2019年01月25日

怪談本は読まない!

中山市朗です。

先日、ある大型書店のホラー・コーナーで立ち読みしていると、ある女性に声を掛けられ「やっぱりそういう本がお好きなのですね」と言われました。

実は私、あんまりホラー小説や怪談は読まないんですよ。あっ、ホラーは読むか。
怪談はあんまり読まない。
この日はたまたま知り合いがホラー本を出したというので、ちょっと手に取ってパラ見していたわけです。私が本屋に行くと、たいていは歴史か芸術、古典文学のコーナーにおります。

いやね、怪談をまったく読まないわけではないんです。
いろんな作家さんからホラーやら怪談本の献本をいただきますから、それらは読むようにしていますよ。


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そういえば、映画もホラーはあんまり観ない。
それ以外の映画はよく観ますけどね。

意外に思われるでしょうね。
現に、たまにですが、ホラー映画や怪談本の批評、評論、あるいはベスト作品の選定を、という依頼もあるんですが、そんなこともあってお断りしているんです。

怪談書いているのに、なぜって?

怪談、ホラーって、怖がらせるのが主体です。
特にホラーは、意味そのものが恐怖ですから、怖くなければなりません。
で、他の小説や映画ですと、主人公がカッコイイとか、いい話やったなあとか、演出がよかったとか、あのシーンが印象に残ったとか、いろいろ感想も出て、論評できるんですが、ホラーは怖くなかったらすべてがダメになるジャンルだと思うんですよ。
で、過去、私が怖い、と思った作品があんまり無いんですね。まあこれは、私の恐怖に対する感覚がおかしくなっている、ということもあるんでしょうけど。

怪談がそう。怪談は必ずしも怖い話でなければならない、ということはないんです。ちょっといい話や不思議だけど笑っちゃうという話もあります。しかし、要所はゾッとさせないと読者を裏切ることになります。

そこが難しいんでしょうね。
だから、怖くない怪談、ホラーに接しちゃうと、なんか時間の無駄、と思っちゃうんです。怖くないホラーほど、ツマランものはない。マニアックな人はそこを笑ったり、ツッコミを入れながら楽しんじゃうんでしょう。それもわからんでもないですけど、私はそういう、マニアックな人間でもないんでしょうね。
映画全体に対しては、マニアックですけど。

ところが、ほんとに怖い作品もある。それに接しちゃうと、なんか嫉妬しちゃうんです。精神衛生上よろしくない。

というわけで、怪談やホラーはあんまり読まないし、映画も観ない、というわけです。

今、怪談やホラー小説を書いている人は、そういう本を読み込み、参考にしているんだと思います。また、ホラーや怪談を書く参考書みたいな本も出てますし。
私もそういうことを参考にするということも、皆目ないわけでもないのですが、実話として皆さんからお聞きしたり、投稿された怪談にはものすごく興味があるわけで、それが私にとってはすべてなんです。

考えたら、1991年扶桑社版の「新・耳・袋〜あなたの隣の怖い話』で、デビューしたとき、実はまともに怪談文学に接していなかったんです。
今のように怪談本が充実しているという時代でもなかったし、古典としての怪談も入手しにくいということもあったでしょう。でも、大学時代に友人や先輩から聞かされた怪談にはゾッとし、一体それはなんなんやろ、という興味はありました。
それだけで成ったのが『新・耳・袋』だったわけです。江戸時代に書かれた元祖『耳嚢』も高くて手が出なかった。作家になってから買い求めて、これは読みました。
書くにあたっては、友人たちの語りを生かすこと。過去の怪談本というのは、ほとんど知らない状態。
それに、作家になる気もそんなになかった。文章を書くのは好きだったんですが、それで食うなんて思わなかった。当時は映画の世界に行きたかったですから。

だから、そういう欲もなく、シンプルな作業をやった。もともとは、私が友人たちの体験談を書きとどめていたメモ書きですからね。それがあって、却って、オリジナルの文体になったんでしょう。

デビューして間もなく、ある書評家から「これって、今までなかった文体ですね。こんなのが書けるってどういうこと、と思ったらお二人とも(木原、中山)とも、映像畑でシナリオを書いてらっしゃるんですね。それでかと納得しました」というようなことを言われたことがありました。
私はまったくそういう意識はなかったんですが、考えたらそれもありますが、大好きだった落語が大いに参考になっていたと後に気付いたわけです。

聞き手に想像させる話芸が落語ならば、怪談ももともとは話芸ですから、同じく想像させなきゃ伝わらない。それを文芸に転化させる作業を無意識にやっていたんです。
もし、木原、私の二人が怪談本を読み込んでいるマニアックな人間で、おおっ、作家になれるチャンスや、なんて欲を出していたら、なんだかありきたりの怪談本になって、とっくに消えていた、そんな気がします。

そろそろ『怪談狩り』の新作、取り掛からなくては。

プライベート怪談会、皆さんお願いしますよ。






kaidanyawa at 07:00│Comments(5)

この記事へのコメント

1. Posted by 眠れる羊   2019年01月25日 08:05
おはようございます。

元祖「耳嚢」だって現代で言うところの実話系ゴシップ誌の要素が豊富だったって言いますし、今の怪談本は「怖い」より「気持ち悪い」要素が強いですから、それが「新耳袋」や「怪談狩り」が好まれている要因だと思います。
2. Posted by 鈴木   2019年01月25日 08:18
扶桑社版の「新耳袋」を読んだ時は、淡々とした
筆致に岡本綺堂の怪談を想像したものです。
やはり、影響受けたんでしょうか。
3. Posted by ひろみつ   2019年01月25日 10:07
中山先生おはようございます。

そういえば僕も他の方々ほど怪談本の類は、あまり買わないし読みません。
あれもこれも読んでると、怪談に対して、ある種スレッカラシになってしまいそうで・・・思い過ごしかなぁ・・・

「新耳袋」も、それまでの怪談というものにある意味無知だったから、あの聞き書きのような文体が生まれて異様なリアリティを産み出したのかもしれませんね。

いま作家の高橋克彦さんが編集された「日本の名随筆:怪談」を読んでますが、意外な収穫だったのは黒澤明作品の常連の脇役だった土屋嘉男さんが「これまで3度不思議な体験をした」と言って子供の頃体験した不思議な体験を書いておられたんですが、これがまさに「新耳袋」の世界でした。
4. Posted by 中山市朗   2019年01月25日 13:16
眠れる羊さん。

「怖い」はそれだけ難しいんです。「気持ち悪い」は、怪談に必ずしも必要な要素ではないですね。異界が近づく気配が重要というか。

鈴木さん。

実は岡本綺堂のことは、全然知りませんでした。東雅夫さんがアンソロジーとして掘り起こして後に知ったんです。筆致が似ていたとしたら偶然です。

ひろみつさん。

作家デビューする前、東京にテレビ番組企画を持ち込んでいたころ、土屋嘉男さんをホストとした、不思議減少を紹介する番組を企画書にしたことがありました。土屋さんの担当マネージャーにもお会いして。土屋さんはやたらUFOを見る人で、不思議な話ばっかりしていたそうです。だからホストに抜擢したんですけど。企画は通らなかった……。

5. Posted by 眠れる羊   2019年01月27日 17:21
こんにちは。

件、というと「新耳袋」の共著者である木原氏の印象が強いですが、中山先生も興味をお持ちとは。

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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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