2014年10月

2014年10月31日

私は告知する

中山市朗です。

明日は11月です。そろそろ忘年会、とかいう季節ですな。
ところで、9日の『怪談の間』、あと残り十席ほどになっております。
京都の町家での怪談会。語るもよし、聞くのもよしの参加型怪談会です。
昼の部、14:00〜16:30
夜の部 18:00〜20:20
二部構成となっております。
入場料は昼夜とも2000円。通しは3500円となります。
場所は、京都市中京区冷泉65
京町屋 さいりん館 室町二条

お問い合わせは、info@officeichirou.com
私も新ネタ披露します。


また、『Dark Night 13』の予約も受付中です。
今回は、山口敏太郎氏を迎えての、怪談、オカルト・バトルトーク?
私と敏太郎氏のガチ怪談、ガチ対談というのは、はじめてです。
どういうことになりますやら。その前に、私は無事でいられるのか?

道頓堀ZAZAHOUSEにて、11月29日(土)の深夜24時より、オールナイト。
入場料は、予約3500円。当日は4000円となっております。

予約、お問い合わせは、オフイスイチロウHPのトップにあります、特設ページからどうぞ。

オフィスイチロウHP



また、山口敏太郎氏への質問なども受け付けております。なんでも答えてくださる、と思います。
それに対して私は賛同するのか、異を唱えるのか?
質問は、「怪談の間」の予約と同じく、オフィスイチロウのメールでお送りください。
そして、こちらも、とっておき怪談を準備しております。

で、本日はTBSらじこん「幽階案内」配信日です。
今週は第五週ということで、本編はお休み。
で、いつものようにで「真名子の心霊映像のコーナー」を無料で配信しております。
今回は「ふたり生き人形あそびをやってみた」、です。

実は先週、私の語りで「心霊あそび」という話を披露しました。
この話の体験者によると、これは十数年前に、学校で流行った人形を使った遊びで、本人が言うには、おそらくこれが「ひとり隠れんぼ」に発展したのではないか、といいます。
確かに似ているところもあり、また「ひとり隠れんぼ」が2006年頃から、ネットで流行りだしたことを考えると、先駆的な遊びといえます。
今回、真名子が紹介する「あたり生き人形遊び」というのは、その中間に位置する遊び、なのでしょうか。
で、真名子自身は奇妙なことがあったと言っていますが、うーん、私にはさっぱり。
皆さんで判断してください。

ちなみに、「ひとり隠れんぼ」は、ウィキペディアなどでは降霊術ということになっていますが、とんでもない。
手足のあるヌイグルミの中に米と、自分の爪を詰めて、赤い糸でぐるぐるに縛る、と言うのは、明らかに呪詛です。しかも自分に対する呪詛。やってはいけません。やってはいけないってば。


TBS −らじこん− 『幽怪案内』


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2014年10月29日

ダイヤル〇を廻せ

中山市朗です。

ここんとこ、電話の調子がよかったんです。
何のことって?

私、携帯電話を持たないんで、事務所兼自宅の固定電話で用をすますわけですが、ここ何年も、どうも通話中に雑音が入っていたんです。
ブー、という機械音。ずっと通話中している。これが入るときと、入らないときもある。
気のせいだと思うんですが、これ、古代史の資料集めとか取材をやりだしてからするようになった、ような気がするんです。いや、気のせいですよ。
あ、でも、前に住んでいたマンションでも、この音していた。
『捜聖記』を書いていた時。もちろんあれから引っ越して、電話番号も変わったんですけど。

一度、NTTの人に来てもらったら「きっと、コードですわ。古なってるんです。新しいのと変えたら直ります」と言われて、その場で新しいコードに変えてもらった。すると、またブー、という機械音がする。
結局、原因はわからない。でも、電話機の故障ではない、と言われて、解決されないままNTTの人、帰って行きました。念のため、電話機を買い換えたのですが、やっぱりブーという音がずっとしている。
相手にもこの音は聞こえているようでした。
マンションの回線かと思ったんですが、それもない。
ただ、電話機の底を持つとなぜか音は止むので、通話中はそうしていました。
で、去年あたりは『怪談狩り』のための怪談取材がメインになって、古代史は一旦休止。
そしたらその頃から、ブーという音はまったくしなくなりました。

で、ここんとこ、なぜかUFOがらみの案件がいくつか入ってきて、その取材やら資料の取り寄せやらをすることが多くなったんです。それも、かなりヤバイ。
そしたらまた、最近、ブーという機械音が。

なんなんでしょうね?


kaidanyawa at 01:05|PermalinkComments(12)

2014年10月28日

飲み会は踊る

中山市朗です。

前回は、作劇塾における飲み会のスタンスについて書きました。

今回はこの飲み会についてもう少し考察してみます。

私はサラリーマンをやったことがありませんが、サラリーマンの人とはよく飲んだりします。
出版社の編集さん、放送局や制作会社、メーカーなどのプロデューサー、広告代理店やイベント会社の営業さん、芸能プロダクションのマネージャーさん。みなさんサラリーマンです。
一方、作家、演出家、デザイナーといった人たちは、個人事務所は構えてはいても、サラリーマンではありません。仕事を請けて、完成させた作品の対価を得ます。ヒット作を出せば次につながるし、連続して失敗すれば干されます。芸人や役者は、プロダクションに所属している人が大半ですがサラリーマンではない。需要のある、つまり人気のある人には仕事がどんどん入って、その歩合をもらいます。仕事の無い人は、収入はありません。
つまり我々の業界もいろいろな立場、職種の人たちが一緒になって作品作りをし、付加価値を付けて商品にするわけです。その世界に入れてはじめてプロの作家というわけです。そこはシビアな世界です。
そこにはやっぱり飲みニケーションは不可欠となります。
作家や漫画家志望の若者は、ここがわかっていないわけです。
人との関わりで仕事が成り立つのです。仕事でない作品は、プロの作品ではないということになります。
ということは、人との関わりを自ら作っていくということが必要であるということになります。
誰もが「へへぇ」とひれ伏すような傑作が創れれば、そんな必要も無いのかも知れませんが、私やのような凡人は、少しでも人との関わりを持とうとするわけです。
単純計算で行くと、仮に十人の編集さんと関わって十枚の名刺をもらったとします。十人の編集さんと関わって実際に仕事が発生する確率が一割とします。すると十人のうち一人から原稿依頼が来る。一人では食えない。五十人とかかわりを持つ。すると五人から依頼が来る。お断りする場合もあったりするので、三つか四つの原稿依頼が来る。まあ内容とか原稿料は知りません。でも、プロとして食っていくということは、一度仕事をした人との信頼関係を継続させつつも、仕事の依頼が来る、つまり取引先を多く持っている方が心丈夫、なんとかやっていける、という自信にもなります。だから編集さんに限らずいろいろな人と遭うわけです。そのうち、向こうから会いたいとコンタクトがあったりします。また、思いがけない著名人との出会いもあります。そういう人たちと一緒に飲むと、考え方や世界観が違いますから、脳内が活性化し、物凄い刺激が起こります。これはこういう世界にいる特権ですよ。
でも、ただ挨拶して名刺をもらうだけでは、お互い印象にも残りません。私も随分名刺の整理をしましたが、これ、誰やったかいな、という人が物凄く多かったんです。
やっぱり、飲みの席なんですよ。そういうことって覚えているもんですよ、お互いに。

「飲み会は這ってでも出ろ」という言葉、若い頃によく聞いたものです。「どうしてです?」と聞いたら「情熱や。どれだこの世界が好きかや」なんて、ちょっと乱暴な体育会系のノリでした。

その『飲み会は這ってでも出ろ』という本が出ています。
著者は堀田秀吾という明治大学の言語学者。まだ四十代の教授としては若手です。
この本は、酒を飲めということではなく、「人と関わる機会を積極的に持て」ということが趣旨となっています。
仕事は、人とのつながり無しには成り立たない。やり手のビジネスマンや経営者は交流会やパーティに積極的に顔を出している。参加できる集まりには極力参加することを心がけよ。そして人と遭い、語ること。そして即行動という習慣を身につけよ。平凡では成長が無い。とまあ、そんなことが書いてあります。

私は基本的に、作家は人間を描くものですから、人間に興味のない人は作家になれないと思うんです。で、人に興味があるなら関わろうとするのが自然じゃないかと思うのです。それが飲み会でないといけない、ということではない。人見知りするとか、大勢の中が苦手とか、酒の席が嫌いとか、そういう人はいると思いますし、往々にしてそういう俗なことが嫌いで作家になろうとした、という人も確かにいると思います。私がそうです。
でも、作家も社会に身をおき、生活しなきゃならない一人間です。読者や視聴者がいて、はじめて成り立つ世界ですし。人との関係なしには生きられない。それは、世に出てはじめて実感することなのかも知れませんが。
堀田教授はこうもいいます。
「コミュニケーション能力は人と関わる機会を多く持ち、練習を積み重ねることで身につけることができる。その代表的なうってつけの場所が飲み会なのである」と。
私も映画の現場や放送作家をやっていた時代、いろんな人たちに飲まされて、鍛えられました。儀式みたいなもん。それがイヤならさっさとそんな世界、辞めるしかない。

若い人で、飲み会は意味が無い、という人は多いと思います。今、ネットで調べてみたら、こういうことで飲み会はいらない、というのがいろいろ出てきました。これは、サラリーマンやバイトでの体験からの意見だと思いますし、最近さっぱり飲み会に顔を出さなくなさった塾生の中で、そういうこと言ってるの、おったなあ、というのもあります。

〇こっちは早く帰ってネトゲーやりてえんだ。
〇飲みニケーションて言葉あるけど、どこの田舎の集会だよ。やめてほしいわ。
〇飲み代でフィギュア買えるもんな。
〇腹割って話し合おうなんてウソ。そんなのに付き合わされて数千円、数時間。ムダだよ。
〇勤務終わっての時間拘束なら、残業代くれよ。

まあこういう意見、わからんでもない。私はサラリーマン社会にはこういう縛りがある、と思ったからサラリーマンになるという選択は無かった。退屈な飲み会に上司の説教、そのうえ三千、四千、五千円!
ふざけるなって、か。

でもね、「飲み会が大事や」いうてるおじさんも、若い頃はそう思っていたんです。しかし、地位が上がる。責任を持たされる。部下を使う。管理をする。となると、やっぱり飲みニケーションを図って、部下である若い人と語り合ってアドバイスもしたいし価値観や仕事に対する本気度も知っておきたい。自分のことも理解してもらいたい。そうやって不安要素を一つでも排除したいわけですよ。ついついグチってしまうのは、コミュニケーションをはかりたいのですが、その方法がわからないでいるのでしょう。
それとも「早く帰りてえな」という気持ちが、もう顔に出ているのかも。

きっとこういうおじさんたちは、そのプロジェクトをまかされ、大きな責任を負っているんです。失敗すれば左遷か格下げ、下手すると解雇? 家族が路頭に迷うし、つぶしの利く年でもない。だから、部下や若手とはコミュニケーションを取りたい。一枚岩となってプロジェクトを成功させるしかない。もう夜も寝られんでしょうな。
一方、独身の若手は責任もそうはないし、守るものも無い。イヤなら辞めればいい、なんて思っている。「出世する気もないし、好きなことして暮らしたい」なんて思っている。よって飲みニケーションは迷惑。給料分は働くけど、それ以上の干渉はするな。だったら「家に帰ってゲームしたいよ」となる。それではいいものは生まれない。どこか綻びが出てくる。この緊張感の差は、怖いですよ。
日本経済がなかなか立ち直らない。メイドイン・ジャパンのブランドの低下。若い人は出世欲をなくし、派遣で充分と思っている。外国人労働者の方が信頼できる、なんていう根底には、スキルではなく、若者たちのそういう意識の問題もあるのかなあ、と。

さて、話を戻します。
結局、プロの作家たちはそういう人との関わりを大切にしつつ、広げていっているわけです。その方が徳だし面白いし、刺激的だからです。使い古された言葉ですが、作家は、表現できる引き出しをどれだけたくさん持っているか、にかかってきます。その引き出しの中は、金で買えるもの、誰でも得られるもの、ではいかん。自分にしかない価値観、自分しかもっていない情報であるほど、付加価値があっていいわけです。それは、何度も言う人との関わりあいからできるものです。
せっかく飲み会に出ても、下向いてスマホ見ているようじゃいかん。そういう塾生は見事に消えています。できれば電車の中でも音楽を聴くより他人の会話を盗み聞きするくらいがいい。
そういう人とうまく関わっている人は、話題が多い。面白いエピソードもいっぱい語れる。作品の素材が頭の中にいっぱいあるということです。そういう人は、飲み会に積極的に出てくる。面白い話を語り、また、聞き出して仕入れる。飲み会が有意義、楽しい。そういうサービス精神がある人ほど、人気作家になっていきます。
何もしていない人は、話題も無い。エピソードも無い。話についていけない。輪の中に入れない。退屈する。スマホいじりするか、うとうとしだす。しらけたムードを作る。自分もしらける。次は行かない。「飲み会に意味は無い」となる。
こんなんで、どうやって読者を楽しませられる?
どうやって、書き続けられる?

だからまず、塾の飲み会でコミュニケーションのとり方をを練習してほしい。仲間うちだから、失敗してもいいやん。でも、考えろ。人を好きになれ。そして、自分の作品を売り込んだり、ビジネスの打ち合わせが出来るような話術、戦術を身につけて欲しい。
でないと、一生食えないぞ。

一般の社会で働いている人から見れば、何言ってんだというレベルのお話でした。のみか







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2014年10月26日

想定の甘き香り

中山市朗です。

塾の講座を金曜日の夜にしたことから、今までより少しは飲み会が賑やかになってきました。
飲み会は、一つの大きなテーブルを囲んで、鍋や旨い肴をつまみ、酒を飲みながらいろいろ語り合う場です。
その話題は多義にわたります。そして本音が聞けたり、意見の対立が生まれることもあります。
こういう場は、私にとってはプチ取材の場でもあります。私はいろいろな話を塾生たちに質問したり、振ったり、あるいは反応をみたりします。
先日の飲み会も、お笑い作家からサラリーマン、OL、主婦といった塾生たちと膝を合わせました。私にとっては特にOLや主婦の立場の意見を聞ける、というのは貴重なわけです。
OL、ことに主婦の立場の人たちは、生活と密着していますから、彼女らの本音交じりの話など、ちょっと浮世離れしている世界にいる私などは、ハッとする話が聞けたりします。そこからアイディアが生まれることもあれば、何かのヒントになるときもある。マーケッティングのリサーチにもなる。それがすべてではないにしろ、リサーチの元になる。まあ、塾でもやっていなければ、主婦やOLと、とことん語りあえるなんて機会はまず無いでしょう。私にとっても貴重な時間です。
他の塾生にとっても、貴重な時間になるはずなんですけどねえ。ほんとうは、今塾に来ていない塾生や元塾生にもどんどん参加してほしいんですけど。職業や年齢、立場は違えど同じ作家の道を目指している塾生同士です。同じ価値観を持とうとし、プロになるための目を養おうとしている仲間です。
机にかじりついて創作活動するのが作家の仕事ですが、人と交わらないと刺激は生まれません。刺激がなければアイディアも出ない。創作活動をしていれば、の話ですが。

何度も書いたことですが、私の意識の中では教室での講座と飲み会がセットになって、はじめて塾なのです。強制はしていませんよ。でもたまには顔を出して、語り合うということはやるべきです。
ただ、飲み会も、たんに参加して、つまらん顔して隅っこにいたのでは、参加する意味も無い。そんな飲み会は退屈でしょう。現に「飲み会は退屈なので」と参加しなくなった塾生がいるのも確かです。
でも、「退屈なので」という人は、話題の中に入らない。話題の中心にいない。どこか自信がない。
そういうのが負のオーラとして出ていて「あっ、こいつ、もうそろそろ消えるな」と私にはわかる。それで本当に来なくなる。塾にも来なくなる。いつの間にか創作活動を辞めている(本人は創作活動を続けているつもり、というケースも含む)、というパターンが多いですな。
見方を変えると、創作をしていないから、参加しずらい、というのもあるのでしょうか。
また、話題についていけないとか、興味が無い、といったこともあるでしょう。
でもね、なんでもそうですが、自分が積極的にならないと退屈するのはあたりまえです。受身ではいかん。
私だって、こういう席でアニメだの萌えだの、という話を延々されるとわからない。退屈になる。たちまち上下のまぶたが閉じようとします。そういう場合は、自分の話のテリトリーに話題を誘導する、というワザも必要です。誘導した限りには、朝まで聞かせる、とういう気構えと知識、覚悟、話術も必要。
話術はおそらく、書く文章に反映されます。面白い話ができる人は面白い文章が書けるし、つまらない人の書く文章は、やっぱりツマランのですよ。

実は、この飲み会で積極性と自信、という二つの要素を養って欲しいという意図を裏では設定しています。これは授業で教えられるものではありません。

積極性。作家になるにはこれは生きていくために必要なものです。
人に雇われている身であるなら、言われたとおりのことをやっていればまあ、仕事は成り立ちます。会社と言う組織にいれば、誰かが仕事を取ってきて、仕事がそこに発生していて、自分はその歯車の一つとなって周りに合わせて与えられたものをこなせば、お給料はもらえます。
でも、作家はそうはいかない。よっぽど売れっ子の作家は別として、仕事は自分でとってこなくてはいけない。誰にも雇われていませんから、自分で仕事を発生させて、自分でこなし、自分でマネージメントをしなければならない。作家のペンネームは屋号。つまり個人事業の会社名と同じなのです。だから、積極的なアプローチ、積極的な行動が必要となる。これ、何度言ってもアマチュアの作家志望者は理解できないでいるんですけど。
「いいものを書けばいいんでしょ」と。
いいものを書くのはもちろん最低条件ですけど、それが世間に認知されなければ、誰も知らないわけですから。
誰も知らないのに原稿依頼の電話が来るわけが無い。
塾の飲み会で何も発言できない人が、編集さんや編集長、あるいはクライアントのエラい人と同席したときに発言できるわけが無い。でも、仕事をくれるのはこういう人たちですから、そういうチャンスに、ちゃんと売込みができるように準備しておく必要はあるんです。どこの会社でも仕事を取ってくる営業部はあるでしょう。接待をしたり受けたりもあるでしょう。作家は個人で営業しなきゃならんのです。ちなみに、作家も税金で接待した金額はある程度までは認められますです、はい。

プロの編集さんや映画のプロデューサーの方が、たまに塾の飲み会に参加してくれるケースもありました。そんなん、売り込みに行っても簡単に会ってくれるような人じゃない。そんな人たちが一緒に飲んでくれて、話を聞いてくれている。ここで、準備できていない塾生は、だまってただ飲んでいる。
あとで「なんであんな場所で黙ってたんや」と聞くと、「まだまだそのレベルじゃないんで」と言うわけです。じゃ、そのレベルにはいつなるんや! 千載一遇のチャンスを今、目の前で見逃したんやぞ、と。
営業していないから、こんなありがたいチャンスをありがたいとも思わんのですよ。門前払いされた経験があるなら、こんな席が塾にあるというのは奇跡に近いと思うはずですよ。

こういったことをスルーする原因は自信の無さ、から来る、のだと思います。
プロの人の目の前で、アホなこと言ったり、アホな質問したりしないだろうか。自分の言うことなんてどうせツマランと言われるだろう。だいたい今売り込もうにも、作品書いてないしな。
なんてことになると、もう作家の卵にもなっていない。
これ、自信が無いから起こるわけですね。
作品も、書いてはいるんでしょうけど、自分の書いているものがプロの御眼鏡にかなうだけのものかどうかの自信が無い、ということもあるのか知れません。そのために塾では合評をしているはずですが?

しかし、誰でも当初は自信のないものです。また、根拠の無い自信を持たれても困ります。
この自信は、やはり人に理解してもらえる、認めてもらえる、というところから芽生えます。とすると、やっぱり篭ってちゃいかんのです。認めてもらえない悩みをスレッドに書き込んでも何も起こらん。
理解してもらう、あるいは認めてもらうためには、人と遭うことが大事。それもただ、人に遭っただけじゃ何も起こらない。いざと言うときののシミュレーションを想定しておくことが大事。その修練の場場として塾の飲み会を利用して欲しいわけです。まあ、そんなに堅く考える必要はない。

私が作家としてなんとか二十数年やってこられた根源は、実は大学時代の飲み会にあるのです。
大学の講義で習ったことは忘れましたが、飲み会のことは覚えています。飲み会といったってお金もないし、またお酒が好きだったわけでもない。ただ、当時の私の四畳半の下宿部屋で、安いサントリー・ジンなんて飲みながら、親しい友人たちと夜を徹して語り明かしたわけです。そりゃあ、女性の話も出ましたけど、宗教、哲学、時事問題、歴史、戦争、映画や文学、芸談、オカルトから怪談まで、いろいろ語り合い、知識を披露しあったんです。
今の人は平気で知らない、なんて言って、興味ないから知らんであたりまえやん、みたいなことを言いますが、当時は映画監督や作家になるんだったら、知らないはタブー、みたいな風潮があったんですけどねえ。みんなえらい、背伸びしていた記憶があります。
意見の対立もありました。いや、あえて激論の場を作った。
たとえば、創価学会を容認するかしないか、なんて議論を戦わせました。私も相手も学会員ではないんですよ。
でも当時、よく勧誘されていたのでいったいこの組織はなんだろうと調べたくなったんです。だったら擁護派と否定派に分かれて激論してみようや、ということになって。
論戦に臨むにはやはり下準備がいる、シミュレーションは想定しておく、それに対する答えも用意しておく。そうやって夜を徹して激論するわけです。負けると、もう一度やる。今度は負けないようにもっと深く調べる。学会員の友人に話を聞きに行ったりもして。すると、その宗教観、学会そのものの歴史、関わった人の経歴や思想、政治との結びつきを知らねばならない。もちろん、日蓮をはじめとする仏教の考え方、その本質、歴史、他の宗派や教団、あるいは仏教以外の宗教の定義、論理などにあたらねばならない。当時ネットは無かったですから、そんな情報を得るのは大変でした。中央公論社「世界の名著」シリーズの『聖書』も『大乗仏典』も読みましたよ。読まんと絶対にツッこまれる。また、論戦にも挑めない。うちは日蓮宗のお寺が親戚にあったので、日蓮に関する書籍は読めましたし。で、そういうことをやっていくうちに、一つの点が線で結びつき、さらにその裏側があることを知る。そういうことがあることを知り、論戦をしていくうちに、なんでも調べる、調べたものは体系化させる。そして人を説得するには、理論だけではダメ。やっぱり伝える方法も考えなきゃならない。もちろん話術も必要です。そういうことは話芸、特に落語から修得しました。そんなこんなが学生の頃の映画創りに大いに役立って、これが自信となった。監督をやるには、大勢のスタッフ、出演者、協力者たちを納得させ、一つにまとめなければなりませんから。16ミリ・フィルム撮影。常時50人以上のスタッフ、出演者。そんな映画を大学の卒業制作として作った。そしたら自信がついた。自信がついたから、黒澤プロに企画を持ち込んで24歳の私が、黒澤プロやヘラルド映画のプロデューサーたちと渡り合えた。また、その調べて体系化させるということが、後に放送作家としての仕事をこなせ、取材を元にした実話系怪談を生むことになった。そう私は思っているんです。裏の存在を知ったことが、オカルトを本格的に調べてみようという動機にもなった。技術云々は、その後についてくるものです。

で、あの大学のときの飲み会の常連の一人が木原だったわけで、けっこうそのメンバーはプロになったんです。
木原なんて、酒、一滴も飲めなかった。でもその場にはいて、いろいろ吹っかけていた。私も吹っかけた。論戦はたいてい、敵味方に分かれましたけど。お互いアレはいい修行をしたと思います。
で、プロになってみると、やっぱりお酒の飲めない作家さんも大勢いますが、ちゃんと飲み会を有効利用しているんですよ。生きた情報はやっぱり飲みの会で出ますから。で、作家はそういう生きた情報が欲しい。
一般に売っている本とか雑誌、あるいはテレビやネットに出ている情報は、誰でも入手できますから、プロの作家はあんまりそういう話もしないし、興味も無い。生きた人間がやらかす行動や言動が面白い。その人格を作った環境や状況が面白い。そういうものが知らず作品の登場人物に活かされたり、設定が出来たりするもんなんです。私の場合は、取材ありき。『新耳袋』も『怪談狩り』も、体験者の行動や言動がもたらす妙で、構成されるわけです。それをどう表現しようか、で、技術の話になるわけですよ。
メシも無いのに、箸の持ち方なんて、知るか、ですよ。
みんな、メシも盛らんと箸の持ち方ばっかり勉強しとる。
ただ、箸の持ち方も大事。ですから、箸の持ち方は授業で、メシの盛り方は飲み会で、というわけです。

そういうわけで、作家になるにはコミュニケーションをとる。まずは仲間たちと語らい、ときには論戦する。そういうことをやってほしい。それが自信のもととなり、営業術、交渉術を身につけることになるわけです。作家は崇高な芸術家などではなく(そうあってほしい気持ちもわかりますが)、それを仕事として成り立たせて、大勢の読者、視聴者を説得させ、対価を得ねばならないわけです。もっと現実的なことを言えば、食わんとあかんわけです。
この出版不況ですよ。映像コンテンツもただに近い金額でレンタルできたり、ネットで見れたり。
それでも、作品をお金にしていかないと、プロではないことになる。
そんなん、仲間うちの飲み会で何も発言できないもんが、何の意見もないもんが、周りの人を楽しませることのできないヤツが、どうやって、不特定多数の読者を説得させて、プロの作家になってお金をもらえるんや、と思いません?
















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2014年10月24日

オカルト愚連隊

中山市朗です。

お知らせのダメ押しです。

『怪談の間』が復活します。

京都の町家で、みな、円座になって怪談を楽しもうという怪談会。
昼夜二部あります。

来月11月9日(日)
京町屋 さいりん館 室町二条
京都市中京区冷泉町65(室町通二条上がる東側)
昼の部 14:00〜16:30
夜の部 18:00〜20:30
入場料 各2000円(昼夜通し3500円)
      中高生は昼の部のみ参加可能(1500円)
予約、問い合わせはinfo@officeichirou.com

たまにエラーが返ってくるようで、何度もメールを送ってくる方がおられます。
当方、受信しております。原因がよくわかりません。
もし、メールを送って2、3日たっても当方からの返信が無い場合は本当に届いていないことになります。
でも、今のところちゃんと届いています。
なお、たまに受信拒否設定をされている方がおられます。この場合は返信が拒否されてしまいます。
「あれ?」と思う方は、ご確認くださいませ。

11月29日(土)
『Dark Night 13』
ゲスト・山口敏太郎(オカルト研究家、プロデューサー、作家)
司会・半田あかり(松竹芸能)
道頓堀ZAZAHOUSE
(道頓堀くいだおれビル地下一階)
大阪市中央区道頓堀1-7-21
開場:23:30 開演:24:00〜オールナイト
入場料 予約3500円 当日4000円
予約、問い合わせは、オフィスイチロウにあります予約専用の特設ページからどうぞ。

『Dark Night vol:13』特設ページ


オカルト+業界秘話+怪談!
恐怖と爆笑(?)
濃いトークが繰り広げられる予感がします。

また、山口氏は怪談はもちろん、UFOからUMA、妖怪、古代史、秘密結社から地底王国、生きているヒトラー(?)まで、いろいろな情報をお持ちです。聞きたいことがあれば、この際、聞いちゃいましようよ。
どんな怪しいことでも、答えていただける、かも。
私も質問したいこと、いっぱいあります。
ということで、質問はオフィス・イチロウまでくだされば、貴方に代わって私が質問いたします!
質問はinfo@officeichirou.comまで。


さてさて、本日は「幽怪案内」の配信日です。
有料怪談を三話。

一本目。
第229話「耳無し芳一」、第230話「姉の人形」
現代の話で「耳無し芳一」? 聴けばわかります。これは業というか、因というか。

二本目。
「心霊あそび」
何年か前、ネットで「一人隠れんぼ」というのが流行りました。この体験者がいうには、これはその元となった遊びではないかと言いますが……。やってはいけない遊び。

TBSらじこん『幽怪案内』よりどうぞ。

TBSらじこん『幽怪案内』
 




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2014年10月22日

幽霊ウォッチ

中山市朗です。

さっき、ネットを見ていたら「心霊番組や超常現象番組が減少傾向。テレビ関係者『過剰な演出ができなくなった』『制作費がかかる』NHKでは増加」という記事を見つけました。

ざっと、このような内容です。

民放局は以前ほどは心霊番組をオンエアしなくなった。テレビ局関係者によると「過剰な演出ができなくなった」からだという。過剰な演出とは?
「以前は、心霊番組で流す映像に過剰な演出が加えられていた。ただ、最近では、簡単な合成映像では視聴者に気づかれてしまうため、近年は過剰な演出は避けられるようになった。その代わりに、幽霊が出るとされる家に固定カメラを設置してモニタリングする形で、幽霊は出ないのに、出るのではないか、と煽るようなドキュメンタリー・タッチの番組が多くなった。しかしこれも、決定的な幽霊が出なければ出ないで視聴率に結びつかず、結局は数字が問題となって最近は減っているのである」
ということだそうで。

心霊番組。昔はよくやっていましたし、いろいろ記憶に残っていますねえ。子供の頃に見た、怖い、という感覚は、なんかトラウマのようにいつまでも忘れないでいるような気がします。で、私の周りは特に怪談や心霊大好き人間が集まっているからということもありましょうけど「なんで心霊番組無いねん」「『あなたの知らない世界』みたいなのとか、怪談を聞いたり語ったりする番組、やってくれたらなあ」という話はよく聞きます。

これねえ。私も心霊番組に携わったり、出たりした経験で言いますと、テレビ製作の人たちは、確かにテレビ番組を作るプロではあるんですけど、恐怖を作り出すことに関しては素人なんですよ。普段はそういうことをやっていませんから。
恐怖を創るのは難しい。あれはシンプルなほど怖いのであって、過剰な演出は逆効果なんですよ。
で、私は「過剰な演出は止めましょう」といつもディレクターの方に言うのです。ディレクターの方は私の話を聞いて「なるほど」と思って、会議に提案してみますというのですが、結局、会議の中でプロデューサーに「それでは番組にならないんで」と押し切られるんですね。で、失敗する。そのプロデューサーと話させて!
ある番組でも、私が怪談を語ったら「その場所はどこですか」と聞いてくる。その場所へ行ってロケして、私の怪談に挿入するというんですね。「それ、怪談を楽しもうという人の気持ちをそぎます。また、場所をなるべく特定せずに、人名もAさん、Bさんとしているのは、どこでも誰にでも身近にある話ですよということなので」とお断りしたら、適当な場所へ行ってイメージカットを撮ってきて、私の怪談にかぶせとった。意味ね〜。
どこの世界に、落語や講談にイメージカット挿入します?
で、怪談は純粋に楽しめばいいのに、霊媒師を登場させて「さっきの話、どうでした?」とか「それはなんでしょぅねえ」といらんこと聞きよる。
なんやわからんから、怪談!

もう一つ、心霊モノが減少した理由は、すぐにこの霊媒師と呼ばれる人を起用すること。
きっと宜保愛子さんのような存在が、当時数字を取っていたということもあるのでしょうか。
それとも、そういう人がいることによって、説得力が増す、と思っているのでしょうか。
結局、この霊媒師とかいう先生が言ったことが番組の結論となる。私としては「その霊媒師って何者なん?」ですけど。あるいは心霊写真だの、心霊動画だのを見せておいて、ナレーションで「ある霊媒師によれば、これは写真に写っている女性の背後霊なのだという。この女性はその数ヵ月後、交通事故で入院を余儀なくされたという」って、ある霊媒師って、なんなんすか、それ、みたいな。一般の人は、それが怖いんかなあ。
で、この霊媒師の存在が、心霊番組をオカルトものにしてしまったんです。
つまり、新興宗教だの心霊商法だの偽占い師だのが問題を起こすたびに、心霊番組も同じ穴の狢のような扱いをされるわけですよ。
で、テレビ局はいうわけです。「うちはオカルトものはやらない」。
なんべんもいいます。オカルトと怪談は別物!!

一方、どういうわけかNHKは、最近こういうものを放送するんですね。
4〜5年前、私もお世話になったNHK-BS『怪談夜話』あたりから怪談好いて、最近は、まぁオカルトものですけど『NHKスペシヤル〜超常現象科学者たちの挑戦』のオンエア。さらに『幻解!超常ファイル・ダークサイド・ミステリー』なんていう番組も地上波でオンエアしています。
「超常現象もの」は、賛否両論の視聴者への対応や、専門家の監修、ナレーションなどの文言の精査などで制作費がかかり、民放では扱えず、NHKの独占状態になっているとか。
「超常現象モノ」はちょっと置いておいて、「怪談夜話」は、画期的な怪談番組でした。
私は20年前のKTV『恐怖の百物語』の実績から、怪談を語るだけで、作り方さえしっかりしたら、1時間、2時間だって持つ、と常々言っていたわけですが、そのことを聞いた山本さんという某制作会社のディレクターが、企画書をもって民間局にもちこんだところ、まったくダメで、まさかと思ったNHKが通ったんです。
民放局は、怪談はオカルトものだと思った。怪談だけじゃ持たないから、再現ビデオとか、検証とか、霊媒師とか、なんてきっと考えて「オカルトはやらない」となったのでしょう。私もt怪談モノの企画を提案するたびに何度も味わったことです。
NHKは違った。怪談は話芸だよな、と解釈した。さすが、落語や講談を地上波でオンエアしているだけに、本質を見抜いた。で、霊媒師は呼ばず荒俣宏さんや東雅夫さんをご意見番として出演させて、純粋に怪談を楽しむという形にしたわけですね。で、作家たちが語る、というところが、ずっと私がやりたかった形。こういう人たちは、観察することが仕事ですから、話が詳細で説得力があるし、話の盛り方も心得ていますしね。それに、幽霊がいるいないとか、霊能者が見るなんて不毛なことも無くて、純粋に怪談を楽しむ番組になった。私もそうですが、東さんは怪談の研究家ではあるけれども、霊の存在については懐疑派ですから。
第一回は2009年、90分枠、二回目は2010年、120分枠と、語りの怪談だけで番組は出来ることを実証しました。NHKはCMが無いので、120分枠は民放の3時間スペシャル並みの内容ですよ、あれ。
高視聴率、妙なクレームも無かった。ところが翌年の東北大震災で、怪談そのものが自粛ムードになって。
KTVの『恐怖の百物語』は、稲川淳二さんを毎回ゲストに迎えて、ただ、視聴者に怪談を語ってもらう、というものでした。制作費はおそらく数倍はある『パペポTV』などをちょいちょい視聴率でも抜いていたんですよ。
同局の最近の毎夏にオンエアされる『怪談グランプリ』は、明らかにその流れ。

心霊モノにして、制作費使って過剰な演出するんだったら、純粋な怪談をスタジオでやるだけで数倍怖いと思うんですけど。ただ、それなりの怪談としての創りは必要ですけど。
また、話芸というのは、想像力を増すいいツールなんですけどね。子供も怪談大好きですし。
それでね、これだけ怪談を語る人が増えてきて、怪談本も多数出版されるようになった、ということは需要はあると思うんですけどね。いろいろやってみたいこと、あるんですけどねえ。

でもこう書くと、NHK「怪談夜話」やってください、と私のこのブログにコメントが付くような気がしますので言っておきます。私が番組を作っているわけではありませんので、そういうリクエストはNHK渋谷の放送センターに直談判してくださりませ。




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2014年10月21日

恐怖の丸写し

中山市朗です。

先日、塾生たちと話していて、ネットの情報が話題となりました。
案外と、塾生たちはネットからの情報をやや否定的に捉えていることが以外でした。

ネットは「検索」するという行為から情報を得る。つまり、欲しい情報なら検索して入手するが、関心の無い情報を得る機会が無い。
書籍ならば、書店なり図書館で得たい情報を載せる書籍を探すとき、「こんなものがある」「あんなものもある」といろいろ発見できる。というわけです。
偏った知識しか得られないのではないか、というわけです。
ネットから情報を得るというのは簡単ですからな。便利ですし。
それだけに、情報と言うものがややもすると、希薄で値打ちの無いもの、という感覚を今の人たちは持っているのかもしれません。ネットの無かった頃、ちょっとした情報でも必ず文献に当たるか、人に聞いてまわらないと得られないものでしたからな。文献にあたらずとも、頭の中に知識が収納されている人は、なんかカッコよかったですし。

私は三年ほど前にパソコンを買い換えてから、ネット依存症になりかけていまして。
どんな情報でも出てきますもん。タダで。で、検索かけたら、やっぱりその情報の下に関連した事項がずらりと表記されますし、そこを検索するとまた、それに関連した情報がズラズラ出てくる。専門家の論説からニュースの垂れ流し、一般の人の意見、読むべき文献、資料も記してあるし、探せば賛否両論とも読める。そういう意味で、思ってもいなかった発見は、本で探していたときよりネットの方に私はあるように思うんです。
新聞だって、産経や読売、朝鮮日報やウォーリー・ストリート・ジャーナル、ロイターやAFP、地方新聞までタダで読めますんやで。歴史を調べようとするなら、専門家の書いた論文や調書が読めたり、古文書の全文や郷土史の全ページを掲載しているサイトがあったり。真贋を見極める目さえあれば、ネットの世界は凄いです。
これで外国が何カ国語も読めるなら、鬼に金棒。
英語、真剣にやっときゃよかった。

で、若い人たちは、常にスマホだかなんだか、私は携帯電話を持たないのでよおわかりませんが、いじくってますな。ゲームやってんのか、メールのチェックやってんのか、何かを調べているのかわかりませんけど。
そしたら私なんぞ、若い頃そんなものありませんでしたから、これはもう若いうちから物凄い情報通になって頭の中は知識や雑学でさぞやいっぱいに……、と思うところですが、案外そうでもない。
何かを書かせても、調べるという基本が欠けているのはどういうわけ?
と、思うわけです。
これは、使い方を間違っているのか、所詮は彼らにとってそれは玩具代わりなのか、よくわかりませんけど。
そうなんですね。ネットは身近で便利な分、何も考えずに利用しちゃう怖さがあります。

うちに以前いた塾生で、wikipedia丸写しの卒論を書いて大学を卒業したとのたまうのがいて、「それはあかんやろ」と私は怒ったことがありました。彼のいうには「これは先輩から伝授さてた方法で、先輩たちは代々やっていたこと」だそうで。だったらそれを見抜けない教授があきません。
論文には文献からの引用はあってもかまわないし、いや、論説を展開するには、引用は不可欠であり、基本でもあります。だったらwikiからの引用もいいんじゃないか、という意見もありましたが、彼のやったのはコピペというやつ。つまりネットに上がっていた文章をそのままコピーし、引用文献を記載していなかったことにある。そして、ほぼ全編丸写しだったこと。これは無断引用といって罪になる。
これ、今、大学で問題になっているようですね。
論文におけるコピペ。
パソコンで論文を書くとなるとこれが起こってくる。

例の小保方さんの論文が、米国の研究所がネット掲載したものからの盗用が、全体の3割ほどあったことが問題となっていましたが、小保方さんとしては「えっ、なにが悪いの」みたいな感じだったのかも知れません。
それほど、コピペが大学で常態化しているとも考えられます。

何年か前、ある塾生にあることを調べて来いといったら、確かにwikiをそのままコピーしてきて「調べてきました」みたいな顔しとったので、「これは調べたことにならん!」とこれまた叱ったことがありました。
wikiからの引用として明示するのなら、まだマシですが、そのままコピーやなんて、芸が無い。

またwikiも、中には明らかに専門家が書いたと思われる素晴らしいモノもありますが、誰が書いたのかわからない、というのはマズい。これは引用もできません。引用は出典を明らかにせんとあきませんから。
自ら考えなくとも、検索すれば知識や情報は入る。それはタダだから、勝手に使っていい。
そんなことになっているのかも知れません。

ネットの情報の使い方は、うまく使えるか、間違って使ってしまうかで、えらい差が開くように思います。デキる人間と、フツーの人。この差がね。今後ものすごく大きくなるような気がします。みんなが使っているモノだけに、ほとんどの人は、そこに気づかないでいるように思います。

それと、論文を書く、というのは、今まで自分がやってきたこと、得たことを主張することです。自分ならではのオリジナリティをいかに出すか、という場です。そのために、既成にある説や情報を引用して、これとはこう違う、ここは同じ結果だった、とするのが論文。企画書なんかもそうですけどね。
そこをコピペで楽しようとするから、学問の面白さがわからない。オリジナルのアイディアが浮かばない。よって自信が無い、プライドはある、楽はする、という無間地獄に落ちるのだ!

ということで、ネットとはいい関係でいましょ。

それと、芸の無いヤツは、嫌いや!
どうも、失礼しました。





kaidanyawa at 14:49|PermalinkComments(2)

2014年10月20日

青い人脈

中山市朗です。

先日、久しぶりに竹内義和さんが毎日イベントをされているアワーズ・ルームに行ってきました。
山口敏太郎さんがゲスト出演されていて、その山口さんからイベント見学に招待されて、別に某雑誌用のインタビューをさせていただきたいとの要請もあったことから、イベント終わりの打ち上げの席なら参加できると打診してたいたわけです。この日は塾の講義があったんですよ。ですから、9時に講義が終わってから現場に向かったんです。
8時40分頃から、打ち上げやっています、ということでしたが、現場に着いた9時15分頃、まだ熱きトークが展開していました。席も満杯で、4、50人は入っていたんじゃないでしょうか。
去年の6月、久しぶりに竹内さんを私が主催する「Dark Night」にお呼びして、それから一度だけ、アワーズルームに竹内さんを訪ねて行って以来でした。このときは竹内さんが「嵐」について語る、というイベントでしたが、客はゼロで結局中止。その分、私は竹内さんといろいろ語り合えましたが……。

それ以前は、ネットなどで竹内さんとの不仲説などが流布したりしましたが、私にはそのような気は毛頭ありませんでした。竹内さんは、私がこの世に出るキッカケを作ってくれた恩人です。
最初のライターとしての仕事をいただいたのも、映画の助監督の最初の体験も、北野誠さんとの出会いも、竹内義和があってこそなのです。またこの助監督をした現場をきっかけに、今周りにいる人たちと知り合った。人とのつながりはこうやって出来ていって、その人のつながりがあって、クリエーターとしての自分があるんです。その恩は忘れちゃいかん。だからこそ、竹内さんには言いたいことも言えた。それが周りに誤解を与えたということはあったと思います。
ただ、竹内さんが東京に進出して、そこから会わなくなったのは事実。それぞれにやることもあったわけです。

面白いことに、山口敏太郎さんと私の不仲説もネットに流れたことがあったようです。
不仲も何も、その頃は、そんなに会ったり仕事をしていたわけでもないので、もともと何も無いわけですが。

でもちょっと気になったのは、以前より竹内さんに元気がないように思えたこと。
いろいろあったことは察しています。
まあ、年齢もあって、以前より落ち着いた、と解釈すべきなんでしょうか?

近いうちに、塾の課外授業として、竹内さんのイベントを見学し、塾生たちも竹内さんと語ってもらいたいな、と思います。竹内さん、そのときはよろしくお願いいたします。






kaidanyawa at 04:28|PermalinkComments(6)

2014年10月17日

お知らせがいっぱい

中山市朗です。

えー、告知しましたように11月は、二つのライブを画策しております。
一つは、『怪談の間』の何年かぶりの復活。
しかも復活場所が京都の町家。
先日、下見に行ってきました。中はほんまの和式の家です。八畳と六畳の二間が今回会場となります。四畳半も一間ありますが、こちらは物販などに使おうかと。京間ですから広いです。
座布団もありますので、みんな畳に座っての怪談会。
昔の怪談会もきっとこんな感じで行われていたんやろうな、と。
もちろん参加型ですので、語るのもよし、ただ聞くもよし。でも聞いているうちに語りたくなるかも知れません。そこがこういう怪談会の魅力。また、語ることによる厄落としの効用もあります。特に私に語れば覿面です。
いろいろと利用していただければ、と。
で、下見に行ってはじめて知ったわけですけど、『怪談の間』の一週間後には、雲谷斎さんの怪談会も、同じ場所で行われるんですね。知っていたらもうちょっと時期をずらしたりしたんですけど。
それだけ、怪談会にはふさわしい場所ということなんでしょう。
「無理したら4〜50人は入れます」と言われたけど、まあ、定員は25、詰めて30名までかなと。
ですからお早めに。

『怪談の間』
11月9日(日)
場所 京町屋 さいりん館 室町二条
    中京区冷泉町65  (室町通二条上がる東側)
 昼の部 14:00〜16:30
 夜の部 18:00〜20:30
入場料 昼、夜各2000円。昼夜通しは3500円。
      中高生は昼のみ参加できます。1500円です。

 予約、お問い合わせは、オフィスイチロウまで。
info@officeichirou.com


そして、11月29日(土)は『Dark Night 13』が開催されます。
ゲストは山口敏太郎さん。
関西テレビ『怪談グランプリ』の仕掛け人。オカルト研究家であり、妖怪の専門家であり、例の「呪い面」の所持者でもあります。
こりゃあ、聞きたいことがいっぱいある!
ということで、山口敏太郎さんに質問がある人は、オフィスイチロウでメールください。
当日、私が貴方に代わって質問をぶっつけてみたいと思います。なので、常識の範囲でね。
UFO、UMA、超能力、妖怪、秘密結社、地底王国、なんでも答えていただけると思います。その際私の見解も述べたいです。私もオカルト研究家でもありますので。今のところ、どんな内容にしようかは未定。まあ、いつもそうですが、またまた濃い〜トークが混沌と展開しそうです。
私も現在取材を申し込んでいる人がおりまして、もし成功すれば、新たなるUFO体験談が披露できるかも。
これ、前回の私の怪談会に参加されていた方はご存知の、凄い話です。
無事に取材できるかなあ。
もちろん、ここで披露する新作怪談も用意してございます。

『Dak Night 13』
11月29日(土)
場所 道頓堀ZAZAHOUSE
(中座くいだおれビル地下一階)
オールナイト 24:00開演 早朝まで。
入場料  予約3500円  当日4000円
 
予約・お問い合わせは、オフィスイチロウhpから。

また、東京の皆さんの前で怪談を語る機会もありそうです。
詳しいことはまたいずれ。

さて、本日は「幽怪案内」配信日。
KTV『恐怖の百物語』で起こった怪異を連続してお送りしております。
今回はその最終回。
第227話「欠席の理由」
このエピソードは外伝ともいうべきお話です。前々回の「巫女」と言う話とリンクするかも……、というお話ですが、どうなんでしょう。しかし、午前0時の爽やかウインドゥと言われるこの私に、そんなモノが憑いていたとは!
第228話「百物語の怪」
そしていよいよ、番組最終回に起こったあの出来事。私は確信する。
怪異はある!

TBSらじこん「幽怪案内」

kaidanyawa at 12:59|PermalinkComments(2)

2014年10月15日

13回目の土曜日

中山市朗です。

情報解禁です。

「Dark Night 13」
11月29日(土)

ゲスト 山口敏太郎 (プロデューサー、オカルト研究家、作家)
mc 半田あかり (松竹芸能)

開場 23:30
開演 24:00  (終演は4:30)
入場料 予約・3500円    当日・4000円
場所 道頓堀ZAZAHOUSE
(中座くいだおれビル地下一階)

近日中に、オフィスイチロウのHPに、予約用のサイトを開設します。
ツィッターなどで開設の知らせをいたします。
そこからご予約くださいませ。


Dark Night vol:13 特設ページ

kaidanyawa at 00:44|PermalinkComments(2)

2014年10月10日

公共局第二談「復活」

中山市朗です。

告知です。

七年ほど前、私が大滝エージェンシーに所属していた頃、『怪談の間』という怪談会を催しておりました。
これは、参加型の怪談会で、和室の広間に円座になって私もお客さんも座って、共に怪談を語り聞くというものでした。大阪の「阿弥陀池」として有名な和光寺さんの大広間を借りてやっていました。
円座になって語り聞く、というのはやはり怪談会の基本の形なのでありまして、私、木原と京極夏彦さん、東雅夫さんの四人で結成していた「怪談之怪」も、ゲストを呼んで、やはり円座になって語り聞く会を中心に活動していました。

現在では、オフィスイチロウで年四度の怪談会を催しておりますが、こちらは怪談を語ることが参加条件と言う、私の怪談蒐集のための、かなりプライベートな怪談会です。
で、その怪談会の告知をするたびに、こういう怪談会に参加してみたいんだけど、語る怪談が無いので参加できません、とか。また、オールナイトの参加が無理なので、という話もよく聞きます。

そこで、『怪談の間』を久々に復活させることにいたしました。
集まっていただくのは、京都の大変風情のある町家です。
語る怪談が無ければ聞くだけでもよし。
語りたい怪談が在るなら、語るのもよし。
もちろん、私も存分に語ります。

なお、昼の部、夜の部、二部の構成となります。
お好きなお時間にどうぞ。

『中山市朗・怪談の間』

日時 平成26年11月9日(日)
昼の部 14:00〜16:30
夜の部 18:00〜20:30
料金   昼の部・夜の部 各2000円(昼・夜 通し3500円)
      中高生は昼の部のみ参加可 1500円
場所 京都市中京区冷泉町65(室町通二条上る東側)
    さいりん館HP

予約・問い合わせ info@officeichirou.com

なお、施設の規定により21時には完全撤収しなければなりません。
ご協力、お願いいたします。

さて、どんどんと話数を増やしております、私が怪談を語る有料怪談動画サイト『幽怪案内』。
TBSらじこんから、本日も配信しております。  

ここんとこ、平成3年に関西テレビでオンエアされていた『恐怖の百物語』の裏話を語っております。
それも三週目となりました。
『新耳袋・第二夜』に「百物語に関する三つの話」として紹介しておりますが、あんなもんじゃない!
「午前0時のさわやかウィンドウ」の異名を持つ私でさえひびった、続出する怪異。

本日は、
第225話「荻窪のバー」
怪談タレントのIさんとともに入ったバー。私が目視した怪異。Iさんは完全にビビッている!
いったい何が!

第226話「憑いて来た」
『恐怖の百物語』本番のスタジオ。たまたIさんと私が共通体験した怪異。
本番中に?
あのときの現象、今も鮮明に覚えてます。

来週はいよいよクライマックス!

TBSらじこん『幽怪案内』

kaidanyawa at 14:09|PermalinkComments(8)

2014年10月08日

秋の採点

中山市朗です。

この夏、京都造形芸術大学で「日本人と怪談」と題した特別講座を行いました。
今、その採点中です(一応、大学の講義なので)。

レポート形式なのですが、面白いことに体験談のみを延々と書いたレポートが4本もあったこと。
実は扶桑社版とメディアファクトリー版の『新耳袋』には感想を書いて送ってもらうハガキが入っていたのですが、読後の感想より、体験談をそれこそハガキが真っ黒になるほど書かれていたものがほとんどだったことを思い出しました。
やっぱり、みなさん体験した不可思議なことは語りたいんですね。
怪談が好きなんですね。

今回のレポートの中にはイタリアでの怪談というのがありまして、日本人三人が同じ体験をして怖がっているのを、それを聞いていた外国の人たちは爆笑していた、というものがありました。
興味深いものがあります。
以前、アメリカ人の不思議体験というのを聞かせてもらったら、それってまるでドラマの『トワイライト・ゾーン』の世界。お国柄によって怪異に対する認識、感覚はやっぱり違うのかなあ、と。

ところで、怪異蒐集家としてはこの体験談は大変貴重なオタカラなんですけど、大学の講座の採点基準としてはどういたらええのやろ?

kaidanyawa at 15:52|PermalinkComments(13)

2014年10月06日

怪談大バカ

中山市朗です。

昨日、一昨日と、キャンプに参加させていただいていました。
「怪談キャンプ」!
怪談好きの人たちがログハウスを借りて、バーベキューをしたり、オールナイトで怪談を語ったり聞いたり。
この日の参加は日帰りの人も含めて二十数人。
そのほとんどの人は、今やもう怪談仲間といっていい人たち。『怪談狩り』『怪談狩り 赤い顔』に体験談を提供してくれた人たちも大勢いてはりました。
怪談ハンターの私としては、こういう場にも顔を出して、ともかくも一話でも上質な怪談を蒐集するのも重大な仕事。
収穫はあったかって?
ありましたとも。
ともかく、キャンプ場へと向かう車の中で早くも怪談談義。バーベキューの準備中に「先生、聞いてください」と怪談を披露してくれる人、バーベキューの最中はずっと怪談。その後の休憩も怪談。
そして、夜9時半になってやっとこの日のメインイベント「怪談会」。
でも、待ちきれずに9時には怪談会がはじまって。
途中の休憩時間も、ベランダに出てタバコを吸いながら怪談。
この日、今年KTVの『怪談グランプリ』に出て準優勝を獲られたSさんも参加されていたのですが「これ、休憩になってませんなあ」とボヤきながらもやっぱり怪談。
「いや、楽しい。みなさんの怪談を聞いたらこっちも怪談を思い出す。こういう雰囲気、最高や」とSさんもご満悦でした。
しかし、3時を過ぎたあたりから、自室に戻ったり寝落ちしたりする人が増えてきました。私は最後まで残った人たちとずっと怪談のやりとりをしていました。終わったのは8時。
私、その前夜は塾生と朝まで飲んでいたので二日連続オールナイト。
大丈夫かって?
楽しければ睡魔なんて来ないですよ。
でもまあ、さすがに相手がいないんじゃ寝るしかない。で、寝ていると。
ざわざわとした気配がしだしたので、目が覚めた。10時。で、みんな集まってきていたので、また怪談。
京極夏彦さん、多田克巳さんたちで『怪談バカ』というのがありましたが、ここまで行くと、『怪談大バカやろう』ですわ。

数えてはいませんが、怪談が語られるたびにヴォイスレコーダーに収録させていただいていて、42カウントなっていたので、5〜60話は収録できたのではないでしょうか。私もみなさんに触発されて随分語りましたので、私の分もプラスすると、8〜90話近くは怪談がこのキャンプ地で語られた、ということになりましょう。
そして、確実に十話は、私のお仕事において使わせていただくレベルのものがありました。

こういう怪談好きな人たちは、他にもいっぱいいらっしゃると思います。
でも、そんな仲間、周りにいないしなあ、とか、そういう人たちとどうやったら遭えるんだ、とか、話す怪談は無いけど怪談会というものに参加してみたいなあ、とか。
そんな人たちにきていただきたい怪談会を、11月に京都の町家で開催する予定です。
もうしばらくしたら、オフィスイチロウのホームページ、ツイッター、そしてこのブログにて告知が出ます。

みんな、素敵な『怪談大バカやろう」になろうやおまへんか!

くまさんをはじめとした皆さん、今回は「怪談キャンプ」にお誘いくださり、ありがとうございました。
私にお話を提供し、また、私の怪談を楽しんでいただいた方々、楽しかったです。いやあ、素晴らしい。
コメントくださったトラエモンさん、シロ☆さん、お疲れ様でした。
皆さん、ありがとうございました。
そして、また、よろしくお願いいたします。



kaidanyawa at 12:40|PermalinkComments(5)

2014年10月04日

行ってきます!

中山市朗です。

今日はこれから怪談キャンプだ!


kaidanyawa at 11:47|PermalinkComments(1)

2014年10月03日

ラーメン・マジック

中山市朗です。

昨夜のことです。
ちょっと夜遅くまで、ちょっとビジネスのお話をある人と電話でしていまして、受話器置いたら深夜2時近い。
ぐぐっとお腹もなって。
あっ、夕飯食ってないわ。
そう思って、自転車にまたがり長髪をなびかせ颯爽と、ミナミに向けて疾走いたしました。
あるラーメン屋の前に到着。
まだやってます。
店に入るとあんまり客はいないんですが、なんか赤のパーカー着た男が端の方に座っている。
フードを頭にかけている。なんかこの時期に妙やな。
と、カウンターでラーメン注文。
で、また端を見たら……、いない?
トイレはね、私の背後を通らないと行けない。出入り口もそう。
しかもね、ラーメンを注文している数秒のことですよ。
で、イメージとして、フードの中の顔が無かったような。

まあ、人間ですわ。足元にシェルターか地下室へ下りる階段があって、そっちへ降りた。
あっそうか、この下もお店やもんな。
机の下に隠れた。
なんのために。
そうか、幻覚か。
いや、確かにおった。
そうか、人の消えるマジックや。

で、二度と現われなかった。
ところがね、ラーメン食べ終わる頃、若いカップルが入ってきて、その端の席に女の子が座ったんですよ。
そしたら席をぱっと立って「なに?」と言ってる。
「椅子、濡れてるやん」
「ほならこっちの席行こか」
とカップルは別の席に移動しよった。

そうか、雨降ってたからパーカー着とったんか。
降ったっけ?

とまあ、わあわあ言うてますうちに告知です。
TBSらじこん『幽怪案内』。
今週は、前回に引き続き、1990年、春。KTV「恐怖の百物語」の収録中に起こった数々の怪異を語っております。
第223話「うるさいスタジオ」
収録本番中、とにかくスタジオが騒がしかったんですよ。いわゆる「ポルターガイスト」現象。そんなこと、ありえないんですけどね。でもその音は、オンエアされたテレビでも確認できたんです。
いったい何が、どういう状況で、どんな音がスタジオを襲ったのか!
それは聞いてのお楽しみ。

第224話「巫女」
これは、「恐怖の百物語」外伝ともいうべきエピソード。
怪談を番組で語ってくれる人のオーディションを行ったのですが、ある女性が会場に入ってきて、私を見た途端、わっとしゃがみこんで泣き出したんです。
「えっ、俺? な、なんかした?」
そうじゃない。後に分かったことですが、私の背後に……。

ひえーっ!

TBSらじこん「幽怪案内」からどうぞ。






kaidanyawa at 12:21|PermalinkComments(4)

目撃者

中山市朗です。

あれっ、さっき幽霊見たかも……?

kaidanyawa at 01:42|PermalinkComments(4)

2014年10月02日

常識からの脱出

中山市朗です。

10月になりましたねえ。
作劇塾もリニュアルして金曜日の七時からの開講となります。
なので、3日から始まります。
入塾料が最初だけ一万円。
あとは月謝制で一万円。
教室代と経費の分だけの負担。私はほぼボランティアです。
ボランティアしてまで塾を続けるのは、この世界が大変楽しく、自由だからです。好きなことをして食うなんて夢じゃないですか。この世界においでよ、というのが私のメッセージ。そして大阪が活気付くためにはクリエーターが必要です。大阪は文化の発祥地、娯楽の殿堂の地。今はなんか東京にもって行かれていますが。そうはさせんわ!
もし、そういう夢がある人は、自分探しをしている人は、その好きなことに本気になってもらい、それで食えれば(つまりプロになるということ)最高ですし、そこまで思わなくても、好きな世界に何か足跡を残す、何かを自分のものとして修得したい、という人にも、楽しく充実した人生を送っていただきたいのです。
私はクリエーター系の専門学校の講師を九年、塾を作って十年、その間、夢破れて惨めな人生を送っているヤツも夢を掴んで人生を謳歌しているヤツも、両方見ていますから。成功するための絶対的法則はありませんが、失敗する絶対的法則はありますから。それをどう避けるかは、アドバイスできます。けっこうやっていますよ、失敗の絶対的法則。

でもね、好きなことをして食う。
これはもう、たった一度の人生において、選ばれた人間のみが享受できる幸せというものじゃないですか。
作劇塾はそういう人を応援し、各々の考え方やスキルにあわせて指導するものです。
あとは、やっぱり本人の意識しだいです。
応援団長やコーチが代わりにマウンドに立ったり、バッターボックスに入るわけではないですから。
でも、応援する人もコーチもいない選手が、いくら才能はあっても、プロに入れるかどうか。
そう、荒川コーチあっての王貞治、仰木監督あってのイチロー、長嶋茂雄あっての松井秀樹、砂押監督があっての長嶋茂雄。ちょっと出した例が偉大すぎましたか。
ここは、ほんと二人三脚です。それは作劇塾塾長の私の覚悟ですから。
ただし、選びますよ。私も。何もやらない人と二人三脚をして、足をとられたくありませんから。
まあ今まで、随分足をとられて、怪我だらけですけど。いてて。

しかし、選ばれるということ事体がハードル高いんじゃね?
そう思いますよね。
案外そうじゃない。これは、価値観の問題。
働くのがイヤで、高校、中学と勉強がさっぱりだった超快楽主義だった私がなれたんだから、難しくない。
いや、その働くという価値観に、私は共感できなかったから、まっぴらごめん、と思って就職活動もしなかったから、今の私があると思っています。
私は学生時代、バイトさえも嫌いでした。だからよほどお金に困ったとき以外は、バイトはしない。そういう主義。
バイトする暇があったら、好きな映画を撮ったり、観たり、好きな本を読んだり、音楽聴いている方が楽で幸せ。
そう言ったら「先生、それでは生活できないです」と、よく教え子たちは反論し、バイトをしていました。
バイトはやるなとはいっていない。でも、バイトをやっている自分を疑え、というんです。
そこを疑わずに、食っていけるという環境を守ろうとしだすと、余裕も無くなって、お店や会社のいうことにハイハイと言って少々の時給を上げることにやっきになる。これ、社会の価値観の肯定。それ肯定してナンボになりまんね(と大阪の人間はよお言います)。アホかいな。
あっ、就職している人に仕事を辞めろ、というてるわけじゃないですよ。
出版社の人もデビューして仕事をやめる、という新人作家さんには「仕事は辞めるな」と説得するらしいですから。私の言うのは、アルバイト。社員さんとアルバイトくんは、身分が違う。使う頭も違う。


このブログで私はよくバイト脳と言うことを言っています。
今まで足とらけてコケたのは、創作よりバイトで食うことを優先させる人が多かったから。
それやったら最初から就職せえよ、と言いたい。それ蹴ってクリエーターになりたい、いうのなら、クリエーターとして生きる道を真剣に模索せえと。
ほんまにねぇ、バイトはあかん。バイトばっかりやっていると、クリエーターにはなれない。なぜならそれは真逆の世界だから。

バイト(にもよりますが)はマニュアルにある仕事をきっちりこなせば問題はない。しかし、それは仕込めば中学、高校生でもできることなので、時間の切り売り(つまり安い時給)をするしかない。新しいものは何も生まれません。
クリエーターは、自分で仕事をみつけなければならない。新しい価値観を自分で作らなければならない。
その価値観にユーザーがつくかどうか。
そこを考えるのが我々クリエーターです。ユーザーがつかなければなれても貧乏作家。それでも作家で生きられればいいですね。新しい価値観が一般の人たちに受け入れらけれれば、とりあえずは認められる。作品も売れる。話題にもなる。2ちゃんで叩かれる(?)。これは余計か。

そのときの快感て、ないですよ。ほんと。
自分が死んでも作品は残るな、と。

ただし、自分で仕事を見つけるというのは、サラリーマンの世界も一緒でしょう。今までに無い価値観を商品にする。その商品を、営業をしたり契約を結んだり、販売網を開拓しながらお金にしていく。このようにサラリーマンは会社のブランド品を売って、給料にする。ブランドは信用でもある。
ただ、サラリーマン個々の名前は残らない。会社の名前がクローズアップされます。

我々クリエーターも同じですが、サラリーマンと違うところは、自分がブランドになる、クローズアップされるということ。
ペンネームだとか、芸名、屋号が、そのブランドになるわけです。そしてさっきいった作品は残るわけです。で、あたればサラリーマンの年間所得くらい月単位で入ってきます。自分のブランド、作品ですから。
今、サラリーマンをしている人は、クリエーターを目指してもそこを理解しているから、やっぱり動くんですね。要領は一緒です。
その点、バイトはあかん。考えない。

日本人というのは、たいていは常識とか社会の価値観を教育の間で植えつけられていきます。偏差値教育というものはそういうものです。で、このシステムを否定しても何もはじまりません。日本人である限りは、そういう教育を受けるわけですし、それで、日本人としての共通した価値観を持つようになるわけです。なかには素晴らしいものもあります。しかし、我々は、その価値観や常識を一旦身につけた後に、それを疑うという思考にならなければなりません。常識の範囲内でものを考えているのでは、誰の支持も得られません。
「そんなん、わしの友達も同じこと言うとった」とか「そんなん誰でも思ってますわ」と言われるようでは、そんな頭の程度で小説や映画を創っても「つまらん」「ありきたり」と酷評をいただくだけ。
とすれば、今まで植えつけられてきた価値観や常識を一度疑ってみる、ということが必要です。

そういう見方があったか、考え方があったか、そんな世界があるのか、そんな生き方があるのか、そんな発想力はどこからきたのか、そういうところに読者や視聴者は、どきどきわくわくし、対価を払うわけです。
だからといって、あんまり悲観しすぎたり、疑いすぎたりすると、作品も書けなくなるし、なんだか独りよがりな不快なものができちゃいそうですね。
まあ、作家志望や映画を作りたい、放送関係の仕事をしたいという人は、世間の価値観や常識を疑っている人たちのはずですけど。でもそれが、創作に結びつかないんですよね〜。
なんていう、あなた!

10月第一回目の作劇塾の講義は、そういった思考を、どう創作価値に変換させるか、について考えてみます。別に難しいこっちゃない。
きっとあなたの思っているこの世の中への猜疑心、疑心暗鬼は、あるいは希望や愛の世界は、間違ってはいないのです。ただ、創作価値に変換できないでいるだけ……。


作劇塾へのお問い合わせは、
sakugeki@sakugeki.com
まで。
あるいはオフィスイチロウでもお答えします。
info@fficeichirou.com




kaidanyawa at 01:29|PermalinkComments(2)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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