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藤田 信雄(ふじた のぶお、1911年(明治44年)10月 - 1997年(平成9年)9月30日)は、日本海軍軍人、海軍兵曹長(最終階級は特務士官たる中尉)。帝国海軍の潜水艦伊号第二五潜水艦(伊25)から水上機を飛ばし、史上唯一、アメリカ合衆国本土に対して航空機による爆撃を実施し、後にルックアウト空襲として知られるようになった。彼の任務は、太平洋戦争における太平洋戦域のアメリカ海軍の資源を奪い去るため、焼夷弾を使用してオレゴン州ブルッキングズ市に近い太平洋岸北西部に大規模な山火事を発生させるというものだった。この戦略は日本の風船爆弾作戦にも採用された。
(ウィキペディア)

海外の反応をまとめました。




終戦後、藤田は地元の茨城県土浦市に戻り、工場勤めをしていた。だが1962年(昭和37年)5月20日、政府首脳より都内の料亭に呼び出され、池田勇人首相と大平正芳内閣官房長官に面会し、その場でアメリカ政府が藤田を探していることを告げられ、アメリカへ行けと命じられる。しかも日米関係への影響を心配した日本政府は、この渡米を一切関知しないとさえ告げられた。藤田は戦犯として裁かれるのではないかと考え、自決用に400年間自宅に代々伝わる日本刀をしのばせ渡米したが、ブルッキングズ市はかつての敵国の英雄である藤田をフェスティバルの主賓として招待したのであり、アメリカで大歓迎を受けた藤田は自らの不明を恥じ、持っていた刀を友情の印としてブルッキングズ市に贈った。
(ウィキペディア)


・オレゴンが攻撃されていたなんて知らなかったよ。
雑学板では、奇妙なことしか学ばないから、これには本当に驚いた。


・↑攻撃したのは野球の内野グラウンドぐらいの大きさだ。
でも日本は森を燃やして、オレゴンの人的資源を消化活動に専念させようとしたんだ。


・山火事を起こしてアメリカ政府やアメリカ人の手を塞ごうとしたんだよな。
ただ、徹底的にやろうとしたわけではないのだろう。


・↑何年か後に不発の風船爆弾を見つけた家族が亡くなった。


・↑想像していたよりも酷かった。
記事「ミッチェル牧師は妊娠中の妻と日曜学校の5人の生徒(11~14才)とピクニックに出かけた。
彼らは地面に横たわる奇妙な風船を見つけた。
彼らが風船に近づくと、爆発して妻と5人の生徒は死亡した。
牧師は手で妻と生徒の服についた火を消そうとしたが、彼らを救うことは出来なかった。」


・彼らはジェット気流に乗せてアメリカまで届くように、風船爆弾をたくさん飛ばした。
焼夷弾や対人の爆発物も落とした。
ミシガン東部で発見されたものもある。






・この男は爆弾を落としたことを申し訳なく思ったんだろうな。


・面白い話だよな。
何週間も潜水艦に乗ってアメリカに向かってきた後に、飛行機に乗って史上初のアメリカ本土への航空機での爆撃を行うなんてさ。
すごいことだよ。
彼が何を申し訳なく思ったのかは、分からないけどね。
第2次大戦中に、都市はお互いの標的になっていた。
それに彼の攻撃は大した損害を与えなかった。
勘違いしないでくれよ。
平和と許すことは、とても素晴らしい。
でも俺なら刀は頂いておく。


・市が数年ごとに、この刀をお互いの元に返すような方針を打ち出してくれたらいいのに。


・↑観光客をたくさん惹きつけるだろうな。


・彼は3人のアメリカ人女性を日本に招待したんだよな。
「藤田は1985年(昭和60年)にブルッキングスの3人の女子学生を日本に招待した。」



・知らなかったな。
興味深いし、クールだよ。


・誰がオレゴンを代表して刀を受け取ったのかな?


・↑記事には、市役所が受け取って、後に図書館に寄贈されたと書いてあった。





・当時は敵だったかもしれないが、彼は国の為に戦った誇り高き男のようだ。
彼と町の関係はとても良い話だね。



・タイトルを慌てて読んだから、400年後に彼が戻ってきたのかと思ったよ。


・記事「1997年9月30日に85才で亡くなる数日前に、ブルッキングズ市の名誉市民となった。」
↑すごい話だ。


http://goo.gl/Iipuor

第二次大戦中に日本軍がアラスカに侵攻して真珠湾攻撃よりも米軍の死傷者が出たと初めて知った(海外の反応)

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