2011年11月

2011年11月29日

上方の文化果つるところ

 中山市朗です。

 私は大阪府民であり大阪市民でありますので、知事、市長を決めるW選挙に行ってまいりました。
 白紙投票です。

 橋下さんの府と市の二重行政という無駄を省き、都構想というのはわからないでもないんですけど、大阪という色が無くなっていくように思ったので。
 かと言って、平松さんでは何も変わらない。
 どっちもあかんやん、というのが私の意見。

 私見なんですが。
 大阪はなんの街かというと、商業と食と芸能・文化の街なんです。
 この三つの要素が互いに結びついて上方文化が育まれてきたわけです。
 特に芸能は、大阪人のお家芸といってもいい。
 文楽、落語、漫才、新喜劇・・・これらは大阪生まれの文化、芸能。
 新派は大阪生まれの演劇。新国劇も大阪公演での成功から始まりました。
 映画の撮影所が最初に作られたのも大阪、手塚治虫、水木しげる、さいとうたかをなどが育った貸本マンガの拠点も大阪でした。大阪相撲、上方舞い、上方歌舞伎(回り舞台は上方初)、上方講談、さらに上方、関西となれば京都周辺で生まれた能楽、映画の撮影所があり、オペラやオペレッタの様式をいち早く取り入れた宝塚の少女歌劇団の初演は、浅草オペラ結成より早かったんです。
 これらには根があります。他の地域では絶対持ってこられない、大阪、関西の特色なんです。大阪でのこういった芸能、文化は豪商や商人によって作られたと言って過言ではありません。江戸の侍文化が作った芸能とはまた違うんです。
 これが橋下政権下では切り捨てられるように思うんです。
「政治に守ってもらわなきゃならないものは、無くなればいい」
 なんて橋下さんの声が聞こえてきそうですが、文化はある意味、国や自治体が守っていくものでもあります。
 しかし私は、なにもそういった古い芸能を守れ、と言っているのではありません。
 芸能、エンターテイメントは、イメージ戦略に有効。大阪はその武器があるから使えよと思うんです。

 これ、バカにしちゃあいけません。
 イメージ。これはトレンドを左右します。商品価値を高めます。
 今、日本が好きだという外国の若い人は、日本のアニメからのイメージです。
 アメリカのイメージはハリウッドと音楽。日本人はこれに熱中しました。
 だから日本人はアメリカ人に親しみを感じているわけです。「Made in USA」に対する信用は、まさにイメージからきていたわけです。

 今は韓国製が世界進出しています。
 特にサムスンがソニーやパナソニックを遥かに押さえて一人勝ち。
 これ、仕掛けがありました。
 日本に向けられた戦略は、エンタメ。
 最初は韓流ドラマでブームを作り、その流れの上にKポップ、アイドルの日本への輸出。これは偶然ではありません。韓国政府のイメージ戦略があったわけです。
 美しい韓国のスターたち、涙を誘うドラマ、美女たちが繰り広げる高度なパフォーマンス、これらを見せつけられると彼ら、彼女らが身につけているもの、触れているものに憧れるようになります。そこで韓国製の製品がブランドになっていく。そして大量に売る。
 これ、韓国大統領直属の「大韓民国国家ブランド委員会」が取り組んでいる対外交戦略なわけです。
 大阪も、その根にある、面白いものを作り出す大阪人を使って、エンタメ・イメージ戦略ができると思うんです。だからといってベタベタな新喜劇や漫才を輸出しろと言っているわけではないですよ。新しいエンタメを創造し、デジタル技術を使って世界配信していく考えがあるべきだと。それが大阪を、そして日本を救う道だと思うんです。
 いや、真剣に。
 大阪を立て直すには経済的な立て直しが最重要ですが、いいモノを安くと言ったって企業は努力しています。ヒーヒー言いながら。だから行政によるイメージ戦略をやっていくべきです。
 カジノを作るなんて最低短絡の思考です。下品です。

 面白いものを作り出す才能をもっている人はいっぱいいるんです。でも大阪では何も生まれないと見切りをつけて東京へ行っちゃうんです。人材流出も大阪は止めなきゃ。
 そして若い人たちのそういったベンチャービジネスには、ちゃんとお金を出してやって、チャンスを与える。そうやって若者たちが夢をもてる大阪にしなきゃ。
 それから、ショッピングモールやデパートはもういいから、大阪にひとつ、デジタル映画スタジオを作るべきです。大阪を舞台にしたドラマや映画の撮影は東京の撮影隊が景色だけ撮りにきているような状態。大阪、全然潤っていない。
 デジタルスタジオなんてそんなに大きな設備もいらないんです。映像作品を作ってネットで配信している才能のある人、多いですけどみんな無料です。経済的恩恵がまったく受けられない。でも、ここにお金のなる木がたくさんあります。彼らをプロに養成できる機関(アホな専門学校じゃなくて、ちゃんと理念をもった業界人に任せる)をスタジオ内に作って、プロ、アマ合流させてエンタメをビジネスにすることを考えるべきですよ。

 エンタメが元気になると景気も活性化します。大阪の、いや日本のイメージも上がります。海外からもっと大阪に人が来るようになるでしょう。なんか今、大阪に来ている中国人なんて買い物に来ているだけですやん。ちゃんとしたもん見せんと、今のままですと彼らは韓国やシンガポールに行くようになりまっせ。
 大阪独自のブランド戦略作り。
 これやらんと、大阪ダメになります。

 そういえば20年ほど前のハリウッド映画『ブラック・レイン』で全世界に大阪が紹介され、莫大な経済効果が見込まれながら大阪市は協力しなかったので、ハリウッド製作陣たちはしばらく日本での撮影を控えたと言います。あれで日本も大損しています。
 メディアやエンタメの力を卑下したらえらい目にあいますよ。
 
 これからは橋下市長に期待するしかありません。
 何かやってくれる人、という期待は確かに私ももっています。
 自民、民主、どちらが政権を取ってもダメ。だからシステムから作り替える。これが橋下改革の核なわけです。これは私も賛成です。システムの崩壊はこのブログでも何度も私も書いてきたことですし。
 しかし、大阪は大阪の道があると思います。
 新しいシステムができたとして、では大阪は何を武器に世界の経済や価値観と戦っていくのか。大阪の大企業の本社も宣伝部門も東京にあるというこの現実。大阪は大阪の武器で勝負するしかない。
 橋下市長の訴えのなかには、私は、なかなか大阪の具体的な将来像が見えてこないのです。今、大阪府民、市民は「橋下さん、何をしてくれるんやろ」とただ待っているだけの状態です。我々はどうするべきか、何を目指すのか、その具体的戦略案を示してほしいものです。
 
 御堂筋のライトアップなんて他の街でもできることです。でも他の街には、芸能、文化を作り出した歴史は無いんです。もったいない・・・。
 しかしなんですな。日本人は戦術は巧いんですが、戦略が下手ですな。

 アメリカもロシアも中国も韓国も、戦略に長けてきたというのに・・・。






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2011年11月24日

11/24の小説技法

 中山市朗です。

 先週、「山の牧場」に潜入し、同場所で一晩明かしました。
 またまた奇妙なことが起こりました。これは一体?

 ということで、その一部報告も含めて明日、25日のUSTREAM生放送番組『我ら魔界探偵団』は、テーマにUFOを取り上げてみようと思います。
 とはいえ、UFOの問題は、大きくて深いんです。闇が存在しています。それに言えることと言えないこともあります。ですからそこは承知された上でお楽しみください。
 私もどこまで言えばいいのか、悩んでいるところです。USTREAMとはいえ、全国にネット配信される番組ですし。
 まあ、気楽に楽しめるUFO談義になると思います。

 ということで、25日夜8時から90分。
 ご視聴はこちら

 そして「山の牧場」の詳細は来年以降、まぐまぐメルマガ『幽怪案内』にて配信いたします。現地で撮影、解説した特典映像も満載の予定です。
 クレジット決済できないから見れないじゃん、という意見、重々承知しております。
 代理店との交渉、メディアに合わせた企画の練り直し、制作資金の調達、課金方法の改めなどなど、色々やることがありますので、もうしばらくお待ちください。
 皆様の色々なご要望にお答えできる『幽怪案内』にいたします。まだまだ未発表の怪談もあります。どんどん収録し、配信していきます。
 よろしくお願いいたします。

 さて、23日の小説技法の報告を駆け足で。
 あっ、この日見学者が一人。
 なんと沖縄から来たというNさん(男性)。観光の途中に寄ったのかなと思ったら、わざわざ見学のために飛行機で来たのだとか。私のこのブログの古い読者で、読んでいるうちにポンコツになりたくない、と思ったと言います。
 もし塾に通うとしたら、どないすんのやろ?

 さて合評です。
 
 O田くんのコメディ小説? 彼は「読んで思ったことをなんでも言ってください。怒ってもいいです」と言いますが、「どう言ったらいいかわからない」という意見が出ます。前にも言いましたが、これは小説なの? ということと、どこを目指しているの? という疑問があります。彼は落語やコント作家で小説家になりたいわけではなく、小説を書くことが勉強になるからという動機で書いています。読者を笑わせるという点ではある程度成功していますが、文体に大きな疑問が残ります。ただ、書いているOくんの思ったことがどれほど読み手に伝わるのかということを考えると、文芸の文法を踏襲するのが理にかなっています。もっとキャラクターの心情を地の文で書きましょう。ともかく頭に浮かんだことは文字にしてみる。まずはそれです。

 Yくんのアクション小説。前半は地の文が延々と説明文になってしまっています。そこをドラマとして展開させなきゃ。きっとこれが本だと、読者はこの部分を飛ばしちゃうでしょうね。後半部分の女の殺し屋が出てくるあたりは面白い。キャラクターや物語の進行がいいんですが、ここは前半部分と違ってドラマで読ませます。
 菊池秀行さんの小説の文体が参考になるかな。

 T野くんのSFホラー小説。章が変わって主人公たちの3年後から始まるのですが、その時間差がどうしても出ていません。思い切った設定や状況が必要です。それと主人公が前章のミッションの責任を負われ降格処分を受けているということですが、特殊な世界観ですので職務や地位の説明が必要です。降格したことがわからない人が多かったようです。

 N子嬢の短編怪談2編。今回は話の質がいいのでだいぶ恐怖の表現が出てきました。怪談はやっぱりネタが命です。ただ、2話とも無駄な文章や描写も多いようです。設定や状況を映画のように組んでみて、そこから文章に起こすことをやってみては?

 T田くんのギャグ小説は、リズム、テンポもよく、各キャラクターの個性も出て、楽しめる作品になっています。このまま次へと進みましょう。
 
 K島くんの大河内伝次郎に捧げる小説。現在の若者が昔の時代劇に感化され、映画とともに成長していく作品です。読んでいると日本映画の歴史も学べます。登場する人物たちもいいヤツばっかりです。そこはいいんですが、これもT野くん同様で、主人公の3年後が描かれているわけですが、その3年の間の成長が読み取れないんです。主人公がこの3年でどういう人脈をつくり、仕事の実績を積んで、今どいういう立場にいるのかの設定をしっかりと組んで、そこを描写するべきです。またそうなってはじめて成長する物語のテーマが明確化してくると思います。

 今月入塾のK田さん。提出日を間違ったため合評には乗せませんでした。
 原稿締切日は決まっていますし、その説明はいたしました。原稿は中身もそうですが、締め切りに遅れた作品は基本的に合評からはねることにしています。締め切りを守ることも勉強です。

 ということで合評は終わり。沖縄から来た見学者も「これからどうされるんですか?」と暗に飲み会モードです。わかってるねえ。
 ということで、Nさんを囲んで、私の書斎で飲み会です。

 ゲスガノ全開だ!
 キミ、総務やろ。
 まあ今日は女子もいないし、ええか。


PS:
明日の『我ら魔界探偵団』は、都合により20時5分よりのオンエアとなります。
5分だけ遅れますが、よろしくお願いします。


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2011年11月23日

お前たちに明日はない

 中山市朗です。

 アニメ作家の押井守さんが、去る12日、東京芸術大学大学院映像研究科の講演で「私の見る限り、現在のアニメのほとんどはオタクの消費財と化し、コピーのコピーのコピーで『表現の体』をなしていない」と語ったと、朝日新聞の電子版コラムで掲載されました。
 ネットで知ったんですけど。
 おそらくこれは、視聴しているユーザーではなくて制作者に向けられた言葉なんでしょうね。
 今の文化というのはある意味、大量生産と消費によって成り立つわけですが、そこに表現の先駆者が常にいて、新しいものも生まれていくというのが正常な文化だと思うんですよ。先駆者は最初は報われず異端扱いされるのが常なのですが。
 押井守という人は間違いなくデジタル・アニメにおいての先駆者であり、しかも商業的にも成功した人ですが、いろいろ軋轢もあったのでしょう。自作の『機動警察パトレイバー』を批判して、ロボットにかっこよさのみを求めるアニメ制作者に「技術の思考」の欠如があると説いたといいます。

 実は昨日、某ゲーム会社の社長さんと話していて、その社長さんが同じようなことを嘆いておられました。
「グリーやモバゲーにしろ、ヒットしたゲームがあったら押し並べて同じような企画、キャラ、世界観のものしか発注されない。新しいことをやろうにも企画は通らない。同じコピーもんばっかり」
 アニメもゲームも映画も、出資者がいるわけで、冒険して大損こいちゃうより、コピーのコピーでもいいから売り上げが見込めるほうを望むわけですな。
 柳の下にもどじょうが、なんとか。
 テレビ番組もスポンサーのご機嫌を伺ってか、まるーくなっちゃって、全然面白くないですし。
 出資者やスポンサーは、作家の思想とかテーマとか作品の質とか、そんなことはどうでもいい。儲かればいいんです。でも制作側は、作家はそこを戦っていかなあかん。でないと制作者、作家として失格。そういうことでしょうな。

 もっとも、コピーのコピーのコピーが氾濫しているのが現状となれば、見る側は「そんなもんじゃん」と慣れてしまって、お金を使ってくれるいいユーザーとなってくれるというのもあります。それはそれで否定はしませんけど。でもそれではいつか飽きられ、衰退しちゃいます。
 かつての日本映画のように。
 安易な企画とエロ、グロに走った映画会社は見事に潰れましたもん。

 かつて黒澤明監督は言っていました。
「映画の質を上げるには、お客の目を肥やさないとダメだ」
 その黒澤監督の企画も、結局海外へ持っていかないと通らなかった時期がありましたしねえ。

 押井さんはこんなことも語ったとあります。
 若者に対しての言葉です。
「やさしいというのは、励ますとか慰めるのとは違う。『親身になれた』という意味で、それまでは若者のことはどうでもよかったのが目を向けるようになったということ。で、若い人のことを考えれば、本当のこと、残酷なことを言わざるを得ないと思い、ちょうどそのころ中学生や高校生と話す機会がたくさんあったので、こういう話をした。あなたたちは限りなく凡庸で無名で何の個性も無いんだ、『一人一人がかけがえのない存在だ』なんて大人の嘘を信じるのはやめて、早く幻想を捨てろ。夢をもつな、あなた方の未来にいいことなんて何一つないんだ、というところから始めたらどうでしょうかと」
 これ、そのまま聞くと、実も蓋もありません。
 でも私、共感するんです。
 最近、塾生たちに常々言っているのが、
「このままやったら将来、キミら夢も希望もないで。で、どうすんねん」

 それでも夢をもって生きたい、やりたいことがある、というのなら、それをどうやって始めるのか、なんですよ。考えんとあかんのです。特に現在は、今までのやり方が崩壊しつつあるわけですから、なおさら。
 それと若い頃はみんな、勘違いするんです。
 ちょっと何かをやらかすと、仕事をさせると、勘違いする者の多いこと。
 限りなく凡庸で何の個性も無い自分が、なぜこんな仕事ができるのか、そういう機会に巡り合っているのかを考えない。やれと言われたことはやるけど、そこにアイデアも工夫も無い。だから退屈なのとキツいのとで辞めちゃうんです。そしたらもう、二度とこの世界には戻れない。
 だから確かに「キミには才能がある。キミにはできる。キミはかけがえのない人材だ」なんて歯の浮くような台詞は、私も塾生によお言いませんし、言ったことも無い。
 でも「親身」になることは必要なんです。親身だからこそ、キツいことも残酷なことも言えるわけです。赤の他人に言われる筋合いないですからね、若者にしてみれば。言うほうもしんどいですけど。でも親身になろうとしても若い人はそこを拒否するし。
 うーん。

 それとコピーのコピーのコピーっていう押井さんの言うこと、こういうことじゃないかと思うんです。
 押井さんて、対談なんて読んでいるとあんまりアニメの話が出てこない。映画をどっぷり観ていた世代で、映画の話が出てくるんです。
 押井守と金子修介の対談で、
金子「1年に300本くらい見たんですか」という問いに、
押井「もっとだよ。800とか1000本見た年もある」(『押井守全仕事』)
 ていうやりとりがあります。
 これ、なにげにすごい。蓄積が違います。
 宮崎駿さんも、ジブリにいた人から直に聞いたところ(『トトロ』や『ラピュタ』の頃です)、やっぱりみんな、アニメの話は出ずに映画の話ばっかりしていたとか。つまり、映画も観ているし、文学も読んでいる。色々な雑学に長けている。というか、スタッフは宮崎駿監督にことあるごとに試されていたというんですね。

 そう考えると、専門学校の頃なんてアニメやりたいって来る子は、アニメしかみていないし、マンガ家になりたいっていう子はマンガしか読んでいない。小説家になりたいっていう子はラノベしか読んでいない。ゲームしかやったことがない子が「ゲームクリエイターになりたい」て言ったときは悲しかったですね。そんなんがほとんどでした。
 アニメの作り手はアニメからコピーし、そのコピーされたものをまたコピーするしかない。表現手段をアニメしか知らないんですから。プロの世界でもそんなことになっているんでしょうね。
 以前、アニメ監督の角銅博之さんが塾に来られたとき、「今、中国でアニメをやっている人は美術を本格的に勉強した人たち。だから色彩からして違う。日本のアニメ志望者はアニメしか見ていない。もっと古典芸能や映画を観るべき。でないと、このままではいずれ中国や韓国にアニメも抜かれる」ということを言っていました。

 また、宮崎駿監督もスタッフに「過去の名画は当たり前に観ておけ」と言っていたそうです。『ラピュタ』の炭鉱の町はジョン・フォードの『わが谷は緑なりき』、その脇役のキャラクターや世界観は『静かなる男』からインスパイアしたものだと言いますから、映画を観ていないんじゃ、そんな発想も起こらない。
 となると、映画を年間1000本観てきたプロが、ヌーヴェルバーグも知らない若者に「キミ、才能あるね」なんて言えるはずがないですもんね。「お前は凡庸で才能は無いんだから、せめてそのくらいは観ておけ。話はそこからやな」とは言ってやれるけど。

 とは言っても、映画を年間1000本観たからクリエイターになれるというものでもないところが、この世界の難しさ。観てないよりは観たほうがいいのは確かだけど。





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2011年11月18日

11/16の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 愛、という言葉、意味についての考察です。
 モテない奴ほどそんなことを考えるそうです。
 ほっとけ!

 西洋の文化がやってくると、当然、西洋の文字、言葉が入ってきます。
 江戸時代のインテリ層は蘭学、オランダ語を学んでいましたが、英語が必要じゃん、と気がつきます。

 カステラ、フラスコ、クルス(十字架)、ズック、アルコール、ランプなんて言葉は江戸時代にも使われていましたが、これはオランダやポルトガル語の原語のまま使っていたんですね。
 ところが明治以降は、どっと入ってくる西洋の言葉を、ひとつひとつ日本語にしていくという作業が行なわれました。明治政府は日本の近代化を推し進めるには、それが必要だとしたわけですね。明治の文豪たちがこの作業を担いました。

 政府、社会、存在、個人、自由、権利、なんていう言葉はそのとき作られました。江戸時代には無かった言葉です。芸術、音楽、運動、彼、彼女、青年、品行、品格、人格・・・。

 さて、「I love you」という言葉も日本に入ってきました。
 これをどう訳そうか、という問題が立ち上がります。
 異性に向かって「私はあなたを愛しています」なんて言うことが無かったわけですから、これは問題です。二葉亭四迷は「I love you」をなんと「わたし、死んでもいいわ」と訳したんです。それは前後の脈絡をもってそう訳したんですね。
 ただし、このとき訳されたのはツルゲーネフの『初恋』だといいますから、ひょっとしたら「I love you」にあたるロシア語を訳したのかもしれません。
 ちなみに夏目漱石が学校の教師をしていた頃、学生が「I love you」を「我、君ヲ愛ス」と訳したのを聞いて「月が綺麗ですねと言いなさい。それで伝わります」と言ったとか。
 やっぱり、私はあなたを愛しています、という言葉は日本に存在していなかったということなんですね。

 西洋の文化はキリスト教で成り立っている、といっても過言ではありません。
 当然、彼らのいうところのloveは、『聖書』の福音から来ることになります。
 キリストは人類を救済するんですね。
 それは罪深い人間たちに与える自己犠牲的な愛というわけです。
 ロミオがジュリエットの前でひざまずいて「I love you」と叫ぶのは、単に好きだ、ではなく「私の全てを貴方に捧げます」ということなんです。
 二葉亭四迷が「私、死んでもいいわ」と訳したのも、その理解があったんですよ。
 また、そういう概念が、日本人にはなかったんです。

 なぜか?
 これは、日本という国を考えるのに面白い問題だと思います。

 キリストは、愛を説きます。神の愛です。でもその十字架に磔られたキリストの姿には悲壮感があります。そこまでして愛を説くのはなぜでしょう。
 キリストが幼少期を過ごしたナザレは今のイスラエルにありますが、キリストの時代はローマ帝国に支配されていました。そうです。大陸はいつ隣国が攻めてくるのか、いつ民族同士の戦争が始まるのか、町は焼き払われ、殺されるのか、わからない状態に、常にあったわけです。隣人に愛を説く必要がここにあったわけです。
 だから西洋人は、ことさら愛を強調せずにはいられなかったわけです。
 好きになった人を、そういうときに命がけで救う、という気構えが試されたわけです。

 しかし日本は、比較的天下泰平でした。特に江戸時代というのは。
 だから命を賭けてでも、という過激な心情は生まれなかったと思われます。もちろん命を賭けた男女の悲恋の物語は、心中ものなどに描かれ、日本人の涙を誘いましたが、概して男と女の仲は「好いた」「惚れた」で事足りたわけです。親兄弟や師弟の関係、社会のなかにあったのは「義理」「人情」で成り立ったわけなんです。
 苦渋な表情で愛を説く必要が無かった、というわけですね。
 キリスト教がこんにちも根付かない日本の特性は、こんなところにあるのかもしれません。

 ただ、西洋においても男女の恋愛の概念は、比較的新しいものだそうです。
 ルネッサンス期の中世ヨーロッパの頃だそうです。
 つまり男と女の関係は、それまでは契約と打算だったんです。日本も結婚は家と家の契約にあったわけですが、西洋もそうでした。
 だから愛とは、男女の関係は例外的なもので、主に愛は親と子、兄弟、主人と家臣の間にあるのが不変的な愛だったようです。

 最後に、恋愛に関する名言をいくつか紹介しましょう。

「しかし、しかし君、恋は罪悪ですよ、解っていますか」夏目漱石
「恋愛とは何か、私は言う。それは非常に恥ずかしいものである」太宰治
「恋愛は性欲の詩的表現をうけたものである」芥川龍之介

 この頃の日本の文豪たちは、やっぱり恋愛は恥ずかしいもの、という気持ちがあったようです。でも女性となると違うようです。

「切なる恋の心は、尊き神のごとし」樋口一葉

 バイロンはこう言います。
「男にとって愛は生活の一部だが、女にとって愛はその全部である」

 ツルゲーネフは言います。
「愛は死よりも、死の恐怖よりも強い」

 H.L.メンケンはこんなことを言っています。
「愛とはこの女が他の女と違うという幻想である」

 最後にイブセンの言葉を。
「かつて一人も愛したことのない者は、全人類を愛することは不可能だ」



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2011年11月17日

11/16の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 何年か前、『世界の中心で、愛をさけぶ』なんていうのがありましたねえ。
 小説も映画も大ヒットしたようで。

 愛。
 なんかこの言葉を使うと、なんでも正当化されてしまうイメージがありませんか?

 愛のために生きる。
 愛はすべてを越える。
 愛はなによりも尊い。
 愛は地球を救う。

 この愛という言葉、日本男児にとってとっても照れくさいものなんです。
「お前のことが好きやねん」
「惚れてもうた」
 という言葉は出ても、
「君のことを愛している」とは、なかなか言いにくいものなんです。
 女性は「愛してる」と言ってほしいようですが。

 ちょっとこれも言いにくいことですが、うちの塾に通っている塾生、とりわけ男子諸君の書く作品は、どうもこの女性の描写に欠けていて、つまり愛が語られない傾向にあります。なんか色気ないし、サービス精神に欠けている。もうひとつキャラクターに感情移入できない理由もそこにありそうです。
 まあこれ、わからんでもない。
 私も20代の頃、女性というものがよくわからなくて(今もそうですけど)、当時撮った映画なんて、今見るとちゃんとした女性が出てこないんです。知らないから描けない。あるいは照れもあったのでしょうか。
 だいたい小説を書きたい、マンガを描きたい、なんていう若者は、モテないタイプ(偏見?)が多いようです。だから常に妄想しているわけですけど。
 でもこの妄想が作品になるわけですから、それは悪いことではないようです。
 でもねえ、だからといって、いつまでもそうは言っていられない。
 よくそんな塾生たちに「(異性に)惚れて惚れて惚れぬいて、で、捨てられろ」みたいなことを言っています。そうやってはじめて人間が描けるんだと。

 ところで、たいていの小説とかマンガ、映画やドラマには必ずこの愛し合う者同士
が出てきて、愛のドラマを展開させます。
 司馬遼太郎さんは「小説というものは本来、男と女のことを書くものだ」と何かに書いていました。古今東西の文芸は、確かにその時代の動乱の中で生きていく、男と女の物語が語られます。

 この愛という言葉、私はどうも明治以後にできた言葉で、それまでは今のような意味では使われていなかった、そんな気がしていました。
 だから日本男児は「愛している」とは言わないんだ、と。

 ということで、今回の作劇ゼミは、この愛というものについて考察してみました。
 
 愛という言葉は、明治になってキリスト教と西洋文化が入ってきたときに、Loveを訳した言葉だとされています。
 そういえば、お侍が「拙者、おぬしを愛している」というセリフは聞いたことが無いです。なに、ある? おかしいな。
 江戸時代までの日本は、いとしい、こいしい、というちょっと曖昧な形容詞が、その心情を表しました。そして恋という言葉はありました。好き、惚れる、という感情を指すわけです。
 では愛という言葉は無かったのかというと、そうでもありません。
 愛染という言葉が仏教用語にあるように、仏教の仏典が中国から来た頃、すでに漢字表記としてはあったと思われます。
 現に、西暦721年に編纂された『続日本紀』に「尤も仁と愛を先にし、釈尊の数、深く殺生を禁ず」と書かれています。人間と動物への哀れみを表現しています。
 『今昔物語』は平安末期に編纂された説話集ですが、ここにも愛という表記はあります。
「その形、端正なるを見て、たちまち愛の心を起こして妻(め)とせむと思ひて」
 女性に対する恋慕の気持ちを愛という言葉で表しています。
 万葉集にも出てきます。
「愛は子に過ぎたりといふことなし」

 まあ、このように愛という言葉、漢字表現はあり、今の愛に近いニュアンスをもって使用されていた事実があるわけです。愛は、愛づ、めづ、めでる、という動詞であって、可愛がるとか、大切にするという意味として使われました。
 仏教用語としての愛です。
 ところが仏教は、この愛という言葉を、煩悩のもっともたるものとして否定しているんですね。
 仏教にとっての愛は、自己中心的な執着のことを言うんです。その執着心が人間に苦しみを与えるのだと。だから仏教用語としての愛は、愛着、愛欲、愛執、渇愛と、あまり肯定的な言葉としては出てこないんですね。
 親鸞は『教行信証』のなかでもっと痛烈なことを言っています。
「愛心つねにおこりて、よく善心を染汚す」
 愛というのは男女間にある性的衝動であり、汚らわしい、というわけですな。
 ただ、仏教において「隔ての無い慈しみ」も愛であるわけで、どうやら、自然や動物たちへの愛は肯定され、男女の愛は、愛欲、色欲を意味するので否定された、ということのようです。
 一方、憤怒の顔をしている愛染明王という密教の仏がいます。愛染は「そういうことは人間の本能であるから、むしろその心を向上心に転嫁させて仏道を歩もう」という仏教界のキューピッド(にしては怖い顔ですが)として存在しているのです。

 古来より儒教も日本は受け入れていました。
 孔子は門徒の「仁とは?」という問いに答えて「人を愛するなり」と答えたと言います。この愛はちょっと我々の使う愛とは違いまして。
 家族を愛し、国家を愛し、国家の集合である天下へと愛情を拡大していく中華思想に基づくものでした。
 韓国は今も儒教の国ですが、ここで言う愛という言葉は、親子の愛、師弟の愛、他者への思いやりという意味として使われていました。日本でもほぼ同様な意味合いがあったようです。でもあんまり江戸時代までの日本庶民たちが「愛」という言葉を口にすることは無かったと思われます。

 で、明治になって『聖書』と西洋文化がドッと入ってきました。
 ここで愛の概念が肯定的にとらえられ、今のような意味を持つことになります。
 キリストは「神の愛」で成り立ちます。

 この項目は続く。
 
 


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2011年11月16日

日本一のワルノリ犬

 中山市朗です。

 去る11月12日(土)、アマチュア劇団『プラスチック犬』の旗揚げ公演がありました。

 この劇団は、元塾生のイラストレーター、マンガ家のアデ・ミツルが、授業後の飲み会にやってきて「うち、劇団作りたいねん」と呼びかけたところ始まったものでした。
 冬やったように思います。
 最初は遊び半分なのかなあと思っていたら、どんどんのめり込んで、アデの思いもあったのでしょう。芝居を本格的にやっている人たちと交流をもって、本格的に芝居を学び、劇団にもそんな人たちが参加していったようです。

 山本マチは、なにかにつけ「プラ犬の練習が」「打ち合わせが」「搬入が」とそればっかり優先していたこともあって、「優先順位は間違っていませんか?」とスタッフに注意されていました。私もイラッとしたこともありました。
 
 で、アデが脚本を書いた『歌え!BANG BANG』の公演を見て、「やるやん!」と私もちょっと感動したわけです。
 声がちゃんと出ている。基礎ができている証拠です。山本マチが元ミュージカルスターというのはどうしても見えないのですが、それなりに見せようという努力のあとが見られます。ヤクザの「若」役の小島雪も楽しんでやってます。アデのイカれた女もサイコーです。ちょっとアデの描くマンガの世界を彷彿させるキャラです。
 共演の亀井まみさんと正次さんは、それぞれフリーと某劇団所属の役者さん。
 その共演も違和感なく、本格的に芝居というものに体当たりしたのだなと思わせます。
 ミュージカルのシーンは少々イタかったけど。
 それも愛嬌。
 いい経験をしたと思います。

 私は常々、その道の専門家と一緒に何か物作りをしてみろと言っているんです。
 それが作品の完成度を上げる一番の方法であり、何より勘違いを修正させてくれます。
 素人と書いて、勘違いと読ませたいほど、若いうちはみな勘違いをするものです。
 でもその道で生きている人の思いは違います。思いを重いと表現したいくらいです。

 ここでその専門家なりプロなりと交際し、ともに作品作りをすれば、プロの意識の高さと突き詰める完成度のレベルを目の当たりにし、意識も変わるわけです。処世術も身につきますしね。これをやらないと、いつまでも勘違いしたまま年を取るという悲劇に見舞われるわけです。

 思えば、大阪芸大で「劇団新感線」「南河内万歳一座」が結成され、京大の「劇団卒塔婆小町」が新メンバーで「そとばこまち」と劇団名を代えたのが私の学生時代でした。
 私が監督、脚本の卒業制作映画『残照』は、田舎の村で起こる神隠しがテーマとなったモノクロ16ミリ作品で、「そとばこまち」の川下大洋さん、小巻有子さん、西村頼子さんたちに出演してもらいました。また芸能プロダクションに中年の男女の役者が欲しいと折衝して、プロの役者さんにも出ていただきました。
 これは、それまで3年間に友達に出てもらっていた映画作りとは、格段に違いました。私も自分の脚本で演出ですから、我を通したいわけです。でも向こうはプロですから「そこでこれはおかしい」と言われかねないわけです。だから演出プランを練りに練って、いざというときの格闘に備えたりしました。
 それが凄い緊張感で、いろいろなことを一気に学んだんです。役者さんへの気遣いも大変ですしね。

 このときは誰も私に意見具申することもなく、私の思い通りに撮ることができました。
 ただ、こんなことがありました。
 母親役のプロの女優さん。『子連れ狼』なんかに出ていた人です。
 ちょっと演出上の解釈で意見が対立しました。
 で、私は言いました。「あなたのプランを撮っても、編集するのは僕ですから。カットします」
 その女優さん、その言葉で私を信頼したと言います。
 そこまで自信があるんだったら、任せても安心だと。
 オドオドしていたら現場もどうしていいのかわからなくなりますしね。
 ちなみにこの作品を撮り終えた後です。あの山の牧場へ入り込むのは・・・。

 話を戻します。
 照明も写真科の学生が来てくれて、彼は今プロのカメラマンですが、的確なその指示も私は学んだんです。この経験がなければ、私は黒澤明監督の元へ「メイキングビデオを撮らせてください」なんて無謀な企画書を送ることはなかったでしょうし、私はプロのクリエイターにもなっていない可能性だってあるように思うんです。
 プロの人と丁々発止したという一つ一つの経験が、自信というものに繋がるわけです。自信があれば次のステップへと進めます。
 全然進まない人は、きっとそういう経験が浅いか、あっても途中で逃げちゃっている人です。

 前にも書きましたが、100人のアマチュア野球選手が集まって練習しても、プロの選手は輩出しないでしょう。でもプロのコーチがこのチームで指導すると、プロの選手の輩出がありえることになります。
 トキワ荘がそうでした。手塚治虫というプロがいたから、あそこであれだけのマンガ家が出たんです。

 だから、プラスチック犬のメンバーはいい経験をしたと思うんです。
「そこまでたいしたことじゃないです」と彼らは言いそうですが、これをきっかけに、もっと自分よりレベルの上の人と繋がることです。
 特に、山本マチくん、小島雪くんには、自分が目指している創作の世界で、専門家やプロの人たちといい交流をしてほしいと思うわけです。
 山本マチくんは、今まで色々な機会を逃しているだけに、なおさら。

 ともかくプラスチック犬の関係者全員に拍手を贈りたい。

 あ、我が塾総務のスガノくんもゲスト出演していました。
 存在感がありますなあ、スガノくん。演技?
 どうでもええけど、本番中にアドリブかまして、自分で笑うなよ。客は誰も笑ってないし・・・。
 
 

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2011年11月10日

11/9の小説技法

 中山市朗です。

 明日11月11日のポッキーの日、夜8時より、USTREAM配信の生番組『我ら、魔界探偵団』のオンエア日です。今回も怪談がテーマとなっております。

 ご視聴はこちら

 そして『中山市朗 Dark Night』で起こったあの、人形怪異譚を、近日(1周年記念となる11月最終週か、12初旬頃?)『幽怪案内』にて配信いたします。マル秘の特典映像も準備しました!
 その予告編ができました。

 予告編のご視聴はこちら

 配信の詳細については、オフィス・イチロウのツイッターかこのブログでお知らせいたします。
 クレジット決済なので観れないじゃん、という声も多く寄せられています。他のメディアの配信も準備していますが、ちょっと時間がかかります。とりあえずは、まぐまぐメルマガ動画にてお願いいたします。

 それから塾生たちによる劇団「プラスチック犬」の旗揚げ公演があります。
『歌え! BABG! BANG!』は11月12日(土)、19時より、シアターOMにて、詳細は『プラスチック犬』のホームページにて。
 
 ちなみに私は出ません。あしからず。

 で、来週は北野誠さんと「山の牧場」へまたまた調査に参ります。誠さんの企画での同行ですが、『幽怪案内』のカメラマンも同行します。いずれ「山の牧場」で「山の牧場」に関する怪談も・・・?

 さて、9日の小説技法の報告です。
 いつもの合評です。

 Yくんのアクション小説。前回指摘されたことを受けて、ちょっと短くして調整したというYくんですが。「読みやすくなった」「まとまってきた」とみんなは言っていますが、ちょっとアマいんと違う? 仲間が書いたものという読み方ではなく、お金を出してまでも読みたいモノになっているかというレベルではかって欲しい。
 説明がくどいです。アクションものなんだから、いかに動きでもってストーリーを進行させるかということが命題。話、あんまり進んでいないし、情報を説明しすぎるので、ワクワク感があまり出ない。ある程度、読者の想像に託す書き方をしていいと思います。

 K師匠のギャグ小説。うーん、これは小説なのか? ただK師匠は、お笑い作家でコントや創作落語を書くことが本業。この課題はその本業に何か活かせることはないのかというスタンスなので、笑わせることが目的、という見方なら、笑える箇所ややりとりは色々あるので、そこは成功していると思います。無理に小説の体にする必要はないでしょう。ただセリフをもう少し読みやすくしたほうがいい。テンポのあるやりとりを。

 N子嬢の短編怪談2本。1本は新作。和歌山の無人島ツアーでの実話。話はまとまっていて「怖かった」という意見も。ただ登場人物の動機付けを曖昧にしないこと。もう1本は修正を何度もして、まだまとまらない。要は人形がひとりでに消えて、また現われたという話なんですが、話が弱いんです。弱い話でもワザで怪談になるんですが、まだ彼女のレベルでは無理なのかな。別のテーマを捜しましょうか。

 T野くんのSFホラー。第一章が終わって、第二章となったわけですが、その間に2年の時が流れて、という設定なのが、全然そうは思えない。二年前に月面基地から帰ってきたクルーたちとプレスとのやりとりがあるんですが、ここの質疑応答をしっかり利用すること。それが前章とこの章との架け橋となって、氷解した謎となお残る謎の余韻が表現できるはずです。
 
 T田くんのヤンキー小説。いや、面白いです。サブキャラの由美ちゃんの可愛いけどアホなキャラクターも、なんだか愛らしいですし。この調子で続きを書くこと。

 今月から入塾のK田さん。ある新人賞に送って、入賞にならなかった短編小説を持ってきていたので、それを合評に。文章能力は高いものがあります。一人暮らしをしようとする主人公の女性が、友人にアドバイスを受けるうちに、友人が語る奇妙な話。それは怪談なんだけど、生きている女が怖いみたいなことになっていくんですが、主人公に災いが降りかかっているわけではないので、その切迫感が弱いんですね。傍観者ですから。賞に落ちた原因はそこらにありそう。
 でも、読ませる力はあります。どんどん書いて読ませて欲しいものです。
 


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2011年11月09日

スミス味園へ行く

 中山市朗です。

 最近「なんでこのブログ、中山市朗です、という挨拶から始まるのですか?」と質問を受けました。お答えします。
 もともとこれ、作劇塾のブログやったんですよ。
 だから、スガノです、とか、まっきゅん(当時いた塾の女性スタッフ)です、という名乗りがあったわけです。そのうち「塾長の最近観た映画の感想とか、こんなことを発見しました、みたいな簡単なものでいいですから書いてください」とあるスタッフから言われまして、書くようになったわけです。
 そのときは、中山市朗です、と名乗って書いていたので、その風習が残っているわけです。

 ちなみに一昨年、私が右足粉砕骨折をやらかして入院したときは、このブログからスタッフのスガノくんが、このブログから経緯などを発表しておりました。

 今は塾の公式ブログはスガノに一任して、別に存在しております。

 さて、先週の金曜日、ご承知のように山口敏太郎氏の主催する『怪談師オールスターライブin大阪』に出演してきました。大阪の九龍城、味園ビル内、紅鶴での開催。
 まあ怪談のアプローチ、表現の仕方は色々あるんだなあ、と勉強になりました。
 実は私、夜の12時頃に会場に入ったものの、出番は2時半からと聞いたもので、ちょっと味園のスナック街をハシゴしていたんですよ。まあ『幽』の取材に協力してもらった人たちへのお礼も兼ねましてね。そしたら最初に入ったスナックに、牛抱せん夏さんや安斎レオさんがいてた。しばらくして山口さんも来られたので、しばし飲みながら歓談。
 安斎さんに「中山さん、山口さんと仲悪かったと思ってました」なんて言われたけど、心外ですわ。というか、そんな噂はどこから?
 ということで、私と敏太郎氏がなぜか握手しているレア写真(?)が、安斎レオさんのブログに掲載されています。

 で、後半の山口さん、牛抱せん夏さんの怪談を聞かせてもらって。

 山口さんは、うんちく怪談というのでしょうか。中岡俊也さんの霊が出るという話でしたが、解説が入るんですね。で、解釈が入るんですよ。怪談に解説や解釈が入るのは野暮なことだと思っていたんですが、しかし山口敏太郎さんが語るから、これが怪談になるんです。うんちくが効くんですよ、彼の場合。これは完全に敏太郎ワールドというのでしょうか。

 牛抱せん夏さんは、『怪談グランプリ2010』で優勝された女性怪談師。
 彼女は女優さんなので、語りと描写がしっかりしていて、芝居がかっているんです。そこが彼女の味。ちょっと講談に近いのかな。私の語りはお客さんの反応で、フラフラ動きますから、その点、せん夏さんの語りは、しっかりと聞ける怪談になっています。怪談師という肩書きは、彼女にふさわしいと思います。
 ただ、せん夏さんは、自身の体験談を語っているのですが、ご自身があまり霊に対して怖がっていない、つまり冷静であることが語りに垣間見え、話の中で誰も怖がっていないという事態が起こるんです。つまり、巧いけど怖くないという話になる危険性がある気がするんですね。いくら緻密な幽霊描写があっても、それを見て怖がる人がいないと怪談にはなりません。逆に幽霊が出なくても、怖がっている人の心理描写さえできれば怖い話になるんです。ちょっと高い次元の話をしていますけど。だからそこがクリアできると、牛抱せん夏さんは、女性版稲川淳二になれるかもしれないですね。稲川さんは、恐ろしい、ということを物凄く強調する人ですから。
 人のことを言っている私ですか?
 どうなんでしょうね。自分のことはわからないもんで(汗)。
 実は、いつも私、イベントや放送のとき、話を用意して、前夜なんて練習したりするんですよ。でも、現場の空気や前後の人のネタなんかで、違う話をしちゃうことがほとんどでして。だから正直、綱渡り。冷や汗もの。私の語る怪談は大失敗こいちゃうか、ビタッとお客さんと一体感となるか、その日次第というのもあります。
 でも、お客さん次第っていうのもあるんですよ。

 以前、奈良テレビで私の一人語りの怪談番組をやっていたんですが、あれは低予算で、私、カメラに向かって怪談を語っているんです。だから私自身がノッてこない。あれは最低の出来です。今、ネットに散らばっている動画はおそらくその番組がソース。
 ですからNHKの『最恐!怪談夜話』のスタジオには、映らなくてもギャラリーを入れてくれと要請したのは私だったんですよ。やっぱり聴いてくださっているお客さんとの間で、怪談は生まれるんです。

 何年か前、TBSの番組に出たとき、東京のテレビ局ってなんでこんなにリハーサルやんねん、みたいに三回同じことをやらされたんです。
 1回目は、時間を計るため。7分という制約でしたので収まるかな、というリハ。
 2回目は、技術のためのリハ。照明、カメラの動きを確認するリハ。
 3回目は、本番前のリハ。

 ちなみに大阪の放送局は、台本に「おまかせ」なんて書いてあります。

 そして本番。
 でもねえ、もう出演者の何人かと、スタッフたち、私の怪談を何回も聞いているわけです。それに司会の小林麻耶さんが怖がりなんで、彼女をビビらせてくださいという話なのに、なんかリハ、聞いてますやん。そら怖いという演技はしてくれるでしょうけど。私は周りの人たちが怖がる表情を見て快感を覚えるんです。
 で、この番組は生放送だったんですよ。ふっふっふ。
 ということで、本番では、リハ3回で語った怪談とまったく違う話をしてやりました。
 小林麻耶さん、マジでビビッてた。

 このときは成功。
 色んな意味で顔が引きつっているスタッフやディレクターの顔を見て思いました。

 わはは、ざまあみろ!





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2011年11月03日

11/2の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 11月2日(水)の作劇ゼミの報告です。

 先週、『幽』の取材で大阪ミナミに行ったんですけど。
 塾生の見学も許されて、取材後はメディアファクトリーの編集Rくん、カメラマンのNさんたちと、軽く飲みながら食事となったわけです。
 これ、小説家志望の塾生たち、ガッつかな。
 なにって、出版社の編集さんと話せて、いろいろ質問もできます。Rくんは『幽』と『ダ・ヴィンチ』の編集さんで、単行本部門の編集さんでもあります。小説を書いたらまず目を通してくれるのが編集さん。作品が世に出るためには編集さんの力が必要ですし、場合によってはパートナーともなります。アカを入れてくるのも編集さん。スケジュール管理も編集さん。いい編集さんと巡り合えば作家としてもいいコンディションで作品を世に出すことができます。作家がピッチャーなら編集さんはサインを送り、リードしながらキッチリ受け止めてくれるキャッチャーとも言えるでしょう。このキャッチャーがいないうちは、素人ということになります。だから今のうちに編集さんと接する機会があるということは、ほんまにいい経験、またはチャンスでもあるわけです。
 ということで、私は小説家志望の塾生たちに席を譲って、Rくんも気さくに塾生たちと接してくれたわけですが、一体どんな話をしたのでしょう?

 大阪にはあまりエンターテイメント系の本を出す出版社がないので、東京から編集さんが来るという、こういう機会を塾生は活かすべきです。

 さて、私も「作家になるにはどうしたらいいのですか?」という質問を受けることがたまにあります。「書いて読むことでしょう」としか言いようがありません。
「SFを書きたいんですけど、どんなSFを読んだらいいのですか」なんていう質問を、専門学校の講師時代はよくされました。「その質問、もう手遅れ」と返事していました。「SF以外を読まんかい」と。
 最近、ある作家さんと話していて、「今の小説家志望の人は明らかに本を読んでいない」ということを言っていました。何人かの編集さんからも同じ言葉を聞いています。

 で、今回の作劇ゼミは読書について考察しました。
 一つの指針として亡き小松左京さんが若者に対して書かれたエッセイ『未来からのウィンク』を教本としています。
 去年の3月の講義のとき、そのエッセイの中で小松左京さんが「誰でも読んでいるような作品」として『ジャン・クリストフ』を上げているのに対して、塾生たちは誰ひとり読んでいなかったということがあったものでして・・・。

 小松左京さんは乱読を薦めています。
「小説を書くためにあるテーマの本を集中して読み込むということは、当然ありますが、1冊の本はあらゆる方向の好奇心を刺激する要素を秘めています。1冊読み終わる頃には、何冊も読みたい本がリストアップされてしまう」と。
 小松左京さんは幼き頃に読んだ『宝島』と『家なき子』について触れていますが、これまた塾生たちは読んでいない。『宝島』なんて男の子必読のアイテムじゃなかったっけ?
 もっと驚きは、石坂洋次郎の『若い人』『青い山脈』も知らない。映画も観たことがないということ。もうそんなことになってんのや・・・。

 そら、今は読書以外に娯楽は山ほどありますし、ネット、ケータイ、DVD。本も新刊、ラノベ、マンガ(マンガの話は塾生たちよくしていますが)と読みたいものもあるのでしょうが、小説家志望が『宝島』も『青い山脈』も知らないというのはちょっとねえ。
 今、話題になっている、トレンドになっているから読む、というのは単なる読書好きの人でしかない。プロになろうとしているんだから、それなりの読書量と知識はないと。
 膨大な本を読んだから作家になれるものではありませんが、私が接してきた作家さんのほとんどは無類の本好き映画好きな人ばっかりで、あっ、だから作家を続けられるんだな、と思うわけです。
 文章を書くというのは技法なんだから、やっぱり読んで真似ることが必要。読まないでは真似られない。それに小松左京さんの指摘するように、いろいろ読んでいるうちにホントに惹かれる作家さんを発見するだろうし、文学を客観視することもできます。

 ところで、Rくんと話した塾生たちによると「小説1本で食っている人はそうはいない」と言われたようです。その通りです。
 ちょっと名のある知り合いの作家さんも、印税は年150万円だって。

 ということは、よほどの読書好きで好奇心旺盛でないと、やっていけない職種なわけです。好きでやっている、それしかないわけですから。

 えっ? じゃあ食っていけない作家はどうやって食っているのかって?
 エッセイ、コラム、随筆、評論などの掲載。
 二次使用料というのもあります。マンガ、ドラマ、映画、ゲームの原作料、使用料。これはある程度のヒットがなきゃね。 
 脚本を書いたり、放送関係の仕事をしたりする人もいます。
 クリエイター系の専門学校、大学での講師。教授の人もいます。こちらは定収入が期待できますが、私の塾は慢性の赤字なので、ずっとボランティアです。キツいなあ。
 あと、メディアへの出演、講演もあります。
 絵が描ける人もいて、イラストやマンガをやっている人も。小さな出版社を立ち上げている人もいます。
 いずれも強い意志と知識と好奇心が無いとできるものではありません。実はサラリーマンと2足のわらじ、という人も結構いますが、仕事終わりの夜に書くというのは、よほど小説が好きでないと続けられない。
 
 私は、やっぱり若い頃映画を志していたので、そういうことが楽しい。映像とネット、ケータイや電子書籍で何か新しい、面白いことができないかと模索しているところです。メディアやツールが今面白くなっている時期ですから、これを逃す手はない。

 ということで(どういうこと?)、『宝島』も石坂洋次郎の作品集も教室にありますので、塾生諸君は読んでみましょう。


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2011年11月02日

鳥?

 中山市朗です。

 まずお断りしておきます。このブログはクリエイター志望の若者たちへ向けたメッセージです。他意はありません。

 地球上に生息する人間の数が70億人を突破したらしいですね。
 私の小学校の頃は48億人くらいだと教科書で習った覚えがあるんですけど。
 1998年に60億人突破したと言いますから、その後13年で10億人増えたという計算です。

 国連人口基金によると2050年には93億人、2100年には100億人になると試算されています。あるいは別の試算によると2100年の人口は150億人とも!
 これはいよいよ宇宙へ移住することも本気になって考える段階にきているように思います。でも今はそんな余裕は精神的にも経済的にも無いので、そんな議論すら出てませんけどね。今から準備せんと、間に合わんようになると思いますけど。
 今日産まれた子供たちは、ひょっとしたら2100年まで生きるかもしれません。日本政府は少子化対策なんて言っていますが、2100年の日本、あるいは世界のビジョンをちゃんと持っているのでしょうか?

 人口問題研究所所長で早稲田大学教授の阿藤誠氏は、共同通信のインタビューに「冨を分かち合い、食料、エネルギーの過剰消費を抑えれば、100億人は地球上で支えられる」と言っていましたが、それは学者の意見。絶対にそうはならないでしょう。
 冨は一部の特権階級が独占し、ますます貧富の差は大きくなる。当然食料も資源も特権階級が独占するわけです。
 貧困層は住食を求めて、富裕層に雇われることを希望するわけです。乞われて労働して生み出したモノは、労働者のモノにはならない。雇った富裕層のもの。
 富裕層の欲望は、一般人である我々には理解できないものです。彼らはその冨と地位を確たるものとし、拡大しようと戦争を始めます。その犠牲となって戦場で死んでいくのは貧困層の若者たちです。
 人間の社会の構図とはこれです。それが人間の歴史です。
 ただ、日本人は戦後の構造において割と冨の分配、再分配が成されて、公平な、みんなが中流だと感じる稀有な社会の中にいました。だから、今の状態を認識することができないんですね。今の日本は小泉政権による構造改革により、アメリカ流新資本主義の国になっちゃいました。そこもまだ日本人は認識しきれていないんです。古き良き日本はもう消滅してしまったと、私は思いたくないんですけど。

 人口増加により住食を失った人間は路上にあふれて、特権階級との差が激しくなったというSF映画『ソイレント・グリーン』は2020年のニューヨークが舞台でした。
 でもこの映画にはパソコンも携帯電話も出てきません。
 SF作家の誰もが予見しえなかったITの社会。これ、みんな無条件で受け入れちゃっていますが・・・。

 今はネットなどで世界の情勢を知り、蓄積された人類の叡智を、検索という簡単な行為で覗き見ることができます。また、一般人が言いたいことを発信できる時代です。昔のように「大本営発表」なんて情報の管理統制はできない。となると、逆にそういう環境を利用して、支配層が貧困にある人間たちに、貧困だと思わせない情報と環境と錯覚を与え、加えて好奇心を削ぐという教育がずっと行なわれてきたように思います。
 ITの情報網といつでもアクセスできることで、自分は自由で賢くなったように錯覚している人間を作って、本当に賢い人間たちが勘違いしている人たちを道具として利用し、使い捨てるためのインフラになっていると思うわけです。内に篭らせて、安くて気軽で楽しいモノさえ与えておけば、人間は闘争する本能を忘れ、バーチャルなモノに熱中し、真に戦う相手を取り違えるということを知っています。これはもう110年前の『シオン賢者のプロトコール』に書かれてあること。
 この本は偽書だとされていますが、書いてあることの履行はされています。
 個人情報もダダ漏れですし。

 何度かこのブログで書いたように、今の若者たちの多くはゲームとネット、カラオケ、携帯電話ですべてのことがこと足りていると思います。あまりお金はかかりません。
 これは閉じた世界でもあります。
 価値観を同じにする同レベルの人たちとはネットや携帯の世界で関わり、それ以外は拒否。大人の言うことも聞く必要はなくなり、世の中そんなものだと思うようになる。それで今はなんとか生きていけるわけですな。今は、ですけど。
 これ、パパゲーノと私は言っています。
 モーツァルトの『魔笛』に出てくるパパゲーノという男は、鳥刺し職人ですが、父母も知らず、自分のいる国を知らず、何かをしようという意思もなく、ただうまい酒を飲んで腹が満たされて、自分にあった可愛い女の子がいればそれで充分。なにに疑問を持つことも無く、政治にも無関心。それでも幸せに歌って暮らしているキャラクターなのです。
 ところが、パパゲーノ自身は鳥の格好をしていて、鳥篭を背負っているわけです。
 つまり彼自身が「篭の鳥」に入っている人間であるという意味なんですな。
 彼は捕まえた鳥を女王に差し出すと食べ物とワインを与えられているわけで、彼はそれで満足しているわけです。その女王が何者かも知らない、会ったこともない。そしてそれ以外の世界を知らないわけですから、まさに篭の鳥です。

 しかし鳥は本来大空を飛ぶことができます。いろいろなものを見て、自然の摂理も知って、生きていくための知恵をつけるわけです。でも、弱者はエサを得られず、逆にエサとなってしまうかもしれない。でもそれが鳥のあるべき姿です。
 人間もそういう存在であったはずなのですが、いよいよ家畜化(ちょっと過激な言い方かもしれませんが)されていくのかなと思っています。家畜化された人間は食うには困らないでしょう。というか、ラクです。あえて危険を犯してまでの自由を得るより、飼い主に食わせてもらうのがいい。そのために労働をするわけですが。
 その労働に正当な対価がどうも支払われないわけですが、まあいいか、と諦めさせるだけのアイテムが揃っています。狭いマンション、パソコン、デジタルテレビ、DVD、適度に旨く安いコンビニ弁当・・・。まあ居心地のいい篭とも言えましょう。
 それでいいと思うのも一つの生き方でしょう。否定はしません。パパゲーノ的生き方です。
 実際『魔笛』のパパゲーノはまったく自分を不幸だと思っていません。陽気で善良な人間として描かれています。
 しかし、世の中パパゲーノばかりになると、貧富の差、格差社会を無条件で受け入れることになりましょう。

 一方、そこを察知して、篭に入らない生き方を選択する若者ももちろんいます。
 彼らが今後どんな思考とビジョンでもって、社会と経済を引っ張っていくのか、私は大きな期待と関心をもっています。こういう時代ですから、規格外の才能と哲学をもった若者も出るような気もしています。

 私思うのですが、
 20世紀までは、国家が互いに競争した時代でした。
 しかしこれからは違うと。
 日本人だから、アメリカ人だから、中国人だからという国籍、民族、あるいは大企業の社員だから将来は保証されるという時代ではなくなり、個人が自分に市場的価値を生み出す時代になるように思うわけです。チームでやるものがいいでしょう。
 ITっていうのは、実はそこに利点があるわけなんです。今の成功者たちはこのことを知っています。
 だから、パパゲーノ的な生き方が嫌だというなら、人に使われるという発想は起こさないほうがいい。組織やビジネス、人を知るために人に使われる経験は必要だと思いますが、将来は自立する、自らが起業する、という気構えをもってほしいものです。
 そのために頭を使ってほしいですな。
 それはいわゆる学校で教わる勉強、大学進学のための知識ではないものです。
 それらの応用はあっていいと思いますが。
 古き良き日本を信じている親や先生は未だに「就職しなさい」とパパゲーノ的生き方を奨励していますが。

 自分の一生は自分が決めるものです。
 人口が増大する世の中(ある意味チャンス)で、鳥篭の中での一生か、弱肉強食の世界に羽ばたく一生か。
 鳥篭の中は年収300万円。羽ばたくとのたれ死にする可能性もあります。
 みなさんは、どう?
 



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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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