2010年12月

2010年12月26日

本気で「震えて眠れ」

 中山市朗です。

 お知らせがあります。

 まずは塾生諸君へ。

 来年の私の講義は1月12日(第2水曜日)からになります。
 間違いのないように。
 (改めてメールでもお伝えします)
 年末年始はいつものようにやってます。

 ブログをお読みの皆様方へ。
 
 28日(火曜日)の深夜、皆様に今年最後の怪談をたっぷりお聞きいただきます。
 ファンキー中村さんのネトラジに出演いたします。
 これがなんと、22時から6時間の長丁場!
 きっと途中でお酒飲んじゃうと思う・・・。
 第一回 Dark Night に出演いただいた雲谷斎さんも出演されます。 
 『新耳袋』誕生秘話や、例の人形の話など、リクエストいただいております。
 もちろん新怪談も。

 詳しくはこちら。

 ファンキー中村のブログ“おっかねえかも知んない”話

 「オカルトラジオ」(不安奇異夜話)


 追伸
 これから、今年紫綬褒章を授賞された東野治之先生の『日本古代史料学』を読むところです。
 まずは聖徳太子の時代・・・。


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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



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2010年12月23日

12/22の小説技法

 中山市朗です。

 22日(水)、最後の小説技法です。

 Mくんが久しぶりに合評に作品を出してきました。彼は投稿を色々やっているそうですが、せっかく塾にいながらあまり作品を見せない。私は投稿作品を読ませてもらっていますが、どうもひとりよがりで終わっているんです。
 今回出された小説も、きっと書いている本人は楽しいんだろうけど、読み手の立場をまったく考えていない作品です。中学の頃ホントにあったことを書いたと言いますが、あったことをそのまま書いている感があって、ひねりもないし、ヤマもない。キャラクターも多すぎて整理できていません。
 今後は合評に出して、みんなにアカを入れてもらって修正する、という作業を怠らないように。

 K島くんの昭和のスター、大河内伝次郎に捧げる小説。
 大河内に対する愛情あふれる作品で、そういう気持ちはフツフツと伝わります。次へと書き進んでほしいところですが、出典を明らかにしてほしい。その大河内の作品はなんという題名なのか。影響を受けたのは何なのか。
 小説であるとともに、大河内伝次郎に関する百科事典のような作品になれば、付加価値がつくと思うんです。それにもし電子出版という形を考えると、色々試してみたいアイデアもあります。

 N子さんのホラー小説。前回指摘されたとおりに描写を詳しくしてみた、と言います。しかしその描写が主人公たちの心理描写になっているので、場所とか状況がわかりにくいんです。それに演技が連続していません。思い切ってセリフと状況、動作だけで書いてみることを提案してみました。心理状態をセリフのやりとりや、表情、動きで描写してみるわけです。ラノベに近い書き方ですが、試してみましょう。

 T野くんのSFホラー。月面基地で次々に起こる不可解な現象。そしてクルーたちの目の前で謎の消失をするひとりの隊員。さすがにこれは何かあると、科学者たるクルーたちが喧々囂々とやりあう場面が、知的なやりとりになっていないと前回指摘されて、その場面を書き直してきました。でもまだ不十分。もっと宗教の概念などでやりとりするとそれらしくなりそう、という声も。でも消えた仲間に対しての考察に触れないのはなぜ?

 Yくんのアクション小説は色々な要素が混じりあって、ミステリアスであり、オカルトっぽくもあり、冒険を予兆するようであり、わくわくして読めます。夜の某博物館に運び込まれる不可解な出展品。それらが運び込まれる警備員や博物館職員たちの人物関係から、なにやら怪しげな人物が浮かび上がってくるシーン。面白く読ませますが、主人公がアルバイトの身であるところに、不安感があります。バイトだったら事件が起こるとすぐ逃げられるし、責任を負う立場にない。事件に介入する動機がちゃんと考えられているのかとYくんに聞くと、そこは考えていなかったらしい。だったら主人公の立場を変更してみたら?

 T田くんのヤンキー小説。ケンカをしたことがないインテリ(?)主人公が、番長の命令によって学校の屋上でケンカを強制されるシーン。このケンカの描写や決着の付け方が難しいようです。このケンカの後、主人公に対して番長が妙な友情をもつことになるのですが、その番長の動機がわからない。主人公のどこに好感をもったのか? それに私はケンカに落とし前があったほうが、この作品の世界観を分かりやすくするのではないかと思うんです。この小説の冒頭2行で屋上からスキンヘッドの男が落ちてくる。あの世界観。

 さて、今年一年、毎回作品を提出した人、課題作を書き上げて次の作品に取り掛かっている人、あまり前進していない人、出席していただけの人、来たり来なかったりの人、色々いましたが、この1年で何を得たのでしょうか?
 得なかったという人。
 来年は真剣勝負せんと、それ以降、世の中激変して、取り残された者はそのままどうにもならない・・・という時代になるように思えてなりません。

 みんな、大丈夫かな?


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2010年12月22日

未来記コード

 中山市朗です。

 今日22日は冬至でした。
 この日を境にして、もっとも弱まった太陽が、この日以降復活するという概念が結びつきました。
 クリスマスも、もともと冬至祭からきているそうで、太陽が死んだ日と十字架にかけられたキリストが死んだ日が概念として同じ日になり、3日後に復活したことから、冬至から3日後の25日がキリストの祭日となったそうです。
 日本人はクリスマスを祝って、大晦日には仏教の行事である除夜の鐘を聞いて、神道の神社に初詣に参拝するわけですな。外国人にしてみれば、日本人は節操がないそうですわ。

 さて、つい先ほどネットで知ったのですが、去る12月8日、元四天王寺の管長であった瀧藤尊教師が亡くなられました。

 実は私が古代史や日本の神々について研究を始めたのには、間接的に瀧藤師の存在が関わっていたんです。
 1993年の頃、知り合いを通じて神道研究家の月海さんという方から、聖徳太子の研究を一緒にやってほしいという要請があったんです。
 四天王寺に聖徳太子自らが書かれた預言書『未来記』が存在しているらしい。それを管長である瀧藤氏が示唆しているというんです。
 聖徳太子の直筆?
 そんなバカな話、にわかに信じられなかった私は、とりあえず月海さんい会いに行ったわけです。月海さんはまだ30歳前後の女性で、その場に瀧藤師の側近(身内?)という四天王寺の関係者の方が来られていて、その「未来記」について伺ったわけです。

 ある、と言うんです。
 「未来記」が。
 来年(1994年)は聖徳太子摂政と四天王寺建立1400年にあたり、また21世紀も間近になったところで、そろそろ「未来記」の存在を明らかにし、公開すべきだと管長さんは思われていると。ただずっと1400年間封印されてきたものなので、その公開はなかなか難しいが、あなた方のような若い方にそれを託したいとおっしゃられているらしい。私も30代前半の紅顔の美男子でしたし?

 ただ「未来記」は読んでそのままわかるものではなく、暗号解読や文字の配置の転換法などを要するので、天津金木学を学び、「聖書」を読みなさいと言われたんです。
 「未来記」は「ヨハネ黙示録」に対応していて、同じ構成なんだとか。
 そして、
「四天王寺をよく観察し、その歴史を調べなさい。仏教ではないですから」
 そうその方はおっしゃられ、「んなバカな!」という疑問をもって実際に調べだしたところから、私の古代史にどっぷり浸かる人生が始まったわけなのです。
 当たり前とか常識なんて、疑えばどんどん崩れていく。
 そしてそこに、その本質なり、叡智が隠されている。
 オカルトですな、これは。

 瀧藤尊教師とも実際にお話しし、月海さんとともに「未来記」についてのトークライブを大阪・北浜のイベントスペースでやりました。このときは観客の前で「未来記」の存在については、YESともNOともおっしゃられなかったのですが、「あるとすればお太子様の何らかのメッセージがある」「そこには、これから困窮する日本を救う方法が示されている」と述べられ、まだこういう研究には駆け出しの私の、「未来記」はもしかしたらキリスト教、あるいはネストリウス派の影響があるかもしれない、というアオい説に対してにこやかに聞かれて「キリストもあるかもしれません。そういう宗教を超えたところにお太子さまのお考えがあるんです」と頷かれたのを覚えています。
 宮内庁の方が2人来られていて、なんか怒ってはったのを覚えています。

 結局、瀧藤師は94年に退任され(四天王寺の管長は4年制だそうです)、その後「未来記」の情報は途絶えました。現在は「そのような伝承はありますが・・・」というあやふやな見解になりました。
 聖徳太子直筆の預言書なるものは、結局、存在しているのか否か?
 今となってはわかりませんが、その写筆はヨーロッパに渡っているかも知れないという情報も得ています。またじょじょに皆さんに明らかにしていきます。

 瀧藤尊教師。
 88歳。
 ご冥福をお祈りいたします。


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2010年12月16日

12/15の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 2010年も残りわずかになりましたねえ。
 光陰矢のごとく、とはよく言ったものです。
 地球の回転、最近ちょっと早なってんのと違うか、なんて思ったりします。
 さて皆さんは、今年はどんな年だったのでしょうか?

 15日は今年最後の作劇ゼミです。合評は来週ありますけど。
 そこで今回は、塾生諸君に今年一年を振り返っての反省を聞いてみました。
 実は去年の同じ最後の授業のとき、2010年度の皆さんの目標を聞いて、ちゃんとノートにとってあります。覚えているかな?
 一歩も前進してないじゃん、という人もいるし、地道に進んでいる人もいる。
 目標を達した人もいるようです。
 去年、何を目標にしたのか忘れたという、宇宙人にインプラントされた塾生もいました。

 印象に残ったのは、やはり原稿を編集さんに見てもらって、編集さんの言うとおりに書き直すとどうも書きたいものとかけ離れていって、書いていて面白くなくなる、魂が入らず困っているという意見や、仕事をしながら創作するのは体力的にも精神的にも辛い、という意見も聞かれます。わかります、2つとも。
 編集さんにも好みはありますし、編集方針もあるでしょうし。でも編集さんはひとりじゃないし、出版社もいろいろあります。好きなことをどんどん書きためて、色々持っていくことです。面白くなくなったからと、書かなくなる人はいます。そうならないよう。

 仕事との両立。これも難しい。今、仕事を辞めるわけにもいかないだろうし、でもゆくゆくは創作の世界で食っていきたい・・・。これは仕事をしながらウチに通っている塾生たちの共通した思いです。
 まず今の仕事を辞めたい。これは重要なポイントですね。
 今の仕事に満足しているのなら、別に創作なんてしんどくて金になるのかならないのか分からないことに身を捧げる必要はありません。またそんな人はウチにはいません。
 で、みんな言います。
「おもしろいことをしたい!」
 じゃあ、やろうよ。

 私は仕事が嫌いだと何度もこのブログに書きましたが、私は人に使われるのが嫌で、気も利かないし、動作もノロい。で、強制されるのが嫌い。まあ天邪鬼。アルバイトをやっても苦痛なだけでした。でも好きなことなら無報酬でも、寝る時間がなくても平気。で、それをおそらく優先してしまう。こんなんでマトモな給料取りにはなれないと、高校時代から思っていたわけです。私の父親は真面目な公務員でしたから余計、オヤジのようにはなれないな、と。
 だったら、同じ苦労するなら好きなことをやろう、おもしろいことをしよう、と就職しなかったわけです。貧乏は覚悟の上でした。
 でも、そんな不器用な私がなんとか成り立っている世界です。
 そして確かに、創作仲間のほとんどは、「嫌なことはやらない。好きなことを生業にしている」といって、楽しそうにオタク話をしているわけです。 
 それは「好きだという思いと持続する力」があったからだとみんな言うわけです。「この道に進むために努力した」とか「勉強した」なんて話は聞きません。まあ周りからすると「努力している」とか「苦労している」と思われていたかもしれませんが、本人にしてみると、寝食忘れて好きなことに没頭していただけ。
 それにプラスして、少々の要領の良さも生き残る秘訣かなあ、と。

 だから仕事を辞めたい、そして創作の世界に飛び込みたい、というのなら、思いを強くもって持続させるしかありません。で、思いを達成するには寝る時間を削るしかないでしょう。好きなことならできるはずです。やってみましょう。そして達成したら、私のように昼間から酒が飲めるわけです・・・それは嘘です。なんぼなんでも、昼は飲まない。
 ともかく、
 仕事か創作、どちらが自分にとっての重心があるのか、それは本人のみぞ知るです。
 悩んでいる人は、サラリーマンと作家の二束のわらじを履く安曇潤平さんの話を今一度心に入れましょう。(7月23日のブログ)。
 まだみんな若いんですから。将来のことはちゃんと見据えて、やりたいことがあるなら悩んでないで、やるしかない。やらないとなんにも生まれない。もっとも、辞めたくて辞めたくてしょうがない仕事を、今後20年、30年、我慢して続けるというのなら、話は別ですけど。

 さて、悩みはもういいです。今後どうするかです。
 来年、2011年の目標を聞いてみました。

 ポジティブな心をもちたい、とか、サボり癖を直す、悩むことを辞める、なんて精神的な目標があがります。みんなやっぱり悩んでますなあ。コネを作ってフル活用したいと言った塾生もいましたが、おいおい、作品を作らんとコネも使われへんで。勘違いしたらあかん。
 自動車免許を取ります、と宣言したのもいましたが、そんなん知らん。
 ちょっと気になったのが、こういう人に会う、とか、これを見たい、あれを学びたい、とインプットする話が先に出ること。こういうものを書きたい、作りたいというアウトプットの雛形があって、だからこれを習得する、やりたい、という具体的なものがあまり聞こえなかったこと。みんな模索しています。
 書く量をもっと増やすというのはいいけど、何を書きたいのかがまだ定まっていない状態で、それじゃあ量を書くのしんどくないか?

 また来年も塾生たち一人一人と膝突き合わせて、じっくり語ることになりそうです。
 
 さて、私の来年の目標を掲げておきましょう。
 今年1年はまさに準備と実験の年でしたので、その成果をお見せします。
 来年早々に、電子書籍での新作、古代史トーク・イベントと続きますが、たまらなくユニークでエキサイティングな日本の古代の様相とその謎解きを、なんとかエンターテイメントに、と色々画策しております。


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2010年12月09日

12/8の小説技法

 中山市朗です。

 9日(水)の小説技法の報告です。

 合評です。

 先月欠席していた落語作家のO田くん。
 今まで書いてきたギャグテイストの小説の構成を大幅に変えてきました。
 天井裏に泥棒女が住み着いているアパートに住む、ある若い男の物語。その女性の名がトトちゃんといって、タイトルになっているんですが・・・。
 構成を変えたのはO田くんにすれば、色々出てきてややこしくなりかけていた登場人物たちを一気に紹介して、その後のストーリーをじっくり展開させたかったからと言います。
 構成をガラリと変えるというのは、勇気ある行為ではありますが、私には変えた理由がわからない。
 ある男(主人公)が、轢かれ逃げ事件という妙な事故で警察へ出頭するところから始まり、家に帰って妙な家族の紹介と日常があって、家出してトトちゃんの住むアパートに引越しし、奇妙でおかしい住民やトトちゃんたちとの生活、やがて突然くるトトちゃんの死、という構成だったのを、いきなりアパートに引っ越した経緯から始まり、警察や家族とのやりとりは回想形式で語られるように変更したわけですが。
 当初の構成だと、主人公の男のなんとも不思議でトボけたキャラクターと、周りの人物とのやりとりでだんだんシュールな世界へ誘われていたのが、いきなりアパートに越した経緯を説明されても、まだ読み手は主人公のことがわからない・・・。登場人物の紹介は説明でなく、ちゃんとしたストーリーの中でやったほうがいいと思います。
 ボケてツッコむセリフ回しは、面白くなっています。

 N子さんのホラー小説。
 なかなか前へ進みません。
 もっと登場人物たちの細かい描写、やりとりを書くようにという宿題を出したのですが、ダラダラと書くのと細かい描写は違います。映画で言うと、カットカットが繋がっていないんです。主人公の女の子と姉が食事をするシーンも、パンにマーガリンを塗って食べるカットがあって、次のカットはもう食べ終わっており、洗面所に向かっている、みたいな。つまり演技が繋がらない。時間経過も飛び飛びの感があります。その間、主人公の不安な心理描写や、ここに至る経緯が回想されたりするのですが。
 もっとくどいというほど、ドラマ重視に書いてみることです。目標は今回提出されたものの少なくとも2倍になるように。で、そこから余分なものを削ればいいのです。
 それともっと小説を読むこと。

 Yくんのアクションもの。
 なんか面白いことになってきました。カンフーアクション+ミステリー+インディ・ジョーンズばりの冒険+オカルト。
 キーマンになる主人公の描写が緻密で、テンポもよく、アクションや人物たちの動きや距離感もちゃんと想像できます。まだ発端シーンなので、どの要素に比重が置かれるかわかりませんが、ぜひぜひワクワクさせるエンターテイメントを最後まで書き上げてほしいものです。

 T野くんのSFホラー小説。
 前回指摘されたのは、月面基地で不可解な事件が続き、とうとうみんなの目の前でクルーの一人が説明のつかない消失をする。さて、これを残ったクルーたちがどう解釈するのか、ということでした。前回はなんか「幽霊」ありきで進行していたのですが、クルーたちは専門的な科学知識を身につけて訓練された隊員たち。しかも主人公は日本人で、キリスト教徒、イスラムの人もいる。民族、国籍、主義、宗教、受けてきた教育が違うわけです。しかもそこは月面基地。ここで幽霊の存在についてもっと議論し、それぞれの主義主張を見せると面白いんですけど。それが個々のキャラクターのその後の見せ場を作り、対応の仕方の伏線が張れるはずなんですが。
 まだ会話が知的じゃないんですね。民族や宗教の違いもまだ明確には出ていない。これ、この作品の一つの見せ所だと思うんですけど。本人もリサーチ不足を自覚しているようなので・・・。

 Dくん。
 久々に原稿提出。時代劇です。
 まず、ここんところ何しとったんや、というのが私の思うところ。
 400字詰め原稿用紙10枚程度のものなんですが、ここ3ヶ月ほど、ほとんど進んでいない。昼間仕事しているのはわかるんですが、それはみんなそう。
 脱サラして作家になりたいと彼は言いますが、真剣味がない。ほんまにそう思ってんのかなあ、と。細かいテクニックはどうでもよろしい。もっと書いて書いて書きまくらにゃ。

 T田くんのヤンキー小説(?)
 彼もどちらかというとシュールなギャグが持ち味です。O田くんとは違って、世界観の設定がしっかりしているので、安心してギャグの世界にひたれます。アホなヤンキーたちのやりとりや行動が、バカバカしくて笑わせながらも、なんかコイツら、かわいいヤツらやな、みたいな共感ももてます。ただ、都会から出てきたインテリ(?)転校生たる主人公の設定のみが、定まっていません。ヤンキーたちにケンカを挑まれ、困り果てながらケンカに巻き込まれる主人公が、あまり怖がっていないし、痛みも感じない。主人公が気がつくとケンカは終わり、番長(懐かしい響き)に背負われていてなんとなく友情らしきモノが生まれ・・・という次のシーンへの、友情への布石が不足しているんです。番長はこの主人公のどこに、どういう好意を抱いたのかが
わからない。そこに違和感が残ります。その1点だけ。



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2010年12月08日

サウンド・オブ・ムービーズ

 中山市朗です。

arabia 長年待ち続けた名画『アラビアのロレンス』のフルスコア盤CDがやっと出たんで購入。
 デビット・リーン監督の大傑作。
 作曲・指揮は当時売り出し中のモーリス・ジャール。
 この映画のサントラ盤はLPを3種類(中学のときに買った国内パイ・レーベル、後に中古で発見、米盤オリジナル・モノラル盤、ステレオ盤)持っていたんですが、3時間40分ある映画に収録された音楽の全てはカバーされず、CD時代になってトニー・ブレムナー指揮/フィルハーモニア管弦楽団による再演奏盤が出て、未収録だった楽曲が収録されたものの、まだ完全盤とは言えず、またオリジナルの雰囲気じゃなかったので、あまり聞かなかったんです。
 で、最近発売されたニック・レイン指揮/プラハ・フィルハーモニーの演奏による。フルスコア盤CD。これは素晴らしい。
 オリジナルにほぼ忠実な楽器編成と演奏。
 文句ありません。

 BSでハイビジョンされたものをそのまま録画してありますが、音だけ聞いて頭の中で名画を思い出し、ひたるのもええもんです。
 DVDは教室に寄付したんだけど見かけない。
 誰かパクッた?

 ところで映画音楽というのは、作曲家の才能を引き出す監督あってのことだな、としみじみ思う1作です。モーリス・ジャールは同じリーン監督のもとで『ドクトル・ジバゴ』『ライアンの娘』と傑作スコアを発表するんですが、日本に招かれて作曲した『首都消失』や『洛陽』なんて全然印象がない・・・。
 
 
tobruk こちらは、まさかこんなモノがCD化されるとは!
『トブルク戦線』のサントラCD。ロック・ハドソン、ジョージ・ペパード主演のB級戦争アクション。同時発売されたジョン・ウェインとカーク・ダグラス主演の『戦う幌馬車』のサントラCDは、今探しているところです。


presidentlady こちらはバーゲンで出ていたサントラCD。
 アルフレッド・ニューマンが音楽を担当した『真紅の女』。実は私は未見。
 若きチャールトン・ヘストンとスーザン・ヘイワード主演のメロドラマらしい。
 ヘストンは後に大統領となるアンドリュー・ジャクソンを演じているそうで。


presidentlady_ura
『真紅の女』のCDジャケット裏側。
 若きチャールトン・ヘストンかっこいい!






banana『ウディ・アレンのバナナ』
 これは未公開ながらテレビでは『一発大逆転』とかいう題名で放送されたのを昔見たんです。今はDVDも出ています。『アニーホール』までのアレンは、ほんまにバカ映画作ってて好きやったんですけど、『インテリア』以後はどうも・・・。
 サントラはハチャメチャな本編と同じく、落ち込んだときに聞くと元気が出るかも。


bananaura
『ウディ・アレンの誰でも知りたがっているくせにちょっと聞きにくいSEXのすべてについて教えましょう』とSFコメディ『スリーパー』も収録。





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2010年12月04日

12/1の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 昨日の続きです。

 アウトプットする方法を探る前に、いいインプットについて考える必要があります。
 やたらモノを知っているけど、全然それが活かされていない、口だけのヤツ、いますよねえ。それって尊敬できないですよね。

 いいインプットをするためには、まず問題意識をもつことです。
 極めたオタクの人というのは、何を入手すべきか、何に価値があるのか、それがどこにいけばあるのか、を体感的に知っている人なんです。つまりいいインプットをするための必要な意識、アンテナが備わっているわけですね。
 問題意識のある人が、情報を観て何かに気づく、というわけです。
 フランスの発明家、ジョルジュ・クロードは言います。
「発明とは、同じモノを見て違う何かを考えることだ」
 と。
 インプット能力というのは、記憶力とかじゃないんです。 
 効率的に情報収集手段を体験的に知っている人が、インプット能力のある人なんです。
 それには資料や書籍、ウェブサイトの情報ももちろんですが、知っている人を知っている、つまり人脈があることこそ、大事なんです。コミュニケーションです。
 私の場合、やっぱり怪談蒐集は人脈がすべてです。本やウェブサイトに載っている話は使えませんから。古代史も以前はずいぶん関西テレビという冠を使わせていただきました。この名前で大勢の宮司さん、郷土史研究家、博物館の研究委員、祭りの総代さんといった人たちから、貴重な証言を得られたわけです。でも、こういう人たちから欲しい情報を得るためには、問題を見極め、事前のリサーチが必要なんです。何を引き出すべきかも知っていなきゃ。でないと、ありきたりの答えしか出てきません。私の欲しいのは極秘情報なんですから。それが私の作品になるわけですから。
 つまりアウトプットすることを前提としたインプットをするわけですね。
 これは、インプットとアウトプットをうまくつなげる作業なわけです。

 では、そのアウトプットする前提をどう作ったらええねん、ということですが。

 ほんとはね、作家になりたいならまず、書くことなんです。例えば私なんて聖徳太子の研究を今もずっとやっているわけですが、研究を主にしてしまうと、これは一生かかっちゃうわけです。聖徳太子の研究にその全生涯を賭けた人なんていっぱいいてるわけです。だから書いてみる。そこでわからないこと、書けないものが出る。そしたらそのことを調べるわけです。今、何を知るべきか、何が足らないかがそこでわかる。
 書いていないと、その「今」がわからないから、延々調べるという事態に陥るわけです。でもそうしたところで、研究家でも大学の先生でもないわけですから、そのうち調べることの意味すら失って、いつの間にやらそれすらもやらない、てなことになるんです。
 だから書くしかないんです。なんでもいいから。
 スティーブン・キングなんて、その調べることすらいらない。ひたすら書け、と言っています。無茶苦茶才能のある人の言葉です。

 じゃあ、その書くことすらできない。何を書いていいのかわからないのなら?
 そういう人たちは、作家目指すのを辞めなさい、と言いたいところですが、でも書くことが好きだというなら、芽はある。30代、40代、50代で作家になる人、いくらでもいてますし、あるときパッとひらめく人もいる。私も20代、なにしていいかわからなかった。

 私の若い頃(今も若いつもりですけど)、情報源といったら、新聞、書籍、論文。それと映画とテレビ。それくらいしかなかった。でも今はコンピュータのネットというものがあって、ほぼ無料で色んな膨大な世界中の情報にアクセスできます。
「広く、薄く、迅速に」
 これは簡単にインプットできるということです。
 そしたらこれ、簡単にアウトプットする、ということも意味するわけです。

 作家志望者として出版物を出すということは、目標とする「大きなアウトプット」なわけですが、実は今、このような膨大で雑多な情報の渦の中にあって、出版する、というだけでは、よほど有名な作家は別として、埋まりすぐに消えてしまう危険性があるわけです。特に電子出版なんていうのは、出すのは比較的簡単ではありますが、「どうアピールするか」を考え、実践しなければまったく売れない事態に陥るでしょう。
 で、この出版不況と押し寄せる電子出版の波に対応するには、「どうアピールするか」という問題意識は、今後作家となる若い人たちには、考えねばならない、スキルとして必要なモノになると思うんです。
 今までは作家はただ書いてりゃよかったんですが、今後はそんな時代でもないように思います。

 で。
 そのアピール。
 今、簡単にできるものじゃないですか。
 まずブログ。
 塾生たちも書いていますが、まだアピールになってないのがある。アレは目的意識と定期的な更新がないと、他人は読んでくれないし、意味もない。一般の人が名を隠して書いているのとはわけが違うのです。だからこのブログから何を発進すべきかを考えるんです。そして少しでも多くの人に読んでもらう、共感してもらうことを意識するんです。
 このことが、アウトプットの頭を養う訓練になるはずです。
 で、今はミクシィとかツイッターなんてありますよね。
 私はやってませんけど。
 でも、それらが何なのかはわかります。これらはブログの更新を埋めるための「つぶやき」なわけです。日常に感じたこと、見たことを自分なりの視点から瞬時にアウトプットする作業なわけです。これはモノの見方の訓練にもなる。
 これをやり続けていると、やがてブログは存在感をもち、リマインドさせることになります。つまりアピールがうまく作用しているということです。それに接した人たちが多数いるということで、それだけ反応が返ってくることを意味します。その反応、影響が、相乗してさらに成長をもたらすんです。
 今はとにかく「クリエイターをやっています」と言って、営業して名刺を先方さんに渡しても、ネットの検索に引っかからなければ信用もしてもらえない時代です。ここで目立っているということは、今後、デビューしたり仕事をもらうにはいろいろ有利なことは、確かなことでしょう。

 このブログやツイッターでのアウトプットを、スモール・アウトプットとします。
 このスモール・アウトプットなら、誰でもできるでしょう?
 だったらやりましょう。
 でも、作家志望者にとって、これは目的ではありません。
 出版するという大きなアウトプットが、ビッグ・アウトプットの前段階と考えるべきなのです。
 そのビッグ・アウトプットの叩き台としての、スモール・アウトプットなのです。だから、自分が作家ないしマンガ家などクリエイター志望者であるという、身分や正体を明かし、自分の言葉の責任をもって発言することをしなきゃ、意味がありません。
 そうするとこの、スモール・アウトプットが、コミュニケーション能力を培い、またアイデアや日々の気づきのつぶやきに対して反応をしてくれる人などから、伝わっていく肌感覚と他人が見てくれているという喜びも出てくるわけです。
 もう一度言います。ペンネームでもいいから身分は明かすことです。
 身分を隠してのつぶやきには、責任を伴わないですから。これは意識が違ってくる。
 意識が伴うと、責任をもって読者に伝えるべき手法や言い回しに意識が行き、どう先方にイメージを伝えるかを考えるようになるはずです。
 恐いのは、このスモール・アウトプットで満足してしまうこと。
 そういう人はもう作家には向きません。

 とにかく、なんらかのアウトプットをする。
 それはクリエイターとなる自分のアピールである。
 となれば、伝え方(アウトプットの仕方)を構築し、読者を意識することになります。
 その積み重ねと、ビッグ・アウトプットへ向けての日々の精進があるなら、プロのクリエイターになる日も夢ではないと思います。そしてヒット作を生み出す下地ができているのではないかと思うのです。
 
 ビッグ・アウトプットは「何を書くか」
 スモール・アウトプットは「それをどうアピールするか」
 とにかく頭の中にあるイメージを、どう他人に伝えるのかの思考を鍛えるには、なんらかのアウトプットを、戦略をもってすることが効果的で実践的なやり方でしょう。

 ともかく出来ることから、アウトプットしてみましょうよ。
 塾生諸君も、もうちょっと自分のブログを見直し、更新頻度を上げる努力をすること。ツイッターなどに利用されずに利用すること。
 ブログをやっていない人は、ただちに始めること。
 そして、下手でもいいから、主となる作品を書くこと。

 です。

 



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2010年12月03日

12/1の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 26日の「Dark Night」の件で、スタッフから色々報告を受けました。
 後ろの席の方、舞台が見づらかったそうで。
 申し訳ありませんでした。
 今後の反省点とし、みなさんに楽しんでもらえるイベントとしたいと思います。どうか遠慮することなく、ご意見、ご要望をお聞かせください。

 さて、昨日は、面白いところに招かれて講演をしておりました。
 30代から40代くらいの神社の神官、神主さんたちよりなる「神道青年会」というのがありまして。
 そこで「言霊(コトダマ)」についての講演を依頼されたんです。
 その後は懇親会にも招かれて。
 元気のない日本。日本人から日本人としてのアイデンティティや性根が失われつつある昨今、それを取り戻すのは神社という存在をもっとアピールすること、というメッセージを私なりに発したつもりでした。
 そのためには、神道や日本の歴史をもっと多角的に見て、まずは若い人たちに興味を持ってもらわなきゃ。その多角的な古代の歴史観を壇上で唱えた私ですが、神官や神主さんたちは、どうお聞きになったのでしょうか?
 懇親会には私の著書を読んでいる、という人たちが何人も私の席に来られて、楽しく歓談させていただきました。民俗学や歴史の勉強をしていて神官になったという人や「実はこういうことはあまり大きな声では言えないが、確かに日本の古代史を見ると、古代のユダヤとの関連は見え隠れすると思う」という人もおられました。講演よりも濃い内要の話がここで繰り広げられました。秘密情報もゲット!
 でも、久しぶりですわ。万歳三唱したの。

 で、1日遅れの1日(水)の作劇ゼミの報告です。

 今回はインプット、アウトプットについて考察してみました。

 インプットというのは、情報や雑学の収集、書物を紐解いたり、映画や観劇、音楽の鑑賞、旅行や取材、人との交流といったものを言います。我々にすれば見るもの聞くもの接するもの、全部インプットです。
 アウトプットはそれを作品にし、世に出す、ということですね。

 私の持論としては、アウトプットするにはインプットをどんどんしろ、ということ。
 10数年前、某大型専門学校に講師として赴任した私は、学生たちにシナリオを書かせたらロクなもんが上がってこなかったという経験値から思うわけです。
 まず映画を見ていないから、シナリオにならない。ゲームをやって、アニメとマンガしか見ていないから、同じような世界観、どっかで見たようなモノのオンパレード。またそれがペラペラで。当時はやっていた剣と魔法のファンタジー。じゃあ、剣や魔法について何か語ってみろ、と言うと、そんなこと考えたこともないって。そら、ロクなもん書けんわ。
 だからまず、そのカリキュラムをインプットさせる授業に変更したわけです。まあ他のカリキュラムでは色々課題を与えて書かせているみだいだったし。

 しかし、高校卒業したての、漫画家や小説家、脚本家を目指している若い子たちには、それがわからない。「本読んでも、映画を観ても、実際に使えないじゃん」と言うわけです。アホか。まず己の頭の中に貯めて、発酵させんねん、と。で、多くのそれらの組み合わせやねん、と。だから今のうちにどんなことでもインプットしとくねん、と。
 頭カラッポで、何を描くねん、と。

 毎年のように教え子に言うてきた言葉です。
 で、そういうからには私も、どんどんインプットせんと、彼らの質問には答えられるようにせんと説得力ない。おかげで私も勉強になったわけです。

 ただ恐ろしいことも起こるわけでして。
 インプットばかりしてて、全然アウトプットしないヤツも出てくるんです。いや、そういうのが大半でして。
「作品、書いてる?」と聞くと「いや、書くために映画観てます」「本読んでます」というヤツこれ、半年後、1年後に同じことを尋ねて、同じ返事が返ってくる。
 いつ作品にすんねん!
 立花隆さん、でしたか、何かの本でこう書いていました。
「ただ作家志望の大半は、実は最後まで書き上げたことがひとつもない。そう、いつか書き始めると、構想をあれこれ練って(インプット)、時間だけどんどん経て、しまいにはアウトプットしない最悪のパターン・・・」
 まさにそれ。
 これ、おそらくインプットしながら脳内でアウトプットしてしまっているんでしょう。
 引き出しを増やす、知識を広げる、そこに満足しちゃって、評論家みたいなことは言うんですけど、作品は永遠にできない。自称作家、自称漫画家、おりますねえ。
 これは我々にとっては、お金出して作品を買ってくださる大切なお客様、であるんですが、クリエイター志望がそうなってどうすんねん、と。

 漫画家の一色登希彦さんがブログで、同じようなことを書かれているのを私、発見したのですが、氏はもっと踏み込んで、このようなことを書いていました。
「良質のインプットに値するだけの作品を、脳の別の場所で作品を生産しつつ、つまりアウトプットしつつ、自分にその作品を読ませる。つまりインプットさせ、その自分の読書印象をアウトプットする。という具合に脳への情報の『循環』を自作の作品で気持ちよく行なわねばならない」
 つまり、「他人の描いた作品で楽しむのはラク」
 ではなく、「他人の作ったモノより、自分の作ったモノのほうが面白くなくてはならない」
 「自分の作ったモノより面白いモノがあるのなら、自分で作る必要もないし、作ることもできない」
 プロの言葉ですわ。

 オタクと言われる人たちがいます。私もそれを自認していますし、作家仲間のほとんどが何かのオタクでもあります。
 オタクというのは、もうひたすらインプットしまくる人種です。「得意の何かを知る、身につける、コレクションする」わけです。凄まじいインプット能力のある人が、オタク仲間の羨望の的となり、ヒーローとなります。でも、この「インプット」したものを、「アウトプット」して世の中に問い、社会に還元することは、もっとすごいことです。
 クリエイター志望者たちは、そう思って日々を送っているはずです。
 それですごいことをしたいと思っているはずです。
 宮崎駿さんは、「ヒコーキオタク」、京極夏彦さんは「妖怪オタク」、菊地秀行さんは「ホラー映画オタク」、あのスピルバーグもタランティーノも、「私は映画オタクだ」と何かのインタビューで公言していました。
 だから、凄まじいインプットはするべきなんです。それは間違いない。
 なぜなら「アウトプットがインプットを上回ることは絶対にない」からです。
 カラッポの鍋からスープが出まっか?
 また、煮えていないスープ、うまいでっか?
 
 でも作家やマンガ家を目指しながら、確かにインプットはするんだけど、アウトプットする必要も認識しながらも・・・でもアウトプットできなくて悩んでいる人、いますよねえ。私もそういう時期あったんでわかります。
 そして、我が塾にも、おるおる。
 アウトプットせんヤツ。
 で、緊急課題として、アウトプットの仕方を考えてみたわけです。

 明日へ続く。


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kaidanyawa at 22:56|PermalinkComments(0)

2010年12月02日

12/1の作劇ゼミ予告

 塾長・中山市朗は、講演会のため本日は不在です。
 1日のゼミの報告は、明日になります。
 また色々と濃い内容になると思います。 
 ご期待ください。

 スタッフ



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2010年12月01日

オカルト・イン・ザ・ダーク

 中山市朗です。

 『中山市朗 Dark Night』をレポートした前回のこのブログへの多くのコメント、拍手、ありがとうございました。
 本当に感謝いたしております。
 スタッフから見たブログはこちらにあります。

 中山は怖い話をやってりゃいいんだ、という声があるのは存じておりますが、今後続けるトークライブを『怪談』と名をうたず、『Dark Night』としたのには、訳があるんです。

 日本の古代史をオカルト的見地から解明する試みをやってみたいのです。

 そういうことは自身が主催するイベントでしか出来ないじゃないですか。
 古代史をオカルト的見地で、なんてことは出版物で色々出ていますし、たまにテレビ番組にも取り上げられています。しかし、ライブでやるのは誰もしていないように思います。これも怪談ライブやCS京都『京都魔界案内』『京都魔界巡礼団』の製作で培ったノウハウを活かして、新しい何かができなかな、と思うんです。
 アカデミックな歴史は、大学の偉い教授だとか専門家が講演やセミナーという形でやっておられるのはよく拝見しますが、私はこれをなんとかエンターテイメントにできないかと考えているんです。
 
 オカルトと聞けば皆さん、眉唾、まがまがしい、根拠のない、いい加減な、エセ科学、みたいなイメージを持っていらっしゃるかもしれませんが、もともとは学問であり、人々が神と対話するために探求された知的体系であり、実践だったんです。
 日本にもありますね。
 風水、陰陽道、呪術、呪法、祟り、古神道の秘教、秘法、霊学。それに鬼や妖怪。
 教科書ではこれらはバッサリとカットしてありますが、これらを抜きにして本当の日本の歴史は語れません。神社や古代遺跡の配置、そこに祀られた神も、ある視点(それは通常の視点ではない)から見れば、不思議な法則や意味が発見されます。これもオカルトです。古人が叡智を駆使して封印し、あるいは結界を張った痕跡です。
 京都も江戸も、いや大阪だって、この封印、結界によって作られているんです。
 古代の日本人は、天皇も、いやこの天皇こそが、その謎の法則や秘儀によりあり続けているのです。

 もちろん、日本以外、例えば『聖書』を聖典とする国々では、悪魔や天使が信じられ、魔術、魔法、錬金術が編み出されるわけです。また、『聖書』そのものが預言の書でもあるわけです。それが人智学や神智学を生み出し、また『聖書』の民、イスラエルのラビたちは、ユダヤのカバラという数秘術や神秘哲学思想を編み出しました。その奥義を取り込んだのがフリーメーソンのような秘密結社であり、実際のところ、フリーメーソンを語らずして、近代の欧米は語れないのです。ただし、フリーメーソンが世界支配をしているというような話は、また別の話ですよ。

 まっ、このように人間の歴史はオカルトによって作り出され、運営されてきた、と言って過言ではないと思うのです。いや、今もそうです。
 人間は本当に目に見えるもの、科学合理主義、論理性、整合性だけの中で生きているのでしょうか? いや、実際に我々の目は、その本質を見極めているのでしょうか?
 科学や論理を、果たして本当に理解しているのでしょうか?
 どこかの偉い学者が言ってたから、教科書にそう書いてあったから、そう教えてもらったから、テレビでそう言っていたから・・・。そう思っているだけではないのでしょうか?
 私はそこに疑問をもつわけです。
 いや、私の言い分が正しいなんて大それたことは言いません。しかし、考えてみることは必要なのでは? と思うわけです。
 ということで『Dark Night 古代史編』では、みなさんと、そういう目に見えない、あるいは史実から隠された、日本の古代の姿を見ていこうと思います。またこれが、日本だけには留まらない、雄大な話になっていきます。

 その最初に、聖徳太子をもってきたのには理由があります。
 天皇と神道、この二つを作ったのは、聖徳太子だと私は思っています。
 えっ? 聖徳太子は仏教の人じゃないのかって?
 違うんです。その証拠を当日ご覧にいれます。
 謎の渡来人・秦氏も関係してきます。四天王寺、京都の太秦、奇祭・牛祭り。
 そういえば、秦氏ユダヤ人説は本当なのでしょうか?
 秘蔵映像もありで、その秘密にも迫ります。

 そして、やっと情報の一部を解禁します。
 私の新刊が、この聖徳太子と日本の古代史に関するものなのです。
 題名は、

『モーツァルトの血痕』

 もちろんフィクションではありますが、聖徳太子の謎を追って記した拙書『捜聖記』を発表以来10年、ずっと懸案し続けた聖徳太子の預言書を、まったく別角度から示唆するものです。それがモーツァルト! なんです。
 モーツァルトと聖徳太子?
 わからんでしょ、このつながり。
 それは本書を読んでいただくしかないのですが、これは『捜聖記』で暴いた聖徳太子の正体と密接に関係してくるのです。いわば『モーツァルトの血痕』は、『捜聖記』の姉妹編ともいうべきものなんです。もちろん『捜聖記』を読んでいなくても、充分に興味ある小説(なのか?)として楽しんでいただけます。
 でもモーツァルトって?

 どちらにしても、次回の『Dark Night』に参加していただければ『捜聖記』も『モーツァルトの血痕』も10倍楽しんでいただけることを保証します。いや、その2冊を読まなくたって、日本の古代史に興味をもち、『聖書』を読んでみようかという好奇心が沸き立つこと、請け合いです。
 そして思われることでしょう。
 日本は神秘で不思議な国だ、もっと日本のことを知りたい、と。

 なお『モーツァルトの血痕』は、通常の書籍ではありません。
 電子書籍での発売を予定しています。
 電子書籍といっても、巷にある、ただ文章を配信するだけのモノとは仕様が違います。世界初仕様も含めた実験的なコンテンツとなる予定ですので、ご期待ください。
 まずはiPad iPhone。
 
 配信は今年中には、と思っていますが、Apple社などの審査次第で来年になる可能性もありますが、『第2回 Dark Night』の開催には間に合うと思います。

 怪談?
 またやります。
 『Dark Night』以外でもお目にかかれると思います。
 呼んでくだされば。
 
  


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kaidanyawa at 19:41|PermalinkComments(6)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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