2016年09月08日

遊び心が作家を作る

中山市朗です。

塾生のみなさんへ。

作劇塾は明日から通常授業となります。
さすがに「怪談の魔」の後の授業というのは無理がありましたな。

明日、シナリオ志望の見学者が一人来られます。男性です。


さてさて、作劇塾というと「もう少し若ければ入塾していたのに」という言葉をよく耳にします。
おそらく、ホントは別に最初っから入る気がなく、おべんちゃらで言っているんでしょぅけど。

正直申しますと、作家になるには年齢は関係ありません。スポーツ選手じゃないんだから。
菊池寛はこう言っております。
「小説はある程度、年齢を重ねた後に書くべきである」

学歴も関係ありません。東大の文系を卒業したから作家になれるというわけではなし、高卒で作家になった人もいます。
資格もいりません。本が一冊でも出れば、一応、作家という肩書になります。
ただし、2、3年のうちに二冊目を出さないと、むなしい肩書になります。

年齢も学歴も資格もいらない。
要は脳みそと手が動けばなれるわけです。もとでもいらない。仕入れもない。
その気になれば、誰だってなれます。
あ、一つだけ条件があります。日本語が書けること。

では、作家になるために塾や専門学校に行くべきなのか。
答えは、NOです。
だいたい専門学校なんちゅのは、資格や免許をとるためのもので、卒業してもそんなものは無い、となると、それは時間の無駄、お金の無駄、というものです。
我が塾にしても、入ったからといって作家になれる保証はいたしかねます。

では、なぜ作劇塾を作ったのか?

実を申しますと、塾を立ち上げた最初の理念を最近、修正をしております。

ずっと塾をやってきて痛感したのは、みんな遊び心が無い。
真面目なのはいいのですが、この業界、真面目な人が歓迎されるわけじゃない。そりゃ不真面目はあきませんけど。
発想力豊かで、楽しい人が、おそらく求められる。
私ね、この「怪談の魔」でいろいろな分野の人たちとガチ怪談をやって、そのあと飲みに行ったりもしましたが、売れている人とそうでない人の違いが、はっきり分かったような気がします。
発想力豊かで、楽しい人です。一線で活躍している人は。それは、遊びを知っているということ。

今の学校教育は、この遊びを教えているんでしょうか?
遊びは往々にして、役に立たないもの、無駄なことのように捉えられます。「遊んでないで勉強しなさい」と親に叱られます。まあこれ、企業戦士を作るなら間違ってはいないのかもしれません。
しかし、作家はちがう。作家は、世の中にいなくなっても産業が停滞するとか、誰かが困る、ということもありません。屁、みたいなもんです。でも、いないと世の中潤わない。小説も映画も放送番組も各種イベントなども、芸能も音楽もお芝居も、作家がいて、彼らが書いたり、企画したり、構成したりしています。でもそういう人たちがいなくなると娯楽が成り立たなくなります。娯楽はなくなるかもしれません。そうなると、みんな窮屈でストレスが溜まってしまいます。人間、娯楽は必要なんです。
娯楽は、遊びです。
文化も、遊びから育まれます。
作家は、遊びを作る人です。
つまり、遊びを知らないと作品はできない。楽しいことを知らずして、作家になれない。
だいたい、うそつきは泥棒の始まり、と言いますが、そのうそでメシ食っているのは作家ですから。
うそをついて、人をだますって、楽しいですからな。子供の遊びの原点はそれでしょう。
でも、うそをついたら叱られるわけです。

作家は、そのうそをつくことが許されます、いや、うそをみんなは期待します。ゴジラもいませんからね。
ただし、遊び心のあるうそですよ。
マジなウソ、悪意のあるうそは、ついちゃいかん。
とまあ、ここのところ、それを思うようになったわけです。技術云々より、まず楽しいことを知る。遊びを知る。
創造の原点はここです。技術はそのあとついてきますって。
昨日のブログで紹介した道頓堀の歴史も、あれも全部遊び心の結集ですよ。それがあんなにすごい文化を作ったんです。

今、なんですか、ポケモンとか、ゲームとか。あれは遊びではない。楽しいでしょうし、たまにやるのはいいんでしょうけど、ゲーム漬けになっちゃうと創造性は育まれないし、みな同じことをやっていますしね。第一、遊びとは自分で想像し、工夫し、ルールをっくるものです。それを大人がいかに課金させるか、という商行主義のもとでやっている。子供から主体性を奪い、小遣いもそこに消えて、そら本も読まなくなるわ。本を読まないことには、創造性ははぐくまれない。こら、無間地獄ですな。
そうなると「遊んでばかりいないで勉強しなさい」という親心はわかりますな。

自分で楽しみを見出す、作る。これが作家のお仕事。そこに付加価値が生まれますと、プロとしてやっていけます。
今までの塾生は、どうも、真面目なんだけど遊び心がなかった。ゲームばっかりやっていて。
ですから主体性がない。いわれたことしかしない。遊び心がない。創作ができない。楽しくない、苦しい、籠る、消える、という方程式が成り立っていました。
まずは、主体的にものを考え、世の中を斜に見て、常識を疑ってみて、そこになにか発見があれば、なんだか楽しくなってきます。そのことを誰かに知らせたいと思うと、表現したくなります。創作とはそういうものです。
無い知恵をふりしぼって、苦しんで作るものではない。あ、いや、創作の苦しみはありますよ。でもそれもある意味楽しみでもある。楽しめなきゃ、その人はそういうこと、むいていないんでしょうな。

今年4月から、塾は作家志望者にくわえて、「おもしろいもの探し」の人も歓迎としました。それはそういう意味。
それで入塾してきた塾生は、大いに楽しんでいるようです。何かを表現したくなった、と言っています。

それですよ。

怪談の魔もお化け屋敷も、ダークナイトも、ラジオで怪談語るのも、この夏私がやってきたことは、全部あそび。
いやー、楽しかった。
で、それが私の本業なわけですから。


作劇塾は、もともと専門学校を辞めた私を追って同じく専門学校を大挙脱退した若者たちのために作りました。
これは責任上、道義的観点から作らざるを得なかったわけです。
ですから、最初は何も知らない、高校を卒業したばかりの若者たちに向けたカリキュラム、講座を行っていました。
しかし、今はサラリーマンや自営業をしている大人に向けた講座を開いています。それで現状に満足していない人たち、それでも夢を持ち続けたい人たち、楽しいことを仕事にしてみたい、といった人に向けた作劇塾です。
ある程度の社会的経験、人生経験が、創作物をビジネスにしていくのに有利でもあります。ひと昔前と違い、個人で媒体を作ったり、システムを作る時代です。これからは遊び心のある頭が、重宝される時代になるでしょう。それ以外の仕事ははロボットやコンピュータが奪っていくことでしょう。まだ少し先のことですけど。
私はそういう遊び心のある人たちとお互い知恵を出しながら、一緒に、いずれ大阪から「おもろいもん」を作り出したいのです。あの、道頓堀を作り出していった大阪人の壮絶なエネルギーと好奇心は、きっとまだ、私たちのDNAに繰り込まれているはずです。
だから、大阪で、作劇塾を続けているわけです。
それが、今の作劇塾の理念です。

もう一度言います。年齢は関係ありません。


あと、一流になりたくば、一流を知れ。

このことはまたいずれ書きましょう。





作劇塾に興味のある方は、
info@officeichirou.com
あるいは、
06−6264−0981へ。
月謝1万円です。やっす!









kaidanyawa at 00:57│Comments(2)

この記事へのコメント

1. Posted by ひろみつ   2016年09月08日 21:53
5 中山先生ごきげんようです。

新たな見学者ってたぶんMさんですね。

さっきフェイスブックで確認したら本人からメッセージが来て「それはたぶん僕です」と言ってました。とても楽しみにしてましたよ。

彼も怪談が好きで、自分でも天狗のこととかいろいろ研究してるようなこと言ってました。

JR鶴橋駅前のライブバーのブッキングライブで知り合ったんですが、これもご縁ですね
2. Posted by 中山市朗   2016年09月09日 05:36
ひろみつさん。

そうです。Mさんです。
シナリオ志望ということで、実はオフィスイチロウは映像作品の制作に関わりたいのですが、内部に映像のプロがいないので、外部発注するしかない状況です。
映像に関心のある塾生は、大歓迎であります。

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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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