2016年10月

2016年10月31日

ハロウィンの秘密結社

中山市朗です。

昨日は秘密結社イルミナキューの結成会でした。というてもただ、昼間っからバーベキュー食べて酒飲もうという不埒な集まりだったんですけど。

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ところで駅や電車の中で、ジャック・スパローやキューティ・ハニー、ダースベイダーなどと遭遇したのですが、ハロウィンやったんですな。
バーベキュー会場でも、ゴレンジャーとショッカーが戦っていました。こうやって、地球の平和が守られ……、ゴレンジャー弱!

イルミナキューの幹事はウェブデザイナーのOさん。
30人は集まってましたかな。特上肉とプロのコック。いやあ、これはいい。
参加者の中には、怪談のお客さん、『ムー』のお客さんも何人か参加されていまして、ビールを飲み、肉を食べながら、オカルト談義。
牧師さんが来られていまして、この牧師さんが、また怪しい情報について詳しい詳しい。特に日ユ同祖説については独自の見解をもってらして、話を聞くと面白い。
キリスト教はいつ日本に伝来したのか、ということについて教科書に書いてある以前の痕跡を発見するにつれ、そういう問題に興味がわいたらしいです。牧師さんの言う話ですから、そこになんか説得力があります。
で、話し込んでいたら、どんどん肉が無くなっていく。
あかん、みな、話より肉に夢中や!

でも、一昨日は『気まま酒家』の収録で早朝まで飲んでいたので、さすがに途中、眠たくなりました。
河川敷で寝るのも気持ちええわ。

で、牧師さん、私のお客さんたち10人ほどで二次会に突入。
解散が22時過ぎ。

11時間、ずっと飲んで食ってました。
さすがに飲み疲れ。

また、冬に新たなる結社を結成することを誓い合って、帰り路に向かいました……。

で、もう寝る。



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2016年10月30日

これを話そう、Dark Night 

中山市朗です。

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「Dark Night」東京公演まで、あと2週間とあいなりました。

どんな話を披露しようかと、そろそろ準備にかかります。
新宿、原宿と2公演ありますが、基本的には別内容とし、話はなるだけかぶらないようにいたします。ですから2日連続で通っても、大丈夫。合わせて7時間の怪談が聞けます!

12日は新宿バティオスでのオールナイト。
あの声を発した市松人形について語って、というリクエストが何本かオフィス宛に寄せられております。そういえば、東京の皆様の前で語っていないな、と。ですからその人形との出会いから、この夏にあった不可思議なエピソードまでの全貌を語ります。もちろん当時の映像付き。昨年5月15日にフジテレビ系列で放送された「ザワつく!?ウィークエンドTV・ニュースな晩餐会・テレビ初公開!魂が宿った!声を上げる人形」でのエピソードも。


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その他『怪談狩り』には未収録、今後収録予定の驚愕怪談を、いち早く、体力の続くがかぎり、語ります。

13日はラスタ原宿。

人間死ぬとどうなるのか。そんなん灰になって終い、なんでしょうけど。
しかし一方、幽霊の目撃談というものは、後を絶ちません。そういう幽霊に特化した怪談を語りながら、幽霊というものについてちょっと考えてみたいと思います。私は見たい、見えないものですから。とはいえですね、私が二十年ほど前に体験しながら『新耳袋』にも『怪談狩り』にも収録していない、動画配信もしていない、とてつもない幽霊体験があるんです。十数年前にうめだ花月で話して以来、この話を解禁いたしましょう。ちょっと怖いですよ、この話。




11月12日(土) 24:30〜オールナイトの怪談語り尽くし。
「Dark Night in 新宿」
新宿バティォス
出演・中山市朗 MC・真名子

11月13日(日) 19:00〜21:00 こちらも怪談語り!
「Dark Night in 原宿」
ラスタ原宿
主演・中山市朗、真名子

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11月19日(土) 24:00〜オールナイト
「Dark Night 20」
大阪・道頓堀ZAZA
出演・中山市朗、ありがとうぁみ MC・真名子

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Dark Night 3公演に関しての、詳細、予約は

http://sakugeki.com/



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2016年10月29日

囲炉裏を囲んで飲もうじゃないか。

中山市朗です。

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本日29日、22:00より、私の書斎で、囲炉裏を囲んでの飲み会、もとい、ネットラジオ「気まま酒家」の生放送、そして次回分の録音があります。

本来、11月の第二土曜あたりが収録なのですが、11月の土曜日は怪談イベントが立て続けに入っておりますので、本日ということになりました。


まあ、お酒を飲みながら、映画だ、芸術だ、戦争だ、裏歴史だ、宗教だ、政治だ、経済だ、はてはオカルトだと、普段、一般社会では話せないようなことを、この際遠慮なしに語って、ネットで垂れ流ししようという、非常に無責任極まりない企画でありますが、スポンサーもないこういう世界だからこそ、話せたり暴露できる話もあるものです。
そこを、大人として楽しんでいただければ。

もちろんネットラジオを聴くのもいいのですが、現場でともに語ったり、意見交換したり、あるいは黙ってお酒を楽しむのもよし、です。
楽しく飲めば、それはリスナーの皆さんに伝わると思います。

ということで、本日もテーマは未定。
こういう話題を取り上げてくれ、ということも含めまして、参加者募集しております。
何度か参加された方は、そのまま21:00頃までに、直接こちらに来られるのもよし、初めて、あるいは道がわからないという方は、前もって「気まま酒家」のDMか、オフィスイチロウまでメールくださいませ。

一応、テーマは原則、怪談以外、としております。
怪談は、私の商売ですし、著作関係の縛りもございますので。



酒、肴は持ち寄りの寄合酒となります。

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明日が秘密結社イルミナキューの会合ですので、終わったら速やかに撤収のこと!

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2016年10月28日

夢と現実の間で

中山市朗です。

今日は金曜日となりますので、19:00より、作劇塾がございます。

数年前まではねえ、社会経験のない若い子中心の塾生がメインで、ですから、作品作りは仕事である、と言っても仕事のイメージが、アルバイトしかなかったものですから、なかなか営業だとか、売るためとか、人脈という意味を理解してもらえず、ずいぶんと悩み、ブログでもついついそのうっぷんを晴らしていた時もありましたが、最近は、いいムードになっています。
塾生は今、来たり来なかったりも入れて、7、8人というところですが、ほとんどが社会人で、営業だの管理だの販売だのを心得ていて、作品作りはサービス業である、ということをもう言わなくても理解しています。そこが理解できるできないで、私の負担はすごい軽減されまして、以前はややもすれば苦痛であった塾も、今は金曜日が来るのが楽しみ、というわけです。
正直、私は就職というものをしたことがないので、社会人である塾生から学べるものはいっぱいあるし、そこにまた、作品作りのヒントがあったりするわけです。

来たり来なかったり、というのは、一人福知山に飛ばされたのがおりますし、どうやら霊的にヤバい(?)部屋に住んでいるのもいて、体調をよく崩すも医者には「異常なし」といわれ、表に出ると元気になるけど部屋にいると?
やっぱり家賃が安いそうですけど。
もう一人、デパートのある売り場で主任をやっているらしいんですけど、むちゃくちゃ激務だそうで「辞めたい」としきりに言っております。まあそんなんで、本人は塾に通いたいようですが、いろいろ事情があって、そっちが優先となるわけです。
まあ、お給料もらってますからな、そっちを優先してもらわな困るわけですけども。

ただ、そうなると塾生たちも悩みだすわけです。
仕事は大事。それが本業だし、それで生活しているわけですし。
しかし、プロの作家を目指すなら、これではいかんのではないだろうか、と、やっぱり思って来るんですね。
と、どんな世界でもそうですが、プロになるというのは、やっぱり才能とセンスがいるわけです。
才能は開花させなきゃならないし、センスは磨かなければならない。それには途方もない努力が伴うわけでして。

で、塾は開花させるための養分と水を、磨くための鑢とペーパーを置いておりますが、塾ができるのはここまてで、あとは本人がやるかやらないか。
けっこう塾生たちは、創作の苦しみを味わいながらも、そのための努力を楽しんでいるので、それは才能がある、ということなのかな、と。作品もね、ユニークなのが出てきていますし。でも、デビューを目指すのではなく、その先にあるプロとして生きることを目指してほしい、というのが、当初からの塾の理念。


塾生たちが運営している作劇ネトラジで、「夢と現実の間で生きる」というのがテーマに取り上げられ、塾生たちの率直な意見が聞けます。まあ、私はずいぶん塾生たちと話した内容ですし、「先生の夢は?」と聞かれてずいぶんスカしておりますけど。


作劇ネトラジ!


私の夢は、ブログにずっと書いてきましたように、やっぱり後継者作りですね。
私くらいの年齢になりますと、自分のことよりそっちが気になる。
それとね、日本の歴史。古代史も近代史も、なにかが見えてきた、という状態でして。
資料を読み漁っております。空海が、私の前に立ちはだかっております。

そんな作劇塾ですが、塾生を募集しております。

http://officeichirou.com/?page_id=87

年齢制限はございません。


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2016年10月27日

三笠宮と日猶同祖説

中山市朗です。


皇室の三笠宮殿下が亡くなられたというニュースが入ってきましたねえ。
100歳だったそうです。
三笠宮というと、皇室で唯一オリエント史を学ばれていたことで知られ、またたびたび、先の大戦の皇室への批判ともとれる発言をして「赤い宮様」と言われていた親王殿下であられました。

さて、天皇家とオリエントというと、日ユ同祖説について、どういう立場をとられていたんだろうと、そこがずっと気になっていたわけです。
私は、ユダヤ人が日本列島にやってきて、住み着いた、つまり日本人とユダヤ人は血でつながっているとする、日ユ同祖という言葉は誤解を招くのであまり使いたくない。
これを言うと、現在の日本人とユダヤ人でDNA鑑定すればわかる、となります。そうではない。そんなん、いろんなとこから渡来してますわな。

問題は、天皇家でありまして、この太陽神を信仰する渡来系の人たち、つまり海部ですな、が、どこから来た人たちだったのか、ということ。私の関心は、ですよ。

三笠宮は、日本オリエント学会設立の提唱者であり、1954年頃に設立させ初代会長となり、1957年に二代目会長として江上波夫氏に託したわけです。この江上波夫は、ご存じ「騎馬民族日本征服説」を唱え、一時爆発的に支持をうけたわけですが、これは万世一系とする天皇家にとっては、都合の悪い説なんですね。
しかも江上氏は毎年正月に皇居にて行われる「講書始の儀」で、昭和天皇の前でその説を述べられたらしい。
さて、この江上氏の師匠というのが、明治4年生まれの佐伯好郎という人。
そう、この人が『太秦を論ず』という学術論文で、京都の太秦は秦氏の本拠地であったが、ここに景教、古代においてキリスト教の一派が秦氏を通じて来ている、秦氏はユダヤの末裔ではないかという、今も一部で提唱される日ユ同祖説の根源となるものを発言した人なんですね。
ただ、佐伯好郎説は、学会は黙殺。で、ユダヤ云々を論じなかった「騎馬民族説」は、異論を含め話題になりました。今は否定されていますけど。
なんだかそのあたりに、タブーというものが存在したのでしょうか?

写真は、木島神社の由緒書き。ここには佐伯説が表記してあります。

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で、問題の三柱鳥居。私の見立てでは、景教の痕跡ではないです。キッパリ。


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宮司さんに話を伺うと「さっぱりわかりません」とのことでした。

一方、日本の古代には景教は来ていたとする、ケン・ジョセフSr、Jrの著書『隠された十字架の国・日本』では、江上氏にこの説について確認をしてみたところ、

 「ケンの考えは、私の考えとは若干の違いがありますけれど、否定はできません。また、もう一つケンに伝えてください。二世紀に日本に入ってきた基督教は景教じゃなくて、原始基督教が直接入って来たものです」

とコメントされたと著書の中に記されています。
三笠宮と江上氏の間では、そんな論議がなされていたと思われます。

また、伊勢神宮にあります八咫鏡にはヘブライ語が書かれているという噂。これを見たというのは初代文部大臣、森有礼だと言われていますが、これについても昭和27年日猶懇話会が発足し、そこでその話が出たようで、、出席していた三笠宮は、「その真相を調査してみよう」とコメントされたとか。

しかしその後、これに対するご返答が無いということは、おそらく親王にして、そこは禁足地であり、聖域だったんでしょうね。
三笠宮が亡くなられたことによって、親王がひっそり書かれていた調査書とか、日記のようなものが公開されることは……、これも隠されるでしょうね。


kaidanyawa at 13:39|PermalinkComments(2)

2016年10月25日

秘密結社と怪談イベント

中山市朗です。

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今週の土曜日、29日の22:00頃より、インターネットラジオ「気まま酒家」の生放送&収録がございます。

テーマは未定ですが、まあ、酒を飲みながらうだうだと芸術だ、歴史だ、宗教だ、などいろいろと普段話せないことを語り合おう、という趣向となっております。

参加者を募集しています。共に酒を飲み、しゃべりたければしゃべる、聞き手に徹するもよし、言いたいことがあるなら主張するもよし。

参加希望者は「気まま酒家」のDMか、オフィスイチロウまでご一報ください。

酒、肴は持ち寄りの寄合酒となります。

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で、いつもは収録後も皆さん居残って、そのまま話し込むわけですが、この日だけは、収録後はすぐに撤収、すみやかに帰ること。と、申しますのは、翌30日の11:00より、秘密結社イルミナキューの会合がありますので、ちょっと寝とかんとね。
イルミナキューはバーベキューを楽しむための結社です。
結社内で行われる予定の儀式の模様を、ここだけで。

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ジユワー。
「ビール、ビール」


宣伝ツィッター文

10月30日 淀川河川公園西中島地区にて「秋の秘密結社イルミナキュー」という、プロの料理人を招いての飲み放題付BBQ Partyを開催いたします。どなたでも参加出来ますので、気軽にご参加ください。




でもって、11月の怪談語りイベント「Dark Night」も、予約受付中。
12日新宿、13日原宿、19日道頓堀の3公演。私が怪談を語りまくります。
原宿の予約状況が、ちょっと苦戦しているようです。来たってや。12日、13日は別内容の予定ですし。
予約はこちら




ほな、よろしゅうに。


kaidanyawa at 00:20|PermalinkComments(3)

2016年10月24日

モータープール、儲かりまっか?

中山市朗です。


昨日のブログに登場した浪速千栄子さんです。明治40年河内生まれの女優さん。
8歳で道頓堀の仕出し屋に奉公。その後京都で女給として働き、18歳で村山栄子一座に入り、女優の道へ。
松竹新喜劇の看板女優として活躍したこともあります。
印象に残ったのはやっぱり映画の中の関西弁。
溝口健二監督『祇園囃子』『祇園の姉妹』、吉村公三郎監督『大阪物語』、小津安二郎『彼岸花』『小早川家の秋』、豊田四郎監督『夫婦善哉』などなど。まあ、お聞きやしてもらいたいどす。
で、オロナイン軟膏の宣伝に出てはりました。
「浪花千栄子でございます」というテレビCM、なんか覚えてますわ。

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オロナイン軟膏のCMに出たのは、浪花千栄子さんの本名が南口キクノ(なんこうきくの)だったからという、嘘みたいな本当の話があります。
あのミスター・タイガース、村山実の引退試合に花束を贈呈したのが浪花千栄子。
「村山はん、あんさん、ほんま、ようおきばりやしたなあ。おおきに、ありがとさんでございます」と言う労いの言葉が、もう、使われていない大阪弁ですわな。

大阪弁は、かの漫才ブームで全国区になったとされますが、あのテンポの早い畳み掛けるような言葉の掛け合いはどちらかというと、河内や泉州の言葉。船場の言葉は、浪花千栄子がしゃべるように、ゆっくりはんなり、そして丁寧。あんまり漫才には向きませんわ。

ところで、大阪人が全国で通用すると思っている言葉をいくつか。

モータープール。
押しピン。
(機械が)つぶれた。
ミンチ(肉)。
大学〇回生。
カッターシャツ。
素うどん。
お造り。
あれ、なおしといて。
みずや。
蚊に噛まれる。
ナイロン袋。
かしわ(肉)。
今日はぬくいな〜。
豚まん。
 
関東の人、わかりまっしゃろか?
ちなみに、「儲かりまっか?」「ぼちぼちでんな」という挨拶をしている大阪人はいません。
あれは、『がめつい奴』『道頓堀』『暖簾』など、大阪ものを書いた菊田一夫が、小説の中で使ったものであります。
でも、大阪の人に「儲かりまっか?」聞いたら、おそらくほとんどの人は「さっぱりわやですわ」と答えるでしょう?


kaidanyawa at 05:27|PermalinkComments(7)

2016年10月23日

失われた言葉を求めて

中山市朗です。


塾生と話していると、関西弁、大阪弁の話になって、どうも関西人が聞いても大阪弁はあまり美しくはない、というので、「大阪弁と言うてもいろいろある。一般に河内弁といわれるものが大阪弁と勘違いされてるようやけど、河内弁は大阪弁ではないんやで。昔は河内の国と摂津の国と、別々の国やったし」と。
やや詭弁?
でも、関西弁は京阪神一帯の言葉をさすわけですが、大阪弁となると大雑把に河内弁と浪速弁に分かれるんです。
「なんじゃわれ、どたまかちわったろか」と、漢字が入る余地がないのが河内弁?
「なんやお前、その頭、いっぺんいてまうぞ」と、ちょっと漢字が入るのが浪花弁?

で、船場言葉というのは、ちょっと浪花弁とも違う。船場一帯の大店の人たちが使っていた言葉なんです。
「船場言葉は綺麗な言葉やってんで」と私いうたんですが、やってんで、と過去形。
私、大阪の南船場に住んでおりますが、船場言葉って聞いたことがない。
塾生たちも「船場言葉ってどんなんですのん?」と全然知らなかったようでして。

亡き米朝、文枝師匠の船場を舞台にした噺で聞くくらいで、もう死語なんですかねえ。

「おいでやす」
「ああ、久しぶりによせてもろた」
「まぁま、こっちお上がりやして」
「上がらせてもらうわ」
「ささ、おざぶ、あてやして」
「ああ、すまんな」
「ところでどないどす? だんさんの具合は? えらいこってしたなあ」
「いやいや、心配することはあらへん」
「ほんま、気ぃつけな。もううちら、あんなことはかんにんですわ」

難しいな、船場言葉。
ああ映画でよく、、浪速千栄子さんが使ってましたな。船場言葉。
え?  浪速千栄子、知らん?
谷崎潤一郎の『細雪』にも出てきます、船場言葉。
あれは芦屋言葉ちがうかって?

実は芦屋というのは、阪急電鉄が開発した場所で、船場の大家があそこに別荘を作ったり、分家が住んだりしたわけなんです。ですから、ちょっとお上品というか、金持ちの住む街というイメージがあるわけです。
『細雪』の主なる舞台となる芦屋の四姉妹も船場の蒔岡家の分家という設定でしたわな。
市川崑が監督した映画の『細雪』は、どうも女優さんたちの発音に違和感もったものですけど。

船場言葉というものがなぜあったのかというと、一つは、幕府が大坂に商人たちを集めたとき、近江商人たちがその最初であったということなんですが、京都の伏見あたりから来た商人も多かっようで、かつ、京都から嫁さんをもらって家柄を上げようとしたこともあったんでしょう。そして、大坂城の周辺に住むお武家さんと取引したのが、船場の商人やったわけで、それで京都の言葉が下地となって、船場独特の言葉を生んだと思われます。

なんでこんなこと書いているのかというと、前回の飲み会で、船場言葉の美しさを塾生たちに伝えきれなかった悔しさがあったから。まあ、塾生たちもそない船場言葉に興味持ったわけでもなかったですけど。

私が大阪へ来た頃、道頓堀に天牛書店という古本屋がありましたんや。
そこの大旦那か番頭はんが、ほんま綺麗な船場言葉使ってはったんです。わあ、ホンモノの船場言葉や、と田舎から来た落語青年は、いたくいたく、感動したんですわ。その古書店もいつの間にか無くなって、以来、街中で船場言葉を聞くことも無くなりました。
ちなみに谷崎の『春琴抄』も船場の道修町が舞台でした。戦後間もなくの大阪を見て、なんだか滅びゆく船場言葉を予感させ、文学の中に残したんじゃないかと思います。

それとも、私が知らないだけで、今も船場のどこかで使てはる人、おられるんでっしゃろか?






kaidanyawa at 22:21|PermalinkComments(6)

2016年10月21日

日本人形協会vsUSJ、淡島神社連合!??

中山市朗です。


私のブログに、日本人形協会がUSJと淡島神社に「人形を恐怖の対象としてお化け屋敷に展示しないように」と抗議文を送ったことに対してどう思うか? というコメントがいくつか寄せられました。

私もこの夏「人形塚の家」という人形をテーマとしたお化け屋敷を企画、運営いたしましたので、この問題、考えてみましょう。


日本人形協会は昭和30年に創立した「日本人形協会」を発展解消し、1973年に「社団法人日本ひな人形協会」として発足したのが発会、とそのHPに記されています。
趣旨としては「伝統工芸産業の振興と国民生活に寄与する事を目的に全国の製造業、卸売業、小売業を中心に約400社が加盟する団体」とあります。
淡島神社とUSJに対する抗議文もHPから全文が読めます。

まあ、簡単に言うと、人形をこういう扱いにすると、負のイメージを持たれかねず、営業妨害、風評上よろしくない、ということが一点。
そして、淡島神社は人形の元持ち主たちに許可を得ているのか? ということのようですね。

日本人形協会は、実はこのような抗議文を送るのは今回初めてではなく、「呪いの人形」などを扱うテレビ番組などにもたびたび抗議していたが、無視されていたようです。ところが今回は、このことが大きくニュースなどでも取り上げられることになった。
原因は、USJと淡島神社の抗議文に対するコメントにあったようです。

USJは「法的な根拠に基づいたものではなく、アトラクションは予定通りに続ける。ただ、貴重な意見として参考にしたい」
淡島神社は「人形は見てもらい、遊んでもらうために生きており、多くの人に遊んでもらうことは人形たちにとってよいくようになるのです」

これが、開き直りのように感じられたんでしょうね。
まずUSJは外資系であるということが、こういう認識を持ったということでしょう。法的に問題があるのなら弁護士をそろえて本気で対処するのでしょうが、呪い、恐怖の対象としての扱いがダメといわれても、それは信仰上の問題だろうと。おそらく米国のスタッフもそこをリサーチして、日本人が人形に対するイメージを知ったのでしょうし、また、人形が恐ろしいという感情は、世界にあるもの。ただし、それを信じる人もいるだろうし、信じない人もいるだろうし。そのことは規制されるものではない、と、そういうことなんでしょう。

ただ、USJのUSはユニバーサル・スタジオ。つまりハリウッドの映画会社のことですから、映画のアトラクションが売りの遊園地でしょ? ちょっと今回のは趣旨が違うのかなあ、と。これはUSJのやるイベントではないとは私の感想。
私も「人形塚の家」の企画、運営をやっておりまして、そのときにこの話を聞いて「わちゃあ、そっちに走ったか」と。人形800体借りるなんて、もう、うちとはスケールが違う。それだけにね、USJとしてももうちょっと企画を検討するだけの頭脳と実行力と資本があるはずなんですね。
「人形塚の家」なんて、私と真名子の二人ですよ、考えたの。ここにUSJのブレーンがいたら、すごい企画になっていた、はずなんですけど。淡島神社の人形というのはね、ちょっと捻りがない、というか、ほんとに考えたのかなあと、疑問に思ってしまいます。


もう一つの問題は貸し出した淡島神社にあるんでしょうが、「人形は遊んでもらうために生きている」というのは、前田宮司さんの考え方なんですね。「その考えは間違っている」というのも実はあたらない。
ガリガリガリクソンくんが前田宮司と親しいらしいんですが、神社の人形が奉納してある部屋で一晩過ごしたこともあるらしく、これも前田宮司の「遊んでもらうのが供養」という考えからきているもののようで、宮司さんはそういうスンタスのようなんですね。また、市松人形というもの自体、女の子が遊ぶ玩具でもありましたから。

日本では古来、人形は呪いや魂の依り代となる対象であり、聖徳太子は四天王寺建立の際、白膠木の木で彫った四天王に呪(まじな)うことから発願し、物部を倒した、とあり、中臣勝海は押坂彦人大兄皇子と竹田皇子の像を作って呪ったとも『日本書紀』にあり、また平城京跡からは呪いの依り代としたと思われる木彫りのヒトガタがいっぱい出てきています。丑の刻参りも藁人形が必須アイテム。これらは歴史、風土、信仰としてあるのは間違いなく、また、人形には魂が宿ると信じられて、子供が生まれたとき、贈ったり買ったりする風習が残る地域もありますし、人形師にも「人形には魂は宿る」と言う人もいますし、「魂が宿るように精魂こめて作る」という人もいます。
だから人形は大事に扱うんだよ、ということも言える。
そして現に、日本人形協会のHPにも、人形は昔から生命のあるものとして扱われている、として、人形供養の代行もしています。供養とは死者の冥福を祈ることですから、日本人はそこに呪いや祟りがあると思っている。信仰上の問題です。

また、神社に奉納された人形と町で売っている人形も、ほとんどの人はイコールというイメージは持たないと思います。長い間、持ち主に愛でられ、大切にされたからこそ魂が宿り、寂しさでいたずらをしたり、不思議な現象を起こす、と、これはある意味ロマンでもある。

ですから、あまり目くじら立てて、「けしからん」というのも違うと思うんです。

いちばん問われることは、淡島神社が、人形を奉納した人たちに許可を得たのか、ということ。
神社に預けることで鎮魂なり供養されていると思っている自分の人形が、お化け屋敷で見世物になっている、とわかると、これは気分のいいものではない。怒る人だっているでしょう。もしそこで賃貸料が発生していたなら、私が奉納したもので金儲けするのか、という話にもなるし、供養してないじゃないか、という話にもなる。そして、水子供養としての人形もあるでしょう。水子となった自分の子が、見世物?
そうなりますわな。デリケートな問題です。
それが、あらかじめ予測できなかったのか、というのが問題。
映画のテーマパークなんだから、映画とタイアップしましょうよ、USJさん、と私は言いたい。

ま、どうするかは、USJと淡島神社に任せるしかないですね。私がとやかくいうことでもない。

ちなみに「人形塚の家」に飾った人形は、ちゃんと持ち主に許可をもらい、あとは寄付とか買ってきたものでしたからね。で、こっちには抗議文は来ていません。ご心配なく。









kaidanyawa at 21:41|PermalinkComments(9)

怪談語りの世界4

中山市朗です。


怪談のカテゴリーの三つめ。


 一人芝居怪談。


これはねえ、行くところまで行った怪談語り。

完璧に仕上げられた怪談です。
三遊亭圓朝の一連の怪談噺「真景累ケ淵」とか「牡丹灯篭」などもそうでしょうし、白石佳代子さんの「百物語」がそうですね。
白石さんのは、朗読芝居怪談。
あれはもう鬼気迫るものがあります。ちょっと私からは別次元のもの。

稲川淳二さんの怪談も、ここ数年を見ているとこのカテゴリーに入ってきています。
これ、おそらくビデオ収録する場合、カメラとの入念な打ち合わせをして、寸分狂わぬ怪談をやらなきゃならない必要性から、セリフが決められた芝居型怪談をするようになったと、私の勝手な推測ですが。
稲川さんも、演劇をやったり演出をやっていた経験も生かせられたんでしょうね。
この怪談は極めて高いレベルのものが求められるんです。
というのは、怪談は、これも稲川さんも言っていることですが「饒舌」になると怖くないんです。
「うまいなあ」とか「いいねえこの語り口調」と思わせてしまうと、もう恐怖に行かない。
ヘタと言っちゃあなんですが、完成されない語りの方が、怪談にはいいんです。

やっぱり、身近にありそうな怪異、明日、あなたのところへも来るかもよ、みたいな語りがベストなんです。そうすると、,涼にでも語れる怪談、をもとにした、プロの怪談語りが求められるわけです。

もう二十何年も前になっちゃいますがKTVの『恐怖の百物語』では、私はそれを意識していたんです。レギュラー出演している稲川さん以外は、視聴者がテレビに出て怪談を語るというコンセプトの番組だったんです。
でも、素人がいきなりテレビで怪談を語れるものじゃない。劇団や芸能事務所にオーディションかけたりして語り手を募ったのが現状。そして寄せられた体験談を語ってもらう。あれもね、いったん私ともう一人の構成者が、体験談をもとに台本に起こして読んでもらい、ストーリーをきっちり頭の中に入れてもらったうえで「自分の言葉に直して語ってください」とお願いして、あれ、何度もテストしていたんです。
面白いんです。東京の役者はそのままうまく読もうとするが、大阪の役者は、自分の言葉に直して、アドリブを入れるんです。で、スタジオの雰囲気も手伝って、リアルな怪談が語られた。
うまくやると、なんだか作った話、みたいに聞こえて、うまくいかんのです。難しいんです、怪談は。

さて、
,しゃべり、レポート型怪談
語り怪談
0貎夕乃鏖談

とカテゴリーに分けましたが、三つあっての怪談です。どれがいい、悪いはない。ひょっとして四つ目の怪談が今後出るかもしれませんが、そこが怪談の魅力であり、懐の深いところなんです。

ところで稲川淳二という人は、´↓という段階を経ているんですよ。
稲川さんはもともと、今でいう出川さんみたいなイジラレキャラでバラエティに出ていた人なんです。怪談で売れたわけではない。その稲川さんが1980年の半ば頃から「生き人形」をはじめとする怪談を語りだしたんですね。それが注目されて、稲川さんが体験談を語り始めたわけです。芸人の語る、しゃべり怪談。
「恐怖の百物語」で半年ほど一緒に仕事をさせていただきましたが、ほとんどが体験談。

怪談を語る人は「霊感のある人」というイメージは、ここからついたんでしょう。
しかし、全部を体験談として話すのは限界がある。いくらなんでもそんなに体験しないだろうという疑惑と、稲川さんとは違う職種や立場にいる人ならではの話も集まって来た。そこで、「うちのブレーンがねえ、こんな体験したんですよ」というレポート型怪談に変化していった。もともと『ウィークエンダー』のレポーターもしていましたから。
で、いつしかは「Aさんという女性の方がね」とか「Nさんという人がいましてね」と、△硫談になって、今はの怪談をやっている。ただ、の怪談は、体験談としてのリアリティは損なわれたかなと。でも、あの芸を聞きたいという人も大勢いるんですね。

白石佳代子さんの場合は「古典怪談」「怪談朗読」ですから、体験談としてのリアル感は求められない。書かれた怪談の世界の中の恐怖をいかに提示するのか。

とにかく私は△硫談を極めつつ、,硫談もやっていく。
「山の牧場」や「幽霊マンション」なんかは私がその場にいた話ですから、△里茲Δ砲聾譴譴泙擦鵝,砲覆蕕兇襪鬚┐覆ぁ
とはいえ、聞き手にはあんまりそういうことは気にしてもらわなくていいんです。
語りを通じて、怪異の世界に浸かってもらえれば。

それでは「Dark Night」で。

ダークナイト公式HP



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2016年10月20日

怪談語りの世界3

中山市朗です。


さて、私が思う、怪談語りの三つのカテゴリー。


二つ目は、語り怪談。


芸人たちが語る怪談の大半は、自分の体験談をしゃべる、しゃべり型とレポート型である、と前回提示しましたが、二つ目の、語り怪談は、取材してきた怪談を披露する怪談です。


体験談ではないので、これをやるには緻密な取材と創造力が必要となります。となれば、作家の出番です。

今、怪談を取材し著書としている作家さん、どれほどいるんですかねえ。ほんと昔は私と木原、『超怖』の著者くらいだったんですけど。

作家は書くのが商売で、人前で話すのは苦手、という人も多いのですが、それでも人前で話すと、それはすごく面白いんです。作家の話というのは。作家はエピソードを積み重ねて一つのストーリーを作ることを日常的にやっていますから、読ませるために、より面白くするためのストーリーの運びや構成はお手の物ですから、それが反映されるから面白いんでしょうね。
「話の上手い人は、それをそのまま原稿に書いてくださいと言っています。それを修正するのが我々の仕事です。ですから作家はやっぱり話上手な人が多い」とは、ある出版社の編集長の言葉。
作家はたまに講演をします。あるテーマに基づいて、その作家の視点で語る。このテーマが「怪談」であれば、そこで怪談が成り立つんです。
こういう場所で、こういう人からこんな話を聞いた。その話というのは……。そこで終われば怪談。でも講演となるとテーマがありますので、その話のカテゴリー分けとか、それが何を意味するのか、みたいな話になります。
また、作家というのは、あちこち取材して回るのも仕事ですから、そういう話がぽんぽん出るわけですし、そういう話を聞き手も期待するわけです。

ですが、私が提示する、語り怪談というのは、取材してきた話を完全に聞き手に疑似体験させるように語る、というものです。つまり完全に「語りの世界」で勝負するということ。
作家が取材した話をする場合、その作家という主体があるわけでして、それだけで説得力はあるんです。これは芸人が語る体験談に近い。体験談は何よりも説得力がある、と書きましたが、作家が取材をしたという事実を語るのも、これまた体験談といえるでしょう。いわばドキュメント怪談?

でも、私が理想とするのは、その作家という主体を消してしまう話法なのです。これを完成してはじめて、芸人でも作家でもない、怪談師が生まれるのかな、と。怪談社のお二人がそれをおやりになっていると思います。

私は今年の「Dark night」で、ユウコという100分近い怪談を披露しました。あの話で意識したのがそれです。
田中さんという男性と、そこに毎夜非通知電話をかけてくるユウコという得体のしれない女。そして田中さんの周りにいる人たちをも巻き込んで、奇妙な世界へと引き込まれる。あの話では、極力、私、つまり中山市朗という人物を舞台から消すことを心掛けたんです。そうしないと一話だけで100分近くも観客を引き付けることはできないんです。映画一本分ですからねえ。
話の途中で、観客席に話しかけることもない、登場人物同士のセリフと最低限の説明、つまりナレーションだけで構築される話芸。
いや、あれが成功したかどうかはお客さんの判断ですよ。でもそういう意識がないとああいう話はできません。

桂米朝は『落語と私』という著書の中で「途中で演者が消える、うまいへたではなく、演者が消えるのが落語の場合理想的な型である」ということを書いています。
落語家が今も着物を着て高座に上がるのはそれなんですね。スーツだと江戸時代の話はできにくいし、女性も演じられない。着物は演者を無色透明にするんです。できればメガネや髭などもご法度。演者のキャラクターを消しにくいからなんです。落語とはそういう芸。
怪談は落語ともその話法は違いますし、落語をやっちゃうとお客さんも違和感を持たれると思いますが、落語のそういうところは参考にしています。
まぁ『新耳袋』も最初、ある文芸評論家に「あなたたちのテクニックは、文芸やってる人のものではないですねぇ。お二人は映画畑の人みたいだから、シナリオから来たテクニックなのでしょうね」と言われたことがありましたが、後に木原と「違う、わしら落語のテクニックを使ってたんみたいやな」と言った覚えがあるんです。Aさん、Bさん、と登場人物をイニシャルにしたのはおそらく『新耳』が最初だと思いますが、これは落語でいう、喜六、清八。誰にでも当てはまるよ、という記号。で、解釈は入れず地の文はナレーションに徹して、主に会話で進行させる。

ですから、私の語る怪談は、私自身が意識しているしていないに関わらず、落語の要素はあると思うんです。ですから、そこはあえて落語の長所、参考になる部分は意識的に取り入れ、芝居や映画の視覚的要素も取り入れるのが、プロの怪談語りの課題だと思うんです。

体験談ではなく、取材した話ですから、話者としては他の人物になりきらなきゃいけない。ちょっとした芝居ですな。
そうなると、その舞台となる世界や人物同士の距離感、動き、リアクションなどを話術だけで聞き手に伝えなければなりません。キャラクターにもなりきる必要がある。で、演者が頭の中でそれらをきっちり映像にしておかないと、それは伝わらないんです。映画好きいうことも怪談語りに役立っているのかもしれません。
かの立川談志も言っていました。
「落語の下手なヤツは、映画観てねぇんだよ」と。

以前、吉本新喜劇の小藪さんと対談をしたことがあるんですが、小藪さんも言っていました。
「僕、怪談は好きですけど、下手なヤツの話す怪談ほどつまらんものはない」。
怪談はそれほど難しい、と小藪さんは言っていたわけです。

そういうことで、私が目指すのは、怪談の世界に聞き手をいざなう「語り怪談」。
いわば、怪談のバーチャル体験、疑似体験をいかに話芸でやれるか、ということですね。
普段私は「1時間、一人で語ってください」と依頼を受けると「僕、噺家じゃないんで」とMCに入ってもらうことにしているんですが、「ユウコ」を語るときは、あえてMCを排除しましたが、そういう意図があったんです。
「えっ、話、ここで終わったの?」みたいな終わりでしたが、そのオチもなにもない消化しきれない感が、そのままあの話の作りごとではない、不可解感を演出できたというか。
そういう意図が成功したかどうかは、お客さんの判断ですけど、ああいう話法を私は怪談語りだけでなく、書くときにも、こころがけているんです。
そして、体験談とは限らないことで、ネタも取材するほどに増えていきます。いかに「霊感」があるといえども、怪異体験がそんなにぽんぽんできるものじゃなし。

でもね、いかに語れど、松原タニシくんの、顔認証ができない、に負けるんです。一枚の心霊写真にかなわないときがあるんですよ。でも、話はあとでじんわりと来る。あとあと記憶に残る。

よき怪談は、そうであるべきだと思います。






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2016年10月19日

霊界からの音?

中山市朗です。

9月10日に行われました最後の「怪談の魔」で、奇妙なことが起こったことを翌日のブログで報告いたしました。

第一部の後半あたりで、仕切ってある暗幕の向こうから、ゴン、という大きな音がしたというんですね。
暗幕の向こうは、受付になっているわけですが。
そのときの状況を。11日付の私のブログから抜粋。


” 真名子によれば、受付の壁のあたりから、ゴン、という、まるで人が頭を思いきり打ち付けたような大きな音がした、とか。それを指摘して進行を妨げたくないのでそのまま続けたけど、第二部で真名子の口からそんな話が出ました。でね、私は聞こえていないんですけど。
ところが、お客さんに聞いてみると半数以上が聞いていて、かえって「なんであんな大きな音が聞こえなかったんですか、ちょっと信じられないんですけど」と聞いた人に責められる始末。だって聞いてないもん。”

で、受付にいたのが塾生のみほさん。

彼女の同じ日付のブログにこんな記事が。
抜粋します。

” 第一部終了、真名子さんカーテンから顔を出して開口一番。

「大丈夫ですか! 壁に身体とかぶつけたんですか?」

「へ?」

「だって、すごい音がしたじゃないですか!」

私はカーテン越しの立ち聞き常習者なので、どうやら私が壁に体をぶつけたと思ったらしい。

確かに、トタン壁が変形していました。

……裏側から。

「あの、聞こえませんでした? すっごく大きな音がしたんですけど……」

お客様も振り返るほどだったらしい。

「……全然」

 本当です。本当にぜんっぜん聞こえなかった。

ですけど、受付にずっといましたよ? 受付と変形した壁の距離は、1メートルですよ。

聞こえないはずないじゃん! しかし、物理的なダメージで、壁は完全に裏側から山形に変形してます。

「これ、相当強い力ですよ」

 ZAZAのスタッフの男性が、トタンの変形部分を確かめながら嘆く。

えええええ。”



音がしたという受付にいた彼女も、その凄い音というのを聞いていない?
これが不思議なんですよ。
で、受付のすぐ横にお化け屋敷の入り口があり、その壁にトタンが張り付けてあったんですが、これがすっげえ、変形していたんですよ。内側からすごい力がかかって、ぐにゃりとトタンがひん曲がったというか。
音とそれが関係しているのかどうかは不明。
内側から、思い切り体をぶつけた、としても、こうなるのかどうか?


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写真ではわかりにくいので、歪んだトタンの動画レポートを真名子がお送りしております。

https://youtu.be/ZiuNdSx00b0


トタンの向こうは、つまり裏側は壁であります。こんなんです。どういうこと?

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これは、怪奇現象なのでしょうか?

実は、この時のお客さんだったOさんという方から、その時の音源が送られてきました。

15秒目、私が「その時、田舎の友達呼んで」の「田舎」のところで、ドスッと鈍いバスドラムのような音がしているそうです。PCのスピーカーだと、低音がぐしゃっとなって聞こえづらいかもしれないので、イヤホン推奨、だとか。

実は、やっぱり私には、音は聞こえません。いやほんと。

皆さんは?


https://www.youtube.com/watch?v=YZ_8dwsEoFs



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2016年10月18日

新しいメンバー

中山市朗です。


昨日は、オフィスイチロウの会議でした。

戦略会議?

今の問題点、今やるべきこと、今後の課題、近い将来への戦略的な仕掛け。

いろいろ見えてはいるんですが、なかなかねえ。困難が伴いそうです。


今現在、オフィスイチロウは、私、真名子、ヤマモト、という旧メンバーに、お手伝いしていただいているcainさん。
『Dark Night』を仕切ってくれている中村くん。

そして、ウニの後釜にとこちらから勧誘している塾生の新町夜々子。新しく映像担当で入ってきたOさん。それに私のブログにたまに辛口コメントくださっていたTさんが、新しくメンバー入りする予定です。
Oさん、Tさんは、この業界の人ではなく、自営業をやったりサラリーマンをやっていた苦労人ですので、また、客観的な意見、方法などが提示されるかなと。
Oさん、Tさんともに私がブログに書いていることへの共感をいただいての志願、ということで、もう、ありがたく思います。ただまあ、夜々子も含めて、この業界は、自分で新しい価値観をうみだすべく、動かないと響かない世界。苦しいし、大変な世界ですけれど、ほかの業種にない楽しさ、刺激がありますので、じょじょに慣れていけばもう麻薬みたいになるかな、と。いっぺん知ってしまうと抜けられない世界。

中村くんは、あちこちでお笑いのライブを仕掛けていまして、今、大阪の芸能界はどうなっていて、何をほしがっているか、ということを熟知していて、いろいろとアドバイスをくれています。
な〜んかね、今の大阪はヤバい。そら、芸人は東京へ行くわ、という状況。
なんでこんなことになってもたん?
と、首をひねるばかり。
放送番組も、今はどんな条件を満たした企画が通るのか。その傾向と対策。
えっ、そんなんなってんの? だから若い人のテレビ離れが加速すんのや、と納得。あかんやん。
いやあ、大変ですわ。

でも、メンバーみな、知恵をだしあって、やっていくのみ。

まだまだオフィスイチロウは、お知恵を拝借いただける人、行動力のある人など、メンバーほ募集いたしております。年齢性別経歴問いません。怪談を語ってみたい、という人も。

info@officeichirou.com
06−6264−0981

まで連絡ください。OK?



kaidanyawa at 16:35|PermalinkComments(3)

2016年10月17日

怪談語りの世界2

中山市朗です。


私が思うに、今、巷で行われている作家や芸人たち、あるいは怪談師によって語られる怪談には、三つのカテゴリーがあると思うんです。

その解説をいたしましょう。怪談語りを考えるに、不可欠な認識だと思います。
昨日のブログのコメントに、ひろみつさんから、怪談語りは、ザックリ三つに分かれる、「喋るか「語る」か、「その中間」か、と書かれていましたが、私も似たカテゴリー分けをしております。


本日はその一つ目のカテゴリー。

  ,しゃべり型、レポート型怪談。

「ねぇ、昨夜さあ、ちょっと妙なことあったんだよね」と、そこから出てくる怪異談。
「あんまりね、俺は霊とか信じないんだけどね、そう、たったいっぺんだけこんなことが……」から始まる話。ゾクゾクしますなあ。実は私が蒐集している怪談のほとんどは、こうして一般の方が体験された怪異談でありまして、それは、こんなことがあった、と自身の体験談を話すわけですね。
この時点で、談、になっていないのが大半なんです。談、とは物語を語る、ということ。
談といっても、冗談、猥談、雑談とたあいのないおしゃべりのことも意味しますが、この場合、物語を語る、という意味で使わせてください。

先生や友達、職場の仲間たち、親兄弟、親戚のおっちゃん、おばちゃんが話す体験談も、この、語るというレベルではないけど、自分が遭遇した怪異のゾッとした感覚、不思議に思えてならない事象、理解できない現象を懸命にわかってもらおうと、信じてもらおうと話す怪談。
これ、怖いんです。
話芸のプロが饒舌に語るのと違う、リアルな肌感覚、ちょっとたどたどしく、話の順序があっちこっち行くんですが、そこがまた、本当にあった感をもたらせます。
これが、ねぇねぇ聞いてよの、おしゃべり型怪談。
誰でもできる怪談です。

そうですねえ。こういう例をあげましょうか。

落語を聞いていて、枕は爆笑をとるけど、落語に入ると途端に受けなくなる落語家さんがたまにいますよね。
枕というのは、和歌の枕詞(まくらことば)、から来ていまして、落語に入る前に、ちょっと世間話をしたり、落語に関連する小噺をすることをいうわけですが、自分の一門のこと、師匠のエピソード、家で嫁さんに怒られた話、この前、うちの長男がこんな宿題もらってきよった、とか、この前こんなけったいな人に会って、とか、そんな話を枕ですると、爆笑をとれるんですが、さて落語となると、ウケない。
これはなぜかというと、枕は自分のことを語るから面白い、ということなんですね。
昨日、私こんな人に会った、師匠にこんなこと言われた、というエピソードは、別に嘘でもなんでもいいんです。とにかく体験談として話すと話に説得力があるんです。体験談というものほど、説得力のあるものはないんです。
鶴瓶さんのテレビでのしゃべり芸がそれですね。全部自分の体験談としてしゃべるから、もともと面白い話が余計面白くなるし、「そんなんあるわけない」と突っ込まれても「ほんまやねんて、見たんやから」と突っぱねられる。そこに爆笑が起きる。
みなさんの周りで、話に説得力のある人、というのがいませんか?
いたら、その人は何を話しています? おそらく体験談、エピソードを話しています。「こうしたほうがいいんじゃない?」というより「俺はこうして結果出したよ」とアドバイスもらったほうが、説得力があるんです。具体的なんです。
話が面白く説得力のある人というのは人生経験が豊富で、体験談としてのエピソードがたくさんある人、だと思います。
で、落語となると、これは体験談ではない。ここからは芸の世界になる。求められる話術、話法がまったく違うんです。ごまかしはきかないんです。
たまに、楽屋ではめっちゃおもろいのに、舞台に上がるとサッパリという芸人さんもいます。
おしゃべりと芸は、違うんですな、あたりまえですけど。

一般に語られる怪談というのは、主に体験談によって成り立ちます。体験談という体があるから、先生や友達の話す怪談が怖いんです。「これ、今作った嘘話なんやけどね」で、怪談を延々語られても怖くも面白くもないでしょう。だって嘘だから。つまり、嘘でも作った話でも、ともかく本当にあったこと、として話すのが怪談の鉄則なのです。聞き手が「ひょっとしたら自分もそれ、見ちゃうかも、体験しちゃうかも」と思わせる本物感が伝われば、その怪談語りは成功。

都市伝説、というのは嘘だけど怖い。なぜかというと、身近な人から聞いたという疑似体験談という体と、具体的な地名や人名を言わないことでかえって身近感を演出しているんです。うまくできていますよ、あれ。
『新耳袋』はまさに、具体的な地名や人名を言わないことでかえって身近感を演出した、わけですけど。

で、先生や友達という身近な存在も、体験談というものを強化させます。「あの先生がいうことやから」「めったにそんなこと言わないアイツがいうんだから」という、共感ですね。
これ、まったくの赤の他人から同じ話を聞いたとしたら、まあ、引くか、疑うか、少なくとも「こいつ頭おかしいんちがうか」となる。身近な人が語る体験談だから、説得力がある、怖い。

で、芸人の語る怪談のほとんどは、この、おしゃベリ型怪談なんです。みんな、体験談、と称することを語る。というより、しゃべる、話しかけるという型。
芸人ですから、そこは身近な人とは別の親近感、共感性があるわけです。また、芸人ですから、そら、しゃべりはうまい。だから、芸人の語る怪談というものは、それで通用する部分があるわけです。
言い方を変えると、漫談の怪談版とでもいいましょうか。怖い体験談を漫談のテクニックで語れば、それで芸人の怪談は成り立つんです。だから怖くなくても許してもらえるんです。
これがまあ、夏にたまにイベントや放送番組に呼ばれて披露するくらいなら、体験談を三つか四つも持っていればいいわけですが、怪談を語る芸人、と看板を上げるとなると、そうは行かない。
まずは、体験談を増やさなければならない。で、霊スポットを回ったりすることになる。
北野誠さんははっきり言っています。「怪談語ろう思ったら、むりやり体験するしかない。だから行くんや」。
『お前ら、行くな』がそれですね。
で、行った先で起こったことを報告する。これがレポート型怪談。
番組としてVTRも撮ってますから、会場でもそれを観客に観せて、怪異スポットに観客をいざなう。
この究極が、松原タニシくんですね。
「幽霊の出る家というのがあるけど、以前から、そういうところに誰か住ませて、カメラでずっと撮れたらなあと思ってた」と北野誠さん。で、『お前ら、行くな』のコーナーで始まったのが、「事故物件に芸人を住まわせて報告させよう」というもの。「こんなん、食えない芸人しか、住むやつおらんやろ」で、白羽の矢が立ったのが、松原タニシくん。
事故物件住みます芸人、というのは彼が唯一。自分でも「オンリーワン」と言ってます。
これもレポート怪談ですね。事故物件に住んでいて、何が起こったか、自分の身に何があったか。
一般の人がこれやっちゃうと、引くだけですが、芸人がやるからエンターティメントになる。
で、レポートというのは、危険なものほど、命をはるほどに面白いわけです。そういうわけで、松原タニシくんのレポート怪談は、もう誰にも越えられない世界がある、といっていいでしょう。今やタニシくんは、生きる超常現象ですから。

ともかく、体験談を語る、レポートする、これがまず怪談の第一のカテゴリー。

でも、この怪談には芸人としての落とし穴がある。
食い詰め芸人が怪談を話す。食い詰めているということは、笑い芸が受けない、ということ。漫才、コントは体験談ではない。つくりごと、というのが演じ手にも観客にもある。つまり、芸がないと笑いは起こせない。食い詰めているということはその芸がない、ということでもある。でも、体験談として芸人が語る怪談は、場によっては通用するんですね。お客さんも、夏の風物詩として芸人が語る怖い漫談、という感じで聞いています。だから、仮に滑っても、芸人という免罪符がある。ただし、怪談を語って客席をヒヤッとさせるというのは難しいですから、若手の芸人が語るには、いい勉強にはなる。

ただね、私が心配する点はここなんです。そういう芸人の語る怪談が話芸なのか、と問われると、ちょっと辛いわけです。テレビの怪談は(関西だけかもしれませんが)、顔が売れているか、とかプロダクションの力関係で出演者が決まったりすることがあるので、やっぱり芸人の語る怪談がメインとなるわけです。
それも怪談ですよ。そこが、怪談の懐の広いところなんですが、これが怪談だと思われてはいけない。
このままにしておいては、怪談という芸が強くならない、と言ったのはここなんです。

ということで、私はまた別の怪談を模索しているんです。
それはまた、次回。





kaidanyawa at 00:07|PermalinkComments(3)

2016年10月16日

怪談語りの世界1

中山市朗です。

さてさて、怪談の語り手を育てたい、なんていうことを書いておりますが、どんな語り手を作りたいのか、というと、これはねぇ、その人のパーソナリティというか、キャラクターにあった怪談としか申し上げられないですね。
とは言うものの、人様から木戸銭を取って、それで食っていくわけですから、やっぱり語りの世界についてちゃんと精通して、修得せねばならないものは山ほどあるわけです。これをやらないと、怪談は強い芸にはならない。
ただ、何度も言います、我々の語っている怪談は伝承芸ではない、これから作っていく話芸ですから、ほかの話芸を見習い、そのテクニックを存分に使い分けるべきでしょうね。

落語や講談は伝承芸です。ですから演じ方にルールがあります。
落語、講談、みなさんはよくお聞きですか?

講談というのは、説明する話芸といいますか、講釈とも言いますから、もともとは『太平記』だの『三国志』だのを解いて聞かせたものでした。説明の中に対話が入る。文章でいう地の文でもって説明する芸、といいますか。
明治以前は、庶民の中では歴史というものの認識が実に曖昧だったようで、講釈師の語る世界、『太平記』『太閤記』『漢楚軍談』「赤穂義士伝』といったものが、歴史的事実と思われていたわけで、それは教養でもあったわけです。日露戦争以降は戦争における英雄談なども語られました。
講談には、講釈師の前に釈台というものが置いてありますが、もともと『太平記』などの本を読んだんですね。本を釈台に乗せていたわけです。で、その読み方に節を利かせたり、感情を込めたり、テンポをつけたりしたわけで、名人の本読みは絶品だったんでしょうね。ちなみに講談社という出版社はもともとそのような講談本を出版していたのです。

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講談はですから、物語の設定がはっきりしておりまして、いつの時代のどこで、どんな時刻に誰が何をした、とはっきりと説明されるわけです。で、誰、というのが歴史的な英雄や伝説の人物であったりするわけです。講談は登場人物を演じるというよりは、説明し解釈する芸ですから、歴史や心学、神道などの講釈もできます。
もともと武家の出だったような人が講釈師になったりしたこともあって、講釈師は先生、なんて呼ばれていました。ちょっとカルチャーセンターの先生、みたいな位置づけでもあったかもしれません。
落語家は、あんまり先生、なんて呼ばれないですな。

落語は、英雄伝もあんまり似合わない芸でして。「戦がはじまっちゃたなぁ、どうしたらズルできるんだろうね」みたいなのが登場人物。
講談、落語、どちらも、物語の世界へ、いかに聴者を引きづりこむか、ここに演者のテクニックが求められますが、そのテクニックは違うわけです。
落語は講談の後に出来た芸ですから、より洗礼された話法が編み出されています。だから講談が遅れているという話じゃないですよ。別の話芸が出来た、ということ。
落語は、上方では喜六、清八、江戸の熊さん、八っあん、というおとぼけコンビから、大名の殿様、お武家、浪人、商家の大旦那から番頭、手代、丁稚、女将さんから女中、お客、長屋の家主、長屋のおかみさん、隠居、子供、お百姓や漁師、猟師、はてはお姫様、お公家さんと、さまざまなキャラクターを演じなければなりませんが、あんまり歴史上の人物は出てこない。喜六、清八というのは、落語の中だけの人物。
で、講談では重要な地の文があんまりない。会話だけで進行するわけで、つまり会話劇でストーリーを楽しむ芸。
しゃべりくり漫才は、この落語の会話劇からの発展だと思います。オチで終わりますしね。
落語といえば、今は滑稽噺がほとんどですが、泣かせる人情噺や恐ろしい怪談噺、音曲噺、芝居噺なんていうのもある。でも結局、オチがありますから「全部嘘でしたー」で終わる芸。まあ、講談、落語、どちらも年期のいる芸であることは間違いありません。

漫談という話芸がありますが、これは物語を聞かすというよりは、客席に話しかける芸。ですから、古典というものがなく、時事ネタとか、身近にあったことを話題とします。
「昨日の国会中継、見はりました?」「昨日、エラい火事ありましたなぁ」「今朝、ここへ来るときにタクシー乗ってましたらねえ」というノリですね。ここからテーマへと運ぶわけです。

怪談も、いろんな登場人物が出てきて、要は怪異に遭遇する、というのが話の肝ですから、その登場人物の演じ分けが必要で、しかも聴者をお話だけで、怪異、恐怖の世界にひきづり込むわけですから、とても難しい芸であることは間違いありません。で、時には講談、時には落語、そして漫談のテクニックも使うわけです。
ですから本来、プロの怪談語りとなるには、こういう話芸に精通しておく必要があると、私は思っているんです。

しかし、ですよ。
前に呈した問題。そう、
学校の先生や友達の語る怪談が、なんだかとても怖かった、という経験はおありでしょう?
先生や友達は、別にそういった話芸に精通しているわけでもありません。でも怖かった。

落語家の露の五郎兵衛さんは、上方で唯一、圓朝の怪談噺を直系で教えられ、演じていると自負していましたが、この師匠が「笑いをとるより、怖がらせることの方が難しい」と言っていました。「だから誰もやらん」と。
しかし一方、こんな言い方はいささか語弊がありますが、なんだか最近、食い詰めた芸人が怪談を語る、というケースも出てきた。

あれれ?
怪談は、難しいの? それとも誰にもできるものなの?

さあ、ここが、怪談という話芸の懐の広いところであり、自らに向いた刃でもある。
これ、考える必要がありますよ。
というか、私がずっと悩んでいる問題でもあります。







kaidanyawa at 04:22|PermalinkComments(8)

2016年10月15日

秘密結社イルミナキュー誕生!

中山市朗です。


秘密結社が結成いたしました。

イルミナキュー告知用












まあ、単に淀川の河川敷でバーベキューをやって、怪談やオカルト、サブカルについて大いに語り合って、昼から酔っぱらおうという酔狂なお遊びです。

私のどちらかというと古代史のファンであります、WBデザイナーの大崎氏の企画。
ほんとは、夏にフリーソーメンという素麺を食べる会をやろうといっていたんですが、私が休みがとれませんでしたので、イルミナキューとなったわけです。

バーベキュー食いたい、昼からビール飲みたい、という不埒ものの参加者を募集しております。
私も不埒ものの代表として参加いたします。

10月30日(日)の11時より15時まで。
詳細は

http://illuminaq.com/

よろしく。

そして、改めて「Dark Night」のお知らせ。
東京公演はあと一か月切っちゃいましたねえ。


11月12日(土) 24:30〜オールナイトの怪談語り尽くし。
「Dark Night in 新宿」
新宿バティォス
出演・中山市朗 MC・真名子

11月13日(日) 19:00〜21:00 こちらも怪談語り!
「Dark Night in 原宿」
ラスタ原宿
主演・中山市朗、真名子

新宿、原宿と連続で聞かれても大丈夫。別内容としますから。

11月19日(土) 24:00〜オールナイト
「Dark Night 20」
出演・中山市朗、ありがとうぁみ MC・真名子

Dark Night 3公演に関しての、詳細、予約は

http://sakugeki.com/

これを聞かずして、怪談好きと言ってはならない‼




kaidanyawa at 05:24|PermalinkComments(4)

2016年10月14日

怪談という芸の可能性

中山市朗です。

さて、女性の怪談師がいないので、育ててみたい、という私の発言の核心部分となります。

私は以前、放送作家として某芸能事務所に所属しておりました。その社長とは今も仕事をしたりしておりますが、この社長からは昔から「怪談塾をなぜ作らないのか?」と言われているんです。
怪談の書き手、語り手を養成する塾を、作劇塾と並行してやるべきだと言うわけです。
これ、私はずっと拒んできたんです。
三つの理由がありました。

一つは、需要がないだろう、ということ。社長はある、と譲らないんですけど。

二つに、教えられるものではない、ということ。
怪談の書き方については参考になる本は出ていますが、語り方はねえ。それに、教えるからには怪談というものを体系化し、論理化しなければなりません。でもやってる本人は、そんなことあんまり考えていませんから。

三つに、育ててどうする? という問題。怪談を書ける、語れるようになったといって、それで食えるわけでなし、役立つでもなし。怪談の書き方を覚えるより、作劇塾で作家になるためのコースを学んだほうがいい。

ただ、この社長は漫才塾というのをやっていて、こちらは盛況らしい。プロの漫才師を育てるのではなく、サラリーマン相手のもので、入塾する人は、営業とか人付き合いに、漫才のテクニックを使いたい、という動機があるようです。怪談はねえ、ちょっとそういう人も来ない。

実は一か月ほど前も、この社長と同じやり取りがあったんです。
「新しく怪談を語る子、育てませんの?」とまた言われて「受け皿どうするんです。育てたところで、出るところもないし、食っていけないじゃないですか。そんなん責任もてませんわ」
「出るところくらいは、用意しまっせ」
「需要ないですよ。きっと」

そんなやりとりしていたんですが、これって、桜井館長の言う「このままだと10年後、怪談は滅ぶ」の言葉通りとになるということやんか、と、ハッとしたんです。新しい怪談師が育てられない。出る場所もない。食っていけない。これ、未来がない、ということ。
怪談では食っていけない、それが常識と思われていることじたい、それを誰もが思っているということが、なんか、ねぇ。価値が無いってことかよ、と。
これ、このままほっとけない、と思ったんですよ。
もっとも戦後、語りとしての怪談は完全に滅んでいたわけで、古くからあるようで実は新しい話芸。
それを支えているのが、作家や芸人が語る怪談なんです。本業でやっているのはほんの一握り。で、怪談語りで食えているのは稲川さんしかいない、と思われている世界。
つまり、怪談語りは作家や芸人の余技。
それで食っていっているわけじゃない。作家とか芸人とか役者とか、本業がある。
これね。需要があるうちはいいんですが、需要がなくなってもこういう人たちは困らない。本業に戻ればいいんですから。世の中、流行り、廃りがどうしてもありますから。これからのことは誰にもわかりません。
で、需要が無くなったその瞬間、語り手が本業に戻ったら、話芸としての怪談は廃れます。
でも、怪談語りを本業としている人たちがもし何人もいたら。そして手を組んでいたなら、
怪談は滅びません。
そういう人たちは、それでも怪談を語り続けるはずです。それで食ってかなきゃならないですからね。ただし、怪談という芸が弱ければ、そういう人たちも食えなくなって辞めるかも知れない。
いや、怪談文芸は心配ないです。
私が言うのは、語り芸、話芸としての怪談の話。
だから、怪談業界なんてそんなもの、無いですけど、それに近い受け皿くらいは作るべきかな、と思うわけです。そして怪談という芸を強いものにしなければならない。それには本当の怪談を語れるプロを作る必要がある。
そして、本当の話芸として昇華させれば、滅ぶ心配もなく、継承する人も出てきます。

幸いなことに、ここのところ芸人の人たちにも、北野誠さん、ぁみくん、松原タニシくん、といった怪談語りを本業にと、いわば怪談語りに命を懸けたような人たちも出てきました。東京にも太田プロに所属した山口綾子さんとか、牛抱せん夏さんもプロの女性怪談師として活躍しています。怪談社も怪談師の養成をしているようですし。
でも、大阪は無い。
関西では、夏の定番となったKTVの『怪談グランプリ』の出場者を見ても、女性の語り手は圧倒的に少ない。今年など、吉本の芸人が出演解禁になったせいか、芸人が語る『怪談グランプリ』になってしまって、正直、あれが怪談と思われたくない、わけです。いや、出演者の怪談がダメといっているわけではないんですよ、ただ怪談というものが、芸人の余技である、特に食い詰めた芸人が語るもの、というイメージを持たれるのが、なんだかつらかったわけです。怪談て、そんなに簡単なものではない。

そういうお前も、作家で怪談語ってるやないか、と言われそうですけど。
ただ私は怪談を書く、語るという両輪でやっていまして、書くことと語ることは、私の中ではリンクしているんです。怪談の需要が無くなったら、困る人間です。それから怪談で食っている人は稲川さんだけ、という声もありましたが、私もそうですよ。怪談が本業ですよ。オフィスイチロウはそれで成り立っていますよ。
だから、だからこそ、怪談に憂いを持っているわけです。考えるわけです。


でね、この夏、休みなく毎日怪談イベントを仕切って語って、ゲストの方々と交流しているうちに、なんだか意識が高ぶってきたわけなんですよ。
怪談は、落語、講談と並ぶ話芸である。そうしなければならない、と。
初めてそう思った。
怪談の魅力を再認識したのと、話芸として未熟であることも認識したわけです。可能性があるはずだ、という認識です。
こら、なにかすべきだと。なんとかせんといかん、と。

これを成すために必要なことは、人材育成です。
これは基本。怪談語りの専門家も育てなければならない。仕掛けたり、マネージメントする人も必要。ただ、そのためには、怪談そのものの地位をもっとポピュラーなものにしなければならない。語る場がいる。マスコミにもっと出す必要がある。そのためにはお客さんのパイをもっと大きくしなければならない。そのための仕掛けがいる。課題は山積みです。
で、これ、生意気にも、私がやらなきゃ誰がやる、と思うに至ったわけです。
ただそれには人材がいる。理解者がいる。資金だっていります。

いろいろ今、業界人に相談しているところ、であります。
そしたらある人に言われました。
「中山先生、やるなら5年後、10年後を見てやらんといけません」と。
これは私もまったく同じ考えです。だからそのつもりだと返答したんです。そしたらその人はニコリと笑って言った。
「及ばずながら協力はさせてもらいます」と。

となるとですよ、今から怪談を語れる若手を育てながら、5年後、10年後を見据えたほうが、目標がより見えてくるように思えるんです。この子たちが語る怪談とは? 立つ場所は? 展開は? と、具体的に考えなきゃいけないことも出てきます。また、育たないと5年、10年後も無い。そう思った次第です。
で、未来の語り手は男女どちらも欲しい。あえて女性といったのは、やはり少ない。そして、ある戦略がある。
いささか考えすぎかもしれません。
でも、後で「わちゃー、あんときやっときゃよかった」という後悔はしたくない。やるだけやっての失敗、撤退はいい。そう思っています。

というわけで、オフィスイチロウはともに企て、仕掛け、あるいは語りたい、という人材を募集しております。

info@officeichirou.com

06−6264−0981



いよいよ本腰入れな。

続く、よ。












kaidanyawa at 00:30|PermalinkComments(8)

2016年10月13日

飛鳥昭雄が突然?

中山市朗です。


なんか昨日の私のブログ、「中山市朗あすかあきお帰る」という検索から入った人が多かったんですが、11日の「ムー」のトークイベントに参加していた人たちでしょうか?
確かにあの日、飛鳥昭雄さんが突然キレて帰っちゃったんです。
そのことを心配しているお客さん、多かったんですかね。
打ち上げでもそんな話、出てましたし。
お客さんのお一人だったOsakiさんのツイッターに写真が上がっていました。

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ま、ごらんのとおり、何事もなくそのまま続けましたけど。
飛鳥さん、何か政治的なイデオロギーがあるみたいで、しきりにそういう発言がこの日出ていたのですが、トーク自体がそういう雰囲気のものではないので、スルーしていたら、突然「帰る」となって。
そういう気持ち、私にもわからんこともない。私も自分の意見がなかなか理解されないとか、根本的に間違っている意見をしつこく聞かされると、思わず激高してしまいますしね。

イデオロギーというのはその人の根本的原理ですから、どうもそうなっちゃう。

え? 飛鳥さん? 大丈夫ですよ。次はまたニコニコしてバカ話してますよ。そういう作家さん、わりといますし、そういうイデオロギーが、作家としての核となっている人もいますしね。

イデオロギー、みなさんの中におありでしょうか?



ま、人に自分の心情を伝え、行動するということは難しいということですわ。





kaidanyawa at 10:55|PermalinkComments(9)

2016年10月12日

友達の語る怪談はかくも怖い

中山市朗です。

えー、「ムー」イベントが終わって、オールナイトの打ち上げが終わって、ヘロヘロで帰ってきました。
イベントの前半、ちょっと話がとっちらかってしまいました。申し訳ございません。後半は仕切り直して、お客さんたちからいただいたアンケートに残らず答えさせていただきました。特にまついさんからいただいた、『旧約聖書』とエジプトの問題、深いテーマでした。これに対する三上編集長の意見も聞けて、私も納得。でも今後も調べていくべき課題ですね。
昨夜の様子。

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さてさて、
話芸としての怪談というものを考えております。
いろいろと熱く熱心な意見をコメントでいただいております。ありがとうございます。それは怪談というものへの各々の思いであり、危惧であり、私への叱咤だと謙虚に受け止めています。
コメントくださったひろみつさん、『気まま酒家』の後、熱く語り合いました。ああいうことを書いていきます。
ばいんさん、zzzさんも、長いコメントいただきました。なるほど、と納得する部分、そこはでも、こうなんだよな、という部分もあり、いろいろ考えさせていただいています。このブログの中で、指摘されたこともじょじょに触れていこうと思います。


ちょっとですね、この夏、ずっと休みなしに怪談を語り、怪談会を仕切りました。ゲストの方たち、仲間たち、そして常連のお客さんたち、そしてマスコミ関係者ともと朝まで何度も語り合ったりしているうちに、いろいろ思ったことがあるんですよ。
で、新しい怪談の語り手を育ててみたくなったんです。ただ、その前に考えなきゃならない、やらなきゃならないものがあるんです。でもそれをやるには、私の前に大きく分厚い壁が立ちはだかっているんです。私、実はこの壁逃げてました。
その壁は、以前からずっとあったんです。それが夏を過ぎたあたりに、改めて正面から対峙する気になったんです。それは皆さんの指摘通り、別に私がやらなくとも誰かが突き破ろうとしているのかもしれないし、穴が開いているところがあるかもしれない。
でも、私の手で、私のやり方で突き破りたくなったわけです。
そしてそのきっかけは、何度も言います桜井怪談図書館館長さんの言葉です。グサッと胸に刺さりました。

で、まずは、自分のやっている、怪談語りってなんやろ?
という、いまさらながらの根本を自身に問うたわけです。
そしたら以外に考えていなかったことがあったんです。案外、客席から見えているけど、やっている本人が気づいていないことってありますもんね。

まあ、これからしばらく続きますけど、おつきあいくださいませ。
皆さんからすれば、今更かよ、と思われるかもしれません。はい、今更です。すみません。


怪談はコンテンツとしての力はまだ弱い。
そんなことを書きました。
でも、と思われるでしょう。

私は大阪にいますから、大阪の状況を見ると、この夏も恒例の「なんば怪談花月」が開催されました。満員。一方松竹芸能も「道頓堀角座・怪談ライブ」をやって、満員。6月の私の独演怪、8月の北野誠さんゲストに迎えた「DarkNight」も満員。MBSラジオの「茶屋町怪談」も大反響。なんやかんや言いながら「怪談の魔」も最初は宣伝、告知、準備不足で苦戦しながらも、最終的にはのべ700人近いお客さんに入っていただきました。
また、共演した芸人さんたちから聞き取った話によると、地方で開催された怪談会も、軒並み盛況だったといいます。きっとこれ、来年はもっと怪談ライブは増え、ラジオによる怪談番組も増えるでしょう。
東京も、怪談ライブは増えていて、観客の動員もある。怪談専門の怪談バーもあって、そこに専属している怪談師たちは、それで食っている、なんて情報ももらいました。今度東京へ行ったら寄ってみます。
ぁみくんがニコ生でやった「24時間生怪談」もえらく話題になってましたしね。四谷に拠点を移した怪談社の催しも、いつも気になっていますし。

ともかく、怪談を語る芸人やタレントも増えている。聞くお客も増えている。
このことは確実で、今後増えていくでしょう。もちろんその中には女性の語り手も出てきて、私が何もやらなくとも、育っては行くでしょう。
なにも危惧することはない。と、これは、外から見た現状。

こういう状況だからこそ、注目されだしたからこそ、今から5年後、10年後の怪談のコンテンツ力を確固たるものにするために、やらなきゃいけないことがある。私はそう思うに至ったわけです。

一つ思っているのは、桂米朝さんなり立川談志さんなりといった芸に厳しい、芸を作ってきた大師匠が(両名ともお亡くなりになりましたが)、もしこういった怪談ライブを知ったとして、聞いてみようという気持ちになるのか、が第一。
聞いて、どういう感想をお持ちになるだろうか、ということが、第二。
はたして、「あんなもん、話芸やない。よもやま話や」と言われる可能性はあるかな、と。
これは、どういう条件で、誰の話を聞くかによりますけどね。

怪談は、落語や講談とちがって、伝統芸ではありません。もしかしたらあったのかもしれませんが途切れてしまっている。いずれにしても、根は無いわけです。
ということは、演じ方、語り方は自由。各々が、怖い、と思った話をしゃべればいい。これが怪談です。

子供のころのキャンプ、合宿、修学旅行、あるいは友達の家に泊まった時に聞いた、友達や先生の語った怪談、おそろしく怖かった、という経験は、皆さんお持ちでしょう。
あれは怖い。中には怖すぎてそれがトラウマになって怪談嫌いになったという人もいるでしょう。
そう、あれも立派な怪談なのです。あれがまず語り怪談の原点です。

しかし、それが落語や講談のような話芸と同じにしていいのか、と言われると、「そら、違う」と誰もが思うでしょう。友達や先生がホールや劇場に出て、同じ話をしたとしても、そんなものに木戸銭を払う人はいないし、おそらく怖くないでしょう。

ならば、どうして友達や先生の語る話は、かくも怖かったのか?

ここに、現代巷にあふれる怪談語りの可能性と限界と落とし穴があるのです。



続く。








kaidanyawa at 11:09|PermalinkComments(11)

2016年10月11日

ムーと十戒

中山市朗です。

今夜です。

ムーです。


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10/11(火)大阪プラスワン 「月刊ムーの世界不思議紀行8」 飛鳥昭雄/中山市朗/三上丈晴/真名子 イベント後にはお客さんも交えた交流会も!


18:30 開場
19:30 開演

トークの内容はまったくの未定。
お客さんとのやりとりになるのかな、と。

「Dark Night」も予約受付中。

ダークナイト公式HP

宣伝は、このブログとオフィスのHP、ツィッターだけですので、ちょっと東京の2公演が埋まるか、不安。



そして、唐突ですけど、注文してたの、届きました。
1956年制作、セシル・B・デミル監督、超大作『十戒』のオリジナルサウンドトラックCD。
全米公開60周年の大スペシャル企画。
フルスコア3枚。
プラスして、
初公開当時にLPで出たモノラル版復刻。
作曲者、エルマー・バーンスタインが録音しなおしたステレオ版復刻。
同じくバーンスタインが、編曲し録音したスコア版の復刻。

このフルスコア版が、映画に実際に入れられていた音楽で、迫力いっぱい。
今のようなコンピュータで入れているのではなく、オーケストラ演奏の魅力がたっぷりであります。
もちろんフルスコア版がこうやって市場に出るのははじめて。
もっとも海賊盤CDが出ていたこともあったらしいですけど。

『旧約聖書』の出エジプトの映画化。古代エジプトのファラオはセティ気了代。セドリック・ハードウィックが演じます。
奴隷であったヘブライ人たちの間で流布していた救世主が誕生。それを察した王朝はヘブライの長子たちを皆殺しにするのですが、ひそかに箱に入れられナイルに流された赤ん坊がエジプトの女王ベシアに拾われ、王子として育てられる。モーゼと名付けられ、王子となるが……。
モーゼを演じるのがチャールトン・ヘストン。
モーゼはヘブライの子だとわかると、エジプトを追放されます。やがてモーゼはシナイ山で全知全能の主と遭い、啓示を受けると、ヘブライ人たちの解放を求め、セティに代わってファラオとなったラメシスと対峙します。
ラメシスを演じるのがユル・ブリンナー。
あの紅海が割れ、神の火柱がたちあがる有名なシーンは、CGのない時代の技術です。
『聖書』のお勉強をするなら、まずこれを観ておこうという必見の映画。
私も高校の時、リバイバル上映されたものを見に行きまして、圧倒されました。
のちにオカルト学を独学で学ぶことになりますが、その基本は『聖書』。
「本来、オカルトという言葉は『聖書』を読んでいない人がつかってはいけない」
これは米国人の宗教学者から私が直に聞いた言葉です。

ともかく『聖書』は我々日本人には難しいように思いますが、まず、世界観のイメージがあれば読みやすくなります。
この映画を観ているのと観ていないでは、『旧約』のイメージの把握が違います。
専門家に言わせると時代考証的な突っ込みどころもあるのでしょうけど、デミルは映画化にあたり、当時わかりえることを徹底的に調査。十年の準備期間を置いたといいます。当時としてわかりえたことは、全部映像に表現されているのではないでしょうか?

『聖書』知らずに、ヨーロッパ文化を語るなかれ。文学を読むなかれ。



聞きながら、シーンがよみがえります。感涙。





kaidanyawa at 02:26|PermalinkComments(1)

2016年10月10日

怪談のコンテンツ力

中山市朗です。

女性の怪談師を育ててみたい。

私の中での、これはずっと持ち続けていた、課題です。これがほんとうになるのかどうか。
いやその前に、なぜそんなことが、必要なのでしょうか?
花房観音さんや岩井志摩子さん、加門七海さん、牛抱千夏さん、田辺青蛙さん、女性の語り手いるじゃないか、と。知ってますよ、全員お仕事ともにさせてもらっています。
でも、私の中では、そういうことではないんです。正直これは、何も女性の語り手だけの問題では実はないんです。

このことは、怪談というものが、真に話芸となりえるのかどうか、という問題と向き合うこと、と私は思っているんです。

桂米朝が昭和50年に著述した「落語と私」の中で、話芸のカテゴリー分けされた中に、怪談というジャンルは無かった。
私の体感として、今もって一般の認識としては、怪談は、話芸としての認知はされていない。怪談は怪しげなオカルトや心霊肯定者の世迷言である、とマスコミでさえ、思っている。
これは最近のことですが、あるテレビ関係者と話していて、本人は怪談好きで、怪談番組をやってみたいと言いながら、企画を通すのは難しい、と言うんです。
「コンプライアンスの問題なんです。怪談はいるのかいないのかわからない霊について語るわけです。そんなまやかし、怪しいものについて番組で取り上げられない。心霊について肯定するような番組を作ってはいけないということなんです」と。
私は思ったわけです。
「怪談は話芸として、全然認知されとらんな」

2009年、2010年、NHKBSで『最恐!怪談夜話」が放映されました。これは、画期的な本格的怪談番組でした。2009年は90分番組、2010年は120分番組として実現。120分は2時間スペシャルということになりますが、NHKはCMが無いですから、これは民放でやると実質2時間40分スペシャル、もうこれ3時間スペシャルにに相応します。
これは怪談番組史上特筆すべきもの、と断言できましょう。
企画を通すために動いてくれたのが、東阪企画のYディレクター。Yさんは当時何度も大阪まで足を運んでくれて、理想の怪談番組とするには、と語り合い、打ち合わせをしたんです。
私が出した条件は、作家の語る怪談をメインとする。芸人やタレントが話す怪談はどうしてもセッティッグされるでしょうから、その中に作家枠を入れるということ。
企画書の段階では、荒俣宏、京極夏彦、東雅夫、加門七海、安曇潤平、小野不由美、平山夢明、そして私といったそうそうたる名前が並びました。
「怪談」は、けっしてオカルトとか怪しい世迷言を語るものではない。日本古来からある芸であり風物である、ということを企画意図としたいということで、作家の名前が必要ということ。そして、やっぱり作家の語る怪談は、説得力があるんです。
ところが、それでもっても、企画は通らない。
Yディレクターは、まず東京、大阪のほとんどの放送局に怪談番組の企画を持ち込んだが「ダメだった」と言うんです。「民放は、怪談が話芸である、という認識をもっていない」と。仮にもっていたとしても、話芸で視聴率がとれるのか、という危惧もきっともっていたのではと、私は思いました。

そして最後、ここがいちばんコンプライアンスが厳しいだろうな、というNHKにもっていった。するとあっさり通ったというんです。
「NHKは、普段から落語や講談の番組を放送している。ああ、怪談も立派な話芸だよね」と、ちゃんと認識されたというわけです。それでいきなり90分枠。大成功、で、翌年120分枠。これも盛況。

ただし、翌年東北大震災。「怪談どころではない」と中止。NHKのBSの編成替えがあったこととも重なった。
あの番組が、夏の風物詩として残っていたら、ずいぶんと怪談をとりまく昨今の環境が変わっていたのになあ、と、ほんと残念でなりません。

ところが、このNHKの成功があったとしても、業界全体が怪談についての認識を変えたところまではいかなかった。今も「怪談番組の製作は、コンプライアンスの問題があって、難しい」とされるのです。

でもねえ、これは言い訳の一つだと思うんです。そんなことを言っているわりには、私のところにテレビ局から「心霊写真か動画はお持ちじゃないでしょうか」という電話はかかってくる。現にそういう「心霊番組」は作られ、放送されています。要は視聴率があればいい。これが本音。
つまりは、まだまだ怪談が視聴率をとれるコンテンツとは思えない、というのが業界全体にあるんだと思います。

それを、私はこの夏行った「怪談の魔」の運営でもって、痛感し、だからこそ、クリアせねばならない課題が明白となったんです。

怪談好きな人たちにとっては、確かにネットやライブで怪談を語る人も増え、いろんな人の怪談を聞くことができるようになりました。でも、それは、もしかしたら虚構であるかもしれない、このまま安穏と安心している場合ではない。このままでは桜井館長のいう、10年後には滅ぶ、ということに対して肝を銘じなければならないと、これは真剣に思います。

もう一度、桜井館長の言葉を繰り返します。

「東京にもずいぶん怪談の語り手が増えましたが、各々勝手にやっていて、連携もしていないし、情報も共有していない。観客の取り合いをしているという状況。若い人の語り手や、観客を育てていないので、このままほっとけば、10年後には、語り手も観客も高齢化してしまって、怪談は滅ぶかもしれない」

この問題、もっと考えてみる必要があれます。

続きます。


kaidanyawa at 00:30|PermalinkComments(9)

2016年10月09日

話芸としての怪談の位置

中山市朗です。


女性の語り手がいない、と書きましたら、そんなことはない、怪談を語る女性はたくさんいる、という反応をいただきました。

いますよ。ただ、私が求めているのはちょっと違うんです。
それにはいろいろ複雑怪奇な背景がございまして。


私が、中学、高校の頃に愛読していた本に『落語と私』という桂米朝さんが書かれたものがあります。

ここに、話芸としての落語、について書かれています。


「話芸、しゃべる芸といえば、今日、どんなものが考えられますか」として、米朝さんは次のような芸をあげています。

落語、講談、漫談、浪曲のタンカ(節でない部分)、無声映画の活弁。
そしてそれぞれが、かくも違う芸である、と解説しています。口調、地の文、対話のやり方、説明の仕方、所作、目線の送り方などにそれぞれ、共通点もあるが、まったく違うテクニックを用いるものである。また、つきつめると高等な演出法、テクニックもある。そんなことが、米朝さんらしく、分析しています。
また、今は女性落語家も増えては来ていますが、当時は女性の落語家は、おそらくは皆無。
話芸を女性が披露する困難さと、女性落語家がいない理由も書かれてあります。

また、作品としての落語、にも触れていまして、「名作も駄作も演者しだい」と、書かいています。名人に演じられると、確かに噺が全然別のものになったり、前座さんがやると「あれれ」となったりは、よくあることです。
であるから「高座で演じられる落語と、活字で読む落語はまったく違うものである」と、米朝さんは言っています。

これ、怪談もまったく同じだと思うんですよ。
「活字で読む怪談と、演じられる怪談はまったく違うものだ」。

しかし、米朝さんのこの著書(1975年出版)には、話芸のカテゴリーに怪談が無い。怪談を芸として語っていた人が皆無だったということです。もっとも、落語や講談の中に「怪談噺」というものがありまして、これがそれまでは怪談であったわけです。こんにち我々が語っている怪談とはずいぶん違うもので、別のもの、といっていいでしょう。
しかし、落語家の露の五郎さんは「落語の滑稽噺は、怪談噺の後に成立したものだ」と言っていまして、それがもう無い、演じられていない、と言うんですね。つまり、話芸としての怪談は、このころはもう滅んでいた、ということです。

実は、文芸の怪談もまったく同じ状態でして、このころ怪談を文芸として表現する、という作家はいなかったと思われます。中岡俊哉さんの本がいっぱい出ていたころですが、文芸ではなく、これは怪異レポート、超常現象の報告、記事といっていいでしょう。
あと、『お昼のワイドショー』の中で放送された「あなたの知らない世界」、つのだじろうの漫画『うしろの百太郎』『恐怖新聞』が、1970〜80年代の怪談をリードしましたが、同時にこれらの作品が、怪談とオカルトをごっちゃにしてしまった、ともいえましょう。

稲川淳二さんが、独自で怪談を語りだしたのは1980年代半ばあたり。現代語られる、今のような怪談の中興の祖といっていい存在でしょう、稲川さんは。
文芸では、手前みそになりますが1990年扶桑社から出た『新・耳・袋』。
ただこれは、私も木原も怪談を文芸として、という気持ちもなく、ただ、自分たちが聞き、語っていた怪談をどう読者に伝えるかという、語りの部分を意識したことは事実。それ以外のテクニックは持ち合わせていなかった、というのが正解かも知れません。

先日、上岡龍太郎さんのことを書きましたが、実を言いますと、『新・耳・袋』も、テレビ局、ラジオ局、イベント会社などからは、同様のバッシングをずいぶん受けたものです。「幽霊を信じているのか」「霊感商法をやる気か」「オカルトなんて世迷言だ」とか。オカルトと怪談は違うものだ、と言ってもお偉方のおじさんたちは、耳を貸そうとしない。で、一旦途絶えます。そののちに出てきたのが『超怖』シリーズですね。
1997年、メディアファクトリーより『新耳袋』が復刊、全十夜のシリーズとなります。この復刊に際しては京極夏彦さん、東雅夫さん、有栖川有栖さんらのラブコールが後押しした、と、企画を通した当時の担当者は言っていました。『新耳袋』は、いったん滅んだ怪談文芸を復活させるきっかけになるかも知れない。
京極夏彦、東雅夫、木原浩勝、私で「怪談之怪」を結成。『ダ・ヴィンチ』編集部が後押ししてくれて、怪談文芸復興を旗印に、雑誌掲載用の怪談会を、毎回ゲストを呼んで行っていました。

で、こんな本にまとまったこともあります。今は絶版ですけど。





ゲストを呼んでの怪談会。
メンバーは豪華でした。
春風亭小朝、中島らも、山岸凉子、佐野史郎、山田誠二、岩井志摩子、露の五郎、高橋克彦、佐伯日菜子。
ともに怪談を語り、聞く、という酔狂な会。
実は明治や昭和初期のころは、作家や演劇人が寄り集まって、このような会を催したらしく、その再現でもありました。
そして、文芸といえども、怪談は語りから、という認識が、メンバーにはあったわけです。
でもね、ほんとうにこのころ、怪談を文芸としてみる人は少なかったし、書く人もほんの一握り。で、このころからです。現代怪談、実話系怪談、創作怪談、都市伝説怪談がようやくカテゴリー分けされだした。それまでは、全部ひっくるめて「怪談」だったんです。

この「ダ・ヴィンチ』が怪談の書き手を募集して、怪談之怪のメンバーによる添削が行われ、これが母体となって、怪談専門雑誌『幽』が発刊、怪談文学賞が創設されます。
今はもう、怪談文芸は花盛り。書き手もずいぶんと増え、、大御所の作家も怪談を書くようなり、怪談は完全に文芸の一ジャンルとして認知されるようになりました。こんなことは、怪談之怪を発足したころは思ってもみませんでした。ただ、怪談を文芸として書くのは難しい。中岡俊哉さんの本に近い(中岡さんは分野が違うということ、否定ではないですよ)怪談本も多く出ているのは事実。

で、語りなんですよ。
今年の夏に行った36夜連続怪談会「怪談の魔」をやっていると、いつもの怪談ライブとはまったく違うやり方で、しかも道頓堀のど真ん中。一般の人にうちのスタッフが声をかけるわけですが。
「怪談てなに? えっ聞くだけ?」とか「1時間も聞くの?」「怖いの苦手なんで」「稲川さんやったら聞くわ」みたいな反応が、やっぱり圧倒的に多いんですね。テレビでもラジオでもそんなにやってませんからね、怪談。
だから、知らない、ということが大きい。知らないものに、木戸銭出せない。そういうこと。
また、子供が興味を示しても親が「そんなもの聞くんじゃない」と、そんなもの扱いされることも。

で、その反応、空気感がまさに扶桑社版『新・耳・袋』を出版した頃を彷彿させるのでした。
もちろん、本はこれだけ出ているのでニーズはあるはずなんですが、なんせ「聞いたことが無い」。

で、8月7日にゲストで来ていただいた桜井館長さんは「東京にもずいぶん怪談の語り手が増えましたが、各々勝手にやっていて、連携もしていないし、情報も共有していない。観客の取り合いをしているという状況。若い人の語り手や、観客を育てていないので、このままほっとけば、10年後には、語り手も観客も高齢化してしまって、怪談は滅ぶかもしれない」と言うわけですよ。
私も、このままではその可能性が、確かにあるな、と。危惧していたことがある。

今までは、怪談好き、マニアの前で怪談を語っていたんですね。そら、ニーズはある。ただ、パイはそんなにない。
そしてこの夏の「怪談の魔」、予約は取らない、町のど真ん中の毎夜の興行となると、これ、全然違うんです。道行く一般の人にどれだけ知ってもらえるか、アピールできるか。
弱いんです、やっぱり怪談。ゲストが著名人でも同じ。怪談やっている著名人ですからな。

で、先日、京極夏彦さんにも電話で相談した。『新耳袋』の歴史をもっとも知る人です。
「確かに中山さんのいうこと、わかります。怪談という語り芸をもっといろんな人に聞いてもらえるためには、やらなきゃいけないことがあります」
その、やらなきゃいけないこと、は、極秘事項。それを私、地道にやっていくつもりですから。


いやちょっと、これ、言いたいことたくさんあるんで、続きは明日書きます。



kaidanyawa at 12:23|PermalinkComments(3)

2016年10月08日

私の書斎で……。

中山市朗です。

「気まま酒家」、今夜でございます。
まだまだ参加者の募集をしております。
楽しく飲んで、語り合いましょうや。


CuK2Xu0UsAEWMFJ

























「気まま酒家」店主、Cainさんの宣伝ツィツターです。


【宣伝告知】ネトラジ「気まま酒家」 10月の営業予定は、10月8日 22:00(生)22日 22:00(録)頃よりの 開店予定でございます。さらに!10月29日の土曜日も生放送を行います。 ご来店をお待ちしております。m(_ _)m

そして、11月の土曜日は、5日京都での「闇語りフェスティバル」、12日「Dayk Night 新宿公演」、19日「Dark Night 20」と、イベントが続きます。よって「気まま酒家」の配信は難しい状況ですので、10月29日(土)に、11月分の「気まま酒家」の収録をいたします。
同様に、参加者も募集いたします。

で、オフィスイチロウで、囲炉裏を囲っての恒例の怪談会も、ひさしぶりに行うつもりでして、まだ未定ではございますが、11月26日か12月3日に開催したいと思っています。

「Dark Night」の新宿、原宿公演、および道頓堀公演のご予約は

ダークナイト公式HP

であります。よろしくお願い申し上げます。

そして、今夏のお化け屋敷「人形塚の家」で、消えた作家の部屋に鎮座゜していた、息人形くん。
ようやくお別れの時が来ました。
最後は、ウイスキーで一杯。見かけは子供ですけど50歳は超えるおっさんですからな。

CuK-1CXVUAEI1ja

























な〜んか、この人形といい、いわく人形が居候する、今年の私の書斎でした。



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kaidanyawa at 08:16|PermalinkComments(8)

2016年10月07日

いろいろメンバー募集

中山市朗です。


オフィスイチロウではメンバーを募集しております。


オフィスは会社ではありませんので、お勤めはありません。まずは隔週月曜日の夜に開かれる会議に参加してもらいます。あとはイベントや動画撮影のお手伝いをしてもらうケースはあります。
ですから、正業を持っている方、歓迎です。
いつか独立するなり、フリーでやっていくつもりの方、ますます歓迎です。

仕事は自分で作る。
何もしなければ仕事は発生しませんし、こちらも何の強制もいたしません。給与もありません。
ただし、オフィスイチロウのメンバーとして、ともに発想し、営業し、作品を作る。そして対価を得る、ことはできます。

フリーのクリエーター、作家はそういうものです。
自分で考え、自分で仕事を取ってくる。
スキルがあれば、事務所が仕事をとってくるケースももちろんあります。
ただし、バックに事務所がある、あるいはともに切磋琢磨できる仲間がいる、周りにその道のプロがいる、ということで、頭の中にある妄想が具現化する可能性は、はるかに大きくなります。

特に、オフィスイチロウは、怪談、古代史、歴史、オカルトに特化しておりますので、そういうことに興味がある方は、執筆や映像作品、イベント、放送関係、配信などなど、それをビジネスとしてみたいと思っている方、新しい何かをやってみたいという方、大歓迎いたします。オフィスイチロウがバックアップします。

また、怪談を語ってみたい、という方、当方に連絡くださいませんか?
特にタレント志向の女性の方も探しております。
そういう方たちと、オフィスイチロウのメンバーともども、ともに何かができれば、と思っております。
やっぱり、女性の語り手は圧倒的に足りません。
でも、女性が語るから表現できる、ものもあると思います。それに、客層も変わるかな、と。

何事も楽しくアグレッシブに、が、オフィスイチロウのポリシーであります。


またいずれ、クリエィテブな仕事をやってみたい、という方は、作劇塾がございます。
少人数ですので、各々に合わせたスキルを学べます。
業界のルール、ノリもね。テンション高いでっせ。

まあ、何もしなければ、何も動きません。
思う前にまず行動!

メンバー募集、塾生募集、「気まま酒家」の参加募集、ともに、

info@officeichirou
06−6264−0981

へ、遠慮なくご連絡、どうぞ。





kaidanyawa at 06:20|PermalinkComments(10)

2016年10月06日

怪談を聞きながらのディナーはいかが?

中山市朗です。


昨夜は、大阪四ツ橋にあります、レストラン、カフェ・シャルボンで、怪談を聞きつつ、ディナーというイベントに、出演してきました。


「先生、今日、台風来るようですから、傘持って行かれたほうがいいですよ」と、同行する秘書に言われ、こうもり傘をもって、現場へ。この時点で、全然雨なんて降っとらん。
すでに楽屋入りしていた、ヨシモトの若手芸人たちから挨拶を受け、続いて伊藤綾美さん、松原タニシくん(生きてた!)、ガリガリガリクソンくんと次々に楽屋入り。
伊藤綾美さんからは「私が18歳の時、中山先生と共演させていただいたんですよ」と言われて驚き。
「あっ、6、7年前のプラネタリウム!」
そうこうしているうちに、雨が降り出し、勢いも増してきた。台風が上陸か?
すでにお客さんは、席についている。もしかしたら電車も停まるかも、というニュースが。
わくわく。
私は歩いて帰れる距離やから。

で、いよいよ、イベント開始。

出演メンバーは次のごとく。

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左より、ガリガリガリクソンくん、松原タニシくん、伊藤綾美さん、わし、ツートライブたかのりくん、おとんどう福田くん、ダブルアート真ぺえくん。
あれれ、私だけ芸人ちゃうやん。綾美ちゃんは、元アイドル?

レストランは90人ほど入るキャパで、ほぼ満員。照明を落としてテーブル席の蝋燭が照明。
雰囲気あります。
趣向は、と申しますと、各自が怪談を一話ずつ語り、その怪談をイメージした料理が運ばれてくる、というもの。

ちなみに私は、丑の刻参りの怪談を披露。
そしたら、こんな料理がテーブルに運ばれました。

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まあ、そんなこんなで、我々は2時間、ずっと怪談しゃべっぱなし。

一番、ゾッとした話は、伊藤絢美ちゃんの家族離反の話。
話の途中で突然「アハッ、アハハハハ、アッハハハハハ」と、笑い出し、客席も我々も「あ、気が狂った」とドン引きしたのですが、幽霊の笑い声を表現したのでした。唐突すぎて、わからんかったわ。

まあ、そんなんで、お客さん、楽しんでいただきましたでしょうか?

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あまりの好評をいただき、12月19日という忘年会真っ只中の時期に、第二弾をするそうです。

「打ち上げは、ステーキ食べ放題ですよ」とガリガリガリクソンが言うので、もう頭の中はビールとステーキ。
楽屋でも極力飲み物を口にせず。
そしたら、諸事事情があって、中止に。
「バカヤローオー」

カラリと雨もやんだ心斎橋を(台風、どこ行ってん?)、タニシくん、真名子とそぞろ歩き、改めて三人で「鳥貴族」で打ち上げ!
もらったギャラ、ここでみな使うてしもたわ!
で、傘は全然使わんかったし。


ま、楽しけりゃ、それでええか。







kaidanyawa at 11:06|PermalinkComments(4)

2016年10月05日

上岡龍太郎、怒りの罵倒!

中山市朗です。

まずは告知。
今週土曜日、ネトラジ「気まま酒家」の収録があります。


【宣伝告知】ネトラジ「気まま酒家」10月の営業予定は、10月8日 29日22:00(生)、22日 22:00(録)頃よりの開店予定でございます。さらに!10月29日の土曜日も生放送を行います。ご来店をお待ちしております。m(_ _)m【放送URL】http://std1

参加者、募集中。

私の書斎で、うだうだ酒を飲みながら、語り合う、というものです。
一応、飲み屋、という設定で、店長はCainさん。お酒、肴は持ち寄り散財でーす。
まあ、楽しく飲み語っているのを、ネット配信しようという、何も生まない企画です?
テーマは、まだ決まっていません。こんなことについて語りましょうよ、というリクエストも募集。

info@officeichirou.com
までメールください。
また、作劇塾の見学やオフィスイチロウのスタッフ募集も、同じメールで受け付けています。


さて、本文。昨日の続き。
いつにも増して、長いですよ。


上岡龍太郎が、中山市朗に対して激怒している?

何が起こったのか?



ラジオ番組で怒ってたそうなんですね。その知らせてくれた人が、たまたま録音をしていたのですが。
こんな内容。
番組に桂雀々さんが出ていまして。「うちの小米朝が今度こんなトークイベントやりますねん。宣伝してくれいわれたんで宣伝しときます」
「なんのトークやねん。聖徳太子を語る。オカルト研究家、中山市朗?」チラシにそう書いてあったのを読んだんですね、上岡さん。
「オカルト研究家て。あのな、オカルトなんて世の中無いんや。無いもんの研究やってるって、こいつアホや。こんなアホおらん。こういうヤツに限って、もの知らんねん。この中山というヤツに、聖徳太子はおったか、聞いてみ。きっと、おる、言いよる。隋の使いの裴世清は、聖徳太子に会うたか、聞いてみ。会うたときっと言いよる。そのくらいの見識しかないはずや。ほんまは裴世清は聖徳太子に会うてないんや。なぜなら裴世清は九州王朝の王に会ったわけで……」と、アメノタリシヒコと九州王朝の話をしだして。隋の使者、裴世清は九州王朝のアメノタリシヒコに拝謁したのであり、それは聖徳太子とは別人である、との説。
これ、完全に古田武彦説の受け売り。
しかし、オカルトやっているヤツはアホ、という強烈な概念があるからか、中山はこんなこと知らんはずや、これ聞いたら答えられんはずや、と決めつけが酷い。しかしね、古田武彦の本、当然読んでいますよ。
しかし、上岡龍太郎はますますヒートアップ。
「ともかく、オカルト研究家をやっている中山というヤツは、ロクでもないヤツに決まっとる。こんなん聞きに行くヤツの程度も知れてる。こういうのはインチキや。なんなら、わしが乗り込んでいって、こいつ論破したるわ」

上岡さん、来たら逆に論破する自信、ありましたけど、来ませんでした。
確かに私は、上岡さんの質問に対して、「裴世清は聖徳太子に拝謁した」と言ったでしょう。裴世清の一行は九州王朝ではない、飛鳥の都に行っている。そう答えていたでしょうね。
仮に、私が古田説と同様の発言をしたとすると、それは単なる古代史好きが、飲み屋で飲みながら語っているレベルにしかならないじゃないですか。自説があるから、作家としてのテーマになる。

私の場合、四天王寺の伽藍配置の謎解きから始まって、聖徳太子の母の血統に注目して、丹後半島というキーワードが出た。すると、アメノタリシヒコの正体に関するものがあった。当然、丹後半島への取材も行ったうえで一つの推論が出た。その推論に、小米朝さんやトリイホールの支配人がいたく共感してくれ、イベントを、となったわけです。
いや、そもそも私がCS京都で「京都魔界案内」を企画し、ロケを行っていたのも、その謎解きの一環だったわけです。歴史学は文献学、でも私は作家ですから、そういうことに縛られない。テレビクルーとともに現地へ行き、そうとうの関係者にインタビュー、取材をし、地元にしかない史料をかき集め、国会図書館からも裏付ける史料を取り寄せた。
当然、推論に当たっては、それを確認し、補強するために、古田説に限らず、アメノタリシヒコや「隋書・倭国伝」に記された内容に関する説は、読めるものは全部チェックしていましたから。人前で発表するわけですから、そのくらいの準備はしてますよ。いい加減な説なら、小米朝さんも疑問を呈して来ますよ。
ただ私は学者じゃない。専門家でもない。作家として見た一つの論説を聞いてもらうものです。
お客さんも、そこは承知しています。
ですから、そういう事情を知らない上岡さんが、ラジオで延々と罵倒し、インチキ扱いしたことは、まったくの筋違い、思い違いだったわけです。
それに私は、上岡さん『日本書紀』、ちゃんと読んではります? とも言いたかった。古田説という色眼鏡を通してしか読んでおられない。
別に、オカルトを否定したり、怪談はわし聞かんし、興味ないわ、というのはかまわないんです。

上岡さんの実母が祈祷や占いに凝り、またその母が癌になったとき、明らかな霊感商法を目の当たりにして、毛嫌いするようになった、ということは知ってはいました。霊感商法は、一般の人を騙して金を巻き上げる。けしからん。許さん、ということです。つまりは真面目で正義感のある人なんです。

ただ、心霊商法とオカルト研究とはまったく違う。

しかも、業界でトップを張っている大御所が、会ったこともない若僧を名指しで勝手な思い込みだけで徹底的に罵倒し、ライブ行くやつもアホやと、私のお客さんを愚弄する発言をも、それを公共の電波で言うというとなると、これは卑怯です。同じ力のある、マスコミにメインで出ているような人を叩くのならまだいい。これはね、我々も反撃ができない。やってはいけないこと。
それに今回は、心霊話をするわけでもない。小米朝さんと「聖徳太子」について語り合うというもの。

でもね、上岡龍太郎さんが、古代史に興味をもっていたことは、有名な話。いや、古代史というより、古田史学に思い入れがあったようです。
古田史学に対しての、純粋で真面目な思い入れと共感。それは古田武彦の信者としての真面目さであって、それ以上でも以下でもない。まあ、タレントさんですからね。
つまり、古代史について、真面目な気持ちで興味は持っていたが、別に本気になって自分も研究してみようとか、取り組もうとか、そういうことはなかったわけです。まぁ、引退後に『週刊宝石』に古代史ものの連載をもっていたことがあったようですが、話題にはなりませんでした。
でもね、古代史というものが本気で好きであったなら、まずは、「そいつはどういう説を持ってるんや」「オカルトから古代史を語るって、どういうことや」という興味がわくはずです。そうならなかったのは、古代史に関しては、上岡さんは素人、つまり古代史好き、古田武彦ファンである域から出なかった、ということ。
それと、「オカルト」という言葉が、上岡さんの思考を狂わせたこともありましょう。

で、あれだけ罵詈雑言を公共放送で吐き散らしたわけですから、一流のタレントとして、責任は取らなきゃいけない。本来そこはトリイホールに一度は足を運ぶべきでしょう。ライブは、私一人でやっているわけではない。共演者、司会、スタッフもいる。主催者もいる。そして、お客さんもいる。その営業妨害をしたわけですから。でも、お客さんは満員。さほど影響はなかったようですが、公共電波で無責任な発言をした罪は消えない。足を運んで確かめるべきです。
その上で、「聞いたけどやっぱりアホやった」と言われたなら、それは私の勉強不足。
「出直します」、と謝るしかない。
でも、私も上岡さんを多少なりともは「ほほぅ」と唸らせるだけの自信はありました。ただ、今思うとまだまだ当時の私は青いですけどね。そしたら、上岡さんのオカルトに関する考えも、多少は変わったかもしれない。
「わしは、オカルトというものを誤解しとった。あのインチキ呪い師や霊媒師と、オカルトはまた、違うもんなんや」とね。実際そうですから。
しかし、上岡さんは、そこは本気で考えているわけではないから、一方的に罵詈雑言を浴びせるだけで終わったんです。で、会場にも来なかった。これでは何も生まれない。不快な思いをお互いにしただけ。関係者も迷惑していましたし。この電話をくれたのは、私のライブによく来ていた人でしたが、ほんとに怖がっていました。

上岡さんは、芸にも厳しい人だったらしい。ほんとに、真面目な人だったんです。
真面目な人だったから激怒したんです、オカルトという不真面目なものは認めない。その怒り。で、ラジオで毒吐いたら、それで満足した。でもそれでは何も建設されない。真面目の怖さがここにある。

往々にして、真面目な人というのは、、自分が正義、正しい、という自負があることが多い。そして、それ以外の価値観、やり方をけっして認めないというところがある。何を言っても聞かない。真面目な上岡さんには、オカルト、という言葉がその逆鱗に触れたのでしょう。オカルトは上岡さんからすれば、悪なのです。絶対に認められない。

しかしね、オカルトというのは西欧においては、宗教学のカテゴリーにちゃんとある。
聖徳太子は、母方から海部の巫女の血筋を受け継いでいた。だから生まれながらに傑出した人物となりえた。神と対話ができるという血筋です、これは。そういう人が皇子となった。そして、仏教を学問として取り入れ、道教の理でもって日本の神々を体系化しようと試みた。その痕跡が、聖徳太子が建立したという四天王寺に、ちゃんと残っています。風水で説くと、それが分かる。でも風水で説く、というのは歴史学でやることではない。つまり、聖徳太子を理解するには、当時の神々とはどういうものだったのかを理解せねばならないのです。海部と物部、秦氏と賀茂氏、牛の生贄、牛頭天王、四神相応、予言の書、これらは歴史学だけでは解けない。オカルトの範疇に入る。天皇を作ったのは聖徳太子だと私は断言します。聖徳太子の血統と四天王寺の存在がそのことを物語っています。そして天皇という存在は、まさに日本の神秘主義の奥義中の奥義で成り立ちます。オカルトを完全否定することは、天皇という存在と宮中祭祀も否定することになる。

オカルトはあるんです。超常現象のあるないではなく、神秘主義の体系、秘教学としての叡智。これはあったんです。風水なんか当たらん、と言っているのは現代人。当時の人はそれを信じた。都市づくりもそれが取り入れられた。陰陽師もいた。加持祈祷も行われた。古代の神社や祭祀場は、絶妙な配置関係と配置された祭神で、神との対話を試みているんです。古代史は神々と人間の協調、共生でなりたっていたわけですから。古代人は神がいると信じて疑わなかった。そこに森羅万象の叡智があると思った。空海の真言密教も、陰陽道もそこから生まれた。
私は歴史学者ではないけれど四天王寺の関係者から、、聖徳太子の「未来記」の存在を聞かされ、それがきっかけで古代史の研究をすることになった。「未来記」解読に必要だという天津金木学とか聖書の解読法からそれは始まったんです。するとそれは歴史学ではないアプローチとなり、宗教、特に秘教学、つまりはオカルトについての本格的な研究が必要だと悟り、オカルト研究家の看板を上げたわけです。そのとき、作家活動の中で、これもやっていこうと決めたわけです。それは加持祈祷や占いを肯定するものではない。しかしその加持祈祷を行ったり、占ったりした一族が古代の日本を動かし、支配していたことは事実。その一族たちは、どこから来た、何者かというところに、古代史を解く謎や、天皇に関する情報があるんです。私のやろうとしたことはそういうこと。しかし、そこを上岡さんは、聞く耳を持とうとしなかった。いや、わかろうともしなかった。
そして、頭から全否定し、公共電波で罵倒した。
真面目すぎて、別の意見を聞くとかができない。聞く耳を持たないから、番組がオカルト肯定というスタンスになると、怒り心頭で本番中でも席を立つ。
もう、そこは、クソ真面目なんですよ、気に入らない問題に対しては。妥協を許さないというか。
テレビ局もそういうところを面白がって使った。

しかし、上岡龍太郎という人は、あれほどのタレントでありながら、その問題に一石を投じることはしなかった。
アンチだからこそ、詳細を知る、ということもあるんです。私も、霊なんているはずがない、から怪異蒐集を始めたわけですし、聖徳太子の「未来記」なんてあるわけ無い、という疑問から聖徳太子の研究を始めました。
上岡さんは、そんな気は毛頭なかったのでしょうが、本気でオカルトを毛嫌いするなら、あえてもっと奥まで知るべきでした。オカルトはほんとうに深いですから。テレビのやっているオカルトなんて、あれは遊び。まやかし。
「お前ら、オカルトを馬鹿にしてるやろ。お前らのやってることはうわべや、遊びや」というスタンスなら、恰好よかったんですけどね。インテリ・タレントでもありましたから。占い師を本番中に殴るなんて、あのやり方はヤクザより質が悪い。上岡龍太郎というタレントは、それでも嫌いではなかったのですが、あの態度を見て、失望しましたもん。
オカルトの研究をやっているからオカルト肯定者、という考えも短絡的。

今の私なら、上岡さんが現役であるなら、なんとかステージに引っ張ってきて、古代史バトルをやってもいい。大きな問題がきっと提示される。上岡さんが本気でないなら、私は本気であたる。上岡さんを本気にさせる。
本気で上岡さんとぶつかるなら、こら、真剣勝負を挑むしかないですわな。
そしたら、きっと、何かが生まれるわけです。マスコミは絶対に動くでしょうしね。

人を罵倒したり、占い師を殴ったところで、何も生まれない。不毛とはこれ。

だから塾生に言うんです。
真面目だけではいかん。
我々フリーランスの人間には、真面目だけでは仕事は来ない。付加価値は作れない。覚悟を決めた本気があって、真剣にことにあたるべきである、と。
単に好き、とか、うわべだけでは何も生まれない。
本気になれ、腹をくくれ、と。
本気でことにかかるのなら、人の協力はいる。そうなると人を動かす必要が出てくる。そもそも周りの人の気持ちを動かせない者が、作家になろうなんて、土台無理。
人を動かすとなれば、責任も伴う。戦略的思考も必要。真摯に交渉し、協力を求める。そして手段を尽くす。そういうところには付加価値が生まれます。仕事が生まれ、何かが創造される。そういうことが続けられて、はじめてプロ。そういう人は、人を裏切らないし、期待を裏切らない。だからプロなのです。

それと、今回書いたように、上岡さんがラジオで発言した一連のことは、ずっと私の頭の中にあります。ただ、それがオカルトへの偏見を無くしながら、いかにオカルト的アプローチから古代を語る必要性があるか、という考えを生み、そのような論説を試行錯誤していることにつながっています。ですから上岡さんを恨むとか、そういう気持ちはまったくございません。あるキーワードで激高してしまうことは、私もよくありましたから。
芸人としての上岡龍太郎は、いあれ以来いつも気になる人でしたし、今もって一流の芸人だったと大きく評価もしています。誤解のないように。





ということで、私の説く、古代史本です。
宣伝か!
そや。






捜聖記 (文芸シリーズ)
中山 市朗
角川書店
2001-12


kaidanyawa at 03:02|PermalinkComments(9)

2016年10月04日

上岡龍太郎が怒っている?

捜聖記 (文芸シリーズ)
中山市朗です。

明日です。
食欲の湧かん話したろかな。


CseEfHFVUAEAuXR















※注意 5日という日付はあっていますが(月)というのは、(水)の間違いだと思います。               それとも、特別な意図でも?

で、「気まま酒家」の収録もあります。
参加者募集しております。

【宣伝告知】ネトラジ「気まま酒家」10月の営業予定は、10月8日 29日22:00(生)、22日 22:00(録)頃よりの開店予定でございます。さらに!10月29日の土曜日も生放送を行います。ご来店をお待ちしております。m(_ _)m【放送URL】http://std1


本文です。

真面目、について考えております。

私自身、真面目かと問われると、不真面目ではないが、真面目でもないですね、と答えるしかない。
真面目というのは、他人の評価であって、自分で言うことでもない。
「僕、真面目にやってますやん」と言われても「あたりまえやん。それがどうした?」と返事するしかない。

真面目、真剣、本気、真摯というのは、辞書によると言葉としてはほぼ同義語となると、前回書きました。

しかし、真剣勝負、という言葉はあるが、真面目勝負という言葉は無い。
これは文字通り、真剣で勝負するという意味から来る。集中力をもって事にあたる、失敗すれば大きなもの、信頼とか信用とか、あるいはキャリアを失う状態にいる、必死に何かに打ち込んでいる状態のことでしょう。しかも、挑むか挑まれて受けるか、という状態にいる。
人によれば、これを無謀だとして、こういう状態を避けることでしょうね。でも、そういう人は真のプロになれない。勝負に挑み、挑まれる存在にならなきゃいけない。プロとはそういう存在でしょう。そうしないと、のし上がっていけないでしょう。また、真剣勝負をするにあたっては、真面目に挑まねばならない。当然のこと。
ただし、真面目と真剣では、次元が違う。

「本気ですか?」と問われて「本気ですよ」という返事は、よくしています。
ことを成すときは、本気であたらねば、成就はしない。本気とは、本当の気持ち、ですから、嘘偽りはない、覚悟を持っています、という気持ち。フリーの人間には、この覚悟が必要なわけです。
物凄く、理不尽な世界ですから、この社会は。だからフリーの人間は、覚悟をもたねば、生きていけない。
真面目は性分であったり、性格であったりもすることがありますが、本気になるためには、決断がいる。覚悟がいる。
真面目と本気は性質が違う。
本気で怒る、とは言いますが、真面目に怒るとは言わない。
本気で怒るときは、侮辱されたとか、何かを守る、あるいは相手のことを本当に考えているときでしょう。本気にならないと人には伝わらないわけです。本気だからこそ、声を荒げ、時には暴力も、いや、暴力はいかん。
ただ、真面目な人もよく怒ります。真面目な人の怒りは、自分の価値観と違うものが許せない、という怒りです。ちょっとこのことについては、後に述べます。

真摯というのは、真摯に受け止める、真摯に取り組む、という使い方があります。真は、まとこ、摯は手でしっかり持つ、という意味です。ですから、ゆきとどく、手厚くする、という状況に応じた態度ですな。これは、社員教育などで培われるものじゃないかと。

真剣、本気、真摯は、このように違うわけですが、辞書によると同義語となっているのは、あくまで真面目が基本にあるよ、ということなんでしょうね。

ちょっとこんな例を出してみましょう。
テントさんの追悼記事で、いろいろ質問を受けたので、そこも兼ねて。

1999年ころのこと。
桂小米朝さん、今の米団治さんと飲んでいて、古代史トークで盛り上がったんですね。
小米朝さんは、自分で古代史オタクや、と言うてまして、日ユ同祖説とかも、はまってはりました。
それが縁で、私がCS京都で担当していた「京都魔界案内」にもノーギャラで出演してもらったりして、意気投合。ミナミにありますトリイ・ホールの支配人がまた、古代史やユダヤの問題にはまっていた人で、「3回に分けて小米朝さんと古代史を語るイベントをやりましょう」と、話はとんとんと決まったわけです。
で、そんなある日、知り合いから電話があって「中山さん、大変です。今、上岡龍太郎さんが、中山さんのことでえらい怒ってはりますよ、激怒といっていい」と言うんですね。「はぁ?」
上岡さんとは、お会いしたこともない。おそらく向こうは私のことなど知らないはず。

なにが起こった?



続く

聖徳太子対談 飛鳥昭雄×中山市朗 (ムー・スーパー・ミステリー・ブックス)







kaidanyawa at 00:09|PermalinkComments(5)

2016年10月03日

真面目、真剣、本気、真摯

中山市朗です。

私は、文筆活動をするにせよ、語りを披露するにせよ、言葉というものをどう選び、いかに使ってどう表現するかということを意識するわけです。と、やっぱり難しいわけですよ。

人間というのは、当然個々の考え方ややりかたがありまして、同じではないわけですな。
しかし、人間は、特に日本人は、同じ価値観、意味、感覚を共有したがるものでして。そのツールが、言葉、つまりは日本語なわけです。

ところがこの日本語、これは非常に優秀な言語だと思うのですが、曖昧模糊としている部分が多い。ですから、同じ言葉を聞いたら、各々が各々の解釈をして、おそらく他人もそう思っているはずだ、と思い込んでしまう。
だから、誤解が生じる。

よくありますやん。男女間で「言った」「言わない」で喧嘩になる。
あれ、男は男の価値観で言って、女は女の価値観で聞いて、そこでもうズレが起こっているわけですよ。
男と女は、違う生き物ですからね。男と女は同じ人間、ではない。男と女がいて、人間。
だから、男は「そういう意味では言っていない」となり、女は「そう言った」となる。
いったん、言った、言わない論争になるともう収拾がつかない。
お互いが自分が正しい、と思っていますから。ですから、
「なあんだ、そういう意味だったのか」とは絶対にならない。だからどちらかが妥協して謝るしかない。だから大抵は私が謝って……、うん、なんの話?
まあ、価値観が違うからこそ、男と女は惹かれあうわけですけど。

さてさて、昨日、塾で取り上げられた「真面目であることが必要か」について書きました。
そしたら、塾のお局さんも、「真面目」についての記事をブログに載せていました。

【塾生】甲斐田美穂

女性視点から見た「真面目」。こういうのは読んでいて面白いですな。男と女の考えることはやっぱり違う。で、男の立場からすると「わかってねぇな、そういう意味じゃないんだよな」とか思ったりするわけです。いかにも銀行員らしい考えだなあ、とか。
これね、でも立場とか、男女の相違だけの問題ではない。
「真面目」という言葉の意味が、実は不明瞭であることから生じる問題でもあるわけです。「真面目」とはなんぞや、ということを言語に戻って考えてみましょう。

「広辞苑」を引きますと、

真面目=嘘いいかげんでなく、真剣であること。本気であること。
真剣=真面目に物事に対するさま、本気で物事に対するさま。
本気=真面目な気持ち、真摯な気持ち。
真摯=真面目で熱心

これによりますと、真面目、真剣、本気、真摯はほぼ同義語となっております。つまり、曖昧なのです。おそらく、「広辞苑」を執筆された学者さんは、「真面目」はいいことなんだ、という既成概念があって、真剣、本気、真摯に、真面目という言葉を使用したんだと思います。

でも、真面目と、真剣、本気、真摯は違うぞ、というお話を、明日書きます。











kaidanyawa at 00:10|PermalinkComments(1)

2016年10月02日

真面目であることは、必要か?

中山市朗です。


先日の作劇塾で、話題となったことがあります。
それは「真面目」ということが、いいのか、悪いのか、という問題。
これは、塾生からの提案で、「作劇ネトラジ」でも、このテーマを議題としました。

私は「真面目ですね」と言われた覚えがありません。中学、高校の頃は言われたことがありますかな。まあ、前世紀の話。たとえ言われても、私には全然誉め言葉とは取れないわけです。また、現に真面目ではないですから、私は。真面目に働くことができないから、今のような人生を送っているわけでして。

でもねえ、真面目なヤツもなんとはなしに、好きになれません。
考えたら、なんでやろ? と思います。

確かに、「真面目に働く」「真面目に行動する」「真面目に考える」ということは必要だと思いますし、子供のころは誉め言葉のように思っていました。
「真面目」の反対は「不真面目」ということになると、不真面目ではいかんですしね。
じゃ、なんで、「真面目」という言葉に抵抗感があるんやろ、と考えたわけです。

まず、真面目ってなに?
それだったら、辞書を引けばよろしい。

  1. うそやいいかげんなところがなく、真剣であること。本気であること。また、そのさま。「―な顔」「―に話をする」
  1. 真心のあること。誠実であること。また、そのさま。「―な人柄」「―に暮らす」

と、デジタル大辞泉にありました。

あらら、やっぱりいい意味ですね。「真面目」というのは。
でも、やっぱり抵抗感がある。
「私、真面目にやっています」と言われると、なんか腹たつ。
辞書にある言葉をそのままとれば、「人としてあたりまえのことやってるだけやん」と思ってしまいますし。とりたてて言うことかよ、と。

大人になっての「あの人は真面目な人だね」という評価は、どうも面白みが無い、というか、ほかに取り柄がない、突出したものがない、という人への評価のような気がするんですよね。可もなく不可もなく、というか。
これね、子供には誉め言葉なんですよ。
「真面目な子」、というのは、大人が言ったことに対して忠実である子なんです。子供は大人に与えられたことに対して、疑問もなく、行動し生きることが求められるわけで、子供はそうあるべきなんでしょう。また、それが教育なわけです。
で、大人の世界に反抗すると、これは不良というレッテルが張られます。だから真面目に学園生活を送らねばならないのです。
でも、大人になってもそのままでは、軍隊でいう一兵卒。サラリーマンでいう平社員で終わる。そういう人が必要ですからな、世の中は。おそらく、日本の高度成長期を作り、支えた先輩たちは、「真面目」にコツコツ働いてきたわけで、だから今の日本があるわけです。
「真面目で勤勉」というのは、世界の国々の人たちが、日本人に抱くイメージのようですし。また、人としてどう生きるべきか、という教えを説いていた寺子屋教育は、幕末から明治にかけて、偉大な人物を数多く輩出しましたが、明治以降の日本の近代教育は、富国強兵のもと、一兵卒とまじめに働く労働者をひたすら作る教育に転換していったんですね。だから、太平洋戦争のあたりになると、どうも歴史上の人物が小粒になる印象があります。
戦後も、まじめに働く労働者を作るための教育がなされ、そこに疑問の余地は無かったと思われます。
だから「真面目」で「勤勉」な日本人が生まれたわけです。で、経済大国になりました。これは認めねばならない。
でも、その「真面目」「勤勉」が、このグローバル時代には通用しないぞ、と日本人は気づき始めている、のではないでしょうか?

クソ真面目、という言葉がありますが、これはもう融通が利かないとか、要領が悪いとか、周りに迷惑をかけているような人に対して、使う言葉ですな。
真面目一辺倒、というのも、あまりいい言葉としては使わない。真面目しか取り柄がない、困った人という意味。

で、要領のいい人というのがいる、既成概念とか、ルールを逸脱した自分なりのやり方で、成果を早く出す人、頭のいい人という意味で使われます。まあ「要領のえやっちゃなー」というのは、うまいことやりよったなー、という意味でもあります。
で、うまいことやりよったなー、というのは、たいてい人との関係の評価では?
人が大事、人脈が財産、人との信頼関係が重要、そう思っているから、ちゃんとしかるべき人の懐へ入って、人間を知る。最初は下足番、かばん持ちから始まって、その人や周りの側近、ライバルたちを見る。そこから、自分のやり方、というのは、勝手にそうするのではなく、そういったしかるべき人から学ぶことを知るんです。
歴史小説やドラマで、必ず頭角を現す偉人たちは、ここが上手いですわな。中には人選誤って消える人もいてますけど。

実は、大物といわれる人たちの評価は、「真面目」であるより「要領の良さ」、それは直感や経験を積んだうえでの自分なりの判断をする、ということでしょうか。固定概念にとらわれず人を見て、期を知り、運を呼び込む。しかし、明確な目標に向かって、戦略的な考えをもっている。まあ、それに尽きるのだと思います。
起業家や政治家、軍の将校クラスの大物は、必ずそういった面を持っていて、そこにけっして「真面目」という評価は値しないのでしょう。
ただ、真剣、誠実が真面目であるというのなら、それが前提としてあっての戦略的な思考。真剣、誠実であるからこそ、効率的な行動を起こし、明確な成果を出そうと粘り強くことにあたる、というのが要領なのかな、と。

今の作劇塾の塾生のほとんどは、サラリーマン、OLですから、「真面目」さは会社に求められ、求められたことに対して真摯に対応し、仕事をこなす、ということをやっている日々なのでしょう。
でも、我々の世界は、自分がやらなきゃ、何も求められないわけです。作品を作って、発表して、対価を得てはじめて食っていける世界ですから。「真面目」だけではなんともならんのです。
会社員の人たちは、その会社にいることで付加価値を持っていることになります。会社が有名企業ならば、ブランド力が備わります。必ず名刺には、そのブランド力のある会社の名前が表記されます。そのブランドで、信用を得たり、仕事をもらったり、取引先になってくれたり、顧客がついたりするわけです。ですからその「ブランド」の信用を傷つけたりしてはならないし、大きくする責務がある。だから、会社に対して忠誠を誓い、会社のいうことには「真面目」に対応し、仕事を黙々と熟すことが、企業戦士のあるべき姿である、ということなんでしょうね。

でも、作家やフリーランスのクリエーターは、そのブランドは自分で作らねばならない。すると「真面目」だけではとてもではないが、通用しない、ということになります。

以前、バイトを優先して潰れていった塾生たちに「バイト脳になるな」としきりに警告していた時期があったのですが、言われたことを淡々とこなし、安い時間給、代替の利くのがアルバイトの世界。
クリエィテブな仕事とは真逆の世界。
そら、食っていかなきゃならないから、バイトは不可欠かも知れないが、よほど、創作に対して、真剣、誠実であって、成果を出すべく要領を得たことを実践していなきゃ、潰れるけです。

まあ、私のいる世界は、通勤も拘束された時間も無し。締め切りはありますけど。
昼から酒を飲もうが、昼間寝ようが、べつに誰も困らないし、とがめる人もいません。上司も、命令される作業もない。気楽なもんです。ただし、ちゃんと作品を作り、発表し、対価を得ないとプロではない。そこは要領です。
そして、作品をブランドにする。
ブランドがあれば、発注は来る。これは会社と同じ。

確かに「真面目」なだけではねえ、なんか面白いことはないのか、
自分で何か、付加価値を生み出せないものか、
と、思ったら、作劇塾へ来てみるのも、また、要領のいい話かも?













kaidanyawa at 03:22|PermalinkComments(2)

2016年10月01日

鬼が笑っている? 笑わせとけ!

中山市朗です。


「夢を語る」というのは、ええもんですな。


先日、「Dark Night」の管理、運営をやってくれている中村壮快くんと、「ああだ、こうだ、あんなんしたい」と、語り合ったんですよ。

今年の夏の様子から、なんだか来年の夏は怪談が来そうな感じがする、と。これは私だけでなく、年間160回のお笑いライブをやっている壮快くんも、そう思っていたみたいで。だったら今から仕掛けなきゃ、ということで、やってみたいこと、そのために今からやっておくべきこと、どういうラインを使って、誰を巻き込むか、というところまで、具体的に話し合ったわけです。
実は、11月に開催する新宿、原宿での「Dark Night」は、そのための種蒔きという位置づけなんです。これは前々から思っていたことなんです。

http://sakugeki.com/


そして、後日、こんどはこの夏の「人形塚の家」のプロデューサーで、劇場ZAZAの支配人Yさんとも会って、今回の反省点を明らかにしながら、この経験を生かして、来年もなにか仕掛けなきゃ、と談合。

壮快くんと話し合ったことが、ちょっと見えてきたんです。

で、Yさんもねえ、私と似た考えの持ち主で、大阪愛のある人。で、人のやらないことをやりたがるタイプ。
意気投合。大阪で仕掛けるなら、こういう人の力も必要。

そして、京極夏彦さんとは、夜中に2時間以上もの長電話で、いろいろ相談。
率直な意見を聞かせていただきました。

もう、来年の夏に向けて、いろいろ戦略を立てて動き出しています。どこかで怪談ライブをやろうとか、そういうレベルではなく、そういう土俵を作らないと、という話。それを一つ一つクリアしていくのが、わくわくして楽しいわけです。実現なるか、ならないかはわかりませんが、やってならなかったら、その経験は活かせる。
やらなかったら、絶対にならない。
これは後悔する。

要は、このブログを読んでくださっている、私を応援してくださっている方たち、怪談好きのみなさんが、来年夏も存分に楽しんでいただけることが、第一の目標であります。

みなさんも、夢を語ってください。

ああ、オフィスイチロウ、人手が足りん!


info@officeichirou.com



kaidanyawa at 11:33|PermalinkComments(5)
プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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