2006年09月28日

迷走した日本語文化

 中山市朗です。

 黒船ショックから、日本語の見直し運動が西洋かぶれの有識者たちの間で提唱されはじめた・・・。
 (前記した"文字についての考察"を参照して下さい)


 私が思うに、日本の独特な文化、芸術、思想、哲学、宗教、風俗、その他諸々、人々の持ち物や食生活までを、今に残したのは、徳川の鎖国政策あってこそだと思います。
 鎖国が日本文化を守ったんです。
 もし、織田信長みたいなのが当時天下を取っていたなら、もう日本文化はグチャグチャになってたでしょうな。戦後数十年だけでも、これだけ日本人の生活が欧米化されて、変質してもうたワケですから・・・。あの二百五十年を開港、解放したままやったとしたら・・・。
 ・・・ちょっと恐ろしいですわ。

 もっとも信長はキリシタン宣教師を利用はしたものの、悪魔のように侵食してゆく彼らのやり方には嫌悪感を抱き、排除することも考えていたようです。
 イエズス会の宣教師はスパイである、と信長も秀吉も家康もちゃんと知っていたんです。

 当時、世界大航海時代で、東洋諸国は西欧列強に支配されておりました。アフリカから黒人たちが奴隷として米大陸へ売られていったのもこの時代。中国は阿片で無茶苦茶になった。
 そんな中で徳川幕府は鎖国という行動に出たんです。そして世界の時流に逆らい、ひとり平和と安泰をむさぼっておりました。徳川の鎖国、なんか過小評価されている感がありますな。
 あの間、二百五十年、他国と戦争をせず、侵略もされず、国内に内乱すらなかった奇跡と夢の国が徳川日本やったんです。ただ、それを支えたのは虐げられた百姓たちでありましたけれども・・・。

 なのに、まあ、鎖国を解くのは時代だとしても、せっかく守られてきた文化の礎たる日本語を、何も英語表記にしたりせんでもええやん。日本の国語を英語になんて、こんなん売国奴やで。これやってしまうと、もう連綿と続いた日本という国体は、無くなってしまう・・・。天皇も、TENNOと表記されるのでしょうか、それともEMPEROR?
 うわっ、そんなん違う!

 まあ、そうならなかったのは、やっぱり日本人のえらいところ。


 ただ、明治の学者たちが日本語を何とかしようと考えたのは、実はその頃、日本語、という確たる言葉が無かったからなんです。それまでは、日本、という国単位ではなく、藩の集合体やったんです。そやから方言はキツいし、訛りもひどかったんです。
 遊廓、つまり江戸なら吉原、京なら島原の女たちが使わされていた「おいらんことば」というものは、その訛りをごまかすために、宮中言葉を参考に作られた造語やったんですな。
 ともかく、世界を相手に貿易したり、条約結んだりするには、日本という国体が必要となった。その象徴として天皇が担ぎ出され、神道という宗教を国教としたんです。それから言語も整理して、正しい言葉にせんとあかんかったんです。
 で、まあ、標準語などというモノを明治政府が作って、公布したわけですわ。

 標準語とは何か?
 それは"東京山手の教養層の言語"と当時あったらしいけど、ほんまかいな。

kaidanyawa at 10:16│Comments(0)

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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

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