2020年11月19日

黒澤明映画はこう作られた〜証言・秘蔵資料からよみがえる製作現場』秘蔵資料Making of 乱、誕生秘話! Part・6

中山市朗です。

NHK-BS1『黒澤明映画はこう作られた〜証言・秘蔵資料からよみがえる製作現場』
秘密資料、Making  of  乱、誕生秘話!   Part・6
スポンサーが降りて、Making of  乱、撤退の危機!!

『乱』のキャスティング発表記者会見も終わり、6月1日から『乱』は、この黒澤フィルム・スタジオにてクランク・インと発表されました。

しかし、その現場の一部始終を記録するはずだった、日本映画初のMakingプロジェクトは、スポンサーが降りることによって、頓挫の危機に陥ったのです。
製作・配給会社、ヘラルド・エースと、黒澤監督のマネージメントと肖像権を管理する黒澤エンタープライゼスから、許可が出ている中での、事態。

専務は大阪へと帰り、中止の報告を。
私は、撮影隊として集めたメンバーを解散させました。大学時代の友人もいた。
「いいもの、見させてもろたわ」「夢を見させてもろて、ありがとう」とか、みんな言ってくれた。
でもね、なんかこう、納得行かない。いや、ここまでのことが奇跡だったと考えるべきか。
考えてみれば、『乱』の製作そのものだって、何度も資金難によって製作が中止されたり、次から次へと問題も起こったんです。黒澤監督の気持ちや境遇を考えたら、私の前にある問題なんて、とか、思うべきなんでしょうけれど、やっぱりねえ。

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私は大阪へ帰らず、翌日、黒澤エンタープライゼスに赴き、川村プロデューサーに改めて、今回のことを報告しました。
川村氏は私の話を聞いてくれ、無念さを察してくれました。そして言ったんです。
「うちとしては、ダメと言ってはいないし、撮らせてあげたいという気もある。でも、スポンサーが降りたんなら仕方がないじゃない。撮影隊と行動をともにするにも、宿泊代、移動費、それに機材費、人件費、食事代だっているよ。それを中山君一人で工面できる、ていうんならそのままこの企画は続行できるんだろうけど、そんなことできないだろうしね。まあ、気持ちはわかるけど、いつまで東京にいたって状況が変わらないなら、大阪へ戻るべきだろうね。残念だけど、僕には何もしてあげられない」
でもこの時、川村さんがいろいろ黒澤監督から聞いた演出法やエピソードをいろいろ話してくれた。
そして、俳句の本をくれた。
「君はこれからも脚本書いたり、映画の道目指すんだろ。だったら、俳句や川柳を学ぶべきだ。いろいろな要素、心情、状況、季節までがこの決められた短い語句の中に全部入っている。これって、すごく勉強になるから」
そう言われたけど、当時はピンとこなかった。バカなんですよ、若いってことは。後に、この俳句、川柳はモノを書く上での参考になりました。プロの言うことは、やっぱり聞かなあかん。

それと、いろいろ川村さんと話しているうちに、実は「その気があるなら」とこんな提案をされた。
「実は、オヤジ(黒澤監督のことをそう言っていた)さん、お能のドキュメンタリー映画の総監修をやろうとして企画が動いていたんだけど、今、『乱』が動き出したので中断しているんだよ。その為の脚本が未完でね。どお?  このドキュメンタリーの脚本、書いてみない?」
これ、承諾していたら、私の人生変わっていたでしょうね。
聞けば、能の歴史や流派、様式についての記録や能楽堂で舞われる実演もフィルムに収めるのだとか。
でもねえ、その時の私は、Makingのことで精力使い果たしていましたから、それを受ける余裕が無かった。それと、能なんて、見たことも無いし、難しくて近寄りがたいイメージがしていました。

しかし、能と黒澤映画の様式美については、黒澤ファンである私は知ってはいました。昨日観た、『乱』のキャスティング記者発表会の演出にも、それを感じていました。
時代劇は、たいてい歌舞伎や新国劇の様式から作られますが、黒澤時代劇の特色は、能の様式から作られることが多々あるんです。
『蜘蛛巣城』なんてそうですね。
下のスチール。立ち振る舞い、そのメイク、能ですよ。
しかもシェイクスピアの悲劇を日本の戦国時代に置き換えて、能の様式で作る、とは!!!


蜘蛛巣城















でも思った。
とてもじゃないが、『能』に関する記録映画の脚本なんて、書ける自信が無い。しかも、黒澤明監修ですよ。血反吐吐きながらの執筆になるだろうなと思った。それはいいんですが、やっぱり『能』という古典芸能に対してあまりに知らなさ過ぎたという、自信の無さが躊躇する心を生んだんだと思います。
今だったら、聖徳太子や秦氏の研究から、伎楽から猿楽、能となる歴史や流れ、怪談と相通じるテーマ性などから、多少の知識や蘊蓄はありますから、喜んで受けるところですけど。

実は私、黒澤明関係の新聞記事はほとんどスクラップしていて、こんな新聞記事があります。

昭和58年の報知新聞。『乱』が始動する2年ほど前のもの。

能映画



























製作は黒澤エンタープライゼス。『現代日本の能』。後に『能の美』に改題。
『乱』がなかなか具現化しなかったときに、集めたスタッフに仕事を与えようとしたのが、この企画だったらしい。
黒澤監督は総監修と、自ら出演して能についての考察を語るというもの。監督は佐伯清。東映の『昭和残侠伝』シリーズを手掛けた人。記事にはコッポラも日本の文化を伝える為に支援を申し出ていたとか。
結局、この映画も具現化しませんでした。

でもねえ。モノ作りする人間は、どんな知識でも一応はかじっておいて、得意分野はどんどん深く探求する必要がある。でないと、ホンモノは出来ない。そう、この時痛感したわけです。
これは、以後の私の仕事に大きく影響しています。もちろん、怪談語りにも。


その夜、私は都内のある赤ちょうちんの屋台で、黒澤フィルム・スタジオで仕事をしてもらった大学の友人と飲んでおりました。なんだか、やけ酒っぽかった。
すると、どういういきさつでそうなったのか、記憶が定かではないけど、私と同年代か少し上くらいの見知らぬ男が、私の話を涙しながら聞いてくれて、彼は「俺、全財産、中山さんに寄付する。100万にも満たないから微々たるもんだけどさ。メイキング・オブ・乱。すばらしい夢じゃないか。俺も映画ファンで黒澤映画のファンだ。それ、やるべきだよ、まずは俺のお金で継続してよ」なんて言ってくれたけど、もちろん断りましたよ。でも、彼は本気で、会社の同僚や取引先、大学の後輩たちに話して寄付運動をする、なんて言っていて、お互い酔ってはいたのでしょうけれども、あの男の人の涙は、いまだに忘れられません。

で、数日後、私は大阪へ戻りました。いつまでも友人宅に居候しているわけにもいかないし。
でも正直、その頃、なにをして過ごしていたのかの記憶が無い。
ただ、次は何を企もう。何をしたらフリーでメシが食えるんだろう。そんなことを考えて、シナリオを書いたり企画書を作ったり、名刺をもってあちこちに営業したりが日常でしたから、そんな日々を送っていたのでしょう。

そして、もう黒澤監督の現場へ入る、という大胆不敵な企てのことは忘れよう、とした6月中旬の、夜でした。
私の部屋の電話が鳴りました。
「はい」と出ると、「ヘラルドの井関ですが」
「えっ、井関さん?」
「中山さんですか?」
「はい、そうですが、あの節は大変お世話になりました」
「その件でお電話しました。姫路城ロケからカメラを入れてください。スタッフは、中山さんとカメラマン、そしてアシスタント、3人にしてください」
「へっ?  あのぅ、スポンサー、もういないんですけど」
「わかっています。7月1日、〇〇ホテルに来てください。手配しておきますから」


なにがあった?














kaidanyawa at 07:00│Comments(5)

この記事へのコメント

1. Posted by 人喰い愚地neo   2020年11月19日 07:24
おはようございます。中山青年の情熱一代記、新たな局面を迎えました。その見知らぬ男性の申し出、今で言うところの「クラウドファンディング」じゃないですか。確かに見知らぬ人からの申し出は怖いですが、そこはやはりプライドと常識がモノを言いますね。

そしてまた新たな展開!! 楽しみにしております。
2. Posted by ひろみつ   2020年11月19日 11:08
中山先生

毎回楽しみに拝見してますが、まだいたんですね、こういう熱い男たちが。読んでて胸が熱くなります

クラウドファンディングを涙ながらに申し出たその男性、決して酔った勢いだけじゃないと思います。

大きな夢を語る時、友人は意外と足を引っ張るが仲間は黙って応援すると言われますが、それを思い出しました。

川村プロデューサーの「俳句や川柳を学びなさい」というアドバイスも確かに言われてみればそうですね。

これは音楽ですがサイモン&ガーファンクルのポールサイモンはまだ人気がブレイクする前、イギリスを中心にヨーロッパでドサ回りをやってました。64~65年頃です。その頃におびただしい曲を書いているんですが後にインタビューで「この時期は俳句はずいぶん読み込んだ。俳句には影響を受けた。俳句はあの短い文章の中にすごく大きな世界を描いているだろ?」と言ってます

彼の書く文学的で知的で哲学的な歌詞はなるほど俳句の影響があるなと思いました。「木の葉は緑」という歌の中に「僕は池に石を投げた 波紋ができたけど波紋は音を立てない」という箇所があり、これなど芭蕉の影響を感じます

そんな濃密な日々を過ごしていたのに記憶がないと言うのも不思議ですが意外とそういうものかもしれないですね。

そこへ井関プロデューサーの姫路城ロケに入ってくれの電話。なびがあったのか・・・・

北方謙三さんは「青春は青臭くて、愚直で、バカなのだ、しかし純粋なんだ、一途なんだ」と言ってます。先生の一途さ、愚直さ、純粋さに打たれるものがあったんでしょうね

次回が待ち遠しいです。

3. Posted by ひろみつ   2020年11月19日 11:24
続けてすいません。書き忘れたので

いまユーチューブを見ていたら「複式夢幻能と黒澤時代劇」と題して 岷読霄圈廖崔懃畫秕襦廚鮖温佑豊△蓮嵳陝廚鮹羶瓦帽澤監督と能について興味深い考察をされています

https://www.youtube.com/watch?v=fWsVpjTpdwQ

https://www.youtube.com/watch?v=TZhR5g5qI04

4. Posted by 中山市朗   2020年11月21日 06:54
人喰い愚地neoさん。

確かにクラウドファンディングですね。『乱』が動き出す前、黒澤明に『平家物語』を作ってもらおうと、東大の映研と200サークルが所属した学生映像連盟が中心となって、30億円をあつめようとしたことがありました。黒澤監督が丁寧に辞退されたようでしたが、あれもクラウドファンディングですな。

ひろみつさん。

北方謙三さんの青春は青臭くて、愚直で、バカなのだ、しかし純粋なんだ、一途なんだ」という言葉は、まさしく私が若い人に抱くもので、今はコロナで休止している作劇塾を創設したのは、そういう純粋な若者たちを、裏から支えてあげたいという一途の気持ちでした。
でも最近の若者は、愚直で、バカであることを嫌がって、安全杯、あるいは人に叩かれない道を行こうとしているように思います。純粋で一途であることを恥ずかしい、否定すべきものといった風潮を感じます。

私は今も、愚直でバカだと思っておりますし、そうでなかったら、この世界では生きていけない気がします。


5. Posted by ひろみつ   2020年11月21日 11:03
>>4
わかります。どっちに転んだら痛くないか知っていてそっちばかり選ぶ風潮があると思います。近道ばかり選んでそれをよしとしているんですね

でも最後の最後に人を動かすのは今どきもう死語ですが根性や真剣さみたいな物だと思います。中山先生を周囲のプロが動かされたのもその真剣さに動いたのでしょう。

矢沢永吉は「近道に慣れると必ずその近道にしっぺ返しくらうよ」と言ってます。先生の言葉とも重なりますね

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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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