2022年05月13日

本日は、千日デパート大火災からちょうど50年。この事故を語ることは大阪市の歴史を語ること!! 合掌。

中山市朗です。

本日、2022年5月13日は、あの千日デパート火災事件からちょうど50年となる日です。

1972年5月13日の土曜日、午後10時27分。大阪市のミナミにあたる千日前にあった千日デパート3階婦人服売り場より出火。7階建て地下1階の同ビルの3階から5階までの約8000平方メートルを類焼。
しかしその際生じた有毒の黒煙が営業中だった7階のアルサロ「プレイタウン」を襲い、死者118名、負傷者78名の大惨事となりました。
その後しばらくして、千日前では様々な怪談が噂されるようになりました。

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私はもともと兵庫県の但馬の出身で、大阪芸術大学へ通うことになって大阪市に移住してきまして、今日に至るわけですが、当時はまだ火災事故から10年に満たない頃で、「ここがそうやで」なんて大阪出身の先輩や友人に教えられたりしたものです。当時は高い塀に囲まれて更地になっていたはずです。
その後、同地にPデパートが開業。現在はある大型電化量販店となっております。

ところが、千日前怪談を系統だてて研究したものは当時ありませんでした。ですから、私が千日前怪談についての体験談を採取し、歴史を遡ってその系統だてたのが、おそらく最初だと思います。
最初に千日前怪談をまとめたのがこのムック本でした。

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実は、千日前の怪談を系統だてて語ろうとすると、大阪市の歴史を俯瞰することになるのです。

1615年、大坂城落城。大坂の町は灰塵と化し屍累々という状態。さっそく新たに成った幕府は松平忠を大坂城藩主に任命し、忠明は大坂の復興に尽力します。まず大坂城の復興、当時中断していた道頓堀の掘削工事を再開させ、現在の大阪市の基盤を成します。その際、大量の屍を葬る為の墓地を七箇所に集約。これが、梅田、葦原、蒲生、南浜、小橋、飛田、難波の七墓となります。
特に、大坂城の裏鬼門に造られた難波墓所は処刑場を伴う最大のものとなり、罪人や無縁仏も葬られる墓所ともなりました。その際、法善寺の僧侶が回向を唱え、それが千日間続いたということから、法善寺は千日寺と称され、その前の道が千日前と名付けられたのが、千日前なのでした。

都市伝説として千日デパートの死者数の118名は、この千日墓所で処刑された人の数と言っている人がいますが、当時、処刑される人の数は、平均一日一人といわれ、その計算で行くと、一年で約360人。これが約350年続いたという事は、確実に10万人以上の罪人の命が散ったことになります。ちなみに冤罪は4割だったとか……。
江戸時代の千日前は、卒塔婆や石塔が立ち並び、燃え残った骸骨の灰山がうず高く積まれ、さらし首となった罪人の首が台の上に置かれているという、ちょっと昼間でも憚るような、あの世、を形成していました。しかしすぐ北側の通りは道頓堀で芝居小屋で賑わい、道頓堀川を渡ると花街となっていました。
1871年、明治となって千日墓所は阿倍野に移転。開発されます。
しかし穢れた土地だとして買い手は付かず、一坪買うと3円が付くという、土地を買ったらお金がもらえるということになってようやく開発が進みます。特に1985年に現在の南海電車の難波駅が開業してからは、開発が急ピッチに進められ、歓楽街となりますが、1912年、ミナミの大火災が発生。
辺りは再び灰塵と化します。

明治の火災














その後、南海電車と松竹が共同して地上3階、多尖塔屋根のレジャービル「楽天地」を開業。映画館、水族館、スケート場、それに3000人収容の大阪歌舞伎座が設営されます。


楽天地













ところが大戦が勃発。1945年、度重なる空襲によりミナミの街は三度燃え上がりました。

戦後、焼け残った楽天地はGHQにより接収。しばらくはGHQの特別慰安所となりますが、その後改装。千日デパートとなります。
そして、1972年、千日デパートが火災。

つまり、千日デパートの火災事故を語ることは千日前という土地を語ることであり、千日前という土地を語ることは、大坂の街の歴史について語ることにもなるわけです。

というわけで、今回のオーディオブック「市朗・怪全集」は、千日前怪談特集となっております。2時間、千日前怪談とその歴史について語っております!!


市朗怪全集 二十 (<CD>)
中山 市朗
でじじ発行/パンローリング発売
2022-05-14





















































kaidanyawa at 07:07│Comments(5)

この記事へのコメント

1. Posted by 人喰いオロチneo   2022年05月13日 07:28
おはようございます。あの惨劇から50年、当時当方は1歳でした。当然記憶もなく、後年この事(火災事故)を知った時には「映画みたいやな」と漠然と思っていました(「タワーリング・インフェルノ」の存在を知ったのは更に後年)。

千日前の歴史に関しては「Dark night」やネット配信で見聞きし、更に個人的にチマチマと勉強し、「まぁこれだけの歴史があれば何があっても不思議ではないな」と感じております。

現在、関東在住の知人が大阪に出張しており、確認したところ千日前の怪異は知っていたものの、かの家電量販店に鏡がやたら多い理由は知りませんでした。まぁ普通は火災事故以前の歴史等は知る由もありませんでしょうが(苦笑)。
2. Posted by ひろみつ   2022年05月13日 07:50
5 中山先生

千日デパート火災から50年経つんですね
僕は小学校6年になって間なしでした。
この惨事を知ったのは、もっと後年のことです。

社会人になり、ミナミの某百貨店の売り場にいた僕は、早番の時、よく映画を観に行ってましたが、それでもまさかミナミにそんな大惨事があったとは知らず、新耳袋などで知った時は本当に驚きゾッとしました
灯台もと暗しですね

千日前をとりあげた市朗怪全集購入し拝聴しています。こんな巨大な繁華街が丸ごと怪異の舞台なんて場所は他にちょっとないでしょうね。しかも、それが大阪ミナミの歴史と深くリンクするんですもんね

これは怪異のあるなしに関わらず忘れてはいけないことだと思います。合掌
3. Posted by 鈴木   2022年05月13日 11:08
こんにちは。この本、持ってました。引越しで散財しましたが。何とかコロシアムって本はkindleで持ってますが久々に読み返したくなったなあ。
冤罪四割は怖いです。亡くなった方々の無念を思うと言葉もないです。道志村で見つかった女の子はDNA鑑定ありましたけど、
当時はありませんし
4. Posted by タキ・タロー   2022年05月14日 15:21
幾つかの動画でニュースを見ました。当時の事を語る青年技師・バンドマン・消防士・記者さんや近くのお店の娘さんがもう70前後〜80代…。
仏様が担ぎ込まれた太融寺の、恐らくは慌しく働いてた青年僧のお一人だった元ご住職が、「50年たって忘れさられ、知らん人が多くなったんが悲しい」的な事を仰っておりました。
「怪談やのオカルトやのフキンシン!!」と怒る人も少なくないですが、中山先生たちが語り活動することで記憶が途切れずにいずれ未来に「生きる・活かされる」と思う次第です。

余談ですが、このビルや近辺の宝くじ売り場、「億越え」がよく出る宝くじファンに愛される店舗だそうです。

5. Posted by ひろみつ   2022年05月14日 19:02
>>2

連投失礼します。
図らずも、今日FB友だちから、短いけど千日前にまつわる怪談を入手しました。
チャンスあればご披露できればいいなと思います

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プロフィール
中山市朗(なかやまいちろう)

作家、怪異蒐集家、オカルト研究家。
兵庫県生まれ、大阪市在住。


著書に、
<怪 談>




<オカルト・古代史>




などがある。
古代史、聖徳太子の調査から、オカルト研究家としても活動している。






作家の育成機関「中山市朗・作劇塾」を主宰。



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