2013年12月

2013年12月31日

私は告知する

中山市朗です。

えー、「Dark Night 10」の予約は、満席となりまして、昨日の時点で締め切らせていただきました。
キャンセル等の情報についていは、イベントが近くなりましたときに、オフィスイチロウの魔怪見聞録、あるいはツィッターにてお知らせするかもしれません。

さて、もう2013年も終わりです。
皆さん、来年はよいお年を。

今年一年、ありがとうございました。感謝!

kaidanyawa at 13:50|PermalinkComments(2)

2013年12月30日

道との遭遇 特別編

中山市朗です。

日本最古の官道、竹内街道から古代の大和朝廷を見てみようと、書き始めました。続きです。

大和朝廷は古墳時代と呼ばれる4、5世紀にその勢力を増大させました。物部という戦闘集団が、おそらく周囲の国々を征服していったのでしょう。その物部の使った武器は、金属が使用されるまではサヌカイトという火成岩の一種で作られました。これは讃岐岩という日本語から来ています。これは香川県坂出市近くで採れたことから名づけられましたが、日本最大のサヌカイトの採掘場は、大和二上山にありました。「新耳袋」にどんづるぼう、という霊スポットが出てきますが、あれはその二上山にあり、あそこの奇妙な地形はまさに、そういう岩石の採掘場だったんです。採掘場があったということは、採掘した石を運ぶ道があったはずです。おそらくそれは、最初は獣道のようなものだったでしょうが、やがてサヌカイトは古墳の造営などにも使われるようになり、そうなると大量に運ぶ手段が必要となったはずです。

陸路に道路を敷くというのは、技術力はさりながら、膨大な財力が必要です。技術はあったでしょう。世界最大級の古墳を造っていたのは、謎の渡来人とされる秦氏でした。彼らの技術力は、まず、朝廷の命によって水路の確保に使われます。
当時、大阪湾は今とはまったく違う地形をしていました。瀬戸内海は今の大阪市の堺筋あたりまで来ていて、陸であったのは上町台地と呼ばれる南北に長いところでした。北は天満宮、南は住吉大社のあたりまで。その南には河内平野が広がっていました。ともかく当時の大阪は上町台地以外は、西は瀬戸内海、東は河内湖という湖に囲まれていたんです。東南海大地震が来ると、津波で水没するとされる地図が発表されていますが、ほぼ、あの地形です。
大阪は難波と呼ばれたんですが、その名の通り、波が押し寄せる難所だったんです。商品先物取引の発祥地とされる堂島という町が北浜の近くにあります。北浜はまさに北の浜であり、堂島は、四天王寺建立に際して、船で資材を運んだが、難波の荒波にのまれて沈没する船が多く、聖徳太子が島に薬師堂を造ったという伝説が残り、堂島という名はそこから来た、と言います。あのへん、海だったということです。また、渡辺姓は大阪の天満宮あたりから発祥した名で、渡辺は渡部のことであり、船で人を運ぶ部民たちのことをさしました。
というふうに、水の都と呼ばれる大阪は、そのほとんどが、大和朝廷の栄えた時代は海だったわけです。
西は河内湖という大きな湖があり、生駒山の近く、あるいは物部の住居地のあった八尾市のあたりまで来ていました。瀬戸内海と河内湖は今の梅田のあたりでつながっていて、そこに渡部たちがいたんです。

瀬戸内海を東進してきた船は、この難波津にある港に寄港したか、そのまま河内湖へ入って、やがて河内湖に淡水を注ぎ込む大和川に入り、そのまま都のある南東に向かうと、ツバ市という商業地がありました。今の三輪山付近、桜井市のあたりです。「日本書紀」には、小野妹子が連れてきた隋の使者、裴清世をツバ市で盛大に迎えたことを書いています。竹内街道ができるまでは、大和と瀬戸内海は、大和川という水路で結んだんですね。
当時の大和川は、秦氏によって造られた人工の運河であったといいます。秦氏は仁徳天皇の頃、朝廷に命じられて淀川や大和川の治水工事を行ったとされています。当時の河内平野は河川が何本もあって、北の河内湖に流れを注いでいましたが、大雨や台風のたびに氾濫し、洪水を起こし、その流れを変え、地形も変えたことでしょう。これでは人も住めない。秦氏は河内平野の治水工事をするわけで、その一環が大和川の掘削だったわけです。治水である程度水のコントロールが可能となると、平地には水田が造れる。そうなると人も住むようになる。人口の増加と農地の開拓、そして運河による運搬、これが大和朝廷に財政基盤をもたらせます。すると、どんどん大きくなる。大和川という運河は瀬戸内海から来る富をも朝廷にもたらせます。当時は船に勝る大型輸送の手段はありませんでしたから。

聖徳太子の時代となって、難波の岸に四天王寺が造営されます。
瀬戸内海と河内湖をつなぐこの地を、つば市に変わる貿易都市、商業地とするための、これはある種、モニュメント的な意味もあったと思います。五重塔なんて、当時の感覚では、東京スカイツリーみたいなものだったんじゃないでしょうか。おそらく、大陸や朝鮮半島からやって来た役人や商人たちは、まずこの難波宮で、見聞きすることが、倭国の印象となります。栄華を誇る国なのか、未開の国なのか。その威信を見せる町でもあったはずです。そのために、隋の首都長安と同じに四神相応という風水の知恵でもって、建設されたわけです。
四天王寺は生駒山系の山脈を青龍とみたて、その龍穴となる場所に四天王寺は建っています。龍穴からは生駒山の水脈が吹き出ていました。四天王寺名水がそれです。昔は七箇所で出たそうですが、今は二箇所だけ。西の鳥居はその生駒山を向いて建てられたわけです。
西は瀬戸内海から運ばれる収穫、そして金属を意味する白虎に対応します。そして南は、河内平野。
太陽の子孫たる天皇たちの墳墓があり、その復活、聖天子の誕生を意味する朱雀がいるにふさわしい。この四神相応の考えは、古代中国から来たもので、聖徳太子はその奥義を知っていたわけである。その証拠は四天王寺伽藍に隠されるが、詳しくは拙書「四天王寺の暗号」にて。
日本の風水の特色は、治水なのです。治水を行うことで、四神相応の土地ができる。中国は広大な土地がありますから、そういう土地を見つけて都を造ればいいのですが、わが国は土地も狭く、入り組んでいますので、それをどうコントロールするかにかかっていたわけです。
さて、四天王寺は寺院だけできはありません。四箇院といって今で言う病院や福祉センターも造られ、迎賓館や今で言うホテルなども造られ、運ばれてきた収穫物を保管する大型倉庫群も建ち並びました。法円坂で発見された倉庫群跡がそれを物語ります。このあたりになると、もう、日本海側の丹後や出雲などは衰退し、交易ルートは瀬戸内海ルートに集約されます。このルートの行く先はこの難波津ということになり、難波津に入った品々は大和へと直接もたらされます。そうして大和朝廷はますます繁栄します。遣隋使の船はこの難波津から出港したのです。

その隋では、文帝、煬帝と土木建築に力を入れていた時代で、遣隋使たちも、壮大な運河や陸路を走る大道を見て驚いたことでしょう。さっそく遣隋使たちは帰朝して、その報告をもたらせ、大和朝廷もいよいよ陸路のハイウェイの建設を検討し、実行に移したんです。
それが「日本書紀」推古21年(613)にある「難波より都に至る大道を置く」という記述となるわけです。日本最初のハイウェイです。この道は四天王寺の南大門を起点にまず、南へまっすぐ伸び、今の堺市あたりで長尾街道、竹内街道と合流、こんどは東に向かって、都を目指します。途中、古市古墳群や磯長谷古墳群を通ります。今と違って、このときの古墳群は人工建築物として威厳と異彩を放ったことでしょう。これも、日出る処の天子、つまり中国皇帝と同等の権威を持った天皇の治める国の威信をあえて見せるための道でもあったでしょう。
まだ、陸の交通手段は歩くことが主だった時代に、幅最大40メートルの道なんて、いりませんもん。しかし、陸路の道は、検問所を置くことによって行き交う人々の監視が行われ、軍隊の移動も容易となります。そして何より、民衆たちに朝廷の力を誇示し、服従させる意味もあったと思われます。
葛城市に残る竹内街道跡はそういう意味で貴重なもので、司馬遼太郎さんは、この一部分だけは、国宝に値すると「街道を行く」に書いていました。

ところで、聖徳太子の頃は、車や馬の使用はあったのでしょうか。
車と日本の古代というのはどうも結びつきませんが、車を使うことはあったんじゃないでしょうか。隋国では馬車もありましたから。考古学的にも車の使用は認められるそうです。
馬も、聖徳太子の時代の墳墓からは、馬具が出土していますから、馬に乗る風習は当時あったのでしょうが、軍隊も戦うときは馬を降りて戦ったようです。こういった馬は、四天王寺の記録やや「畜産史」などの資料を読むと、四天王寺造営のために大陸から牛馬を運んできたとあり、また、わが国最初の牛市が、四天王寺の西門で行われたといいますから、牛馬の本格的な使用はこの頃から発したとも思われます。
生駒山には、駒、つまり馬の字があります。馬がいたのでしょうか。
「書紀」には神武東征のとき、すでに膽駒山と記され、以後いろいろな文献に射駒、伊駒など、やはり馬と関係する山を示唆しています。とはいっても馬を放牧したという記述は私の見たところ、ありませんが、生駒山山麓は草香(クサカ)と呼ばれた草の生い茂る平地だったことから、八尾に住む物部たちが、軍馬を育成するために放牧したのかも知れませんね。

そして、この後、大化の改新あたりから、人や物資を馬で運ぶ伝馬制が運用され、朝廷による全国の道路整備が行われます。
とは言っても、私が生まれた兵庫県北部は、明治の頃でもちゃんとした道路は無く、あぜ道や獣道がほとんどだったとか。私が幼い頃は舗装もされておらず、車がたまに通るともうもうと土煙がたっていました。

今は全国各地に立派な道路が走っていて、道が無いなんて考えられませんけどね。












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2013年12月29日

007 靖国を愛したスパイ

中山市朗です。

竹内街道の続きを書こうと思っていたんですけど、いろいろ書きたいこともあって。

先日、某忘年会に参加しましたところ、ある作家さんが、妙に私にからんでくるんですね。私のブログを読んでいるらしいんですけど。
秘密保護法はダメでしょ、とか、安倍首相の靖国参拝は問題でしょうとか、韓国はどうでもいいとして、やっぱり中国を怒らせ、米国に注意を受ける安倍首相のやり方は、いかがなものか、とか。
「あんたは朝日新聞か」と言いたいところをグッと抑えました。いやでもこの人、きっと朝日新聞を読んではるんやろうなと。

秘密保護法案というと、奇妙なことを言った映画監督がいました。
「この特定秘密保護法案は、(表現者の)自己規制を萎縮させる。極端に言えば、007やミッション・イン・ポッシブルなどの娯楽作品が作れなくなる……」
崔洋一監督でした。私はこの人がNHKの討論番組で発した「(日韓併合を)肯定されるという考え方は、基本的に歴史を語る資格は無い」という暴言から、そんなに言うのなら、日韓併合の真実とは何かを知るべきかな、と調べ始めたわけですから、いわば私に韓国という国の実態を知らせてくれた方です。崔監督とはまったく逆の意見を持つに至りましたが……。で、まあ、また今度もようそんなアホな発言を……。
007やミッション・イン・ポッシブルという映画を作っている米英両国には、この秘密保護法はあるわけですし、スパイ防止法もあるわけですから、この発言はいかにも奇妙。大体日本映画を見回しても、そんな映画は無いし。市川雷蔵の「陸軍中野学校」とか、三橋達也の「国際秘密警察シリーズ」。「国際秘密~」はまさに007のパロディでした。あと……「クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ黄金のスパイ大作戦」!!
だいたい法律ができたら萎縮するなんて、創作者じゃない。際際のところで告発するとか、逆手にとって利用するような作品を作るのが醍醐味じゃないでしょうか。と、いうほどの法案でもないですしねえ。あれ、よく読んだらわかりますが、国防、外交といった国家安全保障に関する職場や情報に関わらない限り、関係ありませんわ。また、国家安全保障に関わることに機密、秘密が存在するのはきわめて当たり前のことですし。だいたい日本の映画人がそんな問題に挑んだことなど、私ほど映画を見てきた者からして、見当たりませんわ。
「いや、米英にある秘密保護法と違って、日本の秘密保護法はこんなダメなところがある」と、こと細かく比較していいるジャーナリストもいますが、「だから止めろ」ありきの対比で、だからこうしろ、と言う議論にならないのはなぜか、ですよ。そもそもこういう法律が無かったのはおかしい。日本はずっとスパイ天国と言われていたわけですから。それにこの法案に反対している人は、今年1月にあったアルジェリア人質束縛事件を忘れたのでしょうか。多数の日本人の犠牲者が出た最大の要因は、日本にこの法律が無かったからでしょう。秘密保護法に相当する法が無かったから、アルジェリア軍突入については、フランスやアメリカ政府はあらかじめ知っていたのに、日本だけ知らされなかった。安倍政権発足間もない時期でした。海外に赴任したり、海外に拠点を置く日本企業や日本人を守るための法なんですよ、あれは。

靖国参拝も、安倍さんに拍手ですよ。
朝日、毎日新聞は、「靖国参拝は、外交孤立を招く誤った道、中韓の関係改善は遠のき、米国の信頼も遠のく」といった論調ですが、こんなん、靖国参拝しようがしまいが関係改善などアチラがする気など無いわけですから。なんですか、あの自衛隊に銃弾を提供されながら、あの不遜な態度。器が小さすぎる。だから安倍さんも見切りをつけたんだと思います。これ以上配慮しても、付け上がるだけ。まあ、中国は戦略的に見ています。日米の関係しだいでは、いずれ歩み寄ってきます。中国のエリート層は国際感覚をちゃんと持っていますから。韓国はもうどうしようもない。大戦中は同胞として戦ったことを忘れ、まるで敵対していたように思っている勘違い国民ですから。特攻で散っていった朝鮮系兵士の英霊もあそこに祀られてあるんですよ。彼らはきっと仲間と言い合ったはずです。
「靖国で会おう」
それを今、祖国韓国は戦犯だ、戦争の肯定だ、侵略の反省が無い、だ。戦争はまっぴらだ、今度生まれ変わるなら、戦争の無い平和な国に生まれたい、いちばんそう思ったのは、散っていった兵士たちだ!
靖国には、そういった朝鮮系兵士の英霊21000柱が、日本人との差別無くお祀りしてあるのです。
その、祖国のために(祖国とは、この場合朝鮮も含まれます)命を捧げた若者たちに、不戦の誓いを祈る総理がなぜ、マスコミや中国、韓国にここまでとやかく言われなければならないのか。なぜ、それがイコール軍靴が聞こえる、となるのか。特に韓国が靖国参拝について、ああもヒステリックになっている原因が知りたい。感情的なことは抜きにして、ロジックを。

戦犯が合祀されているから、A級戦犯が大戦で奪われた命の責任者であるから?
つまり、戦争を煽った戦犯を許すことはできない。許すことは戦争礼賛になる、と?
そういう意見もありますな。しかし、あの戦犯は東京裁判で勝った連合国側が作った戦犯。敗戦国日本はそれを無条件で受け入れはしたが、しかし戦争が起こった要因は、両方にある。そろそろ戦犯というものを日本の立場で検証し、先の大戦を見直す必要があると、私は思いますがな。それと日本の宗教観も、外国の人たちに理解していただくよう広報せねばならない。中国、韓国では、裏切り者は墓も作ってもらえませんが、日本は朝廷に逆らった者でも、死ねば罪は無い。四天王寺には物部守屋の立派な祠があるし、東京には平将門の墓もある。

で、あの靖国に祀られるA級戦犯たちが、日本国民を戦争に駆り立てた、だから靖国参拝は許さなじ、というマスコミも、戦時にこんな記事を書き続けていたことは不問なのでしょぅか?

「ああ、この日、日本帝国に生まれ合わした幸運。朝鮮人も祖国日本のため米英撲滅に参加できる喜びをお察しください。今こそ靖国の英霊の仇を討ってみせます。天皇陛下万歳、大日本帝国万歳」

昭和17年5月15日、「朝日新聞」





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2013年12月27日

配信アリ 年末特集

中山市朗です。

怪談といえば夏、というイメージがあります。
幽霊も、夏に出てくる、というイメージがあります。
でも、幽霊は年中出ている、ようなのです。
そこで、今回と次回の「幽怪案内」は、年末年始にあった怪異を集めてみました。
その解説動画を、まず無料で。

有料の一本目は、「年末の巡回」と「葬式帰りの顔」。
すみません。「葬式帰りの顔」は、年末年始に関係ありません。ただ、年末に葬式の話をするのは縁起が悪くてオモロイかなあ……、と。
「年末の巡回」は、Kさんという人の、年末の消防団員としての巡回時にあった話。季節感のある話は、私好きです。
有料の二本目は「年末のアルバイト」。
一晩5万円のバイトが、12月30日にあると聞いたTさん。内容も知らされずにある神社に行くと、何十人もの人が集まっている。宮司さんから、アルバイトの内容を聞かされ、そんな仕事はできないという人は口止め料を支払うから無理には勧められないという。Tさんは5万円欲しさにそのアルバイトを引き受けることにしたが、現場では壮絶な恐怖が待ち構えていた……。
あれ? Tさん、口止め料込みのアルバイト代もらったのに、私に言ってしまっていいの?
動画を見てしまった視聴者の方々、くれぐれも場所の勘ぐりはしないように。

そして来週は、お正月怪談特集をお送りします。
お楽しみに!


TBS −らじこん− 『幽怪案内』

kaidanyawa at 12:37|PermalinkComments(3)

2013年12月26日

海ゆかば

中山市朗です。

葛城市主催の「竹内街道1400年記念事業」催しに、パネラーとして参加させていただいたとき、、葛城市長さんは「なんとしても竹内街道のことを知っている人を少しでも増やしたい」と言っておられて、その熱意を受けました。熱い人は好きです。そういうことから、竹内街道という道の成り立ちの背後関係から、大和朝廷の成り立ちを見てみようと、このブログで書いていたら、ちょっと気になるニュースが飛び込んできました。

韓国政府は、南部済州島を中心とする地区に残る「海女文化」をユネスコ無形文化財遺産に申請する方針を決めたと発表。韓国側は済州島の海女は17世紀の書物に「潜女」として登場しているという。
一方、日本でも石川、三重両県で無形文化遺産登録を目指す動きがあるという。

素潜りして魚介類や海草を獲るというのは、日本と韓国だけにある風習だそうです。

この海女のルーツこそが、前回このブログに書いた、対馬海流にのってやってきた海人たちのことなんですね。海女はアマと呼びますが、男は海士と書いてやはり、アマと呼びます。つまりは彼らは海族なんです。海族もアマと読みます。古代の海洋民族。
海洋民族といえば、フェニキア人を思い出しますが、彼らは陸地に国を持たなかったといいます。同様に、海族に国境線などなかったでしょう。海が彼らの里。この海人たちは、中国や朝鮮半島からやって来た人たちとは違います。
海人たちは、対馬海流にのって済州島に漂着したのもいれば、日本列島に漂着したのもいる。根は同じ。日韓の間で、互いに日本のものだ、韓国のものだとこれから主張合戦が始まるのでしょうが、こればかりは共同で登録するのがよろしいかと。時代にもよりますが、だいたい日本海から朝鮮半島の南部までが、倭国だったのです。済州島も倭国の中にあったと思われます。こんなことを言うと韓国の人たちが猛烈に抗議してきそうですけど。
倭国とは倭人の住む国、あるいは地域のことで中国がそう呼んだわけです。独特の風貌、文化形態をもっていたのでしょうね。と、いうことは当時すでに倭人と中国に住んでいた人たちとは明確な違いがあったということです。古代中国の「三国志」「後漢書」などによれば、狗邪韓国は倭国の北端であるとしています、狗邪韓国とは3世紀頃に朝鮮半島南部にあったとされる国ですが、詳しいことはわかっていません。ただ、「魏書東夷伝韓条」にも倭国のことが書かれていて、「三韓(馬韓、辰韓、弁韓)は帯方郡の南にあり、東西は海を限界とし、南は倭と隣接す」とあります。帯方郡とは当時朝鮮半島中西部にあった土地で、魏の植民地であったとされています。つまり、朝鮮半島に倭国はあったというわけです。その倭国の日本海一帯に海族は住んでいたのです。
「魏志倭人伝」は3世紀末に中国で書かれたものですが、ここにも、倭人は素潜りして魚を捕らえる、と記されています。
島根県隠岐島に海士町というところがあります。おそらく古代において海族が住み着いたのでしょう。また、京都府丹後半島に久美浜がありますが、ここにも海士という地名が残ります。この久美浜にいた海士たちから海部(あまべ)一族が出たんです。
丹後半島に元伊勢・籠神社という古社があります。ここの現宮司さんも海部さんで「私たち海族は天(アマ)であり、海(アマ)である、つまり水平線の彼方からってきたという意味です」と、言っていました。この奥院にある真奈井の神が、天皇と関係し、また稲荷の源神ともなるのです。
海部氏の一族が河内に出て、後に物部氏となって、天皇の宗教を司ります。ですから、海族がおそらく天皇の出自のヒントを与えてくれると思われます。これは、原日本人でも朝鮮の人でもありません。太陽信仰を持った、遥か遠くから来た海洋民族なのです。住吉三神は彼ら海族が信仰した航海の神で、底筒男、中筒男、表筒男命ということになっていますが、筒とは星のことだとする説もあり、岩波の「古事記」の注には、オリオンの三つ星のことであると書かれています。オリオン座の三星を見て航海したとなると、これは相当遠くからやってきた海洋民族、ということになります。また、住吉の神には神功皇后も祀られますが、彼女の血統は海部に行きます。また、彼女には息長帯姫命という名があるわけですが、これも息を長くする、つまり海女と関係あることが示唆されるわけです。

そんなことで、私は非常に古代の海人たち、海部氏の祖先、について興味があり、独自調査していたわけです。

海人は、自由に航海し、独自の風習をもっいていました。そこに、今の大韓民国と日本の国境線を引いて、うちだ、いや、お前んとこはうちの文化を盗るのか、と争うのは大人気ないことです。しかし、倭国のことを持ち出すと、韓国の人たちは大声で否定するんでしょうね。
中国の文献がそう書いているんですけどね。






kaidanyawa at 05:03|PermalinkComments(5)

2013年12月25日

道との遭遇 その一

中山市朗です。

前回書きました、竹内街道1400年記念事業ということで。道から見たわが国の成り立ちということを考えてみようと思います。竹内街道は凄い、という話にだんだんなっていきますから。

日本列島は四方を海に囲まれています。ここに、渡来人たちがやってきて住みつくようになります。特にある時期から渡来してくる人の数が格段に増えていきます。この時代が弥生時代というわけです。
ちょうどその頃、大陸では始皇帝が統一して、あるいは滅んでという動乱期でしたので、これを逃れた人たちが船に乗ってこの平和な島国を目指してやってきていた、という一面も大きくあったでしょう。征服されれば奴隷になるか殺されるか、という時代。難破して命を無くすかもしれないリスクを犯してでも、日本列島に逃げ込む動機はあったと思われます。また、自然豊かなこの風土が楽天地に見えたことでしょうしね。で、この渡来人たちは大陸の技術や文化を伝えるとともに、戦争もしばしば起こしました。長らく沈黙していた日本列島の内部の様相が動き出します。ある数字によれば、縄文後期の日本列島の人口は約16万人。晩期には寒冷化のため一旦7万
人台に落ち込みます。この時期、日本をうろうろしても、ほとんど人を見かけることはないでしょう。ところが弥生時代となると一気に60万人となります。この数字を見ただけで、日本列島は渡来人たちによって制圧された、といっても過言ではないと思われます。

この渡来人たちは、黒潮にのって、四国や紀伊半島、あるいは関東あたりに上陸したこともあったでしょうが、たていては日本海側に漂着、あるいは寄港したんです。それは黒潮の支流、日本海へ流れ込む対馬海流と関係しているようでして、まず船はこの海流に乗れば、何もしなくても東シナ海から日本列島に沿うように北上します。この海流は陸上に近いところでは逆流し、これに乗ると、湾の中へ入り込みます。たまに日本海でタンカーなどが座礁して、若狭湾や能登半島に石油が流れ込んだ、というニュースがあったりしますが、これがそのことを示しています。よって彼らは、まずは北九州、そして出雲、丹後半島といった場所から入り込み、コロニーを作って大陸と交易しだします。するとこの交易により富を持つ者が権力を持つようになり、しだいに小さな国々が生まれていくわけです。農作物やその耕作の技術も来ました。鉄も来ました。稲作を中心とした農耕社会の確立が、弥生時代の特色である、という説もあります。稲作そのものは縄文人たちはすでに行っていましたが、驚異的な技術革新がこの頃もたらされたといいます。収穫高も格段に上がり、それによって富の蓄積とそれに伴う支配者の誕生があり、支配者による国造りが始まる、といったことが、この頃日本列島に住む住民たちの間で起こっていったわけです。渡来人たちがしばし起こしたという戦争はまさにその象徴ですね。
弥生時代において、北九州、出雲、丹後といった日本海沿岸が、まずその表玄関であったわけです。ところがこれらの独自の日本海文化はだいたい5世紀頃に最盛期を迎えると、その後急速に衰退していくわけです。代わりに台頭してきたのが、奈良盆地に拠を構える大和王朝です。

この頃から、日本海側にあった交易ルートが、関門海峡から瀬戸内海に入るルートに代わるわけです。このことは、日本海側を含む西日本を大和王朝が勢力化に置いたということと、瀬戸内海沿岸の国々や豪族も支配化に置いたことを示すわけです。
こうなると、物資や献物が直接大和にもたらされることになります。富の集中がはじまります。当時の交通は船によって行うのが一番効率的だったわけです。陸路の道は、まだ獣道のようなものしかなかったでしょう。「日本書紀」によると、神武天皇の皇軍が、河内から大和に入るに当たって二列縦隊で歩くことは困難であったことが記されます。ただし、川原は重要な内陸の交通網でした。もちろん船による運搬もできますが、軍隊などはこの川原を徒歩で移動しました。
獣道ですと、大勢の移動は困難で、しかも敵のみならず猛獣、蛇などの脅威も考えられます。川原を徒歩で移動するとある程度見晴らしも利き、二列、三列の縦隊移動も可能で、道に迷う危険性も避けられたと思われます。また、国が大きくなるには物資や人の輸送をいかに大量に効率的に行うか、が、重要な課題となります。それには船以外にありません。また、馬に乗るということもこの頃は行われていません。

古今東西、国を運営するのには、税金の徴収を行わねばなりません。経済的基盤がなりたたないと国もなりたたないわけですね。そして税収は多ければ多いほどいいわけです。
そのために、隣国に攻めて支配下に置き、その住民から徴収するわけです。徴収対象は多ければ多いほどいい。しかし、徴税するには役所が要る。すると、その役所と都、つまり地方と中央の間をスムースに物資や情報、軍隊が行きかう道が必要、となるわけです。もちろん通貨の統一、暦の統一、数量の単位の統一といったことも必要なのです。道はまた、地理の掌握であり、技術力の誇示であり、ともかく国造りには道が必要なのです。すべての道はローマに通じる、とはそういう意味なのです。地球を支配しようとするショッカーたちは、そういうことを考えているのでしょうか?

しかし、それだけに陸路の道を開くのは莫大な費用と高等な技術が必要です。わが国に整備された官道が登場するには聖徳太子の時代まで待たねばなりません。ですからまず、大和朝廷の隆盛をもたらす道は、運河の工事から始まったと思われるわけです。








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2013年12月24日

中山市朗です。

昨日、奈良県葛城市で行われた、葛城市主催の「竹内街道1400年記念事業・記録と記憶のシンポジウム」のパネルデッスカッションにパネラーとして参加させていただきました。
第一部は、葛城市竹内が母の里であり、幼少時代をこの地で育ったという司馬遼太郎について、同じ産経新聞の記者をしていたという氏の義弟で司馬遼太郎記念館館長の上村洋行氏による講演「司馬遼太郎の記憶」。
客席にて拝聴させていただきました。
司馬遼太郎作品のファンでもある私ですが、興味深いエピソードが聞けて、身を引き締めなければ、と思った次第です。
「希望は天上にあり、実行は脚下にあり。すべからず実行ありけり」
この言葉、13歳の司馬良太郎少年が書き残したものなんだそうです。

さて、第二部がパネルディシュカッション。
司会は日ごろいろいろお世話になっている京都造形芸術大学教授の関本徹生氏。パネラーの先生方は、戦国時代を世に広めることを意図とした「戦国魂」のプロデューサー、鈴木智博氏。関西学院大学教授の西山克氏。京都造形芸術大学准教授の菅原真弓氏。葛城市市長の山下和弥氏。そして、私。
実は、当初は建築家で作家でもある渡辺豊和氏が出演されるところ、病気のため出演できず、私が急遽ピンチヒッターとして呼ばれたというのが真相なのであります。
で、竹内街道1400記念事業、とは何ぞや、ということです。

「日本書紀」には、推古二十一年十一月、難波より京にいたる大道を置く。

これ、実はわが国最初の官道、つまりは国道を造ったという記録なんですね。で、今年その大道ができて1400年目ということで、この催しが開かれたということなんです。
この道はまず、四天王寺の南大門を起点とし、まず南にまっすぐ、ずどんと巨大な道として造られ、今の堺市あたりで、長尾街道、竹内街道と合流し、ここからは、大和川に沿って東へと向かい、飛鳥の都へと行く陸路のハイウェイというわけです。そこで、古代にその大道が通ったという大阪市、堺市、松原市、羽曳野市、太子町、葛城市、大和高田市、橿原市、桜井市、明日香村の10市町が合同して町おこしをしようと今年一年、いろいろなイベントやシンポジウムをやってきたそうです。
山下市長は、以前私がトリイホールで、桂小米朝さん(今の米団治)と古代史研究会というのをやっていたのをご存知で「私、客として興味深く見させていただいていました」という、古代史マニアでもあるようです。そういうようなこともあって、呼んでいただいたのでしょうが。

そらね、竹内街道のことは知識としては知ってはいましたよ。その幅は17メートル、広いところでは40メートル(十車線に相当!)もある立派な道だったとか。どういうコースを通っていたとか。しかし、まだその形跡が残る現在の竹内街道を意識して通ったこともなく、専門的に研究をした、というわけでもありません。
そこで、急遽、竹内街道について、専門的な知識と薀蓄を頭に入れなければならない、ということになったわけです。えらいこってす。

で、私なりに、わが国最初の官道が、この時期、この場所に敷設されたのは、なぜか、なんのためか、ということを考えてみました。すると、面白い歴史の変遷が見えてきたわけです。
次回に、そのことを提示いたします。この日、時間の都合で提示できなかったことも含めて。





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2013年12月22日

配信、ようやくアリ

中山市朗です。

すみませんでした。
二日遅れとなりましたが「幽怪案内」の新作がようやく配信されております。
まずは101本目となる動画は、クリスマスにまつわる怪談を語ってみました。しかしこれは、クリスマスの日にあったということだけで、クリスマスとの因果はないかも知れません。しかし、クリスマスのこの日のみあって、以前も以後もこの現象は無かったといいますから、あるいは関係あるのかも……。
よおわかりませんわ。
「サンタさん?」という怪談は無料でご視聴できます。

有料で2本。
1本目は、タクシーの運転手さんから聞いた話を2話。
私、タクシーに乗るたびに、運転手さんに「幽霊乗せた経験ありますか?」と聞いているんですが、話が拾える確率は、弱いときの阪神タイガースの勝率くらい?
最初の一話目は、東京で乗ったタクシーの運転手から聞いた「ひとつ、ふたつ、みっつ……」という話。この話は運転手さん、すっごく熱心に語ってくれまして、目的地に着いてもタクシー停めたまま、延々話してくれました。それほど彼にとっては、忘れられない怪異との遭遇だったのでしょう。もう一話「担がれた」という話は、まったくの典型的なタクシー怪談の話しですが、それだけに最後、ちょっとおもしろいかな、と。

3本目は、警備会社に勤める方から取材させてもらった話を二本。
「経文」と「付け届け」。
なかなか警備関係の人は、こういう話、聞かせてくれません。「会社辞めたらお話します」とよく言われます。でもこの話を語ってくれたのは、現役の警備会社の人です。
古いビルは気をつけましょう。

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そして「Dark Night 10」の受付はコチラから⇒『Dark Night 10』イベントページ

kaidanyawa at 11:34|PermalinkComments(5)

2013年12月20日

配信まだナシ?

中山市朗です。

本日は「幽怪案内」配信日ですが、14時10分の時点で、まだアップされていません。
処々事情があるようです。
アップしだいお知らせいたします。

申し訳ございません。


kaidanyawa at 14:13|PermalinkComments(0)

2013年12月18日

アラビアのレベッカ

中山市朗です。

「アラビアのロレンス」の名優、ピーター・オトゥールさんが亡くなったというニュースが入ったかと思うと、今度はジョーン・フォンティーンさんの訃報が入ってきましたねえ。

ピーター・オトゥールさんは、1932年8月2日、アイルランド生まれ。享年81歳。でも「ラスト・エンペラー」(87)あたりで、もう老いた顔をしていたので、もちょっと行っていたと思っていたんですけど。
この人はアカデミーの演技賞に何度もノミネートされたんですけど、「アラビアのロレンス」のロレンス中尉があんまりはまりすぎて、「ロードジム」(65)や「マーフィの戦い」(71)なんていう映画を見ても、ロレンスに見えてしょうがなかった。大根とかいうのではなくて、あの容姿も含めてあれは、ロレンスそのものだったんでしょうね。ジョージ・C・スコットのパットン将軍(「パットン大戦車軍団」(70))もめっちゃはまってましたけど、他の映画でスコットがパットンに見えたことはないんですけど。やっぱりアラブの衣装を着た、いかにも英国人。そして金髪、碧眼というのが、ビジュアル的にもインパクトがありすぎたのでしょうか。
そういえば、ピーター・オトゥールという役者は、実在した人物をよく演じていました。ロレンスもそうですけど、「ベケット」(64)「冬のライオン」(68)のヘンリー鏡ぁ◆屮リギュラ」のティベリウス、「ラスト・エンペラー」では清朝最後の皇帝薄儀の家庭教師レジナルド・ジョンストン、「トロイ」(04)で、トロイヤ最後の王、プリアモス。これが不思議と、ロレンス以外には実在した人物としての存在感があまりしない。
チャールトン・ヘストンという人も、モーゼ、エル・シド、ミケランジェロ、アンドリュー・ジャクソン大統領、ヨハネ、チャールズ・ゴードンといった歴史上の人物を多く演じていますが、こちらは肉体派なんですね。だから歴史上の人物の肉体を表現したのがヘストンという人。こちらはなんかスクリーンに映ったキャラクターとしてのインパクトがある。オトゥールはロレンス中尉を心技体ともに完全に一致しちゃって、あとの役は、肉体的についていけなかった……、ちょっと表現が難しいですけど、だから演技で歴史上の人物を再現しようとして、そこが玄人にウケたのが、アカデミーの演技賞8回ノミネートといったものになっていくのでしょうね。ただし、受賞は無かった。ちなみにヘストンは「ベン・ハー」(59)でアカデミー主演男優賞を獲ったものの、以後ノミネートすらされず。思うにヘストンはスター、オトゥールは名優。この二人の歴史的人物を演じるスタンスの違いが面白いと思っていたんですけど。どちらもシェイクスピア劇でキャリアを積んだという共通点があるだけに。
ちなみに「アラビアのロレンス」はパソコンの画面なんかで見てもらいたくありません。あれは巨大なスクリーンで見るもの。「ロレンス見ましたけど、そんなに言うほどの映画ですか?」と言ってほしくないので。
私の中では「アラビアのロレンス」こそは映画の中の映画。「2001年宇宙の旅」は映画の超越。

ジョーン・フォンティーンさんは、大好きなハリウッド女優でした。私、あんまり女優で映画を見ないんですけど、この人は別。1917年10月22日生まれと言いますから、享年96歳。実を言うと、訃報を知って「あ、まだ生きてはったんや」と思ったのが正直なところ。戦前から活躍した女優さんですから。
この人の両親はイギリス人ながら、生まれは東京虎ノ門のあたり。一時聖心女子学院にも通ったこともあったそうです。お姉さんが「風と共に去りぬ」でメラニー役を演じたオリヴィァ・デ・ハビランド。この姉妹、「ジェーンに何が起こったか?」で、醜く老いたベティ・ディヴィス、ジョーン・クロフォードが演じた姉妹のように、すっごく仲が悪かったそうですが、まあ、ここではそんなことはいいでしょう。
フォンティーンである意味印象的なのは、「踊る騎士」(37)というミュージカル映画でフレッド・アステアと競演しながら踊らない、「皇帝円舞曲」(48)ではビング・クロスビーと競演しながら、デュエットしなかったこと。でも、華があるんですね、この女優さん。
代表作はヒッチコック監督の「レベッカ」(40)と「断崖」(41)。
「レベッカ」はそれまで祖国イギリスで映画を撮っていたヒッチコックが、ハリウッドに招かれて撮った第一作。ヒッチコック自身はこの映画を嫌っていて、それはおそらくプロデューサーのセルズニックの作品への介入がヒッチコックらしさを奪った、ということからきているようなのですが、私はこれ、ヒッチコック作品で常に三本の指に入る傑作だと思っています。ローレンス・オリビエが演じるマキシムという英国の富豪とフランスのコートダジュールで知り合い、恋仲になり、マキシムに求婚されてイギリスの彼の大邸宅マンダレイに嫁ぐものの、先妻のレベッカの影に常に怯える若妻を演じるわけです。ゴシック調の格調あるヒッチコックの演出がいいんですけど、とにかくレベッカに怯え、おどおどしながらも、マンダレイの女主人としての威厳を保たねばならない。それを華奢な体のジョーン・フォンティーンが演じるから、けなげに思えるんですね。そして、怯えの対象となるレベッカという人物はまったく具体的には登場しないんです。もう、亡くなっているんです。でも、まるでそれが、亡霊のようにまとわりついてくる。ジョーン・フォンティーンの若妻の怯える様子が、観客に伝わってきて、ちょっと怪談の演出なんですね。また、怯えるジョーン・フォンティーンの表情がいい。繊細で折れそうな若妻の心を、またこれが美しく演じるんです。で、この女優さん、華があって美しくて女性らしいか弱さをかもし出しながら、艶気というものがあまり感じられない。でも女性としての魅力を感じないのかというと、そうでもない。不思議な女優さんです。
ところで、その、びくびくとした怯えの演出は、実はフォンティーンに何かとつらくあたるローレンス・オリビエにヒッチコックはヒントをもらったようです。オリビエは同時「風と共に去りぬ」のヒロインを演じたヴィヴィアン・リーとの新婚の頃。で、英国からハリウッド進出をねらうヴィヴィアンのために、「レベッカ」のヒロインもやらせたかったらしい。だからフォンティーンが気に入らなかったようなんです。この頃すでに大物俳優だったオリビエは、だからフォンティーンに何かと辛く当たった。だからフォンティーンはオリビエのことをほんとうに怯えていたんです。ヒッチコックはそれを見て、スタッフたちにも辛くあたるように内密に指示していたらしい。だからあれは、撮影現場におどおどしているんですね。これも演出における計算。
「断崖」では、ケーリー・クラントが演じる、なんだか軽薄な男と結婚して、その夫の行動に疑惑を持つようになる。で、疑惑がだんだん、自分を殺そうとしているという確信になってい過程が怖いんです。それでも夫を愛しているというけなげな女性を演じて、ここでも怯えているんですね。怯えるジョーン・フォンティーンが、ここでもすごく美しい。そしてその美しさが、恐怖を生み出すわけです。この作品で、彼女はアカデミー主演女優賞を獲りました。
その他、「忘れれじの面影」(48)、ジョセフ・コットンとの「旅愁」(50)とか、いい映画はあるんですが、「レベッカ」と「断崖」はちょっと格が違う。映画は光と影の魔法によりスクリーンに映し出されるわけですが、その光と影の使い方が、絶妙なんです。何もせりふはなくとも、画面から伝わる緊迫感は、ここから来るものです。ヒッチコックこそは映画の魔術とはなんたるかを完全に理解した、世界でも数少ないホンモノの映画作家の一人であることは間違いありません。
ところで、彼女、アーウィン・アレン制作のSF映画「地球の危機」(61)に博士役で出てました。ハリウッドにおいて当時SFはキワモノ扱いされていて、けっしてスターは出なかった。そんななかでSF映画に出た初めての大スターは「猿の惑星」(68)のチャールトン・ヘストンだとされていますが、考えたらジョーン・フォンティーンが最初なんですね。

ピーター・オトゥールさん、ジョーン・フォンティーンさんのご冥福をお祈りいたします。



kaidanyawa at 06:18|PermalinkComments(7)

2013年12月14日

Dark Night 10

中山市朗です。

お待たせいたしました。
「Dark Night VOL.10」の詳細が決まりました。

開催日は来年1月25日(土)の深夜0時より、いつものようにオールナイト。
ゲストには、KTV「怪談グランプリ」などでおなじみの怪談和尚こと三木大雲氏。
山口敏太郎さん所有の「呪い面」を預かる京都蓮久寺の住職であり、仏教の教えを怪談で説法される怪談師でもあられます。
ご住職自身も数々の霊体験をお持ちで、その話芸には定評があります。
中山市朗VS三木大雲!!
いつもに増した、濃い怪談づくしのオールナイトとなることをお約束します。

場所は、すみません。道頓堀ZAZAhouseの方ではなくて、ZAZApockesでの開催となりました。
80人で満席となりますので、お早めにご予約お願いいたします。

予約、詳細等は、近日中にオフィスイチロウのホームページに、専用のバナーを貼り付けますので、そこからお入りください。また、東京での開催は5月中旬となりそうです。そちらの詳細は来年頭にも。

『Dark Night』イベント詳細ページ

kaidanyawa at 16:55|PermalinkComments(4)

2013年12月13日

配信あり

中山市朗です。

本日は、「幽怪案内」の配信日です。
先月行った、「怪談inキャンプ」での収録です。

幽霊が出たログハウスで、まさに11年前に起こった怪異を語っています。
みなさんも場所を特定して行ってみてください。

TBSらじこん「幽怪案内」はコチラから→TBS -らじこん‐ 『幽怪案内』

kaidanyawa at 13:03|PermalinkComments(0)

2013年12月09日

メイキングオブ乱

中山市朗です。

最近の私のブログに黒澤映画ゼミナールを運営している丑四五郎さんからコメントをいただきました。
丑四五郎さん、お久しぶりです。
アナハイム大学の映画監督育成講座に、黒澤ゼミナールが全面協力!
ご活躍のようですね。

丑四五郎さんは、私がヘラルド・エースと黒澤プロダクションに、黒澤監督がお撮りになる『乱』のメイキング映像の企画を持ち込み、実現したときに一緒に現場を体験した人です。
黒澤映画はいかにして製作されるのか。
これは、私のみならず、全世界の映画マニア、映画関係者、映画監督志望者の知りたかったものでしょう。
NHKが『影武者』の撮影時に16ミリのカメラをドキュメント用に入れて、密着取材をしたことはありましたが、ロケ撮影の初日から編集まで、ビデオカメラで完全密着したのは、我々の企画がはじめてでした。
また、日本映画初のメイキングとしての企画でもありました。

実は、我々が撮った貴重なメイキング映像は、後にいろいろ利権争いが起こって、大人の世界とはこういうものか!とえらい勉強になったわけです。もう、三十年近く前のことです。ところが、その後ヘラルド・エースが角川に吸収されて消滅。そのとき何十時間にも及ぶメイキング映像が破棄されるところを、丑四五郎さんが引き取って、自費でデジタル化したんです。
私はこのことをもっと後になって知ったわけですが。

黒澤映画ゼミナールのホームページにて、そのメイキング映像が観ることができます。

こちらからどうぞ。『黒澤映画ゼミナール』




kaidanyawa at 21:07|PermalinkComments(1)

2013年12月08日

パールハーバー

中山市朗です。

本日は12月8日、「トラ・トラ・トラ!」の日でした。
1941年のこの日、日本海軍は空母を主体とした機動部隊でもって、アメリカ太平洋艦隊の基地があったハワイ・オアフ島の真珠湾を奇襲攻撃し、第二次大戦を太平洋に拡大させたのでありました。
この真珠湾作戦は、時の連合艦隊司令長官であった山本五十六大将の発案でしたが、空母を集中配備させた艦隊を編成し、航空兵力でもって敵艦隊を殲滅させるというアイディアは、山本ではなく小沢治三郎中将(後に最後の連合艦隊司令長官となる)であったといいます。
真珠湾作戦は、最初から奇襲を意図としたものであったわけですが、宣戦布告は攻撃前になされるはずでした。ところがいろいろな理由から、攻撃の一時間後にハル国務長官の手に渡りました。
よって、日本は宣戦布告無しに戦争を始めた「ダーティ・ジャップ」としての汚名を着せられることとなりました。
「リメンバー・パールハーバー」も、卑劣な日本の蛮行を許すな、という意味となりました。

しかし、真珠湾が攻撃されることを米国政府と軍の上層部は知っていたという説もあり、それどころか、いかに日本に先制攻撃をさせて、戦争介入の機会を作ろうかと、米政府は画策していたという説もあります。

でもね、アメリカはそれ以前に日本軍と戦争をしていたんです。歴史にはほとんど出てきませんし、ほとんどの日本人は知らないことですが。してたんですよ。それこそ「だまし討ちに」。
太平洋戦争が起こる前、蒋介石が率いる中国国民軍に協力して、米国民間パイロットによる通称フライングタイガースという航空隊があったんです。フライング・タイガースは、飛虎、という意味で、これは中国語で戦闘機を意味したそうです。
私はジョン・ウェインが主演した1943年の「フライング・タイガース」という映画で、その名前は知ってはいましたが。そのときはその実態を知らず、妙な映画だなあと思った記憶があります。

一応これは、民間パイロットによる航空部隊で、月給600ドル、日本の戦闘機を1機撃墜するごとにボーナス500ドルという特別手当が付いたといいます。
このフライングタイガースは、しかし1991年7月6日、米政府は米国の正規軍であったと認めたのです。あれは当時の大統領による特別令により編成されたもので、国防省の承認のもと、米空軍基地から集められた259人による正規のエリート空軍部隊であったと。しかもそれは真珠湾攻撃の半年前のことで、パイロットたちは農民や宣教師、エンジニアの姿でビルマに集結し、訓練を受けたといいます。
これは卑怯ですな。つまりこのことが日本を含む他国にばれたら、中立法を侵して日中戦争に不等に介入したということになりますから、そのことを隠したわけなんですね。
ほおう、それでよお、「ダーティ・ジャップ」て言うてくれたなあ。
しかも、フライングタイガースは東京や大阪にある軍事施設を爆撃し、焼夷弾をばら撒くという草案も出ていていたらしい。で、検討しているうちに真珠湾攻撃があったんです。宣戦布告をせずに、正規の兵士たちが民間人を装って、日本と戦争をし、都市爆撃まで計画していたとは、これ、どういうことなんでしょう。ちなみにフライングタイガースは、あの加藤隼戦闘隊とも空中戦をやったとか。

そして、これも忘れちゃいけない。
南京大虐殺が日本軍によってなされた、と、米国の政府関係者、マスコミ関係者に言ってまわり、反日キャンペーンを行ったのが、宗美齢という女。こやつは蒋介石夫人であり、その目的は中国国民党軍の資金援助なのでした。フライングタイガースの創設も、実質は宗美齢なのでした。ルーズベルト大統領は宗美齢の巧みな外交によって中国の援助、朝鮮半島の独立、そして対日戦などを考え始めたともされ、もし、真珠湾作戦が米政府が知っていながらわざと攻撃させたというのが本当なら、その動機も、宗美齢よりもたらされた部分も大きかったでしょう。

あっ、宗美齢という人は、すごい美人だったそうで。
やっぱり、美人が戦争のもとになるんですね。


kaidanyawa at 17:59|PermalinkComments(2)

2013年12月06日

配信あり

中山市朗です。

本日は、TBSらじこん「幽怪案内」配信日です。

まずは無料動画として「怪談鍋談義」をお送りいたします。
これは去年の今頃でしたか、ファンキー中村さん、ぁみさん、そして怪談自治会の皆さんたちと私の囲炉裏部屋で、鍋をつつきながら行った怪談談義の模様を何本かに分けて配信いたすものです。
今回はそのパート1.。
ところでこのとき、Lさんの食ってくれた鍋、めっちゃおいしかったです。
まあ、こういう時期、鍋をつつきながら、お酒をちびりちびりやりながら怪談を語るのもええもんです。

有料は4話。
まずは一本目。
十三怪談とご詠歌の2話。
十三は、じゅうそう、と読みます。大阪にある地名です。
二十代の頃、私、このあたりに住んでおりました。お金を全部映画の製作や鑑賞に使っておりまして、貧乏しておりましたので、よく仕事場のある南森町まで歩いたものです。大川にかかる十三大橋をわたるわけですが。
そんなとき、珍しく私が遭遇した怪異を紹介しております。
ご詠歌は、私の友人の体験談。
内容は、まあお聞きください。

二本目。
夜の工事現場と赤いトレーナーの二話。
夜の工事現場の撮影中、通報がありまして、我々はもう少しで警察にしょっぴかれるところでした。
なかなかこういうロケは許可が下りなくて困っております。

TBSらじこんはこちら→TBS -らじこん‐ 『幽怪案内』


kaidanyawa at 13:14|PermalinkComments(2)

2013年12月04日

結婚しない男女

中山市朗です。

前回、田嶋陽子さんの発言について書きましたが、いい機会だと思って、ちょっとこんな問題を提言してみます。
まあ、やもめ暮らしの私がこんなこと書くのもなんですけど。

 
私の塾では、授業が終わった後、必ず飲み会をやっております。飲み会への参加は強制ではありませんが、作家や漫画家になるという方法に教科書はありませんし、方程式もありません。
個々の塾生たちが、何を考え、何をしていて、どうそれを昇華させるのか。そういうことは膝突合せ、互いに語り、夢を語ることが絶対に必要だという私の考えによるものです。彼らの思いを受け止めてこそ、微力ながら彼らの力になれるのです。また、若い人たちとの語らいは私自身も勉強になっています。
で、これを始めた頃、お金が無いという塾生が多くいたので、私の囲炉裏のある部屋を開放して、スーパーで買ってきた食材で料理を作り、わいわいとやるわけです。この雰囲気もいいですよ。
ところがこのとき、塾生たちが料理をふるまうのですが、だいたいこれが男なんですね。最近は塾生に主婦がいますので、彼女たちには感謝ですが。
一度、ほんまになんにもせんと、座ってペチャクチャ言っている女子たちに、「女子も手伝ってやったら?」と促すと「女性が台所に立たないといけないというのは女性差別です」と、キッパリ言われました。で、ペチャクチャは続いた……。
まったく料理ができない、いや、キッチンに立ったことないという女子が、実は思いのほか多いんですよ。
「料理できんかったら、結婚しても旦那に逃げられるで」と、正論(でしょ?)を言っても、「だったらお手伝いさん雇えるお金持ちと結婚します」とか、本気か冗談かよくわからない返しがきたりします。
ある女子など、家庭科の授業以外では卵も割ったことが無い、というので「両親はなにされてんの?」と聞くと、「母は家庭科の先生やってます」やて。

料理はしなくていい。だって男女同権でしょ? という、そんな風潮があるんです。そして男どもは、文句も言わずに延々台所で料理を作っているわけです。そして言うわけです。
「嫁、いらんなあ」

日本は今、大きな問題を抱えています。少子化問題。
だいたい一人の女性が2、1人産めば現状維持とされるところを、今の日本の女性は1、3人しか産まないといいます。そら、日本の人口は激減します。ピーク時に比べて、子供の数は1000万人減っている。
1000万人でっせ。見方によれば、どんな戦争をしても1000万人の子供の命を奪うことはできません。それが、平和時の日本において現実として起こっているわけです。これ、確かに大問題です。

厚生労働省のホームページを見ると、出産率低下の原因は、
晩婚化の進行等による未婚率の増加、その背景には、仕事と子育ての両立の負担感の増大や子育ての負担感の増大、などとあります。
未婚率の増加、というのは一見女性がそれを選択しているように見えますが、一方、男性側に、結婚の必要がみいだせなくなさった、ということもあるのではないでしょうか。
草食系男子とか言われて、二次元の萌えキャラに傾倒し、あるいはAVの鑑賞で性的要求は済ませちゃえる、という男を作り出していることにも原因はあるのでは、と思うわけです。これは、メディアの多様化による擬似恋愛が容易になったということもさりながら、男性化してきた女性に対し、魅力をもてなくなった、あるいはそういう女性を前にして、男性が自信喪失に陥り、「好き」だと告白しても拒否されるのではという恐れもあると思うのです。男は自尊心を傷つけられるとダメダメになりますから。あるいはストーカー行為が増えてきたことも、ここらあたりに原因があろうかと思います。
それは、弱い男が悪い。そういう意見も出ようかと思います。

で、思うのですが、ここでフェミニズムという女性人権運動が、どうにも私の頭の中には横たわるわけです。
フェミニズムというものについては私は勉強不足で、正しいフェミニズムというものがどういうものなのかは知りません。ただ、メディアに露出している田嶋陽子さんのような人たちの考えがフェミニズムであるというのなら、これは問題とすべきではないでしょうか。もっとも田嶋陽子さんは、日本のフェミニズム運動の代表であるすのような扱いではありますが……?

最近、「男は強くあれ」とする教育がまるで間違っているような風潮です。「男は、女は」という性別は男女差別を助長するものだと。だから婦警は差別用語だ、看護婦もダメだと言葉狩りをして、で、女性警官になった。婦警さんでええやん。看護婦ってなんか優しい語感があったのに、看護士になった。婦人の婦は女ヘンに箒と書くから差別やって。じゃあ、女医はいいのかというと、これも差別用語だそうで。でも、女医さんだから安心して診てもらう、という女性の心理があったのでは? そんでもって田んぼを力で耕す、つまり労働するのが男という文字はいいのかよ。もうねえ、古代の中国に起源が求められる漢字にまで文句言い出しちゃ、こらもう、単なるイチャモンじゃないですか。 ともかく男も女も同じなんだよ、と言いたいわけですね。でも、その考えが、間違って、女は台所に立たなくてもいい、家事も男がやればいい、という都合のいい解釈となる。でも台所に立たないとすれば、これ、栄養管理ができないということになって、育児ができなくなります。夫の健康管理は妻以外に誰がするの?
こうなったら、これは男女差別というより、女としての、母としての義務を放棄することを意味しませんか。そこから逃げることが、女性の権利なのでしょうか?

でもねえ、「女は経済的に独立するべきなんだよ」とするフェミニストが、「男は収入よね」と言う、相矛盾することを言っている女子の言動は許している。
で、男は、収入を少しでも増やして妻子に還元しようと小遣い500円で耐えて、残業し、休日出勤もして、出世戦線に残る為の接待ゴルフだの飲み会だのに出て、へとへとになって帰ってきたら「子供の世話しろ」「家事やってね」。そのうえで「稼ぎが足らない」と言われちゃうと、身が持たない。まあ一例ですけど、ある知り合いがそうです。
それが嫌だという若者は、確かにいます。だったら一人部屋に篭ってパソコンで遊んでるわって。
夫婦はお互い父、母としての義務をはたした上での協力関係は築くべきでしょうし、そこは夫婦しだいですけど、フェミニストたちに強制されるものではない。
「バカ、女も同じく働いてんだ」という声が聞こえてきそうですが、それなら男を収入で測ってはならない。
でもねえ、考えていただきたい。男のプライドというか習性は、やっぱり家族が食っていけるだけの稼ぎをする。仕事に打ち込む。それが男の本望であるんですよ。そういうDNAが人類創世から受け継がれている。そこを否定されちゃうと、男じゃなくなっちゃうんですよ。だから、私は女性たちは男にそこを求めるのはかまわないと思うんです。もっとも女のヒモになる、というのもある意味、男の甲斐性かも知れません。まぁ、男と女の関係はわからん。
けっきょく、男と女は違うから惹きあう。男は女らしさにセックスアピールを感じて魅かれる。女性もそうでしょう。
フェミニズムはそこを悪だとするイメージがある。男と女ではなく、人として魅かれるのが本当だと。確か田嶋陽子さんはそう言っていた。男であること、女であることの否定が、フェミニズムである、と。「そうは言っていない」と田嶋陽子先生は言うのかも知れませんが、そうとれる言動が多くあります。
「人間的な人格を磨けばいいんだよ」って。
でも、恋愛の対象って、人格にあるの?
違うって。


私は、こブログで日韓の問題を書いてきました。まだまだ書いていくつもりですが、どうもフェミニズム(かえすがえす言います。田嶋陽子さんの考えがフェミニズムを代表する意見だとしたら、ですよ)は、日本と韓国の問題とまったく変わらないと思うのです。
男に虐げられた女。女は被害者、男は加害者。男と女の相対化より、フェミニズムは成り立っています。
で、男が反論しようものなら、頭越しに声高に否定し、男には女にそんなことを言う権利は無いという。「男は女をさんざん卑しめ、権利を奪ったじゃないか。女をただの子供を産む道具にしか思っていないんだよ」とよく田嶋陽子さんはおっしゃいます。

これって、韓国が被害者、日本が加害者。日本が反論すれば、「日本人は歴史を顧みないくせに。日本は我々を支配したじゃないか」という図式に、実によく似ています。
そして似ているといえば、マスコミ。日本のマスコミは、ずっと韓国側にたって報道してきました。それが人権派とか、戦争否定の正義の言論である、と言わんばかりに。おかげで日本は卑しめられ、一時は自信の無い国になりました。謝罪して、保障して、援助をして、それでも日本は憎まれます。
考えたら、この日韓の問題は、男女間の愛憎に似ているんですよ。
マスコミは、フェミニストの人たちの意見を擁護し、正当化することはしても、反フェニズムの意見は封殺しています。フェミニズムに対して異を唱えることは、すなわち女性差別を肯定する者であり、現代社会に乗り遅れた愚か者である、と言わんばかりに。
これはおかしくないですか?
フェミニズムがちゃんとした運動であるならば、男たちがどう思うのか、その心情も察しながら、女性の立場、意見を主張するべきでしょう。今のやり方では、男たちを萎縮させるか、敵に回すか、どちらかでしかなく、それではフェニズムという運動そのものも、真の意味で社会には受け入れらけることはないでしょう。男たちもフェミニズムに逆らうとバッシングされるから、という気持ちでの、女性たちの顔色を伺いながらの賛同は、よろしくありませんし、これじゃ、根本的な解決をみいだすことはないでしょう。


女性の職業選択の自由は保障すべきです。私が昨今、このブログに取り上げている慰安婦の問題も、元はといえば、女性が経済的に自立するすべがなかったことから生まれた悲劇にあります。それは繰り返してはならない。だから、男女ともに平等に働ける社会を作りましょうというのは、何ら問題ありません。いろいろ考えねばならないでしょうし、やらねばならないでしょう。
しかし、そのために男を批判し、男女の性そのものまで否定することとは、そらまた別問題でしょう。田嶋陽子という人は、数年前、女性限定のモバイルサイトで「男の子牧場」なるものを作り、女性たちによって登録された身近な男をみな家畜とみなすアイコンで示したりしたんですよ。さすがにこれは猛バッシングされて五日で配信停止されましたが。女性差別は絶対に許さないが男性差別は見せしめにやっていい。
この思考回路は、韓国という国と、さして変わらん。これがフェミニズムとかいうものなのか?

あっ、それで田嶋先生は、韓国の肩を持つのか。
そういや、田嶋先生、いっとき「男女というのが男尊女卑につながる。女男とすべきだ」なんて言ってました。これも日韓とするかか韓日とするかと一緒ですな。


ところで、フェミニストが「それみたことか」とする資料があります。毎年スイスのシンクタンク「世界経済フォーラム」がランキングを行う男女格差報告。
2013年10月15日にも発表されました。

135ヶ国中、なんと日本は先進国最下位の105位!
ちなみに、人民の人権すら危うい中国は65位。レイプが日常的に問題化され、カースト制度の残るインドが101位って、なんやこのランキング?










kaidanyawa at 13:26|PermalinkComments(3)

2013年12月01日

韓国大統領の陰謀

中山市朗です。

今日、作業をしながらYTV「そこまで言って委員会」を見ていたら、もう、田嶋陽子さんの発言に、思わず注目してしまいました。
「日韓基本条約は、新たに従軍慰安婦問題が出てきたから(韓国が主張しようとしているように)、ひっくり返せる。でも慰安婦問題をひっくり返すことは、フェニズムをやってきた立場として、絶対できない」
と言うようなものでした。
凄いなあ。

この日の番組のテーマは、本気か正気か、で問題提起していたのですが、この際「本気か正気か、田嶋陽子」でコーナーが作れたのでは?
日韓基本条約は国際法として日韓両国の間で、締結されたもの。
これが、ひっくり返ったら、もう、なんでもあり。国際的秩序はどうなるの? 中国や韓国なんてもう好き放題しまっせ。
で、従軍慰安婦の問題は、10月15日に産経新聞が報道した通り。河野談話の核となった16人の元慰安婦の証言は実にあいまいで、正統性は無かったというもの。田嶋陽子先生はこの日の番組でも、河野談話は正当であるというようなことを言っていたけれども。
なんなんでしょうね。
ここまでとなると、さすがにこれは、売国行為だと思いますけど。

そんなに戦時における売春が、どうしてもフェミニストとして許せない事案で、それでも日本政府は謝罪して賠償せよ、というのなら、今、売春を余儀なくされている女性を救おうということになぜならないのか。
ちょっと古い数字ですが、2006年の米国国務省の調査によると、米国で売春をしている外国人の一位はダントツで韓国人。23、5%の26万9707人。
韓国の新聞でさえ、海外で売春している韓国人女性は10万人はいると、3年前に報道していました。
韓国人女性の人権が、それほど優先すべき問題であるのなら、この人たちをこそ、救済すべきではないのか。
まあそんなことしたら、「余計なお世話だ」と言われるでしょうね。
日本の風俗業界にいる女性たちも保障せねばならない、のでしょうか。
「そうは言っていない。日本軍が強制して連れてったんでしょ。その責任があるんだよ」と田嶋先生は言いそうですが、だからその証拠は?
だいたい、戦時中において、慰安婦であった人たちは朝鮮人より日本人の方が多かったはずで、だったらそういう人たちを探してきて、証言させてもいいはずですが。そんなん誰も出てこないですわな。フェミニストの人たちは、けっきょく元慰安婦という人たちを無理やり作り出し、証言させているわけで、これはさらし者ですよ。
ある証言では、「ドラム缶に入れられ、トラックで運ばれた」なんていうのがありました。それ、ベトナム戦争の話や。

私、思うんですけど、従軍慰安婦、つまり強制連行された慰安婦の人たちはいっぱいいた、と主張される研究家や人権なんとか、の人たちに聞きたいのは、娘を勝手に連行されたら、まずその親がなんとか言ってくるでしょうよ、ということ。
北朝鮮に横田めぐみさんを拉致されたというご両親などと比べると、日本軍に強制連行されたという女性たちの親の顔が全然見えてこないんですよね。もし、そんなことが本当にあったのなら、そんな証言や、捜査願いは出ていたはずだし、警察も動いたでしょう。そうなると東京裁判で大問題になっているはずですし、ともかく吉田なんとかという元軍人が、あんな本を出版する前に、そういう声が上がっていたはずですが、まったく聞かない。無かった。
そうなると、それでも強制連行はあった、というなら、そのとき、町や村の人たちは、ただ呆然とそれを見ていただけなのか。そして証言もしなかったのか。抵抗はなかったのか。そうなると、親や町や村の住民たちにこそ、罪があるとは言えないのか。また、明らかにそこに金儲けをした朝鮮人による仲介業者が存在しているはずですが、そういう業者の罪はどうするのか。そこまでの言及をしなければならないと思いますけど。
しかしですよ、どうしても、元慰安婦という老人たちの証言に頼るしかない、人権派の問題の提起の仕方は、こうなるとわざと日本を賤しめ、それによって、何らかの利害がそこに発生するのではないかと思わざるを得ないのです。

ある人は、「これは元慰安婦、というものを利用した政治闘争だ」と言っていましたが、おそらくそうでしょうね。福島瑞穂をはじめとする、最初に国に対して賠償を求めた行為は、結局は国からお金を取る、ということによって勝利するわけですから。

しかし、この慰安婦問題を欧米の外交におけるカードとした朴クネ大統領。
頭おかしいですよね。
あれはもう、各国から大ヒンシュクを買ってるとか。
おかしいといえば、10月17日のプロ野球「韓国シリーズ」の始球式に、朴クネ大統領が日本のメーカーの靴を履いているとかで、韓国の人たちが、大統領をバッシングしたこと。笑えましたなあ。
それを言うなら、大統領(韓国読みでテトンニョン)という言葉は日本語なので、これも変えんとね。







kaidanyawa at 18:26|PermalinkComments(6)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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