2015年03月

2015年03月30日

日本は侵略戦争をしたのか?

中山市朗です。

昨日、YTV「そこまで言って委員会」で、昭和天皇について論議していましたねえ。
この番組の中で、太平洋戦争における天皇の立場を考えるには、日中戦争について考慮せねぱならない。日中戦争は、日本陸軍の暴走によって起こった、という話がでていました。ゲストで出ていた作家の井沢元彦さんは「日中戦争は陸軍の暴走によって起こっていた。天皇はそれをコントロールできる状態になかった」と言い、竹田那彦さんは「政府も軍も統帥部も天皇も(日中事変における)拡大に反対した。ところが現場から撃たれたたから撃ったとか、現場が動いてしまった。陸軍という組織が暴走したというより、現場から起こった』と言うような話をしていました。
その通りです。
で、戦後70周年ということで、ぼちぼち書いております、日本は侵略戦争をしたのか、についての私の考えを久しぶりに記します。これ、なかなか時間と労力かかりまんねん。仕事として受ける原稿より大変。

前回書きましたように、太平洋戦争を語るには日中事変について、いや、当時のアジアについて考えてみる必要があるわけです。そこを言及しないと、日本が行った戦争が何だったのかの検証はできません。いきなり真珠湾からはじまったわけではないのです。そして、日中戦争を考えるにはそれ以前のアジア情勢をみなければならない。歴史は教科書では年号という点でしかありませんが、歴史は流れです。あなたの人生と同じです。
当然、ここも考えねばならないのが、今、われわれが住む世界、今の秩序、価値観で持って、当時の日本の中国、ソビエト、欧米を論じないと意味をなしません。日本が侵略戦争を行ったとする主張は、ここの点が抜け落ちています。当時は今の中国でも韓国でもロシアでもなかった。この事実を認知する必要があるわけです。

前回に書いたことをもう一度言います。
社会主義とは、共産主義を目指す国家のことを言います。民主主義、資本主義が発展して共産主義になる。ところが、ソビエトも中国もこの過程を経なかったので、暴力で統治するしかない。だから、社会主義国家と言うのはどうしても独裁国家になる。スターリン、毛沢東、金日成、カストロ、ポル・ポト、みんなそうです。
こうなると、共産党に対して反抗、反発がなされると、これは暴力で粛清するしかない。無理やり共産化するわけですから。
そうなると、処刑、粛清、ということが正当化され、それに乗っかた食い詰めた元軍閥や元兵隊、馬賊やゴロツキ、盗賊たちが動き出すわけです。当時の中国大陸は無法地帯。中国政府はいったいどこにあるのかわからない。中国国民党と共産党は権力争いを表面化させて、あちこちでドンパチやっている。中国の農民は飢え、インフラはなされない。病院も学校も無い。しかも、イギリスの要請によって日本軍は対ソビエトにシベリア出兵という名目で介入してしまっている。また、日露戦争の後、ロシアと締結された租借地や利権は、日本にとって国際的にも正当なものであり、清国と締結した利権もまた、同様なものでした。当然、現地には日本軍も駐軍しているし、一般の日本人もいる。
ところが、ロシアが消滅した。清国も滅んだ。ソビエトも新中国も、そんな条約も約束も知らない、といいだす。で、ゴロツキどもが暴れている。中国大陸は混沌とする。
しかも、イギリスは、アヘンで中国を無茶苦茶にしながら、そういうややこしいことは日本に押し付ける。日本政府としては、そんなことに介入したくはない。しかし、現地に駐留している軍としては、そんなことは言ってられない。自分もそうだが、一般の日本人も守る必要もある。国と国との戦争状態ならば、まだ対処の仕方もあるが、日本は別にソ連とも中国とも戦争をしているわけではない。しかし、ゲリラは暗躍し、なにをしでかすかわからない。今の中東の情勢と、イスラム国みたいなのが、そのまま今の中国大陸にある、と考えてみるべきです。
だったら、引けば? と言う考えも一つの選択肢でしょうが、そうもいかない。
日本軍がひけば、ますますイスラム国みたいなのが無茶をする。日本軍の存在は、混沌とした現地の農民たちにとっては、唯一すがれる存在で、日本軍の駐軍している地域だけは秩序があった、とする証言もあります。
また、満州という問題がある。ここには関東軍が駐軍していましたが、ここから日本が引けば、必ずソビエトが南下してきて、韓国との国境を脅かす。日本政府と日本軍は、ずっとこの問題に頭を抱えていました。
ともかく、今の中国が無政府状態となって、イスラム国みたいなのがあちこちでゲリラ活動をやっている、とかんがえてみましょう。そんな時、日本は、「知らん」とばかりにほっとけますか? しかも、当時において、軍を派遣できるのは日本しかなかった。で、具体的に戦争が起こっているわけではないが、正体不明のゲリラがいろいろ仕掛けてくる。戦争ではないから国の命令が無い限り、守備隊としての戦いは出来るが、それ以上のことはできない。
竹田邦彦さんのいう、現場が、というのはそういう事情があったわけです。

ちょっと久しぶりなので、背景を整理してみましょう。一筋縄とはいかんのですよ、歴史というやつは。

まず、清王朝。
1644年、明王朝が滅んで起こったが清でした。ところがこれ、漢民族の国ではない。
満州にいた女真族が支配したのが清王朝でした。あの、辮髪。あれは漢民族のものではない。あれは女真族の風習。200万人の女真族が何億と言う漢民族を支配していたわけです。辮髪は、漢民族にとっては屈辱であったはずです。それが強制されていたわけです。このことは後に、満州帝国が樹立することと複線があります。そのことはまたいずれ詳しく。
もともと清王朝は、対外貿易港を広州の港、一港だけに限っていました。清王国にとって、貿易とは、朝貢のことしかありえず、自由貿易は拒否していたわけです。
ところが、帝国時代となった。金儲けをしたい欧州が貿易を求めて、中国に開国するよう求めます。お茶が欲しかったらしい。日本も同じようなことをアメリカにされましたなあ。当然、中国は拒否。イギリスはなんとかお茶を輸入しようと、アヘンを密輸するわけですな。たちまち、アヘン中毒者が中国に急増した。清は怒りますわ。
結局、イギリスと清で戦争が起こります。これがアヘン戦争。当然、近代兵力を持ったイギリスが勝利。上海など五港を開港させます。香港がイギリスに割譲されたのがこのときでした。
ね、おかしいでしょう? 日本が同じように割譲されたり利権を得たものはことごとく批判され、手放せといわれ、香港は、そんなこと言われてたっけ? 白人至上主義。
後、清は清仏戦争でフランスに負け、日清戦争で日本に負け、とうとう、清王国は1912年、崩壊し、南京で孫文が中華民国臨時政府を樹立し、1916年には、袁世凱が勝手に中国皇帝に即位します。翌年にロシア革命。ソビエト共産党は、ロシアのロマノフ王族全員を殺害。そらもう、清王国、ロシアの残党や軍閥がゲリラと化します。ソビエト共産党を名乗って、無茶をします。
教科書では、レーニンがソビエト社会主義連邦樹立、と表記されます。しかし、これは遥か後の評価。当時は国際社会が認知したものでもなんでもありません。ロシアの国民が欲したものでもない。これは、無政府状態と同じです。
シベリアでは、この混乱に乗じて、囚人たちが脱獄します。自由を得た凶悪犯、殺人犯たちは徒党を組み、共産党軍と名乗ったゲリラを作って、好き放題をやらかします。ソビエト政府も、共産党軍を名乗れば、武器を与え、資金援助をしました。ゲリラが反共産党、ロシア帝国の残党を粛清してくれれば、それでいいわけですから。
彼らは、満州のあたりへやってきます。
そんな折、1920年、尼港事件が起こります。
尼港というのは、オホーツク海に注ぐアムール川の河口にある、今のニコラエフスク・ナ・アムーレというところ。ここに、白系ロシア人が15000人住んでいました。それに、中国人、朝鮮人、ユダヤ人、日本軍も駐留していて、石川少佐率いる守備隊260名。それにその軍属、家族、商売人、娼婦もいた。ここに、トリビーチンというロシア人が率いる4000人からなるゲリラ部隊が雪の中やってきて、尼港を取り囲みます。ゲリラ部隊の正体は、さっきも述べたとおりです。軍隊でもなんでもない。
これが「食料調達に協力して欲しい」といって、街のゲートを開かせ、たちまち白系ロシア人を虐殺しはじめます。つまり、このロシア人たちは非共産党員。だから、革命裁判と称して虐殺したわけです。続いて有産階級は共産党の敵だとして、資本家や商店、省庁などを襲ってまた皆殺し。日本守備隊は本国に電報を打ちますが、援軍が来るとしても数十日はかかる。それで白系ロシアの人たちと義勇軍を組織して、ゲリラ軍と戦いますが、結局全滅。日本人700名を含む6000人が犠牲になった、という事件でした。そのほとんどが一般住民。その殺され方があまりに残虐だったため、当時でも報道に規制がかかったといいます。


kaidanyawa at 06:15|PermalinkComments(3)

2015年03月27日

幽怪最期の日

中山市朗です。

えーっ、本日、TBSらじこん「幽怪案内」、最終配信となりましたー!
もっともっと続けたかったのですが、らじこんそのものが無くなるんやからしゃない。

本日は
#232 第279話「お化け屋敷」
#233 第280話「人形の部屋」
2本を配信いたします。280話ですか。でもまあ、ネットでこれだけ一人が語る動画を配信したのは、これが記録じゃないですか? 知らんけど。
「お化け屋敷」と「人形の部屋」は、それぞれ独立したお話ではありますが、一人の役者さんからお聞きした、連作でもあります。実は、先日の「Dayk Night 14」のライブ映像でございまして、そして、ご視聴いただいたすべての皆様、そして未見の方への最後の宣伝ということで、2本とも無料でご覧になれるようにいたしました。

3年ほどの期間でしたが、皆々様のおかげさまで、これだけ続いたのであります。
ありがとうございました。

しかし、これで終わりません。
TBSさんの方から、また別のメディアでやりましょう、というお言葉をもらっておりまして、また、作業がはじまります。まずはアーカイブの整理。
今年の夏ごろ、また皆様に「幽怪案内」をお届け出来ると思います。

TBS −らじこん− 『幽怪案内』


それでは、
,曚福繊△靴磴い覆蕁
△靴辰弔譴い靴泙靴拭
それではみなさま、ごきげんよ〜。

上方演芸ファンのみなさん、´↓は、どの芸人でしょう。

kaidanyawa at 14:20|PermalinkComments(7)

2015年03月25日

落語界のカラヤン

中山市朗です。

本日午前11時より、桃山台で行われました、桂米朝さんの告別式に参列いたしました。
玉串拝礼もいたしました。
ということは、神道式の葬儀であったということです。
桂米朝は、仏にならずに、神様におなりになりました。
落語の神様です。

葬儀に参列していて思ったことがあります。
米朝さんと若い頃からの仕事仲間でよき友人であったという人たちや、お弟子さんたちの弔辞や思い出話などを聞いていると、米朝さんは、若いうちから各界の人たちと大いに飲み、語りあったということなのですよ。そして、共に成長し、落語以外の世界に、落語の影響を与え、落語の世界には、落語以外の世界から、いろいろなものを取り入れた。
これですよ。
また、ボヤきになってしまいますが、今の若い人たちは、同じ趣味、同じ世界観をもった人としか接しようとしない。しかしそれでは、成長はしないし、閉じた世界になってしまう。
やっぱり、凄い人というのは、各界に友人や仲間がいる。
そして大勢の人を支え、支えられることによって、大きくなっていく。
米朝さんの葬儀にはほんとに、大勢のいろいろな業界の方々が顔を見せられていました。
だから、上方落語の繁栄がったのだ、と改めて思いました。
人脈は、何度も言うように重要です。

さて、作劇ネトラジで語っていますが、改めていいましょう。

桂米朝は、落語界のヘルベルト・フォン・カラヤンである、と。

カラヤンという名前は、クラッシック音楽をあまり聴かない、指揮者もあまり知らない、と言う人もその名前くらいは聞いたことがあるでしょうし、カラヤン指揮のクラッシック音楽は、絶対にどこかで耳にしているはずです。
カラヤンの功績は、メディアに注目し、後世に残すことを意図した事です。
それまでの指揮者は、音楽はあくまで生で聴くもの、というスタンスでした。もちろん、生演奏に勝る鑑賞はありません。しかし、これではコンサート・ホールに入場した人しか聴けない。
しかしメディアを使えば、全世界の人たちが聞いてくれる。聴くことができる。
カラヤンはそう思って、レコードにし、演奏会をテレビ中継し、映画で残し、CD、レーザーディスク、DVDに対応してきました。CDの初期のころのフォーマット、72分と言うのは、カラヤンがSONYの盛田氏に「ベートーベーンの第九が全曲入るように」とアドバイスしたものだ、という伝説を生んだほどです。
また、ミュージックビデオの走りは、私にすればカラヤンだと。
生演奏には無い楽器の並べ方、演出、イメージ表現は、完全にクラッシック音楽と映像との独自の融合を意図したものでした。まぁ、失敗したのもありますけど。
カラヤンの演奏するコンサートは、こうして世界中の人たちが聴けて、その魅力を知り、クラッシック音楽をより身近なものにしたわけです。

桂米朝さんも、上方落語を全国区のものとし、メディアにも対応しました。
どんな田舎へでも行って、落語の楽しさを伝える。そして、放送に載せる。
東芝EMIから、レコードで桂米朝・上方落語大全集を出し、全集としてミリオンセラー。
このレコードは昭和48年から5年にわたって全23集まで完成し、発売されました。
当時中学生やった私は、2枚組3800円のこのレコード。どんだけ衝撃やったか。
そして、CDと映像の時代になって、再び、上方落語大全集に挑戦。
MBSで、「特選!桂米朝落語全集」の放送。その音源はCD、映像はビデオ、DVDとして発売。
桂米朝の落語は、日本中の人が聴けて、その魅力を知り、落語をより身近なものにしたわけです。
1980年代に、MANZAIブームが起こり、ここで関西の言葉が認知された、といわれていますが、その基礎は、米朝さんが作っていたわけです。
関西の言葉で書かれた「新耳袋」が全国で発売されたのも、米朝さんのおかげなのです。ん?
ともかく、米朝落語は、膨大な数が残りました。
これは、日本文化の遺産です。

さて、怪談界の米朝が、望まれるよなあ。





kaidanyawa at 16:41|PermalinkComments(7)

2015年03月23日

ありがとうございました

中山市朗です。

21日の「Dark Night 14」、おかげさまで無事終了しました。
お客さんは、いつもよりは少なめ。
担当の中村くんは「連休は、お笑いライブも客少ないんですよ」と以前からちょっと心配気味。
わかぎゑふさんも「芝居もそうです。ライフスタイルが最近変わってきているみたいですよ」と。
とはいえ、オールナイトの怪談ライブに、80人ほどのお客さんが入っています。ありがとうございます。
楽屋にモニターがありまして、客席後方に設置してあるカメラからの映像がずっと見えているんです。
いとうことは、お客さんで席が埋まっていく様子が見えるんですが、なんだか赤っぽい服装のお客さんが多いのと、鬼の格好をした人が三人ほどウロウロしているのが見えていて、私、わかぎさん、司会の半田さんで「今日、日本橋でコスプレ・イベントがあったからかなあ」とか言っていたんです。
で、本番が始まってステージに出たら、鬼のコスプレをした人は一人もいないし、赤っぽい服を着た人も、いるにはいましたが、モニターで観たほどでもない。
舞台でもそんなことを言いましたが、ほんま、なんやったんでしょうね?

わかぎさんがゲストということで、前半は舞台に関する怪談を。
最近ニュースになった堂本さんのお芝居でけが人で出たという東京T劇場。
「今回はニュースになったけど、実はあそこはそういうことが物凄く多い。あそこは出てくない、と言っている役者さんは多いですよ』とのこと。わかぎさんの劇団は、今はなくなったA円形劇場で、いろいろあったと語ってくれました。私は、米朝師匠の追悼と言う意味で、急に思い出した、米朝師匠が体験したという怪談を。
コレ、実は「新耳」にB師匠という表記で書きましたが、この話を聞かせてくださったG師匠というのは、露の五郎師匠のことです。

いつものことですが、やっている我々にとっては、約5時間があっという間でして、あの話が出来なかったとか、ああすればよかったとか、反省しきり。なんですが、ほんまに時間が過ぎていくわけです。
私は、実はこの日、劇場入りしてからなんとなく、妙にぞくぞくっとした感覚に襲われていて、ちょっと本番中も話をミスしたことも。こんな感覚はじめてでして、なんなのかわかりません。
モニターで観た、鬼のような人、というのも関係しているのでしょうか?
後半は持ち直しましたが。
でも、あの後家に帰ったらバッタリ。日曜日は一日中、目が覚めませんでした。ほんま、なんやったんやろ?

今回から物販に登場したCDは、順調の売れ行き。ありがとうございます。
これで次回までに、3集、4週が制作できそうです。

来援くださった皆様、本当にありがとうございました。

次回、「Dark Night」は、北野誠さんに三度目の出演をと考えています。6月頃にできればなあと。

さて、オフィスイチロウのホームページ、右下の枠に、作劇ネトラジという表記がありますが、ここから私と塾生たちによってさまざまなテーマについて語っているネットラジオが週代わりで聞けるようになりました。
今回は、桂米朝師匠の追悼ということで、「桂米朝・スペシャル」をお送りしております。
スペシャル、というほどのことでもありませんが……。

kaidanyawa at 13:09|PermalinkComments(11)

2015年03月21日

いよいよ……

中山市朗です。

いよいよ本日、24時からでっせ〜。
「Dark Night 14」
わかぎゑふさんをお招きして、オールナイトの怪談づくし。
場所は道頓堀中座くいだおれビル、地価1階
道頓堀ZAZAハウス

予約、まだ行けます。
で、当日でひょこっと入れると思います。まぁ、怪談好きなら入っておくなはれ。

それから、TBSらじこん「幽怪案内」も配信しております。
私の体験談で#230話「屍女3」、#231話「屍女4」となっております。
あれはほんま、なんやったんやろ。

で、来週金曜日は、TBSらじこんでの「幽怪案内」の最終配信となります。




kaidanyawa at 12:57|PermalinkComments(3)

2015年03月20日

米朝問題

中山市朗です。

桂米朝師匠……、とうとう、こういう日が来てしまいましたな。
ここ7、8年ほど、もう高座で落語を演じられることも無く、いろいろな情報を小耳には挟んでいたのですが。
89歳ですか。

前回のブログに書きましたように、私、中学のときに落語にはまってしまいました。
それ以前も落語は知っていましたし、仁鶴さん全盛時代に、仁鶴さんの独演会を観にいったりはしていたんです。
しかし、本格的に落語に魅せられたのは、中二の夏、ABC「ヤングリクエスト」の深夜、ミッドナイト寄席。
たまたま聴いたのが先代桂文我「青菜」。な〜んか、くそ熱い長屋の風景と、トボけた植木屋さんのキャラクターが、14歳の私の脳にイメージされて、翌日は六代目笑福亭松鶴「遊山船」。これがまた、大川にざわめく夕涼みの人々や、川を行く遊山船などが、イメージされて。落語って、すげえな。
で、当時サンテレビで「上方落語大全集」という1時間番組がありまして、観たら林家染三「ふぐ鍋」、桂春団治「寄合酒」でノックアウト。春団治師匠は出てきたときはボソボソとなにいうてるのかわからん。おもろなさそ、と思っていると、ぐいぐいとアホが集まっている長屋の世界へ。大爆笑。え? 米朝はって?
同じヤンリク。特番がありました。松鶴「らくだ」、米朝「東の旅発端〜野辺〜煮売屋〜七度狐」の長講を各一時間放送。
イカレましたな。
立川談志さんは「それまで上方の落語に興味がなかった。問題にしてなかったんだな。ところが大阪に凄い噺家がいるさって話になって。ちょぅどそのとき、東京で六代目松鶴「らくだ」、桂米朝「地獄八景」をやったんだ。聴きに行ったら確かにスゲエ。そこで認めるようになったんだよ」なんて話してましたしね。

そんなんで、さっそく私も落語をやってみたくなって、「青菜」「ないもの買い」「寄合酒」「一文笛」「らくだ」なんて覚えて教室でやりましたな。酒も飲んだこと無いのにねえ。
今思えば、これが今の私の怪談語りの基礎になっております。また、人を笑わしたり、怖がらせたり、ほおーっと感心されたりと、なんかそういうサービスが好きやったんでしょぅね。今考えると。

米朝師匠がどれだけ、上方落語、上方演芸に功績を残されたのかについては、いろいろと報道もされ、お弟子さんや関係者による思い出や証言も出るでしょうから、私がここで書くことでもないでしょう。

米朝師匠は、楽屋などでお見かけしたことは何度かありましたが、一度だけ、お仕事一緒させていただいたことがあります。NHK「歴史バラエティ」で井原西鶴をテーマにしたとき、その一部の構成と、西鶴を題材にコントも書いた。はな寛太・いま寛大さんと、遥洋子さんが、そのコントを演じて、それをスタジオにいる藤本義一さん、米朝師匠がコメントをしながら、西鶴について語る。
私、スタジオでもう、どきどきですよ。米朝師匠もあれだけの知識人なら、藤本義一さんは西鶴の研究を本格的にやっていた人。「このコント書いたヤツ、西鶴わかってまへんな」とか言われるのではないかと。まあ、無事終わりましたけど。なにか話したかって? 覚えが無い。この私が、緊張してた。
その後、古代史というものを通じて、ご子息の桂小米朝さん、今の米団治さんですな、とよくご一緒する機会がありまして。
「米朝師匠とは、どんな人ですか?」とよく聞いたもんです。
いろいろエピソード、お聞きしましたが、とにかく落語を演じるにあたっての時代考証に厳しい人で、えーかげんにやると「小米朝、ちょっと来い」なんて呼ばれて、理詰めで説教されたとか。
また、小米朝さん、私の話を聞いているうちに、日ユ同祖論とか、フリーメーソン陰謀説なんかにはまって行った時期がありまして。あの人、ある意味無垢な人なので、なんでも信用してしまうところがある。
で、何かあると米朝師匠にそんな話をしていたそうです。
そしたらある日、また、呼ばれた。
「小米朝。あのな、その中山というのが何を言うてるのか知らんがな、そういう話は誰でもいっぺんははまるもんや。けどな、そんなことしている間があったら稽古に来い」
言われたそうで。
「そやから親父、日ユ同祖論に興味あったんですよ。宮司の息子でしたし。それでね、最近新聞読んでる親父が、僕を呼んで、これはやっぱりフリーメーソンの陰謀か、なんていうようになりました」
そう、小米朝さんは嬉しそうに言っていました。

桂米朝師匠、ご冥福をお祈りいたします。
あの世で今頃、松鶴、文枝師匠たちと「とうとう、おまはんも来たか」と言いながら、お酒を酌み交わし、その横には枝雀、吉朝、歌之助なんていう人たちが、にこにこして、ちょこんと座っているんでしょうね。

上方落語四天王も、もう、三代目だけか。





kaidanyawa at 06:57|PermalinkComments(8)

2015年03月19日

viva! 1970

中山市朗です。

ちょっと今、訳ありまして、1970年代の大阪のお笑いについていろいろ調べております。
私の青春時代はまさに1970年代でありまして、当時の映画や音楽、深夜ラジオ、コミック、そして落語、漫才が今の私の基礎を作っております。
ところが、あんまり残ってませんねん。大阪のお笑い。
たとえば、当時の演芸番組なんて、東京の局で制作されたものは、いくつか残っています。でも、大阪で制作されたものはほとんど残っていません。
数年前、NHKで、島田洋之介・今喜多代とか、上方柳次・柳太の珍しいVTRを見て、「こんな残ってたんや」と思っていたら、東京のNHKが制作したものでした。
昔はビデオ・テープなんて高かったから、制作費節約のために、何度も使いまわししていたんですね。また、ビデオにて残す、という概念も無かった。
いっぺん放送したら終わり。
私が90年代初頭に放送作家として携わった関西テレビの『爆笑BOOING』すら、残っていない。あれ、残っていたら、今中堅どころの芸人たちのデビュー(雨上がり決死隊はこの番組がデビュー)や初々しいネタが見れて、商品になったのに。当時、なめくぢ、という名前で出たコンビに、プロデューサーが「そんな気持ちの悪い名前、オンエアできんわ。名前変え!」と言われて、次の出演時に名前を変えてきたのが、よゐこ。あのとき、ボケとツッコミも変えた。まだまだ初々しい中川家とか、海砂利水魚時代のくりーむしちゅー、「電波少年」に出る前の猿岩石なんか見られるんやけどねー。無い。あっ、司会の牧野エミさん、亡くなっていたんですね。後で知った。
そんな話しやない。
そんなんで、まあ、1970年代のテレビ、ラジオの番組は、大阪のはほとんど残っていないという話。
ただ、個人で録画、録音していた場合、残っている可能性はあるわけでして。
もし、このブログをお読みの方で「あるで」という方、おられれば、ちょっと協力していただきたいな、と思います。
それと、自由国民社という出版社から出た「仁鶴・頭のマッサージ」という本、誰かお持ちやないかな?

心当たりのある方は、オフィスイチロウまでお知らせください。

info@officeichirou.com

よろしくお願いいたしますぅ。

kaidanyawa at 02:34|PermalinkComments(7)

2015年03月16日

酔いどれ作家

中山市朗です。

14日夜、いろいろと怪談蒐集にてお世話になっておりますcainさんのネットラジオ「気まま酒屋」に出演いたしました。ご視聴された方も、されなかった方も、ありがとうございました。うん?
「プライベート怪談会」などの後、しばらく居残ったお客さんといろいろ雑談を楽しむことがあります。
怪談はもちろんですが、古代史、UFO、フリーメーソン、イルミナティから、モーツァルト、音楽、芸術、芸能、映画、歴史、宗教から戦争、教育、時事ニュース解説などなど。
盛り上がってしまって、午前6時に怪談会は終了したのに、皆さんが帰られたのは午後4時、ということもありました!
あのとき、私も含め、みなさん、食事抜きでずっと語っていたんですよ。よおやるわ。
そういう話が面白い、ということになりまして、cainさんから「そういう話を他ではやらないのですか?」と言われ、「仕事として来るのは、主に怪談なので」という返事をしたら「やりませんか?」と。
そうですよ。私も怪談だけやっているわけでもありません。
このブログに何度も書きましたように、怪談を語るための基礎は、日本語独特の語彙、イントネーションや表現法、座の文化、そこから発生、発展した話芸、神道と仏教の融合による日本人独自の宗教観、そして気候、風土、といったものを抜きにはあり得ません。
そしてそういうものを調べていくと、日本人とは何ぞや、というアイデンティティに関わってくる。そしてそういうことが、自分という個を形成している、ということがわかります。
古代史、とりわけ私が聖徳太子の研究をしているのも、聖徳太子が日本という国の基礎を作った、ということに突き当たり、ますます知りたくなった、というところにあります。
ですから、このブログに書き綴っております、日本人と戦争、というテーマも、すべて私の中でつながっているわけです。
そこで出てくるのは、学校で教えてもらった、あるいはマスコミから知る世間、世の中というものと、現実の社会は違う、ということ。いろいろな見方、解釈はあるでしょうが、少なくとも、いろんなものが隠され、言ってはならないものがいっぱいある。知らないほうがいいのでしょうが、そうはいかない。
ほんとうの意味のオカルトは、そういう意味で存在します。そこがわかれば、世界の情勢が、パッと見えてきます。これはほんとうです。でもマスコミではいえません。絶対に言えません。

ということで、私がちょっとほろ酔いになったころから、いろいろな話をcainさんに振ってもらって、怪談以外のことを気ままに語る、というコンセプトで、「気まま酒屋」に出演させていただいた、というわけです。
私の中にはいろいろと重いテーマやぜひ、考えてもらいたいこと、などいろいろありますが、これからも気ままに続く、ということですので、ぼちぼちとそういうお話もさせていただきたいなと。

まずは初回、14日配信分は、cainさんが、「作家、中山市朗は、どのように作られたのかを知りたい」ということでしたので、その質問に答えながら、だらだらと、少年時代から大学を出た頃の私についての思い出を、語りました。そんな話でよかったんかな? 聞いているうちにだんだん酔っぱらってきてましたやろ? そこがcainさんの狙いなんだそうです。

このネトラジは、アーカイブは残さないそうなので、聞き逃した方は残念。縁が無かったということで。
いや、実はビデオカメラを回しておりまして、cainさんから、「動画の著作はオフィス・イチロウさんにお預けしますので」ということですので、オフィスイチロウの動画のコーナーで、一部か全編かわかりませんが、公開するかも知れません。

次回の放送は、3月28日(土)、夜10時より。
これは録音でお送りします。ますます酔っ払った私は、なにかチョーシこいてるかも知れません。
まっ、日本人は、「酒入ってましたので」といえば、許されるという不思議な文化を持っていますので、そこはそう……。

kaidanyawa at 04:36|PermalinkComments(7)

2015年03月13日

屍女

中山市朗です。

私は、怪談を書いたり語ったりしておりますが、いわゆる霊感というものがなく、体験もそんなに無い、と公言しておりますが……。
しかし、疑っているだけで、恐ろしい体験は実はいっぱいあります、ということを、今回告白いたしましょう。
やっぱり怪談というものを扱って、しかも私のように現場主義を実践しておりますと、少なくとも一般の人よりは、そういう体験をしやすい。
たとえば、『新耳袋』にも書きました、KTV『恐怖の百物語』の数々のエピソード。とりわけ『奇跡体験アンビリーバボ!』で再現ドラマとともに、そのVTRがフジテレビで放送された、セットに浮かんだ巨大な男の顔のシルエット。あれはホントに存在していた、としか言いようが無い。VTRにもしっかり映っていて、『アンビリーバボ』のスタッフにして「こんなにはっきり映っているとは!」とヒビッた、という話を番組プロデューサーの方から伺っております。でも、それは幽霊なのか、それはわからないわけです。
「Dark Night Vol.1」で、ゲストの田辺青蛙さんが持ってきた人形が声を発したこと。このときは客席がさっと引きましたな。「Dark Night」は場所が場所だけに、私が気づいていないだけで、毎回いろいろ起こっているようですな。私より周りのスタッフとか、お客さんとか、支配人の人とか。
京都の幽霊マンションも恐ろしかったですなあ。ただ、み〇〇さんは、どうもその存在を書いて欲しかったのか、何度も行くはめになり、み〇〇さんのことを知る証言者と奇跡的な出会いもありましたしね。
これも、未だに後日譚が入ってきます。
それに、「山の牧場」。
「山の牧場」は、2000年に『新耳袋第四夜』に発表して以来、なんだか大勢の怪談好き、好事家が、わざわざ捜し求めて、実際に言ったという人もいるようです。「な〜んや、普通の牧場やん」という意見もあります。でも、それは2000年以降の牧場の話。私がここに迷い込んだのは1982年。そこから18年間になにがあったのか、ここがキーポイントなんです。18年間の間に、基本的な構造は変わらずに、でも経営者は変わりながら操業はしていた。これは間違いない。ところが、だからこそ新たな謎がどんどん湧くわけです。どんどんとあそこには、不可解な歴史と痕跡が積み重なり、また、あるものは消されていた。この流れをリアルタイムで知るのは、北野誠さん。彼は未だに首をひねっていますからねえ。「なんなんや、あそこは!」と。なんとも怖かったのは『北野誠のお前ら行くな』のロケで、山の牧場にテントを張って9人で一晩過ごしたこと。9人ともテントにいるのに、真夜中に外で足音が聞こえたときはもう……。
今はもう、木や雑草が道に覆いかぶさって、車は通れないし、行けないと思います。
と、これがおかしいでしょ。
1998年から、操業はしていない。牧場は潰れた。ということになっているのに、しばらくの間、というか、2、3年前まで、道は微妙に整理され、台風の山津波で一旦ふさがれても、また復旧され、何者かがあそこに入り込んで、何かをやっていた、ということですよ。改増築もされていたし、関西電力の検針のおばちゃんの件もある。
でも、完全に牧場そのものは廃場。何も動いていない。廃墟。

なんやねん、あそこ。

さて、長らく配信しておりましたTBSラジオが配信しております、らじこん、が今月いっぱいで無くなるということですので、撮りためていた私の語る怪談の蔵出しをしております。その中で、私が体験した怪異を語っているものがあります。自分の体験談というのは、どうも突き放して見れない。私の怪談は、ちょっと突き放して懐疑の目で表現し、あとは読者なりリスナーに判断してもらうという、これが基本的なスタンスなのですが、それができないものもあります。
今日、配信されました「屍女」という話がそうです。
数年前、私が体験した話です。リアルタイムでこのブログにも報告した覚えがあります。私の書斎にかかってきた、見知らぬ若い男性からかかってきた電話。ある相談。それが「僕の彼女は、生きているのでしょうか、死んでいるのでしょうか?」という不可解なもの。聞くと、死んでいるはずの彼女が夜な夜な訪ねてくる、という。で、私はそこへ行くわけです。そして……。
これは新潮社ら出た『怪談〜黄泉からの招待状』にて書きましたが、体験してまだ半年もたっていないころに書いたものです。ほんとにあれは、よくわからない。見たわけでもない。しかし、あれは……。
ちょっと長い話ですので、今週、来週に分けて配信します。幽霊を見たわけではないが、肌で感じた、という貴重な体験です。
第一話は無料です。

TBSらじこん「幽会案内」

それと、『Dark Night 14』は、あと一週間ほどで開催します。
本にも書いていない、ライブにも放送にもかけていない、という未発表怪談をいろいろ準備しております。今回が最初で最後、という話も?



kaidanyawa at 17:28|PermalinkComments(14)

2015年03月11日

ぴこぷり王国へようこそ

中山市朗です。

告知です。
といっても、今回は私のことではありません。
元塾生のBOMがコミックを出しました。
BOMとは妙な名前ですが、もちろんペンネームです。
彼女が塾生の頃から、われわれはBOMちゃん、と呼んでいました。
今回出版されたのはKADOKAWA/エンターブレイン『ぴこぷり王国へようこそ』という4コママンガのコミック。
実はコレ、女の子向けゲーム雑誌『ぴこぷり』に連載中のものを一冊のコミックにしたものでして、
ぴこプリンセスちゃん、ぴこプリティーちゃん、ぴこプリンスくん、それに執事のじい、ペットのぴこ、と、ぷり、の活躍する、カワイイドタバタマンガです。
私も久しぶりにこの手のマンガを読みました。けっこう、楽しかったですわ。
まぁ、手にとって読んでみてくださいませ。

買っても別に罰はあたりません。





kaidanyawa at 16:25|PermalinkComments(6)

2015年03月10日

未知との偶然

中山市朗です。

オフィスイチロウのホームページがリニューアルいたしました。
このブログの左端のオフィス・イチロウからお入りください。もし、旧ホームページが表記されるようでしたら、更新をお願いいたします。
まだ、工事中のコーナーもありますが、整理されて見やすくなったのでは、と思うのですが。
今後も新機能を更新していく所存であります。
なお、怪異体験箱というコーナーも、近々設ける予定です。
皆様の怪異体験談や、怪異、心霊関係の私への質問などを気軽に投稿していただけるコーナーです。
もちろん、質問には私自らがお答えいたします。

それはそうと、以前告知しました、私の語る怪談CD。
制作が難航しております。第一集には、リクエストの多い「15日に行きます」という怪談を収録する予定なのですが、これがいかにしても、私のところへ届かない。技術担当のものがメールでいくら私のところへ送っても、この話だけ、フォルダーが開かず、エラー表記になります。編集時にもいろいろあったようです。CDに焼いて郵送ということになったのですが……。
私は基本的に、怪異に関しては疑惑を持っているわけでして、そんなことが起こるわけが無い、と思っているんですけど、この話だけが、なぜ?
そういえば、これに似た現象が延々起こった話がありました。
「六甲山」という話でした。

なんなんでしょうね、これ。
言霊、なのでしょうか。霊障なのでしょうか。それともただ偶然が続いただけでしょうか。
北野誠さんの名言が頭をよぎります。
「偶然は、どこまで重なると、偶然ではなくなるのか?」


kaidanyawa at 03:03|PermalinkComments(6)

2015年03月09日

人生の落語者

中山市朗です。

塾生のOくんがスタッフとして入っているから、ということで、桂三若さんの独演会に行ってまいりました。
場所はNGK。考えたら、今年になって落語の生鑑賞ははじめて。
私ももっと勉強せなあきませんな。
芸暦20周年の記念だそうで、元気いっぱいの陽気な高座が繰り広げられました。ふつう、独演会といえども、誰かが前座をつとめるなりするんですけど、最初から最期まで完全にお一人でやられて、大変やなあと。
桂三若さん、20周年おめでとうございました。また、お疲れ様でした。
ご挨拶しようとしたのですが、お客さんと写真を撮られていたので。

さて、私の怪談は、その根本には落語と言う芸があります。
中学のとき、クラスメートは、吉田拓郎とか井上陽水といったフォークソングとか、ロックや、ブルース・リーにはまっていく中、なぜか私だけ、深夜ラジオで上方落語を聞いて以来、落語にはまってしまったわけです。
枝雀さんが襲名する直前でした。私は春団治師匠にほれ込んでしもうて。
弟子入りしようか、なんて考えていた中学生でした。
その後、映画に目覚めて、大学は映画を専攻したわけですが。

なんやかんやあって、30歳で扶桑社版の『新・耳・袋』でデビュー。
ある文芸評論家の方が「この本の文章、なにか他の文芸と違う違和感がある。その違和感が味なのだと思いまして、お二人の経歴を見ると、シナリオをやっていらしたんですね。ああ、これはシナリオが根本にあるんだと、妙に納得しました」と言われたんです。まあ、私も木原も、作家になろうとしていたわけでもなく、だから、プロとしての文筆としての力量が無かった、ということだなと、思っていました。
で、後に怪談をステージで語るということになったとき、わかった。
シナリオと違う、落語やと。木原も落語好きでしたからな。
『新耳袋』は原稿にする前に必ず木原は私に語る、私は木原に語る、ということをやっていまして、その後、ライブなどにかけて練りこんだんです。その上でそれを原稿にするわけですから、話芸というものが根本にある。
怪談は、ト書きに当たる、説明や情景描写が欠かせないので、落語と言うより、映画の弁士、あるいは講談が近い。しかし、私が聞いていたのはあくまで落語でした。講談に出てくる英雄、ヒーローより、落語に出てくる、あかんヤツ、に共感してしまいまして。落研つくって、演じてもいましたしね。ですから、落語がベースにある。
構成がそうなんですが、キャラクターを演じ分けたり、セリフのやりとりをしたり、というのは落語。ただし、あんまりキャラクターを作りこみすぎると、くさくなるので、落語の演じわけくらいがちょうどいい。
そして、距離感の演出、間の取りかた、テンポも、無意識ではありますが、落語を聞きこみ、実際にやっていたということが大いに参考になっています。

さて、三若さんの独演会が終わった後、ちょっとOくんと話をしました。
「落語と怪談て、お客さんのひきつけ方って、やっぱり同じなんですか?」と聞かれた。
よく落語家さんは「お客さんの顔を見ながら、今日はあれをしよう、この噺をしようと考えるんです。で、ドッと笑いが起きると、調子づくんです。同じ噺をしても、雰囲気でウケたり、ウケなかったりするので、ほんま、落語って生ものですよ」とおっしゃります。
怪談も同じです。
テレビの収録などは、あらかじめ、この話、と決められていますが、たいていのライブとなると、やっぱりお客さんの雰囲気で、語る怪談をその場でチョイスするんです。その雰囲気というのを、口で言うのは難しい。ほんまに、空気を読む、というやつです。だから、前日に懸命に練習して、披露しようとしていた話ができずに、ぽっと思い出した話をすることの方が多いんです。
ただ、怪談の場合、客電を落としていますので、ステージからはお客さんの顔が見えない。また、スポットライトが我々を照らしているので、まぶしくて余計見れない。だから、ほんとうに、空気を読むしかない。たまに読み方、失敗してまっか? ははははっ。
で、落語とかお笑いの芸なら、お客さんの反応は、笑い声で来るわけですが、怪談の場合、それが無い。
鳥肌たてている、なんて、こっちには伝わっていませんもん。ただ、サァーと引いていくときがあるので、そんなときは成功やな、と。
客引かせて成功、言うのはちょっとおかしいですけど。

だから、落語とはまた違った難しさがある。師匠というのがいませんから、そこは手探りしかない。
しかし、Oくんも怪談好きなんですが、なんとか、怪談を聞く、ということをエンターティメントとしてし掛けるべきやなあと。それにはどうしたらええんやろか、なんて話しになりました。
お笑い、という陽の話芸があるなら、怪談という陰の話芸も成り立つはずです。
怪談本はそこそこ売れてはいますから、ニーズは必ずあるわけです。『幽』なんて専門誌もあるわけですしね。

こういうことをやってみれば、などという、みなさんのご意見、お聞かせ願えればと思います。

kaidanyawa at 02:07|PermalinkComments(6)

2015年03月06日

怪談リクエスト!

中山市朗です。

わかぎゑふさんをゲストに迎えまして、怪談三昧のオールナイトを予定しております「Dark Night 14」の開催に向けまして、現在、私の語ります怪談を収録したCDを製作中です。
以前からあちこちで「CDがあれば買うのに……」という言葉を聞いていまして、これを社交辞令とは思わず本気にしてしまった、という結果です。
どうせ出すなら100話目指そう、ということにいたしました。ただCDには容量数の問題もありますので、そうなると12〜13枚くらいの全集ものになってしまいますので、まあ、売れ行きを見ながら2年ほどかけての作業になるかなと。
今のところ、「Dark Night」をはじめとした、ライブ開場でのみ、限定発売。好評のようなら通販もと考えてはいますが、現在のところは未定。
今回発売はその、第一と第二集にあたる二枚分を準備、作業中です。
『怪談狩り』に収録した「S字のカーブ」「吊りカラス」「阿門闍梨、前後編』や未収録の「すれ違う」「心霊ゲーム」「俺が怖い」、そしてリクエストが多い「15日に行きます』等々16話。
価格は一枚2500円の予定。少々値がはりますが、いずれも100枚の限定品ですので、ご了承ください。

「Dark Night 14」の物販コーナーにてご用意する予定です。サインにも応じます。

その「Dark Night 14」ですが、連休只中、ということでもありましょうし、春休み、ということもあるのでしょうか、いつもより予約の入り方がスローベースであります。まだまだ余裕がございますので、ご来場をお待ちしております。というか、「怪談マニアなら来い」と、なにやら怪談の神様がいうております。
えっ、てか、怪談の神様って、だれや?

「Dark Night 14」は、約2週間後の3月21日(土)。
開場 23:30 開演 24:00
料金 前売 3500円 当日4000円
場所 道頓堀ZAZAHOUSE(中座くいだおれビルB1)
出演 中山市朗
ゲスト わかぎゑふ
司会 半田あかり

予約は、オフィスイチロウのHPからどうぞ。

そして本日はTBSらじこん「幽怪案内」の配信日です。
前回からの続き「やめとかんね3」「やめとかんね4」を有料配信いたします。
このお話の舞台は、九州は宮崎県の山奥、季節は春でして、ちょっと時空を越えた、不思議で情緒のある大作です。今後はいろいろなライブなどで練りこみながら、いい味のする怪談に仕立て上げたいと思う話です。
怪談は、お客さんとしては、初めて聞く新鮮さと衝撃をおそらくお求めだと思いますが、一方で、古典落語のように聴くたびに味があったり、驚きがあったりする練りこんだ怪談、というものも、語る側としてはご披露していただきたいなと、思ったりします。「15日に行きます」とか「京都の幽霊マンション」、西浦氏から提供いただいた「夜の警備員」、90分の超大作「ユウコ」とか。

みなさんもいろいろ意見、リクエストくだされば、今後の参考にさせていただきます。

kaidanyawa at 17:02|PermalinkComments(4)

2015年03月04日

超陰謀論!

中山市朗です。

太平洋戦争で、日本は本当にアジア諸国に侵略をしたのか。
これを考えるためには、まずその背景とその時代の流れを検証しなければならない、と、20世紀になってからの義和団事変、日露戦争、そして、満州事変、日中事変、とまあなかなか、1941年までたどり着けないわけですが、まあ気長にお付き合いください。 

で、その続きを書こうとしたら、さっき青林堂さんから『超陰謀論』と言う本が献本されてきました。
山口敏太郎さんとカナダ人のジャーナリスト、ベンジャミン・フルフォードさんの対談本です。
ブログなどに感想等書いていただけると、と一筆ありましたので、ちょっと。
まだ、パラパラと目を通しただけですが、この二人で『陰謀論』ですから、それは怪しい話がどんどん飛び交っています。どこまで信じていいのやら。
しかし、テレビや新聞といったマスコミからは、この陰謀論というのはなかなか出ない。
私が欠かさず観ているテレビ番組『そこまで言って委員会』ですら、陰謀論となると、スルーする。
「陰謀なんて無いって」「そんな話をするからダメなんだ」とかいって。

陰謀ですからね、そりゃ、表に出ません。
表に出ないが、陰謀者はさまざまなリーク情報を出す。そのリークされた情報はしかるべき場所から出るわけで、新聞記者やテレビのニュース報道記者は、その情報をマスコミに流す。そしてそれが、良識ある、真実の報道ということになります。
この『超陰謀論』で、フルフォードさんは、こういうことを言っています。判りやすいよう、少し本文を省略しています。ご了承を。
「記者とジャーナリストは違うんですよ。記者というのは政府の言っていることを、右から左に流すだけの仕事です。だから普通の記者は政府の言っていることを鵜呑みにして書きます。そうすることでキャリアを積んで給料が振り込まれるわけです。では、ジャーナリストはどうするのかというと、現地へ行って探すわけです。しかし、現場へ行って政府の発表と違う事実を見つけてしまうと、待っているのはクビ。もしくは殺されてしまいます。それは政府の発表を鵜呑みにしないで自分で確認するからです」
ISISに潜入し、殺された後藤さんは、フリーのジャーナリストでしたね。
私も現地へ取材をするタイプなので、フルフォードさんのいうことは同意するところです。
しかし、古代史なども現地へ行って取材し、場所や遺跡を探し当て、伝承の検証をして資料にあたっても、結局アカデミズムが認めていないもの、相手にしないものは、トンデモとして扱われるわけです。でもね、アカデミズムの先生方は誰も現地に来ていない。調査もしていない。それは文献にも無いから。だから私は現地へ行ったって調査するんですけどね。でも、行くこと自体がトンデモになるんです。
でも、この目で観る、確かめる、ということは、何よりも強い。そう思います。
山口敏太郎さんはこう言います。
「僕はどんな意見があってもいいと思うんですが、トンデモ説だとか陰謀論だとか言って切り捨ててしまう人がいるんです。本当のフェアな報道と言うのは、トンデモ説も陰謀論もすべての情報を出して、どれが本当なのか考えよう、というやり方だと思います。テレビ局が勝手にコンプライアンスとかいって、フォークロア的なものをカットしてしまうのは問題だと思うんですよ」
ただ、トンデモ説にはほんとうにトンデモというのがありますから、どこまでのものを出すかは難しいですが、そこは記者の人にも勉強してもらいたい。このままじゃ、新聞はますます売れなくなりまっせ。

日本のマスコミは、在日の問題、部落差別の問題、ヤクザの問題、宗教の問題、ユダヤの問題はタブー。
こういう問題を扱うと、人種差別とか差別の助長、と言う名で弾圧されますが、そうではない。それを隠れ蓑にしている陰謀者がいる、ということなんです。うまいこと利用しているわけですね。そしてね、本来そこを見ないと、いろいろ一連の事件が線として現われない。扱い方が難しいのはわかります。しかし、まるでそんな問題は無い、かのようにスルーして、はたして真実の追究が出来るのか、と思ったりします。諸悪の根源に行かないわけですから。枝葉ばっかり伐採しても、どうにもならん。
点のように別々に起こる事件も、視点を変えると、つながっているんです。そしたら、いろいろ氷解してきます。
でもそれはいろいろ利権や政策にからんでくるわけでして……。やめとこ。
ただ、最近解禁されつつあるのは、原発と自衛隊。この二つも、東日本大震災によって、原発の賛否は無視するわけには行かない事案となり、自衛隊はその被災地における貢献度でイメージが上がりました。原発は、スポンサーの問題もあって、原発反対とは、テレビでは絶対に言えませんでした。

報道でよく言われるのが、昔は「大本営発表」で随分国民はだまされた、という言葉。
そういっていながら、やっぱり新聞、テレビから流れる報道が、政府筋から流れる情報が、大方正しい、とたいていの国民は思っています。ただし、今はネットの情報がそれを阻みつつある。ここは、政府も諜報機関も制御できない。あとは、受けて側、つまりみなさんのメディアリテラシーの問題ということになりましょう。
ある意味、面白い時代です。
というわけで、その陰謀と闇に隠れた歴史の話の続きをいたしましょう。




kaidanyawa at 16:11|PermalinkComments(2)

2015年03月02日

旗印の名のもとに

中山市朗です。

昨日、ウェブでの閲覧でしたが日本共産党中央委員会の発行する「赤旗新聞」にこういう記事が載っていました。 
「日の丸・君が代」への起立、斉唱の異常な強制によって子どもたちの思いが押しつぶされて、教職員が監視され、萎縮するようなじたいが起こっています。
卒業生と在校生、保護者、教職員が向き合い、壇上には卒業生の作品が飾られる。そんな卒業式が東京都では教育委員会の2003年の通達で認められなくなりました。壇上には日の丸を掲げ、全員がそちらを向かなければ成らないというのです。
(略)
「日の丸・君が代」については多様な意見がありますが、それが侵略戦争につき進んだ日本のシンボルであったことは歴史的事実です。起立したくない、歌いたくないという教職員や子どもたちは当然います。宗教上の理由で「君が代」は歌えないという人、日本の侵略を受けたアジア諸国出身の人もいます。
(略)
教育は、人間的ふれあいを通じて営まれるべきで自由な雰囲気が欠かせません。そのかけがえのない自由を奪うことは許されません。卒業式や入学式は、それぞれの学校で、子ども、保護者、教職員が話し合って、子どもたちの新たな出発にふさわしいものにすることが、本来のあり方です。
憲法が子どもの権利条約が保障する思想、良心の自由、表現の自由、信教への自由を侵し、子どもたちのための式を台なしにする強制はただちにやめるべきです。

さて、みなさんはどう思われますか?


私は、この記事を書いた記者が、はたして文面通りのことを心底思って書いたのか、「わぁ、なんか書かなあかんしなあ。どうしよ」と、仕事としてやっつけをやったのか、よおわかりません。
というくらい、寝ぼけたことをいうとる。
だいたい、小中学生の子どもたちが「日の丸」「君が代」について、特別な思いがあるとは思えません。あったとしたら、それは教室で先生が自虐史観でそう教えたか、親がよっぽどの政治的信条者か、どっちかでしょう。つまり、何もわからない子どもを利用して、自分たちの政治的信条を満足させている、だけのことです。
私の中学、高校のときの歴史の先生がそうでしたもん。
まあ、私はぼーっとした、どこか足らん子どもでしたから、中学生の頃は、先生のいうことが、ほんまなんかなあ、という程度で、基本的には何も考えていなかった。でも、「日の丸」は戦争肯定、「君が代」は天皇賛美、「自衛隊」は人殺しの軍隊、なんてあんまり授業中に言ったものだから、一部の賢い生徒が、その先生の授業をボイコットした。そしたら後日、その生徒と親も呼び出され、厳重注意を受けていました。
これこそ、思想の強制やないですか。
教師たちのやることは正当で、そうでないものは悪、排除。さすがにぼおっとしていた私も「ありゃりゃ、こりゃ、おかしいぞ」と思っていたら、高校で事務長をやっていた父親が「ああ、あの先生、日教組や」
「日教組?」
まあ、そういう経緯があったのです。

日教組の先生方がみなみな共産党というわけではないし、共産党を母体としているわけではない。というのは本当なのでしょうが、ただ当時は幹部と北朝鮮はつながっていたようですから、幹部が言うことは、本来は政治的信条のない先生にまでそれを吹き込むことになります。
正しい教育、理想的な国家、戦争は二度と起こしてはならない、自由の享受、等々。その理想的な国家は、当時はなんと、北朝鮮だったのです。
もともと、子どもたちが好きで、子どもたちをどう健全に導こうか、なんて理想に燃えている若い先生たちは、これははまりますわ。
まあ、宗教ですわ。
宗教上の理由で「君が代」が歌えないって、どこの、どんな宗教や、と思いますが、この「日教組」という宗教以外にそんなものはない。
だいたい、卒業生と在校生、保護者、教職員が向き合い、壇上には卒業生の作品が掲げられるって、どんな卒業式やねん。また、法が強制であるというのなら、法治国家ということを放棄しなければなりません。

ただ、昭和という時代に、共産主義を理想とし、インテリたちがこぞって支持した要因もわからないでもない。
やっぱり日本は貧乏だったんです。少なくとも1970年以前は。
私の小学生の頃の田舎では、農家には牛小屋があり、雨が降ると雨漏りはあたりまえ。舗装はされていない。停電はしょつちゅう。お昼のお弁当に日の丸弁当、という子はいたし、自動車は庶民の憧れ。都会は知りませんけど。
貧乏な労働者たち、そして北朝鮮への憧れ、というと、私はすぐに「キューポラのある街」を思い出してしまうんですけど、原作者の早船ちよも、共産党員でした。

庶民は貧乏しているのに、経営者は金持ちだ。これは不公平だ、貧富の差は無くし、個人資産を共有資産とすべきだ、というのは、腹が減った人間のいうこと。人間に限らず、動物の本能として、腹が満腹していると動かないが、腹が減ると動き出す。近代の社会に生きる人間は、経済活動の中にいるわけですから、だったら我々の腹をすかせるこのシステムをなんとかせにゃならん、と、システムの改革を考え出すわけです。
今も、やっぱり改革だの暴動だのが起きるのは、発展途上国。みんな仕事も食うものもないわけです。
今の日本の、特に若い人たちが、あまり政治に興味を持たない要因のひとつには、そんなに腹が減っていない、ということがあると思うんです。別にこれといった不満はないし。あったとしても、言っても無駄でしょ。だったらめんどくさいことは考えんと、このままでええやん。としてしまうのが人間。しかしそれでは発展も進展もなくなっちゃうんですけどねえ。言っても無駄でしょ、というのも、余裕ですわなあ。切羽詰まっていない。

ただ、腹が減る我々一般庶民の感覚と、全然違う感性というか欲望を持ったのが一握りいるわけでして、これが権力志向の人たち。こういう人たちは、人間心理をよく勉強していますから、腹の減った庶民たちを利用し、たきつけ、扇動し、改革をもたらし、結果、扇動した者が権力の座に就く。歴史は延々、これを繰り返しています。
皇帝を倒して、新しく皇帝が出来る、というやつ。
フランス革命というのがまさにそれです。あの革命は、ほんとうに陰謀と暴動と粛清と恐怖政治で行われたんですよ。

共産主義というのは、そもそも資本主義を打倒して作る、というものではなく、資本主義が発展し、成熟したとき、共産主義になる、というのがマルクスのいう共産主義。その共産主義という理想を目指すのが、社会主義国家。ただし国家であるから、これには統制が必要です。その最高責任者が書記長で、このポストに就けるのは一人しかいない。この座を巡っての権力闘争が起きる。
ソ連など、社会主義国家がダメになったのは、本来、資本主義としての成熟を目指すべきところ、その経緯をスッポリ飛ばして、いきなり暴力でもって共産主義にしようとしたところに原因があるわけです。
貧乏なまま、すべての生産活動の成果を共有に、といったって、生産活動そのものがおぼつかない。だから共有できるものがない。だから失敗したわけです。しかし、表向きには、成功している、と宣伝しなきゃならないので、ソ連は軍事とか宇宙開発で無理をした。余計、庶民が飢える。米ソ二大大国なんていわれながら、崩壊したら中身カラッポだったとバレちゃいましたな。また、権力の座に目がくらんだヤツっていうのは、腹の減った庶民とは欲望の満足度が違う。権力の座に就く為には、そして守るためには、なんでもする。共産党にとって、最高の座に就く者は、前衛であり、神のごとく存在でして、裏切り者は容赦なく粛清、破れた者も粛清、従わない者も粛清。スターリンもポルポトも毛沢東もそうでした。
今なら、北朝鮮を見たらわかりまっしゃろ。

これが、資本主義の成熟を待たずに共産主義を樹立した国なわけです。おかけで、共産主義は、マルクスが謳ったものとは大きく異なり、また、恐ろしいもの、経済を破壊するシステム、あるいは独裁者を生むもの、と印象づけられました。
「赤旗」は、「日の丸」「君が代」は侵略戦争に突き進んだ日本のシンボルであったことは、歴史的事実です、というのなら、「赤旗」は、権力闘争に突き進み、数千万人を粛清した共産党のシンボルであったことは、歴史的事実です、と反論しておきましょう。
ちなみに、どれだけの人が共産主義によって粛清され、殺されたのかというと、数字には諸説ありますが、
ソ連 2000万人〜7000万人。
中国 6000万人〜8000万人
カンボジア 170万人〜300万人
その他 1000万人。

だからといって、今の日本共産党の赤旗が、血塗られた旗だとは誰も思っていないでしょう。
「日の丸」も、なにも全部が正しかっただけではない。国益の名の元で残虐、残酷な歴史も残した。一方、われわれが現在享受している平和で、世界から信頼を得ている日本、というのも、その歴史から出来上がったものであることも事実。それが人間の、国の歴史であるわけです。だからこそ、自虐意識一辺倒でなく、客観的に歴史を見て、将来進むべきことを考えるべきなのです。
個人主義は大変結構ですが、その言いたいことを言える自由は、日本と言う国がまた、それを保障してくれているから、言えるわけです。





kaidanyawa at 18:38|PermalinkComments(4)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


Archives