2012年05月

2012年05月31日

アルバイトのロレンス その1

 中山市朗です。

 先日、私のマネージャーをやっているNくんといろいろ話をしておりまして。近く、この夏のライブ情報などが発表できると思います。

 Nくんはお笑いのライブを専門にやっておりまして、若手の芸人さん、作家さんをずっと見て、育てているわけです。
 で、彼と同じ共通認識をしたことがありました。

 若手諸君、アルバイトはなるべくするな、ということです。

 大変だと思いますよ。芸人、タレント、役者、ミュージシャン、作家、演出家、小説家、マンガ家、脚本家、映像作家、デザイナーといったものを目指す若い人たち。
 最初から食える人なんていません。
 下積み、貧乏はつきものです。
 でも、みんなそうなんです。
 私もそうでしたもん、来月家賃を払えるのやろうか、とか。そんな心配ばっかり。
 そんな中で成功する人もいれば、消える人もいる。消えるのが大半ですけど。
 クリエイター志望とはいえ、人間ですから、食わなければなりません。家賃も払います。活動費も自腹です。だからアルバイトをします。
 これが危険なんですね。

 小説家、マンガ家志望なら、まあアルバイトをしながらひたすら書くしかないのでしょうが、でもいろいろとわかってきたことがあります。
 アルバイトをあんまり長いことやっている人は、それが長くなるほどなかなかデビューできないようです。どうやら原因がありそうです。

 アルバイトのほとんどが時給計算でギャラをもらいます。
 1時間850円とか、900円とか。2000円とかになるとこれはヤバい仕事?
 とにかく時間の切り売りです。
 でもまあ、その時間働いただけで確実にギャラはもらえます。
 で、それを何年もくり返しているうちに、脳がバイト脳になっちゃうわけです。
 もういっぺん言います。
 バイト脳になっちゃうんです。

 これはどういうことかというと、クリエイターとしての脳の働きができなくなっちゃうんです。
 
 Nくんがこんなことを言っていました。
 若手のライブをやっていて、とにかく仕事が欲しいという芸人、裏方がうろうろして、アピールしてきます。
 仮にその人、Aくんとしましょ。
「じゃあキミ、ライブのホームページのブログを書いてくれへんか」
「わかりました!」
 ところが、2、3回は書くのですが、更新が止まるわけです。
「なんで書けへんねん」と注意すると、また更新して、また止まる。
 その繰り返し。で、Aくんはいなくなる。
 Aくんは、どうしてブログを書かずに消えてしまったのか。
 ブログを更新しても、お金がもらえるわけではないからです。
 つまり、やってもお金がもらえない。
 この考えがバイト脳です。

 クリエイターの世界は、やったからお金になるという世界ではありません。
 やってもやっても、書いても書いても、全然お金にならない。まずはそういう世界です。これはわかりますよね。
 では、この世界はどうやったら、お金を生み出すことができるのか。
 これは、信用なんです。 
 
 もう一度言います。
 信用なんです。

 たとえば、ブログをたのまれたAくん、ちゃんと自主的な態度でもって、このブログをこう面白くしてやろう、こういうコンセプトでやってみよう、毎日絶対更新しよう、それが仕事をもらえるチャンスを呼び込むんや、と思ってやるべきなんです。
 Nくんも、そこは見ています。
 お金はやれないけど、Aくんはやってくれている。
 ブログがどんどん更新されると、ホームページにアクセスしてくる人が増えます。増えるとライブに来るお客さんの数も増えます。そうなるとこれは、Aくんが貢献してくれたからだという評価が与えられます。
 たかがブログの更新。でもこれができない人が圧倒的に多い。
 そこをやり続けたAくんは、このライブにはなくてはならない存在になっています。
 何かあると、Aくんに声をかけよう、Nくんはそう思います。で、
「Aくん、今度こんな仕事があるんだけど」と、今度はわずかですがギャラの入る仕事を与えようという気がNくんに起こるわけです。
 ギャラの出ない仕事だったけど、それをちゃんとやってくれている。
 じゃあ、今度は安心してギャラの出る仕事が任せられる、という判断です。
 信用ですね。Aくんはそうやって信用を得たわけです。
 
 こうやって、ひとつひとつクリアしていって、そのうちプロとしての仕事が任せられる。

 これですよ。アルバイトは時間の切り売りですが、プロの現場は信用売りなんです。あんまり長いことアルバイトをやっていると、ここで頭が切り替わらないんです。

 いるんですよ、「だってギャラもらえませんやん」
 でも、そういうんだったらギャラやってもいいよ。
「ほな、10万円お前にやるわ。でも100万円分やってもらうで」

 やれる?

 つづく



 
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2012年05月24日

大学へ行こう

 中山市朗です。

 前回のブログでつづく、としながら、1週間放置しておりました。
 まことにすみません。
 ちょっと色々お仕事が重なっておりました。
 夏から秋に向けて、いろいろ仕込んでおります。
 そのつづきは、後日としまして、お知らせです。

 京都造形芸術大学と東北芸術工科大学が主催する、大阪芸術学舎というのが夏に開講されます。
 いろんな先生方が作る、知る、感じるのコンセプトからいろいろ講義、実践して、いろいろ学ぼうやないか、という特別セミナーです。

 これは大学の講座ではありますが、一般の方も受けられるようです。
 で、私の講座もあります。

 中山市朗・真夏の夜の怪談講義「日本人と怪談」全5回。

 日程 7/11、7/25、8/8、8/29、9/12
 いずれも第二、第四水曜日です。
 塾の講座が水曜日から木曜日に変更になったのは、この日取りが動かせなかったから!
 講義ですから、怪談も語りますが、いろいろうんちくも語ります。

 第1回 怪談と日本の話芸
 第2回 増殖する妖怪
 第3回 件(くだん)のルーツ
 第4回 都市伝説と実話系怪談
 第5回 西洋のホラーと日本の怪談

 いずれも19:00〜21:00(2時間)
 筆記用具を持参してください。あくまで講義ですので。

 なんかおもしろそうでしょ?

 講義の受講料は15000円。定員40名となっております。

 場所は大阪芸術学舎

 大阪市北区小松原町2-4 大阪富国生命ビル5階(曽根崎警察の前です)

 お問い合わせ、受講申し込み

 TEL 0120-530-920
 FAX 03-5412-6110
 http://gakusha.jp/




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2012年05月17日

5/17の作劇ゼミ 序章

 中山市朗です。

 前回のゼミで、大学と学問について考えました。
 今回はそのパート2です。
 私は別に教育者ではありませんし、専門の教育を受けたわけではありません。
 しかし塾を持って、少なくとも週に一度は塾生たちと接し、朝まで飲み、課題作品にアカを入れ、場合によっては仕事をし、イベントに参加し、個人的な相談にも乗り、みたいなことを何年もやっていると、どうしても教育とはなんぞや、ということを考え、頭を悩ますことも多くなるわけです。
 要は、塾生たちの自主性なんですけど。

 なんで教育とは、などということを考えるのかというと、本気度が足らんのはなんでや、ということなんです。マンガ家や作家になりたい、映像クリエイターになりたい、そう言ってうちに入ってきても、自主性が無いのが多いわけです。

 たとえば、小説家になりたいという。それで課題を出して合評するわけです。これは習作です。じゃあ、これ以外書いているのかというと、どうも書いていない塾生が多い。
 そら、いつまで経ってもデビューもできんわ。
 働きながら通っている塾生もいますが、どうも家で何をやっているのかが見えない。

 こういう塾生の実態調査をしてみると、大抵ゲーム三昧、みたいですね。
 ポンコツになりやがれ!

 で、専門的知識が無い、知的好奇心に欠ける。
 それで前回、大学卒が現役大学生の人、と塾生に尋ねたわけです。
 そしたら大学率、約90パーセント。
 あれれ、となったわけです。

 私のブログに、「頭が悪いとモノは書けない」と言われたというナムコさんからのコメントがありましたが、確かに常に何かを考えていないと、モノは書けません。
 何を書くのか、というのも自主性です。
 ただ、誰それの作家さんが好きで、誰それさんのような小説家になりたいです、という人は、最初はその誰それさんの小説のスタイルを真似たようなものを書いてきます。
 それはいいんです。最初は真似る、これは基本。
 しかしここからが抜け出せない。つまり自分のオリジナリティがなかなかでない。そこを指摘すると、まあ3つのパターンに分かれます。

1、オリジナリティが出せるよう書き続ける
2、無くてもいいじゃん、ほっといてよ、といつまでも克服できないで平気
3、書くことが無い、と悩んでノイローゼになる

 2と3がやっぱり多いですねえ。
 3は、プロでもそうなることもあるので、続けられるかどうかですけど、結局書くことを辞めちゃって、塾にも来なくなる。まあ、塾に来なくなっても別に書いてりゃいずれなんとかなるんでしょうが、そのまま諦めて今はバイト、みたいな悲惨な話を聞くわけです。
 30歳過ぎて、道を諦めてのバイトは、ちょっとの人生としてキツい。
 だったらなんで書き続けることができなかったのか、ということになるのですが、単純にこれは書くことが、実は好きではなかったということなんでしょう。

 もうひとつは、自主性もさりながら、書くための方法論が構築できない人があまりにも多いということなんです。
 ・・・ちょっと難しいかなあ、それは私も尋ねられても困るし。

 えっとですね、書く動機が見出せない人が多いんじゅないかと。これです。

 なんのために書くのか。

 その動機はインスピレーションにあるわけですが、そのインスピレーションというのは、普段アンテナを広げて受信機を常にONにしとかないと、それは湧かないわけです。
 でもそこで、何を受信したいのかを決めておかないと、ノイズばっかり入ってきます。

 日本人初のノーベル物理学賞を受賞した、湯川秀樹博士の「中間子理論」は夢から得たことがヒントになったという有名な逸話がありますが、あれは湯川博士は寝ても覚めてもずっとそのことを思い続けていたからこそ、寝ている間も脳が動いていたからなんですね。で、起きて「これだ!」とメモに書き留めた。
 極端な例がそれです。
 ま、そこまで突き詰めんでもええですけど。

 でも、何も考えていなかったら、永遠に何も出ない。つまり、いつまで経っても小説なんて書けない、ということになります。
 で、遠回りをしました。

 その自主的な意欲でもって、学問を履修する大学に4年間いて、卒論書いて卒業しているのに、その自主性がさっぱり育っとらん、ということは、なんでやろと単純に思うわけです。
 きっと、そんなレベルの学生を卒業させる大学が悪いのでしょう。

 つづく。
 
 


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2012年05月10日

笑おう名人劇場

 中山市朗です。

 先日、日本映画専門チャンネルで、『スチャラカ社員』をやってました。
 1966年の松竹映画。
 大阪のど真ん中にあるビルの屋上に社屋がある、倒産寸前の物産会社。社長は、倒産、解散を社員に宣言しますが、そうなると行き場の無いダメ社員たちに促され、泣きつかれて、「よっしゃ」と会社を維持することを決め、社長は金策、社員は営業・・・。そこで珍事件、珍騒動、というコメディ映画なんですが、これ、私、テレビで見ていた記憶があるんです。もちろんモノクロ、舞台中継、昔の大阪の喜劇スタイルでした。
 ただ、うっすらとしか覚えていません。
 調べてみると、1961年(昭和36年)から67年(昭和42年)にかけての放送といいますから・・・ワシ何才?
 演出が澤田隆治、脚本が香川登志緒、といえばこれは、ほぼ同時期に同じ朝日放送で放送されていた『てなもんや三度笠』のコンビでして。こっちはよお覚えています。

 いや、その顔ぶれがね、懐かしいというか。

 社長がミヤコ蝶々。部長が長門勇(『三匹の侍』の京十郎!)、社員に、中田ダイマル・ラケット(丸々太ったダイマル師匠!「青火がポッ」「あっ、一緒や一緒や」)、ルーキー新一(「いや〜ん、いや〜ん」「これはえらいことですよ」)、新藤恵美(『美しきチャレンジャー』!)。
 ゲストに、南都雄二(「なんとゆう字?」)、上方柳次・柳太(「しゃあさかいに」「びびんちょ」)、若井はんじ・けんじ(頭の先からピ〜コピコ)、夢路いとし・喜味こいし(「うちの妻(サイ)がね」「あれサイか、カバやで」)。正司歌江、照江、花江(「うちら陽気な、かしまし娘〜」)、宮川左近、暁照夫、松島一夫(まいど〜、みなさま、お馴染みの〜、宮川左近ショウ)、
 監督は、よく松竹で喜劇映画を撮っていた前田陽一。
 なんか懐かしい面々が見られて、私この頃からちょっとこっち、昭和45年頃から上方演芸にハマりまして、南都雄二さんは実は覚えていないんですが、それ以外の人たちは、みんな覚えてます。バリバリの現役で。好きでしたねえ。
「金色夜叉」「清水の次郎長」「名月赤城山」なんて、昔の人の教養は、この人たちの芸で知りました。今、そんなんやる芸人はいないですな。いや、大須演芸場へ行けば?
 ところで、私の中学の頃、宮川左近ショウのステージがありまして、私見に行ったら宮川左近師匠が急病で、照夫さんと松島さんの二人だけで熱演。
「これ、ただのショウや。金返せ」って、ヤジられていました。

 さて、来る5月12日、明後日ですけど、私の率います素人落語家集団「桐の一門」がまた落語会をやらかします。題して「第十二回、へたなら寄席」。
「へたなら、よせ」と言いながら十二回も続いてますねんな。もっとも、演じてる方は、下手やと思っていません。気持ちよくやってるんで、それで続いているわけですけど。
 今回ラインナップが面白いんで、紹介を。

「蛇含草」 桐のれんじゃあ
「無いもん買い」 桐のいそろく
「ゴミはゴミ箱へ」(高田豪・作) 桐のはこぶた
「奥様はトド」(高田豪・作) みんなのかーぼー
 中入り
「漫談・活動大写真」 桐のよぎり
「持参金」 田舎家うっぽ
「地下鉄」 桐のぎりぎり

 みんなのかーぼーさんはプロの芸人さんです。田舎家うっぽくんは、今まで参加していた田舎家君吉の後輩、芸大の落研です。
 今回、何が面白いのかというと、はこぶたと、かーぼーさんが演じる新作落語2本。最近、創作落語をプロの落語家さんに演じてもらって、だんだんお笑い作家として活躍し始めた高田豪の作です。どうも不条理ものが好きみたいで、今回も不可思議なネタを聞かせてくれますが、「奥様はトド」がネタ見せで笑いました。よくできてますが、かーぼーさんが演じたからかな、という疑惑もあります。
 なんにせよ、創作して、発表することはいいことです。

よぎりの漫談も、時代劇好きな彼らしく、戦前の時代劇を講談調で語ります。モノマネあり、うんちくありで、これは新しい芸?
 彼にはこういう分野、開拓してもらいたいものです。
 若い人でいません、こんな芸をするのって。

 珍しい噺も一席。高座名もぎりぎりなら、マンガ家としての将来もぎりぎりの、桐のぎりぎりによる「地下鉄」という噺。これ、めったに聞けません。三代目林家染語楼師匠・作の創作落語です。戦後まもなくの大阪が舞台で、地下鉄御堂筋線の駅名が出てきて、そこがミソというわけなんですが、ただそれだけという、まあ落語に意味とか哲学を求めてはイカンわけでして。
 この落語、大阪が舞台で、大阪の落語家が演じるのに、全編東京弁なんです。なんでやろうなあ、と聞いていたら、これ松竹映画の『君の名は』の落語版やったんや、と気がつきました。おそらく間違いありません。そう考えたら、ちょっと小粋なネタです。

 ということで、今回は色々実験が行なわれます。面白いと思います。
 え、私?
 まだ、足にプレートが入ってまして。

 この前、動画『幽怪案内』の収録で、噺家さんにまつわる怪談を語ったとき、着物姿で5分ほど正座してみましたが、ちょっと痛かった。普段はなんともおまへんですけど。




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2012年05月09日

5/3の作劇ゼミ その5

 中山市朗です。

 私が専門学校の講師だったとき、専門学校には色々なカリキュラムがありました。その専門学校は、マンガ家、作家、映像、ゲームなどのクリエイターを目指す若者のための学校でした。
 例えばマンガの場合、デッサン、クロッキー、カツーン、シナリオ、CG、デザインなどのカリキュラムがありました。でも学生は、これを単位を取るための手段としか思っていないわけです。マンガの画力の基礎を養うためのデッサン、クロッキーがめんどくさい。で、おざなりなものを描く。ノルマの枚数をなんとかこなす。ノルマじゃないやろ。マンガうまくなりたいのと違うのか、と思うんですけど、頭の中ではクロッキーとマンガが繋がっていない。あるいは、シナリオでやった構成法をマンガで活かそうとしない。バラバラなんですね。映画を観ろ、といえば「私はマンガを勉強するために来たんです」と言う。
 一つ一つが繋がって、マンガ家になっていくはずなんですが、そうは思っていないんですよ、学生たちは。そこを理解している学生は、確かにサッサとデビューしていました。
 でも、ほとんどの学生たちは、そのマンガ家になるためのカリキュラムは、化学、数学、世界史、英語文法、体育といった学校の時間割の延長でしかないんですね。
 だから、休講となったら「わあっ」て喜んだりして。
 いやいや、違うやん。キミらマンガ家になりたくて、高いお金を払って通ってるんでしょ。
 ホントは休講って聞いて、「どうしてくれるんですか」って、怒らなあかんところや。

 でも、こういう学校の教育って難しいものです。
 調理師とか美容師とか看護師とかは免許制ですから、専門学校に入る意味があります。
 でも作家だのマンガ家だの映像のディレクターだのって、免許も資格も必要ありません。学歴も必要ありません。親も騙されていて、卒業したら「専門士」なんていう認定書がもらえるからって言ってますけど、あんなん何の役にも立ちません。
 原稿や作品の持ち込みに、履歴書なんて持っていく人いません。作品が面白いか面白くないか。編集の人に「専門士に認定されていますか」と聞かれた人、過去に一人としていません。断言します。
 かといって、専門学校は学問をするところではない。
 そうなると、免許制の無い専門学校では、デビューさせてやるために教える側は本気になって、自分がやってきた成功例、失敗例を論理的に提示し、対策を講じられるしかないわけです。これは真剣勝負です。ある意味、命を削りますよ、これ。
 あるいは、本気になって仕事をとられても損なので、まあ適当にやって、ギャラだけもらっとくか、というタイプになるか。こっちが圧倒的に多いですけど。
 恐ろしいのは、成功も失敗も大してしていないOBが教えていること。これは学生も不幸やし、教える側も不幸。学生はホントのノウハウをもらえないし、教える側は勘違いして、まあキリキリ食えるから努力もしなくなる。
 OB潰し。まあ学校からすれば安く使えるし、便利に使えるし。
 もし、これからクリエイター系の専門学校に行こうとしている若い人がいたら、辞めときなさいと言いたいところですが、せめて実績の無いOBが教えているところには絶対行かないことです。そんな学校は、学生のことは何も考えていませんから。
 
 しかし、つい最近まで高校生だった学生たちは、わからないんですよね。そこんところが。前で講義をしている人は学校の先生と同じだと思っています。業界の先輩、あるいは人脈がそこにいる、仕事をくれる人がいる、という考えにはならない。
 だからそれを言ってやらないと、ダメなんです。言ってやると「ああ、なるほど」と感付きよるんです。

 今、塾の講義ではアメリカのホラー映画監督のデヴィン・ワトソン著『ホラー映画の書き方』を教本にしていますが、なぜこれを取り上げたかというと、ホラー映画のシナリオを書くにあたって、ホラー映画だけではなくて、映画そのものの歴史、映画が製作されるにおける世界情勢との関連、そして芸術との関連、古典との関連と、どんどんバラバラのものを繋げて提示して、だからこういう時代に、大衆は何を求め、映画業界はそれにどう答え、だからこの時代にこういう名作ができた、という分析がなされているからなんです。
 そういうモノの見方、分析力、そしてそれを一貫性のある体系として、そこから個々を説明する、という、これがひとつの学問のスタイルなんですね。
 そういう知識を、若い人はなぜか、めんどくさがるんです。
 でも、それをやらないと、本質が見えない。
 表面上のものだけを真似しても、そんな薄っぺらなものは、プロは見破るということを知らない。物事をナメているんですな。
 そのくせ、知ったフリをする。
 で、アホなマルチ商法に、何の疑問も抱かずに騙される。

 話がそこに行っちゃうなあ。

 そうそう、モノの見方です。
 世の中、いろんなことが起こって、いろんな問題があって、いろんな流行があって、いろんなことが報じられて、ネットに流れて・・・で、学問というのは、それらバラバラのものを統一化してい見ていく、という訓練をすることだと思うんです。そこで修得されたものが、様々な問題を解決し、新たな発見、発明をする素養が育つわけです。
 教養とはそういうことでしょう。

 よくテレビでインテリ芸人がどうのってやっていますけど、あれは単なる知識ですね。知識はもちろん必要ですけど、それらの色々な知識をどう理解して、説明して、それらを繋げて、そこからどんな新しい価値観をもたらすのか、これをやれる人が本当のインテリなわけです。
 なぜ、そんなことを言うのかというと、私が今まで会った一流のクリエイターたちは、例外なくインテリなんです。だから彼らの作品には、新しい価値観がある。新しい価値観があるから、彼らは一流のクリエイターである、と言えるわけです。
 その一流のクリエイターたちは、もちろん一流大学を出た人もいますが、全然そういう学歴の無い人たちだっています。みんな読書家で映画や芸能に詳しく、文化を論じ、歴史を論じ、政治も論じる。だからあれだけの作品が生まれる。

 日本の政治家はインテリじゃないですね。バラバラのものがバラバラなまま。
 今の政権が何も解決できないでいるのは、バラバラのものを統一化して、そこから問題を見ようとしないからです。これでは新しい価値観は生まれません。

 クリエイターは、新しい価値観を生み出すことで、対価をもらいます。読者や観客はそれを求めるからです。「スゲエもん見てえよな」という要求に答えることで、対価を得る。それがプロです。やっぱりそのためには、下地となる教養は必要なんです。

 人間には本来、知的好奇心というものが備わっているはずです。
 幼い子供は「どうして郵便ポストは赤いの?」「どうしてママはパパと一緒になったの?」「どうして子供は産まれてくるの?」と、どうしてどうしてのオンパレードです。
 しかし私の実感として、この好奇心が今の若者から欠如しているように思います。

 これはイカンと思うのは、知らなくて平気という奴。知らなくてもケータイでwikiを引くと出てきます。覚えなくていい。で、wikiをそのまま信用する。他で調べない。
 なんだか頭の中にインプットしなきゃならないものを、ケータイにインプットしているわけです。だから身についていない、分析ができない、理論にならない。
 ケータイが無いとたちまち何もできなくなる。
 
 これはきっと、中学、高校での勉強が面白くなかったからでしょうね。だから調べることをしない。そして頭の中に知識を入れる快感を知ろうとしない。
 また、自分と同じレベルの者同士がコミュニティを作って同じ価値観を所有して、それが当たり前だと思ってしまっていることにもその原因があるんでしょうね。

 私はもう18年も、そういう若者たちと対峙しているわけです。
 ものすごく私には勉強になります。優秀な若者ももちろんいます。塾にもいました。でも手を抜くアホな教え子ほど気になるというのか。

 またまたKくんの話で申し訳ないのですが、彼のあまりの無知さに「キミには好奇心というものが無いの?」と聞いたら、困った顔をして「優先順位があるので」やて。
 意味わからん。
 でも今思うと、その優先というのは、マルチ商法のセミナーに通うことやったんですな。





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2012年05月08日

5/3の作劇ゼミ その4

 中山市朗です。

 中学、高校でやってきた勉強と、180度転換した大学での学問。

 中学、高校までの教科書は、主に文部科学省の検定を経たもの、学習指導要領に準拠したものが使われます。先生はこれを大きく逸脱することはできません。
 しかし大学は、その検定を受けません。大学の教授が自分で教科書を作ってもいいわけです。また大学や専門学校で教える人たちは教職免許をもっているわけでもありません。
 つまり、それまでの学校の先生は、教職というのが職業でしたが、大学や専門学校の先生は、ある専門分野のプロであるわけです。
 大学の教授、講師は、その専門分野で何かを極めた、あるいは実績を残した人のはずです。それはその人、その人、各々のやり方でそこに到達し、実績を積んだわけですから、まず学生に教えるにあたっては、その経験値を理論化して説明せねばなりません。しかもそこに一貫した考え方がなければなりません。この一貫性の論理に基づいて体系化されたものが、学問であるわけです。
 つまり、学問には、それと違うやり方、考え方があるということが、前提としてなければおかしいわけです。教授の数だけやり方があると言ってもいい。
 学生はその講義を聞いて、見極め、誘発され、そこから教授たちと共に実践し、考える力を養う。そこが主眼であるべきなんです。
 大学は、教えてくれるところではない。怠ければ地獄の底まで怠けられる。しかし、学びたければそこに専門のプロがいるから、教えを乞えばいい。その環境にお金を払っているようなものです。で、実はこの環境は天国のようなものなのです。学生はアホやから気づいていないだけ!

 私の体験で言いますとね、私の専攻していた映像計画学科の依田義賢学科長は、溝口健二監督の名作の脚本の数々を手がけられた人、教授の宮川一夫先生は、溝口や小津、それに黒澤の『羅生門』『用心棒』のカメラを担当した、グレック・トーランドやフレディ・ヤングに並ぶ世界の名カメラマンの一人。私はこの二人の名前があったから芸大に入りましたが、いっぺんも一緒に飲むということをしませんでした。チャンスはあったんですけど、お金が無いとか言って・・・アホです。映画界に入ってもそんなチャンスは無い! 後で悟ったことです。
 文芸科には小松左京先生、舞台芸術科にはフランキー堺先生もおられた。
 こういう人たちに接しなかったというのは不覚でした。他学科であっても講義は受けられたんですけどねえ。
 フランキー堺さんなんて、後に凄い役者さんだと知ったわけです。もし一度でも一緒に飲んでいたら、そのことが凄い財産になっていたはずなんです。
 大学って、そういうところ。
 こういう人たちから教えを乞うということは、ノートに書いて試験でいい点を取る、ということとはまったく違うものです。
 その環境の中で自主的にテーマを持ち、極めるわけです。わからなければ質問し、疑問を投げかける。それが大学です。
 そこにはノートの丸写し、という答案はないわけです。

 とにかく、そういう一流の専門家のいる大学で、自分で考える。今ある情報を分析し、繋ぎ合わせて、他のものと対比してみる。教授に教えを乞いながら、そういう能力を養っていけば、自分なりの論説が構築されます。その集大成が卒業論文であって、それが認められて初めて大学を卒業したと言えるわけです。で、自分なりの論説が構築できる、というその頭脳が欲しいから、企業は大学の学生を採るわけです。そしたら、なぁんにもしとらんかった、やなんて採用した企業が詐欺にあったようなもん。

 そういう意識が無いから、Wikipedia丸写しなんて、トンデモな論文を書く学生が出たりするわけです。アホです。許されるべきではありません。そんなだから、自分の論説を構築する頭が無いから、Kくんは(Kくんの後輩も)あんなマルチ商法もどきのモノに騙されるわけです。
 親となる後輩に妄信しちゃったのは、親が教科書であって、その言う通りにすれば成功するという、いわばノートの丸写しで疑問無しという、中学高校の学生としたら優秀かもしれない学習態度から、その頭脳はちっとも変わっていないという証明なんですね。

 続く



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2012年05月07日

5/3の作劇ゼミ その3

 中山市朗です。

 学ぶとは。
 まず、成功したのが幕末から明治に移る頃の日本。
 鎖国をしていて、ほとんど工業技術の無かった日本が、たちまちその技術を欧米列強に追いつき、世界第3位の海軍を持ち、日清、日露の戦争に勝ち、明治の近代文化を謳歌させました。
 黒澤明監督は言っていました。
「明治ってね、戦争とかなんとか暗いイメージがあるみたいだけど、そうじゃない。明るかったんだ。みんな希望をもって明るく生きていける時代だったんだ」

 そんな日本人の基礎となった教育が、読み書きそろばん、だったわけです。
 これが東洋の奇跡と諸外国を驚かせた、日本の近代国家建設の基礎になったわけです。

 読む、音読によって脳に言葉と文章を記憶させ、理解させる。
 子、曰く、なんて論語も、漢字の持つ表現力と詩のリズム、行間が脳の中に入っていくわけです。名文の吸収が後に読解力に繋がるわけです。
 私も小説、シナリオを学ぶ塾生には、書いたものを必ず音読しろと指導しています。

 書く、は、反復練習。親方が弟子に教えるのは、この単純な反復の繰り返しです。物事を表現する基礎は、この反復から生まれると思います。なぜなら反復の繰り返しからのみ、物事の摂理、構成、意味が理解できるからです。
 そろばんは、計算力ですね。正直子供の頃は、難しい数字なんていらん、実生活に何の役にも立たん、と思っていました。先生もなぜこれが必要なのかを明確に言ってはくれませんでした。
 必要なんですね。計算。というか数学は。論理的思考はこの数学より養われます。私はこれを非常に怠けていたことを後悔しているわけです。
 壮大な宇宙の姿や生命体の神秘を数学の数式で解く学者とか見て、カッケーと思い憧れますもん。
 ともかくこの論理的思考というやつは、問題解決をどう選別し実行するのかという判断能力の基礎になっているように思うのです。考えたら小説やシナリオも数学的なロジックが必要なんですよ。ほんま、やっときゃよかった。

 ということで、読み書きそろばんの基礎は、強制してでも子供たちの体の中に入れておくべし!
 落ちこぼれが出る?
 それはね、先生の責任だと思います。
 高校で落ちこぼれた私が言います。
 勉強は面白いものだよ、ということをちゃんと子供に伝えているかどうか。ちゃんと叱っているかどうか。やっぱりそこ、熱心な先生には叱られても、子供はついていこうと思うし、そこ無頓着な先生には、子供はついていかない。その教科が嫌いになる。でもねえ、本来叩いてでも、泣かせてでもやらせるのが、子供の教育だと思います。
 だって、就職して戦場に行ったら、できませんじゃ済まないですよ。泣こうが何しようが、覚えてもらわんといかんものは覚えてもらう。
 そこ、自主性に任せるなんてアホなことは言えません。
 子供の自主性に任せるなんて言う先生は、その言葉に酔っているだけ。現実の世界を知らない。
 先生や親が、子供を甘やかせているから、ここで踏ん張りが効かないんですよ。
 体罰はダメ、叱るのダメ、なんて言っているから、厳しい社会に放り込まれて挫折して、強制はダメなんて言っているから、ヤワな若者になっちゃって、一度の挫折でニートになっちゃう。職場で叱ったら、もう来なくなったなんて話、山ほど聞きますもん。
 ニート。
 どうするんですか、これ。
 30になってもニートの人は、きっと40になってもニートです。40でニートの人は死ぬまでニートでしょう。本人も社会も日本の国も大きな損失です。

 ちなみにKくん、親からも先生からも全然叱られたことが無いといいます。おそらく私に叱られたのが初めて。以後、ずっと叱られてますけど。

 さて、大学です。
 私の子供の頃って、大学生はなんでも知っている、頼もしいお兄さん、教養ある素敵なお姉さん、というイメージがあったんですが、現実は・・・?

 大学生がアホになった原因のひとつは、大学が増えすぎて、ホンマのアホでも入れるようになったことがあるでしょう。まあ大人のすることですから、大学作って儲けようなんて思うわけです。それで今の人が飛びつきそうな学科を作って、呼び寄せて、中学高校の教科を理解していない学生を合格させて、お金をしぼり取ろうと。まあそれでもいい教授はいるはずですから、あとは学生次第。

 もう一つは、中学高校から大学生になるときの勉学をする態度を変えなきゃならないのが、変わらない。これはおそらく、何のために大学で学ぶのか、という意識がゴソッと抜け落ちているからに違いないと思うのです。
 つまり大学に入るのは、目的ではなく手段になってしまっているんですね。
 大学で学びたいのではなく、大学に入ると就職に有利、とか4年間遊べるとか。そのための大学受験。親も「いい大学に入りなさい」とは言うんだけど、大学で何を学ぶのかの視点がない。だから大学入った途端に、何をしていいのかわからなくなるのでしょう。
 というか、大学での勉強の仕方がわからないんですね。
 これは私の学生時代からしてそうでしたが、勉強とは、教科書に書いてあることをそのまま理解し、暗記することだ、という今までのやり方と、大学の勉強も同じだからと勘違いしているから、それはクソ面白くないわけです。大学で勉強するなんて野暮、もっと楽しもうぜって、4年間遊んじゃう、という事態になってしまうわけです。
 これ、もったいないです。
 ホントの学問は、面白いんです。40歳過ぎて私はそう悟ったんですけど。

 本来、大学は学問をするところですね。
 それは、たとえば、世の中に出てすぐ役に立つ知識や技能を修得したいとか、あるいは美術や音楽、歴史、哲学、あるいは神学なんて、世渡りにはすぐには役立たないけれど、教養として身につけておきたい、とか。しかし、大学でやることは、勉強というより学問です。
 この学問というのは、ちょっと厄介で、困難が伴うものです。

 大学は、教科書はありません。各教授や講師のノウハウ、経験値が、あえていうなら教科書です。
 それまでの、できあがった知識を強制的に身につけるために丸暗記をする、ということから、大学での勉学は180度の転換が成されねばならないわけです。
 つまり、教科書に書いてあることを十分理解した上で、今度はここからの逸脱を試みるわけです。それぞれがそれぞれなりに考える、ということに主眼が置かれるわけです。考えるためには、自分から学ぶ、という態度が必要なわけです。

 実は私、中学生の頃、ある先生がこう言ったのを今も鮮明に覚えているんです。
「今の勉強、おもろないやろ。けど、しっかり勉強して大学に入ってみ。180度違うことを教えてくれるから。それで世界が広がるから。だから今はこれをやっとけ」
 あっ、そうなんやと私は思って、大学に入ったら違う価値観を模索しました。
 それにはいい教授に会うことですな。


 続く
 


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kaidanyawa at 03:54|PermalinkComments(1)

2012年05月05日

5/3の作劇ゼミ その2

 中山市朗です。

 塾生たち、大学を出ていながら学問をやっていなかった。
 つまり、受験のための大学。大学の4年間は遊べる、就職が有利になる。
 そう思って大学に行ったのでしょうけど。

 もうねえ、親も先生もですけど、もう大学卒業したから何とかなる、という考え、もう辞めません?
 どこの大学に入るかではなく、何を勉強したいかです。そんなん大学やなくても色々ありますわ。大学出の無教養人って、カッコ悪すぎますわ。

 Kくんを見ていると、私の講義を真剣にメモ取っています。ビデオまで回しています。「何に使うねん」と聞くと「あとで見るためです」って言うんですけど。
 しかし全然、何も身に入っていないわけです。
 なぜなら彼は、映画監督になるための勉強を、受験勉強と同じ態度でやっているんですね。つまり勉強の仕方を知らない。教室に通って言われたことをノートにとれば、それで勉強をしているつもりなんです。
 でもね、映画監督になるために学ぶことと、お受験のための勉強はまったく違うわけです。
 ここになぜか気づいていない。

 彼に関わらず、大学生って、学び方に案外融通が利かないんですよ。つまり、その方法で受験に受かって大学に入ったわけですから、この方法に疑問をもたないわけです。で、学生になってからは、何もしていないのでまったく成長していない。だから疑問はもたないけれど、自信はない、という矛盾に陥ってしまうわけです。
 いや、みんながってわけではないんですよ。ちゃんと学問やって、すごい能力、教養をもった若者がいるのは認めます。でも残念なことに、そうでないのが多い。

 大学を出ていない若者はそこは柔軟です。つまり勉強のやり方が固まっていないので、わりとそれもありか、これもありかと、やってみるんです。うちの塾の高校出、専門学校出はそうです。どんどん吸収していくのは、大学よりもそちら。
 つまりこれ、大学受験のあり方と、大学のあり方が問題なわけですよね。

 まず、学ぶとは何かですが、中学、高校までは教科書に書いてあることを正しく理解し、それを覚えること。これが勉強なわけですね。先生も教科書に書いてあることを教えることが主な職務であるわけです。
 3月のこのブログで、大阪市学校園教職員組合だかのホームページに書いてあった、教育に強制はなじまない、という戯れ言を取り上げて、私は違うと書きましたが、高校生までは強制でいいのです。
 子供は子供です。子供には自主性を、という先生は、そのことも子供を強制していることになるという自覚をもつべきであります。子供にはわからないですから、その方法も、理論も哲学も、大人が責任をもって子供を導くことは、大人の教育社の責務であるはずです。そこに強制力が必要ないなんて事は考えられません。

 しかし、人間は成長すると、責任を取らなきゃならないし、厳しい社会の荒波の中で生きていくことを要求されるわけです。自分なりのやり方も修得しなきゃならない。
 そこで高校を卒業し、社会で学び、大学で学ぶわけです。今までやってきたこと、覚えてきたことが通用しない世界が待っている。それが大人の通過儀礼です。
 でも中学、高校で教科書通りのことをきちっと学んだ若者は、言われたことを自分で飲み込んで、応用して生きていこうとします。ここで基礎能力が発揮されます。
 明治の日本は、近代国家として急激な発展をしていきますが、そのときの日本人が学んでいたものは、読み書きそろばんだったのです。で、大学へ行けるものは少数でした。
 ほとんどの人は、そこから商人の奉公人になる、親方の弟子になる、ということで社会へ出ていきました。
 この仕組みは、結果、優秀なる日本人をどんどん輩出していきました。
 もちろん大学出、あるいは私塾で学んだ人たちはエリートとして、日本の国を引っ張っていくことになるわけですが。

 今は、ほとんどの人が大学へ行くことができます。あるいは徒弟制度が無くなり、専門学校というものができました。そうなると、大学や専門学校での教育というのが問われることになります。アホな大学生を生み出すのは、その教育に携わる大人たちであるということになります。
 今、日本の国力が、人材という意味でも低下していると言われます。
 あの高学歴の国会の先生方を見ていると、それを実感します。残念です。
 汚職と自己保身にひたすら走るエリート官僚や、責任を取らない原発を推進させたエリート学者先生方なんかを見ていると、ただただ腹立たしいです。おそらく戦後教育が失敗しちゃったんでしょう。

 しかし、なんでこんな質の低い大学教育になっちゃったのでしょうか?

 続く





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kaidanyawa at 20:49|PermalinkComments(3)

2012年05月04日

5/3の作劇ゼミ その1

 中山市朗です。

 5月3日の憲法記念日はゴミの日でもあるそうです。
 作劇ゼミの報告です。

「塾生の中で、現役大学生および、大学を卒業した人は誰?」
 と質問したら10人ほどいる中で2人を除いて、大学に通った経験がある、と手を挙げました。
「じゃあ、大学でどんな学問を修得したのか、聞かせてください」
 そういうと、「えっ、学問?」と言って沈黙してしまいました。
「いやいや、大学に行ったんでしょ? 学問をしたわけでしょ。何の学問を専攻して、何を修得したのか聞かせてと言うてんの」
 みんな、うーん、と俯いてしまいました。
「おいおい、だったら何のために大学に行ったのよ」

 一人、手が挙がりました。
 Kくん(マルチに騙されたKくんではない)。
 某大学国際コミュニケーション科に通う現役大学生。
「外国の文化を学んで日本から世界へ羽ばたこうとする学科です」
「具体的には何を学んだ?」
 西洋と北欧の文化、歴史を学んでいる、自分は小説家志望なのでフランス文学をやっている・・・等々。
「じゃあ、フランス文学の特色は?」
 主人公が最後に死ぬことが多い、その美しさを読んでいる人に伝える。主人公が愛している人が死ぬ、美しさみたいなことを描く文字が多い・・・。
「じゃあ、なんでフランス文学は、愛する人が死ぬというテーマが受けるの? その背景には何があるの?」
「・・・?」
「じゃあ、フランス文学以外の西欧文学との比較は? 世界の文学において、どういう位置づけで、各時代においてどういう文学理念を創造して、どういう功績を残し、日本文学にどういう影響を与えたの?」
「・・・」
 あかん、次の人。

 今度は某大学人文学科部日本文化学科卒業のYくん。
「最初は日本と西洋の文化の違いを妖怪でやろうとして、ゼミの先生にしぼれ、と言われて鬼と悪魔、もっとしぼれと言われて龍とドラゴンについての論文を書きました」
 どんな内容?
 結局あれは稲作信仰の伝播の跡です・・・、それは太陽信仰、脱皮するイメージ、再生、土地の信仰と混じりあって・・・。
「質問があるんやけど、中国、朝鮮には太陽信仰はないよね。あそこはじゃあ、稲作じゃないんか?」
 ちょっとやりとりしましたが、結局議論にはならず。そこは知りません、となる。
 というより、Yくんの言っていることは、全部本に載っていること。キミ自身の説は?
 ・・・。

 他は?

 みんな目を伏せちゃった。
 私、よく思うのですが、大学とはなんぞや、ということなんです。
 というのも、大学生だから特別教養がある、とはどうも思えないんですね。
 専門知識がある、わけでもない。
 正直、一体大学で何をしとんのやろうと思うわけです。

 これは塾生だけではなく、私も大学生と飲んだり、たまに相談にのったりして、接触は少なからずあるんですが、なんか首をひねることしきりなんです。
 以前も某大学の哲学科の学生と話したことがあるんですが、
「哲学科って、なにしてんの? 卒業したら何で食っていくの?」と尋ねたら、
「受験で受かったなりゆきで」
「哲学に興味もってんの?」
「ないですねぇ」
「カントやヘーゲルなんて読んでるの?」
「いえ、まったく」
「じゃ、なんの研究してんの?」
「教授の本買わされて、それが教科書代わりなので、それを読んでいます」
 これ、どう思います?

 アメリカ文学を専攻しているという女子大生。
「サリンジャーで好きなのは?」と聞いたら、「は?(誰ですかそれ)」と不思議層な顔をされましたし。
 CDショップで、サティの「ジムノペティ」を探してきてと音大の現役女子大生に頼んだら、一生懸命ジャズのコーナーを見とった。
 塾にミッション系の女子大に行ってる子がいますが、ちゃんと聖書読んでるのかなあ。

 実はマルチ商法に騙されたKくんは、某大学の経営学部を卒業しています。その某大学とは、高校生だった頃の私からは遥かに仰ぎ見るエリート校・・・。
 その卒業生が、ミクロ経済、マクロ経済について何も答えられない。「卒論は“Wikipedia”を丸写しでした。先輩もそうだったので、先輩にそうしろと教えられました」なんて、ケロッとしているんです。
 そら、アホな商法に騙されるわなあ。でも大学で何も学ぼうとしなかった、これはツケですな。二十歳前後の4年間、これ、人生でものすごく大事な時期なんですけど、無駄に過ごした。
 また教授も教授や。Wiki丸写しの論文が伝統化しているのに、それに気がつかない。きっと読んでませんわ。クビやクビ!

 先日テレビで、日本国籍を取得したドナルド・キーンさんが「日本の若者に言いたいことは?」と聞かれて「私は大学院で教えています。大学院は学問をしたいと思っている人が学ぶところなので、そういう人はいませんが、聞くところによると、高校の頃は『源氏物語』を3ページほど読んで、受験のためにその文法を徹底的に勉強して、大学の文学科に入ったら、もう全然読まない、興味が無い。一番嫌いなのは国文学。そんな話ばかり聞きます」と嘆いておられました。

 大学の4年間という貴重なときに、親に金出させて、ちゃんと学問をやっていない。
 なんで?

 ということで、学ぶということについて考えてみました。
 かく言う私も、中学、高校時代の勉強は大嫌いでした。
 でもねえ、その勉強と、学問は全然違うものなのです。

 続く。
 



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kaidanyawa at 23:42|PermalinkComments(1)

2012年05月02日

そして誰もいなくなるよ 総括

 中山市朗です。

 3回に渡って、マルチ商法にだまされかけた塾生Kくんと、その顛末を書きましたが、どうでしたか?
 ひょっとして、身に覚えはありませんか?
 あるいは、周りにそんな人いませんか?

 しつこいようですが、もう一度この問題について考えてみます。実はKくんだけじゃないんです。塾生にはもういませんが、我々の世界、つまりは作家、演劇、放送に関わる若い人たちや、目指している人たちに割と多いんです。これにひっかかっている人。
 で、きっとそういう人たち、私のブログを読んでも、うちは違う、なんて思っているはずです。
 現に儲けている人、知ってるし、なんてね。

 もしそういう人がいたら、その人はそういう商才に長けた人です。普通は悲惨なことになります。
 よくあの手の勧誘のやり口で「もしうちが問題ある会社なら、営業許可は出ていないですし、僕ら捕まってますよ」というのがあるんですが、もうこの言葉には3つの嘘があります。
 うちが、っていうけど親会社からすれば、そいつは単なるカモ、金づる。その人は正社員でも契約社員でも、アルバイトですらない。
 営業許可、がどうであろうと、モノを売って買っているのはその信者たち。それにイザとなったらその会社は、突如撤退の可能性もあります。Kくんがだまされていた会社なんて、一度日本から撤退しています。
 問題があったら僕ら捕まってますって、警察は被害が大きくならないと動かないもんです。ちまたにあふれる悪徳業者をご覧なさい。ほとんど放置、動くと逃げる、撤退する。被害だけ残る。それの繰り返し。泣いても遅いですから。
 でも実のところ、マルチまがいの商法を警察が取り締まるというのは難しいんです。警察が業務停止命令を出せるわけでもない。こういう連鎖販売取引の管轄は経済産業省でして、業務停止命令はここか、各自治体の独自の条例で停止命令を出すしかないわけです。
 でもねえ、こういうやり方は、本来商法として存在していないことになっているんですね。実態がつかみにくいわけです。だから放置になっちゃう。手も足らないですし。
 私がブログで指摘したように、末端会員が何をしようがそれは会社とは関係ない。そういう契約もしていないし、雇用もしていない。勝手に会員がやっていることだ、で言い逃れできる仕組みになっているわけですから。マルチ商法っていうのは。
 この抜け道は、実はアメリカ資本のある会社のノウハウからきたものです。訴訟大国アメリカは、こういう法務部門はしっかりしていますから、行政処分が受けられないように、証拠を与えない、アリバイ工作をする、というところは完璧なんです。
 それにその会社そのものは内部で論理規定を定めたり、活動資格認定制度を作ったりして、行政に報告し、健全を装います。けど、その手足となる会員たちは、そんなの関係ありません。教育も受けていません。で、そこから被害が出るわけです。
 でも、かれらが何をしようと親会社にしてみれば契約も雇用もしていないし、指示もしていない、と否定できる仕組みなわけです。
 KくんやTくんが「マニュアルは存在しない」と聞かされたのは、その伏線です。でもマニュアル指示のコピーはものすごい数を渡されたようですが、これも会員が勝手にやったという言い逃れのアリバイです。
 アメリカ資本のその会社の名前は、もともとアメリカン・ウェイから来たものだそうです。
「私たちは運と才能で一攫千金を実現したアメリカン・ドリームの体現者でである。その成功のためのチャンスをユーザーたちに分け与える。そのチャンスがその商品の中にある」
 というのが、その会社の経営者の言葉です。
 アメリカン・ドリーム。
 結局あれですよ。イチローとか小澤征爾さんとか、アメリカン・ドリームを手に入れる人はごくごく一部ですよね。成功すればそりゃ大きいですけど、大抵の人は淘汰され、ひどい目にあって、挫折して、果てに夢を諦めるわけです。あの商法の仕組みもそうだと、成功することはよほど困難であると覚悟することですよ。有名なその会社の経営者が言っているんだから間違いない。

 最初に、我々の世界に引っかかっている人が多い、と書きましたが、今もあちこちで聞きます。
 これに引っかかっている人に言えることは、これは悪い商売ではない、人のためになっている、大儲けができる、の三つで洗脳されている状態です。
 つまり不安がどこかにある人たち。
 クリエイターなんて月々サラリーをもらっているわけではなく、かといって保険も退職金も何もない世界ですから、経済的な不安があるのはわかります。
 だったら作品づくりをしようよ。人のためになりたいというのなら、作品で人に訴えようよ。Kくんなんて、映画監督になりたいと言っているくせに、1本も撮らんとシナリオさえ書かずにいて、で、活動にはお金がいるとか言って、せっせとお金払って勧誘するためのセミナーを受けていたわけです。アホやん。
 きっと、やっていない不安を、まぎらわせているんでしょうね、ああいう商法は。
 だから、人のためになっている、という不思議な感情が刷り込まれて、自分の中で納得しようとするわけです。
 で、もうお金を出しちゃってるもんだから、だまされたとは思わない。思いたくない。
 絶対儲けるという欲が、自らの被害を大きくしていくわけです。
 でも、ちゃんと本業をまっとうしようとしている人たちは、そんなものに引っかからんわけです。そんなヒマはないわけですから。ちょっと考えりゃおかしいと思うし。

 アメリカン・ウェイで成功するより、まず本業で努力して、結果が残るように仕掛けましょうよ。それはお金のある無しではない。やる気の問題。
 その手段さえ間違わなければ、いずれその作品に報酬がちゃんとついてきますって。

 まあ、いらんこと考えずに、やりましょうよ。
 応援してますから。



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kaidanyawa at 23:33|PermalinkComments(9)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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