2010年06月

2010年06月26日

天国への怪談 その2

jiuwa3メディアファクトリーから見本が届きました。

『怪談実話系4 〜書き下ろし怪談文芸競作集』

私は「怪談BAR3」を執筆しております。
新ネタ5本収録。
6月25日より、全国書店にて発売中。



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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



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2010年06月25日

天国への怪談

 中山市朗です。

 いろいろお知らせがあります。

 6月15日、角川つばさ文庫より
 『怪談学校〜本当にあったコワイ話』が全国書店より発売されました。
 新堂美海(ミミ)という転校生が「新耳クラブ」というコワイ話を集めているクラブに誘われ、ホントウにあったコワイ話を聞くという・・・。
 その中身は『新耳袋』の一夜〜五夜までのエピソードから66話を選出し、編集し直したものなんですけどね。
 子供向けに再編集し、若干の書き直しがあります。
 税別620円でおます。

kaidannogaxtuko


『怪談学校〜本当にあったコワイ話』
原作・木原浩勝、中山市朗
作画・湖東美朋







tukimono_P劇場公開版『怪談新耳袋 ツキモノ、ノゾミ』が完成しました。











sishakai そのパンフレット、試写状が送られてきました。
 監督はデビュー作『おかえり』でベルリン映画祭新人監督賞などを受賞した箱崎誠。
 脚本は、映像版『新耳袋』の常連、三宅隆太。
 主演は、歌手でもあり、演技力も評価の高い真野恵里菜。
 共演者は、坂田梨香子、鈴木かずみ、吉川友、秋元奈緒美など。
 9月よりシアターIN渋谷、TOHOシネマズららぽーと横浜、TOHOシネマズ川崎でロードショウ!
 あれ、大阪は?
 7月1日、ハリウッドでプレミアム上映をするようです。
 だから大阪は?

 なお、5月よりBS-TBSでオンエアされている『怪談新耳袋』新シリーズは、早くも7月21日に、キングレコードよりDVDとなって発売されます。

 もうひとつ。
 お待たせいたしました。
 まだ番組名は明かせませんが、昨年の夏、NOT地上波でオンエアされた、大型怪談番組が製作決定したようで、出演依頼を受けました。
 昨年は90分でしたが、今年は120分に拡大されるかも・・・?
 こちらも情報解禁時に詳しくお知らせいたします。



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2010年06月24日

6/24の小説技法

 中山市朗です。

 来たる9月26日(日)の第十回「へたなら寄席」の公演に向け、桐の一門が動き出しました。
 23日(水)は、みんな早めに集合して、まずネトラジを収録。
 その後、手見せです。
 つまり一門のメンバーの前で、今度高座にかける落語をやってみるわけです。
 そしていろいろと手直ししたり、工夫をするわけです。
 これも創作のための勉強の一環。
 しかしみんな、演じるほどにクセになっていくようです。

 はこぶたは、最近落語作家としても活動していますが、今回は自作の落語で挑戦。彼が書いている小説同様、不思議な世界観をもった落語で、聞いているメンバーからはしばしば笑いが起こっていました。
 今回が初高座となりそうな(まだ出演メンバーが決定しているわけではないので)、ななねんは、「平林」という前座さんがよく演じるネタ。覚えてないわ、カミカミやわ、上下(かみしも)逆やわで、今回はお話になりません。
 いそろくは「あくびの稽古」。誰のを参考にしたのか、お話が飛んでしまっている。もっといろいろな噺家のものを聞いて参考にするように。
 ほらあは「もう半分」という、ちょっと怪談ぽい噺。視線が下がり気味なので、君が怖い。上下の線がちゃんと交わるように。それとお酒を飲むしぐさがこれからの課題。
 よぎりは「看板の一」。キャラクターの演じ分けができていない。特に親っさんのキャラは大事。これが定まらないと後半がオモロないわけです。

 今回はこられなかったけど、出演したいというメンバーがまだまだいますので、誰に出てもらうかはこれからの精進しだいです。ただし、初高座の人は優先したい。

 さて、手見せが終わったら、小説の合評です。
 ヒーローものを一本仕上げたYくん。今回からは新作に挑戦です。
 なんと西部劇小説。もちろん純粋な西部劇小説では、どこの出版社もほしがらないでしょうから、西部劇の体を借りた特撮モノになるようです。『ワイルドワイルド・ウエスト』? そうでもないようです。ファーストシーンが、いきなりベタな決闘シーン。早くもこのシチュエーションに賛否両論が出ます。おそらくこれはパロディなので、私はベタでもいいと思うのですが、この後の展開がどうなるのか・・・もう少し書いてもらわないと。

 Dくんの時代劇小説。前回調べずに書いてNGをくらった江戸の屋台のシーン。よく描けているけど、登場人物が負けちゃっている。この設定の中でドラマを起こさなきゃ。東映の中村錦之助版『一心太助』とか観てみたら? 確か教室にある。

 Kくんの大河内伝次郎にささげる小説。だいぶ整理がついて共感性も出てきてよくなったという意見が大半を占めました。ただ、編集さんと新人ライターのやりとりの描写にいろいろ注文が。みんな編集さんにこっぴどく言われているのでしょうか?

 T野くんのSFホラー小説。要はホラーというのは体で、狙いはほかにあるそうです。にしても読者を引きつけるには体であろうがなんであろうが、恐怖を感じさせないと意味がない。作品全体の色がまだ読んでいて不確定なので、そろそろ指針を示さないと、読者は何を期待して読めばいいのか混乱しそうです。

 N子さんのホラー小説。主人公の女の子がちょっと情緒不安定という設定なので、恐ろしいことが目の前にあっても、その恐怖が読者に伝わらない。周りにいる正常な(?)人物たちをもっと活用すること。それと病院の描写、もっと調べて書こう。

 Sくんの奇譚小説、なんか長いこと改稿を重ねています。もうそろそろ次の章へいかないと。とは言いながら、やはり現実と虚構の入り混じる構成に、読んでいて疲れるとの戸惑いの声も。そこが奇譚たるところなんですけど、どうもそれが仕掛けになっていないんですね。主人公の態度や心境が状況に流されてしまっているから、読者に伝わらないんでしょう。決着のつけ方を、今から想定しておくこと。

 A嬢の日本神話ファンタジーは、いろいろ問題を抱えています。題材の処理の仕方が難しいのは本人承知の上なんですが、どうも出てくるキャラクターの誰に感情移入していいのかわからない、という意見に私も同感。やりたいことはわかるし、主人公たちがこれから成長するのだ、という構成もわかる。でも、新人は最初の3ページで読者を引きつけなきゃ。これ大事。大いに大事。

 Mさんの『僕が彼女になった理由』は、読ませます。主人公に押し寄せる、一難去ってまた一難、というのが、そのアイデアとテンポのある文体で読ませます。ただ、ある塾生が、長距離恋愛していて久々に再会した主人公と婚約者のシーンに対して、とんでもない発言が! 塾生たちから一斉にブーイング。いや、意見を言うのはいいんだけど、個人の実際の僕ならこうする、という意見よりも、作品を生かすためのアドバイス、意見を言うことを心がけなきゃ。それに男性はそうだ、と言われても、それは違うし。

 T田くんの『クリエイターズ・ファイト』。もう終わっていいんだけど、まだ詰めが。それとクライマックスのアクションシーンにしては、文体が回りくどい。そんな説明しなくても、読者は勝手にイメージするもんです。

 以上ですが、課題を落とさない塾生は確実に腕をあげていますし、他人の作品を見る目も鋭くなっています。あまり書いてこない人、忙しいのはわかります。また、模索しているのもわかります。でも、なんでもいいから、書く、ということを習慣づけましょう。



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2010年06月23日

出版戦線異常なし

 中山市朗です。

 携帯電話を持たず、ゲーム機にも見向きもせず、原稿執筆は未だにワープロという私も(パソコンは持っています。重宝しています)、iPadはほしいです!
 でも買ったら、メッチャハマるやろうな。
 ゲームをやらない原因はそれ。
 凝り性なんで、一旦ハマったらアブない。戦争シミュレーションゲームなんて、200時間くらいぶっ通しでやるでしょうな。『太平洋の嵐』とか。
 ポンコツになっちまうぜ。

 でもほんま、iPadだのiPhoneだのの登場は、クリエイターにとってはある意味大きなチャンスであり、出版界にとっては最大の危機だと、最近ますます思うようになっています。
 携帯電話の必要性をまったく感じないこの私が、iPadは欲しいんでっせ。これ、ただごとやない。あっという間に浸透しまっせ。

 一方、それをチャンスとばかりに、作家たちが会社を立ち上げ、既存の出版社を通さず、直接電子書籍を出すという動きも出てきたようです。
 瀬名秀明さん、桜坂洋さんたちは電子書籍『Air』を今月17日に発売。あるいは新作小説、エッセイなどもiPad、iPhone用に配信する合同会社を立ち上げたそうです。だいたい本屋さんに並ぶ書籍の半額以下の値段のようです。で、おそらくですが、作家に配分される印税率は、従来の出版形態より格段に高くなるはずです(でないとおかしい)。
 合同会社の代表、堀田純司氏は「こうした試みはいずれ誰かがやる。埋没しないため書き手が生き残るには、今打って出るしかない」とコメントしていますが、そうなるとこれはエライことに。
 いや、当然の流れかもしれません。

 私の教え子たちも出版社に持ち込みをしているようですが、作家やマンガ家を目指す若い人たちは、出版社の編集方針、企画内容に沿う必要はありますし、売れるための作品づくりをしなくてはなりません。それはプロとしたら当たり前のことなんですが、出版社の提示してくるモノが必ずしも正しいとは限らないはずですし、出版不況の中では冒険させてくれない実情もあるようです。また表現規制も厳しくなりそうで、ビジネス的な戦略や売り上げを伸ばすための算段も、ある程度出版社にゆだねるしかありません。そしてその部数も「出版不況」という名の下に出版社側がリスクを負わない数しか印刷されない実情があります。
 実のところ、本来作家は書きたいものを書き下ろすわけですが、大抵は出版企画、定価、発行部数に関してはほとんど決定権をもたず、苦労して書かされたけど割に合わない、と感じる作家も増えてきているようです。印税は出版社や出版物、その作家のランクにもよりますが、だいたい本の定価の6〜10パーセント。発行された部数をこれに掛けるわけですから、売れれば印税は多く入るし、売れなければヘタしたら取材費や資料費とトントンなんてこともあるかもしれません。その部数が今、急激に減ってきているわけですから。
 しかし作家たちが、その出版社を介さない独自の媒体を持ち始めたら・・・
 これ、おもろいことになりまっせ。

 映画業界がそうでした。“歴史は繰り返す”の意味が理解できます。
 今から5、60年前までは、映画の製作・上映をしていたのは、日本では東宝、大映、日活、東映、松竹という大手会社の独壇場でした。ハリウッドも同じ。出版界が出版社主導にあるように、映画は撮影所のものだったんです。撮影所に所属なくして映画に携わることは不可能だったんです。しかし、所属俳優や監督の自由な活動を禁止したり会社の既得権優先の方針などが問題となり、石原裕次郎、三船敏郎、勝新太郎といったスターたちが、大手会社の呪縛から離れようと個々にプロダクションを設立し、五社協定に反旗を翻し、同時に自分たちで活路を見出そうとした事実があったわけです。
 そして映画産業の斜陽。その頃撮影所を離れていた監督や作家が独立プロで映画制作をするようになり、低予算ながら作家性を打ち出した作品が発表されるようになります。
 やがて大手映画会社の倒産、統合、縮小。スターシステムの崩壊。映画制作のメインは、独立プロや、撮影所が嫌悪し敵視していたテレビ界へとその才能が流れ込みます。そしていまや映画はフィルムで撮ることさえなくなった。フィルムを使わない映画!
 そんなこと、当時の誰が予想したことでしょう。

 芸能界やプロ・スポーツの興行形態も淘汰され、戦略的な目をもったプロダクションのみが残り、大阪などでもずいぶん、その形態も現存会社も様変わりしています。やっぱり吉本はそういう戦略に伴うコンテンツ製作に力を入れ、メディアに打って出ました。一方、そういう先見の目がなく、何の対応策も準備しなかったS芸能は劇場さえ手放した(このことがもう将来展望がないと証明しているようなものですが)ことでも分かると思います。
 どこの分野でも浮き沈みは激しく、生き残るのは大変なわけです。大名商売をやっていた放送業界が、今、危機ですもんね。デジタル技術、機材が低予算を可能にしているはずなんですけどねえ。それでも・・・。そして、来年は一斉アナログ放送の廃止。いったいテレビ業界はどうなるのでしょうか?
 多分テレビを見ない人、若い人を中心に増えると思います。
 映画が娯楽の主役から滑り落ち、テレビがお茶の間で娯楽の主役を張り出した頃、これもまたテレビが娯楽の主役から追われるかもしれないなど、誰が予想したでしょう。

 そんななか、出版界だけが今も旧態然とした業界のシステムの中に甘んじているように感じます。作家側もなんとなく決められている印税10パーセントという報酬形態に疑問ももたず、その縛りに拘束されていたと言えるかもしれません。作家って、たいてい経済感覚に疎くて、好きなものを書かせていただければ充分です、という人種でもあるので。
 ところが、アメリカの電子書籍Kindleは、印税70パーセントやと言い出したんです!
 今はアメリカ国内だけのようですが、これ、日本の出版界は早急に対応策を練っとかんとエライことになりまっせ。印税70パーセントなんて、もう紙媒体への完全な挑戦ですわ。価格破壊ですわ。そして力のある作家はそっちへ流れますわ。
「ただし、既存の印税制では、最低一冊も売れなくても刷った分の印税は著者に支払われますが、電子書籍は換金性なので、一冊も売れず印税0円、てなこともあり得ます」というようなことを、日本文芸協会の某氏がコメントしていますが、そういう意味で、これからは作家も真の実力とプロデュース能力が問われることになるのでしょう。売れても売れなくても、作家の責任というわけですから。
 また、Kindleは漢字やひらがな、カタカナとややこしい日本語を避けて、中国や韓国での戦略を考えているとも言います。そうなると、一部のメディアが書いている「電子書籍が日本に本格的に上陸しなくてよかった」なんていうのは危険。それは日本だけが出版の世界市場から相手にされないということなんでっせ!
 どんな産業界でも海外市場を視野に入れて、そうしないとやっていけないという時代に、なぜ出版業界だけは、未だに鎖国状態にあるのでしょう?

 実は、不思議な業界なんです。出版業界って。
 たとえば映画産業と比べると、出版物はそんなに莫大な製作費がかかるという媒体ではないのです。大きなスタジオをもつ必要も、技術革新による機材投資や設備投資、技術開発なども無縁。映画会社は映画館という劇場を、テレビ局なら電波の送出施設が絶対必要なところ、それも必要ないというマスコミ界でもちょっと異質な媒体であったと言えましょう。その証拠に、出版物にはテレビCMもほとんどなく、宣伝費においてほかの分野に比べると、どうなんでしょう。ほかの業界なら、新製品や企業イメージをどう宣伝し、広報するかという業務が、戦略が絶対不可欠なんですが、出版界だけは比較的そこの重要性は軽視されてきました。というより、そないにやる必要はないと思われたんですな。
 それに、革新技術に無縁、なんていう業種も珍しい。
 それで成り立っていたのは、やはり出版物は出版社を介さないと、流通会社に流れず、よって本屋に並ばないという殿様商法がまかり通っていたからでしょう。紙媒体は古代エジプト時代より伝承されている(?)、古典中の古典ですし。その上、再販制度という規制で、出版社は守られていたわけです。
 ところがそんな出版社が、突然出版不況で困窮してきたんです。
 もちろんネットの環境が大きな影響をもたらせたことが大きな要因のひとつ。
 それまでは特に大手出版社は何もしなくても利益が出ていたんですな。
 だから特に講談社、小学館の転落ぶりは、ここ2年、すさまじいらしい。
 ところが聞くところによると、それでも大手出版の編集者の年収は、20代後半で1500万超! テレビ局とまるでそこは同じ。身内に甘いのは、政治家、官僚、相撲界だけやないんですな。そこを指摘し、正義を訴えていたテレビ界と出版界・・・。
 しかし、20代後半で1500万を超えるって、しかもそれが退職まで続くとなると、これは売れっ子作家でも至難の技。出した本が10万部を超えると1000万円ほどが作家の下へ支払われますが、それを20年、30年続けられる作家なんて、そうはいてない。けど、編集はもろてる。おまけに退職金つき。作家はそんなもんない。

 まあ、『ワンピース』とか『ドラゴンボール』てなモンスター級のコミックが、出版社とその従業員を救済しているという事実は理解していますけど。
 でも、作家がなんとはなしに思わされていた「印税を10パーセント以上にすると、出版社は赤字を食らう」なんて言葉を信用していたら、実は編集者は1500万以上もらっていたなんて・・・。で、売り上げが落ちたから部数減らす、新人育成の余裕はないなんて、これ、いいんでしょうか?

 とにかく今、出版社の介入なしに電子書籍を出版する作家たちが登場した。
 そんなことが可能になった。
 ようやく世の流れとして、出版界も技術革新と無縁、安泰な業界とは言っていられなくなったんです。
「いやいや、電子電子と騒ぐなかれ。電子化しづらい形態のものもあるし、プロの編集者がまだいない。iPadはモノが大きすぎる、日本の書籍は外国に比べて安価だし、
という理由で、そんなに危惧する必要はないという意見も出版界の中から聞こえています。でも私、思います。
「今はね」
 1年、1年半後には、状況はエラいことになっているように思います。
 山本五十六の心境です。

 もっとも出版界の現場の人たちからは、出版の危機、電子書籍にこのままでは食われるという話は、2、3年前から聞いてはいたんです。あるいは出版契約の折り、電子書籍に関する項目も取り決めるような契約内容になってはいました。でもそれは、あくまで防御する、イザというときの権利はうちにあるよ、というようなモノ。一応、電子出版に対する定義や実験は成されてきてはいたのです。ネット小説の大ヒットもありましたしね。でもそれは、あくまでまだしばらくはサブ的なものという油断もあったように思います。
 ところが、iPadが出てからですよ。とたんに危機感を募らせ、大手出版31社で「日本電子書籍出版協会」を発足させ、紙媒体との共存のあり方を模索する、としたのは。
 遅い、と思います。
 やっぱり、そもそも出版社自体が、このインターネットという世界中とつながっている文字ツールを、携帯電話とリンクしているこの情報媒体を、宝の山と思わなかったことが問題。映画会社がテレビという媒体が登場したとき、チャンスと思わず排除、あるいは敵視したのと同じ。そして映画会社やテレビ局が、当初、ビデオというメディアに注目しなかった、チャンスと思わなかったことと同じ。かつてハリウッドもビデオソフトなんて販売されては損益を生むとして、ソニーと訴訟合戦やったんでっせ。ところが今は、ビデオ抜きの映画産業はあり得ない。

 これからは、作家たちが会社を作ったり、あるいは作家個人が配信したり、配信会社が出版事業を立ち上げたりして、そのまま電子書籍化して、しかも世界発信、てなことになっていくでしょう。極端に言えば、何も日本語でなくても、英語のみの出版だってかまわないし、そのほうが市場としたら大きいのかもしれません。いや、この翻訳、電子書籍には不可欠になり、翻訳ビジネスは大きくなると思います。そうなれば、今まで考えられなかったユニークな作品や企画がどんどん出てくるでしょうな。ただし、アマチュアが勘違いして粗悪なものを平気で垂れ流す危険性も確かにありますが、お金を払ってチョイスするのは一般ユーザーですから。それはシビアなことになっていくでしょう。
 それに規制とか検閲は、世界基準というものがひとつのラインになるでしょうな。そしたら作家は、国際的な視野や教養が求められるのかもしれません。だからといって、世界に媚を売る必要もありませんけど。日本の作家は、ローカルな日本のことを書けばいいと思います。
 
 それと、公には誰も言ってないようだけど、iPadだのなんだのって、文庫本とかと比べると、老眼にはものすごくいい。これ、お年寄りに絶対オススメ!

 そんな状況で、
 電子書籍業界に、一瀬隆重みたいな人が出たら、もう既存の出版社、トドメ刺されるかもしれませんな。
 でも以前このブログで書いたように、紙の本がなくなるということは、絶対ないですから。



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2010年06月17日

6/16の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 16日(水)の作劇ゼミの報告です。

 今回も見学者が1名。
 YouTubeで流れている私の怪談動画を見て、見学に来たとか。
 でも怪談が書きたいというわけではないと言います。なんとなく面白そうだなあ、と。
 そういう動機での入塾も歓迎しますよ。色々体験したり人と関わるうちに、これを本格的にやってみたくなった、でいいと思います。ホームページでは小説コースとマンガコースのみうたっていますが、実質は制作に関わる色んなことをやっていますので。

 前回は近松門左衛門の世界を学んでみました。大阪が生んだ、シェイクスピアを凌駕する劇作家について、そら大阪人(あるいは大阪で学ぶ者)として知っとかな、ということで。
 で、今回の講義の前半は、DVD鑑賞としました。
 大阪は素晴らしい物語や芸能を生み出した、すごい文化都市やってんで、ということで。
 見てもらったのは上方落語。
 現存する唯一の落語界の人間国宝、桂米朝師匠による「立ち切れ線香」という噺。
 これ、ええ噺なんです。船場の若旦那と芸者の小糸の純愛もの、というか。ラストはホロリとさせる人情ものなんですが、決して無理やり観客を泣かせるような構成にはなっておらず、適度な笑いをかもし出しながら、若旦那の心境や、それを心配する周囲の人々の気持ちを浮かび上がらせます。小糸という可愛らしい芸者は、実は回想という形でしか出てきません。そして最後は悲しい結末、で最後の最後でオチ!
 大阪ですわ。
 絶妙です。これ、大阪の落語家の亭号のひとつである、笑福亭の祖と言われる松富久亭松竹という、おそらく幕末から明治にかけて活躍した噺家さんの作だとされています。これもシェイクスピア悲劇に匹敵する噺ではないかと、個人的に思います。
 悲劇なのにどこか爽やかで、多様な登場人物の登場の仕方が綿密な計算によりなり、暗くなりかけるとパッと明るくし、しかしまた、彼ら、彼女らの登場が、小糸という少女の一途な思いを代弁します。緊張と緩和の出し入れが見事です。それに、落語という芸そのものがそうなんですが、いわゆるト書きが極端に少ない。セリフと所作だけで、複雑な人間模様を落語家が一人で演じるわけです。何度も言います。こんなすごい芸は、世界に二つとない! そして話の終盤頃は、ちょいと怪談じみたことになっていきますが、それが不自然でなく、涙を誘います。
 この松富久亭松竹という人、他に「千両みかん」「初天神」「松竹梅」「猫の忠信」なども創作したといいますから、落語界のシェイクスピア、といったらちょっと大げさか? 
 でも大阪にはそういった人間洞察の鋭い、それを笑いに転嫁させながら泣かせるという、そういう芸を次々と生み出した土壌があるんです。藤山寛美なんて、まさにそこから生まれた。そこにまた大阪らしく、話の中にはお金という問題もからんでくる。大阪人は日本のユダヤ人?

 さて、落語鑑賞のあとは、最近この講義の教本にしている小松左京さんの『未来へのウインク』から、好奇心や読書を創作に変換する方法を考察してみました。
 特に、この日は好奇心、というものを取り上げてみたんですが。

 小松さんのエッセイを数ページ読むだけで、色んな言葉や人物が出てきます。例えばこの日は、レーダー、B29、シャーリー・テンプル、ローレル&ハーディ、ガモフ、ビッグバン、神風正一、青田昇、アポロ11号、スヌーピー、チャーリー・ブラウン、フランク・シナトラ・・・いずれも小松さんはリアルタイムで触れたモノや人物、あるいは文化やったんでしょうし、私もまあ、馴染みのある語句、名前です。でも今の10代。20代、30代という塾生たちはどうなのでしょう? まあ普通に読んでいるとそのまま流してしまうところでしょうが、そこを一つ一つこだわってみました。
 例えばレーダー。この言葉を知らない人はいません。レーダーを絵に描いてみよう、というとほとんどの人はイメージできるはずです。
 ではレーダーについて、何が語れるかを試してみます。
「うーん、そう言われてみると・・・」となりません?

 レーダーとは電磁波を一方向に放射して、その反射する電磁波を受信して、その時間差を計測するに当たって・・・てな小難しい原理を語る人もいるかもしれません。
 60年代の東宝特撮映画に登場したミステリアン、モスラ、ガイラ、ナタール星人などとの攻防に使用された熱線砲とか、マーカライト・ファーブといった、レーダー式新兵器のカッコよさをとうとうと語るのも楽しいでしょう。
 太平洋戦争で日本軍が敗北した一因に、レーダーの存在がある、という話も日本人の特性について考える一つの題材にもなりましょう。米軍はいち早くレーダーの重要性を知り、地上施設や航空機、艦船に装備させたのに対し、日本軍の上層部は「敵前で電波を発することは、暗闇で提灯の灯を持つのと同じだ」という理由で、ほとんど無視したわけなんですね。で、相変わらずレーダーと重装備を備えた米軍に向かって、バンザイ突撃だの特攻だの・・・
 ところがこのレーダー、もともと日本人が発明したもの、ということはご存知? と言うと、ほとんどの塾生が、えっ、てな顔してましたが、これは本当なのです。
 太平洋戦争の初頭、日本軍はシンガポールの英軍を降伏させますが、押収したレーダーの技術書のいたるところに、YAGIという文字があった。「こりゃなんだ? 日本語のようにも見えるが?」そう思って英軍の捕虜たちに聞いたら「知らなかったのか? レーダーは日本人が発明したんじゃないか」って言われて日本軍が驚いた、というエピソードがあります。そうです。レーダーの元になっている指向性のアンテナを発明したのは、八木秀次、宇田新太郎という二人の技術者。これがあって米英のレーダーは飛躍的な性能向上をしたといいます。後、八木式アンテナで、日本軍を打ち破るわけです。
 そういや、空母を主体とした機動部隊を発案したのは山本五十六だったことを考えると、レーダーを備えた米機動部隊にコテンパンに壊滅させられた日本軍て、なんなのでしょうね?
 今思ったのですが、そういうコンプレックスが、東宝特撮映画を作らしめたのかもしれませんなあ。
 日本の主要都市に上陸する巨大怪獣。それを迎え撃つ巨大レーダー型新兵器。怪獣もレーダー式新兵器も、ハリウッド映画には全然出てきませんもの。
 ちなみに八木アンテナの技術は今、みなさんおなじみの家庭用のテレビアンテナに活かされています。これが開発された頃とほとんど形も性能も変わってない、といいますから、初めから完成度の高いものだったんです。

 日本人の発明ながら、日本人がその価値を認めなかった、とういモノは他にもありますが、フロッピーディスクを発明したのはドクター中松こと中松義郎氏だと、なにかで聞いたことがあります。結局日本のメーカーはこのフロッピーディスクの将来性を見抜けず、アメリカの企業が特許を買ってくれた、と。ホントかな〜。
 実は彼が発明したのは紙に磁性体をコーティングした記録媒体で、これ、まだカセットテープも貴重だった頃、英語の教材なんかに応用されていました。ナントカ・ティーチャーいうて、私、親に買ってもらってました。でも全然英語なんて聞かず、上から落語を録音して、えらい叱られたことを覚えています。IBMがフロッピーディスクの特許申請をしたとき、なんやかんやと後で因縁言ってきそうな発明品の特許をまとめて買った。この中の一つが、その磁気用紙だったというのが、真相のようです。
 と、私の講義もそうですが、このブログもどんどん話が逸れていきます。
 そしたらさっき、CSの日本映画専門チャンネルで、北野武と、京大の数学博士・森毅氏の対談を放送していました。森教授が言います。
「いい講義というのは、ネタ四、ノリ六」
 だとおっしゃっていました。その場の空気、聞いている人の反応、状況にある程度話を委ねる、というのが一番聞いてもらえるし、退屈しないんです。「そういう意味で大学の講義は、寄席芸と同じ」だとも。
 これ同感。学生を退屈させる先生は、プロ失格です。教えることで給料もらってるんだから、ちゃんと学生の頭にそれがインプットされるおうにするのが仕事。ただ、最初から聞く気のない学生はどうしようもない。京大ではそういうのは教室から出て行ってもらっていたらしい。だったら成り立つか・・・。

 話がまた逸れていますな。

 講義はこのあと、ジョージ・ガモフやビッグバンについて。これはSFのT野くんが十八番なので、まかせます。
 シャーリー・テンプルは?
 えっ、案外みんな知ってる。日本の子供服ブランドに同じ名前のものがありますが、それはアメリカの伝説の名子役、シャーリー・テンプルから承諾をもらっての展開で、もちろんテンプルちゃんをイメージしたものです。
 シャーリー・テンプルは、30年代、コカコーラ、自由の女神、シャーリー・テンプルと並べられるほど、アメリカを象徴する子役でした。20世紀FOX社は、このテンプルちゃんで食っていた、と言われたほどです。小松左京さんは、戦争が始まっていきなり鬼畜米英と言われても、ピンとこなかったと書いています。だって、チャップリンだの、ミッキーマウスだの、シャーリー・テンプルのアメリカ・・・。テンプルは結婚を期に芸能界を引退しますが、外交官としてその後もアメリカの象徴でもあり続けた貴婦人です。マイケル・ジャクソンは、このテンプル女史に会ったとき、感動のあまり終始むせび泣いたと言います・・・と、いくら口で言ってもわかるめぇ。

 DVD持ってきてます。フレッド・アステアも尊敬し、一目置いたというアメリカの最初の黒人俳優、ビル・ボージャングル・ロビンソンとの、可愛くも素敵な歌とタップダンスの共演シーンを。すごいんだ、このビル・ロビンソンというダンサーも。そういや、そんな名前のプロレスラーが昔いたっけ。
 とまあ、私の講義は、小松左京さんの七ページほどのエッセイにある語句やら人名やらを拾っていっては、これ誰? これ何? といちいちこだわってみました・・・。そういう読書の仕方が私を作家たらしめた、とは小松氏自身が言っていることです。
 講義は30分オーバーで・・・。ああ、しんど。
 はよビール飲みたい。

 

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2010年06月16日

画麗なる激情

 中山市朗です。

 前回のブログで説明不足がありました。
 棒編集長の机の上にうず高く積まれたA4サイズの封筒の中は、マンガの原作原稿です。
 マンガの生原はもっととてつもなく大きいのに入っています。
 
 この編集長は、「マンガ家がストーリーも考えて作画をして、というのは理想だけれども、今の子はマンガばっかり読んでいて、映画も見てない、本も読んでない。だからどこかのマンガやアニメで見たような世界観やストーリーばっかりなんです。そんなのはこっちはいらない。だったらキッチリと画を描くスキルがあればいい。そしたら原作のいいのつけるからって、その原作を募集しているんですけどもねえ・・・」
 と言っておりました。

 だからといって、マンガ家目指すのにストーリーはいらない、てわけではない。
 マンガ家さんは大変だと思います。
 メジャー誌になるほど、マンガの作り方が大掛かりになります。
 ちょっと映画制作に似ています。

 プロデューサー・・・編集長
 製作担当・・・・・・担当編集
 脚本・・・・・・・・原作者
 監督・・・・・・・・作画

 これ、お互いどこまで作品を詰めるか、の勝負です。
 でも、撮影、照明、編集、美術、衣装、メイクは、最終的には作画をするマンガ家の担当というか、責任、つまりちゃんとストーリーの動かし方やポイント、意図が読み取れなければ、メジャー誌では絶対通用しないし、編集さんや原作者も離れていきます。
 映画の世界でも、プロデューサー、脚本、監督、最近は撮影までも兼用する才人もいます。でもこれは、相当の好奇心と力量と体力がいります。面白いだろうけどもね。本当にやりたいことができますから。

 うちの塾生、最近マンガ家志望者が作家志望者に原作を考えてもらって、ということをやっているようですが、それは悪いことではない。
 ただ、侃々諤々、丁々発止をやっているようには見えない。これではやっている意味がありません。原作を振ったほうがラクをしようとしているだけです。
 お互い、やりたいことやイメージをぶつけあって、ひとつの方向性を導くための訓練をやってほしい。そしたら、あっ、この知識が不足している、このスキルがない、ここは長けてるな、コイツのここはすごいな、こういうやり方があるのか、みたいなことがわかって、そこからです。作品ができるのは。
 それと、原作側はちゃんとネームをチェックする気持ちでいなきゃ。
 原作と作画、分担するんじゃなくて、共同作業だという意識でいなきゃ。

 これから出版の形態も変わるような気がします。
 文筆をやっている人も、誰かと、あるいは他分野のプロとの共同作業、企画、マルチメディア展開が求められることでしょう。このとき、ちゃんと打ち合わせをして、意思を伝え、あるいは意図を汲み取るという能力のある人が、必要とされると思います。
 だからもっと、モノ作りについて、侃々諤々やりあおうよ。

 ところで、侃々諤々ってなんて読む?



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2010年06月10日

6/9の小説技法

 中山市朗です。
 9日(水)の小説技法の報告です。

 いつもの合評を行ないました。
 が、今回は調べる、ということについて考えてみましょう。

 専門学校の講師をやっていたときからそうでしたが、作家志望、マンガ家志望者のほとんどは、ファンタジーを書きたいと言います。
 なぜ?
 そう聞くと、ライトノベルズなどでそういうものを読んでいる、ということもあるようですが、実はこういうものを、という明確な回答がないことが多いのです。
 好きな作家や作品が出てくるでもない。

 実は出版社(によるのでしょうが)からすれば、「もうファンタジーはいいよ」という実情もあるようです。どうしてなのかというと、「ファンタジーは正直欲しい。いいのがあれば。でも滅多にいい原稿がない。それほどファンタジーは難しい」というのです。
「それより時代劇を書ける人はいませんか?」
「ミステリー書ける人はいませんか?」
 と言われるわけです。
 いや、時代劇やミステリーが、ファンタジーより簡単という意味ではないのです。そういうものを書く新人がいない、ということなのです。

 あるコミック編集部の編集長のデスクの上に、A4サイズの封筒がうずたかく積まれているのを見た事があります。
「これ、投稿ですか?」
「そうです」
「見ないんですか?」
「どうせろくでもないファンタジーか、学園ものです」って編集長は言っていた。
 このとき、編集長は「スポーツもののマンガが、実は当たり外れが少ないので欲しいんですけど」とも言ってました。 
 スポーツもののマンガ・・・。そういえば教え子でそういうの描いてる人、あまりいません。

 「知らないから」と言うんですね。教え子たちは。
 「だったら勉強してみれば?」と言うと、
 「面倒くさいし、時間もかかる」という答えがよく返ってきました。
 これに対してファンタジーは頭の中にある世界を好きに描けばいいので、と言うんですね。
 「ファンタジーは難しい」とプロの編集が言うのは、実はファンタジーこそ、この勉強する、調べる、そしてそれらを参考にして、世界観を作るという作業を怠ってはいけない、ということなんです。そういう概念が学生にはスッポリ抜け落ちているんですね。
 以前、このブログでも書きましたが、ダウンタウンやさんまさんの構成作家である、かわら長介さんは、散髪屋のコントを書くのに、散髪屋の歴史を徹底的に調べたということを聞いたことがあります。きっと散髪屋の歴史なんて、コントには全然反映されていないと思います。ただ、プロとして間違ったことをやりたくないわけです。調べずに作品を書くということは、怖くて書けないわけです。
 以前、ある広告代理店からの要請で、奈良市の商店街の怪談スタンプラリーという仕事をもらったことがありました。発案したのは私でしたけど。
 で、商店街の人に協力してもらって、怪談を収集して原稿にする。この作業を塾生にやってもらったわけです。で、塾生たちは言われた通り、怪談を聞き出して原稿にするわけですけど、言われたことをやるだけ。怪談ってなんだろう、ということを調べないんです。だから怪談になっていない原稿を私がハネたり、赤を入れて書き直しさせるわけです。中山市朗監修、と看板が上がるわけですから、これは慎重にならざるを得ません。私、奈良県史の民俗上・下、地理、考古、神社、寺院と購入して、一通り目を通したわけです。そして古本屋を回って、奈良に関する怪しげな話や民話が掲載されている書籍を捜したわけです。
 そう、怖いわけです。そこまでしないと。
 お金をもらう、とはそういうことなんです。

 だから何を書くにしても、ちゃんと調べるということはやらなければなりません。
 
 そしたらこういうのがいました。
 全然作品が上がってこない教え子がいて、
「なんで?」
「言われた通り、いろいろ本を読んで映画を見て、調べています。まだまだやることがあって、書く段階に至っていません」
「違うがな。書きながら調べるんや・・・」

 今、塾でやっている合評作品では、やはり2年、3年と書いている塾生はちゃんと調べて書いてきています。また、そこが楽しい作業なのだとも気がついています。
 A嬢はファンタジーを書いていますが、難しい資料と取っ組み合いをしているようです。彼女は一度、夢人塔のパーティでファンタジー&SFの大御所と話をする機会を得て、やはり「ファンタジーほど調べたり勉強したりするジャンルはない、一人前のものが書けるまで、十年はかかるかもしれないよ」と言われていました。もちろん承知の上でファンタジーに挑戦しています。
 Dくんは入塾半年ほどですが、以前専門学校の教え子だった男。彼のファンタジーのあまりに安易な原稿を観た私に、それを3秒で床に叩きつけられた(そんな覚えはないのですが・・・?)というエピソードをもつ彼も、小説は調べるところから始まる、ということが身にしみたようで、あえて江戸時代を舞台にした小説に挑んでいます。それがやっぱり大変なんだけど楽しい、と言います。また塾には時代劇マニアのK島くんがいるので、彼の目は誤魔化しきれないわけです。
 ギャグを追求しているT田くんは、プロの作家さんたちと交流し、自ら落語を演じて吉本の若手芸人たちとも関わっています。落語作家志望のO田くんも、あちこち落語会の楽屋に顔を出して、プロの芸人、作家さんたちのやり方を染み込ませている最中です。

 しかし、何をどうやって調べたらいいかわからない、という塾生もいます。きっとそれまで安易な勉強の仕方を続けていて、それが勉強だと思っていたようです。大学の受験を受けることと、創作に活かす勉強の仕方は、実は全然違うということが私も解ってきたところです。これはどうしたことやろ?
 今回の合評でも、実はDくん、あれだけ調べて書いている小説、一箇所、手を抜いた場面があって、そこを指摘したら「すいません、そこは調べてません」。
 わかるんです。
 入塾数ヶ月のある塾生は、その調べるという重要性に気付かずに書いているものを、やっぱりいろいろ突っ込まれていました。

 今、ネットがここまで身近になって、嘘を書くと読者にすぐ見透かされるという時代になりました。パコパコっとキーボードを叩けば、疑問に思うことや解らない語句、人名なんてすぐ出てきます。大学教授の書かれた論文まで読める。えらい世の中になってるわけです。もちろん小説やマンガなんて虚構の世界ですから、嘘話を作るわけですが、読者が膝を打つ嘘をつかなければならない。それがお金になる。つまりプロになるということなんです。

 今回は「調べる」ということについてちょっと気になったもので。



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2010年06月09日

良いスター・パレード

 中山市朗です。

 待ちに待って、やっとオンエアされました。NHKのフルハイビジョンでのMGMミュージカルの傑作。
 『巴里のアメリカ人』と『雨に唄えば』。
 どちらもジーン・ケリー主演で、タップダンスとモダン・バレエの芸術的融合作品、とでも言いましょうか。
 スターチャンネルとかWOWOWにも加入しているんですが、全然やんないんだもん、こういうの。まあ昔から日本では、あまりミュージカルはヒットしなかったらしい。当たったのは『ウエストサイド物語』『サウンド・オブ・ミュージック』くらい?
 ドラマが展開しているのに、突然踊ったり歌ったり、というのが苦手という人が多いらしいと聞いたんだけど、それじゃあオペレッタも歌舞伎も見れないじゃん。

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とうとうDVDにならなかったMGMミュージカルのVHS。『ジーグフェルドフォーリーズ』は全盛時代のアステアと売り出し中のジーン・ケリーの唯一の共演ナンバーが。







 ミュージカル。
 私は中学の頃、生意気にもミュージカルにハマっていました。
 きっかけはテレビで観た『ザッツ・エンタテイメント』('74)のハイライトシーン。今思えば、公開直前のパブリシティとしてのスペシャル番組だったんでしょうね。この『ザッツ・エンタテイメント』という映画は、ハリウッドのメジャー会社MGM(メトロ・ゴールドウィン・メイヤー)の創立50周年を記念して製作されたもので、MGMが特に得意としたミュージカルのハイライトを巧みな構成で見せたものです。そらまあ、貴重なミュージカルの歴史と資料の宝庫ともいうべきアンソロジーで。
 中でも、フレッド・アステアとエレノア・パウエルが神技のタップダンス「ビギン・ザ・ビギン」を披露するシーンには、もう驚いたというか、イカれた、というか。このダンスナンバーは『踊るニューヨーク』という1939年の映画の中のナンバーだと知って、輸入のサントラレコードを探し(マイナーレーベルで出ていました。フィルムからの直接録音盤)、それを機に1930年代後から60年初頭くらいまでのハリウッド・ミュージカルのレコードやパンフレットのコレクションが始まりました。海賊盤みたいな怪しいのが結構多かったですけど。

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『BABES ON BROADWAY』は日本未発売の傑作。日本公開名は『ブロードウェイ』。おそらく戦争直前に封切られたジュディ・ガーランドとミッキー・ルーニーの共演作。
これは日本ではビデオにすらなっておらず、どこでもオンエアされてません。
これは輸入盤です。




 しかし、ビデオのなかった頃、レコードから流れるコール・ポーターやアーヴィング・ウァーリン、アイラ&ジョージ・ガーシュインたちの楽曲と共に聞こえる、アステアやジーン・ケリーのタップの音に夢中になったものです。で、大学の頃、そろそろアメリカでビデオソフトが発売されるようになり・・・買いましたがな。『巴里のアメリカ人』『雨に唄えば』『バンドワゴン』『踊る大紐育(ニューヨーク)』『恋愛準決勝戦』もちろん『踊るニュウヨーク』も。

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こちら『踊るニューヨーク』はDVD。やっと出たと4800円も出して買ったら、画質ボロボロ。
輸入盤のLDで見ています。





それにアステアとジンジャー・ロジャ−スがコンビを組んで唄い踊った30年代のRKOで製作された『コンチネンタル』や『トップハット』『有頂天時代』『艦隊を追って』・・・字幕なし、1本2万円ほどしたけど、これを抱きしめられるなら安いと思いました。

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『ブロードウェイのバークレイ夫妻』はアステアとロジャースが唯一MGMで共演した。これまた唯一のカラー作品。







 そんなとき、マイケル・ジャクソンが出て「あっ、アステアや! MGMミュージカルへのオマージュや」と解ったんです。スピルバーグの『インディ・ジョーンズ/魔宮の伝説』のオープニングは、振付師であり監督でもあったバズビー・バークレイへの完全なオマージュ。コッポラもジーン・ケリーを振付に迎えて『ワン・フロム・ザ・ハート』というMGMミュージカルの復活を目指そうとした作品を作って、これは失敗をこいた。それほどアメリカのエンターティナーや監督は、アステアやジーン・ケリーをリスペクトしていたんです。
 そして今や、ビデオの時代。
 しかもハイビジョン!
 と思ったら、さっぱりやってくれません。この頃のミュージカル。
 やはり日本の放送局やメーカーは、こういうミュージカルに冷たい。
 そしてやっと、『雨に唄えば』が、今日オンエアに相成ったというわけです。
 もう涙して見ました。

 えっ、MGMミュージカルなんて知らん? 見たことないって?
 アステアも知らない?

「まあ、あなた人生の何分の一か損してますよ(淀川長治調に)」

 これらのミュージカルがいかに素晴らしいかを、いろいろ解説して案内したいところですが、今日はこれから授業なので。

 私が長時間かけて特別編集した、フレッド・アステアが100分間ずっと唄い踊っているというDVDがあるんですが見ます? スッゴイから。続いてジーン・ケリーが80分間踊りまくるという第2部も。
 とにかく、すごい、楽しい、いや文句なしに素晴らしい、んだから。



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2010年06月04日

6/2の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 また長くなっちゃいました、近松講座。なんとか今回で終わらせます。
 治兵衛が、男の一分が立たない、と悔し泣きをしたとき、妻おさんは「小春さんは死ぬ。ああ、どうしよう」とうろめきたちます。
 治兵衛は「小春が死ぬ? なにがあんな薄情の安女郎、死ぬものかい」と言いますが、違うんです。
 孫右衛門が起請文の中で見つけた女からの文、あれは、おさんが小春に差し出した手紙やったんです。つまり、
 何もかもほっぽりだして、曾根崎に通い詰め通い詰めする夫。これを、このまま放っておいたら、2人は死ぬ、と思ったのです。自分は女房で辛抱するにしても、夫が死ぬのはあまりに悲しい。それで小春に手紙を出した。
「小春さんも思い切れんやろうけど、どうぞ夫の命を助けてください」と。
 そうしたのは、私はあんたの女房やからと。だから女と女、互いにこの気持ちは理解し合えるはずやと。そしたら小春から手紙がきた。するとそこには「命にもかえられぬ大事な人やけど、おさん様のために思い切る」
と書いてあったというのです。
 つまり、侍に扮した孫右衛門の前で「本当は死にとうない」と言ったのは、私との約束から出た言葉なのだと。つまり、義理です。義理をたてたのです。それを治兵衛は本気にしたわけです。そして、小春は太兵衛のもとへ請け出されます。おさんは言います。
「女がひとりの男にこうと決めたら、ちょっとやそっとでは後ろへひかん。小春さんは絶対に太兵衛のところへ行きません。このままあの人は死ぬに違いない」と。
「小春さんが死んでしまう。どうしよ、どうしよ。小春さんを助けてやらんと」
 慌てておさんは、治兵衛にしがみつきます。
 治兵衛はここではじめて、おさんの気持ちを汲むのです。そしてその原罪が浮かび上がります・・・
 とりあえず、請け出す金の半分でもあれば、と、おさんは密かに貯めていた銀と、たんすの中の着物全てを風呂敷に包むと、これを質に入れてお金を作って、と言います。
 おさん、そこまでして・・・と治兵衛。
 ここでおさんが、たんすの引き出しを開ける近松の描写がすごいんです。

 “たんすをひらりと開け”

 これ、おさんの状態を見事に表しています。

 小春は、おさんへの義理で夫と思い切った。それで夫の命は助かった。がために、小春一人が死のうとしている。それは私が頼んだからや。私の言い分を聞いてくれたからや。だから今度は、小春を助けることで、女同士の義理を果たすんや、というわけです。そして小春を請け出すことで、同時に夫の面目をもすすげる。このとき、治兵衛との夫婦の絆を確認できる。そのおさんの気持ちが、ひらり、なんです。ちょっと自己陶酔です。
 しかし、ことは裏腹となります。この瞬間、家庭の崩壊が始まるのです。

 治兵衛は、小春の請け出しに行こうと身なりを整え、店を出ようとしたとき、おさんの父、五左衛門が訪ねてきます。身なりを整えて、今まさに出かけようとしている治兵衛を見て、「やっぱり曾根崎通いか」と呆れ、「もうそれなら女房は要らんやろ。娘は返してもらうぞ」と、嫌がるおさんの手を掴んで、無理やり連れ帰り、離縁させます・・・。

 全てを失った治兵衛は、うつろになって小春に会いにいきます。小春は「もう別れたはず」と訝しがりますが、事情を聞いて、もう何にも縛られない世界へ2人で行こうと再び心中することを誓います。
 そして2人は十月十四日の夜明け頃、網島の大長寺の近くで、
 俗世の縁を切るために髪を切り、治兵衛は小春の喉と首を刺し、自らは首を吊って死にます。
 一緒に死ねるけども、別の場所で、それぞれが別の死に方をすることで、せめて、おさんへの義理立てをするわけです。

 さて、近松は何をここで言いたかったのでしょう?

 さっき、おさんがたんすを開けたとき、治兵衛の原罪が姿を現す、と言いました。
 これは、この『心中天網島』を映画にした篠田正浩監督の解釈ですが、
 その原罪とはエロティシズムなのでしょう。
 治兵衛はおさんより、小春に快楽を発見してしまい、これを失うくらいなら死と引き換えてもいい、そう思ったとき。もうそこから逃げられなくなったんですね。
 ところが、このエロティシズムは、社会生活と共存できないんです。近松の頃のように身分制度がない今の世でも、例えば職場恋愛、不倫の関係、同性愛、人種や宗教・・・。しかし公認されない情念ほど、駆り立てるものはないのです。
 渡辺淳一の『失楽園』の世界です。

 しかし近松は言うわけです。

 義理人情という2つが成立する世界。
 これが重要です。近松の時代の百年前は戦国時代でした。元禄になってやっと町人たちがこの義理人情の中で生きられるようになったのです。
 ところがその2つが成立する世界においても、逃れることができない絶望の中に、人は追い込まれてしまうことがある。その原罪こそが、エロティシズムという衝動なのだと。
 そしてエロティシズムの究極こそは、死であると。

 しかし、義理がまったく作用しなかったわけではありません。
 近松が、この義理という心情を描いたからこそ、愛の絆がしっかりと見え、小春の救済を思ったおさんの“女の一分”も成ったわけです。

 参考・引用
 『日本古典文学全集 近松門左衛門 二』(小学館)
 『篠田正浩作品集 心中天網島』(仮面社)


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2010年06月03日

6/2の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 先週、『新耳袋クールミントラムネ』の発売告知をしましたが、そのお菓子メーカーさんから、駄菓子をまたいっぱいいただいたので、塾生たちにおすそ分けしました。
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 塾生たちがハイエナのようにお菓子を空っぽにしていきます。
 背筋にゾッとしたものが走ります。

 さて、6月2日(水)の作劇ゼミの報告です。

 今日からまた新しい仲間がひとり。
 SFのT野くんのお姉さんが入塾。姉弟(きょうだい)というのは塾はじまって以来、はじめてです。怪談好きの彼女はシナリオの勉強をしてみたいそうです。
 また、マンガコースのSさんが約1年ぶりで復帰。彼女の投稿作は、コンスタントに賞は取れるようになりましたが、デビューまではあと一歩というところ。画力は抜群にあるのですが、そういう人はプロの世界にはゴマンといます。キャラクターです。いかにユニークなキャラクターが作れるのか。まあ自覚しているようですので、ほんまに踏ん張りどころです。

 さて、前回に続いて、今回も近松の世界を覗いてみました。

 義理と人情を秤にかけりゃ、義理が重たい男の世界。

 高倉健さんが歌う『昭和残侠伝・唐獅子牡丹』の主題曲です。
 1966年の東映作品。時代劇の東映が、黒澤明の『用心棒』『椿三十郎』に一刀両断され、任侠物に活路を見出していた頃の傑作です。
 えっ、近松とどう関係あるのかって?
 あるんです。それが。

 義理、人情。仁侠映画に関わらず、日本の文芸や芸能、映画にはよく出てきます。
 でも、これに涙するのは、おっさんというイメージがあります。
 義理がわかりにくいこのご時世。
 これは人生を積み重ねて、人とめぐり合って、事を成したときに、はじめて理解できるものなのかもしれません。つまり若いうちには解らない。
 そう、私も若い頃、義理人情ということがわかりませんでした。
 これを、青い、というのでしょうね。
 義理人情を欠く若者、たくさん見てきました。えらい目にあいました。
 しかし彼らもいつか気付く、そう信じて塾を続けています。

 で、健さんは歌います。

 義理が重たい男の世界。
 
 どういうことでしょう。
 人情、というのは相手に対する同情というか、思いやりを与えたいという人間の心理のことでしょう。明治以前には愛情、という言葉はありませんでしたから、ちょっとそのニュアンスに近いものかもしれません。
 対して義理は、なんらかの恩義を受けている人に返す道義的なもの、あるいは社会を立てる行為、と言えるのかもしれません。これはもう、強制されるものではありませんし、個人の利益や事情をときに失うこともありえるものです。しかしながら、この制約がなくなれば、人間は己勝手な利己行為に走り、究極的には人間社会を破壊しかねない・・・。

 実は近松の書いた戯作というのは、この義理人情、特に義理が大きなテーマであることが多いのです。
 近松の作品で『心中天網島』という作品があります。篠田正浩監督で映画にもなりました。この作品に横たわるテーマが「義理」なのです。
 男と女の愛に、義理が絡む事で、人間心理の重層化が成され、男と女の個の幸福の世界に、社会とか世間との関係性や道義性が持ち込まれることになるのです。
 このあたりのドラマツルギーを考察してみよう、というのが今回の課題です。

 『心中天網島』は、享保五年十二月六日(1721年)に大坂道頓堀の竹本座で初演された全三段による世話浄瑠璃です。やはり本当に起こった、紙屋の治兵衛と曽根崎新地の遊女小春の心中事件を脚色したものです。
 なお、この三段(三幕)の構成法は、今も映画やドラマの脚本の作劇法として踏襲されています。起承転結ではなく、序=導入、破=展開、急=結末、です。
 この問題の考察は、今回は置いておいて。

 『心中天網島』。
 紙屋の治兵衛と遊女小春は、恋仲になって三年。この恋を成就させるには、小春を請け出す必要がありますが、治兵衛にはそんな大金はありません。
 一方、太兵衛という恋敵がいます。コイツは金をもっています。請け出せる金はあります。でも小春は治兵衛に恋焦がれていて、うんとは言いません。治兵衛と小春は離ればなれになるくらいなら、共に死のうという誓いを交わしています。
 ところが問題はまだあって、治兵衛には女房と二人の子供がいるんです。
 浮気、いや本気です。
 ある日、小春の元に侍が客として来るのですが、小春は挨拶もせずに黙り込んでいます。店の者に促されて、やっと出てきた言葉が、
「刃物で自害するのと首吊るのとでは、どちらが痛いのでしょう」
 侍は驚いて、訳を聞きます。
 すると小春は、治兵衛とのことを告白します。しかし同時に、「死ぬのはほんとはいやや、あの人が来ても死ぬのをひきのばしたい。だから私を揚げづめにしてください」というようなことを言います。
 これを格子の向こうで聞いていた治兵衛。「一緒に死のうと言うたのは嘘だったか!」と逆上します。
 ところが侍が頭巾をとると、それは治兵衛の兄、孫右衛門、
 孫右衛門は「これが女郎の正体や。だまされやがって、このあほめ」と治兵衛に言い聞かせます。実は孫右衛門は、店や家族を顧みず、小春に入れ揚げている治兵衛に堪忍袋の緒を切らせ、なんとかやめさせようと小春に会いに来ていたわけです。で、治兵衛は先の小春の言葉を聞いて怒り、きっぱり別れることを決意して、取り交わしていた起請文を取り戻します。その中に一通、女からの文があるのを孫右衛門は見つけ、事情を察して、その文のことは治兵衛には言わずに密かに処分することを約束します。

 さて、二段目、治兵衛の店が舞台です。
 あれから十日ほどして、仕事に身が入らず、治兵衛はコタツで寝てばかりいます。そこに治兵衛の叔母と孫右衛門が訪ねてきます。「小春の身請けの話を聞いたが本当か?」というわけです。妻のおさんは「身請けしたのは太兵衛さんで、うちの人やない。それにうちの人はあれ以来、曽根崎には通っていません」ときっぱり言います。叔母は、それが間違いないということを、治兵衛に請文として書かせると、安心して帰っていきます。
 と、その直後、治兵衛は泣き出すのです。
 この姿を見て「まだ小春に未練があるのか」と、さすがにおさんは情けなく思い、思わず叫びます。
「もう知らん、知らん。なにもかも知らん」
 すると治兵衛は言うのです。
「違う。もうあんな畜生女に未練はない。しかし、あの太兵衛めにあの女は、請け出されよる。そんなことで泣くのやない。あの太兵衛めが、治兵衛は金に詰まって女郎一人請け出せん、とうとう身代つかまったと、大坂中触れ回って・・・」
 つまり商売人としての甲斐性のなさを笑われたことが悔しい。生き恥を掻くとはこのことだと。「男の一分」が立たないことを悔しがっているわけです。
 一分・・・山田洋次監督の『武士の一分』という映画がありました。あの一分のことです。一人前の人間の尊厳、面目、体面、プライドのことです。
 商売人のくせに金がない。これは商売人として生きていけないことを指します。時は元禄時代、金によって町人が面目、体面、そして力を得る事がはじめて可能となった時代。あいつはその甲斐性がない、と得意先や同業者に言い触られるのは、そういう面子を潰され、信用をなくすことになります。そのことを、治兵衛は悔しがり、泣いたのです。
 そして小春は、どうやらほんとうに、太兵衛の元に請け出されるようだと、おさんは察します。

 さて、塾生たちに質問をしました。
 特に女性の方々。
 この治兵衛が自分の真に愛する旦那、あるいは恋人だとして、そんな治兵衛にどう対処しますか?

「これから信用されるよう、共にやっていこうやと、なだめます」
「バンバンバンッて殴ります」
「それやったら好きにし、言うて別れます」

 実際はそうなのかもしれませんが、我々は作劇法を学んでいるわけです。あっ、と観客や読者を裏切りながら、しかし人間の深い心理、あるいは洞察力をもってする、ドラマの展開を考えるわけです。相手は近松です。

 なな、なんと、おさんはこう言うんです。
「あんた、えらいことになった。小春さん、死ぬかもしれん。助けな、助けな!」
 そして「太兵衛に請け出される前に、あんたが小春さんを請け出しなはれ」と、おさんは自分の着物を質に入れてまでして、治兵衛に全財産を渡そうとします。

 これ、どういうことでしょう。
 本来なら、殺したいほど憎らしい、自分の夫の愛人です。そして夫はその愛人に未練はない、という。そしてその気持ちはどうやら本当らしい。それがわかった瞬間に、助けるとは? 請け出すとは?

 ヒントは、孫右衛門が密かに処分した女の文。
 おして三年も通っている浮気相手を誰かと知りながら、女として何も手を打たんのかい、ということ。

 つづく



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2010年06月02日

鳩山氏のいちばん長い日

 中山市朗です。

 鳩山首相と小沢幹事長が、やっとお辞めになりましたな。

 鳩山政権が組閣したとき、自民党と民主党、同じでっせ、国家戦略おまへんで、社民党の福島さんの行動がちょっと楽しみ、みたいなことをこのブログで書いたんですけど、結局その通りになりましたな。
 鳩山由紀夫、麻生太郎、福田康夫、安倍晋三、連続して短期政権となったわけですが、まあ小泉さんも含め、長期政権を担った田中角栄、佐藤栄作、池田勇人、岸信介、吉田茂なんて人たちと比べてどうでしょう?
 長期政権を担った歴代首相は、「真理であれば強制は必要」という態度で臨み、その真理とは日本の国益、愛国心であったと思うのです。小泉さんはわからんけど。
 対して、短期政権で終わった最近の首相たち、共通点として愛国心がどうも欠如していると思いませんか? 総理大臣というものを何か名誉職としては理解していても、日本国の舵取りをする立場にあることが認識されていない。日本は中国、朝鮮半島、対岸の米国という荒海に浮かぶ島国なんですから、舵取りをしないと転覆してしまいます。
 なんとか沈まないでいるのは、米国が支えてくれたのと、日本国民(私たちの親の世代)が懸命に働いたからです。そこにのっそりと戦後生まれ(福田さんは36年生まれですけど)、戦後教育を受けた育ちのいいボンボンが総理になって、政治を変える、と理想を掲げたものの、現実はやっぱり米国がなかったら沈没するやん。日本国民もみんな働けなくなって、低所得になって、税収もあれへんやん。あれれ、てなこと思ったときには周りから叩かれて、退陣、みたいな。
 そんなんわかってることやん。
 でも変える必要があるんやったら、どういう国家戦略があるんや、というのを国民は民主党に期待したはずなんやけど(私は無理やと思ってたけど)。それがない。

 戦後教育。私もコレを受けたわけですけど、愛国心なんて嫌悪するものだと中学や高校の先生は、そういう態度でした。
 今がそうなんですが、戦争の話をすると右翼などと思われるこの風潮は、誰が作ったのでしょうか? 戦後教育のような気がします。

「私の学校では国歌斉唱、国旗掲揚なんてありませんでした」という教え子、たくさんいます。信じられないことですが、日本がかつて米国と戦争をした、という事実さえ知らない若者も多いんです。これ、ええんですかね。その教育がなくて、どう他国の立場を尊重したり、理解しろというのでしょう?
 そんな中で生まれ、育った戦後派の総理大臣。もちろんそれぞれ名門の出なんで、それなりの帝王学を学んでいるはずなんですが、それでもコレ・・・

 一方、小沢一郎という人も、戦中(1942年)の生まれ。教育は戦後教育を受けているわけです。この人は叩き上げという感がします。田中、竹下政権を裏から見て、政治の権力のあり方、組織の作り方、実権の掌握というものを身につけ、それが政治家だとお思いになったのでしょう。それはある意味正解なんでしょうが、やっぱり政治家のための政治をやってしまって、愛国の心が欠如していたとしか思えないんです。

 とはいえ、愛国心も偏りすぎると、戦後の軍国日本や、今の北朝鮮や中国みたいな反日になったり、アメリカみたいに排他的な超一国主義になってしまうのも怖い。
 そのバランスを養う真の国際感覚があっての愛国心を、そろそろ日本の教育はちゃんと扱わないと、いつまで経っても日本を良くする人材が出ないように思います。世界をリードするリーダーは、アメリカ人でも中国人でも、EUの人でもない。第二次大戦以来戦争を憲法で戦争を完全放棄し、唯一の被爆国である日本人なのだ、という大義をもって。
 明治、それまでちょん髷を結っていた日本の国を、あっという間に一等国にしたのは、この大義ある、愛国心に満ち溢れた政治家、文化人だったんですがねえ。

 えっ、日●組が癌やて?
 誰、キミ?
 今晩、飲まへんか。
 



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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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