2021年10月25日

2021年10月25日

『千四百年御聖忌記念特別展 聖徳太子 日出づる処の天子』、最終日、行って来たあ!!!

中山市朗です。

一昨日、『第六回圓山町怪談倶楽部』に出演。
楽しく怪談を一席、語らせていただきました。
また、出演者や竹書房の方々ともいろいろ交流、情報交換、相談など、できました。


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今回は夜馬裕さんだけが初対面。オンラインでの共演はありましたけど。
実は、住倉カオスさんの推薦もあって、一昨年には『Dark NIght in 東京』にカオスさんと一緒に出演してただく予定が、チャイナ・コロナのために二度延期。そして未だに延期のまま。
うちはオールナイトが基本となっておりますので、なかなか許可がでないのです。
まあ、来年春には、開催したいなあと。

ちなみに、来月20日には、北野誠さんと『Dark NIght in 名古屋』を開催します。
大阪以外での『Dark NIght』も2年ぶり。

お客さんからもそう言う声が聞こえていますが、やっぱり怪談は「生で聴く」がいちばん!!!

目の前にお客さんがいると、やっぱり熱も入るし、やっぱり何かが違います。で、それを配信するとそんな雰囲気も伝わるんじゃないかと。


『Dark NIght in 名古屋』

詳細、チケット購入は👇

http://sakugeki.com/?page_id=2

ダークナイト名古屋




















さて、渋谷で一泊して昨日の午後、帰阪。
その後、天王寺区にあります大阪市立美術館へ。
『千四百年御聖忌記念特別展 聖徳太子 日出づる処の天子』
のこの日が最終日。

古代史好きのテレビ局の方から招待券2枚をいただいていたのでした。

この日は秘書を誘って鑑賞。

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我が秘書のことは、オフィスイチロウのYouTubeをご覧の方はご存じでしょうが、神職資格の保持者。
もともとは中村壮快君が、MCとしてスカウトしたのですが、私も最初このことは知らなかった。で、古代史好きの彼女は、実は神道の専門家だと知って、私の古代史探求のパートナーとして秘書となってもらった、というのが真相であります。
彼女は、私にいろいろなヒントやアドバイスをくれるし、彼女が何を読んで何を学習したのかも示唆してくれます。やっぱり、日本の古代史を紐解くには、どうしても神道の知識や奥義を知っておく必要があります。もっともこの神道というのは曲者で、ずっと昔から継承されてきたものもあれば、変革していき、政治利用された部分もある。その見極めが必要。
動物犠牲の祭祀もやってましたしね。

そんなこんなで、いつもは史料や書籍、写真やネットでよく見るモノを、今回はこの目で直接見られるということで、興味津々で観覧してきました。

聖徳太子の時代は、仏教が大陸から伝わってきて、それを朝廷が受け入れるか受け入れないかの問題が生じていました。神道という言葉は仏教が伝来して出来た言葉でして、それまでは単に、カミとか、カミガミと言っていたと思われます。

仏教、とは仏の教え、という意味です。仏典にそれが書いてあります。お経がそれですな。

日本のカミにはそう言う教えが無い。聖典もない。我々の祖先はそこを忖度して、神様との関係をもった。きっと神様は、こういうことを望んでいる。これをしたらお怒りになる。そうして地域地域の祭祀が行われていた。一時期、忖度という言葉が悪のように報道されたことがありましたが、日本人は忖度する民族なのです。

今、日本でコロナ感染が激減して、専門家も首をひねっている状態ですが、昨日大阪、一昨日東京の人ごみで、ほとんどの人がマスクをしていました。外国だったらもうノーマスクになっているでしょう。お店や事務所や会場に入るにあたってアルコール消毒をしています。みんな手の消毒をしていますよね。電車の中は密ですが大声で話している人はいません。何も、政府から強制されたりペナルティを科せられたわけでもないのに、日本人のこの行動。
これは「こうすればコロナを防げる」というあれはコロナに対する日本人の忖度でしょうし、人の目を気にするというのも、周りに対する忖度ともいえましょう。

ともあれ、そういうカミガミはこの森羅万象に存在する御魂、精霊という目に見えないものであって、そこに系譜や歴史が語れることは無かった。しかし、大陸からやって来た仏教や道教には、開祖がいて聖典があって教えがあって系譜がある。

そうなると、今後、隋や高句麗、百済、新羅、あるいはもっと遠くにある国々との外交や貿易をするにあたって、倭国とはどういった歴史を持った国か、神々の系譜はどういったものなのか、天皇と神とはどういう関係があるのかといった体系化されたものを作って、説明する必要がある。それがないと、国として下に位置付けられ、中国皇帝のもとにくだることになる。
そうならないために、大王を天皇とし、理をもって神々を説明しようとした。
それをやったのが、聖徳太子。

聖徳太子は、道教の理でもって日本の神々を説明しようとした。だから、神道なのだと思います。
その証拠?
四天王寺を見ればわかります。





また、聖徳太子は蘇我馬子と共同編集という形で『天皇記(すめらのみことのふみ)』『国記(くにつふみ)』そして、『臣連伴国造百八十部幷公民等本記』(おみむらじとものみやつこくにのみやつこももあまりやそとものをあわせておおみたからどものもとつふみ)を奏上したと『日本書紀』にあります。

これらを調べて体系化し記録するによって、大いなる倭、大和の国の歴史や民族性を海外に示し、そこに君臨する天皇がいかなるものかを諸外国に知らしめることになる。とまあ、そういうことでしょう。

残念ながらそれらの記録は消失し、残っておりません(乙巳の変の時、蘇我蝦夷の邸宅が襲われた時、燃えた、とあります。ただ『国記』の一部は中大兄王に手渡されたと『書紀』にあります)がその約100年後に編纂された『古事記』が『天皇記』にあたるもの、『国記』が『日本書紀』にあたるものであったと思われます。もちろん内容については政変があったために、書かれなかった、隠蔽されたものもあったでしょうし、書き加えられた、捻じ曲げられた部分もあるはずです。ここで、聖徳太子の事跡も大きく書き替えられたのではないか、という歴史学会の見解もあって、厩戸皇子こと聖徳太子の正体が謎とされるわけです。

しかし聖徳太子の御姿がよくわからない、ということの大きな原因は、記録される時代に間に合わなかった、ということもありましょうか。

歴史や系譜や教えといった長文が書かれるには、紙と筆が必要です。絵図もおなじです。
その紙がわが国で製造されるようになったのが、聖徳太子の時代だったわけです。それまでに文字はありましたが、剣の柄や石などに碑を刻むことしかできませんでした。これでは歴史や物語は書けません。口伝はあったはずですけど。
紙が使えるようになって、『天皇記』『国記』の編纂が可能になった。でも今はのこっていない。
絵図も、まだ絵師というような人たちが出てくる頃の事。仏師もそうです。

そういったものが記録され、描かれ、彫られだして残りだしたのが奈良時代から平安時代。
平安後期から鎌倉時代において、どどどっと、傑作が出てきますし、歴史上の人物も正確性を帯びてきます。この頃の貴族は日記を書いたりしていますしね。

そういうことで、聖徳太子の当時のリアルタイムの記録が無い、というのが、聖徳太子を謎たらしめ、一部の専門家からは実はいなかった、という珍説さえ提起されるわけです。

長々と書いてしまいましたが、聖徳太子没後1400年を記念しての大掛かりな特別展。
確かに聖徳太子という人物を知るというより、後に興った聖徳太子信仰についていろいろ知ることのできる特別展でした。ただ、私としては非常に興味のあるモノが。

次回に書きます。

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kaidanyawa at 07:45|PermalinkComments(2)
プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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