2012年10月

2012年10月29日

天国への怪談会 続報

 中山市朗です。

 11/3(土)の深夜に行ないますプライベート怪談会、まだまだ人数に余裕がございます。みなさんの参加、お待ちしています。参加費は無料。最低ひとつは怪談を語ることが参加できる条件です。

 参加をご希望の方は、

 info@officeichirou.com

 または、

 06−6264−0981

 までご連絡ください。



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中山市朗作劇塾は新規塾生を募集中です。
興味がおありの方は、作劇塾ホームページをご参照ください。



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2012年10月25日

10/18の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 えー、オフィス・イチロウの告知ページ、右枠の下のVIDEOのコーナーで、ちょっとだけ門外不出の「山の牧場」の例のアルバムをお見せしています。ちなみに机の上に置いてある「松吉伝」というマンガの本は、著者のみなみと太郎先生が、ある人を通じてこの日くださったものです。ありがとうございます。
 私、「ホモホモ7」からのファンでもあります。

 さて、前回の作劇ゼミでは「正義」について考えてみました。

 塾生たちが目指しているマンガや小説、映像、ゲームの世界には、ヒーロー、ヒロインというものが出てきます。
 英雄、という意味だそうです。

 英雄となると、庶民の味方で、正義のために戦い、それを阻止しようとする悪、敵役と壮絶なバトルを繰り広げる、というイメージがあります。
 ヒーローにもさまざまな変遷があり、おそらく私がイメージするヒーローと、今のゲーム世代の若い人たちの思うヒーロー像は、また別のものかもしれません。
 私の幼い頃のヒーローは、登場すると「正義の味方」という枕詞がありました。
 『月光仮面』にはその主題曲にも使われ、『黄金バット』もそう言っていました。『マグマ大使』の主題曲にもあったっけ。

 調べてみますと、「正義の味方」というのは『月光仮面』の主題曲を作るときに川内康範が作った造語なんですってね。

「正義の味方は善い人よ」というフレーズがそうです。

「月光仮面の発想は、月光菩薩から由来しているんだけど、月光菩薩というのは脇仏でね、けっして主役じゃないんだ。つまり裏方なんだな。だから正義の味方なんだよ。この世に正義があるとすれば、それは神か仏だよな。だから月光仮面は神でも仏でもない。まさに人間なんだよ」
 と川内氏はあるインタビューに答えています。
 月光仮面は正義ではなく、味方である。これ、重要です。

 しかし世の中を見ると、その神のために戦争をし、人を殺すという蛮行がずっと行なわれてきました。異教徒を殺し、奴隷にし、魔女狩りもして。あんなんも神の前においては正しき行ない、言うたら正義やったんでっせ。一神教の神は恐ろしいですな。『聖書』を読んでも神様は大勢殺していらっしゃいますし・・・。

 戦前の時代劇小説や冒険小説を読みますと、正義という言葉はわりと出てくるんです。勧善懲悪というやつです。善を勧め、悪を改めるのが主人公。この主人公が正義を象徴するわけです。おそらくこの時代の正義というのは、道徳教育で育まれた理念、またそれは武士の儒教教育からきたものではないかと思われます。
 昨今はあまり正義という言葉は使われなくなったように思います。
 価値観が多様化したからでしょうか。それとも道徳観念が薄らいだのでしょうか。
 
 正義とは、万人に受け入れられる普遍的真実である、ということになるんですけど、万人とはほとんど、という意味ですから、あてはまらない人もいるわけです。
 また、その時代の主たる思想、価値観、文化的背景を土台として形成されるものですので、時代が変われば正義の定義も自ずと変わるわけです。
 しかし、思うに物騒なときほど正義というものがクローズアップされるように思います。
 つまり正義とは、相手があってはじめて存在するからです。つまり悪という存在と相対的なものなんですね、正義というやつは。
 悪がひとりもいないところに正義という概念は存在しないでしょう。
 しかし悪がなくとも善は存在します。良い行ないが善です。とすれば、善と正義は別なものということになります。
 善は、何もしなくても存在します。善人と呼ばれる人たちはいっぱいいます。お人好しとか騙されやすい人も善人です。
 しかし正義の人というのはちょっといない。
 あなたの周りにも、お人好しはいても、正義の人っていうのはいないでしょう?
 なんか正義の人というか熱血漢というか、ちょっとアブない(?)人というイメージがあります。正義には行動が伴うからです。
 行動とは力です。
 よく「力なき正義は無力である」てなことを言います。確かパスカルの言葉です。
 ならば力とは、正しい力でなくてはなりません。その力は悪という相対的なものと対峙し、いざとなれば発揮するものです。その力も強いものが求められます。
 つまりこれは正しい暴力ということになる。
 じゃあ暴力は正しければ使ってもいいのかよ、ということになる。暴力は暴力です。だからその暴力を発動するためには対する悪が、絶対悪でなければならなくなります。
 絶対悪があって、正義は成り立つ。
 アメリカにとってテロは絶対悪。でもテロを起こす側からすれば、アメリカが絶対悪。

「正義とは、ほぼ同等の力の状態を前提とする報償との交換だ」と言ったのは、ニーチェでした。日本はアメリカや中国とほぼ同等の力をもっているのでしょうか?
 ないよね〜。

 昔、アメリカ製西部劇はインディアンが悪、という図式にありました。突如、開拓民を襲うインディアンの集団。子供も女も殺されます。
 勧善懲悪の物語で、ハリウッドは随分そういう映画を作りました。しかし、インディアンから見ると、平和だった自分たちの土地に勝手に入ってきたのは白人たちです。ベトナム戦争への疑いを機に、そんなアンチ・ヒーロー的な映画が作られるようになりました。
 1960年代の終わりに現れたニューシネマがそうですね。
 『俺たちに明日はない』『明日に向かって撃て』なんて警察や保安官に追われる悪党が主人公。『ソルジャー・ブルー』という西部劇はまさしくインディアンから見た西部開拓の実態を描きました。でもニューシネマはアメリカ映画をツマらなくしました。
 なんかスッキリしないんですよね。
 やっぱり娯楽の根本は勧善懲悪でなければ、というのがどうやら古今東西の共通要素。その復活が『スターウォーズ』でした。なんせ宇宙の話ですから。ダース・ベイダーをいくら悪として描こうとしても、人権団体は何も言ってきません。
 以後、西部劇のスタイルは宇宙人やバンパイア、ゾンビ集団などを絶対悪としたSF映画が受け継ぐことになりました。

 でも私からすれば、相手が人間じゃないとなると、相対する悪の立場にいる者も人間であり、生きる権利を持つのだ、というメッセージを伝えた『捜索者』や『赤い河』のような名作は生まれないなあ、と思ったりするわけです。
 ヒーローと悪、という構図を作るのは実は難しいんですね。
 ジェームズ・ボンドも最近、何と戦えばいいのか悩んでいるみたいですしね。

「この世すべて濁る時、清めるのは己だけ。人みな酔えるとき、正気なのは己ひとりだけ。されば追放の身となった」 司馬遷




kaidanyawa at 19:36|PermalinkComments(4)

2012年10月24日

ワイルドパンチ

 中山市朗です。

 ちょっとしんどいことを書きます。
 日本国憲法第十四条1項にこうあります。

 すべての国民は、法の下に平等であって、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。

 さてさて、朝日新聞系列の雑誌と佐野眞一という男がやろうとしたことは、この法の精神の蹂躙ですわな。人権だの憲護だのと言っている朝日と作家が何しとんねん。
 で、わからんのが部落解放同盟がこれに対するコメントを公にはしていないこと。
 朝日が簡単に屈したということは、裏から何らかの圧力があったのかもしれないんですけど、どうもこの問題、わかりませんねえ。
 というか、この部落解放同盟という組織がいまいちよくわからない。

 いや、この問題が根深いということは理解しています。というか、私の高校生のころ、地元の高校でこの解放同盟の同盟員による教師48名への監禁、暴行事件があったんです。いわゆる糾弾。暴力による教育介入。何があったにせよ、これはあるまじき行為です。
 うちの親父も当時別の学校ではありましたが、高校職員だったので家族としてはこれは他人事とは思えなかったわけです。
 ところが危篤者まで出したこの事件、聞くところによると生徒からの通報(生徒たちは先生を救うためのデモを行なった)に警察は動かず、朝日、毎日、読売はほとんど報道せず、NHKも数日たってやっと報道(と記憶していますが・・・)
 なにこれ?
 だから本来ならば忌まわしき大事件であるはずのものが、あまり世間には知られていないんです。
 ここからこの問題は怖い、恐ろしい、というイメージが当時の私たち、つまり子供には植え付けられ、ほとんどタブー化してしまってました。
 マスコミなんて信用できない、裏には権力がある、そして大人たちも暴力の前には沈黙するものだ、という教訓もこの事件から学んだわけです。
 フランス革命は恐怖政治によつて行なわれたと言いますが、よーくわかります。

 数日後、この事件を受けて学校のホームルームでこの事件が問題となって、「どう思うか討論しましょう」って先生に言われても、そんなん何も言えませんわ。
 まあ「だから差別はダメだ」という予定調和にして、「ちゃんと生徒に同和教育してます」という事実を作ったんでしょうけど、差別なんかしてへん、このときはじめて部落差別というものがこの世にあったことを知ったんや!
 そして「なんで?」と思ったのが、このホームルームによって、今回の週刊朝日のごとく、被差別地区の名前が出ちゃったこと。もちろんそこの出身の友達もいました。だからといって、その後もその友達とは何のわだかまりもなく接していて、差別的な感情は何も起きなかったわけですが、大人たちが妙に騒ぎ立てるようになって。その地区には「なくそう差別」みたいなポスターも貼られて。
 そうなると、意識するな、というほうが無理。こんなん子供にとっては差別の助長です。

 結局、先生方も解放同盟も何がしたかったのかがわからなかったんです。
「そういう差別がある。それはここだ」と子供たちの脳裏に強烈に焼きつけて、で終わり。
 そうなると「同和は怖いで」「もう触らんとこ」ということになるだけ。

 その部落解放同盟は今も存在しているわけです。そして結局、この問題をタブー化しちゃったことによる、マヒが起こったと思うわけです。これは今や被差別者などの当事者か、この問題に取り組んでいる人しか知らない問題です。橋下氏は出自を認めた上で「この差別問題は全然なくなっていない」と言っていますが、そこも踏み入れないタブーが横たわっている気がします。そうしちゃったのが部落解放同盟であるとのイメージを私は捨てきれません。
 タブー化するということは風化させる、という側面はあるわけですが、しかし一方、解決する場をもたない、ということにもなります。

 解決する場をもたない、もたせない、ということがもし解放同盟の意図であるとすると、そこには利権なり優遇措置(特別措置法による国策としての同和対策事業は確かに存在していて、平成14年に終了)なりがあると思わざるを得ませんわな。

 週刊朝日の編集および佐野氏はこういった事情をまったく知らずに、ああいう記事を書いてしまったんでしょう。だから正義感ぶって橋下市長という一個人の正体を暴くと言ってタブーに踏み込んでしまった。私はタブーに踏み込むことはジャーナリストとしてあってしかるべきだと思います。それが同和対策の解決なりに向かうものであるならば。
 しかし今回は、橋下というひとりの男の出自を暴く、戒める、人格を否定するというスタンスを取るためにこのタブーを利用したわけですから、これは差別を助長する記事であると指摘されても仕方がない。そうなると私の中ではあの高校のときの忌まわしき事件を思い浮かべてしまうわけです。
 ところが、ここで部落解放同盟が公の立場としては沈黙している。
 なんでやろ、と私は思うわけです。
 もちろんあの頃とは時代も違うし、組織のあり方、考え方も違うとは思いますけど。それをふまえてのコメントがあってしかるべきだろうと、不思議に思うわけです。だからやっぱりわからない。

 ちなみに私はフットワークを活かして古代史を探っています。つまり歴史学ではなくて民俗学に近いアプローチです。すると、この同和の問題にあたるんです。つまり古代において天皇、つまり朝廷に従属、奉仕するための職人集団がいて、これを部民制というのですが、どうやらその人たちがその被差別されることになる人たちのルーツ。
 これ、いろいろ史料が出てきて最終的にそういう問題に触れるので、歴史学の先生たちはまったくこういうものを無視していると思われるのです。現に私が持っているのに、誰もそんなものがあることさえ示唆していません。
 日本の歴史は天皇側から見る学問がどうやら歴史学。
 しかし部民や氏族から見るとそれは歴史と認められない。歴史書として残ってないですしね、彼らのこと。だからフィールドワークするわけですけど、それは歴史ではないと跳ねつけられます。ある意味タブーの地雷も踏みかねない。

 割りと表現の自由が保証されているわが日本ですけど、タブーはいっぱいあります。
 タブーの暴露はある意味作家の本望ではありますが、それが命を懸けてまでやる価値があるものなのかは、ちゃんと見極めんとね。



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2012年10月17日

天国への怪談会

 中山市朗です。

 オフィス・イチロウのツイッターでは告知済みですが、改めて怪談イベントのお知らせをさせていただきます。

 まずは恒例のプライベート怪談。

 11月3日(土)の深夜から翌朝にかけての怪談会を行ないます。
 これは私の怪談蒐集のための会です。
 ですから入場料は無料。ただし参加していただくのには最低1話は怪談を語っていただくことをルールとします。
 年4度の割合で行なっていますが、毎回ユニークな怪談が披露されています。私も怪談を語ります。膝を突き合わせての怪談会です。

 場所 オフィス・イチロウ(中山市朗の書斎)
    大阪市中央区南船場1-8-13-1402
    地下鉄長堀橋駅1番出口

 日時 11月3日(土) 24時より始発電車の出る頃まで。

 参加ご希望の方は、オフィス・イチロウのホームページのお問い合わせ先まで。
 アドレスは info@officeichirou.com
 お電話は、06-6264-0981

 20数名で満員となりますので、できましたらお早めに。
 お気軽にご参加くださいませ。

 オールナイト怪談がもうひとつ。
 11月24日(土)に、
 ファンキー中村さん主催の『不安奇異夜話』がまた開催されます。
 題して「大阪堀江乃怪2012 秋の陣」
 私も出ます。

 開場 23時30分 開始24時
 料金 3500円(ワンドリンク付き)
 場所 大阪堀江 ライブスタジオZERO
 出演 ファンキー中村 あみ(吉本興業)
 ゲスト 中山市朗 雲谷斎

 そして翌日(25日)の夜は、中山市朗の書斎にて「新耳屋敷囲炉裏端怪議」なる催しが・・・?
 じつはこれ、ファンキー中村さんが私の部屋の囲炉裏を見て「ここで鍋でもつつきながら怪談会したいですねえ」と言ったのが、どうやら現実になりそうなことになって。
 詳細はまだ不詳。
 追って告知いたします。おそらく「幽怪案内」の録画収録も兼ねることになります。

 そしてクリスマスにも怪談が!?
 しかもイベントとしては、久々の東京への出陣となります。

 12月25日(火)「クリスマス怪談」
 場所 東京都港区赤坂7-2-21 草月ホール
 時間 開場…18時30分、開演…19時
 出演 司会・北野誠
    西浦和也(怪談収集家)、岩井志麻子(ホラー作家)、国沢一誠(ヒカリゴケ)、松嶋初音(グラビアアイドル)、定田紗也(霊感アイドル)、中山市朗。

 料金は全席指定4200円。
 チケット販売は10月18日よりイープラスにて。

 受付期間 2012/10月18日(木)12時から同月25日(木)18時まで

 受付URL
 http://eplus.jp/ohristmas_k/
(PC、携帯共通)

 ホールのキャパはかなり大きいのですが、クリスマスの夜に怪談を聞こうなんて人がどれだけいるのか?
 心配だ!
 


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kaidanyawa at 21:39|PermalinkComments(5)

2012年10月16日

ダンサー・イン・ザ・ダークナイト 質問編

 中山市朗です。

 山の牧場についてある方から質問がきています。
 「Dark Night」でお見せしたアルバム写真からさまざまな疑問を思われたようです。
 同じ疑問をおもちの方もおられるようです。考えてみましょう。

 質問の内容はこういうものです。

○お札は綺麗に並べて貼られていたのか、雑然ではあるが隙間がないよに貼られていたのか?
 初めて天井の押しピン跡の画像を見たときは、そのすさまじさにひどく興奮しました。その後、DVDなどで度々見るうちに、ひとつの疑問が浮かびました。
 お札の四隅(あるいは長辺の中間を加えたとして六点)で止めたとしても穴の数が異様に多いということです。
 自分なりに一旦、人が貼ったものとして考え、
1、お札を貼りつめたあと、何重にも何重にも貼り重ねた。
2、お札を何度も貼り直した。
 のどちらかではないか。

 まだ現状残っているお札は数枚であり、お札の残骸が大量に残されているわけでもなく、実際に牧場として利用されているころには、貼り換えが行なわれる状況にはなかったと思われますので、
2-1、通常のお札の寿命とされる1年ごとではなく、数ヶ月の短時間で貼り替えされた。
2-2、貼りつめていく際、なんらかの事情により、何度も何度も一から貼り直しを余儀なくされた。

 以上のパターン(もしくは複合型)に分かれるのではないか、という仮説にいたりました。どのパターンにしても尋常ではありません。ただ貼った者の心理状況はそれぞれ微妙に異なると思います。

☆さて、私中山が思うのは、
 2-2が近いのでは?
 ファーストインパクトとしてのお札はあまりにも奇妙なものでしたが、貼ってあるお札より床や畳の上にいくつもの束となって置いてあったお札がそれを物語っているように思うのです。つまりあれだけ貼っても、まだまだ予備のお札が必要だった。
 押しピンで天井に貼りつける、という行為もおそらく普通の貼り方ではすぐに剥がれ落ちた、とも想像されます。そして剥がれるととんでもなく恐ろしいことが起きた、ということでしょう。
 それは霊的なものから身を守るためのものだったと、今になって思うのです。
 あくまで30年前にこの目で見た印象です。
 次の質問です。

○いわゆる落としドアは初めからあったのか?
 落としドアを初めて見たときの衝撃はすさまじいものでした。
 もし当初からあるのであれば、奇妙すぎる設計です。しかし『新耳袋』には落としドアの描写や図解は出てきません。僕は情報がないところにいきなり映像を見たものですから、衝撃が倍増したのだと思います。
 おそらく初めはなかったとだと思います。
 中山先生がぐるりと回ったのは庇ですから、宿舎棟にも事務所にもドアはないはずです。壁や床をぶちぬいたり、バスタブは持ち込んだだけであったり、荒っぽく雑な増改築ばかり行なわれる宿舎棟において、なぜ落としドアだけがまともな工事で設置されたのでしょう?
 誰がなんのために?
 同日と思われる宿舎棟、事務所棟の外景写真がなぜ何枚も撮られているのか?(落としドア設置完了の資料?)

☆中山の答えです。
 落としドアは82年のときは存在していませんでした。新耳に書いたとおり、あそこは壁だったんです。どこにも行かない廊下がその内部に存在していたのです。
 で、ここが訳のわからないところですが、私がぐるりと回った庇が今は跡形もないんです。裏側にあったはずの窓もない。それは気のせいで最初から庇も窓もなかったんだろうと言われそうですが、当時はぶち抜いた階段もなかったんです。裏に窓がなければどうやって我々は2階の部屋に潜入できたのか、説明してほしいくらいです。
 ちなみに、宿舎と事務所の2階にある落としドアは、その間に階段のある建物があぅて、そこに続いていて、その建物がなくなったから階段もなくなった、とする説もあるようですが、間に建物はありません。その基礎あともありません。そして落としドアもありませんでした。82年秋から85年の間に庇はなくなり、落としドアがつけられ(意味は不明ですが)、天井ブチ抜きの階段が取り付けられたと思われます。

 次の質問です。

○牛に詳しくありませんが、牛を草も食めない雪景色の中に出すものなのか?
 すべての写真を見せていただいたわけではありませんが、牛舎内で牛が飼われている写真は?

☆中山の答えです。
 雪景色に放牧されている写真、お見せしました。雪の放牧はあります。牛は本能で草のありかを見つけて雪を掘って食べるようです。雪下の草は冷蔵庫の中で保存したような状態になっているようです。
 で、牛舎内で牛を飼っている写真は? という質問ですが。
 なぜかそれが1枚もないのです。
 牛舎が増改築されている写真は大量にあるのですが・・・。誠氏が当日指摘したようにあれだけの施設、規模からして、またあの牛舎の大きさや鉄柵の数からしてよほど大量の牛を飼わないと採算がとれないし、また大量の牛を想定してのあの牛舎の造りのはずですが、写真には牛がせいぜい数頭しか写っていないのです。
 ところがアルバムには牛の品評会などの写真も貼り付けてあって、一見大量の牛が飼ってあって大勢の人たちが出入りしていたように見えるのですが、よく見るとそれはその牧場ではなく、ほかの場所で行なわれた品評会なわけです。
 しかし、牛舎の増改築の写真はたくさんあるのに、完成して牛を飼っている写真が1枚もないというのも合点のいかないところです。
 
 ちなみに井戸を掘っている写真もありましたが、その井戸の跡というのもまったく存在していません。
 


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2012年10月11日

10/4の作劇ゼミ

 中山市朗です。

 前回、文楽と助成金の問題を取り上げました。
 ということで、では、どうすれば文楽は若い人たちに興味をもってもらえるのか、独立した興行となりえるのか、そのあたりを作劇ゼミの中で取り上げてみました。

 参考になるのかどうか。
 塾生たちとのやりとりで生まれたアイデア、意見です。

●文楽人形のレプリカ、フィギュアを販売する
 海洋堂が作る小さいフィギュアでキャラ説明の小冊子つきで、1000円くらいだったら買う、という意見が。私も買うかも。
 もちろん、首が取れるようになっていて、すげ替えの首も売っているのがいいですねえ。
※首のすげ替えとは、もともと文楽用語です。

 あるいは、実際に動く人形を精密に再現したものだったら、10000円でも、という意見も。
 調べてみたら文楽人形は売っているんですね。しかしこれは本物のようです。あくまでフィギュアがほしい、ということです。

●新作文楽を上演する
 どんな? と質問すると、
「ガンダム」とか「パトレイバー」という意見が。
 ロボットキャラというのは面白いかもしれません。表情がないのがロボットですから。そうなると全身のオーバーアクションが必要とされます。文楽人形も目鼻の動かない人形があり、オーバーアクションで演じられます。
 押井さんや富野さんに演出を依頼してみては?
 文楽独特の「型」をどこまで演出できるのかは興味あります。
 ちなみに今年の夏、東京都現代美術館で開催された「庵野秀明特撮博物館」でスタジオジブリ制作の「巨神兵東京に現わる」が特別上映されましたが、撮影用に作られた巨神兵は180センチのもので、文楽人形のように棒を介して後方から5人で操演したといいますから、案外ロボットものの実演は文楽にあうのかもしれません。
 また、大阪の文楽劇場は日本橋の近くにありますので、若者のサブカルチャーと文楽のコラボは、私は考えてみる価値があると思いますが。

 文楽で「水戸黄門」というリクエストも出ましたが・・・?

●カードゲームにする
 という意見も。だったら文楽に出てくるキャラクターをもう少しアピールする必要性があるけど?

●ドラマかマンガ化する
 数年前、『タイガー&ドラゴン』『ちりとてちん』という落語界に入門する若者を主人公としたドラマが放送され、話題になって落語ブームの後押しをしました。確かに寄席にも若い人が来るようになったといいますが、文楽の世界を舞台にしたドラマか。面白いプロットがあれば書いてみれば?

●文楽の世界をまず演劇にしてジャニーズのような話題性のある人たちに演じてもらい、文楽への興味をもってもらう
 マンガも含めて、これはあっていいと思います。
 いわゆる原作を知ってもらうということです。
 岩波書店の古典文学全集や小学館から『近松門左衛門集』などが出ていますが、原文です。『曽根崎心中』『心中天の綱島』『鑓の権三』『八百屋お七』『大経師今昔』『冥土の飛脚』『女殺油地獄』『義経千本桜』『堀川波鼓』、そして『仮名手本忠臣蔵』など歌舞伎や映画では見たあの話はもともと文楽、浄瑠璃語りからきたものなんですね。だからストーリーは魅力的なものが多い。ただ浄瑠璃にしちゃうと今の人にはちょっと・・・となるわけです。
 マンガはいいですね。これも意外とない。
 少女マンガ、レディースでけっこういける原作があると思うんですけどね。

●ゲームにする 
 これは私のアイデア。マンガや舞台、ドラマになるとその場所が出てくるんです。大阪発祥ですから、それこそ大阪の地名がいっぱい・・・。梅田、曽根崎、天満宮、桜ノ宮、網島、野崎、堀川、船場、玉造稲荷、堂島、大長寺・・・。今も名を残す橋もいっぱい出てきます。マンガ原作とゲームを連動させてGPSを使っての大阪名所めぐりなんかはどうでしょう。
 詳しい内容はここでは秘密。

●その他、グッズが少ないので、文楽のキャラを使ったネクタイ、アクセサリー、財布、ポーチ、風呂敷という意見もありました
 グッズは国立劇場で売っています。エコバックや絵はがき、ナイロンバッグ。でもデザインされているのはユルキャラ。なんか違うような気がします。
 もっといろいろなキャラグッズがあっていいとホンマに思います。確かに商売っ気がなさすぎますね、文楽協会。

 このほか、お座敷文楽とか料亭とコラボとかワークショップというアイデアも出てきました。ワークショップぐらいはやっていると思いますが。
 ただ文楽関係をネットで検索すると、確かに日本の伝統文化とか世界に誇る舞台芸術だとか、ユネスコ無形文化遺産だとかいう文言がいっぱい出てきますが、こればかりだと敷居が高くなっちゃいます。よく言われるのが、落語がそうなるともうダメだよね、ということ。滅ぶ一歩手前、というイメージをもたれちゃう。
 今、文楽がやるべきは、今の子供や若者が気楽に足を運べるエンターテイメントにすること。それには目線を下げることです。
 落語も独特の「型」があって、そこは守りながらも古典、創作、改作のちょうどいいバランスで成り立っています。落語家さんのキャラもテレビやステージでの貴重な存在となっています。文楽がそれをやれないわけがない。

 塾生にいきなり振っただけで、みんな割りと真剣にああだこうだとディスカッションが生まれ、文楽のことは知らないけど、興味はもちたい、それには何が必要、という観点から色々なアイデアが生まれました。
 文楽協会も事業部を作って、映画、出版、芸能関係、IT関係、広告代理店の人たちと積極的に関わって、企画をもっていったりディスカッションの場を作るべきでしょう。
 それをやっていないから、「公の場での会合は苦手です」なんてことになるんです。

 私も大阪が好きで、東京からのお誘いはよくあるのですが、大阪で身を沈めるつもりです。文楽も上方落語も、漫才も新喜劇も愛しておるわけです。
 私の書斎の本棚がいい証拠です。

 ですから文楽関係者の皆様方に、ますますがんばってもらいたいのです。

 事業部作るべきです。




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2012年10月10日

文楽座の怪人 その2

 中山市朗です。

 文楽と助成金について考えています。
 市から補助金をもらうということは、大阪市がタニマチの一人であることになります。
 しかしタニマチとて、意に沿わない力士や役者にはまず説教して、それでも意に沿わない場合は、その関係を破棄するわけです。力士や役者はだからタニマチ衆を大事にする。タニマチはそういう人たちと飲んだり遊山することによって自慢する。
 タニマチと芸人の関係は、憎愛の世界です。関係がこじれたらえらいことになる。

 だから、お金を出してもらうというのはやはり努力と工夫と処世術が必要なわけです。いわゆる可愛げがあるというのが問われる。
 どうも文楽協会にはそういう姿勢が見られない。
 タニマチが話し合いの席に来い、と言うのを「嫌だ」と言って来なかった体質が、もうタニマチの旦那の気分を損ねます。お互い損。
 こういうタニマチ精神は大阪で生まれたのですから、文楽の世界にも浸透しているのかもと思っていたら、皆さん真面目な技芸手だったんですね。
 でも真面目一方というのも芸の世界では通用しない。誰かそういう対応のできる人がいなかったんですかねえ。
 ネットにある記事を読みますと、漠然と補助金をもらっていたと気付いた技芸員もいたようです。

 市は文楽という大阪で生まれ、今に続く素晴らしい伝統芸能を補助、支援せねばならない。これは橋本市長も「支援はする」と言っているわけです。
 しかし、文楽は協会をあげて広報、宣伝、そして新しい事業を展開せねばならない。そうでないと、このままでは内部から形骸化する恐れがあると私は思うのです。いや、もう起こっています。

 私、よく文楽劇場の前を通るんですが、高校生の集団が出入りするのをよく見ます。古典芸能ということで学校単位で鑑賞しているのでしょうか。
 あれ、聞いてみたいといつも思っているんです。「文楽見てどやった?」と。
 私も何度か劇場で鑑賞しましたが、やはり学生の団体客が入っていました。団体がいないと半分以上は空席でしたし。
 文化遺産だからということで、強制的に見させられている学生の団体に頼ってはいかんのです。彼らが自主的に自分でお金を払って鑑賞するようにせねばダメです。そんな人はいないこともないですけど、マニアです。まあ今年の夏は、橋下効果で観客動員数はぐんと増えたそうですが、この人たちがリピーターになりえるのか、ですな。

 橋下市長は「本公演以外の事業を組み立て、そこに事業補助をする。その仕組みを文楽協会の皆さんとで考えてください」と言います。この生涯で何の補助も受けたことのない、借金してまで塾を作った私なんかからすれば、ありがたい言葉です。
 新しい仕組みをつくることは今や絶対に必要な事項。それをやれば市も理解し経済的補助をしてくれる。しかし協会側から聞こえてきたのは、
「本公演だけで手一杯なのに、それ以外に事業をやるのは、稽古もあるので正直時間がありません。新しい事業をつくっていくのは難しいです」
 うーん。
 これ、事業部を作るべきですよ。
 芸能人には芸能プロダクションがあって、そこのマネージャーやスタッフが営業や売るための戦略会議、サポートなどをします。芸人自身が事業をやるのはそら無理ですもん。
 小林幸子さんも無理してますやん。あれ、痛々しいですな。

 さっき例に出した印象派の画家たちが出たとき、ディーラーやオークショニアといった人たちも登場しました。画家たちは基本的に絵画の技術を極めるのに必死。それをお金にするのがディーラーやオークショニアだったわけです。
 画家たちは経済観念のないのが常識(?)ですから、そういう人たちが絵画のマーケットをつくったんですね。ただ、これはその絵画がお金になる、ひと儲けできるぞ、と思わないとそんな人たちは出ない。
 文楽もビジネスになる、と思われることが必要ですな。落語や歌舞伎はそうなってますやん。

 たとえば文楽も江戸時代から続く演目だけでなく、新作はできないのでしょうか?
 落語も講談も古典を守りながら時代や世相にあった新作もどんどん演じられています。
 そのバランスがいい。それに上方落語は戦後滅びかけたのを松鶴、米朝といった演者自身が落語界をプロデュースし、こんにちの隆盛にまでしたという経歴があります。狂言の世界も小松左京や京極夏彦の原作狂言とかSF狂言とか、ネオ狂言とか、手塚マンガの狂言化とか、何かと話題を作っています。歌舞伎は華やかですな。今はすごく観客も増えているそうで。団十郎だの猿之助だの、その襲名披露は華やかなニュースになります。また現代風歌舞伎、つまりはスーパー歌舞伎なんでありましたな。

 文楽はそれが聞こえてこない。三島由紀夫の作品を文楽にしたり、パルコ劇場では三谷幸喜さん原作の文楽もやったようですが、単発的な試みで終わっています。新作は色々な制約があって難しいということもあるようなんですけど。
 猿之助という名前は若い人も知っているけど、住大夫という名は?
 だから例えば、スーパー文楽、みたいなインパクトを打ち出して制約をも大胆に打ち破った文楽があってもいいのではと思うわけです。現代の若者が見て面白い、と思ってもらって、それで文楽に興味をもった人たちが今度は本公演に行くようになるような仕組み。
 そうなると演出が必要です。実は文楽には演出というものが無いんです。あるのは長い間に培われた「型」。たんなる人形劇と違うのはここです。
 だから演出が入っちゃうと「それ文楽と違う」と専門家は言うでしょうが、専門家はぐだぐだ文句を言うばかりで食わしてくれないですから。文楽という枠をはみ出たウルトラ文楽を模索してもいいんじゃないかと。

 橋下さんが文楽を鑑賞して「『曽根崎心中』の脚本は昭和30年代に作られたそうだが、ラストシーンがあっさりしすぎ。ファン獲得のために演出を考え直すべきだ」と関係者に苦言し「文楽のほとんどが江戸時代に作られた。それでも見直しが必要ですか」という質問に、「へえー」と答えた橋下さんは確かに勉強不足です。いろんな文化人から叩かれちゃいました。『曽根崎心中』は近松門左衛門の原作ですから。

 しかし橋下さんのような感想もまた、ある意味真実。勉強しなきゃわからない、では一般の人はわざわざお金を払ってみようとは思わないですわな。歌舞伎や落語同様、文楽も江戸時代に演じられたときは、観客と同じ時代の言葉、作法、世界観で演じられていました。だから説明不要だったんです。浄瑠璃語りなんて今のカラオケみたいにみんな口にしていたそうですし、稽古屋もあった。今のカルチャーセンターですな。
 でも今は時代も変わって、文楽の中の時間は止まったままです。そこは文楽ならではの世界観であり、そのまま守っていくべきなのですが、やっぱり新しい試みとの両輪でないと古いまま終わっちゃいます。米朝師匠なんて古典をやっているようでちゃんと現代の人にわかるような言葉、演出がなされていました。だから今の上方落語がある。

 だから文楽もタニマチ、いや観客が今何を考え、何を面白がっているかはちゃんとリサーチして、それに答えないと。一応、日本芸術文化振興会という独立法人が本公演のプロデュースやプログラム実施、協会への事業助成をしているということらしいんですが、動脈硬化を起こしているようです。ちなみにこの芸術振興会とは文楽劇場のことです。ここが今回の公開面談に参加していないのはなぜ? こういうところが文楽をダメにしているんですよ。

 今、オペラなんてどんどん演出の手法が変わってきていますし、美術やセット、衣装もすごいことになっています。ときどきやりすぎて違和感を感じることもあるんですが、センセーショナルな話題にはなりますし、そもそも賛否両論があるのがこの世界。
 文楽も、賛否両論が起こるだけの話題を提供するべきです。
 それと、文楽をわかりやすく、興味深く鑑賞できる解説もあってしかるべきでしょう。
 いろいろ工夫し、やるべきことはたくさんあるように思うのです。

 文楽は世界に誇る芸能だと私も思います。近松門左衛門はシェイクスピアに匹敵する劇作家であることも私は常々言っていることです。文楽の中には物凄い宝物があるんです。それを活かさなきゃね。
 しかし一方、近松以来役300年、それに匹敵する劇作家を生み出していないのも問題。たとえば今から300年後、日本映画界が黒澤明に匹敵する才能を生み出さなかったら、おそらく滅んでいると思われます。文楽が今それです。
 橋下さんとの意見交換で、技芸員からは「せめて生活がやっていけるだけの現状維持を」という声が上がったのですが、志が現状維持なんて言うんじゃ、これはダメです。志以上の成果は出ませんから。

 というわけで橋下市長の公開面談でわかったのは、文楽協会は技芸員だけで構成された協会であったこと。芸術文化振興会にどうやらマネジメント能力がないことがわかりました。これ、資金援助も必要ですが、それ以上にマネジメント能力のあるスタッフ、企画のプロなどをスカウトし、なるべく助成無しの独立性をもった事業部を作ることが必要じゃないかという気がしました。
 でないと、いつまでも補助金に頼って、現状維持なんてことになりかねない。

 そして、これが今回の主旨。
 どこかに怪談好きなタニマチ、おらん?


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2012年10月09日

ダンサー・イン・ザ・ダークナイト

 中山市朗です。

 文楽の補助金問題のお話は今回置いといて。
 
 6日の24時から開催いたしました「中山市朗・Dark Nihgt Vol.7、山の牧場遭遇30周年記念」の報告をいたします。

「30年て、中山くんが発見したのが30年前なだけで、牧場自体はその前からあったやん」と、北野誠さんに出演依頼したとき突っ込まれてしまいました。おまけに「オールナイトやで」と言うと、「ええっ、朝まで? しゃあないなあ」と言いつつ、出演快諾。
 ということで今回は山の牧場を知るもうひとりの男、北野誠さんをゲストに迎えてのライブとなりました。

「山の牧場というネーミングがええねん。これが不思議な牧場とか、怪奇な牧場ではあかん。そそらない、山の牧場というシンプルさが、かえって怖い」とは誠氏。
 私は何も考えずに、ただ「山の牧場」としちゃったわけですが。
 その山の牧場の総括。

 この話は誠氏も「おまえら、行くな」で書いたり、現地取材したDVDがあり、また「新耳袋・殴り込み」でも2度潜入。CSでも放送されたり、「不思議ナックルズ」や「関西ウォーカー」などでも特集。あるいはネットで検索してみても、大勢の人がここを捜し当てて、探索をし写真なども大量にアップされています。ですからほんとにこの話題に興味があって、追い続けている好事家の方は、そこに存在するものや解釈について、私以上に詳しい人もおられるかもしれません。私や誠氏の知らない何かを知っている人もいるかもしれません。
 しかし、このライブで私がやりたかったことは、まず私が何を見たのか、誠氏は何を見たのかを、語ることでした。
 案外この試み、やってないんですよ。
 去年「関西ウォーカーTV」でちょこっと触れたのが実は初めて。そしてガチで2人で語るというのは、今回が初だったわけです。しかも休憩を含むものの5時間!

 で、第一部は「山の牧場」を語る。
 第二部は「山の牧場」を分析する。
 第三部は、質問コーナー、としたわけです。質問は「山の牧場」に限らない。「新耳」「おまえら」関係であれば、なんでもオーケーということで。

 会場に来られたお客さんには「山の牧場」の年表を配布。
 ここには私の知る限りの「山の牧場」の変換と我々が見て、確認したものが簡潔に記載されております。
 そしてこれは初公開。
 2005年、私は誠氏、竹内義和氏ほか10名ほどで探索チームを結成して、「山の牧場」に潜入しており、牛舎跡の机に置いてあった1冊のアルバムを持ち帰っていたのです。
 これが数センチはある分厚いアルバムで、牧場の工事しているときの写真や、牛を飼っている様子、あるいは小学生たちと牧場の職員が触れ合う写真、牛の品評会(場所は別のところ)をしている大量の写真が貼りつけてあったんです。
 これは「山の牧場」の変遷を知る上での貴重なものでしょう。
 その中で、特に十数枚をピックアップし、この日スライドにして会場のみなさんにお店したわけですが・・・。

 写真の枠外に記録された日付と様子からして、その工事が始まったのは1982年の秋か冬
のころ。私が牧場に紛れ込んだのはその年の夏でしたから、3ヶ月後には人が入って牧場再建が始まったわけです。道路の拡張、新築される建物、井戸を掘っている写真もあります。おそらく宿舎に階段が無理やり作られたのもこのときと思われます。
「新耳」に書いた後輩のKくんの友人が失踪したのは9月でしたが、このときKくんたちは黒いリムジンを見たと証言しています。それはこの再建と何か関係があったのでしょうか? この頃、再建するための人たちが牧場に入り込んでいたのでしょうか?
 アルバムの写真は82年から85年までの牧場の様子を伝えています。この間に、私が見た牧場のファーストインパクトの数々が消去された、と言えましょう。またこの牧場はただの牧場ではなく、牛を解体作業をしたと思われるものもあり、現に今もそれに使われたと思われた台や部屋の跡もあるのですが・・・?
 ちょっとこの牧場の形態もよくわからないところです。
 87年、私が地元の分校の教師Fくんと牧場に再び潜入。このときは確かに営業していてキャンプ場にもなっていたと「新耳」に書きましたが、その間の過程がアルバムに残っていたわけです。
 ただし私が見たところ、このとき牧場に牛はいなかった・・・。

 ところが1990年5月、誠氏がプライベートで潜入したときには無人の廃墟に戻っていて、このときお礼と事務所の巨石は残っていたと言います。
 つまり再び廃業していたわけです。
 そして秋に「サイキックTV」で訪問するとまた営業をしていたと言います。ただしこのときは牛が3頭ほどいただけ。
 あの規模、あの広さ、3頭では絶対採算が合わない。
 
 そして1998年、完全封鎖。それは牧場にあるすべてのカレンダーがこの年を指したままであること、すべての記録がこれより先を示すものがないこと、で確実なものであると思われます。な、はずですが・・・。

 地元の焼肉屋や喫茶店が潰れた際、その廃品や廃材などが牧場の建物内に廃棄されているのが確認できます。タイヤや廃車の墓場の近くにあります。
 従って人の行き来はたまにあったと思われますが、それも無断侵入の類でしょう。
 ところが、それ以後も牧場内のトイレが増設されていたと思うと、なくなっていたり。

 牧場内に廃車があったり消えたり、妙な建物が増設されていたり。
 無人のはずが行くたびに何かが撤去され、何かが増設され、あるいは何かが取り払われ、何かが出てくるの繰り返しをしているのです。
 しかも、台風の山津波で完全にふさがった道が復旧していたりと、やはり誰かが管理しているように思われるわけです。
 しかし電気メーターは撤去され、電気は一切きていない。
 しかも今、牧場の敷地は崩落しつつあって、だんだんその姿を消しつつあるんです。
 まあ、あれから30年ですから、さまざまなものが様変わりし、なくなっていくのは当たり前でしょう。

 私が持ち帰ったアルバムというのも、それまで何回か潜入した部屋だったんですが、この日はじめて発見。しかも机の上に「持って帰れ」と言わんばかりに無造作に置いてあったんですが・・・誰が置いてった?
 実は以前、このアルバムを建築の専門家に見せたところ、この資材をどう運んだ? こんな基礎のつくり方はしない。建築法でこのやり方は絶対できない、この機材はなに? どうやってあの道を来た? と首をさかんにひねって「なんだか普通じゃないです、ここ。なんか奇妙ですわ」なんて言っていました。
 以前警備会社にいて、資材を運ぶ過程をよく見ていたという怪談作家の西浦和也さんも現地で同じことを言っていました。
 誠氏も「今まで色んなところにロケに行き、色んな牧場も取材し、経営してはる人の話も聞いてきたけど、この牧場はそれを知るほどに不思議さが増す」と、その普通ではない牧場の形態とその不思議さをステージで言及していました。

 もちろん登記簿も調べた上で・・・この登記記録も妙なんですよね。
 当然、この日の推察では、結局わからないと言うしかなく、またそこが「山の牧場」たるところなんですが・・・。
 まあ、永遠にわからんでしょうね。

 ところで第三部は、その流れ上、怪談になっていき、私が以前、新宿ロフトプラスワンの会場にいた幽霊らしき女を編集部の女性がタクシーで連れて帰った(かもしれない)話をすると、ステージのしたから、どん、どん、と拳で叩く音が。これにMCの半田さんが反応。
「下に何かいますよ」と言ったので、ははは、この下に人なんかいるわけないやん。
 と、私は心の中で、またまたぁ、と思っていると、誠氏が「あ、おる」と異常反応。同じく床を叩かれ、ステージ端へと移動したと言います。するとお客さんも聞こえた、とかカーテン越しに手がスッと上がるのが見えた、とか、ざわざわしだして。
 私、何も感じず、ひとりぼっち状態。
 でも確実になんかおる、という空気になって、それを最初に感じた半田さんに「キミ、見れるようになったやん」と言うと、マジで怖がって半泣きになって言ったセリフがすごい。
「私、そんなにギャラもらってない!」

 いや、さすが芸人さんです。
 おかげさま(?)で、この日、清めの塩が大量に売れました。
 
 ところで幽霊なんて信じないという私のマネージャー、Nくんによると、
「僕はそのとき、ステージに手を乗せて見てました(ステージは組立方式なので楽屋から出ると段になっているので、しゃがむとステージに手を乗せる形になる)。そしたらドン、ドンと確かに中から振動が伝わったんです。そしたら半田さんや誠さんが騒ぎ出しだ。でもその原因と思われるものは、僕にはわからないんですけど」と言っておりました。

 オールナイト、いやあ皆様お疲れ様でした。
 この日、朝9時まで打ち上げ。実は11時半から私の専門学校時代の教え子たちに同窓会に誘われていて、寝ようとしたら電話がかかってきた。
「先生、絶対来てや!」

 寝かしよらんなあ。で、翌日も私、寝ずに深夜まで飲んでいました!
 ほんま疲れた。
 

 


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2012年10月04日

文楽座の怪人 その1

 中山市朗です。

 文楽協会への補助金問題で、ようやく橋下市長と技芸員の意見交換会が開かれましたねえ。
 橋下市長は文楽協会への補助金前年度比25パーセントカットの3900万円を提示し、公での意見交換会を協会側に提示したところ、協会側はこれを拒否。橋下さんは「なら補助金を使わずに好きにすればいい」と、市からの補助金が凍結していたわけですが、私はこれ、どうなるんやろと思っていたんです。

 橋下さんの言うことは最初は横暴のように思えました。

 文楽は大阪が生んだ世界に誇る伝統芸能。補助金がカットされたらおそらく文楽は滅んでしまうかもしれません。それを今、橋下市長のこのときに決められては、いち市長の判断だけで決められるというのなら、こら末代までの恥でっせ、と言いたい。
 ただし、「その補助金は税金であるから、その根拠を明細化する必要がある。そのために現場の人たちから公の形で意見を聞き、市民に納得してもらう必要がある」という橋下さんの意見もごもっとも。
 確かに文楽という伝統芸能を守らんといかんのですが、その3900万円は何に使われているのか、またそれが妥当な額なのか、そもそも文楽という世界はどういう世界なのか、そういうことは我々にはさっぱりわからない。
 わからないものには税金からの補助金は出せない、というのもわからないでもない。

 そしたら3日、行なわれたんですね、公開面談。
「公開での席は嫌でおます」と言っていた協会側がやっと了承したわけです。
 その全容はネットに掲載されております。それを読んで思ったことがあります。

 この日、市役所の会議室に入った技芸員は太鼓、三味線、人形使いたち47人。紋付き袴姿で参上されたとか。そこにジャケット無しのクールビズの橋下さんが定時に来られたそうですが。人間国宝がいらっしゃるかもしれないこの席に・・・。

 で、ここでやっと文楽の技芸員の方々の実態が明らかになりました。
 ある技芸員は「我々の世界で、平均的にごはんを食べられるようになるのは50歳」と言い、「若手の技芸員は収入が不安定」「三味線は60〜80万円。バチは象牙なので30万円で上限はない。研修生の初期投資は350〜450万円。皮の張替え、バチの買い直し、などなど経費はいるけど給料は10万円あるかないか」と訴えます。
 また人間国宝の人でも年収は400万年ほど。ああこら厳しいわ、ですけど。

 でもねえ、ちょっと甘えちゃいませんか、と私は思った。

 それはどこの世界でも同じじゃん。
「若手の技芸員は収入が不安定」って、わたしゃ今でも収入は不安定ですわ!
 50過ぎて、食えない作家やマンガ家も山ほどいるわ!
 何かをしたくて専門学校や私立の大学に3〜4年通っても400万円はかかります。音楽の世界なら楽器や防音のしてある稽古部屋、スタジオのレンタル。私も大学時代は、映画に随分お金を使いました。卒業制作の製作費は200万円!
 みな自分(親が?)で出します。
 で、音大や美大出て年収200万円なんてザラですよ。
 こういう世界は才能だけじゃなく、プレゼン能力や自主的な活動、新しいものへのチャレンジ精神のない者は食っていけない厳しい世界です。
 人間国宝の年収が400万円、ということですが、あのベルリンフィルの楽団員の年収もそのくらいだと言います。準公務員扱いだそうですが。あとはソロ活動や個人レッスン、教師としての収入を得ているはずです。
※ただし大阪市総合本部の報告によると、国宝級技芸員は2000万円超の収入があると考えられる、としています。部外公演に関しては協会は把握していません。

 橋下さんとのやりとりを見て、どうも協会側には甘えがあるように思ったんです。
 あ、文楽協会は市から助成金を受けていますが、このほかにも府、国、NHKからも助成金を受けていますが、税金であることには変わりありません。
 
 確かに芸能や芸術の世界は、いわゆるパトロン無しには基本的になりたたないものです。文楽を始めとした上方文化、芸能も江戸時代の大坂の豪商たちの存在がありました。相撲界にもタニマチという言葉がありますが、これは明治の初期に大阪の谷町界隈に相撲部屋が多く、これらに経済的支援をするごひいき衆がいたところから使われたと言います。
 プロレスや演歌歌手もタニマチがいました。今は後援会という形になっているのがそれですな。お客さんの入場料だけではやっていけないのが基本、この世界ですから。

 ヨーロッパでも芸術家や芸人は貧乏なものでした。モーツァルトの頃の芸術家は貴族の使用人だったんです。彼らは使用人として働き、わずかな報酬を得て、作品は雇い主のものになりました。版権だの著作権だのは存在していません。
 モーツァルトはそれを嫌って自由な作曲活動ができる場所を探し、フリーメーソンに入団したり、パリに行ったりしていましたが、彼は借金まみれで死んだと言われています。
 絵画、美術、舞台の世界でも同じことでした。彼らに出資してくれるパトロンは王族や貴族たちであり、教会であったりしました。
 その後に出た印象派というのは、市民がパトロンであるという意識下にありました。
 市民たちも裕福になって絵画を買って部屋に飾ることが社会的ステータスとされたわけです。だから印象派の画家たちは、特定のパトロンを持たず、市民に買ってもらうための絵画を描いたわけです。でも、結局買ってもらえずに貧乏で終わったモディリアーニみたいな画家は、いっぱいいたでしょうね。いや、ほとんどがそうだったでしょう。

つづく


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2012年10月03日

大韓帝国の滅亡

 中山市朗です。

 おそらく皆さんもそうでしょうが、最近ニュースを見るほどに腹が立つというか、もう苦々しい思いがしてなりません。
 そう、中国、韓国との問題です。

 今、中韓両国は連携をとって「日本の誤った歴史認識を知らせよう」と声高に叫んでいます。一方日本人は、誤った歴史認識どころか、近代史を知らない、教えられていないという愚かなことになっています。いや、今の日本人は中韓ほどナショナリズムではないにしても、「日本人は戦争中、中国や韓国に悪いことをした」という教育がなされています。私の塾生にも、高校の修学旅行で韓国へ行き、元慰安婦という老人の話を聞き「お前たち、謝りなさい」と先生に言われ、土下座して謝ったというのです。
 ネットの噂話ではない。塾生にいます。2人。

 慰安婦問題が事実だったかどうかは、私がここで論じるところではありませんが、問題は一方的な歴史問題を修学旅行に持ち出して、今になって子供たちに謝れ、と頭ごなしに言うアホ教師に問題があるということです。
 この先生たちは、本当に自分の頭で歴史を勉強したのか
 きっとそれをしていないと思います。つまり日教組の方針の鵜呑みであり、彼らの頭の中には、一方的な歴史認識が刷り込まれているだけなのです。
 第一、韓国の元慰安婦に子供たちが土下座したところで何が生まれるのか?
 子供たちは少なくとも心に傷を負い、嫌韓感情が芽生える子もできるでしょう。この塾生は嫌韓感情が湧いたと言っていました。そして悪いことをした日本人。反省をしていない日本人、ということで祖国日本にも嫌悪感を抱く。歴史について考えたくなくなる。
 なにこれ?
 先生なにがしたいん?
 一方、元慰安婦という人も、つらい思いを子供たちに語るのは否定しませんよ。でも今そのことを子供たちに土下座してもらって、何が解決できるというのでしょう?
 
 私の中学のとき、日教組運動に参加して、よく授業をほったらかしにする熱心な社会科の先生がいました。「自衛隊は違憲だから解散すべきだ」「日本はアジアに侵略戦争を行なった。だから謝罪し、保障せねばならない」ということを授業で言っていました。
 これね、まだ百歩譲って歴史の授業で近代史の流れを教えた後に言うのなら理解しましょう。そんなことは教えないで、ただ自分の、というか日教組思想を子供に押し付けているんです。これはなんぼアホの中学生でも「この先生について行けんわ」となります。授業ボイコットした生徒も何人もいて、ボイコットした生徒が後に職員室に呼ばれて親ともども説教されていました。なんかおかしい。
 高校になってもそんな歴史の先生がいたので、私はその先生のテストをボイコットし白紙で提出してやりました。その裏面に、日教組の矛盾点を指摘した文章を書いてやりました。クソでしたもん。0点? 上等やないか!

 もうそんな教育はやめるべき。
 日本があれよあれよと弱体化し、中国、韓国がそんな日本を卑下するほど強くなったのは、この中韓の「愛国教育」と「反日教育」、日本の日教組教育の賜物だと思うんです。
 高校生の私でも、ええかげん歴史は縄文、弥生はやめて、近代史からやるべきと思ったのに、未だにそうなっていないというのも大問題。

 ところで中国の言う「日本の行なった誤った侵略行為への謝罪」って笑わせますな。
 今の中国がやっているからこそ、その誤った侵略行為の再現じゃないですか。
 大型空母を就役させたらしいですけどね。アジアの国で空母をもったのは、大戦中の日本海軍以来のことですけど。

 これは私、以前から半分冗談で言っていたことですけど・・・。
 世界で最初に空母を竣工させたのは日本海軍。「鳳翔」という空母でした。そして最初に空母中心の艦隊、機動部隊を編成したのも日本海軍。真珠湾攻撃のときですね。
 だったらその日本の経験と知識と技術力でもってして、超超大型空母を2隻就役させるべきでしょう。この2隻はあくまで日本の空母ですが、アメリカ空軍に使わせる。沖縄の基地の航空機を全部このデッカイ空母に搭載するんですよ。で、沖縄付近に1隻、日本海の舞鶴を母港として、1隻ずつ配備しておくと、沖縄基地問題はひとまず解決して中、韓、露に対して大いなる牽制となる。おそらくこれで外交力も大きくなる。
 いや、妄想ですよ。ただ、ここんとこの情勢を見ていると、それもありかな、と・・・。

 そうそう、中、韓の言う、日本の誤った侵略戦争。
 日本が中国大陸に最初に進出した時代は、中国は清だった時代です。日露戦争の頃です。このとき日本は満州の権益をロシアから譲渡され、清国はそれを了承したのです。しかしその清国が倒れ、中国国民党が国を引き継ぐと、清との条約を一方的に破棄しました。
 清との条約でそこにいたら、政府が変わった途端、侵略者として殺される立場になったわけです。しかもこの頃、アジアを真の意味で侵略したのは欧米列強でした。
 アジアで独立国たるは日本とタイだけ。西欧列強からアジアを独立させえるのは日本だけでした。大東亜共栄圏というのがそれです。日本がアジアに進行したのはひとつは資源でしたが、もうひとつはこのアジア解放、大東亜共栄圏の確立だったことは間違いありません。現にそれ以降、アジア諸国は独立していきます。
 インドのマンモハン・シン首相は、インドの民主化と経済の近代化は日本から始まったとはっきり言っているんです。
 大東亜戦争(この名称は現在使われませんが)で日本は敗れたわけですが、見方を変えると敗れたのは欧米列強であるとも言えましょう。また大東亜戦争の混乱があったから中国共産党の躍進があったことは確実に言えます。
 もちろん日本のやり方も間違っていました。戦争はやはり破壊と殺人の暴力行為です。 戦争はやらないに越したことはない。でもこれは今だから言えることです。
 だから、なぜ日本は戦争をやらねばならなかったのかを日本人は知らないと。
 それには、日中間だけを見てもダメなんです。
 当時の中国、韓国を始め、アジア諸国はどんな状態だったのか。
 ロシアは? アメリカは? イギリスは? ドイツは? フランスは? そういったグローバルな歴史観で見ていかないと、歴史の真実なんてわかるはずもありません。
 単に日中戦争が中国と日本の間に勃発した、というだけではない。その背景にいろいろな国が介入し、国際情勢があったわけです。
 だいたい中国人も韓国人も、当時から今の中国、韓国だと思い込んでいるでしょ?
 2国とも違う国ですから。ここがそもそも間違い。
 韓国は日本に併合されていました。それを韓国人は侵略と言うわけですが。
 しかし併合に至る客観的な事象と、併合される前の韓国は一体どんな国だったのかを知らないと、日韓併合が無かったら、大韓帝国はどんなことになっていたのか。そうなると日本はどうなっていたか
 ここを客観的に研究すれば、自ずと彼らの言う「歴史認識」の真相の意味が理解できるはずです。それでなお、日本の歴史認識が誤っているというのなら、そこからですよ、議論するなり解決にあたるのは。
 
 しかし歴史の真実とはなんぞや、という問題は大きいわけです、それぞれの国家の立場、いや、同じ国家でも支配層、市民、戦場にいる兵隊、軍需産業で大儲けする人ではもうその意味が違ってきます。大韓帝国には奴隷制度が残っていましたから。これを解放したのは誰だったのか。
 歴史なんて政治的立場、イデオロギー、プロパガンダにどんどん利用されます。隠蔽もあるし、国家間の裏取引もある。ましてや国が違うとなると真実など問うことは困難です。ただし、起こった事件や戦争はあった。その事実を分析することです。分析の仕様によっては、さっきも言ったように大東亜戦争の敗者は欧米ということになる。だから大東亜戦争と言わず、太平洋戦争と、これはGHQが押し付けた呼称です。我々の先祖は大東亜戦争を戦ったわけです。

 わあ、ブログでこんなこと書いてはいかんなあ。
 書きたいことがいっぱいで。
 このままでは長期連載になりそうなので、もうやめときます。ただ、歴史はいろいろな側面があるし、今の価値観で物を言うと当時の価値観とはかけ離れておかしな解釈が生まれる危険性もあるわけです。

 中国、韓国が「日本よ、真の歴史を知れ」と言うのなら、ここに日本の学者、ロシアの学者、欧米の学者もいれて歴史の見直し、定義を見出すべきでしょう。まあ、無理やろな。暗黒の李氏朝鮮や中国共産党の虐殺の歴史が暴露されちゃうもんな。

 とはいえ、中国人にも韓国人にも愛国心はあってしかるべきで、日本人ももう少し愛国精神をもつべきだとは思いますが、危険なのは中国、特に韓国のような「偏狭ナショナリズム」なのですよ。
 国家に対する盲目的、無批判的愛着はもうこの時代、あってはならない。
 中国は批判したくともできない国なので、反日デモがエスカレートして、テロ行為になっちゃった。あれを見ると今の中国は国家主権をもった法治国家ではない。19世紀の清朝ですよあれは。北朝鮮は未だに李氏朝鮮そのものですしね。
 まあこんなことでは、今後何百年経ってもこの問題は解決しないでしょう。

 偏狭ナショナリズムの国、中国・韓国 VS 無知無防備の国、日本

 日米同盟がなけりゃ、こりゃ日本の完敗ですわ。
 隣国同士だというのに。あー情けな!

 もうさっさと日教組解体して、日本人はグローバルなナショナリズム教育をやるべきです。どっちにしても偏狭はダメですよ、偏狭は。日本はネットでいろんな情報が検索できます。日中韓それぞれの主張する歴史をまずあたってみることです。
 中国はそれができない国。韓国はそこを無視する国ですから。


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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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