2016年05月

2016年05月31日

Dark Night 18 予約開始

中山市朗です。

お待たせいたしました。
『Dark Night 18』の予約が始まっております。

『怪談狩り・市朗百物語』文庫版の出版イベントであります。こちら、物販も出ますのでよろしくお願いいたします。

7月9日(土)の24時よりオールナイト。

内容告知の前に残念なお知らせから。

MCをやってもらっていた松竹芸能の半田あかりさんが、この春より鹿児島県鹿屋市のオフィシャルレポータに任命され、鹿児島県で活動されています。なので『Dark Night』のMCは、ちょっと難しい状況となりました。
半田さんのファンもたくさんおられると思いますが、ご了承のほどを。
任期は1年、ということらしいので、来年の夏あたりには再登場していただきたいと思っております。

MCは、ですから半田さんが戻るまでのピンチヒッターとして、オフィスイチロウの秘書、真名子が務めます。

さて、今回は、私の怪談独演怪です。

十三のシアターセブンでのオールナイト怪談会でも、私の独演怪となりますが、話は被りません。
シアターセブンの「市朗一夜」では、あの市松人形の怪を中心に、今まで語ったり、執筆した怪談の中から厳選したものを、録画し、のちにDVD化することを意図としたものとなります。

「Dark Night 18」は、すべてが新ネタとなります。
一話だけ、一昨年の春、「Dark Night 東京殴り込み公演」のときのみ語った「ゆうこ」という90分にわたる長篇怪談を、大阪で初めて語る予定です。
90分、これをやるとゲストはその間、ほったらかしになりますからな、こういう時でないと語れません。

この話を聞いた後は、携帯電話やスマホが鳴るだけで、恐ろしくなる……。
いや、怖いですよ、この話。

場所はいつもの、道頓堀ZAZA。

「Dark Nigh 18」の詳細、予約については、

sakugeki.com/top2.html
あるいは、オフィスイチロウのホームページより、確認してください。
なお、都合によりただいま予約いただいても6月4日までは、予約確認の返信ができません。あしからず。


また、シアターセブンでの夜の部の怪談イベントは、ニコニコ動画にて、冒頭90分だけ生放送が行われることになりました。
6月11日(土)の19:00よりの放送です。

放送URは、イベントが近くなりましたら、オフィスイチロウのホームページにてお知らせいたします。


そして、作劇塾も塾生を募集しております。
プロの作家になりたい、という人に限らず、なにか面白いことをやってみたい、知りたいという人にも来ていただきたく思います。6月は3日、10日、17日、24日の金曜日の19:00より開講しています。
入塾費一万円、あとは月謝が一万円となります。

6月は、常識を疑え!
という講座をやる予定です。

こちらは、info@officeichirou.comか、06−6264−0981まで。


kaidanyawa at 05:40|PermalinkComments(7)

2016年05月30日

怪談会!

中山市朗です。

28日19:00より、怪談会はじまりました。
このような感じです。
もっともこの後、遅れて三人が参加。

会怪談











夜の部は、告知いたしましたように、囲炉裏を囲んで食事会を兼ねての怪談会。
メイン料理は、囲炉裏で焼く焼き鳥と水ギョーザ。その他もろもろ。いただいたお土産もみんなで。
でも、あくまで趣旨は怪談会ですからな。
え〜ですな、旨いもんとお酒と怪談と、怪談好きの仲間たち。
私はしきりにウイスキーを勧められましたが、我慢して、ビールという麦ジュースで。

またまたいろんな怪異談、幽霊談、不思議体験が次々と披露されましたよ。

22:30頃、いったんおひらき。
まあ、みなさん帰りませんわ。
怪談は続行中。
多少のお客さんの入れ替えがあって、今度は24:00より、オールナイト怪談に突入。
こんな感じ。

怪談会深夜










東京から来られた方や、初参加の方、そして常連さん。みんなすっかり場になじんで、怪談仲間。
夜の部で余った焼き鳥(ぎょうさんありましたんや)に麦ジュースで、差し入れでいただいたおつまみを食しながら、そのまま怪談会が深夜から早朝まで語られ、聞いて、質問して。
怪談マニアなら、至福の時ではないでしょうか。

5:30にいったん終了。
そのまま居残ったお客さんたちと、このあとは飲み会。
話題は相変わらず怪しいモノ。

怪談会中は、麦ジュースで我慢していた私も、ここからはウイスキー!

解散は15:00!

わあ〜、一人でウイスキー、ボトル二本空けてもた。
なんか最近、強なったんかな〜。

次回は8月か9月には。

こういった怪談会をやられている方、お呼びいただければ、はせ参じます。
怪異蒐集させていただきたく思います!

ということで、今夜は、お酒は控えよう。
そんなこと、できるかな〜。
いやいや、強い意志があれば!
できるかな〜。



kaidanyawa at 00:17|PermalinkComments(8)

2016年05月28日

幻覚か亡霊か

中山市朗です。

昨日は、ある地域情報紙で連載されている「大坂の陣400年と大阪城」の対談に呼ばれ、大阪城天守閣館長・北川央さんと「大阪城の怪談」について語り合いました。
大阪城天守閣館長というと、昔でいうと城主みたいなもんでしょうか?
私は、北川さんが大阪城研究主幹(昔でいう城代家老のようなもの?)だったころから知り合って、今は怪談馬鹿仲間です。

大阪城は、徳川の時代は徳川家が城主でしたが、江戸の将軍が大阪城に来ることはほとんどなく、したがって本丸御殿は巨大な開かずの間状態。ただ、見回りの侍たちは詰め所にいて、巡回する。
その侍たちが、城内で化け物や亡霊を目撃することは数知れず。それが江戸に報告書としてもたらされて、文献なども残っているんです。それを北川さんは喜々として集めて、あちこちで発表しているわけです。
私もそこに乗っかって、大阪の怪談の掘り起こしをやっているわけでして。

そういう話はまたいずれするとして、対談の後は、OSKの女優さんと合流して、三人で飲みに行きまして、日本の文化と怪談について、またまた語り合ったわけですが。

大阪は、怪談が少ないとされています。というか、東京と京都は昔から怪談が多く伝わっているんですが、大阪となるとあんまり伝わっていない。でも、私と北川さんの見解で一致したのは、大阪に怪談が無いのではなくて、伝える人がいなかった、ということ。

だから、我々でともにやって行こう、と。
千日前怪談なんて、ネットでたたけばいっぱい出てきますが、あれ、ほとんどは元は私が蒐集したり体験したものですから。語られはしても、まとまった形で発表されていない、ということです。
古都といえば、京都・平安京とか、奈良・平城京が日本人のイメージの中にありますが、おそらく日本で最初に計画性をもって国際都市として作られたのは難波の都、つまり今の大阪です。そのシンボルが四天王寺。天皇という言葉も、ここから来た。天皇が擁立したことによって、日本の礎が作られた。
それまでは、小さな国の集まりだった倭の国々に中央集権を作って、一つの国家にして対外的問題にあたって行こう。大いなる倭の国、で、大倭、いや大和とした。倭は「わ」に中華が勝手に倭の字をあてただけ。我が国は和の国から出発した。「和を以て尊しとせよ」という文言は、そういうこと。
それには、各地の王より威厳のある皇帝が必要だった。でも、皇帝は大陸におりますからな。だから、天皇という言葉が使われた。皇帝と天皇では、字の意味だけでいうと、天皇がエラい。
ウマいですよ、このネーミング。
これを成したのが聖徳太子。その拠点が四天王寺。正確には天皇寺。
大阪でっせ。大阪。
大阪は、日本の礎となった我が国最初の国際都市だった!
いや、ほんまですって。遺跡もちゃんと発掘されています。
「こういう現実を大阪市は全然見ようとしない、いや、気が付いていない」というのも、私と北川さんとの一致した意見。めちゃくちゃ中国人、韓国人、その他外国人が大阪に来てバク買いしているのに、そういうことを大阪はアピールしていない!

でね、北川さん、こう言ってました。
「私はいろいろな国へ行きました。で、欧米で差別されたことがない。それどころか、日本には天皇がいる、ということですごいリスペクトをしてくる。ヨーロッパなんて伝統を重んじる階級社会でしょ。その上にキング、クィーンがいるんだけど、天皇はエンペラーですから、それより上。で、どこの国より天皇の歴史は古い。天皇の存在が日本人にとってどれだけ大きく、外交や外遊が有利に動いているか。このこと事態にも、日本人が気づいていない」と。灯台元暗し、ですな。

で、メインはこれから。

飲み終わって、解散したんです。飲んでたお店が、谷町筋にありましたので、歩いて帰ろうと思ったのです。まあ、15分も歩けば帰れる。で、ふらふら歩いた。時間は、そう、23時に近いころ。
中央線の横断歩道。信号は赤。ちょぅど横断歩道の手前に立って、信号待ちしながらスマホをいじっている若い男がいました。白っぽいTシャツ。で、なにげに私も彼の隣近くに立って、信号待ちをしたわけです。
ふっと、何気に横を見た。
男がいない。
えっ?

確かにおりましたんや。下向いて、手にはスマホ(のようなもの)。若い男。白いTシャツ。
どこ行った?
歩道を歩いて去ったというのなら、見渡しはいいんでね。歩いている姿が見えるはず。横断歩道は渡っていない。信号は赤で、車がびゅんびゅん走っていますしね。いなくなったの一瞬ですし。

消えた?
えっ?
見たん?

いやいや、気のせいでしょ。幽霊なんて、おるわけないでしょ?
きっと、あの男は幻覚ったんや。えっ、それが幽霊?

去年見た、自転車屋さんの前に突っ立ってた中年のおばちゃんといい、私、見る体質になってきたのでしょうか?
いやいや、幽霊なんておらんて。
じゃ、私が見たのは?
見たのは確実。あれは人だ。
じゃあ、消えた? それ、幽霊やん。

う〜ん。


今宵はそんな話で盛り上がりましょう!

でも、幽霊なんておらんて……。
う〜ん。



kaidanyawa at 03:51|PermalinkComments(5)

2016年05月26日

角川ホラー文庫から

中山市朗です。

えーっ、もうamazonで予約が始まりまして、KADOKAWAからもツィッターやブログで宣伝してくださいといわれましたので。

『怪談狩り・市朗百物語』が角川ホラー文庫より、文庫本として発売されます。
内容は変わりませんが、細かい修正、書き直しの部分はあります。
発売日は6月18日。
税込み691円。
くれぐれも、古書店に100円で出るまで待たないように!

新作は?
という質問もいただきますが、昨年末に『怪談狩り・四季異聞録』が出ましたので、第四弾は来年の6、7月には出したいなと、ただいま、取材、怪異蒐集中であります。量より質にこだわりたいわけでして。

その、蒐集作業の一環が、明後日に行いますプライベート怪談会です。
ぜひぜひ、ご協力をお願いいたします。

また、文庫化の記念イベントとしての『Dark Night 18』も、7月に予定しております。
こちらの情報開示は、今しばらくお待ちください。

プライベート怪談会は、夜の部19:00〜、オールナイトの部24:00〜の二部制となっております。
夜の部は、オフ会ノリの食事をしながらの怪談会。

特にオールナイトの部が、まだまだ余裕があります。
ぜひぜひ、一人でも多くの怪談愛好家の皆さんの参加をお待ちしています。オールナイト怪談会の後は、早朝から飲み会、というのがいつものパターン?

お問い合わせは
info@officeichirou.com。
06−6264−0981

怪談の季節到来!

kaidanyawa at 09:19|PermalinkComments(11)

2016年05月25日

月刊ムーの七回目の冒険

中山市朗です。

告知です。

もう七回目となりました、ロフトプラスワン・ウエストのトーク・イベント。
『月刊ムーの世界不思議紀行7』
情報開示です。

7月5日(火) 
18:30〜OPEN
19:30〜START

出演 三上丈晴(『ムー』編集長)
   中山市朗(怪異蒐集家・作家)
MC 真名子

場所は大阪宗右衛門町の美松ビル3F
ロフトプラスワン・ウエスト

お問い合わせは、06−6211−5592

まあ、対談本と『ムー』総力特集に書かせてもらったということで、一応、聖徳太子は終了。
また、いずれ聖徳太子=未来記=イルミナティ=フリーメーソン=モーツァルト=『魔笛』という詳細は一冊の本にまとめますので。

で、5日は、お客さんからいろいろ質問をいただいて、それに答えるのはどうでしょう、
と、ロフトプラスワン・ウエストの店長から依頼されました。

まあ、『ムー』の編集長に直接質問できることなんて、普通ないですから、いろいろチャンスかも。
えっ、私?
隣でニタニタして、ビールでも飲んでますわ。

ビールのうまい季節ですしね!


それから作劇塾からのお知らせ。
27日(金)の合評は、大阪城天守閣館長の北川さんとの対談が入ったため休講。

代替講座は、またいずれやります。






kaidanyawa at 01:00|PermalinkComments(6)

2016年05月23日

怪談の季節

中山市朗です。

たま〜にですが、オフィスイチロウに、霊相談の電話が掛かってきます。

一週間ほど前にもある(声からして)中年女性から、そんなお困りの電話がありまして、お聞きした上で「それは呪いでも祟りでもありません。安心してください。もし、それでも除霊が必要だという事態になったのなら、お祓いの専門家の方を紹介しますから」となだめたのですが、今のところ、連絡はありません。

処分にお困りの心霊写真(のようなもの?)や動画、いわくのあるものお預かりします、またそれらのお祓い、除霊も基本、無料でやりますと、オフィスのお問合せの条項に書いてありますので、そういうお問い合わせがあるのは、じゅうじゅう承知のことですけど。

私は、お祓いも除霊もできません。また、そういうことが真に必要であることも、滅多にないと思っております。で、現に滅多にない。
お話を伺っていると、怪談にすらならない相談も多く、ほとんどが気の迷い、思い込みです。

以前、ある地方の方が、わざわざうちに訪ねていらして、「聞いてください」と、霊相談をされまして、で、聞いていても、霊現象すら起こらない。でも、本人は些細な出来事、偶然の一致、なにかのサインから、それを頭の中で原因を構築し、祟りだ、呪いだ、に結び付けて、怖がっているということのようでして。
4時間も話を聞かされて、怪談蒐集にもならんかった。もちろん無料奉仕。

ただ、だから霊などない、と言い切ることはできません。
そういう話になると、なんだかむきになってくる人もいますが、不可思議なこと、奇妙なことは、今もどこかで起こっているんだろうな、と。

もう、一万数千話以上のそういう体験談を蒐集しておりますので、霊は存在しない、とすると、これが全部嘘話になります。こういうものを否定する権利は誰にもない。そらまあ、たいていは嘘とは言いませんが、やっぱり勘違い、思い込み、中には完全に創作だろう、という話も多いですけど。でも、それも怪談には違いない。で、一、二割は、実に奇妙で興味ある話が残ります。なんだそれは!? と。これがもう、私としてはウレしいわけでして。
実話系怪談、というジャンルが今はあって、それに対する意見もあるようですが、あの言葉は、私が『怪異異聞録・なまなりさん』をMFから上梓するにあたって、担当のRくんと作った造語なんです。
確実な実話かと言われれば、それは体験者しかわからないこと。私は取材したに過ぎないし、ほかに証言を求めたり現場に行ったわけでもない。ただ、現場で撮ったというVTRや奇妙な写真はみせてもらいました。世に出したら、あかんやろ、みたいなやつ。ですから、実話と断言せずに、系をつけた。ちょっとダサかった?


でも、体験談として聞かせてもらった、取材させてもらった話は、怪談に仕立てる、という作業をした上で、ライブで語り、原稿にする。それが怪異蒐集家である私の仕事なんです。ただそれは、超常現象とか霊現象の検証とか、そういうことを論ずるものではない。
怪談は、あくまで怪談。エンターティメント。


まあ、データはいっぱいありますから、私の手元にあるメモ書きや資料、動画、写真の数々は、そういう現象の検証には使えるでしょうし、私はオカルト研究家という肩書もありますので、それなりの見解もありますが、それと怪談は、またベツモノ。また、オカルトという言葉も、このブログで何度も書きましたように、非常に誤解され、歪曲されています。


なぜ、こんなことを書いているのかというと、もうそろそろ夏ですからな。
連絡があるんですよ。放送局から。
「心霊動画を貸してください」だとか「検証に協力ください」とか。
そういうのは、お断りしております。ただ「怪談を語らせろ」というと、連絡が来なくなる。

語らせろ!

なんかね、怪談は、放送倫理、つまりコンプライアンス基準にひっかかる可能性があるんだとか。
つまり、嘘か本当か判断できない話は、番組上できない、んですと。
話芸の内容がなんで本当やないとあかんねん!
それを視聴者の想像、判断にまかせられないでは、放送局なんて成り立たないやん。番組制作側にも魂がない。いや、単に視聴率の問題か、話芸だけの番組構成は持たないと思っているのかも知れませんね。
やり方はいろいろあるんですけどね(私も以前は放送作家でしたから)。

でもねえ、そもそも、怪談をさせておいて、その検証をやり始めたり、霊能者を呼んでえかげんなことを言わせて、怪談も心霊も超常現象もオカルトも、いっしょごたにしてしまったのは、テレビ局ですからな。
去年でしたか、あるテレビ番組で、わたしのことを心霊の専門家、と紹介しようとしていたので、怪談と心霊はベツモノだ、と怪異蒐集家に改めさせました。
こんなこと書いたら仕事は確実に減るでしょうけど、違うものは違う。

まあね、コンプライアンス上、怪談はダメ、とか言いながら、CG加工された心霊やUFO動画なら、放送してもいいという基準もわからん。

まあ、怪談もざわざテレビでやらんでも、昨今はネットの動画にたくさんありますから、好きな人はそこに求めるわけで、そっちの方が濃かったりします。

けどねえ、ネットは質の悪いのも多い。誰、あんた? みたいな人も多くなった。プロだったら30分にまとめられる内容を、だらだら3時間、4時間。構成台本も演出もない。ただ撮っているだけ。
まあ、ノンスポンサー、製作費無し、という事情はわからんでもないですけどね。聞き手も無料だから聞いている、ということで、納得しているんでしょぅね。また、そこから何か新しいものが生まれるのかもしれません。そこは否定しませんけど。
ても、これが怪談だと思われるのも、ねえ、というのが多い。粗製乱造。また、私の動画のほとんどがそうであるように、無断でアップされているものもそうとうあるでしょうし。著作権、肖像権無視がこれだけのさばると、これはまともなメディアとは言えません。

それとね、
落語、講談、浪曲といった話芸が、日本には伝統文化としてあります。これらは最初は、師匠に弟子入りして、みっちり基礎を教えられ、人間としての作法や礼儀、生き方、考え方も享受し、許されてから、芸人となります。これは今もそう。そして、師匠の名がブランドですから、業界から信用はしてもらえます。

しかし、怪談は、いま、無法地帯。私は怪談師、と名乗って、ネットで語れば、怪談師になれますしね。
だから、名をさらして世に出る、という実態が認識されていない人が多い。人前で語るということは、その発言には責任を持つ、ということですからね。だからプロは事務所を作ったり、所属したり、マネージメントを別人にしてもらったり、顧問弁護士がいたりして、対策を講じ、また守れるわけです。マスコミ界の作法、ルールもありますしね。作家の場合は、出版社との契約で動いていますし、担当者がマネージメントの代理をしてくれます。出版社には法務部もありますし。そして事務所はその住所も電話番号も開示されていて、本人のプロフィールもちゃんと写真付きで開示してあるわけです。だからプロは覚悟をもってやっています。だから対価も発生するわけです。
それがないのに語って、語っているうちに勘違いしちゃって、妙なことをやっちゃう。それで素人とバレる。
で、足元みられてネットの世界で叩いたり、叩き合ったりののしったり。叩かれたから、もう辞めるとか。
余裕がない。節操もない。
まあ、それだけで食っていける世界ではないですけどね。食っていくつもりもないのか。
でもこれじゃあ、怪談は、いつまでたってもマイナーな、素人が語るもの、というイメージから抜けきれなくなります。
テレビ局の言う、怪談とコンプライアンスの問題は、ひょっとしたら、そこにあるのかも知れません。

実は先日、大阪の十三を歩いていたら、怪談社の紗那氏とバッタリ会って。東京にいるはずなのにね。たまたま帰っていたらしい。で、飲みに行った。おんなじこというてました。
「こういう事態を引き起こしたのは、そういうことをやりだして、また、野放しにした俺らにも責任あるんと思うよ」とも言っていた。
そういえばね、昔、私の怪談ライブに来ていたお客さんが、なぜか今は語っている、という人が多いんです。
私が語る怪談語りは簡単そうに見えるんでしょうかねえ。ほんとに元、私のお客さんが……、あっ、紗那、キミもそうやん!












kaidanyawa at 13:26|PermalinkComments(13)

2016年05月21日

いよいよ来週

中山市朗です。

え〜、いよいよプライベート怪談会、来週の土曜日(28日)と迫ってまいりました。

参加条件は、一人一話は、怪談を語ること。
二部制です。

第一部 
19:00より、夜の部。
食事をしながらの、オフ会式の怪談会。
食材費のみ徴収(1000〜1500円ほど?)
深夜は無理、という方、この機会にぜひ。

第二部
24:00より、オールナイト。
こちらは、参加費無料。いつものノリで行きます。

どちらか一方でも、両方でも、参加できます。

お酒などの持ち込みはOKですが、怪談会がメインですので、ほどほどに。

で、今のところ、参加希望者は、お寂しい状況です。
前回の二部制のときは、えらい人数で、えらいことになっていたんですけどねえ。
参加はしたいけど、話せる怪談がない、とよくお聞きしますが、些細な話でもいいのです。
怪談に仕立て上げるのは私ですから。

いつも、前日や当日に参加メールが集中しがちなのですが、ちょっと献立や買い出しの都合もございますので、なるべく早めにメールをいただきますと、助かります。

info@officeichirou.com

06-6264-0981 オフィスイチロウ

へ連絡いただきますと、集合時間、場所をお伝えします。その他質問も受け付けます。

常連の方で、たまに連絡なしにひょっこり来られる方がおられます。
それはそれで歓迎いたしますが、前もっての連絡はくださいませ。

そして、

6月11日の十三のイベントは、順調に予約は伸びているようです。

引き続き、よろしくお願いいたします。

好評であれば、こちらもシリーズ化したいと思っております。

詳細は 06−4862−7733(シアター・セブン)

チケット予約は ticket@theater−seven.com

何度もすみません。

よろしくお願いいたします。

kaidanyawa at 07:20|PermalinkComments(3)

2016年05月19日

エド・ウッド映画の二本立て!

中山市朗です。

6月11日のシアターセブンでの怪談イベントでお世話になる、大木ミノルさん、徳丸新作さんたちが、そのシアターセブンで「トンデモ・シネマLIVE」というイベントをやっているというので、真名子とともに、あいさつに伺いました。

この「トンデモ・シネマ」というのは、ほんと、トンデモな超B級作品を劇場のスクリーンで見ながら、大木監督や役者の徳丸さん、杉本忠宏さん、シネマコミュニケーターの高橋裕之さんたちが、ステージ上からツッコミを入れながら、わいわい鑑賞する、というもの。実はうかがうの二回目。前回があまりに爆笑ものでしたので。

この日は、あのエド・ウッドが監督した作品二本立て。
あのティム・バートンがジョニー・デップ主演で映画化した『エド・ウッド』で有名になった監督さんです。
史上最低監督といわれる、でも、ある意味カリマス的な存在でもありまして、あの中身のない『死霊の盆踊り』の原作者でもあります。
あっ、これいずれも大木監督がアメリカで買い付けして、DVDとして販売するプロモーション上映でもあります。
あれこれもう、250タイトルのクラッシックB級作品をDVD化、販売しているんです、この人。

一本は、エド・ウッドの作品としては最高傑作(?)の『プラン9・フロム・アウター・スペース』。まあ、これは一度観ていますし、なんとサントラも持ってます。
映画を観ながら、もうさまざまなものにツッコミを入れます。
その設定、小道具、美術、演技、演出、カメラワーク、照明、セリフ、つながり、音楽、音響、などなど。こういう超B級、おバカな作品は、まあ、家でDVDなんかで鑑賞するわけですが、一人で観るのはツラいですわな。
仲間何人かで、わあわあ、バカにしながら観る、というのが正解。ただ、学生じゃないんでね。そんな機会も無い。
それを、ここではやってくれる。
何より、大木監督たちは、現場を知っていますから、ただ、ツッコんだり、バカにしたりではなく、「おそらくこれは、こういうことでこうせざるをえなかったんだろう」とか「予算が無いなりの、これは工夫なんだけどね」という、専門家としてのフォローも入るわけです。また、「実は、このシーン、異様に照明がうまいからここはスタッフがいて、このシーンはエド・ウッドが自分で撮ってる」なんて、技術面の指摘があったり、日本ならこういう撮り方をする、というような話も聞けて、そこが楽しいわけです。
何度聞いても、よくわからんセリフも、大木監督が「このセリフ、何言ってんだか、わかんないんですよね」と言うと、ああ、わからんかったのは、俺だけじゃなかったんだ、と内心ホッとしたりして。

エドウッド











迷、いや、名シーンの数々。
後ろがカーテンのシーンは、UFO内という設定。撮影途中、唯一存在感があった怪優ベラ・ルゴシが死んだっちゃたので、吹き替えの役者が延々とその顔を隠しているというものでして。背の高さも額も違うのまるわかりなんですけどね。わざとでしょうかね。

で、二本目。エド・ウッドの長編デビュー作『グレンとグレンダ』。これが、ねえ。
一応、ノンフィクションという体なのですが。
これ、女装癖のあったエド・ウッド自身の言い訳、というか、正当性をグダグダと言っているような作品で。女装した、そんなに美しくもないエド・ウッドを観なければならないわけです。ストーリーもよくわからんし、言っているセリフが、言い訳じみて、破たんしていて、唐突で、ハチャメチャ。唐突にSMシーンが出てきたり。エド・ウッドも女装癖も性同一性障害も同性愛も、いっしょごたにしてるので、よけいにわけわからんのです。
聞きたくもない話を、延々聞かされ、しかもくどい。そして勘違いしているのを指摘できない、という状況に陥ります。
まあ、一人で観ていると、早送りするか、途中でやめるかするのは確実。それがこういう場だから、あくびを噛み殺しながらも、最後まで鑑賞できる。
いや、貴重な体験でした。

なんか来月は6月15日、『SFフランケンシュタインの逆襲』で、ワイワイやるとか。『SF』と付くところがミソです。

鑑賞後は、出演者のみなさん、シアターセブンの方たちと、近くのお好み焼き屋で、飲みながらの映画談義。

阪妻、大河内伝次郎から、勝新、黒澤。いやいや、お酒と映画の話が止まらない。

大木監督、徳丸さん、そしてみなさん、楽しうございました。

6月11日のイベントでは、よろしくお願いいたします。

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2016年05月17日

恒例・夏の特別講座のお知らせ

中山市朗です。

夏も近くなりました。
告知もだんだん多くなります。

今回もその告知です。

もう、恒例となりました夏の芸術学舎。
今年もあります。

京都造形芸術大学と東北芸術工芸大学が主催の公開講座。文化伝統・歴史について考察いたします。

私の受け持ちは「怪談から日本の宗教、文化を学ぶ〜日本人と怪談」の全五回の講義となります。

講座内容とスケジュールは次のようになります。

7/13(水) 日本の話芸と怪談     
日本には話芸がほかの国と比べて圧倒的に発展しています。落語、講談、浪曲、弁士、漫才……。怪談も同じく日本にしかない話芸。これ、日本の宗教観や独特の風習から来るのです。まずはそのあたりの考察を。

7/27(水) 増殖する妖怪

妖怪は日本のあらわるところに棲息しておりました。もちろんこれも、日本の風土や信仰と大きく関わってきます。妖怪の考察から、逆に日本人というものが見えてきます。で、妖怪は、どうも本当にいるようですよ。

8/10(水) くだんのルーツ
くだんとは、人と牛が合わさった化け物です。日本に大きな不幸が来るとき、それを予言し死ぬといいます。このくだんの正体を追ってみます。不思議な世界が展開しますよ。

8/31(水) 都市伝説と実話系怪談。
怪談と一口に言いますが、実はカテゴリーがあるのます。実話系、創作、都市伝説、現代怪談など。それぞれのカテゴリー別の怪談を分析しますと、人間の深層心理、恐怖の根幹がわかってきます。そのあたりを考察してみます。

9/14(水) 西洋のホラーと日本の怪談
この二つには明確な違いがあります。そこを考察しますと、ますます日本人の独自性が見えてきます。さて、ホラーと怪談、どう違うのでしょう?

時間はいずれも19:00〜21:00。

会場は、大阪サテライトキャンパス(梅田の富国生命ビル5階)
受講料は、18000円。

お問合せ、受講申し込みは、
https://gakusha.jp/
電話は0120−530−920

となっております。

また、私の主催する作劇塾も、塾生を募集しております。

info@officeichirou.com
06−6264−0981

楽しく、有意義に、学びましょう。
世の中は面白い!

 



kaidanyawa at 01:41|PermalinkComments(0)

2016年05月14日

しつこいようですが……。

中山市朗です。

来月11日に十三のセブン・シアターで開催します、真IDOBATAホラー噺、および、中山市朗之怪談館。
おかげさまで、予約状況は順調のようです。

一方、今月28日の、プライベート怪談会は、伸び悩んでおります。
今回は、19:00からの開催と、24:00からの開催の2部構成ですので、「オールナイトはちょっと」という方、ぜひ、ご参加ください。

実はいつも出だしはこんなもので、前日あたりに予約が集中するということも、ままあるのですが、夜の部の買い出しや献立などの準備もありますので、なるべく早めの予約が助かります。

プライベート怪談会は、参加費無料。夜の部は、食事をしながらのオフ会のような会になりますので、食材の実費だけ徴収させていただきます。
ただし、どちらの会も一話は怪談を語る、ということが条件です。
このハードルが、意外に高いようなのですが、思い出してみると、誰も一つや二つは、不可思議な体験をしているものですよ。
さあ、思い出してみましょう。


そして、今夜はネットラジオ『気まま酒家」の生放送と、録音録り。

酒を飲みながら、ぐだぐだと語る、という番組趣旨ですので、大勢のギャラリーがいる方が、私としては盛り上がって、テンションも上がります。
別に語る必要はありません。

テーマは『怪談と文化』

難しいぞ。なんか漠然としているし。

まあ、怪談に関する質問など、お聞かせください。そこから話を発展させます。


収録場所は、オフィスイチロウ。プライベート怪談会同様、囲炉裏を囲んで、和気あいあいとやっていきたい所存であります。

プライベート怪談会、『気まま酒家』ともに、info@officeichirou.comへ、ご一報を。

シアターセブンのチケットについては、ticet@theater−seven.comとなります。




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2016年05月12日

十三最恐の夜! 開催

中山市朗です。

先日告知いたしました、6月11日、シアターセブンでの怪談イベント。
チラシが上がってまいりました。

まずは夜の部、真IDOBATAホラー噺 LIVE in JUSO

井戸端怪談





















その裏面。

井戸端怪談 裏






















深夜に行われます、中山市朗之怪談館。

市朗怪談2





















拡大できます。
詳細はそこに。
どちらも映像収録いたします。

映像監修は、『時空脱獄NINJA ジライヤ』などの映画監督、大木ミノルさんです。



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2016年05月10日

怪談イベントとネットラジオのお知らせ

中山市朗です。

今日はお知らせです。

6月11日(土)、大阪は十三のシアターセブンで、怪談イベントを行います。

夜と深夜の二部構成になっておりまして、

第一部 夜、19:00開演  真IDOBATAホラー噺LIVE in JUSO
    出演・徳丸新作(役者)、中山市朗。MC 真名子

第二部、深夜24:00よりオールナイト officeichirou Presents 
        中山市朗之怪談館〜人形之怪〜
   出演・中山市朗  MC 真名子

詳細は、officeichirou.com オフィスイチロウのHPでご確認ください。

この二つの怪談会は、真名子が企画、営業したもので、実は真の目的が、「中山市朗怪談を映像収録する」ということにあります。ですから、新作というより、今まで語ったり、原稿に書いたものの中から選りすぐった怪談を語るという趣旨となります。のちのちにはDVDとして市販されることを目的とします。

第一部では、『Dark Night 14』などで語った、「隣の住人」、『Dark Night 15』で語った「借りた古家(民俗学をやっていたBさんが失跡する話)」などを語ります。不気味な家、がテーマです。聞き逃した方はぜひ。

第二部は、人形之怪ということで、人形やモノに憑いた怪異を中心に、オールナイトで、ほぼ独演会状態で語ります。ここでは、昨年4月9日フジTV系『ニュースな晩餐会』で放送され、えらい反響があった、あの、市松人形のことの顛末を語ります。もちろん、あの人形が声を発したVTRも上映いたします。

みなさまからいただく、入場料の収益は、ビデオ作品の製作費として使わせていただきます。
どうか、ご協力いただきたく存じます。

そして、今週の土曜日(13日)は、ネットラジオ『気まま酒家」の収録があります。
「文化と怪談」という、えらい難しそうなお題を、酒家亭主のcainさんからいただいております。
何をかたればよいのやら。
 
このネットラジオは、私の書斎で酒を飲みながら、グダグダと語るというものです。共に飲みながら、生で聞きたい、あるいはネットラジオでしゃべってみたい、質問したいという方は、ぜひ参加してください。

『気まま酒家』のHPか、info@officeichirou.comまで、ご連絡ください。

夜22時からの生放送と、真夜中に一本、録音をいたします。



そして、5月28日(土)のプライベート会談会もお忘れなく。
こちらも、夜19:00からと、深夜24:00からの二部構成となっております。
夜の部は、食事をしながらのオフ会に近いノリの怪談会になるかと。

まだ、ほとんど予約が入っていません。ぜひぜひ早めに、ご予約ください。
私の怪異蒐集のための会でもあります。
怪談好きの方、ぜひぜひ、ご協力していただきたく存じます。

こちらも、Info@officeichirou.com まで、メールをくださるか、
06−6264−0981までお電話ください。

集合時間、場所などをお知らせいたします。


    


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2016年05月08日

レポート『ゴジラ音楽祭』第三部

中山市朗です。


さて、会場では、新たにデジタル・マスター化された『ゴジラ』の全編上映が進行中。
音楽が付けられていたシーンになると、和田薫指揮による80人編成の日本センチュリー交響楽団が、生演奏します。1954年のモノクロ映画の音が、圧倒的な迫力で蘇ります。

原因不明の沈没事故が次々と勃発。保安庁も首をかしげるばかりで、マスコミも「原因不明の海難事故発生」などと書き立てます。が、観客はすでに、それがゴジラであることを悟っています。
ただし、そのゴジラがいかなるものかは、観客は知らない。

ゴジラ……。
これ、我々はすでに知っている時点で映画を見ていますからね。
今の我々の観点から『ゴジラ』を批評すると、とんでもなくトンチンカンなものになるでしょう。
作り手にとっても、ほとんどが初めての作業。全長50メートルの怪獣なんて、見たことも聞いたことも、また、想像したこともない時代。そんなものをスクリーン上に登場させるなんて、我々が思う以上に創意工夫が最大限に求められ、それを造形していくわけです。また、ゲテモノという偏見の目もあった。特撮という言葉も無かった。何もかもが未知なるもの。現場は連日連夜、徹夜の連続。熱気はあったといいますが。

ここで思うのは、初公開でこの映画を観た観客は、いったい、ゴジラとはなんだろう。それはどれほど大きくて、凶暴で、どんな形をしているのだろう、そして何が起こるのだろう……、もう固唾をのんで、スクリーンに映る事件、ドラマを観ていたということです。

その、観客心理を煽り立てるかのように、本多猪四郎監督の演出は、なかなかゴジラの姿を見せません。あくまで、象徴的なモチーフを画面やストーリーの中に組み込み、そのイメージは観客の想像にゆだねます。
その、観客の大きな期待と想像力をより増幅させ、不吉な予兆を与えたのが伊福部昭の音楽であったわけです。
この手法。まったくそのまま、スピルバーグ監督の『ジョーズ』に流用されました。

タイトルの、あの不安を煽り立てる、繰り返される単純な旋律。
観客は、巨大なサメが人を襲う映画だ、ということは百も承知していますが、ジョン・ウィリアムスがやはり、コントラバスの重低音からはじまる、あの『ジョーズ』のテーマで示し、やはり弦楽器のジャジャジジャ、という繰り返しの音階と、管楽器から奏でられる巨大で冷血なサメの動き、不敵さ、恐怖をあらわす、うねるような旋律は、観客の中に、これからとんでもないことが起きるぞ、という期待と恐怖心をあおりました。そして、そのジョーズは、人を襲い、桟橋を襲い、海水浴でにぎわう人たちの中に現れますが、なかなかその姿を見せませんでした。ただ、恐ろしく、巨大である、ということをスピルバーグは画面の中に象徴的に示唆し、そのたびにジョン・ウィリアムスが、繰り返し同じ曲を聞かせて、ジョーズのイメージを増幅させていたわけです。

ギャレス・エドワード監督の『GODZILLA ゴジラ』で渡辺謙が演じた芹沢猪四郎というキャラクターは、そういう演出をした本多監督への尊敬の念です。黒澤明監督の『夢』に出演した、マーティン・スコセッシ監督も、現場で監督補佐だった本多監督にサインをもらってご満悦だったとか。
それほど素晴らしい演出です。そして素晴らしい音楽設計ですよ。

舞台が大戸島に移ります。
島から出て行った漁船の帰りを待ち、海を見ている島民たち。高台にいた少年とじいさまが、筏を見つけます。謎の沈没をした漁船の乗組員。正樹という島の青年。「やられただ……」「なんにやられただ!」
しかも原因不明のしけが続く。じいさまは「ゴジラかも知れねえ」とつぶやく。
ヘリコプターでやってくる新聞記者。記者の取材を受け、じいさまは島の伝説にあるゴジラを示唆します。
このとき、神楽が舞われています。
これは鳥羽地方で舞われていた本当の神楽を撮影したもので、音楽は伊福部がオリジナル作曲したものだそうです。
この、神楽の音が、オーケストラにて見事に再現!もともとオーケストラ用に作曲されたものなのでしょうか?
まあ、「越天楽」をオーケストラでやっちゃうのが、日本のオーケストラですけど。

続いて、夜、暴風雨に紛れて、いよいよ大戸島にゴジラが上陸。地響きとともに、タイトルで聞いた、鳴動と咆哮で、観客はゴジラだ、とわかります。
しかし、それでもゴジラはその全貌を現しません。
翌朝になって、島の被害状況が明らかになり、想像を絶するナニかが現れたことを予感させます。

ちょっと余談ですが、ゴジラ・ファンならご存じでしょうけれど、このゴジラの咆哮の誕生話。
ゴジラは巨大な爬虫類ということだったのですが、爬虫類は鳴かない。じゃ、どんな鳴き声がいいんだ、とアイデアをスタッフが出し合ったらしい。最終的には、「コントラバスの低音弦を絃巻からはずし、この絃を松脂を塗った皮手袋で縦にしごくのである。しごく速さと強さに伴って種々な音色が得られる。これをテープにとって、更に操作をくわえ、あの声が生まれたのである」(『東宝特撮映画全史』)。
ということで、これも磁気テープの採用があったからこそ、生まれたということになります。
ただし、今回はこの音の再現はされませんでした。そらそうですわな。あくまで、マイクロフォンを通ってテープで処理される音ですから。生再現はさすがに無理。
ただし、音楽は、極力日本センチュリー交響楽団が、再現していきます。

さて、暴風雨にまぎれたゴジラの脅威とその巨大性を、また、伊福部サウンドが現します。このときの音楽は、弦楽器が主となって、ひたすら不安感を醸し出します。この音楽は変奏曲となって、のちにゴジラが東京を上陸した際、鉄橋の上を逃げ惑う人たちのシーンにも使用されます。

そしてフリゲート艦隊による爆雷攻撃のシーン。
おなじみのマーチが演奏されます。この曲は、のちに曲調とその編成を変えて、『怪獣大戦争』のテーマ曲となります。この曲が生で聞けるか。うんうん。

で、ですね。恵美子が芹沢博士の実験室でみる、オキシジェン・デストロイヤーの威力。あの、キュキュキュキュと弦をかき回すかのように鳴らす音も、生再現。うんうんうん。

そして、いよいよ、東京湾海上にその姿を現すゴジラ。防衛隊が機銃掃射します。
このあたりから、重低音の、ゆっくりとした重厚感のある暗い曲が流れます。
実は、こちらがゴジラのテーマなんです。
タイトルに流れる有名な曲は、人間から見たゴジラの脅威を現していたわけです。タイトルで聞かれる曲は、防衛隊出動のシーン、消防隊の出動シーンから蹂躙される東京、逃げ惑う人たちのシーン、そしてゆっくりとした変奏曲として、テレビ塔に近づき、塔にゴジラが食いついて、地面に叩きつけられるまでのシーンにも演奏されます。

一方、重厚なゴジラのテーマは、ゴジラそのものを現します。
葬送曲を思わせる重厚で、ゆっくりとした響きは、巨大なゴジラの鼓動、肉体そのものをあらわしているかのようですし、ゴジラが歩くだけで、すべてのものは瓦礫と化し、破壊しつくされる、恐怖の対象であることも、描写しています。
このゴジラのテーマと、タイトルに聞かれた「ゴジラの脅威」ともいうべき、人間、それも、防衛隊や消防隊といった、ゴジラに相対する人たちから見た、ゴジラのモチーフが、画面に合わせて巧く構成され、けっして一本調子にならない音楽構成を、生演奏は実感させてくれます。

伊福部は、このとき、あらゆるところから低音の出る楽器を集めてきたそうです。
「コントラ・ファゴットとかチューバという楽器を使うのですが、その頃はコントラファゴットは芸大に一つあったきりで、『ゴジラ』の頃はどこにもなかったんですね。で、芸大から前の晩に借り出して説いて、その楽器を使う。楽器を集めるのに苦労しましたですね。吹く方は吹く方で、脳震盪を起こしそうなことを、毎日やらされる」(『東宝特撮全史』)とは、伊福部氏の弁。
今回の日本センチュリー交響楽団の楽団員の人たちは、どうだったんでしょうね?

ええっと、まだ終わらんな。

kaidanyawa at 16:09|PermalinkComments(3)

レポート『ゴジラ音楽祭』第二部

中山市朗です。

『ゴジラ音楽祭in京都』レポート。

いよいよ、メインイベント。

伊福部昭:映画『ゴジラ』(1954)全曲生演奏、です。
会場のステージには、スクリーンが掲げてあり、そこに映画『ゴジラ』が上映されます。
その前には、80人編成の日本センチュリー交響楽団、そして、20人ほどの女性コーラスが待機。
いよいよ、第二部がはじまります。

会場が暗くなり、通常のオーケストラ演奏会とはちょっと違う雰囲気となります。
もちろん、オーケストラの楽団員の楽譜が読めるように照明はちゃんと工夫がしてあり、指揮者の和田さんをはじめ、オーケストラの楽員の表情や演奏スタイルもちゃんと確認できます。

再び、拍手に迎えられ、登場した和田さんが、オーケストラの前に立ち、いよいよ、『ゴジラ』の上映が始まります。

モノクロ、スタンダードの昭和29年の映画。
戦後9年。まだ敗戦国日本の影をひきづり、貧困にあえいでいた一方、希望も見えてきた。しかし、前年に朝鮮戦争が休戦になったとはいえ、3月には南太平洋のビキニ環礁で、広島原爆1000個分(15Mt)といわれる水爆実験が行われ、日本の漁船第五福竜丸が被曝。広島、長崎に続く第三の核の被害ともいわれ、また、仏印インドシナでは、共産勢力が台頭、ラオス、カンボジアでも同様の独立戦争が勃発し、ベトナムが独立。しかしこれがベトナム戦争の引き金となり、米ソ冷戦の緊張も高まる、そういう時代が背景にある映画であることを、忘れてはなりません。

さて、東宝マークがスクリーンに映し出されると、続いて、あのゴジラの足音というか、鳴動が鳴り響き、巨大生物の咆哮を思わせる音が、鳴動と交錯し、なにか「この世ざるもの」の発動を音で体感させます。
そして、「ゴジラ」のタイトル。

ゴジラ タイトル











この後、しばらくは、この鳴動と咆哮のみが聞こえ、メインスタッフのクレジットが下から上へと流れていきます。
と、和田さんの指揮棒が、さっと上がります。
構える楽団員。
クレジットに、音楽、伊福部昭という名が下から上がってきて、真ん中に来る直前、指揮棒がふり降ろされると、弦楽器が一斉に鳴り、フル・オーケストラが反応します。
あの、ゴジラのタイトル曲が、生演奏されるのです。

おなじみのあの同じ音がひたすら繰り返される構成。
オスティナートという音楽技法です。

これは、古典音楽というか、古代の舞踏、宗教行事にしばし使われた技法で、日本の雅楽にも見られます。同じ音の繰り返し。しかし、そのリズムと調子はどんどんと上がり、トランス状態に入る。そういう呪術的というか、麻薬的要素を喚起させる技法なのです。それがここで、使われる。しかし、ここではリズムは変わらない。たんたんと繰り返される旋律は、巨大で異質な生命力、それは、神の怒り、かもしれない、そのような印象と、また繰り返しは螺旋を意味し、それは力強い生命、復活を意味すると同時に、全体を覆う低音は不安感、螺旋のような永続はその不安感の持続、終わることのないもの、そういうイメージを喚起させます。

また、ドシラ、ドシラ、のあのメロディは、ミファソラシドの音階でのみ構成されているといいます。
これも最近の音楽でめったに使われない音階で、ということは、あまり耳にしない音、ということになります。やはり古代の祭りの旋律、音階であると思われます。ということは、つまりは、ここに表示されるものは、別の次元のもの、あるいは古代の遺物、怪異なるものというイメージとなるわけです。それが、耳から飛び込んでくる、耳から来るものは。より想像力を掻き立てる、という伊福部の音楽設計であるわけです。それが、鳴動、咆哮との三重奏(?)となって、タイトル画面に鳴り響くわけですから、もうここで、観客は、異世界へと誘導されているわけです。
モノクロの画面、というのも、ここでは不気味な予兆を増幅させていますね。

監督・本多猪四郎、というクレジットが消えると、一瞬、画面はブラックアウト化します。本編ではゴジラのタイトル曲はだんだんとフェードアウトしていきます。不安感はまだ襲ってくる、消えない、という暗示です。
しかし、これは生演奏。いったん演奏は終わりますが、続いて、海を行く船、船上では乗組員たちがハーモニカやギターを演奏し、しばしの憩いを楽しんでいます。その、ハーモニカとギター演奏も生再現。
画面では、船上に閃光が走り、海が避けるような音がしたかと思うと、海面に奇妙な波と白い光。ビカッと光るとそれが船を襲い、たちまち船は火を噴き、SOS信号が発せられる。このときの不気味な予兆を思わせる、これも不吉な予感がまたまた螺旋のように繰り返される、という曲が、管弦楽で演奏されます。

そして、その遭難信号が本土でキャッチされる。船は完全に沈没。
ちなみに、船の中からSOSを打っている人は、まだ新人時代の藤木悠さんでした。
のちに『キングコング対ゴジラ』『海底軍艦』で高島忠雄さんと凸凹コンビを組んで、出演した役者さんです。『モスラ対ゴジラ』では、常にゆで卵を食べているという新聞記者を演じていました。

音楽が終わると同時に、画面が変わって、電話がクローズされます。電話が鳴る。
そして、これも初主演作、宝田明さん登場。
「はい、南海サルベージの尾形です」。

そうなんですね。この「ゴジラ音楽祭」は、昭和29年の『ゴジラ』をそのまま全編上映。その音楽シーンは、生オーケストラで再現、という大胆不敵な企画なのです。
簡単そうですが、これは様々な条件がないと、できない企画です。

まず、映画全編、使用された楽譜のすべてが残っていること。60数年前の、戦後まもなくのことですからね。しかも、映画は一度上映されれば、もう用済み、という時代。ロードショウのことを封切り、といって、封を切ったらもうほぼ価値は無い。映画はそんな扱いでした。ビデオなんて考えも及ばない時代。
映画がそんな扱いですから、それにつけられた音楽の楽譜なんて、よほどのことがないと保存されません。

現に『ゴジラ』は、幸いかなりの楽譜は残っているものの、失われた楽譜もあり、そこは指揮者の和田さんが、映画を聞きながら書き起こしたそうです。

そして、映画のシーンに、ぴたりと合わせる指揮者とオーケストラのテクニック。スタジオ録音なら録りなおしができますが、お客さんを前にした演奏会ですからね。ミスは許されない。

そして、これが肝心なのですが、サウンドトラックが磁気テープ録音であること。

『ゴジラ』の音楽を語ることは、日本のサウンドトラックの歴史を語ること、と、前回書きましたが、そのことと関係します。

日本映画はサイレント(無声映画)から、トーキーに移ったとき、光学録音という方式をとっていました。
ビデオと違ってフィルムですから、音声はありません。そこで、編集されたフィルムを流しながら、セリフ、効果音、音楽を同時に録っていくわけです。
光学録音というのは、サウンドトラック方式ともいわれます。私も学生のころ、8ミリや16ミリのフィルムで映画を撮り、録音はこの光学録音で行ったものです。
映画のフィルムの横に、信号のようなものが焼き付けられていまして、ここに、音声を直に録音するわけです。
映画やアニメの音楽をレコード、CD化した商品をサウンドトラック盤、サントラ盤というのは、ここからくるわけです。

サウンドトラック















フィルムの右端にあるギザギザがサウントトラック。これは16ミリフィルムですな。

でも、この録音のやり方は、いったん録音されると、録り直しがやりづらく、ミスはできませんでした。そして、光学録音の場合、セリフ、効果音、音楽が同時に録音されているので、音楽だけ、セリフだけ、を抽出することができません。
つまり、光学録音された映画の吹き替え版を作ろうとすると、音楽も効果音も、あらたに作り直す必要が出てきます。あるいは、サウンドトラック・レコードとして出そうとしても、セリフと効果音がそのままついてくる。つまり音楽だけの抽出もできないのです。
昔、ローカル局で昔の洋画が放送されていたとき、ずいぶんでたらめな、違う映画の音楽が入っていたり、エキストラの声がショボかったりするのは、このせいでもあったわけです。
CDとして発売された『黒澤明映画音楽完全盤』に収録されている『羅生門』のボレロの曲に、京マチ子のセリフが入っているのもそのためです。

ところが、のちにオープンリールによる磁気テープが使用されることになった。
若い人たちは見たことないか。
こういうのです(ウィキペディアより)。

オープンリール













これは、何度も繰り返し録音ができます。そして、セリフ、効果音、音楽が別々に録音され、のちにトラックダウン、ミキシング作業ができる。この方式が、日本では東宝が最初におこなったわけで、それが昭和29年のことであったわけです。

で、この年、この録音方式で製作されたのが『ゴジラ』と『七人の侍』というわけ。
この2本の名作のサウンドトラック盤が、日本映画最古のものというわけです。奇跡ですな、これ。
で、こんにち、『ゴジラ』のサウンドトラックCDとして、その音楽が聴けるのも、この磁気テープによる作業があったからでして、1年早く制作されていたら、あるいは東宝がこの磁気テープ方式の採用を遅らせていたら、あるいは東宝以外の映画会社の企画だったら、『ゴジラ』のサントラ盤は、聞けなかったということになるわけです。

で、こういうことが可能になった。

今回、『ゴジラ音楽祭』で上映された映画は、セリフと効果音だけを残し、音楽のトラックを除いたわけです。
この『音楽祭』のための特別仕様だそうです。
その音楽トラックに収録されていた音楽を、生オーケストラで演奏する。
しかも、当時のマスターテープはモノラルですから、ドルビー・デジタルとしてよみがえるわけです。

おまけに、当時は40人編成だったオーケストラが、今回は80人編成。
そら、迫力が違う。
でもねえ、それでもなお、映像がけっして負けていない、というのは『ゴジラ』が、よく作りこんである傑作であるとともに、伊福部昭の音楽設計も、秀逸であったということです。
もちろん、和田薫指揮、日本センチュリー交響楽団の技術、演奏解釈の巧みさも忘れてはなりませんね。


なかなか終わらん。
これも続くのかな。

kaidanyawa at 04:42|PermalinkComments(2)

2016年05月07日

レポート、『ゴジラ音楽祭』第一部

中山市朗です。

さて、『ゴジラ音楽祭』レポートです。
実は、この昭和29年公開の『ゴジラ』の音楽を語ることは、ある意味、日本映画のサウンドトラックについての歴史を語ることにもなるのです。

ということで、『ゴジラ』世代であり、サントラ・コレクターであり、クラッシック愛聴者の私としては見逃してはならぬイベントです。うちの秘書、真名子もなんだか昔のマニアックな作品を見ている特撮マニアで、この音楽祭はぜひ、というので、この日、連れ立って行きました。

ゴジラ音楽祭












場所は、京都は平安神宮の近く、ロームシアター京都メインホール。
4階バルコニー構造、約2000席。開場前のロビーでは、まあ私と同世代か上の男性、ちらほらと女性の姿が主で、真名子が一番若い、という人たちで埋まっていましたが、開場となって席に着くと、女子高生の団体さんなど、若い人たちも大勢訪れていました。
こういうものは、若い人たちにこそ、体感してほしいですからね。
ロビーでは、伊福部昭のCDやゴジラ・グッズがズラリ。見ているだけでワクワク。とりあえずポスターをゲット。

ホールに戻ると、3階、4階席には空席があるものの、ほぼ満席。
私たちは、前列から五列目というかぶつき席。きっと、オーケストラの熱い衝撃波を体にうけることでしょう。
結果、この席、7500円は安いと思うことになるわけですよ。

いよいよ、開演直前、オーケストラの楽団員たちがステージに登場してきます。

え〜、実は生オーケストラ、私、実に久しぶりでありまして、十数年ぶり。
ショルティやカラヤンが来日していたころは、聴きに行っていたんですけどねえ。最後は、小澤征爾指揮、ウィーンフィルハーモニー管弦楽団の大阪公演。ブラームスの交響曲第一番、第四番の名演は、今も忘れません。
真名子は「はじめて」と言っておりました。「高校時代は吹奏楽部にいた、ひょっとしたらそのままプロのオーケストラにということもあったかも」と冗談交じりに言うので、「まあ、プロの音聞いたら、たまげるで」と。

この日の管弦楽団は、日本センチュリー交響楽団。関西を中心に活動する、昨年創立25周年を迎えた交響楽団。私は大阪センチュリー交響楽団として認知しておりましたが、いつのまにか名称が変わっていました。
そういえば、橋本府知事のころ、文化事業の見直しの一環として、大阪にある四つのオーケストラに対する助成金大幅カット問題により、一時期解散の危機も危惧されたオーケストラが、大阪センチュリー交響楽団でした。その後、体制を変え、名称も大阪から日本と変え、全国展開をするようになったとのこと。
オーケストラなんて、たとえウィーンでもベルリンでも、やっぱり助成金がないと成り立たない。
しかし、残らねばならない。いやもう、そのご苦労は察します。

コンサート・マスターによる、オーケストラ全体のチューニングが終わると、指揮者の和田薫氏が登場。
この和田氏。伊福部昭の弟子だった人で、のちに、その関係のエピソードが語られます。

まずは、大きな拍手で迎えられた和田氏が、我々に背を向け、オーケストラに対面。
指揮棒が掘り降ろされると、
バババババーン、ババーンと、ブラスの低音が響き、やがて、フルオーケストラが反応していきます。
わっ、鳥肌たったわ。
そこからはもう、怒涛の伊福部サウンド。
懐かしや『怪獣総進撃』のタイトル曲。そして、『キングコングの逆襲』『海底軍艦』が飛翔する場面のマーチ、『キングコング対ゴジラ』からの曲と、特撮マニアなら感涙の音が、次々と。

プログラム1、伊福部昭作曲:SF交響ファンタジー第3番、という曲目でありました。

『海底軍艦』のマーチが鳴って、『地球防衛軍』の遊星ミステリアンとの攻防をあらわす壮絶なコーダ。
和田氏の指揮ぶりもノリノリで、これぞ、オーケストラの魅力だ! と、体感いたします。

CDではねえ、聴いていたんですけど、そら、生は違うわ。

さて、このSF交響ファンタジーという曲。
伊福部昭は、300本にも及ぶ映画のための作曲をしながら、そのレコード化は許さなかったんです。また日本の映画音楽のレコードがそんなに売れるものだとも思われていなかった時代。
いや、実は1960年代から70年代、日本という国は、不思議と、世界に類をみないほど、サウンドトラック・レコードのマーケットが確立されていて、けっこう、日本だけの発売、なんていう貴重盤が出たりしていたんです。
今のようにビデオとかDVDも無く、劇場に行く以外は、テレビの洋画劇場や深夜に放送される吹き替え、ズタズタカット版の映画を観るしかない。でも、映画は時間の芸術。見終われば終わり。
映画マニアは、その大好きな映画をぎゅっと抱きしめることができない。その感動をよみがえらせてくれる最大のツールが、実はオリジナル・サウンドトラック、通称サントラ盤レコードだったわけです。

私も、中学の頃から、サントラ・レコードの蒐集をはじめました。
資金源は新聞配達。当時LPレコード1枚2500円は、中学生には超大金でしたから。
『戦場にかける橋』のLP盤が最初の購入レコード。次いで『ベン・ハー』『大地震』『アラビアのロレンス』『黒澤明の世界・七人の侍』『桂米朝・上方落語大全集・五』……、うん?
まあ、こういう蒐集癖が、今の怪異蒐集家の元になっているわけですが。
でも、『ベン・ハー』のように、日本の昔の映画がサウンドトラックのレコードになることは、めったになかった。
あったとしても、フィルムから直接録音したものが多く、『七人の侍」のレコードもそうでしたが、それは、セリフや効果音も入っていたもので、音楽にクローズアップされることは稀でした。
それに、マーケットになりうるのは、ハリウッドやイタリア、フランス映画のサウンド。
『太陽がいっぱい』『道』のジェルソミーナのテーマ、『ドクトル・ジバゴ』のラーラのテーマ、『ゴッドファーザー』の愛のテーマ、『地下室のメロディ』『シェーン』の遥かなる山の呼び声などは、スタンダード・ナンバーとして喫茶店やラウンジ、そしてラジオから流れていたものです。日本映画のサウンドは、そうはならなかった。今聞くと、いい曲はたくさんあるんですけどね。

ところが、私の高校一年か二年年の頃でしたっけ。京都の(なんで兵庫県朝来市にすんでいた私が、そのとき京都にいたのか未だ不明)レコード店で、あるレコードを見つけ、狂喜乱舞。さっそく買ったんです。もう、感涙しながら何度も聴きましたよ。
それが、東宝レコードから出た「日本の映画音楽 伊福部昭の世界」というLPレコードだったんです。

伊福部昭の世界















曲目は「サンダカン八番娼館・望郷」「ゴジラ」から、メインテーマ、エンディング、「空の大怪獣ラドン」「日本列島」「忠臣蔵」「鯨神」「コタンの口笛」からタイトル、メインテーマ、「親鸞」「キングコング対ゴジラ」「ビルマの竪琴」「日本誕生」「地球防衛軍」マーチ、「大魔神」

もちろん、お目当ては「ゴジラ」「ラドン」「キンゴジ」「地球防衛軍」「大魔神」の特撮音楽。
ビデオとか、ないですからねえ。ところがレコードを聴いていると、その映画の記憶が鮮明によみがえるわけです。特に、伊福部サウンドというのは、いったん耳にすると、そのメロディが頭を離れないんですね。
いっぺんに伊福部ファンとなったわけです。

この東宝レコードの「日本の映画音楽」は、伊福部だけでなく、佐藤勝、武満徹、芥川也寸志、黛敏郎といった作曲家たちの映画音楽もとりあげられ、シリーズ化したものでした(データを調べると1977年秋発売)。
これは、当時としては画期的なもので、日本の映画音楽の魅力が、ファンやマニアのもとに届くというものだったんです。またそれは、日本の近代のクラシック音楽家の作品に触れる機会でもあったんです。

その中で、やはり『ゴジラ』をはじめとした、特撮における伊福部サウンドは、テレビ放映時にも聞いて忘れられない、あの音楽をもう一度、といったユーザーたちを奮い起こしたんです。『伊福部昭の世界」が、予想外の売れ行きを示したんですね。売れる、となるとメーカーは黙っていません。翌年には『オリジナルサウンドトラック・ゴジラ』が発売され、以後、ことあるごとに、伊福部特撮サウンドがレコード化され、CD化され、今もそれが続いている、ということなのです。
伊福部氏は戸惑ったそうです。
聞くなら、映画音楽ではない、交響曲や管弦楽、バレエ曲、ピアノ曲などを聴いてほしい。映画音楽は、やはり映画に伴って作られたもの。それに、特撮、ゴジラの伊福部でなく、音楽家伊福部としとて受け入れてもらいたい。そういう思いはあったようで、だからこそ、サウンドトラックのレコード化には難色を示した。
現に、特撮、ゴジラの作曲家、としての認知はされても、やはり、純粋に音楽家・伊福部昭としての評価がなされたのかというと、必ずしもそうではない。だが、映画の、特に特撮につけた音楽は、全仕事の一部でしかない。
しかし、熱狂的な特撮マニアが、自分の音楽を支持してくれているのも事実。
伊福部は、そういう人たちへの感謝の念を示し、1983年に『伊福部昭・SF特撮映画の夕べ』を開催。この演奏会用に、東宝特撮のために書いたスコアをオーケストラのコンサート曲としてアレンジ。それが、『SF交響ァンタジー』第一番、第二番、第三番だったわけです。

怒涛の『SF交響ファンタジー』の演奏が終わると、会場からも怒涛の拍手。
隣で真名子も、大感動しておりました。「吹奏楽部にいたことは、もう二度と言わない。レベルが違いすぎる」
あたりまえや!

次いで、スペシャルトークとなりました。
「ゴールデンウィークのただなか、とはいえ、今日は平日なんですね。お客さん、入っていただけるのかなと、心配していたのですが、まあこうやって、五万人のお客さんに来ていただきまして……」
いや、指揮者はボケんでええから。

ゲストが、『ゴジラVSビオランテ』『ゴジラVSキングギトラ』の脚本・監督の大森一樹氏。
現在、わが母校、大阪芸術大学映像学科の学長を務めておられます。
和田さんと大森監督の対談となったわけですが、おもしろいエピソードが披露されました。

『ゴジラVSキングギトラ』のとき、音楽はぜひ、伊福部昭先生に、と大森監督は要望。前回の『ビオランテ』は体調不良を理由に断られていたそうなんです。伊福部先生、やっと引き受けてくださった。
実は、このころ、もう経費節約というか、合理性というか、シーンのその場その場をコンピュータで音をつなげていくとう方法が、映画音楽の収録の実態だったのですが、伊福部氏はあくまで、オーケストラの演奏にこだわった。大きな録音スタジオを借り、大人数のオーケストラを配置。伊福部氏自らが、スクリーンに映し出されたシーンに合わせて指揮棒を振り、オーケストラをコントロール。
バチッと、画面に合わせた重厚なサウンドが、映画のサウンドトラックに収録されていく……。
もちろん、前もって、編集したビデオを大森監督は伊福部氏に渡していて、そのシーンに合わせた楽譜を作曲する。ところが、編集が終わった後、航空自衛隊から、戦闘機がスクランブルをかけたり、編成を組んで大空を飛翔するフィルムが届けられた。これはいいぞ、と編集しなおした。当然、伊福部氏に渡したものと、尺もリズムも違うわけです。本番直前、それを見た伊福部氏は「困ったぞ」という表情になった。「このままじゃ、尺が足りない」。
すると、隣にいた弟子のような若い人が「先生、このシーン、『ラドン』で行きませんか」「そうは言っても楽譜がない」「僕、もってます」とカバンの中から『ラドン』の楽譜が。
で、あれは、これは、と、どんどん、伊福部サウンドの楽譜が出てくる。
で、無事、録音作業終了。
「こんなに用意周到な若い有能な、師匠思いの人がいるんだなあ、と感心していたら、それ以来ですねえ」
つまりそのお弟子さんこそ、和田薫さんだったと。

熱のこもった『SF交響ファンタジー』の演奏は、確かに、伊福部昭への畏敬の念というか、魂を引き継ぎ、燃焼させた、といえる熱演でした。
これ、第二部、『ゴジラ全曲演奏』が、いよいよ楽しみになってきます。


ということで、続きは、次回。





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2016年05月05日

さあ語ろう、聞こう、価値観を壊そう!

中山市朗です。

さていよいよ『ゴジラ音楽祭』についてのレポートですが。

ゴジラ音楽祭



















え〜、「ゴールデンウィーク明けに原稿お願いします」という案件があったことに、今はたっと気づきまして。
今からその作業をします。いや、半分は書き上げていたので、十分できます。

ということで、今日は簡単なお知らせ。

まず4月より、わが書斎に教室を移しての新作劇塾。

5月も各金曜日の19:00より実施。

6日・講義
13日・合評
20日・講義
27日・合評

となります。
少人数で、塾生歴の長いのから、入って間もない、という人たちが一緒ですので、塾生たちのリクエストや質問を受けての講義をします。何もなければ、「常識を疑え」をテーマとした講義をします。
ある意味、常識や価値観を壊すのです。
これであなたも世の中の見方が変わる!?

合評は作品分析能力と表現力を養います。

授業は2時間。その後はネットラジオ「作劇ネトラジ」の収録。で、朝まで飲み会。強制はしません。
でも、語り聞く、ということは、大いにやっていただきたい。
こういう時に聞かれるエピソードというのが、表現者にとっては、大きな仕入れとなるのです。

語り聞く、といえば、28日は「プライベート怪談会」。

今回は夜の部、19:00
オールナイトの部、24:00より、開催します。

まだそんなに参加者はあつまっていません。どしどし、応募ください。
特に、オールナイトはどうも……、という方、この機会にどうぞ。

夜の部は、囲炉裏を囲み、食事をしながらのオフ会のような怪談会となる模様。食材費を徴収いたします。人数にもよりますが、まあ、1000円とか、2000円は行かない。
お酒などの持ち込みは自由。ただし、オールナイトの部も控えておりますので、まあ、ほどほどに。
オールナイトは、いつもの通り参加費無料。

ただし、怪談を一話は語っていただきます。それが参加条件。

夜の部のみ。
オールナイトのみ。
両方。

以上から選択して、下記へお知らせください。
集合場所、時間などをこちらからお知らせいたします。

Info@officeichirou.com

☎06−6264−0981

作劇塾入塾希望者も同じアドレスで受け付けています。
入塾時に1万円。あとは受講した月に月謝1万円、となっております。

よろしくお願いいたします。

というわけで、オマケ。

伊福部昭と三船敏郎のデビュー作。
黒澤明・脚本、谷口千吉監督による『銀嶺の果て』のポスターだ!

銀嶺の果て

kaidanyawa at 01:04|PermalinkComments(4)

2016年05月04日

伊福部昭について、知るべきだよ、日本人ならば。

中山市朗です。

「ゴジラ音楽祭」についてのレポートを書く前に。
やはり、作曲家・伊福部昭という人について、言及せずにはいられません。

伊福部昭(いふくべあきら)。


昭和29年に公開された記念すべき映画『ゴジラ』の音楽を担当。以後、『ゴジラ』はシリーズ化され、二作目『ゴジラの逆襲』は佐藤勝に音楽担当を譲ったものの、その後はほぼ、伊福部氏が担当。「ドシラ、ドシラ」という『ゴジラ』の音楽モチーフは繰り返し聞かれます。そのテーマ曲は巨人軍にいた松井秀喜登場時にも使用されて、CMにも使われて、まずは日本人なら一度は耳にし、一度耳にしたなら忘れることができない曲であることは間違いないでしょう。そしてこれが伊福部昭という作曲家によって作曲された、と知る日本人も多いことでしょう。
しかし、『ゴジラ』以外の伊福部昭の仕事は?
というと、今度は多くの人が知らないと思われます。

伊福部昭は、日本のクラッシック音楽界の頂点にいた、稀代の音楽家でありました。
と、言ってもねえ、このクラッシック音楽を聴く人が少ない。ましてや、日本人によって作曲されたクラッシックの音楽なんて、まあ、誰も聞かないでしょうし、聞く機会もめったにない。ただ、『ゴジラ』の音楽から伊福部ファンとなり、そこから日本のクラッシック音楽を愛聴する人たちも多くいる、ことも事実でしょう。

私は映画音楽としてのサントラ・コレクターであり、また同時にクラッシック音楽、特に大オーケストラによる交響曲、管弦楽を愛聴しておりますので、ぜひ、こういう音楽にも触れていただきたく思うわけです。
伊福部調の管弦楽は、非常に哀愁があり、土俗的な旋律がどこか懐かしくもあり、バーバリズム的な音階はまた、人間の息吹というか、大自然の息吹というか、そういうものを思わせ、それがまた、日本人独特の感性に染み渡るんです。それに、クラッシックの近代音楽は、難しいというイメージがありますが、伊福部作品はそんなことはない。『ゴジラ』をはじめとした東宝特撮映画のために作曲された楽曲と同じで、ダイナミックでリズミカルで、ワクワクして聴けるわかりやすい曲も多いのです。

伊福部昭は、1914年、北海道の釧路に生まれました。
父は釧路警察の署長だったそうで、のちに音更村の村長になったことから、伊福部少年はこの音更(おとふけ)村で12歳まで過ごしたといいます。
この音更にはアイヌの集落「アイヌ語で『コタン』」があったそうで、アイヌの人たちと交流を持つことになります。父は村長さんですから、いろんな人が相談や陳情にやってきては、そのまま伊福部邸で宴会、ということが多かったらしく、その時に酔った住民たちが歌う民謡のメロディ、古謡、そして祭りのリズム、そして何かあると歌い、踊るアイヌの風習が、のちの伊福部音楽の基礎になったと、これは本人がよくインタビューで語っておられました。
音楽に魅了された伊福部は、中学の同級生、三浦淳史(のちの音楽評論家)の家で、クラッシックのレコードを聴いたりしているうちに、三浦から「音楽をやるなら作曲をやらないと意味がないじゃないか」と言われ、漠然と作曲をやりはじめたのだそうです。
ただし、伊福部は音楽の専門教育を受けず、大学は北海道帝国大学農学部林学実科に入学。ここで伊福部は、運命的な出会いをするわけです。
札幌市内のクリーニング店で働いていた早坂文雄との出会い。早坂文雄もまた、日本のクラシック界の頂点を極める人物であり、西欧的な手法をもちながらも東洋の音楽をそこに解放させようとした先駆者であり、黒澤明監督の『酔いどれ天使』『野良犬』『羅生門』『七人の侍』の作曲者ともなります。『羅生門』は、平安時代の物語ながら、京マチ子扮する真砂の証言シーンでは、延々ボレロを採用するという手法に、世界が驚きました。
運命とは奇なるもので、早坂は宮城県は仙台市の出身。なぜ札幌で出会ったのかというと、たまたま家が没落し、札幌に一時期移り住んでいたのです。生活を助けるためにクリーニング店で働いていたのでした。
伊福部、早坂、三浦の三人は「新音楽連盟」を結成。ストラヴィンスキーやラヴェル、エリック・サティなど、当時の日本ではほとんど知られていなかった音楽を演奏披露したりしました。
三浦と伊福部の関係が面白いんです。
三浦が、ドビュッシーの友人である、当時スペインで活躍していたアメリカ人ピアニスト、ジョージ・コープランドにファンレターを出す。そしたら本人から返事が来る。
「地球の裏側に私の音楽を聴いてくれる人がいる!」と驚いているわけです。そして、「きっとそういう環境にいるなら、素晴らしい作曲家がいるだろう。あったら見せてくれ」と書いている。
「伊福部、作曲して送ってみろよ」
それで、まだ二十歳にもならない素人の伊福部が作曲して、ほんとうに送った。『日本組曲』というピアノ曲がそれ。コープランドはこの曲を実際に演奏し、レコード録音もしました。

このように伊福部は、大学卒業後、厚岸(あつけつ)の森林事務所に勤めながら、独学で作曲にいそしみ、はじめて作曲した管弦楽作品『日本狂詩曲』は、アレキサンドル・チェレプニン賞を受賞。日本の中央の楽壇のオエライさんたちの中では「伊福部って誰だ」と、問題になったらしい。またその独学で培われた技法に、「邪道だ」とする意見もあったとか。しかし、次いで『ピアノ組曲』がヴェネチア国際音楽賞を受賞。じょじょに伊福部昭という名前が、楽壇のオエライさんたちにも知れるようになります。
チェレプニンという人は、親子二代にわたるロシアの音楽家で、交響曲を4曲、ピアノ協奏曲は6曲作曲していて、自らもピアノ演奏者としても活躍しました。親日家で、中国や日本の音階、リズムをクラシック音楽に取り入れようとした人で、対立法を音楽の中によく使用しました。彼はのちに来日し、伊福部の両親に会い、プロの音楽家になるように勧め、一か月におよぶレッスンを施しました。このレッスンから、伊福部は自分のやってきたことは間違っていなかったことを知り、プロになることを意識しだしたようです。
戦前の日本ですからね。日本において音楽のプロになることは、よほど腹をくくらないと。食べていける保証もまちろんない。また、男が音楽をやるなんて、と一般の人たちは思っていました。
それにしても、チェレプニンの教えはすごいんです。
「酒も飲まないで大きな仕事を成した人はひとりもいない。伊福部、君は酒は飲めるか」と言って酒を飲ませ、たばこの吸い方までも教えたらしい。私の教育法とここだけは同じだ!
伊福部昭という人は、年をとられても大変ダンディな方だったのですが、これもチェレプニンの教えなんでしょうね。
それと、伊福部の日本独自でありながら、もっとスケールの大きい音楽の作り方は、このアイヌ的なものと、チェレプニンや北海道という風土がもたらせたスラブ的な要素も多大に影響されていると思われます。

戦後、伊福部はプロになることを決意し、上京。すでに音楽界で活躍していた早坂の勧めもあって、東宝音楽部を紹介され、映画音楽とのかかわりができたわけです。

映画音楽は、当時、映画につける単なる伴奏音楽だとされて、バカにされていた面もあったと思われますが、伊福部は、フランスの近代音楽は、実は映画に触れることしか方法はなく、『ドン・キホーテ』や『商船テナシチー』『望郷』『巴里祭』といった映画を見ながら耳をそば立て、その音楽の形態、構造を研究していたのです。
また、早坂文雄という人も、映画音楽は、視覚に伴い、盛り上げるための、例えばバレエなどに名曲があるように、映画音楽にもまたその可能性をみいだそうとした人物であり、伊福部の才能にも、それを期待したのではないかと思います。

上京した、といっても伊福部の住居は栃木県日光市の久次良の山荘。早坂の友人の別荘だったそうです。
当時は終戦直後。東京への移住は厳しく制限され、定職がなければ住めなかったのです。そんななか、飛び込んだ話が、東京音楽大学での講師の仕事。ドイツ古典主義のアカデミズムからの脱却をはかったドイツ文学者で、同大学の学長に就任した、夏目漱石の門人、小宮豊隆の考えでした。

私の好きなエピソードがあります。
大学での最初の講義。伊福部はコピーもままならない時代。もっていた自筆の楽譜を学生たちに惜しみなく配った。その行為にまず、学生たちは驚いた。また、人間的魅力もあったのでしょう。次の授業が終わると、学生たちはそのまま伊福部について日光まで行き、そのまま伊福部宅に居候。一晩、酒を酌み交わしての芸術談義。翌朝、伊福部とともに大学に通った、といいます。

こういう環境が、黛敏郎、芥川也寸志といった、のちの日本の楽壇を支える音楽家を輩出していきます。
黛敏郎は、ジャズの造詣もあった人。仏典に節をつける声明を取り入れた『涅槃交響曲』を作曲。これを聞いたハリウッドの巨匠ジョン・ヒューストンが、自ら監督をする大作『天地創造』の音楽を黛に依頼。見事な音楽を黛は創り、アカデミー作曲賞の候補になりました。当時、日本の作曲家がハリウッドの大作の音楽を担当するなど、だれも考えていなかった時代です。
しかも『天地創造』は欧米人の文化と信仰の基礎たる『旧約聖書』から取られた題材。その音楽を仏教音楽を作った日本人に依頼、というのが面白い。
そのほか、松村貞三、矢代昭雄、池野成、石井眞木、三木稔といった日本のクラシック界における重要な音楽家が、伊福部門下から育っていきます。
彼らもまた、映画音楽に携わり、名曲を残していきます。やはり、日本の音楽界において、クラシックの演奏会ではめったに彼らの作品が演奏されることもない。しかし、映画なら、聞いてもらえる。彼らはさまざまな実験を映画の中で行い、日本の音楽界を芸術面で支えました。

クラシック音楽というのはもちろん、ドイツやフランスといった欧州の民謡など民俗音楽や教会音楽がもとになっています。それは日本の音楽とは異質なものです。しかし西欧の楽器と手法で、日本の音楽を創造するということは、いま、われわれが何の抵抗もなく接しているJポップだのなんだのの基礎の基礎を作ったということなんです。
西洋の音楽は、明治になってはじめて入ってきたものですから。
異質なものだったのです。インドなどでは、200年もの英国の統治時代がありながら、とうとうクラッシック音楽は、開花しませんでした。ズビン・メータという有名な指揮者は輩出しましたが……。
アメリカも、20世紀初頭同じような問題に直面し、アメリカの音楽を作ろうと苦心しました。インディアンの旋律とかリズム、あるいはジャズとの融合など。ハリウッド・サウンドもやはり、クラシック畑のユダヤ系、ドイツ系の作曲家によって創造されました。ただ、日本は、日本人独自でやらねばなりませんでした。そういう中での、伊福部、早坂、両氏の功績は、大きなものだったんです。

特に二人は音楽家の育成にも携わり、優秀な人材を輩出させます。しかし、芥川也寸志が1989年没、黛、97年没、石井2003年没、池野04年、松村07年没と、教え子のほうが先に亡くなるという事態に。
そうなんです。伊福部氏は2006年、今から10年前に91歳で亡くなられました。長寿であられました。

話がよく逸れます。
昭和22年。いよいよ映画音楽家としてデビューします。
黒澤明脚本、谷口千吉監督による『銀嶺の果て』。三船敏郎のデビュー作となります犯罪アクション。三人の銀行強盗が、警察の追尾を受け、北アルプスの雪山に入り、逃亡する。伊福部の音楽は、メインタイトルからして、躍動感があり、力強い緊迫感を観客に与えます。どちらかというと、なんだか虚脱した旋律の多かった日本映画の音楽に、戦後の日本人の息吹というか、新しい何かを予兆させる、そんな音楽です。
またこのとき、伊福部と谷口監督は、音楽のつけ方で対立したという有名なエピソードがあります。
ギャングの一人と、それとは知らない少女がともにスキーをするシーン。監督はスケーターワルツのような映画効果をねらい、伊福部は雪山の大自然としての風景と、その中にいる人間の存在を描写すべく対立法を主張する。互いに一歩もひかない。

対立法、チェレプニンが得意とした手法でしたね。ちゃんと弟子はそれを受け継ぐ。
とにかく、監督に、新人音楽家が喧嘩を売った。こんなことはそれまでの日本映画界にはなかったことだったらしい。
仲裁をしたのが黒澤明。黒沢の一声で、伊福部案が採用されたといいます。
伊福部は、そこを買われたのか、黒沢映画に一本だけ、音楽をつけています。『静かなる決闘』。
しかし、黒沢は盟友早坂文雄とのコンビを望み、『羅生門』『生きる』『七人の侍』を作曲させますが、早坂氏は『七人の侍』の翌年、1955年、結核により41歳でこの世を去ります。

その、『七人の侍』の年でした。
伊福部昭が、『ゴジラ』を担当したのです。






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2016年05月03日

『七人の侍』『ゴジラ』の評価

中山市朗です。

毎日新聞社、スボーツニッポンが主催する毎日映画コンクールというのがあります。
1946年創設といいますから、戦後の翌年から始まり、今年の2月に作品賞「恋人たち」が受賞。
第70回を迎えました。

で、音楽賞という部門がありまして、その年公開された日本映画の、優秀な映画音楽に授けられるわけです。

昭和29年の毎日映画コンクール、映画音楽賞。

この年は、こんな選定となったようです。

音楽賞・選評(村田武雄)

「厳密な点からいえば、本年度は賞に値いする決定的な作品が見当たらないというのが、審査員の相対的意見だったが、焦点を縮めるにしたがって、早坂氏と木下氏の仕事がクローズアップされてきた。
木下氏の『女の園』と『この広い空のどこかに』は、映画音楽然として新しさはないが、監督の意図と一体融合して目立たぬところに、かえって映画音楽本来の道があるとの結論に達した」

ということで、この年受賞作は、木下恵介監督、高峰秀子主演の『女の園』と、小林正樹監督、久我美子主演の『この広い空のどこかで』の作曲を担当した木下忠司氏でした。

て、このときの審査員、正直、無能と言われてもしょうがない。
というのも、この昭和29年は、映画の作品としても、その音楽も、今なお語り継がれ、何度もレコード、CD化される不屈の名作が、奇跡の名作が、2本も登場した年だったんですぞい。
みなさん、権威主義なんて、信用しなはんなや。

まず、1本目は黒澤明監督の『七人の侍』
音楽は早坂文雄氏。もう、音楽的にも傑出した作品です。

もう1本は、本多猪四郎監督の『ゴジラ』。
音楽はご存知、伊福部昭氏。

この2本に対して、このときの毎日映画コンクールの審査員たちは「値しない」やと!

まあ、『七人の侍』も『ゴジラ』も、娯楽作品ですから、権威主義の審査員たちはバカにしていたんでしょうな。
特に『ゴジラ』は、ゲテモノ扱いだったとか。
でも、観客には受けて、2本とも大ヒット。
で、2本とも世界の映画人に大きな影響を与えました。
『七人の侍』は複数ヒーローの原点。『荒野の七人』をはじめとしたイミテーションがずいぶん作られ、『ゴジラ』も二度、ハリウッドで映画化されました。
もちろんその音楽も素晴らしい!

『女の園』(この映画、私、好きではありますが)も『この広い空のどこかで』も、たいていの人は作品も知らず、ましたやその音楽なんて、サントラマニアの私にして、知らない。
『七人の侍』は、私は全曲口ずさめますし、『ゴジラ』の音楽は、日本人なら、まあ、知らない人はいないでしょう。それほどの、映画自体も音楽も、日本映画史上ベストの上ランクに位置づけられる大傑作です。
今のも東宝の砧スタジオの大壁面に、『七人の侍』と『ゴジラ』が描かれていて、訪れるゲストを迎えてくれます。

七人の侍







ゴジラ












ということで(どういうことや)、先日、京都で行われた、「ゴジラ音楽祭」に行ってきました。
いやいや、もう大感動。

詳細なレポートは、次回。

kaidanyawa at 23:47|PermalinkComments(4)

2016年05月02日

歴史を学ぶ意味を考えよう!

中山市朗です。

先日、やや怒りも込めて、聖徳太子は存在していた、ということを書きました。

さてさて、我々は、義務教育、高校、そして大学と、歴史を学びます。

でもね、歴史は何のために学ぶのか。ここが欠けています。
年号を暗記して、テストが終わったらもう忘れる、という歴史の勉強のやり方をいいかげん改めねばなりません。

歴史は、人類の長い経歴、痕跡を学ぶものです。それは人間を知る、ということです。Historyです。
年号の暗記より、その歴史の中にある人間が起こした事象を、時系列として語れることが重要です。そして、それが、今の我々の社会にどう関与しているのか。我々が今、直面している問題は、おそらく過去の人間も同じような状況下で、直面した問題です。歴史とは、繰り返しです。
彼らはそのときどうしたのか?
それがどういう結果をもたらせたのか。
それを学ぶのです。

何年か前、私、民主党の議員さんと飲んだことがありました。
彼はこう言っていました。
「若いころ、志を持って議員になろうと思いました。同僚たちも同じ思いでしょう。で、若いうちにヨーロッパやアメリカに留学したり、研究組織に入って、外国の人たちと一緒に学び、生活するのです。で、外国の人たちは、自分の国はこういう歴史を経て、こういう国としてある、と誇りをもっていうわけです。だからこの国をもっとこうしたい、ああしなければならない、と理想が語れ、問題に直視する。でも日本人は、それを語れない。誇りをもって語れない。で、日本の親元に電話するわけです。『母さん、中学、高校の教科書、まだある? あったらこっちへ送ってくれんかなあ』って、そんなレベル。こんなのが、日本の国益のために働けるわけがない」
少々自虐的に言っておられましたが、旧民主党なんて、ほんと、日本の国益のことなど考えていない感がありましたもんね。民主党政権下の日本の凋落ぶりと、中国、韓国の日本バッシングはすごかったですもんね。歴史的、という要素がクローズアップされたのも、この時だったような気がします。
歴史を知らないから、自国を語れない。わからない。誇りが持てない。自虐的史観にいるから、つい謝罪して、譲ってしまう。国際社会でそれをやってはおしまい。それを日本はやった。だから舐められて、足元をすくわれたんです。

日本史を学ぶにおいては、日本という国は、どういう国であるのかを学ばねばなりません。その地政学も含めて。
日本の歴史は、聖徳太子から始まります。
倭国、という都市国家的なバラバラだったものが、国家という意識をもってまとまり、国際的な自立をやろうとしたのが、聖徳太子です。そのために、天皇と称する天子を作ったのも、聖徳太子です。だから、生前、もしくは死後すぐに、彼は聖徳とされ、聖王であったのです。

石平さんという、中国四川省生まれで、今は日本国籍である、日中問題の評論家がいます。
彼が、あるサイトで、加藤英明さんとの対談をしているのがありました。
彼の言っていることが、私の言いたいことを表しています。紹介します。

「日本の対中国史は、聖徳太子からはじめるべきです。『日出づる処の天子、書を日没する処の天子に致す。つつがなきや」。唯一、この日本の国書が、あのころの隋王朝中心の国際秩序を完全にひっくり返した。歴史の快挙です。〈省略〉
日本の国書は、お前は皇帝だけど、こっちも天子で対等だと。しかもこっちは、日の出づる処で、もっと偉いぞ、と。私は、日本の歴史はあの国書一つで完全に変わった。朝鮮になることなく、日本になりえたという、瞬間だと思います。日本は独立国家を樹立したわけです。凄いことです。
しかもあのころの隋は、中国を統一して、だれもが恐れる大国だった。それでも聖徳太子が、あのような国書を遣わしたのだからすごい。日本史上で、あれほど痛快な瞬間は無いんです。
だから左翼の先生は、聖徳太子の存在まで否定するのでしょ。聖徳太子の存在はすごいですよ。それによって日本と中国の関係基本が定められたんですからね」

もともと中国の人で、その中国を見限って日本人となった石平さんの言葉。
でも、日本生まれの日本人学者がなぜ、このことを指摘せずに、文献ばっかり見て、弁当箱の隅っこをほじくるような歴史学をやっているのか、まあ、研究しているだけだったらいいけど、そんなことを教科書に載せる。ちょっと腹ただしい思いがあります。

日本は以来、一度も中国の属国になることはなく、日本独自の道を歩んだんです。もちろん、中国の文化、輸入品や技術には大いに頼りました。今の日本の仏教などは、宋の影響にあります。宋仏教といっていい。
でも、日本の文化に取り込み、日本は日本であり続けたんです。
その独立存亡に危機をもった徳川幕府は、さっさと鎖国をし、世界の大航海時代に、日本だけが安泰であり、鎖国を解いたら、全東アジアは西欧列強の占領下にありました。わすかに、タイだけが独立国家でありえて、当時の中国、清帝国は独立国家ではありましたが、ボロボロでした。朝鮮は国が破たんしていましたし。
日本は、ここで独立を守るべく、近代化し、富国強兵したのです。
聖徳太子以来の、独立の精神が、日本人に引き継がれていたのです。
日清、日露の戦争も、日中戦争も、先の大戦も、独立国日本を死守するための戦いだったのです。そしてそれは、共産主義の防波堤ともなった。そうやって、日本という国体を、日本人が血を流して守ったのです。
大戦後、朝鮮戦争が起こりますが、マッカーサーは朝鮮戦争に直面して、はじめて「日本がなせああまでして戦ったのか」の意味を理解したといいます。


でも、そんな歴史が、聖徳太子の時代から、連綿と続いている。1600年、ですよ。

こんな国は、世界のどこにも存在しない!

そのことを、未来の日本を引き継ぐ若い人たちに知ってもらい、自覚する必要がある。
日本は、誇りをもっていい国なんだと思うことができれば、もっと自信をもった凛とした生き方と、世界への貢献を意識するようになります。平和について考え、理想的な秩序を作り出すことができるはずなんです。
自虐的史観を植え付けられたのでは、どうしても内向き志向になる。今の日本ですよ。

その意識覚醒のために、日本の歴史、世界の歴史を学ぶのが、本来あるべき歴史教育でしょう。
もちろん、日本も誤った選択をした歴史的事実もある。そこもちゃんと学んで、二の轍を踏まないことも学ぶ。

そのために、まずは、聖徳太子から学ぶ。
いなかったはずはない。いなかったら、石平さんのいうように、朝鮮のような国になっていて、おそらく天皇は無く、20世紀の東アジア全体は、中国の属国となり、日本も共産国になっていた可能性だってある。大勢の日本人の文化人や罪のない人たちが、中国政府かソ連政府によって、粛清された、ということもあったかもしれない。
石平さんの知り合いだったおばさんは、ある日、反乱分子として捕まり射殺されたそうです。毛沢東の写真が印刷された新聞で、大根を包んだ、というのが、射殺された原因だったのです、とまあWIKに載っていた情報ですけど。でもそんなレベルの話は、たくさんあります。むちゃくちゃです、共産党の粛清というのは。

日本が、必死で戦っていなかったら、そのような自覚がなかったなら、今のような言論の自由も、自由な生活も、なかったかもしれない。また、江戸時代のあのような時期もなかったでしょうね。日本の、アジアの歴史はずいぶんと混とんとしていたはずです。
西欧と東洋のバランスも、今とはまったく違うことになっていたでしょうし。

日本という国が、白人による列強国から、唯一独立を保っていたからこそ、世界のバランスが保てたのです。
覚醒したわけです。

そういう、日本という国体は誰が作ったのか。
それは我々の祖先です。おじいさん、おばあさん、そのまたおじいさん、おばあさん……。
でも、その価値観は、聖徳太子からはじまったのです。

今一度、日本人は、聖徳太子について、学ぶべきです。
聖徳太子の理想は、今の日本人に引き継がれた理想です。

和を以て尊しとなす。

いい言葉ではないですか。









kaidanyawa at 12:22|PermalinkComments(6)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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