2012年03月

2012年03月28日

ゴジラ対作劇塾

 中山市朗です。

 いよいよ今の教室で行なう最後の授業日となりました。
 この教室は3年ほどお世話になったのでしょうか。月日が経つのは早いものです。

 授業をしていたら外から何か音が聞こえてきました。
 
 耳をつんざく獣の咆哮のあと、遅れて聞こえてきたのは伊福部さんが手がけたあの曲・・・?



nakayama_g_01
た、大変だ!
教室の外にゴジラが現れた! 

これでは教室が潰されてしまう。
現教室が最後の授業日に破壊されるなんて、なんてツイてないんでしょうか・・・








nakayama_g_02やや遅れて陸上自衛隊が到着。
オキシジェン・デストロイヤーは持ってきているだろうな!?




 こうなったら我々も間近で観戦するしかありません。
 教室を抜け出してみると・・・

 こちらの動画へ続く。






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興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



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2012年03月26日

作劇愚連隊西へ

 中山市朗です。

 お知らせがあります。

 まず、大阪ソーシャルネットワーク配信のUSTREAM番組『我ら、魔界探偵団〜フォークロ庵〜』の放送を4月からお休み、ということになりました。
 OSNさんからは、人気もあってメインコンテンツとしての位置づけで引き続きやっていただきたいという要望があるのですが、実は決算期が終わった現時点で、スポンサーである大阪市からまだ予算が降りていないのだそうです。
 なに〜い!
 そういえばこの番組の前身たる『地下鉄探偵団』が始まった頃は平松市長。今は橋下市長ですから、これは予算カット、かも。
 OSNとしては5月からはなんとか再スタートしたいということだそうで。

 詳細が分かり次第、当ブログでお知らせいたします。

 もうひとつお知らせ。

 作劇塾の教室が4月より、大阪市の四ツ橋に移ることになりました。

 私が塾を作るにあたっての理念は、貸し教室を使わず、常設の教室をもち、ここをホームグラウンドとして企画、製作を行ない、また業界の人たちとの交流の場にしたいというものでした。2冊の一般向け書籍『怪怪怪』も、奈良テレビの番組『中山市朗・怪談夜話』や関西テレビ+CS京都『京都魔界巡礼団』も、この教室から生まれました。数々のイベントも開催しました。大勢の業界の方々がこの教室を訪れ、『新耳袋・殴り込み』のロケにも幾度か使われてきました。
 しかし、少しでも塾生の負担を軽くという月謝制、塾費15000円で維持し続け、またその負担は覚悟の上で9年間続けてきましたが、やはり経済的な個人負担も積み重なり、また現在教室の管理、運営を代行している大滝エージェンシーにもその負担を強いることになり、やむなく貸し教室を使っての塾運営となるに至りました。
 現在、塾にある大量の本や雑誌、ビデオを処分中。塾生に欲しいものがあれば持って帰ってもらっている最中です。教室、私の書庫の代わりもしていたもんで・・・。

 とはいえ、4月から変わらぬ情熱と使命感をもって引き継ぎ、作劇塾の運営をやっていく次第です。塾費や授業内容などは今までと変わりません。
 また、業界とのパイプや交流会、実践についてはオフィス・イチロウで引き受けるつもりです。私の理念はいささかも揺らいでおりません。

 ただし、曜日が変わります。
 私の受け持つ授業が、今までは毎週水曜日だったのが、木曜日に変更。
 法山、中島両先生のマンガの授業は毎週木曜日だったのが、水曜日に変更。
 時間は今まで通り、19時より約2時間。押す場合は3時間のときもありますけど。

 作劇塾の新教室

 住所
 大阪市西区北堀江1-1-27 イマイビル3階
 有限会社 大滝エージェンシー
 
 お問い合わせメールアドレス
 sakugeki@sakugeki.com

 電話番号
 06-6536-8048

 FAX
 06-6533-2468

 地図
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2012年03月22日

3/21の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 さて、明日23日(金)は大阪ソーシャルネットワーク配信USTREAM生番組『我ら、魔界探偵団 フォークロ庵』の放送日です。
 前回お送りしましたテーマが「鳥居」。
 そこで今回は、鳥居をくぐるとある「神社」についてお話いたします。
 皆さんも神社へ行かれることがあると思うんです。初詣、願掛け、結婚式をあげる人もいますし、七五三、節分、七夕祭りなどは神社のお祭りです。天神祭、祇園祭など御神輿や山車などの出るお祭りも神社のお祭りです。丑の刻参りも・・・。
 日本の神様のいるところが神社であります。いや、正確に言うと、ちょっと違うんですね。違うって、どういうことって?
 そんな知っているようで知らない神社の謎。今回はその入門編であります。
 前回の鳥居同様、こんなテーマだけで90分間しゃべる、なんて番組、まあ他にないでしょ。
 聞けば神様からご利益もらえること、間違いなし・・・の方法もお教えいたします。
 いや、それより日本人なら観ろ、です。

 20時より開始です。ご視聴はこちら
horanokakikata
 さて、21日の作劇ゼミの報告です。
 フィルムアート社から本が一冊送られてきました。
 『ホラー映画の書き方』という本です。
 著者はアメリカの人で『カースト』というホラー映画の脚本などを書いたデヴィン・ワトソン。
 なんで送られてきたのかというと、映画秘宝編集部と日活映画配給宣伝グループさんからの紹介があったようで、告知や情報紹介をお願いいたしますとのこと。
 ふうーん、と読んでみると、作品を創るにあたっての考え方や姿勢、営業のやり方なんかも書いてあるんです。もちろんアメリカの映画事情と日本のそれとは異なった環境にあるわけですが、モノを作る苦しさや楽しさは同じ。恐怖の落としどころも同じ。魅力あるキャラクターに感情移入するのも同じです。
 で、帯に書いているように、ホラーが書ければなんでも書ける、とあるように、ホラーのテクニックはそのまま他のジャンルの脚本にも応用できるわけです。いやいや、読んでみるとここに書かれてあることは、脚本のみならず、小説やマンガにもそのまま応用できます。
 書けなくて悩んでいる人とか、何をどう見たらいいの、というような初心者が読んでよし、プロになるための高等テクニックを学びたい人も読んでよし、という一冊です。

 ということで、今回の作劇ゼミから、この本を不定期的ではありますが、テキストとして使用させていただきます。
 今回読み上げ、解説したのは序の部分。
 著者の少年の頃はどんなだったか、何を読み何を観て、何を思ったか。プロになろうとしたきっかけはなんなのか。そんなことが書かれています。

 うちの塾生はそんなことありませんが、私が専門学校の講師をやっていた頃、まだ高校卒業したてなので仕方ないことなのかもしれませんが、よく学生から聞かれたものです。
「先生、SF小説書きたいんですが、どんなSFを読んだらいいですか?」
「ミステリーが書きたいんですけど、どのミステリーから読んだらいいですか?」
 手遅れです、そんなん。
 SF書きたいというなら、もうSFのこと知ってなきゃ。その上で「SF以外に何を読んだらいいですか?」ときたら、「おおっ」と思うわけです。
 手塚治虫先生は「マンガ家になりたいならマンガは読むな」と言ったそうですが、おそらく同じ意味です。マンガ家になりたいならマンガが大好きで、むさぼるように読んでいるだろう。でもマンガだけ読んでたんではダメ。文学も読みなさい、映画も観なさい、いい音楽も聞きなさい、そういうことです。
 デヴィン・ワトソンは、少年の頃に読んだ本として『聖書』や『ギリシャ神話』など神話の数々を挙げています。そしてデーモンたちがどう作られ、語られ、伝播していったのか、それが世界の歴史の中に刻み込まれる様相に、興味をもったようです。
 私も普段から塾生たちに、古典を読むことを勧めています。
 それも、まずは超古典!
 『聖書』は読んでおいたほうがいい。これは世界を読み解くキーワードです。『古事記』『日本書紀』。『古事記』は日本の神話です。『日本書紀』は日本建国と天皇によって治められる日本の古代の姿が描かれます。作家になるなら、いや日本人なら、これらについての教養は頭に入れておきましょうぞ。
 それに『今昔物語』。コレお勧め。平安時代末期に編集された、怪談から仏法説話、エロチックな話など1040話よりなる説話集です。実は何年か前、亡くなった狂言師の茂山千之丞さんと『今昔物語』についての対談をやったことがありまして、そのオファーを受けたとき「こら大変や」と、ちょっと真剣に読んだことがあるんです。やっぱり面白いんですよ。それまで日本の文学というと、貴族か高級武士のもので、テーマも神話とか天皇のことばかり。それが庶民のために書かれたんですよ。言うたらロマン派から印象派になった・・・ちょっと違う?
 『今昔物語』は明治の頃までは無名の古典だったんです。B級扱いされたんでしょうね。これを有名にしたのが芥川龍之介だったわけです。『羅生門』『鼻』『芋粥』・・・。まあ読んでみなはれ。マンガや小説のテーマや背景になりそうな話がぎょうさんおます。

 ともかくデヴィ・ワトソンがまずホラー映画の脚本家になるために出した条件が、古典を読め、と知的好奇心。
 ほらほら、ずっと私が言い続けてきたことと同じやん。
 
 ということで、この本の続きは、たまに授業で取り上げます際に、ぼちぼちと。

 フィルムアート社さん、ありがとうございました。
 


 
 


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2012年03月21日

15人の震える男

 中山市朗です。

 遅まきながら、17日(土)の深夜にオールナイトで行なったプライベート怪談会の報告です。

 私のネタ集めの集まりですが、もちろん私も語ります。
 まさに、膝を付き合わせた怪の座談であります。

 私の書斎で行なわれたわけですが。
 前回は30人ほど集まったんですが、今回は半分ほどの15人。
 あれれ、少な!
 そう思ったんですが、集まったのは常連さんに加えて、自ら怪談ライブを行なっている役者のIさん、ラノベ作家のTさんらも参加。
 いや、実に濃い、充実した怪談会でした。
 いい怪談の蒐集は数ではない、という見本。
 特にIさんの話はすごい。
 実はこの人、私が構成していた『恐怖の百物語』にも出演していただき、あの「メリーさんの館」を初披露した人なんです。私はその後、大分県で「メリーさんの館」のその後を追いまして、いくつかの話を拾っております(『幽怪案内』で配信しています)。
 Tさんも周囲で起こった怪談を客観的視点で話され、そこがまた現実味があって。
 いや、その他の皆さんも語る語る。
 聞いている私も、久しぶりにゾ〜っとしたりしました。

 休憩時間には、例の「山の牧場」から持ち帰ったアルバム、建物を改築、増築したり、牧場経営をやっていてキャンプ場の子供たちと撮った写真が数十枚。
 これを建設現場で働いているMさんに見せて、「説明できます?」と聞いたら、じっくり見て「こんなん、ありえません。また、こんな長い鉄骨がどうやってこんな山中に入ったのかも説明つきません。たいてい、道を作るところから工事は始まりますけど、そんなこともやってませんね。ヘリ? 無理です!」と、首をひねっておりました。
 落ちていた名刺も住所と電話番号の市外局番が違う・・・。

 みなさん、どうもありがとうございました。
 そしてお疲れ様でした。
 今回聞かせていただいた貴重なお話は、今夏のライブ等で披露いたします。

 次回のプライベート怪談会は5月末の予定です。




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2012年03月15日

バック・トゥ・ザ・ティーチャー その2

 中山市朗です。

 昨日、このブログで「君が代斉唱起立問題」について書きましたら、久しぶりにある知り合いから連絡がありました。
 昔、私のイベントに来ていただいたり、飲んだりもしたことのある中学の先生です。
 たまたま私のこのブログを読んで、言いたいことがある、と言います。
 この先生は、君が代斉唱時に不起立の立場。ちょっとそんな会話の一部を(本人には承認済み)。

先生「中山さんが昨日ブログでお書きになった内容については、賛同できない。我々が懸念しているのは、国家によって教育の内容が強制されることです。ひとつの考えを強制して全員を立たせようとするのは、ひとつの価値しか認めないということ。こんなことが教育現場で行なわれるのは、恐ろしいことだと思いませんか?」

私「はあ? でも先生が、起立と言って起立しない生徒がいたら、注意して立たせますよね?」

先生「あのね、話の次元が違うんです。我々が懸念するのは、教育の現場でひとつの価値観でしか子供たちに教えられないということになるのではないかということ。このままでは国の言うことが正しい、逆らえば処罰という戦前教育に戻ってしまうという危険性があることを言っているんです」

私「我々って日○組?」

先生「・・・別にいいじゃないですか」

私「あの、ちゃんと歴史の勉強してます? 戦前の言語統制や軍事による政府はいかにして成ったのか? あの頃はどういう世界の状況、情勢だったのか。今の君が代起立強制と、その戦前の教育が私の中では繋がらないんですけど」

先生「でもひとつの考えの強制って、戦前の教育に繋がりますよね」

私「あのね、ひとつの考えを強制することで、かえってそれに反発して色々な考え方が出てくるんですよ。芸術の世界もそう。主流があってそれ以外は認められない、という中から新しいものが出てきます。印象派もヌーヴェルバーグもそう。常識、ルールがあって、そこをまず身につけてから、常識を破壊するんです。最初は邪道とか認められないとか言われますけど、若い芸術家たちはそこで戦うわけですよ。教育もそう。子供たちが何を考えるかです。強制は教育にそぐわないは、教育委員会の、バカ教師の保身のための詭弁です」

先生「強制力ではなくて、生徒たちに自立を促し、何をやりたいかを決めさせるということも教育では必要でしょう」

私「それと日の丸不起立と何の関係が?」

先生「自分がこれが正しいと思ったら、それを意思表示する。悪いものは悪い。ダメなことはダメだと言える子供になってもらいたいんですよ」

私「先生は、日の丸、君が代が悪いもの、ダメなものと言うわけですか?」

先生「僕はそう思っています。僕は僕なりに勉強した結果です。だから歴史的事実をしつかりと教え、子供たちに考えてもらいたいんです」

私「だから、君が代不起立という意思表示をしたと?」

先生「日本が戦争でやってきたことの真実を教えようとするとき、どうしても日の丸、君が代を肯定できないわけです。あれこそ国がひとつの価値観を国民や子供に押しつけて、愛国者になって戦争をしたわけですよね。中国や韓国にも戦争を仕掛けて、その国の人たちを不当に苦しめた。そういうことを子供たちに教え、考えてもらいたいわけです。あんなことは二度と繰り返してはならないんですよ」

私「貴方はその戦争の真実を本当に知っていますか? だいたい日本は韓国に戦争を仕掛けたことはない。併合してたから日本になっていました」

先生「それですよ。日本は朝鮮半島を占領して、朝鮮の人たちにひどいことをしましたよね」

私「占領と違う。併合。この違いわかります?」


省略


先生「ともかく、君が代で起立するかしないかは、その人の自由が尊重されればいいんです。立つことが正しいと思えば立てばいい。強制される覚えはない」

私「あなた、私のブログ読んだんでしょ? 自由には責任が伴う」

先生「その責任も、子供たちに教えるべきです」

私「子供に責任押しつけてどうするんです。責任は大人がもつものでしょうよ。さっき先生は、ひとつの価値しか認められないのは怖いと言っていましたよね。日本が戦争で朝鮮や中国に何をしてきたか、これをひとつの価値観で教えていませんか? 僕の今の塾の教え子は、中学の卒業式で、先生に君が代は歌うな、とハッキリ止められたという子がいます。その子は歌ったらしいですけど。これは僕の中学の頃の経験。ある先生が君が代反対、日の丸反対、自衛隊反対、日本は過去に・・・と授業を潰して延々と自分の考えを主張しました。僕は当時アホだったんで、ああそうなんか、と疑問ももたずに聞いていましたけど、頭のイイ奴らがいて『先生、それはおかしい』と言い出して、あの先生はイヤだ、となって次のその先生の授業を10人ほどがボイコットしました。これは今で言う、生徒の自由意思ですよね。で、この生徒たちは、どうなったかと言うと、親を呼ばれてみっちり説教されて『お前たち、いい高校に行かれへんぞ』と脅された。親も平謝りで。それって強制。しかも今で言うならパワハラ。全然公平じゃない。子供は無知です。だから教育を受ける。そんな子供たちの無知をいいことに、自分の主義主張を子供に押しつけて、聞かなければ、歌うな、起立するな、いい高校に行かれへんぞ・・・。子供たちに先生個人の、しかも一方的な反日思想を植えつけて、それが自由だの権利だの考えさせるだの、そんなもん自己陶酔でしかない。立場も力も責任能力も、子供とは格段に違うんだもん。それを先生方はわかっていない。先生の言うことで子供の思想は影響されます」

先生「一方的に反日思想というのは違います」

私「違うもんか。反日思想さえ唱えていれば平和主義者。教育現場にそんな空気ありません? 逆に、少しでも当時の戦争を肯定すれば、戦争を美化しているとか、右翼主義だとか。どっちの考えもあっていいじゃないですか。それに、私は若者と接していますが、学校で、日本は悪いことをした、そんなことばっかり教えられて自信がなんとなくないんです、というのがたくさんいます。それが正しい教育ですか! そんな国旗、国歌を否定しろ、立つなと言われて、それが正しいと子供は思って、そのうち、国際式典やスポーツの国際大会で、国歌斉唱で立たないことが正当なんだと思う若者をつくったとして、それをバッシングされたとして、そのことに対する責任、覚悟がおありなのか? 自分がやっていることが本当に正しいと言い切れるのか。そんなことより小学校で何を、中学校で何を、そして高校で何をと、段階を追って批判力とか分析力とか、責任とかを教えることを考えるべきです。そういうことを日○組で働きかけてください」

 と言ったところで、連絡、切れました。

 ああしんど。

 反論のある方どうぞ。







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2012年03月14日

バック・トゥ・ザ・ティーチャー

 中山市朗です。

 17日(土)の怪談会、まだ余裕があります。
 ぜひぜひ参加いただきたく、お知らせいたします。
 
 問合せ先
 メール
 info☆officeichirou.com
(☆を@に変えてお送りください)
 
 電話
 06-6264-0981


 さて、本文です。

 最近、ある人に「右ですか?」と聞かれたので、
「右利きですけど」
 と答えたら、どうやら右寄りですか、という意味でした。
 ブログで天皇や古代史の話を書くからでしょうか。

 前にも書きましたが、私は日本に生まれ、日本語で話し、書き、読み、日本で教育を受け、日本国に納税し、日本国に住んでいます。両親も祖父、祖母も日本人です。周りの仕事仲間も、友人も、教え子も、ほとんどが日本人です。
 つまり、日本にいる限り、日本のことが知りたい。その歴史も文化も人も、です。
 これ、当たり前のことですやん?
 違う?

 ところで今、大阪市の教育委員会と橋下さんの大阪維新の会が「君が代強制条例」で色々もめてますねぇ。
 君が代を歌う、そのときは起立する、という当たり前のことができない教師に、それを義務付けしたわけですが、この先生たちは、日本という国をどう思っているのでしょうか?

 今、たまたま、君が代、不起立、と検索したら「大阪市学校園教職員組合・全教・大阪市教・東北支部」のホームページが出てきたんですけど、ここに「教育に強制はなじまない『君が代強制条例』の廃止を求めます」として、こんなことが書かれています。
 皆さんはどう思いますか?
 「」内がホームページからの抜粋。
 ・・・は、私の意見です。

「教育に命令、強制はなじまないというのは、教育のいとなみの本質から導かれる大原則です」
 ・・・そうでしょうか? 私は子供に命令、強制は必要だと思います。教育とはそういうものです。宿題は強制ではない、試験も強制ではない、校則も強制ではない、授業を受けることも強制ではない、というのでしょうか? 強制はなじまない、というのなら、嫌いな先生の授業は受けなくてもいい、授業中ゲームをするのも自由、マンガを読むのも自由、退屈だから寝る、給食は嫌いなのでファーストフードで。早退も自由。だって強制じゃないんでしょ、となればどう説明するのでしょう。それとも自主性にまかせて叱らないのでしょうか? 子供に、教える、身に付けさせる、覚えさせるは、強制なくしてはありえません。親や先生に叱られたことが無いという若者が私の教え子、元教え子にいっぱいいましたが、総じてモノを知らない、打たれ弱い、というのが私の意見。
 誰も記憶があるでしょう。小学生の頃、九九が言えるようになるまで帰らせてもらえませんでした。あれも強制です。子供としてそこに疑問はありませんでした。覚えんとマズい、と本気に思って覚えました。それが教育でしょうよ。
 自主的なものも含めて強制のみが、人の能力を格段にあげるのだと思います。人間、基本的に怠け者ですから、子供のときに自由を与えると、大抵の子はやりません。しかし強制となると、怠けると怒られますからやるわけです。でも、そこでやりとげると、それが喜びになって、無理してでも次からはやるようになる。逆にどうしてもできないものも出てきます。それが資質を悟るいい機会なわけです。子供の頃から自由を与えることは、甘えさせること。ある意味、その子の可能性を潰すことになりまねません。

「強制は、ある一定の考えや価値を絶対の物として、子供に注入しようとすることです。子供はこれに対する批判と選択の自由を許されず、それに従属することを強いられることになります。それは戦前の教育が、侵略戦争を聖戦として子供たちに強制的に教え込み、教育から侵略戦争遂行という国策に従属させられた歴史を見ても、強制が教育をゆがめることは明らかです」
 ・・・やれやれ、卒業式に「君が代」を歌わされることが、こんなたいそうな話にすり替わっていますが。子供の頃、強制されたからと言って、それが正しいとは思いませんでしたよね。子供なりに反感もったり、意義を唱えたりしたもんです。そうやって育つんです、子供は。
 朝ちゃんと起きる、手を洗う、歯を磨く、右側通行、赤信号は止まる、横断歩道は手を挙げる。指定された時間には家に帰る、こういうことは幼い頃の強制教育で身に付くわけです。昔は人としてやってはいけないことをすると、殴られたものです。それでやってはいけないと悟る。強制されて、ああ嫌だ、と思わせることも教育。強制されて従う根性をつけることも教育。義務を果たすということも、まずは強制から覚える。権利だの自由だのは、子供のうちはまだ早い。ただし、いつかは選択させる自由も与えることが必要なわけですが、強制があったから選択も意味も理解できるわけです。
 子供はまだ物事を知りません。もっと物事をいっぱい知ってもらってからのことでいいのです。自主性というのは。

 で、戦前の教育。よくこういったことをおっしゃる教師がいらっしゃるが、あの頃のメディアと今のメディアはまったく違います。チュニジアやエジプトの独裁政権の崩壊は、フェイスブック革命とも言われていますが、その真偽は別として、世界中の人たちが情報の流通、コミュニケーションによって繋がっていることは確かでしょう。大本営発表のニュースしかない60数年前とは情報の数もスピードも違います。要は、正確な情報を収集し、選択するメディアリテラシー能力の問題かと思うわけです。この教育をしっかりやっていただきたい。それに今は軍隊もないし、自衛隊は志願制ですし。
 それに、あの戦争を侵略戦争と言うが、確かにそういう側面もあったわけですが、それなら欧米列強も侵略戦争をしていました。アジアで独立国たるは、日本とタイくらいなもの。そういう世界情勢にあって、あの戦争が起こった。その経緯について、先生方は客観的な教育をされているのか、はなはだ疑問であります。
 だいたい今の子たちは、いや、私の世代もですが、あの戦争のことを知らなさすぎる。ひょっとして先生方も知らないのではないかと思います。
 戦争が醜く、残酷なものである、という教育はまったく正しい。しかし一方で、ではなぜ人間は、国家同士が、戦争をするという事態が起こるのか、そういう客観的奈事象も、ちゃんと教育すべきでしょうよ。どっちが悪いじゃなくて。
 そして日の丸反対というのなら、一方で日本の素晴らしい面も教えるべき。二つあって選択です。日の丸反対教師は、一方的な己の信条を子供に押しつけているだけ。そこで子供に選択しろ、はありえません。

「これに対して、教育は、成長・発達の主体である子供たちに、異なった考え方や見解を示し、子供がそれに対して自由に批判したり、納得したりしたなかに、自分の考え方をつくりあげていく過程です。教育においては、この選択がもっとも大切にされなければなりません」
 ・・・先生が卒業式の「君が代」を拒否して歌わない、起立しない、という自由と、子供への自由教育、あたかも同じと言わんばかりですが、もう言います。アホか!
 卒業式は儀式です。公的な場です。どういう思想、哲学があろうとも、儀式や公的な場に自分の思想を持ち込むのは、人間社会に生きる者のすべきことではない。これは自由の履き違い。無秩序と言います。成人式で酒飲んで騒いだり、進行を妨げる行為も自由なのでしょうか? これは無秩序でしょうよ。教師ともあろうものが、やっていることは同じだと気付かんのか! ましてや今は国際競争社会。自分の国の国家、国旗に敬意を表せない人間が、どうやって他国の国家、文化、風習に尊敬がもてるのでしょうか。

 自由。アホな教師はすぐこの言葉を使いたがりますが、自由には責任が伴うわけです。
つまり、卒業式に立たない、ということも、よほどの思想信条があればやればいいと思うのです。ただし、免職、解雇、減給、異動を覚悟してやっているのか、ということ。
 子供が宿題忘れたり、授業をボイコットした場合、停学になったり、補修を受けたり、親が呼ばれて説教されるのと同じこと。子供にそれを課しながら、己のこととなると自由だの権利だの、それは許せないだの、果ては己らの身勝手を、教育の信条がと論理のすり替えを恥ずかしげもなくホームページに載せて訴えたり。
 そんなことでしか、自由だの権利だのを主張できんのか!
 君が代が思想信条に許されない、というのは個人の自由。なら、その思想の表現は、別の場所でやってください。
 でないと、子供が迷惑、保護者が迷惑、他の先生が迷惑、教育界全体が迷惑。
 公の場で、自分の思想信条を優先する、とは覚悟のいることです。勇気のいることですよ。

 また、そんなバカ教師を庇う教育委員会もどうかしていますな。
 政治的、思想的信条の自由は当然、保証されるべきである。しかし、それを、子供の卒業式の場で意思表示するとは言語道断である。教師たるもの、その分別はつけよ。
 とでも言えんのかね。
 自由とは、そういうものです。規則があるから自由、ルールがあるから自由。それを守れない奴は、強制力でもってでも守らせる。それでも規則やルールを破ればペナルティ。当たり前のことや!
 それが独裁というのなら、民主国家もありえない。法治国家としても機能しません。

 それに、君が代歌ったら愛国者、と考える教師は、そうとう感覚がズレてますよ。
 そして先生方、国からお給料をもらっている公務員ということもお忘れなく。


 



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2012年03月12日

3/7の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 ライターとしての仕事の取り方を、7日の作劇ゼミで考えてみました。
 その報告と続きです。
 
 小説家になりたいという夢を追う若者よ、なかなか芽が出ないのなら、一度ライターとして仕事をしてみろ。そのために営業をしてみろ、という話です。
 そう言うと「私は小説を書きたいので」と首を縦に振らない作家志望者が割りと多いのです。まあ本人の自由ですけど。
 でもそういう人にかぎって、自分の頭の中にある想像力、妄想を過信しているのではないかと思うのです。だってそういう人の小説を読んでも、どこかで読んだ感じ、誰かの文体に似ている感じ、よくあるキャラクター・・・。
 結局、他のものを知らない、知ろうとしない。
 もっと取材をしたり、フットワークを活かすと面白い題材や話が出てくるんやけどなあと思うわけです。そう、みんな取材をしない。物事の分析をしない。
 でもこれ、やってみると自分の想像以上のことがゴロゴロ転がっていたりするんです。プロはそこを見逃さない。
 
 ライターを経験すると、このスキルが求められるので、自分の頭の中でのみ完結していた事柄が、わっと広がるんじゃないかと私は思うのですが。

 実はライターや記者から作家になったという人は多いんです。

 司馬遼太郎、井上靖、吉川英治、小松左京といった巨匠たちは、新聞記者から作家になった人です。あの物凄い取材力、分析力、フットワークはまさに新聞記者時代に鍛えられた賜物でしょう。
 開高健、山口瞳はサントリーの宣伝部でコピーライターをしていました。林真理子も眉村卓もコピーライターから作家になった人です。小林信彦は映画やテレビの評論や随筆を書いたり『植木等ショー』などのテレビ番組の構成作家でした。
 最近では『感染』など医療関係のミステリーを書いている仙川環が日経新聞の元医療技師や介護担当の記者、経済小説『ハゲタカ』シリーズの真山仁は中部読売新聞の記者、中村うさぎはコピーライターやゲームライターからラノベ作家へ。中島らも、石田衣良もコピーライター出身。『スローなブギにしてくれ』『ボビーに首ったけ』の片岡義男はエッセイやコラムを書くライターから作家になった人です。
 私も最初の文筆でギャラをもらったのは1984年、大学卒業して、今でいうニートだった頃、竹内義和さんの紹介で秋田書店から出ていたミニ本『特撮SFX大全科』で、歴史スペクタクルや戦争映画、ヒーロー・アクション部門の執筆をしたのが最初でした。その竹内義和さんもライターから作家になった人でした。

 ライターから作家へというのは、アリなわけです。で、長続きするように思うんです。
 私もライターや映像製作、放送作家としていろいろやっていくうちに取材のノウハウが身について、それが『新耳袋』や『捜聖記』になったと思っています。

 さて、昨日の続きです。
 ライターとして実績を積むためにまず、営業をかけてみた。すると、面接していた編集の人が「実績はおありですか?」
 そんなものありません。でも、それを正直に言うとまず仕事はもらえません。
 どうします?
 すると塾生のKさんからいい回答が!

「ないです。でもやる気はあります。タダでもいいですから書かせてくださいと言います」
 いいですねぇ。それ、アリです。
 タダでもいいから。
「そこまで言うなら書いてみる?」
 ということもありえるかもしれません。実際それで仕事をゲットした人もいます。でも、ホントにタダではありません。ちゃんと仕事としてこなしたら、ギャラは振り込まれるはずです。安心しましょう。

 そのほかは?
 
 いろいろ使えそうな戦術、戦略が出ました。でもそれ以上は、塾に来ている塾生だけの特権ということで・・・。でも実践せぇよ。

 で、言えることは、なぜ先方が「実績」を聞いてくるのかというと、仕事をしたことがない人に仕事を振るのは怖いわけです。スキルもそうですが、ちゃんと意図を理解しているのか、締め切りはちゃんと守れるのか、連絡はつくのか、修正に応えられるのだろうか。そんな不安要素がいっぱいあるわけです。だったら既存のプロの人に書いてもらったほうが安心ですし、信頼関係もあります。でも先方は、新しい書き手がほしいのも事実。
 そこは駆け引きです。
 要は、その仕事がちゃんとできます、というアピールができればいいわけです。
 誰でも最初は実績のないところからスタートしているわけですから。

 コネというのも大切です。
 誰かの紹介、となると先方も無碍にはできません。
 最近、この手の専門学校というのが徒弟制度を崩壊させ、勘違い野郎を排出(輩出ではなく?)することになっちゃいましたが、昔はこの徒弟制度というのが機能していたんですね。
 作家の書生、マンガ家とアシスタント、監督と助監督、師匠と弟子。
 古典芸能や落語の世界は伝統芸ですから、この徒弟関係は今も残っていますが、ほかは崩れてしまいました。マンガのアシスタントも弟子というより、仕事、雇われ、としてこなすようになりました。

 こんなエピソードがあります。
 ギャグマンガの巨匠、赤塚不二夫。彼の弟子であったというマンガ家さん。
 この人は赤塚先生が癌を宣告されたとき、ある出版社から赤塚不二夫の生誕について書いてくださいというオファーがあったんです。死んだ直後に売ろうという魂胆が見え見えです。このマンガ家さんは「それは先生に失礼だ!」と断ったそうです。
 赤塚先生は師であり恩人。その義理を通したわけですね。そこにはこんな経緯があったと言います。
 まだアシスタントをしていた頃、ある日、赤塚先生から「お前いいから、今日から1ヶ月、自分のマンガだけ描きな」と言われて、ある場所へ行け、と言われたんです。で、そこへ行ってみると四畳半のアパート。そこに机と原稿用紙、ペン。箱の中はインスタントラーメン30袋。当時のことですから、涙が出たと言います。好きなマンガに1ヶ月没頭できて、しかも1日1食は食える。こんな幸せはない、と。で、がむしゃらに描いたと言います。そしてマンガは1ヶ月も経たずに完成。それが先生と編集さんに認められてデビューとなり、今日がある。
 おそらく赤塚さんは編集さんに「うちに有望なのいるんだよ。絶対いいから見てやってよ」と言っていたに違いありません。
 これですよ。スキルだけじゃなく、こういう人の関係も大事。でもそれには何より本人のやる気と感謝の気持ち。このマンガ家さんも描かずに1ヶ月寝ていたなら、この人のマンガ人生はなかったでしょうし、赤塚先生の面目も信用も傷ついたことでしょうから。
 私の面目はかなりボロボロですけど・・・?

 要は本人。
 結局、そこ?


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2012年03月08日

3/7の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 アニマアニムスからのお知らせです。
 あさって19時30分からの会談怪は無料です。予約無しに気軽にフラリとやって来てくださいとのことです。
 2回目からの会談怪は有料、予約制になると思います。
 お店での会談怪ですので、いろいろ試しながら進行させていく予定です。

 17日の怪談会もまだまだ余裕があります。
 ぜひぜひご参加くださいませ。

 オフィスイチロウ
 メール
 info☆officeichirou.com
 (☆を@に変えてお送りください)

 電話
 06-6264-0981


 さて、7日の作劇ゼミの報告です。
 
 今月から入塾した塾生もいれば、もう何年も塾に通っている塾生もいるわけですが。
 そろそろ何年も通っている塾生は「スイッチを入れ替えせなあかんよ」という話をしました。
 
 クリエイターっていうのは、何年も学んだからなれる、というものではありません。
 半年、一年でスッとデビューしたり、いつの間にやらこの世界で仕事している、という人もいれば、10年、20年と習作を作りながら、なんともならない人もいます。
 なんともならない人が圧倒的に多いわけですけど。

 では、前者と後者のなにが違うのでしょうか?
 私が長年見てきたところによると、技術にそんなに違いがあるわけでもないようです。
 それは自覚の問題だと思います。

 作家やマンガ家、映像クリエイターなんて、免許も資格もありませんから、たとえば「文筆家」なり「ライター」「イラストレーター」という名刺を作って配りまくって仕事がもらえれば、肩書きどおりの仕事ができるわけです。
 いわゆる営業、コネ作りですな。
 なんともならない人は、まずこれをやっていない。やろうとしない。
 だから、今回はその営業をするにはどうすればいいのか、ということを考える講義をやったわけです。
 そのためには「私はこの世界で生きていくんだ」という意識に、スイッチを入れ替えんとあかんわけです。

 習作は、あくまで自分の書きたいことを書くわけです。作品作りですな。
 しかしプロは、作品であると同時にそれは商品。製品にしなければなりません。
 そのためにはキッチリ仕事としてこなして、期限内に納入することです。

 当たり前のこと?

 さあ、それができないでいるクリエイター志望者、すごく多いですよ。
 それ以前に、みんな営業をしない。
 そんなん仕事がくるわけない。
 私、営業と言いましたが、同じ書く(描く)でも分野によってその事情は違います。
 
 マンガやイラストは、編プロや出版社にどんどん営業(持ち込み)をするべきです。「持ち込み歓迎」と入り口に書いてあるコミック編集部もあります。
 小説の営業は、まず出版社に拒否されます。小説はマンガとは違って、読むのに時間もかかります。「うちは小説の持ち込みはやっていません」という出版社がほとんどで、「どうしても」というと「新人賞へ送ってよ」となります。
 とはいえ、小説家デビューした人の全部が新人賞受賞者かというと、必ずしもそうでもなく、持ち込み作品を読んでもらって、それがキッカケで、という人もいます。まあ私もその一人ですけど。
 これは、運とタイミング。そしてコネがモノを言います。

 で、今回はライターとして仕事をゲットするには、という話をしたわけです。
 それに塾生たち、もっと動かなあかん。

 ところで、うちの塾は、小説家になりたいという塾生は何人もいますが、ライター志望で来ている塾生は一人もいません。でもライターって?
 英語のWriterは、文筆に関わるすべての人のことを言いますが、日本ではライターと小説家、作家は同じ文筆でもその職種は異なります。
 作家の肩書きは、小説家、随筆家、ノンフィクション作家、放送作家、劇作家といった人たちに使われます。映像作家というのもいます。自分のイマジネーションの世界を原稿に起こす、映像にする、という創作活動を主にする人たちのことでしょうか。
 ライターは、依頼されたテーマを元に、評論、エッセイ、コラム、あるいは広告のコピー、マニュアル本やウェブサイトの文章書きまで、いろいろあります。こちらは創作というより、情報収集や専門知識、取材力、分析力が問われることになります。インタビュー記事やリポーター的な仕事もあります。新聞や雑誌記者もライターといえましょう。
 とはいえ、小説家がコラムやエッセイ、評論を書くこともあります。厳密は境界線はあやふやではありますが。

 で、私がライターとして仕事をゲットしてみろと、作家志望の塾生たちに薦めたのは、プロとしてのスイッチの入れ替えをするにはライターとして営業して、実際に自分の書いた文章をギャラにしてみろ、というわけなのです。
 正直、この出版不況下、小説家としてデビューしても、それで食っていくのは大変ですし、30歳前後ともなれば、そろそろ実績を作っておく必要も感じてもらいたいんです。
 それにこう言ってはなんですが、小説家になるよりはライターになるほうが、よほど簡単と言えましょう。またこれから先、何年もアルバイトをしながらただただ書きたい小説を書いてデビューを待つ、というのも見ている私も辛いわけです。

 ライターは確かに小説を書くこととは違うものを求められますが、文筆業であることに違いはありませんし、仕事の発注や打ち合わせ、原稿の修正などは編プロや出版社の編集さんとやるわけですから、将来の人脈にもなります。仕事として原稿を書くことも覚えられますし、原稿の納品、ゲラチェックなどもするわけです。取材力、分析力、文章力も格段に上がることでしょう。何より実績にもなります。

 さっき、当たり前のことができないでいるクリエイター志望者が多い、と書きましたが、これは自信が無いところからきているようなんですね。
 自信が無いからアピールできない、責任がもてない、すぐ逃げる、あるいは待ちの状態になる。まだ通用しない、とか、そんな段階じゃない、とか。
 でもそのくせ、いつかはそれらを克服できるとも思っているわけです。
 そんなん克服できまへん。
 まあ、何も実績の無い若造が、あんまり自信満々で言うのも問題ですけど。

 で、自信をもつにはやっぱりその実績なんですね。ひとつひとつ、小さな仕事でいいからプロとして完遂させて、ギャラをもらう。この繰り返ししか無いわけです。
 一度完遂してギャラをもらったら、少なくともそのレベルの仕事は次から簡単にクリアできます。そしたら次へステップアップ。それができるようになったら、また次へステップアップ。そうこうしているうちに自信もって、プロとしての意識にも切り替わるわけです。これ、やらないと一生自信のないまま、終わっちゃいますぜ!

 で、その実績作りをする近道がライターであり、ライターになるためには営業が必要になるわけです。
 言っておきますけど、小説家目指して書いて書いて、投稿して投稿して、出版社の人にも名前を覚えてもらっている、という作家志望の人にはライターはオススメしません。そのまま書き続けて投稿してください。
 私が言うのは、作家志望、と言いながら、あんまり書いていない、投稿もそんなにしていない、出版社に行ったこともない、でも文章を書くのは好きだ、他の仕事はしたくない、という人にライターをやってみろと言っているわけです。

 さて、名刺を作りました。ライター名義です。

 ある編集部に営業をかけます。
「私、ライターです。お仕事ください」
 すると必ず聞かれることがあります。
「実績はおありですか?」
 もちろんそんなものはありません。でも正直に「ないです」と言うと、「じゃあ使えません」と必ず言われます。
 当たり前です。実績のない人を信用して仕事をくれる人なんて、まずいません。
 だからといって「実績あります」と嘘を言っては、ますます信用をなくします。
 
 さあ、こんなとき、あなたならどうしますか?
 
 続く。 



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2012年03月07日

魔界転ショー

 中山市朗です。

 さて、千日前味園ビル2F・秘密倶楽部『アニマアニムス』にての会談怪、近づいてまいりました。
 10日(土)の20時より開始です。
 共に怪しげな話を共有しようという怪談を聞き語る会です。
 話すもよし、聞くに専念してもよし、飲みながら楽しむのもよし。
 第一回目はお試し企画ということで入場は無料だそうです。
 開演19:30〜23:00終了予定

 アニマアニムスのお問い合わせはこちら

 そして17日(土)の私のプライベートな怪談会の参加者もまだ受け付けています。
 こちらも入場無料。ただし1話は怪談を語っていただきます。
 深夜0時から早朝まで。

 お問い合わせはオフィスイチロウまで。
 
 オフィスイチロウのメール
 info☆officeichirou.com  
 (☆を@に変えてお送りください)

 電話
 06-6264-0981

 お待ちしています。

 さて、あさって9日(金)の20時からは、大阪ソーシャルネットワーク提供USTREAM生放送番組『我ら、魔界探偵団〜フォークロ庵』が配信されます。
 
 テーマは、鳥居です。
 鳥居? あの神社の前にある?
 そうです。あの鳥居です。なんか一見地味なテーマですが・・・。

 日本の神様がおられる聖域への入り口となるのが鳥居です。日本中のどの市町村にもこの鳥居があるはずです。でもその由緒、歴史、なぜ鳥居というのか、なぜ神社の前にあるのかなど、わからないことだらけなのです。
 で、またああいう宗教施設は日本にしか無いんですね。
 そんな身近にありながら、とても不思議な鳥居の話で90分の番組をもたせようという無謀な企画です。おそらくこんなことは、誰もやらない・・・?

 それから当番組に対する、こんなことをテーマに話してもらいたいとか、これについてはどう思うのかなど、いろいろ質問やリクエストをいただいております。
 ありがとうございます。
 まだまだどんどんお寄せいただくと思います。また、出演してこんなことを語りたい、という方、おられましたらご一報ください。喜んでゲストにお迎えいたします。
 ただし、しぶちんの大阪市がスポンサーという超低予算番組ですので、ギャラは安いです。あしからず。
 




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2012年03月01日

MT牧場の決斗

 中山市朗です。

 昨日29日は第5水曜日でしたので、塾はお休み。
 ブログもお休みしてしまいました。

 さて、まぐまぐで怪談動画メルマガ『幽怪案内』を月8話(火曜、金曜の深夜)ずつ配信しております。基本的に『新耳袋』未発表の怪談、新しく取材して得た怪談を中心にお送りしておりますが、今月3月は『新耳袋・第四夜』に掲載して以降、話題になりました「黒い男たち」と「山の牧場」についてたっぷり語ります。

「黒い男たち」は『新耳』に収録した3話。
「山の牧場」は10話収録したものを構成し直して6話。
 そして『新耳袋』収録後に北野誠氏と訪れた後日談、あるいは『新耳袋・殴り込み』などで訪れて見た話(もちろん『新耳袋』未収録)などを2話に構成してお送りします。

「山の牧場」は、ファンやマニアの方々が大勢訪れているようで、ネットで検索すると写真などを撮ってブログやホームページにその感想や解釈をされているものが多く見られます。なかには違う場所に行っている方もおられますが、ちゃんと探し当てて捜索し、「真相はこうだ!」と言っている方もおられます。
 私自身、そうか、そういう考え方もあるんだと、ハッとする指摘もあります。
「まったく普通の牧場である」と結論付けられた方もおられます。
 否定はしません。解釈は人によっていろいろありますから。
 中山が面白おかしく語っただけだ。
 それも全面否定しません。一応、発表するわけですから、若干の脚色、構成、表現方法は考えます。

 しかし、私は合点がいかないわけです。

「山の牧場」の話は、1999年6月に『新耳袋・第四夜』に掲載し、以後、皆様に知ることになったわけです。ですから山の牧場に行かれた方は、1999年以降に行かれているはずです。しかし私が「山の牧場」に迷い込んだのは1982年の8月のことなのです。・
 『新耳袋』にて発表するまで約17年間の「空白」の月日が経っているわけです。
 この間に何が起こったのか?
 ここなのです。

 私の調べによれば、

 '87年8月は、牧場として経営(4年前から)し、キャンプ場が併設されていた。
 しかも行政の指示によって。

 '88年5月、北野誠氏がプライベートで潜入したが無人だった。

 '90年8月、私が3度目の潜入時は営業をしていた。
 同年10月、誠氏『サイキックTV』で訪問、やはり営業していた。このとき、男子用の小便器が約40個並んだトイレがあった。

 '99年10月、現在牧場内のカレンダーがこの時点で止まっているので、ここまではなんらかの形で営業していて、これ以降は営業していない。

 というふうに、営業、無人とが何度か繰り返され、この間に牧場内の施設は増設されています。そして今、施設の建物内にある廃棄物やノート、書類の類は牧場が無くなった後に運び込まれたものだと思われます。
 また、その増設工事や牛の品評会をやっている写真アルバムも入手し、その経緯もだいたいわかってきました。

 で、その事実と照らし合わせると、1982年の時点でのあの皮膚感にゾワッとくる得も知れぬ感触は、当然のことながら年々消滅し、状況も変わってきているわけです。
 もう今年で30年ですから。
 30年前のものがいくつも残っていると期待することが間違っています。

 ただ、その間に何があったのか。
 ここが問題なのです。
 それを証言できる唯一の人物が、'87年と'90年に潜入した北野誠氏であるわけです。彼によると、'87年に潜入したときは、無人で、お札も巨石もそのままあって、『新耳袋』にあるあの情景、状態に近いものがあったと言います。その謎の解明をしたくて、90年のテレビ取材に繋がったらしいんですね。で、このときは営業していた。
 誠氏は、番組内では作業員のおじさんたちの話を聞いて、納得した顔をしたものの、それは番組上のことであって、ますます疑惑と不可思議な気持ちをもったといいます。
 彼も以後、この「山の牧場」に魅入られることになるわけです。
 
 まあ、そんなこんなで、その北野誠氏が当時を振り返って、現地でコメントをしている動画も特典映像として楽しめます。
 また私自身による解説動画も、6話と7話の間に挿入し、年表を使っての時系列にも触れています。

 興味がございましたら、是非ご覧ください。
 ここまで詳細に「山の牧場」について語るのは、最初で最後かもしれない・・・

 ところで今、山の牧場は崩落しつつあります。
 全然地形も変わっていますし。
 にしても、牧場の草地が・・・崩落?
 やっぱり牧場のあるあの山は、空洞?

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kaidanyawa at 22:07|PermalinkComments(17)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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