2018年11月09日

映画の原体験! その一。

中山市朗です。

私の創作活動の源泉は、映画と落語にある、とはよくこのブログにも書いてきたところですが。

この前、作家仲間と飲んでたんですけど、出る話題はやっぱり映画。
私も怪談を語るにあたって、今までさんざ観てきた映画のショットやモンタージュ、構図や距離感なんて、すごく参考になっています。そういうイメージが頭の中に明確に無いと、絶対にお客さんには伝わりませんもん。
私の書く文体も同じです。

私の幼いころや十代の頃は、ビデオなんて一般家庭には無かったですから、映画は映画館で観るものでした。
洋画劇場などテレビで観たものももちろんありましたが、やっぱり劇場で観た映画の迫力と印象度、そして何とは知れない非日常な劇場の空間も、映画体験の重要な要素でした。

ちょっとねえ、私、いつから映画に魅せられて、どんな映画が原体験なのか思い出してみました。

私の記憶で、最初に観た映画と言うのは市川崑監督の『東京オリンピック』。
1964年に行われた公式のオリンピック映画。
今でこそ、オリンピックの競技はリアルタイムでテレビで観れますし、翌朝のニュースではその結果が報道されますが、テレビの衛星中継が行われた最初のオリンピックが、この東京大会だったんです。
ですから、それまではオリンピックの様子を映画として記録し、全世界で公開されたオリンピック映画というものがあったんです。
有名なのは、ヒトラー政権下で行われた1936年のベルリン大会の記録映画『オリンピア』。
ナチスによる全面協力によって撮られたもので、日本では『民族の祭典』『美の祭典』として公開されました。
監督はレニ・リーフェンシュタールという女流監督で、競技に無い場面を撮りたしたり、新たに撮りなおしたり、やってはならないアフレコをしたりと創作部分も含まれながらも、その映像美と斬新さが全世界に評価されました。たた、戦後はナチスのプロパガンダ映画と評価が代わり、映画の芸術性は高く評価されるものの、才能のあった彼女はナチスとの関連性を生涯にわたって誹謗中傷され(彼女はナチス党員では無かった)がらも100歳で映画を撮って、助手だった男性と結婚し、その夫に看取られながら2003年101歳で亡くなりました。
市川崑監督の『東京オリンピック』も(当初、黒澤明監督が撮る予定だった)、記録より芸術性を重視したと賛否両論わかれましたが、オリンピック映画としては、レニ・リーフェンシュタールの作品と共に傑作とされるものになりました。
市川崑さんも、92歳と長寿の人でしたが、一日100本吸っていたタバコを健康の為にと止めたら、翌年に亡くなりました。皮肉ですな。

さて、こういったオリンピック映画は、2004年のアテネ・オリンピックまで公式映画は制作されていたのですが、みんな衛星中継で観てますからな、需要が無くなったんでしょう。1976年に制作されたモントリオール大会の記録映画『Games of the XXI Olympiad Montreal 1976』からは、日本では公開されていないようです。

とまあ、オリンピック映画の蘊蓄になっちゃいましたが、ともかく『東京オリンピック』は、当時日本各地に巡業上映されていたようで、私の故郷・兵庫県の片田舎の公民館にて上映。幼稚園児だった私は、引率の先生たちとともに公民館まで歩いて行って、みんなで鑑賞した、というのが、最初の映画の記憶です。
ただ、母親によると、もっと前に映画館に連れて行ってるそうで、機関車がスクリーンに映って、こっちへ向かってくる場面で私が逃げようとした、と面白おかしく言っていたのを思い出します。
私は、なんの映画を観たのでしょうね?

次の映画の記憶は、
こんな青銅の巨人像が突如動きだしたり、

アルゴ タロス













アルゴ タロス2













アルゴ タロス3













昔のコスチュームを着た主人公のおっちゃんが骸骨とチャンバラしたりした場面が鮮明に記憶に残った映画がありまして、

アルゴ探検隊











おそらく小学1、2年の頃に小学校の体育館での映画鑑賞会で観たのだろうと思いますが、この映画はなんだったんだろうと、幼心に思っていると、発見!


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『週刊少年マガジン』(1968年9月1日号)の巻頭「完全カラー図解・大特撮」という図解グラビア。
大伴昌司、企画・構成によるもの。
こういうのはコマ撮り特撮で、レイ・ハリーハウゼンという人が編み出したもので、映画の題は『アルゴ探検隊の大冒険』ということがわかったりしました。

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この他にも『2001年宇宙の旅』とか、

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『ミクロの決死圏』『メリー・ポピンズ』『うっかり博士の大発明・フラバア』『大魔神』や『北京の55日』そして、『ベン・ハー』も取り上げられていました。

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映画というものに惹きつけられたのは、このころだったのかも知れませんな。


続く。




kaidanyawa at 07:00│Comments(6)

この記事へのコメント

1. Posted by メカゴジラ   2018年11月09日 08:18
最初の画像はタロスですね。
僕の一番最初の映画は
何だったんだろう 今はなき祖母といった
今はなき市内の映画館で見た 猿の惑星かな
かすかな記憶ですけど・・・・・
2. Posted by ひろみつ   2018年11月09日 10:01
5 中山先生ごきげんようです

記憶は定かではないんですが僕の最初の映画体験は父と見た「サンダ対ガイラ」だったと思います。5歳だったと思います。

「アルゴ探検隊」も見たような記憶が微かにあります。あのカクカクした動きに妙にワクワクしたのを覚えてます

「東京オリンピック」が当初黒澤監督にオファーが行ったのは聞いたことがあります。
競技場の周囲にスピーカーを積んだスピーカーをいっぱい浮かべて、そこから「第九」を一斉に流すという構想を持っていたそうですね
3. Posted by 鈴木   2018年11月09日 14:54
僕の最初の映画体験は「ゴジラ対ヘドラ」でした。
登場したヘドラの姿に驚き、泣きだして映画館を退室。映画鑑賞には至りませんでした。
本当の映画体験は「ジョーズ」だったと思います。字幕の漢字が読めなくても、楽しかった
記憶があります。特に自分が小学生の頃は、
オカルト映画が多くて、観る映画、観る映画
楽しかったです。
市川崑監督の「東京オリンピック」は何故か
観る度に目頭が熱くなる映画です。きっと
一生懸命に競技する選手達の姿に胸を打たれる
のだと思います。芸術映画か、記録映画か?
という論争が上映当時あったそうですが、
記録映画であり芸術であると思っています。
東京、京橋のフィルムセンターに観に行ったの
も、良き思い出です。
4. Posted by 中山市朗   2018年11月09日 16:01
鈴木さん。

タロスです。当時幼子ごろに凄いインパクトがありました。動くはずのないものが動くというシチュエーション!
フィギュアも持ってます。

ひろみつさん。

東宝特撮については、この後語っていきますよ。黒澤明は『赤ひげ』撮ってましたしね。

鈴木さん。

『ジョーズ』ですか。私、中学の頃でしたわ。『呪怨』の清水崇監督から最初の映画体験は『ET』だと聞いた時は、驚きましたわ。大学の頃公開……。
5. Posted by タキ・タロー   2018年11月12日 17:27
亀投稿でスンマセン。
幼少時に泣きながら映画館から飛び出した経験、私の場合「大魔神変身シーン」でした。
両親にエライ怒られましたが、オヤジより怖かったのですw

少し後、弟が入院中親戚に預けられた時に、祖父や叔父に映画に連れられ、西部劇や時代劇、動物アニメなど色々見た記憶がボンヤリと…。

ナニを見たのか覚えているものだけでも調べてみたらアニメは「たぬきさん大当たり」だったようです(ビンボー狸がアリに噛まれて珍妙な動きでもがきながら、ダンス大会に乱入、飛び入り優勝してしまう短編コメディらしい)。時代劇は旗本退屈男とか、ひばりちゃんシリーズみたいですな。

↑姫路の繁華街にあった2,3番館かと。古いのも新しいのもゴチャ混ぜのプログラムから推測しました、流石にリアルで見てる程トシじゃねぇってのも有るのでw

大伴先生のマガジンのグラビアも親戚の家でよーさん見ました。大特撮、記憶が蘇ってきて泣きそうです。


6. Posted by 中山市朗   2018年11月13日 02:55
タキ・タローさん。

私の出身は朝来郡(今は朝来市)の竹田。
中高生の頃は、播但線に乗って姫路まで出て、そこで映画をよく観ていました。確かにゴチャマゼのプログラムやってましたなあ。ロードショウも2本立てで。校立記念日に姫路の街歩いてて、補導されかかったこともありました。

大伴昌司先生のグラビア。ほんま楽しみでした。

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プロフィール
中山市朗 【なかやまいちろう】


作家、怪異蒐集家

兵庫県生まれ。


主な著書に「新耳袋」など。

作家、漫画家の育成機関「作劇塾」を主宰。


作劇塾

オフィスイチロウ


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