2015年06月

2015年06月30日

天皇のいる国 13 大和朝廷の経済力

中山市朗です。

天皇と日本について考えながら、書いております。
皆さんも、考えていただいているでしょうか?

倭国から日本国へと転換するとき。
このとき、ヤマト朝廷は、初めて国際舞台を意識し、今で言う先進国、文化国を目指そうとしたのです。
その先駆者が聖徳太子であり、天の命でこの地と人を治める天子、つまりは天皇がそのためには必要だったと書きました。それには、外交上の体裁だけでなく、国としての力も持ったときだったともいえるわけです。
そんなん、エラソーなことを言っても、国に力が無かったら、すぐ潰されちゃいますわ。

中国皇帝に、天子が治める国の宣言で、まずは我々が住む今の日本国の礎が作られたということです。
それまでは、倭人たちの集団、あるいは部族としての自治、意思はありましたが、もっと大きな、国家としての意思、ビジョンが、はじめて意識されたんです。なかなかこれ、朝廷の人間であっても、当時は理解できなかったでしょうね。

私、聖徳太子の「和を以て貴しとなす」という『十七条憲法』第一条のことばの和は、協調、協和、和睦の和である前に、倭ではないかと思っています。

「倭を以て貴しとなす」は、倭の人々よ、今後は互いに争いはやめて、一つの国家の元で意思を強調することが貴いことなのだ、という。

今の我々日本人は、自虐史観を植えつけられ、現近代史を知らず、国家という礎に感謝もせず、日本の伝統文化を軽視し、ただ、自由だ、個人主義だ、自分がよければいい、なんて、国家意識を持たなかった倭人に戻っちゃいませんか?

また、政治家の人たちも、ほんとうに国家のヴィジョンをお持ちの上で、日本の国益のために働いておられるのでしょうか?
国家の意思。ヴィジョン。ずっと今の日本の政府が国民に問われている問題ですが、日本という国を作ろうとしたとき、もうそれが求められていたんです。
どういうく国づくりをして、大御寶(百姓)を飢えさせずに治め、どういう外交戦略と成長戦略を仕掛けるのか。
そして、どうやって経済的基盤を作るのか。なんでもそうですが、大を為すには志と人、そして資金が必要なんです。
裕福な国と貧乏な国じゃあ、その影響力や支配力が全然違いますからね。でもそのためには、いろいろやらなければならないことがある。国家としてですよ。
そういう面から、ヤマト朝廷の成り立ちを見ていきましょう。

私は先日、ロフトプラスワン・ウエストのトークの中で「邪馬台国は、九州にあったと思います」と言うと、三上『ムー』編集長に「えーっ、関西の人間なのに、そういうこと言うなんて、珍しいですよ」と言われましたが、奈良の大和朝廷が勢力を持ってくるのは、考古学的には3世紀半ば、奈良盆地からはじまるんですが、それでも邪馬台国より、ちょいと新しい。これが4世紀後半に河内平野へと移るわけです。
北九州の弥生時代の文化、風習が、3世紀ごろ、突如近畿に移転している、ように思われるわけです。
ですから私は、天皇の祖先は、『書紀』の神武東征に反映されるように、九州からやって来た征服王朝だと思っています。多分、阿蘇の噴火とか、寒冷による大きな飢饉とか、なにかがあったのでしょう。同時に、日の昇る国こそが治めるべき国である、ということで、情報を集めていて、そのチャンスをうかがっていたのかも知れない。このあたりは、空想するしかないですけどね。ただ『書紀』には、太陽の昇る生駒山(日下)を目指したとは書いてあります。物部の祖山です。そして、紀伊半島を迂回し、奈良盆地から入った、とありますから、一旦奈良盆地に入った文化、風習が河内へ移ったという過程も書いてはある。

さて、近畿にやってきたまだ天皇とは名乗っていなかった太陽信仰の王が、河内平野や奈良盆地あたりで勢力をだんだんと増していくことになります。便宜上、その王を天皇とします。彼らは天神と名乗っていました。天皇が勢力を増す、ということは、武器を使用しての周辺諸国の支配を意味します。
戦いに勝った者が、負けた者を支配する。
これはもう、人類普遍の鉄則です。
初代天皇は、神武天皇。つまり、軍神でもありますしね。
天皇の軍事部門を担当していたのが、物部氏という豪族です。
彼らの祖は海人です。海部です。彼らも太陽信仰の人たちです。

思うに、皇族の祖と物部の祖は、同じ民族だったのが、古代において別々に(一方は北九州に、一方は丹後の久美浜に)流れ着いたんでしょうね。だから河内で遭って、たちまち師従の関係となり、物部も天神であることが認められた。同じ信仰、風習、おそらく言語を使っていたということでしょうよ?

海部出身のニギハヤヒは当時、丹後半島から陸路でやってきて、近畿や中部一帯を支配していた王です。
漢字では饒速日と書きます。明らかに太陽信仰の名前ですね。そして農業とも関係する。
ニギハヤヒは、一人の呼び名でなく、何代にもわたった名前です。
そのニギハヤヒ一族が、もともと河内にいた登美毘古(トミノナガスネヒコ)の一族と婚姻しながら、協調関係を保っていました。大阪から奈良にかけて、登美、鳥見、富、登弥、といったトミの名の付く土地が多いのは、そのあたりがトミ氏がもともと支配していた国だったことを示しています。ニギハヤヒはしかし、東征してきた天皇こそが自分の主人とばかりに、トミ氏を裏切って天皇に従い、以後、丁未の乱で蘇我氏に破れるまで、ずっと天皇の祭祀、軍事を担当していました。で、途中で物部を名乗ったんです。軍事に関するものだけでなく、物の作成に大きく関与した豪族でした。

その物部が戦争に強かったということです。物部(もののべ)は後に、もののふ、となります。武勇を以て、主君に従える武者、戦士のことを、もののふ、と言います。
この頃、倭人の武器はサヌカイトという石で、槍先や鏃を作っていました。サヌカイトというのは「讃岐の石」という意味で、1891年ドイツの地質学者ヴァインシェンクが名づけました。文字通り香川県でよく採れた火成岩で、地元ではカンカン石と呼ばれていました。叩けば澄んだ音がしたんですね。だから楽器にも使われました。
当時、楽器は神事に不可欠なものでしたが、この神事も物部が司っていました。
神事と軍隊を司る物部氏。戦勝を祈願し、軍隊を動かし、戦うには、神と一体でなければならなかったんです。で、このサヌカイトの日本最大の採掘場は、なんと大阪府と奈良県の県境にある二上山周辺にあったんです。

『新耳袋』に「どんづるぼう」という怪談を載せましたが、あの場所が二上山なんです。
今も「奇勝どんづるぼう」は霊スポットとして存在しておりまして、その奇妙な侵食風景は、もちろん火山岩屑の長年の沈積、隆起、風化によるものですが、サヌカイトの発掘がもたらしたもの、でもあったんです。
物部の戦闘集団としての能力は、このサヌカイトの大量採掘による大量の良質な武器、であることも大きかったんです。
サヌカイトは鉄より鋭利な刃を作ることもできますが、やがて鉄の武器に取って代わられます。
わが国において、製鉄はいつごろからなされたのか? という問題は、いろいろ提起されていますが、確実なのは5世紀から、とされていますので、まずは、3、4世紀におけるヤマト朝廷による周辺国の支配には、サヌカイトの武器でもってもたらされたと言えましょう。また、サヌカイトは古墳造営にも必要とされ、石棺や建築資材に使われるようになります。つまり古墳時代には大量のサヌカイトが、どんづるぼうから採掘され、移送されることとなります。
となると、交通手段が必要です。
大量の物資を運ぶのに、最適なのは水路です。船による移送が効率的です。
そこで、河内平野を流れ、何度も何度も氾濫を繰り返している何本もの川を大きな一本の河に集約し、それを運河として、治水と運送ができるような大工事が行われます。このときできたのが、大和川です。
奈良盆地と河内平野、さらには瀬戸内海および河内湖(今は無い)へと流れる人工河川、運河です。
その最初は仁徳天皇の頃でした。当時は、難波の堀江と呼んでいました。おそらく国家事業としての最初のインフラ工事です。技術担当は秦氏。古墳の造営も秦氏の技術によるものでした。そして、時同じくして、巨大古墳が河内の各地に造られるようになります。
この、秦氏は渡来人ですが、いったいどこからこんな技術を持ってきたのか?

実のところ、よおわからんのが、この頃の朝廷の経済規模です。
あれだけの前方後円墳をはじめとする大きな古墳が河内の周辺にどんどん出来ています。複数のものが同時に造営されていたわけですが。
以前、大林組が大仙稜古墳(仁徳天皇稜)の造営試算は、680万人で15年8ケ月が必要とか!
当時そんなに人はいません。この頃の日本列島の人口が、5〜600万人と言われていますから。しかし、どう考えても、何十万人規模の労働者が必要だったのは確かで、それだけの食料の確保、常駐設備、そして道具、工具などが必要だったのは確かです。その資金は、当然朝廷なり埋葬される豪族から出たはずです。
世界一の埋葬施設群ですよ。あれは、絶対に見せるためのものだった!
エジプトのピラミッド造営もよくわからないことが多いんですが、私、同じような人集め、管理方法が使われたんじゃないかと思っていますが、よお、わかりません。
秦氏が絡んでくる……。
まあ、秦氏の正体はいろいろな専門家が諸説述べていますが、古墳のありかたとしての概念も、どうやら、古代エジプトのファラオと同じなのです。ということは……?
このことは、また詳しく述べたいと思います。

ともかく、以後、各時代を経て、大和川はたびたび護岸工事が行われることとなります。
低い湿地帯で川もたびたび氾濫する土地に、かなり大きな運河を作り、人工湖も作り、推古天皇の時代にはわが国最初のダムも作られました。大阪府に残る狭山池がそれです。そして、用水路も引かれました。
また、河内、大和、摂津のみならず、直接難波の港と結びますから、各地から穀物や資材、鉱石、布、皮、そして特産物などが流通してきます。難波の港は、大和朝廷にとって重要な「天下の台所」になりますが、このことは次回に。そしてその要所に市場がたちました。
最大の市場は『書紀』にもしばし出てくる海拓榴市(つばきいち)で、現在の奈良県桜井市のあたりにありました。大和川の岸にあったんです。ここに外交員を迎える施設や宿泊施設もあり、隋の使者、裴世清はここで歓待を受けたと『書紀』に書かれます。路上で馬などによる大パレードが行われたようです。歴代の飛鳥時代の天皇の別荘もこのあたりに造られました。大きな倉が軒を並べていたようですし。
これで、朝廷の経済力が大幅にアップしました。大きな平野の水を堰きとめて、築堤もされるということは、水の確保とコントロールを可能とし、水田や畑の開墾が可能となります。水路を運搬路として使用し、物資の流れをスムーズにします。稲を収納するための倉としての屯倉が置かれ、食料の確保も出決まるようにしました。すると、仕事を求めて人夫も集まり、農業に携わる人たちが集まってきます。こうして村ができ、都にも人が多く集まってきます。市が立ちます。人口が増えます。

こうして各地から労働者を集め、朝廷の暦を配布し、農作業をはじめとする労働のコントロールも行い、賃金の支払い日や額も決め、税の取立てが効率よくできるようにしますと、戦争をせずとも人民の支配ができます。支配される方も、朝廷に属することのメリットを持つことが出来ます。まあ、今は当たり前のこのようなことも、古代の時代には、その基礎から創っていかねばならなかったんです。
中央政権を作る、とはそういうことです。

また、田んぼや都造営のための大きさや長さ、収穫量などを測る共通単位の設定とか、物の値段も統一する。当時、貨幣なんてあったかな? おそらく穀物や布の支給?

ともかくそういう単位の基礎となる、まずは暦を作る必要があった。暦を作るものが天下を制する。
だから、暦は中国皇帝しか本来は発布できないものだったのです。
これを、大和朝廷が独自にやれたんです。聖徳太子の外交の勝利です。
日本國の独立は、まずは天皇が認定する暦の作成と発布から始まった、といってもいいでしょう。

そういえば、3世紀末に書かれた『魏志倭人伝』に「その俗(倭人)は、正歳四時を知らず、ただ春耕秋収して、年紀とす」とあります。邪馬台国の住民は、暦を持っていなかったとするわけです。また、歴史学上でも、3〜4世紀にはわが国に暦は無かったとする説も多いのです。

しかし、実を言うと、んなバカな、と私は思うわけです。
そんなん、暦なしで農業が成り立ちますかいな。種を撒く時期、収穫する時期、そして徴税の時期が決められないと国の運営ができない。予算立ても、さまざまな期限も設けられない。宮中の祭祀や儀式も行事も、暦無くては成り立たない。行事にならない。しかも、邪馬台国の女王は、太陽神の巫女ですからねえ。
太陽の運行を見ているわけでしょ?
それに、太古からある三輪信仰もあきらかに太陽信仰。縄文は太陽信仰なんです。
それに、太古より日本列島には、冬至や夏至の太陽の位置を示す環状列石や巨石信仰の跡は数多くのこっています。冬至と夏至がわかりゃ、そこから暦は読めると思うのです。ただ、歴史学上では、大湯のストーンサークル(秋田県鹿角市十和田大湯)を除いては、ほぼ、そんなものは無い、とガン無視されていますけど。
だから朝廷の定める統一の暦は無かったとしても、日本列島に住む人たちは、暦は独自でもっていたはず、というのが私の見解であります。
太古からある三輪山の信仰も、太陽信仰で、冬至、夏至の太陽を見る装置がありますしね。

『書紀』によると、推古天皇10年に朝鮮半島から暦博士が来て、暦本が伝えられたとあり、この頃、中国の暦を朝廷に導入したと考えられています。元嘉暦なのか儀鳳暦なのか、学会でも意見の分かれるところのようですが、この頃の暦は、太陰太陽暦という太陽と月の両方の動きから測る暦が使われていたようです。
この暦によると、月の始めは、必ず新月で月は見えない。三日は三日月、15日が満月になる、というもの。今も何月何日とか、新月、三日月と、その名残が今のカレンダーに残っていますね。


インフラの話でした。
それでですね。推古天皇の時代に、朝廷はまたまた凄いインフラ工事をしでかすわけですよ。
あ〜あ、また長くなっちゃった。
読みにくい?

つづく。












kaidanyawa at 01:36|PermalinkComments(4)

2015年06月27日

怪談ライブのお知らせ

中山市朗です。

お知らせがございます。

まずは今夜、22時頃より、ネットラジオ『気まま酒家』放送。
前回の生放送後に録音したものの放送です。だいぶ、酒に酔っています。ウィスキー1本カラッポ。

「天皇」について語っております。だいぶんタブーに近い発言もあろうかと思いますが、なんせ酔っ払っておりますので……むにゃむにゃ。

放送URL http://stal.lagio.net:8030/aberu.rr3u
掲示板 http://livedoor.jp/raio/27627/

続きまして、

8月7日(金)
「とんぼり文化祭2015夏・岩井志麻子プレゼンツ『怪談ウォッチ、志麻さんのもんげー恐い怪談ナイト』」

出演

岩井志麻子(作家)
中山市朗(怪異蒐集家)
吉村智樹(放送作家、関西版VOW主幹)
MC
松原タニシ

場所 ロフトプラスワン・ウエスト
開場 18:30 開演 19:30

前売 2500円  当日 3000円(共に飲食代別) 要オーダー500円以上

予約は、イープラス、ロフトプラスワン・ウエストで店頭か電話で。
電話 06-6211-5592(本日より開始。16時〜24時)

その次、

8月15日(土)
「ふるさと怪談トークライブ at  大阪」

出演(順不同)

田辺青蛙
中山市朗
牧野修
東雅夫
門賀美央子

場所 大阪中央公会堂大会議室
    (大阪市北区中の島1-1-B1F)
開場 18:30 開演 19:00

入場料 2500円(全額、東日本大震災こども未来基金に寄付いたします)

予約 furusato-kaidan@yahoo.co.jp ふるさと怪談トーク事務局 担当 門賀
    (-はアンダーバー、送信時@は小文字変換で)
   予約の際
   1 代表者氏名
   2 読み仮名
   3 参加人数を明記のこと

だそうです。

志麻子さんの怪談は、おそらく、シモネタに……?







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2015年06月26日

天皇のいる国 12 海部氏の血統

中山市朗です。

今月のブログは「天皇」一色の感で、それに興味は無い、という人には申し訳ないです。
しかし、日本人なら、天皇について知っておく義務があるように思います。

天皇がいての日本。日本があっての日本人。日本人あっての我々の生き方、考え方、そして周りのこういった環境がある。

さて、前回まで書き綴りましたとおり、倭国から日本国に代わるにあたっては、天皇という存在が大きく寄与した、ということなのです。百余国に分かれていたクニを、天皇という国家元首を創って、一つにまとめる。そして、中国のような文明国家とする。けっして、柵封関係にはならない。
そのためには、国家元首は中国皇帝と対等な天子でなければならない。
それを、太陽(天)の子たる海部(あまべ)氏の血統に求めた。

海部氏は彦火明命(つまり太陽神)を祖神とする万世一系の祝部(はふりべ)として、今も京都府の丹後一ノ宮・籠神社の宮司としてその継承は続いています(系図上では)。
その名の通り、海の彼方からやって来た、海洋民族、海人です。

籠神社は、まるでモーゼが海を割って創ったかのような、天橋立を参道としています。

籠神社は、元伊勢であり、外宮の豊受大神は、籠神社の奥の院、真名井に降臨した食料神です。御饌(みけつ)神です。
天照大神は、伊勢の地におさまるまで、近畿を中心に移動(巡幸)していて、一時、この籠神社の地に鎮座されたことがありました。四年後、また巡幸し、最終的に今の伊勢内宮に鎮座されるのですが、雄略天皇のとき、天皇の枕元に天照大神が立たれ「丹波国の比治真奈井の神を近くに呼びなさい」と言われ、豊受大神は伊勢の外宮に遷神され、今にいたっています。
全国に数多ある稲荷神社の主神は、もともとこの豊受大神であります。分霊というと、わかりやすい?
御饌(みけつ)を、三狐、と表記し、それが狐と結び付けられた、という説があります。

この、伊勢より歴史の古い籠神社は、媛巫女(ひめみこ)を出す祝部でした。
媛巫女は、丹後の竹野にあります竹野神社で修行したのです。竹野は、たかの、と読みます。
竹野神社の歴史を紐解くと、古代において巫女屋敷と言う、巫女養成所があったようです。
ここで修行をした巫女を、竹野媛といいます。
そして竹野媛は、古代においては、天皇家に娶られるか、伊勢の斎王(いつきのみこ)になったのです。
斎王とは、天皇に代わって天照大神の神意を受ける依代であり、それは、天の意思でもって運営される国家の意思決定を司る、重要な役職なのです。
神の意思を受ける依代は、誰でもなれるものではなく、神の血筋を引く女子でなければならなかったのです。
その女子を産む血統が唯一海部氏であり、海部こそが、神の直系である、と。
あの、神託をしたという神功皇后も、その血統は海部に行きます。
ちなみに、古代において天皇の側近として神事と軍事を司っていた物部は、海部の分家となります。

まあ、このあたりの詳細も拙書『聖徳太子・四天王寺の暗号』を読んでいただくと、よろしいかと。

聖徳太子の血統も、母、穴穂部間人皇后は物部の出身(大阪市八尾市の穴太神社にその伝承が残っています。八尾市は当時、物部の居住地でした)で、その母、小姉君は、おそらく竹野の媛巫女で、海部氏の出身。
そうなると、聖徳太子の宗教観が、天の意思で以て天下を治める天子、という概念を、つまり天皇を生み出したと、私にはそう思えてならないのです。
実は、四天王寺にはもともと海部の神が主神としてあった、とは、籠神社の重要関係者の証言であり、また、あの三柱鳥居のある蚕ノ社(木嶋神社)の主神も、同じ海部の神が祀られていましたが、現在は変えられています。四天王寺と蚕ノ社は、秦氏という渡来人が関わってきます。
とまあ、古代史に詳しく無い人には難しいでしょぅから、このへんにしておきますが、万世一系の天皇の血統は、海部の祝部という、これも万世一系の血統に支えられていて、言い方は適当でないかも知れませんが、海部は、天皇家の血筋のスペア、だったと位置づけられます。

いわば、聖徳太子がその血筋であるとなると、生まれながらに神秘性を持ち、特殊な存在であることの裏づけがここにあります。この時代は血統が全てであり、いかに蘇我氏が朝廷で力を持とうが、天の意思を受けることはできない。巫女も生まれない。仏教では、天の意思は降りてこんのです。
私の推察では、蘇我稲目は、竹野の媛巫女である小姉君を養女としてもらいうけ、巫女の血統ながら、蘇我の女として教育された。そして、欽明天皇と婚姻させた。天皇家は継体天皇でその万世一系の血筋を危うくし、そのカリスマ性を失いかけていた。そこに、海部の血統が入った。
再び、朝廷における天皇(このころはまだ天皇ではなかったが)の神威が高まった。その小姉君の孫が聖徳太子であり、また、蘇我氏が朝廷で権力を握るのも、この稲目以降のことです。
聖徳太子は、ここでさらに踏み込んで、海部の秘儀を天皇即位の儀式に封じ込めようとした。
そうすることで、天皇は、海部の神威で、天下を治めることになる。

そういった、天皇と天の意思を受け取るシステムは、聖徳太子が創ったと、私は確信しているわけです。
ただ『日本書紀』編纂では、海部の神威はほぼ無視され、聖徳太子も仏教の聖者にすることで、天皇の神威性を『書紀』編纂の中心にあった、藤原氏に移行したかった、ということのように思います。言い方を変えれば、聖徳太子が創った天皇のシステムを藤原氏が巧く改良して、朝廷での権力を増したんです。

かくて、712年に『古事記』、720年『日本書紀』が完成し、天皇の天照大神を祖神とする高天原の神話が創られ、その正当性が記録されました。
つまり、海部(あまべ)のあま、が、天(あま)に変えられた、ということでしょう。

それより古い記録、『天皇記』も『国史』も残されず、日本の歴史学は、この『日本書紀』に記される記録を分析、解析し、古代の日本の姿を推測するしかなくなったんです。
聖徳太子の謎は、かくて生まれた……?

ともかく、日本の歴史は、このように天皇から生まれたんです。
天皇は日本であり、日本は天皇である。

わかりましたか?

ええっ、わからん?







kaidanyawa at 03:15|PermalinkComments(4)

2015年06月25日

天皇のいる国 11 推古か天武か

中山市朗です。

質問がありました。

天皇と名乗ったのは天武天皇というのは、いまや通説なのか?
推古天皇ではなかったのか?

確かに戦前までは、天皇号は推古からというのが通説でした。でも、その根拠となるものに現代の歴史学はいろいろいちゃもん(?)をつけています。

確かに、歴史学は文献学ですので、より信憑性のある資料を採択します。
『書紀』によると、天武天皇は「飛鳥浄御原令」を発令し、このとき、天皇号を使ったとされます。ただ、その文献は残されておらず、令(法令法)だけで律(刑法)を伴なわないものでした。
天武天皇の死後、「飛鳥浄御原令」を元にして、律も設けた『大宝律令』(701)の公式令詔書式に規定された「明神御宇日本天皇」が、文献的に確実に確認できるもの、というのがどうやら、その根拠になっているわけです。
飛鳥あたりで出土した木簡にある天皇の文字がそれを裏付けているというわけです。
また、『続日本紀』によれば、即位した折り、天皇宣言をしたとあります。
さらに「大宝律令」成立の翌年、第七次遣隋使派遣においては、当時の中国皇帝・則天武后にその報告をしているようです。
『旧唐書』(945年編纂)によると「日本國は倭國の別称なり。その國、日の辺に在るを以て、故に日本を以て名と為す」
これによると、倭国と日本は別ということになります。おそらく、ですが、朝廷は日本(やまと)国として国号を改めたが、まだまだ日本海、東シナ海にいた倭寇たちが、その勢力下に入っていなかったと思われます。一方、日本と言う名は日の昇る場所にあるからそう名乗った、とあり、これは、聖徳太子の「日出処の天子」とまったく同じコンセプトです。このとき、お祝いとして則天武后は日本の使いに毛皮70枚と、パンダを二頭、贈っています。

それ以前に倭国は「日本と名乗っていた」と朝鮮の歴史書『三国史記』などにも記されますが、こちらが編纂されたのが1145年、しかも『日本書紀』などからの引用も多く、史料的価値には疑問が付けられます。

しかし、私に言わせれば、聖徳太子の時代から「天皇」に関するキーワードが一挙に出てきますし、聖徳太子の時代のもの、とされていた、法隆寺関係の碑文や『天寿国繍帳」などに現われる「天皇」という文字をどう解釈するのかにかかってきますが、このあたりの詳しい考察は拙書『聖徳太子・四天王寺の暗号』(ハート出版)をお読みいただくと、ありがたいのですが。

ところで、「天皇」という号は、聖徳太子が道教から導き出し、彼自身、海部氏の血統を引いている、とは何度も私が強調するところですが、天武天皇の道教色の濃い人で、いろいろ神秘的な逸話を持っているんです。
で、『書紀』にはその出生のことが書かれていない。なぞめいています。で、御名は大海人なんですね。
海部氏と何らかの関係が、その出生に絡んでいる。同母の姉に、聖徳太子の母と同じ、間人皇女と言う名も見えますし。ですから、聖徳太子が考案し、準備していた天皇号を名乗って天下を治める、ということを、この天皇が継承し、実行するために天皇号を正式になのったのではないかと、私は思っております。

このあたりのことは、詳しく書くと一冊の本になってしまいます。
ともかく、天皇、という言葉とその仕組み、神秘性は、天武の時代に急に成立したものとは思えません。
下地が必ずあったはずです。また、当時の中国や朝鮮の国々の記録に無いことを、『日本書紀』も書かないはずです。『書紀』は聖徳太子が「天皇」という文言を使ったと書いています。

そんなこんなで、天皇を正式に名乗ったのは天武かもしれませんが、その発明者は聖徳太子であり、天皇の神秘性もそのあたりから来るのでは、と思っています。
ほんと、現代に至るまで、天皇というのは神秘のヴェールにまとわれます。あれが、本当の「隠された神の叡智、つまりは、オカルト」であります。

kaidanyawa at 02:42|PermalinkComments(5)

2015年06月22日

天皇のいる国 10 『天皇記』と『国記』

中山市朗です。

天皇と日本について考察しています。天皇は日本であり、日本は天皇である。

倭国から日本へ、移り変わる時代。

倭国に文字が入ってきます。漢字ですな。
『古事記』によれば、応神天皇の頃に、和邇吉師(わにきし)が『論語』などを朝廷に伝えた、とあります。これを信用するなら3世紀には、漢字が伝わっていたことになります。
漢字の読み書きを習得するのに、『論語』がいい教科書になるんです。
そして、仏教を受け入れると、仏典が入ってきます。中国や朝鮮から入ってきた仏典は、漢字で書かれています。しかし、4世紀、5世紀と、文字で記録されたものは、わが国には刀剣や碑文のようなものを除いてはほぼ皆無といっていい。
だから、歴史的にもよくわからないんですね、この時代のことは。
邪馬台国も、けっきょく、中国に残った記録から見ていくしかない。

ところが、7世紀になって、聖徳太子がどえらい国家的作業にとりかかったと『書紀』にあります。
『国記』『天皇記』の編纂を蘇我馬子とともにはじめたというのです。
『国記』はおそらく、日本の国の歴史や成り立ちや地理風習が。『天皇記』は天皇、皇族たちの系譜、歴史、物語についてかかれたものだと思われます。
クニ、ムラの複合体であった倭が初めて、一つの国体を以て、中央政権を持ち、なんとか国際社会(といっても当時は中国が全て、といった感じでしょうけど)の仲間入りをした時代だったことは、前回のブログで書いたとおりです。。しかもそれは、中華帝国という巨大なものに、いきなり対等で行こう、とする無茶な行為です。
そのためには、今で言う国家元首が、中国皇帝と対等な強い国家元首が、絶対必要だったんです。

また、外交をするからには、外交記録を記す必要が出てくる。すると過去に遡った歴史が、やっぱり必要です。歴史も伝統もない国なんて、舐められますからな。中国の暦も導入しました。日付がいりますからね。いろんな必要要素があっての編纂作業。おそらく未完だったと思われますが。

しかし、645年の乙巳の変で、蘇我入鹿の邸宅が燃やされたとき、『天皇記』は焼失。『国記』は火の中から救われ中王兄皇子(後の天智天皇)に奉献されたとありますが、現存はしていません。
ですから、『天皇記』『国記』がほんとうに書かれたのかは疑わしいという学者もいます。また、天皇号は聖徳太子の時代には使われていないので、それは本来『大王記(ほきみのふみ)』ではないか、とする人もいます。

馬鹿言いなさんな。『大王記』ではけっして無い。『天皇記』だから、国家事業として編纂する意味がある。
隋の皇帝に対し「天子」と名乗った。名乗ったからには、根拠がいる。証拠がいる。歴史(神話)もいる。
だから、今に継承される国生み神話と神の系譜を記録し、根拠とすることが必要だったわけです。
そしてその際、聖徳太子は、天下を治める王に、神の系譜に継承される天皇という称号を付けようとしたんだと思うんです。
大王、王では、皇帝の臣下になってしまいますから。対等になるための称号を名乗り、その裏づけを体系化するわけです。だから『天皇記』でなければならなかった。
大変な作業ですよ、これ。

四天王寺は、聖徳太子が建てた「仏教最初の官寺」ですが、これは仏を祀るというよりは、大学のような施設でした。とにかく大陸から来た記録、文献を読み、学問を学び、習得し、自らが書き、記録する。それを教える専門の先生、博士たちが朝鮮半島から来ております。
『書紀』には若い官僚たちが学生として、手分けをしてそれらを学んだとあります。
そして、倭という国の名も改めたかった、と思うのです。
少なくとも、倭という文字が、何を意図するのかはもうわかっていたはずですし。
倭は、天子のいる国としての国号にはふさわしくない。
わ、に和をあてる、なんてアイデアも当時でたでしょうね。今も和風、和食なんていいますけど。

「日出処天子」という文言は、太陽(日)の昇る場所、日の本(もと)、と言う意味ですから、日本という国号の草案は明らかに聖徳太子から出たものです。
私は拙書で述べたように、聖徳太子の血脈は、太陽信仰の海部氏に行くと思っております。物部氏のルーツです。古代の天皇家はしばしば海部の巫女を娶ることで、その血脈を保っていました。天皇家と海部はおそらく同根です。聖徳太子は天皇にはならなかったが、その血脈を皇帝に並ぶ尊いものとした。だから、天皇のいる国を日本とした。天皇に即位するための祭祀に、その海部の秘儀を封じ込めようとした。私はそもそも天王寺は、その儀式をするための寺だとにらんでおります。太子は志半ばで死去し、それはならなかったようですが。

もちろん推測でしかないですよ。しかしそう考えないと『天皇記』『国記』を編纂する意味が無い。
ちなみに、このときの編纂のノウハウや集められた資料、系譜などは、それから約100年後に成立した『日本書紀』編纂に生かされたはずです。その『書紀』はその海部の事跡をほとんど記していません。というか、消去した。『書紀』成立の前年に、海部氏系図(現在日本に残る最古の系図)に検閲が入ったことがそれを裏書しています。聖徳太子はやたら仏教の聖者であると強調されます。そうすることが、『書紀』編纂の中心的存在であった中臣氏には必要だったのでしょう。太子には太子の、中臣には中臣の編集方針がある。『天皇記』は、だから焼失させられた、と、これも推測ですけど。

ところで、天皇という言葉は、どこから来たのか。
それは道教からです。
「天皇大帝」。
道教の最高神のことで、北辰信仰です。北極星と北斗七星を神格化したものです。
聖徳太子が建てた四天王寺が、まさに北辰信仰の寺院でして、南門から北へまっすぐ、中門、五重塔、金堂、講堂が並んでいます。この寺には聖徳太子が携えていた七星剣が伝承されるが、これは北斗七星が刻まれ、天帝であることを意味しています。ここから天皇が採択されたのです。
今も皇室で年のいちばん最初に行われる四方拝という祭祀は、北が重要視されています。
そして、天皇大帝から名づけられたと思われる、天王寺という寺名。
と、同時に、西に鳥居を置くことによって、東に位置する生駒山を太陽信仰の象徴として拝する、という実に考えられた寺院が天王寺(天皇寺)なのですよ。
仏教寺でありながら、道教を示し、古くから倭人が信仰した太陽信仰の寺院でもあり、天皇の祖神を拝する寺院でもあります。
こういう発想が、聖徳太子以外の誰から出るというのでしょうか。スサノオも隠されていますし。誰や。聖徳太子はいなかった、なんて言うてるのは?

ところで、漢字は中国の文字ですから、当時の倭の人たちが使っていた言葉にどうあわせ、表現するか、の苦労の後が見えます。見本も辞典もなにもないですからね。

実は、天子と書いて、すべらぎ、と読みました。てんし、というのは中国音なので、やまと言葉に当時は相応な漢字をあてたのですね。で、天皇も、すべらぎ、と読みます。あるいは、すめみまのみこと、すめらみこと。天子、天皇、字は違えど音は同じ。

ですから、さっきの『天皇記』は、てんのうき、ではなく、すめらみことのふみ。
『国記』は、こっき、ではなく、くにつふみ、と本来は読みます。

大和という字は、我々は戦艦大和や大和朝廷を思い出しますが、考えたら、大和は、だいわ、とは読めますが、大はやま、とは読めませんし、和は、と、とは読めませんよね。つまりこれ、やまと、という音(おん)に、大和という字を充てたんです。
大いなる倭、大いなる和、です。倭を和やかな、和という字で現した。
大和と書いて、やまと。
実は、それまでは、やまとに、大倭国の字をあてたこともあったんです。天平年間に、大和と定まったようで。

やまと、とは、山のあるところ、山の入り口、という意味で、山は古来より神聖なる場所、神が降臨する処、をさすわけです。と、は処(ところ)という意味ですな。
邪馬台は、魏の使いが、やまと、に適当に勝手に充てた文字で、倭人たちは、自分たちの王のいる神聖な山の都、を、おそらく、やまと、と言っていた。
そして、都にいる統べる大いなる王は、統(す)べる王なのです。王は言葉で詔(みことのり)を出す。これは言霊といって、古神道の根幹となっております。だから、統べる御言、ですな、本来は。
そのやまとことばに、天子、天皇という当てた。
 
学問上では、天皇と名乗った最初は天武天皇だとされます。それは、701年に成立した『大宝律令』の公式令詔書式に規定されていて、そこに「明神御宇日本天皇」と書かれています。
これ、なんと読みます?
これ、いったい、なんですの。神明御宇って、よおわからん。

あきつみかみとあめのしたらすやまとのすめらみこと、と読むんです。
日本を、やまと、と読ませています。
御宇は、あめのしたらす、とは読めませんが、治天下、という意味です。
読みと文字が違う。このあたりに惑わされると、古代史はさっぱりわからん、ということになります。逆にそこが理解できると、見えなかったものが見えてきます。

音読み、訓読みなんて、我々は自然とやっていますが、1300年ほど前は、そうはいかなかったんですね。
日本という国は、かくも困難を極めながらも、大陸の文化を巧く取り入れながら、天皇を中心に、だんだん、成立して言いったのです。天皇なくして日本は無し。

今回は、難しかった?
私もまとめるの、苦労しましたわ。

つづく。

kaidanyawa at 14:46|PermalinkComments(3)

2015年06月20日

天皇のいる国9 倭国から日本へ

中山市朗です。

日本は世界最古の国。
そして、天皇と共にあった国であり、天皇の廃止は日本国でなくなることだ、と書きました。
そこんとこを、考察してみましょう。
日本という国の歴史です。
天皇は廃止せよ、いらない、という人は、まずそこのところを考えていただきたいと思います。
なるべくわかりやすく、説明していきます。

日本国と名乗る前、わが国は、倭国、と名乗っていました。名乗っていた、というか、そう当時の中国の書が書いています。そう、あのヒミコが出てくる『魏志倭人伝』に書かれる、倭、です。

この、倭人については、かなり古くからの記録に残っているんです。
「楽浪の海の中に倭人が住んでいて、分かれて百余の国を作り、毎年使者を送り(わが皇帝に)献見している」(『漢書』地理誌)。
これは、紀元1世紀頃の記録です。楽浪とは、今の朝鮮半島の北部、平壌に近い場所にあった漢帝国の支配下にあった郡のことです。倭人はどうやら海洋民族で、当時嶺東と呼ばれていた日本海、黄海、東シナ海を自由に航海し、たびたび漢の皇帝に拝謁していたようです。

「倭は、漢の東南方の大海の中にあって、山の多い島に居住していてすべてて百余国。使者は大夫と自称した。奴国は倭の最南端の国である。光武帝は印綬を与えた。安帝の永初元年、倭国王帥升(すいしょう)が生口百六十人を献上して、皇帝の接見を願い求めた」(『後漢諸』倭国伝)。
生口(せいこう)とは、奴隷、奴婢のことですな。

ここに出る帥升という名が、はじめて記録に現われる倭人の個人の名前です。永初元年は西暦107年にあたります。
倭国はしかし、中央集権も無く、政府も無く、一つの国体としての存在でもありません。ただ、百以上のクニ、なりムラの集合体でありました。
その範囲は、おそらく、九州北部を中心に、沖ノ島、対馬、朝鮮半島西南部、中国の東シナ海に面した海岸あたりだったと想像されます。そう言うと、韓国の人たちが、朝鮮が倭国だなんて嘘だ、と怒ってきそうですが、それは今の我々の概念。2000年ほど前のことです。我々とは、クニの概念、国境は違うに決まっています。また、当時の海洋民族に国境など必要なかったと思われます。あのフェニキアも陸に国を持たず、海洋を自由に行き来していましたしね。

倭、は、わ、と読みます。
これについては説がたくさんありますが、中国の役人に「お前はどこの国のものか」と聞かれて「われわれは」「われのくには」「わがくには」と耳にしたものを、わのくに、と認識し、それに倭の字を当てた、というものがあります。倭という文字は、あんまりいいイメージではなく、小さく卑しい、という意味で用いられます。
わ、という発音に勝手にそういう字を当てたんですな。

3世紀頃になりまして、『魏志倭人伝』に、邪馬台国と卑弥呼が記録に出てきます。
倭国が連合して邪馬台国という女王の宮のある都があったと記されます。
卑弥呼も、ヒミコ(あるいはピ・ミ・コ?)という倭人の発音を、卑弥呼と漢字表記したわけで、おそらくは、日巫女、日御子、媛神子とあてるのが妥当だったと思われます。

で、邪馬台国ですが、これはヤマタイではなく、ヤマトと読む、という説があります。台代と書いて、ダイヨではなく、トヨ、と読ませていますしね。問題は、古代の魏の国ではこれを同発音したのか?
まあ、私にはわかりませんので専門家に譲りますが、魏の使者も聞きなれない発音を懸命に文字に起こしたと考えれば、返って細かい学術的論説は、ことをややこしくするのではないかと思います。
私が聴きなれない外国の言葉ををカタカナに直すとき、きっとえーかげんな表記をしちゃうと思いますしね。
だからでしょうね、邪馬台国論争はあらゆる意味で未だに決着がつかない。そもそも日本側の文献には邪馬台国もヒミコもまったく出てこないので、無視した方がいい、という学者もいるほどです。

しかし、太陽信仰の女王(巫女)と、ヤマトという名の都、というのは、後の大和朝廷成立に関して、大きなヒントをもたらせてくれることは確かです。

ところで、全身刺青をしていたという倭人たちは、勇敢で暴な人たちのようで、よく、大乱を起こします。朝鮮半島の新羅のあたりから発見された広開土王碑という金石文には、辛卯年(391年)倭人は海を渡って来て、百残(百済?)、新羅、伽耶を破って臣民とした、とあります。ヒミコが女王になって大乱がおさまり、死んでまた大乱が起こり、台代が女王になってまた静まった、とあります。倭寇といって、大陸の人たちは倭人たちを畏れていたようですしね。

そして、4世紀から5世紀後半にかけて、倭の五王の時代となります。
自ら倭の王と称してた者から、中国の皇帝に断続的に朝貢使節が送られたというものです。これは『宋書・倭国伝』に記されます。その王が、讃、珍、済、興、武の五人。それぞれ記される年号から、応神か仁徳天皇、反正天皇、允恭天皇、安康天皇、雄略天皇なのでは? と、推察されています。
ここから、100年ほど間が空きまして、

聖徳太子の時代となります。
ここから、中国皇帝への外交のやり方が、コロリと変わります。
朝貢をして、皇帝のご機嫌伺いをする、といった形式から離脱しようとします。
それが例の「日出処の天子、日没する処の天子にこの書を致す……」という、国書。
ヒミコと同じ、太陽信仰をうかがわせる文言です。
我は太陽が昇る国の天子なるぞ。
天子とは、天の命によって天下を治める者、という意味で、本来これは中国皇帝のことを意味し、中国皇帝以外が名乗ってはいけない称号です。しかし、あえて聖徳太子は、あなたは天子たる皇帝、うちは天子たる天皇、ということを意識しているように思えます。
当時の中国皇帝は、隋の煬帝。怒って遣いを倭国の朝廷に遣わし、えらい歓待を受けます。そして二年後、聖徳太子はまた煬帝に国書を授けます。そこに書かれた文面。
「東天皇敬白西皇帝」
東の天皇、謹んで西の皇帝に申します。
皇帝という名は使わないが、天皇であることを宣言する。
そういう趣旨の文言ですな、これ。
大中華帝国皇帝と、対等!

ところが以後、煬帝が怒ったという記述はなく、なんと倭国(日本)は、中国皇帝との柵封関係(皇帝に朝貢して、王の称号をもらう君臣関係)からの離脱に成功。中国からもらうものはもらう、という、他の東アジアの国々とは違った独自の完全独立国という立場を築きます。まあ、普通じゃ考えられないことですが、聖徳太子にはちゃんと計算と戦略があった。
その、中心にあったのが、天皇、という存在でありました。
天皇は、聖徳太子の頃に、初めて使われたようです。

続く。


















kaidanyawa at 18:27|PermalinkComments(5)

2015年06月17日

天皇のいる国8 日本がなくなる日

中山市朗です。

天皇廃止を必死で訴えている人たち。いますよねえ。
まあ、そんなに多いわけではないようですが。

しかしこの人たち、いったい何を考えているのでしょうね。
君が代は間違っている。国旗掲揚はしない。天皇は廃止。自衛隊は違憲。
これ、日本国というものを拒否していることになる。
日本で生きていくことが嫌だということ、なんですかねえ。
だったら、日本を出て行くか、別の国にするための代案を出さなきゃ。
まず、日本国という国号を変えなきゃいけない。天皇廃止の人々の要求を呑んだ途端、我々は日本人じゃなくなるんです。
天皇を否定することは、日本を否定することですから。
きっとそこまで考えていないんでしょうね。天皇は税金の無駄遣い、なんていっている人たちは。
そして、天皇反対を訴えている人たちは、それが何を意味するものなのか、いったい、どういうことが起きるのか、そこに言及した人って、あんまり見たことが無い。まさか、天皇を廃止しても、日本国は日本国と言う名のまま継続するなんて、思っていないでしょうね。
だって、日本は太古よりずっと日本でしたから。それが変るなんてことは頭に無いか?

国体、という言葉があります。国体とは憲法です。そこには日本国の成り立ち、国柄が示されています。何を受容して何を排除するのかが書かれています。
まず、天皇は日本国の象徴であり、日本民族統合の象徴である。という日本国憲法の第一章第一条の文言を排除するわけですから、これは国体を変えることを意味します。憲法の新たな成立をめざすべきです。国号を改め、新国家としての憲法の成立です。
しかし、なぜか天皇を廃止しようとする左派の人たちって、憲法は変えてはならん、と言っている。わけわからん。

日本は太陽信仰たる天皇とともにある国です。だから、日本であり、日の丸なのです。
つまり、天皇を否定することは、日本を否定する道理となります。
天皇廃止論を支持する人の中には、非科学的だという理由で日本建国神話も否定すべき、というのがいます。天皇が神の子、ということが、もう今は古い考え、否定すべきだというものです。世界広しといえど、自国の神話を非科学的だと排除する国なんてないでしょう。『聖書』を信仰する国々も、これには猛然と反論してくるでしょう。そんなことを言い出す国の人たちとは、接したくないですもんね。それとも文化大革命をやった共産党国・中華人民共和国になりたいのか?

文化大革命とは1965年から約10年間続いた中国共産党主席、毛沢東による修正主義運動です。
封建的、資本主義文化を否定し、新しく社会主義を構築するための運動でしたが、学問芸術を圧殺し、古い歴史も否定。儒教を否定し、宗教を弾圧。多くの教会や寺院が破壊され、多くの僧侶は投獄、殺害されました。そして1976年の第一次天安門事件。この間、6500万人とも8000万人ともいう中国国民が粛清されました。

天皇を廃止し、日本を否定したからといって、そんなことは起きるわけないだろうと、思われるかも知れませんが、それ、ことの重大さを認識していない考えです。だから天皇廃止しろ、なんて気軽に言えちゃうんです。
天皇を否定、廃止するということは、多分、国民選挙なり、天皇廃止を掲げた政党が支持される、という世界なのでしょうが、それでもこれは、受け入れることの絶対に出来無い反対派の学者や政治家、文化人たち、そして一般の国民たちとの間で、そうとうの抗議活動や対立が起きることは必需でしょう。諸外国もこれについて議論が交わされ、報道されるでしょう。もし、万一、絶対あり得ないことですが、税金の無駄遣いで天皇を廃止したというのなら、もう超恥ずかしい。だって日本は世界一のお金もち国。それが世界の宝ともいうべき天皇の維持もできないのか、このカネの亡者め、と、猛バッシング間違いなし。
天皇廃止は、失敗したから次の選挙でやり直し、という問題ではない。一旦選択したら、その体制は、永劫に続くんですよ。次の改革が起こるまでね。ゲームじゃないんだから、リセットできないんです。
天皇を廃止することは、日本という国も無くなること意味しますから、
「本日より日本は無くなりますので、国民は日本人ではありません」と政府に言われて「はあ、そうでっか」なんて、なります? そうなるんですよ。
日本民族というのは存続しますよ。
しかし、その日本であるところを自ら否定したおろかな民族にはなります。
もう平和ボケも、世間知らずも、たいがいにせな。
日本列島も日本海も残りますよ。でもねえ。あっ、ここぞとばかり、韓国が「東海」を名乗るよう、国際社会に訴えます。ひょっとしたら、日本海はこのとき、地図上から消えるかも?

天皇がいなくなった時点で、わが国は日本ではなくなるから、我々は日本国の国民ではない。新しい国家の国民です。そうなると当然、日本国を否定した新政府は強固な反対勢力を権力でもって押さえ込もうとするでしょうし、言論統制もひかれるでしょう。そうでなきゃ、政府は国を運営できない。国民を掌握できない。国の信用度にもかかわる。マッカーサーが天皇を戦犯として処刑しなかったのは、つまりこのことが懸念されたからです。そんなん、国内、大パニックですわ。やっぱり共産党国家みたいになっちゃうのか。これ、諸外国からの信用もがた落ち。日本経済もまたまた凄く落ち込むでしょう。あっ、円、ていう通貨はどうします? 日本国の通貨なんで、日本を否定した国が使うのは、どうかと。
円はローカル通貨ではありますが、それでも国際的信用度のある通貨です。それも変えるかあ。
あのですねえ。日本人は普通に日本の銀行にお金を預けますよね。これ、日本と言う国を信用しているからなんですよ。そこに疑問を持たないほど、日本人は「日本の信用」の恩恵を当たり前に享受しているんです。
それ、崩れます。
これねえ、日本人の自信喪失を生むだけです。この気力がますます景気の悪化を呼び込みます。世界から信頼されていた日本人というブランドが、地に落ちます。自ら皇室と伝統と歴史を捨てた民族。
これ、日本人が思う以上に深刻なことになりますよ。
なんか、メリットが見出せんのやが。
あっ、そうそう天皇がいないので、外交能力が極端に落ちます。ロイヤル外交に、呼んでもらえるかなあ。

おそらく、天皇廃止の核となる部分は、先の大戦の戦犯の象徴の道義的見地からの排除(いまさら?)、平等民主主義(共産主義?)の確立、ということなのでしょうが、もう新国家樹立に際して、多くの血が流れると思いますよ。中国や韓国からも破壊活動家やスパイも送られてくることでしょうし。世界の情勢も不安定になるでしょう。特に中東の国々は、天皇のいる日本と言う国をリスペクトしていますから、その国体が変わることは大いなる不安を煽ることになる。韓国、北朝鮮以外のアジアの国々の秩序も崩れるでしょう。日本の国力は必ず落ちますから。米国は、日本が共産化しないかと疑心暗鬼に陥ります。中国はさっそく日本改造を裏面から支持し、支援することでしょう。民主党は組みそうですなあ。そうか、共産党の独裁国家になるのかな? どっちにしても、どさくさにまぎれて、沖縄あたりは中国が支配するでしょう。日本の、いや、新国家の国政は、それどころじゃないでしょうから。自衛隊員の士気も著しく低下するでしょうしね。そしてそんな日本を、中国は一段と下に見るでしょうしね。
実は中国という国は、韓国のように天皇を卑下した事は一度もありません。毛沢東の時代からそうなんです。周近平現国家主席は、副主席時代、天皇拝謁を強く要望したくらいです。その威厳が、国家主席のポストを手に入れるのに必要だったわけです。皇帝を生んだ国土にある国家主席は、天皇についてちゃんと理解し、リスペクトしているのです。世界の常識です。そんなのは。
そして、普段温厚な日本人も、世界の世論を背に受け、アイデンティティ(存在意義)を失ってまでも、黙ってはいないでしょう。日本は荒れます。私は戦いますよ。
天皇がなくなる、ということは、そういうことなんです。日本一国の問題ではない。

結局、平和国家の樹立の理想が、血塗られた革命になる。それを抹消するための報道規制、言論統制、ネット住民の反撃、ネット規制が敷かれる、若者やネット族はこんなはずじゃなかった、と、日本国復国論が叫ばれる、対立が激過する。まあ、作家としても妄想ですが、おそらくそういうことになりますよ。革命とはこれです。そうなりますって。ただ、そういうことが無かったというのも、日本と言う国なのです。ずっと日本でしたから。そして、日本人もそういうことが、想像すら出来ない。頭の中に無い。いいことなんですよ、これ。

その、文化大革命を起こした中国ですが、中国4000年の歴史、なんていっていますが、嘘です。
今は中華人民共和国で1949年の建国。共産党国家です。その前が中華民国。アジア二番目の共和国。その前が清帝国。1636年満州で建国しました。で、その前は……、明、元、宋、南宋、北宋、西夏、五代十国時代、唐、周、隋……。王朝が変るたびに国号は変り、分裂していた時もありました。皇帝も漢民族がたったとも限りません。まあ、日本と違って、ああいう大陸ですから。大陸はあって、そこにいろんな国が樹立して4000年、という言い方が正しいかと。
隋の時代というと、そう、聖徳太子の時代です。ところがわが国は、この頃は倭国、あるいは大和国といっていたようですが、少なくとも701年には日本と言う国号を使っていました。以後1300年以上、ずっと日本国であるわけです。

お隣の韓国だってそうでしょう。大韓民国と朝鮮民主主義人民共和国。今、同じ朝鮮民族の人たちが南北に分断された国体の違う別の国で生活しています。ほら、国体が違うって、こういうことなんですよ。その前は日本併合時代でしたから、日本でした。その前が初の皇帝を立てて大韓帝国。その前は李氏王朝による朝鮮国。その前が高麗、元朝、新羅、渤海……。
王朝が変わると国体が変る。そうなると国号も変る。ヨーロッパだってアフリカだって同じこと。ロシアだって、20数年前まではソビエト社会主義共和国連邦という共産党独裁の国。その前がロマノフ王朝のロシア帝国。革命でこの皇帝を排除しました。
日本だけが、ずっと日本であり続けたのは、天皇がいる国として、その国体は変らなかったからです。
もし、天皇がいなかったら、日本という国号は最初から無く、幕府なり別の王朝がたつたびに、お隣の中国にならって国号はころころ変っていたと思われます。きっとこれ、歴史のみならず、日本人の気質を変えていたと思います。

日本は、古代より存続しています。
天皇は、国と国家をつなぎながら、国家元首でもあるという不思議な国なんです。
これは時の政府(国府)が、国の代表者たる天皇を自らの庇護下に置いて政治を行ったからなんです。
「日本の代表者たる天皇を奉る我々こそが日本を治める正当な国家である」ということ。
国家とは、国の代表者を尊重し、その支持を得た政府のことです。
ですから、幕府、明治政府、日本国政府と政府は入れ替わっても、代表が天皇であることは代わらないから、日本国であり続けている。ギネスはこの日本を世界一古い国と認定しています。
もし、天皇を支持しない政府が日本国政府を名乗っても、それは日本の国家ではない、ということになる。
国民もまた同じ。
天皇を否定し、新しい国家をこの日本で作ったら、それは革命であり、それは日本ではなくなることを意味します。連綿と続いた歴史も捨て去ることになります。

「かつては、天皇という歴史上続いた伝統を引き継いだ、世界最古の国、日本という国があったよな」ということになります。このとききっと、「なぜあのとき、それを否定しちゃったんや?」という後悔が深く深く刻まれることでしょう。

天皇がいなくなっても、国体は変えず、日本国でいいじゃん、て?
まあ、おそらく天皇はいらない、と言っているほとんどの人が、そう思っているんでしょうね。

でもそれは違う。さっきも言いましたが、日本は太陽信仰たる天皇が創った国。その天皇を廃止することは、その設定を否定することになる。
これ、日本国の否定、ですよね。
天皇の存在を否定することは、日本国憲法の否定ですから、日本と言う国体の否定になります。そうなると、国体を変えるための改革を前提とせねばなりませんよね。
日本国を否定しておきながら、日本国を名乗る。こんなことは通用しません。

さて、それでも天皇を廃止したい、すべきだという人。
日本国に代わる国号と新しい国体を示してください。ほんま、そういいたいですわ。
ねえ、日教組の先生方。あっ、日教組じゃなくなるか。

kaidanyawa at 19:29|PermalinkComments(19)

2015年06月16日

聖徳太子とムー的見解

中山市朗です。

本日19時30分より、ロフトプラスワン・ウエストで「ムーの世界不思議紀行パート3」という、トークイベントがあります。
三上「ムー」編集長、「ムー」のメインライター、飛鳥昭雄さんたちと、「ムー」的なことをテーマに、トークをしようとしいもので、具体的に何について話す、ということは、実は決められていません。
まったく本番でのガチ・トークとなっております。

ただ、私と飛鳥さんの間には、出合った頃に、聖徳太子の預言書「未来記」についての情報交換などをしておりました。聖徳太子の「未来記」については、私は四天王寺の関係者から、ある、と断言されたものの、その方はもう亡くなられて、未だによくわかっていません。

しかし、そこから私は聖徳太子の研究をはじめ、この人が日本の国体を最初に意識し、天皇という概念を作ったと確信するに至りました。四天王寺という寺院も、緻密な計算によって、太陽神の祖神を系譜に抱く天皇と、それを道教という論理から説明しようとする北辰信仰、という、二つの系統を見事に融合した伽藍配置になっています。これは、そういうことを熟知した者がいなければ、出来ないことです。陰陽道の基礎も、この四天王寺に隠されています。これはでは、誰が計算し、合体させ、封じ込めたのか?

推古帝?
蘇我馬子?
蘇我入鹿?

彼らにそんな知識は無い!

聖徳太子は、実際に太陽神を崇める海部、物部の血を引いていて、この血族を天子として国づくりをし、中国皇帝と対等であろうとしたんです。馬子も入鹿もそんなものとは無縁。そうする動機も見出せない。
聖徳太子は「いなかった」説が、最近学者の間でも支持されるようになっているようですが、冗談やない。
聖徳太子がいなかったら、おそらく日本という国体はもっと遅くに整理されていただろうし、天子、天皇という概念も無かったと思われます。天皇が存在せず、王、大王(オオキミ)のままだと、中国皇帝に朝貢し、朝鮮やベトナムのように柵封関係になったかも知れない。
そうなると、日本の歴史も変っていただろうと思います。
いや、日本、という国号もなかった。別の名を名乗っていたか、倭国、あるいは和国といっていた可能性もあると思います。

聖徳太子とはそういう人です。

今回の「ムーの世界不思議紀行」では、聖徳太子という人物の謎と「未来記」なる預言書について、みなさんに少しでも知っていただけると、と思うのですが、さあ、どうなるか。

まあ、飛鳥さん、三上さんが参加している以上、
天皇と秦氏、ユダヤ人、原始キリスト教についても、触れないわけにはいかないでしょう。

どんな、トークになるのか、予想は不可能!

「ムー」愛読者、オカルト・マニア、古代史マニア、研究家の方は、特に必見です!

kaidanyawa at 05:51|PermalinkComments(2)

2015年06月13日

天皇とはなんだムー。

中山市朗です。

本日、22時頃より、ネットラジオ「気まま酒家」の生放送があります。
cainさんが、怪談以外の私を皆様に紹介しようということが、基本コンセプトの番組です。
 
今宵のテーマは、「天皇とはなんだ、パート1」

テレビやラジオでは聞けない、天皇に関する歴史や認識について語ります。
ネットラジオにタブーはない!
スポンサー、おまへんからな。

ブログにも天皇について、つらつら書き綴っておりますが、ウイスキーを飲みながらの生放送ですから。何が飛び出すやわかりません。
しかし、日本という国に住み、日本という国から恩恵を受けている日本人は、もっと日本の国について知らないとだめです。いや、知る義務がある。
天皇と言う存在が、その日本という国の本質とありかたを教えてくれます。

天皇廃止なんて、とんだもない。それは日本国の否定になります。
そういう話もするでしょう。
質問も受け付けます。
ただ、私も一作家であり、専門家ではありませんので、そこはまあ……。

おそらく、今宵だけでは語りつくせないと思いますので、そのまま2本目を収録。

おそらく「パート2」では、天皇はどこから来たのか? という話題になると思います。
太陽信仰、海洋民族、東を神聖視した民族の王?

こちらは録音放送で、27日22時頃より放送。
でも、録音は、ベロベロに酔っ払ってるという状態がいつもでして。
cainさんは、そこが面白い、と。
う〜ん。今回ばかりは気をつけな。

ともかく。

日本人なら、聴け!

jbbs.shitaraba.net/radio/27627/


そして、16日(火)の19時30分スタート、「月刊ムーの世界不思議紀行3」。
ロフトプラスワン・ウエストでのトークイベント。
月刊「ムー」編集長、三上丈晴、サイエンス・エンターティナーの飛鳥昭雄さんと、今度こそ(?)、聖徳太子の「未来記」について、激論を交わします。
ちなみに、天皇の概念は聖徳太子によるもの。聖徳太子こそは、古代において最初にこの日本国の国体を意識し、国を建国しようとした人です。その中心が天皇であった……。

そう言う話は、「気まま酒家」でやりますわ。

「月刊ムーの世界不思議紀行3」は、前売2500円、当日3000円。
電話06-6211-5592(16時〜24時)

よろしくお願いします。



kaidanyawa at 13:04|PermalinkComments(4)

2015年06月12日

天皇のいる国 7 天皇が廃止されるとどうなる?

中山市朗です。

明日、13日(土)、夜10時から、ネットラジオ番組「気まま酒家」の生放送があります。
今、このブログで展開中の天皇について、ぶっちゃけます。

天皇とはなにか?
皇室が廃止されると、なにがどうなる?(これは今回のブログにも書きます)
天皇の歴史。
天皇の宗教。
天皇はどこから来た?
天皇に戦争責任はあるのか?
などなど、天皇に関する諸々問題、エピソードなど。

等々、ネトラジでも普段聞けない、しかし、知っておかないとまずい話題満載。
日本人なら聞け!


さて、昨日の続き。
天皇なんて、いらない。皇室は廃止すべき、という人がいれば、ぜひ聞きたい。

あなたは日本という国をどうしたいのか、と。

〇天皇は税金の無駄遣いだから、いらないという意見がある。

なら聞く。
皇室に、いったいいくら、税金が投入されているのか?

カチ、カチ、カチ、カチ……。

昨年度、皇室にあてられた予算は、167億3867万8千円。約90兆円の国家予算の0、00148%。
これで、文化的な認知と国際的な信頼と格式を得ているわけです。
費用は、皇居施設の整備、維持、皇室財産の管理等、これは日本文化や美術、資料や建築物等の維持管理費ということになります。皇室が廃止されても皇居やその施設などが残る限り、この費用は発生する。それが無駄だという輩は、国は古来から続く、文化の保護や、継承、保持等といった行為は価値が無いことだから、やめろ、ということになる。京都御所も無くなるか。それは京都の人たちが許さないでしょう。
伊勢神宮をはじめとする古式ある宮から、儀式、遷宮がなくなります。
形だけの儀式、遷宮は残せんことも無いでしょうけど。中身が無い。
そこまでして、伝統や文化を疎んじる国に、あなたは住みたいか?
そんなの国ではない。いや、もう日本ではないじゃないですか。
と、話を戻しましてですね、あとは宮内庁運営のための経費、人件費。そして、儀式や国賓の待遇など外交上に必要な経費。会社で言うたら、これは接待費。皇室がある外交が、日本の伝統と格式を世界に発信できるわけですよ。それも無くしたい?
そして、皇族が生活したり、教育を受けたりする予算は6億円。
つまり、皇室を廃止したところで、6億円の節税ができるだけなのです。

それとも維持、管理費をも節税するために、皇居さえも無くして、社民党の辻本議員のいうように、セントラルパークのような公園にする? それでも維持、管理に税金が投入されると思いますけど。辻本さんは、ここにアジア平和記念館とかを作り、アジアの留学生を呼ぶ、なんてことを言っています。おそらく、天皇を廃止した国など、アジアの留学生は軽蔑して来ないでしょうね。お隣の国からは、どっと来るでしょうけど。

まあいいや。税金が無駄なので、天皇はなくしました。で、どうするの?
というのは、天皇がいなくなった時点で、日本に国家元首がいなくなるわけです。
日本国憲法には、誰が国家元首であるとは明記していませんが、世界は天皇が日本国の元首であるという扱いです。日本に派遣される特命全権大使の信任状は天皇宛になっています。
えっ、内閣総理大臣がなりゃいいじゃん、て? 総理は行政の長、内閣という一機関の長であって、国家を代表する元首ではない。またこんなにコロコロ代わる元首なんて、誰も信用しない。つまり6億円をケチったために、大きく国際的信用、信頼、威厳、伝統をなくしてしまうわけです。
鳩山や菅みたいなのが、国家元首でええの?
とほほ。
でも、総理は元首になれない。総理大臣の臣は、民、つまり家来という意味ですから。まあ、わが国は総理が元首であると、言い張れば、国際世界は認めてくれるでしょうけど、なんだか、普通の国になっちゃいますよ。

議院内閣制を採る場合、その上に国家元首が存在する、ということは世界では前提なのです。オリンピックの開会宣言は、開催国の国家元首によって行われる、ということになっていますしね。
となると、米国やお隣の韓国のように、大統領制とするしかない。朴クネみたいなが国家元首になる可能性もありまっせ。しかも任期中は、あっ、こいつあかん、と思っても辞めさせられない。そんなことより問題なのが、大統領は国民の総選挙で選出されるので、物凄い選挙戦が各地で行われます。ここで、どれだけの予算をくうでしょう。もちろん選挙資金は税金ではなく、候補者が用意するわけですけど。
ちなみに朴クネは、先の大統領選挙で479億ウォン(52億5000万円)、相手陣営も53億円を使っていますが、日本じゃもっとかかる。それにこの金額は表のもので、そりゃあ裏では……。そりゃ、韓国の大統領は、元をとろうとして、汚職まみれになりますわ。逮捕されるし、自殺もするわ。
税金をケチって皇室の威厳を取っ払って、変わりに汚職、献金、賄賂の温床を作ることになりますな。これ。大きな政治スキャンダルも出てきそうですしね。
それでも、天皇は税金の無駄遣いなので廃止する?
ちなみに、天皇は存続してもらって、どこかの宗教施設に入ってもらって、寄付金で管理、維持すればいいという意見もあります。それ、国家元首じゃない。それどころか、日本人は歴史と伝統と格式を捨てたと、国際的にものすごく、恥ずかしいことになる。考えが短絡なんですよ。

〇天皇は、戦争責任を問うべきだ。天皇は戦争を思い起こさせる。

天皇の戦争責任について考えるならば、明治憲法を考察する必要があります。明治憲法の下で、日本は戦争をしたからです。ただし、間違ってはいけないのは、戦争が間違っているという考え。
国際法的には、戦争は国家が有している権利だったのです。法の話をしているんですよ。

明治憲法8条。
天皇は憲法の規定に基づいて統治を行う。

第3条
天皇は神聖にして侵すべからず。

これは、天皇は神聖であるから、権威が傷つくことがあってはならない、ということです。

55条
国務大臣は天皇を輔弼し、その責めに任ずる。

国務大臣は天皇のなさることについて進言すること。つまり天皇の国事はすべて内閣の進言と承認の下で行われる。天皇は国政に直接介入できない代わりに責任も問われない、ということ。

つまり明治憲法は、天皇は勝手に政治をしてはならない、とし、責任はすべて内閣にあるとしているわけです。

これ、天皇がいかにしても、法の下には独裁者にはなれないということなのです。天皇をヒトラーやムッソリーニと同じに考える人たちがいますが、まず、明治憲法を読め、ということですね。

ところが、昭和天皇は、二度、この憲法を破って過ちを犯した、と反省しておられたんです。

一つは、226事件。昭和11年2月26日から29日にかけて、陸軍の青年将校らが1483名の下士官を率いて起こしたクーデターです。彼らは、天皇の下に権力を一元化し、国家改造をしようとしたんです。総理大臣岡田啓介をはじめ、内閣の有力者や官僚の邸宅を襲い、永田町などの政府中枢部を占拠しましたが、彼らが頼りにした天皇は、これを「暴徒」「反乱」とみなし、総理の安否不明、政府の機能不全と言う状況下、天皇自らが対策に乗り出し、指揮してクーデターを鎮圧したこと。

二つは、太平洋戦争終結にあたって、自ら「聖断」をくだしたこと。これは法を越えた行動であったと天皇は述べられたわけです。もし、これが正当化されると、天皇の意見で国政も軍も動く、ということになる。それは「やってはいけないこと」なのです。しかし、特に御聖断による玉音放送は、日本国民を一つにまとめあげ、混乱から救ったのは事実です。

そして、天皇は法的責任は無くとも、道義的責任はあるとお感じになられ、マッカーサーに「自分は死を伴う責任があるが、国民は救ってほしい」と嘆願。マッカーサーはここに、天皇と国民の関係について深く考えた、というエピソードはご存知でしょう。その後天皇は、焦土化した国内を護衛もつけず8年間周られ、国民に声をかけ、見舞まわれた。道義的責任のせめてものつぐないと思われたわけです。

戦争は、天皇一人で行なったり辞めたりできるものではない。国際情勢、国内情勢、国民の意思、マスコミの論調などで押し流されるものです。先の大戦は天皇がやったという人がいますが、どちらかというと、国民とマスコミが扇動したんですよ。戦争をやると儲かると思った人もいました。ましてや天皇は、直接政治に関わったり、何かを決めるということが法的にできないことになっているわけですしね。天皇を崇めながら、けっして独裁者にはしない。これは古来からの日本人の知恵であります。

〇天皇制は、民主共和制を目指す、すべてが平等にそぐわない。

ある政党の党首が昨年12月8日、日本外国特派員協会の記者会見でこういいました。
「将来、天皇制を廃し民主共和国に移行する。ただし、当面の間は手をつけない」
そう、日本共産党の志位委員長のお言葉です。

実はこういった天皇廃止論は、もともと共産党の理念なのです。
天皇制と言う言葉も、日本共産党が作った造語です。これは昭和25年10月20日付「赤旗新聞」で使われたのが最初のようです。
制とは、制度。つまり人間が社会を構成し、統治、運営するための仕組み、決まりが制度であり、改変可能なシステムである、と言うことで、天皇制としたわけです。
天皇制は、いつでも廃止できる制度である、と。

日本共産党京都府支部のHPにはこうあります。
「明治憲法の元では、天皇は国民の上に立ち、国会や内閣の上に立つ絶対的権力を持ち、国民を抑圧するとともに、侵略戦争という間違いを起こした。ですから日本共産党は「絶対主義的天皇制」を除かないと国民が幸せになれないと命がけで戦いました」
何も知らない子供に、日教組の先生は同じようなことを言うわけですけど、これがいかに嘘であるか、ちょっとでも調べればわかるわけです。「絶対主義的天皇制」なんて、無い。そして、先の戦争を仕掛けたのは、まさに共産党陣営なのですよ。そして、仮にも天皇が絶対的権力を行使することを嫌悪するなら、あの終戦のご聖断こそ、責めるべきでしょう。

この天皇廃止論は、ソ連共産党が指導するコミンテルンから日本共産党にもたらされた思想でして、もともと日本共産党は、ソ連の国際コミンテルン(共産主義インターナショナル)日本支部として誕生したのです。だから、日本共産党と、日本が付く。その活動方針はソ連から来るテーゼにあるわけです。アンチ・テーゼのテーゼです。

共産党には、革命という概念が常につきまといます。
現状を打破し、社会主義イデオロギーに伴った新たな社会を創るというもの。平等をうたうので、王族、皇族は抹殺されます。現にスターリンは、ロシアから政権を握ると、ロマノフ王朝の皇室方を残らず惨殺し、死体を硫酸で溶かしたんです。
どうして共産党は、かくも過激なのかと言うと、これは完全な平等をめざす思想政治なわけですけど、それは、哲学的、学問的に作り出されたもの、といっていい。で、この解釈が指導者によって変わったり、異論が出ることを許さない、とするわけです。
平等って、言葉は美しいようですが、要は、国民全員が同じ意見、思想で統一されることを言うんです。真の平等とはこれです。だから、彼らは「同志」と言い合う。
この平等こそ、正義であり、異論を唱えるものは平等に対する不純物である。不純物は除去せねばならない。だから粛清が起こる。
正義は一つだから、複数政党も政権交代も議会民主主義も採用しない。
だから、ソ連も中国も、一党独裁になるわけです。
そして、その共産党の最高地位となる書記長は、全権を握る独裁者になるわけです。
スターリンしかり、毛沢東しかり、ポルポトしかり。北朝鮮もそうですね。
朝鮮民主主義人民共和国。朝鮮以外は日本語ですけど、おそらくカッコよさそうなのでそう言っているだけで。北朝鮮の建国にはソ連が深くかかわっています。書記長ですしね。

結局、平等であることを、誰が判定するのか。平等分配を誰がやるのか、ということになる。
ズルしてるヤツはおらんか、誤魔化してないか、と管理、監視が必要。やれやれ。
そうなるとリーダーが必要なんです。そしてリーダーに逆らってはいかんのです。異論をとなえることになりますから。
で、リーダーはいうわけです。
「われこそが法の全て」
全然、平等じゃない。こんなのに、日本のインテリはだまされていた?

一方天皇は、「日本国憲法と皇室典範に基づき、即位した後も君主であっても法の下に平等」

今の日本共産党は「そんなことにならないし、スターリンも否定しますよ」と言うでしょうが、その理念はさまざまな矛盾があります。日本共産党の綱領を読んだり、委員長などの発言を聞くと、日本をどうしたいのか、日本と言う国体を否定したいのかと疑問が残るわけです。しかし、長らく日本のインテリたちは、この平等という言葉にだまされ、理想国家を夢見たわけです。天皇廃止を支持している人たちは、ほんとうに今ある日本国の国体を捨て、天皇という不純物を除去し、理想の平等の政治を目指す、というのでしょうか。

でもねえ、これが肝心。

天皇が廃止されると、日本と言う国号もなくなります。

天皇廃止を叫んでいる人たちは、日本という国がなくなることを覚悟してるんやろな。

つづく。



kaidanyawa at 03:54|PermalinkComments(18)

2015年06月11日

天皇のいる国 6

中山市朗です。

最初に、怪談書いているヤツが、なに天皇がどうの、戦争がどうのと書いているわけ?
という声は、別に私のところには届いていません。なんか、暖かくみなさんに読んでもらっているようでして。
でも、こういうことなのです。
私は、日本に生まれ、日本で教育を受け、日本語による思考をしております。よって日本語で読み書きし、特に私は書くことと語ることを本業としています。で、プロであり続けるためには、その日本語について考え、日本の風土や宗教、文化の理解を深めなければならないわけです。怪談もつまるところ、そういう日本という独特の土壌、宗教、文化によって生み出されたものですから。
ですから、私には、これらの否定はありえないのです。日本の否定ということです。
日本を否定するなら、日本から出て行って、日本語も捨て去るべきだと思うからです。怪談はできなくなります。確実に。

日本国憲法では、その第3章、国民の権利及び義務、として、第19条に、思想及び良心の自由は、これを侵してはならない。とあります。ですから、日本の国の象徴たる天皇に対して、その廃止を訴えることも自由なのであります。
ただ、本来そこには、責任、というものがついて来るはずです。

つまり天皇制反対、と声高に言うのは自由です。そういう集会に参加したり印刷物を創ったり著書を書いても自由。ネットに書き込むのも自由。お咎めはありません。
しかし、私が気に入らないのは、何も知らない子供たちに、その思想を押し付ける無責任な、人道主義を気取る学校の先生なのです。私は、中学高校で、そういう先生に教えてもらっていました。
卒業式などの儀礼、儀式において「君が代」を歌わせない。国旗掲揚をしない。起立もしない。
天皇制反対。天皇はファシストであったという。自衛隊も反対でした、この先生たち。
いや、私が教えてもらっていた先生はそこまで極端ではなかったですが、そういう教育を受け、自虐的史観をもった人たちがいっぱいいるのは事実。この前、コメントにもありましたねえ。音楽の教科書の「君が代」は、「間違っている」と糊付けするよう先生に言われたとか。
じゃあ、日本から天皇がいなくなり、国を守る軍隊も無く、国旗も国歌も無くして、この人たちは、何をするつもりなのだろうと、私は思うわけです。

こういう先生たちは、子どもたちにこう言っていたのを覚えています。
「先生たちは、日本の国にだまされていた。天皇の名のもとで、戦争が起こり、死んで来い、と国にいわれた。だから大勢が人殺しをして、結果、沖縄の惨状があり、広島、長崎の原爆があった。戦争に負けた途端、それまで『戦争へ行け』と言っていた大人たちは、翌日から態度がころっと変わった。学校の先生も、今まで使っていた教科書を広げさせて、『間違っていた』と、教科書の文言に黒墨で塗りつぶすよう言われた。あっ、だまされていたと思った。だからそんなことは、二度とあってはならないんだ」と。

まあ、当時の私はアホぼんでしたから「そうかな……」と思って聞いていました。
正直言って、天皇については私は何も知らなかったし、あってもいいだろうけど、無くなったら日本はどうなるんやろ、なんていうこともさして考えなかったんです。おそらくそれが、普通なんでしょうね。

ところが、20年ほど前、あることをきっかけに聖徳太子について調べることになりました。
すると、聖徳太子が、天皇の概念を体系化し、同時に倭国に、一つの国家という概念もたらせた。正直、日本の国体のをはじまりは、この時代にある、と私の中では確信しているわけです。だから著書も書かせていただきました。
すると、今度は私が、あの学校の先生たちに、だまされていた、と思うに至ったわけなんです。
要は、天皇制は廃止すべき、と、無知な子どもたちに教えていた先生こそが、天皇とか、日本の国の本質がわかっていない、つまり、不勉強だったと。おそらくそれは、その先生の考えというよりは、そう先生たちを洗脳した組織があったということもわかった。その組織により、子どもたちの多くが、自虐史観を植えつけられ、現近代史に対する関心を奪い、自信の喪失を招いた。中韓という隣国への配慮が美徳であり、あの戦争への反省とお詫びである。それが、こんにちのアジア情勢をもたらせた……。
つまり、日本国の否定の精神が、どこかにあった。いや、そういう人たちは、それが日本のためだと、勘違いしていた、ということでしょうか。

私、民主党政権下のとき、日本と言う国はかくも情けない国なのかと、ほんと、泣きたくなったときがありましたもん。安倍さんは、よくやっていると思います。そしてネットという情報ツールも。

さて、ボヤいてもしゃあない。

天皇なんてなんであるの? そろそろ廃止したら?
という声は、当然今もあります。ネットで検索してみたら、凄い数がヒットし、それぞれに主張があります。
しかし、それが結果何をもたらすのか、についての言及は、あまりに少ないことに、唖然としました。

天皇の廃止賛成、天皇いらない、という人のその根拠を大まかにわけてみますと、

,い泙篥傾弔神だったの、神の直系だのを信じる者はいない
皇室には税金が注ぎ込まれている。税金の無駄遣い
E傾沈のない、平等な社会の構築をめざすべき
づ傾弔論鐐茲寮嫻ぜ圓任△蝓天皇制の継続はその戦争肯定につながるものである

とまあ、そういうところですか。
それぞれに考えてみましょう。

,い泙篥傾弔神だったの、神の直系だのを信じる者はいない

以前、森喜朗首相が「日本は神の国」発言で一斉にバッシングされ、野党は結束して、森内閣退陣へと動きました。森首相はそれでも発言の撤回をしませんでした。新聞、ニュースで大きく報道されましたねえ。2000年5月のことでした。
「日本は天皇を中心とした神の国」と言ったことが、戦前の天皇主権の国家神道を復古させる、とか、祭政一致の天皇主権国家を目指しているように解釈できる、とか、そう叩かれたわけです。
何を言ったのかは、長いので引用しません。検索すると全文が出てきますので、関心がある方は読んでみて下さい。森首相は、日本人として、あたりまえのことを言っているだけだと私は思います。

日本人は無宗教、無神論者だとよく言われます。嘘です。こんなに周りにいっぱい神だの仏だのがいます。物凄い数と種類があります。四季おりおりの行事は、ほとんどが神道か仏教の神事、行事と関係しています。お祭り、なんてみんなそうです。結婚式、お葬式に限らず、みんな神社では手を合わせ、何かあるとお札だのお守りだのをもらってきます。どんな近代的建築物を建てるにしても地鎮祭はやります。日本のどんなところにも、人が住めば神社があります。明治生まれのお年よりは、よく太陽をおてんとう様、といって、手を合わせていました。家には仏壇と神棚。毎朝手を合わせ、お供え物をする。
これらはもう宗教と言うより風習でして。対外的には日本人は仏教徒、ということですが、もう、渾然一体で。その上、クリスマスもハロウィンも祝う。
つまり、日本人の心の中には、意識せずとも神や仏がいる。だから、キリスト教がなかなか入らない国なんですね。だから、キリスト教にあるような絶対神は信じない、というかわからない、つまりは無神論者、というわけで、言い方を変えれば、ほとんどの国の人たちはキリスト教やイスラム教にある絶対神が必要だった。人間は宗教無しには生きられないんです。でも、日本人にはそういう絶対神は必要なかった、ということなんですね。それは替わりになるものがったからですよ。
皇室です。天皇です。意識しているわけではない。無意識に、それがある。

ですから一神教の神も日本の八百万の神も、同じGODに訳したのがそもそも間違いなのでしょう。
GODは、日本人は否定する。天皇はGODの家系だといわれると、なんか違和感がある。天皇が全知全能の創造神というイメージになる。そんなもの信じる方がアホや、となる。

日本の神は、まずはアニミズムで、森羅万象すべてのものに魂、霊が宿っている、というもの。GODよりSprit、精霊が近い。そして産土神信仰。日本の神々の名が『古事記』などにいっぱい出てきますが、それは土地とか、稲作だの養蚕だの何かの技術だの道具だのをもたらせ、人間生活、社会生活に貢献した人々のことだと読めばわかります。最近ではハマの大魔神までも神様になりました。なにごとにも感謝の気持ちを忘れない、人のなしたことを尊いと思う、ということが神道の精神です。そして、氏神信仰。これは、一族の祖先の御魂たちのことです。祖先を敬い、奉りましょうということです。
これらは、そうですね、GODより、Holy Ghst Confarter、聖霊が近いか。
ですから、我々の祖先やとりまく環境や風土が、これ全て神なのである、いや、命、聖なる魂である、というのが日本の神道の考えでして。その精神が、「いただきます」や「もったいない」など言葉を生んだんです。「もったいない」は日本独特な表現といわれていますし。そういえば言葉も、言霊といって神様です。
ただ、インディアンの宗教観がそれらに似ているのですが、そういう宗教観は全世界の人類がもともと持っていたもので、一神教、つまり『聖書』がそれらを駆逐した、といえましょう。インディアンの宗教が近代まで残っていたのは、単に白人たちがやって来るのが遅かったから、というだけのことです。
日本は、『聖書』の神が、なかなか入らなかった。歴史的には鎖国政策がその要因だとしても、それはこんにちも変わらない。これ、皇室があるからですよ。アニミズムは偶像じゃないので、判りづらい。一方キリストだの仏様だのという拝む対象がある方がわかりやすい。あるいは『聖書』のような聖典がある方がわかりやすい。だから世界の多くの人、民族は『聖書』の神を選択した。『コーラン』もこれに含みます。偶像崇拝は禁じていますが、万能の神が神託したことばが、そこに書いてある。日本のアニミズムには、偶像も聖典も無い。でも天皇と言う偶像があった。
だから、日本人は『聖書』の神を必要とせず、神道は仏教と習合しながら、今に残った。
天皇は、そういった神様の象徴である、ということで、もちろん、その神の象徴であることが政治利用されたことは、古来よりありました。それは、人間の行った歴史です。その歴史の積み重ねでこんにちがある。ちょっとこの問題は書ききれません。またいずれ。
要は、天皇はGODでもないし、GODの系譜でもない。GODと日本の神の本質は違う。
それを理解したうえで、、日本建国の神話の神々は、滅ばずに今も神社に祭られ、お祭りがある。それらの神々の皇祖皇主としての太陽神の系譜でつながっている。これが、天皇の特異性なのであり、全世界でも唯一、ということなのです。太陽は、全ての事象、エネルギーの根源です。特に農耕民族にとっては、太陽が無ければ作物は育たないし、光も無い。日本、という国号が、それを現していますね。
たとえばギリシャ神話は、神話は残っていますが、ギリシャの神々の系譜なんて、もうとっくに滅んでいますもん。古代エジプトの神々も同じこと。太陽神ラーを崇めるエジプト人はいないでしょう(多分)し、ファラオの末裔だと名乗る王家もありません。もう滅んでいるんです。
日本にはそれがあるんです。

天皇の存在は、日本の文化などに大きな影響をもたらせたなんて嘘だ。天皇がいなくても、民間がちゃんとやっている、私は天皇の恩恵など受けていない、という意見をネットで見ましたが、そんなことはない。古代において大陸文化をもってきたのは朝廷だったし、朝廷があるから、日本と言う国体が保持できていた。朝廷が力を得ると国も強くなり、豊かになった。民間では無理です。だから、歴史上、ほとんどの国、民族が君主を祭って崇め、君主が居る城下に都ができた。都が経済と文化を作るんですよ。ただ、それを安定させ、継続させることが簡単なことではないことは、18、19世紀における帝国時代に、アジアでは珍しく、日本が独立国であったということが、その証明です。

ですから、ここでいう神の直系とは、古代において日本の建国に貢献した人々(神々)の象徴として、万世一系の皇族が今に継承されている、ということなのです。それを、日本人は誇りとした。幕府も政権を持ちながら、朝廷には一目置いた。日本と言う国体は、長い長い朝廷の歴史が創ったのです。
ですから、それを非科学的だと否定することは、日本人のそういった思想や歴史、伝統を非科学的だと切ってすてることと同じだと思うのですが?
科学も大事ですが、思想や伝統に科学を持ち込まれてもなあ、と。
科学もまた、信じすぎると宗教になる、という人もいますしね。

もっと書きたいですが、また後日。









kaidanyawa at 05:31|PermalinkComments(4)

2015年06月09日

天皇のいる国 5

中山市朗です。

今日は天皇の地位について書きましょう。

序列。

よく、天皇は皇帝である。よって王より位は高い。
皇帝は、ローマ法王と同格。よって、天皇=ローマ法王、王、大統領、首相という序列がある。
英国女王は天皇に上座を譲ったとか、なんとか。
そうネットなどでも書かれています。

これはほんとうでしょうか?

半分正しく、半分はそうでもない、というのが真相、といいましょうか。

その前に、天皇はほんとうに皇帝なのでしょうか。で、皇帝とはなんなのでしょう。ここを考察してみましょう。

天皇はあくまで天皇であって、皇帝とはまた違うやん。
そう思って調べてみたら、天皇は皇帝でした。
757年養老律令が施行された際、天子条において、「祭祀においては天子、詔書においては天皇、華夷(外交)において皇帝」と定められています。この法令は平安時代中期になるとほとんど形骸化しましたが、廃止されることなく明治維新まで存続はしていました。また、鎖国していた日本にやってきていた西欧人たちは、しばしば天皇のことをエンペラーと理解していたようでして、そういう報告書も海外にもたらされていました。

皇帝とは、まず、秦の始皇帝(BC259年〜BC210年)が、名乗ったのが最初でした。群雄割拠の戦国の中国大陸において、王たちの治める国々を制圧し、中国統一を成し遂げた秦の政という王が、秦始皇帝を名乗ったのわけです。皇とは、自(はじめ)の王、という合字です。帝という位はありましたが、政はもっと威厳のある名称をと考えて、皇帝と名乗りました。皇帝は、ですから政が創った言葉です。以降、中国では、他の王国を滅ぼして中国の支配者となると皇帝を称し、それが滅ぼされては次の征服王が皇帝と名乗る、という歴史が続きました。皇帝が乱立した時期もありました。
最後の中国皇帝は、映画『ラスト・エンペラー』をご覧になったでしょうか、清帝国第12代皇帝溥儀(ふぎ)でした。辛亥革命により、中華民国が建国されたとき、二千年余も続いた中国皇帝は廃止、断ち切れました。ただ、この人は後に満州帝国の皇帝に即位し、ふたつの別の国の皇帝になったという、珍しいことになりました。満州帝国も後に滅びます。今の中国は、共産党の国になっちゃいました。よって、皇帝を生んだ中国には、今現在、皇帝は存在しないわけです。

天皇は、その中国皇帝を見本にして、同時に、中国皇帝と同格の権威の存在として、創られたものといっていいでしょう。その発想はおそらく聖徳太子だと私は思っていますが、それまでは倭国、倭人と呼ばれていた我々日本人の祖先は、はじめて中国と言う大国との外交を意識したとき、まず、大王を中心とした国体を作り、政治基盤を作り、そして対外的には、けっして中国皇帝の臣下とならないように大王ではいかん、天子と名乗ろう、としたのが、その始まりだと思うのです。
東アジアにおいては、王は、中国皇帝の臣下を意味しました。朝鮮王がそうでしたし、南越といったベトナムあたりの国もそうでした。なんか、ベトナムに対して今の中国が強固な態度をとっていて、韓国がひたすら中国に擦り寄る意味がわからんでもない。王と名乗るには皇帝の許可が必要で、毎年朝貢するわけです。それを柵封と言います。これを中華秩序ともいいます。
日本はそれを拒否した。天皇がいるからです。ええぞっ!

この天皇の存在が、その後こんにちに至るまで、ちょうどいい距離感で、中国との関係を保ってきました。時間があれば、いずれそのことも書きましょう。

さて、エンペラーですが、こちらは皇帝と訳されますが、ヨーロッパにおけるエンペラーは、またちょっと違うんです。
最初のエンペラーは、カエサルの甥であるオクタヴィスアヌス。最初のローマ帝国皇帝です。この皇帝は、終身独裁官を意味しました。
以後、ヨーロッパにおいては、皇帝とはローマ帝国の後継者、としての称号に位置づけられることになります。
言語、文化の異なる民族の国々の王の支配者で、ローマ皇帝の継承者、ということです。
ドイツ皇帝は、カイザー、ロシア皇帝はツァーリ、と称しますが、これはカエサルから来た称号です。カエサルも終身独裁者の地位に居ましたが、皇帝になってはいない。エンペラーという言葉がなかったんですけど。

アジアの皇帝は、国を治めるというより、神の意思により、天下を治める、という存在で、天子という称号は、そのことを現しているわけです。道教の思想です。
「日出処の天子、書を日没する処の天子に致す……」

どちらにしても、王を支配下におくのが、皇帝、エンペラーですから、語彙としては確かに皇帝より王は格下ということになります。

ところがこの皇帝。そんなに偉いのかというと、そうでもない。過去、皇帝と名乗った王は多いんです。自称皇帝、というのもいた。

溥儀が清帝国の帝位から退き、中華民国が設立され、袁世凱が初代中華民国大総統となりますが、この人、なんと1916年、国号を中華帝国として、皇帝に即位しちゃうんです。ほんまの中国ラストエンペラーは、この人だ!
ところが、これ、内外から総スカンくらって、しぶしぶ一年たたずに退位しました。その後、哀れな人生を送りました、とさ。

明治28年、日清戦争に勝った日本は清国と「下関条約」を交わして、それまで柵封関係にあった朝鮮を、宗主国清から切り離して、朝鮮を自主独立国と認めさせました。そして明治30年、大韓帝国と国号を改め、皇宗という第26代李氏朝鮮王が大韓帝国初代皇帝に即位しました。日本の皇室もいろいろ協力したんですよ。しかし、皇宗は国内の内乱や宮中の権力争いに翻弄され、10年で退位。日韓併合の時代に入ります。

アメリカ合衆国にも皇帝はいました。ええっ!
ジョシュア・ノートンという人。1859年、サンフランシスコの新聞社に乗り込んで「私はアメリカ合衆国皇帝である」と名乗り、新聞で皇帝宣言をしました。本人はまじめで、サンフランシスコ市民はそれを歓迎したそうですが、まあ、変わった人物のようでした。もちろんワシントンは黙殺。自称皇帝は、それでも市民に愛されたまま生涯を閉じました。

1976年、中央アフリカ共和国大統領ジャン=ベデル・ボカサは、中央アフリカ帝国と国号を改め、皇帝として即位しました。昭和天皇は国家予算の3分の1もかけた戴冠式に招待されましたがご辞退。祝電はお送りしたようですが、3年ほどで崩壊しました。帝国を名乗った最後の国です。

このように、自らを皇帝と称することはできるわけですが、これをまず国内で認めさせ、世界に承認させ、ずっと継承していくことが至極難しいわけです。継承される過程で、ほんとうの威厳、権威が出来るわけです。秦始皇帝なんて、結局三代で滅びましたしね。

第一次世界大戦が勃発するまでは、ほとんどの国が王政、帝政であって、皇帝もたくさんいました。ところが戦争や革命でどんどん滅んでいって、第二次大戦が終わってみると、皇帝は、わが天皇しか残っていなかった、というわけです。そして、その天皇が、世界唯一かつ最古の皇帝。

これはもう、世界国宝ものです。歴史です。ある外国の元首が天皇に拝謁して、震えながらこう言いました。
「私の目の前に、歴史がいる!」

ところで、英国王室は、皇帝ではありません。英国の元首はエリザベス2世。女王です。
大英帝国(ブリテッシュ・エンパイア)の君主は王(キング)か女王(クィーン)。帝国といっておきながら、皇帝とは名乗っていません。だったら、天皇の方が偉いのか。
そうでもないと思います。どっちが、ではなく、世界の王室は同格、という建前です。
ただ、皇室の冠婚葬祭や戴冠式のような儀礼がある場合の席順としての序列はあります。
単純に皇帝、次に王、というより、歴史や格式、在位年数などが考慮されると思われます。
少なくともこの場合、ころころ変わる日本の首相など、あんまり価値ある地位とは認められませんなあ。

さて、英国王室は、英連邦王国の国王として今も君臨し、それはグレートブリテン及び北アイルランド連合王国、その他の諸王国ならびに緒領土の女王であり、カナダ、オーストラリア、ハバマ、ジャマイカ、ニュージーランドなど16ケ国に及びます。それぞれは英国に属さない独立国であっても、君主としてエリザベス2 世が君臨していて、君主が任命する総督が、国王の代理を務めるわけです。
これは、実質、皇帝といっていい。

皇帝といっても、屁ぇみたいな皇帝もいたし、英国王のような威厳のある王もいる。
だから、要は、歴史、伝統、権威、威厳、格式などが備わって、はじめて、真の皇帝、王となる。
その点においては、天皇は、世界からまごうことなく真の皇帝として認められ、その権威をリスペクトされているわけです。

それと、これを世界が羨ましがっていることなんですが、天皇は125代続く最古の皇帝ですが、その根が国家創設神話からつながっているということ。国家創設神話は、たいていの国、民族がもっているものですが、それが今に王朝によって継承されているという事例が、今はもう、どこにも無いわけですよ。

ええ?

天皇が神の子なんて非科学的なことは、認めない?

よっしゃ、じゃ今度、そういう話をしましょう。






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2015年06月07日

天皇のいる国 4

中山市朗です。

『七月四日に生まれて』というアメリカ映画がありました。
オリバー・ストーン監督、トム・クルーズ主演の1989年制作、日本公開は1990年でした。
七月四日の独立記念日に生まれたことを誇りに思うロン・コーヴィックを主人公としたベトナム戦争映画でした。
ロン・コーヴィックは、今は反戦主義者という実在の人物で、物語はコーヴィック自身の体験談に基づきます。
『インデペンデンス・ディ』という、アメリカのSF映画がありました。こちらは1996年制作、ローランド・エメリッヒが脚本、監督をした宇宙人の侵略もの。この『インデペンデンス・ディ』とは、アメリカの独立記念日、つまり七月四日のことなんです。
independence、とはindependent、頼らないの形容詞でして、つまりは、自立する、独立する、ということを言っているわけです。だから、独立記念日を「インデペンデンス・ディ」というわけです。

この七月四日は、アメリカ合衆国では祝日でありまして、盛大なパレードやイベントが各地で行われます。ニューヨークでは大花火大会が行われ、アメリカ中が「独立記念日」を祝います。
1776年7月4日、ジェファーソンが起草した宣言文を大陸会議で可決、この日、アメリカ合衆国として独立宣言されたもの、を記念しているわけですね。当時アメリカは、自由と民主主義を掲げた珍しい国でした。
フランス革命は、この後に起こるわけです。
一方で、アメリカでは黒人に対する奴隷制度や原住民(インディアン)の権利を奪う、人種差別が酷い、といった問題もあって、ずるずるとその後のアメリカの歴史に影を落とします。しかし、それもアメリカ合衆国の本質であり、歴史であります。
アメリカ国民は、ともかくこの独立記念日を心から誇りに思い、愛国を誓うわけです。

今年は2015年ですから、今年の7月4日で、アメリカ合衆国は239歳となります。
日本はこの頃、安永の時代。第十代将軍徳川家治が江戸幕府の将軍。江戸時代の中期から後期へ移り変わる頃です。

ところで、私はアメリカというと、ハリウッド、ハリウッドというと、やっぱり代表するスターは、ジョン・ウェインだと思っておりますが(古い?)、そのジョン・ウェインの遺作となったのが、ドン・シーゲル監督の『ラスト・シューティスト』という作品でした。ジョン・ウェィン本人がそうだったのですが、ウェィン演じる主人公が末期の癌に侵されていて、自分の人生の終結をガンマンとしての誇りをもって終わらせる、という西部劇でした。
この映画の冒頭、ジョン・ウェインが少年から新聞を買うシーンがあるんです。
その新聞の見出しに「ヴィクトリア女王崩御」とある。1901年1月22日に崩御した大英帝国の象徴的女王のことです。つまりこの映画の中の時代が、もう、西部開拓時代は終焉した20世紀であることを意味しました。そして、劇中、ジョン・ウェィンは何度もこの新聞を読んでいるシーンがあるんです。で、こういうせりふがある。
「女王はまれなほど長生きしたが、生涯権威を失わず、日和ったこともなかった。誇りを胸にカッコよく亡くなられた。俺はこういう女が好きだ」
誇り高き、アメリカの西部を代表する男が「英国王室」に憧れているんだ、という描写です。威厳とその伝統に。

西部劇というと、クリント・イーストウッド監督『許されざる者』という、1992年制作の傑作がありました。イーストウッド最後の西部劇でもあります。この映画の中で、リチャード・ハリス演じるイングリッシュ・ボブという男が出てきます。名前の通り、英国人です。
大統領が暗殺されそうになった(1881年のジェームズ・ガーフィールド大統領暗殺未遂事件)という新聞記事を読みながら、汽車に乗り合わせたアメリカ人たちに、「私の見たところ、この国に必要な元首は国王や女王であって大統領ではありませんな。国王や女王は暗殺されない。なにしろ高貴な身分ですからな」と言うシーンがあります。
これも、アメリカ開拓民たちの英国王室に対する憧れ、コンプレックスを逆手にとって表現しているわけです。

自らこの未開な大陸を開拓し、独立独歩で自給できる国を創り、民主主義国家を築いた。この誇り、正義と力、そして揺るがぬ愛国精神。これが、アメリカ人のアイデンティティ。
しかし一方、伝統ある英国王室に対する憧れ、コンプレックスもある。歴史と伝統と威厳。これは、持たざるものがその価値を知る、ということなのでしょう。
自由と力があれば、世の中、なんでも手に入るのだ。と、これをアメリカン・ドリームという人もいますが、そのアメリカ人がどうしても手に入らないものは、英国王室のような歴史と伝統と威厳だと、知っているわけですね。ある意味うらやましい。憧れでもある。
もちろん、英国はアメリカの元宗主国でもあり、そこから独立したわけですけどね。
しかしそれは、英国に根があるアメリカ移民たちが、その根を断ち切り、アメリカ人として生きることを意味したんですけどね。
しかし、そうなると、アイデンティテイというものをどう保つのか、という命題もあったことでしょう。
多分に『聖書』がその役割を果たしたのではないかと、私は思います。
それでも、ヨーロッパの歴史や伝統、王室の威厳には、やっぱり憧れをもったことでしょう。

『トム・ソーヤの冒険』の著者マーク・トゥエインはそういった英国コンプレックスから脱して、本当の意味でアメリカの精神的独立を果たそうとした、という意図でもってこの作品を書いた、ともいわれております。

ミュージカル映画の傑作で、『巴里のアメリカ人』というジーン・ケリー主演の作品があります。1951年制作で、作品で使われる音楽は、ジョージ・ガーシュインとアイラ・ガーシュインが作曲、作詞した楽曲で、ガーシュインという人は、アメリカ独自の白人の音楽を創ることに貢献したんです。
アメリカ大陸の伝統音楽として、インディアンのものがありましたし、奴隷として連れてこられた黒人たちによって、ブルースやゴスペルがもたらされましたが、ヨーロッパから来た白人の開拓者たちは、母国ヨーロッパの音楽は知っていたが、なんとか、アメリカのアイデンティテイを表現する音楽が必要だと、チャールズ・アイヴスやシェーンベルグといった当時のアメリカの音楽家たちは考えて、模索したわけです。ガーシュインもその一人で、ジャズとクラッシックの管弦楽の融合としての『ラプソディ・イン・ブルー』を発表したりします。
「パリのアメリカ人」はガーシュインがフランスのパリへ行ったときの印象を管弦楽として発表した曲なんですが、『巴里のアメリカ人』という映画に、これがメインテーマとして使われました。この楽曲を元にジーン・ケリーが、この映画のために発掘したフランス生まれのダンサー、レスリー・キャロンと17分間に及ぶ、ダンスシーンを、クライマックス・シーンで繰り広げますが、それは、パリが舞台で、印象派の画家たちの絵の中でその幻想的なダンスが、モダンバレエも含めて展開するんですよ。その素晴らしさにこの映画は、アカデミー作品賞をはじめとして6部門を獲りました。ある意味、ミュージカル映画の頂点を極めた作品でもありました。しかし、要はヨーロッパ・コンプレックスの寄せ集め、とも評価されるわけでして、伝統とか、文化は、そう一夕一朝には出来ないもの、ということを、アメリカのクリエーターたちは、自覚し、戦ってきた、という事実があったわけです。

アメリカ合衆国は、もう一つ大きな特色がありまして、あそこはアメリカ人はいても、アメリカ民族と言うものがいない。我々日本人は、日本民族でもありますよね。アメリカは多民族の社会、国なんです。
だから、統一し民族としての伝統、歴史が無い。それを代替するアメリカ国民としてのオリジナルの文化、芸術は、ぜひとも必要だった、欲しがったんだと思います。

日本人は、そんなこと考える必要はありませんもんね。自分たちに根ざした歴史、伝統、文化が必然としてありますから。

さて、そういう我々日本の国には、独立記念日なるものはありませんが、建国記念の日、というものがあります。
いつでしたっけ?
2月11日ですわ。祝日でんがな。
盛り上がりませんなあ。これがまた。
国旗の掲揚、あるいは玄関先に出している家もほとんど無い。アメリカの独立記念日とは偉い違い。

まあ、建国記念の日、といわれても、ピンと来ない、というのが、正直なところでしょうか。
だって、日本は日本。そんなもの、ずっと昔からある。そら、屁理屈を言うと、太平洋戦争に負けて、GHQに占領されたことがあったから、一旦そこで日本の国としての歴史は途絶えている、なんて人もいますが、ほんま、屁理屈です。日本と言う国は、我々日本人が意識しないほど、当たり前に、ずっとあった。
実際、これは後日に詳しく書きますが、いわば、日本と言う国号が、いつ、誰によって定められたのかが、明確にはわからないくらいに古いわけです。

とすると、2月11日が「建国記念の日」に定められた理由は?
最初の天皇、神武が即位した日、ということなんですね。

もちろん神武天皇についての実証性は無い、といってもいいのですが、『古事記』『日本書紀』に記される紀元節としての、記念日となっています。
これによれば、日本は建国2675年。アメリカとは比べ物にならない。
ところで、アメリカ合衆国のCIA公式サイトでは、日本はBC660年の建国、世界最古の国だと認めている、とする情報がネットのあちこちに散見されますが、実際はどうなのでしょう。
ありました。
Japan 660 BC(traditional founding by Emperor JIMMU)
まあ、BC660年が日本の伝説的建国記念日である、というニュアンスですな。
この時代、国家という概念がどのようなものだったのはわかりませんし、何をもって建国とするのかが、あんまり古くて定義できない、と、そう考えるべきでしょうな。でも、少なくとも、日本という国は、天皇とともにある。
少なくとも、1000年と数百年の歴史はあると言っていいでしょう。

ですから、『許されざる者』のリチャード・ハリスの言葉を借りると「日本国の元首は、天皇であって、けっしてそれは暗殺されない。なにしろ高貴な方ですから」と、胸を張っていえるわけです。
ちなみに、このことは事実でして、アメリカ大統領は過去、リンカーン、ガーフィールド、ウィリアム・マッキンリー、J・F・ケネディの四人が暗殺され、アンドリュー・ジャクソン、フランクリン・ルーズヴェルト、トルーマン、フォード、レーガンの五人が、暗殺の標的になりました。9人ですよ。
250年にもならない歴史で、9人!
一方天皇は、祟峻天皇が、蘇我馬子の暗殺命令を受けた、東漢直駒によって殺された、ということがありましたが、もう1400年も昔のこと。歴史学的には「天皇が暗殺された唯一の事例」とされます。私はこの事件、疑惑を持っているのですが、それは今する話ではない。ほかに、帝位を譲ってから流刑されたのや、自害した天皇はいましたが、暗殺は聞かない。封印された、ということもあったかも知れませんが、まあ、平安時代、鎌倉時代、戦国時代、江戸時代と、よう、それでもよく今に続いているなあと。これはもうほんとうに、高貴というか、威厳はあるゆえといえましょう。
だから、どこかの国から独立をした、という経験の無い日本には、独立記念日というものは設営されないわけでして。となると、日本国建国の日は、『記紀』にある、天皇神話から、借りてくるのが懸命だと思います。それより他になにがありましょう?

にもかかわらず、、それは日本国内から、科学的でない、という理由で否定する声もあるわけです。
だから、「建国記念日」と言い切らずに「建国記念の日」と、の、が入っているわけでして。

首相官邸のホームページによりますと「建国記念の日は、建国をしのび、国を愛する心を養う、という趣旨のもとに、国民ひとりひとりが、今日のわが国に至るまでの古からの先人の努力に思いをはせ、さらなる国の発展を願う国民の祝日であります」とあります。
日本という国がここに存在していて、われわれ日本人はそこに住んでいっぱいその恩恵を授かっているわけですから、やっぱり、この国がいかに建国したのかを考えることは、重要でしょう。
恩恵は授かっているけど、国のことは知らん、というのは、懸命な態度ではない。

はあ?
授かっている実感が無い?
そうやって、ぼーっとしとっても別に困らんと、生きていける、これ、すごい恩恵ですよ。こんな国、そうはない。

日本人は、生まれたときから日本人であって、あたりまえに日本という国がある。
そのことに、いささかの疑問をもっていないでしょう。
いうたら、日本人にとって、日本と言う国は、空気のようなものであると思うんです。空気なんてあたりまえにあるし、無いと死ぬことは知っていますが、無いという状況を考えたことが無い。まあ、宇宙へでも行かない限り、空気がなくなるなんてことは無いでしょうからな。
だから、「建国記念の日」とか言われても、ふーん、とか言って、スルーしちゃう。
ちなみに、今年の2月11日、ヤフーニュースで見たのですが、「建国記念の自覚」を米国、中国の人たちは9割が持っていて、日本人は2割だったとか。とほほ。

しかし、ですよ。
国が亡くなる。滅びる、ということは、全世界規模でいっぱいあった。いや、今もある。
まあ、滅びる、という定義もいろいろありますけどね。ひょっとしたら、経済的破綻とか、人口減少とか、いろんな要因があって、いずれは、日本の国が滅びるかも知れない、という懸念を持っている人はいるでしょうし、そうならんように、国会の議員やお偉い人たちが考え、対策を練っているでしょうけれども。

でも、この歴史と威厳と伝統と、そして日本と言う国そのものを滅ぼそうとしている日本人は、実はごろごろといてるんです。おそらく、本人も、それはそういう結果を招くよ、ということに気づかないでいるでしょうね。

それって、誰って?

つづく。








kaidanyawa at 09:05|PermalinkComments(4)

2015年06月04日

天皇のいる国 3

中山市朗です。

何年か前のことですが、塾の講義で、天皇について考えてみよう、ということにしたんです。
みんな、作家や漫画家志望ですからね、そういう知識は必要です。
そういうことを考えてみることも必要です。
なんたって、我々は日本語で考え、日本語で表現するわけですから。
日本、という国のありよう、文化を知る義務がある。
天皇について考える、ということは、そのことを知る大切なツールです。

で、最初にこう質問してみたわけです。
「天皇なんていらん、と思う人、手を挙げて」
教室には十人ほど塾生がおりましたが、二人、手を挙げた。
「ほほう、なんで?」
そう訊きました。
「えー、まあ、税金の無駄やと思いますし、おらんでも別に困らんかなあと思います」
というのが理由。
「ほほう、じゃ、その税金は、皇室になんぼ払われているのか知ってる?」
「いえ、知りません」
「知らん? じゃ、天皇って、どんなお仕事されてるか知ってる?」
「いえ……、知りません」
「天皇がいなくても困らない?」
「はい」
「天皇が何をされているのか知らんと、それ、いえるのか?」
「……」
「じゃ、手を挙げなかった人は、天皇は日本には必要やと、そういうことなのか?」
……。
どうも、知らないわけですね。
知らない、教えてもらっていない、ということに問題がありますけどね。
まあ、「天皇は世界では皇帝と認められていて、その権威はローマ法王に並ぶほどのものなので、日本人としては誇らしいと思います」くらいの意見はありましたけどね。

しかしですよ、天皇がなにをされているのかわからずに、また、いくら予算が組んであるのかも知らずに、ただ、税金の無駄と決め付けるこの単細胞はどうにかならんか。
何をなさっているかを理解し、それに対して、これだけの税金が払われていると知る。
費用対効果としてはどうなのか、というロジックがあっての話なら、聞く耳持ちますよ。ははあ、そういう考えがあるんだと、私も勉強になりますし。
あっ、その手を挙げた塾生は、当時、大学の経済学部の学生でした。
いうほど、税金も払うてないやん。

まあ、ずっと日本に天皇はいて、象徴としてあるのだから、今さら廃止を積極的にする必要もないだろうし、だからといって、いるメリットもよおわからんし、というのが、塾生たちの率直な感想のようでした。

昨今は、お隣の国がいらんこと仕掛けて、歴史問題だ、日王は謝罪しろ、日本人は反省しろだと言って来ているおかげで、日本国民は若い人たちもネットなどで天皇、皇室について興味を持ち、多少は意見をもつようになってきているようですが、この頃はほんま、能天気というか、平和ボケしているというか、そういうことに無関心な人が圧倒的に多かったようなに思います。また、天皇だの、自衛隊だの、日韓の問題だのは、マスコミも含めてタブー視していたというのもありました。
民主党政権下でもありましたし。関係ない?

「天皇は日本の象徴である」
これは、おそらく誰でも学校で教えてもらっていることでしょう。

日本国憲法第一条で、こう定められています。
「天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく」

ただ、この象徴というのが、なんや、漠然としていて、象徴ってなんやねん、ということになるんでしょうか。

難しいことやない。

海外旅行していて、飛行機で日本へ帰る。ずっと洋上を飛んでいて、やがて富士山が見えてくる。
「ああ、日本に帰ってきたなあ」
この富士山が、いわば日本を象徴しているから、そう思うわけです。
昔の海外のニュース映画なんかで、日本を紹介するとき、富士山や、桜、神社や着物姿の人たちを必ず紹介していた。それで外国の人は「JAPAN」をイメージした。そういうものが日本を象徴しているからです。言い方を変えれば、そういうものは、日本以外には存在しないわけですな。まあ、桜は他の国にもありますが、桜を見ると日本をイメージする、というのは、日本人が作った立派な文化なのであります。
『ブラック・レイン』という映画も、ラストのアクションはアメリカで撮ったらしいんですが、日本に見せるために、鳥居と木に注連縄がありましたなあ。
外国に行って、世界各国の国旗が掲揚されていたり、飾ってあったりしてある中に、日の丸を見ると「おっ、日本や」と、ちょっと嬉しくなりますわな。日の丸も日本を象徴しているわけです。
日本に限らず、国、というのは抽象的なものです。その抽象的なものをあるキーワードで、ああ、その国、と共通概念でもって感じる。これが象徴。
天皇も、そういう象徴の一つである、と、憲法はいっているわけです。

ただ、憲法がそういっているから、天皇は日本の象徴である、と言うのではなくて、それ以前から、いや、古来より天皇は、日本を、民族的、歴史的、文化的、宗教的、精神的、言語的、伝統的、習俗的に、象徴してきたわけなんですね。
国を象徴する、ということは、悠久の歴史と国民の信任がないことには、ならないことなので、天皇がわが国に存在しなくなったら、再びそれを作り出すことはもう不可能なことになります。
だから、その存在は尊いわけですよ。

もう一つ、この象徴という言葉には、天皇の存在意義というものも含まれるわけです。

天皇は、日々、なにをされているのだろう。これ、案外みんな知らない。
天皇はプー、だの、ニートだのと言っている輩が、ネットの世界にはいるようだが、とんでもない。おそらく、そんなことを書き込んでいる輩たちより、天皇は激務をこなしておられます。
天皇は「祀り主」であり、祈る存在なのです。よく、神道の総帥的存在である、と言われますが、その通りでありまして。

天皇は、ひたすら祈る存在なのです。
何を祈っているのかって?

日本国民ひとりひとりが幸せであることと、国の平和、安泰を祈願されているのです。
『日本書紀』に、最初の天皇、神武が即位し、日本国を建国したことが書かれています。
「恭みて寶位に臨みて、元元を鎮むべし」
元元とは、おおみたから、と読みます。
謹んで高御座に即位して、大御寶の魂を治めるべし、という意味です。
大御寶とは、天下万民、つまり国民のことです。
天下万民は、御宝である。
こんなことを宣言した、皇帝、王が、世界にとれだけいました?
まあほんとうに神武天皇なんていたのか、という議論は今は置いといて、『書紀』にはそう明記された。
天皇は、そうあるべきだ、という意思表示でもあると、私は解釈します。
天皇は「わしは玉座にいる偉い存在やから、下々のもの、わしに献上せえよ」という態度ではない。万民を宝だといって、その魂、心を治めるために、天皇はいる。

たとえば、中国には皇帝がいました。
聖徳太子の時代、隋の煬帝という皇帝がいた。国に大運河を作るといって万民を何百万人と駆り出して、奴隷のように使役させ、大勢死んだ。死体はそのまま、ごろごろ。また、高句麗遠征をこれまた万民を徴兵して、これまた大勢死んだ。第二次遠征なんて100万人も駆り出して、生還したのはたった数千人。おかげで税も上がった。まあ煬帝は悪帝、暴君と呼ばれていますが。
明帝国の朱元璋という皇帝は虐殺好きで、元の国を滅ぼして明皇帝になったのですが、その途端に、一緒に戦った武官全員虐殺、自分の家族親戚虐殺、お金持ちは虐殺して私財没収、とまあ、三万人ほど殺した。なんか、中国で3万人殺した、といっても、そんなもんか、と思ってしまうのは私だけ? まあ、中国は征服王朝ですから、賢帝も出たけど無茶する皇帝もたまに出たりしました。この息子の建文帝というのも、やたら殺した。あんまりやりすぎて、離反者がやたら出て、一説には殺された、とも。
清の西太后と言う人も、なかなか、残虐な女帝だったようで。

天皇はそんなことはしない。少なくとも奈良時代以降は。ま、あったとしても宮中での行為であって、大御寶には迷惑はかけていない。
これは、天皇は「君臨すれど統治せず」という原則が古代からあるからなんですね。
つまり、天皇が日本国の主権者であるわけではない。

だから、天皇は象徴なのである、といえるわけです。

日本国憲法によって、天皇が象徴になったわけではなく、憲法によって、天皇のあり方が、明文化されたといえましょう。


つづく

kaidanyawa at 14:46|PermalinkComments(4)

2015年06月03日

天皇のいる国 2

中山市朗です。

天皇。
これ、学校で習いましたっけ?
私は、聖徳太子の研究をするまで、よく知りませんでした。
日本史のなかで、まるで記号のように、天智、天武、桓武、白川、後鳥羽など出てきた覚えはありますが、ただ試験対策として、単語として覚えただけ、のような気がします。
まあ、私の高校の社会科の先生は、バリバリ日教組で、「天皇はいらない、自衛隊は憲法違反」みたいなことばっかり言っていました。そういう先生が多かったんですけど、今はどうなんでしょぅかね。

うちの塾生に聞いたところ、高校の卒業式で「君が代は歌うな」と担任の先生に言われた、というのがおりましたし、韓国に修学旅行へ行って、慰安婦のおばあちゃんたちの前で土下座をさせられた、というのもほんとうにいました。この塾生は、そのとき「日本のことも韓国のことも大嫌いになった」と言っていました。

私の父は昭和3年の生まれでした。
戦争映画が好きで、一緒に「トラトラトラ!」や「遠すぎた橋」を観にいったり、戦車や戦闘機、軍艦のプラモデルをよく買ってくれました。その一方で、天皇を憎んでいた面がありました。
一度だけ「わしは天皇を憎んでいる。天皇のおかげで戦争が起こって、おかげでやりたいこともできず、学校へも行けなかった」と言っていたのを覚えています。
昭和3年、と言うことは、13歳の冬に太平洋戦争が始まり、17歳の夏に戦争が終わったことになります。
まさに、中学、高校の青春まっさかり。その時間を舞鶴の工廠で、軍艦造りに動員されていたようなんです。以前にもこのブログに書きましたが、一度だけ体調不良で兵庫県朝来郡の実家に帰った。その帰りの汽車から、早朝、上空を大量のB29が飛んでいくのが見えた。翌日、舞鶴に戻ってみると、あたりは焼け野原。一緒に仕事をしていた友人や仲間を随分と亡くした。おそらく実家に戻らなかったら、自分は確実に死んでいただろうと。父の持ち場には直撃弾が落ちていたというんです。
で、その日も湾内に空襲があった。完成して、出港を控えていた駆逐艦が、沈没したらしい。
「食料を積み込んどったんや。それ、沈むんやったら食っときゃよかったと、そればっかり思った」と言っていました。とにかく「腹が減っていた」と言うのが、戦時の記憶だそうです。
自由を奪われ、勉学もできず、勤労労働に従事し、食料もロクになかった。その父もあと、1、2年早く生まれていたら戦争に採られていたことでしょう。私の幼馴染の父親は、予科練に行っていて、昭和20年8月16日、特攻隊として出撃する前日に終戦となった。もし、終戦が一日伸びていたら、その幼馴染は存在していなかった、ということになります。

またこの話になってしまいますが、「明治日本の産業革命遺産」の登録について、韓国が朝鮮人の強制徴用が行われた施設だとして反対を世界に訴えていますが、当時は、朝鮮は日本だったわけで、戦時における徴用は国民の義務。朝鮮人だけが強制労働させられたわけではない。ただ、親父はそのもって行きようのない当時の無慈悲な体制への怒りを、天皇に向けたんでしょう。韓国の人は、日本政府に向けたのと同様に。
親父は大変な読書家で、おそらく学生時代にできなかった勉強をやろうとしたんでしょう。知識を得たかったんでしょう。実家は物凄い蔵書で、昭和史、天皇に関する書籍もたくさんありました。だから、親父も、あの戦争は天皇が悪い、という問題ではないことは知っていたはずです。

天皇と戦争。
天皇は、わが日本国の象徴ですから、行った戦争の象徴にもなる。
日本は当時、大日本帝国で、日本軍は皇軍といった。天皇の軍隊ですな。カタチとしては、確かに天皇の統帥の下に陸軍、海軍があった。天皇は大元帥。しかし、いろいろな本や記録を読んでみると、天皇は戦争に反対していた。しかしその意思に反して、戦争への道を日本は邁進していくわけです。

ここが、子どものころはよくわかになかった。
大人たちも、ちゃんと説明ができなかったんです。

日本国の象徴としての天皇。
これがどうも、曖昧模糊としていて、わかったようなわからんような……



kaidanyawa at 00:47|PermalinkComments(6)

2015年06月01日

天皇のいる国

中山市朗です。

6月ですなあ。
2015年もはや半分、というところでして。もう夏日が続いていますけど。

で、今年は戦後70年と言うことで、安倍首相が8月15日に戦後70年談話を発表するということで、注目されるところです。70年、ということは、二十歳で戦争に採られた人は90歳になるわけで、どんどん生き証人がいなくなっているということです。
若い人たちの感覚では、教科書の中の歴史にしかすぎない、のでしょうか。まあ、私の子どもの頃、もうそんな風潮ではありましたから、しょうがおまへんですけど。
しかし、あの戦争は、語り継がなきゃならない。それは我々大人の使命、義務だと思いますよ。

今年の1月5日、安倍首相は報道陣に対して「先の大戦への反省、戦後の平和国家としての歩み、今後アジア太平洋地域や世界にどのような貢献を果たしていくのか、英知を結集して考え、新たな談話に書き込んでいく」とし、村山談話を含め「歴史認識に対する歴代内閣の立場を全体として引き継いでいく」とも述べ、アジア諸国に対する植民地支配、侵略の反省と謝罪を表明した。1995年の村山富市首相の談話の立場を継承する考えを改めて示した、と6日付け朝日新聞は報じていました。
また、アジアの国々の関係に今だに影響を与えている、特に日本と中国、韓国だとAPは報じている、とも。

安倍首相のこの発言に、習近平中国国家主席は「歴史を忘れることは裏切りで、犯罪を否定することはまた過ちを犯す」と発言しました。どの口が言う?
中国外交報道官は「侵略の歴史に正直に向き合い、歴史問題に関して全ての厳粛な発言と約束を守るよう願っている」とコメントしました。
そして朝日新聞は「安倍首相は戦争責任に向かい合う必要がある」と主張。「未来志向がいけないというのではない。だが過去と真剣に向き合ったうえでのことでなかったなら「被害を受けた側からは『過去は忘れよいといっているのか』と受け取られるおそれがある、と社説で説きました。

そろそろもう、こういうことから脱却した方がいいのでは、と私は思います。
村山談話が出たのは戦後50年のとき。あれから20年、日本やアジアを取り巻く情勢や状況も変わり、中国が圧倒的な力を持ち出した。そして先の大戦同様の緊張感を生み出しています。一方、歴史的な史料、記録も洗いざらい研究され、いろんなことが明らかになってきた。日本政府もアメリカ政府も真実を知ろうとして動いたんです。
学問や科学は、新しい説や研究成果、あるいは発見があると、新しいものをチョイスし、ステップアップします。だから、学問は進化するわけです。
しかし、この、戦争への反省だけは昔からスタンスがまったく変わらない。
70年前、1945年の春までは、世界中が戦争をしていた。あるいは巻き込まれました。
アジアだけではない。ヨーロッパでも悲惨なことが起こっていました。兵士だけでなく、多くの一般市民が殺され、財産を失いました。ユダヤの人たちは、それこそ強制的に収容所へ送られ、大勢殺されました。
ソ連兵の残虐さは、誰も問題にしていませんが、日ソ不可侵条約を破って満州に入ったソ連軍は、満州にいた一般日本人に対して筆舌に尽くせない残虐行為を働いた。
米国の無差別都市爆撃も、原爆も、明らかに陸戦協定違反。
よく、真珠湾がどうの、という声が聞かれますが、あれは軍事行動。一般人と施設を攻撃したわけではない。
広島、長崎と一緒にするな!!
中国も、いかにも戦時は中国共産党が、中国の国民のために日本と戦った、みたいなことを言っていますが、あの頃の中国は無政府状態に近かった。共産党軍もほとんど日本軍とは戦っていない。しかも大陸において、日本軍が駐屯したところだけが、安全だったといわれているくらいでして。
しかるに、あの戦争に対してずっと反省を求められ、そのたびに反省を口にし、自虐史観の教育を受け、憲法上軍隊も持たない国として、これだけ世界に平和の模範と経済的援助をしてきた日本が、その日本だけが、延々と歴史の反省だの、性奴隷を使っただの、アジアの国々に苦痛を与えただのと、卑しめられ、首相が変わるたびに反省を求められ、戦没者の慰霊に参詣することも問題視されているわけです。
これはおそらく、日本人の独特の配慮だとか、気を使う、民族性が、逆手に出た。世界はそんなお人よしではなかったということなんでしょうね。
ほんとうに、先の大戦でアジアが苦しんだ、苦しんだのは確かですが、その原因はなんだ、じゃああの戦争が無ければ、アジアは平和だったのか、平和とは、自由とは、権利とは、そういうことも考えなきゃ、あの戦争の本質は見えてこない。
そりゃ、戦争は悲惨です。人も死ぬ。町も破壊される。人権侵害、言うのは簡単です。
しかし、アジアは当時、ほとんどが欧米によって植民地支配されていた。これは、人権侵害ではないのか。
白人はやってもいいが、黄色い日本人はやったらいけないのか。
そういう議論が、無い。
また、国内の共産党かぶれをしたインテリたちも、歴史を知らずして、ただ人権、侵略、反省を声高に叫んで、無知な国民や政府を責めることで、自分に酔っていた、というところもありますな。

20年前は、正直日本の国民も、おそらく周辺諸国の人たちも、詳しい事情は知らなかったし、知る術も限られていました。しかし今は、ネットというもので、あらゆる情報を国民は得ることができ、真相を知ることができるようになった。昔は専門家か、専門誌を紐解かないと読めなかったものが、ネットでかなり読めるようになったし、何をよ読めばいいのかも示唆してある。外国の文献も読めるし、新聞も読める。キーワード検索すると、知りたい情報がいっぱいヒットします。あとは、リテラシーの問題。そして、特に、韓国の理不尽なまでの反日と、韓国の人が教育され信じ込んでいる歴史認識と言うものも、もう日本人はなんとなく察知しだした。
そうなると、ですよ、村山談話を踏襲する必要は無い、と私は思うんです。
歴史の修正は悪いことではない。新しい事実が出てきて評価に値するものなら、それを選択し、間違っていたものや、修正されるべきものは修正するのが本来のありかた。
間違っていたと思いつつも、配慮だの、バッシングをおそれてそのままにして誤魔化す、というのがいちばんたちが悪い。
それで騒ぐのは、中国と韓国だけでしょう。あとは小うるさい国内外の人権団体。

あの連中はもう無視していいのでは?
よくあるのが、人権団体に「あのときはこういう時代だった」と歴史的事実や背景を言ったとしても「論点のすりかえをするな」という。
「アメリカではこうだった。ロシアでは……」と言うと、「日本の話をしているんだ」という。
「それに関して客観的な資料は無い」というと「ある」と証言を取り出してくる。
その証言も当初から一貫性が無い。そこを指摘すると「被害者の涙を無視するのか」という。
まともな議論をみたことがない。
あの連中は、日本人の人権を何とおもっているのでしょうね。そして、慰安婦だったというおばあさんたちの証言をゆがめて、あの人たちの人権も踏みにじっている。それに踊らされた韓国がお気の毒。あれを仕掛けたのは、どうやら中国共産党のようですね。

安倍さんは、そのあたりのことはご存知だろうから、考えに考えての談話をするとは思いますけど。

さて、先日、ある人が「天皇について知りたいんですが」と言ってきた。
「なんで?」というと、「太平洋戦争で日本が何をやったのか、ということを知るには、天皇って、なに、ということがわからんことには、あの戦争の本質って、わからないと思うんですよ」と言うわけです。
「そんなん、当時、ほんまに『天皇陛下バンザイ!』って死んでいった日本兵なんておらんと思うよ。やっぱり、おかあちゃん!とか、嫁や恋人の名前を叫んで死んでいった。純粋に、日本と言う国土を守る、白人よ出て行け! という気持ちで戦って死んだんじゃないかと、思うけど」と私は言った。当事者じゃないからわからないけど、父親の世代の人たちはそう言っていました。
「でも、天皇のために、戦争は起こったんでしょ?」
「それは語弊がある。天皇が戦争を望んだわけじゃない。むしろ天皇は望まなかった。でも、戦争はやめよ、という意思表示は、御前会議で『よものうみ、みなはらからとおもふよに、などなみかぜのたちさわぐらむ』と歌を詠むより無かった」
「でも、天皇と戦争は無縁なわけじゃないですよね」
「それはその通り。日本国は天皇抜きには語れない」
「だから、そこを知りたいわけなんです。天皇ってなんなんですか」

そうねえ、それ、大事なことかも。
我々日本人は、天皇と言う存在は認識している。ひょっとしたら精神的な支えになっているのかもしれない。
いてもいなくても同じじゃん、と言う人もいるだろうし、「税金の無駄遣い。あんなん廃止したら?」という声もある。なんとなく、天皇の話題はタブー、みたいなところもある。
しかし一方、やっぱり韓国前大統領の「天皇謝罪」発言から、最近の佳子様の話題など、日本国民の注目が一時期より皇室に向いているのも、確かなような気もします。それも、ほとんどの日本人は、皇室に対して畏敬の念をやっぱり持っている。ちょっと誇らしくもある。

では、天皇とはなんだ、と質問されると、大抵の人は、ロジックとして説明できないんじゃないかな、と。

天皇とはそういうものなんです。それはロジックじゃない。
しかし、天皇について知ることは、確かに必要なのかもしれません。いや、我々が日本人であるからには、天皇について、少しは語る知識が合ってもいいのではないかとも思います。

これは確実にいえるわけですが、日本は、天皇がいるから日本なのである。
おわかり?

これから、天皇について、ちょっとずつ、書いていきます。







kaidanyawa at 14:40|PermalinkComments(2)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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