2009年10月

2009年10月31日

入院日記その14 妄想のお相手

中山のノートより

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 夜中から早朝にあけて、私は妄想をして過ごすことがよくある。
 ところが、これが辛いのである。
 今何時なのかがわからない。
 時計はないし、テレビも観れない。
 だから眠れるまで延々と妄想し続けるしかないのだ。
 せめて、私の妄想や考えに返事をしてくれる相手でもいれば・・・

 ところで話は変わるのだが、病院のベッドにはリモコンがついていて

nakayama_nyuuin_04
こんな感じ。
ベッドの具合がいろいろ調節できるのだ。
例えば、「あたま」の↑を押せば、ベッドの頭の部分がリクライニングのように上がってくるし、「あし」の↑を押すと足の部分が上がっていく。このとき、ベッドが喋るのだ。

女性の声で!



『あたまが上がります』
『あしが上がります』
 といったように。
 で、私は妄想に相づちを打ってくれる友人を、ここに見つけたのだ。
 私は妄想をしながら、どこかでベッドに向かって語りかける。
「わしなぁ、こんなこと考えてるんやで。すごいと思わへん?」
 そして「あたま」の↓をピッと押す。
『あたまが下がります』
「そやろ。あっ、こんなオモロいこと考えた。言うたろか?」
 ピッ
『あたまが下がります』
「ホンマにそう思うてる?」
 ピッ
『あたまが下がります』
 えっ?
 脳に虫が湧いてへんかって?
 うーん、そう言えば頭の中がむず痒いような・・・

 ちなみに、これは入院して間もなくの頃、大滝社長が見舞いに来ていて、色々ダベッていると、そこに洗面器とタオルを持ったナースちゃんが、
「中山さん、足洗いましょうか?」
 と言いながら、入ってきた。
 すると大滝社長、そのナースちゃんに向かって真面目な顔で言った。
「えっ、この業界から?」
  


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2009年10月30日

入院日記その13 メゲますわ・・・

中山市朗のノートより

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 入院9日目で手術しましてん。
 レントゲン写真、改めて見るとエラいこってす。
 骨が横にボキッと折れてるわけではなく、上から下へ斜めに折れてます。内側、外側両方の骨が・・・

 とにかく手術で鉄枝を添えて、ボルトで止めて、骨を固定するその手術やったんです。
 で、麻酔から覚めて医師から聞いた一言。
「中山さん、開いてみたらかなりヒドい状態で、内側の骨の損傷が今回の手術では修復できないと判断しました。また来週、もう一度手術します」

 え・・・
 
 この手術さえ終わったら、あとは安静とリハビリで、回復に向けてひたすら希望をもつ・・・
 それが、一週間延びた・・・
 メゲますわ。

 それに手術後の夜中、足が垂れて痛とうて眠れん。
 また、あの地獄の夜を体験する・・・
 ほんま、メゲますわ。
 二度目の手術は、28日水曜日ですわ・・・
 ほんま、メゲますわ・・・

 



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2009年10月28日

入院日記その12 裏窓

中山のノートより

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 入院4日目の出来事。
 やっとギブスで右足が覆われた。
 これで少々右足が動いても、激痛はしないことだろう。
「車椅子、乗ってみましょう」とナースちゃんに言われ、さっそくトライ。
 ベッドから車椅子に移るのは少々大変だが、久しぶりにベッドから離れられた。
 さあ、車椅子に乗ったぞ! ナースちゃんが後ろからガラゴロと押してくれて廊下に出た。
 行く先はあそこしかない! トイレだ!

 もう、ベッドの中でクソたれることは、しなくてもいいのだ!
 トイレの中にて堂々と・・・
 やっぱりダメ。下着をおろしたり、尻を拭いたりする体勢はまだキツい。よって、やっぱりナースちゃんのお世話に。
 さて、ナースちゃんは僕のお尻を拭いてくれると「今度は髪の毛洗いましょうか」と言って、そのまま隣の浴室に車椅子ごと連れていかれた。
 そして私のロン毛を丁寧にシャンプーしてくれたのだ。
 そしてしばし世間話をしながら、和やかな雰囲気に。
 うーん、もうこのナースちゃん、他人とは思えない・・・
 まあ向こうからすれば「ナースのお仕事」。
 私は単なる「ウンコこき」のおっちゃんでしかない(涙)

 さて、洗髪が終わって、またまた颯爽と廊下を行く車椅子。
 うん?
 足ギブスに車椅子。そして美女。
 これって、ヒッチコックの名作『裏窓』ではないか!

 『裏窓』はオートレースに巻き込まれて片足を複雑骨折したジャーナリストが、ヒマにまかせて車椅子に乗ったまま、商売用の望遠レンズで自宅のアパートから近所のアパートの窓を覗き見しているうちに、ある殺人事件を目撃してしまうというサスペンスの傑作である。
 恋人のリーサも最初は疑いつつも、その事件に介入していく。そしてラストは、片足ギブス、車椅子の主人公に、殺人犯が襲いかかってくる・・・
 主人公のジャーナリストをジェームズ・スチュワート。
 リーサをヨーロピアンビューティ、グレース・ケリーが演じていた。グレース・ケリーは後にモナコ王妃となるあの女優さんだ。

 私はしばし、ジェームズ・スチュワートになった気分だったが、今になって初めてこんなことが頭をよぎった。
 きっとリーサは、恋人のジャーナリストのお尻を拭いてあげていたんだなあ・・・







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2009年10月27日

入院日記その11 ワーキングピープル! その2

中山のノートより

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 男性の看護士がいる。
 30代後半から40代くらいの、ちょっとだけイケメンの浅黒い男である。
 私が入院して最初に体を拭いてきて、大便をさせる準備をしてくれた人だ。

 彼は初対面の私の体を拭く準備をしながら、こう言った。
「劇団の方でしょう?」
「は?」
 いきなりのことなので、なんのことかわからなかった。
「いえ、劇団か芸能関係の方やないかな、と思って」と看護士。
「どうしてそう思いました?」
「オタク、そういうオーラありますもん。それにその風体。普通の人じゃないですもん」
 彼の言うところの普通とは、何を指して言うのか知らないのだが、まあ公務員やサラリーマンに見えないことは確かか・・・
「それに、オタクどっかで見たことありますもん」
 まあ、私もたまにメディアに出演することもあるけど・・・
「実は私、裏方ですねん。書くほうですわ」
 私が言うと、
「ほう、劇作家の方ですか」
 まあ、そういうことにしとこうとダンマリに決めた。
 すると看護士は言った。
「あっ、そういえば、オタクの名前、知ってますわ。何か本出してはるでしょ!」
「はあ、まあ・・・」
 中山市朗という名も、まあ少しは注目されているかと内心喜んでいたが、後にわかった。
 入院患者としての私の名前は

 中山一郎

 となっていたのだった。 
 


 


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2009年10月26日

近況報告

作劇塾スタッフ菅野です。

いつも中山の入院日記をご覧いただきまして、ありがとうございます。
お気づきの方もいらっしゃるかと思いますが、この入院日記は、ベッド上の中山が書きためているものを小出しにしていますので、リアルタイムの情報ではありません。

なので、私が代わりに中山の近況をご報告いたします。

入院してから本日でちょうど2週間になるのですが、相変わらず患部以外は非常に元気です。
先週水曜日に手術を行ないました。

中山の骨折部位は2箇所あり、そのうちの1箇所を手術したのですが、もう1箇所の手術は28日(水)に行なわれます。
ですので、その日は面会ができない状態になります。

また、その準備と、自宅で録りためている映画類の整理、明日辺りに自宅へ届けられる予定の「黒澤明ブルーレイBOX」を受け取るため、26日(月)は一旦帰宅いたします。

ですので中山は、26日(月)と28日(水)の両日は病室で面会ができません。

多くの方々がお見舞いに来てくださったようで、中山も大変喜んでいます。

nakayama_nyuuin_02中山の病室を訪れてくださった方々からは、本を送られることがおおいようで、この通り膨大な量になりつつあります。さすがに読み切れないと言っていました。

nakayama_nyuin塾生もお見舞いにやって来るのですが、小説の授業で行なう合評用の課題を持ってくる人もいます。
このように、ちゃんと目を通していますのでご安心ください。


現在中山は、松葉杖を使ってある程度動くことができますが、まだ日常生活を送れるレベルではないので、もうしばらく入院は続きそうです。

また中山が自宅へ戻る日や、何か変化がありましたら、私がご報告させていただきます。


菅野秀晃 拝

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2009年10月25日

入院日記その10 ワーキングピープル!

中山のノートより

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 当然のことだが、病院には色んな人が働いている。
 私もここに入院したからには、そんな人たちのお世話になるのであるが・・・

 ちょっと私のベッドを紹介してみよう。
 部屋には4つのベッドがあり、入り口からの左手にあるカーテンを引いてもらうと、ボサボサ頭のワシが横になっているベッドがある。
 朝9字になると掃除のおばちゃんがやってくる。
 掃除といっても、このおばちゃんは、ゴミ箱の中のゴミをごっそり処理して元に戻すというのが仕事だ。
 私のところのゴミ箱はなぜか見舞客が着たときに座る椅子の下に置いてあった。
 nakayama_nyuuin_03
←これ。
 椅子のしたにあるのがゴミ箱。
 手が届かない。


 私、ベッドに寝たきりで、体は動かせない。
 丸イスは端っこにあり、その下にゴミ箱があるものだから届かない。だから、このゴミ箱は使いようがないのだ。
 9時におばちゃんがカーテンをめくって私のところのゴミ箱を見て、「あ、なにもないね」と言って、そのまま部屋を出て行くのだ。
 そしてそのうち、おばちゃんは私のベッドスペースを無視するようになった。

 ある日、見舞客が来たおり、「その椅子の下のゴミ箱、ここに持ってきてくれへん?」とベッドの脇に置いてもらい、たまっていた机の上のゴミをバサッとゴミ箱の中に落としてやった。
 翌朝のとき、またおばちゃんがやってきた。
 他の3つのベッドスペースのゴミ箱を処分し、またまた私のところのゴミ箱を無視して去ろうとするので声をかけようとしたら、「あっ、ここ忘れとった」とおばちゃんは呟いて、私のところのカーテンを開いたのだ。
 おばちゃんは無視をしていたのではない。単純に忘れていたのだった・・・
 おばちゃんは無言で、いっぱいになっていたゴミ箱のゴミを処分し、またそのゴミ箱を丸イスの下に入れようとするので、

「おばちゃん、ワシ手、届かんがな。もっとこっちに置いといて」というと、「あ、そうやね」といって私の指示するところに置いてくれた。

 しかし、その翌日からも、相変わらずベッドから離れた丸イスの下にゴミ箱を置く掃除のおばちゃんであった。



 





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2009年10月23日

入院日記その9 ヒマで思うこと2

中山のノートより

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 注:お食事中、潔癖性、それに中山市朗は決して下ネタはしない、という人は読まないでください。

 ウンコ・・・
 誰でもしますよね?
 たまにものすっごい美人を見て「この人はウンコなんてするはずがない」と思っても、その美人が食事をする限りには、必ずどこかで(トイレやろうけど)ウンコをする理論となる。
 しかし人は、そのことを悟られたくないものだ。
 もちろん、ウンコをしているところを見られるなんて、もってのほかである。
 なぜ人はウンコを隠すのだろう?

 原因はいろいろある。
 まずトラウマ。
 小学生のとき、学校でウンコをしているのがバレたら、なぜか「ウンコこき」とか「ウンコたれ」というあだ名がつけられてしまう。
 一旦そんなあだ名をつけられたら、もう次に進級して別のクラスになるのを待つしかなかった。
 次にそのにおい。
 クサい。ほんまにクサい。ウンコは色々汚い雑菌やばい菌があるから、近寄ったらアカンで、というシグナルなのだろう。
 あの色、形がいただけない。いかにも汚いのだ。
 硬かろうが、グシャッとしてようが、液体状だろうが、アカンわなあ。アレは。とても人には見せられるもんじゃない。
 そしてウンコをするときの格好。
 人間の一番ブザマな姿とは、あのときの格好だろう。特にしゃがんでする、アレね。
 どんな武道の達人でも、あのとき襲われたら手も足も出ないだろう。もしあの格好で死ぬことでもあったら・・・ 
 その人がいくら立派な人生を歩んできていたとしても、すべては無に返って行くだろう・・・というくらい、ブザマだ。
 
 だからそれは見られたくないし、触られたくもない。
 しかし人間以外の動物たちは、結構脱糞は平気なのである。
 かわいい飼い猫のチャコちゃんも、犬のゴンくんも、インコのピヨちゃんも、競馬の名馬にいたるまで平気で脱糞する。人前で、しかも気持ち良さそうだ。
 人間もあのようにおおらかになれたら、どんなだろう・・・
 例えばある男性のウンコは緑色でジャスミンの香り。
 モデル風の女性は、ピンクのウンコにバラの香り。
 きっと二人は自分のウンコをもちよって、自慢し合うだろう。そして、「こんな素敵なウンコをする男の人って好き」なんてね・・・
 で、年を取ったら、奥さんが「ウチの旦那のウンコ、最近加齢臭がしてきてね」「あらそーお? うちのはまだハーブ茶の匂いよ」

 ・・・ワシ、何を言うてんのやろ?
 そうか、病院内での妄想か。
 頭も弱っとんねん、許して!
 
 


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入院日記その8 ヒマで思うこと1

中山のノートより

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 入院患者の一番の敵は・・・退屈である。
 朝から昼間はいい。本も読めるし、テレビも見れる。見舞客も来る。
 こうやってくだらないことも書いている。
 ワープロ、パソコンの持ち込みは許されていないので、本格的な原稿は書けないでいるが・・・
 
 困るのは夜である。
 9時、つまり21時で消灯、テレビはダメ。電気は枕元の豆ランプはつけてもいいが、本を読むにはちょっとしんどい暗さだ。
 
 しかし本来私の活動時間帯は、夕方から翌早朝。
 このとき仕事をしたり、調べものをしたり、講義をしたり、映画を見たり、酒を飲んで騒ぐのもこの時間。
 そろそろ空が白み出した頃、「あっ、寝な」と身体が思う。
 朝6時頃に寝て、起きてテレビをつけたらたいてい「笑っていいとも」をやっている。それが私の日課。
 しかしその時間に寝なきゃいかん、というのは・・・
 いかに努力しようが、なかなか寝られない。
 やれることは、たったひとつ。
 妄想することである。

 妄想を作品にするのは、作家の仕事。とはよくいうが、このありあまる時間、いかに妄想にふけるか・・・
 と、ここで正直に思ったことを言おう。
 病室でひとり妄想していると、思い浮かぶものは、エロとウンコばかりになってしまっている。なんだこれは?
 おそらく、こういう状態でいると、人間の本能に忠実になるのかもしれない。
 本来、食って排泄して寝てセックスをするのが地球上の生物(動物)の生態なのである。人間もだ。
 ところが病院にいると、食うことには不自由しない。
 ねることは嫌というほど貪ることができる。いくら寝ていても誰にも怒られないしね。
 しかし排泄行為は不自由におかれ、セックスの問題も御法度となると、その欲求を満たしたいという思いが、どうしても妄想の中に入り込んでくるのだろう。
 しかしこんなところでエロい妄想をして、ひとり悶々としていても仕方がない。で、ウンコのことを考えた(なんでやねん!)。
 次回はそのウンコのことを・・・また?

 続く


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2009年10月21日

入院日記その7 患部はどこ?

中山市朗のノートより

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 入院3日目のこと。
 朝食はいつも食パン2枚、ポテトサラダ、牛乳。
 食欲なし。
 同室の腰をいわしたらしい30代後半くらいの、今朝この部屋に入院してきた患者さんが、「新聞読みます?」といって毎日新聞をくれた。新聞さえあれば、だいたいの時間はわかる。テレビをつけたとき、テレビ欄を照らし合わせればいいのだ。
 さっそくテレビをつけてみた。
 9:15と画面に表示が出ている。まだ早かった・・・

 10時頃、中年のあまり知らないナースが「中山さん、お体拭きましょうねー」と言って入ってきた。
 「お着替えあります?」と言うので、「ない」と一言いってやる。
 「もう車椅子も使えるそうなので、ズボン式のものに変えましょうか」
 といって、早くも私の患者服を脱がしにかかった。
 すると「お手伝いしまーす」と2人のナースが入ってきた。1人は若い。
 「下着の替えはありますか?」
 「ない」
 「じゃあ病院の使い捨てのと替えましょう」
 そういって、もう1人の若いナースは、私の黒いブリーフを脱がしにかかった。もう1人のナースは、私の右足をもちあげると「包帯巻き直します」
 おいおい、そないいっぺんに・・・
 ギェッ!
 ナースが私の右足をもって、ひねったような気がした。ゴキッという音がした。
 「痛んですかあ? しばらくの辛抱ですよぉ」と若いナース。
 そら、あんたは痛くないわい。
 そしたら、私のブリーフをズリ下げたナースが、「私が足をもってます」とフリチンになってしまった私の下半身をほったらかして、患部を高々と上げたではないか!
 グキッ! ガリッ!
 またまたそんな音がした!

 「ちょ・・・グキッていうた。それ痛いわ」
 私はフリチンのまま、ナースたちに訴える。
 「辛抱ですよー、もう少しねー」
 ナースは言うが、今日のは特別痛い。
 こいつら、患部を知らんのとちゃか、と思うくらい荒々しいのだ!
 若いナースは、一回包帯を取ると、新たな包帯を巻き出した。
 その間、私の右足をもっているナースは包帯が巻きやすいようにとの気配りか、私の右足を右へ左へと動かすのだ。

 「痛い! またグキッていうた!」
 いや、大の男が痛いくらいでギャーギャー言わないこと。
 それはわかってます。だけど、この場合正直に言わないと、粉砕場所がさらに粉砕するかもしれない・・・
 しかも・・・
 そういうことは、パンツを脱がす前か、履かせた後にしてもらいたい。
 私は3人の女性の前で、下半身すっぽんぽんのままで、のたうちまわっているのだ。
 やつと包帯が巻かれて、使い捨てパンツの大切なところが塞がれ、着替えも終わったら、あとからきた2人のナースは「お疲れさま」と言って、そそくさと出て行ってしまった。
 あとに残った中年のナース。
 氷嚢を見つけると、それを手にとって私に言った。
 「これ、どこにつけてました?」
 「患部に決まってるでしょうが!」
 「えっ、お尻?」
 なんでやねん!

 続く


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2009年10月19日

入院日記その6 ウンコの話

中山のノートより

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 まあ小のほうは想像から、そうかけ離れたものではなかった。
 しかし人間、もうひとつの排泄物が・・・
 ウンコである。うんちとも大便、ババ、クソ・・・もうええか。
 これ、どうすんのやろ?
 うーむ、このままの体勢となると・・・尻の下に便器を置いて・・・

「えっ、なになに? そんなんありえへんやん」

 その姿はどう考えても無様だ。私のような紳士には、とても耐えられない。
 そこで担当ナースがどうやらおばちゃんになったとき、私は意を決して尋ねてみた。

「あのう、大をするときは、どうなるんで?」
「お尻の下に便器を入れてもらって、そのまましてもらいます。したくなったら、ナースコールを押してください」

 やっぱりそうか・・・
 実はここに担ぎ込まれたときから、少々そっちの便意がしているのだ。これは、このまま我慢するしかない。
 こんなベッドの上でクソを垂れるなんて、私のプライドが許さない。
 よし、大を我慢するには・・・
 大の要素となるメシを喰わないこと。
 どっちにしろ、最初に出た朝食は2枚の食パン(トーストはしていないが、なぜか電子レンジで温めてある)と、おひたしだった。それに牛乳。
 食欲湧かず。まあ体も動かしていないしな・・・

 昼もほとんど食べず。涙ぐましいこの努力!
 しかし夕方近くになって、そうも言っていられなくなった。
 脂汗は出てくるし、ウンコしたい、という思考以外には何も考えられなくなった。
 さすがにナースコールを手にして、ナースを呼んだ。
 「はい、どうしました?」とやってきたのは看護士(男)だった。
 ちょっと安心して申告する。男だったら、大をしているところを見られても、まあええかと。

「大がしたいんですけど」
「あー、わかりました。しばらく待ってくださいね」

 そう言って、しばらくした彼が持ってきたのは、プラスチック製のカレー、ごはん、福神漬けを分けていれるカレー皿のような、あれよりもう少し底の深い、黄色がかった容器・・・
 まず尻の下に新聞紙が敷かれ、その上に容器が置かれた。看護士は「手伝いましょう」とモタモタと黒いブリーフ(いつもはトランクスなのだが、なぜかこの日は・・・)をズリっとズリ下げて、布団でその無様な格好を隠すと「用が済んだら呼んでください」と出て行った。

 さあて・・・
 こんな体勢で出るのか?
 いつもは私の肛門は、こういうとき真下を向いている。しかし今は私の顔と同じ、前を向いているではないか!
 よくわからん。しかし・・・
 キバるしかない。せっかくこんな無様な格好になったのだから。やることはやらないと。
 と、出てきた!

 (自主規制)

 えらい我慢していたから、おそらく容器いっぱいや。
 ホッとしてナースコールを押すと、やって来たのは別の若い女性のナースちゃんだった。しまった!
 
「どうしました?」

「いえ、あの、なんでもありません」とは今さら言えない。
 もう見ればわかるという状態。

「あっ、終わりましたねー。じゃあお尻あげてください。容器を抜き取りますので」

 ナースちゃんは臆することなく(当たり前か)、布団をめくって私の下半身をあらわにさせると、容器を抜き取り、それを新聞紙にくるんでいた。
 はっ、自力で尻が拭けない!
 そう思った瞬間、ナースちゃんは「じゃあお尻拭きますねー。体、右に寄るのと左に寄るのと、どっちがラクですかー?」

 私は無言で体を右にひねった。
 ナースちゃんは、丁寧に私のお尻を拭いてくれた・・・

 なんかちょっと快感が走った。あの男の看護士でなかったことをラッキーと思ってしまった。
 しかし拭き終えると、彼女は謎の言葉を残した。
 拭き終わって、私の尻を見たまま、

「綺麗ですね」

 と言ったのだ。
 綺麗って何が? とさすがに聞けなかった。
 なんやろ? 何が綺麗なのか?
 ん? 肛門?

 退院したら、鏡でいっぺん見てみたい、と思った。
 

続く

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入院日記その5 オシッコの話

中山市朗のノートより。

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 当ブログですが、今日は小便、明日はウンコについてのことを書き記します。
 お食事中、および潔癖性の方、女子高生、女子大生、若きOL、そして中山市朗センセーはウンコもしないし、下ネタなんて話す人じゃないと頑なに信じるファンの方は、読むのをおやめください。
 汚れます!

 

 診断書には「右脛骨遠位端骨折」となっているそうだが、右足が動かないとなると、当分は寝たきり生活になることは間違いない。
 そうなると、まず困るのは排泄行為であろう。
 まずお小水。
 オシッコとも小便ともションベンともいう。別に書かんでもええか。

 ナースちゃんに尋ねると、「ベッドの横に容器がありますから、そのなかにしてください」と言われてしまった。仕方ない。
 誰もいないタイミングを見計らって(まあ、だいたい誰もいないのだが)やってみた。
 仰向けに寝たまま・・・?
 白い、いかにも尿瓶(しびん)といった形をした800cc入りの白いプラスティック製の容器を布団のなかに忍ばせ、自分のイチモツを入り口に入れてみた。
 そしてキバった・・・。女性はどうすんのやろ、と思いながら。
 と、出ない。
 体がビックリしているようだ。
 そりゃあそうだろう。幼児期のオシメをしていたときの頃は別として、男中山市朗は、寝転んだ体勢で小便などしたことはないのだ。
 必ずそのときは直立不動。
 しかし、今回は垂直不動の体勢。まったく今までと条件が違う。それでも・・・やらねばならぬ。このまま出ないとなると、粉砕骨折にくわえて、膀胱炎にもなってしまう!
 と、チョロっと出た。

「おっ、出たな」

 思った瞬間、解き放たれたように小便が勢いを増して容器のなかにたまっていく。
 このとき、ある感覚がよみがえった。
 寝たままで小便をしたことがない? あるではないか!
 私は思い出してしまった。

 よくトイレへ行く夢を見る。みなさんはどうですか?
 夢のなかで小便がしたくなる。で、家のトイレに入ると、アラ不思議。
 便器がまるまるないのだ。
 あれ? と探していると、仕事場の椅子が便器になっている。私はそこに座ると・・・
 あるいは、田舎の実家(もうないのだが)が、増築したというので帰ってみたら、その分全部便所だったとか。
 たいてい、小便がしたくてトイレに入ると、何かトラブルがあってトイレに行けず、ハッと夢から覚めたら、無性にオシッコがしたかった・・・

 「あぶない、あぶない」

 と私はすぐさまホンモノのトイレに駆け込むのだが・・・
 たまにある。夢のなかでしちゃうことが。
 これがまた快感なのである。
 もちろん、フッと起きて、まさか、と自分の股間を触ってみるが、寝小便はしていない。ホッとする。
 いや、3度ほど粗相があったか・・・?
 とにかく、そのときの感覚、いや快感。
 横になったままの小便というのは、やっぱり感覚が違うんや。と発見になったことに私は感動した。
 するとなぜか、私の記憶の底にあったもうひとつの快感がよみがえってきた。 
 もうおそらくは、今後皆無であろう、あの青春の甘酸っぱい中学生の頃の快感・・・
 夢精であった。
 ちなみに、350cc出た。
 え?
 夢精とちゃう。オシッコや。

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2009年10月16日

入院日記その4 ホラ吹きドンドン

中山のノートより

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 やっとかかってきたスガノくんからの電話。
 彼の第一声はこうだった。

「おはようございます。何かあったんですか? Aさんから急に連絡いただいたもんで・・・」

 私の第一声はこうだった。

「なにて・・・入院や」

 しばらく間があって、スガノくんは返答した。

「何言ってるんすか?」
「だから、入院やて」

 また、しばらく間があった。

「・・・嘘でしょ?」
「ほんまや」
「えっえっ、どうしたんですか? わけわからんのですけど」
「夜中、階段から落ちてな。右足が骨折したんや。しかも粉砕骨折。フンサイや」
「粉飾決算?」
「誰がそんな話しとる。塾の決算は確かに苦しいが・・・違う。骨、折れたんや」
「・・・またまたぁ。嘘でしょ?」
「あのなあ、なんでこんな朝っぱらから・・・もう昼やけど、お前に嘘の電話せなあかんねん」
「そやかて、先生が入院て、ありえませんやん」
「どう言うたら信用すんねん・・・あのなあ、お前どこに電話かけてワシと話しとんねん」
「えーと、K総合病院ですね」
「ということは、ワシは病院におる、ということやな」
「・・・ドッキリですか?」
「あほ! お前をドッキリにかけて何がオモロいねん」
「わっはっは! ホンマですかぁ?」 
「ホンマやって。とりあえず、大滝社長にも連絡してくれ」
「・・・わかりました。それじゃあ、とりあえずそっちに行きますから」

 そして電話は切れた。
 もう酒の席で、ホラを吹くのはやめよう。
 そう反省した瞬間であった。


続く

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入院日記その3 神隠し

中山のノートより。

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 私はケータイ電話を持たない主義である。
 「なぜ?」とよく聞かれる。
 人が何を持とうが持たなかろうが、大きなお世話だ!
 だいたい、みんなが持っているものには興味がない。
 ケータイを誰も持っていないというのなら、持ってやろうという気になるだろう。ただし、誰と連絡をとるのかは問題となる、が・・・

 事故を起こしたこの夜、私はほとんど手ぶらだったので病院に担ぎ込まれて困ったことが起きたのだ。

 誰にも連絡ができない!

 そうなのだ!
 私は誰の電話番号も暗記していなかったのだ!
 わはは、ザマーミロ!
 いや、言っている場合ではない。こちらから連絡を取らないことには、いつまで経っても私が病院に担ぎ込まれたことを誰も知らないままでいる。
 2〜3日後には、私は「神隠し」にあったか、とうとう「なまなりさん」の呪いで行方不明になってしまったことになるだろう・・・

 ナースコールを押すと、美人ナースがやってきた。
 事情を説明し、ネットで検索すると塾なり大滝エージェンシーの電話番号が表記してあるから、そこに連絡をとってくれと頼み込んだ。
 すると、その美人ナースは、
「あの、この病院、ネットがつながってないんです。パソコンを病棟に持ち運ぶこともできません」と無表情で答えた。
「そこをなんとか」
「決まりでして」
「そこをなんとか」
「ダメです」
「そこをなんとか」
「・・・じゃ、ちょっと聞いてきますのでお待ちください・・・」

 ところがその後、なぜか彼女の姿を見ないのだ!
 別のナースにそのことを言っても、やはり同じで「ちょっと聞いてきますので・・・」と言って、そのまま返事を保留される。
 最初に連絡を頼んだのだ、早朝5時半。それからなんやかんやと、11時を過ぎてしまっている。今度やってきた看護士(男性)に、早く連絡を、と詰め寄るが返事は同じ。
「とにかく、ネットはつながっていないんです。番号覚えていらっしゃらないですか?」
 覚える気がなかったものを、覚えているハズがない!
 と、財布があるではないか! 名刺が入っている。連絡を取れそうな名前が・・・
 編集者のKさん。彼に電話すると、大滝社長なり塾の電話番号を知っているはずだ。
「この人に電話してみてください!」と、次にきたナースちゃん(若い)に名刺を渡した。しばらくして・・・

「すみません、Kさん、ケータイにも自宅にも連絡を何度もしたのですが、出られません」
 
 え・・・
 最悪や。どうしたら・・・あっ、もう一枚、この名刺が最後の望み。
 イベントプロデュースをやっておられるAさん。元女優の方である。

「この人に電話してみてください!」

 すぐにつながった。さすがだ。Aさんが天使のように思えた。しかし、いきなり病院からの電話。しばらくAさんは事情を飲み込めなかった様子だが、一旦理解すると、すばやく対応してくださった。
 まずは塾総務のスガノくん。社の代表、大滝哲雄氏。
 やっと連絡がつきそうだ。
 出版社やそのほかのことは、2人に対応をお願いするとしよう。

 と、1時間ほどしてスガノくんから病院に連絡があった。
 子機をもってナースちゃんが「連絡来ましたよ!」と走ってきてくれた。
 もう昼じゃないか。
 丸12時間。私がここにいたことを、誰も知らなかったのだ。こんな情報過多の時代にだ!
 えっ?
 ワシが悪い?

 ケータイもとうが、もたなかろうが、そりゃ個人の・・・


続く

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2009年10月15日

入院日記その2 我が身を呪う

中山のノートより

****

 さて救急車で私が運び込まれたのは、大阪市内のK総合病院。
 なんか乗っていて気持ちのいい車輪つきのタンカのようなもの(私は本体を全然見ていないので想像です)に、仰向けになったまま、目の前を流れる廊下やエレベーターの天井を見つめていた。
 そして、ようやくある部屋にて停止する。

「中山さんですねーっ、どうしましたぁーっ」とナースが声をかけてきた。
「なんや階段から落ちはったみたいですね。足、骨折しとるかもしれへんって」と、救急隊員が私に代わって説明する。
「じゃあ、診てみましょう。おズボン脱げますかぁ?」
 考えたらわかるやろ、それ痛いに決まっとるがな。
 骨折してるかもしれん言うてるやん。骨折!

「足、骨折してるみたいなんで・・・」
 私が心とは裏腹に弱弱しくいうと、「じゃあ手伝いますんで」と、みんなでよってたかって私のズボンを剥ぎ取ろうとし始めた!
 もうこれが地獄だった。
 少しでも右足が動くと、ゴキッという鈍い音と激痛が走るのだ。
「イテ!」
 私が悲鳴をあげると、救急隊員の一人が私の肩を抑えて・・・
 強姦されるって、こんな感じか?
 そんなことを思ってしまった・・・

 さて、いろいろ診られて、レントゲン撮影。
 すぐ見れるんですね、レントゲン写真。

「中山さん、このレントゲン写真見えますか?」と技師が写真をもってきて、私の目の前にかざした。
「はあ(目はええもんで)」
「ここ、折れてるの、わかります?」
「は、はあ(だから目はええねん)」
「これね、フツーの折れ方と違います。粉砕しています。フンサイ。わかります? 太い骨も折れてますし、ホラ、こっちの細い骨も折れてますよね。これはひどいですねぇ」
「は、はあ・・・」
「タチ悪いですよ、この骨折は」
「は、はあ・・あの、治るには?」
「手術します。その後、経過を見ながら2〜3ヶ月」
「に、2〜3ヶ月!」

 こうして私の入院は決定した。
 健康保険料滞納の我が身を、またまた呪うのであった。


続く



kaidanyawa at 20:27|PermalinkComments(0)

2009年10月14日

入院日記その1 発端

作劇塾スタッフの菅野です。

本日、中山市朗の容態を見に行ったところ「これをブログにあげろ」と、ノートに書かれた記事を渡されたので、それをアップいたします。

しばらく本ブログの更新が止まると書いたのですが、たまに更新することになりそうです。
内容は主に病院での話になります。


以下、中山のノートより


中山市朗です。
階段から落ちて、粉砕骨折してしまいました。

なぜ私は階段を駆け下りていたのか?
その理由は聞かないでほしい。

とにかく私はそこへ行かねばならなかったのだ。
こうなった原因は複合的であったというべきか・・・
まず、酒が入っていた。
私は酒には強く、酔っているという自覚はなかったが、ビールをジョッキで6〜7杯、さらに沖縄産のキツーイ焼酎を2〜3杯飲んでいて、シラフだったわけはない。
さらにゲタを履いていた。
ウラにはゴムが打ち付けてある雪駄の類であるが、私の足はキッチリ上に乗っていた。
メタボも関係ありそうだ。体重が右足にどん、と乗ったのだ。
歳もある。今年50歳。四捨五入すると100歳である。
いつまでも38歳だと思っていたが、実年齢は確実にとっていたのである。
そしてさらに、私の目指すビルのシャッターが閉まろうとしている。
無常にもそのシャッターのボタンを押しているガードマンの姿が見える。
階段を降りきった地上2階のフロア。

「そこのシャッター、閉じるの待てい!」

そう心で叫びながら、ゲタ履きの重いメタボな体を、全速力でコンクリートの階段を下へ下へと移動させる。
ガキッという鈍い音がした。
私は体のバランスを失い、グッと前につんのめった!

「ゲッ」

と思った瞬間、私は頭からゴンと倒れ、そのまま階段を転げ落ちた。
転げ落ちながら、私は思った。

「このまま死んだら、ワシ、中島らもやん」

ガギ、グ、ゲ、ゴンで死ぬ。
人生、そんなもんか。
思った瞬間、なぜかブレーキがかかって、ズッと私の体は停止した。
シャッターのボタンを押していたガードマンが私に気付き、その場から声をかけた。

「大丈夫ですか?」
「大丈夫です」と私は見栄を張って何事もなかったように立ち上がろうとした。
すると、またガキッという鈍い音が脳に伝わった。
ゲッ! 立てない?

「大丈夫ですか?」
ガードマンは再びその言葉を吐いた。
「大丈夫です」と言った手前、その言葉は簡単には撤回できない。
「大丈夫です」と私はキッパリと言い、その後、次の言葉をキッパリ言った。

「でも右足の骨、折れたみたいで・・・」
「それって大丈夫じゃないですよねぇ」

ガードマンは慌てて私のところへ来て、救急車を呼んでくれた。

そして、今ここにいるのである。
大阪市内の某総合病院、6階病棟。

私が入院?
信じられない。
私は不死身で売っていたのに・・・
不死身だから私は健康保険証の代金をもう長いこと未納にしていたのだ。

これからのことを思うと、
健康保険料を支払っていない我が身を呪った・・・


続く


kaidanyawa at 17:00|PermalinkComments(3)

2009年10月13日

しばらく更新が止まります

作劇塾スタッフの菅野です。

先日、中山市朗が階段から落ちて右足を複雑骨折してしまいました。
怪我を除けば当人はいたって元気なのですが、しばらく入院が必要な状態です。

退院時期は明確ではありませんが、全治2〜3ヵ月と診断されておりますので、当分更新ができない状態となります。

日頃から当ブログをご覧いただいている方々には、大変申し訳ありませんが、何卒ご理解のほど、よろしくお願いします。



kaidanyawa at 19:24|PermalinkComments(7)

2009年10月11日

10/7の作劇ゼミ(その3)

 中山市朗です。

 あくまで語り聞く、怪談会があっての怪談文学。
 対してホラーは?

 私は以前『怪異実聞録・なまなりさん』を著述しました。
 これは、実際にあった怪異事件をもとにした長編実録怪談です。
 400字詰め原稿用紙で約320枚。
 小説としては中編くらいにあたるでしょうが、実録怪談としては、おそらく初の長編ものにあたる作品となりました。
 しかしこれは、ホラー小説にしては、という感想や、ネットの書き込みが多かったんですね。読者によって、これはホラー小説だと理解されたわけです。
 私はホラーなんて書いたこともないし、書くつもりもなかったんですが。

 私は『新耳袋』執筆の頃から、長編実録怪談に挑戦してみたいという気はあったんですね。でも、そんな話はなかなかない。
 そこに飛び込んできたのが『なまなりさん』。
 ホント、その全貌を聞き取るのに、2日かかったんです。
 で、聞き終わったあと、即効執筆にかかったわけです。
 いける、と思ったんですね。
 その根拠は、バラバラにある因縁話や怪奇現象の根元に、共通したひとつの要因が存在している。そして最初は事件に対して、第三者的立場であった体験者が、だんだんと当事者になっていく。そして体験者は、退魔師という特殊な肩書きと能力がある。最後はその退魔師としての特殊な力が、まとわりついていた怪異になんらかの終止符を打つわけです。
 一本の長編ストーリーが、私の頭の中に浮かびあがったんです。
 それもそのはず。
 これ、考えたらエンターテイメントの王道ですよね。

 何か物語を(小説でもマンガでも映画でも)展開させるときに、まず必要なのが特別なキャラクターをもった主人公。退魔師なんて、ほんま映画やマンガに出てきそうな肩書きですよね。しかも元アメリカ人で、海兵隊員。デキすぎてますわ。
 ホンマの話なんですけどね。
 で、主人公に何かの障害を与えて、その問題に積極的にしろ消極的にしろ、解決させていくという「なまなりさん」を物語として支える論法は、大抵の物語を構成する要素と同じなんですね。作家がこのときに発揮しなきゃならない手腕は、いかに読者を主人公と共感させるかということ。共感性が生まれると、読者は主人公の危機にやきもきし、喜ぶ場面では一緒に幸せになれる。ともに笑い、ともに泣く。私の場合は、私が体験者から直に聞きながら、ゾクッと感じた感覚を、いかに読者に伝えるかを最優先に考えたわけです。

 で、大抵の物語にある、主人公に与えられる障害なんですが、それが好きあっている男女の前に立ちふさがっている問題だと、恋愛ものになるし、甲子園を目指す高校野球児ならスポ根になる。大宇宙の彼方にある惑星に捕われたお姫様を救う冒険譚ならばスペースオペラ。巨大な犯罪組織を暴く一人の刑事の話ならば、刑事アクションになる。で、主人公の前に立ちふさがる障害が、恐怖というものであるのなら、それがホラーとなるわけです。
 恐怖の対象。
 それはなんでもいいわけです。幽霊や化け物といった超自然的なものでなくてもいい。
 ヒッチコックの『サイコ』はホラー映画ですが、幽霊も化け物も出てきません。異常な人物、精神疾患、猟奇殺人、異常な死人、異常な集団、儀式・・・ともかく、このままでは主人公の命が奪われる、あるいは呪縛から解放されない、という恐怖の状況からの脱出ないしは解決を計る。そしてなんらかの解決があって終わる。
 それがホラーのだいたいの形なわけです。
 ホラーは、ただ怖い、だけではダメなんですね。主人公を危機に陥れる物語としての展開がないと。それが「おもしろい」につながって、怖いという感情を喚起させる。
 ここで間違ってはいけないのが、人体破壊、切断、脳みそグッチャー、身体変態、グロテスクな形態といったものが怖い、という考え。こういう感覚は、マニアには喜ばれるかもしれませんが、エンターテイメントにはならない。マニアックなものを巧妙にストーリーの中に組み込めば、成功ですが。

 で、怪談なんですが、少なくとも『新耳袋』にはそういう解決はない。体験者にとって、怪異が障害となる話もありますが、たった一晩だけの体験で、別に深刻な問題がおきないような話も多いわけです。怪異に出会った人たちも、だからといって原因を探求したり、霊と戦ったりはしないわけです。
 中には、雪の積もった日、誰も入れないビルとビルの間になぜか足跡があった。、というだけの怪談もあるわけです。

 つまり、極身近にある、どこでもありそうな怪異現象の報告が、怪談のもとになるわけです。でも、その報告談をそのまま原稿にしてしまっては、それは怪奇レポートにしかなりません。これを怖くするための誰かの視点(主に体験者なのですが)、その視点の主は、それをどう感じて、どの部分でゾッとしたか。で、その後どうなったのか、を語らなければなりません。
 怪“談”に仕上げるわけです。
 ホラーは怖い、だけではダメと書きましたが、怪談も同じ。怖いという感情を喚起させるための怪異への誘いは必要です。そして、ゾッとしたところで、ブチッと話を切ってもかまいません。私なら、こんなところ行かないよねー、と読者に勝手に思わせれば成功です。
 解決はいらない。その解決のないところが『新耳袋』は受けたわけですね。
 実際に友人宅やキャンプ場で聞く怪談の主人公たちは、普通の人たちです。クラスメート、職場の同僚、上司、家族や兄弟、乗り合わせたタクシーの運転手、取引先の人・・・
 霊媒師や霊能者の知り合いもないし、電話番号も知らない。特殊な能力なんてない。幽霊が出た部屋に今も住んでいる。「だって引っ越し代、ないもん」て。原因追及もしない。あるとわかると怖くなるから、自分の中でなかったことにする・・・私に体験を聞かせてくれた体験者たちのスタンスは、まあそんなもん。そこにかえってリアルな恐怖が提示できたんでしょうね。
 たいていは恐怖と戦うことはしない、積極的に逃げない。見て見ぬ振りをする。みたいなスタンス? なかにはすごいストーリーを伴った体験談もありますけど。

 つまり、怪談は短編が怖い、とはそういうことなんですね。長い話にならない。
 だからこれを長くしようとすると、百物語形式とか何かのテーマで括るとか、オムニバス形式にするとか、何か切り口が必要となります。
 「なまなりさん」が、ホラー小説のようだと感想をもたれたのは、そういうことだったんです。話は実際にあったことでも、その書き方は怪談というよりホラーのセオリーに近かったんですね。考えたら「なまなりさん」を最初から最後まで誰かに怪談として聞かせたこと、一度もなかったし。でも、私は怪談を書いたつもりなんですけど。

 もうひとつ気をつけることは、怪談では当事者が死んではならない。なぜなら、当事者が死んでしまった状態って、その怪異の状況は誰が伝えたのか、という根の部分が喪失してしまいます。
 つまり、体験者の視点が命なわけです。怪談は。
 そういう意味では、岡本奇堂、泉鏡花、田中幸太郎、内田百里箸い辰真佑燭舛書いた怪談は、紛れもなくホラー怪談だったと言えましょう。

 そんなよなことを、2時間15分みっちりと講義したのが、7日のゼミでした。
 なんでそんな講義をしつこくやったのかと言うと。

 塾生諸君、怪談会を開いて怪談を語れよ、と言いたかったわけです。

 前回触れた『怪怪怪』という怪談本を執筆した塾生たちは、結局そういう怪談会をやらなかった。「やれ」とは何度も勧めて、ゲストを呼んで私はやってきたんですけど、参加しなかった。
 語る聞くをまともにやらないで怪談を書こうなんて、ちょっと信じられません。怪談が好きならば、仲間がいるならば、夜を徹して怪談会を言わなくてもやるはず。
 そんなに怪談に興味がないけど、それがデビューの近道ならば、という安易な考えなら、怪談を書いてほしくない。
 そんなん、怪談文学を「座」から復興させようとした先人の作家たちにも、怪談を愛好する読者に対しても失礼にあたります。

 私の書斎、いつでも解放するから。


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kaidanyawa at 01:02|PermalinkComments(0)

2009年10月09日

10/7の作劇ゼミ(その2)

 中山市朗です。

 前回の続きです。

 ホラーと怪談の違い。
 ちょっと塾生たちに質問してみました。すると次のような意見が。

 怪談は、幽霊、化け物が出る話。
 ホラーは、それらも含む怖い話全般。

 怪談は話すことが基本。
 ホラーは見せることが基本。

 怪談は古来からあるもの。
 ホラーは最近のもの。

 いいところいっています。

 怪談という言葉は日本にしかありません。
 その怪談の歴史は古いのですが、おそらく戦国時代前後の一般庶民の娯楽というのは、年一度の祭りか、田遊び(田楽)、それにお寺で住職の説法を聞くことくらいしかなかったのではないでしょうか。このときの説法は、きっと住職が、今まで見聞きしたことや、仏典にあるエピソード、それに今昔物語の説話などを村人に聞かせ、その後に仏の教えを説いたことでしょう。そこには因果応報とか、鬼のいる地獄だとか、欲張りや色魔が鬼や妖怪になったとか、神や仏の行なう不可思議(キリスト教では奇跡といいます)についての興味深い物語が含まれていたと想像できます。つまり、怪談のルーツですわ。
 この説法があったからこそ、後に講談や落語という日本独特の話芸ができるわけです。
 京都の新京極の誓願寺には、落語の祖とされる安楽庵策伝上人という安土桃山から江戸時代前期の浄土宗のお坊さんが奉納されていて、落語会が今も開かれています。本来、落語の祖は、江戸時代中頃の露の五郎兵衛、あるいは鹿野武左衛門、米沢彦八、といわれていますが、おそらく策伝上人は、弁舌家でエンターテイナーとしての気質がおありだったのでしょう。説法の中で落とす、ということをやっていたようです。ですから、落語家の祖というよりは、落とし噺の祖、といった存在なのでしょうか。
 いずれにしても、お寺が村の娯楽施設であったわけです。
 その中心に話芸があったのです。

 外国、とりわけヨーロッパはどうだったのでしょう。
 お寺の代わりに教会がありました。日曜日は参拝日です。
 牧師さま、あるいは神父さまが、やはり説教を聞かせてくれます。しかし、その内容は「福音」です。聖書の言葉、いや神の言葉です。牧師や神父がエンターテイナーとなったとは、ちょっと考えにくい。教会は賛美歌や教会建築、絵画といったヨーロッパ文化の礎を築きますが、日本のような話芸を生み出すことはなかったように思えます。イスラム教やユダヤ教にも同じことが言えるでしょう。
 僧侶の話芸。これが怪談の礎を作ったのです。

 江戸末期から明治にかけて、ご存知三遊亭圓朝が出ます。落語噺の祖です。
 この人は現代日本語の祖とも呼ばれる人ですが、とりわけ人情噺、怪談噺に長けた大名人で、言文一致体を試み完成させたとも言われています。江戸時代の言葉と、明治の言葉は違うんです。それまでは藩ごとの言葉だったのが、海外を意識した、日本国としての標準語が必要とされたわけです。
 その基に圓朝がいて、ちゃんと怪談があった。怖がらせる日本語のテクニック、というのがあったわけですな。圓朝の代表作『怪談・真景累ヶ淵』も、実は幽霊なんて存在しない、それは神経(真景)のものだ、という明治の近代化をも意識した構成。
 そして近代日本語による文体が固まると、さっそく当時の文豪たちは・・・「怪談会」を催すようになります。
 このあたりのことは、東雅夫さんのアンソロジー本などを読んでもらうほうが、詳しくて間違いはないのですが、『百物語の百怪』によると、

 小説家の
 泉鏡花、長谷川時雨、水野葉舟、里見とん、小林一三、森鴎外、佐藤春夫、田中幸太郎、芥川龍之介、幸田露伴、室生犀星、菊池寛、小川未明、稲垣足穂、宇野浩二、近松秋江・・・
 
 劇作家の
 小山内薫、岡田八千代、久米正雄・・・

 歌舞伎役者の
 尾上梅幸、市川団子、阪東薪左衛門・・・

 そのほかに、
 柳田國男(民俗学者)、山田耕作(作曲家)、白鳥省呉(詩人)、岡田三郎助(洋画家)、岩村透(美術評論家)・・・

 といった草々たる人たちが、怪談会を催し、その成果を文学として発表しているのです。
 つまり、怪談文学は、いきなり原稿用紙に筆を下ろす、前に、
 ちゃんと怪の「談」を座を設けて、聞き語るという怪談の基礎があるべきだと文豪たちは理解していたのです。
 明治の末期より大正、そして昭和の初期、こうして日本の文学は、話芸から発展した怪談とともにあったわけです。

 ところが戦争となります。
 日中戦争、大東亜戦争・・・そして終戦、敗戦。
 怪談どころではありません。現実に生きること、食べることが優先。
 目の前で家族や知人が死んでいくのをみていたこの頃の人たちに、怪談を聞かせたらどんな反応をしたんでしょうねぇ。
 その後、高度成長、経済優先、科学合理主義・・・
 怪談の入り込む余地がなくなりました。
 「月にロケットが飛ぼうかというこの時代に、幽霊なんているもんかね」
 という言葉をよく聞きました。月、ロケットと幽霊の因果関係がもうひとつわからんのですけど・・・

 で、そろそろテレビというお茶の間の偉大なるエンターテイメントボックスから、日本人のエンターテイメントの元祖、怪談が、ユリ・ゲラーやUFOなどと同時に復活します。新倉イワオ、つのだじろう、中岡俊哉、そして稲川淳二・・・このあたりのことは、7月2日のブログに書いたとおりです。

 そして、1990年。『新耳袋』と翌年、関西テレビで『恐怖の百物語』。そして『超怖い話』と、わずかですが、怪談そのものの復興の準備がなされました。『新耳袋』の執筆にあたっては、必ずそれを怪談として、誰かに聞かせる、語る、という行程があったのです。その文体が『新耳袋』なのです。
 この後、東雅夫氏の呼びかけで「百物語怪談会」が催されます。1997年、参加者は、井上雅彦、加門七海、菊池秀行、篠田節子、霧島ケイ、竹内善和、田中文雄、森真沙子。
 文豪たちによる怪談会の数十年ぶりの復興です。このときの模様は、『文藝百物語』に収録されています。
 そうして『新耳袋』が十巻のシリーズとして復刊。『ダ・ヴィンチ』編集部はさっそく怪談会を主催。同じく東雅夫氏の司会で参加者は、加門七海、篠田節子、竹河聖、南條竹則、立原透耶、菊地秀行、木原浩勝、そして私。これは1998年の9月号にて、一部再現してあります。この会を前哨として、京極夏彦、東雅夫、木原浩勝、そして私による「怪談之怪」を結成。これも怪談を語り聞く、という怪談会にゲストを呼び込む、というものでした。

 そうして、今や怪談文学は完全に復興を成しました。
 今や、一流作家たちが怪談を書き、新たな書き手が次々と登場しています。

 でも言いたいのは、

 あくまで怪談は、語る聞く、という談の座から生まれるものなのです。
 以前、『ダ・ヴィンチ』で掲載していた怪談スキル講座で、私がしきりに怪談を書く前に怪談会をしろ、と言っていたのは、そういう背景があり、私はそうしてきたからなのです。

 一方、ホラーは・・・

 続く

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2009年10月08日

10/7の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 最近はそうではありませんが、塾を立ち上げた後、2、3年は「作劇塾は怪談の書き方を教える塾」だと、周囲に思われていました。
 そんなことはありません。
 怪談は苦手、という塾生もいます。

 ただ、私が教えている塾だから、塾生たちはさぞや怪談やホラーに詳しいんだろうなということは今も思われているようで、たまにそんな仕事が振られてきたりします。また、以前エンタイトル出版から出版された2冊の怪談本も、出版社から私の監修で、怪談ものならば、と条件で出されたものでした。

 しかし怪談を書くことは確かに大きな勉強になります。
 怪談の目的は明確です。いかに読者を怖がらせるかです。

 私が塾生たちに言っていることは、いかに作品をエンターテイメントとして仕込むか、ということです。言わば、一般の人たちに、いかに「これはおもしろい!」と感じさせるか。作家として生きていくためには、面白い作品を書き続けること以外にありませんから。
 でも「おもしろい」と思うツボ、興味の対象は各人違うものです。
 ですから、そのツボをなんらかのテクニックにおいて、なるべく多くの人に共感してもらえるワザを修得できれば、売れる作品ができるというわけです。
 まあ、それが難しいんですけどね。

 よく映画やコミックをヒットさせるには、エロとバイオレンスと言われるんですが、これは誰でもわかる感覚だからです。共感される公約数が大きい。
 で、恐怖という感覚も、実は誰でも共有しているはずの感覚なんです。
 誰だって死ぬのは怖い。暗闇が怖い。孤独が怖い。家族や恋人を失うのが怖い。あるいは神罰が怖い。幽霊が怖い。まあ幽霊なんていねぇし、孤独も平気だ、なんていう人もいるでしょうけど、実際はどうなのかな〜?

 だからこの共有している感覚、怖いというのは、何の、どこに対して、どう怖いのかを分析した上で、怖い、と感じさせる作品を書いてみることは、小説やマンガを描くにあたってツボを勉強するのに有意義ではあると思うのです。
 読者のある感覚を刺激させることが、エンターテイメントだと私は思っているので。
 で、この感覚の刺激の喚起は、笑い、興奮、感激、感動にも応用できるはずです。
 笑いも、興奮も、感激も、感動も、恐怖も、何も無い小説やマンガ、映画、お金を払ってまで読もう、観ようと思います? ただ、ひとつのシーンやカット、あるいはある部分にマニアックな要素があることによって、好事家たちに支持されるというカルトな作品も、一方にありますが、でもこれは大衆娯楽ではない。
 あの、エンターテイメントだの大衆娯楽だのといっても、全然ピンと来ない作家志望の人がいるんですけど、これ大切な要素です。
 出版社から自分の著作を出版して、全国の書店に並べられる条件は、それが売れるか売れないか、です。出版社も慈善事業をしているわけではありません。また、そうでなくとも出版不況といって、本が売れないこのご時世。小、中の出版社なんかでは、赤字を減らすために出版物を見合わせるというところも出てきているくらいです。
 でも、売れるものは売れる。
 良質なエンターテイメントがそこにあるか、もはや大家となった作家さんの独自の世界がきらびやかに展開しているか。それとも今、求められているものがそこにあるか、の、どれかでしょう。売れているというのは。
 しかし、いずれもそこには読者の目を意識した、作家さんと編集さんの思いの凝縮がそこにあるはずです。
 その精神を学ぶべきです。作家志望者は。

 えっ、書きたいものを犠牲にしてまで、そんなことをしたくないって?

 それは間違い。

 書きたいものを書けばいいんです。
 ただ、その手法、文体、構成、展開などの工夫で、読者が読みやすいエンターテイメントになる、ということを知って欲しいわけです。
 おそらく、プロの作家(小説家、ルポライター、マンガ家、劇作家、脚本家)になりたいという人は、自分のもっている世界を、いかに大勢の人たちに共感してもらうか、という欲望があるはずですから。自分のためでもあり、読者のためでもある作品。
 その方法論がテクニック。

 普段私の言っている、文章がうまくなるテクニックと、エンターテイメントに仕込むテクニックはまた別だという意味がそこにあります。
 文章は、そりゃあうまいに越したことはありませんが、ライトノベルズの読者が望んでいるのは、文章のうまさなのか、ストーリーの奇想天外な面白さなのか。




 えーっ、前置きが長くなってしまいました、7日の作劇ゼミの報告です。

 エンターテイメントを意識して書く、ということを、そろそろ理解しかけた塾生たちの何人かが、怪談文学に挑戦して出版社に持ちかけたい、という動きが出てきました。また、本格的にホラー小説や、ホラー映画のシナリオを書きたいと本腰を入れる塾生も出てきました。
 ところが以前、エンタイトル出版から『怪怪怪』という出版物を出したとき、ちょっとした問題が発生していたのです。
 執筆者である塾生たちは、監修である私のところと、編集長であるU氏の2人にチェックしてもらっていたんです。すると、私は怪談作家ですし、私の監修なので「怪談」になっていないとNGと原稿を突き返す。ところが編集長は、怖ければオーケーということで、私がNGとしたものが通ってしまう。あるいはその逆もある・・・
 それで塾生たちの作品がブレたんですな。
 つまり、編集長はホラーでもオーケー。
 私は怪談でないとNG。

 さて、問題が出てきました。
 怪談とホラーは違うの?
 違うとしたら、具体的にどう違うの?

 これ、怪談を書いている著者が、この問題に自分なりの意見をもっていないと、編集長と私の言うこと、どっちを選択すればいいのかわからなくなりますよねえ。

 で、先日のゼミでは、私自身もそこをもう一度整理したくて、それをテーマに講義をしてみました。
 ホラーと怪談、どう違うのか?

 その内容は、また次回。

 えっ、引っ張りすぎ?


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2009年10月07日

中山市朗VS座敷わらし

 中山市朗です。

 先日、いつものようにテレビをつけっぱなしにして原稿を書いていると、お昼ごろのニュースの時間に、いきなり「座敷わらし、とは」という解説が。
 ん?
 とテレビに注目していると、その「座敷わらし」が出ると有名な岩手県金田一の緑風荘が全焼した、というニュースに!
 もちろん、「座敷わらし」が出るという「槐(えんじゅ)の間」も跡形なく・・・
 4日の午後8時頃に出火、約7時間燃え続けたそうです。

 わちゃー!
 いっぺん行きたかったのに。

 以前、『幽』に連載していた「やじきた」で行ってみようという話になり、担当のRくんが問い合わせてみたところ、3年先まで予約がいっぱいだということで、諦めたという経緯があったのですが、あのとき予約していれば去年あたり取材に行けてたんだよなあ。
 まあ、絶対何も感じなかった、という自信はありますけど。
 あっ、行ってれば、今回の全焼事件は私のせいにされていたかも。
 なんせ、ゴーストバスターならぬ、ゴーストスポットバスターですから、私。

 緑風荘は、元お庄屋さんだったそうで、母屋は300年の歴史があったとか。
 旅館として立て直すには、色々苦労があったといいます。
 温泉宿となって解放されたのは昭和32年のことだそうで、古い農家式の建物がそのまま残されて、そこに座敷わらしが出た、のだそうです。

 昭和62年に出版された平野威馬雄・著『日本怪奇物語』に、当時の宿の主人の談話が掲載されていて、祖父の頃からたびたび出た座敷わらしは、きっと狸か狐の仕業に違いないと、いつも腕っ節の強い猟師を2、3人置いていて、現れたらぶち殺してやろうと思っていたそうです。このご主人も、座敷わらしを捕まえようと7晩続けて、座敷に寝たという話が記載されています。
 7晩とも現れたそうです。
 まず生木を裂くような音が聞こえた瞬間、体が動かなくなる。
 床の間違い棚の隅がボーッと明るくなり、人の姿のようなものが現れ、やがてそれが枕元に近づく。するとよく見える、そうです。
 品のいい、高貴な顔立ちをした7、8歳の男の子。髪はおかっぱ、白い麻のような着物で、じっと空間を見ているような目は無表情。捕まえようにも体は動かず、そしてパッと消える。
 2日目は、同じわらしが、今度は薄汚れたかすりの着物で、帯はよれよれの縄のようだったといいます。このように毎晩、夜中の2時に出る。6日目の晩には、お姫様のような打ち掛けを着て、髪を後ろに垂らした美しい女性に手を引かれていて、こっちへやってくる。わらしはこのとき、最初の夜に出たときの白い麻の着物。女性はわらしの頭をやさしく撫でながら、にっこり頷いていたそうです。そしてそれは、隣の部屋のふすまを開けて、ふっと消えた・・・

 その後、座敷わらし(亀麿という名だそうです)に会うと幸運を呼ぶと噂され、三浦哲郎氏が昭和46年に『ユタとふしぎな仲間たち』という緑風荘の座敷わらしを児童小説として取り上げ、これを浅利慶太の演出で「劇団四季」が公演。この前後にいわゆるオカルトブームが到来して、緑風荘は脚光を浴びることになったようですな。
 この旅館に宿泊して名声と成功を得たという人は、実際に数名いるそうで。
 原敬は後に19代総理大臣、米内光政は37代総理大臣(この2人は旅館経営以前に泊まった?)、福田赳夫67代総理大臣、本田宗一郎、松下幸之助、金田一京助・・・三船久蔵(この名前、すごいっすよね。三船敏郎+「七人の侍」の剣客・久蔵!)十段は、座敷わらしと組み合って軽くあしらわれた・・・?

 これは半分都市伝説みたいになっちゃいましたが、確かに昭和40年代後半に、超常現象だの霊スポットだのを盛んにテレビに取り上げられるようになったんです。で、何かの番組で緑風荘に、ある女子アナ(だったと思う)が宿泊し、彼女が寝ている間カメラは据え置きで回しっぱなしにしていたところ、眠っている彼女の布団の上を、ポイッと飛ぶ子どもの足が映って・・・私、見た覚えがあるんですが、はっきりとしない。で、その後しばらく超常現象もので、霊を扱わなくなったので、きっとあのとき、とんでもないことが起こったので、番組ができなくなったんだろうという噂が。
 まあ噂は別としても、足の記憶はあるんですけど、観たという人、いるかなあ。

 さて、座敷が焼けちゃって、座敷わらしはどうしちゃったのでしょう。
 ニュースによれば、近所の人は「近くにある、座敷わらしを祭ったお堂(亀麿神社のことか?)の中にお戻りになったのでは?」と言うてましたけど・・・。でも座敷がなくなっちゃったので、これではお堂わらし?

 とにかく妖怪が棲みにくい世の中になったということ?
 また緑風荘が立て直されたとき、座敷わらし「亀麿」くんの復活、出現をお祈りいたします。


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kaidanyawa at 19:39|PermalinkComments(2)

2009年10月01日

9/30の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 30日の作劇ゼミの報告です。
 ホントはこの日は、第五週にあたりますので講義はお休みなんですけど、第三週の水曜日は上映会でしたので振り替えです。

 論理的に話を構成する、話を転がす、ということを考察してみました。
 それと演出。映像の場合は、映像理論のなかでストーリーを語っています。
 話を転がすためには、用意周到の演出プランが求められます。
 というのも、17日の上映会で塾生たちの撮った映画が、ことごとく山田誠二さんに「理論がわかっていない」と一刀両断されてしまったので、こりゃいかん、と。
 で、マンガ家志望のある塾生が私に聞いてきたんです。
 「山田監督がおっしゃられたことと、法山先生(マンガコース講師)がおっしゃっていることが、まったく同じことだったんです。もっとここを詳しく、中山先生の口から説明していただきたい」
 うーん、色々と論理的思考については講義をやったり、見本を見せたりしていたハズなんですけどねぇ。他の人から言われて初めてハッと気付くのでしょうか?

 で、この日は私が編集したある映画のダイジェストを塾生たちに見てもらい、まずは塾生たちに気付いたことを書いてもらいました。なんでもいいんです。キャラクターの性格付け、その動き、カメラワーク、方向性、構図、構成、流れ、小道具の使い方・・・
 映画を見せて、いきなり私がここはこうだよ、と言ってしまうのはダメかな、と。
 一度考えてもらおうという思いです。
 何を見せたかって?
 大傑作アニメです。
 『クレヨンしんちゃん 爆発!温泉わくわく大決戦』からのダイジェストです。
 10年前に劇場公開された原恵一監督作品。劇中、巨大ロボットが登場し、野原家のある春日部市に向かって直進します。このロボットシーンが秀逸なんです。
 私は昭和の『ゴジラ』『ガメラ』世代です。で、平成『ゴジラ』を見るほどにガッカリを繰り返していました。なぜガッカリなのか? 造形はすごくなってるし、CGの登場により特撮は高度なものになって、画面も音響も格段に質が上がって・・・。つまり映画の魅力って、そういうことじゃないんですね。今の映画はすぐに技術で処理をしようとするキライがありますが、それをやるほどに現実の世界から離れていって、リアルではなくなっていく・・・映像としてはすごいけど、映画の感動が希薄になって・・・
 『温泉わくわく大決戦』は、その方向違いに行ってしまった『ゴジラ』映画への警鐘ともとれる原監督の演出意図があるように思えるんです。
 そこを塾生たちに読み取ってもらいたかったのですが。
 私、ホラーや怪談の肝は、日常がどう崩れていくのかだ、と何度もこのブログでも書いてきましたが、ここでも同じことが言えます。巨大ロボットの出現は、非日常的なものです。『クレヨンしんちゃん』の世界観からして、非日常です。ということは、日常が崩れるという視点から、巨大ロボットの一連のシーンの演出がなされなければいかんわけです。まず、日曜日の朝、から始まります。何気ない朝に、突如異変が起こる、という導入部を原監督は巧妙に語ります。そして、異変が起こったら、一般の人たちはどういうリアクションをとるか、どこにその第一報が届けられ、何が出動し、ロボットに対してどういう対策がなされているのか。人々は、その巨大なロボットをどういうシチュエーションで、どこから何を思って見るのか。それが見事な一定の視点をもっての演出がなされているんです。
 カメラはなぜ、そこに位置しているのか。それは何を意図しているのか。 
 その構図は、何を物語っているのか。
 方向性(ロボットが直進する方向性を画面でどう見るのか。避難する住民たちは、どのタイミングでどの方向へ逃げるのか)にも、ちゃんと理路整然とした論理的裏づけがなされています。実はこの演出方法は平成『ガメラ』で行なわれていて、老舗の東宝の平成『ゴジラ』シリーズを一蹴しました。
 つまり映像の処理ではなく、映画は演出で決まるわけです。なあKレンジャー。
 処理はあくまで、演出の一環です。

 演出は何を語りたいか、ということから、そのプランがなされると思うのです。
 この場合、巨大ロボットなりゴジラなりを、誰の視点から見るのか。その誰は、どういう思いでそれを見ているのか。観客をその世界に誘うには、その視点が必要なわけです。私も自身が語る怪談に、体験者なり語ってくれた人の視点は、必ず意識しています。幽霊が怖いわけではなく、あくまで非日常に迷いこんだ体験者の心理を伝えることが、怖さへの喚起となるのです。
 その視点から感情移入が始まり、登場人物たちと同化する。そしてその登場人物たちの心情や境遇、あるいは行動と、その結果残ったものに共感が起こったとき、おそらく観客は感動するのです。この視点という考えは、映画だけでなく、マンガにも小説にも活かせるものです。
 一人称とか三人称というのも視点ですしね。ある人物の生涯エピソードを別の人間に語らせるとか・・・

 『クレヨンしんちゃん 爆発!わくわく温泉大決戦』は、それを教えてくれます。
 秀逸なカットを一つ紹介。

 小渕さんによく似た総理がいます。
 「いよいよ自衛隊の出動ですかな」
 で、次のカット。
 周囲に何もない郊外のコンビニ。客はなく、一人の女性アルバイトがレジの前にボーッと立っています。するとそこに地鳴りが起こって、「は?」と表を見ると、戦車が行列をなして次々と。アルバイトのお姉ちゃん、全然わけわかんない、みたいな表情。
 これだけ情報が過多になりながら、おそらくコンビニのバイトには情報がいってないだろうという、このシーン。おそらくこれ、みんな避難しているのに、彼女だけ情報がないから日常のなかにいる・・・こういう視点が巨大ロボットを妙にリアルなものにしてしまうんですな。そんなシーン、平成『ゴジラ』にはなかった。

 まあ、そんなこんなで、スト−リーを語るのは理論と視点だと。
 それを実証してくれるのは、桂米朝師匠の落語です。
 米朝師匠の落語は、誰がどんな噺を聞いても、わかるんです。それって、どういう意味? とか、どういうこと? と、たまに解説がほしい落語があったりしますが、米朝師匠の落語には解説はいらない。なぜなら、米朝落語は理路整然としているからです。枝雀師匠のはキャラクターが噺をひっぱっている。米朝落語になんとなく文学の格調を感じ、枝雀落語にマンガに近い印象が残るのは、そういう視点の違い、なのでしょうか?

 最後に、
 『クレヨンしんちゃん』の原作者、臼井儀人さんのご冥福をお祈りいたします。
 


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kaidanyawa at 21:23|PermalinkComments(1)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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