2013年10月

2013年10月31日

巨人軍の鬼と呼ばれて

中山市朗です。

今回の題名は映画のパロディではありません。川上哲治氏の書かれた著作の題名です。何度も私、読みました。

さてその巨人軍の元監督、川上哲治さんが亡くなりました。93歳ですか。100歳いってるイメージでした。
九連覇の巨人を指揮していた川上監督は、当時もう60歳は超えてたと思っていたんですが、50代のまだ前半だったんですねえ。すげえ貫禄。

私が小学生の頃ですよ。王、長嶋を擁する王者巨人が九連覇を達成したのは!
とはいえ、私の記憶にあるのは六連覇から。
漫画の世界では、「巨人の星」もさりながら、それ以前から「父の魂」「少年ジャイアンツ」などに、巨人軍は再三登場し、漫画の中のON、そして川上監督に接していたものです。
六連覇した昭和45年のシーズン、王選手は本塁打王、首位打者、長嶋選手はスランプながらも打点王を獲って、とにかくこの頃は、打撃三部門はほぼ王か長嶋が獲得。しかも彼らの打棒は優勝、連覇に結びついていましたから、実は日本プロ野球界最高打者は落合だ、イチローだ、というのは全然違う。ペナントレースは勝つためにあるものですから、優勝できないチームで、自分の成績のためだけに好きに打つ野球と、常勝巨人の3番4番を、ほぼ休みなく勤めて、大きな波もなく、エース級を相手にして、毎シーズンタイトルを総なめにする野球をやっていたというこの二人の打者は、間違いなく最高最強の強打者だったでしょう。
長嶋選手の凄いところは、絵になることを意識したところ。これは何かで読んだ話ですが、長嶋選手は立大から巨人に入団が決まると、三振の仕方を練習したそうです。普通、打てるように練習するわけですが?
長嶋選手の発想は違います。ヒットは打てても三割。七割は打てない。じゃあ、その七割をどう観客に見せるか。こんなとこにと注目するということは、天才以外の何者でもありません。
カッコイイ三振。彼はここを追及し、フルスイングしたとき、ヘルメットがくるりと回って落ちる。めちゃくちゃ振った、というビジュアルイメージを演出したんですよ。そのために少し大きめのヘルメットをかぶったとか。これ、漫画の世界ですよ。で、実際、これをやって三振しても観客が「よおやった」と拍手喝采する。なんか、凄いと思いません?

王選手は、普通のヒットを打ってもで「あーあ」と溜息が聞こえるくらい、ホームランを打つことが期待されていたんです。松井でもこれはなかった。でも、王選手はライト方向へ引っ張り専門の打撃。すると相手チームは王シフトといって、三塁手と右翼手だけを残して、あとは右方向に守備を敷くわけです。一度、三塁側にバントしたら三塁打になったという記録があるくらいです。でも、基本的にはそれでも右へ引っ張る豪快なバッティング。まあ、普通なら間は抜けない。ところが王選手の速い打球は、この狭い間を抜くんですよ。それでホームランを打ちながら三割打った。最高最強の打者ですよ。
王選手の凄いところは、阪神ファンに「王のホームランが見れて、阪神が勝つのが最高」と言わしめたこと。実は王選手、ほんとは阪神に入団がほぼきまっていたらしい。でもお兄さんが「貞治、ほんとはどこに行きたいんだ」と問いただしたら「巨人に行きたい」で撤回されたとか。ドラフトの無い時代でしたから。
高校時代の王は、甲子園の優勝投手。巨人はすぐに打者に転向させましたが、当時阪神は投手不足。王選手が阪神に入っていると、おそらく投手として登録され、あまり活躍せずに引退していた可能性があります。
凄い人、というのは、運も味方するんです。
川上監督は、「王はホームランを捨てたら四割打てる」とよく言っていたようで、後に一緒にプレイする元ニューヨーク・ヤンキースの四番を打ったロイ・ホワイト選手も「王さんは、ホームランを狙わなきゃ、四割打てるよ」と言っていたようですしね。
王選手が引退したとき、「プロ野球ニュース」で野球解説者の佐々木信也さんが「王と長嶋はけっして仲がよくなかった」とズバリ言っていたのが驚きでしたが、二人が並び立つ、勝つチームの主力打者として育て、常に兄弟のように寄り添い、尊敬しあうイメージをマスコミに刷り込ませたのは、実はベンチにどん、と座っている川上監督の功績であろうことは、確実でしょう。
赤バット、打撃の神様、テキサスの哲、といわれた川上さんの選手時代はまったく知りませんが、最強巨人軍の、そしておそらく日本一の名監督・川上哲治の存在は今も強烈に脳裏に焼きついています。
えー、川上さんのこと、あんまり知らないんでONの話になっちゃった。

えっ、大阪なのに巨人ファンなのかって?
私、出身は兵庫県の但馬。今の朝来市。阪神はあまり関係ない。それにうちは読売新聞の販売店もやっておりました。読売で食ってたんです。はははは。今はレアな巨人軍グッズもそのルートで送ってきてましたなあ。
そして、ソフトボールをやっていたという私の母親がいろいろ教わったのが、サイドスローから投げ込む、巨人軍のかつての名投手、大友工さんだったそうなんです。近所づきあいだったそうで。えっ、知らん?
昭和30年30勝、最多勝二回、最優秀防御率一回、MVP一回、ノーヒットノーラン一回、大リーグ相手に一失点完投勝利。年代的には川上さんとのチームメイトだった人です。実は私も知らないので、ウィキペディアからの引用でした。
それに遠い親戚には藤城和明投手がいました。独特の二段モーション!

さて、私の敬愛する黒澤明監督が、三船敏郎主演で撮った「野良犬」は、実は巨人軍の青田昇選手(本塁打王五回!)で撮ろうとしていた、という話は以前書きましたが、監督も巨人ファンでありました。
そして、仲代達矢さんも「赤バットの川上さんに憧れ、巨人ファンになり、今も巨人ファンです」とコメントされていました。

そこで思い出した、あんまり誰もが語らないエピソード。

1984年夏、黒澤監督率いる日仏合作の超大作「乱」の本格的ロケが、九州の飯田高原で行われておりました。主演は仲代達矢。大学卒業後、間もない私もビデオ班としてロケに同行していたのです。
合戦シーン。撮影がなかなか進みません。
「馬が足らない」と監督は言います。もっと多くの馬とエキストラが欲しい。制作の人も苦心して集めて、でも限界もあったのでしょう。監督のご機嫌は斜めです。
で、昼休み。
まだ現場がピリピリしてます。すると、「七人の侍」などの撮影を担当した中井朝一カメラマン。
よし、ここは俺の出番とばかりに、黒澤監督のご機嫌取りに出ました。こういうときは、監督のお好きなことについて話せばご機嫌も直るというものです。
中井カメラマン。にこにこ顔で監督に語りかけます。
「ときに監督。最近、巨人の調子はどうですか」
私も含め、周囲はこの一言に凍りつきました。
黒澤監督のお顔が鬼のようになりました。そして。
「野球の話なんか、するなあ!!」
そう、監督がご機嫌斜めなのは、実は巨人が連敗を重ねていたからだったのです。
中井さん。黒澤監督とは旧知の仲でも、野球を知らないのは致命傷。
「中井さん。やってくれたなあ」とはスタッフのため息。
その後、余計にピリピリした現場になったのでありました。


川上哲治さんのご冥福をお祈りいたします。

   









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2013年10月30日

天地想像

中山市朗です。

えーっ、中山市朗・怪談inキャンプ、参加締め切りまであと10日ほどになりました。
実施日は11月23、24日ですが、事前にキャンプ場への人数申請、支払いなどがありまして、11月8日までに参加費のお支払いをしていただくことになっております。空きはまだまだあります。
よろしくお願いいたします。

さて、前回、前々回の続きです。

小説家や漫画家になるなら、篭って書いているだけじゃ、ダメ、ということを書いているところです。
いろいろなことを体験し、いろいろなものを見て、たくさんの人と交流することが、豊かな想像力をはぐくむのだと思います。で、このことを書こうとしたのには、大学出というキャリアとクリエーターになるということは、まったく関係が無い、ということでした。
これを考察しようとしたわけです。

ちょっとお話が変わるようですけど、こんな疑問をお持ちの方がおられるでしょう。
作品を書くのに、体験は必要なのか。
必要だという人もいます。いらないという人もいます。

体験が必要というのなら、ミステリー作家は犯罪や殺人の経験がいるということになる。でも、まあそんな人はいないでしょう。戦争シーンを書くには戦争を体験しなければなりません、ということになります。
でも、そんな経験はなくとも、書いている作家さんは大勢います。
逆に、犯罪を犯したことのある人が、ミステリーや犯罪物が書けるのかと言うと、それは別問題です。体験と書く才能は別です。戦争を体験したからといって、リアルな戦場シーンが描けるのかと言うと、そんなわけでもありません。
つまり、想像力(と技術)で書いているわけですね。

私の場合は、怪談を書いていますが、具体的に幽霊を見たことはないし(ひょっとして、あれは? というものはいろいろ見て聞いていますが)、そういう意味での恐怖を味わったことはありません。つまり、稲川淳二さんのような体験談を書いたり語ったりしているわけではありません。他人の体験を元にしているわけです。つまり、取材ありき、ですね。ただ、取材したものをそのまま書いているわけではありません。作品にしなければならない。
体験談をベースに、想像力をくわえます。それが構成や演出です。よりリアルな日常の再現、心理の動きやリアクション、距離感や世界観の創造です。
想像は創造です。

創造は、0からは生まれない。
そして想像も、0からは生まれません。
赤ちゃんが、成長するにつれ知識や知恵をつけ、大人としての常識やマナー、教養が備わっていくのは、教育を受けるからです。生まれたての赤ちゃんに食べ物だけ与えて、何も教えなかったら、頭の中はほぼ赤ちゃんのままでしょう。お釈迦様は、生まれてすぐに「天上天下唯我独尊」と言ったとされますが、それは無いわけです。バカボンの弟のハジメちゃんも漫画の世界です。
まず、知ろうとしなければ、教わらなければ、知識は入ってきません。ただ、それを知恵にし、応用するのは想像力なのだと思うのです。
さっき、ミステリーを書くのに、殺人や犯罪を犯す経験は必要ないといいました。でも、作品をよりリアルで説得力のあるものにしようと思うのなら、殺人や犯罪を犯した人や、警察や被害者などにも取材してみる、という作業はあった方がいいでしょう。戦争の体験はなくとも、戦争体験者から詳しい話を聞いた方が、よりリアルで詳細な状況が描けるでしょう。中東やアフリカで傭兵をしていたなんていう人に話が伺えたら、また別のアイディアがうまれそうですね、
ともかく、頭の中にある想像力だけでは、実体験者からすれば「これは嘘だ」「違う」ということになるかも知れませんし、その世界のマニアや専門家というのもいるでしょうから、叩かれちゃう可能性だってあります。で、説得力が違うでしょうね。少なくとも、よく知らないまま書いちゃうというのは、プロはやっちゃいけない。

あるパーティの席上で、ファンタジー作家志望の塾生を、SF界の重鎮の方に紹介したことがありました。その重鎮は「ファンタジーは空想だけで書くと勘違いしているのが多いけども、こんなに物事を知らなきゃならないジャンルは無いよ。空想の国を一つ作るにしても、その国のバックボーン、つまり歴史、政治、宗教、風俗、風習、地層学、気象学、植物学、動物学、あらゆるものを知っておかないと、ちゃんとしたものは書けない。それをやる覚悟があるのか」なんて説教されてました。ルーカスは「スターウォーズ」を創るに当たって、日本の文化や東洋の哲学など、いろんなものを貪欲に取り入れてますもんね。

作家志望者で多いのは、この、ベーシックな基礎が無い。頭の中にある好きな小説、好きな作家の世界観やキャラクターから物語や世界観が派生して、それはまあ悪いことではないんですが、どうもそこから進歩しない。オリジナリティや新鮮さ、説得力の無さ、というのは、そういう取材や資料の読み込みをしていないからだと思われます。つまり、篭って書いているだけだからです。

よくいるのが、ラノベを書きたいからラノベを読んでいる。SFになりたいからSFを読んでいる、というパターン。
それ手遅れです。それは好きで読んでいるだけ。
よく作家志望者がいう「それは私には関係ない」「他は興味ありません」という、それ。
興味ないは、この世界は禁句。
これは、その人にまだ想像力が伴っていない、という証拠です。あるいはちゃんと書いていないからであって、プロの卵になる以前のレベルであることを意味していましょう。
そういう人はでも、書いているうちに自分でもそこに気づき、結局書き出すけど「なんかツマらない」「調子が悪い」などと言って、永遠に完成しない、ということを繰り返します。想像力とは空想力だけではないのです。
ある一つの作品を書くのに、何が必要か、何をすべきか。
これを察知するのは感性であり、想像力であります。形になっていないものを具体的なものにする力です。
これは、知識ではありません。知識の上に成り立つものです。

大学入試というやつは、この知識の詰め込みは要求するが、想像力を育まない。
そんな気がするわけです。

続きます。








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2013年10月28日

アウトプットブレイク

中山市朗です。

昨日のブログでは、作家志望者は書くだけじゃあかん。いろいろやっとけ、という話をしましたが。

私は塾生たちに、自分のホームページ、あるいはブログを書くよう薦めています。いや、書けというてます。
そういうと「書くことがありません」という塾生がいます。
「じゃあ、作家になれんな」
そう言っているのに、書かないヤツはいる。更新止まってるのがいる。実は塾を辞めた塾生たちのブログも残ってますが、辞めるとすぐに止まって絶対更新されないので、言われて書いてたんやなあ、と。
ほんま、これではなれないと思います。まあ、塾辞めて正解。

ブログを書いたら作家になれるのか?
そんなわけありません。ただ、書くものが無い、だの、何を書いたらいいかわからない、だの、ぐだぐだ言ってるのなら、せめて毎日ブログを書くという、枷を持って、話題作り、おもしろいもん探しをしろと。
一般の人でも、読書や映画のレビューを書いたり、何かを探求したり、こだわりを書いたり、妙な風景を探してきて写真を撮ったり、いろいろしているのに、クリエーター志望にそれができないというんじゃ、そういう一般の人たちを感動させたり、泣かせたり、笑わしたり、怖がらせたりすることは無理ですわ。
つまり、作家は無理。なろうという気構えも無い。
インプット、アウトプットの話を書きましたが、とにかくアウトプットをしない作家、漫画家志望が多い。いや、塾生に限らずですよ。専門学校でも、ほとんど作品発表しないで卒業したの、いっぱいいましたもん。それで卒業できる専門学校のシステムも凄い!
アウトプットをする。どうもそういう要求がない人が多かったのは、書きたいものがあるから作家や漫画家になりたいんじゃなくて、作家や漫画家というブランドにあこがれているだけですよ。
だいたい、世の中に対して、言いたいことがないんじゃ、何を書くのや?
そしたら、「だって書いたところで、誰も読んでくれませんやん」という常套句が出ます。
だったら、キミの書く小説を、読んでくれる誰かはいるのか、と聞きたい。
読んでくれる人がいないから書かないは、作家志望者の態度として矛盾しています。
読んでくれる人をふやすために、いかに共感を呼ぶものが書けるかを意識して書く。読んでくれた人に何かを伝えるために書く。たまには喧嘩を売って、反応を見たり。
そういう読者を意識する書きかたは、プロのとはみんなやっていることだと思いますよ。
前回、デビューはしても、次には消える人が多いと書きました。
デビュー作はただ、書きたいものを書いているだけ。おそらく読者のことを考えていないでしょう。そういう余裕も無いか。でも、二冊目からは売らなきゃならない。
出版社も、新人に賞金やるからには、その分稼げよ、ということです。
出版社は慈善団体じゃないですから。営利目的の会社ですから。
こいつじゃ、稼がしてくれんな、と判断されたら、その時点でポイ、ですよ。
そうならないように、これは一つの訓練ですよ。常に話題をもっている。常に発信している。そんな人は、そうカンタンにポイとはならないと思います。また、そういうソーシャルメディアは、作っておくと、自作の宣伝ツールにもなるはずだし、ファンの方もそこに集っているわけですし。いろいろ心強いですよ。

まあ、投稿作をどんどん書いて、どんどん持ち込み、投稿をしている、というのなら、別にブログなんて書く必要も無いでしょうが、どうせ、書くことが無いとか、書かなあかんのにい、と思いながら、ゲームしたりバイトしたりしてるのなら、ブログを毎日書くとかして、読者を意識することもやってみようよ。
また、すでに書いている、という作家志望者は、はたしてそれが、作家志望者としてプラスになっているものなのかも考えましょう。マイナスになっているのがありますから。なら、書かない方がマシですわ。

一方、ホームページから仕事をいただいた、という塾生ももちろん何人もいます。これは、イラストが多いですね。
文章系は、あまり聞かない。あっ、プロの作家さんではいました。ある怪談作家の方は、ホームページに裏情報を貼り付けていたら、それをある作家さんに見つけられて、「おもしろい」と編集部に報告があって、仕事に結びついたと。これは本人から聞いた話です。
出版社の編集さんや、映画、映像関係のメーカーの人たちは、けっこう、おもしろい人探しをやっていて、ホームページやブログのチェックをしている、というのは本当のようです。
だから、やるに越したことが無い。ただ、やるからにはちゃんと小まめに更新させないと、十日も放置したんじゃあ、もう読んでくれない。

これはもう、十年ほど前のことでしたが、ある出版社が主催のイベントがあったんです。そのゲストにある研究家の人を推薦したんですね。私と親しい人で、ユニークな考察をする、ユニークなキャラクターの持ち主。
ところが後日、編集さんから電話がありました。
「中山さんの推薦された方、ネットで検索したらひっかからないんです。この人、大丈夫ですか?」
「大丈夫、僕の長い友人だから」と説得した。
つまり、名前を検索しても何も出てこない。
何者や、ということになる。仕事をまかせるわけですから、正体の知れない人は使えない。
これは、あたりまえですわな。
これ、ライターやイラストレーターなどで、やっと仕事がもらえるようになって、営業の電話を編集さんや編プロに掛けて名前を言うと、「なんて字?」なんて名前の漢字聞かれて、パコパコとキーボード叩く音がすることがよくあるんですって。これ、確実に検索されてますな。何も出てこなかったら、実績無しと判断されて、アウトでしょう。
確かに、作家などクリエーターは、個人事業なので、ペンネームが会社、責任者の名前みたいなもので、やっぱりプロフィール付きの、ホームページやブログはあったほうがいい、ということになります。そこに、どんなプロフィールが書けるか、ですよ。
前回書いたように、コンビニでのバイト十年、なんて、マイナスですわな。
いろいろやっておけば、ここにいろいろ書ける。
「ちょっとこいつ、面白そうなヤツだな」と、業界の人の頭の隅にインプットさせるだけでも、めっけもんですよ。



                                                    続いちゃいます。

kaidanyawa at 13:01|PermalinkComments(10)

2013年10月27日

小説家志望をみつけたら

中山市朗です。

先日のブログで大学出はクリエーターに不向きなのでは? と書きましたが、ちょっとこのことについて書いてみます。

クリエーターというのは、就職するわけではありませんので、学歴は関係ありません。これは事実。しかし、経歴、実績は必要なんですね。
新人の頃は当然、実績はありません。ですが、編集さんからは「今まで何やってました?」とよく質問を受けるのです。
すると、漫画家志望なら「ずっと漫画描いてました」とか、小説家志望なら「小説を書いてました」という返事が返ってくることでしょう。本人は、それを目指して懸命にやってきた、というアピールです。
ところが、編集さんからすれば、そんなこと聞いちゃいないわけですね。
漫画家志望が描いててあたりまえ。小説家志望が書いててあたりまえ。たいてい、この場合はそれ以外の経験を聞いていると思うのです。まだ二十歳そこそこならいいんでしょうけど、三十過ぎてこの経歴はマズい。
「あんた、三十歳になるまでなにもしないで書き続けていて、まだこんなレベル? もう諦めなさい」なんて言われかねません。特に漫画家志望は、この年齢がだんだん足かせになります。
あるコミック雑誌が、年に一度、新人漫画家の持ち込みのために大阪に編集部が出張する、ということをやっていました。会議室を借りて、編集さんが対応するわけです。一度私、編集長のお隣の席に座らせてもらって、どんな対応をするのか、見せてもらったことがあるんです。この編集長は若い頃、手塚治虫先生の担当をしていて、えらく鍛えられた、という人です。
さてこれには、漫画家志望(おそらく小説もほぼ同じでしょう)者にぜひ教えてあげたい貴重な情報が多々ありました。
その詳細は、塾生の特権ということで……?
一つお教えしますと、必ず編集長は、持ち込みしてくる若者に対して「おいくつですか?」と聞いていました。二十歳前後ですと「アシスタントをされることをお勧めします」と言い、三十歳で「漫画描いてました」という人には「お辞めになることをお勧めします」なんて酷なことおつしゃってました。
その歳になるまで、漫画だけ描いてて、デビューできてないんじゃ無理というわけです。
漫画家のしげの修一さんにお会いしたとき、「教え子たちに漫画家になれる秘訣を教えていただけませんか」と無理なお願いを言いますと「漫画以外に五つの好きなことを持つこと。車なら車。女の子でもいいです」と言っていました。そういえば手塚治虫さんも「漫画家になるなら漫画は読むな」と言っていましたし、宮崎駿さんも「アニメは見るな」と言っていました。
つまり、プロの漫画家になろうとしている者が、漫画しか知らないでどうするんだ。いったい何が描けるんだ、ということですね。他のことに興味を持ちなさい、と。
つまり好奇心です。これがあるかどうかを聞かれているわけです。
それと、「三十歳過ぎると漫画家になるのは難しいんですか」という私の問いに、編集長は「三十過ぎると、頭が固くなるんです。こうしてください、ああしてくださいと注文しても、三十過ぎると、今まで生きてきた価値観が正しいと思っているので、聞かないわけです。あるいは対応できないわけです。自分は今までこうしてきましたからできませんと。だからダメなんだよ、と言いたいですよ」とおっしゃってました。そして「二十歳前後なら、まだ頭が柔らかいので、言ったとおりに対応してくれるんです」とも。
好奇心と価値観。
おそらく、クリエーターになるための、大きなヒントのように思えます。

あっ、このことも言っておきましょう。
小説家は、三十、四十過ぎてのデビューがあるじゃないか。
よく聞く質問です。
そうです。学校の先生を退職してから小説を描きはじめて、賞を獲って、作家になったという例もあります。
六十歳、七十歳になっても作家になれる可能性はあります。
漫画家と小説家の大きな違いがありまして、小説家の場合は純粋に一人で書く作業となりますが、漫画はメジャーな雑誌になるほど、原作、編集、アシスタントといった人たちとの共同作業になるわけです。ですから、編集さんの意図が大きく反映されるわけです。そこで、頭が固いのは困る、というわけです。雑誌掲載が中心ですから、やっぱりそこには編集方針、意図があるわけです。他の掲載作品とのバランスもあるし、読者の意見、要望も営業部から上がってきますし。いろいろ要求、注文があって、柔軟に対応する能力も必要とされるわけですね。そこで、頭の固いのは使い物にならない、と。
漫画家になるには画の勉強、と、若い漫画家志望は思うわけです。そこは間違ってはいないんですが、画を描くだけが漫画家の仕事ではない。様々な考え方や要求にに対応、順応する能力、柔軟性も必要とされるわけです。それはいろいろな社会的経験から培われるわけでして。それには好奇心がないことには、そんな経験すら本人が拒否しちゃう、というこになるんだと思います。
教え子によくいましたよ。
「私は漫画家志望なので、それは関係ありません」
「それはやりたいことと違うので、やりません」
そういうことを言う人は、普段から漫画なんて描いていませんでした。おそらくその焦りから「ほかの事をやっている場合ではない」「描く時間を確保しなけりゃ」なんて思うわけです。
ほんとに描いてる人は、いろいろなことを経験し、遊んでいますよ。それが栄養になり、アイディアも浮かぶ。
小説の場合は、書き下ろしが多いので編集からの注文はそこまで大きくありません。ほんとに個人作業。ただ、いろいろな経験が必要であることは、同じです。

私の周りを見てみますと、作家の場合は三十歳くらいでデビューという人が多いです。私もそうです。
で、その人たちの経歴をと見ると、小説を描きながら、就職をしてサラリーマンを経験している人が多いんですね。広告代理店、デザイン事務所、システムエンジニア、新聞社、書店勤務……。いろいろいます。
私の場合、就職なんてしていません。働くの嫌でしたから。
でも、黒澤明監督のドキュメンタリーを撮ったり、映画の助監督をしたり、イベントを仕掛けたり、CMの演出をしたり。
つまり、書いているだけではダメ。書くことは最低必要なことですが、それ以外の経験や知識、能力があるほうがいいというわけです。その経験、知識を内容に生かすわけです。小説だけ読んでて、小説書いて、と言う人は、いったい何を書けるのでしょうか。きっと頭の中にある好きな小説の二番煎じ。
それと、やっぱり責任のあるポジションで働いたという経験は要ります。
バイトはあかん。これは日銭稼いでいるだけ。
コンビニのバイトを十年やってます、というのは、おそらく編集さんから「もううちに来るな。作家稼業なめんな」と言われるかも知れませんね。
バイトにもよりますよ。しかし、悪いけどあれが労働だと思っている人に、人間社会は描けない。特に三十歳すぎてのその世界観、それはキツい。
作家になるっていうことは、そのペンネームが一企業。制作、営業、広報、これ、自分でするわけですから。そういうことを理解しておくことも必要だと思うんです。まあ、作家の人たちはそんなこと意識していませんけど。
でも、私の周りをもう一度見回して、やっぱり三十半ばまでバイトしかやってなくて、今は立派な作家で……、というひとは見当たりません。
ですから、今、普通に働いていらっしゃる方のほうが、ただ篭って書いているヤツよりも、その気さえあれば、作家になれる可能性は高いと思いますよ。

                                            これも続いちゃいますね。





kaidanyawa at 21:07|PermalinkComments(2)

2013年10月25日

配信アリ

中山市朗です。

先日より告知していましたBS放送、WOWOWプライムで11月9日深夜より無料放送されます「怖い話王決定戦」の、連動企画、Web板の動画が配信されています。
私がWOWOWの試写室で語った怪談も見れます。
コチラ⇒WOWOW ホラーキング

ちょっとカット割りすぎですわ。

続いて、怪談イベントも近づいています。
ファンキー中村さんが主催する「大阪堀江乃怪2013・秋乃陣」。
11月2日、大阪堀江のスタジオZEROにて。
もちろん私もゲスト出演いたします。
今回は深夜ではありません。夕方から終電の出る前には終演します。
17時30分開場、18時30分開演となっております。
お問い合わせ等はコチラ⇒大阪堀江乃怪2013 秋乃陣 (ファンキーさんHPより)

また、本日は「幽怪案内」の配信日です。
今回は、無料動画はございません。
有料で2本、4話。
1本目は「おじさんの顔」と「天王寺のむじな」。
「おじさんの顔」は、ある主婦の方がいつも行く大型スーパーからの帰りに遭遇した、不思議な話。
そして、えっ、天王寺にむじながいる?
2本目は「田んぼ道」と「九号館」。
2話とも、幽霊話の絶えなかった、私の通った大学の話です。
特に九号館の話は、今も続いているようです……。

TBSらじこん「幽怪案内」はコチラ⇒TBS -らじこん- 幽怪案内

そしてそして、中山市朗・怪談会inキャンプも参加者募集しております。
11月23、24日の連休に行います。
以前、実際に怪異が起こったログハウスで、オールナイトで行う怪談会。怪談好きなら、この機会を逃す手はない! バーベキュウ大会もあるぜ!
応募締切日にご注意を。

キャンプ参加希望の方はコチラ⇒camp



kaidanyawa at 13:02|PermalinkComments(0)

2013年10月24日

電撃アウトプット・GOGO作戦

中山市朗です。

前回、私の心の中は空虚です、と書きましたら、いろいろコメントいただきました。
ほんとうにありがたく思います。
ちょっとるるいえさんの提案に対して、私がコメントした部分がありますが、塾生も含めて、ちょっと私が考えている塾のスタンスを知っていただきたく思います。

これは、たまに教え子から言われることですが「もっとテクニカルなことを教える場所だと思っていました」と。
教えていますよ。とにかく作品を書く。みんなでアカ入れする。最終判断は私がする。つまり合評です。
しかし、入ってくる人は、小説の書き方のイロハを教えてくれるところ、だと思うみたいなんですね。

正直言って、その書き方に、コレといった法則はないと思います。自分で書いて、書いて、書いているうちに自分のスタイルを作っていくわけで、そこをこうしろ、ああしろ、とはいえないわけです。
個性の世界ですから。
ただし、書いてきたものに対してのアカは入れられる。
「書いたことが無いので、書き方がわかりません」という人がいます。
いいから書きましょう。思ったことを、小説を意識して書けばいい。誰だって、最初からいいものは書けません。だから、ともかく書いてみましょう。
それを、塾生たちが読んでくれます。読者です。もちろん問題が出てきます。
構成が甘いとか、地の部分が伝わらない、せりふになっていない、この表現はいらない、もっと別の表現は無いか、流れがいいとか、悪い、その原因は、とか。それよりテーマはなんなのか、だったらなんでこんな書き方なのか、キャラクターに一貫性があるのか、などなど。
それをいきなり私が指摘するのではなく、まず塾生が指摘する。もちろん「すばらしい」「ここは泣いた」といった意見も出ます。でも、読んでいて違和感があったり、正直つまらない、わからない、といった意見があるなら、どうしてつまらないと思ったのか、わからなかったのかを指摘し、追及していくわけですね。そして原因がわかれば、そこを修正するわけです。でも、一箇所修正したら、全体の流れが変わったりもする。そこも含めて、意見を出し合ったり修正したりするわけです。同時にこれは書評する力も養えるわけです。
アマチュアの人が勘違いしているのは、書いた原稿がそのまま出版されると思っていること。とんでもない。おそらく膨大なアカが編集さんから指摘され、その修正に追われる作業が、プロの場合あるのです。
そこにはおそらく、その出版社の色、編集方針といったものも反映されましょう。ですからおそらく同じ原稿でも、出版社や編集さんによって、アカが入る場所が違うこともあるでしょう。
ともかく、アカに対応する。この対応力がプロには必要なわけです。
これ、自己否定だと思う人もいるんですね。さすがに塾にはいませんが、専門学校のときは、アカを入れたら泣いちゃった女の子も何人かいました。これはそうじゃない。もっと原稿をよくするために、より読者に伝わるように、そのために必要な作業なわけです。

しかし、そうやって大変な思いをして、やっとデビューしたとして。
次の作品を必要とされるわけです。
デビュー作は自分のペースで書きたいものを書きなぐっているわけですが、二作目となると、編集さんからいろいろ要求されるものがあります。納期も決められます。ここからプロがスタートします。しかし、残念ながら、ここでアイディアがすでに枯渇していたり、納期にとても間に合わなかったりして、対応できない人が出るわけです。
しかも、数字を出さなきゃいけない。数字とは、売れる部数ですね。
本の値段や形によりますが、文庫本なら5000は最低ライン。
これが大変。作家志望者は売れている人、好きな作家の世界をイメージしていますが、実際売れないケースが多い。たとえば三冊出して、一冊も数字が上がらなければ、もう出版社からのオファーは来ません。
デビューは、デビューのための賞があったり、真っ白な部分があるだけに、出版社から期待されたりしますが、一度しくじると、再デビュー賞なんて無いですから。大抵、ここで作家生命が絶たれるわけです。言うたら、信用が無くなる、ということ。どんな世界でも、一度信用を無くすと、信用回復までの道のりは、並大抵じゃないですよね。
というか、それ、ほんとうにプロの作家だったの?
ということになります。プロって、食っていってはじめてプロですから。また、当然ながら一度しくじった作家より、新人を発掘する方を選びますよ。出版社も。
やっぱりプロは続けられているからプロなのであって。

では、続けるにはどうしたらいいか。私が塾を作ったのは、ここです。
デビュー講座なんて、探せばいっぱいあります。作家のなり方、なんていう出版物もある。ネットで検索してもそういう情報はいっぱい出てくるでしょう。そこで勉強してデビュー目指せばいいわけですよね。
だから、塾ではそこに重きを置かない。必要なことではあるので対応はしますが。
それより問題は、どうしたら、クリエーターとして食って行けるのか。
これ、大問題。
ここは、大勢のプロの人たちが実際、悩んでいることだと思います。私の周りにもたくさんいます。
実際、相談されたこともあります。
作家やデザイナーを廃業して、タクシーの運転手になったなんて人も、実際いますから。
昔、人気アニメのアニメーターやってた人が、今、警備員とか。
今は、出版物が売れない、雑誌は廃刊する、原稿料は安い、というもの書きにとっては受難の時代です。で、この受難はいつか解消されるのかというと、まず無い、と私は思うわけです。電子書籍への移行という問題もあるでしょうが、それ以前に、無料に近い値段でのゲーム、ソーシャルアプリ、アニメ、CG、ハイビジョン映像、あるいはカラオケなど、安くて見られる、遊べる、より刺激的な娯楽が山ほどあって、楽しむための選択肢が山ほどあって、となると、紙媒体としての出版物はより立場が苦しくなり、淘汰されるわけです。
しかも、今はもう、プロとアマチュアの差の線引きが、あやふやになってきています。正直、アマチュアで面白い人がいっぱいいて、彼らがソーシャルシステムを使いこなして、メッセージや作品をアップできて、それが話題になったりするわけです。世界に配信されていますから。頭の固いプロは、ここで敗北せざるを得なくなります。
そうなると、今までのように、書いている、というだけでは生きていけないわけですね。私の教え子で、今、塾の総務をやってくれているスガノくんは、小説を出しながら、ライターとして食っています。
そら、彼はいろいろ営業に回っているし、編集さんと飲んで、自らのキャラを楽しんでもらうようサービスもして、だから意外な人を知っていて、そして誰よりも書いています。書くためのインプットもしています。そして夢もちゃんと持っています。それでも生活はカツカツ、と言っています。つまり書く、ということがよほど好きでないと、こういう稼業はやっていけないわけです。
だから、彼以上に書いていない、というのは、書くことで食う、という夢は捨てなきゃならない、ということになります。出したものが大ベストセラーになればいいんでしょうけど。
私がここで思うのは、常に何かを発信する、メディァで展開している、というアウトプットの作業を続ける、ということが必要だということです。もちろん、小説家になりたいというのなら、小説を書き、投稿しながらですよ。
アウトプットしようと思ったら、インプットをしておかないと、出てこないんですね。
アウトプットというのは、何らかの作品、メッセージを発表すること。
インプットというのは、そのための材料を仕入れることです。材料とは、膨大な読書量であり、映画や音楽、美術といった鑑賞であり、資料を紐解くことであり、取材することであり、人と逢う事であり、人生を楽しむこと、であったりします。正直、無駄なことは無いです。
インプットしなければ、アウトプットはできない。これは理解できると思います。
でも、常にアウトプットをやっておかなければ、膨大なインプットはできないわけですよ。だって、それは怠けようと思えばいくらでも怠けられる。自分で、これでいいや、と思うと、それでいい、ということになる。ですよね。アウトプットを意識して、実際やるとなると、これでいいや、とはならないはずです。

よく、小説家になりたい、というわりには、書くことがない、という人がいます。いや、いっぱいいます。
それ、なられへんで、といいたいところですが、でもわからない。何かのきっかけで、化ける、という人だっています。でもね、化ける人って、常に何かをやっている人ですよ。なんにもしていないのに化ける、はない。
常に何かをしている。アウトプットですね。
このアウトプットを日常のようにこなせると、二作目が書けない、何書いたらいいのか分からない、ということで悩むことはないでしょう。今までいろいろアウトプットして、インプットしているわけですから。書くべきこと、書きたいことはもうあるはずです。となれば、どれを書こうか、という選択肢も出てくる。コミュニケーション能力も自然備わっているので、編集さんや読者の意見や、さまざまなアドバイスを理解できる。仕事になる、続けられる、ということになると思うんです。
だから、メディアというものを知る。既成概念にとらわれない自由な発想もいる。作品に仕上げるスキルを身につける。これがこれからは必要なんです。
一人じゃできない。何人かで、なんでもいい。ネットの世界でもいい。何かを配信、発信するべきです。プロになるということを肝に銘じて、作品としての配信を心がけます。すると、分担もできるし、責任放棄もできない。一旦、読者なりリスナーがつけば、そこに責任という問題が発生しますから。これでいいや、は許されない。読者やリスナーへ娯楽をサービスするというのが、我々の仕事ですから。これができないんならもう、クリエーターは無理。なる資格もない。で、ちゃんと考え、模索しながらもやり続けると、いずれキャパも大きくなる。仕掛けができる。続けなきゃ、だめですよ。すると、自然、作家としての下地もできます。ファンもいる。ツールもできている。話題になってビジネスになるかも知れない。このビジネス、つまりお金にするということが、重要にきっとなる。あるいは作品をお金にする大変さがわかるし、ヒットすれば、悠々自適に今度は本当にやりたい作品に本腰入れられる。そういう環境も作らないからいつまでもバイト。バイトに追われて、でも生活のためにそっちを優先して、で、かけないのはバイトのせいにする。ええかげん気づけ!
で、そういうことって、教わることじゃない。教えたって、やらないんだもん。
とにかく、プロを意識したアウトプットをやってみる。そして続ける。これをやってほしい。
つまり、
こういう人は、ずっと小説だけをを書いてきました(そんなんあたりまえやん、と編集さん、思いますしね)、という新人より、出版社もおもしろがって信用してくれる。そして本人にも若干ながら自信もできている。この自信が必要なんです。「はい、できます」という対応能力です。自信がないといえません。
何もしていないのに、根拠の無い自信を持っている人がいますが、これ、自分のこと、わかってますね。
普段、えらそうなことを言っておきながら、いざというとき、「できます」と言えずに、逃げちゃう。

だから、夢を語れって、そういう意味なんです。あんなことやりたい、こんなことどうだ。おもしろい、やってみよう、協力しよう、だったらこんな人紹介してやる。プロの世界では起こっていることです。
夢を語らないと、それがならない。うちに篭る。精神が落ち込む。アウトプットもインプットもない。自分だけの世界。いくらでも妥協できる。面白いものがかけるはずが無い。片意地らなる。書きたいことが無い。わあーっ、いっぱい見てきた、そんなヤツ。昔だったらそこから文豪が出たのかも知れませんが、今は時代が違う。それでも文豪になった人たちは格段に書いていたでしょうし、師匠となる人がいましたからね。

ちょっと長くなりました。言いたいことのまだ少ししか書けませんでしたが。
 
つまり、私が塾を作った意図は、夢が語れる、仲間がいる、そしてプロの現場がある。
そういう環境を作りたかったんです。またそういう場が大阪にあっていいだろう、いや、あるべきだと。
これは私が、過去映画に携わり、CMを作ったり、放送作家の経験を経て、今は文筆もしながら、話芸を語り、講義もし、映像演出をしたりという経歴から来ていることかもしれません。
で、こういう世界がとてつもなく刺激的で、おもしろいんですよ!



kaidanyawa at 12:03|PermalinkComments(4)

2013年10月22日

大学のバカ大将

中山市朗です。

私は、サラリーマンでもない、どこからか固定のお給金をもらっているわけでもありません。
ただ、私も一個の人間なので、メシ食わないと死にます。いろいろ活動するのにお金が必要です。
そんなに贅沢を望むわけではありませんが、何かをして、対価を得ることが必要です。
その何か、とは、私の場合、想像と創造なわけです。
想像力が無いことには、創造力はつきません。
で、創造したものをお金にするということが、また大変なんですな、これが。
ネットで見て、読めるものはタダ、レンタルビデオは100円。本は売れない、ですから。
でも、そこを何とか考えて、自分の作品に価値をつけて行くのが楽しいわけですし(というより、ここがクリエーターの本分)、やったことは必ず実になるわけです。
そんな世界で、25年、ずっと私は生きてきたんですけど。

想像力というのは、正解の無い問題に対していろいろ考え、理解する能力であり、それを具体的なものにしていくのが創造である、と私は思っています。
これは、専門学校でも塾でも、教え子をずっと見てきて思ったことなのですが、まず、この想像力の欠如した若者が多いこと。これが、作家や漫画家、映画監督や脚本家といったクリエーターになりたいと、いってきているわけです。ただ、中にはスゴイのがいて、そういうのは何も教えなくても勝手に想像し、模索しながら創作活動を続け、いつの間にかその創造物に対価をもらう、つまりプロになるのもいるわけですが、まぁ、九割は挫折します。
結局、言われたとおりの仕事をした方がラク、安くても、固定でもらうのがいい。リスクは負いたくない。で、安易なバイトに走る。いつの間にか消える。このブログでも何回も書いて嘆いたことです。
一方、創造の世界は、なかなか結果がでません。そら、しんどいです。プロだって、ヒットを飛ばしたからまたヒットが飛ばせるとは限りません。でも、またヒットを飛ばさねば、どこからもオファーが来ない。オファーが無ければ、メシは食えない。でもこれはまあ、我々の世界に限ったことではないですね。会社やお店の経営をされている方も、追う夢の価値とそれを手にする苦労は、我々以上だと思っています。そんなことは、アルバイトしか経験のない人にはわからないでしょうが。

ただ、ちょっと夢の無いことを言いますが、我々の世界は退職もなければ、当然退職金も無い。まあ、死ぬまで現役といっていい。

だから、どうやればまたヒットが打てるか、そして続けて行けるのか、模索し、思考し、試行するわけです。それが、おそらく一生続くわけです。で、たまにホームランを打ったりもするわけです。
そうなると、創作の世界は楽しく、やめられなくなるわけです。
でも、クリエーターになりたいと来る若者は、ホームランの夢は持っているんだけども、ヒットを打つ技術も無いのは最初はそうだから仕方ないとして、試行錯誤しての技術の習得をしようとしていないんですね。
野球で言うと、三割打てれば成功です。つまり七割は打てない。
我々の場合は、一割も打てれば御の字。九割は打てない。
打てないんだけども、この場合、打席に十回立たねば、その一本は打てないわけですよ。そして、次の一本をうつためには、あと十回打席に立たねばならない。その一打席、一打席は、自分でチャンスを作って立つわけです。つまり、十八回の失敗がここにある。でもここも野球と同じ。
同じ凡打でも、粘っての、あるいは球を見極めての三振、進塁させるための流し打ち、外野フライなど、十分意味のある凡打もあるわけです。ヒット性のあたりをファインプレーで阻まれるときもあります。エラー誘うこともあります。プロの場合これも有効打として査定されるわけです。
我々も同じ。そういう意味のある凡打はしかし、いろんな局面、いろんな対戦を通して培われるものであり、ピッチングマシーンが投じる160キロの速球を打ち返せる、とは、また別の話です。勝つための打撃は、やはり試合でのみ、培われると思うのです。また、確実に負ける試合に挑むこともあります。それも大きな経験です。負けるから挑まない、では、絶対にソイツに勝てませんから。
で、そういう凡打を繰り返していくうちに、ヒットを打つコツを覚え、やっと打率があがるわけです。

しかし、試合に出るには、監督さん(我々ならクライアント、編集さん、制作会社、メーカーなど)に認めてもらわなければならない。私、当たり前の話をしてますよね。
で、十回打席に立ってやっと打った一本に、報酬という対価がつくわけです。そして、打率を上げ、信頼できるようになって、はじめてレギュラーとなれるわけです。ほんとの作家ですな。けど、レギュラーもいったん、信用を無くすとまた、控えとなり、二軍に送られ、解雇か引退。同じですよ。それがプロの宿命。ただ、クリエーターの場合、自分から引退といわない限り、死ぬまで続けることはできます。本望ですよね。

でも、今の人は九割の凡打、失敗を恐れ、馬鹿にして、結果打席に立とうとしない。でも、ホームランを打つ夢は見ているわけです。で、一度も打席に立たたないので、当然一本も打てずにで夢をあきらめ、それは自分のせいではなく、世の中のせい、大人のせいだと思い込む。これは才能云々の話ではない。意識、モチベーションの問題でもある。つまり、プロになりたいという執着心に欠けているわけです。プロにならなくても、まぁ、食っていければいいや、というハングリー精神の欠如です。

だから、九割の凡打を怖がる。あるいはムダだと思う。そいうネガティブ思考になって、で言い訳はするわけです。今、考えています。時期が早いと思います。やり方がしっくりしません。理想のフォームを考えています。

一生考えとれ!

ひょっとしたら、創作活動を対価を得るための仕事だとは思っていないのかもしれない。そうも思ってしまいます。だったらもうプロはあきらめましょう。そんなんで同じ土俵に立とうなんて、プロの人に対して失礼ですわ。

ちょっとうちの塾というごく、狭い中でお話して恐縮ですけど、大学出が、ダメですね。
ホント、だめ。
今の大学は何を教えているんだ。それとも彼らが怠けていたのか。大学の入試方法に問題があるのか。
よおわかりませんけど。
解答、正解のないものの前では、思考が停止するか、避けちゃうんですね。
で、想像とは間逆の、正解、解答のあるものになら対応ができる。目に見えるものなら信用する。
ある意味、合理主義。
別にそれは悪くありませんよ。そういう人に適した職種はいっぱいあるわけですから、そこに就職すればいい。
高校出て、大学諦めて、専門学校に入りました、という子の方が、経験を通して想像力を持つようになるようなんです。
大学入試なんて、してません、みたいなのがいいみたいで。
妙な価値観にとらわれていないというか、ある意味自由奔放というか。もちろんコンプレックスもある。
そこが創作活動に向くのかも知れません。
ええとこの大学生が、塾生だったこともありますが、プライドばっかりの大バカ野郎でした。
いや、うちの塾の話ですよ。でもそれは言えるかも、とも思っています。

そしてね、就職せずに、いや、できずに、作家になろう、漫画家になろう、映像クリエーターになろう、というのなら、あえて、世の中の評する正解、解答には背を向けるくらいの思考力を養って、新しい価値観を作り出して欲しいと思います。

若い人はダメだなんてえらそうなことを書いている私が、若い頃はバカでしたから。だからわかるんです。
その頃の私がほしかったものは、叱咤激励してくれる業界人、後ろ盾、チャンスをくれる人。もちろんそのチャンスをもらうために全力を尽くし、認めてもらう。そんな人、いないんですよね。
ただ、私の知る限り、孤独になっちゃうと危険信号。自分の間違った価値観しか見えないですから、それで押し通しちゃう。その価値観間違っていなかったらがプロになっているはずなんですが、現状は。
だから、私が当時ほしかったモノを与えようと塾を作ったんです。
創るのは彼らですが、それが仕事になるように、叱咤激励し、後ろ盾となり、道案内でもできれば、と。常に仲間が周りにいる環境を作ってやりたいと。
しかし、彼らにその気が無いとすると……。

なあんかね、今、私の心の中は空虚です。


 




kaidanyawa at 12:24|PermalinkComments(14)

2013年10月19日

カンコック8 ~ 羅生門

中山市朗です。

今回のブログは長編です。
読むにあたって、お茶を用意するなり、万全な体勢でもっておのぞみください(?)

このブログで、不定期ですが私は、従軍慰安婦の問題をとりあげています。
正直皆さんは、どうお思いなんでしょう。
私は、強制など、どう考えてもありえない。歴史を知れ、といわれて日韓の歴史を調べるほどに、韓国の歴史が暗黒になっていく、ということを踏まえ、今、韓国のやっている、慰安婦問題を縦とした外交は、大変に問題があり、日韓ともに利益にならない、と思っています。
私はもともとは嫌韓でもなんでもなかったわけですが、今のままでは、日本人は韓国が嫌いに、韓国人は日本が嫌いになり、そのわだかまりはもう当分は消えないと思うのです。
ただ、そうなるにしても、いったい「慰安婦問題」とはなになのか。これは考えるべきだと思います。そのためには、我々今の日本人が、学ぼうとしない近代史を知ってほしいというのが私の願いであります。
そこから、日本人というものが、見えてきますから。そして、日韓の問題のどこにその根源があるのかが、分かってきます。そして、学者だの、有識者だのの言葉を鵜呑みにしないで、これだけ情報が得られる時代です。自ら考えてみる、ということが、これからは必要だと、言いたいのです。

10月10日のこのブログで、いわゆる従軍慰安婦問題の根拠となっている、元慰安婦たちの証言が怪しい、ということを書きました。そして今回、そのどこが、どう怪しいのかを書こうとしていたのですが、ちょっと間をあけているうちに、その証言者たちの調査報告書は実に怪しいものであった、と、先日の産経新聞に掲載されました。引用してみます。
「産経新聞は15日、慰安婦募集の強制を認めた平成五年八月の『河野洋平官房長官談話』の根拠となった、韓国での元慰安婦16人の聞き取り調査報告書を入手した。証言の事実関係はあいまいで、別の機会での証言の食い違いが目立つほか、氏名や年齢すら不正確な例もあり、歴史資料としては通用しない内容だった。軍や官憲による強制連行を示す政府資料は一切見つかっておらず、決め手の慰安婦への聞き取り調査もずさんだったことで、河野談話の正当性は、根底から崩れたといえる。産経新聞は河野氏に取材を申し入れたが、応じなかった」と報じています。
そんなん、とうに分かっていたことですが、まあ、産経新聞が精査してくれたということですな。
今、韓国が日本を貶めようとしている従軍慰安婦問題の根源は、まさにまず、この16人の、元慰安婦の証言から始まるわけで、また、日本側の運動家、学者の人たちも、それでも強制はあったとする根拠が、この人たちの証言ありき、のものなので、それが不正確なものであったというのは、こら、問題です。
日韓のおエライ政治家や、学者、ジャーナリスト、あるいはよく出てくる有識者と呼ばれる人たちは、いったい何をしていたのかと言いたいですな。

ちょっとこの問題の根の根の部分を考えてみましょう。
今、韓国の朴クネ大統領が世界中に撒き散らしている「30万人の女性を強制連行して、性奴隷とした」という問題は、ほんとうであれば大問題であり、当然、終戦において連合軍が東京裁判で処遇していたはずであり、日韓基本条約でも賠償問題になっていたはずです。しかし、そんな問題はなかったわけです。何度も言います。
30万人の強制連行ですよ。それを証明する資料が無いなんて、絶対おかしいでしょ。それでもある、と言うのなら、見つけてみろよ、と。見つかったら、東京裁判で裁いた連合国もそれを見つけられなかった、つまり「節穴」ということになるでしょうよ。だったら、東京裁判はまったくのデタラメであったと証言できるでしょう。でも、連合軍が知らなかったその資料が、どれだけ信憑性のあるものなのかは、また別に出てきますけど。
とにかく、無いです。そんなものは。
食うに困った女性たちが身を売った。当時は売春は合法でした。売春に関する当時の朝鮮の考え方は、今までこのブログに書いてきた通り。不名誉でもなんでもない。キーセンになろうと、学校に通ってた少女たちがいた時代ですよ。また、大金ももらえる。困った女性は韓国にも日本にもいっぱいいたので、強制する必要はなかった。
先日亡くなった、「アンパンマン」の作者・やなせたかし氏も言っていましたよね。
「人間、ひもじいほど、辛いことはない」
それですよ。

では、どこからこんな問題が出たのでしょうか。
1977年に一冊の本が出版されます。『朝鮮人慰安婦と日本人』。作者は吉田清治という元軍人。この中で、日本軍が朝鮮人女性たちを強制連行した、と書かれました。そして、問題化したのが、同じ吉田清治による『私の戦争犯罪』という1983年に出版されたものによるもので、吉田氏自身が済州島慰安婦を拉致したと、証言したのです。
この本は89年に韓国でも出版され、問題となります。
さっそく、済州島新聞が済州島を調査します。ところが「当時、250しか家の無いところで、そんなことがあったら大問題だが、そんな事実はなかった」と村の住民は否定。結局、吉田証言を裏付ける証言は何一つ無く、済州島新聞は「吉田証言は捏造」と結論付けたわけです。ところが!
91年、福島瑞穂と高木健一弁護士らが、金学順という女性が元慰安婦であるとして、彼女を原告とした損害賠償を日本政府に対して起こしたわけです。
金学順とは、何者か。彼女は15歳まではキーセン養成学校に通っていたものの、キーセンにはなれず、「中国で儲けよう」という義父に連れられ中国に行ったと言っています。しかも、日本政府への訴状には「親に四十円でキーセンに売られた」としていました。それって、普通の売春やし、本人も親もキーセンになることを望んでたんやろと。
ところが、朝日新聞の植村隆という記者が、吉田清治の『私の戦争犯罪』からの引用を交え、意図的に金学順を慰安婦として報道し、福島瑞穂氏もここで「軍による強制」と訴状を書き換え、裁判に臨みました。
結果、敗訴。
しかし、これらの動きが韓国で注目されます。
91年の末から翌年にかけて、韓国MBCが吉田証言を元に「黎明の瞳」というドラマを放送します。最高視聴率58、4%。内容はもちろん、従軍慰安婦となったヒロインが、日本軍に強行連行され、日本軍によって理不尽な目にあい、日本人に暴力をふるわれ……、というのは私の勝手な想像。見てないですから。しかし、ヒロインが従軍慰安婦で、これだけ視聴率があって、反日感情をあおった、というのですから、ドラマの内容はそんなに間違っていないでしょう。
おそらく、韓国の人たちに「慰安婦の多くは、日本軍による強制連行によったものなのだ」という意識を植え付けたのは、このドラマだったと思われます。
また、慰安婦だった人たちの中にも「自分もそうだったのかも知れない」と思った人も少なからずいたでしょう。

元慰安婦という人たちの証言でよくあるのは「だまされて慰安所につれてこられたら、そこに日本兵がいた」とか「日本軍のトラックで輸送された」というもので、イコール、日本軍による強制ということになっています。
あのね、戦時の中国や東南アジアに輸送されるんですよ。これ、軍の護衛ですよ。戦時に軍の護衛なしに移送させることの方が返って問題。しかし、自分のあずかり知らぬところでの親や親族と業者との売買、借金のカタとすれば、本人たちはそのことを知りません。まだ十代の何も知らない女の子が、最初に見た知らない人が、銃剣を持った日本兵、ですよ。「そうか、ヤツらによって強制されたんだ」という意識が芽生えても不思議ではありません。しかも、日本のエラい人が、日本政府に訴訟起こして、賠償金を取ろうとしたわけですよ。
私も強制された慰安婦、かも知れない……。となったわけです。強制されたと言えば、賠償金がもらえるかも知れない。思いますよ。あるいは家族、親族がたきつけるでしょうしね。
人間の記憶なんて、あやふやなもんですよ。自分でそうだと思えば、そうなるんですから。
そんな状態で、聞き取り調査されても、そら、矛盾も出る、慰安婦だったことを認めてもらおうと嘘も出る。言うことはコロコロ変わる。いや、本人はおそらく真実を言っているつもりです。「羅生門」状態です。  
だから、証言を裏付ける資料が絶対に必要なんです。それが無いんです。
韓国の学者は、これから探してみせる、なんて言っているんです。もうわけわかりません。

最初はね、彼女らは韓国政府に訴えたんですよ。調べてみたら(というか、弁護士さんに言われたのが)「日韓基本条約」で、そうなった場合の賠償金も、韓国政府は日本政府からもらっているはずだから、そっちに請求してみたら、ということで。
すると、困った韓国政府は、日本政府に耳打ちしたわけです。
「慰安婦たちのメンツをなんとかするために、強制があったことを認めてくれないか。もし認めてくれたら、それに対して国家補償の要求などはいたしませんから」
ここで、NOとは言えない、やさしい日本人が「わかりました。調べてみましょう」と言ったわけです。しかも、日本政府としては、とにかく事実はわからんが、心情的には理解できないこともないし、そこは謝罪すれば、今後ややこしいことにならずに済む。韓国も問題にしないといってるんだから、認めて謝罪しよう。ということに、どうやらなっていたんですね。それで、事実関係を調査したわけです。認めることありき、の調査です。
この任を任されたのが、当時事務方トップの石原信男氏。彼が最近、産経新聞の取材に対して「(16人の)証言者の人選は韓国側が行った。反日運動もやらず、公正、冷静に自分の過去を語れる人を選んでくれ」と言った。韓国は「そうします」といって16人を選んできた。「これが揺らいだ」わけですね。
しかも石原氏は、「軍による強制を示す資料を探したが、現地にも行ったし、米国の公文図書館でも調べてみた。しかし、それを示す資料、文書はまったく出てこなかった」と、これは以前から彼が言っていたことです。
あのですね。日本政府は、認めて謝罪しようとして調査したんです。
それで出てこなくって困ったくらいですから、隠蔽もなにもない。
元慰安婦の証言(ともいえないものだったと今更報じられたわけですが)を客観的に証明できる書類、文書は、無かったんです。ほんとうに。
なのに、河野談話が出た。強制による慰安婦がいたことを、日本政府が認めて、謝罪してまったわけです。
これは、配慮です。そしたら韓国は約束どおり、それでこの問題は収束するであろうと。
ところがとんでもない。他国に配慮外交をやっているのは、日本だけです。
当然、韓国は、日本政府が認めた「従軍慰安婦」を問題化させました。
で、謝罪をしていない(?)とか、賠償しろ、とか、しまいには天皇陛下の謝罪云々という話にまでなった。
で、今に至る。
ジャーナリストの櫻井よしこ氏は、この「河野談話」に関わった人たちに「韓国と覚書を交わしたのか」と聞くと、交わしていない、そんな状況でもなかった、というんですね。
国家の名誉に関することを他国の委任を受けて、国家予算でやって、覚書も交わさずに、言いなりになって、認めて、謝罪までするって、一国家としてどうなの? と思います。
現に、それが元で、従軍慰安婦問題が事実あったこととして認知され、日韓の関係は冷え込み、韓国は世界に卑劣な日本、歴史問題を試みない国として、プロパガンダを展開しています。米国は「えーかげんにせえ」と韓国に言っているようですが、韓国政府は「正当なことを言っているだけなのに、なに無視してんだ」という認識のようでして。 
まあ、このことは、不勉強で、事なかれ主義の我々日本人にも大いに責任はある。結局は、自分たちを落としいれいてるわけですから。
産経新聞はこうも掲載していました。
「これら16人の報告書を入手し、精査したところ、そこには慰安婦となった経緯や理由や悲惨な境遇が描かれながらも、出身地や氏名があいまい、同一人物に複数の名前が付いているなどの他、一般の娼館はあっても慰安所の無い場所で働いていたという証言もあり、その人選にも問題がある」と。

しかも大問題はまだあって。
問題の引き金を引いた吉田清治氏は、1996年の「週間新潮」のインダビューでこう言ったのです。
「本に真実を書いても何の利益も無い。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうことは、新聞だってやるじゃないか」
つまり、あれは嘘。小説だったというわけです。
しかも、その嘘を大して精査もせずに報道しまくった新聞をも、バカにしたわけでして。


まだまだ続きまっせ!





kaidanyawa at 20:01|PermalinkComments(19)

2013年10月18日

配信アリ

中山市朗です。

ここ、一ヶ月半ほどで50話近い怪談が取材できました。50というのは、使えるという意味での数字です。
「新耳袋」を書いていたときは、木原と半々くらいを分担していて、一年でなんとか、ノルマの60話集めるのが精一杯ということを毎年繰り返していたことを思うと驚異的なことです。まあ、60話の使える怪談を集めるためには、少なくとも5~600話、だいたい1000話の怪談を集めるわけです。ということは、ここ一ヵ月半で500話以上の怪談を聞いたということになります。
いやいや、もうこれは、ご協力していただいている皆様のおかげです。
感謝しております。
私は、霊の存在を否定するでもなく、肯定するでもない、という立場にいます。ちょっと疑っている方が、怪談蒐集する場合、いい怪談の選別ができるように思います。
にしても、取材していて思うことですが、これらが真実あったことならば、世の中、よくほんとに、こんな奇妙なことが起こっているなあ、ということ。
この前、珍しく米国で起こった怪異を取材させていただいたんですが、これが怪談というよりまさに、「トワイライトゾーン」の世界。怪異にもお国柄があるようです。
海外の怪談というものにも興味があります。こんな話を蒐集したからには、カテゴリーを作らねば。どなたかご存知ないですか?
ある!、という人はぜひぜひ「中山市朗・幽怪サークル」か、オフィスイチロウのメールまで、送っていただければありがたいのですが。

ぐるっぽ『中山市朗 幽怪サークル』



さて、本日金曜日は「幽怪案内」の配信日です。
今回は特別企画、千日前怪談の最終回。
まず、無料動画で千日前怪談についての解説をしております。この動画の後半部、真夜中にNGKの前で収録したものがあります。私と真名子のやりとりがあって、カメラがNGKの建物を映したとたん、雑音が入りますが、原因不明のものです。あれは一番ましなテイクを使っていますが、NGKの前では、音声に物凄い雑音が入って、何度も撮りなおしたんです。電波障害が起こっていたようですが、でも、いろんなところでロケをやっていますが、あんなことは初めてです。やっぱりあそこは何かある?
有料動画は、まず一本目が「ゴーストバスターズ」という話。これは「新耳袋」に書いた話で、私が神道研究家で霊媒師でもあるGさんの霊退治の現場に同行したときの、私がこの目で見て、この耳で聞いたお話です。
二本目は「すし屋の女」という、これも珍しい、私の体験談です。この目で見たその妙な女。未だに幽霊を見たという感覚ではないのですが、「じゃあなに?」と言われると、説明に困るんです。
そんなもんなんですかねえ。霊っていうのは。
それと、千日前怪談特有の、ただ「見た」というだけの短編怪談も収録しています。

これを収録した後にも、どんどんと千日前に関する怪談が集まっています。
またいずれ、第二特集を組みますか。

TBSらじこん「幽怪案内」はこちらから。

TBSらじこん 『幽怪案内』

kaidanyawa at 14:14|PermalinkComments(5)

2013年10月17日

ドクターNO

中山市朗です。

だいぶ前でしたが、日本語ぺらぺらの中国人と呑んだことがありました。香港で、日本人観光客相手にガイドをしていると言っていた彼は「俺はブルース・リーとは友達だ」と言っていたので、コイツの言うことは話半分やな、と思って、それでも日本と中国の文化の違いについて、熱き討論をしたものです。
ちなみに私も彼に負けじと「俺は黒澤明の弟子だ」と言ったので、相手も私を胡散臭いヤツと思っていたかも知れません……?
さて、この討論の中で、印象に残った彼の言葉があります。
「日本人と中国人の文化の大きな違いはどこにあるのか?」
コレを聞いて、あっ、なるほど、と私は納得したんですよ。
さあ、なんだと思います?
外国語で話しかけた、最初のリアクションで分かるそうです。
さて。
カチ、カチ、カチ、カチ。



答えは。
「日本人は、外国語で話しかけると、笑顔で、YES、YESと言う。中国人は、手を横に払うようなポーズをとって、NO、NOと言う」
なるほど、と思いました。
日本人は確かに外国人に話しかけられて、いきなりNOとは言わないでしょう。一応、わかんなくても聞いてあげようとします。よっぽどいそがしければ無視しますけど。
中国人は、なるほど、「NO、NO」、よう言うてますわ。
中国政府は、日本のやり方に、なんでも「NO、NO」ですしね。
日本人は確かに、NOとは言わない、とうイメージがあります。日本政府の外交も、はっきりとNOと言った、と言う話はあまり聞かれません。そこにあるのは、相手への配慮、配慮……。

だいぶ前、石原慎太郎さんとSONY会長の盛田昭夫さんが「NOと言える日本人」というエッセイを出版して、話題になったことがありました。日本人よ、もっと主張しろよ、ということが書かれていました。

NO、というのは、日本語では「違います」「しません」という否定を意味しますね。
日本人は、幼い頃から躾をされるとき、「はい」と言いましょうといわれます。
「はい」と元気な声を出せる子はいい子だ、という概念ですね。
先生「わかりましたか?」
子供「はい!」
いい子ですねえ。
「いいえ」は、言ってはならない。
先生「わかりましたか?」
子供「いいえ!」
先生「はあ? なんでわからんのや!」
えらいことになります。
親や先生に「いいえ」と言おうものなら、「口答えするな」と叱られたものです。今もそうなのでしょぅか? でもこの「はい」という言葉が、日本の文化の重要な根源を成しているように思えます。
だから「いいえ」と断るのは、相手に失礼だと言うわけです。
日本の軍隊も命令には絶対服従で、上官の命令には「はい」としか許されません。

この、「はい」に対応する英語が「YES」、「いいえ」に対応する英語が「NO」と、日本人は思っています。
ところが、欧米の人に言わせれば、「NO」のニュアンスは、なんか違うようなんですね。
アメリカの戦争映画を見ていると、同じ軍隊でも、上官が部下に命令をします。
まあ「Yes sir」となるはずなんですが、命令したあと、上官はしばし「any question?」と尋ねるわけです。
つまり、部下がその命令に対して「NO」と言ってもいいというわけです。
しかしそれで、軍としての統制がとれるのでしょうか?

実は、NO、というのは、決意の言葉なんです。
NOと言うからには、代案がある、やれない理由がある。それを上官に進言するわけですね。

なにか交渉ごとをしていて、日本人はなんとか「YES」を言い、失礼のないようにしようとする。
しかし、外国の人は「NO」と、平気で言うわけです。日本人はここで、「わあ、嫌われちゃったよ。否定されちゃったよ。なんか気に障ったこと言ったかなあ」と不安に思うわけですね。
でも、そうじゃない。さっきの上官に対する「NO」のように、「NO」には、、何らかの理由がある、決意がある、という強い意味が込められているんです。
つまり、NOから議論が始まる。意思表示が示される。そのための交渉ごと、あるいは商談、そして外交です。
でも日本人は「NO」とは言わないわけですね。日本人は議論下手と言われていますが、ここにその要因があるのでしょうね。ただ、幕末に黒船外交をやった幕府の人たちは、この「NO」をちゃんと主張しています。かえって、この言葉の意味を理解していたのかもしれません。ペリーはその日本の役人たちの態度に賛辞を送っています。

日本人が「NO」を使えないのには、日本と言う国土があると思われます。地方によってそら、方言や風土の違いはあるとはいえ、同じ日本列島に住む価値観をほぼ同じに共有している日本人同士。自己主張する前に、まず、相手の立場や利害を尊重する。そこから互いの妥協点を探る。まあ、それで通用したんです。
ある意味、それが日本の美徳でありました。日本人のおだやかさも、ここに原因します。

しかし、大陸にいて、国境線などというあやふやなものを引いて、力のあるものが、その国境線を侵し、異民族同士、異教徒同士、常に戦争をしていた国々にとっては、まずは自分たちの生命と国と利を自分たちで守る、ということが重要だったわけです。世界中のほとんどの国が、そういう歴史を繰り返していますから、世界のスタンダードは、実は最初に「NO」を主張するところからある、と思われます。で、未だ、日本人はちゃんとした「NO」が言えません。それでこれだけの国になったんですから、これはたいしたもんです。

ちなみに、日本人がNOと言うときの発音は、「ノー」ですが、本当は「ノウ」だそうです。
「ノウ」と発音すれば、なるほど、強いものを思わせます。

さて、なぜ私がこのようなことを書いたのかと言うと、どうやら「NO」と言えない、日本のお人よしな性格が、いわゆる従軍慰安婦の問題を引き起こした、という報道が、なされたからです。

この続きは19日の土曜日に。







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2013年10月15日

怪談会inキャンプからのお知らせ

中山市朗です。

怪談会inキャンプ場のバナーを作りました。

camp


こちらをクリックいたしますと、キャンプ参加応募に関する情報が出てきます。
場所の記入がありませんが、参加していただいたく方にのみ、お知らせいたします。
といいますのも、私が霊スポットだということを示唆すると、そこに人が大勢行って、写真に撮ったり、ツィッターにあげたり、ブログに書いたり、ということが過去、多々ありまして、現地の方は迷惑する、私は取材がしにくくなる、ということにもなったりいたしました。
今回のキャンプ場も、ちょっと先方さんが嫌がっているようですので、そういう配慮としました。
実際、自殺者も出てますしねえ、そこ。

ということで、幽霊が出る、かも知れない(保障はできません)ログハウスで、オールナイト怪談会を楽しみましょう。もちろん、以前、ここで私が(私と言うより周りの人たちが、ですが)見た、聞いた、当現場で起こった怪異を最初に語ります。うひひひ。
みなさん、オールナイトに備えて、万全の体勢で望んでいただきたく思います。

で、申し訳ありませんが、会費の振込みの完了時点で、正式参加となりまして、その締め切りが11月8日となります。前もっての予約人数分の支払い等ございますので、ご協力お願いいたします。

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2013年10月11日

「配信あり」 WOWOW

中山市朗です。

本日は「配信あり」のお知らせです。
二つあります。
一つは……、先日、東京は赤坂にありますWOWOW本社に初めて行ってきました。映画好きな私は、ほぼ開局以来契約して、いろいろな映画を録画し、鑑賞させていただいていた民放衛星放送局。ただし、ここのところ大スクリーンで鑑賞すると、洋画に入るあの巨大な字幕に、映画を見ているのか、字幕を見ているのか、わからない状態に。特にシネスコサイズの画面にあの字幕はいただけません。
映画を見ていて字幕が気になるというのは最低です。そんなこと、劇場で映画を見ていたときは思ったこともなかったのに。ということは大きいだけでなく、字体や配置にも問題が絶対にあります。
ともかく、全然映画に集中できず、せっかくのフルハイビジョンの画面も台無しで、契約を打ち切りに。
もちろん何度もカスタマーセンターに電話して、修正は求めていたんですけど。
そんな私が、WOWOWさんに呼ばれてたわけです。
本社は、いつもドラマ「怪談新耳袋」や「幽怪案内」でお世話になっているTBS放送局のお隣のビル。えらいおしゃれな打ち合わせルームがあって、窓からの見晴らしもバツグン。試写室もありました。
で、何をしに行ったのかというと、11月9日にWOWOWで生放送される「怖い話王決定戦・ホラーキング」と言う番組の打ち合わせだったんです。
タイトルで想像できますように、怪談を何人かのタレントさんに語ってもらってナンバーワンを決めるというものです。で、私もその候補としてあがっていて。しかし最初は出演を渋ったわけです。順位決められるのはねえ。それにその際の投票システムにも異論あり。ということで、何度か担当のプロデューサーの方とお電話で打ち合わせし、まあ、最終的な打ち合わせをこの日にしたわけです。
他の番組との関連で、ナンバーワン決定という趣旨は外せない、というのはわかりましたが、まぁ、いろいろと怪談をテレビで放送する際の、私からの注文なども。過剰演出無用、制限時間についての苦言、投票法について、などなど。一応、プロデューサーさん、ディレクターさんは私のブログやネットの動画(ちょっと問題なのもありますけど)などをチェックされていて、趣旨はご理解いただきましたが、問題もないことはないんですが。まぁ、あとは生放送、どうなることやら。
で、この番組はネットによる前告知や、話題作りもする、ということなので、そこに興味を持って私は出演を決めました。ネットは、近く大掛かりな企画を動かすつもりですので、お勉強。
私がこの日、試写室で語った怪談が近く、WOWOWホームページにてアップされます。実は、このとき、試写室を暗くして語ったわけですが、壁に向かって立っている男がいたんです。あきらかに一人多い。一瞬びっくりしたのですが、私にそんなにはっきり幽霊が見えるわけが無い。あとでわかりました。精密な蝋人形でした。にしても、なんでこんなとこに? 

WOWOW「ホラーキング」はこちらから。今、ありがとぅのぁみくんの怪談がアップされています。
WOWOW ホラーキング
あ、当日怪談を語るメンバーは、ぁみくん、松島初音さん、ヒカリゴケの国沢一誠さん、そして私の四人です。
気楽にやりまっさ。

そして毎週金曜日の定番。TBSらじこんが、本日も配信されました。
「千日前怪談特集」の第二週です。
まず無料配信分では、大阪ミナミ、千日前の歴史について語っております。あそこは江戸時代は墓場であり、刑場であり、焼き場があり、灰置き場もあったといいますが……? そしてここの刑場で処刑された人の人数と千日デーパートの火災で亡くなった人の人数が同じだといういわれの真相は? 
有料配信ももちろん千日前であった怪談を。
一本めは、女子高生が体験した「おしゃれさんインタビュー」と、昔あった地下のハンバーガーショップであった「真夜中のシャッター」の二本。
二本目は、千日前の居酒屋でバイトをしていたという女性の体験談。ちょっとした霊現象は日常になってしまった彼女が「あ、ここのバイト辞めよ」と思った体験とは? 「バイト先の居酒屋」。そしてもう一歩本、ある録音スタジオの部長さんからお聞きした、千日前怪談にまつわるあるエピソード、「千日前秘話」。

TBS -らじこん- 『幽怪案内』


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2013年10月10日

カンコック7 真実の瞬間

中山市朗です。

先日、野田政権下において、駐韓日本大使による元慰安婦へのお詫びを柱とする非公式な解決案を韓国政府に提案していたことがわかった、という報道がありました。
人道的な立場から政府出資による支援金の支出の提案もあったとか。政権交代でこれはおジャンになりましたが、どおりで民主党政権になって韓国がいっそう騒ぎ出したはずです。
一方、今年の6月、竹島問題を抱えているはずの島根県議会が「日本軍慰安婦問題への誠実な対応を求める意見書」の可決がなされました。その内容には、河野談話をふまえ、その内容を誠実に実行すること、とあります。
韓国から弁護士などを迎えてシンポジウムも開かれたようです。

なに考えてるんでしょう?
韓国にわびたら竹島が戻ってくるとでも思っているのでしょうか?
逆ですよ。わびたら、絶対に日本が悪いと認めたことになって、そんな悪い日本の言うことは聞く必要はなし、として永遠にことあるごとに謝罪と賠償を求められることでしょう。竹島は永遠に帰ってきませんよ。また、島根県議会は、日本軍慰安婦問題は、女性の人権、人間の尊厳に関わる問題である、としています。
なら、ありもしない慰安婦問題で極悪非道な日本軍とされた祖父、曽祖父たちの人権、尊厳はどうなるのでしょうか? 問題の根にある日韓併合を苦渋の上採択し、朝鮮半島に多大な税金を注ぎ、インフラし、朝鮮に秩序をもたらそうとした当時の日本人たちの立場はどうなるのでしょうか。
歴史を自分で学ばない、ということは、ほんとうに恐ろしいと思います。
島根県議会の方々は、日教組や学校教育の教科書から離れて、どうかご自分自身で、日韓の近代史を学んでいただきたいと思います。まずは、パソコンで「日韓併合前」で検索してみましょうよ。

当時において、キーセンという性奴隷から朝鮮の女性を解放したのは日本です。キーセンだけではない、世界史上最も劣悪といっていい朝鮮の奴婢制度を開放し、教育の義務を施したのも日本です。それは何度もこのブログに書いてきたとおりです。

しかし、それでも日本軍による強制連行があったということが言われ続けています。従軍慰安婦問題は、あった、とする提言、意見は相変わらずたくさんあって、ネットでもその根拠をしめしたものも見られます。私も読める限りのものは読んでいます。

慰安婦はいました。あの、念のため言っておきますが、慰安婦はいました。ただ私が言っているのは、それは日本軍によって組織的に強制連行されたという事実は無い、と言っているわけで、個々の事情はいろいろあったと思っているわけです。
ちょっと前「強制連行はあった。私がその証拠だ」という87歳の元慰安婦という人の証言が話題になりました。
この人は、自分の意思とは関係なく慰安婦をやらされた、という現実はあっただろうと想像はできます。

あの頃、世界は戦争をしていました。今とはまったく別の世界です。
戦争中です。みんないっぱい辛い思いをしたでしょう。これは日本人も、韓国人も、中国人も、東南アジアの人々も、欧米の人たちも、みんな辛い思いをし、命を落とし、その危険にさらされていました。
慰安婦となった女性たちにも個々の事情はあったでしょう。しかし、だからといって、今のように個々の事情が優先される時代ではありません。だから、貧農の娘や元キーセンだった娘たちは、親や親族、あるいは仲介業者によって裏での金の取引、あるいは借金のカタとしてとられ、本人たちの意思とは関係なく、売春をさせられたという事情がたくさん、いや、朝鮮半島において日常的なこととして、行われていたと思われます。
これも何度も言います。
他に食う手立てはないのです。日本だって、貧農の娘はあたりまえに売られた時代ですよ。少女たちはそれが親孝行だと思って納得していたわけです。今の概念からはとても許されないことでしょうが、この概念を当時にそのまま当てはめると、「売春は人道に反するから辞めなさい」ということになりますが、それは「飢えて死ぬことが人道である」という解釈に、当時の人はなるでしょう。人道、人権より、腹をみたすことが優先する。このことが今の飽食に生きる平和ボケの我々には理解できないでしょうね。で、人権だの人道だの誠実なだの、耳障りのいいこと言ってば、いいことをしているように思う。
いや、今の時代はそれは大事。過去を反省し、同じ過ちは犯してはならない。それが学習。
でもね、間違った歴史認識の上には、真の反省は生まれません。
だから、私はこのブログを通じて、近代史を自分で学んでほしいと呼びかけているのです。
学ばないのなら、慰安婦問題を語るべからず。

図書館に行けば、日韓併合してからの新聞記事が読めます。そこには、農村で口巧みに女性に近づき次々と誘拐していった朝鮮人業者の存在や、あまりの貧困が原因で起こった誘拐事件、警察による誘拐事件解明のための一斉調査といった記事がいっぱいあります。日本女性が誘拐された事件もありました。また、軍の名前を使って慰安婦募集をする民間業者があるので、軍と警察で管理をするようにと、陸軍省が北、中支那派遣参謀長宛に通達された書簡も出てきています。
ただ、こういったことは、慰安婦となった女性たち本人にとってはあずかり知らぬ話でしょう。
「だまされて慰安婦になった」という証言の大部分の構図は、おそらくこれでしょう。親は借金のカタに娘を売り、娘はそのことを知らされていない。だから誰かに誘拐されたかだまされた、と思うわけです。業者が名乗るはずがありません。ただ、目の前にいるのは軍服を着た日本兵……。世間のことを何も知らない十代の少女がここで、何を思うかです。
女だけではない。男も、とにかくみんなが食っていくために必死だった時代です。また、朝鮮半島という状況で言えば、人身売買が目的の誘拐などというものは、当時はほんのこの前まで、ヤンバンが賤民相手に500年間やっていた日常にすぎなかったわけです。おまけに、日本の経済やぜいたく品が入ってくることにより、より金持ちになる、富を得ることの快感、欲望が新たに生まれた時期て゜もあったでしょう。親や親族をだまして、借金まみれにして、娘を取り上げるということも多々行われていたと思われます。
もちろん警察がこれを取り締まるわけですが、どうも賄賂に動いた不徳な警官も多かった。併合時、警官の六割は朝鮮人が雇用されていました。朝鮮はまた、賄賂はびこるヤンバンの伝統がありました。  
日本でも、人身売買のための誘拐まがいの犯罪は起こっていたようですが、国の伝統として性奴隷を作ってきた朝鮮の事情は、これまた特殊なわけです。
ですから、聞けば涙を誘う「誘拐された」という個々の事情を説明する証言は出てきても、日本軍が組織的に強制連行したという客観的証拠となるものが出ない、ということの構造がここにあるわけです。

で、気をつけていただきたいことがあります。
この、涙を誘うような話、というのは、多分に、巧みな話術が必要なわけです。つまり、台本に近いものがある、誰かにこう言えというアドバイスがある、と疑うべきです。話芸や放送、イベントの構成に携わり、今では自らが怪談を語ったり、、若者たちの前で講義をやっている私は、痛切にそれを思います。語りは難しいですよ、ホントに。
みなさんは大勢の聴衆たちを語りだけで、感動させたり、笑わせたり、できます?
元慰安婦の人たちの証言がころころ変わるのも、記憶のあやふやさなどがあるでしょうが、修正、手直しがあったと思われるものもあります。小手先の修正をしたら、話全体に矛盾が出てきた、という、教え子たちがシナリオを書くときのミステイクと同じミスがある話しもありますし。
もちろん事実を語るにしても、構成、演出は必要なわけで、それ自体が罪ではありません。ただ、それを誰がいわせているか、ですよ。

まだまだ続く。

kaidanyawa at 13:34|PermalinkComments(6)

2013年10月08日

マチュピチュ城の秘宝

中山市朗です。

昨日、日本のマチュピチュとして一躍有名スポットとなった我が故郷の竹田城跡の怪談について書きましたが、今日も夕方のニュースで、観光客が急激に増えたことによって、雑草がなくなり、土がむき出したことによって、降り注ぐ雨水がそのまま土にしみこみ、石垣を内部から崩す要因になりかねない、という保存か、観光かで悩む地元の人たちのことを取材していました。今年は年間40万人もの観光客が見込まれるとか。 
私が竹田に住んでいた頃は、一万人、来てたかなあ。

さて、私の祖父が郷土史の研究家であったことも書きましたが、血は争えないもので、私もアマチュアの立場ながらも歴史の研究をしております。別に祖父から託されたわけでもないんですけど。気がついたら、あれ、これって爺さんが追ってたことやん、て。
竹田のある朝来市は、あの生野銀山のある生野町と隣接し、いろいろと真田の抜け穴のようなものがあちこちにあるという噂や、秀吉の宝物が埋まっているという話も子供の頃に聞いたのですが、どうなったのでしょうね。ああいう話も巧く利用すれば、まだまだ観光資源もあるように思うのですが。

ところで、竹田城の石垣の石積みは、石と石との間に隙間のある野積み、つまり穴太積みという手法がとられています。石と石の間をきっちり合わせるより、こちらの方が地震などに強いとされるわけです。
穴太とは、あのう、と読み、穴太衆という石工集団の手法なのです。
石工、といえば、フリーメーソンを思い出しますね。あれももともとは石工集団の組合のことですから。
今のフリーメーソンは、実のところ、いわれている石工組合として古代からあったものと関係があったのかどうかは、判然としないんです。ですが、石工職人たちが特別な情報を後代の職人たちに、その技術や目的、育成のための情報を口外せずに伝える必要性があったことと、彼らが神殿造りに関わることで、神の至聖所を知ることもできた、あるいは欧州の国々を自由に行き来する特権が与えられていたことなどが、石工組合の特殊性をもたらし、神秘の奥義があるとすれば、ソロモン神殿やエジプトのピラミッドの造営に携わった石工の伝承の中に封じ込められたのだ、とする神秘学者やラビたちもいても不思議ではなく、事実、フリーメーソンというものが神秘化していったという部分が、あるのですね。

竹田城の石垣を積んだとされる穴太衆という石工集団も、そのルーツを辿れば、古代の古墳の造営に従事していました。つまり、古代の天皇や皇族の宗教観と密接な関係にあったことが想像されます。
古墳時代の天皇の宗教観とは、はっきりと物部神道であった、といえましょう。
穴太衆の本拠地は滋賀県大津市坂本穴太とされていますが、このあたりは古代の製鉄遺跡が大量に出ていて、穴太の石工技術は製鉄技術にも生かされていたようです。
穴太神社が大阪府八尾に鎮座しています。八尾はもともと矢を負う、から来た地名でして、つまり矢を作る職人たちがいた土地で、現に弓削という土地もあり、他にも物部氏との関係を示す町名がいっぱい残っています。
物部はもののふの語源となったとされ、古代において天皇の軍隊を司っていました。古代の軍隊は、常に神とともにありました。軍事と神事は密接なものであったわけです。ですから物部が、武器を作る職人たちと共同で行動を取っていたことがわかります。現に物部守屋は、物部弓削守屋とも、名乗っていました。母が弓削の女だったようですね。その、八尾の物部の地に、穴太神社があるわけです。
由緒書きには、穴太とは、安康天皇の設けられた御名代部の一つ、とあり、安康天皇は、わが国で最初に鉄の矢を用いた天皇であるとされ、その矢を穴穂矢といったと「書紀」にあります。
穴太と穴穂は同意語のようです。また穴穂部は泥穂部であり、穴生とも表記され、土木建築にも関わったのではないかとも思われます。秦氏との結びつきがここに現れます。
実は、この八尾の穴太神社こそが、聖徳太子の母君である、穴穂部間人皇后の生誕地であると、同神社の由緒にあります。つまり、聖徳太子の母は、物部の血を引いていた可能性があるわけなんですね。
聖徳太子は、大工の神として四天王寺の番匠堂に祀られています。手に金尺という直角に曲がったコンパスのようなものを持っています。その太子の血筋が石工集団にあったとすると、こりゃ、石工、コンパス、建築の神に対応し、つまりはフリーメーソンの象徴にピッタリ合いますがなこれ。
これ、伊達や冗談ではありません。
聖徳太子が定めた冠位十二階。この趣旨はなんだったか。
朝廷に従える臣下を十二の等級に分け、地位を現す冠を授ける、とウィキにありますが、これは聖徳太子が朝廷のしがらみから離れ、氏、姓に関係なく、個人の功績によりその位次を示そうとするものです。
これって、人種、身分を問わず平等に加入できて、個人の功績、徳によって次なる階位に上がるというフリーメーソンの考えに極力似ているわけです。また、フリーメーソンは切り刻まれない石、自然石を真実の象徴とするわけですが、四天王寺も自然石による四天王寺四石がその礎となっていて、また、フリーメーソンの太陽神話の延長としての東西南北の象徴も、四天王寺の現すところなのです。しかもフリーメーソンの奥義には神秘学があることは確実であり、冠位十二階もおそらく道教を中心とした日本の神秘学のはじまりがあったと思われるのであります。
とすると、冠位十二階のシステムを後にフリーメーソンがとりこんだ、あるいは冠位十二階が、その頃あったかも知れないプレ・フリーメーソンからそのシステムをとりこんだのでは、と思えてならないのです。
そんなことがありえるのかって?
小井、という姓に、どうやらヒントがありそうなんですが。
小井とは、いさらい、と読みます。
どなたか、情報、お持ちではないでしょうか。

ところで、聖徳太子と物部の関係をもっと知りたい方は、ハート出版から出てます「聖徳太子 四天王寺の暗号」わお読みください。

kaidanyawa at 00:14|PermalinkComments(9)

2013年10月06日

マチュピチュ城の怪談

中山市朗です。

本日(六日)の夕刻6時30のABCテレビで「奇跡の地球物語・天空の城、竹田城 日本のマチュピチュに残る石垣の秘密」という番組をやっておりました。
兵庫県朝来市和田山町竹田の山城で別名、「虎臥城」。上から見ると虎が伏せているように見える、ということから名づけられました。
実は、和田山町竹田は我が故郷でありまして、私の祖父は中山東華と言う名で郷土史研究をしておりまして、竹田城の研究の第一人者でありました。もう40年近く前に没しましたけど。
今でこそ、竹田城は日本のマチュピチュとかいって注目されておりますが、ちょっと前までは無名の山城でありました。私たちは小学校、中学校の遠足で登ったりしていましたが、まぁ、観光客の姿は無い。
城よりも家具(和田山竹田家具!)の方が知られていたくらいです。
祖父は「南但竹田」「新大正太平記」といった著作(といっても自費に近いものでしたが)にて、竹田城の伝説、歴史を明らかにし、弘治2年(1556)に記されたものを元に、竹田城見取り図を復元させながら、「今は誰もあの城を注目せんし、研究家も知らん顔しとるけど、建物の一つでも残っとったら国宝級の城や。形といい美しさといい、山城としては日本屈指のものや」と言っておりました。
まあ、地元の人も、いつも変わらずに当たり前のように見れるこの城で観光誘致、なんて思っていなかったと思います。
竹田城が注目されるにいたるきっかけは、1990に角川春樹のプロデューサーの元で制作された映画「天と地と」のロケ地として知られたところから始まりました。
もっとも最初のロケハンの候補にすら挙がっておらず、スタッフがたまたまこの山城の石垣を車中から見つけたから、と聞きました。
「黒澤明監督もここをご存じないはずだ」と、この城跡の発見をスタッフはこう言って自慢していたのを覚えています。あっ、私もこの映画、現場に若干入り込んでおりまして、エキストラ出演もしております。
その後、この城は何度も映画のロケに使われ、昨年公開された「あなたへ」では、高倉健さんも竹田城にて演技をされました。今はもう、観光客がすごいことになっているそうで。
どうでもいいことを言いますと、この城で最初の映画ロケを慣行したのは、大学卒業制作のために我が故郷で撮影した「残照」という16ミリ映画が最初でありまして。えっ、ほんまにどうでもいい?

さて、この竹田城、歴史が古いだけに怪談も多く、いろいろな怪異を子供の頃から聞かされたものです。
「新耳袋」にもその怪談が掲載されております。
「第一夜」の古写真、「第二夜」の白蛇の祠、という話がそうなのです。
竹田城と日本オカルト界の巨人、出口王仁三郎との関係が、私としては興味の持たれるところです。
このことも亡き父が著述しました「但馬・竹田物語 昭和戦前史」に詳しく書かれております。
そして、「新耳袋・殴り込み」もこのお城跡にて、怪異現象の撮影に成功しております。石垣に不思議な白いボールのようなものがぴょんぴょん飛んでいる、というのがありました。あれがそうです。

さて、数年前のことです。
我が塾生が、怪談の取材にと、この竹田城跡に登り、一夜を明かしたことがありました。このときはまだ、日本のマチュピチュとは呼ばれていません。よって、他には誰も人はいなかったそうです。
で、大阪に帰ってきた。
「なにかあった?」と私。
「いえ、なにもありませんでした」
「ほんまになにもなかった?」
「ほんまなにもなかったです。みんなで怪奇現象が起こるの待ってたんですけど」

数日後、「殴り込み」の映像を塾生たちと見ていると「あれ、先生、これやったら見ました」とS君。
「はあ?」
城跡の千畳敷という場所でみんな夜を明かそうとしていたところ、ひとりの女子が「ちょっと散歩してきます」と、懐中電灯を持ってひとり出かけたというんです。しばらくして、懐中電灯の光が戻ってきた。ところが同じ光が二つあったというんです。
なんで? と思って見ていると、一つの光がフッと消えて、その女子の懐中電灯だけになって。彼女、何気ない顔して戻ってきたし、今の明かりは、じゃあなんだったんだ、あっ、きっと虫だ、と思い込むことにしたそうですが、「殴り込み」の映像を見て、「僕が見たの、まさにこれです。同じです」と叫ぶわけです。
懐中電灯の光と同じ光を出して飛ぶ虫なんか、おるかい!

いろいろあるんですよ、あのお城。


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2013年10月04日

配信アリ

中山市朗です。

昨日、木曜日はいつものごとく塾でありまして、第一週は講義の日。
ただこの日は、受講者が極端に少なかったので、各々から質問を受け、それに答える形での講義としました。
するとこんな質問が来ました。
「霊スポットには面白半分に行ってはいけないとよく聞きます。中山先生はよく霊スポットに行かれているようですが、やっぱり真剣な面持ちで行かれているのでしょうか?」
それに対する私の答えは、
「面白半分で行くわけがないでしょう」
そうですよね。ネットなんかで見ると面白半分に行って、えらいめにあったとか、こんなことはやってはいけない、なんていろいろ書かれてますもんね。
だからこう正直なスタンスを言ったわけです。
「面白半分じゃない。面白面白いだけで行ってます」
真剣な面持ちってなによ、ですわ。
霊スポットに行く、ということは、つまり興味本位。それ以外のなにものでもない。
だって、私には何も見えない、感じないわけですから。それに修行だってしていないし。精進だってしていない。肉ばっかり食ってますしね。
つまり、この世の者でないモノがお出になったところで、どうしようもない。お祓いはできないし、交信もできない。見よう見まねの九字を切ることくらいですが、これとておちゃらけ。
だったら、完全無防備で行こうと。
だから、お塩は持たない、数珠もお札もお守りも身につけない。無駄な抵抗はしないっていうこと。
だいたい幽霊を見るために霊スポット行っているのに、なに霊から守ろうとしてるのよって。
『新耳袋・殴り込み』の連中にもそう言って、隠し持ってたお守りや数珠を外させたことありますもん。
彼らは「まじっすか」と半泣きになってましたけど。
だから、霊スポットに行くなら、霊がはたしているのか、出てくれるのか、出るとしたらどんな風に? と、そう思って行くわけでしょ? ビデオに映らんかなぁとか、写真に撮れないかなあ、とか。他にあります? ホントこれはもう興味本位以外の何モノでもない。
だから、面白半分、ではなく、全部面白い、という精神(と言うのか?)で行くわけです。
正直、あの「呪い面」も、テレビでは「面白半分ではだめ」と言っていたので、面白い、というだけで被ったわけで、おかげさまで何も無いですしね。ただし、面白い、を堪能するなら、徹底的にそれを調べる、事情を知るということを心がけること。

やっぱり旅行だって、楽しくやろうと思えば、当地のことを知ろうとするでしょぅし、美術の知識なしに美術館へ行っても何もわからないだろうし。好きな人ができたら、その人のことを知りたいと思うでしょう。知ればデートはもっと楽しい。ともかく、中途半端はどちらにしても、つまらん、ということじゃないですか?

ということで、その面白いを私の語りと動画で皆さんにお届けしようという今月の「幽怪案内」。
本日より3週にわたって「千日前怪談特集」をお送りします。
私が何十回と興味本位だけで訪れている千日前。なーんにも無いですけど。
それでもなんやかんやと、大阪最大の霊スポットと噂される大阪ミナミの千日前。でもそのわりには、その歴史も、どんな怪異が起きているかも、ちゃんと語られていない、という気がします。
そこで、私が聞き集めた、千日前に限定した怪談を集中的にお送りします。ただ、千日前怪談の特色は、ただ、見た、聞いた、という話が多いので、それらはまとめて短編怪談として紹介いたします。

今週の千日前怪談は、まず千日前の歴史のお話を。
あそこは江戸時代は墓所であり、処刑場もあったといいますが、どうなのでしょう。
テレビではできない現地での解説。
そして、有料になります一本目は、ほんとに短い怪談を何本か連続で。なるべくそれが起こったという場所の近くで語っております。ただし、商業地なので、配慮はしてます。
二本目は、昔、大火災があったという跡地にできた商業施設のエレベーターであった話。そして、またまた短編怪談を収録してあります。
こんな企画、おそらく当動画でしかできないのでは?

「幽怪案内」はTBSラジオ・らじこんからどうぞ


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2013年10月03日

聖居

中山市朗です。

20年に一度の伊勢神宮の遷宮が真っ只中ですねえ。
なぜ、20年に一回、遷宮しなければならないのかは、いろいろ説はありますが、さっぱり不明だそうで。
伊勢の遷宮に併せて、元伊勢、あるい別宮ともされる瀧原宮、伊雑宮でも遷宮は行われるようで、両宮の宮司さんは「なぜ遷宮をするのですか」という私の問いに「古代のことはわかりません」と答えられました。
伊勢神宮の式年遷宮広報室のホームページには、
「式年遷宮は、今から1300年前、第40代天武天皇が定められ、第41代持統天皇4年(690)皇大宮の第一回御遷宮がおこなわれた」とあり、その意味としては「堀立柱に萱の屋根という素木造りの神宮の威厳を保つためと言う説があり、また、中国の暦学から来たという説がある」としています。しかし中国にはこのような宗教儀式はありません。日本独自のもののようです。
「素木造りの威厳」というのは素木造りの耐年の問題ということなのですが、これも同ホームページでは「この制度が定められたとき、法隆寺は建てられていた。当時の技術で立派に永久的な社殿はできたはず」としていて、「神宮の唯一神明造りは、いつまでも新しく、いつまでも変わらぬ姿を求めて、20年ごとに造りかえる」としています。
まあ、私は私の独自論がございまして、いずれ詳しく書きたいなと思いますが、これは移動すること自体に意味があると思われます。伝承によれば、伊勢の神である皇大神は、倭国・笠縫邑から始まる25ヶ所を順幸され最終的に、現在の伊勢、五十鈴宮に定まったとあります。移動式神社というのが、今の伊勢のルーツであるわけです。
ですから、今も、遷宮と言う名の移動を繰り返しているわけです。
日本の神様は、実は移動することがお好きなんですね。神輿がそうですやん。あれは神様の移動用具ですから。
あの神輿の発祥はまさに、伊勢の順幸にあるのですよ。
それに、昔は鹿島、香取、諏訪、宇佐八幡でも遷宮はあったといいます。ではなぜ、日本の神様は移動好きなのかというと……。
長くなるので止めます。
20年という数字にも意味があります。
いずれ書籍にしたいです。



kaidanyawa at 16:21|PermalinkComments(6)

2013年10月02日

コレクター

中山市朗です。

先日、小型のカセットレコーダー型の録音機を探していると書きましたところ、いろいろ情報いただきました。
おひるねさん、ま゛さん、狩人さん、ありがとうございました。
日本橋の某店で発見し、購入しました。

私は根っからのこだわりコレクターでして、ベータ、VHS、DVHS、レコード、レーザーディスク、MDなど、とにかく再生するプレイヤー、そしてソフトや録画、録音済のコレクションが部屋いっぱいにあるわけです。
映画もそうですが、もうおそらく放送局にも無いかも、と思われる落語、漫才から、バラエティ、ドキュメンタリー、CM、コンサート、オペラ、歌舞伎、プロモーションビデオなどなど。
普通なら、処分せえ、てなものですが、そこができないのが、コレクター。
私の名刺にある肩書きは「怪異蒐集家」となっておりまして、名づけは京極夏彦さんなのですが、これは怪異コレクターという意味ですから。
それに古代史、東洋史、オカルト、映画や演芸、民俗学にも興味がありまして、書籍、雑誌、新聞の切り抜き、図書館でコピーした門外不出の資料など、それらの管理、維持が大変なのであります。そういう膨大な資料の一部が、過去二十数年にわたって聞き取りをした怪談、怪異体験談が録音されたカセットテープというわけです。
実は今、それらをまた聞きなおしているところです。
当時は使えないな、と判断していてNGとした話も、今聞くと、肝の効かしかた、視点の変え方、演出の仕方によっては面白くなるな、という話もあって、特に「肝」というのが、怪談となるかならないか、という要素であることが、いまさらながらに実感しているところであります。
今日も午後に、「おくりびと」をやっているという女性からいろいろ話を聞かせていただきました。
遺体を浴槽で洗って、着せ替えをし、お化粧をさせ、納棺させるという、あの仕事ですね。
亡くなった人の亡骸と接する機会が多いだけに、やっぱり些細ながらも、奇妙なことが起こっているようです。

それに、花柳界の世界にある怪談も集まってきているんですが、世界が世界だけに、色情、嫉妬、恨み辛みと、物凄いものがあり、「新耳袋」的な世界には収まりきれない、世界が違う、ということを痛感し、どう料理して作品にしようか悩んでいます。「なまなりさん」に近いかな。
そして、情報が途切れてしまった「生首村」。
まあこっちは、急がず焦らず、です。





kaidanyawa at 23:25|PermalinkComments(5)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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