2014年12月

2014年12月30日

陰謀なんて怖くない!

中山市朗です。

最初に今年最後の告知です。
塾生、塾生OBの皆さん。そして関係者の皆さん。私は関係者だと思い込んでいる人たちも。あっ、入塾を考えている人も、この機会に。

明日、31日は、私の書斎にて忘年会。夕方からオールナイト。
朝までの強制はしません。何時に来て、何時に帰るのかは、各々の自由意志。
囲炉裏に火ぃ入れて、待ってます。
参加費無料。ただし、手ぶら、というのは、常識的に、ねえ。

塾は2日が金曜日にあたりますが、さすがにお休み。
9日より授業は行います。


さてさて、格差社会について考えています。

格差のある社会は、自由を尊重する資本主義の国である限りあって当たり前。でなきゃ、平等を尊重する共産主義になるしかない。その共産主義は、けっきょくソ連の崩壊や、こんちにの日本以上の格差社会となった一党独裁の中華人民共和国を作ってしまいました。
人間というものは、社会を作り出した瞬間から支配する者とされる者という格差を作り出しました。これが生まれついたときからその身分は固定化され、職業選択の自由も無い、というのであれば大きな問題です。でも現在の日本にある格差社会は、身分が固定化されているわけでもなく、職業選択の自由もある。
そうなると、そういう世界で生き抜く力、知恵がいる。高いモチベーションも必要です。競争相手と戦々恐々とやりあったり、戦術的、戦略的な志向性も養わねばならない。
どうも私が思うに、そういう教育を学校はやっていない、と前回のブログで提示したところです。
温厚で優しい思いやりのある人格形成という点においては、今の若い人たちはその条件を満たしているようです。もともと日本人とはそういう民族ではあるんですけど。しかしその日本人の持つ独特の性善説は、世界では通用しない、ということがわかった。
一方で教育は、自立心のない、プライドはあるが打たれ弱い、競争力の欠如した若者を作り出してはいまいか。もしそうだとしたら、日本はグローバル経済のただなかで、生き残ることができないのではないか。
ある経済アナリストによると、日本のGDPは、近いうちにインドに抜かれ、韓国にも抜かれるとか? さすがにそれは無い?

ただ、日本の高度成長期を作り支えた経済のシステムも崩壊したのは事実。いや、日本人自身が捨て去った。これね、人のいい日本人は、いろいろとだまされた、と思います。
変わってこれからは、グローバル・スタンダードの時代。
なんかこの言葉、外資系とか、国際市場とか、一見、打って出るぞ、みたいな感じを持ちます。
「私、外資系の会社に勤めています」というと、女の子にモテたもんです。ほんまかいな?
グローバル・スタンダード、正確には、グローバル資本主義というらしいのですが、日本はもうこの選択をしてしまった。つまりは弱肉強食が基本原理としてある経済システム。これはいかに儲けるか。儲けるために何をするか。これが総ての思想です。
だとすると、本来これは、日本人には合わない思想ではないかと思います。金がすべてではない、と日本人は知っていますから。だから高度成長期の日本は、世界第二位の経済大国でありながら、貧富の差は他の国に比べて少なく、一億総中流意識、なんてちょっと考えられない社会構造であったわけです。
でも今は、格差社会が確かに生まれている。その差が大きくなりつつある。米国と同じ構造。
年収数億、数十億の資本家、富裕層と、年収2〜300万円の一般労働者。これはほんと、意識の問題なのですが、だんだん固定化されつつある。そして日本国民が、特に若い人たちが、それでいいか、仕方ないか、と思っている。
別に社長や資本家になれなくてもいい、と思っているし、年収300万円でも、ささやかな幸せさえ享受できればいい、と思っている。いや、それはそれでいい。資本家が幸せで年収300万円がかわいそうなんて、それこそ勝手な概念です。ただ、そういう思想も教育と環境により植えつけられた概念であるとも私は思っています。
つまり、グローバル資本主義とは、簡単に言えば、世界における資本家たちの富と権力の争奪戦であって、そのためには安い給料で働いてくれる労働者が不可欠でして、そうすると、安い給料でも不満無く働いてくれる労働者を作らねばならないわけです。彼らはマスコミを使って世論を作り、善良な国民のマインドを都合よくコントロールしようとします。そしたらネット社会がまず、若者たちから意欲を奪った。おそらくこれは、資本家たちの計算外。でも数万円のパソコンさえあれば、退屈はしない。なんでもできる。わずらわしい人間関係もいらない。覆面を被って別人となってネットに書き込み、創作意欲もここである程度は満たされる。ゲームも出来るし、エロも見れる。それで満足。車もいらない。贅沢もいらない。そうなると苦労して、嫌な上司のいうことを聞いてまでも出世したくはない。これで充分幸福。
しかし、年収300万円では家族をもったとき、食べていけない。
夫婦共稼ぎ。そのためには女性の社会進出を実現させねばならない。託児所も必要だ。そして、本当は母親の愛情をそそぎこまねばならない幼児を託児所に預け、また安い給料のために身を粉にして働く。マスコミはこれを取り上げ、話題にする。いやいや、女性が働くことに意義は申しませんが、これ、なんかおかしくないですか?
子供を託児所に預けるのは、ほんと、大人の都合。子供にそんな思いをさせて、たかだか月数万円を稼ぐなんて、子供の教育と月数万円と、どっちが大事やねんて。
そういう声はあんまりテレビなんかでは聞こえてきませんな。それに夫婦共稼ぎは少子化をますます加速させます。ほんとうは、高度成長期にあったように、夫が500、600万と稼いでくるといいわけです。30年前を考えると、30歳を過ぎた男はもうそのくらいを稼いでいたはずです。なんか、昔って、ちょっとした家庭にはお手伝いさん、なんていませんでした? なのに今は子供を犠牲にして共稼ぎをして、それでも年収500万に届かない。そして学校教育も、グローバル資本の世界に対応する力、思想、意欲を教えないでいる。先生がその実態を知らない。高度成長期に行われていた教育は、そのまま今の経済社会にも適応(使う側からすると、ですよ)するので、教育だけは旧態然としたままです。生きていくための教育と言うより、大学に入ればなんとかなるという教育。大学に入ったら、いいところへ就職することがゴール。で就職できずにアルバイトか派遣社員。ここから抜け出そうという意欲が無く、それでなんとなく満足。
へーえ、飼いならされたもんですわ。それって誰が徳するシステムなんやろね。
グローバル資本は、国益を考えません。あくまで資本家の利益を追求します。資本家たちはマスコミのスポンサーとなって、世論を誘導し、作る。そして資本家のために働く労働力のマインドを、教育過程からコントロールし、自立できない子供を作ってた、と言ったら、それは妄想なのでしょうか。でもそう考えると、先生方も日本と言う国を賤しめ、自虐史観を子供たちに植え付け、国とか先人たちに対するリスペクトの念を奪う目的が、国益を考えない若者を作る目的が、ここに明らかになるわけですね。つまり学校の先生方も、知らず知らずのうちに利用されていたのです。

ええっと。
年末だというのに、ちょっと重い話になります。こうなったら書かざるを得ない。

私、オカルトの研究をしております。オカルトというと、もう怪しい、と思われますが、偏見です。
オカルトというのは、目に見えません。でも、もうそろそろ皆さんも気づいているはずです。
世の中を支配しているのは、その目に見えない何者かではないかと。

20年ほど前、ユダヤの陰謀論というのが流行りました。
バブルが崩壊して、次に来るのはユダヤ資本による乗っ取りであり、世界制覇である、と。私はそこに理があると思い、そこからそういう問題に興味をもちました。振り返ってみたら、それがオカルトと呼ばれるものだったわけです。
その根底にあるのがフリーメーソンだのイルミナティだの三百人委員会だの。それはしかし、オカルトだ。オカルトを論じるヤツは怪しいヤツだ。ましてや世の中にユダヤの陰謀などあるわけ無い。そんなことを言うのは人種差別者であり、経済構造を知らない無知蒙昧のたわごとだ。そういって、経済学者や評論家、マスコミはその提唱を無視しました。「陰謀などない」「陰謀論は語るな」。
結局、ユダヤの陰謀論、というのはオカルト扱いされ、トンデモ扱いされ、そのうち話題にもされなくなり、やがて誰も陰謀論を言わなくなりました。

さて、今は、グローバル・スタンダードの時代。これは金の力がすべて。市場の実態は国際金融勢力が決める、というものです。そういう新秩序をシステム化したのがグローバル資本主義の実態。おかげさまで、たくさんの日本企業にも外資系が入り込み、経営陣にも外国人が入るようになりました。国際金融機関が、日本の経済をもコントロールしだした。日本の政治にも口出しした。結果、今のような経済構造となり、貧富の差を生み出したというわけです。
では、グローバルとはどこから来た思想なのでしょう。
国を持たないユダヤ人の思想です。ユダヤには国が無いわけですから、政府をもたない。だから彼らのパワー、思想は国境が無いわけです。そして今もって、戦争のあるところにユダヤがある、といっていい。このユダヤとは、必ずしもユダヤ人というわけではない。ここが肝心。あくまでユダヤの思想なのです。
そのグローバル思想を経済に適応するのもユダヤの思想。現に、グローバル資本主義の総本山は、ウォール街の住人とよばれるユダヤ資本にあります。世界の経済の動向を握るのは、いや、支配をしているのが米国の企業体。これ、そのままユダヤ資本といっていい。ユダヤの思想はユダヤ人だけのものではありません。ユダヤ人以外にも受け継がれます。その、国際金融勢力=グローバル資本主義が、日本の企業の形態を変え、経済システムを変えたということは事実ですね。
昭和の日本の高度成長は、実はユダヤ思想の影響をほとんど受けなかったんです。こんなことは欧米にしたら考えられないこと。第二次大戦で敗北した日本から、脅威だった軍事力を取り除いたと思ったら、今度は経済でのし上がってきた。それも日本式の不可解なシステムで。おそろしや日本、ですよ。
だから、ユダヤ資本はいつか日本経済を崩壊させ、乗っ取ろうとした。で、虎視眈々と狙っていたというわけです。一方日本の経済学者は、そういうユダヤ資本の実態を知らなかった。いや、経済の法則や方程式はわかるけども、ユダヤの思想、歴史、宗教について無知のままだった。そういうものは研究の畑違いですからな。だから、日本人の経済論理の中に、ユダヤの入り込む意味、意図がわからなかった、ということではないかと思います。
つまりは、「ありえなかった」はずのユダヤの陰謀は、実際には着々と実行されていて、気がついたら現実のものとなっていた、ということです。「陰謀論は無知蒙昧のたわ言」「ユダヤの陰謀など無い」と見識ある日本の文化人たちは口をそろえて言っていましたが、これ自体が本質から一般人の目を逸らすための作られた概念であったわけでして。マスコミ同様、それに利用されたわけです。
「アメリカの企業のオーナーや株主は、日本人の陰謀論を笑っていますよ」とか言って。
あたりまえや。「わしら実は陰謀企んんどるんですわ」なんて言うか。
「幽霊なんていない」というと、なんとなく良識派の学者に見えるように「陰謀など無い」というと、良識派の文化人に見えたものでした。「ある」というと、トンデモ派の人だと思われて。それだって偏見でしょう。
「ある」という人はちゃんと調査して、現地に足を運び、取材し、論説を講じる。そりゃぁ間違いもある。でも無いというのは簡単なんです。「それが常識だろう」といえばいい。なんにも調べなくてもね。
でも、常識ってなんだ。くだらん常識は、人間の知的活動において、邪魔以外の何者でもない。
私、何度もこのブログに書いていますが、利益を求めて力のある者同士が結託することはどこでもあるのです。経営をした事のある人はわかるはずです。そして我々はさらに大きく儲けるために結託しました、なんて発表するはずが無い。マスコミを通して発表されるのは、都合のいい、プレスのために作られた文言だけ。裏というものは絶対にある。なのにそんなことがあるわけない、とする性善説こそが、日本人の意識を厳しい世界経済の中にあって、楽観視させてしまったのですよ。この間、日本の国力も落ちました。いや、策略にはまったといっていい。これがまさに「失われた20年」であるわけです。

ただ、今、面白いことが起こっています。
米国型経済主義が世界の経済の全体を掌握するのかと思いきや、各国でナショナリズム運動が起こってきた。ロシアがこれを強烈にやっている。欧米各国がロシアに経済的制裁を加える、というのも米国型経済主義の反発なのです。ロシアはでも、悠然としていますね。独自の経済路線を歩む自信があるわけです。日本もそうですね。尖閣や竹島の問題から発して、中国、韓国に対する意識が変わり、日本の国益とはなんだと日本人がやっと考え始めた。ナショナリズムはグローバリズムに対して真逆の思想です。国の利益をどう得るか。最近、アメリカのマスコミがイスラエルを叩き始めました。イスラエル軍がガザ地区に侵攻し、一般人を大勢殺害したというものです。アメリカのマスコミはユダヤが牛耳っている、とはよく聞かれた話ですが、そのアメリカのマスコミが、イスラエルに対して反発する。つまりこれは、イスラエルの行き過ぎたナショナリズムへの警告であり反論であったわけです。おそらくナショナリズム運動の根底にあるのはネット社会。さっきネット社会は若者から意欲を奪ったと書きましたが、使いようで、世の中も変えられる。ネットの中にはいろいろな情報が飛び交い、真偽混合して情報が取り出せる。リテラシーさえ身についていれば、今までマスコミがいっていたこととは違う、と一般の見識ある人たちは気づく。現に大勢の人たちが気づき始めました。朝日新聞の謝罪問題も、ネットの中の民意を無視できなくなったからでしょう。
大企業というスポンサー付きのマスメディアが、いったい今まで誰のための報道をしてきたのか。それは資本家のための報道でしょう。権力者に有利な報道でしょう。それは放送局しかり、新聞しかり。その報道を国民は信じていた。いや、信じるしかなかった。しかし、ネットはスポンサーという制約が無い。したがって一人一人の民意がネットには反映する。時に、それが壮大な民意を写し取ったメディアに変貌する。
そうなると、民意はあらゆる意味で無視できなくなる。
行き過ぎのグローバリズムは、おそらく見識ある一般国民たちによって、ある程度までは阻止できる、と思うのですが。
でもほんと、各々知恵、力、技術を持たないと、格差社会の犠牲になることは覚悟するべきです。
若い人も、会社に就職したから、とのほほんとしておれませんよ。その会社が、世界市場を相手に、10年後、20年後、残っていられるのか。
そしてそのとき、自分はどういう立場にいて、対応できるだけの能力や人脈を持っているか。
そこ、考えましょう。

来年2015年は、もう予測不能の年。
おもしろく、わくわくする年でありますように。

今年もいろいろありがとうございました。
このブログをお読みのすべての皆さんに、よいお年を!
読んでいない人は……になりやがれ!

















kaidanyawa at 07:33|PermalinkComments(7)

2014年12月28日

貧困さん、いらっしゃ〜い

中山市朗です。

選挙は行かなきゃならない。
あなたの一票が政治を変えるんだ。
それが国民の義務だ。
若者にはぜひ政治に興味をもってもらいたい。

マスコミやテレビで、評論家だかニュース解説員だか元政治家だかが出て、そういいます。
で、選挙が終わった途端「このままでは、日本が不安だ」だの「憲法改正は阻止せねばならない」とか「アベノミクスは失敗だった」とか。なんやわかりませんな。これ、国民がアカン選択した、と責められているようで。選挙結果では国民がそれを選択したんだから、ちっとはポジティブな意見出んかと。
日本のインテリというやつは、どうも現状とか体制を批判することだと思っているところがやっかいでして、ああいう意見ばっかり聞かされると、「やっぱり選挙に一票投じても変われへん」というイメージをもたれてしまう。ネガティブな懸念はもちろんあるでしょうけども、もうちぃと、「安倍さんのここを期待しよう」とか「こういうことをガンガンやってもらいたい」とか、ポジティブなこと、なぜ言えんかなあ。と。
で、ここんとここのブログのテーマのにしているのが「格差社会」の問題。
「このままでは格差社会はどんどん広がっていく」と、大勢のコメンテーターたちが苦言を呈していることに対して、私なりに思うことがあって、ここに書いているわけでして。

日本は資本主義(正確には民主制資本主義?)でありますから、まず富裕層がいて当たり前。おらんかったら困ります。で、富裕層、つまり資本家に雇われている大勢の人たち、つまりはサラリーマンがいる、ということで資本主義の基本はなりたちます。で、日本には職業選択の自由がありますから、俺も富裕層になりたい、と思うのは自由。思っても行動しない自由もあれば、行動する自由もある。行動にはリスクが伴いますが、リスクを被っちゃうか、成功するかは各々個人の裁量。そういうことは個々の自由であり、意志であって、政府になんとかしてくれ、という筋合いのものではないでしょう。格差社会の前提には、そういったものがまずあるわけです。
極端に言えば、ですよ。貧困者はみずから貧困の道を歩んだ、行動しなかった、ということでもある、と。
これは、私がサラリーマンとは違う環境にいて、売れない作家が売れる作家に毒づいたり嫉妬してもなんにも意味が無い。だったら売れる作品を書いて見ろよ、という世界にいるからそう思っているのかも知れません。
ただね、私の教え子に、たまにこういうのがいるわけです。
「作家になるには、あれがいる、これはこうしろと言われますが、お金がないので無理です」
えっ、やるやらないは、お金の問題?
私もそうでしたが、若いということはお金が無い、ということです。みんなそうです。金持ちがいるとしたらそれは親がとんでもない金持ちか、よからぬことで稼いだか?
でも、同じお金の無いやつでも、やっている人はやっている。「お金が無い」というのは言い訳。そんなんに限ってそこそこのマンションに住んでいて、そこそこの生活をしとる。おしゃれやしね。私なんて学生の頃、お金は全部映画に注ぎ込んでいて、主食はパンのミミ、衣装なんて買ったことないちゅうねん。
まあ、勉学にはお金がいるのは確かかもしれません。たとえば作家になるには人一倍、いや数倍本を読んで、その上で取材したり、専門書を紐解いたり、人との交流も欠かせませんし、趣味に莫大な無駄遣い(?)をしているような人が作家になったりしています。
こういう人たちは、優先順位を考えているし、好きなことなら、お金など眼中に無い。カネに困ったらどこかからか工面してくる。それくらい迫力がある。説得力がある。一方では、やるべきことをを「お金が無いから」という理由でやらなくて、言い訳の上に平気で胡坐かいているやつは、もう、作家になるための優先順を、それだけ下位に置いている、というわけなのです。
そういうのは、落ちて当然。救う必要も無い。やってるヤツと一緒にすな。

よくマスコミから発表される統計に、世界的にも富裕層の子ほどいい教育を受けられ、貧困層の子は比較的に教育環境に無い、というのがあります。「なるほど、そうやね」やない。
なんのために子供の頃、偉人伝や伝記を読まされたんや。みんな貧困の家に生まれて、その中で勉強して、そしてそれをバネに偉い人になった、という話ばっかりやったやん。ましてや今は、その当時ほど封建的な社会でもないし、身分の階級もない。欧州はまだ貴族制みたいなのは残っていますが、日本は格差が広がったとはいえ、そないに言うほど、一般の人たちの中に貧富に違いがあるわけでもない。
こうなると、格差社会という渦の中に、巻き込まれるのも、踏みとどまって残るのも、高見の見物をするのも、本人しだい。その意識、努力、モチベーションの問題ということになるのではないでしょうか。
アルバイト(派遣社員)をしてりゃ、そこそこ食ってはいけるし、まっ、これでいいか、世の中、そんなもんやし、と思って現状維持に甘んじるか。
俺はもっと価値あることがしたい。何よりもこの目標だけは他を犠牲にしてでも達成したい、と日々精進することができるのか。
おそらく、前者が圧倒的に多くて、後者が極端に少ないのでしょう、きっと。
言うは易し、行うは難し。また、大人は常識と言う時代遅れのものさしでもって、目標を諦め、どこでもいいから就職してくれと行ってプレッシャーを与えて来る。世間体もあるようで。こっちは世間体なんて知ったこっちゃないんですけど。私のような世界にいたらわかります。世間とは冷たいもんです。
そんなもん、気にすることは無い。
で、後者の人たちは、そのことをよく知っているんですよ。
成功した人がよく言うのは「気がついたら俺だけやり続けていた」。
そして冷たかった世間を体感として知っているからこそ、でも人は好きである、という作家としての根本があるからこそ(人間嫌いは作家になれない、とは私の持論)、その世間が必要としているものや、世間の持つ問題や意識などを敏感に読み取ることができる。クリエーターとしての成功とは、世に出る、あるいは自分の付加価値、作品を世に出す、ということですから。
そうやって成功した人たちによって今の社会構造が作り上げられた。成功しなかった、あるいは諦めた前者の人たちはそこを不満に思う。そしていう。
「夢なんか追っても現実にならない」

今の格差社会の本質は、ここにあると、私は思うわけです。
これは政治が云々の問題やない。人間とは、社会とは、そういうものです。

ただし、政治に求めたいことも確かにある。
たいした努力もせんと裕福である既得権者とそれを取り巻く団体。これは腹たちますな。天下りというやつ。あんなん天下りというから「偉いんや」と勘違いさせる。あれは成り上がり、というんです。
ああいうものはぶっ潰して、なりあがり連中に謝罪させて、弁済させんといかん。国民の血税を私物化してんねんから。
そして不平等感。
ほんとうに能力に応じた報酬が得られているのか。実は今、アメリカではここが問題視されているんですね。
いくら努力しても働いても報われない。富裕層は富裕層のまま動かない。一旦貧困層に落ちたら脱出は困難。このまま行くと、生まれたときから格差ができる。これが固定化されると旧ソ連の共産主義みたいになっちゃう。
だから私は、個人の努力や才能が正当に評価される上での格差社会は、健全な資本主義なのじゃないのかなと。人種や身分、性別での格差じゃない。技量や技術、才能やタレント性、付加価値の上での格差です。

しかしですね。教育がこの格差社会でどう生きるか、ということをまったくやっていない。きっと教育関係者や先生方は、格差社会なんて許されない、人は平等であるべきだ、なんて思っているのでしょうが、そんなユートピア幻想を押し付けられて迷惑なのは子供たち。そんなこと言ったって現実の世界は弱肉強食の資本主義の自由社会なのですから、一人で自立していく術も、考え方も、そろそろ本気で教えるべきでしょうよ。
もう、いつも思うのがですね。大学生の就活のニュース。見ていて情けない。「面接、また落ちました」なんて、この世の終わりみたいな顔しとる。就活がこの世のすべてやなんて、了見が狭い。狭すぎる!

十数年間、私は作家志望の若者を見てきましたが、まず、どういうものか、まず親の思考がまったく変わっていない。びっくりするほど変わっていませんよ。もう終身雇用は無くなって、年功序列の賃金制度も無くなって、会社も合併、吸収、破産と、どんなに大きな会社でもいつどうなるかわからない、自分たちはボーナスももらっていない、リストラにもあった、という状況なのにわが子に関しては、「就職さえしてくれれば」というこの考えであることが、私にはさっぱりわからんのです。今は就職させることより、付加価値を作る頭脳、何かを作り出す技能、能力など、まず己が何を身に着けるか、これをやるべきなんです。会社への就職はあくまで手段であると。
学校も、どうやら右になれ、のサラリーマンを大量に生み出す、高度成長時代からの教育をあいも変わらずやっている。
だけど、社会のシステムがどんどん変わっているので、旧態然とした教育だった高校、大学を卒業した若者が、社会とのギャップに驚き、ついていけずにいる。そして押し出された若者が、自立をすることを知らず、己の付加価値を求める術も知らず、旧態然とした考えで就活に望み、正式採用されずに派遣社員という最悪なものになって、このシステムに組み込まれて、いいように使われてポイ捨てされる。まあ、派遣の方が便利で自由が利くから、という人や業種もいるでしょうが、たいていはそれしかなく、食うためにやむを得ず、あるいは世間体を恐れて派遣会社に登録する。で、仕事の依頼を待つ。
今はそれでもええかも知れませんが、40歳、50歳で派遣じゃ、ほんまに格差社会の底辺に追いやられます。そんな年じゃ潰しは効かんやろうし、潰しが利くくらいならそんな年まで派遣社員でもおらんやろうし。
とりあえず、食っていく、ということを主眼に置くなら、派遣社員も選択肢の一つでもあるでしょうけど、食っていくことが人生なの? と。
世の中、サラリーマンと公務員だけで構成されているわけではない。商売をやっている人もいれば、職人になる人もいる。趣味を生かしてアートやクリエーターの世界にいる人もあれば、芸能の世界もある。起業する人もいる。そういう人たちは、会社に属さず個々に活動している人が多いわけで、もちろん保障や保険の無い世界かも知れませんが、各々が廃業しない限りはずっと続けていける世界。それも立派な付加価値であり、ビジネスであり、社会に欠かせない一つの歯車でもある。
そういう、自立する生根、意志、方法を学校はまったく教えていない。親もそこを知らない。不安がる。

そうそう、こんなことが昔ありました(以前書いた話かも知れませんが)。
まだ私が作家デビューする前、28か29歳の頃、郷里に帰るバスで、中学の化学の先生に久しぶりに会ったんです。
「先生、お久しぶりです」
「おお、中山くんか。今、どこに勤めてるんや」
「あっ、僕、勤めてません。就職していません」
それっきりその先生、私の後ろの席に座っていながら、一言も口聞いてくれなんだ……。
「じゃ、なにしているんだ」という質問さえなかった。
その先生からすれば、30歳前になってもまだ就職しとらん私は、落ちこぼれ。いわゆるところの、格差社会の底辺にいる、口も聞きたくない、教え子の隅、いやその風上にもおいてはならぬ存在だったんでしょうな。つまりこの先生は、どこかに属してそこから月々の給料をもらう、という世界以外は理解できなかったんです。


次で最終回にします。

kaidanyawa at 04:26|PermalinkComments(2)

2014年12月26日

来年に向かって撃て!

中山市朗です。

えーっ、格差社会と言う問題についてつらつらと書いておりますが、本日はお休み。
「幽怪案内」の配信日ですので、そのお知らせを。

このらじこんというコンテンツで話した怪談も、250話を超えました。
ここまで続いたのも、皆々様のご協力の賜物です。
取材なしに、実話系怪談は成り立ちませんから、これは怪談を提供してくださる方々がおられてこそ。
私は幽霊を見たり感じたりすることがほとんどありませんので、こらもう、皆さん頼りでしかありえません。
また、視聴してくださる皆さん無しにも、配信はありえません。
有料配信で、ここまで続くとは。ほんま。
感謝いたします。
今回は、今年最後の配信です。

#207
第252話「聞いているほうが怖い」
怪談好きで、『怪談狩り』にもいくつか話を提供てくださっているKさんの体験談。
実は、話を聞いての通り、体験したのは体験談を語る女性なのですが、その話を聞いているKさん゛、だんだん、「それって……」と、恐ろしくなるという。こんな話、たまにありませんか?
他人の話なのに、時分の身に降りかかるかもしれないという、こういう身近な怪異が、いわゆるところの実話系怪談の醍醐味。聞かんかったらよかった、なんてね。

#208
第253話「送り先」
冬真っ盛りですが、真夏のお話をひとつ。
これもKさんから聞いたお話。なんでしょうかねぇ。女の執念は恐ろしいというか。
「幽怪案内」の収録は、いつも秘書の真名子に聞き手になってもらっているのですが、彼女もすげえ納得していたというか。女は恐ろしい……。

TBSらじこん『幽怪案内』


来年もよろしくお願い、たてまつりまする〜。





kaidanyawa at 12:52|PermalinkComments(3)

2014年12月24日

007/勘違いを持つ男

中山市朗です。

格差社会というものについて書いております。その第三弾でおます。

我々、クリエーターの世界は、売れるやつは売れる、売れないやつは売れない。自由な世界だけど、何事も本人の責任。そしてなんの保証も無い格差社会の見本みたいなものです、と前回書きました。
で、この世界に入りたい、という人がいるとすれば、それはその覚悟をしたうえでのことであるはずです。

極端に言えば、お金を取るか。自由を取るか。
まぁ、ほんんどの場合は、サラリーマンをやりながら作家になる修行をして、デビューして食えるな、と思ったら脱サラして、作家に専念する、という人が多いようで、まったくサラリーマン経験が無い私などは珍しい方でしようか。
おかげさまで、ほとんどストレスというものがなく、おそらく普通ではありえないような非日常的なことが多く起こる楽しいお仕事でして、だから、ほんま、お薦め。作家になりたいという人をサポートしてあげたくて塾を作ったくらいですから。

で、何度も書きましたように、クリエーター系の専門学校の講師を9年、塾を作って10年と、随分長い間、作家志望の若者たちと接してきたわけですが、どうも、中学、高校の教育が、いや、親の教育も間違っておりはせんか、とずっと思ってきたことがあります。
それと、社会のシステムがもう、高度成長型とは違う。格差を生むためのものになってしまっていることに気がつかなきゃならない。そして対策を考えねば成らないのに、教育が高度成長型のままで来ている、ということ。これ、なんとかしなきゃ。

まず、こういった専門学校に入学してきた若者たちのほとんどは、就職を望んでいるわけではありません。フリーのクリエーターになるために時間とお金を使っているわけですから。また、就職というものから逃げている人も当然ながらいるわけです。また、普通の職には就けないよなあ、と思っている人もいます。芸人の世界に似てますな。
で、親御さんたちは、こういう自分の子供たちをどう思っているのでしょう。
専門学校の場合、息子は、娘は、ああ言っているけど、専門学校を卒業する頃には考え方も変わって、専門資格でも取って、どこかへ就職してくれるだろう、と思っています。現にそういう相談を何度も受けましたから。
親御さんたちにしたら、こんな不安定なヤクザな世界より、どこかに就職して、経済的に少しでも安定してもらいたい、と思うは必定でしょうし、また、それがどんな世界かもわからないわけですからある意味怖いでしょうし。
夢が実現するなんて、そんなに世間、甘ないわ、とも思っています。
たいていの大人は、そういう夢を捨てて、今いる職場で働いていますからね。ただ、できれば夢はかなえてやりたいという一筋の願いもある。だからそういう専門学校に通わせた、ということもあるでしょう。
ところがこの世界、卒業した、さあ今日から漫画家、小説家、というわけでもない。ここからが苦難のスタート、といってもいい。
そもそも、漫画家だ小説家だ脚本家だ演出家だのを目指すカリキュラムを2年、3年とこなしたところで、なんの免状も資格も取れない。そんなもの無いわけです。だからこの種の専門学校は大量のニートか出口の見えないアルバイト生活者を出したわけです。ここはホントに本人しだいですけど。

で、こういう専門学校というのが、ここ20年くらいでさまざまな分野のものが出来きました。びっくりしますよ。
吉本興業のNSCがそうですね。あれから芸人の世界に養成学校が出来た。もともと芸人は、師匠に弟子入りして3年間の修行をしてなるものでした。そんな学校なんて無かったわけですよ。
私は映画の勉強がしたくて、大阪芸大の映像計画学科に入りましたが、当時は映画の勉強のできる大学、専門学校は他には3、4校ほどしかありませんでした。今は数え切れないほどありますな。だから、映画の教育を受けること=業界人になることとは違ったわけです。
漫画家や映画の現場はアシスタントから入る。これが当時の常識。弟子入りみたいなものです。小説家は、まぁ一人で勝手になるものですが、それでもその昔は書生のような人がいて、先生のお手伝いをしたりした。書生同士が交流して、文学論を戦わせた。漫画のときわ荘がそれに似ていますな。こういう世界では、当たり前ですが弟子は師匠をリスペクトしていますから、NOはいえない。言っても意味がないことはわかっている。それだけ覚悟がいるし、そこから礼儀やマナーを知った。その代わり、何かあったら師匠がフォローしてくれるし、独立したら、師匠の信用でまずは仕事がもらえる。
そういうものが、専門学校が出来たことによって壊れた。本来弟子であるはずの教えてもらう側がお客さん。それまでは、業界に入るために、師匠の家の前で土下座をしてまで弟子入りを乞うた立場の若者が、教室でふんぞり返って、師匠にあたるはずの先生が「ありがとう」なんて言っている。先生が良かれと思って何かをいっても「そんなん無理です」「私のやりたいことはそんなんじゃありません」とNOを平気で言う。この勘違いが、どうも、卒業後の出口の無い暗闇に入ってしまう要因を作っているような気がするわけです。
先生も強制できない。弟子じゃないんだから。それに温情のある先生だけじゃなく、ただ、生活のために講師をやっている、本業では食いあぶれている学校OBの作家もどきみたいなのが安く使われていて、逆に教え子をつぶしにかかることだってあります。これはこの目で見てきた事実。そりゃ、パイは限られていますから、教え子がそこに侵食してくることは、仕事を脅かすということ。そりゃ余裕の無い先生なら潰しにかかるでしょう。別にそれは悪いことではない。そういう厳しい世界なんです。そういう世界だからこそ、師弟関係は絆で結ばれますし、終生の関係が築けます。またそいういう器がないと弟子も来ない。いや、専門学校にも立派な熱心な先生もおられますよ。でもこういう先生は、教務課からは疎まれる。
NSCはうまくいっていますね。第一期生がダウンタウンをはじめとして豊作で、以後、上下関係がしっかりと構築されている。また、楽屋には師匠のような人たちもたくさんいる。ああいうプロの現場に入ることが重要なんです。ただし、やっぱり途中でほとんどが辞めて言って、残るのは一握りとか。
上下関係、師弟関係、というのは実は日本の社会には当たり前にある世界でして、そこを知らない若者たちが、自由の世界=好きなことだけをやる世界と勘違いしているんですね。いくらクリエーターの世界とはいえ、すきなことだけやって食っているプロはやっぱり一握り。その人たちも、そこへ行くまで゛ずいぶん苦汁を飲まされているんです。そこを専門学校では体感させられない。教えられない。理屈じゃないですから。そこを教えるには現場に入ってアシスタントでもやってもらうのが一番なんですけど。れには出来る教え子をチョイスして、現場を紹介したいんですけど、それができない。私が講師をしていた専門学校は、平等な教育をしてくれ、と言われていました。それをやるなら全生徒を連れて行ってくれ、と。アホか。そんなん、この世界にありえない。
つまり、学校の運営をやっているのは、サラリーマンの人たちだったわけです(私が雇われていた学校はですよ)。

私の塾も、塾生たちとは師弟に近い関係を持ちたいとは思いますし、周りはそう見ているようですが、弟子を取っているわけではないので。そこは塾生しだい。ただ、やっぱり肝心要のところでNOと拒否する塾生は多い。サラリーマン、OL関係者はそこのところは、人間関係の構築の仕方を心得ていて問題はないのですが、社会人未経験者がね。この世界は勝手が通ると思っている。で、辞めて自分のやり方をやるわけですが、どうにもならなくてほぼ消える。
特に社会経験の無い若いのは、塾も専門学校もお金を出して教えてもらう場所であって、私が何者かに興味が無いわけです。自動車の教習所みたいに思ってる。

何が言いたいのかと言うと、まず、高校卒業した若い人たちは、みな、とは言いませんが、あまり大人をリスペクトしていない。「リスペクトする大人がいません」と面と向かって言われたこともあります。おそらくそれ、親もそうですし、学校の先生もリスペクトしていなかったのでしょう。その習慣が卒業して災いする。
ほんまこれ、この温厚な(ほんまでっせ)私も何度ムカムカと腹がたったことがあったか。
これ、思うに、子供と大人とのある意味の断絶が根本にあるということじゃないのかなと。

昔の、というか我々の子供の頃は、大人の真似をして遊んでいました。それはそういう大人たちがカッコよかった、憧れの対象だったのです。今の子供はゲーム。ゲームをすることは悪くは無いが、まああれは大人の金儲け主義でできた玩具。ゲームはいろいろなものを子供から奪います。それに象徴されるように、大人たちは、お金第一、お金を稼ぐことにあくせくしている。共稼ぎでなきゃ食えないからと、母親は幼児のころから、わが子を託児所に預け、父親も残業で遅くまで帰ってこない。
でもそれは、大人の事情でして……。

まだ続く。





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2014年12月21日

日本社会民主主義国

中山市朗です。

前々回に書きました格差社会について、の続きであります。

私は仕事がら、というか、塾を運営しているから、ということもあるのでしょうが、若い人と接したり話したりすることが多いわけです。ただし、やっぱり作家になりたいとか、芝居をやっているとか、芸人さんとか、そういう人が多いので、私はちょっと特殊な世界にいるのでしょう。
その上でのお話です。

我々のいるクリエーターの世界は、はっきりと格差社会であります。
作家でいえば、ロングセラーなりベストセラーを出せる作家は生き残り、売れない作家は出版社からポイ捨てされます。で、売れている作家の元には執筆依頼がどっと集まり、ポイ捨てされた作家の元には依頼は来ません。
そうなると売れている作家は数億、数十億稼ぐわけでして、でもそれはほんの一握り。
売れない作家は、年収ゼロだってありえます。
完全な格差社会ですな。
そこを不公平だ、と売れない作家がブー垂れたところで、なんともなりません。出版社は慈善事業者じゃないんだから、売れない作家の面倒なんて見てくれません。で、そうやって仕事が一本も無くて食えなくても、作家の世界には失業保険などもありません。退職が無いから退職金もありません。
つまり、死ぬまで仕事を続けなければならないわけです。望むところですけど。
この世界のいいところは、ちょっと売れたりしますと、それで一般のサラリーマンの年収くらいは稼げるわけです。いや、それ以上かも。それも時間は自由、好きなことをやっていて、ですよ。満員電車に揺られることもないし、昼まで寝てるし。えっ、私が、と言う話やない。そういう人が周りにたくさんいるという。まあ、私もたいてい朝まで飲んでて、昼に起きてますけど。ただ、来年はというと、まったく保証は無いという世界。
だから、好きでしかやれないわけです。

これは十年ほど前のこと。
ある大学関係者からNPOの人を紹介されました。で、いろいろアドバイスが欲しい、と。
彼は「クリエーターたちの失業保険、退職金制度を日本で作りたい」と言うのです。はあ?
なんでもヨーロッパの某国には、映画関係者に対してそういう制度があるのだとか。つまり、仕事の無い映画監督や脚本家、技術の人たちに仕事の無い間、保険金を支払ってその生活を保障するというわけです。
私は大反対しました。
その保険金はなに? 国が出すの? それとも協会のようなものを作って、クリエーターたちからお金取るの?
それはムダ。だいたい売れないのはそのクリエーター自身の問題。そこに生活の保障をしちゃうと、おそらく作品を作る気が失せるでしょう。実は作品作りというのはどんなものでも膨大なエネルギーと野心がないと出来ない。
手塚治虫は「漫画はハングリー・アートだ」と言っていましたが、腹が減る、渇望することがそのエネルギーを生じさせるのであって(少なくとも私は)、満たされると、なかなか作品作りなんてしんどいことは出来ないわけです。アマチュアだと作ってそれで満足はあるのでしょうが、やっぱりプロは、作品が対価として還元され続けられないと意味がないわけでして、そこは厳しいわけですよ。ましてや、ネットで叩かれてズタズタになったりして。
好きだからやっている。あるいは、それしか出来ないから続けるしかない。それが出来ないならプロ返上。職変えするしかない。でもねえ、そんな人が、普通のサラリーマンになれるわけないし、また、獲ってくれる企業も無いでしょう。おそらく商売もヘタでしょうしね。
だから、売れないクリエーターを容易に経済的に救済するなんて思考は、クリエーターを人としてダメにする。だから私は反対したわけです。
どうも彼が参考にした国は小国で、もと、社会主義国でして。おそらくこれ、映画会社は国営かなんか。だからそういう発想があったんだろうなと。日本には合わない。結局、その人とは連絡とっていませんが、動いてはるのでしょうか。

格差社会というのは、資本主義制である限り、どうしても起こるものです。
少数の資本家と多数の労働者がいるというのが、資本主義の社会基盤ですから。
その代わり、能力さえあれば、何にでもなれるし、成功だって夢ではない。
その縮図が、クリエーターの世界やプロスポーツの世界にあるのかも知れません。

ただ、日本は過去に置いて、特殊な経済構造を持っていました。
三十年ほど前の日本人のだいたいの人たちが持っていた「一億総中流」の中流階層意識。
なんか、懐かしいですな。
「日本は世界で最も成功した社会主義国家だ」とフランスかアメリカの経済学者が言ったとか、あるいはゴルバチョフが言ったとか、説もいろいろありますが、そう言う面は確かにあったでしょうな。
終身雇用、年功序列の賃金で高度経済成長。おそらくこれは、会社は従業員を家族のように迎え、従業員は会社のために貢献すれば生涯安定する、というモチベーションが起こったのでしょう。日本人がもともと持っていた勤勉さがうまくマッチしたのでしょうな。年功序列は生涯安定、右上がりの生活を保障するものでしたし。会社の社長も、今の外資系の外国人経営者みたいに、法外な(まぁ、考え方なのでしょうが)報酬も、もらっていなかった。
国鉄、電電公社、専売公社、郵便事業、考えたら国営でしたから、ちょっと社会主義みたいなところもあったのでしょうか。競争は無いけど安定はある。
アメリカでは、国民健康保険すら、社会主義だ、とされているくらいですから。

しかし今は、なんでも民営化が進み、規制緩和もされて、ますます競争社会になった。これはもう、最初からわかっていたこと。終身雇用や年功序列が日本経済を押し上げたのに、日本人自らが、この考えはもう古い、年功序列より実績主義だとばかりに捨ててしまったんですから。
そしてですよ、こんなことは私がいうまでもなく、会社を経営されたりしている方の方がいい意見をお持ちでしょうが、政府が中小企業に「最低賃金を時給1000円払ってやれ」とか、「雇用を増やせ」たって、できないものは出来ない。中小企業の社長さんは、自らの給料をカットして、借金を重ねながらなんとか会社を維持させている、という実情もあるでしょう。そこを無理すると倒産。従業員も解雇、となっては元も子もありませんわ。私も一時期、塾の運営、経営をやって、その大変さにメゲそうになりましたもん。じゃあ、国がそこを保障できるのかって、出来ないだろうし、やっちゃうと、資本主義の競争原理が働かなくなる。ダメなものはいくら援助しても、ますますダメになるだけでしょうし。
じゃあ、大企業がもっと中小企業のことを考えてやれよ、といったところで、やるわけがない。ましてや外資系が入り込んでいると、昔のような義理人情は通用しません。外資系会社は冷酷ですよ。こんなん大会社や銀行が外資系などに合併、吸収しだした頃に、そのことはもうわかっていたはずです。
で、一億総中流階級が、いつの間にやら格差社会になっていた。
そのことが今、いろいろ問題となっているわけですが……。

この項、続く。












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2014年12月19日

ブラック・クリスマス

中山市朗です。

師走というのは、どうもこの、落ち着きませんなあ。
年賀状書かなあかん、忘年会がある、お正月が控えている、そんなことが気持ちを焦らすというか、高揚させるのでしょうか。そして、世にも不可解なクリスマスがやってきます。
先日、あるバーで、隣に座った大阪弁ぺらぺのアメリカ人(30代前半)と会話をしました。ちょうどクリスマスも近づいていたので、ネタにしたろと「正直、アメリカ人からして、日本のクリスマスってどうよ」と聞いたのでありました。
「不思議なこと、いっぱいある」と言ってました。
そやろうな。
米国人「まず、何でキリスト教徒でもないのに、クリスマスやってるねん」
私「僕の知り合いに京都のお坊さんがいてるけど、やっぱり寺の居間にクリスマスツリー飾るって」
米国人「ほんまに? 意味わからん」
私「でも、クリスマスが終わったらお正月の準備。お正月は神道式のお祭りやから。仏教徒がキリストのお祝いと神道のお祝いをやるわけや。でも、12月25日はもともと戦前の日本は祝日やってんで」
米国人「クリスマス休暇?」
私「実は、大正天皇が1926年の12月25日に崩御された。で、先帝祭というて、祝日になった。戦後この祝日は無くなったけど、その名残もあるんやろな。12月25日はなんか日本人は祝日や、特別な日や、というのはあって、それが戦後クリスマスに変わったらしいんや」
米国人「ほんまに? それは知らんかった」
私「キミはお正月、どうすんの?」
米国人「日本の友達と初詣に行きます」
私「唯一神のクリスチャンがそれやってええの? 八百万の日本の神様のところに行くんやで。」
米国人「あまりそういうこと考えてなかった。でも日本の風習だからと思って」
私「日本人も一緒やで、そういう感覚。おそらく、クリスマスっていう意味が、ほとんどの日本人はわかってないやろな」
米国人「X‘masと、X表記はなんで?」
私「えっ、戦後まもなくのGHQ総司令部の第一生命ビルの玄関にそういうネオンサインがあったのが発祥やと何かで読んだけど」
米国人「そうなの? でも今そんな表記はアメリカではしないよ。したとしてもXmasと書く」
私「X表記は、4世紀のヨーロッパの古文書にあるらしいしな。間違いではない。十字架を意味する記号でもあったらしいし」
米国人「アメリカではあまり見ないよ」
私「アメリカのことは知らん。けど、おそらく、クリスマスに浮かれるほとんどの日本の若者は、クリスマスの意味も知らない」
米国人「キリストのミサと言う意味です」
私「そのミサを知らんやろね。第一、教会へ行かない。結婚式以外は」
米国人「なぜクリスチャンでもない日本人が、ああいうときだけ教会で神様に誓うの?」
私「俺もそれは思う。だから日本の最近の結婚式用の教会には、キリストはいない。教会のカッコウをした式場。だから神には誓っていない」
米国人「そうなの?」
私「神父だか牧師のカッコウしている人も式場の人。神様に誓おうにも誓えない。まあ、洗礼してないからな。してから誓えやけど。だから、すぐ離婚するわけや。だったらやるなよ」
米国人「あははは。それとね、アメリカでは、メリー・クリスマスも言わない」
私「そうか? 言ってるアメリカ映画見たことあるけど」
米国人「今は言わない。ユダヤ教徒やイスラム教徒の人たちが増えているから。ハッピィ・ホリディズっていう」
私「ビング・クロスビーの映画であったな」
米国人「それとなんで日本人はチキン食べるかなあ。アメリカではターキーやで」
私「ターキーなんて日本人は食わん。それ、最近テレビでもやってんねん。アメリカはターキーを食べるのに、なぜ日本はって。では聞くが、アメリカ人はなんでターキー食うことが世界のスタンダードやと思うとるねん。日本のマスコミもそうやけど。北欧ではサーモンやタラを食べるらしいし、フランスのある地域ではウサギのグリルを食うねんで。イタリアでは悪魔の化身とされるウナギをフライや煮込みで食うて、魔よけにするらしいし、フィリピンはカソリックが多いらしいが、豚の丸焼き食うねんで。クリスマスの発祥地でもないアメリカが、とやかく言わんといてほしいな」
米国人「まじかよ」
私「僕は学生の頃、貧乏やったから、チキンやなしにチキンラーメン食うてた」
米国人「あはははっ」
私「あははやない。だいたい日本人にチキン食えと宣伝したんはケンタッキー・フライド・チキンやないか。アメリカ企業の陰謀や。あのな、それで思い出したんやけど、キミら白人は、わしら日本人にクジラを捕って食べるとは野蛮なことだ、やめろ、とかいうてるけどな。鯨の肉を食えと奨励したんはマッカーサーやぞ。終戦当時の日本は貧しいてな、食うもんも無かった。スクランブルエッグもできひん状態でな。マッカーサーはそれで捕鯨業を推奨して、肉代用としたんや。それからや、日本人の食卓に鯨が並ぶようになったんは。学校給食にも鯨カツいうのも出た。旨かったで。ほんで子供にその味を覚えさせて、それが今になって、なんで鯨食うなやねん。戦争で人殺しながら鯨は殺すなてか。ほんで、ハッブル望遠鏡やボイジャー探査機をはじめ、NASAは鯨の油がええいうて、いろいろ使とるそうやないか。ホッキョククジラ、お前らアメリカ人が乱獲しとる事実、知らんやろ……(と、話は別の方向となり、日本文化を否定せんとする白人主義に対する積年の恨みを、彼に因縁をふっかけることにより、晴らす私でした……この米国人、最後はぐうのねも出んかった。わははは。うん?)。

本日は「幽怪案内」配信日です。
有料で2本配信。

一本目。
第249話「四国の実家」
寒い今日このごろですが、夏真っ盛りにあった怪異をお聞かせします。

2本目
ついに、第250話!
「観察者効果」
第251話
「お金貸してね」

「観察者効果」はほんまに短いお話ですが、こういうことって、誰もが思ったりしません?

TBS ‐らじこん‐ 『幽怪案内』

kaidanyawa at 15:50|PermalinkComments(3)

2014年12月18日

007 ドクターノオ・リスク

中山市朗です。

そもそも、なんですけどね。
私は数字に弱いのです。どうも焼酎、もとい小中学生の頃から算数、数学と数字が並んでいるのを見ると、頭がクラクラッとしたもんです。中学、高校のときの数学。あんなんもう、思い出しただけで寒気がする。
もちろん、赤採って、追試なんていうこともありました。
英語もあかんかったし、運動神経もダメ。からっきし無し。運動会は苦痛。競走ではケツになはなんかったけど、びりから二番目あたりが指定席。そんなんでも作家にはなれますねん。

ただ、モノ書きになってみると、やっぱり数学的な思考は必要なわけでして、やっとくべきやったな、と。今は、数学は以前ほど苦手ではなくなったわけでして。生きていくのに必要だと思ったら、やっぱり学ぶわけです。
ともかく、若い頃の私は、これでは商売は無理、というか興味が無かった。
会社員も無理。自由が束縛されるから、なんていう理由で、身分不確かなクリエーターという道を選んではやウン十年となるわけでして。お金より自由を獲ったわけです。

で、なにが言いたいのかと言うと、前回のブログで選挙のことを書きましたが、今日もテレビを見ていると(テレビはいつも点けっぱなしで仕事をしているので)、相変わらず、若者がなぜ選挙に行かないのか、とか、格差社会がますます広がる、なんていうことをやっておりました。
この、格差社会について、私の考えていることについて述べたいと思うわけです。

私のかつての教え子が、最近飲み会にひょこっと顔を出しまして「僕、今モテてますよ」というわけです。
彼は昨年、小説で新人賞を獲って、今年の秋に三冊目の小説を上梓したわけですが、彼は同窓会や地元の友人との飲み会などでは小説家を目指している、とは言っていなかったそうなんです。
こればっかりは「俺は小説家を目指しているんや」と言ったところで、ミュージシャンになるとか、アイドルになるとかと同意語で、言えばバカにされる。また言ったところで意味もない。だから成ってから公言しよう、と、どうもそう思っていたようです。彼なりの美学。わからんこともない。
もちろん彼は就職はしていない。というか、本気で作家になりたいのなら、家を出て、アルバイトすらするな、と私は彼に言っていたのです。彼、当時は家でゲームばっかりやっていた、とこれは親からのタレ込み。
「先生、家出てアルバイトしなかったら、食っていけませんやん」
と彼は言った。
「崖っぷちに立って、やるべきことを考えてみ」
そう私は言いました。やるべきことの優劣を考えてみ、ということです。安易に食っていけることほど、クリエーターへの道を閉ざすものはない。
それで彼はほんとうに家を出て、そうなると明日から食えない。バイトは厳禁。ヤバイと思って東京の出版社や地元大阪の編プロに営業をかけた。それでモノ書きとして仕事をもらうようになった。その延長上に小説家の道がある。彼はそう思ったようですし、実は私もそう思った。
だから彼はライターとして食っていた。
ただ、ライターが仕事です、というのも彼の中では違うと。
これは実際にある格差なんですが、コラムを10本連載しているライターより、本を一冊出版している小説家の方が扱いが格段にいい。本を一冊出してはじめて一人前の作家。これは業界内の格差というやつです。
つまりは、あくまで小説家にならないと意味が無い、と彼は思っていたようなんですね。
だから同窓会の席では、ライターをしていることも隠した。そしたら無職扱い、結婚もしていないので独身。三十過ぎて無職で独身てどうなのよ、ということで(私もそうでした)、みんなにバカにされ、卑下され、心配もされた。いや、差別を受けたと。女性からは白い目で見られ、男どもからはさげずむ目で見られた、とか。まさに、格差社会における底辺、負け組み扱い。
ただ、本人はそうは思っていない。確かに貧乏はしているけども、目標に向かって進んでいる。投稿も続けている。編プロや出版社に知り合いもいろいろできた。好きでいる世界。時間も自由だし、けっこう飲み歩いている(私のみたところですが)。
そしてついに賞を獲ってツイッターで報告。するとにわかに周りがざわめきだした。そしてこの前の同窓会、それまで白い目で見ていた女性たちの態度が、新進小説家を目の前にして、ころっと変わっていたというんです。
「やっぱり〇〇クンは、なにかをやる人だと思っていた」なんて。
「ねえ、年収いくらくらいになるの」と露骨に聞いてくるのもいたらしい。
三十歳も過ぎた未婚の女たちは真剣モード。離婚したのもいるが、特にそういう女たちは……(自主規制)。そんな女性たちに、今、言い寄られている、と言うわけです。
でも、こんなことってあるんですねえ。

しかしこれって、外部の人間が本人とは関係なく、勝手に格差を作って底辺に追いやっていた、ということですわな。
格差を作るということは、自分の優位性を保つことでもある。
で、また勝手に、勝ち組に祭り上げたわけでして。なんやねんこれって。
ちなみに彼は以前はしきりに「仕事、紹介したろか、そのままやったら、人としてアカンのちがうか」と何人かの友人に言われていたらしい。その紹介先は地元の産業会社。大勢の地元の友人たちがそこに就職している。ただ、条件を聞くとビックリだったと。それならライターでいる方が稼げるし、えっ、そんなんで嫁と子供、食わせていけるの? というレベルだったらしい。おそらくそれは派遣社員なのだろうと。驚くべきことに、本人たちはそれで満足している、というか、他の社会を知らない。そんなもんだろうと、思っている。そこが怖かったと。

これはだいぶ前のこと。
オフィスイチロウにスタッフとして雇って欲しいと一人の若者が来まして。
学生時代映画を撮っていて、将来映画監督を目指している、とか。学生時代に撮ったという映画も見せてもらった。まあ、映像に関しての知識はあるし、プロの現場の経験もある。
試しに使ってみた。鍛えれば面白くなるかも。そう思って、彼にオフィスの映像に関するあるパートを任せた。そうなると今まで撮っていたライブやロケの映像素材を管理してもらわねばならない。で、預けた途端、連絡不能になった。困りますわな。その素材の一部は契約条項も発生している。
結局、彼と連絡取れたのは十日ほどしてから。彼はなぜ連絡がとれなくなったのか、いや、とらなかったのか、については「自分でもわからない」と言うわけです。おそらく、責任というものを持たされたことでパニックになったのかもしれない、と私の推測ですけど。
で、彼は派遣社員として食っていっているので、「映画監督は諦めて、今のままの派遣社員でいます」と言って去った。なんやこれ。もっとも映画監督なんて作品の全責任を負う立場の人間です。ということは、この時点で、映画監督なんて無理。映画の現場が無理。ただ、できないことをやれるようにするのが、学習であり、修練であり、そのためのアシスタントになるわけだし、習作を作るわけでして。それができないとすぐに根をあげるのがいる。あるいは最初から「できません」と言っちゃったり。
彼ももうすぐ三十歳。
ちなみに彼の派遣社員としての扱いを聞くと、そんなことは終生やるべきことではない。そこから出るのはもう今しかない。彼もそう思ったらしいんですが、結果、クリエーターになるより派遣社員の方が彼にとってはラクだった、性に合った、ということなのでしょうね。でも十年後のことを考えると……。

今、日本における格差社会の問題は、パートや派遣社員の低収入や立場の不安定であることが問題視されていますが、その派遣社員で満足している人、特に若者が多くなっている、と私は思うのですが。いや、満足はしていないとしても、仕方ないなあ、こんなもんかなあ、と思っているきらいがある。それで選挙、に行っても変わらんやろうな、と思っていたなら、無間地獄。

わが塾にも小説家や漫画家、映画監督などになりたいといって通っていたのが、突然来なくなる、ということが多いわけでして、ほんまわからんのが、大抵は、派遣とかアルバイトに身を落としていて。で、書いていない。
そら、三十近くになって、漫画や小説書いていましたなんていう人を雇う会社なんてありませんわ。だから営業はやっとけと口うるさく言っても、営業はしない。というか、営業する作品が無いんだろうけど。
けどね、書くことを辞めて、そこにいる、いられる、それで平気でいられるということは、それが性に合っていた。書いて世に問うこともない。もっといえば、物凄い格差社会でなりたっている、実力と実績本位主義のクリエーターの世界に、負けた、あるいは才能が無いことに気がついた、ということなのかも知れません。
そおんなに難しい世界では無いんですけどねえ。

私が思うに、たいていの若い人は、ノーリスクで成功しようとしているように思えてならない。
派遣やアルバイトって、ノーリスクですもん。で、ノーリスクだから賃金は安い。誰でもできることですから。でもそっちの方を選んじゃうのが圧倒的に多い。
でも、我々の世界は、それとは真逆で、誰もできないことをやる、か、誰よりも凄い作品を作るか、の世界。
オンリーワンかベストワン。これを目指すわけでして。またそうならないと、食っていけない。継続できない。
そこが面白いし、刺激もあって、楽しい世界なんですけどねえ。

この項、続きます。









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2014年12月17日

選挙と平和

中山市朗です。

今回の選挙について思ったことをあれこれ書いたのに、データが消えた、と、前回のブログに書きました。
もう一度書き直そうとしたんですが、あれですな、終わるとなんか、もーえーか、となっちゃいました。
ただ、少しだけ言わせてもらえるなら、自民党が積年の目標として掲げた憲法改正、これをようやくやれるタイミングの機を逃さず、安倍さんが打って出た選挙だったということ。
安倍さんは、どうも体の調子がよくない、という情報もあります。とすれば、父子二代にわたる執念のようなものもあるでしょう。そんな安倍さんの命を懸けてでも憲法改正はやり遂げる、という執念に、野党の人々は太刀打ちできなかったというのが、今回の選挙だったと思うわけです。
マスコミは、今回の選挙は大儀がない、なんて吹聴していましたが、とんでもない。
自民党にとっては、憲法改正という大儀のための選挙であったわけです。
その憲法改正が、これからの日本になにをもたらすか、という見極めが、国民には必要だったわけですが、野党はアベノミクスの失敗を声高らかにして戦ったので、憲法改正と言う本質が国民に伝わらなかったということになった。このあたりも安倍さんの計算だったとすれば、安倍晋三と言う人はしたたかであったといえましょう。

さて、選挙後のマスコミに顔を出した評論家とか政治家とかジャーナリストたちは、戦後最低の投票率を嘆き、なかでも若い人の投票率が極めて低い、つまり政治への関心の無さについていろいろ議論をしたりしていました。
どうしたら、政治に興味を持ってくれるのか、どうしたら投票に来てくれるのだろうかって。

ほんまにね、今まで自虐史観を教えておいて、日本という国を誇りに思わなくなった若者たちに、国旗掲揚も国歌斉唱も拒否する、なんていう先生に教えてもらっていた若者たちに、今になって、政治に興味を持て、といわれてもねえ……。大人とは勝手なモンです。また、政治とはなにか、という教育もしていないでしょ?
政治とは議員たちが議事堂で答弁したり法をつくったりしていること、というイメージが若者たちにはある。私も若い頃はそう思っていました。教科書ではそう習った。退屈な授業だったという記憶しかないけど。
しかし、政治とはそんなものではない。
政治を学ぶことは、歴史を学ぶことである、と思うんですよ。
日本という国が歩んできた歴史。それは政治の歴史でもありまして、特に明治以降の近代史なんてそうですよ。
戦争も、政治が起こす。しかしその政治には、国民の意思も反映している、はずなのです。
そこに、日本と言う国にいる、日本国民のアイデンティテイが存在している。
特に太平洋戦争は、軍部の暴走で起こったことで、国民は犠牲者だったという考えもあるようですが、あの戦争は国民の民意であったし、戦争をやらない選択肢は、おそらく考えられなかった。
たとえばそういうことに興味が行くと、日本と言う国について、日本人について考えることになりましょうし、そうなってはじめて、自分というものが分かって来るんじゃないかと。だとしたら、その日本は今後、あるいは未来、どういう国としてあることが理想なのか、が、視野に入ってくる。そうなると、政治に興味が行くでしょうし、投票する意味も理解できるようになる、と思うんですよ。

若者が政治に興味が無い、ということは、肯定的に考えると、日本が平和である、ということです。
今の生活に不満が無いわけではないが、まぁ、こんなもんでええやろ。そういう状況の中では政治に興味が行かない。不満があったり、過度なユートピア志向があると、みんな政治に期待をし、改革や全体主義が現われる。
ですから、日本は平和なんです。
ただ、この平和は、自分たちの祖先や先人たちが血のにじむような努力や交渉、外交を重ねた、つまり日本国政府と日本国民が作り上げてきたものなんですね。戦争も、当時の日本人は良かれと思ってやった。日本は世界的に信用度が高い国ですが、それは先人たちが作ってくれたそういう積み重ねの賜物であるわけです。そういうことを大人は子共に伝えていくことが大切。平和はけっして恒久的なものではない、ということも、教えなきゃ。戦争も悪い悪いの一点張りの教育ではなく、戦争とは何か、なぜ日本は過去に戦争をしたのかについて、しっかり考えさせることも必要。私はそういうことに興味を持ってから、日本と言う国が好きになり、誇りに思い、だから憂うわけです。立派な国ですよ、日本という国は。
ただ、この国の未来の行く末は、確かに若い人たちに懸かっている。
若い人たちもバカではないから、いずれそこに気づくと思います。中国や韓国がバカなことをやるたびに、考えると思いますしね。
とにかく、平和なんです。今の日本は。

でも、政治家の中にも、歴史や戦争について無知なのがいますなあ。
こいつらが日本をダメにした。
だいぶそういう人たちは、今回の選挙で落ちましたけどね。










kaidanyawa at 02:02|PermalinkComments(0)

2014年12月15日

選挙のはらわた

中山市朗です。

わあー、2時間かけて選挙について書いた超大作のブログ。
投稿したら、なぜかデータ消えてもた。
めげるわー。

またいずれ、書き直しますわ。
今更なんで選挙?
なんて、そのとき思わんといてね。

kaidanyawa at 04:43|PermalinkComments(0)

2014年12月12日

ゴーストバスターズ

中山市朗です。

ライブのお知らせです。
ファンキー中村さんのライブにゲスト出演します。
皆さんの前で直に怪談を披露する今年最後のライブであります。
もっとも来年もいろいろご披露しますけど。

不安奇異夜話 亡念乃会2014
日時 12月28日(日)
場所 アメリカ村 SUNHALL
大阪市中央区心斎橋2-9-28 サン・ボウルB2
TEL 06-6213-7077
開場 18:00
開演 19:00
終演 22:00
チケット 4000円
当日券 4500円
別途ドリンク 500円
予約は、ファンキー中村さんのブログを参照してください。

ファンキー中村の"おっかねえかも知んない"話

さてさて、今日は『幽怪案内』配信の日です。
有料配信が3話。
#203 第246話「警備を辞めた理由」
#204 第247話「横断」 第278話「もみじの道」

「警備を辞めた理由」は、京阪電車、京都府某駅に隣接するショッピングセンターのお話。ネットではなぜか出てきませんが、この話をすると「あー、あそこ、出るよね」といろいろな人から言われました。
いずれ、ロケに行ってみたいですけど、中には入れんやろなあ。
「横断」と「もみじの道」は、関西テレビの「怪談グランプリ」の常連、盗聴バスターズのSさんの体験談。特別に私にお話を提供してくださいました。二話とも季節感あふれる怪異談です。

TBS −らじこん− 『幽怪案内』


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2014年12月11日

飲み代の甘き代償

中山市朗です。

「酒無くて、なんの己の桜かな。酒は百薬の長とか申しまして。しかし、飲まん方から言いますと、酒は命をば削るカンナ、まぁ、勝手なことを言うたもんですが……」
とは、現三代目桂春団治師匠が『寄合酒』という噺を演られるときのマクラでありまして。
さて、そういうお酒のシーズンになってきましたなぁ。
忘年会!
みなさん、忘年会あったら誘ってくださいね!
ただ、朝まで帰りませんからそのつもりで。
などと言う私は、お酒というか、そういう席が好きなので、わあーっとか言うて朝まで飲んで楽しんでいますが、嫌いな人にとっては、「あ〜ぁ、また行かなあかんか」とため息ついていらっしゃるんでしょうね。特に職場の忘年会なんて、半ば強制的なものでしょうから。
うちの塾生のほとんどは、お勤め人なのですが「職場の飲み会は嫌。おもしろくない。苦痛なだけ」なんて言っております。もっともそれはお酒が嫌いというわけでもなく、塾の後の飲み会には朝までいたりするので、飲む人や場の雰囲気によるということなんでしょうか。

私はもともとお酒は飲まないタイプでした。オヤジが飲めなかった。奈良漬け食べたらぼおっとなるくらい、酒はダメ。だから我が家で酒を飲むという習慣はまったく無く、自分も飲めないんだろうなと、勝手に思っていた。ビールもね、最初飲んだとき「なんでこんな苦いもん飲むねん。飲むヤツの気が知れん」と思ってた。それでも大学では飲む機会も多くなって、「あっ、俺、飲めるんや」と。安いサントリージンを飲んでいました。樹氷とかいう焼酎とか。で、一晩激論を戦わせる。でも、一人で飲むことは無かった。
一人で飲むようになったのは、三十歳過ぎたあたりから。
「飲まなやってられんわ」という事もありましたけど、やっぱり業界の人と飲むことが楽しくなったということでしょう。そして、そういう人と飲むことが、私のようなフリーの人間の営業活動でもあると気づいた。そら、最初は吐きました。見えんようにトイレでね。業界人はみな酒に強い。特に映画関係者や役者さん。飲む飲む。で、ケロッとした顔で次の日、普通に仕事をしとる。しかもテンションが高い。そういう人に憧れました。
お酒は飲むほどに鍛えられる、というのはホントです。
ある学者は「鍛えても酒の飲めない体質の人は変わらない」なんて言うてましたが、ウソです。鍛えられた人、いっぱいこの業界におります。
ちなみに「ちゃんぽん(ビールも日本酒も焼酎も洋酒も一晩に飲むこと)は悪酔いするというのもウソ。アルコールはみな同じだからそれはそれだけたくさん飲んだから悪酔いしたんです」と言っていた学者もいたが、てやんでぇ。私は洋酒一本飲み干しても朝は残らないが、やっぱりちゃんぽんすると、セーブしてても朝は吐きたくなる。学術と酒飲みは相反する存在でして。

ちなみに、黒澤明という人は凄い人で、夜は毎日スタッフや出演者たちと飲んでいるわけです。当時、まだマイナーだつた下町のナポレオン「いいちご」がお気に入りで。大分県でロケやっていたので。それまでウィスキー党だったらしいんですが。で、夜遅く部屋に戻られる。朝になると撮影コンテが配られるんです。どうやら、あのあと、部屋でウィスキーを一本空けながらコンテを書いているらしい。当時75歳。75歳がそんなんでしたから、20代、30代の若者が、しんどいとか眠たいなんて言っちゃいかんでしょう。そうやって鍛えられたんですよ。で、一晩飲むと、そういう人たちとは親しくなるし、そういう人たちの仕事に対する哲学というか思いを知ることが出来る。『乱』の現場には、私が少年時代に憧れたゴジラをはじめとする、東宝特撮映画に携わったスタッフたちもいたので、いろいろエピソードを聞かせてもらいましたよ。そういうことが後に財産になるわけです。引き出しが増えるんですよ。ですからそういう場は、我々フリーの人間には絶対必要なんですよ。映画や演劇の人たちは、これをしょっちゅうやっている。またこういう人たちって、普通じゃないですから、すっごく面白い。飲んでいてテンションも上がる。知と精神の栄養素。こら、寝てる場合じゃないよなって。

えっ、普通の職場にはそんな人いないって?
そうねえ。わかります。
こんなこと言うたらあれですが、高校、大学時代の友人は全部切りましたもん。飲んでておもろない。夢が語り合えない、刺激がない、サービス精神が無い。だったら家帰って寝るわってなる。

でも、職場での忘年会は、年一回のことですし、みなさん嫌がらんと出るべきだと思います。
これは、塾長として塾生を束ねたり、オフィスイチロウを作って仕事を拡張したりする立場となると、こういつたコミュニケーションは必要なんだと実感したわけです。どんな組織、グループでも、コミュニケーションは必要。ただこれがうまくいかない。束ねる方(会社の上司や経営者)は必要だと思っても、束ねられる方はそうは思っていない。いざとなったら辞めちゃえばええやん。て。束ねる方はそんな無責任なことはできない。その責任感は半端じゃない。考えて見ましょうよ。会社の上司や経営者の誰もが酒好き、飲み会好き、ということでもないはずです。個人レベルではめんどくさいなぁ、とか、経費かかるなあ、とか思っています。でも要るんです。ただ、その必要性を知っているから、会社で上の役職に就けた、あるいは経営ができている、とも言える。ですから、毎回の飲み会は仕方ないとしても、年一回の、これは行事なんだから、その飲み代でフィギュア買えるよ、とか、帰ってネトゲーやりたい、というのが最優先だとしたら、私だったら「替わりを雇うから、もう辞めてくれへん?」と言いたくなりますもん。そいつの無責任の代償のケツ拭くの目に見えてますもん。
だから、上司は部下を飲みに誘う。いや、知りませんよ。私サラリーマンじゃないですから。でも、心情としてはそうなのかなと。
また、「帰りたい」とか「飲み会なんて、意味わからん」なんて、そういうことを言うヤツに限って普段の飲み会は来ていないし、参加しても人と交わらないで、ケータイいじっとる。使う側からすれば、いつ、コミュニケーションとるねん、て。で、「お前も話にくわわれや」というと、ぶすっとして仕方なく「言われたからくわわってやるよ」って態度とられて。
で、結局場をしらけさせて「だから言ったでしょ」って、開き直られて。もう大変ですわ。
よく、政治家の不正に対して「俺たちの税金で食ってるくせによ」と怒る人たちがいますが、きっと飲み会に参加しない社員に対して「お前たちの給料、どこから出てると思ってんだ」と思っている経営者や上司、いますよ。
いや、そういうのが嫌だから、私はサラリーマンにはならなかったんですよ。

でも、結局、組織だとか、仲間だとか、つながりだとか、個人、フリーランスになってもそういうことから仕事は流れるし、人間関係の確認は必要なわけです。お金の流れは人の流れなんだから。そしてね、自分の作品に対してこのお金の流れを作れる人がプロ。プロって、自分の作品でメシ食っている人のことだから。だから、我々の世界にも、やっぱり飲み会があるわけです。
まあ、個々のクリエーターって孤独だから、それを癒すという意味も多分にありますけどねえ。

あっ、このことも言っておきたい。日本人は何かと言うと「外国では」「欧米では」という。
「アメリカやドイツでは、飲み会なんてありません。だから日本も飲み会なんて必要ないと思います」という人います。てやんでぇ(ここだけ江戸っ子弁なのは、大阪弁でやると「なにいうてんねん」と弱いので)。
アメリカ人はホームパーティが好きなようですし、欧州には社交界という特別な場があったりします。まぁ、日本の職場の飲み会とは、確かに雰囲気もノリも違いますけど。
欧米は契約社会。一般のサラリーマンの雇用形態は知らないけど、きっと会社同士は取引する上での厳しい契約条項が交わされているはずです。社員もやるべき仕事はするけど、それ以外はやらない、というスタンス。また、我々フリーランスの立場の者に関しては、プライベートな管理法まで決められることもあるらしいですな。『トラトラトラ』の契約では黒澤監督は酒を飲む量まで決められていた。たけしさんも、「もうハリウッドはこりごりだ」と言っていますし。契約書の文言は一言一句厳しく書かれていて、これを読むには弁護士がいる。契約どおりならなかったらクビ。ヘタすりゃ賠償。それだけの話。あと、ヘッドハンティングが普通にある。
「キミ、今の会社から、いくらもらっている。うちに来てくれれば、倍、出そうじゃないか」
アメリカ映画でよくあるシチュエーション。ああいう場で「いくら」と自分をマネージメントできるかどうか。
日本でも、無いことはないんでしょうが、基本的に「私にいくらの年棒をくれるのなら契約しよう」なんてドライな日本人て、あんまりいないでしょう。だからスポーツの世界がそうだけど、こういう交渉ごとは絶対に代理人を立てる。作家にもエージェントがいる。日本の作家にエージェントなんてまずいないですし、日本のプロ選手がフロントとの契約交渉に代理人を立てたなんて、まず聞かない。
そういう社会ですよ。
そら、各々が自己主張できて、責任を負えて、大きなお金が動かせて、かつマネージメントできるというのなら、酒の席を設けてのご機嫌取りなんていらんわ。日本は作品に関する契約はしますが、プライベートまでは縛られない。みんなでやっていこう、という和の文化。みんなでやっていくには、飲みの会は必要になるんです。まさか、ラーメン食べながらコミュニケーションはできないでしょう。
酒があって、まぁまぁみんな力を合わせて、信用とか、義理とか、助け合いとか、人情で動くのが日本人。和の日本文化というのがこれ。
一方、米国のような多民族国家は、やっぱり言語、風習、習慣、宗教、仕事に対するスタンスなどがそれぞれ違うので、一つの目的を達成させるための価値観を決めることが必要となります。だからこまごまとした契約を結ぶわけです。ある意味、そこまでしないと信用できない、ということでもあるわけです。そら、飲み会では意思疎通はできない世界だと思います。契約というのは、ある意味、平等を意味するわけです。お店と客は、日本ではお客が神様。向こうでは平等。たまに欧米でホテルやお店から横柄な態度を取られるのはそういうこと。逆に外国人が日本人のおもてなし、に感動するのも、それ。平等だからこそ、それだけ責任を負わねば成らない。契約が履行されたら、報酬がもらえるが、履行されなかったら、損害賠償してもらって、無かったら財産も没収するで、という契約文化なわけで。だから、向こうは、賠償金の額、半端やないでしょう。
『聖書』は神との契約が書かれていますからな。キリスト教はそう言う世界観ですからな。
一方、日本の神様は、なんか宴会ばっかりやっとる。そういう文化の違いを理解する必要はあるかなと。
なんか最近、評論家とかもそうですけど、都合のいいところだけ「欧米では」なんて言っておりますが、『聖書』は理解しているんでしょうかねえ。

で、これはいえます。
フリーランスの人でも、そういうことを大事にしている人は仕事がまわっているし、必要ないとして意固地な人は、少々テクニックやスキルがあっても仕事がもらえないでいる。だから貧乏する。余計、飲み会がもったいなく感じる。また意固地になる、というわけです。
よっぽど天才的なクリエーターは別ですよ。
「あいつ、人としては最低だけど、腕は確かなんだよなあ」って。
理想はこれなんでしょうけど。



ところで、塾の忘年会って、あるのでしょうか?












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2014年12月09日

1941 12 8

中山市朗です。

今日は12月9日。しまった! 昨日だったか!
なにがて、トラ・トラ・トラですがな。
73年になりますのやな。帝国海軍の真珠湾攻撃から。

12、3年前、私が某クリエーター系の専門学校の講師だったころ、ちょうど授業が12月8日だったので、12月8日とホワイトボードに書いて「今日は何の日」と尋ねた。このクラスがまた、半分が韓国からの留学生というものでして。
さっと手が挙がったのが韓国の留学生。日本の学生はきょとんとしとった。
「日本の海軍が真珠湾攻撃をして、太平洋戦争が始まった日です」と韓国人留学生。
そこから日韓併合について話したっけ。何を話したかあんまり覚えていないけど。
韓国の学生はいろいろと日韓の歴史を知っていましたが、日本の学生は知らない、というか、関心が無かったという方が正しい。今は違うと思いますけど。あの頃はあまり反日とか、そういうのは無かった。韓国の学生たちとはいろいろ深く話し合いましたけど。
一方、日本の学生は情けないほど近代史を知らない。東郷平八郎の名前も知らんとは、中学高校は、いったい何を教えているのや、と。情けなかった。

ということで、日本はなぜ、真珠湾作戦を行ったのか。そこに何の意味があったのか。これを知ることは太平洋戦争そのものを知ることであると思いますので、映画でも見て、いろいろ考えましょう。

真珠湾攻撃を題材とした映画、ベスト5

『トラ・トラ・トラ!』(リチャード・フライシャー、深作欣二、枡田利雄監督) 1970年公開。
〇真珠湾攻撃にいたる行程を日米双方から描く。真珠湾攻撃のスペクタクルシーンも見もの。クレジットされないが、脚本には黒澤明も参加。後に真実となった事件までも再現されている。

『ハワイ・マレー沖海戦』(山本嘉次郎監督) 1942年公開
〇海軍省によって製作が推進された。こちらは予科練で訓練を受ける若者から見た真珠湾攻撃。円谷英二のミニチュア使用の特撮シーンが見事で、戦後GHQが実写記録と思い込んでいたらしく、東宝にフィルム提供を促し、円谷はしばらく職を追われた。また、今もってこの映画のセットでの爆撃隊の発進シーンのスチールが実物の赤城から発進する海軍飛行隊の写真として紹介する雑誌や刊行物もある。

『ハワイ・ミッドウェイ大海空戦・太平洋の嵐』(松林宗恵監督) 1960年公開。
〇カラー、シネスコサイズの初の真珠湾攻撃再現映画。空母飛龍の搭乗員から見た真珠湾作戦と、ミッドウェィでの敗退を描く。実物大の飛龍の甲板のセットをはじめとして、一隻の艦船、一機の実用飛行機も無いところから真珠湾、ミッドウェイの両作戦を映画にするという当時の日本映画の底力が凄い! 特撮はもちろん円谷英二。

『真珠湾攻撃』(ジョン・フォード監督) 1943年公開
〇共同監督は、ハリウッドの名カメラマン、グレッグ・トーランド。ドキュメンタリーとして公開されたが実はドラマ部分も多く含む。アメリカのプロパガンダ的な映画として位置づけられるが、日本を必ずしも悪にせず、米軍部への批判と思われる部分もあり、ずたずたにカットされて公開。1991年にようやく完全版が公開された。

『聨合艦隊司令長官山本五十六』(成島出監督) 2011年公開。
〇いかに時代考証を鑑みても、技術、制作費の面で再現できなかった艦船、飛行機がCGにより蘇り、山本五十六の人物掘り下げもかなり成功したと思われるが、そのわりにスケール感が無く、映画としての感動を提示するには至らなかった。真珠湾攻撃のシーンもしかり。

ワースト3
『パールハーバー』(マイケル・ベイ監督) 2001年公開。
〇『トラ・トラ・トラ!』という見本があるのに、日本側の描写はかなり勘違い、時代考証のデタラメがある。この映画を見て「わぁー、凄い」とかいうてる日本人がいたら、鉄槌をくらわせてやりたい。

『地上より永遠に』(フレッド・ジンネマン監督) 1953年公開。
〇『シン・レッド・ライン』のジェームズ・ジョーンズ原作、バート・ランカスターやフランク・シナトラら豪華出演陣で描く、米陸軍の退廃と問題点を提示。ドラマとしてはジンネマン監督らしく手堅く評価できるが、そんな陸軍が日本軍が攻めてきた途端に強くなった! マシンガンでゼロ戦を撃墜? カギ十字や複葉機のゼロ戦?

『危険な道』(オットー・プレミンジャー監督) 1965年公開。
〇ジョン・ウェインが巡洋艦セントポールの艦長を演じる太平洋における艦隊決戦をクライマックスに描く戦争ドラマ。戦艦大和との壮絶な砲撃戦がある。ということは、全体的にフィクションである。なお、最初に真珠湾攻撃のシーンもある。だが、攻撃してくる日本軍の飛行機が映らない。全体的にスケールの大きな映画だっただけに、もう少しなんとかならんかったか、と思う。

こう見ると、戦術的には完全に米国側の敗戦だった同作戦だが、アメリカはこの事件をわりと映画にしていて、一方的に米国の勝利だったマリアナ海戦、レイテ海戦などはほとんど映画化されていないところが面白い。やはり、試練や苦境があってのドラマということか。
ちなみにレイテ海戦については『レイテ沖海空戦・永遠の海原』というアメリカ映画があるが私は未見。サントラCDはもっている(?)。また山本嘉次郎監督『雷撃隊出動』も比島へ進行する米艦隊に体当たり攻撃を仕掛ける雷撃隊の姿を映画化。しかも戦時の映画なのに、戦意高揚ともいえない不思議な悲愴感あふれる戦争映画であった。特撮はやはり円谷英二。映画にはホンモノの空母瑞鶴の勇姿も見られるが、公開時にはレイテのエンガノ岬に沈没していた。
ああ、無常。






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2014年12月05日

日中にかける墓

中山市朗です。

めっきり寒うなってきました。
地球に生まれて半世紀を過ぎ、もうそろそろ、暑いだの寒いだの、慣れてきてもよさそうなものですが、寒いもんは寒い。さすがの私もそろそろ暖房を入れようかと。
さっき、amazonで注文していたブルーレイ、ヒッチコック監督の『海外特派員』と、セルジオ・レオーネ監督の『夕陽のギャングたち』が届いたので、今から観よっと。あらら、同時に『上方怪談・街歩き』の原稿を催促するように、先日ロケをした写真が角川書店から大量に送られてきた。締め切りは10日か。まだ余裕あるな……。
日本唯一(ということは世界唯一)の怪談雑誌『幽』の編集部がメディァファクトリーから角川書店に移りました。それを機にいろいろな出版企画の見直しや仕切り直しが起こっているようです。メディアファクトリーが独自に作ってきた怪談というジャンルも、角川に吸収。来年出版予定の『怪談狩り』の第三弾は、角川書店からとなるようです。でも、聞くところによれば、売れない作家は容赦なく切り捨てる、という噂も?
怪談よりも恐ろしいやんけ!

怪談といえば、本日は『幽怪案内』の配信日であります。
第244話『中国人墓地』
第245話『パチンコ屋の前』
の2本が有料配信。

さて、気になる「中国人墓地」という題名。一時期北海道に赴任したことがあるという方から聞かせていただいた体験談で、もちろん私は、聞いた話を怪談として仕込んで語っております。
「中国人墓地」は、ネットで調べるとすぐに北海道有数の心霊スポットとして出てきます。
また、歴史的には戦時中、中国人を連行してきて、旭川市周辺の遊水地、あるいは道路工事に強制労働させ、228人中88人が殉難したらしく、その霊を鎮魂するために昭和47年7月日、旭川市、東川町と日中友好協会によって「中国人強制連行事件殉難慰霊石碑」が建てられたことから「中国人墓地」となったとあります。実際、その石碑からしばらく行くと墓地があるのですが、墓地そのものは日本人の名前の墓石がほとんどだとか。
この真相はなんなのでしょうか?
韓国は当時、日本でしたが、中国とは戦争をしていました。なので事実だとすると中国人は捕虜であった可能性もあります。ちょっとそのへんは、もっと詳しく調べて見ないとわかりませんけど。
昭和47年というと、内閣総理大臣に就任した田中角栄が「日中国交正常化を急ぐ」と語ったのが7月7日、続いて四日に中国の周恩来首相が「歓迎する」と表明したいきさつがあり、そこから日中の国交正常化が実際のことになるわけです。ですからそういう流れを配慮して作られた石碑とも考えられます。日中友好協会は、日中の国交が無かった頃からの民間団体で、おそらく草の根運動のような活動からはじまったものでしょう。ですから、日中国交が成ったとき、中国政府から「エセ日中」と目をつけられていたそうです。最近はちゃんとその実績が認められ、日中の関係に深く関与しているようです。
まあ、私、北海道に行った事がありませんので、現地に行くと、いろいろなことが判るかと思います。
歴史的な背景を考え出すと、怪談て、やっぱり不謹慎なものなんだなあと。しかし一方、怪談からそういう存在を知って、興味を持ち、調べるということも間違ってはいません。私の歴史に対するアプローチが、まさにそれですから。


TBS −らじこん− 『幽怪案内』




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2014年12月04日

最恐映像ノンストップ2 ボヤキ講座

中山市朗です。

コメントで狩人さんから、テレビ大阪で「4時間のオカルトものやりますよ」と知らせてくださったので見てみました。
見るならいっそうのこと、一人で電気消して見よ、と。
『最恐映像ノンストップ2』!
あれれ、あんまり怖くないぞ。
これは、ほんまに番組が怖くないのか、私の感覚が麻痺してしまっているのか、どっち?
このブログの読者のみなさんならご存知の通り、私は霊とか見ない「午前0時のさわやかウアインドゥ」ではありますが、もともとは怖がりでして。
怖がりじゃなかったら、怪談は書けませんし語れませんもん。
なのに?
そういえば、せん夏さんの浅草怪談に出演したとき、ぁみくんから心霊アイドルのりゅうあさんを「この子、幽霊が怖くないそうです」と紹介してもらいました。
「怖なかったら、怪談は表現でけへんよ」と、りゅうあさんに言うた私でしたが。
そういえば、あの日、怪談イベントが終わった後、出演者さん、スタッフさん、一部のお客さんとともに、花やしきのお化け屋敷にみんなで入ったんです。前に入った人があんまり悲鳴をあげるし、ぁみくんなどは腰抜かしとる。そんなに怖いんやと楽しみにして私も入ったのですが(お化け屋敷に入るの10年ぶりくらい)、かわいらしいお化けの人形や仕掛けがあるだけで、全然怖いことも起こらず、出口に。
「あれれ、もう終わった?」ときょとんとしている私を見て、みなさんは「さすが中山センセ。北野誠さんに幽霊見る努力せえ、といわしめただけありますねえ」やて。霊感とお化け屋敷の怖いのは関係ないですけど。
恐怖感覚が麻痺してる?
もはやこれは、職業病?
まあ、山の牧場で一泊し、京都の幽霊マンション、笠置ホテル、生首村など、ほんまもんのヤバいスポットを数々見て周り、真夜中に無人の霊園に忍び込み、墓石の前で怪談を語り、あの呪い面も被った私ですから、こおんなアソび、なんでもなかったのかもしれませんけどね。ふっふっふっ。
で、番組に戻りますが、番組内で紹介された映像のほとんどは何度か見たことのあるモノということもあったでしょう。「これは明らかにフェイクや」と思えるものもありましたし。ただ、「これがフェイクやとすると、凄い演出力や」と感心する映像も。おそらくそういうのはホンモノなのでしょう。か、プロの仕業。
おそらく映像は、制作会社がネットで探し出してきて、著作権をクリアにした上で番組に使用しているのでしょうが、「その後どうなったんや」と突っ込み入れたい映像がありました。こういうのは、一つか二つは追跡取材して、その後こんなことがあったという3〜4分くらいの怪談にすれば、ぐんと恐怖度とリアル度が増すのでは、とは私の感想。
事実、私の怪異蒐集はそういう一枚の写真、一本の動画からその背景にあるもの、そのときの状況、その後にあったことなどを聞き出して、肝を捜して怪談に仕立てるということをやっております。心霊写真、動画はその出発点。出発点なのにそこで終わることをテレビ番組はやってしまっている。私はこれはもったいないと思うわけです。でもテレビクルーが追跡取材をやると、ドキュメンタリーにしてしまって、それでは『ほん怖』になってしまいますしね。または、超常現象あるない、といった不毛な検証になったり。あるいは妙な霊能者を出してきて、これは浮遊霊だの、お祓いが必要だの、アホなこと言い出したり。で、怪しいオカルトものにして、自分のクビを締める。
だから怪談に仕立て上げ、語る。怪談はお話ですから。軽くていいんです。あるいはその映像に似たシチュエーション下にあった怪談を紹介する。それでじゅうぶん怖くなる、ハズです。視聴者の身近な現象となる、はずです。しかもバスでスポットを回っているという設定ですから。バスの中で怪談語らなくちゃ。『心霊タクシー』ならぬ『心霊バス』?
テレビは怪談には興味ないみたいですけど、結局視聴者の想像力にゆだねるのが一番恐怖をかきたてる方法だと思うんですけどねえ。

再現映像も、なるべくCGは使わない方がいい。安っぽいCGはすぐそれとわかるし、わかったときの醒め方は、恐怖とは反比例の作用を生む。創り手は作りやすいし、安くつくのでしょうが、作りやすいということは、素人でもできるということ。
『怪談新耳袋』では監督たちはみな、いかにしてCGを使わない演出をするかと工夫をしていました。CGを使わない演出となると、もう少し、恐怖とは何か、人間ならざるものとは何か、ということをディレクターたちは模索すると思いますよ。まあ、恐怖映像の演出は、キューブリック・クラスでもミスを犯すほど難しいんです。だからこそ、ですよ。
安易な再現映像には走らないでほしい。テレビはすぐこれをやっちゃいますけど。

第三部の『恐怖と戦慄の実話世界〜』のUFOレポートには興味が行きました。でましたなあ、MIB。番組ではこの言葉は使われませんでしたが。UFOのコーナーはやっぱりUFOを目撃したパイロットたちが、体験を語っているんですね。だから説得力が出ているんですよ。ただ、最後は刑務所からの脱獄の話になって、なんやこれは。怪異でも超常現象でもないやないか!
こんな終わり方でええのんか、バカモノ!
責任者、出て来い!
(出てきはったらどうすんねん)
謝ったらしまいや。
(アホか)
ごめんちゃい。

わがまま、勝手なことばかり、申し上げました。お前のボヤキなんか聞きとないぞ、というお叱りの言葉も無く、
(言うてはるわ、ドロガメー!)
中山市朗、心霊番組講座、これにて終了します。
 
船場花月より中継
構成・壇ノ浦茂

kaidanyawa at 01:10|PermalinkComments(7)

2014年12月03日

私は報告する

中山市朗です。

東京から戻ってまいりました。
ちょっと間が空きましたが、来られなかった人たちを後悔させるための報告です。
まずは先月29日「Dark Night 13」。
ゲストは山口敏太郎さん。
実は先々月でしたか、アワーズルームの竹内義和さんのイベントに出演していた敏太郎氏に招待されて、打ち上げに参加させていただいたとき、二人で秘密結社から裏社会の仕組み、日韓問題、はては古代史と濃い話で盛り上がりましたので、なにがテーマに来ても大丈夫かなと安心をしていたんです。
要は、テーマ。いつもは怪談を中心にやっておりますので、オカルトとなるとお客さんは何に興味があるのかが知りたいのと、そのテーマをお客さんからその場でもらったほうが、ガチンコトークになって面白くなるし、ライブならではの緊張感が出ると思い、客席に質問状を置かせてもらいました。
そしたらみなさん、聞きたいことはバラバラ。当然ですけど。でも、その質問を読みながらの楽屋トークが一番盛り上がっておりました。それこそライブでもピー音が入るくらい。特に、怪談界、オカルト界の裏話、人脈の話、噂話。特に盛り上がったのが人工地震の話。私は阪神大震災についてはいろいろ疑問もあり、二転三転した震源地や震度の報道、NHKなどの後の対応やスペシャル番組の内容、、某外資系企業の震災直前の撤退、あるいはベクテル社という会社と地震との関係、外国人犠牲者188人中、白人系の死者がきわめて少なかった(米国人二人、オーストラリア人一人、神戸でっせ!)ことなどから、私なりの考えもありまして。そしたら敏太郎氏も同じ疑問を持っておりまして、結論もだいたいおなじところに漂着。でもまぁ、これは確信をもって言えることではない。ただ、可能性としてあるかも、という話。けど、それが無いとも限らない。闇ですわ。もう一つ、阪神大震災は陰陽道からしても大変意味のあるキーワードが出てくる。もうそろそろ語ってもいい時期なのかな? あかん? 敏太郎氏はこの日、東北大震災についても、人工地震の可能性の話をしてましたっけ。そして、オカルト業界の黒い噂。これこそが、敏太郎節の映えるところ。そらもう、実名でばんばん。そういえば、ネットで私と敏太郎氏の不仲説も流れたことがありました。ということで、そういうこともステージで敏太郎氏にいくつか振ってみましたが、さすがに敏太郎氏はちょっと自重しておりました。でも、楽屋のトークは我が秘書、真名子が撮っておりますので、近いうちにオフィスイチロウのミニ動画にて公開したいと思います。おっと、それでは私もアブない。私の発言の部分はカットということで?
とまあ、それでも放送では聴けない濃いオカルトトークを敏太郎氏から引き出せたと思いますが、どうだったでしょうか?
特に第二部は、敏太郎氏が持参したUFO動画をはじめとして、UFOトークから、あのメン・イン・ブラックの問題へ。あえてこのMIBに今回触れたかったのは、今年になってMIB(と思われる)に関する体験談がいくつか拾えたことがありました。今回、それを披露したわけですが、なんなんでしょうね。しかも、一話はまた阪神大震災にも関わってくる話でして……。
今回も東京から来てくださっている常連客の方から「私はと学会にいるんですが、UFOの存在を否定しているMさんも、そういう事例があることは知っているので、どう解釈するのか、興味がありますね」と言っておりました。
でもまあ、MIBの話は、するたびになんか、命を削っているような危険を感じます。ほんま、なんなんでしょうね。

業界裏話もね、いろいろ質問してみたんですが、やっぱりちょっとはぐらかされた、というか、言ってはならないというか。でも、最近なぜテレビで心霊やオカルトものの番組が減ったのか、『ムー』しかオカルト雑誌が無いのか、ほんとうにフリーメーソンなどによる陰謀はあるのか、といった皆さんの知りたい情報はここにありまして。そこからまた真実も見えてくるわけでして。
そこのあたり、もっと聞き出したかったわけですが、まあ今回は初顔合わせということで。
またこういう機会を「Dark Night」で作って、またまた質問をぶっつけてみたいなと思います。
まあ、やっている方といたしましては、5時間が大変短こうございました。

翌日は、その山口敏太郎事務所所属の牛抱せん夏さんの「浅草せん夏怪談〜風の章〜千秋楽」にゲスト出演。
場所は浅草の花やしき。江戸時代にできた、日本最古の遊園地であります。
ここもいろいろ幽霊が出ると噂されるようで、でも、因果域には出るやろうなと。
浅草は千日前と同じ、浅草寺の門前町として栄えたわけで、もとは墓地。こういう場所が繁華街になるわけですよ。そして亡霊たちは娯楽や芸能が好きなようでして。
ただ、共演したパシンベロンはやぶさという女性芸人は、そういうことがわかるらしく、劇場のあちこちを指差しては「あそこにいる。むこうにも二人」なんて言っておりましたが、さっぱり私はわかりませんでした。いつものことか!
持ち時間20分だったのですが、トリを努めるせん夏さんから「長めにやってください」と言われ、30分。
そこで、ある怪談があって、はじめてある事象が怪談となる。そして二つ合わさって、完成をみる、という怪談を二話語らせていただきました。ZAZAのお客さんは濃い人が多いのですが、こちらは怪談慣れしていないお客さんも多いようで、反応がびゅんびゅん来るのが快感でした。
イベント終了後は、出演者一同に、お客さんとして来ていた、ぁみくんや女流怪談師の星野しづくさんたちと浅草のホッピー通りで打ち上げ。これがめちゃくちゃ楽しいやおまへんか。
そのまま二次会へ。あらあら、一人減り、二人減り。
でもせん夏さんたちは、始発電車の出る時間まで、共に飲み明かしてくれました。
なんか、意外にせん夏さんが恋愛にうぶなのがわかったので、面白がってみんなでいじってしまいました。
京極夏彦さんの名言が頭をよぎりました。
「怪談を語る人は悪い人だ」。

kaidanyawa at 00:10|PermalinkComments(5)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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