2009年11月

2009年11月26日

11/25の小説技法

 中山市朗です。

 久しぶりに6週間ぶりの小説技法です。
 7年ぶりに復活のRくん。
 ゴウヒョウ、じゃないよ、ガッピョウだよ、合評!

 こんなに間があったんだから、さぞやみんな力作を書いてきただろう、と思いたいところですが、やはり未提出の塾生も若干名。特に今までほとんど課題を落とさなかったN子さん、今回はどうした?
 Oくんも、ここのところまったく出していないので、後の飲み会でじっくりとお話を。
 書かない理由を懸命に探している。
 そういう人ほどこう言います。
 「いやぁ、忙しくて・・・」

 合評の前に、Kくんが投稿用の小説を見てくださいと、もってきたので目を通す。
 破壊された東京を舞台にした近未来アクション。
 題材がありきたり。まあそれはいいとしても、彼は書きたいことをそのまま書いているだけで、読者を楽しませようとか、こういう仕掛けで驚かせてやろう、とかいう読者視点が欠如しているところがあります。これは毎回彼に言っていることなんですが・・・
 でも書かないよりはいい。
 どんどん書いて、どんどん指摘されて、どんどん書き直す。
 作家への道はそれしかない。

 で、合評。

 まずは復活Rくん。
 ある高校で「決闘部」なるサークルがひそかにできたが、法治国家である日本では決闘は認められないので、生徒会長が平凡な少年(主人公)に命じて潜入させ、潰すように命令する・・・といった流れの冒頭。
 Rくんは専門学校の頃、日本を舞台にした吸血鬼を主人公にした小説を書いてきて、それに目を通した私がモノの数秒で「なんやこれは!」と床に叩きつけたという伝説の持ち主です。ようは吸血鬼のことをよく調べもせずに、安易に小説にしていたんです。だから私が怒った。今回もそれに似ている。
「お前の発想は、10年前と全然変わっとらんな」
 と私。
 その辺りのことを指摘すると、確かにこの後の展開や全体的な構想が、頭の中にない。
 Rくんの本当に書きたいものってなに? という話になる。
 彼は結婚もしていて、今働いている職場を辞めてまでも物書きになりたいと、塾に飛び込んできたわけですから、そこのビジョンをしっかりもたないと。

 S山くんの奇譚小説も、なんや長いことかかっています。
 本人は「感覚で書いちゃった感がある」と弁解していましたが、まったくその通り。夢と現実の境目がわからない、あるいはどんでん返しがある、時間軸が崩れる、といったところが彼の作品の特色なのですが、明らかに夢じゃん、というシーンが延々と続いてしまって緊迫感がない。この章だけは仕切りなおしの必要があります。

 T野くんのSF怪談は、その切り口は面白い。無機質な語りがほとんど人のいない月面基地の様子を読み手に想像させ、課題であった恐怖の感情も表現されました。でも小説全体で言えば、まだまだ発端部分。この事件がこれからどう発展し、月面基地でプロジェクトを進行させている主人公たちとクルーは、この科学で解けない非日常事件に、どう対処するのかは、私も楽しみにしているところです。

 K島くんの「活動大写真」は、大胆にも主人公も設定も文体も、これまでとは変えてきました。純文学の香りがします。ストーリーはこっちのほうがいい、という意見も出ましたが、ちょっと待て。そもそもK島くんがこれを書いた動機は、若い人たちに昔の映画の面白さを知ってもらいたい、という一念があったのではないか?
 今回の作品は、どいうみても年配向けのものです。
 そのことを指摘すると「うーん」と考え込んでしまったK島くん。
 ちょっとそこのところを整理してみよう。

 Yくんのヒーローものアクションは、相変わらず読ませる力量はありますが、戦闘シーンが長すぎて疲れる、という意見も。小説としてはその戦闘シーンを読ませるところに主題が置かれる作品なので、これは描写の問題。ちょっと細かいところを、たとえば今の状況や、それを指揮する隊長の心理などを書きすぎているんです。アクションのシーンは、もっと荒くていいから、テンポで読ませなきゃあ。ある程度読者の想像にゆだねるということも大事なテクニック。あんまり説明されると、確かに読んでいてしんどいかも。

 T田くんの作家たちが理不尽な状況に追い込まれて、ある管理下の中で創作活動をせざるを得ない、という近未来ナンセンスコメディともいえる作品は、クライマックスへいくようでなかなかいかない。今まで書いてきた状況や、設定が解明されていかないと、作品が終点へいかないのですが、解明させるのに作者自身が四苦八苦しているようです。もっと主人公の作家としてのスタンスを確立させる必要があります。なんか動機があと付けのような気がしますわ。

 Aさんの日本神話を題材にした女の子向けのファンタジーは、一部の男子からは「どうも、このキャラクターは気に入らん」と不評を買っています。でもそこが女の子向けなんだということも、わからないでもない・・・ちょっと難しいですな。ただ、全体的に描写がやや平坦になっているようです。暗闇にホタルの大群なんて、おそらく想像以上の幻想的な風景だったりするはずなので、こういうシーンの描写でメリハリをいれると作品自体がもっと魅力的なものになるはずです。まあAさん自身がホタルの大群をイメージが具体的には想像できないと言っていましたが。私、以前宇治へ取材に行ったことがありまして、宇治はホタルの名所。源氏ホタルですな。あれは想像を絶する・・・(以下省略)

 落語作家志望のO田くんは「今度の『へたなら寄席』で、自分の書いた創作落語を自分で高座にかけます」と、落語台本を書き上げてもってきました。
 落語作家としてのデビューは、T田くんに一歩譲りましたが、O田くんも着々と落語作家への道を歩んでいるようです。
 塾生たちによる落語会、次回「第九回・へたなら寄席」は、1/17(日)ワッハ上方4階、小演芸場にて行なわれます。

 詳しくはこちら。

 今回は私も出演予定でしたが、右足骨折では正座もできまへん・・・



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2009年11月23日

ワシ餓死する

 中山市朗です。

 退院してからもう1週間。
 3日に一度は病院へリハビリに行かねばなりません。
 まだ右足の甲の部分が腫れておりまして、靴が履けません。
 電車にはまだ乗れないので、タクシーですわ。
 そして1週間に1度は診察を受けなければならないし。
 えらい入用ですわ。

 そして移動は家でも松葉杖。
 つまり移動中は両手がふさがっているので、手で何かを持って歩くことができません。
 実は入院中、歯磨きをしようと松葉杖で洗面所に移動したところ、右手にコップと歯ブラシ、歯磨きチューブを持っていたため、バランスを崩してギブスをしていた右足から倒れるという失態をやらかしてしまいまして。
 瞬間、患部をかばおうとしたんですが、右足の親指を松葉杖で思いっきり突き刺してしまいまして、親指が一晩中大きく腫れて、うんうん唸ってナースちゃんに座薬をかましてもらったことがあったんです・・・

「手術前だからよかった。手術後に同じことをやって、もし患部にショックがあった場合、骨に添えたプレートがゆがんだりしたら再手術ですよ」と主治医に言われまして。
 だから無理は禁物。
 すると・・・
 ゴミ袋を表に出せない。買い物ができない。洗濯は洗濯機がやってくれても、洗濯物をベランダに運べない。干せない、掃除機も使えない。
 料理は食材があればキッチンに置いた椅子に座ってなんとかできますが、テーブルまで運べない。一度カップめんを作ったのですが、これをテーブルまで運べない。松葉杖に頼らず、片手にカップめんを持ってケンケンで・・・
「あちあち!」
 熱湯がこぼれますわ。
 出前?
 玄関まで持ってこられても運べない。中まで持ってきてもらわないと。ちょっと抵抗があるし。通院代がかなりかかあるから、毎回出前はねぇ・・・
 
 仕事をしていても、分厚い専門書を本棚から書斎の机まで持ち運べない。
 ベッドの周りはごみだらけやし。
 銀行へも行ける状態ではまだないので、手持ちのお金もない。
 今度リハビリに行くタクシー代・・・。明日食うもの・・・。
 仕方がないので、スガノに電話。
「明日、手の空いてる塾生いたらよこしてくれへんかなあ」
 しばらくしてスガノから返答の電話。
「明日、みんな忙しいらしくて。明後日はダメですか?」
 うーん、今冷蔵庫の中は、腐った牛乳と賞味期限切れのうどんが1玉。

 今、真剣に思うこと。

 嫁さんがほしい!


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2009年11月22日

11/18の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 スガノくんが司会進行による、私と堤谷くんとの対談。
 ここで議題となったのが、ライターをやろうとなぜみんな思わないの? ということでした。

 うーん、またまた専門学校時代に話が戻ります。
 小説家コースというのもありまして、ここには10人ほどの学生がいました。私が直接小説に目を通す、という立場にはなくて、アイデアテクニックという講義形式のカリキュラムの担当をしていて、そこにマンガ家コースの学生たちと一緒に彼らも受講していたわけなんですが・・・
 
「雑文を書く仕事があって、私が責任とるし、アカも入れてあげる。ちょっと書いてみない? もちろん原稿料も安いけど出るよ」と紹介しても書かないんですな。
「私の書きたいのは小説ですから」と。
 きっとこれは、文章を書くことが好きなのではなくて、小説家という肩書きに憧れているだけなんだな、と私は思うようになった。
 まあその前に、仕事を斡旋することは校則で禁じられていましたけど。
 案の定、このの専門学校は、今に至るまでひとりも小説家を出していません。いや、人のことも言えない。
 我が塾でもそういうチャンスがいくらでもあるのに、編集の人が何人も出入りしているのに、塾生たちはそこに飛びつこうとしない。
 いや、ホントに真剣に小説を次々に書いて、投稿したり編集さんに見せてアドバイスをもらっていたり、携帯小説を依頼で書いてギャラをもらっている青谷のような塾生もいます。そういう人は、そのまま成長してほしい。

 しかし、ほとんどの塾生は、作品を制作することと、それをお金にするということが結びついていないわけです。小説が賞をとれば、あとは印税生活、とでも思っているのでしょうか?
 そんなに甘くないわ。

 で「お金がない」と言うてる。
「今アルバイト探してます」
「もっと時給のいいバイトないですかねえ」

 どうも文章を書いてお金にしたいという発想がない。
 スガノくんが最近、東京の出版社に営業をかけて仕事をとってきて、たまに塾生に「これ、やってみようよ。ギャラも採用されたら払うし、名前も載るで」と言っているようですが、それをチャンスと思わない。嫌々やる、スルーする、締め切り日に途端に連絡がつかなくなる、とボヤいています。
 とんでもないことです。

 先週の小説技法は、入院中の私の代わりに、エンタイトル出版の打越編集長が講義をしてくれて、講義後は一緒に飲む機会を作ってくれたらしいのですけど、打越さんから仕事をもらおうと積極的にアピールした塾生が果たしていたのかどうか・・・
「エンタイトル出版? そんな出版社知らんし」みたいなことをもし考えていたのなら、もう文章を書くことはやめなさい。
 実は私も堤谷くんも、文章書きとしての礎を与えてくれたのは打越さんだったわけです。

 私は19年前、扶桑社から『新・耳・袋』を出版し、作家デビューしたものの、まだまだ売れてなかった。まあお陰で放送作家としてもデビューできて、レギュラー番組を何本かまかされて食ってはいけるようになった。しかし文章書きとしてはまだまだ駆け出しです。そんなとき、ある人の紹介で当時遊タイム出版の編集長だった打越さんと知り合って、私が持ち込んだ原稿を出版してもらったわけです。『妖怪現る〜現代妖怪講義』がそれでした。このとき、打越さんは大阪中のライターを集めて、『関西の逆襲』というムック本の企画を宝島社に営業をかけていて、通ったわけです。ここから宝島社との関係ができて、そのあと困ったときは宝島社から原稿の仕事をもらって、そこから東京の出版社から、妖怪や怪談についてのエッセイ、評論、体験談などの原稿依頼がくるようになったんです。もちろん『新・耳・袋』という実績もあったからなのですが、繋がりは打越さんから始まった。
 そして堤谷くんが専門学校を卒業して、どうしようもなくなって私のところに相談にきたときに紹介したのが、打越さん。彼は後に打越さんから仕事の依頼を受け、やはり物書きとしての礎を築いたわけです。
 ちないに、デビュー間もない有栖川有栖さんとも、打越さんの紹介で知り合ったわけです。

 塾生たちに私も堤谷くんも言いたかったことは、なぜ目の前に編集長という肩書きをもった人が、しかも塾を好意的に思ってきている人を目の前にして、これはチャンスだと思わないのか、ということ。
 もう一回言いますけど、私はある人に頼み込んで、すがる思いで打越さんを紹介してもらったわけです。無名の作家志望者にそう簡単に会ってくれる人ではないわけです。また打越さんは講談社である新人大賞をとった作家でもあります。編集と作家、二つの視点からのアドバイスをもらえる貴重な存在でもあるわけです。それに何より、エンタイトル出版と我が塾は、業務提携している関係です。

 何をスルーしとんねんと。

 もちろん、こういう人から仕事をもらうには、それなりのスキルは必要ですが、プロの編集にどんどんアカをもらうことこそが貴重な経験であり、よりスキルアップできるチャンスであるはずです。私が打越さんに会ったときは、正直スキルもないし、へたくそな原稿を持ち込んでいたと思います。しかし、この原稿を世に出したいという情熱、熱い思いだけでお話をさせていただいたのを覚えています。

 堤谷くんは言います。
「学生時代、あるいは卒業して間もない頃は、文章を書くのはテクニックだと思っていた。でも今は違う。人間性と人の繋がりで仕事がくるんです」
 それと彼がよく口にするのは、
「自分の書いたものをお金にしていない状態では何を言っても説得力がない」

 まあ打越さんだけではない。いろいろな人が塾に出入りしているわけです。東京のメディア関係者も塾に顔を出してくれて、塾生たちと朝まで飲み交わしてくれています。
 それが当たり前だと思わないこと。
 そういうチャンスをなんとか作ろうと、私は東京の出版社やメーカーの人たちに飛び込み営業をしていたわけですから。そういう人たちが、今、塾と関係を持ってくれているわけです。
 堤谷くんも駆け出しの頃、どうやって自分を売り込み、どのように人脈を広げて行って、物書きとしての今があるのか、という体験談を惜しみなく披露してくれました。
 彼もいつかは児童文学を書くことでしょう。
 でも、だからといって小説家としてのスキルを磨くだけでは、自分のレベルも計れず、閉じこもってしまい、子供たちの本当の姿も見えず、チャンスさえも来ないかもしれません。育児ライターとして活動しているからこそ、いつも書くというスタンスでいられる、取材により子供たちや、周りの親や教育者の生きた証言やリアルな情報が手に入る。常日頃のプロの編集さんとのやりとりによって、文章スキルは上がる、何より出版社との繋がりができる・・・何よりそれで生活していける。

 ライターを拒否し。家に篭ってただ小説を書いている作家志望者と、堤谷くんのようなスタンスにいる作家志望者。どちらにより可能性と持続力があるか、です。
 まあ才能がモノを言う世界。「100パーセントこう」とは言えないのは事実ですが、何より物書き(中島らもさんは文売屋てな表現をしてはりましたが)を本業として生活するということを頭においてほしいのです。ベストセラーを叩き出す作家さんもいますが、数ある作家志望者のなかで、それは宝くじにあたるようなもの。
 しかし物書きとして生きていくことは、考え方次第で現実なものになります。
 スガノくんでも物書きとして食っているじゃないですか。
 彼は堤谷くんの後輩にあたるわけです。

 雑文やエッセイ、リポート、記事などを書き、それをギャラにしながら、その上で書きたい小説を書けばいいじゃないですか?
 それでもキミは小説家の肩書きだけが欲しくて、物書き、ライターを拒否して、コンビニや警備員のバイトやりますか?




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2009年11月19日

11/18の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 今日から塾長としてのブログ再開です。
 下ネタなど、とんでもありません!
 えっ、それを期待しているって?
 じゃ、またいずれね。

 いやあ、久々の塾であります。
 5週間ぶりですか・・・

 いつもは自転車で5分もかからない距離を、タクシーで移動。
 教室は3階にあるんですが、なぜかここのエレベーターは3階だけ止まらないので、一旦4階まで上がって、階段で3階へ降ります。
 松葉杖ではちょっと困難。
 両手で手すりを持って、右足をかばいながらの階段降り。
 ようやく教室前に着いたら、まだ教室が開いてなかった。
「オーイ、スガノー!」

 で、これまた久々のネトラジ収録。
 入院中のおもしろエピソードなどを紹介しております。
 
 さて、本日は講義の日なのですが、先月末の時点では私の復帰の予想が困難だったので、私の専門学校時代の教え子でライターの堤谷くんに、私のピンチヒッターとしてきてもらうことになっていましたので、私との対談ということに相成りました。
 まあ私もホワイトボードに文字を書くことは困難ですしね。

 堤谷くん。まだ年齢的には若いですが、男性でいながら育児ライターとして活躍しています。雑誌の『AERA』などをはじめ、教育誌、育児誌、親子誌などに執筆、あるいは書籍の編集などをこなしながら、専門学校ではライトノベル作家志望の学生たちに講師として教えています。しかし彼の目標は、児童文学を書くこと。今はそのための準備期間、であるはずですが?
 面白いことに、堤谷くんは学生の頃、マンガ家志望で、マンガコースにいたんです。
 そういえば、今塾の総務をやっているスガノくんもやっぱりマンガ家志望。彼のマンガはメッチャ下手でしたけど。
 今、塾生で小説家志望の青谷、高田、先月復帰した豊田、シナリオ作家志望の寺井、UNIも、もともと専門学校時代からの教え子で(いずれも数年から10年のブランクはありますが)、みんなマンガ家コースにいた専門学校生でした。今の彼ら、彼女らを見ているとちょっと想像ができませんが。

 みんながそう、とは言えないのかもしれませんが、彼らが今、当初抱いていたマンガ家になるということから進路変更したのは、少なからず私の専門学校のカリキュラムをあえて無視した教育方針にあったからだと自負しております。
 まず夢と現実は違うんですな。
 専門学校には、だいたい高校卒業してすぐ入って来ます。コミック雑誌を読んで、マンガ家に憧れて、クラスではマンガの巧いほうだったから、マンガ家になろうと入ってくる。
 だから正直、何も知らない。ただ漠然とマンガを描いていれば、プロのマンガ家になれるのだと思っています。
 私が当時教えていた専門学校は、1学年に120ほど入ってきていました。で、デビューできる子は、まあ2人か3人。プロとして生き残っている子は、10年で1人か2人。
 そんなもんです。
 まあ正直半数以上は、本気でなろうとは思っていないようですけどね。
 大学落ちたし、就職もできないから、というのが正直な動機だというんですけど。

 さて、マンガ家になりたいという夢。
 しかし、本当に自分はマンガを描くことが好きなのか?
 マンガをカリキュラムの中で描いているうちに、そこを考えるようになるんです。
 マンガって総合的なものです。
 画力だけではマンガにならない。そこに気付く。
 アイデア、ストーリー、キャラクター造形、演出、構成力・・・画力はあるけど、ストーリーを作るのは苦手という子は、シナリオの勉強をする必要があるし、ひょっとしたらイラストレータ−という道もある。ストーリーを書くのは好きだけど、絵は苦手というのなら、マンガ原作の道もあるし、そもそもそのストーリーはマンガとして展開せねばならないのか、という問題もあります。それで描けなくなる子が出てくるんです。小説とか、映画の脚本、あるいはゲームという媒体もある。
 演出に興味がわいてきたというのなら、映像の演出という道もあるし、ひょっとしたら舞台とか演芸の世界に向いているかもしれない。
 そこは自分でもまったくわからないわけです。
 なぜなら、マンガ家志望で専門学校にくる若い人たちは、映画や映像の世界を知らないし、もちろん小説を書いたことも、脚本を書いたこともないわけですね。

 じゃあ、いっぺん挑戦してみようよ、とそういう場を与えるわけです。
 これは専門学校では、やっちゃいかんことになるんですけど、コイツがマンガ家になるのは無理やん、と講師の誰もが思っているのに(もちろん口には出せない)2年、3年と高い授業料を払わせてマンガだけ描かせているのは、さすがにかわいそうですからな。
 で、もちろん拒否する子もいますが、上を目指している子たちには、そういうことがマンガを描く上でプラスになるのなら、と挑戦するわけです。
 で、マンガコースなのに映画制作をやったり、携帯コンテンツの脚本や文章を書かせたり、小説やコントの台本を書かせたり・・・
 すると、おっ、自分はこれ合ってるやん。
 マンガでは苦しんでるけど、これやつたら楽しく創作できるやん。
 やったらこっちのほうがおもろいわ。
 ということが出てくるもんなんです。
 そういう学生たちは、自分の描くマンガに何が足りなかったかを実感しているはずです。

 色々やってみて、自分に合うものを模索してみる、という重要性は、私自身の経験からきたものです。
 私は大学に入ったとき、私の道は映画監督しかないと思っていましたから。
 それが今、作家ですからな。

 我が塾の教育方針は、まさに色々なメディアを知ることにあります。
 そしてデビューするための作品制作ではなくて、その世界で食っていくためのスキルが大事。それはやってみなければわからない、または自分で閉じこもってしまっていては、チャンスは来ない。ということでもあるのです。
 堤谷くんやスガノくんは、その教えをまさに実践して、書くことで食っているクリエイターとなりました。学生時代、マンガだけやっていたら、今の彼らはおそらくない。

 さて、そういう堤谷くんが、専門学校を卒業してから今にいたるまでの「波乱な」いきさつを交えて、物書きとして生きていく術を、私との対談という形式で塾生たちに聞いてもらって、少しでも参考になれば、と思った次第です。

 司会は、最近オカルトライターなどとほざいているスガノくん。
 彼の迷司会ぶりにより、対談(になっていなかったけど)が始まりました・・・

 続く 


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kaidanyawa at 21:03|PermalinkComments(0)

2009年11月15日

ワシ、復活!

 中山市朗です。

 皆様、大変ご心配、ご迷惑をおかけいたしました。
 先日、わたくし、無事退院いたしました。

 無事、とは言うても、右スネの2本の骨はまだ折れた、いや、破壊されたままです。
 レントゲンで見ると、大きな欠損部分があります。
 まあ、当分は松葉杖なしでは歩けません。
 リハビリにも通わなければなりません。
 しかし、右足以外はいたって健康であります。
 入院中、毎日のように計っていた血圧は平常、血糖値も異常なしということで、まあ健康診断もできたかなと。

 それにしても入院中、お見舞いに来ていただいた人たち、見舞い品贈ってくださった人たち、お手紙をくださった人たち、誠にありがとうございました。
 約1ヵ月(そのうち6日ほど帰宅しておりましたが)の入院期間中、のべ93人もの方々にお見舞いに来ていただきました。それも1日とて誰も来ないという日はありませんでした。これも日頃の私の行ないの結果です(?)
 また私の留守中、このブログで入院先からスガノくん経由で「入院日記」のようなものを掲載しておりましたが、いきなりの下ネタに戸惑った人もおられたようですが、なんだか人気もあったようで・・・いろいろとコメントもいただき、感謝しております。

 やっぱり、人との関わりが何よりも元気のもとだと、実感いたしました。

 現在、完全に断酒中(人間、やればできる)でありますが、なんとか忘年会にはお酒が飲めるように、を目標にしております。
 また近いうちに、皆様と楽しいお酒が酌み交わせることを!

 なお、塾には17日より復帰する予定です。
 それと、次回より新連載予定のあった次号の『幽』は、私のコーナーは休載。何度もスケジュールを調整して、最終決定した対談予定日が手術やったんですわ。笑てなしゃあない。



kaidanyawa at 20:00|PermalinkComments(6)

2009年11月11日

退院の報告

作劇塾スタッフの菅野です。

昨日火曜日、中山は手術後の抜糸をいたしました。
術後の経過もよく、あとはリハビリに通うだけということなので、突然ですが明日木曜日に退院することが決定しました。

これまで中山の容態を気にかけていただいた皆様には、改めて感謝の意を述べさせていただきたく思います。

本ブログに中山本人が登場する日も近いと思われます。
ご心配おかけしまして、大変申し訳ありませんでした。

中山が1日でも早く快復できるよう、私共も全力でサポートしていく所存です。






kaidanyawa at 02:00|PermalinkComments(4)

2009年11月10日

入院日記その21 中山市朗超人伝説3

中山のノートより

****

 この前、総務のスガノくんが手ぶらでやって来て、「最近、先生が不死身だの超人だのという話も、怪しいもんだと塾内でも囁かれていますよ」と言って、ニヤリと笑いやがった。

 確かに超人が入院しているんじゃあ、超人とは言えません。
 しかし・・・ふふふ。

 二度目の手術の前には主治医に「1週間は足の腫れがひきませんよ」と言われたのにも関わらず、足の腫れはひと晩だけで、2日目のお昼にはもうなんともない。
 傷口の消毒に来た主治医も、幹部の包帯を解き、私の右足をしげしげと眺めて、
「腫れ、ありませんねぇ。だいたいあれだけの手術をすると、1週間は腫れは続くもんなんですがねぇ・・・リハビリは?」
「やってます。今、右足に全体中の四分の一を乗せることをやっています、全然なんともないです」
「うーん、ありえん・・・」
 そう言って首をひねった主治医は病室を出て行ったのである。
 二度目の手術の2日後のことでっせ。
 そしたら2時間ほどして、また主治医の先生がやってきて、「退院、どします?」と聞いてきた。
「へ?」
 と私。
「いえね、たいてい手術をして1ヵ月は入院したままでないと、どうにもならないわけですよ。でも中山さんの場合、そんなにはいらないかな、と。とりあえず2週間後に抜糸しますので、そのときの様子を見て決めましょうか」

 あと1ヵ月の入院が、ひょっとしたら2週間ほどで出られるかもしれません。

 どや、やっぱりワシは超人やろ!

kaidanyawa at 21:31|PermalinkComments(0)

入院日記その20 中山市朗超人伝説2

中山のノートより

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 福澤徹三さん(ラジカセありがとうございました)が何かで書いておられました。
 「病気とは、医者に病名をつけられたところからなるものだ」と。
 まったく同感です。
 病気にならない秘訣は、医者にかからないこと。これです。

 20年ほど前、私は放送作家になり、そのマネージメントを大滝エージェンシーにやってもらうことになりました。このとき私、ひどい咳をしてましてね。喉からくる咳ではないんですな。明らかに肺からくる。
「結核とちゃいまっか?」
 と大滝社長は心配するんですけど・・・
 実は、私の父が若い頃、結核で入院し、片肺を摘出しているんです。
 だからこれは、ホントにヤバいと思った。
 そのうち、社長から健康診断に行くように命令が・・・
 しゃーない。行ってレントゲンを撮った。
 そしたら後日、きました!
 「肺の部分に黒い点が見られる。再検査を受けてください」
 という報せが。

 てやんでぇ(なぜか江戸っ子弁)
 行きゃあ入院じゃねぇか!
 冗談じゃねぇや。
 黒い点だぁ?
 んなもん、レントゲンの機械のホコリに決まってらぁ(古今亭志ん朝風に)!

 で、行かなかった。
 その後、どうなったって?
 ご覧の通り。まったく健康でありまする!
 少々の異常など、根性で治るのです!




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2009年11月07日

入院日記その19 中山市朗超人伝説

中山のノートより

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 このブログで最初に私が骨折したことを報告したとき、健康保険料を支払っていないことが頭をよぎったと書きました。
 事実です。
 ここ数年、そんなものは払ってません。
 というか、支払う必要性をまったく思わなかった人ですな。というのも、大学入学とともに大阪に暮らし始めて30年以上、まったく医者にかかったこともなければ、薬を飲んだこともない。えっ、歯医者くらい行ったんちがうかって?
 まったく!
 つまり保険証を使ったことがまったくないんです。
 いや、一度だけある。20代後半の頃、友人のワゴン車の助手席に乗っていて、交差点でその助手席に、乗用車が突っ込んできて、ワゴン車は2回転半した。気がついたら私、病院へ向かう救急車の中やった。
 ということがありました。このとき、保険証の提示を病院から求められたんですが、まあ相手が赤信号無視だったということで、私が医療費を支払うこともなかったんですな。
 このとき、病院では1週間の入院と言い渡されましたが、3日目に脱走。
 退屈だったので・・・
 まあ、そのくらいです。
 その後、怪我も病気もない。
 私が入院したことを聞いたスガノくんや塾生たちが、なかなか信用しなかった根源は、実はここにあるわけですわ。
 そう、私は不死身、超人だったのである!
 先のワゴン車2回転半のとき、後に警察の人から「車、大破していまして、あなたはここに座っておられて、直撃をくってます。死んでても不思議でない大事故でしたよ」と言われました。運転していた友人も、「あっ、中山死んだ」と思ったと、後に聞きましてね・・・
 風邪をひいても、まあ酒飲んで一晩寝ると、たいてい治ってますし。したがって、風邪薬も胃薬も飲んだことがない。うちに薬箱おまへんけど、全然困らん。栄養ドリンクだのサプリメントだのも、まったく飲みません。無農薬野菜? 健康食品? そんなこと言うてるから、病気になるの!
 というのが、私の哲学なんですわ。

 中山市朗超人伝説。
 信用していただけました?
 私が健康保険料を支払っていなかった原因も。
 いやその必要性が認められなかったことも。
 あっ、そうそう。私が不死身であることを裏付けるもうひとつのエピソードを次回に紹介いたしましょう。



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入院日記その18 二度目の手術

中山のノートより。

****

 最初の手術は、怪我をして10日目の21日。
 で、足を開いてみたら(さんまの開きみたいでんな)レントゲンやCTスキャンで見た印象よりもヒドかった。ということで、10月28日に再手術。細かいヒビがあったそうです。
 二度目の手術の方が、切る場所も大きく、大掛かりになると言われました。

「手術後、1週間は足の腫れがひきませんが、まあ、がんばりましょう」と、主治医の先生に言われまして・・・

 で、当日。
 実は最初の手術のときは、麻酔は下半身だけやったんですが、眠り薬みたいなもんを注入してもろうて、起きたら手術が終わった直後やった。
 「今、終わりました」という先生の言葉を聞いて、ホッとしたのも束の間。「来週、もう一度手術します」と、そのとき聞かされたわけでして・・・

 手術した夜は、もう七転八倒。病口は痛くないんですが、足がパンパンに腫れてきて、痛い、辛い、苦しいの三重苦。まる10時間ウンウンと唸っていました。このときは、一晩で腫れもひいたんですが、今度はその三重苦が1週間ほど続くという・・・

 やっぱりメゲますわ。

 さて、手術室に運ばれて、背骨からブスリとぶっとい(と思う。見られないから想像ですけど)麻酔用の注射を打ち込まれると、下半身の感覚がだんだんマヒしてきます。

 で、このときは眠り薬、一切なし!
 前回、麻酔をしたとき、それまで正常だった肝臓に、やや負担がかかった(やっぱり酒か?)とかで、今回はその肝臓にもしものことがないように、下半身麻酔だけで、ということになったんですわ。嫌やね、ホンマ。
 さて、もう足の感覚なくなってきた。
 もちろん、手術中はオペの様子が見れないように。なにやらシートのようなものが、首のあたりにかかっています。
 足の骨折部分を持ち上げられて、なにやらゴシゴシとされている感触はあるんですが、全然痛くない。ほんまは絶叫モンなんですが・・・
 で、そのまま。
 何も感じない。
 いつメスが入ったのやら。
 いつ鉄のプレートが私の足の骨に当てられたのか?
 ただ、オペをしている先生方の会話は、はっきり聞こえるし、鉄プレートのネジを締めている「ギュッギュッ」という振動と音は聞こえてきます。
 ワシの足、今どうなってんのやろ?
 なんか気になります。
 そして1時間30分ほどして、「今、無事に手術が終わりました。これから傷口を縫っていきます」と言われて、なぜかモニターを見せられた!
 えっ、これワシの足?
 パカッと開いた肉片。肉好きなワシでも、食べたくないマズそうなワシの足!
 その奥に、金色に輝くプレートが見える。で、先生たちの手が、その傷口を糸で縫っている様子の生中継。
 そんなん見せんでええやん!
 思いながら、見てしもうた。
 全然、何も感じないもん。

 手術は成功。
 あとは腫れとの戦いだけですわ・・・(とほほ)
 
 1週間・・・

 

kaidanyawa at 01:19|PermalinkComments(0)

2009年11月05日

入院日記その17 ちょっと昔

中山のノートより

****

 私のベッドの向かいに、91歳おじいさんが来られました。交通事故で運ばれてきて、腰がダメみたいでほとんど寝てはります。

 このおじいさんが入院された翌日、ナースさんが入院患者への色々な説明と、アンケートをとったりするわけですが、おじいさん耳が悪いみたいなので、大声でやりとりする様子が丸聞こえなんですわ・・・

 ナース「お酒やタバコはおやりになります?」
 じいさん「酒はやらん。タバコはちょっと昔吸ってたわ」
 ナース「いつ頃ですか?」
 じいさん「だから、ちょっと前や」
 ナース「海外旅行は最近行かれましたか?」
 じいさん「ああ?」
 ナース「海外、外国に行ったことはありますか?」
 じいさん「ああ・・・フィリピンとマレーシアや」
 ナース「それはいつ頃のことですか?」
 じいさん「ちょっと前や」
 ナース「ちょっと前では困ります。何年前くらい?」
 じいさん「だから、ちょっと前や」
 ナース「・・・では、大病したことはありますか?」
 じいさん「ああ、フィリピンで破傷風にかかりかけたわ」
 ナース「フィリピンで?」
 じいさん「でもな、軍医に治してもろた」
 ナース「・・・」

kaidanyawa at 19:14|PermalinkComments(0)

2009年11月04日

近況報告

作劇塾スタッフの菅野です。

術後の中山ですが、担当医も驚くほどの驚異的な回復をみせています。
手術をした患部の腫れも、わずか1日でひいたので、退院の日も早まりそうです。

退院の具体的な日にちは未確定ですが、今月中の予定です。
次に中山が自宅へ戻るのは、11/8日(日)となっています。
その日は病室にいませんので、面会が不可能となります。

お間違えのないように、よろしくお願いします。



kaidanyawa at 01:39|PermalinkComments(0)

2009年11月02日

入院日記その16 イタイ想像

中山のノートより

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 見舞いに来る友人、仕事仲間、塾生、元教え子、ファンの方々。
 ほんまにありがとうございます。
 退屈してるんで、人と話すっていうのはえーもんですな。

 この度、私生まれて初めて手術というものをやりました。
 2回も!

 最初の手術前、みんなそれを知るとチクチク言ってきます。
「手術ですか? 痛いでっせー」
「やっぱそうかな」
「そら切りまんねんで。ざっくりと(ニヤリ)」
 また、ある人は言います。
「手術よりね、その後のリハビリも辛いもんでっせ」
「どう辛い?」
「経験あるんですけどね、最初足を地べたにつけようとしますやろ。このとき、傷口から血がドクドクっと出る感覚しますねん」
「ほ、ホラーでんな」
「というより、スプラッターですわ」
 ・・・。

 あるとき、私の怪談会の常連さんが3人お見舞いに来てくれました。
 色々話しているうちに、そのなかの若い男性がこんな話をし始めた。
「僕の友人もね、センセーと同じ右足粉砕骨折というのをやりましてね。でもこれが、センセー以上にすごいもので・・・」
「すごい?」
「去年の夏、川に飛び込む遊びをやっていたら、そいつ飛び込む前にビビりよったんです。勢いよく飛ばなあかんところを、中途半端に飛び込んだ。そしたら下にある岩と川の間にあった細いコンクリートの道ばたにバンと足うちつけて・・・レスキュー隊ですわ。このとき、そいつの足、無惨に変器してましてね。その形はまるで犬の後ろ足。わーっ、やつてもうた、ですよ。そのまま病院に運ばれてレントゲン撮ったら、センセーと同じ右の脛の2本の骨粉砕。太ももの2本も完全に粉砕。膝の皿も完全にバラバラに割れてまして・・・」
(私以外の2人、引く)
「太もも、脛の2箇所が粉砕、皿もバラバラ?」
「そう、ほんま犬の後ろ足みたいにグニャグニャに・・・」
「で、全治何ヵ月と?」
「半年かかったみたいです。でも1年経って今はフツーに歩いてますよ。ただ足の中に入った鉄板を除去する手術せんといかんらしくて、最近また入院したみたいで・・・」

 いやー、自分よりヒドい怪我をした人の話を聞くのは、勇気が出ますな。それが完全復帰したと聞いて、安心もする。
 またある人からは、アメリカでボランティア活動をやっていた知り合いの若い女性が、現地で交通事故にあって腰の骨を粉砕!
 現地の病院では治らない、ということでパリ経由のジャンボジェットで日本まで帰らねばならないという辛い目にあったとか!

 腰の骨の粉砕いうたら、それこそウンコもオシッコも・・・
 いや、失礼。
 私自身、一人でトイレの用事ができるようになった今、ウンコの心配からも解放されて痛い想像ばかりするようになりました。



kaidanyawa at 18:39|PermalinkComments(1)

2009年11月01日

入院日記その15 一日中ベッドにいて寝不足?

中山のノートより

****

 以前にも書いたが、私は夜行性でしてね。習慣とはおそろしいもので、未だに夜中、目がぱっちりしてて眠れません。で、夜9時から朝6時までは相変わらずの妄想タイム・・・
 それと福澤徹三さんが立派なCDラジカセを送ってくださったので、察した塾生たちが落語やクラシック音楽のCDを持ってきてくれて、長い長い夜をなんとか過ごしています。
 で、5時半頃、ようやくウトウトしかけると・・・
 6時、ナースさんが「おはようございます」と起こしにくる。
 で、配茶、おしぼり。辺りがザワザワしてきます。
 一旦目が覚めて、それでも眠ろうとウトウトしかけると・・・

「朝食です」

 まあ、腹減ってるんで食べて、今度こそ寝てやろうとすると、掃除のおばちゃんが来る。コロコロ持ったナースさんが「ベッド周りを綺麗にします」「お茶のおかわりどうですか?」

「・・・いらん」

 もう眠たいわ。
 10時頃、「体温計らせてください・・・血圧計ります」
 11時、「リハビリに行きます」
 戻ったら昼食。
 それが終わった頃から、見舞客が来る。今後の治療計画がどうの、点滴します、「お体拭きましょうか」「今日は洗髪の日ですね」とか・・・読書もしたいし、色々相談にくる塾生もいる。で、バタバタしているうちに夕食。塾生たちが持ち込んだ課題や投稿用の作品もどっさりあって、読んでやらんといかんし、今ちょっと書きかけた仕事用の原稿もある。
 取りかかっていると、9時消灯・・・
 ヒマなヒマな眠れない9時間が・・・
 で、ワシいつ寝たらええの?



kaidanyawa at 22:19|PermalinkComments(0)

近況報告

作劇塾スタッフの菅野です。

二度目の中山の手術が無事に終了しました。
現在、骨折箇所の脇に鉄の添え板を当てており、ギブスも外しております。
あとはリハビリを重ねるだけの状況です。

相変わらず、本人はいたって元気です。
ご心配をおかけしました。

中山は、11/3(火)から、11/4(水)にかけても一度自宅へ戻ります。
ですので、その間は病室にいないので面会はできません
中山のお見舞いに訪れてくださる方々は、お間違えのないようによろしくお願いいたします。




kaidanyawa at 22:07|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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