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硫黄島の戦い(いおうとうのたたかい、いおうじまのたたかい、Battle of Iwo Jima, 1945年2月19日 - 1945年3月26日)は、太平洋戦争末期に東京都小笠原諸島の硫黄島において日本軍とアメリカ軍との間で行われた戦いである。アメリカ軍側の作戦名はデタッチメント作戦(Operation Detachment)。

硫黄島の戦いで、日本軍は守備兵力20,933名のうち20,129名(軍属82名を含む)が戦死した。捕虜となった人数は3月末までに200名、終戦ま でにあわせて1,023名であった。アメリカ軍は戦死6,821名、戦傷21,865名の損害を受けた。硫黄島の戦いは、太平洋戦争後期の島嶼防衛戦にお いて、アメリカ軍地上部隊の損害が日本軍の損害を上回った稀有な戦闘であったと同時に、アメリカが第二次大戦で最も人的損害を被った戦闘のひとつとなっ た。
(ウィキペディア)

海外の反応をまとめました。




組織的な戦闘が終わり島の大部分がアメリカ軍に制圧された後、わずかな水源や食糧を求めて生き残った負傷した日本兵が島の海軍航空隊の壕などに集結した。

NHKスペシャル「硫 黄島玉砕戦~生還者61年目の証言~」(2006)において生還者たちは、「お腹が空いて、仕方がなかった。それでね、(死んだ仲間がいる施設の)炭を食 べた。今でも涙が出て来る」「(隠れ家に)たどり着いても、追い出されて、敵のいる所を歩いて行けと言われた。どうせ死んじゃうだろうと」などと証言し た。

その後も生き残った日本兵が地下陣地に潜伏しており、アメリカ軍は投降を促した。生き残った日本兵の一部はこれに応じて投降したが、拒否する日本兵もおり、アメリカ軍は掃討作戦を決行し投降しなかった日本兵が潜伏していると思われる壕の入り口を埋め、潰していった。

最後の生存者として、終戦から4年後の1949年(昭和24年)1月2日に潜伏していた元日本兵2名がアメリカ軍に投降した。海軍所属であった両名は千葉県出身の一等兵曹(38)と、岩手県出身の二等兵曹(25)であり、終戦後も島内の洞穴などに隠れて4年間にわたり硫黄島に暮らしてきたものであった。両名によると終戦から1年半が過ぎた頃に島内に駐在しているアメリカ兵が捨てたとおぼしき雑誌を拾ったところ、その雑誌に東京の不忍池でアメリカ兵と日本人女性が一緒にボートをこいでいるグラビア写真があるのを見つけた事により、日本が戦争に敗れた事に気付くと共に激しくショックを受けたと言う。この元日本兵2名は1月22日に羽田空港に帰国した。

その後、二等兵曹が「硫黄島に日記を忘れてきた、本を出版するためにどうしても日記を取りに戻りたい」とアメリカ軍に申し出て、同年5月7日に再び アメリカ軍機に乗って硫黄島へと戻った。ところがいくら探しても日記が見つからず、摺鉢山の火口から400mほど離れた場所から「万歳」 と叫びながら飛び降り自殺をしてしまった。この二等兵曹は日本に帰国したあと周辺の者に「生きて返ってきて申し訳ない」「硫黄島へ日記を取りに行って見つ からなかったら日本へは戻らない」などと漏らしていた事から自殺の覚悟を決めていた節があり、戦友の死んだ地で自分も死のうとしたのではないかと推察され た。

(ウィキペディア)


・日本の死傷率は、94.6%だった。
もし俺が日本兵だったら、あそこにはいたくないと思ったろうな。


・↑降伏することよりも自決を選んだら、死傷率はとても高くなる。


・この死者の数は、彼らの文化とどれほど関係しているのだろうか?
彼らの悔恨の念には敬意を抱くよ。


・↑日本人の精神では、降伏は不名誉なことで、死よりも悪いことだと考えられていた。
だから日本とアメリカの死傷者の数を比較すると、日本の方が圧倒的に死者の数が多いのだ。


・↑そんなに単純なことではないと思う。
日本軍は複雑な野獣だった。
陸軍と海軍同士が戦い始めそうな位のライバル関係にあった。
徴兵された者や士官の間の軍位や師団の差は、とても大きかった。
多くの士官は幼い時から過酷な環境で訓練されて、鍛えるために栄養が抑えられていたために、徴兵された兵士よりも背が低かった。
そのため士官は異常なほどにサディスティックになった。


・日本の文化では、自らを犠牲にすることが名誉なことなんだろう。
でも明らかに退却した方が良い状況でも。退却命令を出せないほど頑固なのか?
俺の文化では人命を無視した無能で無責任な行動だと考えられる。


・硫黄島は、日本よりもアメリカの死傷者数が少ない、数少ない戦場の一つだった。






・おそらくほとんどは自決したのだろう。


・アメリカは数の上で5対1のアドバンテージを持っていた。
空でも海でも火力が日本よりも優れていた。
それでも日本よりも死傷者の数が多かった・・・。
中国が日本の軍国主義が再び立ち上がることを心配するのも無理はない。
奴らは戦える。


・↑そんなことはない。
アメリカ軍は、多かれ少なかれ隠れる所がなかった。
日本軍は大多数のアメリカ軍が上陸するのを待ち構えていた。
彼らは山に壕を掘っていた。


・↑だからといって、硫黄島での日本軍の最高司令部は称賛に値する事実を減じることにはならないと思う。



・ロシアもこうするべきだったよ。

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