2021年07月29日

八甲田山の怪談を語ると何かが起こる……!

中山市朗です。

オカルトエンタメ大学の私の今回の講義、最終回です。
「八甲田山の怪談を語ると何かが起こる……」とサムネイルにありますが、実はオカルトエンタメ大学学長による質問コーナーとなっております。

実は、八甲田山雪中行軍第五連隊とは別に、弘前から青森へ向かった少人数の連隊も出発していて、すれ違っていたのです。ところが、弘前連隊が雇っていたマタギによると……、という当時起こった怪異について紹介しています。しかし、残念ながら……?





授業の続きはファミリー劇場CLUBにて▷https://bit.ly/3rABuYC

ちなみに続きでは、予言獣クダンとアマビエの関係についての質問も受けておりまして、私の見解も述べております。


アマビエ (2)




















さて、コメント欄にいい質問が来ていました。コメント返しをしましたが、寒い朝さんからのもので「尼崎は海洋民族と関わっているのか」という質問。
前回のブログがあまりに長文になってしまったので、たくさんの事項を割愛せざるを得なかったのですが、このことも重要で、クダンとアマベの関係を補強するものです。

尼崎という地名は平安時代末期にはあったようで、鎌倉、室町時代の文献には海士崎、海人崎、海崎という表記が見え、いずれも、あまがさき、と呼んだと「尼崎市のHP」にも書かれています。
海士と書いて「あま」と読みます。
海に潜って貝を採る女性を海女といいますが、海士は男性を指し、海人を指します。
隠岐の島に海士郡という地名がありました(現在の海士町あたり)。そして丹後半島丹後久美浜にも海士という地名が残ります。
 
久美浜の地図をみると、海士と甲山がある。


海士 (2)















久美浜の海士は、現在籠神社の宮司を務める神服蓮海部直の館(元籠神社か?)があったとされ、私はそれが兜山の熊野神社か矢田神社あたりではなかったかと推測しております。

海士の矢田神社(八咫神社?)


矢田神社





















そして真名井御前が、瀬戸内海の海士崎という地名の近くの山に寺を建てたとなると、やはり海部氏の祭祀が行われた、あるいはもともと行われていた可能性は大きくなります。
私が思うに神呪寺の造りは、背後の甲山を神奈備としているように思われ、つまり当初は神社(ただし神仏混合したもの)であったと睨んでいます。正し創建当時の史料は無いということで、はっきりとは誰にもわからないわけですが。

そして真名井御前の秘仏を彫ったという弘法大師(空海)は、大陸より真言密教をもたらせた事で知られますが、父の佐伯氏は祖先を近江の穴太と関連し(穴太は穴穂部のことであり、聖徳太子の母と同じ氏族)、母は安斗氏で物部の一族です。
そして、幼名は真魚(まお)でしたが、まな、とも読みました。そして空海という名は、まさに海であり天でありの、海部を彷彿させ、しかも遺言として弟子に『御遺告』というものを残したとされます。その中で「私は兜率天に昇って、56億7000万年後に弥勒とともに下生する」と言っているんですね。
まさにこれは、新羅の花郎の教儀「弥勒下生経」で、思うに新羅で仏教化したキリスト教、ないしはミトラ教です。
それは牛の犠牲を伴った聖徳太子の信仰そのものなんですね。

聖徳太子の信仰の対象だった、弥勒菩薩半跏思惟像(広隆寺)。

弥勒菩薩半跏思惟像
















私は聖徳太子の母方は海部だと言い続けておりますが、空海はそのことを知って海部の巫女、真名井御前に海士の土地の山で、教えを授けたと思われます。
空海も、調べて見ると謎が多く面白い!!

クダン。

そのルーツを探るとそんなところまで話は広がります。
話は尽きませんな。











kaidanyawa at 07:00│Comments(3)

この記事へのコメント

1. Posted by 寒い朝   2021年07月29日 17:51
中山先生
私の心に掛かった疑問の解説と検証の説明、ありがとうございました。
(_ _)
今残る現状と昔の深い繋がりが、尊く有り難く感じられるお話でした。先生の言われている「読み解く」の言葉が重く大切に感じました。

中山先生はじめ、怪談好きの方々は「真」を掴もう捕らえようと深く思案される方々が多くてホッとさせて頂いています。その姿勢が当たり前なはずの職業の人達に、最近失望が強くて情けなくなっているこの頃です。
本当にこちらに伺って「救われた気持ち」になっています。皆様に感謝です。

追記:前にお話しした「幼い妹が見た【小さな穴に足の長い大きなカニが入った】」を見た所は「尼崎」でした。(今は違う所に引っ越してます。)その時調べた時に「海人(あま)」の話に行き当たりました。
「尼崎」という所はタクシーの運転手さんによると「広くてタクシー泣かせ」だそうです。地域の広さから「漁の生業」の規模も大きかったじゃないかなと推測できます。
2. Posted by 中山市朗   2021年07月30日 00:51
寒い朝さん。

いえいえ、いい質問でした。同じ疑問を持っていた方もおられると思います。

平安時代から鎌倉時代の尼崎は、今の陸の半分くらいは海だったようですね。

3. Posted by 寒い朝   2021年07月30日 08:01
>>2
返信ありがとうございました。
(_ _)
住んでいた人の場所も含まれますが、元は【海の場所の名残】が深い地域なんですね。思わず納得して頷いてしまいました。

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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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