2013年11月

2013年11月29日

配信あり

中山市朗です。

毎週金曜日は、TBSらじこん「幽怪案内」の配信日ではありますが、本日は第五週にあたるため、配信はお休み。その代わりといたしまして、第五週はうちの事務所の秘書をやっております真名子による、突撃心霊映像コーナーを配信しています。
本日は「噂の公園」。
大阪市内の某公園の電灯塔を444回回ると、三メートル近い帽子を被った女の霊が出るといいます。
去年、オフィスイチロウよりお届けしておりました、大阪SNO提供のネツト番組「我ら、魔界探偵団」のコーナーで、真名子が現地でこれを実行しに行ったところ、それらきしものが、ぼっと出現、動画に撮られた、というものを検証しています。
ただし、解像度が悪い映像、しかも夜遅くということもあり、かなりの確率でこれは電灯の光がそういう形として映りこんだものだと思われます。ただ、噂のものに似たものが映ったというところは、検証の要ありかなと、本日の配信のため、同時刻に現場検証しました。
ゆるゆるですけど、無料ですので、ツッコミ入れながら見てもらえれば、と。

それと、噂そのものも、誰かが作ったものと思われます。
今回はこんなんで、どうもスミマセン。

TBSらじこん「幽怪案内」はコチラ。

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2013年11月28日

ポルターガイスト

中山市朗です。

昨日、東京からファンキー中村さんが、我が書斎にいらして、ある映像の収録をしたのですが。
収録中、なんか、洗面所がバタバタとうるさかったんですね。
ファンキーさんも、「うん? なんの音だ」みたいな表情になって、会話が止まったりしたんですが、
「風です」と言うと、「なあんだ」ということになって。
まあ、ずっとしていたんです。

で、ファンキーさんたちが帰った後、洗面所を見てみると、うん?
窓は開いていない。
開いてなきゃ、あんな音はしない。

で、彼が帰ったら、音もしなくなった。
ファンキー中村に憑いている?

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2013年11月25日

報告! ユーレイ・キャンプ

中山市朗です。

怪談inキャンプ、無事終了しました。
無事、というのがよかったのか、そうでないのか。

このキャンプ場の存在を知ったのは、今から11年前。当時の私の教え子、Oくんが「僕がスタッフとして参加しているキャンプ場に幽霊が出てます。あるログハウスなんですが、そこに入るの、みんな嫌がっているんです。取材、しません?」というタレ込みによるもの。
だったらと、教え子23人を連れて、そのログハウスでオールナイト怪談会を慣行。実際、怪異が起こったりしたんです。 
それで今回、そのログハウスを指定予約しようとすると「ログハウスの指定はできません」と言われて、交渉が難航したんです。まさかおたくの幽霊の出るログハウス、ともいえませんし。いや、うちのスタッフは言ったそうですけど。Oくんがいればよかったのですが、今はもう辞めているということで。
ところが当日、Oくんが10年ぶりくらいで会いに来てくれていたのです。
「先生が来られるということを聞きましたので、来ないわけにいかないでしょう」って。
それで「ここのキャンプ場に関する最新の怪異情報は無いの?」と聞くと、ともかくこの周辺の山ではやたら自殺者の遺体が発見されるということと、このログハウスにだけ、不思議とよく雷が落ちるとのこと。「一度も火事にならないのが不思議なくらいです」とも。ところが最近、怪異は我々が指定したログハウスの隣に移ったようだと。
ともかくよく死臭が漂うとのこと。
「はよ言え!」

しかし、その隣のログハウスはお客さんの宿泊用にとこれも予約しておりまして。そういえば、オールナイト怪談を早々とリタイアして寝に帰ったのは、そのログハウスにわりあてられたお客さんたち。朝になってもなかなか起きてこなかったのも、そのお客さんたち。きっと霊のせいで……、
関係ないか。

でも、私とうちのスタッフAくんと当日ログハウスの下調べをしていると、こんなことがあったんです。
ログハウスにいたのは二人だけ。二階に上がりました。
二階の宿泊室に入って、私は押入れを点検したんです。11年前、ちょっと妙なことが起こった場所です。カメラを持ったAくんは、廊下を撮影していたので、彼に押入れを撮影してもらおうと廊下に出ると、彼がひどく驚いたんですね。
「わあ! ビックリした。先生、なんでそこにいるんですか?」って。
「なんでて、最初からここにおるがな」
「いや、先生さっき、この階段下りて行きましたよね」
「いや、ここにおった」
「いやいや、何言うてるんですか。下りましたやん」
「いや、下りてない」
「下りたじゃないですか。僕、先生の姿見ましたよ。ここからこう下りていって。さっきまで音もしてました」
「下りてない」
「絶対下りましたって。つい今ですよ」
「じゃなんで、俺、ここおんねん」
「だから驚いたんですよ。えっ、じゃ、今のなに?」
彼は何を見たのでしょうか?

さて、バーベキュウで肉をたらふく食べて、肝ためしもやって、いよいよオールナイト怪談。
今回参加くださったお客さんには、四国や愛知、東京からの人も。
「名古屋で怪談イベントが全然無いんですよ」と愛知から来たという二人。
名古屋かあ。

しかしなんですな。やっぱり怪談は円座になって、ああだ、こうだと、怪談を語り聞くのが楽しい。ネタも拾えますしね。
黙々と裏方をやってくれていたスタッフのYくんに、あるお客さんが「Yくん、なんかないの」と振られて、彼が語った怪談が意外にも使える怪談でした。隠し球、持ってたな。
私としては、予備自衛官でもあるCさんが取材してくれて、披露してくれた何話かの自衛隊怪談が非常に面白かったというか。わが国を守る屈強な男たちが幽霊に怯えるというギャップが面白い。それと自衛隊は絶対の組織ですから、目撃された怪異が、別の隊員によって確認され、上に報告される。報告を受けた側もそれに反応する。その段階で怪異に真実味が帯びてくる、というシチュエーションがいいんです。
自衛隊怪談の特色は、はっきりそれが、幽霊であると、確認されてしまうんですよ。これが面白い。
それと、自衛隊の施設は旧軍のものをそのまま使っていることも多く、この場合、旧軍の幽霊が出るとういう話が多くなるわけです。
もう戦後60数年、なのにいまだわが国を守っている旧軍の英霊たちの話を聞くと、なんだか涙が出そうです。わが国を賤しめ、陥れようとしているマスコミや学者の人たちに聞かせてやりたいくらいです。
で、Cさんをはじめ、何人かの予備自衛官の方から聞いた自衛隊怪談も、なんだかそうとう集まってきました。

と、半数以上のお客さんがダウンした頃、なんやかんやとさわやかな朝を迎えました。
重苦しい朝を迎えたかったんですけど。目だった怪異はこの日は起こらず。
もっとも「僕はまったく幽霊も見ないし、気配も感じない」というお客さんが集まりすぎていた、ということもあったのかな?
まあ、全員無事が、これ幸い。
お疲れさまでした。

また、わがスタッフはアウトドア派もいない状態でして、なにかと不手際、準備不足などあったかと思います。もし、お心悪くされましたら、申し訳なく思います。
しかし、今度は「甲山でやりましょぅよ」という話もお客さんからありました。
甲山。
ここも幽霊の噂と、くだん。UFO多発地帯でもあります。

来年、する?

kaidanyawa at 09:52|PermalinkComments(7)

2013年11月23日

ユーレイ・キャンプ

中山市朗です。

幽霊が出る(かも知れない)キャンプ場へ、行ってきまーす!!

kaidanyawa at 13:19|PermalinkComments(1)

2013年11月22日

配信あり

中山市朗です。

本日は「幽怪案内」の配信日です。
ちょっと今回は変わったものをお送りします。
以前このブログで、山口敏太郎氏の所持する「呪い面」について書きました。
フジテレビ系列で放送された「奇跡体験アンビリーバボ」でも、正面を見ただけで呪われるお面、として紹介され、ネットでも話題になったあのお面です。
そして、見てもいけないというお面を、ガリガリガリクソンくんと被りに行った、ということも報告しました。
そのときのドキュメント映像を、今回はお送りいたします。
今、このお面を預かっているという、三木大雲和尚が「呪い面」について語っております。
そして、楽しそうに被る、私の勇姿(?)があります。
ガリガリガリクソンくんも、私も、なんともありません。
ただ、三木和尚がお面を箱に戻そうとするときに、ビビビッ、ビビビッという謎の雑音が入っていますが、これは原因不明。ただ、和尚が「このお面は、箱から出たがっているように思うんです」という言葉が気になります。
画面に異常なものが映っているのかどうか、私にはわかりません。
なにか発見があったらお知らせください。
でも、同時に正面からお面を撮った写真は、私のスタッフが撮ったものも、ガリクソンくんに同行していたスタッフが撮ったものも全滅。残った斜めから撮った写真も、ネット上でやりとりしてもまったく開かなくなる、という怪異は起こっております。

そして、皆さんはけっしてまねはしないように。
三木和尚のお話によれば、お面を見たり撮影したりして無事だったのは私とガリクソンくんだけで、それ以後も、新聞やテレビの取材陣には怪異をもたらせて、ことごとくボツ企画となっているようです。そのあたりのことは、無料配信(今回は解説編と後日談編の二本あり!)の後日談編で語っております。
やっぱりこういうものには、遊び半分、興味半分で行っちゃダメなんです。
遊びでなくっちゃ!

ところで今回の素材を編集したウチのカメラマンによると、カメラとPCに異常トラブルが発生しまくったようです。いつも、私に来ずに、彼のところに行っています。

TBSらじこん「幽怪案内」

kaidanyawa at 13:19|PermalinkComments(6)

2013年11月21日

マイ・ウェイ キューポラのある真実

中山市朗です。

昨日の夜、録り貯めしていた映画を見ようと、二本の映画を見ました。
一本は、韓国映画「マイ・ウェイ 12000キロの真実』。
もう一本は過去見たことがある、浦山桐郎監督の『キューポラのある街』。
この二本はなんの関連性も無く、ただ、衝動的に見たいと思って見ただけだったのですが。

『マイ・ウェイ 12000キロの真実』は、以前『聯合艦隊司令長官・山本五十六』を劇場で見たとき、派手な予告編をやっていたので、見たいなと思っていた映画でした。
朝鮮人である日本兵が、ロシア兵になり、さらに数奇の運命を経てドイツ兵となり、ノルマンディ上陸作戦で戦う。なんだか奇想天外ながらも「真実の物語」と、確か言っていたような……。気にはなっていたんです。
で、見てみたら、すごいデタラメな映画でした。いや、映画はデタラメであろうが、大嘘であろうが、いいわけです。しかし、この映画に「真実」とか、歴史という言葉を使っちゃいかん。日本の配給会社が付けたんでしょうけど。いやいや、その前に『マイ・ウェイ12000キロの真実』という、このどうしょうもないタイトルはどうなのよ。

話としては、1928年の日韓併合時代のソウルから始まり、日本人将校の息子と、その屋敷に使用人として仕える朝鮮人の子の、日本人、朝鮮人の二人の男の物語です。
二人はマラソンを通じてのライバルとなり、やがて来たるベルリン・オリンピックの選手選考会に、日本のホープ長谷川辰夫(オダギリ・ジョー)を抑えて優勝しながら、理不尽な判定を受けたキム・ジュンシク(チャン・ドンゴン)は、選考会員たちに殴りかかり、それが元で日本兵として徴用され、ノモンハンの戦場に送られる。そこに赴任してきたのが大佐となった辰夫。ガチガチの軍国青年で部下たちを冷酷な命令で、死なせていく。ジュンシクはそれに反発しながらも、戦わねばならない。結果、日本軍は敗北。二人はソ連軍にとらわれ、捕虜となる。やがてドイツ軍が侵攻してくるにあたって、二人は死ぬか、ソ連兵として戦うかの二択をせまられる。そして、ドイツ軍に拾われ……。

これ、全部、歴史にはない、全部創作。でも、その想像力は凄いと思います。
カン・ジェギュ監督は、ノルマンディ上陸作戦で捕虜となった一枚の東洋人兵士の写真を見て、これだけのスケールを考え出したといいます。それが韓国で実際に映画になっちゃうというのが、凄いところだと思います。ちなみにその写真は映画のチラシにも載っていましたが、ユタ・ビーチで捕虜になった日本兵はほんとうにいたそうですな。
ただ、これだけのスケールのものを撮ったからには、世界での配給を考えなくてはならない。特に、日本と中国の市場をターゲットに置いたのは確実でしょう。オダギリ・ジョーが一番タイトルというのはその現れ?
ただ、それにしては、やっぱり反日、日帝の悪事というのは相変わらずで、チャン・ドンゴンがすごくいい人キャラというのも、なんだかなあと。
朝鮮人による徴兵は1944年も終わりの頃ですから、1939年のノモンハンの戦場に徴用された朝鮮人の日本兵はいなかったわけで、もしいたとしたら、志願兵。当時千人にも満たなかったと思います。でも彼らは誇りを持って日本人として戦いました。だから、犯罪の罪による徴用もウソ。いや、何度も言います。ウソがいかんというわけではない。しかし、これが歴史だの真実だのというのであれば、これはやってはいかん。日本軍に対する無理やり、強制、残忍、という感情が渦巻きます。韓国の観客にはウケたでしょうけど。もっともジェギュ監督は、ソ連の捕虜宿舎における描写では、朝鮮同胞による裏切り、残虐性も描写していて、その苦労は垣間見えます。それにしてもノモンハンの戦闘シーンで、ソ連の戦車隊にジープやトラックで特攻する日本兵や、一人でソ連の戦車兵をぶっ殺していくオダギリ・ジョーは無茶苦茶でしたな。チャン・ドンゴンの役も人間的にはいいヤツすぎるんですが、兵士としてやっちゃいかんことを平気でやってます。今の人にはそのほうがわかりやすいし、正義と見えるんでしょうけども。

ところで、ナチス・ドイツ下で開催されたベルリンオリンピックに、マラソンで金メダルを取った日本人選手がいて、名前を孫基禎といいます。朝鮮半島で生まれた人でした。おそらくこの人のことも、この映画では参考にされたと思われます。

そして『キューポラのある街』。浦山桐郎監督の処女作であり、吉永小百合が本格的に女優として一本立ちした日活映画の傑作です。
昭和30年代の埼玉県川口市がその舞台。キューポラというのは鉄の溶鉱炉のある煙突のことで、鋳物工場に働く職人たちの街ということになります。そこに頑固一徹の古い職人気質の親父を持つ、吉永小百合扮する中学三年の女の子と、貧乏な家族、そして、子供たちの間の友情を描くわけですが、ここにあるのは、貧困、無知、そして朝鮮人差別。ただ、子供たちの間にはそのような差別はなく、だからこそその友情の別れがクライマックスに来るわけです。つまり、彼らは家族とともに北朝鮮に帰っていくわけです。この頃は、朝鮮戦争で疲弊していた大韓民国より北朝鮮の方がいくらか希望が持てる国であり、新国家設立、地上の楽園などと日本の新聞などはうたっていたそうです。それで朝鮮総連が率先した「帰還事業」が行われたのがこの時期だったんです。当時は日本も貧乏していましたから。新聞は「完全就職」や「生活保障」が北朝鮮にはあると書きたて、実際それを信用して帰っていった朝鮮の人もいたでしょう。日本人妻問題も、ここから出るわけです。
「これ以上、貧乏になれっこないもんな」と言う子供たちのせりふがあるんですが、貧乏どころか、これから地獄が待ち受けていようとは、思っていなかったんでしょうね。

たまたま見た二本の映画ですが、途中で、朝鮮人、というキーワードがあることに気づいたわけです。
そして、韓国の映画は右翼。日本の映画は左翼である、ということも改めて気づかされました。『キューポラのある街』の原作者、早船ちよは共産党員だったらしいのですが、『そこまで言って委員会』という読売TVの番組で津川雅彦が「日本の映画人は左翼であるべきだという考えがあって、彼らが日本映画をつまらなくした」というようなことを言っているのを思い出しました。





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2013年11月18日

失敗の苦き香り

中山市朗です。

作家になりたい、漫画家になりたい、イラストレーターになりたい、映像作家になりたい。
そういう人たちが我が塾の門を叩き、思いを遂げた者もいれば、何年もいてどうにもならない人もいます。
どうにも私は、この、どうにもならない人への叱咤と激励の意味もこめて、だめだめなクリエーター志望者の実態を書いてしまいがちなのですが、あくまでここに書く例は、専門学校で教えていたときの学生や、大学時代ともに学び、プロになることを熱く語りながら挫折した同期の人たちに、共通しているものとして提示しています。
だから、塾生さんはだからダメ(そういう部分も確かにありますが)、という短絡的な考えではなく、クリエーターを目指す若い人たちの共通した問題の提言でもあります。
アホで社会不適合者、高校生にしてサラリーマン生活は無理、と決めた本来怠け者の私が、でもどうやらこの世界に生きていられることを考えれば、クリエーターになることはさほど難しいことではないし、周りで活躍している仲間を見ても、そう根つめて、難しい顔をしいた者もいません。好きなことを続けているうちにプロになっちゃったというとは多いし、ちょっとしたことの積み重ねでなれるんだと思うんです。しかしどうやら、私より怠け者が世の中多いようです。驚異ですわ。

成功の方法は人それぞれであって、また、何をして成功といえるのかは本人にしかわからないでしょうし、思いを遂げた者も、まだまだこれからこの世界でプロとして、それを続け、さらなる高みを目指し、作品を作り続けるしかありません。その方法は人それぞれなわけです。そこに、これぞ成功の極秘だ、というものがあるなら、私が知りたいですわ。
ですから、成功する秘訣はない。ただ書け、作れとしかいえない。

たとえば、絶対に小説家や漫画家になるんだと、書いて書いてどうにもならんのもいるし、一作でデビューしちゃうのもいるし。デビューはカンタンにしたけど後が続かないものいれば、デビューするのに苦労したけどその後は順調にこなしている人もいる。賞を獲ったのもいれば、いわばコネでデビューしたのもいる。
いろいろです。
しかし、ダメになる人には、明らかに共通した原因が存在しているのです。
だから、私がここに書いているのは、うちの塾生という体ではありますが、クリエーターを目指している人たちに読んでいただきたいと思っているわけです。そこは、想像力で読んでいただきたく思います。

私自身、そういう人たちに偉そうなことをいえるほどの作家先生ではありませんが、しかし、そんな私でも二十何年か、この世界で生きておりますし、いろんなモノ作りの現場を体験し、いろんな人たちと遭って、そこにいろいろな刺激が生まれ、アイディアが浮かび、また、そういう人たちの力添えがあって、はじめて作品が市場に出るのだということは十分承知しているわけです。そういう意味で、人とのコミュニケーションは大事なんです。そういうシステムを理解するか、できないかは、プロとして生きていく大きな鍵になると、私は思っています。そしてどうも、ここのところが、なぜかクリエーター志望の若者には理解してもらえない、という、もどかしさもあります。

極端なことを言えば、作品を作ることは誰にだってできます。しかし、市場に出す、ということが難しいのであって、市場に出て売れてこそ、はじめてプロになる出発点に立ち、それを続けることで、はじめてプロと名乗れるわけです。そんなん当たり前やん、という声が聞こえそうですが……。

ところが、クリエーターになれずに消える多くのパターンとして、市場に出す、という難しさがどうも理解できずに、なにも手を打たないうちに、どうにもならなくなって消える、というのが、あまりに多いわけですよ。
なぜそうなのかは私にはわかりません。ただ、そこには想像力の欠如があるように思うわけです。

一ついえることは、ダメになる共通項に、どうしても篭ってしまう、ということがあるわけです。何度も何度もこのブログで篭ったらあかん、と警鐘を鳴らしていますが、篭ると危険信号が発せられます。でも、篭るんです。篭るのがいるから何度も書くわけです。

確かに小説家や漫画家は、部屋やスタジオに篭っての作業となります。特に小説の執筆は、基本的に一人であり、篭らないと作品は書けません。映像作品も昔は現場があって、大勢のスタッフがそこに集まっての共同作業が不可欠でしたが、今はパソコン上で奇抜で面白い映像作品を作れる時代になっちゃいました。つまり、篭った映像作家、映画監督がいてもおかしくないわけです。

私は映画が好きで、三日映画を見ないと禁断症状が出るわけですが(?)、最近の映画の技術たるや物凄いものがあります。今、映像表現で不可能なものは無いのではないでしょうか?
しかしその、圧倒的な技術が感動につながるかといえば、そうでもない、と思うわけです。それがリアルなものを生み出すのかと言うと、違うと思うのです。
やはりそこには、計算された演出がなければなりません。その演出もテーマに沿ったものではなりません。
演出に必要なものは、想像力と創造力です。

黒澤明という映画界の巨人と実際に接して思ったことは、この人の旺盛な想像力と圧倒的な創造力が、世界が認める名作と映画の歴史を作っていったんだということでした。
まずその想像力の源にあるのは、圧倒的な読書と映画を見てきたというベーシックなものはありますが、やはり人との関わりにあるわけです。映画とは、技術を見せるものではありません。あくまで人間のドラマを見せるものです。そこに技術が必要となるわけでして、技術のみを特化して、人との関わりを拒絶すると、そのドラマが描けません。スピルバーグという人を見ればわかるでしょう。
黒澤監督は、ほんとうにスタッフや役者さん、あるいは若い人が好きで、人に囲まれるとニコニコされていました。食事も絶対にスタッフや出演者たちとわいわい言いながら採る。そして理不尽なことを嫌い、暴力を否定しました。ダメなスタッフには暴言はよく吐いてましたが?
当時監督は75歳くらいだと思いますが、やっぱり人を見て、よく観察しています。
私はこのとき「乱」の現場で黒澤組初のビデオ班というのを認められて、ずっとメイキングを撮っていたわけですが、あるメインの役者さんが怪我をされて一週間ほど撮影が中止になった。それで、馬の調教を撮りに行っていたんです。米国から買ったクォーターホースを軍馬に仕立てるのと、馬に乗ったことの無い役者さんが乗馬の練習をしているわけです。それが、素敵だったんですよ。
馬で隊列作って、まずは牧場を何週もして、やがて駆け足。号令が掛かって、陣形くんで。そしたら犬がその隊列を追って走るんです。まるで、ジョン・フォードの騎兵隊の世界。
毎日それを撮りに牧場に通っていたら、あるときホテルのエレベーターの中で監督と一緒になったんですよ。監督と私、二人きり。こっちはまだまだ学生上がりのペイペイですから、こっちから声を掛ける勇気もない。
そしたら監督はにこっと笑って「どうです。馬っていいでしょ」と声をかけられたんです。
ちゃんと、見ているし、こちらが何を意図としているのかもお見通し。そしてそれは激励でもあったわけです。
黒澤明と言う人は、偉くなりすぎちゃって近寄りがたいというイメージがあり、とても恐ろしく、厳しい人だということを聞いていましたが、確かに現場では厳しく、怒鳴ったりしていましたが、それはあれだけのスタッフ、出演者を自分の意図するものに導き、成果を出すためのプロとしての当たり前の行為。プライベートでは、サービス精神旺盛な人でした。周囲の製作の人たちが気を使っていて、現場に突然、某大学の映画研究会の女子学生が何人か訪問してきまして、制作の人が「黒澤先生はお忙しいから」というのを「いや、会うよ」といってにこにこ顔で
招いたり、撮影が終わって車で帰ろうとしたら、ひとりのファンがキネマ旬報の黒沢特集号をもって車を追っかけた。すると車が急停車して、黒澤監督はその雑誌にサインをして握手したんです。

何が言いたいのかと言うと、黒澤明という人は天才とか天皇とか呼ばれて神格化されていましたが、人が好きだということ。人が好きだから、人が涙したり、悲しかったり、喜んだりすることへの共感性が強くある人だったんです。撮影の本番で、役者が涙する場面になると、カメラの向こうにいる監督も泣いている。楽しい場面は本当に楽しそうな表情をされている。だから、世界中の人の心を動かす作品ができたんだと思います。
つらいとは、寂しいとは、喜びとは、憎しみとは、そういうことを自分の経験値を基にしながら推し量る。つまり人の心の動きを想像するわけです。想像とはコミュニケーションから発するんです。
クリエーターになるには、圧倒的な読書量も必要、映画や芝居を鑑賞し、絵画や音楽に親しむことも必要。しかし、人の心がわからない者が、そういうものの真の魅力がわかるはずがない。芸術とは、テクニックより、作者の心なんです。ピカソの「ゲルニカ」でピカソという人物の心を知るんです。ベートーヴェンの第九で、ベートーヴェンの心の叫びを聞くんです。
その人の心にあるものをどう他人に伝えようか、という行為が、芸術であり職人であると思うのです。

篭っていると、その心が無くなるんです。
人とコミュニケーションがとれない、人見知りしてものが言えない、だから作家になる、というのは分かりますが、やっぱりそれでは書けないんです。これでは作家になりたい、という自分だけの世界になる。そこには誰も共感してくれません。
想像とは心です。心の動きを推し量ることです。そして他人の立場になってそれが考えられる人、それが想像力のある人なんです。そこは妄想とは違う。妄想だらけの人に、人は寄っていきません。
黒澤監督に限らず、私はいろいろな一流の小説家、脚本家、役者、芸人、映画監督、プロデューサー、漫画家の人たちと接したり、仕事もしたり、飲んだりもしましたが、全員が人間的魅力にあふれた人たちでした。これは間違いありません。
人を好きになって、他人の立場になって人というものを考える。それが想像力。
その想像力を育み、活かすために、人と遭え、面白いもの探しをしろ、と塾生にことあるごとに言っているのはそういうことなのですが……?








kaidanyawa at 06:18|PermalinkComments(4)

2013年11月15日

配信アリ

中山市朗です。

二ヶ月ほど前のこと。
ガリガリガリクソンくんの怪談トークを客として見に行ったとき、同じくお客としてい来ていた女性から声をかけられました。「中山さん、お塩って霊障に効くのでしょうか?」
妙な話をいきなりしてくるなあ、と思っていたら「実は私、おくりびとなんです」と言う。
「おくりびと」。
滝田洋二郎監督で『おくりびと』という映画がありました。第81回アカデミー外国語映画賞を獲ったことで、一時話題になりました。あの、おくりびとです。
映画の舞台は山形だったのですが、関西のおくりびとは若干違うらしい。
死者の体を湯かんで洗い、着せ替えてお化粧する。髪も整え、おだやかな表情にしてあげて、棺おけに入れる。
それがおくりびとの仕事。
つまりこの女性は、そういった亡くなった方々と常に接しているわけです。
当然、私は聞きました。
「だったら、いろいろ体験、お持ちじゃないですか?」
そして改めて伺ったお話を、今回の「幽怪案内」て紹介いたします。

まず無料で「呼んだ?」。彼女がおくりびととして最初に体験した怪異。
そして有料配信の一本目は「瞬き」。そして短編の「昇り竜」「落下」の三本。おくりびとならではの怪談といえましょう。二本目は「保冷室庫」。
アメリカの犯罪映画で、壁じゅうに扉がたくさんあって、その扉をそのままガラガラッとひっぱると、遺体が横たわる棚が出てくる、というシーンがあります。足の親指に名前か番号が書かれた札がぶらさげてあって。刑事や遺族がそこで対面したり確認する。あれは保冷庫というんだそうで、日本のセレモニー会館などにもあるそうです。
身元不明のものや、遺族の確認できない遺体を一旦保管するわけです。でも、引き取り手もない、おそらくこのまま無縁仏になりそうな遺体を預かる保冷庫もあるそうです。で、そういう保冷庫がある部屋を保冷庫室というそうです。めったに人も入らない、くらーい、保冷庫室もあるそうです。会館の人さえ怖がって入らない。でも、おくりびとですから、そういう部屋に一人で入らねばならないことがあるそうです……。

TBS −らじこん− 『幽怪案内』

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2013年11月14日

大学は出たけれど

中山市朗です。

去年でしたか、塾生に大学卒業した者が何人かいましたので「大学でどんな学問をしたか」と聞いてみました。するとほとんどの塾生が「学問てなに?」という反応をしたわけです。
じゃあキミたち、大学でなにしてきたの?
「僕は勉強嫌いだったんで、あんまり講義に出てませんでした」という塾生がいました。ええとこの大学出のKくんでした。
「勉強と学問はちゃうよ。わかる?」
どうちがうの、という顔しとった。

私は大阪芸術大学という大学を出ました。ちょっと変わった大学でして、学問をするというより、創作活動の場を与えられていたというところでした。映像科におりましたので、四年間で私は同期の誰より映画を見て、誰より多くの映画を作りました。充実した四年でしたよ、そりゃ。でも今になって私は、あれやこれやの学問を修めたいという要求が出てきているんです。学問はやっていなかったので。
勉強と学問の違い。
みなさんはお分かりですか?

まあ、難しいですけど、私が思うに、学校の勉強は、テストでいい点をとるための知識の詰め込み。教科書のある意味丸暗記。これは大学入試に直結するわけですが、実は大学に入ると、今度は学問をやることになるわけです。
「大辞泉」によりますと、「学問とは、体系づけられた知識と研究方法の総称」とあります。
体系とはシステムのことです。今まで丸暗記だった知識の、根拠を探すわけです。仮説をたて、関連をたどり、裏づけとなるものを探り、試行錯誤しながら自分で解答を見出すわけです。解答を見出すと、そこにあるシステムがあることを発見します。それが、おそらくですが、学問です。
高校までの勉強とはその質が違う。いわば、その人の質、態度が問われるわけです。もっといえば、人間を作るというか。
で、この試行錯誤して解答にまで至った意味、過程、考え方が、物事を体系化し、統一的にとらえる能力をもたらす、つまり、各々の事柄、事件、事象を分析し、考え、自分に取り込み、結果それが社会に貢献となる力を養うことになると思うんです。想像力とはこれです。明治という時代を作った日本の偉人たちは、そこに長けた人たちでした。
それを、今の大学生がやっていないんですね。
「大学合格した、わーっ!」といって、遊んじゃう。バイト三昧になる。適当に出席してテストはなんとか合格するだけは詰め込み勉強する。つまり中学、高校の勉強とその態度、考え方は同じなわけです。そしてウィキペディア丸写しの論文で卒業。まあ、この件は特別だとしても、ちゃんと学問をやっていない。だから大学を出たといっても何も知らない。教養も無い。いや、やっている人はいるんだろうし、凄い若者はいるんだろうけど、圧倒的少数。

私は何度も何度も「やりたいことじゃないから、やりません」と言ってきた塾生のことを書いてきました。そしてそういうヤツほど、実は何もやっていない、とも書きました。
これはどうも、物事を体系的に捉えられない、つまり、学問的考察ができない、ということに起因するのかも知れないとも思うのです。ちょっと難しい言い回しになってしまいましたが……?

私も中学、高校生の紅顔の美少年、かどうかはわかりませんが、そんな時もありました。
数学、英語、英語グラマー、物理、世界史、古典、国語などとまあ苦痛なだけの授業がありました。一つ一つ、バラバラで、ただ、一つ一つテストで合格点がととれば、と一夜漬けの勉強をしました。あー、地獄やった!

これは専門学校の話。私が講師として赴任したクリエーター専門学校では、たとえば漫画学科は漫画を描く実践だけでなく、デッサン、クロッキー、CG、キャラクター造形、シナリオ、アイディアテクニックなどの講座が用意されていました。私はシナリオとアイディアテクニックというのを受け持っていました。
生徒たちの中では信じられないことに、これらの講義が関連づいた統一的なもの、という概念が無いわけです。一つ一つ、合格点を取ることに終始している。「違う。一本の漫画を完成させるのに、これらはすべてつながっているんだ」と言っても理解できない。テスト(あったんです。無意味なテスト!)でいい点取ったって、漫画に生かせなきゃ意味が無い。それがわからんのです。いや、頭の中ではわかっているのかも知れませんが、どうやればつながる実践ができるのかがわからない。これはまさに、知識のみを詰め込み、自分でモノを考えさせない学校教育の弊害です。
で、できることはやるが、できないことを克服しようとしない。試行錯誤ができない。ただ、面白いことに、私の教え子たちは、専門学校を出て、世の中にもまれると、そのあたりのことが理解できるようになって、結構、この世界で仕事をこなしている者も多いわけです。
大学出は、もっとひどい。頭が切り替わらない。きっと大学を合格したという自負が、妙なプライドとなって邪魔をしているのかも知れませんし、遊んでいたツケなのかもしれません。私にはわかりません。
ともかく、あれをやってみたら、これをやってみたらと言っても「やりたいこと」と「やりたくないこと」の線引きを勝手にして、「やりたいこと」しかしない。でもそれは、本当はやりたいことじゃなくて「できるかもしれない」ことであって、それも自分の創作の糧になるというより、「やれと言われたからやっています」ということでして、「やりたくない」は、実は「できない」と判断しているわけです。つまり、失敗することを恐れている。
プライドです。妙なプライドが邪魔してます。
私は、失敗したことの無い若者なんて、気色悪いですけどね。しかし、失敗することを恐れて何もしないうちに、人生における失敗を招く。これがほんとうは一番恐ろしいんですけど。そして、物事が体系的に、統一的に見ることができない。俯瞰でモノが見れない。だからいつまでも井の中の蛙のまま。まあ、ずっと井の中にいるつもりだったら、それはそれでラクなのかも知れませんけど。

あっ、言っておきますけど、あくまで小説家や漫画家など作家になりたいと言って、高い授業料を払って専門学校に通っていた学生について言っているわけです。他言はありませんから。

私は、どこからも決まったお給料というものをもらっていません。原稿料、出演料、著作使用料、事務所としての派遣料や製作費といったものでやりくりしていますから、いろいろな企画、仕事を何本も走らせて置かなければ不安でしょうがありません。だから行動しなけりゃならないし、またそれが楽しいわけです。
しかし、クリエーター志望の塾生は、動かないのが多い。
動かないから不安。不安だからあせる。あせるけど何をしていいかわからない。わからないから余裕が無い。余裕が無いから忙しいように感じる。忙しいから無駄なことはしたくない。だからやらない。結局何もやっていない、気づくと三十代も後半、余計不安になる、という無間地獄に堕ちて行く。
これね、想像力の欠如が原因ですわ。
健全な想像力が働けば、今、自分はどういう状況にいるのか、だったら何をすべきか。それには何が必要か。そういうことがわかって、対策を講じて動いているはずです。人に会え、業界人と接触しろ、酒の席にはいろ、そこから現場を見せてもらえ、人脈を作れ、日ごろ私が言うのも、何かをするときは、絶対そういう人の力が必要なわけです。それをやらないのは、そういう人の力の必要性を感じていないから。必要を感じるようなことをやっていないから。

しかし、想像力が無いのに小説を書きたい、漫画家になりたい、映画監督になりたいって、どの口が言うてんの、と思います。

さてさて、では、その想像力とはなんぞや、ということについて考察してみましょう。



kaidanyawa at 02:26|PermalinkComments(2)

2013年11月13日

受験戦争のはらわた2 黄金の学習律

中山市朗です。

私が見たところ、どうも大学出に想像力が欠如している。おそらくそれは、大学受験そのものが知識のみを問うものであり、想像力の是非を問わないからではなかろうか、ということを先日書きました。
この問題をもう少し考えてみます。

日本人はもともと想像力がある民族だと思います。あの大東亜戦争もその是非は別として、このままではいかんという想像力から発しました。敗戦後の経済復興や世界を驚嘆させた技術力も想像力の賜物でしょう。今、世界でもてはやされているアニメやサブカルなどもそうです。
想像力のある国、人、というのはその具現化に向けてアグレッシブに動きます。想像力があると自分の立場が理解できるわけですから、今のままではいかん、とか、こうしなければならない、あるいは、こうするべきだ、という考えはそこから来るわけでして、とにかく動くわけです。動かないと不安なのです。想像力の無いボンクラは、そういうことがわからないので、どんな危機であってもぼーっとしていて何もしない。で、破滅ということをします。
ぼーっとしていて何もしないで、人生早々に堕ちていった若者を随分見てきました。ほんま悲惨ですよ。

あれっと思いますよね。想像力のある日本人。なのに想像力の欠如で堕ちて行く若者。
おそらく、まずその根底に一部の想像力の豊富な人たちが、想像力の欠如した人を使う、という社会の構図があるんだと思います。そもそも社会の構図としてはそれが支配する方からすると理想なわけでして、一部のエリートに大部分の大衆が従うというのが長い人類の歴史が積み重ねてきた結果、今があるわけですね。また、大部分の庶民はそれでよし、としたわけです。もちろんその背景には、庶民にはそれ相応の教育は施さない、というのがずっとあったわけです。あるいは身分制、階級制度があったわけです。庶民は労働者となって、資本家に仕える。資本家は自らがエリートか、エリート階級と結びつく。こういった社会のシステムをぶち壊そうとしたのが共産主義だったはずなのですが。
ところが今は、わりと公平に教育が施されるようになって、まあ、庶民だって勉強すれば官僚になれる環境にはあるわけでして、ネットには情報や知識があふれかえっているし、その気になれば、いろいろなものを知ることができる時代となりました。
確かに、みなさん、知識はあります。世の中で今何が起きているのかだって、パソコンが前にあれば知ることもできます。凄い時代になりました。けど、想像力はだんだん衰退していっているように思うんですね。

今、想像力が欠如した日本人を作り出しているものは三つあるように思えます。
一つ、日本の教育システム。
二つ、ソーシャル・ゲーム。
三つ、アルバイト。

まず、日本の教育。

東京大学。日本で教育を受けたものなら、これを意識しなかった人はいないでしょう。たいていはかなわぬ夢であり、しかし憧れでもありましょう。日本では東大入試に合格し、東大を卒業することが最高のステイタスなのです。わが子が東大に入ろうものなら、親は鼻高々でしょう。この時点で人生の勝者です。
私はそんなこと思ったこともありませんが、一般の認識の話ですよ。
つまり日本の教育の最大の理想は、この東大に入る、と言っても過言じゃないでしょう。で、他の一流大学といわれる大学も、いわばミニ東大なわけです。
さっき、一部のエリートが大衆を従わせる社会、といいましたが、そのエリート中のエリートが、官僚といわれるものです。東大を出て官僚になる。これがエリートコースというわけです。東大は官僚を作り出すために作られた大学と言われています。東大法学部はまさにそうです。
こういう人たちはどういう教育を幼少の頃から受けるのだろうと、想像するに、家庭教師が付き、塾に通う。そこで、効率よく問題を解くことをひたすら求められ、学ぶ。つまり、そこには解答がなければなりません。
想定外、というものは無い。
想定外、というものはおそらく経験から知るものだと思います。あれっ、うまくいかんなあと。世の中そうなんです。たいていのものは実はうまく行かんのです。じゃ、うまく行かせるためには何が必要なんだ、何を想定するべきなんだ、と学んで育まれるのが想像力だと思います。人間の社会や生活の上では想定外はしばし起こるわけです。
ノーベル賞を獲るような科学者は、失敗という想定外を繰り返し繰り返しして学ぶわけですね。想定できることを想定の通りやれて、それでノーベル賞が獲れるわけがないですもんね。ノーベル賞がすべてではありませんが、日本の技術力もそういう失敗の繰り返しの上に成ったのです。しかし、官僚になるにはこれは必要ない。失敗はありえない。教科書の中に想定外は無いのです。これが日本式教育。官僚の世界。
これって中国の科挙ですな。日本の近代教育はあれを参考にしたのでしょうか?
中国の科挙の試験場はカンニング防止対策というのが古代より施してあったといいますが、そう、カンニング、丸写しで合格しちゃう可能性もある。これは要領のいいヤツを作り出します。
よく、「将来何になりたい?」という質問に「公務員」とか「一流会社のサラリーマン」とか答える子供たちを見て、「最近の子供たちは夢がないなあ」と言っている大人たちが、実は自分たちがそうであって、そういう子供をつくりだす教育をやっぱり自分たちの子供にさせている、ということに気づきましょう。
しかし、東大に入れる人なんてごくごく一部です。たいていの子は東大とは無縁。しかし東大はダメでもせめて大学くらいはと思うわけです。それでやっぱり詰め込み勉強をするわけです。私なんぞは中学、高校の勉強が嫌で嫌でたまらんかったですからねえ。ですからほとんどやってない。やっときゃよかったという後悔は、少々ありますけど。よく起業家やクリエーターで高校中退、大学中退という人をよくみかけるんですが、ある意味それは懸命な判断といえるのでしょう。

私が今の大人たちもアホやなと思うのが、バブル崩壊後、もう世界は変わりつつあるのに、親も教師も未だにバブル崩壊以前の価値観を正しいものだと思っていること。
いい大学に入りなさい、いい企業に就職しなさい。バブル崩壊以前の価値観ですよ、そんなものは。
もう企業の終身雇用制は崩壊したし、今好調の企業が十年、二十年先も存在するかもわからない。結局は実力主義の世界になっていっている、ことは、わかっているはずですけど。
その考えを捨てきれないのは、官僚を生み出そうとする日本の科挙試験によって洗脳された価値観です。そのくせ、ジョブスやビル・ゲイツに憧れるわけです。
今後、今もですが、世界は実力主義、成果主義になっていきます。想像力と行動力のある者が勝つ。
そういう人材を作り出す教育にシフトしていかねばならないのです。
「人はいるけど人材がいない」
これは元吉本興業の木村常務が言っていたことです。

それでも大学に入れば、その気になればいろいろなことが学べます。環境も施設も、教えてくれる人も仲間もいる。大学に入ること自体は悪いことではありません。なのに、そんなことより、遊ぶ金ほしさにアルバイトに精出すバカがいる。そしてそれが仕事だと思っているアホがいる。アルバイトにもよりますが、これは収入に関する基準を時間にしてしまうわけで、もう時間の安い切り売りでしかないわけです。でも一方、安くても売れば時給何百円かになるので、切り売りをしちゃう。結局、自分で考えて、工夫して、行動しても報われずにタダ働きということを考えると、タダ働きするヤツはアホ、という短絡的思考が、何もやらない、いわれたことだけする、という、実力主義、成果主義にそぐわないバイト脳を作り出します。
よくいるのが、これは今やっておけばきっと将来役に立つと思って薦めても「それは、やりたいことじゃないので」と言って断るヤツ。そんなヤツに限ってバイトは熱心なわけです。つまり目先の時給が、今やるべきことより大事。まあこんなん、たいした人物にはなれませんわ。
アルバイトをやっちゃいかん、とは言わない。けど、バイトを優先させて、結果それより大事なものを失っていく若者を見るにつけ、私は残念でならないわけですよ。悲しいというか。
言うとくけど、バイトなんざ誰だってできます。誰だってやれることは、自分の代替となる人がいるということ。そんなところに価値観は見出せない。そこに気づけよ、と。

それと、ゲーム。
うちの塾の場合、「あいつは普段なにやってんのやろ」というのが必ずいるわけです。作品を書いているわけでもない。何かに懸命に打ち込んでいるわけでもない。人に会っているわけでもない。そのわりに忙しそうにしている。「お前、ゲームやってるやろ」と言うと「やってません」とキッパリ言う。
でも、親しいヤツに聞くとわかります。
「ゲームやってますよ」
大抵そうでした。
何千時間と費やすゲームは、するな、とは言わないが、ほどほどにせんと廃人になるぞ。


kaidanyawa at 14:33|PermalinkComments(2)

2013年11月12日

東京ショウ

中山市朗です。

昨夜、私のマネージメントを担当しているNくんと打ち合わせをしたのですが、そのとき、今年の八月にガリガリガリクソンくんをゲストに迎えての「Dark Night 9」のとき、実は奇妙なことが起こっていたらしい、と、今更ながらですが、報告を受けました。
何があったのかは、ぐるっぽ「中山市朗・幽怪サークル」に書き込んでおりますので、お読みください。
オフィスイチロウのHPのトップから入れます。

オフィスイチロウHPはこちら

ぐるっぽ「中山市朗・幽怪サークル」はこちら


さてさて、もう寒くなってきましたが、もう来年展開させるべき事柄をNくんと相談しまして、来年は東京進出の足場を作ろうと思っております。
いや、拠点は大阪ですよ。でも東京でのライブは最近ほとんどやっておりませんので。
四月か五月には「Dark Night」を東京で開催。おそらくゲストを招かず、私一人の怪談語りというのをやると思います。未発表怪談、すごく溜まっていますし、東京ではほとんどやっていませんから。
現在、会場を探しております。
同時期、大阪でも同様に行います。こちらも私のオールナイト一人語り。
また、ちょっとそれには間があいてしまいますので、いつもの道頓堀ZAZAで、一月頃に「Dark Night 10」を開催しようと思います。こちらはまたまた素敵なゲストをお招きする予定で、交渉中です。濃い内容になりそうです。
詳細きまり次第、オフィスイチロウのHP、および、このブログ、あるいはツィッターなどで告知いたします。

皆さんに来ていただいて、はじめて成立するものです。
なにとぞ、よろしくお願いいたします。

kaidanyawa at 14:06|PermalinkComments(7)

2013年11月08日

リベンジャー

中山市朗です。

じ、事件だーっ!!あの牧場で映した動画が全部きえているーっ!!写真もダメ、音声もダメ、なんだよあそこはーっ!!ぎええええええええええええええええええええええええっ!!うがあああああああああああああああああああああああああああっ!!
という、ファンキー中村氏のツィッターを先日受信。なんやろ、と思っているところに、ファンキー中村氏より電話が。
「あのう、もう一回ロケをしなおしたいんですけど、いつだったら空いてますかねぇ」
山の牧場で撮ったすべてのデータが朝になったらすべて消えていたそうです。
「でも、怪談自治体の方たちも撮ってましたよねえ」と聞くと「そうなんです。で、彼らに問い合わせてみたら、彼らが撮ったものも全部消えていたそうなんです。全滅ですよ。あそこ、絶対なにかありますよ」
と言うことで、リベンジだそうです。
デジタルの記録は怪異と相性が悪い、といいますが、あるんですかねえ、そんなこと。
ちなみにうちの秘書、真名子が撮った動画は消えていないようです。けど、妙な牛の鳴き声が入っている……?
あそこ、やっぱり変ですね。

さて、怪談会inキャンプ、本日で締め切りです。定員に達しましたので、ちゃんと行います。非常に私は楽しみにしています。わくわく。あそこの怪異はまだ続いているのか……? 行きたい、という人。まだ遅くない!!

そして、明日9日深夜はWOWOWで、怖い話王決定戦。生放送です。
飛び道具(?)を使う人もいるみたいで、それをやられちゃあ、まともな話では対抗できないよ、という危惧がありまして、これも局側の要請だそうで。まあ、楽しんできますわ。
無料放送ですので、BSが見れる人はぜひ。

本日はTBSらじこん「幽怪案内」の配信日であります。
有料動画を2本。
まず1本目「万博帰り」。この万博と言うのは1970年の大阪万博のこと。ですから随分古い話になりますが、私の実家の近所のお兄さんが、「万博帰りにこんなことがあった」と語ってくれた話です。彼らの見たモノは、幽霊なのか、モノノケなのか……?
2本目は2話。「一反木綿」は、九州での話し。形状は一反木綿ではないのですが、調べてみたら九州は一反木綿の本場なんですね。なんとも牧歌的な話してす。もう1本は「足」。大阪の古い家に住んでいるある女性からお聞きした話です。これも、幽霊なのか、モノノケなのか……、モノノケですな。


TBS −らじこん− 『幽怪案内』

kaidanyawa at 12:44|PermalinkComments(6)

2013年11月06日

受験戦争のはらわた

中山市朗です。

私の心の中は空虚です、から始まった、想像と創造の世界。その続きです。
カンコック・シリーズも終わったわけではありません。ちょっと想像の世界とつながりますので、おいおい書きます。
いろんなものは、いろいろとつながるんですよ。

さて、大学出はどうもクリエイティブな思考に不向きなのではないか、ということを書き始めたのでした。
もちろん、大学出の凄い人がいることは知っています。いろいろなものに真剣に向き合って、懸命に生きている若者がいることも知っています。ただ、私が長い間、いろんな形で若者たちと接してきて、大学出たからなんなの、そんなことも知らんの、ということがあまりに多いことに驚いている次第です。

うちの塾に以前いた、K君はええとこの大学出でした。高校生の頃の私など、雲の上の存在。
経営学部。ところがある日「先生、ほんまに塾、赤字なんですか」と言う。
おいおい、計算しようや。ここ、家賃何ぼ、冬夏、エアコンつけっぱなしにしてるけど、電気代なんぼ。共益費がある。スタッフ何人おる? 俺以外の講師は? 電話代、コピー機のレンタル、紙代、インク代、バカにならないですよ。もろもろ何かするたびに経費もかかる。それに初期の費用も償却していない。本棚にある資料、書籍代。これは塾では買えないから私のポケットマネー。でも、本来経費で買うべきもの。で、おおよそなんぼ掛かってると思う? ほんで、一万五千円の月謝払って来ている塾生、何人おる?
こんなカンタンな計算ができない。経営学部でっせ。ついでにマクロ経済、ミクロ経済ってなんや、聞くと、見事に知らんかった。こんなん経営学部におらんでもわかりそうなもんや。
これは、塾生じゃないですけど、大学でアメリカ文学専攻している女の子と、サリンジャーの話したら「誰ですか」という顔しとった。ええとこの大学の哲学科専攻と言う何人かの学生と話していたら、カントもショーペンハウエルもニーチェも読んどらん。何読んでるの、と聞いたら、哲学科の先生の本を読んでます、て。それ、教科書として買わされただけやん。「じゃあ、なんで哲学志望したん?」と聞くと、受けたら合格したから、やて。で、全然勉強する気がない。
つまり、何かを勉強したい、何かを追及したい、学問をしたい、ではなく、大学出という経歴が欲しいだけ。
でも、こういってはなんですが、大学の先生方もズレてません?
これもKくんのケース。卒論を書いたら、パスして卒業したんです。それが、彼が言うには「ウィキペディア」を丸写ししただけ、というんです。しかもそれは先輩から教わった秘伝で、代々それで卒業している、と。
これ、丸写しする方も問題ですが、見抜けない教授も問題。
ある、これは大学の講師の人。「俺は学生には何も教えない」というわけです。自分が苦労して独学で手にしたものを学生に教えるのはもったいない、そんな気もないと。「だったらなんで講師を引き受けた?」と聞くと、ギャラは欲しいと。こんなんギャラ泥棒やで。
まだまだいっぱいあげたい例はあるんですけど、とにかく、そういうわけで、大学を出た、という教養というか、そういうのが大学出の若者から感じられないわけです。ただ、困ったことにプライドだけはある。
きっと、受験戦争に勝って大学に入ったんだ、という自負があるんでしょうね。
受験戦争。もう、癌ですな、これ。ほっといたら悪性になる。

日本の大学入試というのは、知識を問うものです。
ですから、暗記をして、知識を増やすわけです。歴史の年号だけ丸暗記して、何になるの、ですけど、それが大学入試のための歴史。そこに思考力や感性はいらないわけです。
これは、国家試験もそう。
知識を詰め込む。単語、漢字、数字、数式、記号……。で、しかもマークシート方式となると。
あのですね、マークシート方式なんてのは、採点する側がラクするためのものでしかないです。私は採点する立場になってわかったんですけど、あんなん、機械的に採点すればいいわけですから。ほんま、ラク。あれは採点する側も思考力がいらない。

でもねえ、こんなことしとって、これ、どういうことが起こるのかと言うと、正常な思考力が必要ない、ということになるわけです。と、必然、大学を出た専門家というおエライ人たちは、知識はあるけど、思考力が無い、ということになります。
想像したり想定したり、そういうものは問われないわけです。難しい理論や数値はお持ちなのですが。

で、なにが起こったか。
想定外。
普通の考えですと、えっ、そんなこともしてなかったん?
ですけど、データや数字に無いものは、彼らの中には無いわけです。証明ができないですから。証明ができないものは、すなわち、存在しない、と言うのが学問の考え。でもですねえ、原発なんてここ三十年ほどのデータしかないわけでして。
私などは、常に思っているのが、何事も予定通りに進まない、というもの。大変ですわ。我々の世界は。
だから先手、先手を打つ。作品も単発ではなく、戦略的に展開させる。そんなことばっかり考えています。なにも対策をしていないというのは、もう、すごい不安になるわけです。
でも、自然界って、そういうもんじゃないですか?
台風にしたって地震や津波、火災、火山の噴火、宇宙からの飛来物、何一つ計算どおりいきません。突然来るわけです。コースが変わるわけです。思わぬ猛威を振るうわけです。なら、あらゆる想定はしとく必要があるでしょう。そのために税金で雇われている専門家とちがうんかい。

しかし、大学にいる専門家や霞ヶ関にいる官僚たちは、そういう自然界の法則を超えた、予定通りの敷かれたレールの上にある人生を歩むわけです。出世コース、天下りコース、退職金コース。波風たたなければ、人生安泰。いや、貧乏人のひがみじゃないですよ。
でも、日本の中枢にいる大学出の物知りのエリートたちは、想定外というのは、おそらく頭の中に無いわけです。つまりは想像力の欠如がここに発生しているわけです。しかし、想像力の無い人たちがよってたかっても、国家戦略なんてたてられんでしょう。大丈夫かいな、ほんま。

想像力の欠如を如実に物語っていたのが、例のアルバイトのツィッターの問題。
自分たちだけの価値観で面白いか面白くないかをあげちゃたわけですけど、世間一般の人はどう思っているのかという想像力の欠如。ツィッターというソーシャルなメディアが、どんなものなのかも考えない。結果、何が起こるのかの想定ができない。
今、彼らはこれから膨大な金額の賠償金を課せられます。
想定外。

私がアホやなあ、と思ったのは、バブル崩壊後の日本の電機メーカー。まずやっちゃったのは人員削減。ほんとは、自社を立て直すのには人材しかない。会社の財産は目先の金より人材。でも、経営がくるしかったんでしょうか。有能な技術者をどんどん解雇していった。で、その人たちが韓国の企業に引き抜かれ、彼らの技術力、発想力がサムスンを生んだ。サムスンの台頭が、またまた日本の電機メーカーを苦しめて、また、リストラする。その人たちがまたサムスンに恩恵をもたらす。それが想定できなかったのか。
松下幸之助さんは「どうあってもうちは終身雇用を崩さない」と言って亡くなって、終身雇用が崩れた。盛田昭雄さんももともと技術畑の人でしたから、生きておられたらあんなSONYにはしなかったはずです。
想定外。

こういう日本人を次から次へと送り出す教育は、見直さねばなりません。と、昔から言われてて、「ゆとり」をやっちゃったんだな。

そうではなくて、たとえば、日本の教育は、問題を解くことに主眼を置いています。でも、ほんとうはそうではない。
やらねばならない問題を見つけること、これがこれから必要な教育です。
だから、そういう教育に毒された、大学入試のために青春を費やした青年たちは、かわいそうだが、正解の無いものの前では、思考能力がフリーズしてしまうわけです。
                                                            つづく




kaidanyawa at 23:39|PermalinkComments(4)

シェフ殿に、ご用心

中山市朗です。

怪談会inキャンプ、もうそろそろ締め切りとなります。
迷っている方、えい、行っちゃえ!


ところで、ここんとこ、一流ブランドのはずの百貨店が食品偽装をしているのがどんどん芋づる式に記者会見やっていますが、これ、ほとんどが内部告発なんですね。客が見破ったわけではない。つまり我々の味覚や感覚は、ブランドというだけでおいしく感じる、そうじゃないからうまくない、もう一つだな、なんて先入観で感じて、モノをいっちゃうんだなあと。これ、まだ一流ホテル、関連レストランだから発覚し、会見開いてますが、おそらく中小の会社やお店でやってるとこ、いっぱいありますよ。
正直、回転寿司なんて「おや?」と思う表記、ありますもん。でもおいしくいただいてますけど。
これは別に偽装している企業や人たちを擁護するわけじゃないですけど、日本の食品偽装は、食べられるものですよね。冷凍魚が鮮魚に、ロブスターが伊勢海老に、合い挽きミンチが和牛ミンチに、稲庭風うどんが稲庭うどん、という表記になっていたんですね。要は産地表示、不当表示、期限偽装。
しかしですね、たとえば小麦、大麦は50%以上国産であれば、国産と表示していいわけですよね。あと半分は、米国産の可能性が十分あって、米国産の68%は、遺伝子組み換えのものが使用されているという数字もあります。でも国産と表示してあれば、消費者は、遺伝子組み換えを使用しない小麦、大麦だと思って買うわけです。国家ぐるみの偽装表記ですわ、これ。
とすると、稲庭風うどんを稲庭うどんと表記するのと、50%しか国産使っていない、小麦、大麦の表記と、どっちが罪なの、と私は思ったりするわけです。うどんやパンは子供たちの口にも日常的に入るわけですから。
実際日本の食材なんて、ほとんど外国から入ってきています。
まず中国。
中国なんて、何が入っているのかわからないのが偽装ですから。検疫を受けていないネズミとか狐の肉に色素や化学薬品を注入した羊肉というのが出回ったらしいですね。髪の毛から造った醤油や、毒入りミルク、野菜もどんな農薬がぶっかけてあるのか。そういや、ダンボール肉まんなんていうのもあったけど、あれはテレビ局のやらせという話と、いやいやほんとにあったよ、という話があって、真相はよくわからないそうですが……。でも中国ならやりかねんな、と思ったのは事実。
韓国に対してはどうも日本のマスコミも含め、何事もあまい、というか、寛大なのですが、去年あたり、キムチが原因と見られるノロウィルスの危険性が指摘され、フランス、イギリス、カナダは確か韓国製キムチの輸入禁止、あの中国さえも今年になって韓国製キムチの輸入を中止した、というニュースがありました。また、去年の6月には韓国製の甲殻類が人糞にまみれていたから、流通させないようにと米国FDA(食品医薬品局)が警告していました。
ヨーロッパは流通が複雑で、よくわからんらしい。馬肉混入事件というのがあったし。また40社のチーズ工場で、期限切れや処分されるべきチーズが混入、再生され、ネズミの糞、虫、プラスチックの破片などが入ったものが市場に出回ったり。イタリアではダイオキシン汚染チーズ、なんていうのもあったようですし。
アメリカなんて「食品の不当表示、不正行為は日常的かつ大規模で、取り締まりはほぼ不可能」というくらもんで。
で、そういった外国の諸事情からみたら、日本の表記問題なんてかわいいもんだ、なんて思ってしまう感覚が恐ろしいですけど、TPPが発動したとすると、これ、大変なことになるかも。大丈夫かなあ。

ただ、私が不思議に思うのは、包丁を持った日本の職人たち。
「俺の造ってるものをなんでそんな表示でごまかすんだ」とはならなかったのか。毎日通っている店ですから、偽装表示されていることはわかっていますわね。意思の疎通がなかったとか、気がつかなかったなんていう話じゃないですよ。職人に腕に自信がなかったのか、利益優先に加担したのか、プライドがなかったのか、ブランドに寄りかかってサラリーマン化しちゃってたのか。彼らの言い分を聞いてみたいものです。

まあ日本人というのは特にブランドを新興宗教のように信用しちゃう面があるので、そんなものに惑わされずに自分の好み、こだわりを持つこと。それでニセモノ掴んだら、それは自分の見聞きが足りない、勉強が足りん、ということ。そう自分で納得することも必要かなあと。
ミシュランもだまされてた可能性、ありますもんね。


kaidanyawa at 11:49|PermalinkComments(2)

2013年11月04日

遥かなる牧場の呼び声

中山市朗です。

一昨日は「不安奇異夜話」、昨日は、ファンキー中村さんたちと、山の牧場ロケに行っておりました。
昨夜の状況は、同行していた真名子がツィッターで報告しておりましたので、ご存知の方もいらっしゃるかと。

もう道にはうっそうとした草木が生い茂っていてふさがっているような状態、車で入ることはほぼ無理。ここ何ヶ月かは誰も行き来していないようです。
ということは、1998年に完全に廃業していながら、以後も人の出入りはわりとあった、ということなんですね。
その道も、一度は崩落して寸断されたのが復旧、台風のため山津波で完全に埋まった道がまた完全復旧と、二度も復旧作業が行われていたこともそれを裏付けます。
現場は不法投棄なども多く見られますが、不法投棄のために大金を投じて復旧工事をするはずもなく、やっぱり所有者が何らかの形でこの牧場を利用していた、と思われます。
何に利用していたのか?
それはわかりません。その、何かの形跡がまったく無いわけですよ。
そしてその利用目的の役目は果たした。
昨日の印象はそんなでした。
今はほんとの廃牧場になっています。建物の二階へは入れないよう、仮階段の上は板が打ちつけてありました。

ところで最近、ある方から山の牧場についての情報が、オフィス宛のメールに送られてきました。電話でもいろいろお聞きしたところ、その人は、工事現場に関わっている人で、牧場の専門家などと一緒にそこに何度か通われ、詳細な調査をされたものだとわかりました。
彼によれば、手間ひまかけて常に増設、改築が牧場が廃止になった後も行われていることや、立地条件や、規模、牛の搬送に適さない道の形状などからして、あれでは牧場としての採算は絶対にとれない。いや、取る気は最初から無かった。つまりは最初から他に目的があったことは確実であろうと。
また、建築物の施工方法が普通ではない。牧場であった平地部分が崩落しているということは、自然の状態の土地ではない、ということなどなど。調べれば調べるほど普通の牧場ではないとのことです。それはまあ、私も指摘していたことですが。
道も、現在ある道では、建物に使われている資材は絶対に運べない。
たとえば、牛舎の屋根には長さ12メートルの溶接をしていない鉄骨が数十本も使用されています。いかにしてもこれは、あの道からは運べません。ということは、他のルートがあると考えるしかない。

他に道を作って搬入し、工事終了とともに完全にその別の道は埋められたのだろうと、その人は考え、現地調査した結果、その埋められた道があることの確実な裏づけも見つけた、と言っていましたが……。だとしたら、それだけのことができる、何か大きな組織が秘密裏に動いていたということになります。
で、この人はそれらの証拠などから、ある推論を唱えておられ、これは、ちょっとここでは書けません。私もその裏取りをしている最中です。その推論が本当であるならば、政治的なものも動いていた、ということになります。そしてそれを一般に知らせてはならない、という衝撃的な事項があったということです。今もあるのかも知れません。
推論ですよ、あくまで……。

しかし、あの場所は、一度や二度、行って見たからわかる、というものではありません。
時系列、周辺の開拓、事業との関係、役場にある資料、現場にある資料なども細かく見る必要がありましょう。ただ、現場にあるものも、前回行ったときには無かったものが、今回行けば何気ないところにあったり、あったものが次回には無くなっていたりと、確実に何者かがこの場所の正体を隠し、かく乱しようとする意図は見え隠れするわけです。昨日も1998年以前の牧場経営に関する新たな資料を見つけましたが(真名子が動画に撮っています)、本棚にならべてあったんですよね。前回北野誠さんたちと行ったときには、本棚はありましたが、そんなもの、無かったんですけどね……。
役場の証言も、1982年と85年にもらった解答と、その後に「ナックルズ」編集部などが行ったときの解答とは、違ってきています。

ただ昨日は、現地到着がもうの暮れかかった時刻だったことと、ロケのための日帰りのものでしたので、あまり調査もできませんでした。あっ、「新耳袋・殴り込み」で、2008年に潜入したときには無かったのに、2010年に潜入したときには、牛舎の横にあったという白いセダンの廃車、無くなってましたよ。この白いセダンは2011年夏に、私が「関西ウォーカー」編集部と潜入したときは存在していて、ボロボロの車の中に木が生えていたんですよ。確か編集さんのカメラマンが写真に撮ってる。
「えっ、じゃこれ、相当前からあったということ?」と思いましたが、「殴り込み」を見ると確かに2008年の映像にはそんなもの無いわけです。
で、昨日はその木ごと無くなってました。撤去したんでしょうけど、周囲は荒れ果てたままで、わざわざその車だけ撤去した意味がわかりません。木も切っているわけですから手間隙かかってますよ。また、撤去するための機材はどこから入れたのかと。

あっ、これは昨日、その現場を見た人たち(怪談自治区の方々も何人か参加)が不思議がっていたことですが、これだけの廃墟に、蜘蛛の巣がまったく無いのは不思議だよね、と。
そういえば、ここ、何度も来ていますが、蜘蛛の巣があった印象が無い……。



kaidanyawa at 19:18|PermalinkComments(10)

2013年11月01日

媒体百物語

中山市朗です。

中山市朗・怪談inキャンプ、受付締め切りがあと一週間ほどになりました。
参加ご希望の方は、ぜひ早いうちにお知らせください。
怪談好きなら、これは見逃すな!

camp


百物語達成です!!
毎週金曜日の午後13時より配信しております「幽怪案内」。
本日配信の「アカモリ」が99話目。「夜のデザイン棟」が100話めとなります。
もっとも、無料配信分で語ったり、千日前怪談では短編を何話か語って、まとめて一話としたりしておりますので、実質はもうとっくに100話をお届けしているはずなんですが、何にせよ、百物語達成です。

古来より百の怪談を語ると、怪異が現れる、といわれる、
とか言いますが、「百物語」というのは百と言う数字ではなく、朝まで怖い話をしよう、という行為そのものを言ったようなんですね。江戸時代はこの百物語が流行ったようで、「百物語」と称した出版物もいろいろ出たようなんですが、実際に百話収録されたのは、たしか1677年に出版された「諸国百物語」くらいだったはずです。

私と木原で著述した「新耳袋」は、一巻20話で五巻出版された「諸国百物語」以来、実際に百という話数にこだわった百物語本でした。一冊に百話というのは史上初だったかも知れません。
百物語とは、ほんとに百の怪異、怪談を語ることだ、と認知されたのは、実は「新耳袋」からなのです。
以来私はテレビで「恐怖の百物語」(関西テレビ)に構成で関わり、これは最終回で百物語達成。ラジオでは私自身がパーソナリティを勤めた「バーチャル百物語」(ラジオ大阪)で百物語達成。「ダ・ヴィンチ」主催の「作家たちの語る百物語」では、一晩で百物語達成。ロフトプラスワンの「新耳袋トーク」でお客さんとともに語って一晩で百物語達成などなど、いろいろな場所、媒体で達成してきました百物語ですが、今回はネットで、動画での百物語達成です。
今度は、二百物語目指して語ります。
千物語、になるには何年かかる?

99話目「アカモリ」とは、おそらく赤ちゃんを守る人形のことかと。
記念の百話目の「夜のデザイン棟」は、愛知県の芸術系大学出の話。夜中に一人で、キャンパスに残ってはいけない……。

TBSらじこん「幽怪案内」はこちらからどうぞ ⇒ 『幽怪案内』

kaidanyawa at 13:28|PermalinkComments(0)
プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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