希望くんを囲んで、私の書斎でまた朝まで一献。6、7人の有志も参加して、Sくん、匿名希望くんとじっくり話し込みました。この日はたまたま男ばっかりになったにも関わらず、スガノくん得意のエロ話もあまり出ず(ちょっと出た?)、有意義な時間になったと思います。まあ、Sくんはもう二度と同じ過ちは起こさないだろうし、匿名希望くんは今度こそ自覚を持ってくれるであろう、ことを期待して。

 ところでワシ、寝るときあらへん・・・



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2009年04月08日

中山市朗の元を訪れた教え子たち

 中山市朗です。

 ちょっと遅まきの報告ですが、5日の日曜日は専門学校時代の教え子たちが花見に誘ってくれて、そこで遅まきの誕生祝をしてくれました。
 集まった教え子たちは、なんとかこの業界で生きている面々。
 嬉しいですな。
 しかし、彼らのほとんどがもう30歳になろうとしているわけです。嫁さんや子供を連れてきているのもいて、そら私も年をとるわ、と感慨深いものもあり・・・。
 いや、ほんま、みんなありがとう。

hanami_01
元教え子たちが用意してくれたバースディケーキ。
30×40センチはありました!


hanami_02
元教え子の子供を抱いているワシ。
レアショットです。




 そして昨日も、専門学校時代の教え子、ライター堤谷くんと、同じくライター(作家?)で塾の総務をやってもらっているスガノくんが、私の書斎を訪ねてきました。
 私が日ごろ言っている、大阪のクリエイター同士がもっと情報交換し、できれば新しいメディアを作りたいという話を、彼らが実現したいというのです。
 そのための企画を考えているので、相談にのってほしいと。

 堤谷くんは、最近東京の出版社にどんどん営業をかけているようなんですが、東京の編集さんに「大阪の人間が大阪について語れないのは駄目だ」と言われて、「あっ、それも武器なんだ」と気付いたらしいんです。「大阪を愛していない、知らないのスタンスでは、東京に来ても成果をあげるのに限界があるよ」とも言われて。
 まあ、何に根っこがあるのか、というスタンスが必要なんですね。
 それと、やっぱり人脈の開拓の必要性もひしひしと感じているみたいで。
 飛び込みで話を聞いてくれるところはあるけれど、やっぱり人の紹介とか繋がりがあれば、向こうも安心してくれるし、そのことが信用にもなる。
 どうしても若い頃は「俺が、俺が」と手柄を自分のものにしたがるんですが、それでは人間が小さく見えてしまうんですけどね。
 それより「私にはこれだけ仲間がいて、一緒に仕事をしています」という言い方が、編集さんの印象も違うんです。それだけの人に信頼されているという証なんですけどね、それって。そこになかなか気がつかないんですな、若いってことは。そういうことがようやく堤谷くんは理解できるようになったと。
 だから普段から私の言っていることの意味もわかってくれたみたいなんですね。

 スガノくんも、2年前に小説を出版して、小説家デビューしたものの、それだけでは食えないということを痛感したようです。それまでは「小説を出せばなんとかなる」と思っていたのが、売れなきゃそうはならないと。だから彼も最近は小説を書きながら、ライターとして懸命に営業しようとしているわけです。ちょっと、アレ? と思うことはありますけど。
 しかし、2人とも書くことによって食っていける身になったからこそ、営業だとか人脈だとか、仲間がいることの心強さが理解できるようになったんです。
 だから真剣に大阪でクリエイターたちが集い、互いの人脈を紹介し合い、プロジェクトを目論める場所が必要だという私の言葉が今、利いてきたんです。しかし・・・。
 ちょっと不安です。
 それを理解してくれるクリエイターの人たちが、果たしてどれだけいるのでしょうか?
 スガノくんは言います。
「僕もそうだったんですが、やっぱり仕事をもらっている人を他の人に紹介するっていうのは不安に思います。仕事をとられるんじゃないかって」
 堤谷くんも言います。
「ビジネスに直結したものでないと、メリットを感じてもらえないかもしれませんね」
 まあ、そうでしょう。
 でも小さい。 
 小さいキャパを守ることより、キャパを大きくするためには攻めなきゃ。攻めるためには作戦も人員も統率する者もいるんです。そこにメリットを感じないというのは、本当に目先しか見えていない。私はそう思うんですけど。で、守りに入っている人に限って「仕事がない、仕事がない」と言うてる。
 日本の旧陸海軍が米国にむざむざ敗れたのも、組織だった作戦が皆無だったから(特に陸軍)です。えっ、比喩がちょっと違う?

 実は私も塾を作った頃、色々な人に会って関西の文化復興のためにこういうことをやりましょう、と営業して周ったんですけど。ほとんどの人は「大阪の文化復興は絶対必要ですよ」と言葉では賛同いただくのですが、いざ動こうとすると「とりあえず中山さんのほうでモデルケースを作っていただいて・・・」とか「そういう場所ができたら呼んでください」というような返事しか返ってこなかったんです。まあ自分の仕事でいっぱいいっぱいなのは分かりますが、でもそれでホンマに大阪を憂い、今の業界を憂い、若者を憂い、日本を憂いているのかなと。そんなことを普段言っているクリエイティブな人たちですよ! でも、イザとなったら動かない。一番しんどいところは私がやりますから、と言うてるんですよ。でも、お手並み拝見みたいな態度で。

 東京の人たちは違ったんです。
 「東京だけというのは確かに駄目です。大阪で活気のある創作集団がいるなり、場所ができるというのなら、応援しますよ」と実際に大阪まで来てくれた人もいる。「それならこういう人を紹介しましょう」とか「こういうことなら私にやらせてください」とか。しかし肝心の大阪のクリエイターたちが動かないんじゃあ、どうしようもない。
 まあ、東京の人たちは余裕があるというか。楽しんでいるというか。
 でもその余裕、みたいなものを私は関西に、大阪に作りたいんです。
 でないと、せっかくの人材がどんどん東京に流出していく。そしてますます東京と大阪の文化格差が・・・
 そんな私の意志を、私の教え子たちが継承したいと言ってきてくれたわけです。
 ほんま嬉しいことです。
 「まあ最初は根気よく根回しすることからやな」と私は言いましたが。
 実際そうですからな。

 ところで、堤谷くんとスガノくんの2人、専門学校ではマンガ家志望で入ってきたんです。あまり2人は優秀じゃなかったんですよ。スガノくんは遊んでばかりいて、堤谷くんはあまり印象がなかったんです。だから彼らに映画を作らせたり、文章を書かせたり、携帯コンテンツの企画にかんでもらったり、京極夏彦さんや宮部みゆきさんたちのいる出版社の会合なんかに連れて行ったりしているうちに、テンションも上がっていき、自分の適材適所を見つけていったわけです。5日の花見に誘ってくれた教え子たちもそう。
 専門学校時代の教え子の9割5分までは消えてしまいましたが、残りの5分の成功組はやっぱりアグレッシブに活動していた連中です。
 私はマンガ家になりたいので、他のことは一切やりません、とか、小説家になるのでライターは考えません、というタイプの子たちは結局作品も上がらなかった。で、やっぱり残っていない・・・
 堤谷くんもスガノくんも、マンガだけ描く環境のままだったら、2人とも確実にこの業界にいないでしょう。
  
 堤谷くん、スガノくんは、私とはまた違う視点から、つまり友達がそうなっていっているのを、身につまされる思いで見てきているわけです。そしてスガノくんは塾に携わってもらって、堤谷くんは今、専門学校で講師をやっていて、また色々なものが見えてきているようなんです。だから私の気持ちも理解できたんでしょう。

 私の大阪からクリエイティブな人材を育てたい、という人材とは、彼らのようなことを言うのかもしれません。
 「俺が俺が」じゃなく、みんなで業界を盛り上げ、活躍の場を開拓していく。そしてその場に送り込む人材の養成をする。これはなかなか困難な道です。今すぐビジネスにならないから、協力者も集まらないでしょうしね。しかし、まだまだ彼らは20代ですから、この考えを頭に置いて今後の創作活動をしてくれると、なにか近い将来、大阪からウェーブが起こるかもしれません。
 もちろん作劇塾がその中心にあって、ですよ。

 私は全力をもって、彼らをサポートします!

 


 これで終わろうとしたのですが、追記。
 
 今、NHKで桂枝雀さんの懐かしいビデオが流れていまして、インタビューに答えてこんなことを言うてはります。
 「誰でもそうなんでしょうが、みんな自分のことを思いすぎるんです。やっぱり自分のことがかわいいですからな。しかし実は自分のことを思うことが自分を滅ぼすことなんです。つまり人を思うことが自分を思うことなんです。このことが、わからなんだんですねぇ」
 そう、それですよ、それ。

 それで思い出しました。
 『七人の侍』で、川向こうの離れ家は守りきれないと判断した侍のリーダー、勘兵衛に対して、川向こうに住む百姓が言うわけです。
 「みんな、やめれ! 自分の家捨てて他人の家守るために、こんなもん(槍)担ぐことはねぇ!」
 そうすると、川向こうの6、7人がおずおずと槍を地面に置くわけです。さらにその百姓は言います。
 「来う。俺たちゃ、俺たちだけで家守るだ」
 そう言って駆け出すと勘兵衛が「待て」と立ちはだかります。
 「この槍を取れ。そして列へ戻れ」
 そして刀を抜くと、この百姓たちを威嚇して言います。
 「離れは三つ。部落の家は二十だ。三軒のために二十軒は危うくできん。また、この部落を踏みにじられて、離れ家の生きる道はない。いいかっ、戦とはそういうものだ。おのれのことばかり考える奴は、おのれをも滅ぼす奴だ。今後、そういう奴は・・・」

 みんな、離れ家だけを守ろうとしていませんか?
 あえて、離れ家に住もうとしていませんか?


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2009年04月02日

中山市朗と作劇塾の生誕記念日

 中山市朗です。

 4月1日(水)は、塾の創立記念&私のバースディということで、授業はお休み。
 塾生のみんなに祝ってもらう吉日でした。
 塾生以外にも、元教え子のライターTくん、マンガ家Yくん、私のファンだというミュージシャン2人とその友人、落語家の桂都んぼさん、それに亥戸碧さんも駆けつけてくだいました。
 この祝賀パーティの模様は、ネトラジにて配信されているようです。
 きっとグダグダ・・・?

 塾は6年目になります。
 うーん、いろいろあったなあ・・・。

 もともとクリエイター系の専門学校の講師をやっていたのですが、教育方針が合わずに辞職したら、20人ほどの学生たちも学校を辞めて私のところへ来たんです。
 そんなん、ほっとくわけにいかない。
 そこで私の書斎で授業をやりだしたのが、そもそものキッカケでした。
 専門学校に通いながら、私のところへ通いたいという学生も出てきて、なんやかんやで30人ほどの面倒を見るハメに。
 ただし、私はマンガ家ではありませんので、マンガ家志望の学生たち向けに、私の教え子でマンガ家デビューしていたYくんに講師をお願いして・・・。
 そしたら学生たちの親御さんたちから面会を求められ、お会いしたら「うちの子を先生にお預けします。だから塾をおやりになるのでしたら、中途半端なことだけはやらないでください」と言われて、こらちゃんと教室借りて、講師も揃えて、デビューできるだけの環境は整えてやらなあかんなあ、と責任を感じ、法人の手続き、運営のためのマニュアル作り、講師の招聘、カリキュラム作りと、慣れないことに手をつけてしまいました。
 特に運営だの経営だの、そもそもそういう世界が嫌だからこの世界に入ったわけですから、何もわかりません。それにマンガ家や作家になるのに年間百数十万もいらんやろう、ということで、なるべく安い授業料に設定して・・・。
 で、教室を借りて有限会社作劇舎として本格的な歩みを始めたのが、5年前の4月1日だったというわけです。でもこのときはねえ、もう死にたくなるほどの物凄い裏切りがあったり、いきなり大赤字が出たり、突然数人の塾生が辞めたり(例の親御さんの娘さん、あれれ?)ほんま15キロほど痩せたんです。また当時はホームページもなく、広報宣伝に使える予算もなく、塾生は減りはしても増えることはありません。
 運営も経営も、全然わかりません。見かねた大滝エージェンシーの大滝社長が「運営、経営は私に預けてもらえませんか」と言ってくれて、ちょっとは身が楽になったんですが、経済的負担は増すばかり・・・。

 それでも塾をやり続けたい、という気持ちは全く萎えることはありませんでした。
 塾生たちと膝を突き合わせて語り合えるのが塾。それぞれのスキル、目指す方向性にあった指導ができるのが塾、あるいは適正を見てあえて他のことをやらせてみるのも塾。卒業はない(だいたい免許制でもなく認可制でもないので。この世界は)ので、クリエイターとして後々ずっとともに関わっていく関係を作る(師弟関係に似てます)、現場実践に重きを置く(専門学校とは、ここで教育方針が決別した)といった方針でもって、大阪でクリエイターを養成するということを、どうしてもやりたかったからです。
 いや、やらねばならぬ!

 大阪が好きですからな。
 大阪は文化発祥の地ですもんね。
 でも今の大阪は駄目。
 立て直すのは若い人材が必要なんです。
 まあ経済復興は、企業のお偉いさん方にまかせるとして、作家と呼ばれる人がもっと大阪に必要ですな。
 経済だけの大都市なんてありえない。
 文化の復興もなくては、真の大阪復興はありえない。
 そのためには、育てた人材が東京に流出しないようにメディアも作らないと。
 そういう思いが、しんどければしんどいほど強くなってきました。
 しかし、そういう思いは、若い人たちには何も伝わらないんですね。

 でも、ようやくここ1年ほどで、私の思いもなんとか形になるのではないかという風が吹きかけてきました。塾生たちに自覚が出てきたことがひとつ(でも、創設当時からの塾生は3人ほどになってしまいましたが)、ようやく周囲の認知度が出てきたこともひとつ、そしてそろそろ作劇塾出身の作家が出てきそうなことがひとつ。デビューではなく、作家、です。そこまでもうひと踏ん張りですけど。
 それに大阪にメディアを作りたいという思いは・・・。これはまだまだ私の力だけでは・・・。

 でもさっき言ったように、絶対いりますよ、これ。
 そうでないと、ますます東京と大阪の格差がひどくなります。
 東京は嫌いじゃないけど、日本文化としてこの現象はまずい。

 ですから、昨日塾生たちが開いてくれたパーティは、感慨深いものがありました。
 名作『アラビアのロレンス』の冒頭にこんなセリフがあります。
 「どんな大きな大河も、最初は小さなせせらぎです」
 この言葉を信じて。

 それから、我が塾は、有栖川有栖創作塾、かわら長介魁塾と連動しているわけですが、6月6日より新しい塾が加わります。
 なんと林家染丸師匠とそのお弟子さん、林家卯三郎さんを講師に迎えた落語塾。
 ここはプロの落語家を養成するということではなく、落語の楽しさ、話術をビジネスや普段の生活に有意義かつ楽しく活用できれば、という趣向でございます。
 この塾も、大阪文化の活性化に繋がることを願い、期待するところです。

 ところで、パーティが終わった私の書斎・・・。
 合戦場の跡みたいです。
 忘れ物が死体のようにあちこちと。
 マフラー、手袋、靴下、エロ雑誌、飲みかけのペットボトル・・・。 
 
 


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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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