2018年09月14日

創作・ノンフィクション・怪談

中山市朗です。


本日は作劇塾。
作家(小説、怪談、ノンフィクション、ライター、放送作家、シナリオ)養成塾です、というと、多すぎない?とか、小説、怪談に絞ったら? と言われることがあります。
いや〜、私にとったらみんな一緒なんですけどね。

小説、怪談、ノンフィクションというのは、実は繋がっています。
実話系怪談というのは、もちろん、取材したり聞かせていただいたりして採取した実話(と思われるもの)を元にしています。しかし、聞かせていただいた話を「怪談」に仕立て直す、という作業が必要です。
小説も、いろいろありますが、実話を元にして記録にあたり、取材を重ねて小説にすることもあるわけで、やっていることは一緒です。
京極夏彦さんは「実話系怪談といっても、やってることは短編小説と同じ」と言ってくれましたしね。
しかし、実話系怪談を小説、創作とせずに、実話、とうたっているとなると、ノンフィクションの部類に入らないでもないかな〜と。
ノンフィクションは史実や記録に基づいた作品ではありますが、作家の視点が入り、その作家が自分の解釈で書く限り、これも創作するということは間違いありません。まあ、要は自分の描きたいものをどういう手を使って表現するかです。

私がはじめて怪談以外で上梓したのは『捜聖記』という小説でした。聖徳太子の謎を追う青年の目から、聖徳太子の正体を追うというものでした。小説としたのはいろいろ意図があってのことですが、2作目に出した聖徳太子本は、『四天王寺の暗号』という題で、四天王寺の伽藍配置や鳥居の位置など、謎に思われるものを追って、奈良県や丹後半島へ行き、見聞きしたことをレポートする、という、これはドキュメンタリーの体を意図として書いたものです。

また、古代史を探るにあたって文献だけでは真に迫れないし、私自信が納得できないということから、現地取材をする必要にあるわけでしたが、これも私が放送作家であったことからテレビ局に企画を出し、番組の取材としてロケ班を編成し、自らのナビゲーターとしてCS京都『京都魔界巡礼団』及び『京都魔界案内』として近畿内の寺社を訪れ、神官や住職、あるいは郷土史研究家や学芸員、地元の人たちにインタビューを行ないながら、貴重な取材記録を手元に残すことが出来ました。また、オフィスイチロウとして『古代史探偵団』を編成。動画作品としてネットに流すことを意図として、追加取材をしました。その素材、記録が『捜聖記』『四天王寺の暗号』に活かされていることも間違いないところです。
映像作品というのは、何かを見せないと成り立ちません。だから物証の少ない古代という時代をどう見せるかという演出と工夫が必要です。演出はモノづくりの基本ですが、映像作品はその腕が顕著に出ますので、いい勉強になります。それに今の小説は、映像を見ているような描写が好まれますしね。

専門学校の講師をやっていたころから、これは教え子に言っていることですが、「なんでもやってみろ」ということ。
当時、漫画家コースで、シナリオを教えていたのですが、「なんで漫画家になりたいの?」と聞くと、「漫画が好きだから」「小さい時から読んでいたから」という声が多かったので、きっとこの子たちは漫画以外のものを知らないなと思ったことがあります。
「漫画で何が描きたいの?」というと「お話を作りたい」「ストーリーが好き」という学生も多く、「じゃ、それ、小説じゃアカンの? シナリオにして映像というのは考えないの?」と言うことになる。
後に小説家になったのや、ゲームシナリオ作家になったりしたのがいましたが、これは、いろいろやってみて道が拓けた、という例でしょう。私自身もいろいろやっていたから今があると、これは確実に言えます。

今もそうですが、今後は、本の印税や原稿料だけで食っていくのは極めて難しいことになります。本が売れませんからねえ。雑誌も売れない。代わりに皆、スマホ見てます。
そういうメディアに対応する作家が、これから生き残っていくことは必需でしょう。

ですから私の中では、小説、怪談、ノンフィクション、ライター、放送作家、シナリオは、同じ創作であり、作家であると位置づけているわけです。

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塾は私の書斎で行っております。
写真は二人の元教え子。作家の真代屋秀晃君と、空埜一樹君。最初は漫画家志望でしたんやで。

人間、三十を過ぎると頭が固くなると言われています。今までやって来た自分の人生観、生活を変えたくない。いや、価値観を変えるのが怖い、ということが根底にあるからでしょう。

でも、変えなきゃ作家になれない。

そして、今までの価値観を変えた時、人生観も変わり、実に面白い世界を知ることが出来るんです。それが、作家として作品を書き続け、表現し続ける原動力であり、大いなる刺激であったりするわけです。

作劇塾でも、そういう発見をしてもらいたい。
そう思う次第です。
作家への道はテクニックだけではないのです。

作劇塾は塾生募集中です。

お問合せは、
info@officeichirou.com
06-6264-0981
まで。






kaidanyawa at 12:10│Comments(4)

この記事へのコメント

1. Posted by ひろみつ   2018年09月14日 12:45
5 中山先生ごきげんようです

小説、怪談、ノンフィクションというのは、実は繋がっています>

僕もそう思います。実話系怪談の場合は、そこが非常に微妙だと思うことがあります。

体験談を語る人、取材した話を語る人によってもリアリティの度合いは変わると思いますし、特に後者の場合、自分の視点もかなり左右すると思います

取材者の解釈、憶測があまり入ると、それは実話系創作怪談になるでしょうね。とっても微妙ですが。

僕も拙いながらも先方の許可を得たうえでICレコーダーに録音させてもらいますが、自分の視点、解釈は一切入れないようにはしています。

でも、最低限の例えばスラックスの裾上げやジャケットの袖詰めみたいな整理はします。聞いてくれる人にわかってもらえるための最低限の時系列の整理ですね

それと体験された方の最低限の情報(年齢、性別、職業)をくどくならない程度に盛り込むことはします。ただ話すだけならいらない情報だけど、それが話にリアリティを与えることになるとも思います。

それと入手した話に対して客観的であることが凄く大事だと思います。これは体験談を語る人にも求められる大事なポイントかもしれませんね

あとどこで終えるのか?どこで筆を置くのかという、これはもうその人その人のセンスの問題だと思うので答はないと思いますが余白をわざと残す。聞き手をある意味突き放す感覚も必要かなとも思います

オチは必要だけど、そこに自分の解釈を入れないこと。そこに素人ながらいつも腐心します。

改めてとんでもなく奥の深い世界だなと思います


2. Posted by 中山市朗   2018年09月14日 13:24
ひろみつさん。

あと、プロとしてあるべきは、作家としての個性です。私の書く怪談は、木原浩勝でも平山夢明でも安曇潤平でもない、というテクニック。『新耳袋』から『怪談狩り』へ移行する時期、ここを悩んだものです。
3. Posted by 鈴木   2018年09月14日 20:07
あまり、電車乗りませんが本は読まれてない
ですね。皆んな、スマホ見てる。
昔の車内は寝てるか、本読んでるか勉強してる
かの人がほとんどでした。
自分も昔は書店を就職先に考えたものですが
今やAmazon一択ですし。本屋へ行かないでも
配達してくれるんだから、有り難いものです。
あの時、書店業界に入っていたら苦労したで
しょう。今の業界も安泰とは言えませんが。

面白ければ本、読むんですよ。今、筒井康隆さん読んでますが、発想が天才的。ニヤニヤしながら短編集、読んでます。
4. Posted by 中山市朗   2018年09月15日 00:07
鈴木さん。

そうですね、本好きな人はいます。だから出版界はなんとか持っています。でも、大学生が本を読まないなんて統計が出てますから、将来ますます苦しくなるでしょう。
でも面白い本はたくさんありますし、読むことによって、いろんなことを深く知ることができるんですけどねえ。

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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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