2009年07月
2009年07月30日
五週目の水曜日
中山市朗です。
昨日(29日)の水曜日は、第五週目なので塾はナシ。
久しぶりにゆったりと、モーツァルトの「魔笛」を鑑賞し、書きかけの大作の原稿に打ち込もうかな・・・と思っていると、昼から会議という報せ。
教室に行くと、色々あって1時間押しで開始。これからの塾についての話など。
夕方にはラジオ局の方が来られて、以前坂本くんが出していたラジオ番組を気に入って、東京でスポンサー探しをしてみたい、と。
これはちょっと、ないことです。
しかもこの企画は、人と人との縁が取り持っているようで、つくづく人脈の大切さを実感。しかし、まだスポンサーがついたわけではないので、楽観はできませんが。
その後はネトラジ収録。
本当は東阪企画の山本さんに出ていただいたものを配信する予定だったのですが、トラブルにより配信不能に・・・。
休みにも関わらず、数人の塾生が自主的に来てくれて、ゲストの方にも出ていただいて、“クリエイターと学歴”についてのトークを。
夜には、8日の怪談イベントの打ち合わせ。
司会のありっさ血まみれさんや、ストロベリーソングオーケストラの方々と内容の打ち合わせ。
これが妙なノリで面白い。
当日はおもしろ恐いユニークな怪談会となりそうです。
結局終わったら夜の10時30分。
そのままスガノくんたちと飲み会。
これが私の運命なのね・・・
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
昨日(29日)の水曜日は、第五週目なので塾はナシ。
久しぶりにゆったりと、モーツァルトの「魔笛」を鑑賞し、書きかけの大作の原稿に打ち込もうかな・・・と思っていると、昼から会議という報せ。
教室に行くと、色々あって1時間押しで開始。これからの塾についての話など。
夕方にはラジオ局の方が来られて、以前坂本くんが出していたラジオ番組を気に入って、東京でスポンサー探しをしてみたい、と。
これはちょっと、ないことです。
しかもこの企画は、人と人との縁が取り持っているようで、つくづく人脈の大切さを実感。しかし、まだスポンサーがついたわけではないので、楽観はできませんが。
その後はネトラジ収録。
本当は東阪企画の山本さんに出ていただいたものを配信する予定だったのですが、トラブルにより配信不能に・・・。
休みにも関わらず、数人の塾生が自主的に来てくれて、ゲストの方にも出ていただいて、“クリエイターと学歴”についてのトークを。
夜には、8日の怪談イベントの打ち合わせ。
司会のありっさ血まみれさんや、ストロベリーソングオーケストラの方々と内容の打ち合わせ。
これが妙なノリで面白い。
当日はおもしろ恐いユニークな怪談会となりそうです。
結局終わったら夜の10時30分。
そのままスガノくんたちと飲み会。
これが私の運命なのね・・・
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 13:17|Permalink│Comments(3)│
2009年07月29日
関西陣
中山市朗です。
関西のクリエイターを集結し、まずは結束を!
という思いで、「関西陣」の第二回目の交流会を先日行ないました。
ちょっとご心配なのが、今回欠席された作家・SF研究家の石田一さん。
ご病気をされているようです。
脚本家の林千代さん、モデルの劉さん、イラストレーターの生駒さん、編集者の堀田さんも欠席。
代わりに前回欠席されていたエンタイトル出版の打越編集長、初参加のグラフィックデザイナーの松本アキムさん、妖怪研究家でライター兼デザイナーの亀井澄夫さん、6月23日のブログで紹介した大阪ロケーションサービスのチーフ・コーディネーター大野さんが参加してくださいました。
皆さん、この業界でプロとしてやっている人たち。
ただ、その職種や経歴、実績、その考え方や理念、方法論はそれぞれ違います。
言えることは、皆さん熱い。
特に大野さんは若いながらも、大阪をなんとかするには、という熱い理念を語り、デザイナーの中田さんは、やや冷めた視点でツッコミ。大いに結構なことです。
自己犠牲はある程度必要だ、という意見と、それは偽善だ、自分のためにやっているという人でないと信用できない、とか。
まあ、今はお互いにどんな仕事、実績を積んできているのかを知る必要があるのかな、とも思いました。
やっぱり東京で仕事をしたことのある人は、東京と大阪をどうしても比べてしまいますし、東京で仕事をしたことがない人は、比べる必要ないやん、となります。
東京と大阪というと、こんな話をある役者さんから聞いたことがあります。
大阪で活躍している役者Aさんが、あるCMのオーディションを大阪で受けた。このときに提示されたギャラの話を、東京で活躍する同じキャリアをもつ役者Bさんに話したら、「エッ?」という顔をされたんですって。
実はBさん、同じCMのオーディションを東京で受けていて、提示されたギャラは、2ケタ違った・・・。これ、ホンマの話です。
もうずいぶん昔の話ですが、私が作家になりたての頃、大阪の周りのライターたちは原稿料一枚何千円とか、企画が通ったら何万円、という話をしている。私もそんなものかなあと思っていたら、東京のメンバーと仕事をしていると、同じ年齢のクリエイターたちが、何百万円、というグロスの仕事の話をしていました。なるほど、2ケタ違う。
大阪は、ライターはライター、放送作家は放送作家、デザイナーはデザイナー同士は繋がっていても、異業種の交流がない。グロスの話をしていた東京のライターさんは、映像メーカーや知名度のあるタレントさん、マンガ家さんたちと繋がって、だからグロスの仕事が受けられた。あるいは、それが仕事だという認識。
大阪には、これがない。
これは私の体験。
ある大阪の映像製作会社の人たちと話をしていて、私に「出演をしていただきたいのですが・・・」と、その人は遠慮がちに言ってくるわけです。
「喜んで協力させていただきますよ」と言うと「でも、東京からわざわざ来ていただくというのも・・・」と。「いや、私、大阪ですけど」と返答したら、「えっ、そうなんですか!」
作家が大阪にいるというイメージが、この人にはなかったのでしょうか?
妙な話のようですが、ちょっとそんな空気を何度か感じたことがあります。
まあ、当時とは経済の状況も違うし、多少いろいろなものが変わってきているとは思いますが、やっぱりスポンサーだのメディアだのは、東京と大阪の状況はだいぶ違うのは確かなことです。大阪、という偏見も残念ながらある。
ただ、それだけ力量は問われるわけで、東京に行ってどうにもならなくて田舎に帰ったクリエイター志望も、私は何百人と知っています。大阪で少々仕事ができるクリエイターくらいでは、東京では通用しません。
だから、ある意味そういう東京の状況やウマみ、そして厳しさ、シビアな関係も知っておく必要はあるし、だからといって大阪を東京化するのではなく、大阪でしかできない、あるいは大阪から発信できることを考えるべきなんだと、私は思っているわけです。
何度もこのブログに書いたように、もともと色々な日本の文化はこの大阪から発祥したんです。ロンドンがシェイクスピアが活躍して名を上げたことをウリにしている都市なら、大阪は近松門左衛門や井原西鶴が活躍した街です。ウィーンが音楽の都なら、大阪は「お笑い」の街。ウィーンには国立歌劇場があって、観光客の憧れとなっていますが、ワッハ上方はもうすぐ廃止。えらい違いや。
大阪の人間も、こうなるまでちょっと自覚がなかったのもあるでしょうねえ。
そんな話も「関西陣」の交流会でも話題に。
大阪は他の土地と違って土壌があるんです。文化の歴史があるんです。
私の思う理念は、その大阪という土地があっての思いなのです。
その理念の成就は、一夕一朝ではとてもできないこと・・・
それは、あることを念頭に置いた、メディアが欲しい。
そのメディアさえあれば、大阪のクリエイターたちは持ち前のユニークな世界観や作風で、色々な作品を生み出すのではないかと思います。東京にいる関西出身のクリエイターたちも大阪で仕事ができて、東京のクリエイターたちも大阪に仕事をしにやってくる・・・。それがそもそも大阪という都市だったはずです。
私にあるのは、その思い一点です。
それには、石田さんや打越さんのように、出版のノウハウをもった人が必要ですし、大野さんのようなクリエイターと行政を繋ぐコーディネーターも必要です。まだまだもっと人材が必要です。プロデューサー的志向をもった人とか、メーカーの考えを知っている人とか、広告代理店にいた経験があるとか、海外のメディアに精通している人とか。
ともかく、今は人集め。
と同時に、関西のクリエイターがもっと活躍できる状況を作るためには、やらねばならないことは山ほどあるし、いろいろな人の力や思いが集結されねばならない。
問題は、それをやる意味はわかるが、それが今すぐお金になるのか、今やっている仕事のプラスになるのか、と問われれば難しいとしか言えません。
それは各々で広げてもらえれば、と思います。
利がほしい人も、理を追求したい人も、まずはこの「関西陣」から、となればいいのですが。
でもまだまだ交流会も2回目を終えたばかり。
形になるまでは、もう少し時間が必要なようです。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
関西のクリエイターを集結し、まずは結束を!
という思いで、「関西陣」の第二回目の交流会を先日行ないました。
ちょっとご心配なのが、今回欠席された作家・SF研究家の石田一さん。
ご病気をされているようです。
脚本家の林千代さん、モデルの劉さん、イラストレーターの生駒さん、編集者の堀田さんも欠席。
代わりに前回欠席されていたエンタイトル出版の打越編集長、初参加のグラフィックデザイナーの松本アキムさん、妖怪研究家でライター兼デザイナーの亀井澄夫さん、6月23日のブログで紹介した大阪ロケーションサービスのチーフ・コーディネーター大野さんが参加してくださいました。
皆さん、この業界でプロとしてやっている人たち。
ただ、その職種や経歴、実績、その考え方や理念、方法論はそれぞれ違います。
言えることは、皆さん熱い。
特に大野さんは若いながらも、大阪をなんとかするには、という熱い理念を語り、デザイナーの中田さんは、やや冷めた視点でツッコミ。大いに結構なことです。
自己犠牲はある程度必要だ、という意見と、それは偽善だ、自分のためにやっているという人でないと信用できない、とか。
まあ、今はお互いにどんな仕事、実績を積んできているのかを知る必要があるのかな、とも思いました。
やっぱり東京で仕事をしたことのある人は、東京と大阪をどうしても比べてしまいますし、東京で仕事をしたことがない人は、比べる必要ないやん、となります。
東京と大阪というと、こんな話をある役者さんから聞いたことがあります。
大阪で活躍している役者Aさんが、あるCMのオーディションを大阪で受けた。このときに提示されたギャラの話を、東京で活躍する同じキャリアをもつ役者Bさんに話したら、「エッ?」という顔をされたんですって。
実はBさん、同じCMのオーディションを東京で受けていて、提示されたギャラは、2ケタ違った・・・。これ、ホンマの話です。
もうずいぶん昔の話ですが、私が作家になりたての頃、大阪の周りのライターたちは原稿料一枚何千円とか、企画が通ったら何万円、という話をしている。私もそんなものかなあと思っていたら、東京のメンバーと仕事をしていると、同じ年齢のクリエイターたちが、何百万円、というグロスの仕事の話をしていました。なるほど、2ケタ違う。
大阪は、ライターはライター、放送作家は放送作家、デザイナーはデザイナー同士は繋がっていても、異業種の交流がない。グロスの話をしていた東京のライターさんは、映像メーカーや知名度のあるタレントさん、マンガ家さんたちと繋がって、だからグロスの仕事が受けられた。あるいは、それが仕事だという認識。
大阪には、これがない。
これは私の体験。
ある大阪の映像製作会社の人たちと話をしていて、私に「出演をしていただきたいのですが・・・」と、その人は遠慮がちに言ってくるわけです。
「喜んで協力させていただきますよ」と言うと「でも、東京からわざわざ来ていただくというのも・・・」と。「いや、私、大阪ですけど」と返答したら、「えっ、そうなんですか!」
作家が大阪にいるというイメージが、この人にはなかったのでしょうか?
妙な話のようですが、ちょっとそんな空気を何度か感じたことがあります。
まあ、当時とは経済の状況も違うし、多少いろいろなものが変わってきているとは思いますが、やっぱりスポンサーだのメディアだのは、東京と大阪の状況はだいぶ違うのは確かなことです。大阪、という偏見も残念ながらある。
ただ、それだけ力量は問われるわけで、東京に行ってどうにもならなくて田舎に帰ったクリエイター志望も、私は何百人と知っています。大阪で少々仕事ができるクリエイターくらいでは、東京では通用しません。
だから、ある意味そういう東京の状況やウマみ、そして厳しさ、シビアな関係も知っておく必要はあるし、だからといって大阪を東京化するのではなく、大阪でしかできない、あるいは大阪から発信できることを考えるべきなんだと、私は思っているわけです。
何度もこのブログに書いたように、もともと色々な日本の文化はこの大阪から発祥したんです。ロンドンがシェイクスピアが活躍して名を上げたことをウリにしている都市なら、大阪は近松門左衛門や井原西鶴が活躍した街です。ウィーンが音楽の都なら、大阪は「お笑い」の街。ウィーンには国立歌劇場があって、観光客の憧れとなっていますが、ワッハ上方はもうすぐ廃止。えらい違いや。
大阪の人間も、こうなるまでちょっと自覚がなかったのもあるでしょうねえ。
そんな話も「関西陣」の交流会でも話題に。
大阪は他の土地と違って土壌があるんです。文化の歴史があるんです。
私の思う理念は、その大阪という土地があっての思いなのです。
その理念の成就は、一夕一朝ではとてもできないこと・・・
それは、あることを念頭に置いた、メディアが欲しい。
そのメディアさえあれば、大阪のクリエイターたちは持ち前のユニークな世界観や作風で、色々な作品を生み出すのではないかと思います。東京にいる関西出身のクリエイターたちも大阪で仕事ができて、東京のクリエイターたちも大阪に仕事をしにやってくる・・・。それがそもそも大阪という都市だったはずです。
私にあるのは、その思い一点です。
それには、石田さんや打越さんのように、出版のノウハウをもった人が必要ですし、大野さんのようなクリエイターと行政を繋ぐコーディネーターも必要です。まだまだもっと人材が必要です。プロデューサー的志向をもった人とか、メーカーの考えを知っている人とか、広告代理店にいた経験があるとか、海外のメディアに精通している人とか。
ともかく、今は人集め。
と同時に、関西のクリエイターがもっと活躍できる状況を作るためには、やらねばならないことは山ほどあるし、いろいろな人の力や思いが集結されねばならない。
問題は、それをやる意味はわかるが、それが今すぐお金になるのか、今やっている仕事のプラスになるのか、と問われれば難しいとしか言えません。
それは各々で広げてもらえれば、と思います。
利がほしい人も、理を追求したい人も、まずはこの「関西陣」から、となればいいのですが。
でもまだまだ交流会も2回目を終えたばかり。
形になるまでは、もう少し時間が必要なようです。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 21:19|Permalink│Comments(1)│
2009年07月27日
中山市朗、最恐心霊ビデオを紹介する
中山市朗です。
今月の8日付けのブログで、フジテレビ『ベストハウス123』の心霊ビデオベスト3のコメント収録をした、と報告いたしました。
が、先日、一部撮りなおしがありました。
「1本すごいのがあった」と書きました例の細い女が、玄関口に立っていたというビデオの許可が得られなかったらしいんです。というか、持ち主がわからなかったらしい。この動画が使えないとなると、心霊ビデオベスト3というには弱い。
ということで、実は前回、私の薦める最恐ビデオの存在を、スタッフに知らせておいたんです。私が今まで見た心霊動画のベスト1!
そう、あれです。
数年前、松竹芸能の若手芸人たちが、関西にある某廃墟ホテルに肝試しに赴き、罰ゲームを受けたフロントページ(今は解散)のMくんが、ひとりでホテル内を探索しているときに、その背後に映り込んだ奇妙な女の顔!
お盆の真夜中、真っ暗闇の中に女?
あれがヒトだとしたら、2メートルはある巨大女?
しかも、ヌッとMくんを見下ろしている。
顔半分が、つぶれている?
そして瞬きをひとつ。
私はあの瞬間、ゾゾッと総毛立ちましたで、ホンマ。
その間、1秒もないでしょうが、確実に何かがいる!
このビデオを送ってくれたのが、北野誠氏。
「すごいビデオ送るわ。幽霊とはこれか! というモノが映ってるで。で、あれは幽霊やない、言うヒトがおったら説明してもらいたいわ。ほな、あれはなんやねん、と」
彼がそう言い切ったビデオ。
しかも、これを見ると必ず1週間以内に霊を見るか、事故にあう、というオマケ付き。現にこれを一緒に見たウチの塾生たち、1週間以内に次々と幽霊を見たという・・・。
その動画のことを話していたら、『ベストハウス』のスタッフが、松竹芸能にかけ合って、許可を得たらしいのです。それで、その解説を収録することになったのですが・・・。
その後、この女についての情報がいろいろありました。
この女の霊、4月27日のブログで(誠さんをイメージさせる)現在芸能生活謹慎中のMさんという人に憑いたらしい、と書きました。
本人からの電話で発覚したわけです。
しかも、それを指摘した霊能者によると、いったん私のところにいたらしい?
このブログ、実は結構いろいろな反応がありまして、このままだとMさんが危ないからお祓いをしてあげる、とか、実はあれは女ではなく男だとか、中山さん自身に不幸が訪れるから、それを防ぐ方法を享受しましょう、とか。
ところが、先日発売されたキングレコード『新耳袋・殴り込み2』にて、その女が例の廃墟で、フロントページのMくんとほぼ同じ状態、状況で、ビデオに撮れたらしいんです。となると、Mさんに憑いたというモノは? 霊能者の言うことって?
ともかく、あの廃ホテルに、あの女は現れた・・・
『新耳袋・殴り込み2』のDVDジャケットに、その映像が少しあります!
豊島圭介監督の後ろ!
(画像をクリックすると拡大します)
なんなんでしょうね、あの女は?
8月22日「新耳袋殴り込み・イン・大阪」で、その2本のビデオを見比べながら、いろいろと考察してみるつもりです。
それだけではない!
大阪南部にあるI山トンネルでも、奇怪なモノが映り込んだとか。
どちらも私が同行していない場所。
やっぱり私は、ゴーストバスター?
そしたら「いや、中山さんが同行された岐阜のホテル。中山さんが以前、ここで妙な光を見たと言っていましたが、それもその場所で映っています」と山口プロデューサー。
このDVD、いろいろ話題になりそうです。
22日には販売もすると思いますので、ぜひご購入を!
ちなみに岐阜のホテルに関しては、『新耳袋・第七夜』および『幽』3号の「やじきた怪談旅日記」、女の顔が映り込む廃墟ホテルに関しては『幽』4号の「やじきた」をお読みください。22日に、また詳しく報告いたしますけど・・・。
そうそう、同じキングレコードの山口さんや洋泉社の田野辺さんやギンティ小林さんが以前、同じホテルで撮ったという顔が溶ける(?)ビデオも関西初公開となるかも!
8月22日のイベントについてはこちら。
あれ?
あっ、あなたの後ろ!
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
今月の8日付けのブログで、フジテレビ『ベストハウス123』の心霊ビデオベスト3のコメント収録をした、と報告いたしました。
が、先日、一部撮りなおしがありました。
「1本すごいのがあった」と書きました例の細い女が、玄関口に立っていたというビデオの許可が得られなかったらしいんです。というか、持ち主がわからなかったらしい。この動画が使えないとなると、心霊ビデオベスト3というには弱い。
ということで、実は前回、私の薦める最恐ビデオの存在を、スタッフに知らせておいたんです。私が今まで見た心霊動画のベスト1!
そう、あれです。
数年前、松竹芸能の若手芸人たちが、関西にある某廃墟ホテルに肝試しに赴き、罰ゲームを受けたフロントページ(今は解散)のMくんが、ひとりでホテル内を探索しているときに、その背後に映り込んだ奇妙な女の顔!
お盆の真夜中、真っ暗闇の中に女?
あれがヒトだとしたら、2メートルはある巨大女?
しかも、ヌッとMくんを見下ろしている。
顔半分が、つぶれている?
そして瞬きをひとつ。
私はあの瞬間、ゾゾッと総毛立ちましたで、ホンマ。
その間、1秒もないでしょうが、確実に何かがいる!
このビデオを送ってくれたのが、北野誠氏。
「すごいビデオ送るわ。幽霊とはこれか! というモノが映ってるで。で、あれは幽霊やない、言うヒトがおったら説明してもらいたいわ。ほな、あれはなんやねん、と」
彼がそう言い切ったビデオ。
しかも、これを見ると必ず1週間以内に霊を見るか、事故にあう、というオマケ付き。現にこれを一緒に見たウチの塾生たち、1週間以内に次々と幽霊を見たという・・・。
その動画のことを話していたら、『ベストハウス』のスタッフが、松竹芸能にかけ合って、許可を得たらしいのです。それで、その解説を収録することになったのですが・・・。
その後、この女についての情報がいろいろありました。
この女の霊、4月27日のブログで(誠さんをイメージさせる)現在芸能生活謹慎中のMさんという人に憑いたらしい、と書きました。
本人からの電話で発覚したわけです。
しかも、それを指摘した霊能者によると、いったん私のところにいたらしい?
このブログ、実は結構いろいろな反応がありまして、このままだとMさんが危ないからお祓いをしてあげる、とか、実はあれは女ではなく男だとか、中山さん自身に不幸が訪れるから、それを防ぐ方法を享受しましょう、とか。
ところが、先日発売されたキングレコード『新耳袋・殴り込み2』にて、その女が例の廃墟で、フロントページのMくんとほぼ同じ状態、状況で、ビデオに撮れたらしいんです。となると、Mさんに憑いたというモノは? 霊能者の言うことって?
ともかく、あの廃ホテルに、あの女は現れた・・・
『新耳袋・殴り込み2』のDVDジャケットに、その映像が少しあります!
豊島圭介監督の後ろ!
(画像をクリックすると拡大します)
なんなんでしょうね、あの女は?
8月22日「新耳袋殴り込み・イン・大阪」で、その2本のビデオを見比べながら、いろいろと考察してみるつもりです。
それだけではない!
大阪南部にあるI山トンネルでも、奇怪なモノが映り込んだとか。
どちらも私が同行していない場所。
やっぱり私は、ゴーストバスター?
そしたら「いや、中山さんが同行された岐阜のホテル。中山さんが以前、ここで妙な光を見たと言っていましたが、それもその場所で映っています」と山口プロデューサー。
このDVD、いろいろ話題になりそうです。
22日には販売もすると思いますので、ぜひご購入を!
ちなみに岐阜のホテルに関しては、『新耳袋・第七夜』および『幽』3号の「やじきた怪談旅日記」、女の顔が映り込む廃墟ホテルに関しては『幽』4号の「やじきた」をお読みください。22日に、また詳しく報告いたしますけど・・・。
そうそう、同じキングレコードの山口さんや洋泉社の田野辺さんやギンティ小林さんが以前、同じホテルで撮ったという顔が溶ける(?)ビデオも関西初公開となるかも!
8月22日のイベントについてはこちら。
あれ?
あっ、あなたの後ろ!
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 18:39|Permalink│Comments(3)│
2009年07月23日
7/22の小説技法
中山市朗です。
22日の小説技法の報告です。
が、その前に。
プロデューサー志望の坂本くんが、私をメインとしたラジオ番組を制作したいということで、ラジオ局に電話したようです。それで、2社の営業の方が教室にお越しになりました。それぞれ企画は違います。
番組内容は企画の段階ですので明かせませんが、ラジオフリークの坂本くんらしい戦略も企画の中に盛り込まれていました。ともかく、こうやって企画を営業にかけるという姿勢は素直に誉めたいと思います。
頭の中で思ったことは、作品に仕込むか、企画書にして営業にかける。
作った作品もお金になることを考え、動いてみる。
これをやらないことには、塾に10年いたところでプロにはなれません。
ところで驚いたのは、ラジオ局のスタンス。
企画は面白い、と。
でも一局は、「いつでも枠が空いてますからどうぞ」、もう一局も「ぜひバックアップしたい」とおっしゃられたのですが、肝心なスポンサーは、捜してきてください、と言います。
「あれれ? おたく、営業の人じゃなかったっけ?」
実は局でスポンサー捜しはできない、と言います。スポンサー捜しを局でやると、広告代理店に「なんでうちを通さん?」とかややこしい問題になるので、と・・・?
つまりスポンサーがあるのなら、「枠がありますからどうぞ」、なければ「残念ですが」というわけです。
この不況時に、なに、この大名商売のスタンスは?
私、これではラジオ局の将来は危ない。いや、今もう危ないのは、そういうことなのかなと。枠買いというのも放送局ですからあっていいと思いますが、例えばハイビジョンの広報的媒体であるはずのBSなんて、枠買いの悪影響で昼間はどのチャンネルもテレビショッピングばっかり。ハイビジョンでテレビショッピング見たいでっか?
これは局としては枠も埋まって赤字も防げたのかもしれませんが、ハイビジョンを普及させるという戦略に欠けているため、未だにハイビジョン、ブルーレイはいまいち浸透していません。これは大きな大きな損失です。
枝を見て、森を見ず。
ラジオも、これだけメディアができて、ラジオを聴く人はなにもしなくても確実に減るという状況で、「スポンサーを見つけてきたら、さあどうぞ」というのは戦略が無さすぎます。
やっぱり今、ラジオ番組はこうあるべき。こういうメディアと組んで、こういう展開でこうやってリスナーにラジオに戻ってきてもらおう。あるいは新規開拓していこう。という戦略にたって、自らスポンサーを見つけてくる、というありかたでないと、ラジオをやっている現場の人も士気が上がらんのではないのかと思います。
また、ラジオという媒体に魅力が戻らんと、スポンサーもますます付きにくい。
こら、悪循環です。
戦略無き戦いは、ガダルカナルやインバールで戦う日本陸軍、戦艦大和を片道燃料で沖縄に特攻させる日本海軍の、その場しのぎ、悲惨な戦いを思わせます。
とはいえ、教室に来てくださったお2人は、大変好意的にお話させていただき、「私のできる範囲でなんとか動いてみます」とはおっしゃられていたので、できれば、いい番組作りが実現できるよう、こちらも動こうという気持ちにはなりました。
真剣にお話を聞いていただき「ありがとうございました」とお礼を申し上げたいところです。スポンサー捜しは坂本くん、キミの仕事。でもアマくはないぞ!
もう一人、この日塾にお客様が。
夏のテレビで怪談特番を仕掛けている東阪企画の山本さん。最後に決まった出演者のかたが京都におられるので、京都で打ち合わせをして、その足でこちらに来られたそうです。最後の打ち合わせをしたい、ということで。
夕方には打ち合わせは終ったのですが、夜まで残ってもらってちゃっかりネトラジに出ていただいちゃいました。
ほんま山本さん、どうもすみません。
山本さんが出られるネトラジは、30日配信予定です。
さて、小説の合評の報告といきましょう。
S本くんが初めて小説を合評に提出。といっても、まだ企画の状態ですが。
日本のアニメ、特撮に変革をもたらせたあるアニメサークルが会社となり、逸材を輩出していくその紆余曲折・・・。実際にあったグループです。この歴史を小説にしたい、と。切り口はいい。こういう題材だと、無名の新人作家というハンディは関係なく、アニメや映画、マンガの愛好家、マニアたちは手にとってくれるでしょう。ただ、彼の中ではそのグループに所属していた人たちに取材をしてまわるという意思がなぜかない。「どうして?」と聞くと「恐れ多いから」と。これは絶対取材を念頭におくべきです。そしたらユニークなドキュメント小説が書けるかもしれません。ともかく動け!
こういうの、出版社は欲しがります。目の付け所はさすがプロデューサー志望。
K坂さんは、歌を題材にしたファンタジックな小説にしたい、と。でもまだ原稿用紙3枚の分量ではなんとも判断できない。「舞台はどこを想定していますか?」との質問に、「ヨーロッパのどこか」と答えた彼女。でもイタリアとドイツと北欧、ロシアではまるでその音楽の質が違う。人の名前も違う。ましてやカストラートが出てくるというのなら、キリスト教の基礎知識も必要です。「ファンタジーでも?」と彼女は言いますが、だからこそきっちりと調べて、世界を構築する必要はあります。ファンタジーって、一番難しい分野なんですよ。
Y子さんは、今月から久々の塾復帰。2年ぶりくらい? 昨年の合宿には参加していたけど。彼女も原稿用紙3枚分からのスタート。もう少し量を書いてきてほしい。それにしてもツカミがない。自分を投影した、いちOLから始まり、後半には不思議なことが起こる、ということらしいのですが、ちょっとなにを読んだらいいのかわからない。これは書店に並んだ場合アウト。導入部は工夫が、ヒネりが必要です。
K島くんの『活動大写真』は丹下左膳の出る場面は「講談調」、東映の仁侠映画は「浪花節」、『小原庄助さん』は「文学調」で書いてみました、と。私は面白いと思ったのですが、塾生の半数が「浪花節」ってなに? という顔をしとる。「講談」もあまりまともに聞いたことがないらしい。となると、若い人はこれを読むのか、という問題が。もっと新しい映画やトレンドを入れながら、古きよき時代の映画に読者を誘う、という手法も考えるべきかな、と。でも何人かの塾生は「『丹下左膳』観てみたい、ビデオありませんか」と言ってきましたので、読むとその魅力は伝わるようなんです。そこは文章能力が上がってきている証拠。というか映画への愛情の成せる業なのかもしれませんな。
Yくんのヒーローものは、ある塾生から「消える能力をもつ敵キャラが出てくるけど、その理由とか弱点を書くべきではないか」という指摘にYくんは「意味わからん」と反論。合評なら当然の光景です。どんどんこういうやりとりは、してほしい。
でも敵キャラは猛烈に強く、どうやってこれを破るねん、というところまで書くことで物語のハラハラ感が出てくることがあるので、ここで弱点を書かなくても、もっと後でええやん。というのが私の意見。そういう説明や妙なシチュエーションを作るより、今のリズム、テンポで充分読ませるだけの力量があるので、このまま書き進めてほしいと思います。
Kレンジャーの『怪物園』は、「前回指摘されたところを新たに書き直すのではなくて、修正する方向で臨みました」といいますが、まだアカを修正する、という意味がわかっていない。アカを直すというより、そこに余分な文章をいれてしまっているから、余計異物的な文章になっています。それと全然直っていないところも。
「あっ、忘れてました」というのは、もうやめよう。
Hさんの女の執念がねっとり描かれる不倫ものは、前回指摘した狂気の手紙の狂気さを、彼女なりに修正してきたのですが、私の中ではまだ狂気じゃない。私も随分前ネットの大型掲示板で、まつたく身に覚えのないことでえらく叩かれたことがあったのですが、あれは周囲に波及しかねないから恐ろしかった。Hさんの作品に出てくる手紙は、そういう怖さがない。ではどうしたら・・・すると落語作家志望で、今いろいろな芸人さんと仕事をしていて、その裏事情を知るO田くんが、芸人がもらった最悪最恐のファンレターの話をしはじめて。それがまた怖ろしい! クレイジー! 要は立ち位置の問題やと。ほーお、私が勉強になりました。
N子さんのホラー小説。彼女は指摘されたところをきっちりきっちり修正していっているので、現在提出分の中ではもう言うことはありません。次へいきましょう。でもそろそろ怖ろしい表現のテクニック、の見せ所に・・・。
Tくんの『クリエイターズファイト』は、だんだんノッてきた。サブキャラに幸子という謎の女と、山中さんという悪どい編集者が出てくるんですけど、めちゃめちゃキャラがたってきて、憎たらしいんですけど、愛着もわいてきた。つまり世界観が確立されて、その中でキャラが躍動し始めたんです。でも最終章なのに、まだ終りそうもない。一体この先、どうなんのやろ? ということで次に進みましょう。
ちゃんと書いている人、合評を真摯に受け止める人は、確実に進化しています。未提出が続いている人、差がどんどんでてきてまっせ!
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
22日の小説技法の報告です。
が、その前に。
プロデューサー志望の坂本くんが、私をメインとしたラジオ番組を制作したいということで、ラジオ局に電話したようです。それで、2社の営業の方が教室にお越しになりました。それぞれ企画は違います。
番組内容は企画の段階ですので明かせませんが、ラジオフリークの坂本くんらしい戦略も企画の中に盛り込まれていました。ともかく、こうやって企画を営業にかけるという姿勢は素直に誉めたいと思います。
頭の中で思ったことは、作品に仕込むか、企画書にして営業にかける。
作った作品もお金になることを考え、動いてみる。
これをやらないことには、塾に10年いたところでプロにはなれません。
ところで驚いたのは、ラジオ局のスタンス。
企画は面白い、と。
でも一局は、「いつでも枠が空いてますからどうぞ」、もう一局も「ぜひバックアップしたい」とおっしゃられたのですが、肝心なスポンサーは、捜してきてください、と言います。
「あれれ? おたく、営業の人じゃなかったっけ?」
実は局でスポンサー捜しはできない、と言います。スポンサー捜しを局でやると、広告代理店に「なんでうちを通さん?」とかややこしい問題になるので、と・・・?
つまりスポンサーがあるのなら、「枠がありますからどうぞ」、なければ「残念ですが」というわけです。
この不況時に、なに、この大名商売のスタンスは?
私、これではラジオ局の将来は危ない。いや、今もう危ないのは、そういうことなのかなと。枠買いというのも放送局ですからあっていいと思いますが、例えばハイビジョンの広報的媒体であるはずのBSなんて、枠買いの悪影響で昼間はどのチャンネルもテレビショッピングばっかり。ハイビジョンでテレビショッピング見たいでっか?
これは局としては枠も埋まって赤字も防げたのかもしれませんが、ハイビジョンを普及させるという戦略に欠けているため、未だにハイビジョン、ブルーレイはいまいち浸透していません。これは大きな大きな損失です。
枝を見て、森を見ず。
ラジオも、これだけメディアができて、ラジオを聴く人はなにもしなくても確実に減るという状況で、「スポンサーを見つけてきたら、さあどうぞ」というのは戦略が無さすぎます。
やっぱり今、ラジオ番組はこうあるべき。こういうメディアと組んで、こういう展開でこうやってリスナーにラジオに戻ってきてもらおう。あるいは新規開拓していこう。という戦略にたって、自らスポンサーを見つけてくる、というありかたでないと、ラジオをやっている現場の人も士気が上がらんのではないのかと思います。
また、ラジオという媒体に魅力が戻らんと、スポンサーもますます付きにくい。
こら、悪循環です。
戦略無き戦いは、ガダルカナルやインバールで戦う日本陸軍、戦艦大和を片道燃料で沖縄に特攻させる日本海軍の、その場しのぎ、悲惨な戦いを思わせます。
とはいえ、教室に来てくださったお2人は、大変好意的にお話させていただき、「私のできる範囲でなんとか動いてみます」とはおっしゃられていたので、できれば、いい番組作りが実現できるよう、こちらも動こうという気持ちにはなりました。
真剣にお話を聞いていただき「ありがとうございました」とお礼を申し上げたいところです。スポンサー捜しは坂本くん、キミの仕事。でもアマくはないぞ!
もう一人、この日塾にお客様が。
夏のテレビで怪談特番を仕掛けている東阪企画の山本さん。最後に決まった出演者のかたが京都におられるので、京都で打ち合わせをして、その足でこちらに来られたそうです。最後の打ち合わせをしたい、ということで。
夕方には打ち合わせは終ったのですが、夜まで残ってもらってちゃっかりネトラジに出ていただいちゃいました。
ほんま山本さん、どうもすみません。
山本さんが出られるネトラジは、30日配信予定です。
さて、小説の合評の報告といきましょう。
S本くんが初めて小説を合評に提出。といっても、まだ企画の状態ですが。
日本のアニメ、特撮に変革をもたらせたあるアニメサークルが会社となり、逸材を輩出していくその紆余曲折・・・。実際にあったグループです。この歴史を小説にしたい、と。切り口はいい。こういう題材だと、無名の新人作家というハンディは関係なく、アニメや映画、マンガの愛好家、マニアたちは手にとってくれるでしょう。ただ、彼の中ではそのグループに所属していた人たちに取材をしてまわるという意思がなぜかない。「どうして?」と聞くと「恐れ多いから」と。これは絶対取材を念頭におくべきです。そしたらユニークなドキュメント小説が書けるかもしれません。ともかく動け!
こういうの、出版社は欲しがります。目の付け所はさすがプロデューサー志望。
K坂さんは、歌を題材にしたファンタジックな小説にしたい、と。でもまだ原稿用紙3枚の分量ではなんとも判断できない。「舞台はどこを想定していますか?」との質問に、「ヨーロッパのどこか」と答えた彼女。でもイタリアとドイツと北欧、ロシアではまるでその音楽の質が違う。人の名前も違う。ましてやカストラートが出てくるというのなら、キリスト教の基礎知識も必要です。「ファンタジーでも?」と彼女は言いますが、だからこそきっちりと調べて、世界を構築する必要はあります。ファンタジーって、一番難しい分野なんですよ。
Y子さんは、今月から久々の塾復帰。2年ぶりくらい? 昨年の合宿には参加していたけど。彼女も原稿用紙3枚分からのスタート。もう少し量を書いてきてほしい。それにしてもツカミがない。自分を投影した、いちOLから始まり、後半には不思議なことが起こる、ということらしいのですが、ちょっとなにを読んだらいいのかわからない。これは書店に並んだ場合アウト。導入部は工夫が、ヒネりが必要です。
K島くんの『活動大写真』は丹下左膳の出る場面は「講談調」、東映の仁侠映画は「浪花節」、『小原庄助さん』は「文学調」で書いてみました、と。私は面白いと思ったのですが、塾生の半数が「浪花節」ってなに? という顔をしとる。「講談」もあまりまともに聞いたことがないらしい。となると、若い人はこれを読むのか、という問題が。もっと新しい映画やトレンドを入れながら、古きよき時代の映画に読者を誘う、という手法も考えるべきかな、と。でも何人かの塾生は「『丹下左膳』観てみたい、ビデオありませんか」と言ってきましたので、読むとその魅力は伝わるようなんです。そこは文章能力が上がってきている証拠。というか映画への愛情の成せる業なのかもしれませんな。
Yくんのヒーローものは、ある塾生から「消える能力をもつ敵キャラが出てくるけど、その理由とか弱点を書くべきではないか」という指摘にYくんは「意味わからん」と反論。合評なら当然の光景です。どんどんこういうやりとりは、してほしい。
でも敵キャラは猛烈に強く、どうやってこれを破るねん、というところまで書くことで物語のハラハラ感が出てくることがあるので、ここで弱点を書かなくても、もっと後でええやん。というのが私の意見。そういう説明や妙なシチュエーションを作るより、今のリズム、テンポで充分読ませるだけの力量があるので、このまま書き進めてほしいと思います。
Kレンジャーの『怪物園』は、「前回指摘されたところを新たに書き直すのではなくて、修正する方向で臨みました」といいますが、まだアカを修正する、という意味がわかっていない。アカを直すというより、そこに余分な文章をいれてしまっているから、余計異物的な文章になっています。それと全然直っていないところも。
「あっ、忘れてました」というのは、もうやめよう。
Hさんの女の執念がねっとり描かれる不倫ものは、前回指摘した狂気の手紙の狂気さを、彼女なりに修正してきたのですが、私の中ではまだ狂気じゃない。私も随分前ネットの大型掲示板で、まつたく身に覚えのないことでえらく叩かれたことがあったのですが、あれは周囲に波及しかねないから恐ろしかった。Hさんの作品に出てくる手紙は、そういう怖さがない。ではどうしたら・・・すると落語作家志望で、今いろいろな芸人さんと仕事をしていて、その裏事情を知るO田くんが、芸人がもらった最悪最恐のファンレターの話をしはじめて。それがまた怖ろしい! クレイジー! 要は立ち位置の問題やと。ほーお、私が勉強になりました。
N子さんのホラー小説。彼女は指摘されたところをきっちりきっちり修正していっているので、現在提出分の中ではもう言うことはありません。次へいきましょう。でもそろそろ怖ろしい表現のテクニック、の見せ所に・・・。
Tくんの『クリエイターズファイト』は、だんだんノッてきた。サブキャラに幸子という謎の女と、山中さんという悪どい編集者が出てくるんですけど、めちゃめちゃキャラがたってきて、憎たらしいんですけど、愛着もわいてきた。つまり世界観が確立されて、その中でキャラが躍動し始めたんです。でも最終章なのに、まだ終りそうもない。一体この先、どうなんのやろ? ということで次に進みましょう。
ちゃんと書いている人、合評を真摯に受け止める人は、確実に進化しています。未提出が続いている人、差がどんどんでてきてまっせ!
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 22:01|Permalink│Comments(2)│
2009年07月22日
不思議な不思議なお月様
中山市朗です。
今日は日本では46年ぶりとなる皆既日食の日でした。
さてさて、世の中は不思議が多い。
不思議なんてねーよ、と言うてる人、気づいていないだけ。
この皆既日食というのが、もうホンマになんで? というくらい不思議なもんでっせ。
えっ?
太陽が月によって隠れるだけやん、て?
さあ、それですがな。
太陽の直径は139万2000キロ。
月の直径は3473キロ。
ちなみに地球から月までの距離は約38万キロですから、3往復してもまだ太陽の直径に及ばないわけですな。
地球をピンポン玉とすると、月は113キロ離れたところにある約1センチのビー玉。
太陽は地球から350メートル離れたところにある直径4メートルのガスタンク。
で、皆既日食があるということは、この4メートルのガスタンクとビー玉が、地球から見るとほぼ大きさが一致するように見えることから起きるわけです。
つまりですな、太陽は月の400倍の大きさで、月の約400倍の距離にあることから起こる現象だということ。
この確率、まさに天文学的数字です。
まさに神が、太陽、地球、月を、意図的に配置したとしか思えません。
この3つは、それぞれこの大きさで、ここに置かねばならない、と。
でなければ、偶然です。
ちょっとでもこれらの距離とか大きさがズレると、皆既日食にはならずに、太陽は月から僅かにはみ出るとか、月に完全に隠れてしまって、ダイヤモンドリング(金環食)なんていうアートは見られないわけです。
で、またあの月というヤツは、地球くらいの惑星の周りを回る衛星としては、大きすぎるというか、不自然なことなんだそうです。
ところが、あの大きさの月があの距離にあるから、海にちょうど良い潮の満ち干きが起きる。そういう海が動く環境から生物が生まれ、やがて陸上に上がるわけです。女性には月経周期というものがありますが、それもこの関係からできた。月と産卵に関係するのは人間だけじゃないですけど。
身体の部位を表す漢字に「月(にくづき)」が多い、というのは、やっぱり古代の人々は人と月との不思議な関係に気づいていたのでしょうね。
育つ、にも月がありますしね。
そして、あの大きさの月があるから地球の自転軸が安定しているそうです。
月がないと天王星みたいに寝っころがった状態で回っているとか、火星みたいにすごい嵐が日常的に吹いているとか、とにかくこんな平穏な気象状況にはならなかったらしい。地球に四季があるのも、月の影響で自転軸の傾きが約23、4度で安定しているからだといいます。これも奇跡。人間に豊かな心、芸術を作り出す心ができたのも、月があったからだと言えるかもしれません。それに夜をよりロマンチックなものにしたのも月があるから、ですね。
1日24時間というのも月がもたらしています。
月は地球の自転にブレーキをかけていて、なければ地球は1日8時間になっていたらしい。せわしない! その代わり、1年は1095日ある?
この説は、ニール・F・カミングス、竹内均、他『もしも月がなかったら』(東京書籍)からの受け売りですけど。
でも、月がないとすると何月という単位もないわけですから、1095日をどういう節目で割るのでしょうねぇ。月日の月がなく、ただただ1095日が流れるだけ? それは退屈で長いわ。おまけに四季がないんじゃあねぇ。
でも、月が夜空にあるから人間は宇宙を身近に思い、天体観測を始め、宇宙に飛び立つことを思ったはずです。月がなければ、なんとなく地球は宇宙で孤独なもの、というイメージをもったでしょう。その前に月がなかったら人類は存在していないか。
と、すれば、やっぱりあの私たちが当たり前に見ている月は、いやもうお月様と呼びましょう・・・生命と、そして霊長類たる人類を生み出すために神が「そこ」に置いたとしか思えません。
でなければ、偶然です。
で、疑問です。
偶然とは、どこまでが偶然?
偶然て、なに?
今度お月様を見たら、手を合わせてみましょうか。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
今日は日本では46年ぶりとなる皆既日食の日でした。
さてさて、世の中は不思議が多い。
不思議なんてねーよ、と言うてる人、気づいていないだけ。
この皆既日食というのが、もうホンマになんで? というくらい不思議なもんでっせ。
えっ?
太陽が月によって隠れるだけやん、て?
さあ、それですがな。
太陽の直径は139万2000キロ。
月の直径は3473キロ。
ちなみに地球から月までの距離は約38万キロですから、3往復してもまだ太陽の直径に及ばないわけですな。
地球をピンポン玉とすると、月は113キロ離れたところにある約1センチのビー玉。
太陽は地球から350メートル離れたところにある直径4メートルのガスタンク。
で、皆既日食があるということは、この4メートルのガスタンクとビー玉が、地球から見るとほぼ大きさが一致するように見えることから起きるわけです。
つまりですな、太陽は月の400倍の大きさで、月の約400倍の距離にあることから起こる現象だということ。
この確率、まさに天文学的数字です。
まさに神が、太陽、地球、月を、意図的に配置したとしか思えません。
この3つは、それぞれこの大きさで、ここに置かねばならない、と。
でなければ、偶然です。
ちょっとでもこれらの距離とか大きさがズレると、皆既日食にはならずに、太陽は月から僅かにはみ出るとか、月に完全に隠れてしまって、ダイヤモンドリング(金環食)なんていうアートは見られないわけです。
で、またあの月というヤツは、地球くらいの惑星の周りを回る衛星としては、大きすぎるというか、不自然なことなんだそうです。
ところが、あの大きさの月があの距離にあるから、海にちょうど良い潮の満ち干きが起きる。そういう海が動く環境から生物が生まれ、やがて陸上に上がるわけです。女性には月経周期というものがありますが、それもこの関係からできた。月と産卵に関係するのは人間だけじゃないですけど。
身体の部位を表す漢字に「月(にくづき)」が多い、というのは、やっぱり古代の人々は人と月との不思議な関係に気づいていたのでしょうね。
育つ、にも月がありますしね。
そして、あの大きさの月があるから地球の自転軸が安定しているそうです。
月がないと天王星みたいに寝っころがった状態で回っているとか、火星みたいにすごい嵐が日常的に吹いているとか、とにかくこんな平穏な気象状況にはならなかったらしい。地球に四季があるのも、月の影響で自転軸の傾きが約23、4度で安定しているからだといいます。これも奇跡。人間に豊かな心、芸術を作り出す心ができたのも、月があったからだと言えるかもしれません。それに夜をよりロマンチックなものにしたのも月があるから、ですね。
1日24時間というのも月がもたらしています。
月は地球の自転にブレーキをかけていて、なければ地球は1日8時間になっていたらしい。せわしない! その代わり、1年は1095日ある?
この説は、ニール・F・カミングス、竹内均、他『もしも月がなかったら』(東京書籍)からの受け売りですけど。
でも、月がないとすると何月という単位もないわけですから、1095日をどういう節目で割るのでしょうねぇ。月日の月がなく、ただただ1095日が流れるだけ? それは退屈で長いわ。おまけに四季がないんじゃあねぇ。
でも、月が夜空にあるから人間は宇宙を身近に思い、天体観測を始め、宇宙に飛び立つことを思ったはずです。月がなければ、なんとなく地球は宇宙で孤独なもの、というイメージをもったでしょう。その前に月がなかったら人類は存在していないか。
と、すれば、やっぱりあの私たちが当たり前に見ている月は、いやもうお月様と呼びましょう・・・生命と、そして霊長類たる人類を生み出すために神が「そこ」に置いたとしか思えません。
でなければ、偶然です。
で、疑問です。
偶然とは、どこまでが偶然?
偶然て、なに?
今度お月様を見たら、手を合わせてみましょうか。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 18:43|Permalink│Comments(4)│
2009年07月16日
7/15の作劇ゼミ
中山市朗です。
夏です。
怪談の季節です、って誰が決めた?
このフレーズ、前にも使ったっけ。
でも、夏、ということで、次のような怪談イベントが催されます。
中山市朗怪談ナイト
8月2日(日) 18:30開場 19:00開演
ムーブ21 4階プラネタリウムドーム
中山市朗 怪談会 at nu things
8月8日(土) 19:00開場 19:30開演
場所 近日告知
※パンクバンド「ストロベリーソングオーケストラ」
三味線とピアノのデュオ「高虎バンド」との共演
音楽と怪談のコラボ!
『新耳袋殴り込み』イン・大阪
8月22日(土) 18:30開場 19:00開演(打ち上げ参加者)
Astage(地下鉄長堀橋・心斎橋駅より徒歩5分)
※『新耳袋・殴り込み』のDVD&書籍発売記念イベントがついに大阪で!
ギンティ小林(ライター)、豊島圭介(映画監督)、山口幸彦(キングレコード・プロデューサー)、田野辺尚人(映画秘宝・編集人)など、豪華メンバー出演予定!
中山市朗・笑福亭純瓶「百物語」
8月25日(火) 18:30開場 19:00開演
河内長野市立文化会館(ラブリーホール)小ホール
※怪談落語家・純瓶氏と初のガチンコ怪談!
『怪談の間・2009』
8月28日(金) 18:00開場 18:30開演(交流会あり)
Astage(地下鉄長堀橋・心斎橋より徒歩5分)
お待たせしました!
怪談を語り、聞く会、復活です!
以上、詳しくはこちら
さて、15日の作劇ゼミは、「怪談講座パート2」を!
最近はそういうイメージは払拭されましたが、どうも3年ほど前までは、「作劇塾」は、なぜか怪談作家を養成しているところだと思われていました。
そんなことはありません。怪談はどうも苦手、という塾生もいます。
うちは、あくまで面白いエンターテイメントをどう創作するか、ということを色々考えている塾です。
ところで、これは私が以前にもこのブログで主張した問題ですけど。
人間関係を構築するための四大感情というのがあります。
作家になるのなら、読者のこの四大感情を揺さぶれ、と。
その感情とは、喜怒哀楽。
とまあ、一般にはそう言われています。
でも、私これではひとつ不足していると思うんです。
で、私は言うわけです。
五大感情。フィフス・エレメントですな。
喜怒哀楽怖。
恐怖の怖。畏怖する怖、これが抜けとる。
なんでこれが抜けているんでしょうなあ。
人間、死の恐怖があるから人生を考える。信仰心が生まれる。怖い、という感覚があるから不安になったり、言うことを聞いたり、疑ったり、患ったり、逆に克服しようとしたり・・・。人間の行動心理の中で、ものすごく重要な感情です。
人間とサル、この違いはなにか?
私は、死後の世界の観念をもったときに、人間になったと思うんです。
「死への恐怖」は動物全般がもつ、生命維持のための本能でしょうが、「死後への恐怖」です。
死後、「死んだらどうなるねん」「死んだ者とは、どうしたら交信できるんや」という感情は人間だけのもの。そこが怖いわけですな。
だから死者を埋葬するわけですな。
道具を器用に使って餌を食べるとか、最近メスザルにプレゼントをするオスザルがいたとかで、ニュースになっていましたが、サルとか犬が、死んだ親や子供を埋葬してるの見たことおまへんわな。埋葬という行為は「死後の世界」を認知しているということです。宗教がここから生まれます。神様やら鬼やらが発想されます。怖い、というイメージが構築されます。神様への畏怖、鬼やら霊やら死後の世界への恐怖。これは動物的本能の恐怖とは違い、脳内で作られるイメージの産物です。
さっきまで話していた仲間が、突然死んでしまう。話しかけても反応しないし、そのうち硬直し、腐り始め、形が醜く変形し、完全に腐敗する。もう、いかようにしようとも交流不能となる。どうしたら、元のようになるんやろ。いや、もう絶対に戻らん。この戸惑い。わしもいずれ、こうなるのかという恐怖。
イザナギが黄泉の国へ旅だった愛するイザナミを追って、「黄泉比良坂」を下ってイザナミに会ってみたら、全身ウジがわいた変わり果てた姿に。「見たなぁ〜」とばかり血相変えて追いかけるイザナミ。「ひゃあ!」とイザナギは必死になってこの世に戻ります。
さっきまで愛し合っていた者が、なんで魔物のようなものになってしまったんだろう・・・。日本最古の書籍と言われる『古事記』に書かれるエピソードですな。
死ねば愛する者でさえ、魔物のようになる。お互い交流が不可能になる。
交流不可能、これが怖いわけです。
なぜ、交流できないのか。
相手が死んでいるからです。
幽霊が怖いのも、究極は話が通じないからでしょ?
お菊さんの幽霊が出たとき、「まあまあ話せばわかる」と説得して、お菊さん「わかりました。ほな明日からはもう出ません。すんまへんでした」てなことになったら、いくら亡霊とはいえ、怖いことおまへんわ。
そういう交渉ができないから怖い。
自分と違う、死後の世界にいる者だから怖い。
この恐怖のイメージは、海外の人たちにも共通の認識であって、例えば映画の 『ゾンビ」なんてそうですね。生きていたときは恋人や家族、仲間だったのに、一旦死んでゾンビとして甦ったら、もう交流不可能。脳みそぶち抜かんと、自分も食われる・・・。
でも、これらは全部、人間の想像で生まれた恐怖。
でね、物語、ストーリーというのも、私は怪談が最初やなかったとか考えているんですよ。
文字もない太古の時代。
ある集落に、仲間の誰も行ったこともない、禁断の森から来たというよそ者がやってきました。「あんた、どこから来たんや」「あの山の向こうの、さらに向こうの遠いところから来たんや」「えーっ、よお、そんなところから来られましたなあ。山の向こうにはなにがおますねん」「聞きたいか・・・。実はお前らの想像もつかん、ものすごい化け物がおるんや」「化け物!?」「そや、わしはそいつとばったり出くわした。それはそれは恐ろしいものでなあ・・・」
まあ、嘘です。あるいは話半分です。でも、その恐ろしい化け物に遭遇しながら、わしはこうやって生き延びたんや、あるいは退治してやった、という話が、おそらく聞くものの冒険心と好奇心をくすぐり、その化け物が怖ければ怖いほど、話す者に付加価値がつき、英雄伝にもなっていく。
その話が怖ければ怖いほど、話が生きてくる。
物語の最初って、そういうものやったんやなかったかな、と。
以前「怪談之怪」に露の五郎師匠をお招きしてお話を伺ったところ、「落語は今は笑いというイメージをもたれてますが、落語の最初は怪談やなかったかと思います」てなことおっしゃっていたんですが、怖い話、というのがストーリーの根幹にあると、五郎師匠も解釈しておられたわけです。
アメリカのホラーは、日本の怪談とテイストが違う。
あそこは移民の国ですからな。非キリスト教徒で、自分たちと異なる神の概念をもった者が怖い。聖書の概念が通用しない。これも日本人にはわからない交渉不能の恐怖です。妙なマスクをかぶったヤツが、若者を捕まえては人体を切り裂く。彼の道徳心や常識は、キリスト教の原理では通用しない・・・。
魔女だの悪魔だのは、反キリスト教のことを指しますからな。
ということは、イマジネーションを働かせて、怖い、という感情を、かきたたせる話術、方法とは・・・。日本人とヨーロッパ、あるいはアメリカのホラーの違いとは・・・。
それは塾生だけの特権ということで。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
夏です。
怪談の季節です、って誰が決めた?
このフレーズ、前にも使ったっけ。
でも、夏、ということで、次のような怪談イベントが催されます。
中山市朗怪談ナイト
8月2日(日) 18:30開場 19:00開演
ムーブ21 4階プラネタリウムドーム
中山市朗 怪談会 at nu things
8月8日(土) 19:00開場 19:30開演
場所 近日告知
※パンクバンド「ストロベリーソングオーケストラ」
三味線とピアノのデュオ「高虎バンド」との共演
音楽と怪談のコラボ!
『新耳袋殴り込み』イン・大阪
8月22日(土) 18:30開場 19:00開演(打ち上げ参加者)
Astage(地下鉄長堀橋・心斎橋駅より徒歩5分)
※『新耳袋・殴り込み』のDVD&書籍発売記念イベントがついに大阪で!
ギンティ小林(ライター)、豊島圭介(映画監督)、山口幸彦(キングレコード・プロデューサー)、田野辺尚人(映画秘宝・編集人)など、豪華メンバー出演予定!
中山市朗・笑福亭純瓶「百物語」
8月25日(火) 18:30開場 19:00開演
河内長野市立文化会館(ラブリーホール)小ホール
※怪談落語家・純瓶氏と初のガチンコ怪談!
『怪談の間・2009』
8月28日(金) 18:00開場 18:30開演(交流会あり)
Astage(地下鉄長堀橋・心斎橋より徒歩5分)
お待たせしました!
怪談を語り、聞く会、復活です!
以上、詳しくはこちら
さて、15日の作劇ゼミは、「怪談講座パート2」を!
最近はそういうイメージは払拭されましたが、どうも3年ほど前までは、「作劇塾」は、なぜか怪談作家を養成しているところだと思われていました。
そんなことはありません。怪談はどうも苦手、という塾生もいます。
うちは、あくまで面白いエンターテイメントをどう創作するか、ということを色々考えている塾です。
ところで、これは私が以前にもこのブログで主張した問題ですけど。
人間関係を構築するための四大感情というのがあります。
作家になるのなら、読者のこの四大感情を揺さぶれ、と。
その感情とは、喜怒哀楽。
とまあ、一般にはそう言われています。
でも、私これではひとつ不足していると思うんです。
で、私は言うわけです。
五大感情。フィフス・エレメントですな。
喜怒哀楽怖。
恐怖の怖。畏怖する怖、これが抜けとる。
なんでこれが抜けているんでしょうなあ。
人間、死の恐怖があるから人生を考える。信仰心が生まれる。怖い、という感覚があるから不安になったり、言うことを聞いたり、疑ったり、患ったり、逆に克服しようとしたり・・・。人間の行動心理の中で、ものすごく重要な感情です。
人間とサル、この違いはなにか?
私は、死後の世界の観念をもったときに、人間になったと思うんです。
「死への恐怖」は動物全般がもつ、生命維持のための本能でしょうが、「死後への恐怖」です。
死後、「死んだらどうなるねん」「死んだ者とは、どうしたら交信できるんや」という感情は人間だけのもの。そこが怖いわけですな。
だから死者を埋葬するわけですな。
道具を器用に使って餌を食べるとか、最近メスザルにプレゼントをするオスザルがいたとかで、ニュースになっていましたが、サルとか犬が、死んだ親や子供を埋葬してるの見たことおまへんわな。埋葬という行為は「死後の世界」を認知しているということです。宗教がここから生まれます。神様やら鬼やらが発想されます。怖い、というイメージが構築されます。神様への畏怖、鬼やら霊やら死後の世界への恐怖。これは動物的本能の恐怖とは違い、脳内で作られるイメージの産物です。
さっきまで話していた仲間が、突然死んでしまう。話しかけても反応しないし、そのうち硬直し、腐り始め、形が醜く変形し、完全に腐敗する。もう、いかようにしようとも交流不能となる。どうしたら、元のようになるんやろ。いや、もう絶対に戻らん。この戸惑い。わしもいずれ、こうなるのかという恐怖。
イザナギが黄泉の国へ旅だった愛するイザナミを追って、「黄泉比良坂」を下ってイザナミに会ってみたら、全身ウジがわいた変わり果てた姿に。「見たなぁ〜」とばかり血相変えて追いかけるイザナミ。「ひゃあ!」とイザナギは必死になってこの世に戻ります。
さっきまで愛し合っていた者が、なんで魔物のようなものになってしまったんだろう・・・。日本最古の書籍と言われる『古事記』に書かれるエピソードですな。
死ねば愛する者でさえ、魔物のようになる。お互い交流が不可能になる。
交流不可能、これが怖いわけです。
なぜ、交流できないのか。
相手が死んでいるからです。
幽霊が怖いのも、究極は話が通じないからでしょ?
お菊さんの幽霊が出たとき、「まあまあ話せばわかる」と説得して、お菊さん「わかりました。ほな明日からはもう出ません。すんまへんでした」てなことになったら、いくら亡霊とはいえ、怖いことおまへんわ。
そういう交渉ができないから怖い。
自分と違う、死後の世界にいる者だから怖い。
この恐怖のイメージは、海外の人たちにも共通の認識であって、例えば映画の 『ゾンビ」なんてそうですね。生きていたときは恋人や家族、仲間だったのに、一旦死んでゾンビとして甦ったら、もう交流不可能。脳みそぶち抜かんと、自分も食われる・・・。
でも、これらは全部、人間の想像で生まれた恐怖。
でね、物語、ストーリーというのも、私は怪談が最初やなかったとか考えているんですよ。
文字もない太古の時代。
ある集落に、仲間の誰も行ったこともない、禁断の森から来たというよそ者がやってきました。「あんた、どこから来たんや」「あの山の向こうの、さらに向こうの遠いところから来たんや」「えーっ、よお、そんなところから来られましたなあ。山の向こうにはなにがおますねん」「聞きたいか・・・。実はお前らの想像もつかん、ものすごい化け物がおるんや」「化け物!?」「そや、わしはそいつとばったり出くわした。それはそれは恐ろしいものでなあ・・・」
まあ、嘘です。あるいは話半分です。でも、その恐ろしい化け物に遭遇しながら、わしはこうやって生き延びたんや、あるいは退治してやった、という話が、おそらく聞くものの冒険心と好奇心をくすぐり、その化け物が怖ければ怖いほど、話す者に付加価値がつき、英雄伝にもなっていく。
その話が怖ければ怖いほど、話が生きてくる。
物語の最初って、そういうものやったんやなかったかな、と。
以前「怪談之怪」に露の五郎師匠をお招きしてお話を伺ったところ、「落語は今は笑いというイメージをもたれてますが、落語の最初は怪談やなかったかと思います」てなことおっしゃっていたんですが、怖い話、というのがストーリーの根幹にあると、五郎師匠も解釈しておられたわけです。
アメリカのホラーは、日本の怪談とテイストが違う。
あそこは移民の国ですからな。非キリスト教徒で、自分たちと異なる神の概念をもった者が怖い。聖書の概念が通用しない。これも日本人にはわからない交渉不能の恐怖です。妙なマスクをかぶったヤツが、若者を捕まえては人体を切り裂く。彼の道徳心や常識は、キリスト教の原理では通用しない・・・。
魔女だの悪魔だのは、反キリスト教のことを指しますからな。
ということは、イマジネーションを働かせて、怖い、という感情を、かきたたせる話術、方法とは・・・。日本人とヨーロッパ、あるいはアメリカのホラーの違いとは・・・。
それは塾生だけの特権ということで。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 23:14|Permalink│Comments(0)│
2009年07月15日
マイケル・ジャクソンと映画
中山市朗です。
少し前のことですが。
うちの塾生がある大学生と話していて私の話になったそうです。その大学生は、私のブログなどを読んでいたらしく、
「中山先生は、エンターテイメントの原点は、古いもの、古典、スタンダードって言うてるようやけど、それは違うと思う。いかに新しいものを作るか、それを俺らはやっていきたいわけやから、古いものを観ろなんて、意味ないと思う」と言われたそうな。
また、ある塾生に「お前ら若い人は、どうもあれ観とけ、これ読んどけと言っても、古いものをバカにする風潮があるけどなんでや?」と尋ねると、「興味ないというより、面倒くさいんですよ」と言われました。
面倒くさいって、どういうこっちゃねん?
押井守さんが『押井守全仕事』(キネマ旬報社)の四方田犬彦さんとの対談で、もう私の思っていることをそのまま言っています。引用します。
押井「アニメの現場で、ぼくより一世代下の30くらいの演出家で、もうゴダールを知らない。ヌーヴェルヴァーグも知らない。このときにはかなり驚いたんだけど、別にその人が特殊なのではなくて、だいたいそういうものなんです。ぼくが大学時代にもった映画体験というものは、今の若い子には全然知識としても存在しない。映像的な教養というものがなくても、よくなっちゃった」
四方田「なくても不自由しないという変な共通了解ができてしまった。無知であることが平気である、と」
そうなんです。
無知でもいても、それでいいじゃん、悪い? という雰囲気がある。
で、5月に塾に来てくれたアニメ作家の角銅博之さんも、まったく同じことを言われました。「それじゃあ、いいものはできない」って。
まあ塾は、私のそれではいかん、という気持ちに共感して入ってくる若い人が多いので、まだマシなんですけど、私が以前教えていた専門学校の学生とか、最近接する大学生なんかと話していると、それは確実に感じます。言うと目覚めるのもいますけど。
とはいえ、塾生にもいます。無知でも平気な顔をしているのが。
いや、無知はいいんです。そらしょうがない。でも、それが平気というのは困る。
ちょっと話は変わりますけど。
マイケル・ジャクソンが死んでから、もう半月ほど経ちました。
きっちり私なんか、マイケル世代なんです。
まあ、そんなに熱狂して観ていたわけではないんですけど、なんか心の、頭のスミっこには必ずマイケル・ジャクソンという存在はあったというか。
天才、というのは時代とフィットすることも条件なんですな。
ちょうど彼が注目された「スリラー」は、82年に出た。ビデオソフトというものがビジネスになろうとする直前のことです。
このビデオを最初に観たとき、これは衝撃でしたな。
ご存知のように、これはミュージックビデオとして大成功し、前年に全米のケーブルテレビにて放送開始したMTVと同調しました。本来はミュージック・プロモーション、つまり、シングルレコードのPVとして位置づけられていたものを、完成された映像作品、つまり映画にしようとしたんですな、マイケルは。
オレ、ミュージシャンやねんから、音楽だけやっといたらええやん。では、あのスーパースター、マイケル・ジャクソンはなかった。映画マニアとしてのスタンスが、あの衝撃MVを作った!
「スリラー」の、あのゾンビのイメージは、その4、5年前に無名のジョージ・A・ロメロが監督した『ゾンビ(Dawn Of The Dead)』の影響がモロ、というよりマイケルは、あの映画を観ながら、ゾンビたちとダンスができないかとか考えていたのでしょうか? もうその発想が、常人と違いまんな。これも時代のタイミング。
監督がジョン・ランディス。 『ブルース・ブラザーズ』『狼男アメリカン』とヒットを飛ばしてスピルバーグと共に将来を期待された新鋭監督。ただしビック・モローのヘリコプター事故が現場であってのトラウマから、立ち直れなかったようで・・・
あのゾンビメイクは、リック・ベイカーが担当。ちょうど『ハウリング』『狼男アメリカン』、日本では未公開で、輸入ビデオがカルト人気となった『ヴィデオドローム』と、特殊メイクというものが注目され出した頃なんですが、それにはこの人の功績が大きい。人体がバキバキと音を立てながら変化していったり、ボカーン! と破壊されたりというのをテクニックを使って見せた最初のアーティストが、リックと弟子のロブ・ボッティン。
最初、マイケルの顔が狼男に変身する場面がありますが、あれこそ『ハウリング』のパロディですわ。
「5分前は人間だった」というのが当時の『ハウリング』のコピー。
そういう才能に注目して、また共に仕事をするんですな。
才能を認める、というのも立派な才能です。
おまけに、ゾンビどもが墓石や石棺から這い出すときに流れるホラー・ムードあふれるナレーションの声の主は、ビンセント・プライズ!
ピーター・カッシング、クリストファー・リーと並ぶ、三大ホラースターのひとりです。
それで、ゾンビたちと踊るマイケル!
それを、本格的なホラーテイストで、ダンス・ミュージック・ビデオを作った。
これ、マイケル・ジャクソンの映画的教養があってのことです。マイケル・ジャクソンとビンセント・プライズ!
もう映画好きオーラがすごいです。
で、この人を見ていると、フレッド・アステアにいかに憧れていたかがわかります。フレッド・アステア! 知ってまっか?
アステアは'33年に映画デビューして以来、50年代までハリウッドのミュージカル映画の全盛期をトップで走った20世紀を代表するダンサーですわ。
マイケル・ジャクソンは確かに見せるミュージックを発明したように言われていますが、映画の中でアステアと、バズビー・バークレイという2人の天才が、音楽を見せるという実験をやっていたんです。特にフレッド・アステアは、そのタップの音が楽器のようで、身体の線からこなし、動き、スタイル、それらが全部、音楽、ジャズそのものだったんです。エレガントで、シャープで。その歌声もビング・クロスビーかアステアか、と言われたほどで。
マイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」(88)は、完璧にアステアへのオマージュ。ジューク・ボックスにコインを入れるところからダンスが始まるというのは、アステアとクィーン・オブ・タップと称されたエレノア・パウエルと共演した『踊るニューヨーク』(40)にあるジューク・ボックス・ダンスの始まりなんですが、その後展開するのはアステアの代表作『バンド・ワゴン』(53)のガールハント・ダンスそのものなんです。衣装、セット、雰囲気、身体の動き、振り付け、周りのダンサーたちの描写。そら40年後の音楽ですからそこは違いまっせ。でも、共演の女性ダンサーもシド・シャリーズばりの真っ赤なドレスを広げて・・・。まあ見比べたらわかります。おそらく、これはその前年に88歳でなくなったアステアに捧げたものなんだと思います。「Dangeros」(91)のライブ映像観たら、アステアの『トップ・ハット』(35)やったしね。『恋愛準決勝戦』(51)の「You're All The World to me」からインスパイアしたと思われるものも何本かありますし。また、ポール・マッカートニーと共演した「Say、Say、Say」(83)は、『雨に唄えば』(52)のジーン・ケリーとドナルド・オコーナーのコンビを思わせますしね。
ちなみにマイケルはアメリカの生んだ最高のオーケストラ指揮者、レナード・バーンスタインのダイナミックなあの指揮姿からも、ダンスのインスピレーションをもらったとも言いますし(動きが派手すぎて指揮棒でコンサート・マスターの譜面台を倒したというエピソードが)、バーンスタインというと、あのスコセッシ監督のMV『BAD』(87)の地下通路でのダンスは、バーンスタインが作曲した『ウエストサイド物語』(映画は61年)の「Cool」のナンバーのイメージですわな。カメラの動きなんか、モロそう。
まあ、なにが言いたいのかというと、知識と教養が天才にはちゃんとある、ということなんです。そして映画やアクター、アーティストたちへの愛情と尊敬の念がある。
なんでも貪欲に取り入れて、おそらく拒否をすることなんてないでしょう。
無から有は生まれない。という物理の法則があるようですけど、古典、スタンダードをもとにして、改良したり、パワーアップしたり、現代風のスタイルに変えたり、別のものと組み合わせたり、一旦ぶち壊したり・・・。そうやって新しいものができる。
スピルバーグなんて、そうですやん。あるインタビューに答えて「僕の作品は、ディズニーであり、クロサワであり、ジョン・フォード、ジョン・ヒューストン、スタンリー・キューブリックなんだ」と言っていた。そういや先日、WOWOWでハイビジョン放映されていた『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のトップシーンは、バズビー・バークレイへのオマージュでした。「エニシング・ゴーズ!」
スピルバーグやマイケル・ジャクソンは観て、「わあー!」「すげぇ!」とか言いながら、彼らの原点とか基にあるものは知ろうとしない。知らなくて平気。
昔、専門学校時代の教え子で、映画監督志望のヤツがMVモドキを撮って得意になっていたんですが、なにもかもモノマネ、ツギハギでしかなく、愛情もオマージュもパロディでさえもなかった。ただ、スタイルをパクッただけ。アステアやジーン・ケリー、バズビー・バークレイのミュージカルを観ろ、と言っても観もせずに「僕はミュージカルを撮るわけじゃなんで」と言うて、結局観なかった。信じられんことに、それで彼はMV専門の監督になる、とか言い出して。きっと映画とかドラマが撮れなかったから、逃げたんやと私は思いましたけど。MV専門の監督なんて、おそらく日本にはいない。当然、彼、消えましたけど。
でもねえ、なんで観るのを拒否するのかわからない。
映像の専門家になると言いながら、ミュージカルや昔の映画を観るのを、面倒くさがるというのは、結局映画に愛情も思い入れもないということやんねぇ。
押井監督の言うように、知らなくてもいいじゃん、という空気は確かにある。で、それはマズい!
しかし、MVをまるで映画のような域まで押し上げたマイケル・ジャクソンはちゃんと観ている、研究している、尊敬の念をもっている。
そら、全然違うもんが生まれますわ。
今は、なんでも猿真似のできる時代なんですな。
パソコンだのCGだのを使って、らしきものは作れる。イラストも手で描かなくても、パソコンが処理してくれて・・・そういうマンガも出てきた。
プロのイラストレーターを目指しながら、絵の具の調合をしたことないという子もいるし。
小説もケータイ小説なんてのが出てきて。否定はしませんけど、ずいぶんヒドいものもありますわ。
器用な人は、そういうテクニックでゴマかしてなんとか。
でも作品は思い入れとか、こだわりとか、主張とか、そういうものがないと、魂というか、パーソナルなものが出ない。そんな作品はツマらんです。
スタンダードを知らないで、新しいものなんか絶対にできませんからな。
ストレートも投げられんヤツに、すごい変化球が投げられるわけがないのと同じように。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
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少し前のことですが。
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「中山先生は、エンターテイメントの原点は、古いもの、古典、スタンダードって言うてるようやけど、それは違うと思う。いかに新しいものを作るか、それを俺らはやっていきたいわけやから、古いものを観ろなんて、意味ないと思う」と言われたそうな。
また、ある塾生に「お前ら若い人は、どうもあれ観とけ、これ読んどけと言っても、古いものをバカにする風潮があるけどなんでや?」と尋ねると、「興味ないというより、面倒くさいんですよ」と言われました。
面倒くさいって、どういうこっちゃねん?
押井守さんが『押井守全仕事』(キネマ旬報社)の四方田犬彦さんとの対談で、もう私の思っていることをそのまま言っています。引用します。
押井「アニメの現場で、ぼくより一世代下の30くらいの演出家で、もうゴダールを知らない。ヌーヴェルヴァーグも知らない。このときにはかなり驚いたんだけど、別にその人が特殊なのではなくて、だいたいそういうものなんです。ぼくが大学時代にもった映画体験というものは、今の若い子には全然知識としても存在しない。映像的な教養というものがなくても、よくなっちゃった」
四方田「なくても不自由しないという変な共通了解ができてしまった。無知であることが平気である、と」
そうなんです。
無知でもいても、それでいいじゃん、悪い? という雰囲気がある。
で、5月に塾に来てくれたアニメ作家の角銅博之さんも、まったく同じことを言われました。「それじゃあ、いいものはできない」って。
まあ塾は、私のそれではいかん、という気持ちに共感して入ってくる若い人が多いので、まだマシなんですけど、私が以前教えていた専門学校の学生とか、最近接する大学生なんかと話していると、それは確実に感じます。言うと目覚めるのもいますけど。
とはいえ、塾生にもいます。無知でも平気な顔をしているのが。
いや、無知はいいんです。そらしょうがない。でも、それが平気というのは困る。
ちょっと話は変わりますけど。
マイケル・ジャクソンが死んでから、もう半月ほど経ちました。
きっちり私なんか、マイケル世代なんです。
まあ、そんなに熱狂して観ていたわけではないんですけど、なんか心の、頭のスミっこには必ずマイケル・ジャクソンという存在はあったというか。
天才、というのは時代とフィットすることも条件なんですな。
ちょうど彼が注目された「スリラー」は、82年に出た。ビデオソフトというものがビジネスになろうとする直前のことです。
このビデオを最初に観たとき、これは衝撃でしたな。
ご存知のように、これはミュージックビデオとして大成功し、前年に全米のケーブルテレビにて放送開始したMTVと同調しました。本来はミュージック・プロモーション、つまり、シングルレコードのPVとして位置づけられていたものを、完成された映像作品、つまり映画にしようとしたんですな、マイケルは。
オレ、ミュージシャンやねんから、音楽だけやっといたらええやん。では、あのスーパースター、マイケル・ジャクソンはなかった。映画マニアとしてのスタンスが、あの衝撃MVを作った!
「スリラー」の、あのゾンビのイメージは、その4、5年前に無名のジョージ・A・ロメロが監督した『ゾンビ(Dawn Of The Dead)』の影響がモロ、というよりマイケルは、あの映画を観ながら、ゾンビたちとダンスができないかとか考えていたのでしょうか? もうその発想が、常人と違いまんな。これも時代のタイミング。
監督がジョン・ランディス。 『ブルース・ブラザーズ』『狼男アメリカン』とヒットを飛ばしてスピルバーグと共に将来を期待された新鋭監督。ただしビック・モローのヘリコプター事故が現場であってのトラウマから、立ち直れなかったようで・・・
あのゾンビメイクは、リック・ベイカーが担当。ちょうど『ハウリング』『狼男アメリカン』、日本では未公開で、輸入ビデオがカルト人気となった『ヴィデオドローム』と、特殊メイクというものが注目され出した頃なんですが、それにはこの人の功績が大きい。人体がバキバキと音を立てながら変化していったり、ボカーン! と破壊されたりというのをテクニックを使って見せた最初のアーティストが、リックと弟子のロブ・ボッティン。
最初、マイケルの顔が狼男に変身する場面がありますが、あれこそ『ハウリング』のパロディですわ。
「5分前は人間だった」というのが当時の『ハウリング』のコピー。
そういう才能に注目して、また共に仕事をするんですな。
才能を認める、というのも立派な才能です。
おまけに、ゾンビどもが墓石や石棺から這い出すときに流れるホラー・ムードあふれるナレーションの声の主は、ビンセント・プライズ!
ピーター・カッシング、クリストファー・リーと並ぶ、三大ホラースターのひとりです。
それで、ゾンビたちと踊るマイケル!
それを、本格的なホラーテイストで、ダンス・ミュージック・ビデオを作った。
これ、マイケル・ジャクソンの映画的教養があってのことです。マイケル・ジャクソンとビンセント・プライズ!
もう映画好きオーラがすごいです。
で、この人を見ていると、フレッド・アステアにいかに憧れていたかがわかります。フレッド・アステア! 知ってまっか?
アステアは'33年に映画デビューして以来、50年代までハリウッドのミュージカル映画の全盛期をトップで走った20世紀を代表するダンサーですわ。
マイケル・ジャクソンは確かに見せるミュージックを発明したように言われていますが、映画の中でアステアと、バズビー・バークレイという2人の天才が、音楽を見せるという実験をやっていたんです。特にフレッド・アステアは、そのタップの音が楽器のようで、身体の線からこなし、動き、スタイル、それらが全部、音楽、ジャズそのものだったんです。エレガントで、シャープで。その歌声もビング・クロスビーかアステアか、と言われたほどで。
マイケル・ジャクソンの「Smooth Criminal」(88)は、完璧にアステアへのオマージュ。ジューク・ボックスにコインを入れるところからダンスが始まるというのは、アステアとクィーン・オブ・タップと称されたエレノア・パウエルと共演した『踊るニューヨーク』(40)にあるジューク・ボックス・ダンスの始まりなんですが、その後展開するのはアステアの代表作『バンド・ワゴン』(53)のガールハント・ダンスそのものなんです。衣装、セット、雰囲気、身体の動き、振り付け、周りのダンサーたちの描写。そら40年後の音楽ですからそこは違いまっせ。でも、共演の女性ダンサーもシド・シャリーズばりの真っ赤なドレスを広げて・・・。まあ見比べたらわかります。おそらく、これはその前年に88歳でなくなったアステアに捧げたものなんだと思います。「Dangeros」(91)のライブ映像観たら、アステアの『トップ・ハット』(35)やったしね。『恋愛準決勝戦』(51)の「You're All The World to me」からインスパイアしたと思われるものも何本かありますし。また、ポール・マッカートニーと共演した「Say、Say、Say」(83)は、『雨に唄えば』(52)のジーン・ケリーとドナルド・オコーナーのコンビを思わせますしね。
ちなみにマイケルはアメリカの生んだ最高のオーケストラ指揮者、レナード・バーンスタインのダイナミックなあの指揮姿からも、ダンスのインスピレーションをもらったとも言いますし(動きが派手すぎて指揮棒でコンサート・マスターの譜面台を倒したというエピソードが)、バーンスタインというと、あのスコセッシ監督のMV『BAD』(87)の地下通路でのダンスは、バーンスタインが作曲した『ウエストサイド物語』(映画は61年)の「Cool」のナンバーのイメージですわな。カメラの動きなんか、モロそう。
まあ、なにが言いたいのかというと、知識と教養が天才にはちゃんとある、ということなんです。そして映画やアクター、アーティストたちへの愛情と尊敬の念がある。
なんでも貪欲に取り入れて、おそらく拒否をすることなんてないでしょう。
無から有は生まれない。という物理の法則があるようですけど、古典、スタンダードをもとにして、改良したり、パワーアップしたり、現代風のスタイルに変えたり、別のものと組み合わせたり、一旦ぶち壊したり・・・。そうやって新しいものができる。
スピルバーグなんて、そうですやん。あるインタビューに答えて「僕の作品は、ディズニーであり、クロサワであり、ジョン・フォード、ジョン・ヒューストン、スタンリー・キューブリックなんだ」と言っていた。そういや先日、WOWOWでハイビジョン放映されていた『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のトップシーンは、バズビー・バークレイへのオマージュでした。「エニシング・ゴーズ!」
スピルバーグやマイケル・ジャクソンは観て、「わあー!」「すげぇ!」とか言いながら、彼らの原点とか基にあるものは知ろうとしない。知らなくて平気。
昔、専門学校時代の教え子で、映画監督志望のヤツがMVモドキを撮って得意になっていたんですが、なにもかもモノマネ、ツギハギでしかなく、愛情もオマージュもパロディでさえもなかった。ただ、スタイルをパクッただけ。アステアやジーン・ケリー、バズビー・バークレイのミュージカルを観ろ、と言っても観もせずに「僕はミュージカルを撮るわけじゃなんで」と言うて、結局観なかった。信じられんことに、それで彼はMV専門の監督になる、とか言い出して。きっと映画とかドラマが撮れなかったから、逃げたんやと私は思いましたけど。MV専門の監督なんて、おそらく日本にはいない。当然、彼、消えましたけど。
でもねえ、なんで観るのを拒否するのかわからない。
映像の専門家になると言いながら、ミュージカルや昔の映画を観るのを、面倒くさがるというのは、結局映画に愛情も思い入れもないということやんねぇ。
押井監督の言うように、知らなくてもいいじゃん、という空気は確かにある。で、それはマズい!
しかし、MVをまるで映画のような域まで押し上げたマイケル・ジャクソンはちゃんと観ている、研究している、尊敬の念をもっている。
そら、全然違うもんが生まれますわ。
今は、なんでも猿真似のできる時代なんですな。
パソコンだのCGだのを使って、らしきものは作れる。イラストも手で描かなくても、パソコンが処理してくれて・・・そういうマンガも出てきた。
プロのイラストレーターを目指しながら、絵の具の調合をしたことないという子もいるし。
小説もケータイ小説なんてのが出てきて。否定はしませんけど、ずいぶんヒドいものもありますわ。
器用な人は、そういうテクニックでゴマかしてなんとか。
でも作品は思い入れとか、こだわりとか、主張とか、そういうものがないと、魂というか、パーソナルなものが出ない。そんな作品はツマらんです。
スタンダードを知らないで、新しいものなんか絶対にできませんからな。
ストレートも投げられんヤツに、すごい変化球が投げられるわけがないのと同じように。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
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kaidanyawa at 20:22|Permalink│Comments(0)│
2009年07月09日
7/8の小説技法
中山市朗です。
今週の月、火曜あたりに、作家でライター兼総務のスガノくんが、東京の出版社に営業をかけに行っていたそうです。
本来、会ってくれません。
電話でアポを取ろうとしても、言われることはどこも同じ。
「出版不況だから企画は通らない」
「新人はいらない」
「実績がない人とは、そもそも会わない」
キツイですなあ。
でもこれ、文章で食っていこうとする人たちの通過儀礼。
私も昔、さんざん言われた言葉です。
そんな中でスガノくんは4社の編集さんと会って、色々交渉したみたいです。
4社!
これはすごいでっせ。
ちなみにひとり、大阪出身で大阪の雑誌の元編集者で、大阪を小バカにしている編集さんがいたとか。許せ〜ん!
ちなみにマンガは持ち込み歓迎の編集部はいっぱいありますが、小説とかライターの持ち込みは、基本的にあまり歓迎されませんし、邪魔者扱いされます。
「小説の持ち込みは受け付けていません」
と、キッパリ断言している出版社もあります。
まあ小説は「賞に投稿すれば?」と言われるのがオチ。
だから作家志望者は、何か自分で狙う新人賞に向けて書いて送って、返答を待つ。
でも新人賞、どれだけの難関率?
また、新人賞を獲ったら、あとは光り輝く作家人生が待っている?
そんなん幻想。
いや、そんな人も確かにいますが、それもまた一部。
出版不況というのは事実ですからな。
自分の小説が仮に出版されて書店に並んでも、売れない時代。
だからこそ、スガノくんのように、とにかく文章を書くことで食うための営業、持ち込みはやらなあきません。これは出版業界を知るためにも必要。
えっ? でも会ってくれないんでしょうって?
持ち込み、営業はやりようなんです。
その辺りは、今度飲み会などでスガノくんを捕まえて聞き出してください。
ちょっと彼なりの戦略で攻めたみたいです。これは参考になる、というか、私が「作劇塾」を作った理念の実践を彼はやっている。
まあ、あのスケベなホラ吹き男(?)でも、それなりの立場の人に会ってもらって、ちゃんと交渉して仕事をゲットしようとしている。だから塾生諸君も、要はほんまにクリエイターとして食っていく本気度の問題やと思う。
だて、一応(この一応という言葉が実は鬼門なんですけど)、本気でプロの文筆業、著述業を目指している小説コースの塾生作品の合評の報告、といきますか!
Aくんの初小説。彼は入塾前は映画を撮っていたんですけど、だからでしょうか、文体がシナリオっぽい。これは地の文が状況や動きの説明に終始しているから。もっと主人公の過去や心情、ふとした思いなどを書きましょう。それとまだキャッチがない。つまりこの作品の方向性。題名は『喪失』とありますが、この小説のジャンルは?
Kレンジャーは『怪物園』というタイトルの小説を書いてきた。タイトルには惹きつけられるという塾生もいましたが、「ちょっと待て。キミはダメ出ししたら。そこを直さず別のモノを書いてきて、それにアカを入れたらまた別のモノを書いてくるということを繰り返しているから、ちっとも上達していない。これはほんまに書きたいモノなの?」と質問。「はい。これで最後まで仕上げます」というので、それではとアカの指摘。で、知らないことは調べずにすっ飛ばしちゃうのも悪い癖。「参考にこれ読んだら? とアドバイスをしても、キミは読まないやん」という意見具申も塾生たちから出たけど、もっとモノづくりを真摯に受け止めんと。毎回キツイこと言うてるようやけど、ホンマ改まらんから。
Sくんの奇譚小説は、Sくん自身が考えすぎて袋小路に迷い込んでいる感じ。でも本人が思うほどつまらなくはない。いや、むしろ文体も世界観も好感がもてるので、このまま次の章へ進んでもらいたい。とにかく彼の狙いは狂った世界と、最終的に読者をどうだますか。ということだと明確なんだから。迷うより書くべし。
T野くんのSFと怪談の合体(?)小説は、元の無機質な文体と世界観に戻った。私はこれが月面基地の無機質感と孤独感が出て、SFムードが全面に出て好きですけどねえ。ちょっとレムの『ソラリスの陽のもとに』みたいで。またちょっと海外文学の翻訳文みたいなところも、わざとらしくなくムードを出しています。今回はその、霊、らしきものが月面基地の廊下に出現したところで終わっているので、続きが読みたい。次は恐怖をどう表現するかが課題になってきまっせ。
N子さんのホラー小説も湿った文体が世界観にフィットしています。ただ、主人公の女の子がワンルームのマンションに住んでいるという状況が、全然イメージされないのはおそらくN子さん自身がそういう場所に住んでいなかったからかな、と。一人住まいの塾生たちから、なんやかんやとアドバイスが。それと感情の強調の仕方も問題になりましたが、通常、普通に感じるものを省いたり、感知しなかったり、ということも人間の感情の強調としてありえるわけで。要はそれを計算して書いているかどうか。
Hさんの不倫小説もそろそろ佳境に入ってくる頃ですが・・・この小説は、一人の中年から初老となっていく男を巡っての、不倫をしている女と、されている女(妻)の心情が表裏一体となるという構成になっているんです。この二人の女たちも歳をとりながら、決して直接顔を合わせずに、しかしどこかでは接点なり接触を仕掛けて相手の反応を見て、嘲笑したり嫉妬したり自己嫌悪に陥ったり・・・そこが読ませどころのひとつなんですが。今回は、されている女が、している女の職場に送り続ける手紙の内容がゾゾゾッとさせるはずでしたが、ちょっとこの手紙はまだ狂っていない。思い込み、整合性の無い、破綻している、そんなことが感じられる手紙にすると、これは今後の布石にもなって、この章の意味も出てきます。あと鬼となった母親の自殺した桜の木の描写が、どっちやねん、と読者に混乱をもたらしそう。
Yくんのヒーローものは、私にすればアクション、アクションが連続していて、リズムとテンポがこの作品を支えているように思えます。ところが前回、この章になって急にアクションが止まり、登場人物たちが延々突っ立って起こっている事件の解説をしているような印象になったので、「枚数を気持ち半分にしてみろ」とアドバイスしたところ、ちゃんと半分くらいになった。すると物語が展開し始めました。流れも出てきた。このまま次のエピソードに進もう!
Tくんの『クリエイターズファイト』はもう最終章も半ば過ぎた頃なのに、まだ全体の起承転結の転のような印象。悪い意味ではない。次から次へと事件が起こり、謎が投与され、主人公が翻弄される。読んでいて面白いし、次どうなるんやろ、と気にもなる。でも、どうやって終わるのやろ。と、そこも計算しなきゃならないんだけど・・・。
全体の構成がちょっと心配になってきました。
もう一章増やすか?
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
今週の月、火曜あたりに、作家でライター兼総務のスガノくんが、東京の出版社に営業をかけに行っていたそうです。
本来、会ってくれません。
電話でアポを取ろうとしても、言われることはどこも同じ。
「出版不況だから企画は通らない」
「新人はいらない」
「実績がない人とは、そもそも会わない」
キツイですなあ。
でもこれ、文章で食っていこうとする人たちの通過儀礼。
私も昔、さんざん言われた言葉です。
そんな中でスガノくんは4社の編集さんと会って、色々交渉したみたいです。
4社!
これはすごいでっせ。
ちなみにひとり、大阪出身で大阪の雑誌の元編集者で、大阪を小バカにしている編集さんがいたとか。許せ〜ん!
ちなみにマンガは持ち込み歓迎の編集部はいっぱいありますが、小説とかライターの持ち込みは、基本的にあまり歓迎されませんし、邪魔者扱いされます。
「小説の持ち込みは受け付けていません」
と、キッパリ断言している出版社もあります。
まあ小説は「賞に投稿すれば?」と言われるのがオチ。
だから作家志望者は、何か自分で狙う新人賞に向けて書いて送って、返答を待つ。
でも新人賞、どれだけの難関率?
また、新人賞を獲ったら、あとは光り輝く作家人生が待っている?
そんなん幻想。
いや、そんな人も確かにいますが、それもまた一部。
出版不況というのは事実ですからな。
自分の小説が仮に出版されて書店に並んでも、売れない時代。
だからこそ、スガノくんのように、とにかく文章を書くことで食うための営業、持ち込みはやらなあきません。これは出版業界を知るためにも必要。
えっ? でも会ってくれないんでしょうって?
持ち込み、営業はやりようなんです。
その辺りは、今度飲み会などでスガノくんを捕まえて聞き出してください。
ちょっと彼なりの戦略で攻めたみたいです。これは参考になる、というか、私が「作劇塾」を作った理念の実践を彼はやっている。
まあ、あのスケベなホラ吹き男(?)でも、それなりの立場の人に会ってもらって、ちゃんと交渉して仕事をゲットしようとしている。だから塾生諸君も、要はほんまにクリエイターとして食っていく本気度の問題やと思う。
だて、一応(この一応という言葉が実は鬼門なんですけど)、本気でプロの文筆業、著述業を目指している小説コースの塾生作品の合評の報告、といきますか!
Aくんの初小説。彼は入塾前は映画を撮っていたんですけど、だからでしょうか、文体がシナリオっぽい。これは地の文が状況や動きの説明に終始しているから。もっと主人公の過去や心情、ふとした思いなどを書きましょう。それとまだキャッチがない。つまりこの作品の方向性。題名は『喪失』とありますが、この小説のジャンルは?
Kレンジャーは『怪物園』というタイトルの小説を書いてきた。タイトルには惹きつけられるという塾生もいましたが、「ちょっと待て。キミはダメ出ししたら。そこを直さず別のモノを書いてきて、それにアカを入れたらまた別のモノを書いてくるということを繰り返しているから、ちっとも上達していない。これはほんまに書きたいモノなの?」と質問。「はい。これで最後まで仕上げます」というので、それではとアカの指摘。で、知らないことは調べずにすっ飛ばしちゃうのも悪い癖。「参考にこれ読んだら? とアドバイスをしても、キミは読まないやん」という意見具申も塾生たちから出たけど、もっとモノづくりを真摯に受け止めんと。毎回キツイこと言うてるようやけど、ホンマ改まらんから。
Sくんの奇譚小説は、Sくん自身が考えすぎて袋小路に迷い込んでいる感じ。でも本人が思うほどつまらなくはない。いや、むしろ文体も世界観も好感がもてるので、このまま次の章へ進んでもらいたい。とにかく彼の狙いは狂った世界と、最終的に読者をどうだますか。ということだと明確なんだから。迷うより書くべし。
T野くんのSFと怪談の合体(?)小説は、元の無機質な文体と世界観に戻った。私はこれが月面基地の無機質感と孤独感が出て、SFムードが全面に出て好きですけどねえ。ちょっとレムの『ソラリスの陽のもとに』みたいで。またちょっと海外文学の翻訳文みたいなところも、わざとらしくなくムードを出しています。今回はその、霊、らしきものが月面基地の廊下に出現したところで終わっているので、続きが読みたい。次は恐怖をどう表現するかが課題になってきまっせ。
N子さんのホラー小説も湿った文体が世界観にフィットしています。ただ、主人公の女の子がワンルームのマンションに住んでいるという状況が、全然イメージされないのはおそらくN子さん自身がそういう場所に住んでいなかったからかな、と。一人住まいの塾生たちから、なんやかんやとアドバイスが。それと感情の強調の仕方も問題になりましたが、通常、普通に感じるものを省いたり、感知しなかったり、ということも人間の感情の強調としてありえるわけで。要はそれを計算して書いているかどうか。
Hさんの不倫小説もそろそろ佳境に入ってくる頃ですが・・・この小説は、一人の中年から初老となっていく男を巡っての、不倫をしている女と、されている女(妻)の心情が表裏一体となるという構成になっているんです。この二人の女たちも歳をとりながら、決して直接顔を合わせずに、しかしどこかでは接点なり接触を仕掛けて相手の反応を見て、嘲笑したり嫉妬したり自己嫌悪に陥ったり・・・そこが読ませどころのひとつなんですが。今回は、されている女が、している女の職場に送り続ける手紙の内容がゾゾゾッとさせるはずでしたが、ちょっとこの手紙はまだ狂っていない。思い込み、整合性の無い、破綻している、そんなことが感じられる手紙にすると、これは今後の布石にもなって、この章の意味も出てきます。あと鬼となった母親の自殺した桜の木の描写が、どっちやねん、と読者に混乱をもたらしそう。
Yくんのヒーローものは、私にすればアクション、アクションが連続していて、リズムとテンポがこの作品を支えているように思えます。ところが前回、この章になって急にアクションが止まり、登場人物たちが延々突っ立って起こっている事件の解説をしているような印象になったので、「枚数を気持ち半分にしてみろ」とアドバイスしたところ、ちゃんと半分くらいになった。すると物語が展開し始めました。流れも出てきた。このまま次のエピソードに進もう!
Tくんの『クリエイターズファイト』はもう最終章も半ば過ぎた頃なのに、まだ全体の起承転結の転のような印象。悪い意味ではない。次から次へと事件が起こり、謎が投与され、主人公が翻弄される。読んでいて面白いし、次どうなるんやろ、と気にもなる。でも、どうやって終わるのやろ。と、そこも計算しなきゃならないんだけど・・・。
全体の構成がちょっと心配になってきました。
もう一章増やすか?
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
kaidanyawa at 21:04|Permalink│Comments(10)│
2009年07月08日
アイドリング→寄席→ベストハウス
中山市朗です。
えーっ、いろいろ報告があります。
まず、4日。
のぞみ、ひかり、こだま、ローカル線急行、普通、と乗り継いで18時過ぎに神奈川県の二宮という町へ。
フジテレビのお迎えで、レンタルハウスのスタジオへ。
『アイドリング!!!』の出演です。
私の役目は、20歳から12歳までのアイドル(予備軍?)14人に怪談を聞かせることです。12歳? この春まで小学生やったって。どないしょ?
レンタルスタジオの屋根裏みたいな場所に三畳のスペースが。
ここで3人、3人、4人、4人と分けられた女の子たちとマジで膝を突き合わせた状態で怪談会。恐怖にひきつる彼女たちの表情。燃え(萌え?)ます!
京極夏彦さんが、以前なにかで「怪談を聞かす人は悪い人だ」と言っていましたが、なんか納得してしまいました。
この企画は、私のファンだというフジテレビのプロデューサーの独断のものだったようで、フジテレビの夏のイベントお台場合衆国で限定販売される「アイドリングDVD」にて観ることができるそうです。
でもこれ、アイドルを観ようと思って買ったら、映っているのはほとんどヒゲのおっさんで、なんや延々怪談を語っているというDVDになっちゃいそうですが?
それを言うと「中山さんのプロモーションビデオですねえ」となんか満足そうな番組P。私の怪談をナマで聞くのが長年の夢だったそうで・・・
この模様は、一部はフジテレビ『アイドリング日記』でも放送されるそうですが、関テレでは観れません。あしからず。
収録後はスタッフや、番組司会のバカリズム・升野英和さん、タカラジェンヌのようなフジアナウンサーの森本さやかさんたちと打ち上げ。升野さんたちをさんざん怖がらせて2時半頃、ホテルへ。
5日。
朝、9時頃起床して、ベランダに出ると、もう下の公園でアイドルの女の子たちは番組収録真っ最中。大変なのは、遅くまで飲んでいたスタッフたち。やっぱタフですな。
で、景色を観て「ああここか!」と気が付いた。
ここ、大磯のロングビーチですわ。
昔から、アイドルたちの水泳大会の番組は、眼下に見える野外プールで撮影されていたんですな。
今のアイドルには疎い私も、70年代、80年代は知ってまっせ。
「水泳大会」は観ていました。記憶が甦ります。
アグネス・ラム、河井奈保子、中森明菜、松田聖子、石野真子、南野陽子、早見優、小泉今日子、柏原芳江・・・。男のアイドル? 全然興味なし!
まあ、そんなんで、ちょっと感慨深い思いであたりを散策。
大阪に戻れたのは16時。ちょっと残務処理して、ミナミのワッハ上方へ。
そうです。私の率いる桐の一門の落語会です。
今回、私の出番はありませんが、楽屋に入ってなんやかんやと指示したり、高座姿を見届けたり。その詳細は、「へたなら寄席」HPにアップされるでしょうから、そちらで。
この日は、来年夏に4代目桂米紫を襲名される、桂都んぼさんが観客として来てくださって感謝。何人か塾生のご両親や兄弟という人たちも楽屋にこられて、差し入れもいただきました。ほんまありがとうございます。
打ち上げには都んぼさんにも参加していただき、その流れで朝まで。
芸談、映画談と、濃い話で盛り上がりましたが、後半あんまり覚えていません・・・。
6日。
二日酔いの頭を抱えて、私のマンションから歩いて15分ほどのところにある、イベントホールへ行く。
うちのスタッフが見つけてきて、使いやすいと聞いたのでこの目で確認。ホールのオーナーは元ミス日本とかいう女性。で、怪談がなにより好きということで、大変協力的ですので、ここを私のホームグラウンドにしようかと思っております。
まず、8月に二度、ここで怪談系のイベントをやります。
このブログ、あるいは塾のホームページをこまめにチェックしてください。
近く詳細のお知らせをします。
7日。
フジテレビ『ザ・ベストハウス123』の、またまた心霊ビデオのコメント収録。
3月の収録は東京で行なったのですが、今回は大阪の福島にあるスタジオで。
本番では3本放送されるのですが、許可が取れていないものもあるのでと、6本の心霊ビデオを見せられて、コメントを求められました。
ただ、私の意向で1本は完全にNGに。香港で流れた子供6人が出演するCMで、いないはずの女の子が映っている、と現地では気味悪がられてNGとなったというものですが・・・
まあ、香盤の間違いかな、と。編集モノですしね。
1本すごいのがあった。
引越しをしたばかりの家で、真っ昼間、家族がケータイのムービーを撮っていると、突然玄関の辺りに物凄く細い女が一瞬映り込む。撮っている女性もそれに気づいて、「えっえっ?」とすぐその場所にカメラを向けるのですが、もういない。
その間、0.何秒か。
でも一瞬、女は逆光を受けたシルエットとなってハッキリと映っているんです。それも足首などが異常に細く、立ち方もなんか妙で。下に影が落ちているので、物体として存在していたモノに違いない。それが一瞬で消える。
リアルなのが、撮っている人のリアクション。「えっ、えっ、なに? 今の?」とさっき女のいたあたりにカメラを向けながら、ちょっと笑っているんですよね。
ディレクターはその部分をカットしようとしていたみたいですが、「違う。妙なものを見たら、キャーッ! というのはドラマの世界。一瞬、今のなに? と懐疑心が起こって次に恐怖を受け入れられるのがイヤで、笑ってしまう。これがホント。おそらくこれは、夜に家族みんなで見ていてそこで初めて恐怖する・・・」と。
これ、ホンモノの奇妙なモノが映り込んだ映像に、間違いありませんわ。
ただ、これはまだ持ち主の許可が得られていないとかで、オンエアされるかは不明。
放送日は8月12日だそうです。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
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えーっ、いろいろ報告があります。
まず、4日。
のぞみ、ひかり、こだま、ローカル線急行、普通、と乗り継いで18時過ぎに神奈川県の二宮という町へ。
フジテレビのお迎えで、レンタルハウスのスタジオへ。
『アイドリング!!!』の出演です。
私の役目は、20歳から12歳までのアイドル(予備軍?)14人に怪談を聞かせることです。12歳? この春まで小学生やったって。どないしょ?
レンタルスタジオの屋根裏みたいな場所に三畳のスペースが。
ここで3人、3人、4人、4人と分けられた女の子たちとマジで膝を突き合わせた状態で怪談会。恐怖にひきつる彼女たちの表情。燃え(萌え?)ます!
京極夏彦さんが、以前なにかで「怪談を聞かす人は悪い人だ」と言っていましたが、なんか納得してしまいました。
この企画は、私のファンだというフジテレビのプロデューサーの独断のものだったようで、フジテレビの夏のイベントお台場合衆国で限定販売される「アイドリングDVD」にて観ることができるそうです。
でもこれ、アイドルを観ようと思って買ったら、映っているのはほとんどヒゲのおっさんで、なんや延々怪談を語っているというDVDになっちゃいそうですが?
それを言うと「中山さんのプロモーションビデオですねえ」となんか満足そうな番組P。私の怪談をナマで聞くのが長年の夢だったそうで・・・
この模様は、一部はフジテレビ『アイドリング日記』でも放送されるそうですが、関テレでは観れません。あしからず。
収録後はスタッフや、番組司会のバカリズム・升野英和さん、タカラジェンヌのようなフジアナウンサーの森本さやかさんたちと打ち上げ。升野さんたちをさんざん怖がらせて2時半頃、ホテルへ。
5日。
朝、9時頃起床して、ベランダに出ると、もう下の公園でアイドルの女の子たちは番組収録真っ最中。大変なのは、遅くまで飲んでいたスタッフたち。やっぱタフですな。
で、景色を観て「ああここか!」と気が付いた。
ここ、大磯のロングビーチですわ。
昔から、アイドルたちの水泳大会の番組は、眼下に見える野外プールで撮影されていたんですな。
今のアイドルには疎い私も、70年代、80年代は知ってまっせ。
「水泳大会」は観ていました。記憶が甦ります。
アグネス・ラム、河井奈保子、中森明菜、松田聖子、石野真子、南野陽子、早見優、小泉今日子、柏原芳江・・・。男のアイドル? 全然興味なし!
まあ、そんなんで、ちょっと感慨深い思いであたりを散策。
大阪に戻れたのは16時。ちょっと残務処理して、ミナミのワッハ上方へ。
そうです。私の率いる桐の一門の落語会です。
今回、私の出番はありませんが、楽屋に入ってなんやかんやと指示したり、高座姿を見届けたり。その詳細は、「へたなら寄席」HPにアップされるでしょうから、そちらで。
この日は、来年夏に4代目桂米紫を襲名される、桂都んぼさんが観客として来てくださって感謝。何人か塾生のご両親や兄弟という人たちも楽屋にこられて、差し入れもいただきました。ほんまありがとうございます。
打ち上げには都んぼさんにも参加していただき、その流れで朝まで。
芸談、映画談と、濃い話で盛り上がりましたが、後半あんまり覚えていません・・・。
6日。
二日酔いの頭を抱えて、私のマンションから歩いて15分ほどのところにある、イベントホールへ行く。
うちのスタッフが見つけてきて、使いやすいと聞いたのでこの目で確認。ホールのオーナーは元ミス日本とかいう女性。で、怪談がなにより好きということで、大変協力的ですので、ここを私のホームグラウンドにしようかと思っております。
まず、8月に二度、ここで怪談系のイベントをやります。
このブログ、あるいは塾のホームページをこまめにチェックしてください。
近く詳細のお知らせをします。
7日。
フジテレビ『ザ・ベストハウス123』の、またまた心霊ビデオのコメント収録。
3月の収録は東京で行なったのですが、今回は大阪の福島にあるスタジオで。
本番では3本放送されるのですが、許可が取れていないものもあるのでと、6本の心霊ビデオを見せられて、コメントを求められました。
ただ、私の意向で1本は完全にNGに。香港で流れた子供6人が出演するCMで、いないはずの女の子が映っている、と現地では気味悪がられてNGとなったというものですが・・・
まあ、香盤の間違いかな、と。編集モノですしね。
1本すごいのがあった。
引越しをしたばかりの家で、真っ昼間、家族がケータイのムービーを撮っていると、突然玄関の辺りに物凄く細い女が一瞬映り込む。撮っている女性もそれに気づいて、「えっえっ?」とすぐその場所にカメラを向けるのですが、もういない。
その間、0.何秒か。
でも一瞬、女は逆光を受けたシルエットとなってハッキリと映っているんです。それも足首などが異常に細く、立ち方もなんか妙で。下に影が落ちているので、物体として存在していたモノに違いない。それが一瞬で消える。
リアルなのが、撮っている人のリアクション。「えっ、えっ、なに? 今の?」とさっき女のいたあたりにカメラを向けながら、ちょっと笑っているんですよね。
ディレクターはその部分をカットしようとしていたみたいですが、「違う。妙なものを見たら、キャーッ! というのはドラマの世界。一瞬、今のなに? と懐疑心が起こって次に恐怖を受け入れられるのがイヤで、笑ってしまう。これがホント。おそらくこれは、夜に家族みんなで見ていてそこで初めて恐怖する・・・」と。
これ、ホンモノの奇妙なモノが映り込んだ映像に、間違いありませんわ。
ただ、これはまだ持ち主の許可が得られていないとかで、オンエアされるかは不明。
放送日は8月12日だそうです。
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2009年07月04日
中山市朗、アイドリング中
中山市朗です。
『幽』Vol.11が発売されました。
創刊以来続いていた、「中山市朗+北野誠 やじきた怪談旅日記」は休載です。残念です。
直前になってのNGとなったわけで、企画の代案がなかなか難しかったんです。
で、代わりと言っちゃあなんですが、
上方落語会の重鎮、自他共に認める怪談噺家・露の五郎兵衛師匠が亡くなったことも重なりましたので、
「追悼・露の五郎兵衛 上方怪談・大阪と怪談を語る」
という企画を掲載しました。
お相手は、今号の『幽』から大阪を舞台とした怪談を連載される、有栖川有栖さんです。
つまり創作塾塾長と、作劇塾塾長同士の激突?
とあいなりました。
狙った企画です。
私と有栖川さんの愛する大阪、憂う大阪を、怪談という切り口から斬っています。
どうか一読を。
それと私は露の五郎兵衛師匠についての追悼記事も描いておりますので、併せてどうぞ。
有栖川さんとの対談の前に、ふたりで天王寺七坂の探索をしております。
ここに作劇塾と創作塾、どちらの塾にも在籍している作家志望の高田豪、青谷圭の二人を同行させ、レポートを書かせています。
『幽』に掲載されていないエピソードを中心とした裏対談? が暴露されます。
次週の水曜日あたりに、二人の記事が塾のホームページから読めるようになると思いますので、そちらも読まれると『幽』の記事も面白さ倍増?
ところで私も、この直後東京へ飛んで、フジテレビ系の『アイドリング』という番組に出演、アイドル候補生たちの前で怪談を語ってきます。
『アイドリング』?
私も知りませんでしたが、「おニャンコクラブ」を彷彿させる「21世紀の新しいアイドルグループ」を生み出すアイドル育成番組だそうで、系列の関西テレビでは流れていないのでした。
私はそのアイドルの前で怪談を披露するのですが、
さっぱりイメージが湧きません。
また近く、このブログで報告いたします。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
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『幽』Vol.11が発売されました。
創刊以来続いていた、「中山市朗+北野誠 やじきた怪談旅日記」は休載です。残念です。
直前になってのNGとなったわけで、企画の代案がなかなか難しかったんです。
で、代わりと言っちゃあなんですが、
上方落語会の重鎮、自他共に認める怪談噺家・露の五郎兵衛師匠が亡くなったことも重なりましたので、
「追悼・露の五郎兵衛 上方怪談・大阪と怪談を語る」
という企画を掲載しました。
お相手は、今号の『幽』から大阪を舞台とした怪談を連載される、有栖川有栖さんです。
つまり創作塾塾長と、作劇塾塾長同士の激突?
とあいなりました。
狙った企画です。
私と有栖川さんの愛する大阪、憂う大阪を、怪談という切り口から斬っています。
どうか一読を。
それと私は露の五郎兵衛師匠についての追悼記事も描いておりますので、併せてどうぞ。
有栖川さんとの対談の前に、ふたりで天王寺七坂の探索をしております。
ここに作劇塾と創作塾、どちらの塾にも在籍している作家志望の高田豪、青谷圭の二人を同行させ、レポートを書かせています。
『幽』に掲載されていないエピソードを中心とした裏対談? が暴露されます。
次週の水曜日あたりに、二人の記事が塾のホームページから読めるようになると思いますので、そちらも読まれると『幽』の記事も面白さ倍増?
ところで私も、この直後東京へ飛んで、フジテレビ系の『アイドリング』という番組に出演、アイドル候補生たちの前で怪談を語ってきます。
『アイドリング』?
私も知りませんでしたが、「おニャンコクラブ」を彷彿させる「21世紀の新しいアイドルグループ」を生み出すアイドル育成番組だそうで、系列の関西テレビでは流れていないのでした。
私はそのアイドルの前で怪談を披露するのですが、
さっぱりイメージが湧きません。
また近く、このブログで報告いたします。
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2009年07月02日
7/1の作劇ゼミ
中山市朗です。
夏です。
怪談の季節です、って誰が決めた?
確かに夏には怪談、ホラーの出版物が書店に並び、映画が公開され、深夜やCSのテレビではホラー特集が組まれ、私も季節労働者のようにイベントだの、トークショーだの、番組出演だのの依頼がきます。
怪談を聞くと、ゾッと涼しい、とういことや、お盆という行事もあり、合宿だのキャンプだので怪談に接することが多いからでしょうか?
実は、夏に怪談をやる、というのは歌舞伎の世界からきているようで、昔の芝居小屋には冷房もなく、お客もあまり入らない。ならば変わった趣向の狂言を、ということで怪談ものが取り上げられたらしいんですな。
ということで、7月第一回目の講義は、怪談についてです。
私が木原と最初に『新・耳・袋』を出版したのは1990年の10月のことでした。今でこそ怪談文学の復権が成されましたが、当時は怪談なんて真剣にやっている人はほとんどいませんでした。
私が子供の頃に接した怪談といえば、新倉イワオ、中岡俊哉、つのだじろう。
新倉イワオさんは、『あなたの知らない世界』という心霊再現ドラマ。これは主婦向けのお昼のワイドショーの枠でやっていた。新倉イワオは放送作家で『笑点』の構成作家でもあられます。でも新倉イワオは、何より日本心霊協会理事として活躍されていて、日本で最初の心霊番組を作ったのもこの人なのだそうです。
みなさんは心霊写真を持っていると祟られるとか、霊障が起きるとか信じていませんか? それを言い出したのは中岡俊哉さん。テレビに心霊コメンテーターとして出演されたり、著作も400冊あるという人。背後霊だの、浮遊霊だのという造語もこの人が作った。この人はUFOだの超能力だのも一緒くたに解説したりしてはったので、怪談はなにやら怪しいオカルトまがいなもの、というイメージもこの人からきています。
心霊写真を持っていても祟られませんから。
つのだじろうさんは、『恐怖新聞』『うしろの百太郎』。この人もUFO体験から超常現象の研究を始めた人で、それがマンガの中に生かされたんですな。コックリさんのやり方とか除霊だとか、心霊現象を解説していった。
三人とも、怪談というよりは不可解な現象に理屈をつけようとしたんです。
怪談をやる人はありえない怪異を肯定する人、というイメージがここに植えつけられてしまったんですな。
怪談はオカルト現象を肯定した上で解明をする愚かなもの、という妙なイメージも出てきました。
この三人の後で、稲川淳二さんが出てきて、この人は怪談を語るということをやります。
彼も、自身の体験をもとに語るというスタイルですから、やっぱり怪談をやる人は、幽霊だの心霊だのを本気で信じている人。というイメージがまずます植えつけられます。
霊感。
霊感があるから幽霊を見たり感じたりする。
霊感がないから見ない。
そんな都市伝説まがいの風潮も、この頃生まれました。
まともな作家も、怪談なんて書かなかったしね。
20歳になるまでに霊を見なかったら、もう一生霊は見ない、なんていうのも、おそらく上記の人たちが言い出したこと。でも70年代、80年代、90年代も怪談といえば、この人たち。
私も放送作家として本格的な怪談番組を、と随分関西の放送局をまわったんですが、言われることは同じ。
「うちはオカルトはやらないんで・・・」
怪談をオカルトにしちゃったのは、あんたらやろ!
なんでオウムの問題と怪談がゴッチャになるの? なんて思ったこともありました。
怪談とは話芸だ!
そう叫び続けて20年。ようやく今になって一流の作家さんたちが怪談を書き、怪談文学賞なんてのができて、怪談は語り聞くエンターテイメントだ、と認知されだしました。
怪談を書く、語るで肝心なのは、実は懐疑精神なんです。
肯定して語っちゃうと、なんか電波系というか、おもしろくない。
霊感がある、というスタンスで話される怪談が、あまり怖くないのは、それが当たり前だから。当たり前のことは怖くないんです。
日常に、ありえないことが起こるから、ポッカリ闇が空くから、そこを懐疑の目で見るところが怖いわけなんです。
だから『新耳袋』や私の語る怪談に、あまり霊能者という人は出てこない。
霊能者自体が非日常的な存在ですから。
えっ、『なまなりさん』?
あれは、ほんま特殊な例です。
書き方も世界観も『新耳袋』とは真逆。
書いてて面白かったんですけど。
さて、怪談とは怪を語る、座のコミュニケーションの場。
話の素材を取材してきて、選んで構成する。話のある部分を省いたり、順番を変えてみたり、描写を工夫したり。そして人の前で語る。すぐに反応がある。
ダメだったとしたら、それは表現力なのか、構成力なのか、話のチョイスを間違えたか・・・これは物語を展開させるには、すごい勉強になります。
ということで塾生諸君。
今度、夜を徹して怪談会をやろうじゃないか。
条件は、友達でも家族でも職場の人でもいいから、実話と思われる怪談をひとつは披露すること。自身の体験があれば、なおよし、です。
という提案もしてみました。
次回の講義は、怪談描写のテクニックを。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。
夏です。
怪談の季節です、って誰が決めた?
確かに夏には怪談、ホラーの出版物が書店に並び、映画が公開され、深夜やCSのテレビではホラー特集が組まれ、私も季節労働者のようにイベントだの、トークショーだの、番組出演だのの依頼がきます。
怪談を聞くと、ゾッと涼しい、とういことや、お盆という行事もあり、合宿だのキャンプだので怪談に接することが多いからでしょうか?
実は、夏に怪談をやる、というのは歌舞伎の世界からきているようで、昔の芝居小屋には冷房もなく、お客もあまり入らない。ならば変わった趣向の狂言を、ということで怪談ものが取り上げられたらしいんですな。
ということで、7月第一回目の講義は、怪談についてです。
私が木原と最初に『新・耳・袋』を出版したのは1990年の10月のことでした。今でこそ怪談文学の復権が成されましたが、当時は怪談なんて真剣にやっている人はほとんどいませんでした。
私が子供の頃に接した怪談といえば、新倉イワオ、中岡俊哉、つのだじろう。
新倉イワオさんは、『あなたの知らない世界』という心霊再現ドラマ。これは主婦向けのお昼のワイドショーの枠でやっていた。新倉イワオは放送作家で『笑点』の構成作家でもあられます。でも新倉イワオは、何より日本心霊協会理事として活躍されていて、日本で最初の心霊番組を作ったのもこの人なのだそうです。
みなさんは心霊写真を持っていると祟られるとか、霊障が起きるとか信じていませんか? それを言い出したのは中岡俊哉さん。テレビに心霊コメンテーターとして出演されたり、著作も400冊あるという人。背後霊だの、浮遊霊だのという造語もこの人が作った。この人はUFOだの超能力だのも一緒くたに解説したりしてはったので、怪談はなにやら怪しいオカルトまがいなもの、というイメージもこの人からきています。
心霊写真を持っていても祟られませんから。
つのだじろうさんは、『恐怖新聞』『うしろの百太郎』。この人もUFO体験から超常現象の研究を始めた人で、それがマンガの中に生かされたんですな。コックリさんのやり方とか除霊だとか、心霊現象を解説していった。
三人とも、怪談というよりは不可解な現象に理屈をつけようとしたんです。
怪談をやる人はありえない怪異を肯定する人、というイメージがここに植えつけられてしまったんですな。
怪談はオカルト現象を肯定した上で解明をする愚かなもの、という妙なイメージも出てきました。
この三人の後で、稲川淳二さんが出てきて、この人は怪談を語るということをやります。
彼も、自身の体験をもとに語るというスタイルですから、やっぱり怪談をやる人は、幽霊だの心霊だのを本気で信じている人。というイメージがまずます植えつけられます。
霊感。
霊感があるから幽霊を見たり感じたりする。
霊感がないから見ない。
そんな都市伝説まがいの風潮も、この頃生まれました。
まともな作家も、怪談なんて書かなかったしね。
20歳になるまでに霊を見なかったら、もう一生霊は見ない、なんていうのも、おそらく上記の人たちが言い出したこと。でも70年代、80年代、90年代も怪談といえば、この人たち。
私も放送作家として本格的な怪談番組を、と随分関西の放送局をまわったんですが、言われることは同じ。
「うちはオカルトはやらないんで・・・」
怪談をオカルトにしちゃったのは、あんたらやろ!
なんでオウムの問題と怪談がゴッチャになるの? なんて思ったこともありました。
怪談とは話芸だ!
そう叫び続けて20年。ようやく今になって一流の作家さんたちが怪談を書き、怪談文学賞なんてのができて、怪談は語り聞くエンターテイメントだ、と認知されだしました。
怪談を書く、語るで肝心なのは、実は懐疑精神なんです。
肯定して語っちゃうと、なんか電波系というか、おもしろくない。
霊感がある、というスタンスで話される怪談が、あまり怖くないのは、それが当たり前だから。当たり前のことは怖くないんです。
日常に、ありえないことが起こるから、ポッカリ闇が空くから、そこを懐疑の目で見るところが怖いわけなんです。
だから『新耳袋』や私の語る怪談に、あまり霊能者という人は出てこない。
霊能者自体が非日常的な存在ですから。
えっ、『なまなりさん』?
あれは、ほんま特殊な例です。
書き方も世界観も『新耳袋』とは真逆。
書いてて面白かったんですけど。
さて、怪談とは怪を語る、座のコミュニケーションの場。
話の素材を取材してきて、選んで構成する。話のある部分を省いたり、順番を変えてみたり、描写を工夫したり。そして人の前で語る。すぐに反応がある。
ダメだったとしたら、それは表現力なのか、構成力なのか、話のチョイスを間違えたか・・・これは物語を展開させるには、すごい勉強になります。
ということで塾生諸君。
今度、夜を徹して怪談会をやろうじゃないか。
条件は、友達でも家族でも職場の人でもいいから、実話と思われる怪談をひとつは披露すること。自身の体験があれば、なおよし、です。
という提案もしてみました。
次回の講義は、怪談描写のテクニックを。
中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
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