2010年05月

2010年05月28日

菊市朗の夏

 中山市朗です。

 もうすぐ6月でおます。
 衣替え、梅雨、そして夏、ですなあ。

 夏になると私、季節労働者のように動き出します。
 今、告知できることをいくつか。

 告知1
 『新耳袋』がなんと、こんなことになりました!
20100526212015 一見、ミニ本みたいですが、実はこれ、お菓子です。“背筋も凍るクールミントラムネ”です。大阪のオリオンという製菓メーカーから、コンビニにて発売されます。まあ、コンビニによって置いてあるチェーン、無いチェーンがあります。ご用心。
 あ、まずは東日本限定発売なので、大阪では手に入りません。
 東日本で人気が出れば、西日本でも発売されるようですので、
「西日本でも売らんかい!」
 運動を促進させましょう。


okasi

 このように箱を開けると、怪談が読めます。





20100526212440 クールミントラムネを口にしながら怪談を読み、恐ろしがる塾生。
 ラムネは私も食べてみましたが、なかなかクールです。


20100528215142

 こんなお菓子。



 告知2
 先日、伊藤三巳華さんから、一冊のコミックが送られてきました。
 実話ホラー・コミックエッセイ『視えるんです。』
 『幽』に掲載されていた分が一冊にまとめられたものです。
mimika この中に、私と北野誠氏の『やじきた怪談旅日記』(7号収録分)とのコラボマンガが掲載されておりまして、私もマンガキャラになっております。三巳華さんいわく、「中山氏は『午前0時のさわやかウインドウ』なる異名を持つ。彼が行くところ、なぜか霊が消えてしまい、さわやかな風すら吹くという」・・・だそうで。
 えーように書いてもろて、感謝しています。
 誠氏に言わせれば、「中山くんは、真剣に幽霊を見ようとしていない」のだそうで。

 告知3
 その『幽』ですが、創刊以来連載しておりました『やじきた怪談旅日記』は、某氏の芸能界謹慎や、私の右足粉砕骨折など続いたため(一説では祟りという噂も)、連載は打ち切り(その分が単行本になるように、みんなで『幽』編集部に投書しよう!)。その代わり、新しい連載が始まります。現在、ゲラチェック中。
 詳細はまた近日。

 告知4
 ライブもいくつか決まっています。

 6月12日(土) 怪談社さんの紗那、紙舞氏と久々の共演をします。

 タイトル 『楽町楽屋・魔界怪談会』
 開 演   19:00
 出 演   紗那 紙舞 中山市朗
 主 催   京町家ネット
 場 所   京都市下京区寺町通り五条上ル共栄中央ビル横路地東入ル

 8月8日(日) 
 
 タイトル 『怪談ナイト』
 開 演   17:30
 出 演   亀井澄夫(妖怪研究家) 中山市朗
 場 所   ムーヴ21(プラネタリウム)


 8月13日(金)

 タイトル 『百物語』
 開 演   19:00
 出 演   亀井澄夫 中山市朗
 場 所   河内長野ラブリーホール

 メディア出演も含めてまだまだありますが、今告知できるのはこのくらい。どうぞよろしく。

   
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2010年05月27日

5/26の小説技法

 中山市朗です。
 
 26日(水)の小説技法の報告です。

 この日は見学者が2名。
 その一人は、なな、なんと、沖縄からわざわざ来られたとか。
 もし入塾されたら遠い、どうするんでしょうか?
 そういえば以前、青森県の人が見学に来られたこともありました。
 「わざわざ?」と聞いたら、
「旅の途中です」
 この人は入ってこなかったけど。
 そのうち外国から来るかな〜?

 さて、いつもの合評です。
 小説家を目指すんだったら、ひたすら書くしか方法はありません。
 書いて直す、書いて直す、この繰り返しに耐えられるかどうか。
 特にアカの入った箇所を直す、というのが思った以上に難しいようです。

 落語作家志望のO田くんのギャグ小説。ずっと指摘されている緊張と緩和が、なかなか作用しません。本人は修正しているつもりのようですが、やっぱりボケとボケのやりとりになっている。でも、ギャグものの長編は難しいと思う。マンガでもギャグものは読みきりがほとんど。これ、怪談に似ています。怪談も長編は難しい。長編となると、怪異の原因追求や恐怖に襲われている人たちの心情を説明しがちになります。そうなると怖くなくなる。笑いも同じなのかなあ、と。それに緊張、緊張でも怖くない。緩和が緊張になる瞬間が怖いんです。笑いも同じ。緊張が緩和になって笑える。
 当初から指摘しているように、これは読みきりの『天才バカボン』なんだということを忘れずに。

 K島くんの昭和の大スター、大河内伝次郎に捧げる小説。彼は指摘されたところを忠実に忠実に修正してきました。K島くんはマンガ家志望なのですが、この小説の課題を一度も落としたことがない。マンガの成長過程はわかりませんが、文字で表現するということが相当に慣れてきたと思います。人物たちも生き生きと躍動し、時代劇に対する愛情も感じられます。文体もわかりやすく、無駄もなくなった。次の章、いきましょう。

 N子さんのホラー小説。登場人物たちの動きやセリフに、どうも動機が希薄です。なんでコイツがここにいるの? こういう状況で人はこういうことをするか? という疑問が沸くわけです。作者がこれに対して明確に答えられるのなら、それは仕掛けであったり、伏線であったりするのでしょうが、答えられないのはまずい。ちょっと跡付け感も出てきました。もう一度最初から読み直して、いろいろと仕掛け直す必要があります。

 T野くんのSFホラー。ホラーテイストとしての仕掛けが弱い。あとで大きな恐怖が登場人物たちを襲うのでしょうが、その予兆というか、読者を恐怖の世界に誘う仕掛けが成されていないんです。T野くん自身は仕掛けているつもりなのでしょうが、読者にはまだ伝わっていない。全体の構成を練りこんで、登場人物たちをじょじょに追い込んで、読者の心理に訴えるワザを考えてみよう。

 Dくんの時代劇小説。書き出しは情緒的で良かったんだけど、ストーリーがすすんでいくごとにつまらなくなってきています。みんなの指摘があったのは、おそらく主人公のキャラが弱いので、ストーリーを引っ張っていけないのだろうということ。その通りです。なんかどこかの小説で読んだ二番煎じなキャラクターという気がしてなりません。ミステリアスなところがないんですね。それと、女性の心理として、それはないやろう、と私が思う箇所もある。人妻の心理は男には分かりかねるところもありますが、そこをキッチリとリサーチして書かないと。

 Aさんの日本神話を題材にしたファンタジーは、文庫本で言えばもう3/4の量までいきながら、さまざまな問題が出てきたため、もう一度最初のシーンから再挑戦してきました。これは勇気のいることです。でもいい作品にするには、これも必要なことです。ラスト近くまできて、初めて見えてきたものもあるだろうし、障害となったものを取り除く必要もあるだろうし、伏線を張りなおしたり、キャラの設定を微妙に変更したり、数を減らしたり、新たなキャラを登場させたり・・・。ただ、一見いらないと思えたシーンをばっさりとカットしてきたようですが、そのいらないシーンこそが、主人公とそのボーイフレンドの関係性やお互いの性格を描写していたところだったんです。ストーリーとは関係なくても大事なシーンはある。ばっさりとカットしたがために、物語に感情移入しにくくなっています。再考の余地があります。

 T田くんの『クリエイターズファイト』という作家が戦う話。最終章のラストで足踏み状態が続いています。最終章だけでも何度も読み直す必要があります。説明不足、状況説明の順番、事件が起こるプロセスに些細な問題があって、それが物語りの収束に歯止めをかけているようです。ラストで読者を納得、あるいは驚かさないと、今まで積み重ねてきたことが無駄になります。もう一ひねり、いや二ひねり。

 


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2010年05月25日

5/19の作劇ゼミ その5

 中山市朗です。

 長期連載になってしまいました、近松の『大経師昔暦』についてのお話。
 溝口健二監督に、近松ものをやらせてみては、と撮影所から話が出て、監督は『大経師昔暦』をやりたいと、このとき出たらしいんです。依田先生はそれが何かわからなかったそうですが、西鶴の『好色五人女』の『おさん茂兵衛』の話だと知って、それなら溝口監督にうってつけだと思ったそうです。町家の話は監督の得意とするものです。
 しかし、これには厄介な問題があって、撮影所は溝口監督と長谷川一夫の大映の二枚看板を組ませようという商売上の都合があったんです。

 で、まずはシナリオ作り。まず川口松太郎さんが書いた。この人は、成瀬巳喜男が映画化した『鶴八鶴次郎』で第一回直木賞を授賞し、『愛染かつら』や『新吾十番勝負』などで知られる作家ですが、脚本家でもあり、大映映画の専務でもありました。そして書き上がったものが依田先生に回ってきた。読んでみたら芝居が組まれていて申し分ない。数ヶ所加えて本読み、つまり役者さんにリハーサルがてら読んでもらう段になったらしい
 依田先生も川口さんも、これで充分いいシナリオだと思っていたら、
「こんなものでいいですか!」
 と溝口監督。
「何が気に入らないんだ」
 と川口さん。
 そしたら、西鶴のおさん、茂兵衛を取り入れてほしい、と。
 近松のものは、お玉という女中が重要な役として出てきますが、それでは茂兵衛、いや長谷川一夫が立たない。長谷川一夫はスターですから、スターを立てろということなんです。監督はそこまで考えるもんだと。
 川口さんも依田先生も「なるほど」とわかった。そして書き直し。近松のよいところ、西鶴のよいところをないまぜにして、苦心して書いたそうです。
 で、自信をもって溝口監督に見せたら、またムっとして、「これは何を描こうとしているんです。テーマはなんです」と言ったといいます。
「封建下の男女の悲恋でしょう?」
「そんなものが描かれていますか? これじゃあ、ただ苦労して、つかまって死んだというだけの話じゃないですか」
 辛かった、と依田先生は言います。
「では、どうすればいいんですか?」
 と聞いても、「それはキミたちが考えることでしょう。でも言っても無駄でしょう」と。
 溝口健二という人は、そういう人なんだそうです。
 ともかく色々監督に問いただすと、監督はかっとのぼせたような顔で、
「大経師のような家には体面があるはずです。心中してくれては困るのです。そうでしょう?」
「あっ、おさん茂兵衛は死ぬこともできない!」
「そうです」
 原作にある以上に、おさんと茂兵衛を苦境に追いつめる。
 これが溝口映画なんですね。
 そこで辻さんという脚本家と依田先生が組んで、また書き直したらしい。
 そして気が付いた、というか、もどかしかったのが、茂兵衛という人物が肉体を持った実存性が薄かったところにもメスを入れたそうなんです。人形浄瑠璃から派生したキャラクターだったからでしょうか。長谷川一夫の演じる茂兵衛になっていないと。
 茂兵衛とはどんな立場で、どんな思いで暮らしていたのかと。もしその人間像について問われた場合、答えることができないのでは、溝口の体面にも関わる。
 そこで考えに考えた挙げ句、「茂兵衛が風邪をひいて寝ている」「彼でなければならない仕事を急かされて、病中を押してやる」・・・。
 そういう考えが浮かんで、そこから茂兵衛の肉体と声がいきいきとし、物語に生気がみなぎるようになった。そして「姦通した男女は磔になるのだと前に出しておくべきだ」ということも思いついた・・・。
 そうやって、やっと溝口健二の近松になっていった、と。
 今度はもう、自信満々で溝口監督に見せると、
「芝居ができていない」

 ええっ! どうすりゃいいんだ! ですよね。
 溝口監督は「二人は琵琶湖に死のうと思って行くんです。舟に乗って死のうとしたときに、二人の気持ちが出るんです。すると二人は急に死ぬのが惜しくなるんです。芝居というものは、そういうものだと思います」
 なるほど!
 依田先生は思ったそうです。

 ともかくそうやって、溝口健二の映画は構成されていく。
 名シーンです。あの琵琶湖のシーンは。

 死のうとして、茂兵衛はおさんの手足を縄で縛る。そして最期の際に茂兵衛はおさんを口説くんです。でもそれは、命を懸けて望みを叶えて、というのではなく。
「今の際なら、罰も当たりますまい・・・この世に心が残らぬよう、ひと言、お聞きください・・・茂兵衛は、茂兵衛はとおから、貴女様をお慕い申し上げておりました」
「えっ」
 おさんは驚きます。
 そして、心の内を打ち明けた茂兵衛は「さ、」とおさんの手を引いて、湖へ飛び込もうと促しますが、おさんは呆然と立ち上がります。そして、
「今のお前のひと言で、わたしは死ねんようになった」
「おさん様、何をおっしゃられます?」
「死ぬのはいやじゃ。生きたい!」
 そう言って、茂兵衛に抱きすがります。

 菊池寛が『藤十郎の恋』で描いた、人妻おさんが、手代の茂兵衛と死を覚悟しながら、なんとか生きようとするその心の内を、動機を、どう表現し、どう説明するのかを、溝口健二は、見事にここで解決したのです。
 一瞬にして恋に落ちるという、こんな説得力のある描写、演出は、ちょっと私の記憶にはございません。

 主人を裏切り、不義密通の罪、里も頼れない、もう死ぬしかない極限。
 しかし、そこに思いを寄せる人がいてくれた。
 生きる希望が見えた! 生きていたい! 死にたくない!
 その代わり、おさんは茂兵衛なしには生きていけなくなります。
 しかし茂兵衛は、最初そのおさんの気持ちを完全には理解しかねている。そこに男と女の生き方の違いも、ちゃんと見据えています。

 長々とこの項、書いてしまいましたが、私の言いたかったことはこれです。

 溝口健二監督の『近松物語』の名シーン。これは、井原西鶴、近松門左衛門という天才戯曲化によって描写され、また菊池寛が問題提起したもっとも難しい、人妻を口説き落とすという演出の問題もあってこそ、そしてそれらを上回ってこそ、溝口健二の世界がある、ということ。

 昔のもの、古い作品を頭からバカにしているようでは、とてもこんな人たちと勝負できない。まあ知ったところでとても太刀打ちできるものでもありませんが、でも、演出、描写というものは、そういう蓄積からくるんだということはわかる。
 で、そういうことに気づく、ということが、モノ作りに大切なことなんです、と。

 と言っても、若い奴らは見ない・・・

 長々と失礼いたしました。
 
 この項の参考文献。

 『日本古典文学全集38 井原西鶴』(小学館)
 『日本古典文学全集44 近松門左衛門』(小学館)
 『藤十郎の恋/恩讐の彼方に』(新潮文庫)
 『溝口健二の人と芸術』 著・依田義賢(田畑書店)


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2010年05月24日

5/19の作劇ゼミ その4

 中山市朗です。

 天和三年の秋、京の粟田口で処刑となった、大経師意俊の妻おさん、手代の茂兵衛、そして女中のお玉。

 この三人の、恋の成り行きを、不義密通とまでなった要因を、西鶴、近松がそれぞれ2人のイメージ、想像力で再現した作品『好色五人女』巻三、と『大経師昔暦』。
 実はその『大経師昔暦』が誕生するエピソードを、菊池寛が三幕ものの舞台にしているんです。これは山本嘉次郎監督、長谷川一夫、入江たか子主演で映画にもなりました。
 『藤十郎の恋』という作品です。映画は戦前'35年の製作です。
 森一生監督、同じ長谷川一夫と京マチ子で再映画化(55)されていますが、こっちは私、見ていません。

 藤十郎とは、坂田藤十郎のこと。上方歌舞伎創始者の一人。現在四代目がおられますが、ここに登場する藤十郎は初代。
 元禄十年頃の京都が舞台。これは、江戸からやってきた中村七三郎一座の芝居を見て、京の万太夫座で看板を張る藤十郎は、衝撃を受けるんです。そして藤十郎が危惧したとおり、七三郎一座の人気は上昇し、万太夫座は休場に追い込まれます。
 そこで藤十郎は、近松門左衛門に会い、芸の行き詰まりを相談します。すると近松は、「今、筆を降ろそうとしている筋がある。これぞ今までに手がけたことのない変わった筋でな。しばらくお待ちいただきたい」と、しばらくして藤十郎の元に送られてきた本が、『大経師昔暦』。これが難しい芝居なんで、藤十郎は頭を抱えるわけです。
「ああ、困った。とんと目安がつけられん。この狂言は姿や形ではならぬ、心のうちをずばりとつかみ出してみせる狂言じゃ。わけてもこの、おさんじゃ。人妻の心じゃ。これが我らには到底わからぬ・・・」
 つまり、人妻のおさんが、理由はどうあれ、手代の茂兵衛の心を受け入れる、女が口説かれる、その所作に困るわけです。で、もうすぐ初日だというのに、まだ芝居ができあがらない。
 藤十郎は役者たちを広間に残し、別室にて台本(書き抜き)を顔に当て、横になっています。そこに茶屋の女将お梶が(40に近き美しい女房と菊池寛の台本にあります)誰もいないと思って襖を開け入ろうとしたのですが、藤十郎が寝ている事に気がついて、すぐに出ようとします。すると、藤十郎が呼び止めます。そして「ちと、そなたに聞いてもらいたい子細があるのじゃ。もう少し、近う進んでたもれ」と、目の前に座らせ、なんと藤十郎は真面目な顔をして、お梶を真剣に口説くのです。そしてお梶は、それを本気にして次第に顔を薄赤くし、とうとう泣き伏せるんです。藤十郎はそんなお梶に身悶えしながら女に身をすり寄せていきます。
 長谷川一夫と入江たか子の、この演技合戦は素晴らしいものです。
 しかも、藤十郎の目だけは冷静なんです。そしてお梶の身悶えるような、身体の動き。
 泣き伏せたまま何も言わないお梶に対して、さすがに藤十郎はちょっと蒼白な面持ちとなって、
「舞台の上では日本無双の藤十郎も、そなたにかかっては振られてし申したわ」と笑います。が、お梶は火の付いたような瞳で藤十郎を見つめて
「今、おっしゃったことは皆本心かいな」
 藤十郎はいささか浮き腰になりながら
「なんの、てんごを言うてなるものか。人妻に言い寄るからには命を投げ出しての恋じゃ」
 もう、お梶はその気になって行灯の灯を吹き消すのですが、藤十郎は、お梶の傍をするりと通り抜けて、部屋を出るとそのまま廊下を足早に逃げ去るんです。
 そして、さっそく皆を集めて稽古をするんです。
「目安がついた。工夫がついた」
 そう言って、茂兵衛がおさんを口説く芝居をつけるわけです。
「藤十郎殿は、ついに本当の芝居の工夫を掴んだ。茂兵衛がおさんに命懸けで迫るところの凄まじさ。とんと芝居とは思えん」
 そういう噂が口コミで広がり、初日は大入り満員となります。そして開演前、裏方が舞台の奈落で準備をしていると・・・
「自害じゃ、自害じゃ、女の自害じゃ」
 
 菊池寛の原作では、自害したお梶を黙ってみていた藤十郎が
「なんの心配なことがあるものか。藤十郎の芸の人気が、女子一人の命などで傷つけられてよいものか」
 と言って、おさん役の女方、千寿の手をとって舞台へ上がろうとします。

 山本嘉次郎監督(この人は黒澤明監督のお師匠さんで、タイトルにはありませんがデビュー前の黒澤明が製作主任をやっています)の映画では、お梶の遺骸に近寄ろうとするが、幕を開ける拍子木役の狂言方に、目の前でその拍子木をチョーン、チョーンと打たれ阻まれるんです。それでも行こうとする藤十郎。首を横に振ってそれを咎め拍子木を打つ狂言方。行こうとする、拍子木、行こうとする、拍子木。やがて観客席から、わっという閑静と拍手が・・・

 ものすごい演技合戦です。
 マキノ雅弘監督は「映画は演技や」と何かのインタビューでおっしゃっていましたが、まさにそれ。
 映画でも芝居でも、要はそこに登場する人物たちにどれだけ説得力があるか、なんですね。小説も同じですけど。しかし映画や芝居は、肉体をもった人間がその役となって表現するものです。やっぱり、いい役者がいい演技をする作品は、説得力があるものです。
 その男女の究極の恋の様相が『大経師昔暦』にある、と菊池寛は思ったのでしょう。だから西鶴、近松という両巨頭が、おさん・茂兵衛の物語を浄瑠璃に仕立てあげ、歌舞伎も演じられるようになった。

 で、これを溝口健二が取り上げるわけです。
 その一部始終は大学の頃、その脚本を執筆された依田義賢先生に詳しく聞いたことがありましたが、正確を期するために、依田先生の書かれた『溝口健二の人と芸術』から一文引用してみます。映画作りって、そこまでやるんだと。凄いですから。
 ほんま、そのシナリオ作りは大騒動だったそうです。


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2010年05月22日

5/19の作劇ゼミ その3

 中山市朗です。

 近松の『大経師昔暦』。
 ここにはお金が絡んできます。

 大経師の新暦の売り出しに大忙しの中、おさんの母が店に訪ねてきて、実家が借金で苦しんでいると、銀一貫の用立てをと、泣きつく。おさんは番頭の茂兵衛に話をして頼み込むと、茂兵衛は主人の印判を付けばすぐに用意できると、安請け合いをする。
 ところが白紙に印判を押したところ、番頭の助右衛門に見つかり、茂兵衛はいさぎよく意春に詫びる。が、激しく罵られその訳を問われる。その窮地に、女中のお玉が、それは私が頼んだこと、茂兵衛に罪はないと庇うが、それを却って意春は立腹し、茂兵衛を納屋の二階に閉じ込めてしまう。
 その夜、おさんは、茂兵衛を庇ってくれた礼をお玉に言うと、お玉は、実は旦那様が毎夜寝床に忍んでくると打ち明け、その腹いせにかえって立腹したのだと告白する。
 おさんは驚き、今夜は寝床を交換し、旦那様が忍んできたら、意見をしようとする。
 一方、茂兵衛は、もうこの家を見限ろうと納屋から逃げ出すが、その前に、自分を庇ってくれたお玉に対し、一度だけ思いを晴らせてやろうと黒のちりめん頭巾をかぶって、お玉の寝床に忍び寄る。おさんはそれを夫の意春だと思って受け入れてしまう。そこへ、夜明け近く、主人意春の「戻ってきた」との声。
 はっと、灯をともすと、それは茂兵衛であり、おさんであった。
 二人は逃げ出す。
 お玉の父、梅龍は元武士の講釈師として細々と生計をたてている者。そこに縛られたお玉を返しに、助右衛門がくる。その助右衛門の無礼な態度、言いよう、縛りかたに文句をつけて、助右衛門を追い出す。そしてお玉に『太平記』を例にとり、「こうなればおさん殿を、一旦は主人と頼んだ人ゆえ命は惜しむな。最期は立派に死んでくれ」と言い含め、お玉もその覚悟を口にする。
 おさん、茂兵衛はお玉の家の近くで、おさんの父母に会う。父はひどく叱るが、とは言え遠くへ逃げ延びてもらいたい一心から、少しの金を与える。おさん、茂兵衛は奥丹波に逃げて借家住まいをするが、やがて自分たちのことが噂になっていると知り、家主の裏切りもあり、とうとう追っ手に捕らえられる。
 梅龍は、この二人を助けようと、お玉の首を桶に入れ、罪人はお玉であり、その首を討ったからには両人を助けられよ、と嘆願するが、役人は証人が死んでしまったのではもう調べようがない。二人の罪は決まったと、引き立てられる。
 「ええい、早まった」と地団駄を踏む梅龍・・・

 ここで、チョーンと幕が降りる・・・という浄瑠璃を私、見た記憶があるのですが、近松の原作はこの後もあって、
 おさん、茂兵衛は黒谷の東岸和尚によって助けられるんですな。

 これは念忌浄瑠璃、つまり仏教説話を近松は意図したのでしょうか?
 ともかく近松は、積極的に恋慕を成就しようとするおさんと、これに突き動かされる茂兵衛。いや、茂兵衛は、口添えをしてくれたお玉を思って忍んだことから、運命に翻弄されるんですね。お玉、彼女の心は察して余りあります。好きだった茂兵衛と、おさんの二人が不義密通で逃避行する。そして二人を助けるために、父に首をはねられる。
 運命、義理、人情。

 ところで、話はこれだけじゃありません。
 ここからです。
 男と女。

 西鶴、近松と稀代の天才作家が、おさん茂兵衛の物語に息吹を与え、不滅の名作となってゆきます。そして約250年の月日が経ち、これまた女の情念を描けば世界的巨匠の溝口健二が、これを映画とするのです。
 このときの溝口監督の意図、妥協のない態度がまたすごいんです。
 西鶴、近松を向こうに回しての丁々発止。
 これ、シナリオライターを目指す人、ぜひ参考にしてほしいのです。
 それは・・・


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2010年05月21日

5/19の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 昨日の続きです。
 溝口健二監督の『近松物語』の原作は、近松の『大経師昔暦』です。
 大経師意俊の妻おさんと、手代茂兵衛の心中ものです。
 身分違いの不義秘通により、おさん、茂兵衛は粟田口の処刑場にて磔にかかる、という話です。
 これには、ある事実が元としてあるんです。

 「京都烏丸通り四条下ル所に住んでいた大経師意俊の妻おさんが、手代の茂兵衛と秘通した。そしてそれを媒介した下女のお玉とともに、丹後国水上郡山田村に潜伏していたのを召し捕られ、天和三年九月二十二日、三人ともに洛中引き回しの上、粟田口で処刑された。おさん茂兵衛は磔、お玉は獄門にかかった」

 これ、まあ今で言う新聞記事みたいなもん。
 そしたらこれが、民衆たちにはこう広まったんですな。

 「下女のお玉は茂兵衛から、おさんへの恋文を頼まれる。茂兵衛はこの恋が叶わなければ死んでしまうという。そこで、おさんも心を動かされて一夜の契りを結ぶ。茂兵衛は思いが晴れたので、この上は髪をおろして姦通の罪を逃れたという。おさんはそれを許さないで、そのまま関係を続ける。やがて、おさんは妊娠してしまう。そこで茂兵衛とお玉を伴って丹後に逃れたが、評判が広まって江戸に滞在していた意俊の耳に入り、三人は差し出されて粟田口で処刑された」
 
 みんなはこう思った、というんです。
 おさん、茂兵衛はともかく、ただ手紙を運んだだけの者まで含めて処刑とは、ああ、この世は恐ろしいことよな・・・

 これに目をつけたのが井原西鶴でした。
 作家としての、おさん、茂兵衛、お玉たちの、動機と翻弄される運命にメスを入れます。そして事件後三年経って、『好色五人女』巻三、として発表されます。

 その内容を詳しく書くと、なかなかこのブログが終わらないのでやめておきますが、簡単にまとめますと、

 おさんは大経師の嫁として、上手に店を切り回していたが、主人の意俊が江戸城の襖絵の表装を仰せつかり、江戸へ赴く。主の留守を心配したおさんの実家が、手代の茂兵衛を貸す。茂兵衛は実直で真面目な若者だったが、女中のおりんが、茂兵衛に思いを寄せる。おさんがその心を知って、おりんに代わって恋文を書き、茂兵衛に渡すが、茂兵衛はこれを軽くあしらう。おさんは、茂兵衛に馬鹿にされたと立腹し、懲らしめてやろうという悪戯心が沸き立つ。一方茂兵衛は、真面目なだけに、おりんを軽んじたことを悪く思い、自分を思ってくれる心がいじらしくなり、
 影待ちの夜の明けようという頃、寝床を尋ねるからと書いた文を、おりんに渡す。
 茂兵衛は約束通り、寝床に忍んできて抱くと、それはおさんだった。
 おさんは、忍んできた茂兵衛を叱りつけようと、おりんと寝床を交換して待っていたが、ついつい眠ってしまっていたのである。
 こうなった以上、もう死ぬしかない。おさんと茂兵衛はそう覚悟するが、ただ意俊はまだ江戸に行ったままなので、死を覚悟した上で、茂兵衛はおさんの寝床に通うようになり、おさんはそれを拒まなかった。
 夏、おさんは茂兵衛を連れて石山寺へ参拝し、湖に舟を出して行く末を思ううちに二人は決意する。一緒に生きようと。
 そこで二人は心中に見せかけて、丹波へと逃げ落ちる。
 深い山、道なき山を、二人は手に手をとって苦しい道行きを続けるが、おさんの枕元には文殊菩薩が現れ、諭すが、おさんの心は、例え仏の言葉であろうが、自分で命を懸けたことだからと、仏をも背く。
 一方、江戸から帰ってきた意俊、二人が心中したことを知り、怒りと悲嘆に暮れながら、おさんの弔いを済ませる。
 ところが秋になって、毎年くる栗売りの口から、内儀と茂兵衛そっくりな二人が丹後の切戸というところにいると知らされる。
 天和三年九月二十二日、おさん茂兵衛は、数日間の洛中引き回しの上、粟田口の刑場で共に磔になった・・・
 西鶴は、その最後をこう書いています。

 夢のようにはかない最期であったが、少しも見苦しいところなく、世の語り草となった。

 つまり西鶴は、姦通を肯定しているわけではなく、それは道徳的には罪であり悪ではあるが、ただ、やむにやまれずしたことである、と認めたんですね。

 ちょっと説明しておく必要がありそうです。
 不義密通という罪。
 これは本来武家階級だけのものでして、では、なんで京都の町家のおかみさんがこの罪に問われたのか、ということ。
 大経師という商売が元なんですね。
 大経師とは、絵巻、仏絵などの表装や、暦の発行を一手に引き受けていたんです。
 暦、カレンダーは権力の象徴なんです。
 ですからその取引先は、京都御所、将軍のいる幕府、そして大名。庶民としては豪商に限られていたんですね。だから格式としては、武家だったんです。

 で、おさんの行動。
 茂兵衛を受け入れてしまう、この心情は?

 おさんは14歳で意俊のところに嫁ぎ、その3年後という設定ですから17歳。
 意俊は遅い結婚とありますので、まあ30は超えている。
 何も知らずにおっさんのところに嫁にきたおさんです。
 茂兵衛に抱かれ、はじめて恋を知ったのでしょう。
 ああ、これが恋か。人を好きになることか。
 一方茂兵衛は、丹波からやって来た田舎者の奉公人です。
 同じ丹波の出身でありながら、意俊が見初めた女性。こんな美しく、洗礼された女性など見たこともなかったのでしょう。しかも、誘われりゃ、そら夢中になる。

 そんな夢心地の後待ち受ける、死を覚悟とした逃避の旅。

 ところが、近松門左衛門が、同じ題材を元に『大経師昔暦』を書くわけです。これが溝口健二監督の『近松物語』の原作です。
 近松は、もっと道徳的な見地から、おさん、茂兵衛の恋物語を語ります。

 続く。



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2010年05月20日

5/19の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 19日の作劇ゼミの報告です。

 前回、溝口健二監督の『近松物語』を塾生に観てもらって、感想文を書いてもらったんですけど。
 みんな、ちゃんと観て的確に押さえています。
 もちろんモノクロに対する違和感など微塵もない。

 モノクロ、昔の日本映画、時代劇なんて、今の若い子は絶対に自主的には観ない。
 これ、なんででしょうね?
 専門学校で教えていた頃、私はまず学生に『七人の侍』を観せていました。
 まず、見る前の拒否反応がくるのがわかる。
 モノクロ、昔の日本映画、時代劇。
 黒澤明の名前は知っているけど、それって難しそう、なんて言ってる。
 塾生の榊くんなんて、今でこそ戦前の時代劇の専門家みたいになっていますが、彼だって当時はまったく同じ反応でした。
 で、観せると、だんだんハマッていくのがわかる。
 で、「こんな面白い映画があったのか!」という反応が返ってくる。
 モノクロは美しい! という感想もあって。
 あの映画は男の子のものだと思っていたのですが、どうやら違う。
 女の子の間で、久蔵派、菊千代派、勝四郎派と別れて、いい男とは、という論争が生まれたりして。
 結局、あの拒否反応は観た上での反応ではなく、単なる思い込み、先入観念なんですね。つまり、こういうものに接する機会がない。誰も教えてくれない。その素晴らしさを説いてくれてない。
 だから、古いものに対する尊敬の念がないんです。
 古い、というだけで、もうバカにする。価値がないという。
 これはなんでしょう?
 環境? 教育? 自然の流れ?
 私は大人が若い人に媚びる必要はないと思っています。
 若い人が新しいもの、流行を追うのは自然なことで、そんなのほっときゃいい。
 でも、何かを教える立場にたったら、その何かが蓄積された歴史や先人たちのことはちゃんと教えなきゃダメなんです。そしたら若い子たちもバカじゃないから、その価値を認め、敬虔する心をもってくれます。

 考えたら、私の中学、高校の頃、映画でいえば淀川長治さんが映画の素晴らしさを懸命に伝えてくれていたんですね。あの人の名調子を聞いていると、観たくなったし、チャップリンやヒッチコック、ジョン・フォード、黒澤明という人たちがいかにすごい人で、じゃあ一体何がどうすごいのかを分かりやすく説明してくれていました。
 晩年、NHKで映画監督を目指す若者たちと語らったとき。
「あんたたち、『サンセット大通り』を見ましたか?」と聞いたら、ほとんどの若者が見ていなかった。そしたら淀川さん、
「あんたたち、もう死になさい!」
 同感!
 ああいう人が、今必要なんですね。

 話がまた逸れそうですな。
 『近松物語』でした。
 作家になろうとする、しかも大阪で学ぶ我が塾生たち。
 近松門左衛門って何をした人? くらいは知っておいてほしい。そこから大阪の文化に興味をもってほしいし、そこに描かれた男女の物語から、人間の性、男とは、女とは、義理人情とは、というものについて考えてもらいたいわけです。
 こういうこと、小説やシナリオを書くうえで、知っておいて損はありません。いや、武器になるはずです。

「近松門左衛門について何か語れる人」と塾生たちに聞きます。なんかシーンとしているぞ。
 このブログを読んでいる塾生以外の方も、これを機会に知ってください。

 近松は、日本の生んだ最高の劇作家です。私は高校のとき、NHK教育で『近松物語』を放送していたとき観たんです。高校生ながら「なんだこれは!」と衝撃を受けました。もちろん近松なんて知らない。日本史の教科書に載ってはいたんでしょうが、まったく記憶にございません。で、その後ゼフィレッリ監督の『ロミオとジュリエット』を劇場で観たんです。シェイクスピアはすごい世界的劇作家である、ということはなんとなく知ってましたが、ショックを受けたんです。なにがって?
 同じ男女のいわば悲恋モノです。運命に翻弄され、死なねばならない2人の男女。
 純愛モノ、とでも言うのでしょうか。ところが、
 『近松物語』の圧倒的説得力に、『ロミオとジュリエット』が色あせて見えたんです。
 ゼフィレッリの『ロミオとジュリエット』もなんとも美しく、素晴らしい作品です。でも格が違う、と思ったわけです。
 その根拠は・・・高校生のクソ坊主の私に、わかろうはずもありません。
 しかし、近松門左衛門、溝口健二、依田義賢、宮川一夫、長谷川一夫、香川京子、という名前が脳裏に刻まれました。
 そのすごい、というメカニズムを考えてみよう、というのが今回のゼミの主旨なんでありますが・・・

 近松門左衛門(1653〜1734)が活躍したのは、江戸時代は元禄の時代でした。
 あの『忠臣蔵』の討ち入りがあったのが、この時代なんですが、まさに近代文化が花開いた時代でした。日本におけるルネッサンス、とも言われています。
 それまでの芸能、芸術は僧侶、公家、高級武士のものだったんです。ところが、大坂の町の人口増加(元禄12年に37万6000人)とともに湧き上がった、いうたら経済のバブルの影響で、町人たちもこういう芸術を享受するようになったんですな。このとき、先に挙げた伝統文化とうまく融合した。
 大坂は、特に幕府の介入をあまり受けなかった土地ということもあり、開放的で現実的な色彩をもつ文化が育ったわけです。
 
 和歌の解放運動を推し進めた戸田茂睡、ご存知、俳諧師の松尾芭蕉、最初の浮世絵師、菱川師宣などが活躍したのが、この時代でした。上方には井原西鶴が登場し、人形浄瑠璃作家としても活躍します。上方落語の創始者・米沢彦八もこの頃の登場でした。近松もこの頃大坂に出てきて劇作家として活躍しますが、西鶴や芭蕉が元禄半ばに没したあとも、近代文化が完成されようとするこの時期を生き抜きました。近松が没した年、大坂の曽根崎で『雨月物語』の上田秋成が産声をあげます。
 人形浄瑠璃の絵番付で現存する最古のものは、元禄16年5月7日に上演された『曽根崎心中』なんです。この作者が近松門左衛門と、外題の下に表記されています。実は近松はそれまで京都で坂田藤十郎(この人は上方歌舞伎の創始者みたいな人ですが)のために、歌舞伎作家をしていたんです。しかし近松は、竹本義太夫(この人は義太夫節の創始者)との交流もあって、そもそも浄瑠璃作家としてそのキャリアをスタートさせていたんです。で、この『曽根崎心中』が久々に手がけた浄瑠璃だったわけですが、これが当たったんですな。で、これ以後、近松は大坂に居残り、浄瑠璃作家として死ぬまで専念するんです。
 この、歌舞伎という写実の芸をやっていたことが、人形の動きで表現する浄瑠璃にて試したことが、人形浄瑠璃を芸術に仕立てあげられた要因とも考えられましょう。

 続く。


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2010年05月15日

落語野郎 大感激

 中山市朗です。

 我が書斎に、このようなものがやってきました。
 一般の家庭にはまず無いものです。
 あったとしても、おそらく上方地域限定のものです。

nakayama_5_15_1




 見台です。
 本を読むときに使われる書見台、仏壇の過去帳を乗せる台、義太夫語りや講談などでも、床本という台本を置く台が使われます。
 講談の見台は釈台とも言います。でも、そういうものとは違うようです。
 この前に、このような板を置きます。

nakayama_5_15_02




 こういう形でなら、見たことあるでしょう。
 落語の場合、台本を読んで演じるということはありませんので、本来見台は必要ないわけですが、上方落語の場合のみ、このような見台が使用されます。
 実は落語の場合、張り扇や拍子木で見台の上をカチャカチャ叩いたり、パーンと音をさせたりするのに使うわけです。

nakayama_5_15_03
上に小さな2本の拍子木があります。



 これは江戸落語がお武家屋敷のお座敷の中で演じられたものに対して(だから東京落語に見台はほとんど見られません)、上方落語はお祭りなんかの神社の境内で演じられたことから、バナナの叩き売りと同じで、バン、バン、カチャカチャと大きな音をしきりにさせて、行き交う客を振り向かせるという必要性から使われたものだと言われます。
 と、同時に、その張り扇や拍子木の音よりも大きな声を出す、という練習にもなり、叩くことで間をあけたり、リズムをつけたりすることもできるわけです。
 で、またこの見台そのものが、噺の中で『代書屋』の机になったり、『遊山船』の橋の欄干になったり、寝ているときの床になったり、居酒屋のカウンターになったり。また、拍子木をパンと叩くと、時間や場所を超越することもできます。

「兄貴、また明日来るわ」
 パン
「兄貴、昨日はどうも」
「おっ、ほんまに来たな」

 この「明日」を1週間後でも半年後でも、3億年後でも、好きに口で言えばいいわけです。で、パンと叩けば『2001年宇宙の旅』のあの脅威のカットを遥かにしのぐことができるのです!
 天王寺の裏長屋に住んでいる喜ぃさん。
「せや、上町のおやっさんとこに行ったろ」
 パン
「おやっさん、こんちわ」
「おう、喜ぃさんやないか。どないしたんや」

 天王寺〜上町間がワープできます。別に上町やなくても、京都でも東京でもアンカレッジでもアンドロメダ星雲へでも、これなら一瞬で行けます。
 ただし、そうイメージしないとダメですが。

 で、前に置く板、これは膝隠しと言いまして、夏の暑いときなんか噺家は着物をめくって座っても、それが見えない・・・とまあ、便利なものです。

 また、落語は正座で演じますから、終わって立ち上がるときの支えにもなる。これなら少々しびれがあってもごまかせます。
 ただし、これがあると下半身の動きが見えない、大きな動きができない、ということで繊細な体の動きを見せる現・春団治師匠は滅多に使わず、米朝師匠は演目によって使い分けていらっしゃいます。笑福亭一門は使う頻度が多いようです。

 いずれにしても、私としては、もうこれは中学のときに上方落語にハマッて以来、是非自分用に欲しかった落語専門用具だったのですが、これって、ホームセンターに売っているわけでもないし、仏壇屋も違う。家具屋でも見たことないし、落語用具屋なんてないし、ワッハ上方にも売ってないようだし。
「どこへ行ったら手に入るんやろう」てなことを、ある人にマジで相談したら、その人がホンマにプレゼントしてくれはったんです!

 そのある人、とは、
 この夏、四代目桂米紫を襲名される桂都んぼさん。
 実はその襲名披露の挨拶文を私が書かせていただいたんですが、そのお礼としてわざわざ特注で作ってくださったんです。
 名びらもご覧のとおり。

nakayama_5_15_04この“中山市朗”の文字は、以前ワタシが繁昌亭の舞台に上がったとき、橘右佐喜さんに書いてもらった本物です。この字体は寄席文字と言います。
 こういうの、夢でした。中学のとき、ほんまに噺家になりたいと思ってましたから。
 でも、これだけあったら落語会の余興、とれるんと違います?
 ほら、この通り。

nakayama_5_15_05




「今度は、ぶのあつ〜い座布団が1枚、怖い」

tonbo

こんどCDが出たときは、桂米紫の名前で!





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2010年05月14日

5/12の小説技法

 中山市朗です。

 12日(水)の合評の報告です。

 なんか参加人数が少ないぞって、毎回言ってるか。
 作品を提出していないから参加する必要ない、という考えはやめよう。
 ちゃんと人の作品を読み込んで、アカを入れるのもすごい勉強です。
 また、丁々発止行き交う評価も聞いていて、なるほどなあ、と思うことが私にもあります。得るものはいっぱいあります。

 Sくんの奇譚小説。前回、不条理の中に不条理なキャラクターがいるから感情移入できないとか、その不条理なキドニーワールドという世界の描写が長い、という指摘を受けて、特にキドニーワールドの場面をバッサリとカットしてきました。他の塾生は「これで全体的にリアルになったので、かえって不条理が浮き出てきた」とか「読みやすくなった」という好意的な意見が出てきました。ただ、次の章に読者を惹きつける何かが足りません。結局、謎だらけの世界観の中で、どの謎を追っかけたらいいのか読者にはわからないんですね。だから長編としての作品を引っ張るモノが必要な気がします。

 N子さんのホラー小説は、だいぶ整理されてきて、これも読みやすくはなったんですが、キャラクターたちの生活している空間が把握できない。地理的なことも頭に入れて書く必要があります。それと主人公の心境をあまりに詳しく描写しているので、読者に想像させる余裕がなくなっています。恐怖というのは、想像、でもあるので、もう少しドラマとしての展開を意識したほうがいいかと思います。

 落語作家のO田くんのギャグ小説。前回、前々回の指摘を受けてキャラクターの見直しと、緊張と緩和のバランスを修正した、と本人は言いますが、あまり改まっていません。やっぱりボケキャラばっかり。ボケとボケでは笑いにならない。O田くん、わかっているはずなんですけど。それと楽屋オチはねえ・・・。

 Dくんの時代劇小説。文体は読みやすく好感がもてます。時代劇の雰囲気もあるんですが、長屋の住人、侍、ヤクザという構図がありきたり、という意見も。自殺を計った若い女性を救い、彼女のために一肌脱ぐ天狗様と呼ばれる侍の行動に、動機が見当たらないので、なんだか偽善者に見えてきました。人情ものを書きたいのはわかりますが、動機のないヒーローは薄っぺらなものになっちゃいます。

 K島くんの時代劇に捧げる小説は、かなりよくなってきました。彼は本来マンガ家志望なんですが、指摘されたところを自分なりにちゃんと修正し、工夫することを繰り返しているうちに、腕が上がってきています。ただ、主人公がライターとしての仕事を受けるシーンなどで、その発注の仕方や受け方が、経験者からすれば違和感がある。こういうことは、きちんと取材してみることです。

 Aさんの日本神話を題材にした少女用恋愛ファンタジー。マシンガンお嬢久しぶりの登場です。ちょっと迷走しています。登場人物が多くて、それも日本神話の神様の名前なので覚えにくいんです。オモイカネノカミとかイシコリドメノミコトとか、アメノコヤネノミコトとか・・・。じゃあキャラを減らします、という問題なのか、ということです。
 おそらく主人公、中学生の女の子と男の子、と神様の関わりがそれほど密でもなく、また神様としての魅力がないので読み手が覚えようという動機にいかないんです。ちょっと難しい題材ではあるんですが、これでは読んでくれません。また中学生の女の子がターゲット層だというのならなおさらのこと。もっと三角関係の恋愛模様をクローズアップして、中学生の女の子たちが憧れるようなキャラクターに変更、あるいは登場させる必要があるように思います。

 T野くんのSFホラー。ホラーとしてはまだまだ描写不足。もっとヤバいことが起きようとしているのではないか、という予兆がまだ充分でないんです。でもこの予兆がこの作品の核となって読者を引っ張るわけだから、ここはホラーとは何か、の勉強が必要です。

 T田くんの『クリエイターズファイト』は最終章のラストで足踏みしています。ラストの炎上シーン。ここのみ、もうひとひねり。

 2時間の時間枠を3時間かけて終了。
 ほんま疲れるわ。
 で、ビール!
 この言葉で疲れも吹っ飛ぶ!

 やや?
 今日の飲み会は私を入れてたったの5人?


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2010年05月13日

十二人の叱れる男

 中山市朗です。

 昨日の作劇公式ブログで、怒るべきところは怒る、とありましたが、正確には叱るべきところは叱る、であります。
 あれ、私は叱っていたんでっせ。怒ってるわけやない。

 怒るというのは、腹を立てたり、憤ったりと感情的な状態です。その感情を相手にぶつけるのが、怒る、非難する、という行為。
 まあ私も未熟者ですから、腹を立てて相手にあたることもあります。でも本来は、塾生に対しては叱るべきが、このような塾を作った者の勤めやと思っています。
 怒ると叱るの違いをわかりやすく言うと、

 『大魔神』は怒ります。第二作の題名はそのままズバリ『大魔神怒る!』です。
 『大魔神叱る!』としたらどうでしょう。

 これ、大魔神が誰かを叱るのやろうか。おせっかいなヤツやな。えっ、ひょっとしたら叱られるの? なんか怖くないですな。ちょっとええ人(神?)に思えます。

 叱るとは、相手のよくない言動をとがめる、教えること、だと理解しています。あえて客観的、冷静な叱る側の自覚が必要です。

 教育でもっとも大事なことは、どう叱るか、です。
 聞くところによると、小、中、高校では先生は叱らない、叱れないそうですな。従って叱られたことのない子供がいっぱいいるらしい。絶対それ間違っています。
 怒ると叱るの区別が先生方や親御さんに明確でないから、叱るな、みたいな教育になってしまったのかな? 怒ると手が出たり、モノを投げたり、当り散らしたり、という行動になりがちです。これが暴力や体罰を生むのでしょう。
 私自身は平和主義者なので人に手を上げたことは一度もありませんが、怒るという行為も、たまには見せたほうがいいと思います。怒りのないヤツは信用できません。またクリエイターにもなれないでしょう。私は怒りを否定しません。むしろ若いヤツらには怒ってほしい。社会に怒れ! 世間を怒れ! 悪を怒れ! 暴力を怒れ!
 しかし大人は、怒ることと叱ることを使い分けなあきません。まあ、あまりの怒りから叱り飛ばす、なんていう行為もあるわけですが、やっぱりやってはいかんこととか、信頼を失うだとか、大きな迷惑や難儀を引き起こす要因がその人にあるならば、叱ってやらんといかん。
 だから、わりと私は塾生を叱ります。
 叱るって難しい。というかストレスを抱える行為です。叱って、相手の心を傷つけでもしたら、闇夜にブスッと刺されるかもしれません。叱らなかったら、そんな危険性もなくお互いラク。お互い干渉しあわない。無関係。教室で教えたら「はい、時間です。サヨウナラ」なんて、まあラク。
 でもそれでは塾の意味がない。やっぱり叱るところは叱る。でもよく叱る塾生とは、それだけ膝を突き合わせて語る機会も多いのです。ある意味愛情や信頼関係がないと叱ることはできにくいものなんです。

 叱る先生を暴力教師(実際そういう先生もいたのでしょうが)と言って吊るし上げ、排除した教育現場の体制は間違いです。うちの塾生も「こら、明らかに先生にも親にも叱られずにきたな」と思うのがいます。そういう若者は、何がよくて何が悪いのか、の区別がついていないことが多いようです。
 特に若いということは勘違いをしている時期でもあるので、自分の力を過信して勝手な行動をとって、その尻拭いを周りの人たちがやっているんだけど、気づかないとか、自分の信頼を失墜させることは周りの信頼も失墜させることだ、という自覚もないとか。
 こら、叱らんとあかんでしょ?

 今、引きこもりが問題になっていますが、うちの塾生にも過去にそんなのが何人かいて、親と話をしてみると、まあ甘甘。叱ってない。
 こっちは心配して叱っているのに、親は子供を「でもこの子はガンバリ屋さんなんですよ」と、関係ないことでフォローする。これはあかん。
 叱らないということは子供と親の健全な関係が蓄積されていないということなんです。そら叱られないんじゃ、その子も人間関係が不得手になって、罪悪感も解消されずに、親に対する反抗心も出てきますわ。親がナメられているんですな。叱られないから家にいることが落ち着いて、でも愛情を感じているわけじゃないから満たされない。
 結局互いに“楽”を選択しちゃっている、ように私は感じた。
 まあケース・バイ・ケース、いろいろあるのでしょうが、叱る、を否定する教育は健全ではないと。これは私の考えです。

 なんや、えらそうなことを言いました。
 でも小説の合評でも同じなんです。

 「こんなん、おもんない! 書き直せ!」は『大魔神怒る』です。
 面白くない、というのは単なる感想で、感情で言うと好き嫌いになってしまう。
 「この作品、嫌いやから」と合評で言われようものなら、それこそケンカです。
 合評の目的は、あくまでレベルの高い作品に仕上げることにあって、ケンカしたり否定するものでは決してないわけです。

 面白くないというのなら、なぜ面白くないのかの要因を探し出して、その解決策を図る、示す、というのが理想の合評です。もちろん、褒めるところは素直に褒めることも大事。これは叱る、に共通したものが根底にあるように思うのですが・・・?

 それと、叱るで大事なことは、
 同じことをクドクド繰り返さない。

 ということで小説の合評です。
 あれ? 字数、食っちゃった。
 合評の詳細は明日。

 



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2010年05月09日

カジポンさんとワシ

2010-05-02
5月5日付けの当ブログで紹介したカジポン・マルコ・残月さんとのツーショット写真です。



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2010年05月06日

5/5の作劇ゼミ

 まずは作劇公式ブログをお読みください。

 ・・・授業が行なわれるはずの作劇塾の教室に夜の帳が下りた頃、南へ約500メートル先にある、某マンションの一室。20人近い若者たちがそろそろと集まりだし、そして19時30分、またもお闇となったその部屋で・・・。
 溝口健二監督の名作『近松物語』の鑑賞会が行なわれたのであります。
 教室にはハイビジョンの設備も大スクリーンもないので(個人経営ですので・・・)、塾生たちに我が書斎に集まってもらった、というわけでした。

 中山市朗です。
 5日(水)の作劇ゼミの報告です。

 以前、外国文学における男と女、ということで、男と女の恋愛事情を取り上げたことがありましたが、今回はその日本版として、特に文楽の中の男と女の世界を取り上げることとしました。
 文楽、あるいは人形浄瑠璃は、江戸時代に大阪で生まれた芸能です。
 人形芝居と三味線音曲の浄瑠璃が合わさったんですな。
そして日本のシェイクスピア、近松門左衛門や紀海音、井原西鶴といった劇作家がその台本を書き、竹本義太夫という大きな語り手、太夫を輩出しました。
 文楽、というのは本来劇場の名前やったんですが、いつの間にやら、人形浄瑠璃そのものを指す言葉になりました。大阪日本橋に、今も文楽座はあります。
 昨年には、世界無形遺産に正式登録されました。
 その詳しいことは、次回のこの授業で取り上げることとして。

 今の若い人はほとんど、こういう文楽の世界は知らないと思われますので、まずはその世界観を共有するために、溝口健二監督の『近松物語』を観賞して、まずは感想文を書いてもらいました。
 文楽そのものの研究をするならば、人形浄瑠璃を見るべきなのでしょうが、今回の主旨は形式や文楽という芸能ではなく、近松や西鶴が著した、男と女の世界がテーマです。
 したがって、近松の原作を、これも日本を、いや世界を代表する映画監督、溝口健二による映画化したものをチョイスしたわけです。
 しかしさすがは我が塾生、半数以上は『近松物語』を見ていました。まあ教室にビデオあるし。
 でも宮川一夫の芸術的な撮影、凝りに凝った時代考証によるセットや衣装、小道具などはハイビジョンで見ると、そらもう美しいでっせ!
 その詳しい内容や分析は、19日の作劇ゼミにて行ないますので。

 今回は、ちょっと余談を。

 『近松物語』は、近松の『大経師昔暦』を依田義賢が脚色、撮影は前述の通り宮川一夫が担当しています。
 依田先生、宮川先生、どちらも私の芸大時代に教えていただいた教授です。
 依田先生は『浪華悲歌』『残菊物語』『西鶴一代女』『雨月物語』といった国宝級の溝口映画の脚本のほとんどを担当され、あるいは勝新太郎の『悪名』シリーズ、今井正監督の『武士道残酷物語』なども担当され、私の大学時代は熊井啓監督、井上靖原作の『天平の甍』の脚本を執筆されている最中でした。
 依田先生からは、よく溝口健二という人は大変に厳しい方で、さんざんNGを食らいながらやっとあがった脚本をもとに、出演者たちを集めて読みあわせをするそうなんですが。
 その場に依田先生も呼ばれ、稽古場の隅っこに立たされるんですって。
 そして読み合わせ中に役者さんが少しでも言いにくそうだったり、詰まったりすると「依田くん! 自然な台詞じゃないからこうなるんだ。たった今、ここで書き直したまえ!」と怒鳴られ、役者さんたちの見ている前で、その場で黒板に修正台詞を書かされた、なんてことがよくあったそうです。
 「恥ずかしうて、ほんま死にたかったわ」とおっしゃっていました。
 「そやけど、だからええもんが書けた。溝口さんには感謝してる」とも。
 そして『近松物語』のときは「こんな三文脚本で撮れるんかい」と言われたそうです。
 私はこの映画は大傑作だと思うのですが、溝口監督は納得していなかったようです。
 追求するものがあまりに高すぎます!
 
 そしてこれも依田先生から聞いた話。
 溝口監督に「女を描く秘訣を教えて下さい」と言うと、監督は浴衣の肩肌脱いで背中を見せて「これくらいのことがないとダメだよ」と言われたそうな。その背中には、若い頃、色町の女に感情のもつれから切りつけられた、大きな刀傷が!
 ・・・ここだけの話、実はこの刀傷のエピソード、溝口伝説にはよく出てくるんです。これ、あんまり女にモテなかった溝口監督の自慢やったみたいですな。「どや、わしもこんなになるほどモテたんやぞ」みたいな。
 あまりモテなかった溝口健二がひたすら女の世界を描き、撮影所ではモテモテだったという黒澤明は男の世界を描いた。そういうものなんですかねえ。

 ところで、依田とはヨダと読みますが、都市伝説のように伝えられる『スター・ウォーズ』に登場するヨーダは、依田先生をモデルにしているという話。
 そういえば、名前だけでなく、その顔がソックリなんです。
 「わし、ヨーダのモデルやで」とは、実は依田先生自らおっしゃっていたことです。ところが後にジョージ・ルーカスが来日したとき、ルーカスは「NO」と否定しているんですね。でもあれ、記者の質問が悪かった。
 「ヨーダは大阪芸術大学の教授である依田先生をモデルにしたのは本当ですか?」という質問だったと思います。で、ルーカスは「NO」と咄嗟に言ったわけなんですが、「大阪芸大の依田先生」で、ルーカスには依田義賢のことだと咄嗟に分かったのだろうか、という疑問があるんですね。
「溝口健二監督の名作の脚本を書かれた依田義賢さんが、ヨーダのモデルだそうですが」と聞けば、にっこり笑って「YES」と答えたかも・・・。
 きっと質問した記者は、依田先生の教え子だったんでしょうね。

 その依田先生も、来年20回忌ですか・・・


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2010年05月05日

墓への異常な愛情

 中山市朗です。

 先日、我が書斎に素敵なゲストが来られました。
 彼の名は、カジポン・マルコ・残月さん
 名刺にはド根性文芸評論家とありましたが、芸術をこよなく愛し、その偉大な先人たちを恩人と呼び、世界恩人巡礼をライフワークとするという男。
 もしかしたら「ジョジョの奇妙な冒険」のキャラクターの奇妙でカッコイイポーズを真似るパフォーマンス「ジョジョ立ち」のカジポン、といえば「ああ!」と膝を打つ人も多数おられるでしょう。

 塾生の後藤くんが彼のファンで、「カジポンさんのホームページを見ると、炎の邦画名作ベスト300というのがあって、もっとも感銘を受けたベスト作品として1位を黒澤監督の『乱』、2位が『七人の侍』とあります。中山先生と気が合うかもしれない」と、セッティングしてくれたというわけです。話を聞きつけたミュージシャンのTさん、塾生山本くんもやってきました。

 カジポンさんは、これは本名の梶本からきているそうですが、我が書斎に入るなり、「すごいすごい」の連発で、本棚やビデオラックの中に収められたモノに異常な興味をもたれたようです。もう早くも気があっていますねえ。
 さて、彼のライフワークであるという世界恩人巡礼とは?
 お話を伺って私も興味をもったというか、知らなかった価値観を知ることができ、共感も湧いたんです。
 彼は19歳の頃、最初の海外旅行先でたまたまドストエフスキーの墓を見たとき、なんともいえない感激と、ドストエフスキーという人物が本当に存在したんだ、という実感が全身に湧き出た、といいます。ホントにいた。いたから墓がある。そして、自分の人生に感動や潤いを授けてくれた偉大な芸術家に、お礼を言ったといいます。そしてそのとき思ったことが、じゃシェイクスピアは? ゲーテは? 手塚先生は? 黒澤監督は? そらお礼せんとあかんやろ、ということで偉大な人物たちのお墓巡礼をするために世界を周りだしたというのです。いまやその数1000以上!
 その一部をパソコンに取り込んだ画像とともに解説していただきました。

 その墓前に訪れる女性たちのキスマークの数が(口紅がいっぱいついている)世界一のオスカー・ワイルドの墓。死んでもモテるとはうらやましい。もっとも彼はゲイでもあったのですが・・・
 遠いところをわざわざ来てくれてありがとう。まあ、ゆっくり座っていけよ、と墓がベンチの形になっているダニー・ケイ。さすがはハリウッドを代表するコメディアン。カジポンさんはホントに腰掛けたそうです。眼前は美しい池が広がっていて・・・
 トルストイの墓には墓石がなく、ただの土くれがあるだけ。プレートもない。でもその土くれのある場所は、生前のトルストイが日なたぼっこをしていたお気に入りの場所だったとか。
 ヘレン・ケラーの墓石は激しく削れています。というのも、目の見えない人が触っていくからなのだとか。そう、墓参り、巡礼とは、その人との対話をすることでもあるんですね。そしたらマーロン・ブランドの墓は・・・。
 誰も来てくれるな、とばかり最高温度56、7度にもなるデス・バレーの塩の中に遺灰がバラまかれて、参拝不能な状態に。
 一方、チャールズ・ブロンソンの墓は地面にプレート状に埋め込まれ、「千の風になって」の原詩が彫られ、その傍らには訪れた人とじっくり対話できるようにベンチが。
 メルヴィルの墓は原稿用紙の形が彫られてあって、その上には無数のペンが置かれています。作家志望の人が来て、置いていくらしい。
 グリークは断崖絶壁の真ん中をくりぬいて、その中にあるのでロッククライミングでもしない限り、墓前に立つことは無理。ほとんど『ナバロンの要塞』状態。しかしグリークはここからお気に入りのフィルドの海をずっと見ているんだろうな、と。
 同じ音楽家でもムゾルグスキーの墓は、ピアノの鍵盤の形をしているんです。
 ウィーンにはベートーベンとシューベルトの墓が並んでいます。これはシューベルトが望んだことらしいのですが、その間が少し空いている・・・。
 カジポンさんは、死んだらここに墓を作りたい、と言いますが?
 かのジェロニモの墓にも行かれたそうです。ジェロニモの墓はなんと米軍基地の中で、許可されないと入れない。しかも昼夜訓練の銃撃音がしているので、これは魂は鎮まらないやろうな、と。生前もそして死んでもまだ、ジェロニモは米軍との因縁が拭えないんですね。世界一かわいそうな墓、なのかもしれません。
 ジューヌ・ヴェルヌの墓は変わっていました。
 墓石の前には石棺の蓋を跳ね除け、天に向かって右腕を高く上げ、今生き返らんとするヴェルヌが・・・道行く人たちは、これを見た途端、凍りつくそうな。死んでも劇的を演出しているこの作家根性!
 ヘミングウェイの墓に行き着くのは大変だったそうで、そのエピソードはロードムービーが1本できるほど。

 まだまだ数多く紹介されたけども、ホントに墓のイメージが変わります。
 その人の人生がそこに凝縮され、またラストメッセージを発しているわけですな。

 日本の著名人の墓も、もちろんカジポンさんは相当行っていらっしゃいますが、高野山にある明智光秀の墓石は修復しても修復しても、ヒビが入るのだとか・・・祟りじゃ!
 黒澤明監督の墓。実は隣が空き地になっていたので、お寺に問い合わせたそうです。あそこに墓を作ってもらうにはどうしたらいいか。
 お寺の返事は「あそこはそういう問い合わせが殺到しているので、野球でいう永久欠番扱いにしています」、つまり誰の墓も、あそこには立てないのだそうです。でも写真を見たら、隣、ゴミ捨て場(?)になっていた・・・
 シャレているのが十返舎一九の墓。墓そのものはお寺の二階にあって(しかも一階には人が住んでいる!)・・・。その墓石の側面に彫られた辞世の句。
「この世をば、どりゃお暇(いとま)と線香の、煙と共に、ハイ、さようなら」

 お墓はその人物のラストメッセージ。そしてその人物との会話の場所。
 カジポンさんのこだわり、というか、世界巡礼する意味が私には充分理解できました。おそらく参った墓の数はギネスであろうカジポンさんに、私の興味が。
「それだけ墓参りして、幽霊に会いません?」
 自分でも不思議なほど、それがまったくないのだそうです。まあカジポンさんのお墓参りは意識として、非常にポジティブなのが原因なのかな?

 さて、今度はカジポンさんと映画談義!

 今度は私がカジポンさんのリクエストにお答えして『乱』の場面を見せながら(私、『乱』の現場にメイキング班としておりましたので)、どうやってこれが撮られたのか、どういう仕掛けがなされているのか、そのエピソードとは、を濃く濃く解説。その後はお互いにリスペクトしている映画について熱く語り合い・・・

 後藤くん、山本くんは、完全に妖怪オイテケボリ?

 カジポンさん、今度は飲みながら一晩語り明かしましょう。


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kaidanyawa at 17:24|PermalinkComments(1)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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