2015年02月

2015年02月27日

ミナミにやってくる怪しい奴ら

中山市朗です。

金曜日は、告知の日と決めているわけではありませんが、告知が重なります。

まず、先日好評に終わりました、LOFTPLASONE WEST 「月刊ムーの世界不思議紀行」の2回目公演が決まりました。1回目公演のとき、三上編集長と、飛鳥昭雄さんの話でいろいろ盛り上がりまして、打ち上げのときも、次回は呼ぼうか、などと冗談半分に言っていたのですが、なんと、冗談ではなくなりました。

4月15日(水)
大阪ミナミ LOFTPLASONE WEST
「月刊ムーの世界不思議紀行2」
18:00 開場  19:30 開演
前売り 2500円  当日 3000円
予約は3月14日より開始ということだそうです。
電話は、06-6211-5592(16時〜24時)

出演 三上丈晴(月刊ムー編集長)
    飛鳥昭雄(サイエンス・エンターティナー)
    中山市朗(作家、怪異蒐集家)
    ロビ前田  
    尾崎テロル

オカルトマニアは、絶対見逃せませんわな、こりゃ。

月刊ムーの世界不思議紀行2イベントHP

さて、「DARK NIGHT 14」も、ただいま予約受付中です。
こちらは、オールナイトで怪談づくし。未発表怪談をどんどん蔵出しします。

3月21日(土)
大阪ミナミ 道頓堀ZAZAHOUSE(中座くいだおれビルB1)
「DARK NIGHT 14」
23:30 開場  24:00 開演
前売り 3500円  当日 4000円
予約は、オフィスイチロウ・ホームページのトップにありますリンクからお入りください。

出演  中山市朗
ゲスト  わかぎゑふ(作家、演出家、リリパットアーミー供ζ鸞緻楮堕)
司会  半田あかり(松竹芸能)

オフィスイチロウHP


そして、本日は「幽怪案内」配信日。
前にも告知しましたように、らじこんのそものが、TBSのコンテンツから無くなると唐突に決まりましたので、撮り溜めしていた大作怪談を放出いたします。折を見て、いろいろなタイミングで配信する予定だったのですけど。

本日と来週に分けて「やめとかんに」というお話を配信します。
「やめときなさい」という、宮崎県の言葉だそうです。
長いお話ですので2週に分けたわけですけど。このお話は、人生に疲れ、自殺を考えた若い女性が、死ぬ場所を求めて九州宮崎県のある山奥の旅館に泊ります。
ところがここで、幾多の不思議な体験をするわけです。
とまあ、あまり言えません。
とにかく、聞いてみてください。
#225 「やめとかんに パート1」は無料で視聴できます。続きが聞きたい人は#226「やめとかんに パート2」を有料で。えっ? 「商売するなあ」て?
そりゃあ、それで食ってますねん。

「幽怪案内」は、TBSらじこんから。 ⇒TBS −らじこん− 『幽怪案内』






kaidanyawa at 13:17|PermalinkComments(3)

2015年02月25日

支那とはなんぞや?

中山市朗です。

戦後70年ということで、日本が行った戦争ということに関して考えています。
さて、いろいろブログに書くにあたって調べることが多くなって、調べていくうちに混沌としてきます。
特に日中戦争。

一つの事件に対して、いろいろな説が乱れ飛び、どれが真実やらわかりません。もう、過去のことですし、中国は特にあれからいろいろあって、記録なども無くなっています。当時報道された新聞などは、図書館に行けば閲覧できますが、これもどこまで信用できるものなのか。

ただ、日本が侵略戦争をした、というのなら、まずこの日中戦争とはなんだったか、ということを考慮せねばなりません。日中戦争こそは、その後の太平洋戦争とリンクするわけですから。

日本は、日中戦争の泥沼にはまり、消耗戦を繰り広げました。それは日本の自業自得だという意見があります。
いや、そもそも、中国内陸に日本軍が居た、ということ自体が侵略である、という人もいます。結局、被害者は中国人であり、日本人は侵略者である、と。
今の中国政府は、日本に対してそういう立場をもっています。韓国もこれに同調しています。
1995年の終戦記念日、そして戦後50年という節目に、日本の当時の総理大臣はこういう声明をだしました。
「わが国は遠くない過去の一時期、国策を誤り、戦争への道を歩んで国民を存亡の危機に陥れ、植民地支配と侵略によって多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えました」
村山談話ですな。
あの戦争の悲惨さを思うと、そういわざるを得ない心境はわかる。あのような戦争は二度としてはならない。しかし、日本の将来を担う若者たちにはやっぱり自虐的な声明であり、日本人としての誇りがもてなくなる。そうでなくとも教科書では、悪い日本、人殺しの日本軍のイメージを植えつけられています。まぁ、そこまで行かずに学年が終わって、結局何も知らない、という現状もあるわけですが。
なんにせよ、それが教育の場での日本の国旗や国歌を否定したりということになると、若者はアイデンティティを失う。大義を知らず、個人主義にひきこもる。個人主義は自由だ。と、これは否定されない。
これでは、ニートが増えるも道理。自分がなんとか食えればいい、という若者を作り出す。
そしてまた、争いごとはしたくない、という、ひきこもり平和主義者を作り出す。
でもねえ、ひきこもり平和主義というのは、楽なんです。なんにもしなくていい。
ただ、私が期待しているのは、そういうひきこもり平和主義者が、ネットでもって、日本の近代史の本質を知り、自虐史観から抜け出せば、彼らは積極的平和主義者となって、日本のため、世界のために何か貢献をするような存在になってくれるのではないか、ということなんです。だからこういうブログを書いているわけでして。

ちょっと村山談話を振り返ってみましょう。
「植民地支配と侵略によって、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大な損害と苦痛を与えた……」これ、日本がいうことじゃない。欧米の白人たちのセリフですがな。
考えてみれば、東京、横浜、名古屋、大阪、神戸など、日本の主要都市に一般人の家屋破壊と人員殺傷を目的とした焼夷弾でもって無差別攻撃、一面を焼き野原にし、また、広島、長崎に原爆を投下し、空襲での死者役100万人、被災者970万人は、アメリカの戦時国際法の違反である、ということは不問なのか、という疑問には、どうしてもつきあたる。沖縄では一般人が隠れている洞窟に向かって、火炎放射器を使っている。
「リメンバー・パールハーバー」という言葉があるが、真珠湾の攻撃はあくまで軍艦、軍事施設を狙ったものであり、国際法の違反は無かった。宣戦布告は、日本の外務省の怠慢で遅れたが、書面上の最期通牒も宣戦布告はあるわけです。むしろアメリカは、真珠湾のずっと以前から、中国大陸で日本と戦っている蒋介石の国民党軍に膨大な支援と資金援助をし、国民党空軍フライングタイガーに元米軍パイロットらが雇われ、すでに日本と戦闘行動を起こしていた、という証言もあります。そして、アメリカは巧妙に日本に対して戦争を仕掛けた、といわざるを得ない事実は、どう隠せどあるわけです。
もちろん、戦争を決断したのは日本の軍部です。しかしこれは、いきなりパールハーバーからはじまったのではなく、長い日中戦争からはじまっていたわけです。
中国と日本の戦争、ですが、中国の後ろにはアメリカがいた。なぜ、アメリカは中国の味方になっていたのか。

実を言いますと、この頃の中国大陸は、実に混沌としていました。
1922年、第一次大戦の戦後処理のために開かれたワシントン会議では、中国に関する条約を結ぼうと、アメリカ、イギリス、オランダ、イタリア、フランス、ベルギー、ポルトガル、日本、中国の九ヶ国の代表が集まっていました。ドイツは敗戦国で参加はしていません。ロシア革命が起こって建国されたソ連も、まだ主権国家として認められていません。とはいえ、これだけの国が中国に対して既得利権を持っていた、ということですね。
ここでフランス外相のアリスティード・ブリアマンは「支那とはなんぞ?」という疑問を投げかけます。このとき九ヶ国の中にいたのは、清王朝を打倒し、アジアで二番目の共和国となった中華民国でした。
しかし、その国境は明らかにされず、満州も中華民国のものなのかどうか、大きな疑問が残されていました。
我々は、どうしても、朝鮮半島といえば、今の韓国、中国といえば、中華人民共和国という、近代的な主権国家をイメージし、そのイメージを当時にそのまま当てはめてしまいます。そうなると、なぜ中国と言う主権国家に、よその軍隊が入っているんだ、という理屈になりますが、現状はそうではないんです。
今の中東を思い出すと、似ているかもしれません。いや、もっとひどい。国はあっても、民意や選挙で勝ち取ったものではない。清王朝が倒れた後、袁世凱という人が勝手に中華帝国を宣言し、中華皇帝に就いたこともあったのですが、周囲の猛反発をくらって退位しました。その後、このとき中国代表として席にいた中華民国も、まだ国をまとめてはおらず、実際は軍閥割拠していました。このときの中華民国の代表者も、袁世凱の元重臣だったりしていました。その上、主要都市は列強に押さえられていて、政治情勢は不安定、しばし内戦、紛争が起きる。無法地帯が広がり、人民は飢えている。国境線も定かではない。そうなると、イスラム国みたいな奴らも、たくさん出てくるわけです。彼らは、今のイスラム国の人たちのように、残忍で残酷でした。人を殺し、略奪することに何の躊躇も無い。
これ、日本とすれば対岸の火事だ、とのんびり見ているわけには行きませんよね。
アメリカやイギリスは、中国での権益、利益は欲しいが、本国とは離れた遠い国です。しかし、日本からすればそうではない。いつ、飛び火してくるか、戦々恐々です。
それに、ロシア革命の余波はありました。
新しく建国されたソビエト社会主義共和国連邦は、その名の通り、共産党支配による国でしたが、この共産党員というのがもう、無茶苦茶な破壊活動をやった。反共産党員をみるや、皆殺し。もっともこれは、食うに困った盗賊、匪賊、敗れた軍閥の残党、元囚人みたいなのが共産党ゲリラと称して、ソ連政府から支援してもらい、好き放題やったわけです。そういうのが、満州や中国北部にたくさんいた。
それが、1920年代の中国でした。そしてこれはその後も混沌としたまま続くわけです。

この情勢をなんとか安定させ、秩序をもたらすにはどうしたらいいか。
日本が出てくるよりありません。
中国は中国にまかせとけって?
それがまかせられない。まだまだ中華民国を主権国家とみなすには未熟で、人民の支持を得ていたわけでもありません。さっき言った軍閥割拠していた時代ですよ。そしてそのうち、今度は中国共産党軍とに分かれ、またまたドンパチをやらかします。かわいそうなのはそこに住んでいる農民たちですよ。九ヶ国会議により、一応中華民国は、主権国家として認められはしましたが、支那全体を統治する能力は疑問視されました。また、統治能力の無いことを証明する事件も引き起こします。

そして、共産党、社会主義。これは日本にとっての新たな頭痛の種となりました。これらは、日本が今推し進めている経済発展を止め、国を破壊します。清王朝の滅亡と辛亥革命、ロシア王朝の滅亡とソ連の成立。軍閥の分裂、蒋介石の国民軍、毛沢東の協賛軍、赤軍、白軍、そしてゲリラ。こんなんどうします?
中国のことや、ほっとけ、はないですよ。

当時の日本は、ひきこもり平和主義ではありません。ひきこもっていたのでは、真の平和など望めません。
まずは、中国大陸に秩序と平和をもたらせねばならない。そして、超貧乏な国になって、ほとんどの人民は飢えていましたから、経済支援もやらなきゃならない。
これが出来るのは、日本だけです。また、欧米も、それを期待します。
日本帝国、立ち上がります。
まずは、連合国の一員として、日本陸軍はシベリアに出兵します。1918年のことです。
このとき、日本は連合国の要請により、どの国より多くの兵を出し、国費を使ってゲリラ相手に戦い、苦戦します。そんなおり、尼港事件というのが勃発します。









kaidanyawa at 05:04|PermalinkComments(2)

2015年02月23日

明治残侠伝

中山市朗です。

前回のブログで、積極的平和主義と、ひきこもり平和主義について書きましたが、そのことで気になったことがあります。

たまに、女性に「どんな男性のタイプが好きですか?」と聞くことがあります。
「モチロン、中山せんせ〜い」と言われることも無く、期待もしていませんが、若い女性からは「優しい人」という返答が多いわけですよ。「優しい」といっても漠然としています。ですから「たとえば?」と聞き返します。
「なんでも言うこと聞いてくれる人」とか「怒らない人」とか「重いものをもってくれて、レディファーストの精神を持っている人」だとか、まあいろいろ出てきましたが。

黒澤明監督が、こんなことを言っていました。
「ドストエフスキーと言う人のやさしさは、普通の人間の限界を超えている。僕たちが普通優しい、というのは、大変悲惨なものから目をそむけるような優しさだけど、あの人は、目を背けないで見ている。そして一緒に苦しんじゃう。これはもう神様みたいな存在だ」
これはどうも、黒澤監督自身の体験から来たもののようで、黒澤監督にはすぐ上の兄、丙午さんがいたそうです。若くて自殺したそうですが。1923年、関東大震災が東京を襲った。外へ出ると焼けこけた人の死体がゴロゴロ。13歳だった黒澤少年は怖くて外に出られない。すると丙午兄が「明、来い」といって、明少年の手を引っ張って外へ出た。明少年は怖くて目が開けられない。すると丙午兄は「明、目を逸らすな。じっと見ろ」と言われたというんです。
悲惨なことから目をそらせることは簡単です。しかし、それではその悲惨なことを二度と起こさじ、という解決にはならない。悲惨なことをじっと見つめ、共に苦しんでこそ、この悲惨なことを二度と繰り返しては成らない、という気持ちが湧いてくる。原因追求もそこから始まる。それが本当の優しさだ、と。「丙午兄さんに教えられた」と。
でもその丙午さん、黒澤監督より4歳上、といいますから、当時17歳ですよ。
明治の日本の男は、こんな人がいたんだなあと。それも少年。

今の日本で、そんな男はいるだろうか。いると信じたいですが、引きこもってゲームをやったりネットを見たりしていると、そこに暴力は介在しないし、目に見える悲惨なことも見ることは無い。バーチャルではあるでしょうけど。つまりこの若者たちは平和主義であることには間違いない。ただそれは、自分が平和であればいい。引きこもり平和主義とはこういうことなのかなあと。女性に対しても、わずらわしいことにはなりたくない、という気持ちから、言うことを聞く、怒らない、ということになる。その本心は、女性に振られるのが怖い。抵抗されるのが嫌だ。だから男はおとなしくなる。女性を思っての優しさではなく、自分を守るための心情。それが優しさに見えるんですな。
本当の優しさは、力がなくてはいけないと思うわけです。
別に腕力というわけじゃない。意思の強さとか、いざという時の決断力とか。そういう力が、女性を守り、幸福をもたらすと。

国際的貢献ということが、今は問われる時代です。日本も世界中の国々と外交をもって貿易をして、経済的に利益を得ているわけですから、その恩返しはしなければならない。
国、としてのやさしさが問われるわけですな。
とすれば、世界で起こっている悲惨なことから目をそらせてはならない、ということになります。なかなかこれは、難しいことですけどね。
そして、国としての力を持たなければならない。経済力、技術力、発言力、貢献度、そして軍事力。そういうものが無いと、かなか国として力が持てない。日本は、今国力が落ちている、といわれていますが……。

鎖国を解いて、明治となり、日本が世界を相手に踏み出したとき、黒澤丙午さんのような男が、日本にはたくさんいたと思うんです。人間として、生きる。いや、なんというか、没我的な愛、悲愴な覚悟、というか、目先の利益にとらわれず、もっと大きく生きる。大義を持つ、というか。それに、日本の男たちは、いや、女性も、まずは義理人情の世界に生きていたのです。
周囲の人に対して果たさねばならない義務、損得感情を超えた、人の情、と言いますか、人の関係といいますか。近松門左衛門の戯曲などを読むと、この義理人情を理解しないと、なぜこの人は、こんなことをするのだろう、という疑問が残ったりします。でも、そこに、思いもよらない、無償の優しさ、崇高な愛があるわけです。
近松の魅力はそこです。
義理人情という言葉は英語にもフランス語にもスペイン語にも無いそうです。欧米は『聖書』の世界なので、契約で動くわけです。その契約は、お互いのメリットやリスクを明記し、書面として残しますが、義理人情にはそのようなものはない。そして、義理人情は、果たさなかったといって法的な罰則も無い。ここが、欧米の人たちにはわからないんでしょうね。
明治、という時代に、私はとても憧れるんです。物凄い時代だったんです。
侍が闊歩していた時代から、国民という言葉も無かったところから、法による国民国家を作り、ヨーロッパと並ぼうとした。国民というものを創った。そういう理想に燃え、実行していったのは、義理人情の厚い、元武士だった日本のインテリたちでした。
ただ、義理人情というものは、世界には通用しなかった。
ここに、日本の苦悩があった。
そして、今の日本人も、そういう明治時代の人たちの気質、気風が理解できなくなっている。今は、イデオロギーと損得勘定で人は動いていますからな。

なにが言いたいのかと言うと、朝鮮を独立国とし、白人至上主義からアジアを開放するんだ、という気構えと理想は、当時の人たちには実際あったと思うんです。もちろん、近代国家を創るためには資源も労働力も市場も必要で、それらを獲得しなければならないという現状はありました。
しかし、今の我々からすれば、経済的に何の魅力も無い行為を日本が国家を挙げてやるわけがない。そこには大きな利権があったのだろうし、すなわちそれが侵略なのだ、という意見が合理的に思えるんですね。


義理人情というのは、説明がしにくい。合理的な解釈もできない。
しかしこの日本人独自の考え方が少なくとも日本の近代史に関与している。そう思うわけです。
ただし、太平洋戦争の頃には、そういうものは日本人から消えつつあったと。

今は、義理人情なんて、昭和に置き忘れられた遺物……?





kaidanyawa at 21:53|PermalinkComments(8)

2015年02月22日

ひきこもり平和主義と積極的平和主義

中山市朗です

自信喪失し、大義を見失っている日本の、特に若い人たちへのメッセージとして、日本の近代史、とりわけ日本は侵略戦争をやったのか。ということを考察しております。その第五弾です。

何度も言いますように、何事にも立場の違う人たちから見れば、真実というものは一つではありません。
ある研究家が、「これが真実だ」と膨大な調査資料を参考にして論説を展開しても、「いや、それは違う」とまた、膨大な調査資料をもとにした、別の真実が出てきたりします。
「どっちが真実なんだ」と問えば、どちらも真実だったりします。
黒澤明監督の『羅生門』の世界です。
ですから、多くの国や国民、民族や宗教が関わり、それぞれが自分たちの利益のための行動をすれば、それだけの正義と悪が出てくるわけです。
ただ、正史とは、勝者の歴史です。
正史が教科書に載ります。
子供たちは、その教科書で物事を学びます。
日本は最終的には戦争に負け、勝った側の歴史観を受けざるを得なかったという面がありました。
ただ、私が子供の頃に受けた歴史の授業では、一方的に「日本が悪いことをした」「日本は侵略戦争をした」「アジアの人たちに謝罪しなければならない」と教え込まれました。いやいや、このこと自体は、けっして悪いことではない。
私の子供の頃の先生方は、戦争体験者の方も多く、悲惨な目にあったという人は少なくなかったはずです。
親兄弟や恋人、友人、仲間たちを戦争によって殺され、財産も無くした、という人も多かった。だから「この子供たちを二度と再び、戦場へやってはいけない」という思いはわかるのです。
こんなに、謝罪し反省する、という民族も無いでしょう。良いにつけ、悪しにつけ、ですけど。
ただ、私が子供ながらに疑問を持ったのは、先生方の「日本の国民は、当時の政府にだまされたのだ」というスタンスでした。この被害者意識がどうにも気に入らない。
大勢の人が戦争によって死んだというが、それはみんなだまされて死んだ、というのか。確かにそう言う側面はあったのだろうが、一方で戦争を推進する人がいないと、だましてまでも戦争を起こすということは無いわけで、きっと戦争を起こすには、そうしないと日本と言う国は滅ぶかもしれない、という切迫もあったはずだ。そういう考えが、正史からは除かれたのだ。
『トラ・トラ・トラ!』を観たり、戦記ものをよく読んでいた私はそう思った。あるいは、明治時代の人たちの立派な業績や思想、国への思いは、胸を打つものがある。なのに昭和になって、日本人はただお人よしの単細胞になってしまったというのか! そんなはずは無い!

私が黒澤映画のファンになったのも、古代史をオカルトから解く、という今の私を形成しているのも、そのことが要因としてあるのかも知れません。
黒澤映画の主人公は、強くなりたいと思う。強くならないと、人は幸せになれない、というのが黒澤映画の一貫したテーマなのです。
『生きる』の主人公は、役場の課長。癌を宣告されてから、判を押すだけの役所生活から、なんとか人として生きようとやっと行動を起こす。『七人の侍』の百姓は、秋になるとやってくる盗賊に、生きていくだけは残すよう頭を地べたにこすりつけて嘆願するか、戦うか、の選択肢から、戦うことに決める。『椿三十郎』の若侍たちは、三十郎という強い浪人に憧れ、正義のためにその力を欲しいと思う。『赤ひげ』も、保本という若い医者見習いが、赤ひげ先生の下、成長する物語。だがそれは、自らがそれを意識し、手に入れようとしない限りには、成長は無い。力なき正義は不毛である、と、私は受け取った。
ただ、このような映画はあまり日本映画にはみられず、木下恵介監督の『二十四の瞳』のように、戦場に行った男たちを幼い頃の瞳の思い出とする演出など、壺井栄の原作にあるとはいえ、なんか卑怯だなと、まあ、中学、高校の私は思ったわけです。こういう被害者意識が表現された映画や文学が、当時は評価され、インテリ層に受け入れられました。だから黒澤映画は、当時の日本のインテリたちは評価しなかったんです。
実は、成長する主人公、ということで黒澤明と共通するのが、私の中では宮崎駿なんですね。
しかし、晩年の黒澤は、それでも強欲で人を裏切る「無明」の世界に陥って『影武者』『乱』と創り、最期は師弟愛で終わります。わたしにはなんだか、じ〜んと来ます。
 
と、話は逸れましたが、そういうことで、悲惨な戦争があったことはわかったが、どうしてそのような戦争が引き起こされたのかを、大人たちは教えてくれない。わからなかったのかも知れません。
日韓併合のことも、ほとんど知らない。いや、数年前まで、そういう話はタブー視されていた感もあります。
だから、日本人は無知になる。無知なんだけど、無知だからこそ、謝罪しろといわれると、謝罪し、従軍慰安婦を認めろ、と言われると、認めちゃう。ということを繰り返していた。
これは、黒澤明じゃない、木下恵介だ、と。木下恵介、嫌いじゃないです。念のため。

だからこそ、戦争とはなにか。日本はなぜ、あのような戦争をしたのかを考えなければ、反省するばかりで、戦争は不毛だ、残酷だ、といったところで意味は無いと思います。また、日本がこれから国際貢献をするとき、そこを考えていれば、今後は日本はどのような立場でなにをするべきかもわかるはずです。
今日、読売TV「そこまで言って委員会」で、東京新聞、中日新聞の論説副主幹・長谷川幸洋氏が、いいことをおっしゃっていた。「日本はひきこもり平和論じゃいけない。私だけが平和ならいい、という考え。でも日本はグローバルな存在になっていて、それで利益を得ているのに、世界の困難には目を背ける。これがひきこもり的平和論。これは一言で言って、卑怯者」。
私が言いたいのも、そこ。
ちなみに、当番組で田嶋陽子先生が「日本は鎖国していたから外交ベタ」なんて言っていましたが、大間違い。黒船が日本に来ることは幕府は知っていたし、堂々の折衝をペリー提督に対してやった。明治となっても、明治政府や識者たちは、力の無い日本がなんとか、対等外交しようと血のにじむ努力をしたのだ、バカモノ。
 
で、なんだっけ、そうそう、ひきこもり平和主義。
日本が戦争をやり、中国大陸や東南アジアにその戦線を拡大していった背景には、この、ひきこもり平和論者では真の平和は得られない。また、国際的躍進も無い。そういう考えが当時の日本にあったのは確実です。
江戸時代の日本は平和でした。これはひきこもった平和でした。しかし、開国して、明治の時代になったからにはもう、それでは通用しない。
日本はグローバルな存在にならなければならない。そこには困難もある。犠牲も伴う。資金もいる。しかしこれを、この白人至上主義でなりたっている国際社会でやりとげねばならない。
これが、積極的平和論。つまり、平和を作り、維持するためには、戦わねばならない、というもの。

たとえば、日本が当時ひきこもったままだと、やがて、ロシアかイギリスかアメリカが来て、植民地化される可能性があった。いや、なっていたでしょう。
そのとき、「我々は平和主義者だ」と、無抵抗で植民地化されるのも一つの選択。
当時において、戦争をやらない、ということはそういうこと。
日教組の先生方は、これが正しい、という。
しかし、ロシア人が後に満州にいた日本人にやったように、ロシアに日本が植民地化され、日本人の女性たちが平然と強姦され、殺されても、日本の男たちがシベリアへ強制労働者として送られても、文句は言えない。それを承知で選択したのですから。まあ、日本国内で大暴動が起こったでしょうけど。
事実として、朝鮮半島は、まったく引きこもっていました。なにもしない。ただ、官僚たる両班のみが今まで通りに、中国に面倒みてもらって、今の権益を守っていればいい。それだけの国でした。その中国、つまり清王朝は、もう倒れようとしていたのに、その危機感さえもない。だから、ことがやっかいになったんですね。日韓併合が無かったら、朝鮮はロシアになっていた。当時の李氏王朝はその選択肢も眼中にあったようですが、これが実現して、朝鮮半島がロシアないし、ソ連になっていたら、今の韓国は無い。絶対なかった。旧ソ連だったリトアニアやウクライナなんて見たらかるでしょ。ああなってましたよ。で、そんな国が日本の隣にあったとしたら、どう思います? そして、日本もそうなったかもしれない。そうはなりたくないから、何もしない朝鮮半島を日本の保護下に置こうとした。ロシアは、それほど怖かったんです。西欧列強も、オスマントルコも、それで悩んでいたわけですから。
何もしない平和主義、というのもこのように問題なのです。
韓国は、今になって、必死で戦ったものに対して文句ばっかり言っている。この人たちも平和主義者ですよ。

ひきこもり平和主義国だった江戸時代の日本。この時代に、日本以外のアジア諸国は、タイを除いてほとんどが欧米の植民地になっていました。朝鮮は、西欧は来なかったけれど、中国の属国。その中国は清王朝でしたが、これだけ領土を欧州列強に分割されていたのでは、国としての体は成していなかった、というべきでしょう。
そして、日本が開国した。
途端に、ロシアの脅威が身に迫ってきた。ロシアは不凍港を欲しがって、朝鮮半島から南下して、日本海へ進出する。誰の目からも、それは明らかなこと。だから、朝鮮半島をめぐって、日清、日露の戦争をやった。ここは、何度も指摘した事ですね。
そして、国を近代化するには、資源がいる。資源を元にして産業を作らねばならない。強い軍隊もいる。そして産業によって生産された物品を買ってくれる市場を開拓しなければならない。経済活動の、基本ですな。鎖国をしていたため、取り残された穴埋めを急遽しなければならない。そして列強に並び、一等国にならねばならない。日本人は、みな、そう思ったんです。そのために、経済活動を海外に求める。ただし、今とは経済市場のあり方やルールが違う。何度も言います。帝国時代でした。
ここで、日本人は外国へ行くな、食うな、とは誰にも言う権利は無いでしょう。

江戸時代の日本国は、基本的には内需だけでこと足りました。
元禄時代に日本に2年間住んだ、というドイツ人医師ケンペルは、ヨーロッパで最初に本格的な日本についての著書『日本誌』を著述した人ですが、彼はその中で「日本は自給自足できる国なので、鎖国政策は不自然なことではない」と書いています。また、「民族が領域内で自足できるなら、他国を侵略することもないだろう」と、その理想的な日本の国のスタンスを理解しています。
このケンペルの『日本誌』はけっこう当時の思想家、啓蒙家に愛読されたようで、カントもこの鎖国政策は平和国家を創るものだと、日本を理想国家として論じたりしていました。
ただ、江戸時代の日本の人口は、だいたい3000万人から3200万人の横ばい推移が続いていました。このくらいの人口なら、国内でまかなえる。
しかし、明治13年(1880)の日本の人口は3600万人。その20年後の明治33年(1900)には4650万人と、大きく増加していきます。こうなると、内需だけではまかなえない。産業を起こして、経済的発展しないと、単純に国民は飢える。日本には資源が無いですから。となると、資源の輸入先と産業で生まれた物品を売るための市場を確保することを考えます。日本の国を近代化させるための、自由貿易が必要となる、ということですね。
ところがこの19世紀は、西欧が、もっといえば、イギリスとフランスの二カ国が、世界の大半を植民地化していました。つまり、この頃の世界市場と経済、はこの二カ国に独占されていた、といってもいい。
日本が、経済的発展していくには、この二カ国と張り合って、勝ち取っていくしかない。そういう時代でした。
日本は、日露戦争と、第一次大戦の勝利国として、じょじょに世界的地位を、列強としての地位を手にしていきます。とはいえ、日本はまだまだ貧乏な国でした。
20世紀になると、ここにアメリカ合衆国が加わってきます。
1910年頃、アメリカのフォード社は、フォードシステムの開発をします。これはT型フォード車を大量生産するために、ベルトコンベアによる生産システムのことです。チャップリンが『モダン・タイムス』で批判をしたのが、このシステムのことでした。
しかし、このフォードシステムによってアメリカは、世界一の工業生産能力を持つことになりました。そうなると、あとはこれを大量に売ることを考えるわけです。そのターゲットとなったのが、まだ混沌としていた、しかし大人口を持つ中国大陸だったわけです。
ところがそこに、日本が立ちはだかっている。
アメリカは、なんとか日本をこのアジア市場から排除しようとして、中国大陸内で中国人をたきつけて、排日運動をさせ、またそのための資金援助、武器の援助をするようになります。

太平洋戦争が起きる、これは要因の大きな一つとなるわけです





kaidanyawa at 22:25|PermalinkComments(3)

2015年02月20日

独立愚連編集長・西へ

中山市朗です。

18日、ロフトプラスワン・ウエストでのトーク・イベント「月刊ムーの世界不思議紀行」、盛況で終わりました。
新宿のロフトプラスワンは、昔はよく出ていたのですが、ウエストは初めて。宗右衛門町は私の庭みたいなもんなんですけどね。
「東京からゲストを呼ばないとお客が入らないんです」と支配人は言っておりましたが、やっぱり大阪から大阪のサブカルをどんどん発信していただきたい。関西にも面白い人、いっぱいいますから。また、それがこういう場所の使命、だと思うんですけどね。

で、この日の主役は、月刊「ムー」の名物編集長三上丈晴さん。
私、あんまり「ムー」では執筆していないんですが、実は三上さんとは、古いおつきあいなんです。
新宿のロフトプラスワンで、聖徳太子の謎をテーマにやったとき、聖徳太子は蘇我氏の仏教派ではなく、物部の神道派、しかもそれはヘブライに行く、という私の自説をとうとうと語ったんです。終わって楽屋に戻ったら、三上さんとト学会のメンバーで、作家、トンデモ説批判で有名な志水一夫さんがいらして、志水さんからは「ブラボー!」と拍手された。三上さん、まだ副編集長の頃でした。志水さんも亡くなられて。
一昨年、「聖徳太子・四天王寺の暗号」を上梓した際、三上さんがツイッターで盛んに「これは面白い」「凄い」を連呼され、熱心に原稿依頼をされ、ついに書いちゃった、という経緯もありました。

さて、この日も編集者という本来裏方である三上さんが、黒ずくめにサングラスという怪しいいでたちで来阪。
楽屋では、ステージではとても話せない話で大盛り上がり。一応、その様子はうちのメンバーがビデオで撮っているんですが、う〜ん、使えるのか?
近日リニュアルするオフィスイチロウ・ホームページより配信する予定ですが、あの部分を配信すると、物凄い反響を呼ぶでしょうけれど、消されるやろうなあ。確実に。
同じような話をあるところでしていて、「電車に乗るとき、背後に気をつけてくださいよ」と、言われたこともありますけど。
まぁ、それが「ムー」の世界。
でまぁ、楽屋では盛り上がったのですが、トークのテーマが無い。なんせトークの題名が「月刊ムーの世界不思議紀行」という漠然としたものですから。なので、まったく内容が決まらないまま、本番ステージへ。
聖徳太子関連で質問を受けたら、ということを考えて、いろいろ説得力のあるよう画像を取り込んだパソコンを持ち込んでいたんですが、全然使わんかった。
しかし、話は、ここは大阪のミナミ、というところから、「ミナミの帝王」「タッチ」の南ちゃんの話に。しかしそこから、なぜこのあたりをミナミというのか、という話から、だんだん裏歴史の話へ。我々にとっては、この裏こそホンモノの歴史、という認識なんですけど。
大阪人ではない三上さんは、アベノの方が南にあるのに、なんでミナミじゃないんだ、と思っていたようで、江戸時代までは千日前の墓所が南の端。この頃は寺と墓は不浄なものとして、町の外に作られた。それが、ミナミの千日前であり、北の果てがキタと呼ばれる梅田墓所であり、東の果てが京橋であったという話から、アベノハルカスの阿倍野から、陰陽師を生んだ安倍氏の話へ。そのあたりから、「ムー」にふさわしい、イニシャル・トークに。
陰陽師、聖徳太子、未来記、フリーメーソン、イルミナティ、フランス革命、モーツァルト、牛祭り、弥勒菩薩……。
「ムー」という雑誌は、読めば確かに怪しい。おそらく「ムー」の愛読者の人でも、内容を頭から信じている人はいないでしょう。それが正解。でもね、三上さんは、ほんとうの裏世界もちゃんと知っている。
物凄い知識と分析力がある。「ムー」に執筆するライターさんは、これ、大変でしょうな。
我々がマスコミを通じて知っている政府や経済の動きなんて、ほんとうに表面的なもの。で、そこを探ればいろんなものがつながってくる。それはもう、見ごとにですよ。でもそういう真実は当然隠されているか、言えば消される。そんな世界は確実にあります。権力とはそういうものです。
「陰謀論を語るヤツは無知蒙昧」なんていっている学者、評論家はそういわないとマスコミに出れない。
だから、三上さんの編集方針はブレない。本当のこともちゃんと編集の中に取り込んでいる。噂、とか、トンデモというオブラートに包まないと、そういうことは言えない。「ムー」から、何を読み取るのかは、読む人のリテラシー、教養にかかつているのかな、と。まったく意味の無い記事もありますけど(笑)。

客席は満杯で、作家の田中啓文さんも来ていましたが、いつもの私のお客さんのお顔があまり見られなかったので、やっぱり怪談を所望なのかなと。でも、こういう世の中の真実を探る話も、面白いですけどね。

イベント終了後、三上さんとミナミの街へ、飲みに行ったんですけど、きっといろいろ、覚えてないやろなあ。えらいことになったんですけど。

ということで、「大盛況でした」とお店の方も上機嫌で、カレンダーを片手に「今度はいつ?」と聞かれ、早くも第二回目もやる約束をしてしまいました。
次回の「ムー」トーク・イベントは、4月15日です。もちろん私も出ます。
詳細はまた、このブログかツィッターで。

さて、本日はTBSらじこん「幽怪案内」の配信日。
有料怪談動画が2本、3話。

#222  第269話「雨の日のスナック」
#223 第270話「山の女」「旅館の女将」。
「山の女」と「旅館の女将」は、同じ方のお話で連作といっていい。安曇さんの「山の怪談」を彷彿させる山のお話です。こういう人は、なんでそんな恐ろしい目に山であいながら、また山に行くのだろう。

TBS −らじこん− 『幽怪案内』

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2015年02月17日

白い恐怖

中山市朗です。

過去、日本がアジアに侵攻した、とされる戦争というものについて書いています。そのパート5、であります。
歴史、戦争というのは、検証するのは難しいものです。どちらか一方が完全に正義で、もう一方が悪、という単純なものではありません。そこは、痛く理解したうえで、考えてみます。
しかし我々が振り返る戦争や歴史は今の価値観から評価したものでしかありません。

100年前、世界の人々の平均寿命は31歳だったといいます。日本人で44歳。
わたしゃとっくに死んでまんがな〜。
医療技術、衛生、特に乳幼児の死亡率の高さ、それに食糧事情などが今とはまったく違うわけです。まずその食う、ということがね、ままならない。そんな時代です。今とは違う。全然違う。そんな世の中で、それでも人間は生きていかなきゃならないんです。生きる、ということは、おそらく当時はそれだけで大変なことであり、何かと戦うことだったと思われてなりません。今の我々のように、ぼおっと(それは私だけか……)していたのでは、生きていけない時代だったでしょう。
女性の地位も今のようなものではない。身を売る慰安婦でもならなければ食えない時代です。
道徳とか、人権とか、そんなことでは飯は食えない。
人間、空腹ほど苦しいものは無い。そういう概念をスッポリ飛ばして、今の価値観でもって、三度の飯を食っている我々がそれを責めても、それはほとんど意味の無いものだと思います。
それは、個人、家族だけではなく、国家も、生きていくために、存続させるために、必死で戦わねばならない時代だったでしょう。それは今も同じはずですが、当時は白人至上主義の帝国時代。国家による暴力が正当化されていた時代です。まずは、近代化された軍隊を持つ国だけが、世界で権益を得ることができ、そうでない国は植民地化されるしかありませんでした。まさに弱肉強食。しかしこれは、過去何千年とずっと続いてきた人間の歴史であり、欲望を持った人間の業によるものです。弱い者は虐げられ、過酷な生活を余儀されました。それが嫌なら、這い上がるしかない。それとも諦めて、過酷な現状に死ぬまで身をおくか。そんな時代です。
そんな時代の日本国民は、過酷な帝国主義の世界を知ってしまった日本人は、いったい日本と言う国に、何を求め、そのために何をしたのでしょう。
自虐史観によれば、権益を求めてアジアで侵略をした、ということになります。
そこを考えます。


前回は、日本は満州国を作った、とここまで書きました。これが日中戦争の勃発を呼び、大東亜戦争、すなわち太平洋戦争に拡大するわけですが……。

そうなるバックグラウンドを考えねばなりません。
話は今から100年ほど前、第一次世界大戦の終結のあたりに戻ります。
日本史において、あまり第一次大戦は重要視されませんが、日本もこの戦争に参戦しました。
日本はこの戦争には積極的ではありませんでして、局外中立、という立場で静観するつもりでした。しかしイギリスからの要請があって参戦したのです。日英同盟がありましたから。日本はすぐさま、中国山東省にあるドイツ領にあったチンタオなどを攻め、日本の占領下に置きます。1963年製作の東宝映画「青島要塞攻撃命令」にありますように、このとき日本は初めて航空機による爆撃作戦を敢行しました。この航空機はまだ複葉機であり、これも世界初の空母として海軍艦艇に籍を置いた若宮丸に搭載されたものでした。また、あまり知られていませんが、帝国海軍の特務艦隊は、地中海のマルタ島へ進出。同盟国の艦船の護衛にあたり、ドイツ・オーストリアの潜水艦とも交戦しています。絶大の強さと信頼度を得たそうです。
ただ、日本は第一次大戦での戦死者は500人に満たなかったらしい。しかし、フランス軍は140万人の戦死者を出します。いや、一般市民がまきこまれて大勢が死んだのです。
第一次世界大戦とは、鉄道輸送、航空機、潜水艦、戦車、大砲、ライフル銃、機関銃、ガス兵器と近代兵器を大量に使用した人類初の世界戦争でした。それまでの戦争は、欧州においては貴族の道楽、のような面もあり、若者たちも冒険やロマンを求めて、そして何より食えることもあって、こぞって志願兵となり、このときの戦争終結も楽観視されていたようですが、実際には地獄の様相となりました。足掛け5年の戦争で全体で900万人の兵が戦死しました。またこの戦争の途中でロシアに革命が起こり、レーニンによってソビエトという世界初の共産主義国が登場します。
この戦争の終結で、ドイツとロシアが脱落。真の列強国は、アメリカ、イギリス、フランスに日本が加わった4ケ国となりました。ほんの数十年前まで、鎖国をし、侍が闊歩していた極東の国が、たちまち世界の列強国になったのです。
このとき、アメリカが日本に警戒心を持つようになります。アメリカは、アジアにおいてフィリッピンを植民地化していて、ここを足がかりに極東支配をしようとしていました。
アメリカは、西部劇にありますように、大西洋から上陸したヨーロッパ人たちが、アメリカの原住民たるインディアンの土地を奪いながら、西へ西へと開拓していく歴史がありました。そして太平洋沿岸まで到達するわけですが、実はここで終わったわけではありません。彼らの欲望は太平洋の先に向いていたのです。そこに、日本という邪魔者が頭角を現してきた。しかも、海軍力を増強し、列強の仲間入りをしている。
快く思うはずがありません。
そんなさなか、第一次大戦の戦後処理をめぐっての講和会議がパリで開かれました。
1919年のこと、戦勝国の列強が協調して、平和的な国際政治を担い、秩序をもたらせようとするもので、翌年には国際連盟が組織されます。また、敗戦国ドイツは多額の賠償金を要求され、たちまちハイパーインフレに陥り、これが後、ヒトラーのナチス労働党を生む土台となります。
また、この講和会議で設立された国際連盟は、第一次大戦があまりに凄惨な戦争であったがために、おそらく、初めて国際的な平和維持、という思想の元、生まれたのではないかと思われます。近代戦争はまた、膨大な戦費を必要とします。経済的なことを考えると、国同士の連携、条約などを結びねそれぞれの権益を尊重し、自らの権益は守らなければ成りません。しかしこれとて、欧州中心の国際機構であり、列強国となった生意気な黄色人種たる日本は、やはり末席に追いやられました。日本はこのとき、画期的な提案をします。
「人種差別撤廃条約」の提案です。
日本の全権大使は牧野伸顕(のぶあき)伯爵で、国際連盟規約の前文に「各国民の平等及びその国民に対する公正待遇の原則を是認し」という一文を載せようというものでした。同時に「人種と宗教が戦争の原因であり、恒久的平和の実現には宗教に関する規定」も必要だと、各国に賛同を得ようとします。
国際連盟の理念は、平等、平和です。つまりはこれに反対する国は無いはずです。ところが。
イギリスのバルフォア外相は一定の理解を示しながらも「中央アフリカの人間がヨーロッパの人間と平等とは思えない」とし、結局イギリスは「イギリス国内には極めて由々しき問題を起こしかねない」と全権拒否。オーストラリアのヒューズ首相は、不愉快とばかり退席。日本は投票に持ち込み、19人中11人の賛同(2人が欠席)を得ます。国際連盟の議案は全部多数決により採択されています。つまりこれは採択です。
ところが国際連盟の提唱者である米国大統領ウィルソンは「全員一致でないとこれは無効」と否決してしまいます。議会は騒然とし、牧野伯爵は「日本案に対し、過半数の賛成案があったことを記事録に記述されたし」とウィルソン議長に迫ります。こんな骨のある政治家、今の日本におりまっか?

すると、しばらくして、国際連盟の提唱者たるアメリカが、脱退。第一次大戦の日本海軍の実力を見せられ、危機感を持ったアメリカは、米英仏日で「太平洋に関する四カ国条約」を締結。その代わりに日英同盟は解消させられます。
これはアメリカが太平洋地域における日本の孤立化を図るものでした。
同時に、欧米諸国では、日本軍の躍進、活躍を認めながら、黄色人種脅威論がまき起こり、マスコミはこぞってこの脅威を訴えました。アメリカでは移民法が可決され、これは排日移民法と言われるほどの日本人排斥運動を広めることになります。
昨年年末に公開された「バンクーバーの朝日」は、そういった排日のさなかの物語でした。

白人至上主義は、いかにしても変わりません。
ちなみに、「人種差別撤廃条約」は1965年にようやく国連で採択。発効はなんと1969年のことでした。












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2015年02月16日

酒と怪談の日

中山市朗です。

先日、24日深夜のバレンタイン怪談、無事に終了しました。
参加くださった皆々さま、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。
貴重な怪異談、いくつか使わせていただきます。

今回は、真名子が体調不良でお休み。
真名子ファンも来て下さっていたようですが、もちっとプロ意識を持つよう、真名子には言っておきます。

今回参加数はちょうど10人。いつもよりやや少なめでしたが、多いから凄い怪談が集まる、というものでもないのが、怪異蒐集のおもしろいところ。
常連さんから、初参加者まで、いろいろな職種の方が集まりましたが、この日は小児科のお医者さんという方が参加。お医者さんの参加というのは初めてでして、いろいろ貴重なお話が集まりました。医者だけに、やや、そういう現象を疑問視しておられて、そこにやっぱり説得力が出るものなんです。一本凄い話がありました。
病院、やっぱりなんかあるんですかねえ。
私が足の骨折をして入院したときは、な〜んなも起こらなかったんですけど。
また、ずっとお化け屋敷に住んでいて、子供の頃から家を出たかった、という女性の話も、奇妙でして。「それってどういうことなんでしょう」と尋ねられましたが、判るはずが無い。しかしできれば、そこに関わった人たちに詳しく取材をしてみたいお話でした。幽霊目撃の報告を受けて、警察と大勢の僧侶が一緒にやって来た、というお話も、なんだか奇妙で。えっ、詳しく知りたい?
さっそく整理して、出版物に書くなり、ライブやメディアで語るなりさせていただきます。

怪談会が終わって、残った皆さんと早朝からお酒を飲みながらいろいろ雑談も楽しみましたが、これも毎回楽しみなんですが、ちょっと寝不足もありまして、途中からダウンしてしまいました。
修行いたします。酒の……。





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2015年02月13日

告知病の仮面、再び

中山市朗です。

お待たいたしました。
「Dark Night Vol.14」の告知です。

3月21日(土)
開場 23:30
開演 24:00(終演は5:00頃までには)

場所 道頓堀ZAZAHOUSE(中座くいだおれビルB1)

出演  中山市朗
ゲスト わかぎゑふ(作家、演出家、笑殺軍団リリパットアーミー矯堕)
MC 半田あかり

入場料 予約 3500円  当日4000円

怪談三昧のオールナイト!

予約の方は、下記のアドレス、またはオフィスイチロウHPからお入りください。
140名で締め切ります。

中山市朗ダークナイトHP


また、オフィスイチロウのホームページも、近日一新する予定で、ちょっとバタバタしております。
いろいろご迷惑おかけするかも知れませんが、中山市朗情報をより早く、わかりやすく、豊富にお伝えする所存です。

明日14日のオールナイト・バレンタイン怪談もまだまだ参加者の募集しております。
こちらは、info@officeichirou.com
電話 06-6264-0981
ただいま、もうちょっとで10人ほどに。「Dark Night」はすぐに100人は埋まるけど、こっちはいつもなかなか集まりませんなあ。
やっぱり怪異というものは、そうは無い、非日常的なものであると。
ここが怪異蒐集の難しいところであり、楽しいところであり。
あっ、本日は塾などありまして、お電話は不在の場合が多いかと。

そして、本日金曜日はTBSらじこん「幽怪案内」の配信日。
有料で2本、4話をお届けいたします。

1本目#220
第264話「雪女」 第245話「渓流釣り」
2本目#221
第246話「昔の踏み切り」 第247話「りんご食うか」

「雪女」は実際に雪女は出てきません。でも、こういうなにげない会話が怪談となるわけです。
「渓流釣り」は、なんだかちょっと悲しい話。釣り好きであちこちいっている人なら、気づいていないだけでこういうの、目撃されているのでは?

「りんご食うか」は、大変妙な話です。これは、妖怪なのか? それっぽいですけど、よくわからん。しかし昭和のにおいがする、私の好きな話です。

TBS −らじこん− 『幽怪案内』








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2015年02月12日

戦後70年を考えようゼ! パート4

中山市朗です。

日露戦争における日本帝国の勝利。
これが、アラブの人たちに勇気と希望を与えた。そして有色人種も白人世界から独立できる可能性がある、そういう選択肢がある、と思わせた。アラブの人たちの親日は、実はこのときから始まった、ということが前回までに提示いたしました。
では、日本はどのような考えでもって、日露戦争をやったのか。


ロシアとの戦争は、日本と言う国が存続するか否か、そのくらいの危機感を持って戦った戦争でした。
ロシアは、日本が陸軍を開設した頃からの仮想敵国でした。それは地政学的観点から明らかでした。ロシアは不凍港欲しさに遼東半島に進出しようとしていました。
ロシアとオスマントルコが長いこと戦っていたのは、ロシアがトルコを叩いて地中海に港を作ろうとしたからです。それをイギリスやフランスが阻もうとしたわけです。そこでロシアは極東に目をつけた。ここには近代武装した軍隊が無い。日本が最近近代武装しているが、所詮、アジアの有色人種。まぁ、敵ではない。そこでまず、前哨戦として、日本海に臨むウラジオストクを清国との北京条約において得ます。ここは満州の一部でした。ヴォストークは東、ウラジーは領有、つまりこれはロシア語で東方を支配せよ、という意味です。ただ、ウラジオストク湾は、シベリアの大陸寒気団を直接受けるため、やはり冬は氷結しました。だからもっと南、つまり朝鮮半島のあたりに不凍港を得たかった。不凍港はロシアの国家的願望の一つだったわけです。

しかし、不凍港が遼東半島に作られると、ロシアの南下は本格的になる。オスマントルコが持っていたロシアの脅威と今度は日本が戦うことになる。そして遼東半島にロシアの大艦隊が入るとなると、そこを足がかりに日本へ攻めてくるかもしれない。そういう危機感。つまり、ロシアとガチンコに戦争をしたら、とうてい勝ち目は無いことはわかっていた。だから日本は中国を宗主国としていた朝鮮を独立させ、近代化させ、共に戦ってもらいたかったわけですな。しかし朝鮮は永年続いた中国への属国精神で政治は腐敗し、国家を守るという概念すら無い。なんとか朝鮮に独立してもらいたい日本と、いや、朝鮮は我が大清帝国の藩属である、という中国。
日清戦争はかくて行われます。日清戦争は、日本が勝利し、清国との講和会議が行われ、ここに朝鮮国は完全無欠なる独立国家であると定めた「下関条約」が締結されるわけです。
日清戦争とはなんだったのかと問われると、これは朝鮮を独立させるための戦争であったと言えましょう。つまり、朝鮮独立のために、多くの日本人が命を落としたわけです。もちろん、それは間接的に日本の防衛を意味したわけですが。
「下関条約」の締結後、朝鮮は大韓帝国となりますが、それは名ばかりでやはりまったく近代化する気が無く、財政は破綻していました。国家を運営する能力も無い。産業も無い。このままで、朝鮮はいとも簡単にロシアの手に落ちる。日韓併合策は、日本が朝鮮半島を植民地化するというより、国家防衛のための苦策であったといえます。
さて、19世紀の末から20世紀の初頭とは、そういう帝国主義の時代でした。
食うか、食われるか。
つまり、日本は白人の植民地となるか、それとも白人を真似て、有色人種初の帝国主義国家になるか。
さあ、あなたが日本国の未来を左右する官僚、大臣であったなら、どちらを選ぶか。

カチ、カチ、カチ……。

もちろん日本は、帝国主義国家としての歩みを選択します。
欧米以外の国で、そんなことを考えたのは、日本が初めて、そして唯一でした。
ところが、そうなると白人世界がそれを許しません。有色人種である日本が我々と同じ既得権益を獲得するとは何事か、というわけです。
日本は「下関条約」により、遼東半島を手に入れました。ちゃんと清国と調印を交わした、国際的ルールに基づいた条約です。それをドイツ、ロシア、フランスの三国で「それは無効だ。清国に返してやれ」と言ってきました。三国干渉というのはこれです。「下関条約」締結後、なんと6日後ですよ、こんなことを言ってきたのは。
「ええっ、なんで?」ですわな。西欧列強はそうやって領地を手に入れ、国力を増大しています。しかし、日本はそれが許されない。しかも、ロシアはわかるとしても、ドイツ、フランスは、こんな極東の小さな半島、そもそも関心などないはずですしね。
勘ぐるとすれば、遼東半島はロシアが欲しがっている。じゃあ、一旦弱体化している清国に返してやって、ロシアの好きにしてくれれば、オスマントルコへの介入や、欧州に兵を進めることもなかろう。そういう意図もあったと思われます。そして、ドイツは中国進出を狙っていたので、ロシアに恩を与えたということでしょう。ともかく日本は、それに逆らう力はまだまだありません。だから遼東半島は泣く泣く清国に返します。そして案の定、ロシアがここに進駐し、遼東半島を占領します。旅順の要塞はこの後機関銃などが備えられて大規模に強化され、後に日露戦争の大きな舞台となるわけです。

帝国時代とは、獲物を狙う国同士が、同盟や条約によって互いに牽制しあい、邪魔者は蹴落とし、厄介者は他に押し付け、利害がぶつからないよう、巧みな連係プレーを画策した時代でもありました。それはしかし、白人同士のものであり、そもそも帝国主義も、白人の利権を得るためのものでした。有色人種たる日本人は、またその仲間とはされていないのでした。
だからこそ、日本の軍隊は不法な行為をしないよう、徹底的された訓練と軍規がありました。それは、近代国家として西欧列強に認めてもらいたいたかったからです。そのための戦い、そのための防衛でした。
日本軍の強く、優しく、規律正しくを体現した軍人がいました。
柴五郎という中佐です。
日露戦争勃発の前、1900年、中国で義和団の乱が起きます。西欧列強に対抗した反帝国主義の結社が、外国排斥運動を展開し、暴動が起き、キリスト教徒が惨殺されます。その暴動はやがて北京に及びました。西太后はこれに協力し、清国も軍隊を派遣。列強に宣戦布告したのです。
ニコラス・レイ監督、チャールトン・ヘストン主演の「北京の55日」という映画はこの義和団事変を映画にしたわけですが、映画ではヘストン扮する米海兵隊やデビット・ニーブン扮するイギリス大使館の活躍が描かれていましたが、伊丹十三がこの柴中佐を演じていました。あれはハリウッド映画でしたから、柴中佐は脇役扱いでしたが、実際は、柴中佐率いるたった25人の日本軍の活躍が目覚しく、また、戦乱から避難してくる教民、支那人たちを匿う篭城作戦に出ます。そして同時に義和団に包囲されていた英国大使館の救援もたった8人で成功させます。そして、列強からの再三の要請に応え、援軍を送り、結果、義和団の乱を終結させます。
柴中佐と日本軍の勇敢さと規律正しく、また礼儀義正しさに各国は賛辞と賞賛、そして信頼を得ます。また、避難民たちは日本兵の笑顔や振る舞いに心安らいだ、といいます。三国干渉では馬鹿にされていた日本を、信頼できる国と軍隊であるという評価が欧米列強からなされたのはこのときでした。しかも、義和団の乱終結後、欧米の軍隊は地元で略奪や放火、暴力、強姦事件を起こしましたが、唯一日本軍だけは厳しく軍規を守り、そういう蛮行は一切行いませんでした。この頃の日本の兵隊は、ほんとうに立派だったのです。これには欧米列強のみならず、支那の人々からも大きな信頼を得たといいます。
これが元となって、「栄光の孤立」を誇りにし、どの国とも同盟を結ばなかったて英国を動かし、日英同盟が結ばれました。
白人と有色人種が始めて平等な軍事同盟を結んだのです。

ロシアはこのとき、ズルをします。義和団の乱を鎮めるためという名目で、軍隊を遼東半島まで派遣しますが、乱が終結した後もそのまま居座り、これが日露戦争を生むこととなりました。
三国干渉して、清に返せ、といった遼東半島を案の定、ロシアは自分のものにしてしまったわけです。しかし、歴史の綾というのは面白い。日露戦争で日本が勝った一番の要因は、日本海海戦におけるバルチック艦隊の掃滅でしたが、バルチック艦隊は、日本と同盟関係にあったイギリスによって、スエズ運河を通してもらえず、喜望峰をぐるりと周ってインド洋に出て、さらに遼東半島を目指しました。
いったいバルチック艦隊は、どのコースから来るのか、日本海軍はその予測をし、艦隊の配備をしなければなりませんでした。しかし、バルチック艦隊と対等に戦うには、全艦でもって迎え撃つしかない。もしものことを考えての艦隊分散案を蹴って、疲れて燃料もないバルチック艦隊はきっと最短距離の対馬を通ると確信して、東郷平八郎司令官は、全艦隊を対馬沖に配備し、結果、勝利しました。日英同盟があって、日本はロシアに勝ったわけです。

義和団の乱の翌年、西欧列強、アメリカ、ドイツ、オーストリア=ハンガリー、フランス、イギリス、ロシア、イタリアに日本を加えた列強国と、スペイン、オランダ、ベルギーの仲介国、11ケ国と清国との間に、北京議定書が交わされました。このとき交わされた内容に基づき、日本軍はそのまま清国に駐兵を置くこととなりました。それは、弱体化した清王朝、がために混迷し、飢饉、飢え、内戦や抗争の続く中国に秩序と安定をもたらすための駐兵でした。清王朝はとても人民を顧みて、政策を行うという力もありません。この頃中国では、飢饉や内乱で年間数百万人が死んでいたわけです。飢え死にしたその人肉は、獣の肉より安価で取引され、それで飢えをしのぐ。20世紀の初頭とはまだまだそんな時代だったのです。また、国家として混迷し、経済的な破綻がある国の管理、保安を、列強国が行うことは認められていた時代です。
毛沢東はこういった人民を「貧困で無知無学」だと言っていました。
さて、日中戦争が起こります。
これが、大東亜戦争の引き金となった、という論説もあります。
中国大陸に日本軍が侵略のために攻め入って、中国人に対して残虐な行為を行った。今の中国がそう言って歴史を反省しない日本を非難しています。

いやいや、待てよ。あれは侵略のためではなくて、歴史の流れを見ろよ。「北京議定書」による仲介のために兵隊を置いていたのだ、と日本政府は言いたかったと思います。。
それがそうでなくなったのは中国の事情にありました。とういうのは、中国革命が起こって、「北京議定書」の調印をした清帝国が滅亡してしまったんですね。国号も中華民国になってしまった。したがって、「北京議定書」は無効。「日本軍は不当な駐兵をしている。出て行け」と、たちまち逆賊扱いされたわけです。ロシアのウラジオストクに関しては、何もいわないのにね。ただ、日本も勝手に満州国を作った。ここが反発を食らった。「そんなもの、中国は認めない」というわけです。いやしかし、これとて、考えればわかるでしょう。
満州が無かったら、混沌とした中国にロシアが攻め入った可能性があります。ひょっとしたら、ロシア、もうソ連か。日本、中国国民党、共産党軍による泥沼戦争に突入していたでしょう。ロシアというのは恐ろしいのです。いやその前に、満州が無かったら朝鮮がロシアになる。これは後の歴史が実証することになります。近代化する日本にとって、やはりロシアの脅威はそのまま存続していたわけなのです。

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2015年02月11日

戦後70年を考えようゼ! パート3

中山市朗です。


本日は、2月11日、「建国記念の日」であります。
皇紀2674年であります!
国旗掲揚しましたか?
してない?
あっ、私もや。なんせマンションですさかいに。
心の中で、させてもらいまっさ。
ということで、我が祖国、日本について考えています。

日本が過去に起こした戦争について。
日本はアジアの人たちに対して悪行を働き、迷惑をかけた。
特に中国、韓国からはその過ちに対して何度も謝罪を求められ、外交の駆け引きに使われ、反日教育もされている、と言います。韓国の人たちの多くは、日本との併合時代を恨み、朴大統領から「千年の恨み」と言われました。そして日本人も、戦後教育によって、自虐史観を教えられ、近代史を学ばなくなり、自信喪失した若者が増えている、と私自身のこれは体感です。
今の我々の感覚からすると、戦争なんてとんでもない。戦争は悲劇を生み、大勢の人たちが殺し、殺される。暴力は、結局暴力を生み、解決されるものは一つも無い、と思うわけです。戦争の仕方も変わりましたしね。
私も当然のことながら、戦争は嫌です。ああいうものは、映画の中だけのものであってほしい。そう思います。

しかし、今から100年ほど前は、全世界が戦争をしていた。そういう時代でした。そして日本も戦争をやった。
なんのために?
そこを考えないと、ただ「戦争はいかん。日本はアジアに侵略をした」だけでは、何も見えてきません。そういう言葉だけなら小学生でも言います。
日本は、ほんとうにアジアに対して、侵略をやったのか。自分たちの祖父、曽祖父が戦った戦争とは、なんだったのかを、一度考え直すことも必要なんですけど、いろいろな見方があるわけです。いろいろな見方はあって当然でして、歴史などというものは、たくさんの国、大勢の民族たちによって揺り動きます。一方の国、民族には正義であっても、敵対する国、民族にとってはそうではない。こちらにはこちらの正義がある。
正義と正義の戦いです。そして、勝った方が正義とされ、負けたほうは侵略者として裁かれ、責任者は処刑されます。東京裁判ですね。しかしそれも、一方から見た歴史。
明治になって日本は近代化し、我々はその恩恵を充分に授かっています。しかし一方、近代化とは近代的な軍隊を持つことであり、戦争をすることで近代化を促進させる、という面があったわけです。
そう、当時に置いて、戦争をせずに近代化する、ということは、まず不可能だったと思われます。
そのへんのところ、客観的に見てみようと思い、そこでまずは「アラビアのロレンス」の時代の中東の情勢から、日本を見てみようと試みるということをやっています。3回目の連載です。

アラビアのロレンス、トマス・エドワード・ロレンス中尉が、アラブ民族たちと砂漠でゲリラ戦をやっていたのは、第一次世界大戦の時代です。アラブの利権は、裏で西欧列強が虎視眈々と狙っていました。
西欧列強、とくにこの頃は、イギリスとフランスが、積極的な植民地政策を推し進めていたのです。
エジプトがまた、この英仏の利権争いに巻き込まれていました。もともとエジプト王朝はオスマン・トルコを宗主国としていましたが、英仏はエジプトとオスマン帝国の切り離しを画策したわけです。
エジプトは、実は有色人種の国にあって、最初に近代化を試みた国だったんです。ところが、結果的にこれは失敗しました。インフラには莫大なお金がかかる。しかも、スエズ運河の問題も抱えていました。
スエズ運河は1869年に、10年の歳月をかけて完成されました。この運河によって、それまでの西欧諸国のインド洋進出は、アフリカの喜望岬をぐるりと周らなければならかったところ、40%の時間、燃料の節約が可能となりました。これによって、西欧のアジア進出が盛んになります。帝国時代の幕開けは、このスエズ運河の完成から、と言ってもいい。で、このスエズ運河はフランスと、近代化を進めるエジプトとの共同作業であり、建設費も両国でまかないました。しかし、運河建設においては、エジプト側が過酷な条件をのむこととなり、大量に集められた現場作業員たちのほとんどはエジプト人でしたが、ほとんど奴隷に近い扱いで、感染病が流行ったこともあり、大勢が亡くなったといいます。結果完成したスエズ運河だったわけですが、エジプトは無理が祟って財政難に陥り、最終的には、イギリスにスエズ運河のエジプト特株(全株の44%)を売却してしまいます。
このときの英国首相はディズレーリという人でしたが、このときは議会の承認を得ずに彼の独自の判断で買収を決断。その資金の出所は、やはりユダヤの大財閥ロスチャイルドだったんです。
ロスチャイルドは言ったそうです。「で、あなたの担保物件は?」
秘書官は応えました。「イギリス政府です」
フランスはこの頃、メキシコ遠征の失敗、プロシアとの戦争(仏普戦争)での敗北、それにフランスを孤立化させようとするビスマルク外交などにより、政治情勢が不安定となっていました。そこでイギリスは軍隊を派遣し、事実上エジプトを占領。保護国としました。
また、映画「望郷」や「カサブランカ」の舞台でおなじみのアルジェリアはフランスによって占領されていました。中東、北アフリカの占領政策は、まず、西欧列強のアジア進出の足場でもあったわけです。
白人は、有色人種の国を私物化することに何の躊躇も慈悲もありませんでした。

考えてみましょう。この「アラビアのロレンス」のわずか50年ほど前のことです。日本が鎖国を解き、明治政府ができたのは。そのキッカケは1853年、ペリー提督率いる黒船の来航でしたが、その8年後にアメリカで南北戦争が勃発します。これは黒人奴隷の存続、廃止を主張して、合衆国が南北二つに分裂して行われたいわゆる内戦でした。つまり、日本に開国と近代化を勧めたアメリカは、まだこのとき、奴隷政策をしている国だったわけです。テレビドラマ「ルーツ」や、映画の「アミスタッド」に描かれていたように、アフリカで黒人たちを勝手に拉致し、自分たちの国で売り飛ばした、それをやっていた国です。そのアメリカ大陸の西部開拓も、インディァンの土地に白人たちが勝手に入ってきて、抵抗するインディアンたちを大量に虐殺し、追い出したという歴史でもありました。

近代化した軍隊は、非白人である有色人種には脅威であり、何をもっても打ち勝てなかったのです。また、白人たちも、近代化された軍隊と工業力こそが世界を制覇する、とばかりどんどん植民地化政策を推し進めました。特にイギリスは、アフリカのケープタウン、エジプトのカイロ、インドのカルカッタを拠点とした3C政策でもって、帝国時代にのし上がって行きます。あちこちで民族蜂起、反乱は起きるものの、すぐに沈静化され、ますます不平等な条約や政策、そしてヨーロッパ式の法理体系を導入されます。支配された国家、民族は重税にあえぎ、自主性を認めてもらえません。それが帝国時代というものでした。

ところが、そんな中東や北アフリカの人たちが大いに歓喜し、大きな希望をみいだす大事件が勃発しました。
日露戦争による、大日本帝国の勝利でした。
帝政ロシアは、オスマントルコの宿敵でしたが、西欧諸国も帝政ロシアの存在は脅威でした。ナポレオンも、あのロシアの前に敗れた。そんな無敵のロシアに、あろうことか、有色人種であるアジア人が勝った。
もう、中東や北アフリカでは大変な歓迎ぶりだったそうです。
トルコ皇帝は「ロシアに対する日本の勝利は我々の勝利である」と宣言しました。まあ、そりゃそうですわな。ロシアとは何百年も戦争をしているが、一向に勝てない。戦費はかかる。オスマン・トルコの衰退はここにあったといっても過言ではない。もうトルコの人たちのこの日本に対する感激、感動は、今の我々の想像以上のものだったと思われます。
この日露戦争における日本の勝利で、中東、北アフリカでの日本の認知度がいきなり上がったのは事実で、日本に関する書籍なども大量に出版され、独立運動の機運を喚起させました。中東の人たちの、いまなお、親日的な態度は、実はこのときからはじまったわけです。
エジプトの民族解放指導者となるムスターファ・カミールは「日本人こそは身の程をわきまえさせた唯一の東洋人である」と言い、イランの詩人で開放の父と呼ばれるシーラーズは「日本の足跡を辿ったならば、我々にも夜明けが来るだろう」と言い、アフリカ開放の父とされるデュボイスは「有色人種は日本をリーダーとして従い、人種平等、民族独立を達成すべきである」と証言しました。
「アラビアのロレンス」の時代における、アラブの決起もそういう背景があったわけです。
米国の黒人たちも、有色人種は白人に勝てないという構造がここに崩れたことを実感し、日本人もまた、同じ歴史を持つ有色人種であることを強く抱いた、といいます。

ちなみに、小さな有色人種である日本人が、巨大な白人であるロシア人に勝ったという事実は、当然ながらロシア人にも大きなショックを与えました。
現代のロシアの大統領プーチンは、柔道極真館の八段だそうですが、ロシアは柔道が盛んなんですね。これは小さな日本兵が白兵戦でロシアの兵隊を圧倒したことから大きな関心を持たれた、というある種コンプレックスから来たと思われます。

日露戦争における日本の勝利。
これが日本においてどんな戦争であったのかは、まず置いて、世界中の有色人種が白人主導の帝国主義に対する抵抗感、反発心に希望を与えたのは事実です。
日本にとっては、もうキリキリの勝利。ここで日本が負けたなら、西欧列強の勢いはますます強まり、日本はロシアに飲み込まれていたでしょう。
帝国主義とは、そんな時代でした。

kaidanyawa at 08:24|PermalinkComments(0)

2015年02月06日

告知病の仮面

中山市朗です。

本日金曜日は、諸々告知の日であります。

告知が遅れましたが、怪談マニア、ファンは必読「幽 22号」が発売されています。今回は小泉八雲特集。私は特集に関係なくマイペースで「上方怪談・街歩き」を書いております。連載10回目の今回は、ゲストに作家で演出家、エッセイストで女優、笑殺軍団リリパット・アーミー兇瞭鸞緻楮堕后△錣ぎゑふさんをお迎えしております。
この人、「私は見ない」といいながらも、結構奇妙な体験をお持ちで、しかも演劇関係の怪談にも詳しいんですよ。
実は、過去二度、怪談ライブで共演もしておりまして、次回の「Dark Night」のゲストに来ていただく予定です。
「Dark Night」の次回公演は3月中ごろ。詳細については、もう少しお待ちください。

「幽 22号」は、全国書店にて発売中。今回から版元がメディアファクトリーではなく、KADOKAWA(角川書店)になりました。

そして、来週の土曜(14日)の深夜よりオールナイトの怪談会を催します。こちらは、私の取材を兼ねた怪談会ですので、参加費は無料。ただし、怪談を一話は語っていただくことが必要です。
まだまだ空きがあります。ご遠慮なくお申し込みください。
膝を付きあわせての怪談会。本来、怪談とはこのように行うものだと思います。
怪談好き、集まれ!

参加希望者は、メールで。
info@officeichirou.com。
お電話ならば、オフィスイチロウ(私の書斎直通)まで。
06-6264-0981

18日(水)は、ロフトプラスワン・ウエストにて、「ムー」編集長三上さんとのトーク。

18:30 開場
19:30 開演
出演は、三上丈晴編集長
     ロビ前田
     尾崎テル
     中山市朗
当日2000円  当日2500円(飲食別)
お問い合わせは、ロフトプラスワン・ウエストへどうぞ。
電話 06-6211-5592(16時〜24時)

そして、本日はTBSらじこん「幽怪案内」の配信日です。
私が語る有料配信の怪談2本。今回は2話お送りしております。
#218 第262話「赤いドレスの女」
#219  第263話「ブルートレイン」

「赤いドレスの女」は、ある海水浴場に隣接したキャンプ場での話。こういうのが、幽霊、なのでしょう。
このキャンプ場、いろいろ他にも噂はあるようです。

「ブルートレイン」は、その名のとおり、特急列車の幽霊が登場します。
一度、この駅には行ってみたいと、ずっと思っています。
このお話くださった方、そろそろ行きません?

TBS ‐らじこん‐ 『幽怪案内』

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2015年02月04日

アラビアのニッポン

中山市朗です。

ヨルダン軍パイロット、モアズ・カサスペ中尉が、実は殺害されていた。しかも焼き殺された、と、もう無茶苦茶ですな。一方ヨルダンは、ただちにリシャウィ死刑囚の処刑を行い「復讐は全国民に衝撃を与えた。この惨事の大きさに比例する規模になる」と声明を出しました。

よく、こういうニュースがテレビなどで報道されると、コメンテーターが「とても人間とは思えない残虐性だ」「人間がこんなことをするとは思えない」などと必ずコメントを出しますが、私はいつもここに違和感を感じるのです。
「違う。人間だからだ」と思うのです。
この地上にいる人間以外の生物で、かくも残虐な生き物はいないでしょう。肉食の獣は、他の動物を襲って食らいますが、それは食物連鎖。自分の生命を維持するための手段です。人間のみが、大量殺戮を行い、無慈悲な殺生を行うわけで、人間の歴史とは、この殺戮の積み重ねであった、と認識せねばなりません。だから、そのようなことが起こらない、平和な世界を作らなければならないのです。そして我々日本人は、おそらく世界で一番、平和な、満たされた国にいるのでしょう。

以前、NHKだったか、戦争について若者が考え、意見を交換する番組がありました。
ある若者がこういうことを言いました。
「愛があればそんなことにならない。みんなが愛するということを大切にすれば、戦争なんて起こるはずがない」
するとこんな反論がありました。
「その愛する人が無慈悲な殺され方をしたとしたら、君はそれを許せるのか。愛するものを失って、復讐心が湧かないか」
そうです。愛があるから憎しみがある。愛憎とは紙一重です。
この愛憎があるからこそ、人間は残虐である……。

人間は残虐であるからこそ、この地球上を支配した、ともいえましょう。
人間第一。人間の幸福。いや、人間のあくなき欲望のためなら、人間は手段を選ばない。また、人間同士でもそれはある。自分が第一、自分の幸福、いや、自分のあくなき欲望のためなら、手段を選ばない。他人を蹴落とし、他人の不幸を喜ぶのも人間の特性です。だから一部の欲深き人間は、地位と名誉を欲し、ライバルや邪魔者を消していく。一方民衆は、そういうカリスマ的指導者を待ち望み、支配されることを望む。
歴史はこれを繰り返してきたわけです。
そして、平和を享受すると、人間は退屈をして、殺戮、殺人を楽しむ。
退屈、という感情も、おそらくは人間のみが持つ感情でしょう。
古代の人間は、この退屈しのぎを殺人ゲームのようなもので楽しんでいました。
戦争をして、負けた国の住民や民族は殺すか奴隷にする。奴隷の存在は「聖書」でも認められていました。そして奴隷同士を戦わせ、どちらかが死ぬとゲームオーバー。などという競技は、おそらく世界のあちこちで行われていたと思われます。古代ローマの剣闘士がそうです。西部劇なんて見ると、絞首刑を公開し、見物客で賑わう。日本も江戸時代までは罪人を市中引き回しをした上、斬首してさらし首。もちろん見せしめの意味があったでしょうが、娯楽的要素も無かったとは言えません。スポーツも、もともとは狩や戦争の代替のものであるわけですし。また、神への生贄などと称して、古代中国では、大量の異民族を殺しましたし、日本にも人柱の風習はありました。
 
だが、人間は残虐だからこそ、慈悲という感情も生まれた。この慈悲の心を持つのもまた、人間なのですね。
残虐性と慈悲の心。これが、人間たらしめる、そんな気がします。

今回のISISのあまりにも無慈悲な残虐な行為は、けっして許してはなりませんが、ちょっと待て、とは思いませんか?
ISISが主張するように、彼らもまた、米軍、それに加わったフランス軍、それにサウジアラビア、ヨルダン、カタール、バレーン、UEA連合による度重なる空爆で、大勢の子供たちを含む一般人も殺されているわけです。いやいや、もともと、米軍の空爆が、ISISを作ったともいえるわけです。そこは非難されないのか?
そしてそのまた根源は、私がブログに書きかけている、アラビアのロレンスの時代、西欧がアラブの人たちの意を無視して、自分たちの利害のために勝手に作った国家、国境線にまで行き着くのです。
これはなにもISISの人たちだけではない。アラブの人たちに反米、反欧が多いのは事実です。日本がアラブの人たちに好感を持たれているのは、一つには日本のハイテク技術にあるのですが、これも一時期、アラブの国々が欧米の電化製品の購入をボイコットしたときに、代わりに日本製品が輸入されたという経緯があるわけです。日本製品が中東諸国にあふれている(堂々とニセモノの出ているようですが)のはそういうことなのです。
つまりは、日本は欧米とは立場が違う、しかしそれ以上のハイテク技術を持っている、というところが、アラブの人たちに親日感情をもたらせた、ひとつの要素だったわけです。彼らと同じ、有色人種ですしね、我々は。
だから「日本もこれからはテロのターゲットだ」というメッセージは、その日本が完全に欧米と協調した、だから敵となったのだ、ということなのでしょう。これはISISだから、ではなく、アラブの人たちで、「あれれ、日本は欧米と手を結んだのか。残念だな」と思っている人は多いのではないかと思われます。
もともとアラブの人たちが不満に思っていること、欧米諸国の利害のために利用されていることへの反抗、反発している人たちがいるのは確かです。どうしても欧米の風習や教育が、砂漠の民たちには受け入れられない、ということはある。国より部族が優先、という独自の価値観もある。これを否定される覚えは無い。だから欧米の言いなりになっている政府が気に入らない。だからといってドイツやフランスへ行っても差別される。仕事は無い。貧困は解消されない。そこに重なった空爆。身内を失い、子供を殺され、家も失ったことが、動機となって、過激な反欧米主義の人たちを生み、このような組織が生まれた、という側面も想像されます。だから欧米諸国に関知されない、自分たちの国を創るんだ、イスラム国だ、という発想になった。
彼らの過激な暴力は、欧米に対するその憎悪と復讐心だとも考えられます。そしてたとえ同胞のイスラム教徒であっても、いや、イスラム教徒だからこそ、欧米に屈する態度は、神の意思に反するとしたわけで、こういう同胞の人たちにも危害を与えるわけです。こういう感情は一旦芽生えると、もう歯止めは効かない。しまいには仲間内の抗争になっていきます。地獄です。おそらく悔い改めるなんてことは、無いでしょう。
人間の憎しみや復讐心とは、そういうものです。ダーク・サイトです。
今回、ヨルダンの空軍パイロットが焼かれて死んだ、というのはほんま、無茶苦茶ですが、しかし、これは無差別爆撃を受けた側からすると、爆撃を受けて大勢の一般人や子供が焼け死んだ、ということの報復だと考えられます。捕虜を焼き殺すことは残虐で許されないことだが、無差別爆撃で子供たちが焼かれて死ぬのは、国際社会は容認……。
「おかしいやろ、これ」
と言いたい気持ちは、わかりますよ。
日本人だって、戦時は墜落して捕虜となったB29のパイロットをリンチした事件もあったそうですからな。
まあ、国際社会はそれを容認しているわけではなく、ただその惨状を伝えていない、ということなのですが。

何度もいいます。ISISの行動は断じて許されるものではありません。イスラム教とはもう関係の無い組織です。傭兵を金で雇ったり、勧誘もしているようです。いや、これとて食うに困った貧困層の人たちが、食うためにあえて雇われ、地獄の世界へ参加している、という面もありましょう。たとえこの世が地獄であっても、死にたくは無い、いやせめて、家族だけは飢えさせたくない、殺されたくない、という、もう……。
このあたりの中東の事情は、恵まれている私たちには、もう想像だにできないものでしょう。
だから、後藤さんのようなジャーナリストが現地へ行き、その惨状を伝えようとしたわけです。その惨状は、彼らが望んだことなのか? 彼らにとって、欧米こそがテロ以上だ、と言う考えは、持っては成らないのか。
 
ともかく、我々は少なくとも今回の事件で、中東という地域を意識するようになりました。
だから、日本人はこれを機に、欧米だけの価値観に従属するのではなく、日本国としての、日本人としての考え、立場を明確にしてもいいのではないかと思うのです。

日本は70数年前、まさに欧米からテロ国家のように扱われ、主な都市は空爆で壊滅させられ、原爆も二発落とされ、焦土化されました。殺戮ですよ。
私、以前、大阪の京橋に伝わる怪談を取材していたんですが、大阪大空襲の話がどんどん出てきた。こういう話は知ってはいたけど、いざ生の声を取材すると、もう……。朝の通勤電車が京橋駅に停車しているところに、直撃弾が落ちたんですよ。しかも環状線と片町線が交差したところ。正確な死者がいまだ把握できていないそうです。おそらく、学校へ通おうとしていた学生や子供たちもたくさんいた。それが……。こんなん戦争ではない。大量殺戮。大阪だけじゃないですからな。また米軍は、木造家屋を焼き尽くすために焼夷弾を使用した。これはもう、軍事施設が目標ではない。一般市民の殺戮が目的です。今、アラブで同じようなことが起こっているのですよ。
そして、なんと無慈悲な東京裁判。あれは、白人世界に縦ついてきたからだ、という指摘もあります。
アラブも非白人の世界です。
アラブの人たちが日本人に親しみを持つのは、これもある。
「我々と同じ境遇だ」というわけです。日本とアメリカが、だから仲良くしているということが、どうも理解できないそうです。

中東は、ISISが生まれる前から、ずっと戦場でした。これは誰のための戦争なのか。誰の命が奪われているのか。そして、誰もそこを非難せず、一方の残虐性のみを伝える。日本は欧米と同じスタンスにいるから、流れる報道は欧米から見た中東です。中東の立場から、というのは見えない。欧米の価値観に沿わないものは悪。あるいは無視。
ISISのような無法者を生んだ要因には、そういう偏重な世界の目もきっとある。ああいう、過激なことをやらないと、世界は関心を寄せてくれない。だからあんなことになった。
まぁ、そういう中東の実情を弱いものの立場から、なんとか知らせようと活動していた後藤さんを処刑したISISは、言語道断です。狂っていますけど。

ともかく、ずっと私は欧米と中東問題を、過去の欧米とアジアという問題に合わさるように見てきたわけです。そして、日本のスタンスに少なからずの違和感を持っていたわけなのです。テロは許さじ、はその通り。ISISに理解を示す必要も無い。しかし、アラブの人がなぜに親日なのかを分析すると、日本がまた欧米とは違う立場からの貢献のやり方があって、それをアラブの人たちにできたのでは、と思うのです。自衛隊の人道支援は、アラブの人たちに評価されていますけど。そういうこともその一つですけどね。
でも、今の欧米のやり方だと、復讐、応酬、憎しみ、復讐、応酬……、の連鎖しかない。これでは、たとえISISが崩壊してもまた別のテロ組織が出てくるのは必至。
しかしまぁ、21世紀になっても、戦争は続くのか。
ですから、「人間とは思えない残虐性」というコメントを聞くたびに、なんだかその人が偽善に見えてくる……、わけです。
もっとも「この残虐性は人間ならではですなあ」とも言えないのは百も承知ですよ。きっとそういうコメントを発している人もわかっているとは思うんですけど。

日本人は、少なくとも明治時代の日本人は立派でした。
世界に対して言いたいことを言い、実践するだけの力もありました。
マスコミや教育の場ではよく、「戦前の日本に戻るのか」などといいます。戦前の日本がさも戦争が好きで、残虐行為をアジア諸国でやってきたのを反省しないのか、ということを言いたいのです。しかしですよ、その戦争をやったのは、兵隊に行ったのは、我々のおじいさん、ひいじいさんたちですよ。彼らは、するとなんの感情も無い、残虐な鬼であったというのでしょうか。そりゃ、いやいや兵にとられた人もいるでしょうが、そこに大義を見出して、我が祖国日本のために戦ったおじいさんたちもいるのです。それを信じて戦死した人もいっぱいいるわけです。では、その祖国のため、とはなんだったのでしょう。

とすれば、やっぱりその戦争とはなんだったのか、を、反省反省だけでなく、ちゃんと学ばなければならないのです。その上で、日本とはなにか、日本人とはどういう民族だったのかが理解できる。反省するにしても、どこをどう反省すればいいのかもわからないでは、ほんとうの反省にもならんでしょう。
それが戦後教育から抜け落ちたから、自虐史観だけを植えつけられ、がために、今の日本人からアイデンティティが失われ、欧米の価値観に従属するしかなくなったんですよ。大義というものも失った。

欧米がこうするから日本はそれに従う。欧米がするなと言ったから、日本はやらない。
これでいいのでしょうか。
白人至上主義というのは、今も残っています。そういうことにも、ちゃんと苦言を呈することができたのが、本来日本人であったはずです。
このブログの最初の方に書いたように、日本は平和です。身の危険を感じることもなく、死を意識することも無い。若者はゲームやネットに夢中。夢のような世界、かも知れません。それは、これも何度もいう。過去の日本人が血のにじむ努力と、実際に血を流した人たちによって、作られたものです。そして、今の我々の父、母にあたる世代が懸命に働いたからです。
この平和は、だから次の世代の人が受け継がなければなりません。しかもこれからは、日本だけの平和は、おそらく無い。世界の情勢、動向を見極めながら、平和国日本を維持していかなきゃならない。そして、国際貢献を積極的にやらねばならない。そのためには、やはり、歴史を知り、日本人としてのアイデンティティを、誇りを持たないと。


こういうこと書き出したら止まらんぞ。
ということで、また、次回からは、再び歴史を通じて日本と言う国をみてみます。










kaidanyawa at 17:26|PermalinkComments(9)

2015年02月03日

ジャーナリズム!

中山市朗です。

前回のブログで、ISISによって殺された後藤健二さんについて書きましたが、実は我が作劇塾でもこのことは話題になったんです。先週の金曜日でしたから、湯川さんが惨殺されたニュースが入っていて、後藤さんはまだ束縛されたまま、という状態でした。
「湯川さん、殺された。後藤さんはどうなるんやろ?」「後藤さんは湯川さんを助けに行ったんやね。なんでそんなことしたん? 後藤さん、幼い娘さんがいるそうやけど、なんでわざわざそんな危ない場所へ行ったん?」「そもそもそんな危ないところにいく意味がわからへんわ」「なんでなんですか先生」
この日、受講したのはほとんどが女性だったからか、家族より湯川さんの救出を選んだ後藤さんの動機が、どうも理解されなかったようです。また、そもそも危険地域に入るという意味が、どうもわからないようでもありました。で、問題を投げかけてみました。
危険を承知でその地に踏み入るジャーナリズムとはなに?

今はネット社会ですから、すでに湯川さん、後藤さんに関するネット族の意見が飛び交っています。あまりこういう掲示板は見ないのですが、今回は参考にいろいろ閲覧してみました。
特に後藤さんの今回の行動については賛否両論あるわけで、それはいいのですが、「誰も行ってくれとは頼んでいない」とか「金と名声が欲しいんだろ」とか「身代金は俺たちの税金だ。そこを考えろよ」「つまり自己責任だ」などという書き込みを見ると、なんだかむなしくなってしまいます。
「現地へ行かなくても外国の流す報道で充分じゃん」「日本のフリージャーナリストなんて役に立たない」などという意見も。うーん。中には「自衛隊や公務員なら救済すべき。フリーなら自己責任」という凄い意見もありました。もし、フリーのジャーナリストと外交官の二人が束縛され身代金が要求されたら「外交官にのみ身代金を払います。もう一人は自己責任なので、一人でなんとかしてください」なんてなるわけ?
「わしらの税金や」というのなら、税金を払っているフリーと、税金で食っている外交官。

ジャーナリズムとは、真実の情報を伝える、ということです。つまりは理念です。こうあるべきだということを知らしめようとする衝動の動機です。つまり、これを伝えたい、これを今言わなきゃならない、という衝動。それが真実であるのかどうかは、受けて側の判断にゆだねられますが、それだけに、「これはこうである」という自分の理念をメディアに載せるためには、事前の調査や裏取りなどはしっかりやっておかねばなりません。つまり、ある意味、熱血漢でないと、一流のジャーナリストにはなれない、ということだと思います。私も何人かの、危険地域に行ったというジャーナリストを知っていますが、やっぱり熱血漢でした。

私はサラリーマンでも公務員でもありません。フリーの人間です。確かに何かあっても誰も救済などしてくれません。保障もありません。それがフリーというものです。ですから、基本的に何をやるにしても、しないにしても、自分の意思で決定するわけで、やると決定したからには、何があってもその責務は全うしなければなりません。全うしなければ、次のオファーは来ませんし、信用を大きく落とすことになります。まぁ、たかが怪異蒐集家ですから、そんな命にかかわる場所へ行くこともありませんが。でも、ここだけの話。古代史を追うとちょっとヤバい、と思うことがあります。具体的には言えませんが、一度一緒に行動したパートナーは、女性でしたが、身の危険を感じて辞めたことがあるほどです。な〜んか、電話も盗聴されているようですし。
しかし、そういうときにこそ、隠された真実が、暴露してはならない何かが潜んでいる、真実に近づいたのかも知れない、という高揚感と、閉ざされた封印を開けなければ成らない、という責務に追い立てられる自分があるのです。そりゃあ、そんなこと、誰にも頼まれていませんし、行けとも言われていません。頭から、それはトンデモ、と否定されるのがオチかもしれません。だからこそ、そう言えるだけの証言や物象、書簡にもあたる。で、これは、やらなきゃ絶対に後悔すると思うわけです。やった上で使いものにならなかった、は、納得する。やらなかったら、もう、後悔後悔。
もし、一晩泊れば必ず霊体験をする、という家があったとして、でも必ずや呪われる、という場合、案件にもよりますが、やっぱり怪異蒐集家としては、泊りに行っちゃうだろうなあ、と思ったりもします。しゃあない。そういうことを見極めたくて、こういう仕事をやっているんですから。
いや、命を張って危険地域から報道を送っているジャーナリストや記者の人たちと同じと言っているわけではありませんよ。私のやっていることは、そんな高貴なものじゃない。実にくだらないものです。でも、危険なもの、タブー視されるものに近づき、その存在になるべく近づき、なんとかその真実に迫って、世の人たちになんとかして知らせたい。そういう動機が、私の場合、作家たらしめる、というか、作家を続けられる要因になっているのは確かなのです。
そういう心持が無くなったら、もう何も書けない、語れないということになるでしょう。つまりは、あくなき好奇心なのですよ。この好奇心が無くなったら、廃業です。それは私にとっては死も同然です。
まず、フリーの表現者、ジャーナリスト、作家、ライター、カメラマンなんて、そういうものじゃないですか。
ですから、危険地帯へ行く、タブーに近づく、というのは、そういう人たちの習性なのです。また、誰もが行ける、見られるものを追っても、ジャーナリズムにはならない。お金にならない。切り口があれば別ですよ。誰もがあたりまえに見ているモノが、実はこういう意味を持っている、こう見ればこんなモノが見えてくる。これも好奇心とプロとしての観察眼があって発見できる。それでメシを食っているんですけどね。こういう人たちは。

ただ、問題は、そのことから派生する責任の問題。今回のように中東のような危険地帯、特に外務省が渡航を見合わせるよう勧告している地域へ踏み入り、結果テロリストに捕まり法外な身代金を政府に対して要求されたり、脅されたり、身内や国民に大きな心配をかけるようなことになった場合は、どうなのか、ということですよね。今回は世界中がこの事件を取り上げましたしね。
今回後藤さんは、それをある意味予期していて、死をも覚悟したと思われます。ビデオに「何が起こっても、これは私の責任です」と言い残して、シリアに入っています。つまり後藤さんは「これは自己責任」と言っているわけです。フリーのジャーナリストが、自分の判断で、覚悟して行ったのだから、ここまでは周りがどうのこうのいう問題ではない。そしてコトが起こった。政府は「あれは自己責任」とかいって、何もしなくていいのか。
そうはならない。日本国政府は日本国民の生命を守る義務があり、人命を最優先としたあらゆる方策を考える責務があります。ただし、国民の生命を守る義務がある限り、安易に巨額の身代金を要求どおりに渡す、という選択もできない。それをやると、次のターゲットが狙われる。あるいはその資金が次なる殺人行為やテロにつながることになるから、とはもうマスコミでさんざんやっていた命題ですね。
ならば、ジャーナリストたちが危険な場所へ行かないよう、勧告令を出し、行けないようにするというのはどうでしょう。それはやってはいるんですね。先ほど書きましたが、政府は「シリアへの渡航は見合わせるよう強く求める」ことはしていたんです。現地では、ある地域では退避勧告も出て、新聞、テレビのマスコミ関係者は万一のリスクと責任問題を恐れ、撤退したらしい。でも、フリーのジャーナリストはそれでも残っている、らしい。
実は政府は、後藤さん自身に対して再三、「行かないよう」勧告していたらしいんですが、それでも後藤さんは行った。後藤さんなりの大儀、命に代えてでも行かなきゃならない何かがあったのでしょう。
「金のためにやってんだろ」という声が聞こえたような気がしますが、そりゃそうです。プロのジャーナリストですもん。後藤さんの今回の行為はどうだったか知りませんが、プロのジャーナリストはそれで食ってます。避難勧告が出て、雇われのマスコミ関係者引いたときこそ、残らなきゃならない。そりゃ、危険の対価は当然求めますよ。フリーのジャーナリストは正直必死です。それくらいの気構えがないと、こんな商売はできない。もうこうなったら、彼らが無事でいてくれるよう祈るしかない。

「じゃあ、行くヤツが悪い。政府が行くなと行っているのに、行ってるんだから、救済は不用でいいじゃん」
だから日本国政府は日本国民の生命を……、繰り返しですな。

憲法では報道の自由が保障されています。国民も、知る権利を有しています。
だから、危険地域だからそこへは絶対に行くな、と強制はできない。そこを封殺することは、報道の自由を損なうことになります。そしてそれは、民主主義という根幹を揺るがすことになる。
現地からの報道は、あるいは現地にとどまっているジャーナリストの存在は、いざというときの政策の決定に大きく関与してきます。外国のプレスにまかせっきりということは、それはどんな真実であっても、その国の色眼鏡がかかっている。価値観も違う。規制もある。そんなものを情報源にするようでは、日本国のいざというときの意思決定に大きな不安要素を与えます。また、日本人にとってどのくらい危険なのかも、現地にいる日本人でないとわかりません。また、情報は多いほどいいに決まっている。今、あなたは、こたつにでもあたって、あんのんとネットを見ているわけですが、そういう平和な日常は、有る意味こういう人たちがいたから、享受できているのです。それはやっぱり、ちゃんとした歴史を知るとわかるわけです。命を張って、危険地域に残っている人たちに感謝こそすれ、誰も行けとは行っていない、とか、自己責任、というのは、あまりに無慈悲な言いようだと思うわけです。
ともかく、今回の件で、ゲリラに捕まって政府に身代金の要求が行っても、もう日本国政府はそれは払わない、と宣言したのですから、今後、危険地帯に入るジャーナリストはそれなり覚悟と危機管理はしなきゃならない。また、覚悟はみんなされているでしょう。
男、じゃないですか。奥さん、家族はお辛いでしょうけど。

ちょっとこれは、フィクションの話ですが、昭和29年製作の「ゴジラ」。
小学生のとき、テレビで観たのが最初でしたが、あるシーンが私の中に強烈に残りました。ゴジラが東京を蹂躙しています。火の海となっています。そんな中、テレビ局や新聞社の記者たちがテレビ塔に居座り、ゴジラの動向を報じています。するとカメラのフラッシュに反応して、ゴジラがテレビ塔に近づいて行きます。ところが誰も逃げない。カメラのフラッシュがますます光る。
そんな中、テレビの実況アナが絶叫しています。
「ただいまゴジラは、この放送を送っておりますテレビ塔に向かっております。もう回避する言葉もありません。我々の命もどうなるか。ますます近づいてまいりました。いよいよ最期です。今、右腕を鉄塔にかけました。物凄い力です。いよいよ最期です。さよならみなさん。さようなら、わあー……」
子供心に、男や、と涙しました。



kaidanyawa at 06:08|PermalinkComments(8)

2015年02月02日

戦後70年を考えようゼ パート2

中山市朗です。

イスラム国、つまりはISISの卑劣な行動は、断じて許されるものではありません。正直、私はショックを受けました。後藤さんは後藤さんなりの大儀でもって、ISISに入り込み、結果こうなってしまったわけですけど。でもそうなるという覚悟が後藤さんにはあったようですな。ただ、そのことが日本政府と、ヨルダン国王やイスラム教徒の人たちを窮地に追い込むことなったことは残念。湯川さんを救うこともできなかった。そして、こんなに大きな世界的な事件となるとは思わなかったでしょう。
デヴィ夫人は自身のブログで「(後藤さんは)これだけ大大大迷惑をかけたのだから、不謹慎ながら、後藤さんと話す機会があったら、自決してほしいと言いたい。私が彼の母親だったらそう言います。わが子を英雄にするためにも……」と書いていました。この発言に対しては賛否両論あるのでしょうが。
私は、おそらくは後藤さんは自決を考えていたのではないかと思います。
あの、後藤さんの静止画にかぶさって後藤さんらしき人の声が聞かれたメッセージで、はっきり「アベ」と安倍首相を呼び捨てするなんていうのは、日本人じゃない。あれは別人でしょう。つまり後藤さんは、ISISの要求には応えなかった。暴行を受けたでしょうし、劣悪な環境にさらされたことは想像できます。自決した方が楽、と思ったことでしょう。またそれがベストであるとも知っていたでしょう。しかし、厳しい監視下の中、それを実行する機会は無かったのではないのか。自決がすべてを解決することはわかっていたと思います。だが、それをやられるとほんとうに後藤氏を反イスラム国の英雄にしてしまう。だからISISとしては、それは絶対にさせたくなかった。そして手に余って処刑した、と。あくまで想像です。すみません。いまや藪の中となりましたが……。
にしても、日本人が二人も束縛され、政府が脅迫され、ひとりは殺され、もう一人も殺されるかも知れないという時に、自主的に動けず、ヨルダンやトルコに頼ってあとは沈黙するしかない、という日本政府のあり方はいかがなものなのか。
あまりに無力。あまりに無策。そりゃあ、安倍首相をはじめとした閣僚は出来ることは全部やったんでしょうけど。人命第一……かあ。いや、悪いのは日本政府じゃなくて、あくまでISISですけどね。

しかし、ISISは国を名乗ってはいますが、、残忍で理屈の通らないテロ集団であります。だから、イスラム教の人たちが、あるいはアラブの人たちがそうだということではない。ただ、こういうことにスポットが当たったことを機会に、我々日本人が考えてみないといけないことも出てきたように思います。
ISISが、なぜに日本に対して敵意をむき出しにしたのか。これが本来のイスラム教ではないにしても、意味はあると私は思うのですよ。けっして、なんにもないところから、そういう憎悪は出てこないはずなのです。それまで日本はテロの標的にはならなかったわけですから。
ということで、日本人というものを考えるにあたって、日本とアラブとの関係を、近代の歴史に辿って考えていきます。一見日本とは関係の無い遠い国々の歴史の舞台から見る日本の姿は、客観的な何かを教えてくれるはずです。


アラブの人たちは、親日である、とはよく言われることです。
中東を旅行した人の話をよると、みな一応に「日本人か」と聞いてきて、お金をまけてくれたり、親切にしてもらったという話を確かに聞きます。その日本に対するアラブの人たちの関心度は、日本にいる日本人が思う以上のものだといいます。
だとすると、その要因はなに?
こんな遠い、異国、異宗教の国なのに。
日本の歴史を知るヒントがここにあります。


まず、アラブというものをイメージするのに「アラビアのロレンス」という映画を引っ張り出しましょう。
1962年に公開された、デビット・リーン監督の名作中の名作です。
なに、観ていない?


……

……

……



かつて、有栖川有栖さんが我が塾生にこう言っていました。
「人として『ベン・ハー』は観とけ」
私も言います。
「人として『アラビアのロレンス』は観とけ」
私は年に二回は観ています。名作中の名作です。観ていない人は明らかに損をしています。


主人公はトマス・エドワード・ロレンス。実在の人物で、1888年ウェールズ生まれの考古学者。アラビア語に堪能な英国陸軍中尉で、情報将校であったようです。映画でロレンスに扮するのはピーター・オトゥル。彼はこの一作でスターダムに乗りました。実際のロレンスの写真を見ると、オトゥルにそっくりです。ただ、オトゥルの身長は190センチありましたが、実際のロレンスは165センチの小男だったそうです。イメージ壊れた?
映画に現われないロレンスのコンプレックスは、このあたりにもあるのかも知れません。
物語は1916年からはじまります。ロレンス中尉がカイロの情報局でアラブの地図作成をしているところに、司令部から伝令が来ます。そして三ヶ月の間にハリス族のファイサル王子に接見せよ、という命を受けます。ファイサル王子は、オスマン=トルコ帝国に対して反乱を蜂起せんとする部族の長で、彼に会い、アラブ民族の同行を確かめ、報告せよ、というのです。ロレンスはガイドを連れ、ファイサル王子に会うため、らくだで灼熱の砂漠を渡ります。

オスマン=トルコ。今のトルコですが、当時はもっと大きな国で中東の情勢はこのオスマン=トルコの動向にかかっていました。そのオスマン=トルコは南下してきたロシアとしばしば戦争をしていて、1916年は第一次大戦のさなか、オスマン=トルコはドイツ、オーストリアの側にあって、このときも宿敵ロシアと戦っていました。
そのドイツ、オーストリアと対峙したのが、ロシアとフランスとイギリスでした。当然、オスマン=トルコはイギリスにとっては戦うべき敵となります。しかし、イギリス、フランスは欧州戦線(レマルクの『西部戦線異状なし』を読もう)こそが大事であって、オスマン=トルコとの戦いに大きな戦力は投じる余裕などありません。そこで策を講じました。
ロレンスがファイサルに接見する1年前の1915年、イギリスの高等弁護官マクホーンが、メッカの太守フセインに、オスマン=トルコに対して反乱を起こすと、イギリスはそれを援護し、戦後はアラブの独立を認める、という密約を結んだのです。要は「俺たちに代わって戦え」というわけですな。これがフセイン・マクマホーン協定です。
ですから、アラブのフセインは確かに独立は望んでいたものの、イギリスにそそのかされた、いや、利用されたという面もあったわけです。
ロレンスは、そのアラブの反乱の動向を確かめる任務を英国政府から仰せつかったわけなのです。ちなみに、ファイサル王子は太守フセインの息子で、百面相の名優、あのオビ・ワン・ケノービを演じたアレック・ギネスが演じていました。。
しかしロレンスは、トルコ軍の空爆に遇い、ファイサルの陣地が近代兵器の前に混乱しているところを目にします。
「大砲と銃が欲しい」というファイサル王子に対し、ロレンスはアラブ特有のゲリラ戦を行うことを進言し、トルコの重要拠点、アカバの要塞を背後から攻めることを主張し、認められます。
ロレンスは、ファイサルから数十人の部下を借り、アラビアの砂漠を渡ってアカバの要塞へと向かいます。途中ハウィタット族に協力を申し出て、それまで争っていた部族が一同に集まり、共にアカバの要塞を背後から攻め、陥落させます。ロレンスはこのようにして、砂漠で対立するアラブの部族を一つにし、アラブという国の設立に理想を求め、またそれは必ず成る、と信じて戦います。
ところが、イギリスとフランスはここでまた密約を結んでいました。まだ戦争中にもかかわらず、この戦争が終わった後の中東の領土分割を決めていたのです。フセイン・マクマホーン協定などはなっから守る気など無かったのです。
領土は、シリアはフランスが、イラク、ヨルダンはイギリスがと決められていました。シリア、イラクはもともとオスマン=トルコの領土です。
そして対戦が終結すると、この密約は実行されます。この密約はサイクス・ピコ協定といいます。ロレンスが、映画のラストで利用されるだけされて、寂しく故郷へ帰るところで終わりますが、ロレンスはこのサイクス・ピコ協定のことは最初は知らされず、事実を知って愕然とします。そしてファイサル王子に暴露します。本気で決起し勝利しないと、イギリスやフランスの協定によって独立は阻まれる、そう進言したわけです。
実は、ロシアもイギリス、フランスと同盟関係にあり、黒海東南部沿岸などはロシアのものになるはずでしたが、ロシア革命によってそれどころではなくなりましたが、サイクス・ピコ協定はこのロシアが崩壊し、ボルシェビキが政権を獲ったとき、レーニンによって公のものにしてしまいました。当然、アラブからは大きな反感と不信を買うことになります。

さて、映画の中で、アラブ人たちがなかなかアラブの独立と言うことに対して一つにならない、結局、みな部族のところへ帰りたがるという描写がありました。独立に対して理解するハリス族の首長アリという男、オマー・シャリフが演じていますが、彼はイギリスに留学していて英語も読める、西欧の国会のことも理解している、というキャラクターでした。つまり、議会制のある近代の国会、国の運営をアラブ人たちは理解していない、という描写ですね。でも、アリは違うと。彼は西欧文化や政治を理解するインテリであると。
実は、ここが重要なのでして。
中東における独裁者は、部族を束ねる、ということを意味しました。アラブの人たちは、民族と言うより部族としてのアイデンティティを持った人たちです。中東は基本的に砂漠の土地です。こんなところに国境線を引いても意味が無い。映画にもあったように、砂漠の部族たちは季節によって砂漠を移動しました。いわば砂漠における、ネットワークを部族たちは持っていて、その環境の中で、彼らは長年砂漠の生活を営んでいたわけです。砂漠には大河もなく、したがって一定地域に人が集まって住む、というには不向きで、統一国家というのは成りにくいのです。当時のこと、インフラもできませんし。そこに、欧州の白人が土足で入ってきて、白人に劣る有色人種に「文明化の使命」をもって、無理やりに文明化を押し付けた。それが正義であり、助けの手であると思って。そして、西欧人の思う国というものを作るように迫った、ということなのです。
そして、アラブの人たちに何の断りも無く、国を自分たちで分割し、国境線を引いた。ヨーロッパ人の思う国の概念によって。これ、国境線を引く方が分割統治しやすいという、西欧の都合なんですけどね。
今、中東の砂漠にある不自然な国境線は、このときに引かれたものなのです。
映画の中のロレンスは、英雄と祭り上げられながらも、孤独です。唯一の理解者、友人はこの西欧的なルールを知るアリです。けっきょく、イギリス人であるロレンスを理解するには、西欧を理解するしかない。アラブはまた異質な人たちだ、というメッセージが、読み取れます。

さて、そのイギリスは、さらに中東に対してこんなことも約束しました。
1917年、戦争をする資金をユダヤの豪商ロスチャイルドに融通してもらおうと画策し、戦費調達してくれれば、かならずや、ユダヤの独立国家の建設を認める、というものでした。バルフォア宣言とはこれです。
1948年、この密約も成就されイスラエル国が建国されましたが、これがまた、アラブ民族やパレスチナ人たちとの間に確執を生み、今日なお、パレスチナの問題として残っているわけです。そらそうですわ。ともかくパレスチナの地についにユダヤの国が建国される。このことを聞きつけ、世界中に散らばっていたユダヤ人たちがパレスチナにどんどん入植していきます。そして、イギリスの後見によって、そのユダヤ人たちが「ここは俺たちの国だ」と言い出した。そして出て行け、と。もともとそこに住んでいたアラブやパレスチナ人たちは、これ、どう思います?
「いやいや、ここ、わしらの土地や」ってなりますわな。
この、フセイン・マクホーン協定、サイクス・ピコ協定、バルフォア宣言は、イギリスの三枚舌外交と呼ばれています。
エジプトもまた、1882年以来、イギリスによって統治されます。北アフリカもまた、欧州による植民地支配の拠点でした。そして、白人たちは、アジアやアフリカの人たちの風俗、習慣を野蛮と決めつけ、価値観の違いを認めず、近代化させ、自分たちの価値観を教えてやった、というわけです。

三枚舌の狡猾な外交、訓練された兵と近代兵器。
アフリカ、中東はこうしてヨーロッパによって植民地化されていきます。勝手に国境線が引かれ、国が作られ、意に沿わない政権が樹立し、砂漠の民には不釣合いで理不尽な価値観を押し付けられ、奴隷のような扱いを受ける。これが当時のイギリスをはじめとする欧米列強の有色人種へのやり方でした。当然、このような白人至上主義に対する反感、反発は出てきます。しかし、いかにしても有色人種が白人と戦争をすれば、近代戦を制することはできなかったのです。

えっ、日本はって?
次回、出てきます。

kaidanyawa at 01:33|PermalinkComments(0)

2015年02月01日

戦後70年を考えようゼ! パート1

中山市朗です。

もう今年も一ヶ月過ぎちゃいましたねえ。早いですねえ。
今年は戦後70年、ということで、夏ごろはいろいろな催しや追悼儀式などもあるんじゃないかと思います。
去年、このブログで書きかけて、途中で放っぽり状態になっている、「日本が行った戦争とは」という問題について、またぼちぼちと私の意見を書かせてもらおうと思います。
まぁ、日本人とは、ということを考えたいので、おつきあいください。また、長期連載になると思います。

なぜそんなことを書こうと思ったのかというと、私は怪談という日本独自の文化を表現したり、聖徳太子の研究をする機会から、どんどんと日本の歴史と文化について調べていくことになったわけです。そして歴史や民俗学の専門の教授や専門家と対談をやるという機会にも恵まれました。取材にも出かけ現地に足を運び、神社関係者や郷土史研究家、地元の教育家、博物館の館長さんたちとも話をしました。すると、随分と教科書で習ったこととは違う歴史の見方があるぞ、という好奇心が湧き、日本の歴史を学ぶことから、今私たちが住んでいる日本の国、自分が日本人であるという意味について、知りたいと思うようになったからです。そして、塾を作って未来の日本を作るべき若者たちを見ているうちに、それを伝えたい、いや、伝えんといかん、という衝動にもかられたわけです。

「歴史を知ったところで、それがなんの役にたつんや」
と昔、ある人に言われたことがあります。
でも、我々はその歴史の上に居るわけです。ご先祖様や先人たちが積み重ね、作ってくれたものの上に胡坐をかいている状態です。この便利さも、この平和も自由も、日本人としての信用、信頼も。あたりまえのようにあるこれらのモノは、当たり前に存在するはずはなく、人によって、血のにじむような努力があって、あるわけなのです。歴史を学ぶということは、本来それを知ることのはずです。
日本の学校で教える歴史のお勉強は、そうなっているでしょうか。

私の怪談も、日本独自の座の文化がベースにある。話芸はここから生まれ、発展した。日本人の独自の宗教観も無視できない。そして擬音、擬態語が豊富な日本語の特性。
じゃあ、それはどんな風に生まれ、誰の手によって発展したのかを知るのが私の義務、だと思うのです。
それを知ると、自分がそれまでただ漠然とやっていることに意味が見出され、深みも出る(はずですが……)、そうなると自信も出てきて、これからやるべきことが見えてくる。
そこでやっと、人様から対価をもらって怪談を披露することがはじめてできる、んだと思うんです。
皆さんが今、やっていること、お仕事もそうだと思うんです。

で、いろいろ調べるわけですが、日本人とは、なんとユニークな歴史と文化と伝統を持っているのか。そして勇気と勤勉さもあった。そういう発見をするわけです。学校の先生はそんなこと言ってくれてなかったのに。
すると、専門学校や我が塾で教えた若者たち、特に男の子たちのの覇気の無さ、自信の無さ、逆に根拠の無い自信、プライドは、そういう日本人としてのアイデンテイテイの無さから来ているのかなあと、日ごろ思うようになったわけです。つまり、教育が、日本人とはなんぞや、ということを教えていないことに改めて気づくわけです。私も教わっていませんでした。
年号ばっかり暗記させられた歴史の勉強は、今思うと「うんこ」ですな。
歴史は年号と言う点ではなく、ヒストリー、人間の物語です。いろいろな線が複雑にからんで、歴史が動いているのです。そこを子供たちに勉強させなきゃ。
ちゃんとした歴史を知らないことには、あるいは日本民族とは何かを考えないで、アイデンティティもなにもあるわけがない。だから「自分探し」なんて言って、旅行へ行くヤツが出てくる。そんなん旅しただけでわかりまへん。

さっき、男の子は、ということを書きましたが、私の体験上、女の子の方が何かを考えているし、覇気がある。元気もいい。男の子はシュンとしているイメージはある。ネットやゲームにはまって破滅するのも男の子。
韓国からの留学生は違った。男の子も覇気がある。ちょっと日本人を見下すところがあるけど、膝をつきあわせて話をすると、たちまち理解を示す。おそらく彼らは韓国人としての誇りとプライドがある。もちろんコンプレックスもあって、そのこともちゃんと理解している。私が持ったクラスがたまたまだったのかも知れませんけど。
この、日本人の男の子の覇気のなさは、いったいなんだろうと思って、覇気の無い男の子に尋ねたことがありました。彼はこういいました。
「だって、学校では、日本人はダメだ、かつてアジアを侵略し、悪いことをした。その謝罪をしなきゃならないとか、とにかく日本人はダメだダメだといわれると、なんか自信がなくなってきますよ」
あかんわ。
男というのは、大人になると社会性を身につけ、何者かにならなきゃならない。だけどその社会に失望している。意味が無いと思っている。だから篭ってネットやゲームに逃げる。楽だしお金もいらない。
大儀が無いんですね。
そんなところに今、やり手の自信満々のグローバル企業の創設者や経営人が欧米から乗り込んできて、日本の文化や伝統、日本人のプライドを根こそぎはがそうとしている。
実はこれ、長い歴史と関係しています。歴史を学べば判る。アメリカが長い間仕掛けていた陰謀というのが……。

以前、何かの番組でアニメ作家の宮崎駿さんが「なぜ、女の子ばっかり主人公にするんだとよく言われるのですが、男の子は主人公になりにくい。時代に翻弄されて何者かにならなきゃならないのが男の子なんです。女の子はどんな時代、悲惨な境遇にあってもかわいい子がいるんです。存在そのものが何かをアピールする。少年は職業を持っていないから、スカンピンなんです。ゲームの世界では武器を持ってアイテムが増えて成長することになっているそうですが、現実はそんなことはならない。するとスカンピンの男の子が何かを得て成長してなんて描いても、共感がわかない。まずは客が入らない」というようなことを言っていました。
こうも言っていました。
「今の男の子たちはすごく深刻な壁にぶちあたっていて、こう思っています。自分は何者でどうして生まれてどこへ行くのか、という古典的命題がそのまま残っている」
そういわれると、根拠無き自信を持っている男の子たちは、その自信がないと、その壁にぶち当たれない、ということを本能的に嗅ぎ取っているのかも知れません。だから、根拠を見出す機会を、大人たちが示す義務がある、と思うわけです。
また、養老猛さんもこう言っています。
「戦争で日本がひっくり返って、戦後は男の子がまったく育っていないと思う」
そこなんでしょうね。
だから、歴史モノのヒーローが、小説やマンガ、ゲームなどでもてはやされるんでしょう。
そこには、大儀があって、勇気と技能を持つ、戦うヒーローかいる。
男らしい男がいる。男らしい男というのは、大儀を持っています。
大儀とは、人のふみ行うべき重大な動議、と何かの辞典にありました。

その大儀が、今は見えない。わからない。だから個々の自由を楽しむことにしか興味が行かない。男の子が、男としての居場所をなくしている。そんな気がするんです。
もちろん個々の楽しみを自由に謳歌することは悪いことではない。私もそっちの人間ですから。
でも、大儀がなければ、男が立たない。男が立たない国は、そのうち滅ぶ。そう思います。
まあ、そう簡単には日本は滅ばないと思いますし、優秀な若者もいっぱいいるので、その憂いは無用なのかも知れませんが、一方で、これはヤバいことになっているぞ、と体感することも事実なのです。

だから、戦後70年という節目に、あの戦争を振り返り、あのとき日本は何をしようとしたのか。
はたしてあれは、ほんとうに侵略だったのか。世界はあのとき、日本をどう思ったのか。そして、その歴史から、我々は何を学び、なにをしなければならないのかを、考えてみたいわけです。
私は戦争体験などもちろんありませんが、父母はその青春時代を戦争の中で育ちました。その体験談も聞き、また近所には戦争で体の自由を奪われた人もいました。
ですから、我々の世代が、これを伝えないで、誰がやる、という気持ちでもあるわけです。ただ、書きかけでブログが停まっていたのは、その歴史の提示をどうしようかと悩んでいたわけです。
切り口です。おざなりの戦争の話を蒸し返したところで、たいして意味は無い。そう考えると書けなくなったわけでして。こうなるとこのブログも作品に成ってしまいますな。力を抜こっと。

そうしたら、最近、イスラム国の話題が出てきました。我々日本からは遠い、また、ちょっと理解しがたいアラブの世界。イスラムという宗教。ほとんど山と森林に囲まれた瑞穂の国日本と、水の無い砂漠の国。そこに今、日本人が注目しているし、向こうも日本を注目している。
ところで、アラブは親日である、ということをよく聞きます。
「いやいや、アラブがなんで極東の島国のことを知っているんだ。そんなのは一部の人でしかない」と言う人もいますが、確かにアラブの人たちは親日の人が多いようです。案外日本の国のことを知っています。
イスラム教どころかキリスト教信者もそんなにいない、彼らからすれば異教徒の、しかも遠い遠い国。
そんな日本をなぜに?


歴史に、そのヒントがあるのです。
やっと切り口が見つかった!




続く。

追伸です。
イスラム国が、後藤さんを殺害したとの動画を公開したと、ニュースで言っております。
何かの誤り、であればいいんですけど。
「安倍総理大臣はアメリカが主導する有志連合に参加し、イスラム国の力を理解できなかった。その誤った決断によってこのナイフは後藤健二を殺すだけでなく、あなたの国民はどこにいても罰を受ける。日本の悪夢がはじまる」と言っているようです。
この憎悪もまた、歴史の中にその思いがある、と言えるのです。
イスラム国のやり方は実に陰険で許しがたいものですが、なぜそうなったのか、なぜ彼ら欧米を憎み、かくも残虐な行動をとるのか。そういうことも、歴史を紐解くことにより、わかってくるところもあるのです。

kaidanyawa at 01:17|PermalinkComments(4)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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