2021年03月24日
2021年03月24日
『オカルトエンタメ大学』〜山の牧場の全史を語る
中山市朗です。
『オカルトエンタメ大学』〜山の牧場の全史を語る、第四弾も終わり、いよいよ今夜は完結編となります。でも完結はしません(笑)。

https://youtube.com/watch?v=d9Cuj2j6ExM…
動画にはいろいろコメントも寄せていただいております。ありがとうございます。
今回は、新しく建てられた建物があり、その二階に女性が住んでいた形跡があったという謎がでました。
この無理やり造った橋子を上ると、

そこはステンレス台のキッチンがあり、すぐ横に簡易バスルームが設けてありました。
半透明のトタンの奥がそれです。
で、板が通してあって、奥の空間へと行けるようになっていました。
よく見ると、ブロックの壁に穴をあけています。

この板を渡って奥へと行くと、

このような部屋があります。
これは、2018年に撮ったもので、荒れていますが、2011年『北野誠のお前ら行くな』のロケ時には、まだ部屋の体を成しており、床は畳敷き。衝立の向こうに女性用のシーツをあしらえたベッドと女性用のファンシーケースがありました。洗濯機と冷蔵庫もあり、比較的若い女性が生活していた痕跡を想像させます。
この部屋の様子は『北野誠のお前ら行くな』のDVDでご覧になれます。
現地にテントを張って、怪談会をやっている様子もあります。
でも、この建物には、トイレはありません!!
あるとしたら、牛舎の奥。夜中にトイレに行きたくなると、懐中電灯を持って梯子を下り、一旦建物の外へ出て、牛舎に入り、長〜い牛舎の奥へと走って、真っ暗な広〜いトイレで用を足す、ことになります。しかもすっごく狭いトイレです。
下の写真は、女性が住んでいたと思わしき部屋の窓から、牛舎を望んだもの。
大量の便器があるトイレは、この赤い屋根の牛舎の奥、先端の部分にあります。
遠いいし、怖い!!

この写真ではかなり建物は壊されていますが、2011年時は窓枠などもあって、生活臭のようなものが残っていました。
部屋は、相部屋ではなく、一人の女性が住んでいた、と思わせる様相ですが、キッチンをはさんだ向こうは男たちが雑魚寝をするような畳部屋も確認しましたから、男たちと同居していたと思われます。あんなとこ、女性一人では住めません。
我々もテントを張って一晩過ごしましたが、真夜中のあの牧場はめっちゃ怖い!!
誠さんといっていたのですが、3、4人でのキャンプは怖くてとても無理。われわれは11人で泊ったのですが、それくらいで正解でした。
女性は、何人かと男たちと同居していたのでしょうか?
だとしたら、あの風呂では女性の裸は丸見えです。家族だとしても、ねえ(子供の形跡は無し)。一体、あそこでは何が展開していたのでしょうか?
下の写真、手前が私が1982年に確認した宿舎。その奥に段違いで隣接する建物。この二階部分に女性部屋があったわけです。

現地には、この牧場の遍歴を示唆する写真アルバムも放置してあって、確認したところ、1980年代にはこの建物は確実に存在していません。
キッチンは1986年に取り付けられたようです。その日付を示す写真は入手しています。
ですから、操業と撤退が繰り返され、女性が同居した時期もあった。そのたびに改築され、増築もされた。何も知らなかったら、それで納得する話でしょうけれど。
1982年のひっくり返ったトラクター、階段の無い二階建て、たすけての文字、不可解な文字や人形、巨石や大量のお札、謎の水道管、トイレも無く、生活できない無機質な、モノを言わない施設だった牧場跡が、奇妙に変容していく過程を追っていると、そう簡単には納得ができない、得も知れない闇を感じるわけです。そのことを思って、ゾッと鳥肌をたてる感覚は、おそらくその変容の過程を知る、私と北野誠さんしかわからないかも知れません。
私は作家、語り手として、誠さんはタレントとして、この鳥肌が立つ感覚を、視聴者や読者の皆さんに疑似体験していただくことも、表現者としての仕事だと思っております。やらざるを得ない使命感みたいなものもあります。それによって明らかになるものもあるかも知れませんしね。
しかし、ここに関わって、消息不明になった人もいます。それは偶然かも知れませんが、偶然ではなかったとしたら……。
今夜は、また知らされた新事実、の報告もあります。
なんかこのブログを夜中に書いていたら、背筋が凍って来た……。
『オカルトエンタメ大学』〜山の牧場の全史を語る、第四弾も終わり、いよいよ今夜は完結編となります。でも完結はしません(笑)。

https://youtube.com/watch?v=d9Cuj2j6ExM…
動画にはいろいろコメントも寄せていただいております。ありがとうございます。
今回は、新しく建てられた建物があり、その二階に女性が住んでいた形跡があったという謎がでました。
この無理やり造った橋子を上ると、

そこはステンレス台のキッチンがあり、すぐ横に簡易バスルームが設けてありました。
半透明のトタンの奥がそれです。
で、板が通してあって、奥の空間へと行けるようになっていました。
よく見ると、ブロックの壁に穴をあけています。

この板を渡って奥へと行くと、

このような部屋があります。
これは、2018年に撮ったもので、荒れていますが、2011年『北野誠のお前ら行くな』のロケ時には、まだ部屋の体を成しており、床は畳敷き。衝立の向こうに女性用のシーツをあしらえたベッドと女性用のファンシーケースがありました。洗濯機と冷蔵庫もあり、比較的若い女性が生活していた痕跡を想像させます。
この部屋の様子は『北野誠のお前ら行くな』のDVDでご覧になれます。
現地にテントを張って、怪談会をやっている様子もあります。
でも、この建物には、トイレはありません!!
あるとしたら、牛舎の奥。夜中にトイレに行きたくなると、懐中電灯を持って梯子を下り、一旦建物の外へ出て、牛舎に入り、長〜い牛舎の奥へと走って、真っ暗な広〜いトイレで用を足す、ことになります。しかもすっごく狭いトイレです。
下の写真は、女性が住んでいたと思わしき部屋の窓から、牛舎を望んだもの。
大量の便器があるトイレは、この赤い屋根の牛舎の奥、先端の部分にあります。
遠いいし、怖い!!

この写真ではかなり建物は壊されていますが、2011年時は窓枠などもあって、生活臭のようなものが残っていました。
部屋は、相部屋ではなく、一人の女性が住んでいた、と思わせる様相ですが、キッチンをはさんだ向こうは男たちが雑魚寝をするような畳部屋も確認しましたから、男たちと同居していたと思われます。あんなとこ、女性一人では住めません。
我々もテントを張って一晩過ごしましたが、真夜中のあの牧場はめっちゃ怖い!!
誠さんといっていたのですが、3、4人でのキャンプは怖くてとても無理。われわれは11人で泊ったのですが、それくらいで正解でした。
女性は、何人かと男たちと同居していたのでしょうか?
だとしたら、あの風呂では女性の裸は丸見えです。家族だとしても、ねえ(子供の形跡は無し)。一体、あそこでは何が展開していたのでしょうか?
下の写真、手前が私が1982年に確認した宿舎。その奥に段違いで隣接する建物。この二階部分に女性部屋があったわけです。

現地には、この牧場の遍歴を示唆する写真アルバムも放置してあって、確認したところ、1980年代にはこの建物は確実に存在していません。
キッチンは1986年に取り付けられたようです。その日付を示す写真は入手しています。
ですから、操業と撤退が繰り返され、女性が同居した時期もあった。そのたびに改築され、増築もされた。何も知らなかったら、それで納得する話でしょうけれど。
1982年のひっくり返ったトラクター、階段の無い二階建て、たすけての文字、不可解な文字や人形、巨石や大量のお札、謎の水道管、トイレも無く、生活できない無機質な、モノを言わない施設だった牧場跡が、奇妙に変容していく過程を追っていると、そう簡単には納得ができない、得も知れない闇を感じるわけです。そのことを思って、ゾッと鳥肌をたてる感覚は、おそらくその変容の過程を知る、私と北野誠さんしかわからないかも知れません。
私は作家、語り手として、誠さんはタレントとして、この鳥肌が立つ感覚を、視聴者や読者の皆さんに疑似体験していただくことも、表現者としての仕事だと思っております。やらざるを得ない使命感みたいなものもあります。それによって明らかになるものもあるかも知れませんしね。
しかし、ここに関わって、消息不明になった人もいます。それは偶然かも知れませんが、偶然ではなかったとしたら……。
今夜は、また知らされた新事実、の報告もあります。
なんかこのブログを夜中に書いていたら、背筋が凍って来た……。
kaidanyawa at 06:13|Permalink│Comments(5)│