2020年11月21日

黒澤明映画はこう作られた〜証言・秘蔵資料からよみがえる製作現場』秘蔵資料Making of 乱、誕生秘話! Part・7 黒澤組に日本映画初の、ビデオ班誕生!


中山市朗です。

1984年5月の中旬、だったと思います。
ヘラルドエース、プロデューサーの井関惺氏より電話が!
「中山さんですか?」
「はい、そうですが」
「ヘラルドの井関です」
「えっ、井関さん?  あの、あの節は大変お世話になりました」
「その件でお電話しました。7月1日より姫路城ロケが始まります。カメラを入れてメイキングを撮ってください。スタッフは中山さんとカメラマン、アシスタントの3人にしてください」
「へっ、あの、スポンサー、もういないんですけど」
「わかっています。実はその方が我々としてはやりやすいんです。『乱』のスタッフとして行動してください。ビデオ班というのを黒澤組の中に作りますから、この後、九州や御殿場ロケと続きますが、スタッフとして共に行動してください。6月30日に、姫路の〇〇ホテルに入ってください。手配はしてあります。では、よろしくお願いいたします」

日本映画で初のビデオ班!!

つまり、ヘラルド側が我々をスタッフとして雇ってくれて、その撮影現場を記録してくれ、という要請です。そして、現場にはビデオ班以外のビデオカメラは入れさせない。ニュースやテレビ番組等で現場の素材を使うのなら、ビデオ班が撮ったものを渡す。
つまり『乱』の現場でビデオカメラを回すことができるのは、私たちだけ。
物凄い特権、かつ責任重大です。

実は、4、5年前、新宿で久々に井関さんとお会いして、食事をしたことがあるんです。
井関さん「今だから話すんですけどね」と、こんな話をしてくれたのです。

「最初、中山さんがメイキングを撮らせてくれ、と、うちに企画を持ち込んできましたねえ。鮮烈に覚えています。正直、メイキングってなに?   周りも私もそんな感想でした。そんな言葉は日本映画になかったですから。でも、なんか面白いし、若い人に託すことによって、何かが起こりそうな気がしたんです。それに、黒澤監督もライフワークだと言ってましたから。その現場をビデオで記録しておく、というのもありかなと。だから、あれはほぼ、僕の独断で決めたんです。予算の捻出もいろいろ考えて……」

私、カメラマン、VE(ビデオ・エンジニア)の3人を新たにスタッフとして雇ったわけですから、宿泊費、食費、その他経費諸々、ヘラルドエースが持ってくれたわけです。それにプラスして、3人のギャラや機材費等に、2000万円出してくれたんです。
25歳の、なんの実績も無い若造にですよ!

後に、ビデオ班誕生については、下記のように「ビデオ班の目」という新聞記事にもなりました。
私はまだ作家ではないので、中山市朗ではない。本名。


乱ドキュメント




























2000万円というと、当時、ちょっとした映画の製作費です。私がその前に助監督として入った『魔女卵』という映画は、公称5000万円。でも、宣伝、広報などで半額は消える。現場では直接製作費は2000ほどだな、と言っていました。
しかし、当時はバブルの時代。
都内のマンションに何億という値段がついたのに、映画の製作費はそんなもん。
『乱』も資金難でなかなか進まなかった経緯があって、フランスに出資してもらわないと出来なかったけですね。
何十億円という絵画は買っても、映画への投資はなかなか誰もしてくれなかった。バブルはほんとに、はじけた後は、何も残さなかったですよね。

さて、突然そんな話をふられて、緊急にスタッフを探すことになったわけです。一流のカメラマンを雇うけにはいかない。ギャラも相当持っていかれそうだし、第一、もう日が無い。少なくとも半年、ひょっとしたら1年、ずっとスケジュールが空けられる人を見つけるのも難しいですしね。
数日後、『乱』の台本も送られてきました。


乱 シナリオ






















なんかね、ここ数か月でいろんなことがあった、というか、もう熱が出てきそうでした。

しかし、ぼおっとしている場合ではない。さっそく動かないとダメなわけです。
人伝てで、当時30歳くらいだった、ミュージシャンのライブやイメージビデオを撮っていた谷口裕幸さん、そして私より若い河光彦君を見つけ出して、事務所の管理やマネージメントをやってくれる高橋良信君、私を含めた4人を編成して、条件や打ち合わせをやると、6月30日、高橋君を大阪へ残し、姫路へと飛びました。機材等は、ヘラルドが用意してくれているらしい。

そして、当日。
井関さんに挨拶すると、大広間に連れていかれた。
そしたら、スタッフ、出演者たちがそこで宴会をやっていた。

もう映画好きなら、たまらない光景。
仲代達矢さんがいる。原田美枝子さんや寺尾聡さん、根津甚八さん。『七人の侍』のカメラマン、中井朝一さん、『用心棒』のカメラマン、斎藤孝雄さん。美術の村木与四郎さん。そして『ゴジラ』『モスラ』など東宝特撮の監督、本多猪四郎さんの姿が……。

すると斎藤カメラマンが、私たちを手招きして……。













kaidanyawa at 04:47│Comments(8)

この記事へのコメント

1. Posted by 人喰い愚地neo   2020年11月21日 07:30
おはようございます。「瓢箪から駒」とはまさに今回の内容ですね。しかし邦画史上名を遺すまさに「神々の宴」、その中に本多猪四郎監督が含まれている事は察しておりましたがまさかの邂逅!! 堪らない空間だったでしょうね。
2. Posted by 鈴木   2020年11月21日 13:40
そのヘラルドという会社も、今はないようですね。
自分が若い頃は深夜放送などて社名は聞いたことは
ありますが。
正に一期一会の出会いがなければ、企画そのものも
なかったかもと思わされる話であります。
3. Posted by ひろみつ   2020年11月21日 14:23
中山先生

これまでの経緯を拝読していると、まさかと思うような出会いが先生をここまで導いているように思います。その出会いを招いているのはやはり先生の真剣さ、一途さ、愚直さなんだなと思います

黒澤監督も「そういえば乱のときに大阪から熱のある面白い若者がいたっけな」とずっと覚えておられたことでしょうね
4. Posted by FKJ   2020年11月21日 14:46
11/23月に「黒澤明映画はこう作られた」の再々放送があるようです。
https://www.nhk.jp/p/bs1sp/ts/YMKV7LM62W/schedule/

正直言って、1時間枠3回ぐらいに拡大しないと収まらない内容でした。
国立映画アーカイブの羅生門展、影武者、そして乱。
BS放送始まりの頃に1週間黒澤特集をしたときに七人の侍などのメイキング再現などの証言ドキュメント番組があったので、それらも再放送してもらいたいですね。
5. Posted by タキ・タロー   2020年11月21日 17:46
>80年代半ばからバブル崩壊まで

『文化にも理解ある成功者やお金持ち』気取りな成金や実業家が、少しは居ただけマシやったんでしょうか?その後、そういう人も消滅したりサイフの紐しめたり、バブル前よりショボクなったとボヤく人も多かったですね。
大学のとある先生も「いつの時代も腹のふくれん学問には世間は冷たい」と苦笑いしてました。

しかしその数か月まさにとんでもないジェットコースターやったんですねえw
6. Posted by タキ・タロー   2020年11月21日 18:51
連投失礼、書き様が誤解されるかなーと思いましたので。
もちろん件の専務さんは素晴らしい方です。『パトロン気取り』ではなく中山先生の真の理解者だったからこそ、さぞや無念だったろうと思わずにいられません。

『おしかけ研究生』はよかったですねw図書館の新聞室にでも行けばその記事読めるでしょうか?
7. Posted by 中山市朗   2020年11月22日 09:25
人喰い愚地neoさん。

「神々の宴」ですか。うまいですねえ。
でも、まさにそんな感じでした。

鈴木さん。

ヘラルドは、特にヨーロッパ映画の名作をいろいろ上映してくれる配給会社として、映画界に多大な貢献をした映画会社です。
今は角川に合併吸収されています。

ひろみつさん。

出会いは大切です。我々フリーの者は、その出会いから仕事をもらったり、共に活動をするわけです。出会いは、得るものも、失うものも多いですが、そこがまた、面白いわけです。

FKJさん。

受信料をめぐってなんやかんやと言われるNHKですが、NHKでないとできない番組があるんです。こういった番組です。

タキ・タローさん。

そうです。専務さんはけっしてパトロン気取りではありませんでした。
新聞記事は1985年に出版された、シネ・フロント社『黒澤映画の現在・ドキュメント乱、報知新聞特別取材班』に、掲載してあります。

8. Posted by 中山市朗   2020年11月22日 09:26
喰い愚地neoさん。

「神々の宴」ですか。うまいですねえ。
でも、まさにそんな感じでした。

鈴木さん。

ヘラルドは、特にヨーロッパ映画の名作をいろいろ上映してくれる配給会社として、映画界に多大な貢献をした映画会社です。
今は角川に合併吸収されています。

ひろみつさん。

出会いは大切です。我々フリーの者は、その出会いから仕事をもらったり、共に活動をするわけです。出会いは、得るものも、失うものも多いですが、そこがまた、面白いわけです。

FKJさん。

受信料をめぐってなんやかんやと言われるNHKですが、NHKでないとできない番組があるんです。こういった番組です。

タキ・タローさん。

そうです。専務さんはけっしてパトロン気取りではありませんでした。
新聞記事は1985年に出版された、シネ・フロント社『黒澤映画の現在・ドキュメント乱、報知新聞特別取材班』に、掲載してあります。

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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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