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瑞鶴ずいかく)は日本海軍の航空母艦。翔鶴型航空母艦の2番艦。太平洋戦争中、真珠湾攻撃や珊瑚海海戦、第二次ソロモン海戦、南太平洋海戦などで活躍したが1944年(昭和19年)10月25日エンガノ岬沖海戦で沈没した。瑞鶴はマリアナ沖海戦まで一発も被弾しなかった幸運艦であった。

艦名の「瑞」はめでたいという意味。「」は日本において長寿の象徴とされており、縁起の良い鳥獣の一種である。(ウィキペディア)

海外の反応をまとめました。





日本はいま「軍艦ブーム」だという。呉市の大和ミュージアムは入館者が開館から8年足らずで800万人を超える人気を呼んでいる。数多い軍艦の中から、軍事評論家の熊谷直氏が推薦するのは、マリアナ沖海戦で被弾わずか1発の「瑞鶴(ずいかく)」である。

 南雲忠一中将の指揮下、1941年12月の真珠湾攻撃に参加した航空母艦。以来、珊瑚海海戦、南太平洋海戦など数々の海戦に参加するが、1944年6月のマリアナ沖海戦まで一発の被弾も許さず、“幸運艦”と呼ばれた。

「当時、最新鋭の空母として南太平洋海戦で敵空母ホーネットを大破させるなど、武勲を重ねました。日本軍機が次々に撃墜され、『マリアナの七面鳥撃 ち』と称されたマリアナ沖海戦においても大激戦の中、被弾わずか1発という運の強さを誇りました。運も強さのうちですが、手練れの乗組員の功績も高く評価 されるべきです」(熊谷氏)

 小沢治三郎中将率いる機動部隊の旗艦として臨んだレイテ沖海戦では、敵空母を誘い出す囮(おとり)の役割を務めた。すでに艦載機もほとんどない状態で米空母群に挑み、多数の敵機の雷爆撃を受け命運尽きた。

「小沢艦隊は見事に敵のハルゼー艦隊を北方に引き寄せましたが、その作戦の成功は自らの死を意味しました」(熊谷氏)

 真珠湾以来の殊勲艦である「瑞鶴」の沈没は、帝国海軍機動部隊の終焉を意味した。(NEWポストセブン)


・真珠湾から始まり、インド洋・ポートモレスビー・珊瑚海・第二次ソロモン海戦・ガダルカナル島の戦いを潜り抜けた。
真珠湾攻撃を生き延びた最後の空母だった。
842名と共に沈んだ。


・↑どうやってこんなに多くの人々が亡くなったのだろうか?
船から飛び降りたり、泳いで逃げることはそんなに難しいことなのか?
船はゆっくりと沈むんだろ?
逃げるのに十分な時間があるような気がする。


・↑瑞鶴には2000名の乗組員がいて、総員退艦の発令から16分後に沈んだ。
それと7つの魚雷と8つの爆弾を被弾した。
乗船していた乗組員のうち、842名しか死ななかったのは幸運だと思う。


・↑つまり甲板の上の男たちも助かったかもしれないということか?


・↑あり得るね。
近くにいた2隻の駆逐艦が800人以上の乗組員を救助した。


・船が沈むときには、遠くに泳いで逃げることは出来ない。
一緒に沈むことになる。
仮に逃げられても、そこらじゅうが油まみれだし、誰も助けに来てくれなかったら、結局はおぼれ死んでしまう。


・↑それに海は冷たいからな。
ソース:タイタニック。


・↑太平洋は温かい海だぞ。
でもサメが・・・。


・瑞鶴というのは、めでたい鶴という意味だ。






・完成したばかりの頃の瑞鶴。
File:Japanese.aircraft.carrier.zuikaku.jpg


・船だけが沈むよりも、集団で沈むのって何か心を惹かれるものがあるよな。


・↑スレ主の写真の少し前に撮られた写真。
多くの乗組員たちが船に残ることを選んで、、降旗する軍艦旗に敬礼している。
http://upload.wikimedia.org/wikipedia/commons/8/89/Lowering_the_flag_on_Zuikaku.jpg


・↑これは病的で、美しい写真だ。





・これは素晴らしい写真だ。
ありがとう、スレ主。
歴史が溢れている。


・こういう写真を見ると、ゾッとするし、戦争や紛争がどういうものかはっきり表すと思う。
この写真がどうやって撮られたか知っている人はいるか?
日本側が撮ったの?それともアメリカ側?


・↑写真は明らかに船の上で撮られたものだ。
船を沈ませたアメリカ人に写真を撮らせるわけないだろ。


・日本帝国軍について何とでも言え。
でも彼らは恐れをしらない連中だった。

http://goo.gl/3GIAlG

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