2015年09月

2015年09月30日

洞窟のモーツァルト!

中山市朗です。


うわっ!

・フランキーリリー










 
なな、なんだ、なぜだ、
いきなり薄汚れたリリー・フランキーさんのアップショット!?

実は、私が塾ともどもにお世話いただいている劇作家、児島秀樹さんから「実験的なおもしろいドラマの脚本を書いて、それがドラマ化しました」と連絡があったのです。

ちょっと他のテレビドラマとは違って、ラブロマンスとか、ロマンチックなものは無いんだそうで、ど〜しても、ドラマ化したくて、あちこちに営業をかけて、実現化したのがNHKだったという、苦労話もお聞きし、痛く共感したのでした。
児島さんもそうとう自信がおありのようだったので、ここに宣伝いたしたい所存でございます。

「洞窟おじさん」

43年間、山奥に隠れ住み、発見された、一人の男の壮絶な人生。
加村一馬原作による、これは実話だそうです。
4回完結。

脚本:児島秀樹、吉田照幸。監督・吉田照幸。
出演:リリー・フランキー、中村蒼、浅利陽介、他

オンエア、第一回放送 10月1日(木) 午後9時より、毎週木曜日の同じ時間。

NHK・BSプレミアム。

みんな、観ようぜ。

おー、

声が小さい!

おおおおーっ!!!

なんだ、君は声を出さなかったな、えっ? BSが観れない?
捨ててまえ、そんなテレビ!





さて、昨夜の「ムー」トーク。

お客さん、ちょっと少なめ。あらら。
しかあし! こんなときこそ、来なかった人たちを後悔させたくなるのが、ステージに上がる者の使命となるのだ! というほどのこともございませんが、この日は最初から、ディープな「ムー」的、いや、私はあくまで取材してきて見えたもの、わかったものを事実として、みなさんに聞いていただいている、というスタンスです。

1ロフト、ライブ




















もう、怪しい?
1ドル札の画像をバックに、何やら語るわたし。
隣にいてるはずの三上編集長は、本番中にもかかわらず、トイレに。
ビールの飲みすぎや。

この日はいきなり、「『魔笛』の主人公は日本人で、これが聖徳太子だ、と先生言いたいんでしょ」と三上編集長が振ったところからトークが開始。
何度も言いますが、全然打ち合わせやってませんから。

それにこたえるにはまず、モーツァルトの生きた時代を理解していただく必要があります。
つまりは科学が出来た時代、絶対的なものであった『聖書』への疑問が呈され、啓蒙化が促され、フリーメーソンが台頭し、イルミナティが結成され、フランス革命が起こる、そういうバックグラウンドがあったことを理解していただかないと、その動機や意味がわからない。まずそんなところから、お話をさせていただきました。

で、じゃあ、フリーメーソンてなんだ、イルミナティてどんなものだ、となりますわな。モーツァルトがフリーメーソンだったことは紛れもない事実。
実はモーツァルトという人はこのフリーメーソン抜きには語れない。その交友関係もフリーメーソンの人脈。いや、それを言うなら18世紀のヨーロッパこそ、フリーメーソンを無視しては語れないのです。

近世ヨーロッパを知るには、次の三つがわからないと本当には理解できないんです。

一つ、キリスト教。
二つ、王朝。特にハプスブルグ家。
三つ、フリーメーソン。

アカデミズムの歴史には、このフリーメーソンが抜け落ちている。だから、歴史的流れが説明できない。いろいろな歴史的事件や戦争や革命が、ばらばらに存在する。
でも、そうではないのです。
フリーメーソンの存在が、それをつなぐのです。

別にこれが世界征服を考えたとか、奇妙なオカルトを実践した、ということではなく、王族、貴族、豪商、政治家、軍人、芸術家のほとんどが入信したという事実があった。その人たちの思惑が、当然ながらフリーメーソンという器の中で醸造され、情報も交換される。そして、アメリカの独立も、フランス革命も、そういう人たちの手によってなされた。これも紛れもない事実です。
ただし、1776年、アダム・ヴァィスハウプトによって、バイエルンに創設されたイルミナティはちょっと違う。
これは、フリーメーソンを利用し、世界をいったん破壊させ、新秩序を作ろうとした。それは100年、200年、300年かかる壮大なもので、着々とそれは、現代も進行しております。確実に!

えっ、バイエルンのイルミナティは1785年に弾圧され、解散したじゃないかって?

わかってないなあ。
組織としてのイルミナティは無くなっても、メンバーは相変わらずドイツ、オーストリアにおいて重要な役職に就いたままですよ。イルミナティとは、組織ではなく、その考えに毒された人たちが恐ろしいのです。

モーツァルトは、自分が音楽の天才だと自負していました。ところが、王や貴族たちに屈辱的な扱いを受けていたんです。
生れが貴族、というだけで、才能のあるモーツァルトに向かって威張りちらし、仕事は彼らに頭を下げないともらえない。そして受ける不当な評価。
だから、自由、平等、博愛を謳うフリーメーソンに入ったんです。生れなど関係のない、真の才能と世の中への貢献度だけが評価される世界に身を投じたかったのです。
しかし、本来はイルミナティこそがその純粋で、真の教義を、古代の叡智を秘めた、ほんとうの理想郷だと思ったのです。モーツァルトは純粋にものに心動かす少年のような人でした。
で、おそらく入信する頃に、イルミナティが解散したんです。
そこでモーツァルトは、「洞窟」というフリーメーソン・ロッジを立ち上げようとしました。このロッジでイルミナティの教義を受け継ごうとしたのです。
「洞窟」は、その昔、モーツァルトが、ザルツブルグ郊外のアイゲンの森にある洞窟で、まだイルミナティを結成する前の若きアダム・ヴァィスハウプトの演説を聞き、そこからフリーメーソンに興味を持ったらしいのです。
だから「魔笛」にも、イルミナティを意味する暗号が用いられる場面に、ちゃんと洞窟が出てきます。

モーツァルトも「洞窟おじさん」だったのです。
おおっ、つながった!



アイゲンの森




















ところが、途中でイルミナティの本当の正体を知ったわけです。
イルミナティは解散したが、その残党どもは、何かを画策し、それを隠ぺいしようとしている。
人々は労働という奴隷を強いられ、家族は崩壊し、子供を親から引き離し、奴隷となるための教育が実施される。
善なるものは否定され、偽善と闇で、世の中を支配しようとしている。
これは、阻止せねばならない。
モーツァルトは死の覚悟をもって「魔笛」の中で、その計画を暗号化し、壮大なオペラとして後世に残したのです。
その計画を阻止できるのは、太陽の国に住む日本人である!
我々、今の日本人に対して警告と覚醒のメッセージを「魔笛」の中にそれらを封じ込めたのです。巧妙すぎて、まだ日本人の誰もがそこに気付いていません。

気づいたれよ!

しかし、当時の日本は江戸時代。鎖国しています。なぜ、モーツァルトは日本に注目したのか?
ずっと私が追っている事案です。

もうひとつ、イルミナティの奥義は、フリーメーソン同様エジプトの秘儀にありますが、エジプトの秘儀は日本の天皇の神道に大きく共通するものがあり、また、組織そのものは、日本にあったある組織を模倣している。
このあたりにも、聖徳太子がからんでくるわけです。

そうです。長らくお待たせしている『モーツァルトの血痕』の内容です。これは。

実は三上編集長、私のその話を聞いて、あちこちそういうことに詳しい専門家の話を聞いて、独自の調査をしたところ、「ほんまや、ヤバい」と確信を得たようで、だから最初にこの問題を振ったらしい。
だから、ほんまなんやって、言うてますやん。


まあ、どこまで言っていいのか、さぐり、さぐりのトークでしたけど。

テーマが聖徳太子で、話がモーツァルトやフリーメーソンというのは、一見奇異ですが、実は「魔笛」の原作は聖徳太子の「未来記」であると、これは重ねて『捜聖記』『四天王寺の暗号』で書きました。
日本の古代史は、世界ともつながっているのです。スケールは大きい。

実はですね、昨日のブログで三柱鳥居が聖徳太子の正体に関わる、と言ったので、何か質問が来るかと徹夜でパソコンに資料の取り込みをやったんですよ。
ものすごく、重要なことなんです、これ。三柱鳥居はキリストの三位一体を現したものに非ず!
丹後一宮、籠神社、いや、海部氏に関連する!

質問来なかったので、資料、全然、使わんかった。わっはっはっは。



トーク・イベントが終わったら、今回はお客さんたちにも参加してもらっての打ち上げ。

打ち上げ








この打ち上げも、店を変え、早朝まで続き、三上編集長ともども、濃い濃い濃い〜、古代史トークが繰り広げられるのでした。お酒を飲みながらのお客さんとの交流。え〜ですな。
5時過ぎくらいに散会。三上編集長はこれから東京へ戻って、10時には出社ですって。
業界の人はみんな、タフです。
わしは寝た。


さて、いつやねん!
とお叱りうけそうな、電子書籍『モーツァルトの血痕』。
電子書籍のマーケットがどうも読めず、ただ、出しただけではどうにもならない、おそらく組んだプログラム代の回収もできないのでは、と思って、ずっと出すタイミングを見ておりました。
それでなんか、仕掛けんといかん、と。

そしたらちょっと、光明が見えてまいりました。まずは、『ムー』となんらかのコラボをやろうかと。

来年は、出そうです。








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2015年09月29日

今夜は聖徳太子だムー!

中山市朗です。
 
おかげさまで、追加席まで出た先日の「Dark Night 16」


darknight








その余韻をひきづって、今夜は、LoftplasoneWestで、「月刊ムーの世界不思議紀行4」が開催されます。
月刊「ムー」の三上丈晴編集長と私のガチ(?)トーク。
「聖徳太子」という大雑把なテーマ以外は何も決まっていません。
どういう方向にトークが流れるのか予測不能です。
第一回目は「聖徳太子」というテーマながら、そんな話題は5分ほどしか出ませんでした。
そこがロフトプラスワン、らしい?
今回は4回目。このままぐだぐだと続きそうです。
まあ、聖徳太子に関する新しい説、というより、我々の丁丁発止を楽しんでいただければなあと。
そう思います。
質問をくだされば、そこからトークが展開するかも。
進行は、ロビ前田さん、尾崎テロルさん。

今回は、いつもご陽気な飛鳥昭雄さんは不在。酔いどれ編集長との直接対決。
なので、「ムー」の飛鳥ファンのために、前回の写真だけ貼っておきます。



ライブ四天王寺










飛鳥さん、よお顔見えへんやんけ。

で、こういう写真も。

市腹三柱鳥居・蚕の社













「ムー」の読者ならご存知、京都太秦・蚕の社の三柱鳥居。
これも聖徳太子に関係してきます。
いや、その正体に関ってきます。

そんなところかな。

ついでに宣伝。私が聖徳太子について書き下ろした本です。

聖徳太子の「未来記」の謎を追う『捜聖記』、小説です。
角川書店発行。え〜、売り切れのまま重版されず。見つかれば希少価値。

記捜聖















『捜聖記』の問い合わせがいろいろありながら、重版されないので、新たに取材した素材をもとにノンフィクション形式で書いた『聖徳太子・四天王寺の暗号』(ハート出版)。一昨年発売、こちらはamazonなどで買えます。
分厚いです。
この2冊は、怪異蒐集家ではなく、オカルト(隠された神の秘儀)研究家としての中山市朗です。
ふっふっふ。
手元にあまり無いので、明日の物販には出ません。
また用意しておきます。
  
暗号四天王寺の











以上、便乗宣伝終わります。





 



















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2015年09月27日

Dark Night 16 報告!

中山市朗です。

「Dark Night 16」、無事終了いたしました。
無事て、言うのが、はたして喜ぶべきことなのか?
いっぺんくらい、場内がパニックになる怪異、起こらんかなあ。第一回目の市松人形を思い出す……。

今回も満員盛況でした。
来てくださいましたお客様、ほんとうにありがとうございました。
みなさまのおかげで、16回続いてきたのです。

さてさて、今回のゲストは、西浦和也さん。
ステージでの共演は、東京での「クリスマス怪談」以来4年ぶり。とはいえ、番組ロケなどではちょいちょいお会いしており、実は彼とはもう十何年来のおつきあいとなります。
『新耳袋』ファンならご存知、『迎賓館』や私が以前NHK−bsで披露した「もうひとり」などの警備会社営業部のI課長とは彼です。Iというのは彼の本名。あの大化の改新で首を跳ね飛ばされた蘇我入鹿に、関係してくる名前です。
当時からいろいろと『新耳袋』でお手伝いしていただいていて、で、いつの間にやら北野誠氏に近づき『お前ら行くな」の企画、制作を実現させ、怪談作家にもなっていった。ずっとその様子を私は見ていたのです。
いや、そのバイタリティ、才能、そしてあのお人柄。
楽屋でも話していたのですが、やっぱり、どう人とつながるのか、不義理をしないか。これ、我々のようなフリーの人間にこそ、仕事を続けていく、あるいは発展させていくにあたって重要な要素なんです。
仕事が無いクリエーターは、そこがわかっていない……。
いや、そんなことより、怪談ですね。

けっきょく、彼が楽屋に入ってきてからも打ち合わせをしていたんですが、「どうしましょう」で止まる。
言いたいことやネタがありすぎて、絞れない。
やっぱりいきなり本番で打ち合わせなしのガチ・トークをやろうと。やっぱりそうなります。
案外、ステージにいるとお客さんの反応や空気で、フリートークは流れるんですよ。最初にガチに決めちゃうと、かえって「しまった!」ということになったりする。

私としては、「Dark Night」はほかの怪談ライブとは明らかに違うものにしたいわけでして。

ふつう、何人かの怪談師、あるいは作家などをゲストに呼んで(多いほどいい)、時間を決めてそれぞれに怪談を語ってもらうという、テレビの構成はこれが多いのですが、これはこれでありなんですよ。
いろいろな人の怪談が聴けるし。
しかし、実はその間に交わされるトークが面白い。怪談が怪談を呼び、その怪談がさらに怪談を誘発する。その関連性で、お客さんも、「やっぱりあるんや」と怪異に現実感のようなものをみいだす。ですから、このトーク部分を最大限活かしたい、というのが、当初からの狙い。もちろんそのトークは、怪談から生み出されるものです。真の怪談会の魅力はこれです。

その面白さはキャッチボールなんです。あくまでゲストと、怪談(あるいは古代史など)について、深みにはまるまで、トークでキャッチボールをする、ということ。
持ちネタとしての怪談やそれにまつわるエピソードが豊富な人は、話を聞けば、思い出すんです。それをぶつけると、相手も反応する。たまに思わぬ方向へ行ってしまう。もちろんそこに笑いもある。共感もする。
以前、新宿ロフトプラスワンでやっていた『新耳トーク』もそれに近かったのですが、あれをもっとスリムにして、ゲストの人となりやパーソナルな部分を引き出しながら、私とのパーソナルの部分もそこにぶつけるわけです。
西浦和也の世界、北野誠の世界、田辺青蛙の世界、山口敏太郎の世界に、私の世界を掛け合わせるとどうなるか。
理想はそうなんです。
それがお客様に伝わって、なおも「凄い話、聞いたな」と思っていただければ、大成功。
たまに、お叱りをうけることもございます。精進します。
でも、これを5時間通す、というのは至難の業ですけどね。体力勝負でもある。いろいろとゲストの方にも負担をかけることになりますし。でも、私がゲストとして招くからには、それに十分対応してくださる方々をお呼びしていますから。

その点、今回のゲストはもう、嬉々として、休憩時間もずっと怪談をしゃべっている。だから、安心して望めます。
 
第一部は、まずは、私と彼の出会いのエピソードを紹介しながら、だんだん話が怪しくなってくる。
『新耳袋』には書いていない、I課長時代のエピソードから、『お前ら行くな』が立ち上がって、今に至るエピソード。そこに怪異が絡んでくる。私も初めて知る話もかなりあって、興味深く拝聴いたしました。
彼は、そういう現場に行き、北野誠という怪異レーダーとともに行動し、怪異をキャッチし、誠氏を通した視線で怪異を報告する、というスタイル。
私は、現場に行くと「午前0時のさわやかウィンドゥ」が発動し、霊スポットを破壊してしまうので、やっぱり怪異体験をした人を取材し、それぞれの体験者の話を、怪談として再構成し、語り、文芸化する、というのが私の世界ですから、その接点を模索しながらの丁丁発止となります。まあ、そんな流れで三段壁などの話を披露したりしたわけです。
「こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい……」
で、彼の話を聞きながら(あの、ある土地の住人が次々と亡くなっていく話は強烈でしたねえ)、いろいろ思い出した話を語る。「渓流釣り」の話などはそうでした。
でも、私もまだまだ語りたい話があったのですが、なんということだ!
時間がすぐ来るわけですよ!

第二部は、これは出演交渉した時点で決めていて、西浦和氏に依頼していたこと。
犬神についての、忌まわしき体験談を語ってもらう。
前回は北野誠さんが見た、いや、体感した犬神。
今回は、同じ怪異事件に遭遇した、もう一人の人物に心行くまで語ってもらう。お客さんの関心は、ここにあったと思います。まあ、私もこのブログであおってましたし。

怖いですな、人食いバクテリア。
それで、まあよく、こんな元気で今、いるなあと。奇跡と言うか、彼の存在が怪異です。
ふつう、死んでる。
そして暴露されたのが、あの病気は、どうやら「犬神」だけでなく、他の怪異事件に関わっていたがゆえに起こった複合的なものであった!
昔、春風亭小朝師匠にお会いしたとき「知り合いの噺家が癌を宣告されましてね。病院からこれを常飲するようにと何種類かの薬をもらったんです。そしたら別の人から、この薬が効くよ、また別の人から、この薬飲んだ方がいいよ、そんなこんなですごい量の薬を一度に飲んでいると、癌の状態がよくなった。それで、こんなに薬を飲むのは負担なので減らそうとしたんですが、いったいどれが効いているのかわからない。けっきょく、全部飲み続けるしかない。そうしたら、こんどは副作用がね」なんて話をしていましたが、そんな状態ですね。

しかし、複合的な強烈なものが原因とすれば、それらが互いに強烈に相殺しあって、結果助かったんじゃないかと、私は思いました。
また、この話の凄いところは、犬神憑きの先方の家の祖先と、西浦氏の本名Iが、あの大化の改新以来の因縁の家系の間柄。1300年の時を経て、ここでまた、呪いの発動が!
北野誠さんに言わせれば「幻魔大戦」状態。
でも、話を聞くと、なんだか北野誠さんも、どうやら、妙なものにとり憑かれているようですね?

私も実は「犬神」に関する体験談が取材できているんですが、その人、現在進行形で「今はしゃべらないで」と難く禁じられていて、しかもその人が客席にいたので、完全封印。いや、いなくても約束は守りますから、ご安心を。でもいつかは、許可いただきたい。
なので、10年ほど前に上梓した「なまなりさん」の一部エピソードを語りましたが、これは犬神と人形を使った呪いのバトル。北野誠さんにいわせれば、これも「幻魔大戦」状態。実はこれ、語るつもりはなかったので、思い出し思いだしながらの語り。ちょっとうまくいきませんでした。反省。
「なまなりさん」はいつか全編を話芸にしてみたいと思っていますが、全部語ると、おそらく3時間はかかるでしょう。お客さんがついていけるか?
ただ、お客さんからは「なまなりさん」の話をしているときだけ、ちょっと奇妙な現象が続いていた、という報告を複数いただきました。あまり、したらあかん話なんです、あれは。

第三部は、いつもの通り、お互い持ち寄った怪談をテーマとは関係なく披露。
私は、オーソドックスながら、行ってはならない心霊スポットに関する話を二話、初披露。
「ミシッ!」
「お前らよおあそこ行ったなあ」

怪談が終わると、西浦和也氏のお客さんへのおみやげもあって、なんだかジャイケン大会になっていきました……。

楽屋にもいろいろ差し入れが届きました。ありがとうございました。
おかげさまで、楽屋は宴会場みたいになっておりました。
甘いお菓子は打ち上げのビールの味を考えて、持ち帰りました!

いろいろありがとうございました!
西浦さんは、物販ブースの前に群がるお客さん相手に、またまた怪談を披露しておりました。

次回の「Dark Night」は12月後半、もしくは1月初旬にと考えています。
こればっかりは会場の空き状態やゲストのスケジュール等がありますので、実現できるのかわかりませんが、最大限に努力いたします。
え?
なんで、年末年始のクソ忙しいときにやるのかって?

そのあたりに『怪談狩り』の第三弾の出版が……?
現在、出版に向けて作業中です。



それでは、
まずはお客様、そして西浦和也さん、司会の半田あかりさん、裏で支えてくださったスタッフの皆さんに感謝しかありません。


ということで、出演者一同で、みなさんにご挨拶。


ダークナイト




kaidanyawa at 17:11|PermalinkComments(17)

2015年09月26日

いよいよ今日! Dark Night

中山市朗です。

西浦氏から電話がありました。たった今、大阪に着いたようです。
無事、「Dark Night」は開幕しそうです。

いや、油断は禁物。

それほどヤバいって。あの話は。









ヤバイって。

わし2









kaidanyawa at 16:24|PermalinkComments(13)

2015年09月25日

明日、いよいよ怪談オールナイト!

中山市朗です。

いよいよ明日、深夜24時「Dark Night 16」を開催します。
前回、北野誠さんが、自ら体験した〇神について、本人いわく「初めて全貌を語った」わけですが、今回は同じその怪異に遭遇したもう一人の男、怪談収集家で作家であります西浦和也さんをゲストに予定しております。
昨日の事務所での打ち合わせで、司会者の半田あかりさんに「誠さんの話がレコードでいうA面なら西浦さんの話はB面や」というと、レコードを知らなかったので「これじゃ!」と膨大にコレクションしてあるサウンドトラック盤の中から一枚引っこ抜いて、「これがレコードでな。こっちA面、これB面」なんて説明しました。
カセットテープなら知っているといわれました。
レコード、あのジャケット、音質、えーねんけどな。

ちなみにレコードはフランツ・ワックスマンが作曲を担当した『尼僧物語』。
オードリー・ヘップバーン主演、フレッド・ジンネマン監督の映画。レコード自体は貴重盤。
て、あんまりサントラについて語ったり自慢したりする仲間がいないんですよね〜。周りに。

あっ、西浦和也さんとは電話でサクッと打ち合わせをしました。
お元気でしたよ。
しかし、〇神はねえ、何が突然起きるか……。

チケットの予約は完売。
ただ、いつもキャンセルが出ますので、当日券が出る可能性はあります。
どーしてもドタキャンされる場合は必ずチケットを求めたサイトへご一報くださいね。
来られるのか来られないのかわからない場合、チケットが出せません。
お待ちの方もおられます。

では、明日。






ええねんけどなあ、LPレコードのジャケット。

女優のフェィスだけで、味のあるこのサントラ盤!

『尼僧物語』のオードリー・ヘップバーン

尼僧物語















ついでに『誰が為に鐘は鳴る』のイングリット・バーグマン。
文字も何もないジャケット。バーグマンの顔だけがすべて!
音楽はヴィクター・ヤング。名曲です。

誰がために鐘は鳴る



kaidanyawa at 15:53|PermalinkComments(12)

2015年09月24日

真の平和主義とは?

中山市朗です。

凛とした人というのに憧れます。
私自身がそうありたい、という願望ではありますが。どうも私生活はだらしないので。

凛。
つまり、おちつきのある、しっかりと自分をもって、何事にも流されない、身が引き締まるようなりりしい様子、勇気があり、誇り高く、筋が通った、威厳があり、義を貫く生き方……。
なんか、映画や小説のヒーローみたいですけど。

私がこれまでにお会いした超一流のクリエーターの人たちは、いずれもこの、凛としたたたずまい、雰囲気がある人ばかりでした。こういう人たちは、人を見る洞察力があり、それだけ豊富な経験を持っているのでしょうから、そこから、人の心を揺さぶる何かが出てくるのではないかと思ったりします。

この凛とした雰囲気というのは、どこから育まれるのだろうと思うわけですが、まずは生まれかな、と。それを言っちゃあおしまいか。あと、教育によって育まれるのではないかと。これはマジ。

幕末から明治にかけての日本には、この、凛とした男たちとそれを支える女たちがいっぱいいて、自分が生まれ育った日本の国について考え、国のために働き、知恵をめぐらせ、行動を起こした。結果、自分たちの住む日本の国が、苦しみながらも近代化し、アジア唯一の先進国となっていく。日本を誇れる国にすることによって、誇り高く生きていける自分がいる。人間、どう生きるべきか。

歴史小説の魅力、面白さはそういう凛としたヒーローたちのスケール感あふれる活躍にあるんじゃないでしょうか。

江戸時代の日本の教育には義務教育というものはありませんでしたが、民間による庶民への教育は行き届き、識字率は武家ではほぼ100%、庶民でも幕末は全国で男性ほぼ50%、女性は20%くらい、とされ、これは世界的には驚異的数字なのであります。
ほぼ同時代の神聖ローマ帝国における識字率は、せいぜい10%未満。そんなもんです。
ちなみに、19世紀における識字率は英国の全体で25%、庶民となると10%未満、フランスは2〜3%程度。
ペリーは日本に来航して、田舎にも本屋があることに驚いています。ボロを着た労働者たちが手紙を書いている、なんて風景も、世界のどこにも見られない光景だったのです。
江戸時代には公的な学校はありませんでしたが、全国に寺子屋や塾があって、幕末には1万5000とも2万ともされる数があり、教職免許などなくとも自由に教えることができ、その代り、幕府や藩はなんの援助もしない、また、求めないというものでした。ただ、幕府は道徳教育の実施は命令して、基となる印刷物を各寺子屋に配布したらしい。公的な教育機関が無い、ということは、教育を受ける義務もない、ということです。
つまり、庶民の子たちは自発的に修学したということで、それは庶民も読み書きそろばんが出来ないと商売ができないという経済システムもあったわけです。掛取りの商売でしたから。武士の子には、学問を学び教養を身に着けることで武士の地位を保持せねばならない、ということもあったでしょうが、その根本にはどう凛と生きるか、という儒教的思想もあったと思います。
フランスでは18世紀末、初頭教育を無料にしたのにもかかわらず、子供たちの就学率は1、4%だったという数字がありますから、日本の親も子も、意識が違ったんです。人生を考えたんです。

子供たちは寺子屋や塾に行くことは入門であり、基礎教育を6年ほどここで受けると、12、3歳で職人の親方に弟子入りしたり、商家に奉公へ行く。女子も武家や商家へ女中奉公へ行くわけでして、ここで技術や商売の仕方だけでなく、躾や礼儀作法、処世術などを叩き込まれ、大人の世界へと巣立つシステムになっていました。町の女子は習い事もしていました。お裁縫やお茶、生け花、琴、三味線、舞など、「稽古屋」なんて落語に出てきますね。やっぱりこれはお嫁に行くのに必要だったんでしょうし、おそらく立ち振る舞いが美しくなるんでしょう。和服着ているとその大切さがよくわかります。
 
日本人はよく学んだんです。そして寺子屋においては師弟の関係、奉公に上がっては疑似的な親子の関係を築き、再び師匠を頼って塾に入る若者もいた。これがのちに大学になったりします。
まずは子が、青年が、自分より人生経験豊富な大人の価値観にまずは服従し、そこからその長所、短所を見て、いいのもは見習って、悪いと思ったことは排除していく。そして独立し、一人で自分の定めた道を歩む。しかし、師匠や親方、兄弟弟子たちとの関係は義でつながっていて、一生続く。つまり自分以外の価値観と常に向き合い、どう生きるべきかを考える。
これが大人です。年食うばかりが大人じゃない。

明治になって義務教育が施され、大学もできましたが、おそらく、戦前までの日本人の価値観、生き方は、このようなものであり、そこに凛としたものがあったと、なんだか思うわけです。

マスコミや教育者は、戦前の日本、というと軍国主義、侵略、独裁政治というレッテルを張りたがるのですが、日本は大正デモクラシーを謳歌した自由の国で、選挙制と議院性、多数政党があるれっきとした民主主義の国であり、自由な経済システムで経済国となったのです。少なくとも20世紀初頭には、このような国は米国と一部の欧州にしかなかったことです。厳しい言論統制や思想弾圧があったのはむしろ戦時中のことで、戦時の弾圧はどこの国にでもあることでした。ただ、共産党に対する弾圧や特高警察の取り締まりは戦前からありました。これについてはいずれ機会があれば述べましょう。

しかし、総体的に、日本の国民は、日本の国益、お国のため、という犠牲的精神は少なからず持っていて、義に生きる人間としての強さを持っていたと思われます。当時、日本は、いろいろな面で忍耐強く、強かったのは確かです。

戦後、こういう価値観は否定され、国家への犠牲的精神というものは悪者のようになって、文化思想の世界から排除され、国家への犠牲的精神は右翼的思想だと異端視され、個人主義が賞賛されるようになりました。
師弟関係というのも今や伝統芸能や職人の世界にしか残っていない。

今はその個人主義の時代です。
これは戦後GHQが押し付けた教育のたまもの、と言われていますが、それにしても、日本人は戦前というものを忌み嫌い、愛国と言う言葉を捨て、ただひたすら、金儲けに没頭した。
おかげで、経済大国となり、物質的には恵まれ、餓死するような人もまあいない。それは結構なことなんですが。
気が付けば、
子供や若者は大人から学ばず、同世代、あるいは価値観を同じにする仲間と戯れ、ネットでつながっている。人の関係もネットだのスマホだの。それが一方的に悪いことだとは思いません。時代によって価値観は変わっていくものですから。
しかし、大人(もしくは価値観を異とするもの)の世界から遮断された世界だけで生きるというのは、異常と言わざるを得ない。
でもそれで生きていける世の中だし、第一楽やから、という声が聞こえてきそうですが。

ただ、なぜこんなことを書いたのかと言うと、今回の安全保障をめぐる賛否の声で、どうも気になるものがあったのです。それは、
「戦争をするくらいなら、敵国の人間になってもかまわない」
「人殺しをするくらいなら、奴隷になってもいい」という意見。
私の周りにもいました。論破したった。
ある漫画家もテレビの討論で言っていました。「中国が攻めてくるんだったら降参して中国領で日本は生き続けることをよしとしても、戦争をしない人間はほっといてくれという感じですね」みたいなこと。あの言葉でその漫画家の言うことは信用できなくなりました。
いくら日本は民主主義の国で、思想の自由が保障されているとはいえ、この発言は私は許さない。
中国の属国になった途端、日本は民主主義の国ではなくなる。その思想の自由も奪われるという事実をどう考えているんだ! いや、そうなったら世界のバランスが崩れ、多くの国、多くの人たちに大きな迷惑と困難を引き起こし、戦争を大きく助長することになる。そこが理解できないのは、あまりに国際感覚の欠如した発言である。そのくせそんな発言をしておいて、この漫画家は、日本はまだまだ謝罪して謝罪を繰り返すべきである、とのたまう。侵略する国の好きにさせれば戦争は起こらない、という発想は、あまりにも想像力のない短絡的発言である!

戦争はいけない。人殺しは何より悪いことだ。それはそうなんですが、人間、いかに生きるのか、とした凛としたものが、ここにはない。
うがった見方をすれば、戦争はいや、人殺しもいや、だったら奴隷にでもなる、という消極的な生き方で、そこには意志が無い。いや、これは命乞いといってもいい。

みっともない。

凛とした人とは、これは対照的な生き方です。

ガンジーは非暴力を掲げたが、同時に非服従運動に命をささげたんです。
それは簡単なことじゃない。
暴力はふるわないが、英国にも服従しない。インドは当時、英国の植民地でしたから。
そして暴力に対しては、銃弾を浴びせる者には正面を向いて丸腰で相対する。そんな態度が、銃を向ける者に何かを投げかけ、やがて沈黙する。
徹底したその主義によって、インドの独立を勝ち取ったわけです。
それが平和主義者である。

まあ、とても、今の日本人にはまねのできない思想であり、態度です。
「戦争はしたくない」
それは誰でも言える。しかし、誰も望まない戦争が、世界でなぜか起こっているわけです。
暴力もなくならない。
おそらく、貧困と暴力は密接な関係があり、それは人間が生きていくのに最低限必要な行為であると思うのです。いや、原則かもしれない。現にいま紛争が起こっている地域は、貧困に悩む国々です。そして民族の問題がある。紛争が繰り返し行われているから貧困から抜け出せない、ということでもあるのでしょう。

ここのところが示す意味を学ばないと、真の世界の平和など、永遠に成就しないでしょう。
つまりは自分と価値観を異とする人たち、違う地域に住む人たちのことを考えることです。
民族とは、宗教とは、国とは、政治とは、そして経済とは何かを学ぶ。その礎にあるのが歴史教育なのですよ。民族、宗教、国、なんて日本の子供は教育されていませんもんね。それを学ばずに、実は歴史が身に入ってくるはずがない。だから年号を覚えるだけという不毛なことをやる。むなしい。政治を学んでも頭に入ってこない。かなしい。

昨今の国会の審議や抗議の声を上げている人たちも、意見を異とするものが議論を尽くすとか、理解しあうということをしない。
お互いに排斥、拒否、罵声、弾圧。ロジックは無く感情でものを言う。いや、叫ぶ。
平和を叫びながらもなんだこれは。
「戦争なんて話し合いで解決できる」と言ってはいるが、同じ日本国民同士でさえ、こんなありさまで、ほかの国との話し合いなんてできるのか?

今は腹の満たされて、「あーあ、食べ過ぎやわ。明日からダイエットでもしよっかな」なんて言っている我々日本人ですが、この満ち足りた平和な日本を作ったのは、凛とした思想、哲学をもって、実行した我々の祖先、先人たちです。懸命に働き納税する義務を課し一致団結した国民、そして戦場や開拓地で血まみれになり、犠牲となった人たちです。

みんな思っていたんです。日本は、いかなる国、民族にも支配されてはならない。周りの国がそうだったんです。植民地となって飢えていた。
日本は、日本として独立するのだ、という信条があって、しかも国際的な地位を獲得するための国際的貢献、ということも、日本はやったんです。日本の軍隊は混沌とした中国などで、今のPKO活動みたいなことをやっていました。そういうことは誰も語らないし、教えてくれませんけど。
何度も言いますが、あのころの中国は今のような秩序ある国家などなかった。インフラもされず経済的な政策も何もなかった。ただ、国民党と共産党の軍隊が戦っているだけの大陸が、そこにあったのだ。
日本は朝鮮にも独立を促したが、結局李氏王朝に国家運営するだけの能力も経済力も無かった。
日本はそういう、国が自主独立することの困難を知っていて、あえてその困難を、アジアで唯一歩んだのです。
それがあって今の自由の国、満たされた国、日本があるのであって、「奴隷になってもいい、敵国に服従してもいい」という考えは、それらの努力や結果を汚す考えです。先祖に唾を吐きかける考えです。
奴隷になってもいいなんて、そんなことを平気で口走るのが一部でもいるのは、世界中で日本人だけでしょう。
他民族に支配されたこともなく、独立運動をしたわけでもない稀な国ですからな日本は。その価値がわからないのかもしれませんが、これはもう、ボンクラです。

というより、民族の誇り、人としての生き方、というものがまったく教育されていない結果、かも知れません。

奴隷となって、主人に服従する生き方が、どれほど苦痛で、屈辱的なものであるか……。
私も経験はありませんが、想像力の問題です。歴史認識の問題です。
国を失って流民となって欧州に押し寄せる人たちを何と見る。
国が国としての機能をせず、内戦が起こり、飢えた子どもたちが死んでいくことを何と見る。
政治に異を唱えたものが粛清される国家がいまだあるのを何と見る。
そんな国の奴隷となり、服従することが、なにが「私は平和主義者」だ!

なんか、そういう意見を見聞きして、無性に腹がたったというか、そんな風に日本人の中から日本人としての誇りや自信を奪った教育がにくらしいというか。

もちろん、あたりまえに日本人としてのプライドをもって、日々生活を送っている方の方が圧倒的に多いのは存じていますが……。

日本はいい国だと思うから、憂う、という私の気持ち。
わかっていただけますかねえ。







 









kaidanyawa at 02:44|PermalinkComments(6)

2015年09月19日

安保法制可決! 

中山市朗です。

まあ、あれだけわあわあと書いたわけですから、触れんわけには行きませんね。

「集団的自衛権の限定的行使を含む安全保障関連法案」が参議院会議で賛成多数で可決されました。
その間も、法案反対派の人たちが国会議事堂を取り巻いて、「戦争法案反対」とプラカードを掲げ、抗議のデモをやっていました。

実は55年前、同じようなことが国会の参議院で起こっていたんです。
時の総理は、岸信介。今の安倍首相の祖父にあたる方です。
そのとき、現在の日米安全条約が、強行採決で可決されたのです。

日本は1945年の敗戦で、連合軍による武装解除を命じられ、軍隊も無くなりました。
そして、日本は主権のない国になりました。
代わりにGHQが日本を統治し、主権は疑似的にですが、GHQに移りました。
お判りでしょうが、現在の「日本国憲法」はこのとき作られました。主権はGHQにあった時代です。つまりGHQによる作成、発布ということになります。

1951年サンフランシスコ講和条約の調印、翌52年4月28日の発効により、実質GHQの活動は停止され、主権が日本国民に返されて、独立国日本が再び歩みだしました。
ちなみにGHQとはGeneral head Quartersの略で、日本ではGHQ、あるいは進駐軍と呼んでいました。

さて、このサンフランシスコ講和条約と同時に、日米安全保障条約も調印されたんです。
ところが、この安保条約は、日本は米軍に基地を提供する義務があるが、米軍に日本を防衛する義務はない、という一方的なものでした。しかも、アメリカ基地使用について、日本は発言権を持たない、ともありました。
まあ、敗戦国日本は、米国に対して強気の発言ができる状態ではなかった。
この不平等条約に調印したのは時の総理、吉田茂でしたが、この条約に調印すれば傷がつく、としてサンフランシスコに同行した全大使を退席させ、吉田ひとりで調印した、というエピソードがあります。
吉田首相は、これが日本にとっては屈辱的な、米国追従路線であることは十分理解していたわけです。ですから、この屈辱的条約に調印する責任、汚名は、吉田茂が「俺、一人で被る」という覚悟のものだったんです。ただし、米国追従策との引き換えに、経済的発展を選択したわけです。

しかし、これではいかん。そろそろこの条約を日米対等にせねばならん、と動いたのが岸信介でした。
サンフランシスコ講和条約にはソ連が調印せず、軍事増強をしているソ連の脅威があったこともその動機の一つでした。米軍が守ってくれないとなると、いざというとき、できて間もない自衛隊が独自で応戦せねばならない事態でした。

岸総理は61年1月に訪米し、アイゼンハワー大統領と会談。日米間の対等の関係を追及し、新安保条約の締結の合意をとりつけたのです。
それは、米国は日本を守る。在日米軍の攻撃に対しても、自衛隊と在日米軍が共同防衛行動をとる。
というものでした。在日米軍の攻撃とは、日本の本土攻撃なしにはありえないので、これは日本が攻撃されたら、という解釈がなされたわけです。
米国からすれば「何をなまいきな」ということだったようですが、ソ連との緊張感は現実にあって、その極東基地の重要性を考えると、日米共同は確かにあってしかるべき、との判断が下されたのでしょう。
同年、5月19日、強行採決で衆議院で可決。それが「日本国とアメリカ合衆国との国の相互協力及び安全保障条約」で、吉田茂が調印した「日米安全保障条約」はこのとき、無効となりました。

これで、日本は本当の独立国、つまり、日本の自主独立、となるはずでした。

当然、ですが、この新安保条約は、「日本を米国の戦争に加担させるための法案」「日本はまた戦争をする」と戦争参加を危惧し、強行採決に関しては「民主主義の破壊」と、社会党などが糾弾。岸信介がかつて東条内閣の閣僚であったことやまだ覚めやらぬ戦争への嫌悪感などもあり、たちまち反対運動がおこりました。
共産主義同盟、全国日本学生自治会総連会(全学連)たちをはじめとする反対派が連日国会を取り巻きました。これですわ。当時の報道写真。

デモ






















う〜ん、どこかで見た光景……。
いや、その数は昨今を上回っているようです。安保闘争、と呼ばれました。

この反対派の行動は、岸内閣を総辞職に追い込みました。安倍さんにとってはある意味、祖父の念願をもっと強く推し進めた、といえるのかもしれません。結局のところ、その日米安保も、9条の壁が立ちはだかって、実情としては対等になっていないわけですけれども。そこも安倍さんはなんとかしたかったんだろうな、と。

「日米安全保障条約」は、ご存じのとおり現在も続行中、これが戦争を起こすとか、加担するどころか、日本の平和を維持する結果となりました。いや、あのときは朝鮮戦争の直後、この条約が締結されなかったら、自衛隊のみの配備であったなら、ソ連が北海道あたりを制圧する、なんて可能性はあったと思います。日米安保が、それをさせなかったのです。

とはいえ、けっきょくのところ、米国追従路線は今もって解消されず、米国の言いなり外交。そしてソ連に代わって中国の軍事的脅威。いや、東南アジアもその平和を脅かされている……。

「こと国民、国家全体を巻き込んでおじいさん越えされても、いい迷惑だとおっしゃる人多いと思うんですけどね」と某報道番組でF舘伊知郎氏が言っていたが、吉田茂が屈辱だとし、その汚名を被る覚悟ではじまった米国追従の政治をそろそろ辞めて、本当に日本が自主独立することがいい迷惑とは、いったいあなたは何人で、どういう了見なんだ、と私は思います。

ちょっと気になることが。

「安保法制反対」はいいんです。政治理念は自由ですから。
「戦争はしたくない」と声を上げてもいいんです。
それが国民の偽れざる本音です。「安倍さんよ、くれぐれも戦争は嫌だからな」と牽制しましょう。

ただ、その論調として「日本人の犠牲は出したくない。我々も犠牲者になりたくない」。ここまではわかる。
でも、それは「米軍の兵士は死んでも仕方がない」「日本人の犠牲者を出してまで米兵を守る必要は無い」と私には聞こえる。
「自衛隊にも子供や家族がいるんだ」はそうだが、それは米兵も同じ。
もっと拡大解釈すると、日本はグローバル経済の恩恵を授かって、我々は飽食の時代を生きている。グローバルとは世界的、地球規模、と言う意味です。日本はエネルギーも無いし、食料も大部分を輸入に頼っています。日本一国では生きていけない。そんな中での飽食と平和。とすれば、日本を取り巻く諸外国の平和のために、ひと肌脱ごう、くらいの気構えがあるのが本来の日本人の姿ではないのか。
いや、それが経済大国であり、世界で有数の軍事力を持つ日本の義務でしょう。

戦争をするのではない。
こればっかりは相手が仕掛けてくる可能性がありますから、それに備えなければなりません。
戦争にならないようにあらかじめ情報収集し、牽制しながら防衛し、いざとなれば国外でも人員救済、援助ができる体制を敷く。外国に住む邦人、邦人企業はいっぱいありますから。日本国民は日本国政府が救出、救済するのは当たり前の義務。でもそういう活動は、訓練され、最新のハイテク機能を持った自衛隊にしかできないことです。しかも米軍と連携すれば、そのハイテク機能は連動してより増強され、情報収集もより早く正確なものになる。相手の動きを制し、あらかじめ防御することもできる。民間の船や人員の護衛もできる。軍事的バランスが冷戦時のように、軍事的抑止力になるんです。
犠牲となるリスクは確かに高まるとは思いますが、このリスクは民間人が被るなら、訓練し鍛え上げられプロとして対処できる自衛隊がカバーする方がリスクは避けられるか、最小限に留められる可能性が出てくる。そのための軍隊、自衛隊です。

国家の役割は「国民の生命、自由、安全、財産を守ること」です。これは独立国家としての当然のこと。
しかし、今後、周辺諸国が不穏な情勢にならないとも限らない。そんなとき、日本だけが知らんぷり、というのは、先進国のすることではない。
平和を破ろうとする勢力がもし存在するならば、日本が先頭に立って、平和を維持する、戦争やテロを阻止する、という気構えが、我々には必要ではないかと思います。
そしてそういう行動が、真の平和への貢献であり、世界の信頼を得ることになる。国益にもつながる。日本人としての自信、誇りも取り戻せる。そう思いますよ。

われわれは、日本人であるとともに、国際社会の一員である、という自覚と責任を、持つ。
死にたくない、殺したくない、は見当はずれの意見。集団的自衛権はどう考えても徴兵制に結びつかないし、現実的な話でもない。それよりも、どう自覚と責任をもって我々も、そして子供たちにも生きてもらいたいのか、生きるべきなのか、どう、世の中に貢献させるのか、ということも教育し、ともに考えるべきでしょう。


日本人から日本人としての誇りを奪った教育も改革せにゃならんなあ。
個人主義やて。
社会があるから、その一員としての義務を負っている個人である、と言うことを忘れている人がおりますな。





kaidanyawa at 14:20|PermalinkComments(10)

2015年09月18日

山本嘉次郎監督の映画『風の子』から観る戦後日本

中山市朗です。

先日、日本映画専門チャンネルで『風の子』という映画を放映していて、観ながらいろいろ考えることがありました。
1949年2月22日公開、といいますから戦後間もなくに作られた映画。ビデオにもDVDにもなっていなくて、テレビで放送されるのも今回が初めて、といいます。もちろん初見です。

主人公は、タイトルロールでは夏川静江、竹久千恵子といった戦前の看板女優の名がありますが、夏川が五人の子供のお母さん、竹久がその一家と寄り添うようにともに生活しているおばさん役で、その家族が主人公といっていい。
もともと、東京でパン屋をやっていたが、父親を兵隊にとられ、商売ができなくなり、越後のおじさんを頼って疎開をする。しかし、なかなか偏屈でケチな地元の人たちの理解が得られず、おじさんの家にも住めなくなり、遠い遠い親戚の能登半島の住職を頼って、無理やり寺の一室に住み込みます。しかし、やはり一家は過酷な状況に追いやられ、芋粥をすすりながら、子供たちも労働や思いやりの心をはぐくみながら育っていき、一途で誠実な一家に理解を寄せる人たちも出てきて、父の帰還を、ひたすら待ちます。


これ、原作は山本映佑という少年の綴り方で、「赤とんぼ」という雑誌に掲載され、川端康成に推奨されたものだそうです。
綴り方というのは、生活文ともいったそうで、戦前から戦中、戦後にあった教育方針。子供たちが、自分の生活にあったことを文章にしてみるというもので、思ったこと、考えたこと、そしてあったことを文章にすることで、文章表現力のみならず、生活から生れる知識や知恵、技術、感動や疑問を綴ることにより、確認し、問題について考えてみる……、といった教育効果がある、といっていいのでしょうか。今でいう作文なのでしょうが、作文は言語能力を育むことが主目的である国語教育の一環ならば、綴り方は、生活に根ざしたありのままを自由に書き綴る、生活教育である、という位置づけでしょうかね。戦後間もなくこの綴り方は、作文にとって代わったようで、私にもよくわかりませんけど。

調べてみると1910年ころからはじまった教育法らしく、子供たちに自由に書かせ、考えさせることによって民主主義を学ばせよう、実感させよう、という考え方もあったようです。
  
成瀬巳喜男監督の『おかあさん』(1952)の原作は、全国の小学生から募集した『全国児童綴り方集』でしたし、『山びこ学校』という映画も作られました。こちらは山形県の中学校教師が教え子たちの綴り方をまとめて、1951年青銅社より出版されたものが原作になっていて、1952年に今井正監督によって映画化されたというものでした。こちらは岩波文庫で今も読めます。
そして『風の子』の監督は山本嘉次郎。黒澤明の師匠にあたる監督で、戦中は円谷特撮による戦争映画『ハワイ・マレー沖海戦』や『雷撃隊出動』などを撮った巨匠。そういえば『風の子』の監督補佐に、本多猪四郎とクレジットがありました。この五年後に本多監督は、やはり円谷英二と組んで『ゴジラ』を撮ります。こちらは原爆の落とし子で、やはり戦後間もなくの日本がうみだした怪獣でした。
実はこの山本嘉次郎監督は1938年にも少女時代の高峰秀子を主役にした『綴り方教室』も演出し、こちらは後に随筆家となる豊田正子が、小学4年のころに書いた綴り方が原作でした。

当時の子供は、貧乏だけど心豊かで考える力と表現力をもっていたのでしょうね。
そして、子供たちの日々の生活の中にあるエピソードの積み重ねは、やっぱりいいストーリーを生む起爆になるんですよ。

さて、『風の子』なんですが、他の綴り方原作の作品と共通して、とにかく、貧乏なんですよ、みんな。
戦後間もなく、という時代背景ですから、当然と言えば、当然なんですけど。
国民のみながそういう生活を強いられていたわけでもないでしょうが、今では考えられない日本の姿がそこにあります。
とにかく、米が食えない。せいぜい芋でもいいから、子供たちにお腹いっぱい食べさせたい、親たちはそう思っています。成長期である子供たちも、常に空腹を抱え、それでもけなげに生きています。
金持ちの子が、両手に芋をもっておいしそうに頬張る姿を見て、主人公の家族の三女は思わず「びぇー」と大声出して泣いてしまいます。
働こうにも仕事がない。仕事があっても生活は全然楽にならない。
周囲の人も、猜疑的で心を開かない。排他的で、他人とはかかわりたくない。今の日本人とは若干違うようです。その原因は、やはり貧乏。その姿はある意味素朴なのでありますが、みじめであわれです。
自分が食っていくのに精いっぱい。
人を思いやり、親切にする、なんていうのはある程度、余裕のある人間のやることなんだろうなあ、と思ってしまいます。
ただ、もう戦争は無い、というなんか明日を見られる自由と希望はあるんですね。

戦前の日本も、やはり貧乏でした。いや、格差社会だったといっていいのかも知れません。
日本という国は、なんとか世界にかんたる経済大国をめざし、大正時代ともなると、東京や大阪は先進文明国としての華やかさもあり、大きく発展をしていたようですし、近代装備された軍事力は世界五大大国、あるいは世界三大海軍、となるほどに強兵はされました。
1940年には東京オリンピックを誘致し、ほぼ実現しかけていたという現実もありました。このオリンピックは日中戦争に対する国際的情勢をかんがみて、日本側が辞退することにより、幻となりましたが。

しかし、国民の生活はというと、豪商や大地主がいる反面、娘を売らないと食べていけない、という農家もあったわけです。牛と一緒に藁の中で生活している農家もあった。
私の母は戦後の東京のあるお店に奉公に行っていたようです。忙しくて忙しくて自分の時間は便所の中だけ、というほど働いても、まともな給金は出ない。腹いっぱい食べたことが無い、と言っていました。まあ、奉公ですから。
しかし、ここだから書けることですが「焼け跡にやってきた中国人と、体を売っているパンパンガールだけは、ものすごく儲けて腹いっぱい食べて、正直うらやましかった」と言っていたのを覚えています。

そうですね、戦中は、日本の都市のほとんどは空襲により焼け野原となり、工場や商社などは壊滅するわけです。焼け跡にトタンやバラックの建物ができて、人々はそこで生活するわけです。食料などない。
日本は1950年に起きる朝鮮戦争の特需で経済的な息を吹き返し、その後の高度成長を遂げるわけですが、
『風の子』に描かれるような家族のように「どうして、私たちはこんなに苦労をしなければならないの」と悲嘆にくれる人々も大勢いたと想像できます。
何もできない自分たちを呪うのか、それともこんな社会を呪うのか。その原因は戦争なのだろうか。だったらその戦争を呪うべきなのか。しかし、呪ったところで、生活が向上するでもない。

『綴り方教室』を書いた豊田正子は後に共産党員になりました。
というより、大勢の作家や映画、演劇人、そして知識人とされる人たちがこぞって共産党に入党した時代が、戦後という時代でした。自由になっているのに、平和になったのに、なぜ、庶民の暮らしがよくならないんだ、という疑問でしょうね。
戦争でみじめな負け方をした、いや、その戦争の悲劇に国民を引きづり込、だました日本の政府や軍部が悪い、という自己反省無き日本国批判、というものが日本のインテリのステイタスとなった。
これは今もって続いておりますが。

ところが、その共産党が日本をよくした、という事実もない。共産党に入ったものの、半年もせずに離党した人たちもまた、たくさんいたわけです。
1954年に早船ちよが『キューポラのある街』を出版しました。こちらも働けども働けども楽にならず、という工場労働者一家を扱っていて、1965年に映画化。絶世の美少女・吉永小百合ちゃんの出世作となりますが、「北朝鮮は共産主義だから目覚ましく発展している」なんてセリフを吉永小百合が言っています。
早船ちよも共産党。吉永小百合さんも共産党シンパになっちゃった。
まあ、共産主義が貧困問題を解消してくれる、と思っていたんですね。

それだけ切羽詰まった状態だったわけですよ。ほんと、食べていくことが大変。いかに毎日の糧を得るのかが生きていく上の最大の問題。
実はそういう期間が、人間の歴史のほとんどであって、数十年前の日本もそうであった、ということなんです。
だから、日本は経済的発展を望んだ。飢えることを拒否した。
しかし、日本は太平洋の隅っこに浮く小さな島国で、幸いなことに自然には恵まれているが、地震、津波、火山の噴火、台風とその自然は時として牙をむく。現に大正時代、やっと謳歌しはじめたモダン文化と生活を、関東大震災が打ち砕いた、ということも経験しました、日本は。
しかも、工業国として発展しようとしたときに、資源が無いという現実にぶちあたった。工場の機械を動かし、輸送する原料が無い。特に石油が無い。土地が足らない。

今は輸入ということで、ことなきを得ていますが、もし、輸入ができない状態に陥ったら。
もっと国民は飢え、経済国としての発展はのぞめなくなる……。

日本が戦争を引き起こした原因は、まさにここにあるわけです。
それが正しかったのか、誤った戦争だったのかは、意見が分かれるところですが、少なくとも、飽食の時代を生きている我々が、はたして当時のことをどれだけ理解をしたうえで歴史を見て、反省を促しているのか。
ここを考えなければ、なんだか綺麗ごとの空論を言っているだけで、なんにもならない、と思うわけです。

さっき母親の言った「パンパンガールはものすごく儲けていた。腹いっぱい食べていた」なんていうのと、娘を売らないと食べていけない農家の実情というものが、慰安婦とは何か、という本質でしょう。

ちょっと皆さんにも、戦後間もなくに制作された、日本の庶民の暮らしを綴った映画を見てもらって、そこに描写される偽りのない風景、情景、人々の営み、表情、生活の水準、しかし希望をもって生きようとするたくましさ、といったものを見ていただきたい。もちろん映画は演出され、脚色化されたウソですが、そういう空気や風俗、風景などはフィルムに焼きつかれ、リアルに伝わってきます。
『風の子』に出てくる五人の子供たちも、実は映画出演ははじめてという、いわば普通の少年、少女たちです。その表情を観ていただきたい。
そういうものも観たうえで、もちろん書籍、資料にも当たったうえで、歴史を語り戦争について考えていただきたいなと。
そしたら「憲法9条」の出来た意味も、それが何なのかも、わかりますよ。


そして今回、『風の子』を観て、その思いがまた確信めいたものになったわけです。
日本映画専門チャンネルが観れられる環境にある人は、最近のおバカ映画ばっかり見ていないで、こういう映画も観てください。今月いっぱいは『風の子』、オンエアしているはずですよ。
 




ああ、腹へった。

kaidanyawa at 03:02|PermalinkComments(10)

2015年09月16日

真代屋秀晃・異世界攻略

中山市朗です。

私の教え子で、作劇塾の総務をずっと続けていてくれた(現在は総務を外れる)真代屋秀晃が、最新刊を発売!

真代屋秀晃としては4冊目の小説。
KADOKAWA電撃文庫「レベル1落第英雄の異世界攻略」。
610円(消費税別)。全国の有名書店かネット販売で。
コレ↓

真代屋





















ということで、出版を祝し、売れることを祈って、真代屋と飲み明かしました。
こういう酒は美味いよね。

作家になるためには人と遭って、朝まで飲まなあかん!
とは、私と真代屋の共通認識。
そして、デビューは簡単。続けることが難しい。
だからこそ、
籠ってないで、人に遭って刺激を受け、あるいは与えること。
それが知らないうちに取材になっているし、人間観察にもなる。
そして、面白い、驚くようなエピソードが拾える。
おそらく、このエピソードの断片の一つ一つが、ホンモノのアイディアとなって、ストーリーを作っていくんだと思います。本を読んだり映画やお芝居を鑑賞することも大事ですが、本や映画から借りたものは、「なんか、どっかで読んだような、観たような」というイメージを持たれてしまいます。
無から有は生まれない。

小説は、何やかや言って、人間を描くものです。人間を好きにならんと。
そして、人を楽しませること!
肉体的、精神的にタフであることも、作家には必要ですからな。



とういうわけで、一晩でこれだけ飲みました。
料理は私が作りましてんで。

コレ↓

酒











オマケ

先週、大阪で飲み明かした「ムー」三上編集長と。
なんか、なかなかアジのある写真が今日、送られて来たので↓

三上












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2015年09月11日

幽霊と古代史と近代史

中山市朗です。

昨夜、大阪某所で、雑誌『ムー』の三上編集長が「幽霊について語る」というので、客として覗きに行ってきました。
ほんとうは、いろいろ依頼されている仕事の確認や打ち合わせに行った、というのが近いですけど、『ムー』の編集長が幽霊について何を語るのか、という興味もあったわけです。
「怪談ではなく幽霊を語る」と、自身が言っていたように、なるほど、怪談師や霊能者や大学の先生とは違う、『ムー』の編集長と言う立場だから言える、それなりの説得力のある三上論が展開。
トークの内容は「言うたらあかん」というのがお客の規約だそうなので、ここには書きませんが、いろいろ参考になりました。ただ、反論やその話に関する怪談などが客席にいながらぐるぐる頭の中を巡り、その欲求を必死に抑えておりました。

しかし、私とトークをするときは、ずっと楽屋で関係の無い話をしていて、舞台に上がってもそれが続いているということが多い、酔いどれ編集長がこの日は至ってまじめにトークをしていたのが斬新。
打ち上げに参加させてもらって、「29日のロフトプラスワン・ウエスト、どういう内容でいきましょうか」と言うと「そうですね。まじめに行きましょうよ」とだけ言われた。「まじめに行きましょうよ」て、あんたやん、それ。

ということで、29日も打ち合わせ無しでいきなり本番。その方がガチ感が出て面白いんですけどね。ただそれには、お互い3時間、丁々発止できるだけの弾を持っているか、撃ち続けられるのか、という引き出しと技術と信頼関係が必要。この一角が崩れると、やっている方もお客も、地獄を味わう……。
「Dark Night」にいたっては、オールナイトですからな。

29日のトークは「聖徳太子」というざっくりとしたテーマだけは確認。次回は飛鳥昭雄さんがいないですからな。ということは、三上さんの酔っ払い具合が左右する? 一応、参考資料や文献はパソコンに入れて準備だけはしておきますけど。「聖徳太子」ったって広いですからな。

そして。

明日、夜22:00より、ネットラジオ「気まま酒家」を生放送いたします。
テーマは「日中事変」。

三上編集長とのトークが古代史ならば、こちらは近代史。

戦後70年ということで、この夏、安倍談話もありましたし、メディアでもいろいろ特集が組まれておりました。
しかし、一過性で終わってはいけない。真に平和を愛する者ならば、戦争を知り、原因追求してこそ、本質が見えるのです。
戦争を望む人はいません。そりゃあ、戦争によって景気が上がる、金が儲かる、という利害、権益で戦争を起こそうとするものはいます。ただ、それだけで戦争が起こるわけでもありません。

前提として、言っておかねばならないことは、我々の歴史観の中には、満州事変も日中事変も、日本が、軍部が暴走したことによってはじまったとなっていますが、当時の資料を読むと、日本政府も軍部も「中国大陸の深入りはしない」「欧米との戦争は望まない」が基本方針だったのです。これが暴走したのなら、そこに原因がなければならないのです。
戦争が起こるメカニズムとは、実に複雑で、多面的ではありますが、第二次世界大戦、あるいは大東亜戦争を引き起こした原因でもある日中戦争の、教科書には決してでない、暗躍する裏の事情について語ります。でも、それがわかると、いろいろつながってくるのであります。
いきなり、真珠湾攻撃、から始まったわけではないのです!!

ゲスト……、いないかなあ。
丁々発止、というのは相手がいるからできるのでして。cainさんは進行ですから。
まっ、ウイスキーの瓶相手に、語りますか。

放送 stdl.ladio.net:8030/aberu

2時間を予定しております。

kaidanyawa at 14:08|PermalinkComments(12)

2015年09月09日

わがブログ、解析の巻

中山市朗です。

「白人至上主義との戦い」について書くつもりが、ちょっと構想が難しく、考えております。
たかがブログ、なんですけど、やっぱり読んでいただくからには、ちゃんと提示して、共に考えていただきたいですから。なんせあれですもん。このキーワードは、日本が関わった戦争に大きな影を落としますから。

ところで、ブログをこうして書くからには、少しでも多くの方に読んでいただきたいのは、やまやまでして。とはいっても、マイペースで、書きたいことをただ書いています。
でも、たまに小難しいことを書くのは、私なりの勉強法。いきなり妙なテーマを持ち出して、読んでいただいているみなさんに、まずは興味を持っていただく。そして、楽しく読んでいただいた上で、どう私の考えに共感していただくか。話術もそうですが、コレ、なかなか難しいですよ。
まあ、怪談関係の雑記やイベント告知をしたときが、やっぱり訪問者数は多くなりますけどね。

そしたら、一昨日、「そこまで言って委員会」安倍首相出演、と記事タイトルに書いて、一旦アップ。読み直して修正しようとマイページに戻ると、約3分もたっていないうちに、UU訪問者が135人。
どへっ、えらいこっちゃ。いつもとケタが違う。おそらくほとんどの人は「そこまで言って委員会」「安倍首相」で検索をかけたら、このブログに行き着いた、ということなんでしょうな。
たまに、早朝など、酔っ払って書いている事もあるので、「今日はなんや調子悪いな」と思ったら酔っ払ってるんですよ。えっ、いつも調子悪い?
そういや、午前0時以降は、アルコールが入っていないことの方が稀か。
アルコールを飲まない夜は、ちゃんとお仕事の原稿書いてる。あっはっは。

で、今更ながら、このブログのアクセス解析の機能があることを発見し(遅っ!)、ちょっとみなさん、どんなキーワードで、このブログに来ていらっしゃるのか、見てみました。なんか興味もっちゃったんで。

確かにこの日は、「そこまで言って委員会」、安倍総理出演、、Abeなどという検索で来た人が多かったんですが、いつもは、中山市朗、の検索で入る人が圧倒的でして、いったいどういう状況で、なにがキッカケで私の名前を検索するのか、私にはどうもわかりません。新刊が出たとか、メディアに出た、というのならわかりますけど。常連の方はマイブックなりお気に入りに登録しているでしょうし。

ここ、3ケ月のアクセスに限りますが。
次に多いのは、ここでもう2ケタほど違うことになるんですが、北野誠、ガリガリガリクソン、西浦和也、という人名が毎日必ずあります。人の名前ですとほかに、稲川淳二、マーロン・ブランド、柴田錬三郎、チャールトン・ヘストン、スコセッシ、カラヤン、有栖川有栖川、児島秀樹、桂米団治と言う名が数件。
マーロン・ブランドやスコセッシのことなんて、あんまり書いた覚えは無いんですけど。
かわったところでは、クリント・イーストウッドの吸っている葉巻、アステアを知らない、が一件づつ。
平井、というのが3件。誰? と思ったのですが、どうもお笑いコンビのアメリカンザリガニの平井さんのことらしい。乙葉、というのもありましたが、乙葉さんのこと、書いたことあったっけ?
如月純一郎と言う名前がわりとよく出てくるんですが、この人は呪術師。
田辺、というのが数件。田辺市のことか? 田辺青蛙のことか?
みさお、が一件。あっ、この名前は、口にしてはならぬあの……。
幽霊マンション、山の牧場、犬神は、定番。ギンティ小林、田野辺、豊島圭介、後藤、と言った名もわりと常連。あと、怪談和尚、浄土真宗、ユダヤ教、タルムードが一件ずつ。武藤って、誰やろ?

上田吉二郎が3日連続登場したことがあったんですがなんでやろ?
『七人の侍』や『羅生門』『大怪獣空中戦ガメラ対ギャオス』なんかに出ていた役者さん。
「黒澤映画? あれは出るもんやなく、見るもんですわ」と言っていました。
「道頓堀アワー」「てなもんや」という懐かしいキーワードも。
ジェームズ・ボンドも、何回か登場。ご存知、イアン・フレミングが創作した英国のスパイですが、そういや「ジェームズ・ボンドの履歴書」というブログを書いたことがある(08年1月12日)。これを誰かがツィッターで知らせたらしい。
バーンスタインはイスラエル・フィルとどんな歌を、というりもありました。
生き人形で抜いた、というのも。なんやわからんが、知らんで。

朝来市出身の風俗嬢、というのもあった。私は確かに朝来市の出身ですが、風俗嬢のことを書いた覚えは無いけどなあ。
週に必ず何度か出るのが、伊雑宮。三重県にあるプレ伊勢神宮、ともいわれる古式ある神社。たしか数年前。塾の合宿で言ってレポートを書いた。今も週何度かそれを読んでいる人がいるわけですね。
うかつなこと、書けんな〜。
瀧原神社、籠神社、皇太神宮、物部神社、蚕ノ社など神社関係もわりと。

その他のキーワードで気になったものは、

不仲(誰と誰のことかな?)、歯磨き、ブラシ、浮気妻、ドの食事、ゆで卵三つ、みっちゃん、ど? キレイなウンコ、
といった、どうやってこんな検索から、私のブログにたどり着いたのか、理解不能なものも。

ということで、中山市朗です、ではじまるこのブログ。もともとこれは、作劇塾のスタッフも書いていたので、それと区別するために書いていたのが、今は慣例化した、というわけです。
と、いうわけで、これからもよろしくお願いいたします。

コメントもいただきましたら、なるべく返事を書くよう心がけております。







kaidanyawa at 03:23|PermalinkComments(15)

2015年09月08日

『そこまで言って委員会』安倍総理出演を擁護する。

中山市朗です。

先日5日、『そこまで言って委員会』に出演した安倍首相に対して辛らつに、サボリだ、国会軽視だ、とかいう意見がネットで多く見受けられましたので、私はあえて、安倍首相の擁護を致します。
大人気ないかもしれませんが。
「まあ、みなさん、聞いてください」(人生幸朗調で)

公平に欠ける、という意見が見受けられましたが、先だってはこんな番組もあったことですし。
じゃ〜ん。

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例えば。
国会の委員会に出席が許されているにもかかわらず、説明を国会でなく、テレビを選んだ。これは明らかに国会軽視で、通したくて仕方の無い法案なのに、国会で説明するのはイヤだという態度をとるのは「サボり」であり、「怠慢」である(永井多賀子)。
という意見。

憲法63条、出席することが出来る、と明記。出席は出来るが、義務付けられる、とは書いていない。だから、次の文言「答弁または説明のための出席を求められるときは、出席しなければならない」と言及しているわけだ。
出席を求められていない場合も出席はできるが、出席せねばならない、とは定めていない、ということ。だから問題は無い。
それでも国会を優先すべきだ。テレビで国民に説明するのは国会軽視だ、というなら、それは国民不在、軽視にはならないのか。国会のための国会でなく、あくまでそれは、国民のためのものでなければならぬ。マスコミも野党も、ずっと国民への「説明不足だ」とヒステリックに言っていたではないか。

通したくて仕方の無い法案なのに、国会で説明するのはイヤだ、云々も詭弁。

通したいのに「国民の理解が得られていない」「説明が足りない」と、ずっと同じことを言って、総理を攻め立てていたのは、さっき言ったように野党じゃないか。

だいたいやねえ、日本国民の安全、平和を守ろうとする「安保法案」を4月1日参議院予算委員会で「戦争法案」と呼んで、審議をややこしくしたのは社民党の福島瑞穂参議院議員ではないか!

自民党は『戦争法案」というのは不適切、と訂正を求めるも福島は応じず、ここから国民は「安保法案」は「戦争をするための法案」だと受け取ってしまったわけなのであります。
福島瑞穂は、言うまでも無く、いわゆる従軍慰安婦問題をでっち上げ、韓国を炊きつけ、日本のみならず韓国の国益をも著しく損う(韓国に対して配慮したつもりが結局日韓の亀裂を生みだした)ことにした張本人、主犯です。で、今度は日本を守るための法案を、戦争のための法案と、まったく違うもののイメージに仕立て上げた。あなたはどこの人を守ろうとしているのだ?
瑞穂さんは、当の「戦争法案」の質疑では、日本のみならず米国をも陥れる発言をして、いつものことですが、日本の国益に叶った発言をしていない。だだただ反対。反対のための反対論。この人の言うことは、ちんぷんかんぷん。
しかし、「戦争法案」ねえ。
コピーライターとしての才能は、瑞穂さん、あるのかも知れないですけど。

しかし、国民の大多数は「戦争法案」という造語に反応した。
語句としてかりやすい。
そして、民主党、共産党、社民党という日本より中国、韓国の国益を気にし、日本の国益を害してばかりしている政党が「戦争法案」と叫び、「安保法案」反対派の人たちと徒党を組んでデモを起こした。
「戦争法案」。
国連加盟国のほとんどが当たり前に持つ権利が戦争法とは。アメリカの戦争に巻き込まれる、また侵略をするつもり、徴兵制がしかれる、9条を反故にする……、など、安倍さんが一言も言っていない文言を並べて、一部の国民を不安に陥れた。

おいおい、ですよ。
デモは別に悪くない。それは民主主義により保証された権利ですから。「戦争反対」の意見は、デモをしてでも声を上げるべき。それが国民の総意。でも、こういう党と共闘して、というのがなんかヤバいなあと。

もちろん、憲法改正が、その前にやるべきことだろう、という意見はその通りなんですが、「戦争法案」という言葉を使われると、国民の反発も多く、憲法改正もままならない。
じゃ、どうすんの?
という話し。

じゃあ、国会審議で要請されない日があるんなら「あれは戦争法案ではない」と、国民にメディアを通して説明するのが、何が悪い。野党は単に、そう説明されるのがイヤなんだろうけど。

野党の人でそれに異があるのなら、本来その番組で、激論を交わすのが本懐といったところでしょぅが、テレビ局やゲスト招致に関しては、何がどうなっているのかは私にはわかりません。ただ、私がプロデューサーなら、視聴率アップを画策して、反安倍派の大物ないしは論客を招致するところですが、こればっかりは、そういう人がテレビで安倍さん相手に丁丁発止するだけの度胸、メリットをみいだせるのかどうか、ということになります。
何やかや言って、キャスティングは難しいのですよ。

しかしねえ。

何度も言いますが、中国もロシアも「抗日戦勝70周年の軍事パレード」をして、嘘の歴史を作り、軍事力による威嚇、威厳を世界にアピールし、国家で反日行事をやったんですよ。ロシアは日本から強奪した北方領土の正当性を公言して祝した。韓国はまた米国を裏切ってそっちの陣営にちゃっかり入った。北朝鮮も相変わらず。
この周辺国の動きを持って、まだ「憲法9条」が、日本を平和たらしめているという幻想をのたまうのか?

日本は、まごうことのない経済大国。まあ、給料上がらん、クビになったという諸々事情はあるでしょうが。
日本の経済力は世界に信用されている。飢えて死ぬ人も無い。
しかし、中国はうわべの経済大国。自分のことだけ考えて人民元は勝手に変動させるわ、発起国となったAIIBは、はやくも信用を無くしているわ。それより中国が示す根本的な経済数値が信用されとらん。韓国は、日本よりそんな中国経済に寄り添い、経済的破綻は目に見えているわ、ロシアはウクライナ紛争に絡んだEU諸国の経済制裁が効いて来て、通貨暴落から来るインフレに苦しんでいるわ……。中国の軍事パレードにプーチン大統領が大きな顔をして出席したのは、中国、ロシア体制での経済の建て直しを画策しているということで、これは日米にとっては、あきらかに危惧せねばならない案件。
でまた、北朝鮮という19世紀で止まっている国があって、軍事力だけなんとか見せかけようと背伸びしとる。ここも、経済は破綻、というより、国として機能せず、国民は慢性の飢えに苦しんでいます。

経済制裁が、飢えが、戦争の火種になる、ということを、日本人はまったく学んでいない。
食うに困った国、人間が、いったい何を優先するのか、飽食の我々日本人は想像も出来ないと思います。
だから、ちゃんとメシ食って腹が満たされた状態で「戦争反対」と言ってりゃ、世界は戦争をしないと、現実離れした考えを正当化してしまうわけです。慰安婦問題も一緒。食うに困った家族や女性が、飢えるか、体を売って生きるか。その現実が頭の中に無い。権利や尊厳では、腹はふくれないのですよ。

このような危機感を理解し(安倍談話はそこをちゃんと示唆しています。読めば解かります)、精力的に動き、外交で固め、なんとか米国や東南アジア、オーストラリアと組んで、戦争を起こさせないように手を打とうとする安倍総理と、ひたすらルーティンワークを繰り返して仕事をしている気になっている、危機感のまるでない野党議員との国会審議。もちろん国会審議はおろそかにしてはならぬ。しかし、「戦争法案」という造語を建前にして、まったく意見がかみ合わない、いや、意見ではなく、感情論で攻め立て不毛な国会にした野党にも責任はありはしないだろうか。そら、安倍さんも人間。あの幼稚な質疑にはイラッとも来ますよ。

よっしゃ、なら、、百歩譲って、国会審議に出なかったことが、国会軽視というのなら、なにかと言えば、解散要求と審議拒否を繰り返し、国会軽視をずっとし続けてきたのは、民主党をはじめとする野党の常套手段ではないのか!あれは国会軽視ではないのか。
安倍首相にテレビ出演した経緯を問い、納得させられなかったら我々も審議に応じないと野党は言ったんですよ。なぜ安倍さんを責める人たちは、そこを不問にするのか?

と、少し、冷静を失った私であります。

いやいや、私は安倍信者ではありませんよ。
消費税10%、TPP、マイナンバー制度には異論があります。

しかし、安保法制は、ほんとに世界情勢と歴史を見て考えていただきたいと思います。そして、日本を卑しめた福島瑞穂による造語「戦争法案」マインドコントロールから、国民の皆さんは抜け出していただきたい、と、思うしだいであります。
安倍さんの言う「安保法制」では、いかにしても自衛隊は米国の戦争に加担はできないし、徴兵制などという時代遅れの制度は、絶対に敷かれませんから。

kaidanyawa at 04:39|PermalinkComments(13)

2015年09月07日

『そこまで言って委員会』安倍総理出演に思うこと

中山市朗です。

昨日13時30分からの読売テレビ『そこまで言って委員会』に、安倍首相が出ておられましたねえ。
この番組は、私はわりと好きでして、よく観ているんですよ。
パネラーの人たちは、言っていることがまとも(というのは失礼?)で、日本という国について憂いもし、励ましもするメッセージに共感することも多く、それだけに、そうではない人たちにとっては、不愉快なウヨク番組、プロパガンダ放送などと叩かれているようですが、こういうのは叩かれてナンボ。叩かれるから話題になる。
チャンネルはいろいろあるんですから、いろんなテレビ番組があっていいんですよ。気に入らなかったら見なきゃいいわけですし。

どちらかというと、他の局の番組では、反体制的な意見を述べる人が多く、日本のことより、中国や韓国への配慮が足りない、なんていう論調が多かったですからな。今はマシになりましたけど。タジマヨーコ先生は、おもろいですな。あんなに人の言うことを聞かない人もない。

私思うに、『そこまで言って委員会』も、最初のころは右とか左ではなく、いろいろな分野から論客を招致して、議論をたたかわせているうちに、淘汰されて、今のメンバーになった、という印象もあります。もちろんテレビですから、正論を言うより、ダジマ先生のように、キャラクター重視、という面もあるでしょうけど。でもほんとは、右も左も無いはずで、どうすれば日本はよくなるのだろう、と議論し、苦言を呈するのが、そもそも日本のインテリ、論客のはずなんですが……。

その番組に、安倍首相が登場。安倍さん、この番組、今回が初めてではなく、何度か出ていらっしゃいます。気心知ったスタッフと出演者、といったところでしょうか。
大事ですよ、こういうところ。安心して出られる番組とそうでない番組、ありますから。

この日は、サルでもわかりそうな安保法制の解説と、安倍さんの考えが放送されましたが、私は安保法案反対の人の大部分は、ちゃんと中身を理解していない、あるいは妙なマスコミや野党の誘導で、大きな誤解をしているのではないかという印象があります。ですから、こういう番組に出て、もっと視聴者に説明し、理解を求めていくことが必要だと思っています。現に国会審議を私はよくユーチューブの動画で拝見するのですが、野党側に「国民への説明が足りない」「理解されていない」と鬼の首でも取ったかのように、しょっちゅう総理は責められている印象です。

国民へアピールするのならテレビ(地上波)がいちばんなんです。
なんせ、視聴者の数が違う。
ほんまは全国ネットがええんでしょうけど。
でも、テレビ局はそういう安倍首相を出演させられない。出演させると、視聴者から公平に欠けるとか、戦争法案を擁護するのかという反論、クレームがどっと来る恐れがあります。気も使うでしょうし。それより、反対派の論客を呼んだ方が、番組としてもインテリジェンスに見える……、番組作りもラク、責任も無い、というところでしょうか。

その点『そこまで言って委員会』は、きっとそれを覚悟して番組を作っているスタッフの意気込みが私は好きなんですけどねえ。一時私も放送の世界にいましたから、わかるんですよ、大変さが。きっとすごいクレームが来ていると思いますよ。


だから総理や、櫻井よしこさんたち、真に日本を憂う人たちはインターネット番組に出演して、主張するしかない。
それでええやん、という人たちもいますが。

するとね、やっぱり関西ローカルとはいえ、こういう人気番組はその視聴者数が圧倒的に違うんですよ。それにネットテレビは、そういうことに関心がある人しか見ない。地上波のテレビはいろんな人が見る。影響力は圧倒的に違います。だからといって、総理から「テレビに出して弁明させろ」とは言えない。これは要請がないと出演できません。要請があっても、妙な番組には出れないですしね。

私のようなものでもあるんです。テレビ出演の依頼をされて、本番に臨んだら、聞いていたものとまったく違う趣旨になっていたとか、編集された、とか。総理の弁明がそんな風にされたら、こら一大事ですからな。
だから安倍さんは、出演要請を受けて、そういう心配のない番組に出た。
「安倍は、反対意見の出ない番組で得意げに話していた」という声も聞きますが、番組のキャスティングや内容については安倍さんに権限はないですから。それはプロデューサー、ディレクターの仕事。
もっとも番組では、反対意見の論客に出演依頼したものの、片っ端から番組名を言ったところで、出演拒否されたとか。ただ、反対意見の鋭いツッコミがないのは、番組としても残念。総理への30の質問もつまらん。

ところが、安倍さんのテレビ出演に対して、国会軽視だ、という意見がなされ、またまたバッシングされているようです。この番組が収録されたのは4日。この日は参議院で審議中だった、というわけです。

「(テレビ出演したこと)これについて、安全保障関連法案を審議している参議院の特別委員会の理事懇談会で、民主党などは『われわれは毎日でも安倍総理大臣が出席して審議をするよう求めているにも関わらず、法案の審議が行われている最中にわざわざ大阪まで行って、テレビ番組に出演することは国会軽視だ』と抗議。政府に対して来週8日の委員会までに経緯を説明するよう求めるとともに、納得ができなければ9日以降の審議は応じられないと伝えた」(NHK NEWS WEB)。

わけわかりませんな。「国民にもっと説明しろ」というから説明するためにテレビに出た。で、それは審議を拒否する国会軽視だから説明しろ。わしらを納得できんかったら、わしらは審議を拒否するぞ」て。
こりゃ、たんなるクレーマーやがな。
審議が大切や、言うんやったら審議拒否せんと、審議せ〜よ。こんなん優先順位が「安倍、気に入らん」ですやん。


ちょっと調べてみたら、4日は参議院で「わが国及び国際社会の平和安全法制に関わる特別委員会」が議論されていて、安倍総理はこの日、参議院からの出席要請されなかったということ。
ただ、首相であるなら要請はなくとも出席するべきだ、という意見もありますが、「内閣総理大臣は両議院の一に議席を有すると有しないことにかかわらず、何時でも議論について、発言するため議院に出席することができる」と憲法63条に明記してありまして、出席することが義務付けられる、とは書いていない。ただし「答弁又は説明のため出席を求められるときは、出席しなければならない」とあり、つまりは安倍首相とすれば、出席を求められていないのなら、出席する義務はない。ならば、収録のスケジュールの合うテレビ収録があるなら、それなりの影響力のある番組で、国民に丁寧に説明をしよう」という選択をしたのだと思われます。そのあたりは秘書や事務方の人たちと、摺合せしているはずです。
いや、なんのかんのと審議に出ないのは、野党の常套手段じゃないですか?
それは、ええの?

ただ、国会審議を見ていると、進展しない。
野党は対案も出さず「戦争法案だ」「説明不足だ」「国民は納得していない」「徴兵制がしかれたら」「自衛隊員に犠牲が出たら」「アメリカの戦争に巻き込まれたら」という仮定の話ばかりを安倍首相に浴びせかけ、何度も同じ、法案をつぶすための質疑を繰り返しているだけ。

不毛、とはこれ。

野党はそれが問題だと認識しているのなら、日本の安全と自衛のために、では具体的に何をすればよいのか、何を代わりとするか、「こういう日本の防衛の仕方はどうだ」という意見がない。
つまり、自民党を陥れ、次の選挙で勝つための戦術でしかない。
日本を守る気はあんのか、野党!

安倍総理だって、勝手に「戦争法案」だなんて名前を付けられて「戦争をする気でしょう」「戦争をしたい法案だ」などと毎日言われていちゃあ、国民に「違います」とも言いたくなる。私が総理だったら、出席をする義務のない国会なら、そっちはやめて、メディア出演を選びますよ。みなさんが、安倍さんの立場だったらどうします?

しかも、中国はあんな軍事パレードをして、軍事力で周辺国を威嚇し、国民に喝を入れた。こんな状況で何もしない、話し合えばいい、なんていうのは危機感がなさすぎますわな。

ちなみに、8月29日にはロシアで軍事パレードがあったん、知ってます?
規模は、中国に比べて小さかったですけど。
満州や樺太、北方領土で戦ったソ連軍の功績をたたえた、対日戦勝70周年軍事パレードが、ハバロフスクで行われていたんです。北方領土……。

あのね、ソ連は終戦で武装解除した日本軍を襲ったりしているんですよ。満州では一般市民や女性にものすごい蛮行、強姦、殺戮を働いた。シベリア抑留も行われた。無茶苦茶やったんですよ。
しかも協定違反の侵攻。こんなんが正当化されているんです。同時に北方領土の正当化も。
それで戦勝の軍事パレードやっとる。
日本、なめられてますよ、これ。

北朝鮮と言い、先日の中国といい、ロシアといい、そこに韓国も加わって歴史を捻じ曲げ、日本を陥れ、まともに戦って勝ってもいないのに、対日の戦勝を祝い、軍事力を誇示する前時代的な国々に、日本は囲まれている、ということを改めて認識し、今後、それなりの覚悟をする必要があります。


いや、ほんま。



kaidanyawa at 00:10|PermalinkComments(12)

2015年09月05日

中国戦勝記念の波、大阪へ!

中山市朗です。

昨日の18時45分から19時ころにかけて、塾の教室に向かって愛車の「チャリンコ号」に乗車。
いつものように、長堀通を悠々と西へ。
大勢の人とすれ違いますが、まあ、人の多いこと。
それでまた、その人たちの中に日本語が一切ない。
顔はわたしら日本人とかわりないんですけどね。
中国語と韓国の言葉がほとんど。たまに東南アジアのどこかだろうな、と。
耳を澄ませたんですが、ほんと、日本語がない。
心斎橋をわたって御堂筋に来たあたりで、やっと日本語でしゃべる女子大生風の女の子たちを発見。
ここは、どこやねん?

ふだんもそうなんですけど、昨日は特に。
そうか、戦勝記念日として三連休、日曜ふくめて中国の人たちは四連休か。

で、本日午前中、「チャリンコ号」で日本橋へ。
その帰りに、堺筋沿いにある大型ドラッグストアによって、ウェットテッシュを一つ購入。
ごったがえす店内に、やはり日本語は一切聞こえない。
店員さん、中国語や韓国語でちゃんと対応してるんやろか。大変やな。

私がレジでティッシュを差し出すと、前のお客さんに中国語で対応していた女子店員、「102円になります。カードはお持ちですか?」
日本語や。
一瞬、ここの店員は、中国人、韓国人、日本人の見分けを瞬時にできるんや、と感動したが……。

見たらわし以外はみな爆買いしとる。

ティッシュ一個て、どうみても近所のおっさんやわなあ。

kaidanyawa at 13:19|PermalinkComments(6)

2015年09月04日

うそつき中国、抗日勝利軍事パレード

中山市朗です。

安倍首相談話が先月14日に発表されたとき、それでも中韓に対する配慮や反省が無かったと騒ぐ、いわゆるサヨク系の人たち。中には安倍政権に向かって「てめえ達、人間じゃねえ。叩き斬ってやる」」なんて言った大学教授もいたようですし。呪いの坊主もいるし。そんな安倍さんに対してヒステリックな声を上げている、その人たちは、これをどう見たのか?

昨日、日本時間午前11時に北京・天安門広場で「抗日戦争勝利70年記念式典軍事パレード」が行われました。みなさんもう、ニュースなどでご存じのことでしょう。

参加将兵1万2千人。行進する兵士たちはその手に小銃を持っています。そして地響きたてて進む戦車500両、戦闘機、爆撃機200機。そして、一糸乱れぬその兵士たちの動きは、訓練のたまもの。中国軍の士気は揚々、というアピール。
ネットのNHKニュースは「習近平国家主席は「中国は将来、兵力を30万人削減する」と宣言し、国際社会の注目を集めるなか、中国脅威論を払拭したいというねらいがあるものとみられる」と寝ぼけた報道。
こんなん見せられて、脅威論がどう払拭されるというのだろうか?
兵力30万人削減が、本当だとしても、コンピュータ化された近代軍事兵器は、もう兵の数など問題ではない、というメッセージになぜ取れないのか? 

日本全土が射程内にあるというDF−26中距離弾道ミサイル。射程距離8000キロ、北米大陸の西海岸から中部には届くだろうとされる、DF−31A大陸弾道ミサイル。射程距離1万キロ、大気圏外から核攻撃ができるというDF−5B大陸間弾道ミサイル。核武装国で、米ロに並ぶ軍事大国の威容を世界に見せつけたわけです。同時に、共産党も軍も、このように完全に掌握しているという習国家主席の国内向けのアピールでもある。

このような軍事力による国力誇示を国際社会にアピール。あれを見せつけられびびっているのは東南アジアの諸国でしょう。
こんなバカげた軍事パレードに欧米諸国の首脳はもちろん、日本も参加せず。
BBCニュースは「今日のパレードを見る限り、中国の意図が本当に平和なのかは疑問」と報じたようです。

ロシア、韓国ら31ケ国の首脳は参加。この国々も中国の経済をあてにした、いわゆるアフリカなどの独裁政権国や発展途上国が多くみられ、世界の平和と訴える習主席の言葉もむなしく、韓国を含めて中国を宗主国としてあがめるしかない国々を寄せ集めた、中国親分のためのヤクザの儀式みたいたなもん、と私には映りましたが?

ただ、日本からは村山元首相は参加されたようです。日本の軍隊は人殺しで、自衛隊は違憲であっても、中国の軍隊は歓迎らしい。さすがです。
こんな思考を持った村山さんから、首相談話は継承されることになった。当時まだ途上国だった中国、韓国に同情を寄せて、人のいい日本人はつい、謝罪することがよかれと思った。自虐史観を教え込まれた日本人は侵略を認めてしまった。ここから、チョーシこいた中韓の暴走と反日が始まった。国際社会で謝罪はタブー。謝罪はやりました、というシグナル。足元みられて外交が不利に働く。世界大戦は世界が戦争をした、ということだけれども、謝罪したのは日本だけ。それも人のいい日本人は気が付かなかった……。慰安婦問題も同じ道をたどった。

さて、私の関心は、9条が日本を平和にしている、とする「戦争法案」反対派の人たちが、このパレードをどう見たか、ですよ。
日本の自衛隊とは違い、こちらは戦争をするための、近隣諸国を威嚇し、攻撃するための軍隊です。
またその運用性、攻撃力を中国のテレビ中継では誇示したナレーションが流れていました。
このような中国の軍拡を、なぜか支持する村山と、そんな中国に危機感を持ち、なんとか日本を守ろうとする安倍、日本人としてどっちを信用するのかということ。

日本は中国、韓国からしきりに歴史を修正し、反省もせずにいると言われ、そのたびに謝罪を求められていたが「抗日戦争勝利」というこの文言が、もう中国の完全な嘘ですからね。
日本軍が中国大陸で戦ったのは中国革命軍。蒋介石の軍で、共産党軍とはほとんど戦っていない。どころか、中国共産党軍の直接の敵は、まずはこの革命軍だったわけですから。

蒋介石の政府は、ただ混沌として、中国の農民をまったく守っていませんでしたからね。いや、国家にすらなっていなかった。かえって日本軍のいる地域の方が秩序もあって、日本はずいぶん、中国人農民を守っているんですよ。当時の中国大陸は群雄割拠の無秩序時代だったんです。今のような中国があったとみるな。
そして朝鮮人は、日本軍として戦った。それもほとんどは志願兵。徴兵は朝鮮人に行われたのは大戦末期。訓練中に終戦になったので、無理やり日本兵になったという朝鮮人はいない。つまり、進んでほんとうの日本人になろうとしていた朝鮮の青年たちも多かったわけです。
韓国はそういう歴史を消し去ろうとしている。いや、無かったことになっている。無いどころか韓国は日本と戦争して、勝ったなんて言っている。そんな歴史は存在しない。そして、戦争で散って行った同胞たちを、これは屈辱した行為だと思うのですが。
つまり、ほんとうはどこも日本と戦ってなくて、勝ってもいないのに「抗日戦勝記念」やて。笑えるわ。
こんな国に、歴史の真実を知れ、謝れ、と言われている。ほんま笑えるわ。

こんな嘘だらけの歴史背景をねつ造しての軍事パレードで、国際世論に訴え、自分たちの黒歴史を棚に上げ、日本をファシズム扱いする日韓に、なにをもって日本が歴史認識をめぐって日韓に謝罪を繰り返さねばならないのか。日本の謝罪は、中韓の嘘の歴史を正当化することになる。やっちゃいかんでしょ。それは。
それをやっちゃった村山さん、そこ、天安門事件のあったところでっせ。

9条が日本の平和を維持している、という平和ボケしたママさんや学生たち。
声を上げ、「我が子を戦場に送りたくない」「戦争反対」と叫ぶとしたら、この中国ではないのでしょうか?

中国がそのミサイルを日本に射ち込むことは絶対に無いですよ。しかし懸念される軍事活動、戦争はそういうものではない。
たとえば。

巨大な人口を抱え、経済問題にも頭を抱える一党独裁支配の中国が狙っているのは、エネルギーと原料輸入のシーレーンの確保。
南シナ海、東シナ海ですよ。
ここを抑えられれば、資源のない島国日本はひとたまりもない。
石油などの資源を積んだ日本の船はここを通りますからね。そこが中国のものになったら?
中国はこの利権がほしい。いや、絶対命題なんです。
ここを支配できると海底資源もある。中国の海域になったら、そこを通らざるをえない日本に対してなにかと有利な外交ができる。金もとれる。いざとなったら封鎖もできる。
日本は逆に経済的大打撃を受ける。いったん中国の支配になるともう、ほぼ永遠に手放さない。
そうなる前に抑止するのが、日本の防衛の重要なポイント。
そんなとき、日本の自衛隊がなにもできない、どことも連携できない状態にあれば、ますます中国は軍備を拡張し、威圧し、様々な要件を日本に突き付けてくる。

東シナ海にある、沖縄、尖閣の問題はそれですよ。

ところが、中国はもう経済的に疲弊し、実のところ共産党一党独裁の体制も危うい。
だからあんな軍事パレードをして、国内啓発をやった。そんな中国が、なんで日本の国益を考慮してくれるというのか? 中国にとって日本の憲法9条なんてなんの関係もない。知らん。
「話し合いで解決できる」と言っている人は、ほんと、もう一回、歴史を、戦争を勉強しなおすことです。
中国の恐ろしさを認識するべきです。
そしたら、このエネルギー、シーレーンの問題は、過去、日本が戦争を起こせざるをえなくなった一番の要因だということがわかるはずです。中国もそんなこと百も承知。
教科書は読むな。あれは白人至上主義から見た一方的な歴史観。
自分で書を探し、頭で考えよう。
そしてその原因を理解し、今の日本の現状を客観的に見ることです。

中国は、そこを軍事パレードで牽制したわけなのですよ。
「抗日戦争勝利」という式典そのものが、中国政府による、世界に向けた反日運動ですしね。

腹へって獲物を探し求める猛獣相手に「私は、食べない、そして食べられることを拒否する」と、武器も持たず両手を挙げて言ったとして、さあ、どうなる?
棒切れでも持って、少しでも抵抗するふりでもすると、猛獣はあきらめて立ち去る可能性もありますよ。
でも、両手を挙げて叫んでもなあ。
まあ、簡単に、食われるわなあ。


むしゃむしゃ。
ゲップ……。

kaidanyawa at 00:30|PermalinkComments(9)

2015年09月03日

国家プロジェクトを担える人材が?

中山市朗です。

えーっ、なんか悲しいですな。
東京オリンピックの、いろいろな躓(つまづ)き。

私はオリンピックにあんまり興味もなく、テレビでやっていても観ない派なんですが、やるからには日本という国を元気にしてもらいたいし、世界に向けて、日本国の健在と発展ぶりをアピールし、大いに盛り上がっていただきたい、日本にどんどん観光客をお招きしたいところ、ですが……、なんやこれ。
印象として、金、利権、業界、コネ、官僚的、無責任。日本の悪しきところが一気に噴出してるやおまへんか。

特にオリンピック・エンブレムが使用中止になったことを受け、経済同友会・小林喜光代表幹事が「社会全体がたるんでいるんじゃないか」と苦言を呈していましたが、私もそれ、思っておりました。

ネット族は「国民はたるんじゃいない。むしろエンブレムの違法性を指摘したのは国民だ」という反発も出ていましたが……。

まず、競技場の問題も含めて、もう、巨大な利権が転がってくることで、国民不在で利権の食い合いを政治家、官僚、業界でやっていることがバレちゃって、その不信感が、もう国民に伝わってしまった。
つまり、国民、とか、日本の国への思いの欠如ですこれ。意識が低い。

もっと単純にいえば、愛国心の欠如。本来、日本のために奉仕する、ということが根本になければならない立場の人が、それを考えずに各々が、目がくらんで利権に走った。

そもそも私がオリンピック嫌いなのは、そこですけどね。
主人公であるはずの参加選手たちを差し置いて、利権だの版権だの。
だいたいあのIOCとかいう団体が、わしゃ気に入らん。
日々鍛錬し、精進している選手たちには敬意を表しますが、だからこそ、そう思う。これでは選手がかわいそう。


佐野研二郎という問題のデザイナーも、おそらく、このオリンピック・エンブレムが日本という国の象徴となるという感覚を欠いていたのではないか、と思うのです。「採用されたらスゲエ儲かるぞ」という感覚で仕事をした。
だから採用されるための手法をとって、あんなことになった。あれが国家プロジェクトであるという認識なら、もう少し慎重な仕事とその成果が望めたはずです。それで、あんなデザイン、国民の誰が支持したっけ? 日本の優しさとか、おもてなし、四季感、伝統美、というものの一つとして、あのデザインからは微塵も伝わってこない。これは人それぞれの感覚なのかも知れませんが、それにしても……。

それに、佐野さんは、どうもクリエーターらしからぬ言動が目立つのが気がかりです。
たとえば……。やめとこ。長くなる。

佐野さんだけではない。エンブレムを選んだ選考委員会のメンバーにこそ説明義務があるのに、全然顔を出さない。顔を出すな、と言われているのでしょうけど……。誰に?

1日の記者会見では東京五輪組織委員会の武藤氏が釈明したものの、氏はデザインには素人、けっきょく歯切れの悪い記者会見、佐野氏擁護で、国民への謝罪はなし。

佐野氏を擁護したところで、誰が得をするというのだろうか?
つまり、武藤氏も身内の利権をかばった。、国を背負っていない。覚悟がない。

佐野さんは、とうとう「パクッていない」という見解を曲げず、「一部のメディアで悪しきイメージが増幅され(略)、プライバシー侵害もあり、異常な状況が今も続いています(略)、もうこれ以上は、人間として耐えられない限界状況」だとして、以後、雲隠れ。

いずれも、自己弁護に身内弁護に終始して、謝罪がない。国民不在。こちらも覚悟がなかった。

もっとも謝罪をすれば盗用を認めたことになって、裁判では完全に不利。多額な賠償金が請求されるでしょぅけど、それも、国家プロジェクトに関わった者の責任でしょうが。

江戸時代ならこれ、腹切りもの。

選考委員会も同じこと。やっぱり国家プロジェクトを担う、という覚悟がなかった。

けっきょく、今回のオリンピックに関わる組織や個人は、いずれも国家プロジェクトをまかされるほどの器ではなかったということ。

実はこれ、「我が子は戦争に行かせたくない」「殺させたくない」「だから戦争法案反対」といっている人たちの精神構造に似ていると思うんです。
みな、とは言いません。中には、なるほど、と思わせる反対派の意見もありますが、あの、駅前なんかで大声でがなりたてている団体を見るとそう思う。

「我が子を絶対に戦争に行かせない。殺させない」というママさんの主張はわかる。

しかし、我が子、我が家が安泰で、平和であるのは、日本という国が安泰で平和であるから。
その日本が今、その安全が脅かされ、今のままの法案で安全である保障ができなくなった。それは今の国際情勢や過去の歴史を見ればあきらかなこと。だから、政府としても、反対意見のあることを承知しながら、法案を無理やり通してでも、日本国と国民の安全は守り抜かねばならない。そういう危機感がリアルにある。また、あの法案は、国連参加国が当たり前にもっている権利であって、何も特別なものでもない。無い日本がどちらかというと特別。
もちろん、その危機に当たるに際しては、今後、何かあったとき、何かの負担なり、デメリットも生じるかもしれない。そこは日本人としての覚悟を持って、日本の安全と経済活動に寄与する。それが、日本の真の安全、平和を生み出すんです。ただし、集団的自衛権は、いざとなったとき、負担は軽減される。いや、その、いざを作らないためのもの。

あとは、ほんと、覚悟の問題。

日本人が日本を守らなくて、誰が守る?

誰も守ってくれない日本にして、「我が子」がどう守れるのか?


その、国としてのありかたのビジョンが、「戦争法案」といっている人たちの意見からは見えてこない。器がない。

国より個人。中には極端な人もいて、中国がもし攻めてきたら中国になってもいい、やなんて、これは人の生き方としてどうなの、と思う。

今の安全、平和な経済国家を作ったのは、まさに、国のため、国への貢献を思って、血のにじむような人生をささげた大勢の我々の祖先、日本人によって成り立っている、ということが欠如している。そういうことを学んでいない。けっきょく、日本の国を否定する自虐的史観の教育の成果、白人至上主義思考を知らずに受け入れてしまっているこの現実。日本を骨抜きにして潰す、という戦後教育の見事な成果。潰そうとしているのは平和ボケした日本人。

個人主義、自由主義は、私もそういう場所、業種にいる人間ですから、絶対に脅かされたくないですが、だからこそ、その根底には、個人主義、自由主義でいられる日本という国があってのことだと認識しなければなりません。




『七人の侍』で印象的な言葉があるんです。
村を野武士から守るために、村を要塞化します。でも離れの家はその外にあり、離れの百姓は村を守ることより、自分の家を守ろうと竹やりを捨てます。「村はずれのモノ、はよ来っ。自分の家捨てて、村を守ることなんかねえだっ。オラタチャ、オラたちだけで、家を守るだ」。
すると、普段温厚だった志村喬さん演じる勘兵衛が、真剣を抜いて叫ぶシーンがあります。

「離れ家は三つ、部落の家は二十だ。三軒のために二十軒は危くできん。また、部落を踏みにじられて三軒の生きる道はない。戦とはそういうものだ。他人を守ってこそ、自分も守れる。おのれのことばかり考える奴は、おのれをも滅ぼす奴だ。そういう奴は…、今後……」

まあ、日本という国について憂う、国家に身をささげる、ということが右翼だとか、戦争肯定派だとかいわれて疎まれているうちに、自虐史観を植え付けられいるうちに、国家プロジェクトを背負える日本人がいなくなった、ということが、なんか悲しいです。日本を賤しめる教育は、国旗掲揚、国歌は認めないなんていう、自虐教育は、けっきょくこういう結果を生むのか……?

個人個人の幸せは、みんなで構築しているわけです。
日本という国を、もっと知るべきです。日本はそう簡単に戦争をする国ではない。


そして、今後は国家プロジェクトを支えるような優秀な若い人がいることは、信じて疑っていませんから。










kaidanyawa at 07:26|PermalinkComments(4)

2015年09月01日

呪殺集団、再発動

中山市朗です。


経産省前に「呪殺」の幟ひるがえる。
祈祷呪殺集団「JKS47」に霞ヶ関騒然。
(JCASニュース)



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JCASニュースによると、
2015年8月27日午後3時、東京霞ヶ関の経済産業省庁前に読経の音が響いていた。黒地に白抜きで「呪殺」と書かれた幟の前で、数人の僧侶が祈祷を行っていた。(略)
JCASニュースの取材に応じた同団体の中心僧侶の一人によれば「呪殺」は殺人ではありません。神仏や死者の裁きを祈祷し、他者や我々自身の煩悩を滅殺することを目指します。ですので、特定の団体や個人を指して呪殺祈祷を行っているわけではありません、と言う。同氏はあわせて「呪という文字は祈るという意味で使っています、という。

写真、同ニュースより。


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これ、どない思います?
この呪殺集団は、もともと公害問題で揺れる1970年に結成され、三重県四日市のコンビナートや岐阜県神岡鉱山、富山県でのカドミウム公害などに関連する企業主を呪殺祈祷してまわった「公害企業主呪殺祈祷僧団」が再結成されたもの、だというんです。
動画をネットで見つけて見てみたら、確かに「1970年9月11日、梅原隆洪、梅原正紀、丸山照雄ら8人によって決定されし公害企業主呪殺祈祷集団の命題を受け……」と祈祷の中で言っておりました。あのとき、実際に対象となった企業主が突然死し、その関連性が話題になったことがありました。
もちろんその因果は不定であり、罪に問われることはありませんでした。

そしてまた、同動画によると「国家企業により殺されし死者の裁きを代表し、死者の声を祈祷により代弁するもの」とはっきり言っておりますので、殺された死者の無念を晴らす、つまりは、「戦争法案」「原発推進」を掲げる安倍政権へ、その無念を晴らす、という意味であり、呪殺は文字通り、呪い殺す、ということになります。
ビラにはしっかりと「死者が裁く」と書いてありますし。
「呪という文字は祈るという意味で使っています」との、インタビューでの答えであるが、これは詭弁。
仏教において、祈るのは人の心。人の不幸や災いを祈る、という使い方もあるんです。これを邪念といいます。

そして、「JKS47」の47は、参加僧侶の目標数(現在は7人)ということですが、これは赤穂浪士47人を意味するというのです。つまり、仇討。
死者による、仇討。 

これは仏教ではない。邪道である。
また、戦争を反対する平和主義者が、意に沿わない政権を呪殺するというのも、矛盾した行為である。

この夏、再結成された同集団の発起人は日蓮宗興統縁会成就山本國寺住職で劇作家の上杉清文氏。
劇作家でアングラ劇の脚本や様々なパフォーマンスをやっている人なので、国会を取り巻く「戦争法案」反対のための、一種のこれもパフォーマンスとも言われれば何ともいえないわけですけど、正直、安倍さん、健康状態が……、なので……。

反対派の人たちは、ちょっと冷静になっていただきたいです。
本当に安倍さんは、現在、そして今後の周辺国や世界の情勢をかんがみて、日本の保安、安全を第一に考えておられます。これは一国の首相として、やらねばならない当然の義務です。
憲法9条があるだけで、我々が守られている、という幻想は、とても危険です。
また、「戦争法案」という言葉を巧みに操って、反対派を取り込み、誘導している民主党や共産党が、日本を貶めこそすれ、これまで日本のために何を考え、何をしたか?
民主党、共産党の正体が、なぜわからないのか。

仮に安倍政権が倒れ、民主党が政権を剥奪したと思ってみなさいよ。
これ、恐ろしいことになる。


そしてまた中国は、このデモの様子に関心を示し、評価さえしている。
これは何を意味しているのか、そこを考えていただきたいものです。















kaidanyawa at 07:01|PermalinkComments(16)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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