2011年03月

2011年03月31日

3/30の作劇ゼミ・・・は休講

 中山市朗です。

 30日(水)の塾は、第五水曜日のため、無し。
 本当ならゲスト講師を招くとかしたいんですけどね。
 小さい塾ですから、予算が・・・。
 しかし塾生たちが、近いうちに何かやろうと目論んでいるようです。

 さて、
 先日、また行ってきたんです。年に2、3回は行きます。
 近くにはあの、幽霊マンションもあります。
 どこって?
 京都の太秦です。
 太秦と書いて、ダイシンではなく、ウズマサ、と読むんですね。
 で、ウズマサといえば太秦映画村。
 日本のハリウッド、というとオーバーなようですが、映画全盛の昭和30年代までは、特に時代劇を製作する大映、東映、松竹などの撮影所が集まって、次々と名画を世に出しました。
 黒澤明『羅生門』、溝口健二『雨月物語』『近松物語』『西鶴一代女』、衣笠真之助『地獄門』、吉村公三郎『源氏物語』『夜の河』『偽れる盛装』、内田吐夢『宮本武蔵・五部作』、三隅研次監督の美しい作品群。阪妻、大河内、嵐寛、千恵蔵、右太衛門、勝新、雷蔵、錦之介、いやいや東映や大映の時代劇のほとんどがここで撮られたんです。テレビで見る時代劇ドラマもほとんどここで撮られています。「遠山の金さん」「水戸黄門」「銭形平次」「大岡越前」「江戸を斬る」「必殺シリーズ」・・・。

 さて、本場ハリウッドの映画の数々はユダヤ資本とユダヤ人の芸術家たちによって作られた、と言っても過言ではないでしょう。特にナチスのユダヤ狩りから逃れてきたユダヤ移民の芸術家や実業家たちは、ハリウッドに新しいビジネスを見ました。
『風と共に去りぬ』のプロデューサー、セルズニックも、ワーナー・ブラザーズ(4兄弟)もMGMを創設したサミュエル・ゴールドウィン、ルイス・B・メイヤー、コロンビア映画の創設者、ジャック&ハリー・コーハン兄弟、ユニヴァーサル映画のカール・レムリ、パラマウント映画のアドルフ・カー・・・みんなユダヤ系移民です。違うのは20世紀フォックスのダリル・F・ザナックくらい。
 その系譜は今も続いているようです。
 私の友人が以前ビバリーヒルズにある某映画プロデューサーの家に泊まったことがあるというんです。映画の買い付けに行ったんですけど。ちょうどその日はクリスマスだったそうですけど、祝っていたのは下町と観光地化
した通りで、こちらはひっそり。
 超豪華な邸宅に住むハリウッド人の多くは、ホントにユダヤ教徒だったというのです。
 ユダヤ資本が世界中の人々に影響を与えているという説に偽りはないようです。

 ところで日本のハリウッド、太秦も本場のハリウッドと同じくユダヤ人たちが移住していた、という話があります。3〜4世紀という遠い遠い昔のことです。
 撮影所の近くに大酒神社があります。小さい神社ですが。
 これ、昔は大闢神社と書いたと言った人がいました。同じオオサケと読みます。
 私、中国の留学生に大闢、という字を声を出して読んでもらいました。
 ダァービィ。
 意味は? と聞くとダビデのことだと言いました。
 さて、この大酒神社の由緒書きに、秦氏という渡来人たちが応神天皇の頃、大挙来朝して帰化したとあります。太秦の秦は、秦氏から来ていたわけです。で、太は?
 大秦寺という寺院が唐の首都、長安にありました。
 大秦とはローマのこと。そしてエルサレムはローマの属国にあったので、これはキリストの生まれた地を指す・・・、実際大秦寺というのは、キリスト教の一派、景教の寺院だったのです。
 と、太秦、大秦、似てますよね。
 で、これがなぜ、ダイシンではなく、ウズマサと読むのか?
 それはアラマイク語でイエス・メシアの訛化語だ、と指摘したのは佐伯好郎という景教研究の権威でした。
 つまり太秦は、文字はキリストの生まれた土地、読みはイエス・メシアと意味したということなんですな。
 しかも、太秦には木島神社、別名蚕ノ社(秦氏は確かに養蚕も手がけていました)に不思議な三本鳥居というのがあって、これはキリスト教の痕跡ではないか、と、木島神社の由緒書きにもちゃんと書いてあります。
 三本の柱が、主、御子、聖霊を意味して、上で繋がっている意味だと言ったのは、飛鳥照雄だったっけ?
 その他、イサライの井戸というのがあって、イスラエルのことではないか、とか、広隆寺(大酒神社はこのお寺の守護社でした)で摂り行なわれる
牛祭は、京都、いや日本三大奇祭の一つで、これはユダヤのヨンキブアと呼ばれる祭りに似ていると、ユダヤ教のラビ、マービン・トケイヤーが指摘したり・・・。
 つまりこの太秦に移住してきた秦氏というのは、ユダヤ系移民だったというのです。
 
 ところがこういった説は、学説ではありえない、としているわけです。
 キリスト教が日本に来たのはザビエルの頃、戦国の最中ですから。
 秦氏は朝鮮半島から来た渡来人で、キリスト教も来ていない。 
 でまあ、トンデモなんて言われてしまうのです。

 しかしちょっと待て、と言いたいわけです。
 トンデモなんて言っている人は、ちゃんと現場に行ったり、調べたりしているのかな、と。
 何か説を立ててそれを立証し、論証するには、そうとうな積み重ねと調査と勇気が必要なんです。新説を立てるというのは、大変なことなんです。迫害もあるし。
 一方、反対する側は、ありえないのひと言で済む。こっちは賢く見えます。
 説を唱えた方は、トンデモの烙印を押されたりして。こっちはアホに見えます。
 でも、アホがいなけりゃ、学問なんてガチガチの保守派の塊になっちゃいます。
 もちろん思い込み、というのもありまして、これが暴走すると確かにトンデモになっちゃいます。自分の説を固めるために都合の悪い情報や証拠は無視するか、あれは嘘だと言い張る人が多いのも事実。しかし学派にいて、何も言えない学者がいるのも事実。
 トンデモがちゃんと学説になることだって、あるかもしれないですしね。

 実は太秦は、ユダヤ人ないしは景教を信仰した秦氏の形跡に違いないと、生涯をかけて論説を積み重ねていた学者がいました。
 先ほど紹介した、佐伯好郎博士です。彼は景教研究の世界的な第一人者でしたが、彼の弟子であった江上波夫氏が大和朝廷は「騎馬民族征服」による創始だったとする説を打ち立てるため、騎馬民族説は師匠の佐伯博士の説の延長上にありながらも、佐伯説を黙殺したという経緯もあるわけです。
 学者たちのそういう戦いもあるわけですな。
 ま、私は学者やないので、自由に思ったことを言えるわけですが。
 
 さて、私も何度も何度も太秦や京都の各地を周り、取材を重ねています。
 寝屋川にも太秦という土地がありまして、十数年前、ここをテレビや出版物で取り上げたのも、私が最初ではなかったかと思います。
 渡来人秦はまず、この河内太秦に拠点を置いて、京都の葛野に進出したようです。
 寝屋川は今こそ海から遠い内陸と思われがちですが、秦氏が造ったという茨田の堤の跡が残っているように、あの辺まで昔は海だったんです。だから渡来人たちの集落となったわけです。
 寝屋川周辺からは3、4世紀の渡来人の遺物が発掘されていて、東南海地震で津波が来ると寝屋川まで到達すると言います・・・?

 実はこの寝屋川の太秦で、すでに牛祭は行なわれていたようなんです。
 ということは、牛祭の謎解きは、秦氏の謎に直結し、私が思うに聖徳太子の正体もここにかかってくる。四天王寺にその形跡もありますしね。渡来人が来たといっても、どこからどんな人がこの日本列島にやってきて、歴史に何をもたらせたのか?
 以前、広隆寺の管主、大酒神社の宮司さんにも話を伺って、牛祭の追跡取材を徹底的に行なったことがあります。私の著書『捜聖記』の下敷きになっています。
 おそらく、牛祭の数日前の準備から祭の最後まで、詳細にて映像に収めたのも私だけではないでしょうか? ここ数年は行なわれていませんしね、牛祭。
 その一部の映像は、昔、私が構成、出演したCS京都の『京都魔界案内』にも使用しています。

 秦氏は平安京ができる遥か以前から今の太秦の地に住み、大和朝廷に従属して土木工事や寺院、神社の建設をします。神社の今の形態はおそらく秦氏によって造られたものだと思われます。そして平安京造営時には、完全に裏に回ってその資金提供をします。
 どうも秦氏は表に出ず、しかし歴史を掘り起こすと必ず出てくる。
 そして秦氏は芸能の発祥、能の歴史を調べればわかります。秦は忍者の発祥にも関わります。服部は秦氏ですから。そして聖徳太子に厩戸というキリストを思わせる名前をつけたのも、太子の教師役でもあった秦河勝という男でした。広隆寺はその河勝が建てたと、『日本書紀』に書いてあります。
 亡くなられた四天王寺元管長の瀧藤氏によると、四天王寺創建のスポンサーは秦氏だったと証言されていました。
 ともかく不思議な氏族です。

 その不思議は秦氏を考えると、また色々なユニークな日本の歴史が出てくるわけですが、9日の『Dark Night』では、牛祭の秘蔵ビデオも公開します。
 初公開です。
 秦氏は本当にユダヤ人なのか? 景教は来ていたのか? の検証をやってみたいと思っています。
 これがトンデモなのか、ちゃんとした歴史的解釈となるのかは、皆様の判断に委ねます。私はトンデモじゃないと、自信あるんやけどなあ・・・。

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2011年03月28日

サンダー告知作戦

 中山市朗です。

 松竹芸能から正式な出演依頼がきました。
 なので発表します。

「北野誠Presents 心霊・怪談・都市伝説ライブ」(仮称)

 場所 堺教育センター ソフィア堺 プラネタリウム

 日時 平成23年4月23日(土) 
 開場 18:30
 開演 19:00

 内容は、北野氏と私のガチ怪談。都市伝説の話もするのかな?

 入場料は2500円となっております。

 そして4月9日(土)の「Dark Night パート3」も近づいてきています。
 資料と格闘しております。
 前回は聖徳太子の謎を追って、聖徳太子の血筋は蘇我氏ではなく、物部の本家、海部にあるという結論に至りましたが、今回はその海部氏の謎と、その同族にあたるという秦氏にスポットをあてて、よく古代史マニアの間で噂される、秦氏はユダヤ人なのか、あるいは日ユ同祖説は本当なのか、というあたりにスポットを当ててみます。
 日ユ同祖説とは「聖書」の民であるイスラエル人たちが、古代の日本へやってきているという説論。実はこの説を最初に示したのは、明治時代のイギリス人でした。
 もちろん学会は完全黙殺。
 しかし、
 籠神社の謎、太秦の謎、牛祭りの正体、三本鳥居の謎、四天王寺石堂の謎、物部神道の謎を追及していくと、そうかも、という要素も確かに存在するんです。
 そして聖書に出てくるイスラエル人とは、どういう人たちだったのか?

 そういう話を、また図版などを用意しながら、分かりやすく、しかし濃くやります。
 その辺りに疑問や質問がございましたら、用意しておいてください。
 
 ともかく、日本という国は、ほんとに神秘と謎に包まれた歴史と宗教と文化をもつ国なんだなあと、実感してもらえることは確実です!

「Dark Night パート3」
 詳しくはこちら


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2011年03月24日

3/23の小説技法

 中山市朗です。

 ブルーレイのハードディスクが壊れてしまったようです。
 サービスセンターに問い合わせると、修理すれば当然、入っている番組は消えるようです。いつかは来ると思っていたんですけど。
 まだダビングしていない貴重な映画やCM、ドキュメンタリー、コンサート、落語などが残っているのに。
 まあ3年間、酷使したからなあ。

 さて、23日(水)の小説の合評です。

 珍しくSFのT野くんが作品未提出。
 会社で何かあったのか?
 なのでこの日の提出は4作品。
 最低タイ記録です。
 今年になって出席者も少ないですし。
 Dくん、なんで書かん?
 言うたら「書く前から悩んでしまうんです」やて。
 わからんでもないけど、書かな悩みは解決しません。
 合評で辛辣な意見や感想が飛び交いますが、そこで生まれた悩みは前進します。
 書かんかったら、一歩も進まんわ。

 まずYくんのアクション小説。
 前回、スピード感のあるアクション描写をしてみたいと言っていましたが、今回提出された作品も読んで、あまり違いがありません。CGやワイヤーアクションが読んでいて頭の中でもイメージされます。描写が緻密でちゃんと連続性のある描写を彼は書けるんです。でもこれは、Yくんの狙いではないらしい。
「擬音、擬態語をもっと使ってみては?」
 という意見が出ました。
 Yくんの小説には、常に何かが動いているんですが、擬音、擬態語がほとんど出てこないんです。それでこれだけ書けているんですから、文章力はあるんです。
「それ使うと安っぽくなるからなあ」
 編集の人たちも「擬音、擬態語はあまり使わないように」と言ったりしますが、結構多いんです。これらをうまく使っている小説。そこをちょっと研究してみる必要があるかな。それにもう少し、緩急がほしい。それにはやっぱり擬音、擬態語を使ったほうが。

 Kくんの大河内伝次郎に捧げる一篇。
 テンポが出てきました。おそらく作家志望であんまり映画を知らない主人公と、日本映画にえらく詳しいアメリカ人のジョンとの会話部分がちゃんと掛け合いになっているからでしょう。ただ、ジョンという25歳の履歴がわからない。
 彼の口にすることは日本人でも知らない日本映画の知識。でも、大学入るために日本へやってきたというのなら、その知識はいつ得たのか、という疑問も。映画なら過去の名作を観ることはできますが、もう十数年前に亡くなられた映画評論家を知っていて、モノマネしたり。ジョンは何歳のとき、どこにいて、何をしていたのか。そういう履歴をちゃんと設定する必要があります。

 N子さんのホラー小説。
 うーん、苦しんでいます。いろいろ人間関係の距離や動機、キャラの描写に疑問が投げかけられます。彼女はまだ二十歳。もう少しいろいろな体験がいるのかなあ、と。
 自分と等身大の物語なら書けるのでしょうが、あくまで彼女が目指しているのは恐怖の描写。ちょっとこれ、長編でやるのは難しいと思うんです。ただ彼女は以前マンガの原作や映像用のシナリオを書いたこともあって、こっちは割りと破綻もなく恐ろしい描写もうまくいっていたんですね。だから今やっている課題を一旦凍結して、短編ホラーを書いてみることを提案。まず恐ろしさとは、の徹底追求です。

 T田くんのヤンキー小説。
 アホの看板を背負っているような登場人物たちのボケとツッコミの会話が笑えます。しかし地の文で主人公の心境を説明しすぎていて、ちょっとリズムを狂わせているのと、読者の想像力を奪いかねない状態にあるようです。書き過ぎるのも問題。地の文が半分ほどになったら、もっと彼らのやりとりが面白く、スピーディになると思います。

 という4作品で、約1時間の合評は終わり。
 うーん、皆もっと書こう。
 ていうか、どうしたいの?

 さて、全世界の映画監督志望者のなかで、おそらくもっとも映画を観ていない、映画の話で盛り上がっても一人沈黙している、ある意味すごいKくんが、今度の日曜日、ホラーの短編映画を撮るようです。
 シナリオ読んだけど、ン?


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2011年03月23日

小澤カンタービレ

 中山市朗です。

 みなさんはどんな音楽が好きですか?
 私はクラシック、特に壮大な交響曲、管弦楽をよく聴いております。
 たまに「クラシック音楽のどこが面白いんですか?」と聞かれますが、周りにあまり好みの音楽について語り合える人がいないのです。ぐすん。

 みんなクラシックを聴かないのは、聴かず嫌いのような気がするんです。
 実は私がクラシック音楽をレコード(当時CDがなかった)を買ってまでして聴くようになったのは、20代の半ばになった頃で、それまではあまり聴かなかったんです。
 これ、考えたら学校の音楽教育が原因なんでしょうね。
 まず音楽教室に飾られた偉大なる音楽家たちの肖像。これ、今もあるのかな? 
 とにかくモーツァルトやベートーベンを遠い存在にしちゃうと、子供たちは共感しなくなる。
 そして初めて聴かされた音楽について「感想を述べなさい」
 これ、難しいですよ。
 音楽鑑賞して感想文に「つまらなかった」とか「よくわかりません」なんて書こうものなら減点されかねません。でも、それも正直な感想なんですけどね。
 それに、音楽で感じたことを文章で表現するってな、文筆を生業としている今の私でさえ、困難なことです。あれではまず、国語の嫌いな子は、自然と音楽も嫌いになる。
 そしてもっと難しい音楽理論。あれで楽譜見るのイヤになっちゃう。
 小澤征爾さんは、「日本の学校で教えている音楽は、プロの演奏家でも難しい専門的なことを教えている。もっと楽しむことの大切さを教えなきゃ」
 と、何かのインタビューで言っていました。
 当然、音楽教育で取り上げられる音楽はクラシックなので、どうもそういう曲は苦手、というか聴かなくなる。で、難しいという先入観がインプットされます。
 私もそうでしたが。

 一番いいのは、いいオーケストラの演奏会を生で聴かせることでしょう。
 私は小、中、高で一度も聴かせてもらっていません。兵庫県の和田山なんて田舎でしたから、そんな演奏会もなかったし。
 最初に聴いたオーケストラは芸大に入ったとき。おそらく芸大生によるアマチュア・オーケストラでしたが、その迫力に興奮したのを覚えてます。

 私は中学2年のとき、映画にはまってしまって、サントラ盤のレコードを買うようになるんです。当時は家庭用のビデオというものが庶民のものではなかったので、大好きな映画を抱きしめるには、サウンドトラック盤を買うしかなかったんです。今やちょっとしたサウンドトラック・コレクターではありますが。
 これで私、はじめてさまざまな音楽、自主的に接したわけです。
 サントラっていうのは、いろんなジャンルの音楽でなりたっているんです。
 ジャズやロック、ポップス、ブラック、イージーリスニング、フュージョンなどなど。それに歌謡曲、演歌。
 みんな聴くんですが、好みとしてはシンフォニックなものを求めるようになってきて。
 ミクロス・ローザの『ベン・ハー』や『エル・シド』。モーリス・ジャールの『アラビアのロレンス』や『ドクトル・ジバゴ』。マックス・スタイナーの『キング・コング』や『風と共に去りぬ』。ジョン・ウィリアムスの『スター・ウォーズ』『レイダース』も衝撃的でした。
 そして『2001年宇宙の旅』や『ベニスに死す』のサントラは、リヒャルド・シュトラウスやヨハン・シュトラウス、マーラーといった完全なクラシックでした。

 『ベニスに死す』は、私に色々なものを教えてくれた映画でした。特に映画を見ていて、音楽がすさまじく美しく、そしてはかないんです。なぜか。
「なんだ、この曲は?」
 運命でしょうか。映画を見たその日の夜、たまたまつけたNHKのFMから聞こえてきたあのメロディー。マーラーの交響曲5番の4楽章のアタージェットの部分だったと知ったわけです。そして黒澤明監督の『乱』の製作発表、私現場にいました。登場人物たち一人一人が衣装を着て、ステージを歩いて、見栄を張ったり、セリフを言ったり。戦国ファッションショーです。そこに流れたカッコイイなかに哀愁ただよう行進曲風な曲、マーラーの交響曲第1番『巨人』の第3楽章の部分でした。
 このあたりから、クラシック音楽はカッコイイ、そして美しいと思うようになって、レコードを買うようになったんです。そしたらサントリーのCMで、マーラーの『大地の歌』が使われて、マーラーブームが到来。

 そんなときでした。
 私がクラシック音楽はまず指揮者によって演奏は変わる、そして指揮者はカッコイイものなんだと思う演奏会があったんです。
 いずれもテレビ中継での映像を見ての衝撃だったんですが。

 1986年にNHKで放送された、カルロス・クライバー指揮/バイエルン国立歌劇場管弦楽団の演奏会。ベートーヴェンの交響曲第4番と第7番。クライバーという指揮者の動きがダイナミックで軽やかで、しかも楽しそうなんですよ。で、オーケストラは指揮者に反応するものなんだと、改めて思ったんです。とにかく、クラシック音楽とはなんとも楽しいものなんだと教えてくれたんです。カルロス・クライバーという人が。
 で、同じく86年に、大阪はフェスティバルホールで演奏された、小澤征爾指揮/ボストン交響楽団。これは毎日放送で放送されたリヒャルト・シュトラウスの交響詩『ツァラトゥストラはかく語りき』の映像でした。小澤さんの指揮ぶりがカッコイイ。特に曲のオープニング。まさに小澤さんの指と指揮棒の微妙な動きから、音が発せられコントロールされるのがわかる。この演奏会の映像は後にレーザーディスクになりましたが、カメラアングルが違うんです。こちらのオープニングの部分は小澤さんの後姿を、しかもロングから撮っているのでそれがわからない。ほんまバカヤロウです。

 いやもう、この二つの演奏会をテレビで見て、もうすっかりクラシック音楽のマニアになっちゃいました。クライバーも小澤さんも、クラシック音楽はむずかしいものじゃない。美しくて楽しくて、カッコイイものなんだということを教えてくれたわけです。

 専門学校の講師になったとき、やっぱり学生たちはあんまりそういう音楽を聴いていないんですね。ゲーム音楽ばっかり聴いてて。
 やっぱりクリエイターになるというのなら、いい音楽を知っておく必要がある。
 で、授業で見せたんです。小澤さんがベルリン・フィルを振った野外コンサートのビデオ。この野外コンサートというのは、ピクニック・コンサートとも呼ばれていまして、ベルリン郊外の公園で毎年初夏に行なわれるものなんです。観客は普段着で芝生に座ったり寝転がったり。終盤になると花火をつけたりペンライトを一斉に振ったり、口笛を吹いたり、曲にあわせて踊りだしたり。
 そんな中で、超一流の指揮者を迎えたベルリン・フィルが演奏会をするわけなんです。ロックの野外フェスみたいなノリ、と言えばいいのでしょうか?
 小澤さんが登場した、その野外コンサートの1993年のビデオ。
 このときは「ロシアン・ナイト」と題されて、チャイコフスキーやリムスキー・コルサコフなどを演奏し、いよいよ最後の曲。「ラデツキー行進曲」とリンケが作曲した「ベルリンの風」の2曲がこのコンサートの必ず最後に演奏される曲なんですが。
 もう小澤さんも楽しそう観客も楽しそう。そして「ベルリンの風」なんて、観客も曲に合わせて手拍子を叩くんですが、小澤さんも振り返って客席に向かって指揮棒を振ったり、口を押さえてその拍手をだんだん沈めたり、わっと解放したり。
 ウィーン・フィルのニューイヤーコンサートでも、最後の「ラデツキー行進曲」の演奏時にはお馴染みのシーンですが。

 さて、この楽しそうな小澤さん、オーケストラのメンバー、そして観客のビデオを見て学生たちはポカーンと口を開けて見ているのか。楽しそうな笑みで見ているかのどちらか。
 いや、クラシック音楽は、実は楽しく聴けばいいんだ、そう気付いて、クラシック音楽好きの学生が何人かできました。そしてその学生たちと、ウィーン・フィルの来日演奏会を、シンフォニーホールまで聴きに行ったりしたものです。チケット取るのに朝5時に並んで、午後4時頃、ようやくゲットしたものです。

 クラシック。みな聴かない。難しい。そう思わせたのはやっぱり学校の音楽教育。
 それと、日本人はなぜかクラシックを聴く人は他を聴かない。ジャズも、ロックも、演歌を聴く人もそうですな。それしか聴かない。
 私以前、ドイツ人の女性が知り合いにいたんですが、彼女はヒップホップしか聴かない、と思っていたんですが。「バーンスタインがイスラエル・フィルと来日するよ」と教えてやったら「オウ、ボゥレンシュテイン!(ドイツ語でバーンスタインをそう言うようです)」と大声を出して、彼がいかにすごいミュージシャンかという話を、目を輝かせながら聞かせてくれました。で、ロックであれ、なんであれ、クラシックの基礎教養がないと、ちゃんとしたミュージシャンにはなれないとも言っていました。
 そういえば最近は、世界に通用するような人たちが出てきましたが、昔のアイドルと言われていた人たちの声の出ていないこと。なつかしいビデオとかあるんですが、貧相です。声が。まあ、歌より歌手を売っていたんでしょうかね。
 ということは、日本の音楽教育は何をやっていたんでしょう?

 さて、何が言いたいのかというと。
 25年前、クラシック音楽を聴く楽しさを堪能させてもらった懐かしの名演奏が、ノーカットで放送されるんですよ。

 4月のNHKプレミアムシアター。
 4月3日11時より、第一部の「カルロス・クライバー〜ロスト・トゥ・ザ・ワールド」というドキュメンタリーのあと、第二部のカルロス・クライバー指揮バイエルン国立管弦楽団日本公演1986年。例の演奏会です。
 あんまりクラシックなんて聴かないよ、という人、必見です。これ見てやっぱり退屈や、という人は、クラシック音楽とは縁のない人かもしれません。

 曲目は、
 ベートーヴェン/交響曲第四番
 ベートーヴェン/交響曲第七番
 ヨハン・シュトラウス/喜歌劇「こうもり」序曲
 ヨハン・シュトラウス/ポルカ「雷鳴と雷光」

 これ見て、クラシック音楽、えーやん、思った人。
 この後第三部は、同じくクライバーとバイエルン国立管弦楽団の1996年のミュンヘン公演の模様をハイビジョンで。
 モーツァルトの交響曲第三十三番と、ブラームスの交響曲第四番。

 その次の週、9日の土曜日もカルロス・クライバー指揮/ウィーン・フィルの演奏会が二つ。92年の元旦に演奏されたニューイヤー・コンサートなど。

 そしてなんと16日、23日は小澤征爾特集。
 ウィーン国立歌劇場での「マノン・リスコー」と「さまよえるオランダ人」など。
 
 まあ、見ちゃってつかさい!



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2011年03月17日

3/16の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 15日(水)の作劇ゼミの報告です。

 まずは東北関東大震災で被災にて亡くなられた方々への黙祷から。
 
 総務のスガノくんの親類は被災されたようです。
 家は流されたものの、全員無事だったとか。
 さて、関西にいた我々は、この大震災に直接遭遇したわけではありませんが、テレビや新聞、ネットなどでその様相を垣間見ることになりました。また、なぜかこちらもトイレットペーパーが品薄状態にあります。
 
 さて、塾生たちはみな、作家やマンガ家志望。
 この未曾有の大震災で、何を思ったか。
 何を見聞きし、何を調べたのかを報告してもらいました。
 非常事態だからこそ見えるものがありますし、さまざまな人間模様、政府や諸外国の反応や動きもあり、今後の日本を憂い、立て直す手立ても必要です。
 そういうことに意見をもち、それを語るのも、作家になるためには必要なことです。
 それに、なぜこんなことが起こるのだろう、過去にもあったのだろうか、と調べてみる好奇心が、無い、というのは作家の卵として問題です。
 
 まず危惧されたのが、異常な反応、善意の押し売り、発言の自由を奪う行為。
 作家というのは、いかなるときでも筆(今はパソコンのキーボード?)でもって、自分の意見、思想を語る職種です。ここで自由な発言を奪われることがあってはなりません。
 また、そこには当然、責任もついてきます。

 T井くんがこんな話をしてくれました。
 ある女性芸能人が、被災に遭われてご主人が行方不明になった。それでも彼女はご主人を心配されながらも、被災された方々に自身のブログなどで、はげましのメールを懸命に送り続けていたそうです。
 そして数日して、ご主人と無事再会した。子供とともに笑顔の写真を撮って、無事でした、とブログに載せた・・・そしたらそんな写真は不謹慎だ、とバッシングのコメントが嵐のように寄せられたといいます。T井くんは「間違ってないよ」とエールを送ったそうですが、彼女は謝罪した上、T井くんたちのエールのコメントも全部削除されたそうです。

 Sくんは、震災のニュースが流れたその翌日、久しぶりに高校時代の同級生から連絡があったと言います。「震災地に励ましのメールを送るから協力してくれ」
 Sくんは断ったといいます。
 現場は混乱していて、電話もつながりにくいという状況。つながっても回線はパンクしている。励ましメールより優先すべきものが山積みしている。
「今このタイミングにメールは迷惑なだけやろ」
 そうSくんが言うと「お前は冷たいヤツだ」と罵られて、連絡は切れたそうです。

 私はケータイなどという厄介なものは持っていませんが、関西方面でも色々なメールが飛び込み、それらは何かの協力、規制を促すものだったそうですが、こう言ってははなんですが、「エセ」としか思えないものもあったといいます。
 震災の翌日、私はロケに出ていたのですが、スタッフのケータイにメールが。
「被災地に電気が通っていません。だから関西電力から電気を送電するため、節電をしましょう」
 私は「関東と関西の電力は周波数が違うので、関西で節電してもどうにもならんで」と言ったんですが、あとで調べてみると関西電力は「このメールは関西電力が送っているものではなく、このような不正確な情報の拡散ツイートを絶対しないように」と呼びかけていました。
 総務のスガノくんも「お前の部屋、電気ついてるやんけ。消せや。被災者のこと考えてみいや」と、隣のオッサンに怒鳴られたらしい。
 と、今、関西電力も計画停電をする予定というガセが広がっているようです。
 だからあ、関西と関東は周波数が・・・。

 どれが正しく、どれがガセかを見分けるには、やっぱりふだんからの観察力や常識が問われましょう。

 被災された方々を心配し、何か協力してあげたい気持ちはわかりますが、その押し売りはいかん。それに我々関西の人間は被災せず、通常の生活が営まれています。そんな人たちまでが通常の生活を犠牲にし、被災された方々のためにならねば、というのも違うと思います。関西の会社、工場が間違った情報のために節電したり操業が止まってしまっては、日本の経済はどうなります?
 東北の被災者が立ち上がるには、日本の経済力がなければなりません。 
 関西の会社や工場が止まってしまったら、被災地に物資すら送れないじゃないですか。

 さて、塾生の中には阪神大震災の被災者もいます。
 かく言う私も、部屋がぐちゃぐちゃになりました。
 まあ、ビデオや本を積み重ねすぎていたのが原因だったようですが・・・。

 被災し、体育館のような避難所で生活するとき、何を思い、何が欲しいのか。
 被災経験者のYくんは「情報が欲しかった」と言います。
 で、支援物資を包んでいた新聞紙が、何日か遅れた情報ながらも貴重な情報源だったらしい。みなさん支援物資は最新の新聞紙に包みましょう。
 その他、燃料、カセットコンロ、毛布。
 それと他人と過ごす毎日は、大きなストレスを生んだそうです。彼の家族は半年、そんな生活を続けなければならなかったそうです。
 それと娯楽が欲しい、と。
 テレビの全チャンネルが震災に関する特番やニュースをやっているのにはゲンナリしたと言います。そういう情報も必要ですが、どこかのチャンネルでは、お笑いとかやってほしいと。
 辛いからこそ、笑いたいのだと。緊張しているからこそ、緩和が必要なんだと。
 わかります。
 ただし、同じ被災者でもそれを不謹慎とする考えの方もおられましょう。どっちがただいいとか悪いじゃない。人間いろいろな考えや要求が、また環境や立場によって異なるのは当たり前です。それを互いに認め合うことです。
 百人が百人とも同じ、というのは新興宗教の世界です。

 そして「義援金、募金は信用ならん」とYくんは言います。
「だって義援金、僕らのところに来んと、みんなが反対していた神戸空港に使われた」のだそうです。
 ということは、今回の多額の募金、義援金は、まさか原発の修理に?
 そうはならないと信じますが。

 原発、というと。
 これ、えらいことになっています。

 だって、日本の政府や関東電力の言い分をそのまま伝える日本のマスコミと、海外のマスコミの反応が全然違います。
 日本はまだ、「安全です」と言い張りますが、海外はチェルノブイリに匹敵する原発事故だと報じています。そして日本の技術、国力が試されています。

 S山くんは言います。
「もう隠蔽がまかり通る世の中じゃない。ネットなんかでは外国人記者向けの記者会見なんて、ノーカットで見れますもん。そしたら外国と日本の記者の質問のベクトルが違う」
 と。日本の記者は「なんでこんなことに」「責任は誰なのか」という質問。対して外国人記者は「今、何が起こっているのか」という事実を聞き出そうとします。まあ、日本の記者は自国の災害にややヒステリックになっていたのも、わからないではないですが。
 S山くんは「見ていてメディアの人間性が見えた」と言います。

 政府や電力会社にすれば、やたら危険を煽ったり、不安にさせてはならないという動機ももちろんあるでしょう。
 しかし米仏では、今回の原発事故はレベル7のチェルノブイリに近い大事故であり、放射能汚染対策で国際的支援が必要だ、と報じています。
 対して日本政府や電力会社、解説している学者たちのコメントは、人体に影響なし、レベルは4という情報を垂れ流しています。学者たちは、現場に行かずに、数値ばっかり言っています。その数値も信頼できるものなのでしょうか?
 いや、これとて海外メディアが異常反応していることだって考えられます。
 これも、この情報の海の中で、何を読み取り、どう見抜き、どうするのかの選択が個人レベルで試されることになりましょう。

 原発が14基もある福井県出身のT井くんは、メディアで報道していないだけで、普段からかなり放射能漏れの事故があることは、地元の人たちは知っていると言います。そして放射能を浴びて死んだ従業員がいても、家族は絶対に訴えないといいます。そこにはあるメカニズムがあると言いますが・・・これはまた別の機会に。

 そして今回の地震、津波は想定外だったと報道されています。
 本当でしょうか?
 調べてみると、明示29年の三陸沖地震では、今回被災した宮古市では14.6メートル、釜石には8.2メートル、大船戸市では22.4メートルの津波がきていました。綾里湾の奥では、国内本州で観測された最高値38.2メートル! を記録し、2万人が亡くなったといいます。
 そこに原発基地を造った。
 で、想定外?

 やっぱり歴史は勉強しとかなあかん。
 それとも、そういう報告は握りつぶされた?

 いろいろ憂いも出ましたが、T野くんが最後にこんなことを言いました。
「今の日本の経済や国力は、戦争体験者たちがその基盤を作り、我々が受け継いできました。そして今度は今の世代が、この大震災を経験しました。またこれを次世代につなげることが、今後強い日本を作ることになるんです」

 そう。
 それ、キミたちのことやで。


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kaidanyawa at 21:24|PermalinkComments(8)

2011年03月16日

地震の黙示録

 中山市朗です。

 東北大地震、驚きました。
 こっちもわずかに、しかし長く揺れていたので、テレビをつけたら・・・。

 被災された方々には、心からのお見舞いを申し上げます。
 これはしかし、明日は我が身でもあります。

 私の住んでおります大阪には、市街のど真ん中を南北に走る上町断層というのがありまして、ここにM7.6の地震が発生すると、大阪市内はほぼ壊滅するそうです。
 そして南海沖を震源とする南海地震が、もし今回の東北地震のように、東海、東南海、南海と3ヶ所同時発生した場合は、10メートルを越える津波が来るといいます。
 大阪は、真の意味で「水の都」となってしまいます。

 とは言うものの、日本はそういう大災害を被っては復興し、復興するごとに日本人はより素晴らしい都市や生活空間を築き上げ、歴史を刻んできました。
 複数のプレート運動により隆起したものが日本列島である限り、日本は地震から逃れられないのです。
 いや、地震だけじゃない。火山の噴火、火災、そして戦争、空襲、原爆。
 ほんま、日本という国はしぶとい。いや、日本人がしぶとい。
 人間は打たれれば強くなるわけですが、国という力も同じです。

 私は今、大阪にあります四天王寺を徹底研究しております。
 この四天王寺の歴史を見てみると、大阪という地と歴史の縮図を見る気がするんです。
 
 『日本書紀』などによりますと、推古天皇元年(593)に、聖徳太子の発願により建立された、日本最初の仏教寺とあります。
 この頃の大阪、いや、当時は摂津、あるいは難波(なにわ)の国と呼ばれていましたが、どのような様相をしていたのでしょう?
 少なくとも、百済、新羅、高句麗、そして隋という海外の国を意識した、我が国最初の国際都市機能がこのとき初めて造られたのだと思います。
 その中心にあって、象徴として機能したのが四天王寺の建物だったのです。

 四天王寺は、私が思うに我が国最初の大学のようなものでもあり、病院や介護センター、福祉施設にあたる四天王寺四院も造られたのです。周囲には市場や国際港が造られ、道が整備され、橋も架けられました。国家規模の大工事が行なわれた大和川が政治をつかさどる飛鳥の地へと繋がっていました。当時あの巨大な天皇陵はどのように見えたのでしょう?

 で、この四天王寺、六度も壊滅し、六度復興しているんですね。

 最初は天徳4年(960)に焼失。
 復興しますが、文明2年(1740)に応仁文明の乱にて再び焼失します。
 おそらくこのとき、大坂の都市そのものも焦土化したと思われます。
 続いて、天正4年(1576)、織田信長によって焼き討ちされます。
 秀吉によって復興されるも、大坂冬の陣にてまた完全焼失します。
 このとき、またもや大坂の街も焦土と化します。
 元和3年(1617)、徳川幕府が再建しますが、淳和元年(1801)にまたもや焼失。文化9年(1812)にまたも再建されます。
 そして昭和20年(1945)3月13日、米軍による大空襲でまたも焼失してしまいます。この空襲でまたも大阪市も壊滅します。
 また天平16年(1361)の南海大地震、昭和9年(1934)の室戸台風でも五重塔が倒壊、金堂や中門も大被害を受けています。
 正平南海地震は、四国沖に起きたM8〜8.5クラスのもので、土佐、阿波には6メートルの津波が襲い、津波は摂津にも押し寄せたといいます。
 また、空襲による被害は、当時の空撮写真などを見ると、日本橋と難波にある高島屋など鉄筋のビルを除くと、民家の姿が見当たりません。
 大坂城本丸の石垣には、1トン爆弾の跡が生々しく残っています。

 そんななか、焼失、倒壊を繰り返しながらも、その都度、復興、再建していった四天王寺は、おそらく大阪に住む人たちの復活と栄華のシンボルだったに違いありません。
 ちなみに今我々が目にする四天王寺の伽藍は昭和38年(1963)に再建されたもの、ということになります。
 五重塔の基礎はコンクリートです。
 ただ、あの西の鳥居だけは、鎌倉時代に立てられてから、ずっとあの場所にあるのだそうです。ちょっと今、補強されてますけど。
 
 ともあれ。
 きっと今回被災された方々や街は、いずれ近いうちに完全復興されることでしょう。
 そしてよりよい生活空間を作り上げ、将来へと受け継ぐことになるでしょう。
 そのときこそが、日本全体が次なるステップに踏み入れるときとなるでしょう。

 で、これも言いたいのですが、
 今、世界が注目しているのが原発事故。
 原発は安全という洗脳を、マスコミなどによってなされてしまっているわけですが、日本は1989年に、福島原発の再循環ポンプが破壊するという世界初の事故を起こしていて、91年の関電の美浜原発でも施工ミスで細管が破断し、放射能が空中や海に流れたという事故もありました。95年の「もんじゅ」の事故も忘れてはなりません。
 原発は、失敗すればとんでもないことになる。
 しかしそれを隠蔽して「絶対に安全である」というのは、やはり政府や企業の営利優先のつじつまあわせであったと、認めるべきかもしれません。
 電力会社は、原発の一基でも動かなくなると電機の供給はできない、と言いながら「もんじゅ」が停止しても特に影響はありませんでした。

 原発を反対するなら、原始時代の生活に戻るのか、という極論もよく聞かれますが、この問題はもっと情報を公開して、子供の教育からなされるべきでしょう。
 原発の清掃のために雇われた生活困窮者は、その多く(700〜1000人とも!)の方が、癌で亡くなっている現実があります。こういう人たちに、ちゃんとした教育と訓練がなされているのか、という問題も指摘されます。
 また、核のゴミは何万年も管理しなければなりませんが、その管理にも人と、膨大な電気屋のエネルギーが必要なんです。原発は大きな利益を人類にもたらしながら、その裏では大きな負の要素ももっているんです。
 その負の部分は、ほとんど我々の耳には入ってきませんわな。
 こういうことは、特に電力会社をCMスポンサーにもつテレビメディアでは論議することすら、タブーとなっているのが現状です。
 
 色々と問題が見えてきた今回の大災害ですが、
 これを機に、諸々の問題について語り合い、考えることも将来のために、我々が為さねばならないと思います。日本に原発が55基(運転は37基)あるということは、地震国日本に住んでいる限り、知らない、知らなくていい、はもう言えないと思います。

 とりあえず、まず多すぎる自販機!
 撤去せえ!


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2011年03月10日

3/9の小説技法

 古代史探偵団・団長の中山市朗です。

 9日(水)の小説技法の報告です。
 いつものように合評です。

 書く人と書かない人が、はっきりと分かれてきました。
 書く人はほぼ授業に出席し、そのときは必ず原稿を提出しています。
 書かない人は塾に来たり来なかったり。
 やっぱりテンションが違うようです。
 そして書かない人との差が、この1年ほどで随分開いてきたように思います。
 
 先日このブログで、夢を語り合うことは大事なことだと書きましたが、やっている人の話は説得力というか、語っているときの目が違います。
 まったくやっていない人が夢を語っても、絵空事にしか聞こえません。いや、それを自覚しているのでしょうか、あんまり語りません。で、テンションも低い。
 堂々と夢を語れるようになりましょう。

 さて、この日の提出者は、ほぼ落とさずに提出している人たちです。

 T田くんのヤンキー小説(?)
 この現代に、リーゼントをしているアホ高校生たちと、ちょっとインテリを自覚している主人公との、友情話・・・なのかな?
 先日、月亭八天さんに自作の落語を演じてもらったT田くんは、もっぱら微妙で笑えるシチュエーションやギャグを使って、いかに読者をナンセンス(この言葉も古い?)な笑いの世界に引き込むかというテーマに取り組んでいます。
 そこは成功しています。読んでいて笑えます。ヤンキーたちと主人公の微妙な距離感も今回はクリアしています。そしてボケとツッコミの間合いとテンポもいい。
「今度、漫才台本に挑戦してみたら?」
 と、思わず私は、T田くんに提案してみました。いや、イケますよ。

 Yくんのアクション小説。
 彼は、もともと文章能力があったのですが、磨きがかかってきました。
 アクションシーンの描写が非常に細かく、綿密に書かれてあるので、私の頭の中では最近のアクション映画、つまりCGやワイヤーアクションが繰り広げられていましたが、どうも彼はブルース・リーや座頭市、子連れ狼のような、もっと瞬時に決まるようなスピード感のあるアクションを描写してみたいと言います。だったらこれは違う。正直私もワイヤーアクションなんて、もう飽き飽きしています。アクションはスピード感があるから迫力があるんですが、なんなんですかねえ、最近の人間離れしたヒーローたちは。でも若い子はそっちがいいのかな。
 では今回と同じ場所を、その瞬時に決まるようなスピード感あふれる描写で書いてくることを課題としました。
 読み比べて、改めて考えてみましょう。

 N子さんのホラー小説。
 うーん、なかなかうまくいきません。
 ホラーのなかの、日常のシーンなのですが、どうも登場人物の心情を書きすぎているので、想像力に歯止めがかかっちゃうんですね。ホラーとか怪談は、この想像させる書き方が重要なんです。地の文をもう少し削って、会話ももっと増やし、そこでちょっとした疑心暗鬼や、主人公と他のキャラクターとの距離感を書いてみるべきかもしれません。少なくとももう少し、読みやすくなるでしょう。

 K島くんの大河内伝次郎に捧げる一編。
 サイレント時代の大スター、大河内伝次郎とはどんな役者であったのか。
 それまでそんなに昔の映画に興味のなかった作家志望の主人公が、ある映画を観たのをきっかけに、大河内の魅力を取材します。
 その大河内について説明するところを、うまく、小説という形の中に埋め込めるようになってきました。おそらく若い人でも、これなら読んでくれるでしょう。
 ただ、K島くんが知っている分、ちょっと暴走するところもあって、そこは修正。
 修正終わったら、このまま次へと進みましょう。

 T野くんのSFホラー。
 本人はホラーではないと言いますが、やっぱりこれはホラーです。
 ただ、ちょっと展開的にも小休止的なシーンなのですが、だからこそ、もっとドラマとしての展開がほしいところです。月面基地という密室された空間の中、クルーたちは整然としているんですが、地球との交信も途絶えた中で、もっと調子に乗るヤツとか、暴走しちゃうヤツとか、命令違反するヤツとか、なんかそんな人物がほしいところです。もっと様々なシチュエーションを作ってみよう。
 ただ、初めの頃は全体的に無機質な文を書いていたT野くんも、人間の味みたいなものが表現できるようになってきています。

 今回は5編。それもそんなに修正箇所や書き直し、ということもなくなってきていますので、1時間ほどで合評は終了。さて残り1時間・・・。
 そしたらS山くんから色々と質問を受けました。

 先日彼は、某芸大の院生の人と話したそうなんですが。

 S山くんは最近、仕事をとるには営業、あるいは読者や観客の目を意識したり、総体的に戦略的な考えも必要だと思っているようです。
 彼は今、小説も書きながら、チームを作ってファッションショーを手がけたりしているんです。だから、仕事を受ける、客に見せるというスタンスができあがっているんですね。
 ところが芸大生はそんな考えなど必要ない、と言ったそうです。
 彼は立体造形をやっているそうなんですが、自分のやりたいことをがむしゃらにやれば、そのうち評価されるんだと。

「どっちが正しいのでしょうか」
 と聞くわけです。S山くんは。
 みなさんはどう思われますか。

 その芸大生はどうやってメシを食おうとしているのかわかりませんが、自分のやっていることが芸術だ、というのなら、その考えは間違っていないでしょう。
 ただ気になるのは、がむしゃらにやればそのうち評価されるという言葉。
 本気の目標がある人なら、みな、がむしゃらにやってますわ。
 でも、目標達成には、やっぱり戦略がないと、ただがむしゃらでは、それは方向違いのがむしゃらになっている可能性がありますよね。
 つまり漠然とがむしゃらにやっている。
 こういう人は、往々にして頑固ですから、人の意見は聞きません。
 で、おそらく、こういう人に仕事を振っても、やりたくないものをやらされた、とか言って言い訳をしたり、仕事を与えてくれる人をありがたいとは思わない。だからこれをチャンスと思わずに見逃してしまいがちなんです。
 で、一度チャンスを逃したら、もう・・・。

 やっぱり創作には戦略が必要だと思います。
 作家としての自分のウリとは何かを、自分で知っておくことです。
 そしたら目標ができる。目標に向かって進むと、全体を通して、自分のレベルを計ることができます。このときはその世界のプロの人と交流をもっておくのが理想でしょう。
 目標がなければ戦略は立たない。
 目標が定まらないで、ただがむしゃらにやるのは意味がないと思います。

 旧日本軍は太平洋戦争で、完璧に敗北しました。
 軍に(特に陸軍)戦略的な考えが、欠如していたのが大きな敗因でした。
 戦略がないから具体的な命令が出ない。
 具体的な命令のない戦場で、
 日本兵はがむしゃらに、バンザイ突撃を繰り返したそうです。

 スピルバーグの『ザ・パシフィック』は、観てて辛かった。
 

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2011年03月09日

古代史探偵団

 中山市朗です。

 以前から告知しております、特別仕様の電子書籍『モーツァルトの血痕』が、いろいろな都合により遅れています。
 特別仕様なので、そのシステムを最初から作るという作業に手間がかかってしまったこと、容量が重い(『魔笛』の解析時に音楽も聞けたり、フリーメーソンや古代エジプト、聖書、古神道関係の画像、解説など300点以上が入ります。オカルト辞典みたいになります)ことの解消点などもあり、また、制作会社のいろいろな都合も合わさって、一時中断していました。
 
 で、再び作業が開始されました。
 ゴールデンウィークが終わる頃には配信できると思いますので、もうしばらくお待ちください。もっともアップル社がオーケーしてくれないことには・・・。
 ほんとは、私が一番やきもきしているんですけど。

『モーツァルトの血痕』は、聖徳太子の預言書『未来記』の開封、解読をせよ、というメッセージを、モーツァルトの最後となったオペラ『魔笛』に暗号にして封じ込め、よって殺された、という内容なのです。
 当然フィクションではありますが、根拠はあるんです。
 で、それは、フリーメーソンの奥義と物部神道を研究すれば・・・。
 ともかく『魔笛』は確かに専門家が首をひねるほど難解で、フリーメーソン・オペラとか秘儀オペラと言われて、色々な人が解読を試みています。
 しかし、モーツァルトが、なんで聖徳太子を知ってるねん。
 疑問に思うでしょう。
 ちゃんとその辺りも、本著のなかで説明しています。

 しかし、預言者・聖徳太子というのは、ありえるのか?
 また、聖徳太子とは何者なのか、という謎を解明するための、古代史探偵団を立ち上げました。

 私を団長とした5人による探偵団で、聖徳太子の謎のみならず、まずは日本の古代史を解き明かそうというプロジェクトです。
 そしてそのホームページを立ち上げました。

 古代史探偵団

 まずは、日本仏法最初の寺『四天王寺コードを読み解け』から動画配信します。
 聖徳太子が建てた、不思議いっぱいのお寺です。

 日本の古代史をテーマとしたホームページは数多く存在していますが、我々はビデオクルーとともにその謎を追い、動画で配信します。古代史をなんとかみなさんに楽しんでいただき、また、興味をもっていただけるエンターテイメントを目指します。
 だって謎を追うなら、まずは現場に行け、でしょう。
 そこにカメラを入れる。
 そしてみなさんにも、それを見ていただく。
 これが探偵団です。
 オリジナル動画がメインの古代史探索ものは、おそらく本邦初の試みだと思います。
 
『四天王寺コードを読み解け〜四天王寺編』は無料です。
 いずれ丹後半島や九州の国東半島、そして東北へと赴きたいと思います。
 となると機材費、ロケ費とかかさみますので、いずれ有料となります。
 そこはスミマセン。
 有料でも楽しんでいただける内容のものをお届けいたします。

 なお、古代史探偵団は、依頼を受ければ古代史や神社仏閣の謎解きに挑みます。
 詳しくはホームページにて。



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2011年03月07日

カンバセーション…落語…

 中山市朗です。

 4日(金)のシナリオ講座の報告を、遅まきながらいたします。
 塾のホームページには明記していませんが、第1、第3金曜日は、私のボランティアでシナリオの合評をしております。
 
 で、4日は塾生・高田豪くんの創作落語を、月亭八天さんが高座にかけるというので、全員でそれを鑑賞することによって講座の代替としました。

 この落語会は、ユニークなものでして。
 関西在住の作家と、プロの噺家によるコラボイベントなんです。

 作家側のメンバーは、田中啓文さん、牧野修さん、田中哲弥さん、我孫子武丸さん、北野勇作さんなど、豪華です。やっぱり作家は落語好きなんですね。
 で、彼らの書き下ろした創作落語を、月亭八天さんが高座にかけるわけです。
『ハナシをノベル』という落語会で、実は講談社から『ハナシをノベル! 花の巻』として出版もされています。
 高田くんの作品がこの落語会で取り上げられるのは、3回目。
 第1回目のとき、私は調子に乗って2次会まで参加し、その帰りでした。階段落ちして、粉砕骨折したのは。

 それ以来、久しぶりです。
 この日は月亭八天さんの芸歴25周年の25日間連続50席ライブのちょうど中日だそうです。

 ということで、この日はまず露の団姫(まるこ、と読みます)さんの「狸賽」、笑福亭由瓶(ゆうびん、ではなく、ゆうへい、と読みます)さんの「試し酒」の古典の後、月亭八天さんによる、高田豪・作「五十六(ごじゅうろく? いそろく?)」が。
 課題でもシュールな作品を書いている高田くんらしい作品。
 新妻のお腹にいる赤ちゃんが、喋るという内容。
 会場から笑いがしばし起こるのは、高田くんの腕か? 八天さんの腕か?
 
 後半は、北野勇作さんのリメイク版「寄席の怪談」。
 これ、素晴らしい出来でした。
 そういえば、創作怪談噺というのは、上方落語にはあまり見当たりませんな。
 この「寄席の怪談」は、実話系怪談みたいな要素に、ギャグが効いて、それこそ緊張と緩和のさじ加減が絶妙です。
 北野さんによれば、何度も書き直したと言います。

 私も「怪談噺」に挑戦してみようかな?

 落語会が終わったあとは、打ち上げ。
 私は単なる客なんですけど、みなさんに誘われて、またまた懲りずに参加。
 高田くんは八天さんの隣に陣取り、直接アドバイスを受けています。
 なにしろ、プロの人と創作活動をすることが、スキルを格段に上げるときです。

 私はというと、田中啓文、田中哲弥、北野勇作さんと一献。
 我孫子さんは、雪に閉ざされて出て来れなかったらしい?

 で、ここで話題になったのは、最近は刷る部数が少ないとか、あの書評家は何者やねん、という話題で盛り上がります。みんなこの出版不況に書評の酷評、大変なんですな。特にとんちんかんな書評に怒りたくなるのは、作家の通る道です。合評での意見なんてヌルいヌルい。
 
 さて、我が塾にはもうひとり、落語を書いている、かなた師匠、というのがいて、彼の落語会も今月行なわれます。師匠というのは名前です。

 3月18日(金)、天満天神繁昌亭にて、18時30分より開演。
 かなた師匠の創作落語「痛い、痛い、痛い」は、林家そめすけさんが演じます。

 第3金曜か。
 2回とも代替はできないので、また次回、みんなで鑑賞したいと思います。
 


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2011年03月03日

3/2の作劇ゼミ

 中山市朗です。
 
 まず2月16日のこのブログで告知した、劇団ブラスチック犬についてに補足です。
 劇団は塾生たちが個人的に旗揚げしたものでして、塾が直接関係しているわけではありません。そこのところ、誤解のないようお願いします。
 ただ、塾としての協力は惜しまないつもりです。

 そしてMF文庫より『怪しき我が家』という10人の作家たちによる怪談競作集が出版され、先日、田辺青蛙さんから一冊送られてきました。

ayasikiwagaya 田辺さんが「我が家の人形」という短編を掲載されています。
 そうです。あの、市松人形のことが書かれているんです。
 一応、実際のいきさつを基にした「創作」とありますが、読んでみたところ、どこまでが実話でどこまでが創作か・・・。
 興味のある方は、ぜひお買い求めください。

 3月(早いですな!)2日の作劇ゼミの報告です。

 2月26日のこのブログで、塾生たちとの接し方を色々考えている、というようなことを書きました。それについての話し合い、ということになりました。
 
 私が専門学校の講師をしていた頃、疑問に思ったことがありました。
 それはその学校だけだったのかもしれませんが、上下のクラスの交流がない。他学科との交流もない。ただ、教室で授業を受け、課題をこなす3年間。これじゃデビューできん!
 これ、先輩たちの失敗や成功談が後輩たちに伝わらず、同じ失敗を繰り返している。
 また、別の創作をしている学科との交流は、見識を広め、創作活動の幅も広げます。何より刺激が起きる。そしてこれが大事。
「夢を語る場所ができる」
 これがないと、おそらく勘違いしたまま卒業しちゃう。
 そこで、教務に交流させるように意見具申すると、「専門学校は大学ではない」と意味不明の返答がきました。
 
 塾を作った動機のひとつには、夢を語り合う場所を作るということにありました。
 教室でやることは、知識や分析力を身に付けたり、スキルを上げたり、合評したりですが、実はそれだけではアカンのです。
 例えばマンガ家になるために優先すべきは、画力、だとします。でも、その画力を上げるための努力を支えるのは、精神力です。
 この精神は、夢を語り合える仲間が、支えてくれるのです。

 授業後に行なっている飲み会は、実は「夢を語り合う場」として、私が書斎を解放しているんです。これがすごく大事なんです。
 飲み会という呼称がいかんのか。
 「夢を語る場」としよう。

 夢を語り合う、それは将来のビジョンを明確にすることでもあり、共感しあえる仲間を作るということでもあり、挫折しかかった心を癒し、アドバイスを受けることもできる場なんです。
 夢に向かって進むエネルギーには、強い精神力が必要ですが、仲間がいれば、進み続けることができます。身に付けるべき的確なスキルもわかってきます。
 これは私の経験でもあるんです。
 また、夢を語る教え子のキラキラ光る目は魅力的に思えますし、及ばずながら力になってやろうとも思います。また、夢を実現するための近道を示唆してやれることも可能です。
 どんな夢をもって、どういう創作活動にしたいのかが、皆目分からない塾生がいるんですが、これは夢を語ってくれないからわからんわけです。何をしたいのか。どうなりたいのか。そしてそういう人は、孤独になってしまって、挙句に創作活動を続けることを苦しみだすんです。
 そうすると、口から不満が出る。
 すると将来が悲観的になる。
 そんなヤツの力には、なりたくてもなれませんわな。

 また、夢を実現するには、自分ひとりの力だけで叶えられると思ったら、それは思い上がりだと断言します。きっと成功した人の話を聞くと、必ず誰かとの出会いや仲間の存在があるはずなんです。
「俺、一人の力でここまで来た」
 なんて言う人、いません。

「怠る者は不満を語り、努力する者は夢を語る」
 作家・井上靖さんの言葉です。

「バイトが辛い」
「今の仕事、早く辞めたい」
 そう言う塾生がほとんどです。そらそうです。
 なぜ辛いのか、なぜ辞めたいのか。
 きっとそれは、自分には夢があるのに、そのバイトや仕事には夢を見出せないからです。で、この心境は、夢をもっているから沸き起こる感情なんです。つまり贅沢な心かもしれません。

「努力が辛いのではない。夢がないから辛いのだ」
 作家・吉川英治さんの言葉です。

「仕事が楽しみならば人生は極楽、苦しみならばそれは地獄だ」
 そう言ったのは、ロシアの文豪ゴーリキーです。
 
 そして何より、若いマンガ家志望たちが夢を語り合った「トキワ荘」が、その大切さを実証しているではないですか。

 で、塾生たちはその「夢を語り合う場」を、どう思うのかの本音を知りたかったわけなんです。
 あんまり語らないんです。塾生たちは、夢を。
 夢が明確ではないのでしょうか?
 人と関わりをもつことが苦手なんでしょうか?
 それは克服せんといかん。自分がやりたいことを他人に伝えられないというのは、これ、仕事になりません。思いを人に伝えるのが作家の仕事です。いやまず、編集さんに意思を伝えないと。

 私の若い頃なんて、あちこちで大きな夢を語って、大風呂敷を広げるだけ広げて、畳まずに帰ってたクチなんですが。
 その広げっぱなしの風呂敷を、おもろい、と思ってくれた人に、私はチャンスをもらったんです。あとはやりこなすスキルが必要なんですが。
 でもそうなったとき、スキルは驚異的に上がるんです。

 だから今の私があるんです。

 だから語ろう。

 私にもみんなに聞かせたい夢あるし!

gaxtukoukaidan
『新耳袋』をもとにした、
『怪談学校2 本当にあったコワイ話』
(角川つばさ文庫)
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2011年03月02日

大学のバカ大将

 中山市朗です。

 京大、早稲田、同志社、立教大などで、入試のカンニング事件が発覚しましたねえ。
 えっ、今頃、と思いませんでした?
 相撲の八百長と同じで、ずっとあったんちゃうのって。

 46年前に公開された『海の若大将』という映画で、田中邦衛演じる青大将が、トランシーバーを使ってカンニングする場面がありました。さっさと試験を終えた江口が、外に出て、先ほどの試験問題の回答をトランシーバーで答えるというものでした。
 もちろん教授に見つかって大目玉をくうという展開でしたが。

 今回のカンニング事件に手口が似てますよね。
 で、今はケータイなんてものを、若者たちが当たり前にもっている昨今。
 トランシーバーなんかよりよっぽど軽くて小さくて、声出さなくてもいい。
 これ使って、うまいカンニングできんものやろかと思う若者がいても不思議ではありません。またこのネット社会のご時世に、大学側はそれを予測していなかったのでしょうか?

 それと、試験官はこの行為に気がつかなかったのでしょうか?
 私も専門学校の講師時代、試験官みたいなことをやったことがありますが、不正な動きはすぐにわかりました。机の下でケータイいじってたりした学生、いましたもん。そんなんすぐわかる。頭の位置がみなと違うし、机の下、光ってたしね。
 私、これ試験官、寝てたか本読んでいたかして、監視してない思います。
 現に、ツイッターで「京大の試験官は監視をしていない」ともつぶやかれたとか。

 大学は偽計業務妨害で警察に被害届を出したそうですが、被害届を出す立場にあるのは受験生たちでしょう。監視を怠り、ケータイを使った不正を見抜けなかった大学を。
 韓国なんかでは、ケータイを使ったカンニングが大きな問題になったこともありましたしね。日本の大学は対応策練ってなかったんかいな?
「日本の学生たちを我々は信じてた」とでも言うのでしょうが、そんなに信じられるような教育をしてるのでしょうか?
 また、早稲田の副学長が「深い憤りを感じる」と会見していましたが、これは大学入試のありかたへの憤りなのか。公平な受験ができなかった大学の不手際への憤りなのか、それとも教育の荒廃への憤りなのでしょうか? まあカンニングした受験生への憤りなんでしょうけど・・・。

 で、来年はどうするんでしょう?
 空港並みのボディチェックと、持ち物を開けて調べるのでしょうか?
 また今、中国や韓国製の性能のいいカンニング専門の通信機が出回っているとも聞きます。それ、小型置時計と消しゴムの形をしているそうです。これがカメラと通信機なのだそうです。ほんまやったら、おそろしや。
 そうなったら、どうしようもない。消しゴム持ち込むななんて、言えません。
 とすれば、教室内に妨害電波を出しますか。

 私の塾にも大学生や、大卒の者もおりまして、どうもその一人がええ大学卒業しているんですが、知識も知恵もないんです。
「なんで受かったん?」
「マークシート方式やったんで、まぐれです」
「なんで卒業できたん?」
「ウィキ丸写しの卒論が通ったんです」
 謙遜だとは思います。きっと彼は試験を解ける頭をもっていたんでしょうな。
 私にはまったくない才能です。なのに、
 大学ではいったい、何を教えとった?

 よく言われることですが、大学に入れても卒業させなきゃいいんです。
 日本の大学は入りにくくて卒業しやすいと言われますが、文系が特にそうらしい。
 だから、大学入試のための詰め込み勉学が、小学校からなされるわけですな。記憶力のための勉強、入試のための勉強、入ったら単位を取るための勉強。
 ちなみに戦前の東大、早稲田、慶応義塾なんて、原則無試験だったらしいです。
 そこから政治家や学者というエリートが輩出しました。
 竹下登元総理も、早稲田を無試験で入ったらしい。
 だから、大学に入れてから、みっちりと学問を叩き込むべきです。学問を。
 できない者は、退学。

 ところで、
 周りに文章が書けません、苦手ですという人が多いと思いません?
 若い人だけじゃない。私の世代にもいます。本も読まないし。
 日本はもともとそんな国じゃなかった。
 太平洋戦争で死んでいった少年のような兵隊が書き残した手紙やメモに、並外れた文章能力を見て、日本文学の権威となったのは、ドナルド・キーンです。
 江戸時代より、日本の教育は世界でもっとも優れていたんです。
 その基盤が、読み・書き・そろばん。
 今は読まない、書かない、電卓(ケータイ)。
 なんで日本は、これを捨てたのでしょう?

 実はこの文章苦手いうの、1958年以降に生まれた人からそうなるそうで、マークシート式試験世代なんです。私もそうです。
 マークシートは論述力を必要としないので、文章力は必要ではないんです。
 で、マークシートは読解力も必要とされない。
 そら、本読む必要なくなります。
 問題を解くためのプロセスも問われない。プロセスが間違っていようとも、正解であればいい。
 だから説明能力が欠如する。
 間違える、ということを恐れる。
 「自分で考え」と言うと、「なぜ教えてくれないんですか」と来る。
 プロセスを説明すると(私はこのプロセスが面白いんですけど)、「で、答えを教えてください」と、それを聞こうとしない。
 
 そら、日本の学力も国力も低下しますわ。
 私も専門学校で、数百人の学生の答案用紙の採点をしていましたが、マークシートとか、○×方式にすると採点が非常に楽なんです。
 つまり、これだけマークシート式試験の弊害が指摘されながらも、改まらないのは、試験を受けさせる側の都合なんですな。
 つまり、ビジネス優先の大学がある。
 そのビジネスに合わせた、小中高の学校教育がある。
 被害者は子供たちです。そして将来の日本です。
 今、もうそうなってますわ。
 じゃあ、そんな社会に警鐘を鳴らしてやろうじゃないか、と、巧妙なカンニングを考える若者がいても、不思議じゃないと思いますよ。
 権力に挑むのも、若者の特権じゃないですか。

 だから、教育する側の大人も、あんのんと同じことを繰り返してはあかんのです。
 時代は猛スピードで過ぎていっています。
 それに対応できない大人がナメられても仕方がない。
 しかも、問題となった現場が、一流の大学ですやん。
 ええのんか、これ。

 それともこれ、中学高校と、落ちこぼれだった私のひがみ?

 


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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



kaidanyawa at 16:29|PermalinkComments(8)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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