2013年03月

2013年03月28日

オラ・オラ・オラ!

 中山市朗です。

 なに、あの人たち!!
 もう書かずにおれないので、ここに書きます。あしからず。

 対馬の観音寺から仏像を盗み出した韓国人窃盗団。その犯人を検挙したはいいけど、「それは我々のものだから返還しなくていい」と議定を下した韓国の裁判所。こういう窃盗事件、今回が初めてではない。しかも窃盗団はこれを高く売って儲けようとしたわけです。
 それを、日本人から盗んだものは返さなくていい、なぜならそれはもともと朝鮮民族のものだからという、この認識はなんなんでしょう。しかも仏像の韓国返還を望むという観音寺にあてた手紙をアポなしで持参した韓国の僧侶たちが、代わりにと持ってきたのが、850円のお土産用の仏像だと。
 これ、完全に観音寺や対馬の人をバカにしてますね。というか、これが韓国の仏教僧の実態なのでしょうか。また後日、韓国人の祈祷師らが300人が対馬の自然公園に無許可で入り、中止するように警告する管理者や署員の言うことを聞かず、鐘を鳴らしながら日没まで踊り狂ったという。なんやこの無神経さ、無礼な態度。当然、対馬の人たちはもうブチ切れ状態だそうで。

 言わせてもらうわ。
『日本人は歴史の真実を知れ』とことあるごとにのたまう韓国人こそ、歴史の真実を知れ!
 韓国人は、日韓併合する前の自分たちの国がどんなだったか、認識すべきである。
 李氏王朝とはどんなものだったか。その頃の朝鮮の人たちの暮らしや文化水準がどのようなものだったのか。自国に偽りに満ちた国定教科書ではなく、それを客観的に見ることのできる記録、史料、外交文書や外交人が記した旅行記をあたってみろ。ネットだけでも色々出てくるやろ。見ろよ!
 李氏朝鮮時代の庶民の暮らしは、まるで地獄ではないか。あまりにも惨めではないか。
 その地獄から庶民を救ったのが併合時の日本だ。日本は賤民を人として扱わなかった両班たちから土地や身分をを剥奪した。だから両班たちからすれば、確かに日本は憎むべき存在だっただろう。
 だから戦後、その黒歴史を消すために虚偽の歴史を作らせ、要職に復帰した両班たちが、自分たちの悪事をそのまま日本になすりつけたんやろが。おまけに謝罪しろだ?

 韓国人は、自国に古い寺院や仏像が残っていないのは、秀吉によって壊され、略奪されたのだと言っている。アホか!
 儒教一辺倒の李氏王朝が仏教を糾弾して、寺院や仏像を壊し、僧侶たちを奴婢にしたからやろが!! 秀吉の朝鮮出兵時にはもう寺院は破壊されていたのだ。李氏王朝が518年かかって国内の仏教施設を叩き潰したんじゃないか。
 だから、日韓併合されるまでほとんど仏教寺院はなく、あっても廃墟のままだったではないか。日帝が壊したからだ? 逆だ。朽ち果てていた仏国寺などを再建したのは朝鮮総督府だ。つまり日本だ。糾弾されていた朝鮮仏教を救済したのも日本だ。対馬に来た失礼千万な坊主どもは、おそらくそんなことは知らないのだろう。
 仮にだ、朝鮮が主張するように、秀吉によって仏教寺院が壊されたとしたら、なぜ『秀吉に壊されてそのまま』という状態が続いていたんだ?
 日本では、一介の地方の町でしかなかったものが、大都市江戸へと変貌したのは、家康の時代になってからだ。また、大阪は夏の陣、冬の陣で焦土と化してから造られたのが、こんにちの大阪である。そう、どちらも秀吉の時代の後のことだ。
 日本がやったことを同時代の朝鮮はできなかったのだ。いや、やれなかったのだ。
 その原因は何か。それが李氏王朝の政策だったからだ。仏教弾圧と、空理空論するだけの中身のともなわない儒教の政策だからだ。働くもの食うべからずという奇妙な儒教の教えから来たものだ。そんな仏教糾弾の時代に対馬に持ち出され、難を逃れて残ったのが、あの盗まれた仏像だ。そしてその仏像を対馬の人たちが大切にし、信仰していたのではないか。そんな李氏王朝の暗黒の時代をまったく顧みず、あれは日本人に盗まれたものだから返さなくていいだと!? 代わりに島民は850円のおもちゃの人形をおがめだと?
 真の歴史を見ようとせず、ために歴史歪曲しているのは韓国である。それだけならまだいいが、そのために日本人から盗んだものは返さなくて当然だという考えには、開いた口がふさがらない。
 返還を求めるならちゃんと手続きし、謝礼の一つでも言ってから外交ルートで交渉しろ。我々のものだから盗んでも罪には問われないなどというのなら、もう韓国は法治国家でも民主主義国家でもない! これは、両班は庶民から強奪しても罪は問われないという、悪しき李氏王朝そのままではないか。

 そんな国に「歴史の真実を知れ」などと言われたくもない。また、歴史問題をもって謝罪しろといわれて謝罪しようとする日本人も、もっと勉強しなければならん。
 と、憤慨していると、今度は韓国の昌原市議団が対馬は韓国領だと言い出した。そしてそれを主張するために対馬市議会に面会を求めたという。もちろん市議会は面会拒否。
 なにが根拠でそんなことを言い出したのか知らんが、たとえ歴史的な背景があったとしても、対馬は現に日本国で、日本人が住んでいるわけである。しかも仏像盗難と、返還問題で頭を抱えている対馬の人々に対するこの態度は、もう無神経としか思えない。盗っ人たけだけしいとはこのことである。
 だいたい昔は我が国の領土だったから、我々に返せなどということがまかり通ったら、どんな国でもなんでも主張できることになる。国家の独立とは何か、主権とは何かを都合のいい嘘の歴史を叩き込まれた韓国人たちは知らないでいる。こんなことが理解できていないこと自体、韓国人は国際人としての成熟がなっていないということを物語っていよう。

 私は、日本という国の成り立ちを知りたくて、古代史の研究もやっております。当時、百済、新羅、高句麗からやってきた文化の技術には敬服すべきものがあり、また、朝鮮半島からやってきた人たちが、古代の日本国の建国に大きく貢献したことは事実です。
 だからこそ、両国は理解しあい、ともに平和的発展をすべきであり、そのためには両国の歴史的な背景も客観的な視点から互いに学ばねばならないわけです。日本の文化、歴史は決して日本だけでなったものではないのです。しかし逆もしかり。朝鮮の歴史、文化も朝鮮だけでなったのではありません。なんでも韓国起源にしたがる韓国人たちの思考は、そこのところの客観的視点が完全に欠如しているわけです。

 もはや、韓国の反日教育と、日本の政府が韓国を甘やかし援助し続けてきた結果、韓国という国体を腐らせてしまった気がします。反日的な行動はなんでも許されるというのなら、今の日韓の関係は実に不健全なものです。
 このままでは永遠に近くて遠い国のままになるでしょう。
 私としては、そうなってほしくない。
 そうならないようにするには、まず日韓両国の若者が、客観的な歴史認識を共有することが、その基本になると思います。難しいことだとは思いますが、日本の若者もこれを機会に先の大戦はなぜ起こったのか、それはどのようなものであったのかを認識するがいいと思います。
 別にフォローするわけではありませんが、私は専門学校の講師時代、韓国人留学生たちに教えたこともあり、ともに酒を酌み交わし、両国の歴史や文化について語り合い、先の大戦のことも話題にしました。彼らは頭もよく、そして好青年たちでした。もちろん彼らの意見をもっていて、議論で戦わせました。これは健全なことです。日本人と韓国人の立場はどうしても違うわけですから。そこは互いに勉強になったわけです。で、どうしてもあの教え子がちと、礼儀を知らなさ過ぎる対馬に来たアホ坊主たちとは、同じとは思えないのです。
 日韓の若者たちには、希望を託したい思いがあります。

 しかしまあ、あの僧侶や祈祷師、昌原市議会やナショナリズムに迎合した裁判所の立場あるええ大人たちの行動は、そうした希望に泥を塗る行為である。もはや韓国人云々ではない。人としてそれ、どやねんと聞きたいところである。
 反日ならば、それもよかろう。思想は自由ですから。しかしあんな行動をしでかして、嫌韓になる日本人を作って(ならない方がおかしい)どちらの誰が何の得をするというのだろうか。
 ともかく、韓国の歪曲歴史観と日本の自虐的歴史観はただちに是正しなければなりません。
 と言っても韓国側は、「我々の歴史が真実だから、日本人こそ真実を知れ」と、又ヒステリックになるんやろな。そして日本人はまた、韓国人に「配慮」するんやろな。

 もー、どーでもええか。



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おお神は太子の匂い その11

 中山市朗です。

 神道という言葉があります。
『神道とは何か』という鎌田東二さんの書かれた本によりますと、神道には二つの意味があるといいます。
 一つは、神の道。もう一つは、神からの道。
 しかし私は、神道とは、日本に古来よりあったアニミズムへの信仰と、祖先や氏神、国祖神への崇拝と、国家祭祀の中心にある神々を体系化し、その法則や原理を解こうとしたときに生まれた言葉だと思うのです。
 日本の神々については『経典』がありませんでした。
 ですから神道とは無秩序なもので、現在においても、曖昧な概念でしかないわけです。しかも宗教としての一貫性もない。教義というものがないわけですから。神道の神とは、と聞かれても、どんな神官でも学者でも、簡単には答えられないのではないかと思います。
 特に古代においては、ありとあらゆる森羅万象が神々の体現としてある、というものだったと思われます。人々はそれに倣い、神々とともに生活し、生きたわけです。そこに、「なぜ?」を合理的に問い解こうとした者が出現した。それが聖徳太子ではなかったのかと思うのです。もちろんその根底には、仏教の伝来があったと思われます。
 仏教には「経典」があります。そこには教義がまとめられ、その修行法や戒律が定めてあり、経を注釈した論が書かれています。
 聖徳太子の時代、朝廷がなぜ仏教を欲しがったのかというと、ひとつはこの経典がほしかったわけですね。漢字という文字でそれが記されている、ということもそうですが、その教義や戒律が外交をするにあたっての基盤、秩序となり、論を、国際人としての思想、哲学をもつにあたって理解せねばならない、ということに気がついた、ということではないかと思うわけです。この場合、国際人とは中国との折衛能力、中国文化への造詣の深さ、理解力ということになります。ただし、このとき朝廷は、百済との外交一辺倒でした。中国、当時の隋との外交の必要性を感じていたのは聖徳太子です。
 第一回目の遣隋使派遣のことは、中国側の文献『隋書倭国伝』に掲載されながら『日本書紀』では無視されています。第二回目の遣隋使派遣については『書紀』は大きく取り上げ、なんだか浮き足立って隋からの使者、裴世清を迎える様子が書かれています。
 私は、第一回目の遣隋使を派遣したのは、聖徳太子の個人的なもので、二回目の派遣で裴世清が来たことから以後、朝廷による公式外交となったのではないかと思っているわけです。
 裴世清が来朝したとき、冠位十二階のメンバーたちがそれを出迎えた、と『隋書』にあります。この冠位十二階はその服を階級によって色分けされたとあり、それは道教の陰陽五行の思想によるものでした。そもそも聖徳太子が隋の皇帝・煬帝にあてたという「日出る処の天子、日没する処の天子に・・・」という国書にある、天子も、道教からきた言葉です。
 聖徳太子は、我々は道教の知識をもち、その奥義も熟知している、そう煬帝にアピールしているわけです。
 道教とは「道の教え」という意味です。道(タオ)とは、人智を超えた計り知れないものの真理を指し、そのメカニズムは陰陽五行説で解かれました。それは天文、暦法、占術を生み、呪術、祭祀法までも包括していました。
 おそらくこの陰陽思想は、当時としては今でいう最新の科学として理解されたはずです。聖徳太子はこの道教の奥義に従って、四天王寺を建立していることは拙書『聖徳太子 四天王寺の暗号』に書いたところですが、同時にこの道教の陰陽思想を応用して日本の神々の事象を知識体系化しようとしたのが、聖徳太子であり、おそらく『国記』『天皇記』の編纂はその具体的な成果を試みようとしたものではないかと私は思うわけです。
 つまり、神道というのは、神の摂理を、道教の教義で解こうとしたときに使われた言葉ではなかったかと。もちろん仏教に対応して神道としたという側面はあるわけですけど、ならば神の教え、神教となってもいいはずです。しかしそうではなく、「神道」となった。
 神のことわりを道教で解く。これによって、無秩序であった日本の神々の世界に秩序を与え、合理的な法則を与える。それを指す言葉が神道であったと私は思うわけなのですが。

 つづく


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2013年03月27日

おお神は太子の匂い その10

 中山市朗です。

 『聖書』にはモーゼという人物が登場します。
 映画『十戒』を見られた方なら、「ああ、チャールトン・ヘストンが演じたあの役か」とか「紅海を真っ二つに分けたあの男」と思い出されるでしょう。
 『聖書』、とりわけ『旧約聖書』において、モーゼは最も重要な人物として描かれます。
 特に『聖書』における「創世記」「出エジプト記」「レビ記」「民数記」「申命記」はモーゼ自身が書いた『モーゼ五書』とされ、『旧約聖書』自体の土台となっています。『モーゼ五書』はトーラと呼ばれ、ユダヤ教においての律法とされました。また、『新約聖書』内でもキリストは、モーゼ五書を認める発言をしています。
 モーゼ五書には、モーゼの死後のことも書いてあったりして、モーゼが書いたものではないと思うのですが、これには訳がありました。
 なぜならモーゼは、天地を創造した唯一の神と話せたからです。
 モーゼは唯一の神の代弁者であり、それはつまり、神の奥義、秘密を知る者であるとも定義づけられることにもなるわけです。『聖書』の福音は神の言葉であり、それは疑ってはならないものでした。『新約』ではその福音をイエス・キリストが語るわけですが、『旧約』では、その最初においてはモーゼが語るわけです。モーゼの言葉は神の言葉である、ということです。
 肝心なことは、モーゼはヘブライ人ではなく、エジプト人だったということだと私は思うのです。つまり、『聖書』の中の唯一神の信仰は、最初はモーゼが作った。それはエジプトの神々の秘儀がその根本にある、と。
 それは太陽信仰です。キリスト教にも現在のユダヤ教にも明確な太陽信仰はありませんが、モーゼの仕掛けた秘儀、儀式、幕屋の建築には明らかな太陽信仰があると私は見ています。
 さて、このモーゼこそは、偉大なるオカルティストであり、最初の錬金術師であると西洋の神秘家たちは位置づけました。
 マンリー・P・ホールが著述した『カバラと薔薇十字団』に、こういう一節があります。
「モーゼは『秘儀』を制定したとき、それを伝授した少数の選ばれた者たちに、決して文字では書けず、代々口伝えで守られるべき口承の教義を授けたといわれる。その教示は哲学的なキーワードの形式をとり、キーワードによって寓話の隠れた意味が明示されるものだった。彼らの神聖な著作の謎を解く、この神秘的なキーワードは、ユダヤ人には『カバラ』と呼ばれた」
 
 太陽信仰といえば、日本人は長らく太陽信仰の民でありました。私の子供の頃には、昇る太陽に向かって手を合わせたり、拍手をうつ老人も多く、戦国時代に日本に来たイエズス会の宣教師たちも、この奇妙な日本人の行動、信仰について、好奇の目で見ています。また、天皇も太陽の子孫ということになっています。皇祖天照大神は太陽神であり、皇室は今でも太陽の昇る東側を重要な方角と見ていて、皇太子のことを東宮と言ったりします。   
 私はどうもこのモーゼの秘儀は、天皇家に継承されていると思うわけですが、それはまた別の機会に述べるとして、この文字に書けない神道の口伝を論理的なものにし、哲学的なキーワードの形式をとり、キーワードによって森羅万象の隠れた意味を明示しようとしたのだが、聖徳太子であったと思うわけです。    
 この神秘的なキーワードは、日本人には『神道』と呼ばれるようになった、と。


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2013年03月25日

俺たちに朝はない

 中山市朗です。

 23日、私の書斎にてプライベート怪談会、盛況にて終了しました。
 参加くださった皆様、ありがとうございました。
 最初はなかなか参加メールなくて、あれれ、と思っていたのですが、2、3日前から参加希望者がどどどっと増えた次第です。
 もういろいろな話が出まして、充実した怪談会となりました。
 特に、元自衛隊員だという男性からは、自衛隊ならではの怪談が・・・。いや、好きですねえ、屈強な男たちが幽霊に怯える話。この方、話もうまかった。
 それに堺市にある某ショッピングセンターは、今もありますが、強烈でした。有名なお店ですので、皆さんがいつも買い物をしているお店かも。ここの話は、あとからあとから、話が出てきて連鎖していく。そこがヤバくてユニークでした。ヤバいといえば心斎橋の某ファーストフード店も? ここも参加者の人たちも「えっ、あそこ? 知ってるというか行ってる」との声が。
 あと神戸にあるリゾート施設。こういう怪談会では実名が出るところが聞きどころ。もちろん私が発表するときは公にはしていません。当然、言わないという約束ですので。まあ、そのときはニュアンスで「あそこかな?」と想像していただければ。
 あと、キャンプ場も怖いし、ツーリングしても怖いし、池で釣りしてても怖いし、家にいても怖いし、引っ越してもあの町は一帯がヤバいし。なんかクリスマスになると出る幽霊、なんていう話も出ました。
 これだけ怪談蒐集している私でも、こんなことあるんや、とか、こんな幽霊おるんや、みたいな発見も多い怪談会でした。
 だいたい始発電車が出る5時30分頃に終わる怪談会も、気が付けば6時30分。
 一応ここで解散となったのですが、約半数のお客さんは居残ったまま。ええ、ここからです。UFO目撃談が出たのをきっかけに、宇宙人はいるのかについての議論となり、なぜかそこからオカルト業界やそういうった番組作りの裏話まで、まあ盛り上がること。というか、ちょっとサービスしすぎたかな?
 ということで、9時になってようやく終了いたしました。
 と思いきや、そこからなおも居残った塾生Oくんが、「これ話していいのかわからなかったんですけど」と話せなかった怪談を語りだして。
 「それ、すごい話やん!」となりまして。終わりなき怪談談義。

 次回は6月を予定しています。
 皆さんもぜひ一度

 P.S.
 24日付けの真名子のブログに当日の写真があります! 休憩時間に撮ったものですが、右下のあたり、妙なことになってません?


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2013年03月22日

パルプ・ノンフィクション

 中山市朗です。

 オカルティスト聖徳太子について・・・は次回に。

 今日は久しぶりに作劇塾について書きます。このブログにも新しい読者がつきはじめていますので、まあ宣伝も兼ねて。
 インプットのための講義、アウトプットするための実践(合評など)を中心に、毎週木曜日に開講、マンガイラストを学びたいという人は、それにプラスして水曜日にも開講しています。

 今回(21日)はインプットのための講義でした。
 この日はノンフィクション文芸についての講義です。

 専門学校時代の講師をやっていたときからそうだったんですが、作家志望者のほとんどはラノベを書きたいというもので、ノンフィクション作家になりたいという若者はいませんでした。やっぱり頭の中にある妄想を小説にしたいという衝動のほうが大きいのでしょうか? でも、みんな同じところを目指すというのも、あまりに無策のように思います。
 ノンフィクションというのも立派に文芸として存在するジャンルです。
 東京都知事の猪瀬直樹、梅原猛、小田実、開高健、立花隆、大宅壮一、柳田邦夫、吉村昭、家田荘子、半藤一利、広瀬隆、室伏哲郎、本田勝一、大森実・・・まだまだノンフィクション作家はいらっしゃいます。
 私のやっている実話系怪談や古代史も、まあノンフィクションの部類に入るのでしょう。

 ただ、ノンフィクションというのは架空の話ではないというカテゴリーながら、事実そのものである、というわけでもないわけです。そこは書き手の主観は解釈が入ります。また、その手法によってその印象や世界観も変わります。
 小説は、架空の話ですよ、ということでもありますが、かと言ってそのモデルとなる人物や事件もあるかもしれないし、事実も含まれているかもしれない。
 だいぶ前のことですが、『新耳袋』についての書評で、「体験者の話をそのまま採録すればいい」なんて書かれたことがありますが、いやいや、結構作り込んで削ぐ、という作業をやらないと怪談文芸にはならないんです。もちろん虚構やなかったことを書いたりつけたりは決してしていません。しかし実話を文芸にすることも創作には違いありません。

 ということで、ノンフィクションの手法というのをテーマに講義しました。

 ノンフィクションはまず、テーマが重要となります。誰も手をつけていない独創性のあるテーマ、というのはそうはないでしょう。私が今回上梓した『聖徳太子』ものなんて、もうずいぶんと手垢のついたテーマです。要は切り口でしょう。
 『新耳袋』を最初に出したころから、「ホントにあった」系の怪談本は結構存在していました。ただ、その話のソースを明かさない、あったこと以外は書かない、呪い祟り系は封印する、一冊に百話収録する、これが切り口だったわけです。呪い祟り系の封印にはいろいろ要因があったのですが、まずは怪談を身近に感じてもらうという意があったわけです。怪異はあまねく誰の前にも現れるよ、ということです。

 『四天王寺の暗号』も四天王寺をつぶさに見て、仏教寺ではないところからの冒険、が切り口であると私は思って、書き始めたわけです。元四天王寺がなぜ寺でなく、神社なのかについて誰も言及していないし、というのも切り口かと。

 テーマの書き出し方は、そのテーマに普遍性があるのか、現代社会とつながる方向性はあるのか、第三者が興味をもつものなのかなど、検討すべきものはありますが、要はどこまでそのテーマに踏み込めるか、ということに尽きると思います。いわばタブーを解禁する。ここにノンフィクション文芸の面白さ、ジャーナリズムがある。私も「そこに頭突っ込んだら、命を狙われますよ」なんて言われたこともありますし、電話が明らかに盗聴されているなんてこともありましたが、そんなときゾクゾクッとするわけです。「おっ、闇に踏み込んだ。やったろやないか」って。そうですね、ま、アホですね。

 ノンフィクションを書くにあたって、資料を集めるというのは基礎中の基礎でして、もちろん図書館、資料館、新聞切り抜き、ネットなどいろいろあたりますが、私がやっている古代史に関して言えば、マイクロフィルムとして保存してある資料なんかに面白い記事がある。また産業史や家畜史なんかの資料は、あんまり歴史学者の先生たちは読んでいないようですが、ここに庶民のタブーの歴史が詰まっています。そういう一般には出ていない資料にどう当たるかは、アンテナの張り方次第だと思います。どうアウトプットするかが難しいですけど。

 取材、これはノンフィクションの根幹です。フットワークです。実話系怪談はこれでコツコツ集めるしかありません。ネットや印刷物などで公開された話はご法度ですから。
 このとき、ただ話を聞く、という体勢では相手は何も言ってくれません。こっちから話す、警戒心を解く、話にノセる、聞き上手であり話し上手であり、というのがノンフィクション作家として必要な資質ではないかと思います。自戒の意を込めてですけど。
 古代史の取材は、以前はCS局の番組制作をしていましたので、テレビ局の看板を使ってずいぶん普段聞けない話や、初めてビデオカメラを入れた、なんて取材ができました。利用できるものは利用するべきです。ただし、そのビデオ素材はテレビ局のものになりますので、再度撮りなおしているのが、今、オフィス・イチロウから配信している『古代史探偵団』なわけです。

 さて、そうして集めた情報を原稿にするわけですけど、塾生に教える側としては、まず取材したものを整理し構成を練ってから書き出すことと教えますが、正直、私はいきなり書き出します。もちろんだいたいの構成、章立ては頭の中にありますが、その通りにいかないほうが面白いわけです。そして書いているうちに穴に気付きます。そしたらその穴を埋めるために再び調査するわけです。穴を埋める解決法をそのまま文章として表現すると、読者もその謎について興味を持ち、どういう解決法があるのかに興味をもってくれるわけです。

 よく教え子などは「今調査中なので」とか「もっと勉強してから」とか言って、「じゃあいつ書くねん」ということになりがちなのですが、調査、勉強なんて言っていたら一生かかっても書けません。別に大学から研究費をもらっている研究家じゃないんだから、何年かかってもいいから書きながら調べる、取材して埋める、そうやって原稿の量を増やしていくわけです。そして後でそぎ落とす。まあ、ほかにも方法はあるのでしょうが、私はそういうやり方です。めちゃくちゃお待たせしている『モーツァルトの血痕』なんて書き始めて終わるまで、執筆に二年半かかりましたから。多分次の六月には・・・。

 そう、書くのは誰でも書けます。その気になれば。
 要は、それをどういう形で世に問うか。これも考えどころ。

 でも、こういうことって、別にノンフィクションでなくても、小説も映画作りも同じだと思うのですが。



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2013年03月21日

ファンキー・ホラー・ショー

 中山市朗です。

 『不安奇異夜話』おかげさまで盛況でした。
 いつも楽屋では妙な現象が起こっているのですが、今回はあまりそういうことはなかったようです・・・って、私が何も感じていないだけ?
 ぁみさんがいつもちょっとしたことで怖がるので、今回はファンキー中村氏のドSぶりが発揮され、楽屋裏ではたびたびぁみさんを恐怖のどん底に陥れていました。その様子を我がスタッフの真名子がつぶさに撮っていますので、オフィス・イチロウのミニ動画で、近日見ることができると思います。
 
 ところで、物販にて私の新刊『聖徳太子 四天王寺の暗号』を用意しましたところ、あっという間に完売したようです。まあファンキー中村さんの怪談イベントだし、値の張る本だし、と思っていたのですが、いや、ほんとにありがとうございました。
 ファンの方の存在は勇気百倍となります。新しい作品づくりへの情熱とエネルギーとなります。これからも叱咤激励をお願いいたします。
 
 さて、中山市朗プライベート怪談、いよいよ今度の土曜(23日)となっております。まだ人数的には余裕があります。
「体験談でないとダメなんですか?」という質問がいくつかありましたが、友達や家族、職場の同僚から聞いたという話でも結構です。
 怪談の醍醐味は、語り聞くことです。
 怪談好きな方の参加、お待ちしています。

 連絡先はこちら
 オフィス・イチロウ メール
 info☆officeichirou.com  
 (☆を@に変えてお送りください)

 電話
 06-6264-0981 


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2013年03月20日

おお神は太子の匂い その9

 中山市朗です。

 『古事記』という書物があります。和銅五年といいますから西暦712年に完成し、時の天皇に献上された、とその序にあります。その原本は伝わらず、今は写本があるだけです。その内容は、天地開闢から始まり、聖徳太子の時代、つまりは推古天皇にいたるまでの朝廷の神話、伝承が書かれています。神話にある神と天皇を血統的に結びつけ、その正当性を記しているわけです。日本のどの町、村に行っても必ず神社がありますが、だいたい神社に祀られる神様というのは、この『古事記』に出てくる神様なのです。元禄時代の日本を見て歩いたドイツ人のケンペルは、たいていの神社には太陽神が祀ってあると書いています。あるいは東北や九州などには、『古事記』に無い神様が祀られたりすることもありますが、これらは攘夷とか土蜘蛛、熊襲といって朝廷から追い出された民たちの神様だったりします。つまりこの神社の神様というのは、その地方の歴史を見るのに何かを語ってくれるわけです。
 さて、『古事記』は天武天皇の命令により、稗田阿礼という人物が暗誦していたものを語らせ、太安万侶がその一言一句を書き記し、編纂したものであるとされます。
 この、稗田阿礼のいう人については女性で、巫女ではなかったかという説、藤原不比等のことではないか、という説などがありまして、よくわからないようです。ただ、28歳の聡明な人物で、目にしたものは即座に言葉にし、耳にした言葉は決して忘れない、といい、天皇は『帝紀』と『先代旧辞』を誦習せよと命じた、と、『古事記』にあります。
 ただ、これはなんかおかしいですよね。
 『帝紀』と『先代旧事』を誦習せずともあるなら、そのまま書き写せばいいわけですよね。ところがわざわざ暗誦させて口で言わせようとした。
 実はこの、口で言う、ということが、古代の日本ではあらゆるものの根本、とされていたわけです。言葉には霊が宿っているという考え、いわゆる言霊です。言(こと)は事(こと)であり、吉言は吉事を招き、凶言は凶事を招くということです。
 日本は言霊の国なんです。
 もちろんこれは、古代に文字がなく、言葉として言い伝えることが重要であったということがその根本にあったのでしょう。しかし口から発せられる言葉そのものに力があり、神がいるとした思想は、日本の神道の根源的なものなのです。そしてこの考えは現代の我々日本人にも大きく浸透しています。
 人の口から出る言葉。そこには呪力がある、これを呪能といいます。
 日本人は人の名を呼ぶのをはばかります。友達や後輩ならいいのですが、目上の人や年配の人の名を呼ぶときはちょっと慎重になります。○○さん、というのは無難ではありますが、恩師や師匠をさん付けで呼ぶのははばかれます。会社のトップの人たちは、名で呼ばずに役職で呼ぶのが無難でしょう。社長とか会長、あるいは部長、店長とか。
 以前あるインタビューで、指揮者の小澤征爾さんが、『(師匠である)カラヤンさんのことをマエストロと呼んでいたら、私をヘルベルトと呼べ、と言われた。とてもできないと言ったけど、そう呼べっていうからしばらくそうしたんだけど、なんか斉藤先生のことを秀雄って言っているみたいで、できなかった』と言っていました。そういう小澤さんもボストンの野球場で、少年たちに「ヘイ、セイジ!」なんて呼ばれていましたが、ちょっと日本人にこれはできませんね。

 昔の侍は名前を呼ばずに、越中守(えっちゅうのかみ)とか、大岡越前守、というように役職で呼ぶことが多かったようです。忠臣蔵でお馴染み、浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)の内匠頭というのは官位の名称であり、水戸黄門も、水戸は徳川の領地の水戸を指し、黄門は朝廷での役職、中納言の黄門侍郎という役名から来ているわけです。清少納言や紫式部などもこれは役職名で、彼女らの本名はわかっていないんです。これ、名前を軽々しく口にしてはいけない、という言霊からきているんです。
 天皇はその名前すらない。天皇陛下でいいわけです。亡くなれば諱(いみな)が付けられます。昭和天皇、明治天皇。これは諱です。
 その天皇は、昔は、てんのう、ということさえはばかられました。ですから、天皇と書いて、スメラミコトと読んだわけです。統べる御言、という意味です。今は天皇陛下でいいわけです。陛下が天皇における尊称です。
 さて、御言という意味は、天皇はその意思決定、命令を言葉により宣べ伝える、ということです。そのようにして、言葉の中にある神聖性を古代の日本人は重要としたわけですね。
 さて、天津金木です。これを説明するのは難しいのですが、端的に言えば、天照皇祖大神の御柱の御霊であり、それが言葉である、という考えなのです。そしてその言葉を読み解くと、森羅万象のことわりの原理がすべて判るのであり、これは書物になれば絶対に解けない、というのです。いや、文章にすれば命がなかった、ということかもしれません。
 すべては秘密であり、明らかにしてはいけないものであり、その根源は神の言葉であり、これが神道の根源にあるわけです。
 稗田阿礼は、それを口にし、太安万侶がその言葉を文字に書き換えた。それが『古事記』の成り立ちだというわけです。ですから『古事記』には森羅万象を読み解く鍵があるというのです。もちろんそのまま読んでも何もわからない。その言葉を、ある法則によって霊置、霊配するわけです。これを解くのが天津金木というわけです。これはヘブライ文字の数秘術で『聖書』を読み解くゲマトリアとほぼ同じ考えと言っていいでしょう。
 そういえば『聖書』も、「はじめに言葉ありき、言葉は神とともにあり、言葉は神なりき」とあります。
 天津というのは、神事に関する尊称です。金木、これには諸説があるのですが、割らず削らずの自然の小さな枝を台に置き、あるいは枝を祭具として利用し、あるいは祓えものを置く置座をつくり、祓の呪術を行なった、古来の儀式、作法のあり方が伝承され天津金木として伝わったのではないかと思われます。また、これはフトマニであり、檜材で作られた角柱を用いた占術法であるとも言います。これにより言霊の真理を読み解くわけです。
 天津金木は理論というより、実践的なものであると解釈されます。
 『古事記』は、そのような言霊で書かれたのだ、と、その序に記されるわけです。
 『日本書紀』は中国や朝鮮の国々に対して書かれたものであると、私は思いますが、『古事記』はちょっと違うんです。これは皇室関係者以外は見てはならない、秘匿されるべく書物であり、平安時代は閲覧禁止だったんです。「『古事記』を釈く者は死す」という呪言さえありました。『古事記』にはあえて秘匿され、何者も暴いてはならぬ神の奥義が暗号化されて記されているのです。
 これこそが、真のオカルトです。隠された神の叡智です。

 つづく
 



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2013年03月19日

おお神は太子の匂い その8

 中山市朗です。

 ところで天皇は英語では、Enperor of Japan となるようです、日本国皇帝ですね。ただ天皇は他に訳しようがなかったから、という意見もあります。
 じゃあ、TENNOでいいじゃん、と言いたいところですが。
 現代の地球上で、王である人たちはたくさんいますが、今は皇帝と呼ばれるのは我が日本国の天皇よりほかには存在していません。
 王は一国の君主です。力のあるものが、戦争を仕掛けて勝利し、王を宣言すれば王になれるわけです。古代においてはですよ。
 一方皇帝は、西洋の基準と東洋の基準はやや違う意味にもなりますが、天皇というのは明らかに中国の道教から来たものですので、天の声を聞き、神から人民を統治する権限を委託された王、ということになります。皇帝を最初に名乗ったのは、秦の始皇帝でした。皇帝という名称もこのとき作られたわけです。
 以後、中国全土を統一する者が皇帝となりました。
 その周辺にあった国々には王がいましたが、これは中国皇帝に国王としての地位を承認してもらう必要がありました。これえを冊封を受ける、と言います。
 中国と朝鮮王朝はこの冊封の関係にありましたが、天皇だけは、中国皇帝と対等な立場でいたわけです。ただし中国皇帝が実際日本の天皇を同格とみなしていたかどうかは、疑問のつくところではありますが。

 ただ、中国皇帝と日本の天皇がはっきり違う点があります。
 中国の皇帝は、血が繋がっていない。やはり力のある者が国を支配する。それが皇帝と名乗るわけです。劉邦などは平民からのし上がって皇帝となりました。天は徳を失った皇帝に見切りをつけ、新王朝を興す。これを易姓革命といい、そのたびに新王朝は自らの正当性を強調し、前王朝の悪事と不徳を知らしめました。この根本にはたびたび中国には悪政がはびこった背景があり、その言い訳として易姓革命という考え方ができたのでしょう。易姓革命という思想は、孟子によるものでした。
 一方天皇は、天族から万世一系の血でつながっている、ここが重要なのです。だから不比等や鎌足、家康とて天皇にはなれなかったわけです。
 では天皇は、誰がいつどういう意味で使ったのかということですが、まあそのことは『四天王寺の暗号』を読んでいただくとして、私は聖徳太子が天皇号の名付け親であり、天皇であることの意味、条件、祭祀、責務といったものを定めた、と私はかなり確信をもって言えると思うわけです。
 四天王寺。つまり、てんのうじという名を残すこの日本最初の官寺に私が注目したのも、もともとこの寺は天皇寺ではなかったかと思うところからでした。この寺は、寺の建物が南から北へ一直線に並ぶ、四天王寺伽藍という形式で建てられているわけですが、これは、この寺を建てた人物、あるいは本尊が北辰信仰であることを示し、北辰信仰の最高神を中国では天皇大帝といったことから、おそらく天皇という言葉はここで採択されたのは間違いないでしょう。天皇以前は、倭国の支配者は大王(おおきみ)と言っていましたが、おそらく聖徳太子は、隋との対等の外交を行なおうとしたとき、隋の皇帝に対して、日出る国の天子、つまり天皇でなければならない、大王では格が下がり、冊封の関係になるという思いから、天皇号を使用しようとしたと考えるわけです。実際、倭国の遣いが持参した国書に「日出る処の天子」と書いてあったとは、隋書が記すところであり、天子は道教における最高神である天帝の子孫であり、天命によって天下を治める者という意味となります。つまり天皇大帝です。
 こういうことを中国の皇帝に宣言するには、道教の奥義を知り尽くし、日本古来の神々の系譜も知らないことにはできないことです。また、天子たるを自称するからには、天子たる祭祀、儀式を執り行ない、天子たることを系譜とその血脈でもって証明せねばならない。だから聖徳太子は『国記』『天皇記』の編纂を行なったわけです。当時は天皇号はなかったから、それは『大王記』ではなかったか、という説もあるようですが、『大王記』ではわざわざ国家事業として編纂する価値はないわけです。おそらく『国記』『天皇記』の編纂は、ひとつは対外交戦略に必要不可欠な威信の礎として、もう一つは、実際に天皇と称する血脈にある王家にそれなりの根拠と正当性を位置づける、つまり王族の血脈が続いている、ということを証明することにあったということではないかと思われるわけです。
 こういうことを発想し、実際に行使することのできる人材は、道教の奥義を取り込んで四天王寺建立させた聖徳太子以外に、また自身が天子の血統をひく(このことは大問題であって、私は聖徳太子の血が蘇我ではありえない、とするところで、その論説を『四天王寺の暗号』で試みたわけですが・・・)聖徳太子以外に、誰にできるというのでしょうか。
 私に言わせれば聖徳太子こそが、日本最初で最大のオカルティストであると思うわけです。
 聖徳太子の時代、蘇我氏と物部氏による天皇は仏教を拝するべきか否かの抗争から戦争が起こり、敗れた神道派の物部は朝廷から追い出されます。そして仏教が国教とされます。
 ところが、天皇は未だに神道の儀式でその祭祀が行なわれ、神道の最高神官です。
 家康は松平から徳川へ改姓するのに天皇の承諾を受けねばならなかったし、また、家康に権現、秀吉に明神という称号を与えたのは天皇であり、まさにこれは、天子の血脈という威信からくるわけです。朝廷のお墨付きがあることが、武家政権には必要だったわけです。

 これだけの神威を天皇の奥義に取り込めるのは、オカルティズムの知識と実践能力のあるオカルティストにしかできないことです。「今日より朕は天皇と名づくことにする」というようなものでなれるわけではないわけです、天皇というのは。

 ですから、実際この天皇のことを知ろうとすると、これがもうオカルトの世界に入り込んでしまうわけです。宮中における天皇の義務は祭事であり、そのほとんどは秘儀とされています。
 そしてその秘儀の中に、天皇が天皇であるべく秘密が隠されているわけです。
 その秘密に接近を試みるのならば、物部神道の奥義、道教の秘儀を知らねばなりません。

 聖徳太子の『未来記』を読み解くのなら、『天津金木の奥義』を勉強してくださいとは、四天王寺の重要関係者の言葉でした。
 天津金木(あまつかねぎ)?
 なにそれ?


 つづく

 



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2013年03月18日

おお神は太子の匂い その7

 中山市朗です。

 日本という国の歴史は、天皇とともにありました。
 神話上での話ですが、天皇の初代は神武天皇とされています。実在したかどうかは疑わしいというのが歴史学会の考え方です。神武天皇については『古事記』『日本書紀』に記載され、九州の日向の国から軍勢を率いて船で出て今の大阪、難波津あたりに東征し、もともと近畿地方にいたトミノナガスネヒコの軍と戦い、生駒山付近で苦戦を強いられ、和歌山県の熊野経由で迂回し、ようやく平定。今の奈良県橿宮にて天皇に即位した、とあります。神武天皇の実在は疑ったとしても、そういう東征は史実としてあったと私は思います。地名や神社の祭神にそういう名残があります。
 例えば、奈良県にはトミと名づく土地が多いですが、これはトミノナガスネヒコが治めていたという名残なのです。
 さて、この初代天皇が即位したのがいつの頃のことなのか、ということですが、『書紀』などには、辛酉(かのととり)元旦(旧暦なので今の2月1日)に即位したとあり、これだけではいつのことかわかりません。しかし辛酉というのは干支のことです。干支といえば、十二支というのは誰でも知っていると思いますが、甲乙丙丁・・・という十干がここに合わさります。この二つの組み合わせは60周年期に繰り返されるわけです。そこで、これはおそらく実在したであろいう推古天皇の9年が辛酉であったことから、これを起点に計算したら、紀元前660年という数字が出たのです。この数字は明治代になって計算されたという説がありますが、どうも戦国時代に日本に来ていたキリスト教(イエズス会)の宣教師たちが算出していたと私は思っています。なぜならこの数字は、江戸幕府が開府してわずか6年の後、台風で日本に漂着したフィリピンの臨時総監ロドリゴというスペイン人が、後に記した『日本見聞録』にも書いていますし、おそらく日本のことを本格的に紹介した最初の本を記したドイツ人、ケンペルという医者も記しています。ケンペルは元禄時代に日本に来ていて、将軍とも拝謁しているんです。
 嘘か誠かは別にして、神話の中の天皇は紀元前660年の即位。以後、西暦2013年の今日まで、我が国には天皇がおられる、ということになるわけです。
 もっとも先ほど書きましたように、歴史学では実在がほぼ確認できるとされるのは推古天皇のあたりだとされます。聖徳太子はこの推古天皇の摂政をしていたとされます。
 しかし推古とはうまくつけたものです。ここより古きは推察せよ、という意味です。
 ところが、天皇という称号は推古より60年ほどたって即位した天武天皇の頃から使われたのだというのが、歴史学会の見解です。こういうことは文献だとか碑文だとか、そこにある語句などから判断していくわけです。天武天皇は西暦673年に即位していますので、ここから計算したとしても1340年間、我が国には天皇が在位しているということになります。
 ただ私は天皇と号した最初は、推古あたりで、当然その推古天皇にもそれ以前の血脈はあるわけで、そういうことを考えあわせると我が皇室はざっと2000年近い歴史はあると思っていいのではないかとするのですが・・・。
 ところで世界には王室、つまりロイヤルファミリーというものが多く存在しています。その歴史を天皇と比較しますと、グレート・ブリテン、つまり英国王室は11世紀に統一王国になって、16世紀にローマカソリックから独立。英国国教教会を設立しています。
 スペイン王朝は15世紀、オランダ王国は1648年にハプスブルク家より独立。スウェーデン王国やデンマーク王国といった北欧の王朝も、だいたいヴァイキングの時代が終わる11世紀頃に王国の基礎となる北海帝国をつくっています。アジアに目を向けますと、古代カンボジアに扶南という王国があったといいますが、9世紀に今の王朝の祖となるクメール王朝が成立、タイは13世紀より王制、ブルネイは14世紀、マレーシアは15世紀より続く王朝です。古代エジプト王朝、その後に起こったエジプト王国や興っては滅ぶを繰り返した中国皇帝も、ローマ帝国も帝政ロシアも、今はもうありません。
 やはり日本の天皇は、世界で一番歴史あるロイヤルファミリーであることは、間違いのないところです。
 というわけで、なんとギネスによれば、世界最古の国は日本なのであります!

 これは米国のCIA公式サイトも認めていて、日本の建国はBC660年になっているようです。これは国体が変わらないことが条件になっているようで、中国4000年といっても今の中国の国体になったのは60年ほど前。
 天皇の廃位がない限りは、このギネス記録は更新されるわけです。
 我々はこのことをもっと素直に誇っていいのではないでしょうか。

 つづく
 


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2013年03月14日

おお神は太子の匂い その6

 中山市朗です。

 前々回の続きです。
 科学は、近世に現われたものです。もちろん古代エジプトやギリシャ、中国にも紀元前から今でいう科学、天文学や医学、自然科学もあり、正確な数学、測量法なども編み出されました。しかしこの頃の科学は、神事や呪術のためのものであり、神と交信するための英知の結集であったといえましょう。つまりは、古代人の行動、思想、思考、論理、法則、生活様式、風習、教育、あるいは都市設計、建築様式、戦争の要因などを考察するには、当時の人たちは、どんな宗教観をもっていたか、どういう神を崇めたか、それはどういう民族、集団なのかを見る必要があるということです。そういう神々と人との共生により、人類の歴史が積み重なってきたというわけなんです。

 文明は、人の中に神がいたからつくられました。
 神がいる。神は宇宙の創設を知り(あるいは自身が関わり)、人を造り、森羅万象の秘密を知っている。だからその神は誰よりも崇めることによって、神に近づき、あるいは同化することができる。そのためには、神への信仰心の象徴を示さねばならない。古代より権力者や神官たち、あるいは中世のオカルティストたちはそう思いました。
 そのために権力者たる王たちによって、巨大寺院や塔やモニュメントが建てられるわけですが、その建築現場には、とてつもない数の人と技術が集まることになります。雇用が莫大に増え、膨大な食料や住居地も必要となり、食品、衣料、道具、工具、土器、調度品などが集まる市場がたち、資材を運ぶ運輸がたち、道路は整備され、様々な施設が建ち、となると余計に人が集まり、異文化の交流がなる・・・都市とはこれです。
 神がいなかったら、都市はなかったでしょう。
 都市がなければ、人類は未だ自然の中でサルと同じ生活を営んでいたかもしれません。都市というインフラされた空間が、人間の数を爆発的に増やしたと思われます。

 また、神への信仰が同じ神を戴く民族、人民として生きていく基盤、つまりはルールが作られることになります。そのために聖典が作られ、聖典の基礎となる神話が語られます。神話は民族の成り立ちと歴史です。
 大勢の人種なり人がひとところに集まり、居住するにはこの聖典からなる法を整備し、法を犯した者への刑罰も定められることになります。政治の政をまつりごと、とするのはこれですね。この法の適用する範囲、そしてそのルールにのっとった徴税ができる地域の拡大が、王にとっての権力の証であり、国家の形成の礎となるわけです。
 神と人との関係は、これほど人間の文化、文明に関与しているわけなのです。
 特に私たち日本人は、教育課程において日本民族の成り立ちを知るための神話も教えられず、宗教を触ることはある意味タブー視されることから、ついつい無神論者であることが当たり前であり、そこに疑問をもつことさえないわけですが、実はこの宗教とは何ぞや、我々の祖先は何を信仰してきたのかを理解しないと、本当の日本民族の歴史は見えてこないと私は思うわけです。

 以前のこのブログに書いた「虫ケラは信仰がなくても生きていけるが、人は信仰なしには生きていけない」と言った外国人医学生の言葉は、そこまでの意図があったのかどうかはわかりませんが、そういうことはおそらく頭の中で理解しているのでしょうね。
 で、ここで問題が提起されるわけです。
 では、我々の祖先が崇め信仰した神は一体何者なのか?
 いや、日本民族の成り立ちの根源にある神とは何であったのか?
 つまり、天皇とは何かという問題に行き当たります。

 日本の国は天皇とともにありました。天皇家の系図を神話として書いたのが『古事記』、天皇の歴史を編纂したものが『日本書紀』です。
 日本の古代について知ろうとするならば、まずこの『記紀』にあたらなければならないのですが、特に『日本書紀』は戦後まもなく、いや長いこと歴史学者の中ではあまり信憑性をもったものとはされていませんでした。皇国史観への反発もあったようですが、神話と歴史が混合されて書かれていることがその原因でした。歴史と神話はまったく違う学問になりますから。しかし、それが分けられたのは明治以降のことです。科学を知るまで、人類の歴史はどこの民族も、国も、神話と混合したものだったわけです。それが歴史だったわけです。

 つづく 


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2013年03月12日

降魔の休日

 中山市朗です。

 前回の続き、といきたいところですが、お知らせです。

 3月23日、我が書斎で開かれますプライベート怪談会。まだあまり反応がありません。まったくもって余裕があります。ぜひぜひ参加してください。
 まあいつもは、2、3日前に参加希望のメールが入ることが多いのですが、早目に人数とかわかったほうが、当方としては受け入れ準備にかかれるわけなのですが・・・。
 いや、わがまま言ってすみません。

 膝を付き合わせてのオールナイト怪談会。
 入場料は無料。一話は怪談を語っていただくことが条件です。

 3月23日(土)、深夜より翌24日早朝まで。
 場所は、中山市朗の囲炉裏のある書斎。飲食類の持ち込みは可。ただし常識の範囲内で。

 参加ご希望の方は、オフィス・イチロウまでメールかお電話ください。
 集合時間と場所をお知らせいたします。

 オフィス・イチロウ メール
 info☆officeichirou.com
 ※☆を@に変えて送信ください。

 電話
 06-6264-0981

 まあ、お気軽に参加していただければ。

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2013年03月11日

おお神は太子の匂い その5

 中山市朗です。

 人間は考える葦である、そう言ったのはフランスの自然科学者パスカルでした。
 人はひとくさの葦のように自然の中でもっとも弱いけれど、人間は自分が死ぬことと、自然が自分たちより優勢であることを知っている。つまり我々の尊厳のすべては、考えることにある・・・とまあ、そんなような意味だと思いますが。
 信仰心とはまさにここから発することだと思うのです。自分たち人間は弱い者である。それに比べて大自然の力はあまりに大きく、我々に生命や豊饒をもたらすが、時には猛威をともなってすべてを壊し、死をもらたす。だとすれば、どうやったら自然をコントロールし、あるいは死から逃れることができるのか。このことを考えるようになる。
 今はこれを科学で読み解き、それにともなう技術で克服を試みようとするところですが、古代においてはそれは神と交信してその秘密を知ろうということから克服を試みたわけなんですね。
 そして何より、死という運命から逃れたいという欲求。これは権力や冨に満たされた王家の人たちが特にかられた執着に近い欲求だったと思われます。死はこれらのすべてを失うことを意味しますから、普段たいしたものをもたない我々よりはずっと・・・。
 秦の始皇帝は不老不死の妙薬を捜すように側近に言い渡し、古代エジプトのファラオは蘇りを願い、不死黄金を身にまといました。

 パスカルのいうように、人は自分がいずれ死ぬことを知っています。同時にこのことは、死への恐怖、生命への畏怖、驚嘆する心があることを示します。また死を意識することで己の人生について考えることになる。死ぬことはそういう自分の人生の終焉、自分という存在がなくなることだと悟ることでもある。すると死ぬことが恐い、だから死から逃れたい、あるいは死後の世界を信じてみたくなる、あるいは生命と、生きるとは何ぞやということの正解を求めようとする思考が働くことになります。哲学、というのでしょうか。また死後の世界を認識するからこそ、埋葬という行為が生まれます。あるいは復活を望んだり、悪霊となることを恐れたりするわけです。
 ではそういった世界のことを教えてくれる存在は何ぞや、ということになります。そこに神という超自然的な全能な存在が示されることになります。しかし神は見えない。我々人間より高い次元にいるものである。だからそれを口寄せするシャーマン、つまりは神官や巫女のような存在が必要となり、権力者はそういうシャーマンを側近として迎えるということになります。古代の王朝はこの神なしには一つとして成り立ったことがないといってもいいでしょう。
 おそらく王とは何かというと、国を治め、人々を支配するということだけでなく、神を祀る祭事者である必要があったはずです。古代エジプトのファラオも、古代ローマの皇帝も、中国皇帝も、もちろん天皇も、神とともにあったわけです。また、信仰があるからこそ、神の坐する巨大な神殿や教会、寺院が建てられ、そのために建築技術も発展し、都市が造られるようになるわけです。そして支配される人民たちも、その神殿や寺院にいる神を信じ、自分たちの救済や、あるいは豊饒を願って神を信じ、神を崇め、信心するわけです。
 ということは、確かに人間と他の動物との違いは何かというと、信仰心を持ったものと持たないものということになり、信仰心が無い者は人間じゃないよ、というのは間違いではない、ということになります。
 今は科学というものがあり、神に代わって自然の摂理や原理、生命の謎を我々にも知らせてくれ、解いてくれます。しかしそれで人は幸せになったかというと、必ずしもそうではなく、内なる迷いや善悪の根源、孤独や慈悲、苦しみといった問題までも科学は面倒みてくれませんし、救ってくれません。ですから人には信仰する心が必要であり、信仰する心に救済がある、とも言えるのでしょう。
 我々日本人は、無心論者が多い、と外国の人は思っているようですし、日本人自身もそう思っているようです。キリスト教がなかなか根づかない国ですし。
 今の若い人たちなどは檀家を知らなかったりします。自分の家は、仏教の何宗なのか、あるいは神道と仏教の違いが分からない。よく行く神社の祭神も実は知らない。
 何年か前、読売新聞が調査したところで、何かの神様を信じているという日本人は26パーセントで、信じていないのは72パーセントだったという統計が出ていました。
 しかしこれは、信仰心がないのではなく、森羅万象、どこにでも神がいるという独特の宗教観によるものであり、とりたてて何かの神を限定して信仰するという必要がないのだと思うわけです。考えてみれば、日本ほどいろいろな宗教がごっちゃに存在している国はないのではないかと思います。ある意味、節操がない。
 私は京都に行ったとき、鳥居をくぐったら(たいていそこは神社の境内なのですが)キリスト教の教会も建っていたという奇妙な風景を見たことがあります。
 天神祭や祇園祭をはじめとする祭りは、神道の神様のための宗教儀式なのですが、ほとんどの人はそういう概念をもたず、露店を巡ったり花火を見たりしているわけです。お正月や節分、バレンタイン、桃の節句、端午の節句、お彼岸、七夕、お盆、夏祭り、秋祭り、中秋節の月見、クリスマス・・・、これらは本来宗教儀式であり、私は無神論者だからお盆は帰省しない、バレンタインのチョコレートは受け取らない、なんて人はいないはずです。
 日本には四季いろいろな宗教儀式があり、それが日本の風物詩であり、生活の一部となっているわけです。これらはいくら科学が発達しようともなくなることはないでしょう。もし神などいないし、信仰は迷信だとばかりにこういう風物詩や行事をなくすことがあれば、もうそこは人のいない世界となっているはずです。
 となると、やっぱり人は、宗教なくては生きられないということになるわけです。

 つづく


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2013年03月10日

おお神は太子の匂い その4

 中山市朗です。

 前々回のつづきです。

 日本の古来を読み取るには、オカルティズムの奥義に触れなければならない。
 でもそれは非常に深淵な問題なのです。オカルティズムとは神と直結した問題です。

 そうですねえ・・・ちょっとこういうことを考えてみましょうか。
 皆さんは宗教というと、どんなイメージをもちますか?
 また、神の存在を信じますか?

 私は無神論者だ、という人がいます。宗教はまがい物だという人もいます。宗教にたよるのはバカだと言う人も私の周りに何人かいます。
 確かに怪しげな新興宗教があって、大問題を起こしたこともありました。あるいはカルトな信仰集団が行なう奇妙な祈りや神事を見ると、どうしても理解する気になりません。

 私の知人に医学博士がいます。Tさん。彼は若い頃アメリカに留学していたとき、こんなことがあったといいます。
 パーティか何かで、学生たちが集まって自分たちを紹介することになった。このとき、あなたは何を信仰していますか? という質問になったというんです。
 アメリカ人、イギリス人、イタリア人、アラブ人、韓国人・・・いろんな国の学生がいたらしいのですが。
 「私はカソリック」「僕もカソリック」「私はプロテスタント」「私はイスラム教」・・・そしてTさんの番になって、「僕は無神論者」だと言ったんですね。まあそれが偽りないところ。するとこんなことを言われたんですね。「キミは虫けらか」と。「虫は信仰がなくとも生きていける。でも、人は信仰心なしには生きられないはずだ」と。Tさんはショックを受けたと言います。ここにいる学生たちは医者の卵です。あくまで科学的な思考をもち、最新鋭の医療技術を身に付けようとする若者たちです。そして何事にもドライで、合理的思考であるはずの欧米の若者たちが、なんでキミには信仰する神がいないの? なんて不思議な顔をしている。
 このときからTさんは、真の国際人になるには聖書を読まなければならないと痛切に思ったそうです。そして聖書を読むと、欧米人の行動や心理も読めるようになり、中東の問題も理解でき、国際情勢の読み解きもわかるようになった、と。あくまでTさんの話ですよ。
 しかしこれ、わかるような気がするんです。

 人間とサルの違いはなんだと思います?
 道具を使う? サルも訓練すれば道具を使います。火を使う? なんか焚き火にあたるサルがいたような・・・? まあ火は人間がつけたんでしょうけど。
 サルと人との違い。それは信仰する神がいるか、いないか、だと思うんです。
 サルが何かを信仰しているなんて聞いたことがありません。あったらそれは、地球がサルに支配される前兆です?
 


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2013年03月07日

愛と青春のワシたち

 中山市朗です。

 前回の続きです、としたいところですが、ちょっと休載。
 今回は本のレビューです。

suretigai


 菅野日曜日・著
『すれちがいが止まらない』







 作劇塾総務のスガノくんの二冊目の小説です。スガノは私に献本したと言いますが、まったく送られてこないので、本屋に行って買ってきたぞい。
 二冊目というのは、実は大変なんです。
 デビューは、新人賞という枠があります。また、まったくの無名であっても、未知数で可能性のある新人をデビューさせるのも出版社としての、それなりのメリットもあるわけです。これが金の卵になるかもしれないですし。
 しかし、デビューして二年書けなかったら、またデビュー作が話題にもならず、売れもしなかったら、もう再起はデビューするより難しい。これ、マンガも同じです。
 復活賞、カムバック賞なんて無いですし、一度失敗した新人作家には、ほとんどの出版社が見向きもしてくれません。

 さて、スガノですが、デビュー作はそういう意味で失敗。内容は私は面白いと思ったんですが、よくありがちな、宣伝広報を本人もまったくやらなかった。献本もしていない、おまけに直後に出版社が倒産するというのでは、成功するものもしませんわな。
 となると、たいていそこで終わるのですが、五年ぶりですか、スガノは二冊目を出したわけです。これは素直に祝福しなければなりませんね。
 ひとえにこれは、スガノ自身が書くことが好き、創作が好き、人に嘘を吹き込むのが好き(?)、という彼の性質によるものだと思います。

 さて、さっそく読んでみたのですが、素直に面白く、テンポもよく読みやすい。
 もっと展開にひねりがあれば、とは思ったのですが、スガノによればそのひねりは編集によってバッサバッサ切られたそうです。まあページの問題もあるのでしょうが、気楽に読める、という編集コンセプトなら、切って正解だったのかもしれません。

 主人公の泰雄は、なんか美化されたスガノ本人です。おそらく自身、こんな風に青春を送りたかったという願望がこれを書かせたのでしょう。そういえば、出てくるキャラクターは、なんか私の知っている人物たちばかりのような気がします。そう、みんな彼同様私の教え子と塾に関係した業界人。明らかに彼らがモデルです。みんな少々美化されていますけど。だから私は余計に笑えるんです。まあこれは、私だけの楽しみ。

 ただ、この小説の中では、主人公をはじめとしたマンガ家志望の若者たちは、熱い青春劇の中で、最終的にはマンガ家になっていきます。実際には、夢を諦め、成就できなかったのがスガノくんの同期生たちの辿った道。『お前たち、なんでこう生きられなかったんだ』というスガノなりの叫びがこの小説から聞こえてきそうです。

 さて、彼の小説を読んでいて思ったのは、その語り口が、酒飲みながら彼の口から出るホラ話そのものなんですね。ゲス話ともいう。今回はそのゲスの部分がカットされたホラ話とでも言うのでしょうか。彼のホラ話には迷惑する人たちが存在しているのですけど、それを意図してなのか、とにかくそのホラを本人が一番楽しんでいて、それがホラ話を聞かされている周りの人たちをも楽しませる、そういう話術が彼にはあるんです。その調子が、そのまま文章になっているんです。
 そういえば、今、小説講座の合評でも、話をしていてもどこか自信なさげなYくんの小説は、説明がややくどく、いい意味でも悪い意味でも臆病な文体。臆病というのはこれで読者がわかってくれるだろうか、という気持ちから来ることなので、どうしても説明しちゃうわけです。悪いことではない。黒澤明監督はこの臆病から画面に色々なものを入れて、全部にピントを合わせた。ただYくんは技術がそこまで伴っていないということなのでしょうか。
 TくんはSF好きの理論派。だから文章も論理的。ただ最近はここに人間的な温かみが加わったので、小説としてはいい味が出始めています。自信のない人はその自信のなさが文体にそのまま表れ、会話を楽しんでいる人は、文体にもその楽しみがにじみ出る。
 つまり文体のノリやテンポや構成は、少なからず毎日かわす会話に影響されるということです。
 小説家になりたい、と言ってずっと籠もって誰とも会わずに書いている人もいるようですが、そういう人の書く文章はやっぱり暗く、テンポも悪い。ひとりよがりでもある。一昔前の純文学だとこれでも通用したのでしょうが、今の小説にはそういうノリは向かないでしょう。

 それと会話を楽しむ人は、それだけ人に会って会話をし、そのキャラクターを脳内にインプットしていると思うのです。それは作品にするから観察しようではなくて、
書くときに自然に脳内からアウトプットされる。スガノの作品を読んで、それを思いました。

 作家志望者の若者よ、だから籠もるな。外に出て、人と会え。そして飲め!
 人生を謳歌せよ。人生を楽しまないで、面白い作品ができるものか!
 スガノに成り代わって、この私から、そう訴えます。

 菅野日曜日『すれちがいが止まらない』
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kaidanyawa at 19:49|PermalinkComments(0)

2013年03月05日

おお神は太子の匂い その3

 中山市朗です。

 歴史学という学問があります。
 歴史学とは、文献学なんです。
 過去に書かれた史料を評価、検証する。日本の場合、古代を学ぼうとするなら『古事記』『日本書紀』をまず検証しなければなりません。現存する史料としては最も古い文献です。
 もちろん『記紀』以外にも、碑や銘文、木簡、工芸品などに彫られたり、織られたりしたものにも文字がありますので、そういうものも評価、検証するわけです。
 
 ところが書かれていない歴史もあります。
 飛鳥時代、奈良時代なんて字を読み書きできる人なんて宮廷にいるごく一部の人たちだったでしょうから。また歴史は権力闘争とともにありましたから、負けた人たちの歴史や系譜は権力者たちによって、消されるわけです。また『記紀』が書かれる前の歴史をどう読み取るか、という問題もあります。
 卑弥呼や邪馬台国なんて歴史文献に現れない。唯一、中国の『魏志倭人伝』に記されているわけで、だから論争が起こるわけです。
 また、当時の倭人たちが同じ言語を使っていたとは限らない。
 日本という国体がなかったわけですから。
 しかも、渡来人たちが大挙してやってきていた時代、紙などもなく、独特の文字表現を磐座などに記したこともきっとあるはずなんです。ペトログラフと言いますか、日本の歴史学者はこれを完全黙殺しています。

 考古学というものがあります。歴史学の一部であるという考えもあります。
 『記紀』などと照らし併せると、飛鳥、奈良時代の都や建物が再現されますし、『記紀』の信憑性も立証されます。また、文字表記される以前の歴史については、この考古学に頼るしかないわけです。
 
 まあ、この資料を読む、出てきた遺跡、遺物から歴史を再現する。
 これが歴史学の主たるところです。
 しかし、それだけではわからないことがあります。
 ここにもう一つ、人間学がなければならないと思うわけです。これはちょっと難しい問題なんですけど。
 たとえば、新聞記事があります。事件の詳細が書かれています。その日時、場所、被害者、加害者、その事件の推移、関係者の証言、その原因とされるもの。これが史料としましょう。ここに編集する側の思想や売らんがための捏造も疑わねばなりません。

 現場検証があります。立ち入り調査、鑑定、検分、指紋や物の採取、写真など。これを考古学としましょう。
 この二つでもって、事件の真相は明らかになるでしょうか?
 一応、説は成り立ちます。しかし、そこは人間が起こすもの。裁判で有罪にするには、動機はなにか、アリバイは? その人間関係は? どんな人物像でどんな教育、家庭環境にあったのか。職場での態度は? 近所関係は? 趣味は? 家族は? 信仰は? そういうところまで言及しなければなりません。
 
 歴史学は、ここが欠如していると私は思うのです。
 もちろん遥か過去のことですから、そこを知るには文献にあたるか、遺物にあたるかしかないのはわかります。しかし、人間の行動を知るには、他にも方法があるはずです。古人とはいえ、詳細に見ていくと何かが残ると思うからです。
 たとえば、ある一人の古人、A皇子としましょう。A皇子の研究をするとします。
 まず、そのA皇子のAという名前からあたるのです。古人の名前は、おそらくその大部分は死んで後につけられています。蘇我蝦夷なんて、明らかに悪人として付けられた名前です。しかしそのほとんどは、生まれた故郷か、系譜から名前はつけられています。
 尾張皇子は尾張の出身か、尾張氏と関係のある皇子。難波皇子は難波に生まれた皇子。
 宮本村のタケゾウが宮本武蔵になったのと同じですね。
 そこから大伴系、物部系、葛城系という、だいたいの出目がわかるわけです。
 で、その古人の名前にある縁のある土地に実際に行ってみるわけです。
 するとそこに、そういう名の土地があり、必ず神社があり、そこには祭神が鎮座しているわけです。その神の系譜とその古人は関係あることがわかるわけです。そこに鎮座する神は氏神であることが多いわけです。つまり祖神です。そこにその古人のルーツ、血脈が明かされるわけです。もちろんその神社の位置、鳥居がどっちを向いているか、社殿は? 奥の院はどこにあるのか。そういうことも調べます。その神社の由緒、歴史ですね。そういうことは由緒書きに表記してありますので、あたってみるわけです。寺や民家に残る古文書にもあたり、そこの神の信仰形態、祭り、風習についても取材するわけです。宮司さんにも取材を申し込みます。最近はなかなかガードが固いようですけど。
 その地に残る産業なども参考になるかもしれません。製鉄、採掘、養蚕、衣染め、陶器、なにかの部品・・・ここから朝廷に関わった部民たちの正体がわかってきます。

 で、そうなるとわかることがあります。
 古人は、神とともにあった、ということです。
 私は○○ノミコトの血脈をもつ由緒ある氏族の生まれである。これが古人の人生を分ける重要なことだったわけです。この血脈がないと朝廷で要職に就けないし、権力ももてないわけです。婚姻にも関係してきます。これは血脈と血脈の交わりです。儀式です。それも神とともにあったわけです。

 ○○ノミコトの後裔。それは嘘だ。その系図は信用するにあたらないし、改ざんされた形跡もある、と今の歴史学者が言ったとします。文献資料的にはそれは正しい。しかし改ざんするには意図があり、また当時はそれを信じて行動し、主人に仕え、祖神を祭祀し、子孫をつくったわけです。また、そう名乗らないと迫害され、一族の生命が危機にさらされることもあったのかもしれません。だからその虚偽の系図にも意味があるわけです。
 文献的には疑いがある。しかしA皇子はその虚偽の系図を信じ、虚偽の神のもとに当時の生きた。彼にとった行動、選択した決断、その動機はそこにある、としたら。
 それが歴史です。歴史は当時を生きた人間によって作られたのです。
 私の言う人間学とはこれです。
 まあ、ちょっと難しいですけどもね。
 でもここを知るには、現地に行くしかないわけです。民族亭アプローチです。

 そしてもう一つ、その彼らが崇めた神とは何かという問題です。
 これをやらないと、本当の古代の姿はわからない。
 日本古代の神々の探求。実はこれ、オカルトの研究になるわけです。

 つづく 
 
 

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kaidanyawa at 22:25|PermalinkComments(3)

2013年03月02日

おお神は太子の匂い その2

 中山市朗です。

 『聖徳太子・四天王寺の暗号』について、その第二弾です。 
 
 私はめったにこの肩書きは使いませんが、オカルト研究をしております。
 そう言うと、なんか電波系とか、アヤしいとか、紛い者のように見られます。
 現に、私が放送作家をやっていた頃、放送作家としての大先輩から「オカルト研究みたいなくだらんこと、ヤメちまえ!」と言われたことがあります。上岡龍太郎さんからは、ラジオ番組で「中山という奴はオカルトをやっているそうやが、オカルトなんて無いんや。無いものを研究するなんて、アホもええとこや」なんて言われなきバッシングを受けたこともあります。
 また、怪談語りが今もってオカルトだと思われている節もあります。
 これ、混同しないでいただきたい。

 怪談は芸です。『新耳袋』や『なまなりさん』はオカルトではありません。怪談文芸。私の語る怪談も話芸です。オカルト話ではない。

 え、じゃあ、オカルトってなに?
 そう質問されそうですね。
 実は外国の人、特に『聖書』を読む知識人と、我々日本人がもつオカルトの概念はだいぶ違うようなのです。

 こんなことがありました。
 もう10年ほど前のことです。
 知り合いが構成を担当しているラジオ番組に出演したときです。
 そのメインパーソナリティは日本でタレントもやっているアメリカ人。本来この人は大学教授で、名前を出せばおそらく皆さんご存知の方だと思います。そのアメリカ人に知り合いが「今日のゲストの中山さんです」と紹介したんです。
「どうぞ、よろしく」と、そのアメリカ人、にっこり笑って私に握手を求めてきた。
 と、知り合いが、何の気もなく「中山さんはオカルト研究もやっておられるんです」
 すると、そのアメリカ人の顔色が変わったんです。
「オカルト研究? あなた、聖書はお読みですか」
「ええ、読んでいます」
「少し読んだくらいではオカルトなんてわかりませんよ」
「私は日本のオカルトをやっていまして」
「日本にオカルトなんてないでしょう。あれは『聖書』無しにはありえませんよ」
「ありますよ、日本にだって」
「無い。『聖書』を読まない国にオカルトは無い。オカルトはそんなに軽々しいものではありません」
「ある!」
 いや、向こうはかなり真剣なんです。なんかちょっとケンカの雰囲気になってきて。
 まあ知り合いが間に入って、すぐ本番になりましたけど。
 でも、彼の言っていることはわからないでもない。 
 聖書の世界では、オカルトとは唯一の神、以外の神を信じることを言うんです。そして、その聖書の唯一の神の姿を見ようとするにもオカルトが必要となるわけです。

『レイダース/失われたアーク』というスピルバーグの映画がありました。あの映画をオカルト映画だという日本人はいません。でもあの映画の主人公、インディアナ・ジョーンズは考古学者でもあるのですが、大学で教鞭を取っているインディが講義後、別室で軍の情報部の人間と会話をする場面があります。
 こんなやりとりでした。
「ジョーンズ博士。お噂はかねがね、うかがっていました」
「それはどうも」
「大学の考古学の教授でもあり、オカルト学にも詳しく、珍しい遺物の収集家でもいらっしゃる」

 オカルト学に詳しい。だから聖書に出てくるアーク捜しを依頼されるわけですね。ということは、ある意味あの映画はオカルト映画なわけです。
 アークとは旧約聖書に出てくるモーゼの契約の箱のことです。そういえば、モーゼこそは唯一の神と交信し、秘密の儀式を行なった人類最初のオカルティストであり、錬金術の祖ともされています。モーゼの秘密に触れることは、神の奥義を知ることだったのです。

 こんなこともありました。

 これも十数年前の夏、満員の小田急電車に乗っていたときのことです。
 つり革を持ってボーッと外の景色を見ている私に注がれる視線がある。どうやら30代くらいの美人です。私を見ているのは、白人です。
「えええっ」とまあ私の心の中はドギマギしてしまいますわなあ。まさか間違いでは、と思うのですが、明らかに私を見ている。お、オレに惚れるなよ!
 で、ある駅に着く前にその女性が降りようとして、そのまま私の近くに来たんです。で、声をかけられた。
「あなた、ミュージシャンか、それともアーティストの方ですか?」
 夏やというのに、黒いシャツに黒いジャケット、長髪にヒゲとくれば、まあサラリーマンやないですわ。それで声をかけてきたのかな、と。
 で、「オカルト研究やっています」とこのとき答えた。するとその女性、「オカルト! そんな研究をしていらっしゃるんですか。あれは大変深い学問です。私も興味がありますが、とても難しくて手が出せません。あ、私こういう者です」と名刺を渡された。なんかジャーナリストの肩書きをもつ、北欧系の名前。
 後にCM撮っているディレクターの人にたまたまその話をして名刺を見せたら「あ、この人、マスコミ界ではちょっと力のある方ですよ」と言われた。

 また、これは某大学教授と話していて、以前このブログで書いた「水戸学」を学びに来ていたイスラム教徒のエジプト人でしたが、人間の叡智はオカルトの中に隠されている、なんて話を真剣にやりあったこともありました。日本人ですと、「ああ、オカルト。幽霊とかUMAとか、あれね」と馬鹿にするんですけど、たまたま私が会った人がそうだったのかもしれませんが、向こうの人は深淵なる学問だと認識していて、議論が起こるんですね。しかも聖書がその根源にあるという認識も同じで。
 そうなると、ラジオのパーソナリティをやっていたアメリカ人の言う「聖書を読まない国にオカルトは無い」という意味もわからないでもないですな。
 オカルトは確かにまがまがしいイメージと非科学的トンデモ世界、とたいていの日本人は認識しているようですが、実は西洋においてオカルト、オカルティズムは古代より宗教と深いつながりがあり、またそれは芸術に昇華され、哲学・思想を生んだわけなんです。そしてそれが科学を生む。
 聖書は、疑ってはならない神の福音です。17〜8世紀までのほとんどの西洋人がそう教えられ、そう信じていました。しかし一部の司祭、学者、神秘主義者らはその聖書に隠された真の叡智、奥義を読み取ろうとしたわけです。それが当時の科学であり理論であり知識体系であったわけです。その知識体系と異なる考え方をオカルト、としたのが19世紀になってからのことなんです。しかし異なる考え、といっても立場によって違うわけですから、オカルトの基準も見方によってはこれまた異なったりするわけです。
 だからその基準に、聖書がある、ということなんでしょう。

 ところが日本においては、オカルトとなると、心霊、都市伝説、怪談、UMA、UFOというホンマに怪しいことになってしまうわけですね。
 おそらくこれは、オカルトという言葉を日本に広めたのが中岡俊也であったり、つのだじろうであったり、雑誌『ムー』であったりしたからなんでしょう。
 
 さて、一体私が何を言いたいのか、というと、実はオカルトという言葉はなかったにせよ、日本にも古来よりオカルト的体系や理論は存在していたわけで、日本の古代史の謎を解くには、このオカルトを学び、オカルト的見地から解く必要が大いにあるということなんです。ちょっとそういう話をしていこうと思います。


 つづく


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kaidanyawa at 20:57|PermalinkComments(7)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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