2010年08月

2010年08月27日

私は告知する

 中山市朗です。

 去年に引き続き、出演しました『アイドリング!!!』
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 その限定版DVDがフジテレビより届きました。
 『アイドリング!!! 2010』
 今回は、女の子たちからの質問コーナーありの和気あいあいな怪談です。
 アイドルの女の子たちを怖がらせるのは本当に楽しい、と、ドSな自分を改めて実感した作品です。怪談語りって、考えたらSな行動なんですかねえ。

 そして、お知らせが一つ。

 『カナザワ映画祭2010』に出演します。
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 今回は世界怪談大会ということで、邦画、洋画の新旧怪談、ホラー作品がドドッと上映されるようですが、ゲストトークも色々組まれておりました。

 9月18日(土)20:10
 『オカルト対談』
 稲生平太郎氏 × 高橋洋

 9月19日(日)18:10
 『小池壮彦怪奇映像講義』
 聞き手、東雅夫

 9月20日(月)13:50
 『バトルトーク2010』
 平山夢明 × 宇多丸 × 高橋ヨシキ

 9月20日(月)18:10
 『怪談新耳袋殴り込み! LOST TAPES』
 ギンティ小林 × 豊島圭介 × 田野辺尚人

 で、私が出演するのは、
 9月19日(日)20:20
 『怪談鼎談』
 中山市朗 × 福澤徹三 × 東雅夫

 ※かいだんていだん、と読みます。ひたすら怖い話を語り合うという趣向です。

 そしてその深夜、『幽』編集部主催による、「怪談ノ宴」が開催されます。
 出演は波津彬子、京極夏彦、中山市朗、福澤徹三、平山夢明、東雅夫の、超豪華メンバー。
 何をするのかの詳細はこちら
 


中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



中山市朗と共に怪談イベントに出演しませんか?
現在、女性のタレントを募集しております。
経験は問いません。
詳しくは中山市朗ホームページをご参照ください。


kaidanyawa at 12:08|PermalinkComments(2)

2010年08月26日

8/26の小説技法

 中山市朗です。

 25日(水)の小説技法の報告です。
 いつもの合評です。
 なのですが、今回はこの問題について。

 デビュー。

 作家志望者の憧れです。夢です。目標です。
 みな、デビューしたいと言います。
 で、問題が起こります。
 キミはデビューするための小説を書くのか、
 書きたいものがあるから、作家になりたいのか。

 実は今回の合評で思うことがありました。
 Aさんの作品。
 彼女の持ち込み用の小説が、合評の卓上に上がりました。
 当然、みんなからは読んだ感想が飛び交います。
 すると、彼女の書きたいもの、書こうとしているものと、みんなが求めるもの、あるいは意見との間にギャップが生まれたのです。
 彼女は、かたくなに何かを守ろうとしている。
 しかし作品は、どこかで見た世界観、なんだか知っているキャラクター、よくある設定・・・。
 つまりはAさんらしくない。オリジナリティがない。
 意見が飛び交う中、氷解したことがありました。
 Aさんは、すでに某出版社の編集さんに作品を見てもらい、相談し、プロットを提出して「じゃあ、それ書いてきてよ」と言われたそうなんですね。そこで決まっていたことをみんなに否定されちゃったわけです。Aさんとしたら「あれれれ?」ですよね。
 どうも求められているのは、ライトノベルズによくあるパターン。世界観。
 ファンタジーものなんですが。

 Aさんは、そうとう書いているので、ある意味書き慣れています。テンポもよくてサクサク読ませます。おもしろいんです。でも本屋で買うかとなると・・・。
 塾生からは「これって○○ですよね」「△△に似てるなあと思うんですけど」という意見が出ます。確かに新鮮さが何かない。
「テーマは?」
 そういう質問が出ました。
 すると、おもしろそうなテーマが出たんです。ちょっと地味そうなんだけど、独特の世界観があって、小説だからこそ表現できる世界。でも、おそらくそれ、ラノベ向きじゃないかもしれない。だからそこを編集さんから「それだけでは地味だからダメだ。アクションをもっと入れて、それじゃあ読者にウケない、キャラクターはこう・・・」
 おそらく色々指導を受けたのでしょう。で、そうなるとよくあるパターンになってしまった。真相はわかりませんが、おそらくそうなのでしょう。
 編集さんはそのノベルズの特色、編集方針、読者層、そして今まで売れた作品の傾向に従って注文をつけてきます。そしたらよくあるパターン、いかにもなキャラクター、新鮮味のない世界観になってしまった、のだと思うのです。でも出版社側からすれば、それが一番失敗しない方法なのでしょう。無難というか。でもその分、作家の個性が犠牲になります。

 デビュー前の作家の個性?
 そんなものいらない。要は売れればいい。
 
 編集さんの言い分はそうかもしれません。
 これ、思案のしどころです。
 つまりデビューするために編集さんの言うとおりにするのか、それとも書きたいものを主張して戦うのか。
 Aさんは早くデビューしたいのです。そういう熱い思いは伝わってきます。
 でも焦りは禁物、という気がします。

 しかし編集さんの言うことは、どこまで信用すればいいのか。
 鵜呑みにして大変なことになっちゃった、という教え子もいました。マンガ家の子でしたけど。編集さんのイエスマンになって、目標にしていたメジャー誌でデビューしたけど、これは俺の作品じゃないと悩んで悩んで、コミックは何冊か出たものの、消えてしまった・・・。

 私の場合、デビュー作は『新耳袋』。
 もちろん編集さんから言われたことがありました。それは、
 一冊に百話の怪談、関西弁の多様、匿名表記、あったことのみを書く。
 今となってはそれが『新耳袋』の特色なんですが、「それをすべてやめてくれ」と言われたんです。つまり「星新一さんのショートショートでも百話にしたら、2冊分になる。上下巻に分ける気か?」「全国で販売する本だから関西弁は困る」「Aさん、Bさんでは実話としての説得力がない」「怪談も物語なんだから、もっと脚色、作りこみをしてくれ」
 もしその指示に従っていたら、もちろん書籍にはなっていたでしょうが、夏にコンビニに置いてある怪談本のひとつ、として出て、今は完全に忘れ去られていたことでしょう。今の私もない。
 でも私も木原も、作家になりたいんじゃなくて、本物の怪談、自分たちの読みたい怪談をただ書きたかっただけで、だから意思を貫いたんです。納得させる原稿を書いたんです。まあ今と違う出版界の事情もあって、そういうことができた時代だったのかもしれません。

 だから編集さんに逆らえ、というのではなく戦ってほしい、とは思うんです。
 合評で交わされた意見の中には、ホントに辛らつなものもあったと思いますが、それは読者としての意見でもある。買ってくれるのは読者です。今はネットでの読者の意見で、その売れ行きや評価が決まったりもします。
 あるいは塾生のなかには、Aさんのほかの作品を読み続けている上での、Aさんの作家性としての可能性をわかっている上での、意見具申もあったと思います。私も随分彼女の作品は読んでいますから。

 いち新人の投稿者からすれば、編集さんは一人ですが、編集さんからすれば、大勢の投稿者のうちの一人です。ひょっとしたら前に言ったアドバイスを完全に忘れていることだってあるでしょう。おそらくほとんどの投稿者はそこで言われたとおりに修正してきて、そこにまたアカ入れられてを繰り返す結果になるように思うのです。でも「私の書きたいのはこういうものです」と戦うと、印象に残ったりするものです。そうなるともしその編集方針に合わないものなら、合う編集さん、出版社を紹介してもらうことだってあるようです。
 また戦うとしたら、ロジックで戦うこと。ただ書きたいと突っぱねるのは編集さんに「もういいよ」と拒否されかねません。そのロジックを鍛える場でもあるのです。合評は。

 そしてこれはAさんの作品を読んでの私の率直な意見。
 一般論ですよ。そして紅顔な(?)少年時代をかつて過ごした男子の意見。
 
 ライトノベルズで中高生の少年が読者層ということですが。

 少年は、少女の主人公ものは読まない。
 男の子は、オトコの生き方、カッコよさ、ダンディズム、みたいなものに憧れ、そのヒーローが恋する美少女に擬似恋愛する。もちろん同性愛も読まない。ボクキャラな少女なんて論外。

 だから、そこは研究すべきです。男の子の研究。
 あれだけ書いて、努力しているAさんには大いに期待しています。
 だからこそ、いっそう上のレベルで戦ってほしいのです。

 キミは、
 デビューするために書いているのか。
 書きたいものがあるから作家になりたいのか。


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2010年08月23日

四代目・桂米紫さん襲名おめでとうございます

 中山市朗です。

 塾のホームページには謳っていませんが、毎月第1と3の金曜日は、私の書斎で塾生たちに向けてシナリオ講座をやっています。マンガ原作も含みます。完全に私のボランティアです。
 例のごとく、授業が終わると飲み会になります。
 最近は、受講者より飲み会参加の人数が多いこともあります。次の日は、会社勤めの人は休みだから、というのが原因なのかもしれません。

 20日の飲み会に、今月襲名された落語家の四代目・桂米紫さんがご挨拶に来られ、そのまま朝まで付き合っていただきました。

nakayama_8_23_03 お酒を共にしながら、落語界の裏エピソードから貴重な芸談の話を聞かせていただき、塾生諸君、これは飲み会ならではの特権やで。
 米紫さんは、人間国宝の桂米朝師匠のお弟子さんの、桂ざこばさんの、弟子の桂都丸さん、の一番弟子です。米朝師匠のひ孫弟子になられるわけです。
 それでこのたび都丸さんが、桂塩鯛という大きな名前を襲名されたのを機に、三人のお弟子さんも全員、襲名ないしは改名されたというわけです。

 一番弟子、都んぼ、が、四代目桂米紫、
 二番弟子、さん都、が、二代目桂鯛蔵、
 三番弟子、都まと、が、桂小鯛。

 実は私、先代の桂米紫さんは存じておりまして、上方落語協会の事務職をやっておられました。ビデオソフトというものがまだビジネスになるとは誰も思ってなかった頃(六代目笑福亭松鶴師匠がまだろれつが回らなくなりながらも現役の頃でした)、テレビでも滅多に落語を放送していない頃、落語オタクの私は、ビデオ版『上方落語大全集』の企画書を持って、ミナミの雑居ビルの中にある事務局の木製の薄いドアを叩いたんです。そしたら対応されたのが、先代の米紫師匠。この人は米朝師匠の一番弟子(一説には月亭可朝という意見も)の落語家でして、「ビデオで上方落語全集やなんて、そんなこと考えてくださる若い人、いはるだけでありがたいですわ」と感激されながらも、「そやけど協会は力おまへんのや。吉本興業、松竹芸能、米朝事務所、調停ようしまへん」と言われて。
 結局ビデオ版『上方落語大全集』は、私の力が及ばず、世に出ることはなかったんですが、実現してたらかなり貴重なものが残ったはずなんですけど・・・。
 テレビ局の人も言うてた。
「ビデオ? そんなん商売なりまっか?」

 その先代の米紫さんは15年前に67歳で亡くなられました。
 「豆屋」「魚の狂句」をレコードで、CD-ROMで「十七歳」という音源を持っています。

nakayama_8_23_05 ところで、
 本来、米紫という名は、塩鯛になる名前だったようです。
 桂塩鯛というのが、どれだけ大きな名前なのかというと・・・。
 私はよく知りません。戦後にはもう存在しない名前です。調べてみたら先代は、太平洋鯱丸(しゃちまる)という名前を名乗っていたことがあるようです。鯱丸、米紫を経て、三代目塩鯛。SPレコードにその高座の音源が残っています。
 今回襲名された米紫さん。その太平洋鯱丸も襲名候補のひとつとして挙がっていたとか。でもそれでは誰の一門かわからなくなります。ので、「ちょっとそれは」と辞退されたそうです。
 太平洋鯱丸。
 ええ名前やと思いますけどねえ。
 弟子にも色んな名前つけて。

 太平洋横断、
 太平洋艦隊、
 太平洋作戦、
 太平洋激戦、
 太平洋之嵐、
 太平洋孤島、
 太平洋波高士、
 ・・・
 うーん、右翼一門と呼ばれそうでんな。やっぱりあきませんか。
 
 さて、米紫さん。今月14日に京都の文化芸術会館にて襲名披露公演会を開かれたのですが、どうしても都合がつかず私は行けなかったのですが、
 それでわざわざ挨拶に来られたのです。
 これは恐縮です。
 今月末の繁昌亭には、桐の一門を従えて、こちらからご挨拶に伺います。

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そうそう。
米紫さんの襲名挨拶文には、



nakayama_8_23_02上方落語協会会長・桂三枝師匠、新生松竹新喜劇座長・三代目渋谷天外さん、重要無形文化財保持者・三代目桂米朝師匠、
 ※クリックで拡大できます

 と共に、私も怪異収集家・中山市朗として寄稿しております。
 なんか場違い?





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2010年08月21日

8/18の作劇ゼミ その3

 中山市朗です。

 18日のゼミの報告。第3回目になっちゃいました。
 怖い怪談を書くには、ということを考察しています。

 怪談を怖くするための重要な要素は、肝です。
 怪談の肝。それってなに?

 塾生たちにそこを聞くと「考えてなかった」とか「それがわからないんです」という答えが返ってきます。怪談の肝を考えず、わからずにして、怖くなるはずありません。
 しかしキミたち。小説家やマンガ家目指してて、肝がわからんて。
 物語には肝、あるやろ。

 怪談の肝、それはゾッとさせる瞬間。
 それはなんでしょう。
 幽霊が登場するシーン? でもこの話には明確には幽霊は出てきません。また、前回書いたように幽霊が出たから怖くなる、というものでもありません。
 考えてみましょう。
 たいていの怪談やホラーには必ず幽霊か化け物が出てきますが、怖くないホラーマンガや映画、小説はいっぱいありますよね。逆に、幽霊が出なくても、怖い作品はあります。あれはどういうことでしょう。

 それは、何度もこのブログで書きました。
 日常が崩れる瞬間、これが肝なんです。

 前回、霊能者や「霊感のある人」の話は怖くない、と書きました。これはつまり、霊能者や霊感のある人にとって、幽霊を見るのは日常だから、ということにつきるんです。つまり幽霊を見ても、「またか」と思っているだけで怖がっていないんです。『新耳袋』にはあまりそういう人は、出てきません。たいていハネていました。だって怖くない。
 『なまなりさん』は、その霊能者の長年培った価値観が、突然変わる瞬間が、ひとつの肝となる、つまり怪談になると思ったから原稿にしてみたんです。

 では、スガノくんの話の場合、どこを肝とすべきなのでしょう。そこんところが作家や語り手に委ねられるわけですが・・・。
 押し入れの中の手?
 うーん、やり方によるのでしょうが、私の中の肝は、
 ビデオの中の男の話と、それを見ている2人の日常世界が同調した瞬間、です。
 男は「この部屋は呪われている」と、必死で訴えかけている。それを見ている2人は「なんだこりゃ?」と、まあバカにしていると思うんです。でも男は訴え続けている。
「あの押し入れが恐ろしい」と。
 すると2人の背後にあるその押し入れが、いつの間にか、わずかに開いている・・・。
 この瞬間が肝なんです。
 日常がわずかに綻びかけてきた瞬間です。
 そして再び同じ現象があったときに、明らかに日常ではないものが2人の前に明確に姿を現すんですね。そのとき2人の心情は、疑いながらも、ちょっとした恐怖を感じているはずなんです。で、これを効かすから、押し入れの無数の手というのが活きてくるわけです。
 その計算が、作者の頭の中にあったかどうか。
 この肝を要として、はじめて怪談の構成が成されるわけです。その構成が成されないから、ただ怪異を並べただけの怪奇レポートになってしまうわけです。

 日常が非日常になる瞬間が、怪談の肝。
 これ、別に怪談に限ったことではないように思います。物語そのものの肝、でもあると思います。ミステリーであれ、恋愛ものであれ、ファンタジーであれ・・・。
 また、非日常云々ということになると、日常をきっちり書く必要が出てきます。
 どういうことって?

 例えばこの話。
 部屋の間取り、引っ越しの状況、AくんとBくんの間柄は明確にしなくっちゃ。
 でももっと重要なことは、どうしてBくんは台所の流し台の下の開き戸を開けたのか。
 なぜそこに置いてあった古いビデオテープを見ようという気になったのか。
 これ、どうでもいいように思うかもしれませんが、その行為が発端となって2人は、非日常の世界へ誘われるわけですよね。ということは、そうなった動機を、きっちり説明なさねばならないわけです。
 もちろんこの場合、体験者に、なぜ流し台の扉を開けたの? なんでそんな古そうなビデオテープを見ようとしたの? と聞いておくべきなのでしょうが、聞けないとなれば作家自身のイマジネーションで埋めるわけです。すべての読者が納得するように。
 ここに作家性が問われるわけです。

 実は若い男2人、こんなところにビデオがあるというのは、前の住人が忘れていったモノだろう、それってヤバいビデオ・・・えっ、ひょっとして、裏ビデオ?
 そういう心理が働いたらしい。で、わざわざまだ紐解いていない箱を開けて、ビデオとテレビを取り出して、繋いで見たんです。それはスガノくんの口から語られたこと。なんかありそうな風景です。
 ところがBくんが流し台の下の引き戸を開けた理由を、スガノくんは授業では語らなかったし、誰もそこを質問しませんでした。
 だから各々によって、さまざまな状況が書かれることになりました。

※Bくんが指差す先を見ると、台所の水場下が観音開きになっていた。
「どうしてあんあところにビデオテープが?」
「本当だ。なんだろう? あれ」

※Bくんが「最悪や」と台所の下の収納スペースの前で、頭を抱えていた。そして「あっ」というなり、収納スペースに頭を突っ込んだ。

※詮索好きのBくんが台所で「ビデオテープがあるよ」というので見てみると・・・。

※「おいちょっと待て」
Bくんが呼ぶのでその場所に行ったら、台所の下部にある観音開きの扉の前だった。
「なんだ」
 と言うとBくんはしゃがみ込んだまま言った。
「ほら、ここ」
 と、そこには・・・。

 まあ、他にも色々ありましたが、みんなちょっと思わせぶりですよね。怪談にしなきゃ、という気持ちがそうさせているんでしょうけど。でもここはまだ日常であるべきです。だいたい、いかにもなビデオをわざわざ見ようなんて気持ちになるか、という問題も起きますよね。しかも引っ越ししたてで、テレビもビデオも箱の中。
 でも怪異を起こすためには2人は、ビデオを見る行動を起こさなきゃならない。で、2人のそうした動機を語られずにわざわざビデオを見る状況を無理やり書いてしまうことになります。
 これを物語の進行させるがための、無理な設定、と言います。
 長編小説でこんなことを積み重ねちゃうと、物語自体が破綻しかねません。

 私が思ったのは、おそらくBくんはたまたま梱包を解いて箱の中を見たら、台所用品だった。だからそれらを収納しようと、流し台の下の扉を開けたのでしょう。そしたらビデオテープがぽつんと置いてあったので、「ひょっとして、ウラ?」と妙な期待をした。
 で、2人で見てみようとなる。日常が崩れるという肝が、まだ先にあるという計算の上、ここはまだ日常の描写、自然な若者の心理、挙動を描くことに終始するわけです。
 意外とこういう積み重ねが、怪談には重要なわけなんです。
 幽霊出るよ、と思わせぶりで前もって言ってしまうと、日常が崩れる場面の認識が薄くなるんです。そうすると、聞き手、読み手の意識がそこをスルーしちゃうことになるんです。だから怖い、と思う箇所がないと思われてしまう。
 つまり、怖くない怪談、になっちゃうんです。

 だからこそ、取材のときにこういう何気ない行動について、ちゃんと聞いておくべきなんです。お互いこういうことは、重要視しないでスルーしちゃいがちですから。
 普段から取材しろと言うてるのは、そういうことを身につけてほしいからなんですけどねえ・・・。
 とは言っても、怪異の伏線となる日常と、ホントに何も関係ない日常があるので、そこは嗅ぎ分ける訓練は必要です。これは怪談に限らず、作品を書くための取材の基本です。
 『新耳袋』の場合は、そういうところをバサバサと切り捨てていってましたから。

 次は語り口。
 怪談、ですから。 
 落語、漫才、講談を普段から聞いているという人は、ここは有利でしょう。素晴らしい話芸のリズム、テンポというものは、聞き込んで自然に身につくものです。私の知っている一流クリエイターさんは、ほとんど落語好き、というのは本当です。落研にいたという人も意外と多い。これが文筆活動に活きるようです。
 怪談の特色は、擬音、擬態効果にあります。

 背後から、ひた、ひた、ひた・・・何者かの足音が・・・。
 ドアがギギギッと開いたかと思うと、ヌッと中から白い手が・・・。

 この、ひたひた、とか、ギギギッ、とか、ヌッ、が想像力をかきたてるんです。
 みんなあまりこれを使っていない。まあ文学ではあまり使わないように、と言われるんですけど、よくよく読むとウマく使用されています。
 今のコミックなんて、擬音、擬態だらけですやん。
 スガノくんは、この話をするとき、襖の閉じる、ピシャン、という擬音を楽しそうに使っていました。またそこが怖いと私は思ったのですが。
 で、この擬音を使うには、その距離感や状況を把握しないと使えないんですね。どこからどう聞こえるの、とか、誰がそれを聞いたのか、とか、ね。

 さて、怪談のもうひとつの重要事項は、どういう終わりにするのか。
 解決もなしに、ほったらかしにしたのが『新耳袋』。
 でも実際そうですもんね。
 ホラー映画みたいに、最終的に霊能者に解決してもらったとか、因縁を断ち切ったとか、そんなことない。一般の人は霊能者なんてどこにいるのか知らないし、怖いし、暇もお金もかかりそうだから、と、現象の検証をわざわざしたりしません。まあ、引っ越すか、その場から逃げるくらいで、ほとんどはそのまま。だから気持ち悪いし、そこがリアルな怪談となるわけなんですが。

 でも理想はこの怪異、まだ進行中ですよ、というのが怖がられて、またウケるんです。
 幽霊マンションや山の牧場、なんてそうですよね。『リング』なんて小説でしたけど増殖する感覚が怖いからヒットしたんです。貞子のあのビジュアルは映画からきたんです。原作は、貞子はテレビから出てこない・・・。
 このスガノくんの話の場合、ラストの肝は、彼の口からも語られています。そこを書き逃した塾生がいっぱいいました。いや、あるいは書かないほうが得策と思った人もいたのかもしれない。
 Aくんは引っ越したが、ビデオテープは元の場所に置いたまま・・・。
 これがもうひとつの肝ですよね。つまりこのビデオを見る奴がまた現れる。でもそれ、あなたかもしれない・・・。

 実は時間の都合でまだ、5編ほど合評ができなかったので、来月の第1水曜日に回します。今日、ある程度のこと書いちゃったけど、残りの怪談作品に、また新たな発見があるかも。

 怪談講座、来月も続きます。



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2010年08月20日

8/18の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 前回に引き続き、18日の作劇ゼミの報告です。
 総務のスガノくんが語った怪談を、怪談文芸として仕上げ、合評するという内容です。

 まずスガノくんが語った怪談とは、どんなものなのか。
 簡単に要約しますと、

 Aくんという大学生が、安アパートへ引っ越しをすることになった。
 友人のBくんに手伝いに来てもらって、2人で引っ越しの荷物を運び入れ、梱包を解いたりしていた。と、Bくんが台所の流し台の下の開き戸を開けると、中に1本のビデオテープがある。
「なんだろ?」と2人はちょっと興味をもって、テープをビデオデッキに押し込んで見てみると、どこかの部屋の中を固定したホームビデオで撮ったような画面がテレビに映った。中年の男性がフレームに入ってくると、カメラに向かって何かを語りかける。
 それが、
「この部屋は呪われている。このことをここに引っ越してきたキミに訴える。そうでないと私のようになる・・・」
 なんだこれは?
 よく見ると、画面に映っている部屋は、今2人がいる、この部屋。
 呪われているとは、この部屋のこと?
 なんだこれ、と思いつつもそのまま見ていると、語りかけている男の背後にある押し入れの襖が、じょじょに開いてくる。で、ふと気になって2人が背後を振り返ると、同じように押し入れがそこにあって、その襖がピシャッ!
 うん?
 顔を見合わせる2人。
 ビデオの男は叫んでいる。「特に押し入れはダメだ。恐ろしいことが起こる!」
 押し入れ? と再び2人が押し入れを見ると、さっきまで閉まっていたはずの襖がちょっと開いている。また? と思ったら、ひとりでにピシャッ!
 押し入れはまだ開けていない。確か、ここに来たときは閉じていた。
 じゃ、さっきのは?
 気になったBくんは押し入れの襖を一気に開けて、中を覗いてみた。
 もちろん誰もいない。
 ところが見上げて驚いた。血天井!
 すると「危ない!」とAくんが叫ぶと同時に、Bくんの手を持つと、押し入れから引っ張り出した。途端に、襖が、ピシャリ!
 そしてAくんは言った。「俺、ここ引っ越すわ」
 後で聞いたら、押し入れの中でBくんが上を見上げていると、何十本という手が天井から現れて、Bくんを包み込もうとしていたのである。
 Aくんはその日のうちに引っ越したが、あのビデオテープは、再び流し台の下の中に戻したという。

 とまあ、ホントはスガノくんは15分も語ったのですが、骨格はそういう話。
 すげえ怖い、というほどの話ではないのですが、話はユニークで、仕掛け方によって怖い怪談になりそうです。
 えっ、聞いたことある話ですって?
 そういう貴方は怪談通。そうです。
 『怪談実話系4』の「怪談BAR」で私が書き下ろした話です。
 実はこの話、スガノくんの友人の話なんです。私もスガノくんから聞いた話をあのように書き下ろしたんです。
 もちろん優秀なる我が塾生のこと。もちろん・・・、私の怪談、数人しか読んでいませんでした。ホンマにみんな勉強熱心で、私の頬をキラリと涙が伝わります。

 さて、このスガノくんの話。彼自身ライターとして活躍しているからか、最近話をまとめるのは生意気にもウマくなってきたので、一般の人が語りそうな怪談にわざとしてくれと、指令を出していました。
 一般の人が語りそうな、というのは、引っ越しに至るまでの経緯を長々と喋る、あるいはAさんとBさんのどうでもいいエピソードが紹介されて、それが怪談の伏線になるのかと思ったら全然関係ない、季節や時間がわからない、部屋の間取りがわかりにくい、などなど・・・。そんなもんなんです、人の語る話なんてのは。
 テレビや劇場で聞く話は、プロのもの。あるいは編集されてますねん。
 で、まあスガノくん語ること、15分。
 塾生としたら、こういう話を聞くという行為は、取材ですな。
 中にはホントに話のウマい人もいますが、一般の人から必要な話を聞き出すには、やっぱりテクニックが必要なんです。もちろん場合によっては前もってのリサーチも。
 さて、スガノくんの話が終わりました。
 質問がある人は、いない?
 不明瞭な状況、イメージ、やりとり、状態、距離感・・・、私なら質問したいこと、いくらでもある。
 手が挙がって、質問。そうそれ聞いとかな、というのもあれば、そんなんどーでもえーやん、という質問も。

 で、その後、約90分の持ち時間で書き上げた怪談。
 これをみんなの前で発表するわけですが、私が読んでもおもろない。
 自分の書いた怪談は、各自に読んでもらいます。
 書いたものをそのまま朗読するのもよし、少しアレンジしながら語り口調にしてよし。
 要は、怖い怪談として仕上がっているか否か、をみんなに批評してもらうわけです。
 一つひとつを発表して、それを批評してもいいんですけど、もっと分かりやすいように、2人続けて発表してもらうことにしました。なんでって?
 これだと、どちらが怖いのか、ふたつの怪談の相違、視点が比べられます。
 よりユニークで、具体的な批評が展開されるかと思いまして。

 さて、塾生たちの怪談。
 聞かせてもらったけど、あんまり怖いのがない、というのが正直な感想。というか発表した塾生自身が、その反応や空気を読み取って「あれっ、怖くないや」という表情をしています。
 なぜでしょう。
 恐怖の表現は難しい、とされています。私もそう思います。なかなか思うようにいかないもんです。私も失敗こいたこと、随分あります。
 でもそうなるには、何か原因があるはずです。
 そこを探ります。
 話のチョイス、これは重要。
 でもスガノくんの話は、私は面白いと思った。原稿に書いて出版もされた。つまり、この話は怪談になりうるんです。

 で、塾生の書いたもの。う〜ん、怪談になっていません。
 そう言っちゃあ、元も子もありませんが。
 つまり、聞いた話の事象をただ順番に並べて書いただけなんですね。
 これ、怪談違う。それは怪異レポート。
 怪談にするには、芸がいるんです。
 芸?
 怖い話って、まず視点があるはずです。
 誰かの視点。

 登場人物はAさんとBさんの2人に、ビデオの男。この3人の中から怪談を語る人物を想定する必要があるわけです。怪談は誰かの体験が誰かによって伝わったという体(てい)がいるんです。言うたら主人公ですな。ビデオの男を主人公にするという手もないことはない。でもそこは、ほとんど想像で話を作ることになりそうですから、実話系怪談にはなりません。
 とすれば、Aさんからこの怪異を見るのか、Bさんから見るのか。
 スガノくんはBさんから聞いた話だというので、話はその視点から語られていました。だったら主人公はBさん。
 でも、押し入れの中に何十本という手が、わらわらと出ていた、という現象を見たのはAさんですよね。だったら怪異を見たAさんを主人公にするというのはどうでしょう?
 これが映像作品であるならそれが正解でしょう。
 映像は、何かを見せなきゃなりませんから。
 しかし、話術や文芸で怪を表現する場合は、あくまで聞き手、読み手の想像にまかせる方が怖さを増幅させられるんです。見ていないけど「キミのまわりに手がいっぱいあったよ」と言われた側の視点のほうが恐ろしい想像をすると思うんです。
 というのは、ほとんどの人は幽霊だの怪しげな現象だのを見たことがないはずです。でも、「いたよ」、と言われてゾッとしたという体験はありそうですよね。つまり、誰でも経験しそうな立場から怪異を見る、というスタンスが、多数の聞き手、読者の共感を呼ぶわけなんです。極端なことを言うと霊能者だの「霊感のある人」の話だのは、実は怖くないんです。
 そんなのはその人だけの世界・・・。

 さて、主人公を設定すると、主人公から見た怪異を語ることになります。
 そして主人公が怖がるからその恐怖が伝わるんです。
 涙を誘う悲劇なんて、劇中で誰かが泣くから、読者もその誰かと一緒に泣くわけです。
 怪談も同じです。怪異の現象のさまを、幽霊や化け物の形態を、いくら技巧を凝らして描写してあっても、誰も怖がっていないと怖くならないんです。ここが欠落した作品をよく見るんです。
 幽霊が怖いのではないのです。それに遭遇した人間心理のさまが共感できて怖いんです。私もそんなことになったら、そうなるだろうなあ、と想像して、怖くなるんです。
 極端に言うと、柳の下から出ている幽霊をいかに緻密な描写で表しても、その幽霊を見る人間がいなかったら、それ滑稽なだけでしょ。もの凄い異形な姿をした化け物が、人里離れた山奥で、誰とも遭遇しないで暴れている、という物語を書いても、そら怖くなりそうもないですよね。

 つまり幽霊ではなく、人間を描くのが、怪談なんです。
 そこ、勘違いしている人、多い。

 怪談が怖くならない原因はまだあります。
 次回に続きます。




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2010年08月19日

8/18の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 我が塾は小説家、マンガ家の養成塾だと謳っていますが、脚本家、映画監督、落語作家、放送作家、イラストレーター志望者など、色々な塾生が在籍しています。
 これらをまとめて、作劇塾は作家養成塾やというてます。
 まあ、落語台本の書き方教えるよ、なんて言ってないんですけどねえ。なぜかいる。
 
 そんなんで対応できるんかいな、とお思いの方もおられましょうが、うちはお笑いライブと連動していますし、私もかつてお笑い番組を作ったこともあります。落語作家志望のOくんやTくんはいつの間にやら芸人さんたちの中に溶け込んで活動しています。放送作家志望者には、本人さえその気なら今すぐ依頼したい事案もあります。塾に顔を出してくれている映像関係者や放送関係者、映像メーカーの人もいます。私自身、もともと映画監督志望者で放送作家でもあったので、執筆活動に特化しているわけでもありません。色々企みもありますし、今現在進行している企画もあります。私としてはおもろいことができればいいわけです。今後不可欠となろうマルチメディアの仕掛けについては、若い感性、才能がなくてはならないものとして注目しています。というわけで、あとはまあ、本人の心がけ次第です。こちらから「やらないか」とは言いませんから。でも、アンテナ張ってて、「これやらせてください」と志願するなら考えてもいい。
 それに切磋琢磨の環境が、モノづくりに必要な要素でもあります。

 さて18日のゼミでは、その作家に必要な「表現力」について、考察してみました。
 怪談を書いてみよう、というわけです。

 先月のこの授業で総務のスガノくんに、1本の怪談を語ってもらいました。
 この話をもとに、各自、怪談文芸を仕上げ、それを合評にあげるわけです。

 ちょっと話は別方向へ行くかもしれませんが・・・。」
 朗読というものがありますねえ。そう声を出して文章を読むという行為。
 あれ、ヨーロッパなんかではひとつの芸能としてあるんですな。特にローレンス・オリビエ、ジョン・ギールグッド、アレック・ギネス、リチャード・バートンといったイギリスの名優たちは、シェイクスピアの朗読をやっていました。それがもう芸術の域にある。
 つまり、同じ文芸でも朗読する人によって全然違うものになるわけですな。
 私、バートンやオリビエ、ロジャー・ムーアが朗読しているレコードを持っています。
 どこで何をどう強調したり制御するのか。感情をどう込めるのか。その解釈のありようやフレーズのつながり、間の空け方、リズムやテンポ、声の調子や高低・・・。
 いや、素晴らしいです。でもそれぞれの俳優の朗読はやっぱり同じではないわけです。
 オーケストラの指揮者がこれに似ていますわ。
 有名なベートーベン作曲交響曲第5番「運命」
 その冒頭は誰でも知ってます。
 ジャジャジャジャーン!
 あれ、オーケストラによって、あるいは指揮者によって全然違うものになりますな。
 楽譜に表記してあるのは同じです。指示もしてある。
 ただ指揮者によってその解釈が違う。演奏家に求める技術、技法も違う。
 小澤さん指揮による演奏は透明度があります。ムーティは筋肉質、バーンスタインは激情型、カラヤンは音色を重視・・・。オーケストラも、ドイツのオーケストラとフランス、アメリカのオーケストラはその音色が違う。響きが違う。共感度も違う。使っている言語の影響も大いにあるようですし。
 つまり、文芸も楽譜も、紙の上にかかれているものは同じモノでも、読む人によってその解釈や、それも基づいた表現の仕方が違うわけです。そこに会場の雰囲気や、観客の質なんかが加わって、同じ演奏家で名演奏が生まれたり、凡庸な演奏会になっちゃったり。

 ましてや、人が語った同じ話を文芸に仕込もうとするならば、そらもう書き手によって千差万別あるわけです。
 私がやっている実話系怪談というヤツ。実話系ってなんやねん、とツッこまれそうですが、まあ実話に基づいた怪談、という意味です。少なくとも都市伝説は扱わない。創作怪談でもない。体験者がちゃんと存在する怪異・・・。
「だったら体験者が語ったそのままを提示すりゃいいじゃん。そのほうが怖いし、迫力もありそうだし」
 なんて意見を聞いたり、書かれているのを読んだりしました。
 でもそれって、そのまま文章にすると脈絡がわからなかったり、状況が不鮮明だったり、繰り返しが多かったり、いらない話がくどくど語られていたり、説明不足があったりするもんです。まあ、話ってそんなもん。だから聞き返したり、聞き出したり、質問したり、フォローしたりするわけですな。人の話って、書き起こしてみると、案外理路整然とはしていないものです。聞き手は勝手に解釈しているわけですな。そこで補っている
 だからよくこんなことが起こったりします。
「この前、Bさん、こんな話をしてたで・・・」とAさんが言う。
 後日Bさん自身から「Aさんから聞いたけど、・・・やってんて?」と聞くと、
「えっ、そんな話してないで。確かに・・・とは言うたけど、それは・・・という意味で言うたんや」
 なんか話が微妙に違う。けど、Aさんにはそういう話に思えた。
 私はこれを「羅生門状態」と言っています。

 だから文芸にする場合、まず話の焦点を整理しておいて、わからないことはすべて後でもう一度聞かせてもらったりして明確にする必要があるんです。そして肝を設定して、そこに向かって話を再構成するわけです。怪談に直接関係ないエピソードはバッサリ切り捨てたり、怪異に遭遇する体験者たちの心理の動きを補ったり、動きやリアクションを明確にするとか。また話に対するそれなりの作者の解釈やスタンスがないと、実は怪談文芸は成り立たない。
 つまり実話系怪談っていうのは、実話をもとにした創作怪談とも言えるわけです。
 この手法は実は怪談だけでなく、他の文芸でもよく見られる手法なんですが、そちらは実話系小説とは呼ばれずに、ちゃんとした小説として成り立っています。
 怪談は、やっぱり「ホントにあったことなんだよ」という既成事実が、怖さに拍車をかけるわけなんでしょう。というか、わざわざ「この怪談は、俺が作った話なんだけどさあ」と、前置きして語る人なんていない。「これ、友達の友達から聞いた話なんだけどさあ・・・」と、とにかく、あったこと、を前提として語られる、書かれるのが、怪談の特色なんですね。

 ということで、戻ります。
 スガノくんが語った1本の怪談。
 18人の塾生がこれを怪談文芸にすべく書き上げました。
 なるほど読んでみたら、もう様々です。
 400字詰め原稿用紙換算で2枚ほどでまとめた人もいれば、14、5枚はあろうかというちょっとした大作もあります。一人称形式のものもあれば、三人称形式のものも。話をそのままなぞったもの、構成を変えたもの、語り口調のもの、文芸調のもの、あれれ、これはシナリオじゃん、みたいなものも。
 言えることは、同じモノがひとつもない。
 当たり前ですけど、案外、実話系怪談では論議されなかったことです。

 さて、この18本の怪談についての分析を行ないましょう。
 ということで、字数も残り少なくなりました。
 また次回、お会いしましょう。
 サイナラ、サイナラ、サイナラ。




 すみません。
 明日か明後日のこのブログにて。


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2010年08月12日

8/11の小説技法

 中山市朗です。

 明日、13日の金曜日、ラブリーホールにて怪談トークイベントを開催します。
 ゲストは先日の守口市のプラネタリウムのときと同じ、亀井澄夫さんです。
 亀井さんは妖怪研究家の方ですので、その流れ上、多少重複する話があるかと思いますが、基本的にはまったく違うネタを用意していますので、どうぞご来場ください。

 さて、11日(水)の小説技法の報告です。

 私は小説はこう書くべきであるというモノはないと思っています。
 頭で思ったストーリーを、これまた想像したキャラクターを動かして語ればいいだけです。京極夏彦さんは「面白ければストーリーもいらない」とも言っています。
 ただ、趣味で書くのならそれでいいわけですが、プロになりたいというのなら、赤の他人にお金を出させて読んでもらうだけのアイデア、力量、テクニックが必要です。
 で、面白いか、面白くないか、の辛らつな判断は読者に委ねられます。
 読者が面白いと判断してくれたなら、その小説はそれだけ売れることになり、面白くなければ話題にすらならず、売れることもありません。
 出版社はボランティアで文化事業をやっているわけではないので、売れない作家に次の出版依頼をすることもありません。
 だから私は、読ませるとは何か、という点に重きを置いて合評をしています。
 
 提出作品は、完成すれば新書ないし文庫本一冊分の量になるように組まれていますが、連載形式でそれを積み上げる作業をしています。
 そうなると、この小説が面白いか面白くないかの判断基準は、はっきりします。
 この続きが読みたいか、読みたくないか。
 読みたい、となれば次の章に進みます。
 厳しいようですが、私は「これが友達とか、仲間だとかじゃなく、金払ってまで次読みたいかの答えを聞かせてくれ」と言っています。

 Yくんは珍しい西部劇小説。そんなん需要あんのかなと思いますが、彼には彼なりのたくらみがありそうです。その第一章、発端の場面。実はここを書き直すこと三回目。彼自身も納得いかないようです。西部劇の映画を見たことがあっても、小説を読んだことはないという塾生がほとんど。それでもいろいろ意見が出ます。でもまずはここはYくんの思う通りのものを書くことが必要。この小説はこうなんだ、というまず叩き台を示してくれないと、判断の基準をどこに求めたらいいのかわかりません。ただ、ガンマンの動きや決闘のさまは、映画を見ているように具体的に想像できます。そこは相変わらずウマい。

 K島くんの、昭和初期の大スター・大河内伝次郎に捧げる一編。彼には肩書きがあって“しゃべくりチャンバラ映画 友ノ会 代表”。本来彼はマンガ家志望なんですが、私はそれではもったいないと小説を書くことを勧めたわけです。最初は慣れなかった小説も、相当研鑽を積んで、面白い読み物になってきました。大河内伝次郎とはどんなスターだったのかを説明するくだりを、日本文化オタクのアメリカ人が、ライター志望の主人公に語って聞かせるという、劇中会話のなかでするというアイデア。ただし、そこが少し説明くさいという意見も。もう一人いるキャラクターをなぜ活かさない?

 Dくんは時代劇小説。ものすごく調べて書いていることがわかります。このことは後々、プロとしての体力となって活きることでしょう。確かにそのウンチクは面白い。ただ、それを活かそうとするが故にストーリーと関係ないシーンが生まれてしまいました。そこ、全面カットです。それと全体的に新鮮さがない。どこかで読んだ話、展開、キャラクター、何かの映画で見た設定、状況、シーン。悪くはないのですが、 どうも次を読もうという魅力に欠けます。もっと全体的にミステリアスな要素を入れ込む工夫がいるような気がします。結局、登場人物たちがステレオタイプになっているんですよ。

 T下さんの『夜明けの回転ずし』という小説。以前、いきなり回転ずしのシーンから始まって、それ以後も話が動かなかったので、そこを指摘され修正してきました。24歳の女性主人公が、64歳のマコトじいちゃんを好きになって、そのまま自然と男女の関係を続ける、といった世界を淡々とした描写で書きたいというのがT下さんの意図です。しかしほかの塾生からは「やっぱり64歳のマコトじいちゃんに惚れる心理がわからない」「おそらくそれは、マコトじいちゃんの魅力が読者に伝わっていないからでは?」といろいろな意見が。この描写は難しいようです。参考になりそうなのは、川上弘美の『センセイの鞄』。いや、川上弘美さんの小説はいろいろ読んでみよう。

 最近塾では、SFのT野と一目置かれるT野くんのSF小説。ホラー的要素が含まれるところが読ませどころです。今回提出された分は、もう赤修正もしてあって、さほど問題なく面白く読めました。ただ、まだ話自体が起承転結の起の部分で留まっている感があります。そろそろ話を次に転がすことをしてほしい。ストーリーテリングの技を、ここで勉強してほしいと思います。実際、文章能力とストーリーを動かす能力は、別のもの、という気がします。そこがT野くんは未知数です。

 M下さんの『俺が彼女になった理由』も、面白く読ませます。彼女はもともと文章能力はあるのですが、そこに次から次へと主人公に難関を突きつけ、主人公がそれをどう切り抜いていくのかという、ハラハラ感を巧みなコントロールで読者を惹きつけます。しかし、舞台のひとつである病院の人事や組織についての疑問が出ました。どちらかというと、この小説はややご都合主義にのっとった題材で、そこはテンポやリズムや奇想天外なアイデアなどで読ませるものです。小説ですから虚構の世界が展開しています。だからこそ、その舞台や設定などは、ちゃんと調査し、そこは嘘をなくさなきゃならない。嘘をついていいところと、ダメなところ、というのが小説や映画にはあるのです。

 N子さんのホラー小説。どうも恐怖の描写がうまくいかないようです。妖怪池(?)に呑み込まれた友人。その母が、首吊り自殺をしているのを主人公が発見するシーン。なぜかピンとこない。「もっと首吊り死体の描写を細かく書いたら?」という意見も出ましたが、この場合は違う。それを見るに至る主人公の行動の動機、その心理の動き、反応をちゃんと順を追って書くべきです。そうすると読者は主人公とともに首吊り死体に遭遇し、異物を見てしまうという疑似体験に誘えます。ここは難しいところなんですが、恐怖はあまり説明しないほうがいい、というのが私の持論です。つまりその部分を読者に想像させるわけです。その想像が、ゾクッと背筋を凍らせるわけです。

 落語作家のK師匠。ちょっと煮詰まりました。今まで書いてきたギャグ作品。途中である女性キャラクターが死んだことによって、笑えなくなったという意見を参考に、プロットを書き直してもってきたK師匠。ところが彼はギャグを書いているというよりは、ホームドラマのつもりだったと言い出したのです。みんな「エッ!」ですわ。その意図はあの作品では伝わっていなかった。彼もそれは思っているようです。でも「じゃあキミはホームドラマについて何か語れるのか?」と私は聞くわけです。そこは答えられない。ギャグのあるホームドラマは、松竹新喜劇といういいサンプルがあります。あの前身のひとつは松竹家庭劇でしたから。ほかにもいろいろあります。勉強してみてください。

 T田くんの『クリエイターズファイト』はもう終わる、終わる、といいながら最終章でずっと足踏み。高田という小説家の波乱万丈な一生の締めくくり、の場面なのですが、なんか流れちゃっている。彼の人生を総括するにふさわしい状況がありながら、スルーしちゃっているのが、読み手側としたら物足りなく思うんですけど。その後、高田は壮絶な死を迎えるだけに・・・。

 Aさんは、今回は某出版社への投稿作品の第一章の部分を提出しました。「みんなの意見を聞きたい」と。ボーイズ・ラブ、いやボーズ(坊主)・ラブ、だそうで。
 うーん、面白いんだけど、急いで書いた感があります。ひとつひとつの状況が、ちょっとずつ矛盾をきたしています。それに彼女はそれをやりたかったんだろうけど、仏教用語がやたら出てくるんですが、これが中学、高校の少女向け、と言われると、これは難しいのでは、という意見も多々出ました。ただ、大阪弁をうまく使った会話は小気味よくって、笑いも誘い、キャラクターの造形を浮き出させています。
 Aさん意見を参考にちゃんと修正するそうです。
 健闘を祈ります。


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2010年08月09日

『最恐! 怪談夜話2010』の放送

 中山市朗です。

 数日前に「7日の夜『おまえら行くな。』DVD発売イベントが、通天閣劇場であるけど来てくれる?」と、北野誠さん本人から電話があったため、まずは陣中見舞い。
 怪談社の紗那氏、紙舞氏、そして怪談作家の西浦氏にも楽屋でお会いし、互いに近況報告。チケット完売にも関わらず、突然連れてきた塾生を会場に入れて、席を用意していただいた関係者の皆様、竹書房の方々、この場を借りてお礼申し上げます。

 イベント終了後は、いよいよBS2『最恐! 怪談夜話2010』がオンエア。
 番組を見たいんだけど、BSが見れないというプアな塾生たちが私の書斎で鑑賞したいと言うので、一緒に鑑賞。

 しつこいようですが、120分、ノンストップで怪談だけが繰り広げられるテレビ番組なんていうのは、史上初のことです! おそらく海外にもない。
 この番組は去年のブログに何度か掲載したように(09年8月5日6日27日)。この企画がNHKに通るまではいろいろあったんです。ほんまにこれは、番組を演出された東阪企画の山本さんの功績。ただ、プロトタイプのなかった去年は、なかなか怪談番組というコンセプトが形としてイメージされなかったこともあって、出演交渉や局とのすり合わせでは理解していただけないことが多々あったようなんです。しかし今年は、去年オンエアされたものがあるので、その点は楽だったと山本さんからお聞きしました。
 でも本当は、山本さんと私でぜひやりたい試みがあったんですが、それはまだちょっと早かったようで。
 いずれ挑戦します。

 過剰演出は一切なし。
 もちろん再現ドラマやヤラセもなし。
 BGMもなくし、字幕も極力排除。
 こら、演出家としたら、かえって勇気のいることなんです。
 で、120分。怪談だけの番組で、最後をしめる、という私の役割もものすごく重大。
 私がここで失敗こいたら、番組自体をぶち壊しかねません。
 さすがに緊張しました。

 ネットの書き込みを見てみると、再現ドラマや少々のヤラセ演出があったほうが、という視聴者の意見も若干ありましたが、そんなことは民放にまかせればいいこと。やっぱり怪談はオカルトでもホラーでもなく、話芸なんだ、というこのテーマは、これからこの番組が続く限り忘れてはならない本質です。山本さんの演出で私が出させていただいている限りは、このままシンプルな怪談話芸の魅力をお届けしたいと思います。
 それをしたくて、私なんかは20年間、怪談をやり続けていたようなものです。
 ほんま、数年ほど前まで怪談というと、稲川淳二というイメージしか、一般の方たちはもっていませんでした。ほんま、虐げられてきたんでっせ・・・。

 ところでこのブログの書き込みに、りーさんという方から、最後の私の語りのシーンで突然、画面と音質が乱れた、というのがありましたが、これほかにもあったらしい。
 で、ほかのチャンネルを回してみたら、こちらはキレイにオンエアされていた、とか。
 私のせいではありません。
 私の部屋のモニターは大丈夫でした。

 そのほか、いろいろ不思議な音やモノが入っていたけどあれはナンだ、という質問も多々受けましたが、私にはわかりません。とにかく妙な演出をやっていないということだけは断言します。
 演出の山本さんいわく、
「夜中、一人で編集していたら、そうでなくても怖いのに、そんなこと考える余裕ありません!」

 さて、私の気になったことを。

 渡辺徹さんの話を発端とした「小さなおじさん」の話。
 渡辺さんは、長〜い尻尾の生えた裸の小さいおじさんと、『新耳袋・第ニ夜』に掲載させていただいた「裃を付けた小人の侍(『新耳』では「毒の歯形」)」の話をされたわけですが、これをきっかけに、小さいおじさんの話で盛り上がったんです。スタジオが。
 三巳華さんも上原さんも「ある!」って言うんです。いろいろ話が出る出る! その辺りはカットされているわけですけど・・・。
 実はその三日前、フジテレビの『アイドリング!!!』のDVD収録で、彼女たちから質問を受けて「小さいおじさんって、いるんですか?」と聞かれて「いるよ」と、『新耳袋・第二夜』や『妖怪現る』に書いた、ちいさきもの、の話をしたんです。
 お腹の上に4、5人の小さなおじさんが踊っている、というもの。それが緑か赤のトンガリ帽子、ピエロのような服装。これもだいぶ昔に『新耳袋』に載せた話なんですが。
 そしたら、
「そう、それ、見たっていう子、たくさんいるんですよ!」
 みんな、そう言って騒ぐわけなんです。
 で、番組で私が言ったとおり、その写真も撮ったって言うんですよ、彼女たち。

 そしたら8日の守口市のプラネタリウムで、妖怪研究家の亀井澄夫さんをゲストに招いてホラートークをやっていたら、亀井さんが言うんです。
「最近、テレビでやっていたらしいですけど、最近若い子たちの間で、小さい緑のおじさんを見た、といって話題になっているというんです」
 亀井さんはそのテレビは見ていないけど、友人が知らせてくれたらしい。
 もし、それが本当だとしたら、妖精、という解釈もありうると亀井さんは言っていましたが、なんなんでしょうね?

 小さいおじさん、あるいは妖精らしきものを見た、という方、
 よければ情報をください。
 お待ちしています。



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2010年08月05日

8/4の作劇ゼミ

 なんか塾生たちのブログを見てると、夏バテ気味とか、食欲ないとか。若いのに何を言うとんねん、思いますな。私なんて朝っぱらから脂の乗ったトンカツ、3枚は食えるちゅーねん。
 と、夏バテ知らずの肉しか食わない中山市朗です。
「センセ、野菜食べないと、身体に毒ですよ」
 言うてる人が夏バテしとる。
 肉食え、肉!

 ところで、こんなに元気いっぱいの私ですが、いつもなら今頃、蝉時雨のうるさい山か、真っ青な海へ合宿をして、怪しげな神社の調査をして、日本の古代史の謎を解明している頃なんですが、今年は誰も動かなかったので、な〜んにもありません。
 ひとりでどっか行こうかな・・・。

okasi
 あっ、そうそう。オリオン製菓さんから発売中の“背筋の凍る『新耳袋』クールミントラムネ”が、いよいよ全国展開となりました。もちろん関西でも買えます。
 お近くの、あるいは隣町の、遠くにある、旅行先の、セブンイレブン、サークルK、デイリーヤマザキにて。
 もし置いていなかったら、店員の耳元で一言。
「呪われるよ」
 と言って帰りましょう。

 呪われているといえば?

 前回流れていた「作劇ネトラジ」。テーマは“恐怖表現”だったのですが・・・。
 番組中「えっ、座敷わらし?」と私が言っているところが2度ほどありますが、あれ、聞こえていないでしょうが、上の階からバタバタバタッと子供が走る音が聞こえているんです。
 ネトラジは教室で録っているんですが、コンクリートの雑居ビル。上、オフィスなんですけど、上の階の足音が聞こえたことなんてないんです。また、聞こえない。それが“恐怖表現”について語っているときに、子供の足跡が響いてくる・・・。かなり大きい音です。収録後はピタリとやんで、以後、まったく聞こえてきません。
 ・・・。

 4日の作劇ゼミの報告です。
 前回のゼミで、塾生集めてゲキ飛ばした効果なのでしょうか、受講人数が、おそらく塾始まって以来の人数です。予備の机を出しました。
 やっぱり遠慮したらあかんのですな。
 周りの人たちにはよく言われるんです。
「言ってもムダ」
「言うだけ損」
「ほっときなはれ」
 そら、そのほうがこっちはラクですし、責任負うこともないんですよ。でも、それじゃあ塾作った意味がない。私の塾ですから。カルチャー教室とちゃいまんねん、ですから。

 さて先月7日のゼミで、総務のスガノくんにある怪談をみんなの前で語ってもらい、それをもとに塾生に怪談を書いてもらいました。同じひとつの話から、いったいどんなバリエーションが生まれるのか。それぞれ何を重要視して、どこを抽出し、何を削り、どういう視点で、何をどう表現し、話の落とし前をどうつけるのか。
 まさに、取材した話をどう料理するのか、という作業。
 怪談に限らず、ライターとして生きていくのに絶対習得しておかなければならないスキルです。しかも怪談です。怖くなけりゃ意味がありません。
 
 前回提出された怪談は、全部で18本。
 ひとつの話から見事18通りの怪談が、できあがってきたわけです。
 この全作品をコピーし、今回参加した塾生たちに配布しました。
 そして、無作為に指名した塾生に、自分の書いた怪談をみんなの前で朗読してもらいました。別に朗読でなくてもかまいません。自分が書いた原稿をもとに、体験談風の語りに改良してもかまいません。怪談は、談。つまり口にして聞かせて初めて完成される芸だと私は思うのです。
 まず、2人に朗読してもらい、みんなで合評するという形式としました。
 なぜ2人なのかというと、比較ができるからです。
 たとえば、AさんとBくん。
 どちらが怖かったか。なぜ怖かったのか。
 怖くなかったほうは、なぜ怖くなかったのか。2人の違いはどこにあるのか。
 比較することによって、重要なことがより明確になってきます。

 ただし、18作品。これ、朗読するだけで制限時間とっちゃうので、この日は数本の合評が行なわれ、残りは次回にまわされました。
 読者を怪異に誘うためには、肝が大事。で、その肝とはどういうものなのか、ということがわかってきました。私も改めて勉強になりました。そうか、と!
 それらを含めての怪談講座は、次回のゼミの報告のときに、まとめて検証することにいたします。

 さて最近、スガノくんがゲスガノを返上したのと、ここのところ飛ばし続けたゲキが利いたのか、授業後の飲み会の参加者も増えて、有意義な話題や激論が活発に交わされるようになりました。
 この日もゲームデザイナーのNくんが参加してくれ、スガノくんも最近、東京の出版社とやりとりしています。塾生たちは、わからないことや疑問があれば、私を含めた彼らに聞けばいいし、論戦を挑んでくれてもいい。それは知識の集積となり、いざ仕事をもらうときの処世術ともなり、自分の頭の中にあるものを論理的に置き換えるための訓練にもなります。それにそういうことが話せる、夢を語れる仲間の存在は、貴重なんです。いざというときの精神の支え。これ大きい。また仕事を手伝ったり、ともにしたり。仲間だもん。
 私もそう思いますが、スガノくんもNくんも、共通した見解は、何も言わないヤツは仲間から見放され、いつの間にか消えている、ということです。
「いや、俺の胸の中には秘めたモノがある。それは誰にも言えない」
 なんてヤツもたまにはいますが、そんなこと知らん。

 ちょっとスガノくんが面白い話をしていました。
 
 知り合いの作家志望、Aさん。
 ライター仲間の飲み会に来ない。来ても何も言わない、黙ってる。
「俺は作家になるんだから」と、みんなを見下している。
 でも文筆でやっているわけでもない。親切心でちょっとしたライターの仕事を振ってもやらない。
「俺には書きたいものがある」
 知り合いの情報誌の編集長が心配して、電話を何度もしたらしい(すげえ優しい!)。
「いつでも言ってくれたら、仕事やるから」
 プライドの塊のAさんは、やっぱりこれを拒否するわけです。
 しかし、何年かして結局Aさんの小説は、全然陽の目を見ない。ライター仲間も疎遠になって。
 30歳もとおに過ぎて、どうもなっていないAさん。ついに意を決して、心配してくれていた編集長にSOSの電話をした。もう彼にしがみつくしかない。
 そしたら編集長、替わっていたそうです。
 Aさん、以後、この世界では見ないそうです。

 

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2010年08月04日

大陸流れ者たち

 中山市朗です。

 先日ニュースを見ていたら、食道がんの手術をされ、治療に専念されていた指揮者の小澤征爾さんが復帰されたとのこと。中学生のオーケストラへの指導だったのですが、来月5日から始まる松本市でのサイトウ・キネン・オーケストラで本格復帰されるそうです。

 私はいわゆる大きな人というのに惹かれるんですよ。
 大きい、というのは身体じゃないですよ。
 器が大きいというか、スケールが違う、というか。それでもって自然体、というか。
 
 小澤さんがその一人。
 指揮棒一本でもって、日本の音楽界から離れ、カナダのトロント、アメリカのサンフランシスコの交響楽団の音楽監督、シカゴ交響楽団のラヴァニア・フェスティバル音楽監督を経て、ボストン交響楽団の音楽監督に。当時のボストンはインテリの街ながら、人種差別のキビしいところ。しかも東洋人がアメリカのビッグファイブと呼ばれる歴史的オーケストラのボスになる。きっとキビしい目で見られ、失敗したら日本人だからという不名誉な烙印が押されるところ。
 こら、野茂投手がメジャーリーグに挑戦する以上の出来事だったはずです。当時はどうマスコミは報じたのでしょうか。
 結局小澤さんは29年間、ボストン交響楽団のボスを勤めました。
 2002年からは音楽と演劇における世界最高峰ともいえる、ウィーン国立歌劇場の音楽監督に。これはオーストリアの大統領になるより困難で価値あるものだと、地元オーストリアでは報道され、歓迎されたものです。ただ、この人が大きい、というのは、そんな地位にいながら、若い人たちへの音楽教育の理念。実際に病気をされる前は、お寺や公民館を借りての無料演奏会を開いたり、ボランティアであちこちの中学、高校をまわって子供たちに指導したり。ときには村人数人の前で演奏会をするようなこともあったそうです。でもそんなだからやらなきゃならないと。音楽を一人でも多くの人に聴いてほしい、と。
 また、演奏会が終わって、観客の拍手のなか、団員の一人一人を立たせてねぎらうということを最初にやったのも小澤さんです。演奏会の成功の手柄を自分だけのものにしない。こらできないことです。
 こういうスケールの大きな人は、やっぱり結果的に世界に通用するんでしょうか。
 私は小澤さん同様に、黒澤明、武満徹、王貞治、三船敏郎という人に惹かれるんですが、一度共通点というのを調べてみたんですよね。
 なんだかこの人たち、スケールが違うので。
 そしたらあった、共通点。
 なんだと思います?




 大陸なんです。
 
 小澤さんは、現・中国藩陽市となる満州の奉天の生まれ。小学校に通うため日本へ引き上げたといいます。
 武満徹さんは、世界に知られる現代音楽の巨匠。この人も華奢な身体ながらも実験的な音楽活動をされ、戦後の日本の音楽を世界に知らしめながら、新人発掘や育成を怠らなかった人です。この人も生後1ヶ月っで満州の大連に渡り、やはり小学校入学までの間、大陸で過ごしたらしいのです。
 王さんは、少年時代の私のヒーロー。ファンはいつもホームランを期待し、ヒットを打つと「な〜んだ」とため息が漏れたものでした。ヒットがダメ、なんて選手は、以後、一人も出ていません。この人はお父さんと同じ、中華民国国籍なんですね。でも、日本の国民栄誉賞第一号はこの人。
 三船敏郎という人も、中華民国・山東省青島の生まれ。アオシマじゃなくてチンタオです。
 この人はその後、大連に住み、不良となって、そのまま鬼の関東軍に入隊します。一度子供の頃、父親に「お前の故郷は日本だから一度見てこい」と言われて、船で神戸に着いたら、狭い土地に町並みがへばりついてて、すぐ背後が六甲山。
 「箱庭みてぇな街だ」と、思ったそうです。
 黒澤監督はなんの実績も無い25歳の私に、メイキングビデオの撮影を許可してくれたすごい人です。10年もかかって、フランスの法律を変えてまで出資された日仏共同出資で、自分のライフワークになろうかという超大作の現場にド素人を入れて、ビデオまわさせるなんてちょっと真似できません。しかもメイキング・ビデオが日本映画の現場に入るのは、映画史始まって初めてのことだったんです。
 その黒澤監督は東京生まれ。父は秋田、母は大阪の人だそうで、黒澤家には大陸の血統はないようです。でも明治生まれなのに、180センチを越す身長、そのダイナミックな作風、肉ばっかり食ってて、ロシア文学への傾倒と、どうも日本人離れしていると思ったら、晩年あるインタビューに答えて「僕の目、最近青くなってきたんだよ。そういや祖母もみんなそうだね。みんな目が青くなるんだよ」

 ロシアの血が入っているようです。



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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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