dfdfff

海外の反応をまとめました。




・このコンサートでビートルズは日本武道館で初めて公演を行ったロックグループとなった。


・良い写真だな。
ソースは?誰が写真を撮ったのだ?


・これは良いデスクトップの壁紙になりそうだな。


・リンゴはどこにいるんだ?


・↑写真を撮っているんだよ。


・この写真はビートルズの写真の中で一番好きだ。
彼らがスターダムに昇って行く様子を良く捉えている。


・これは戦争が終わってから21年後だった。
ビートルズは共通の利益で異なる人々を1つにした。
音楽でね。


・↑東京が最も西洋化する手助けになったと思う。


・↑日本自体がアジアで一番西洋化している国だと思う。


・↑韓国は?


・↑俺は今、韓国に住んでいるが、日本の方がずっと西洋化していると簡単に言い切れるよ。
韓国はあらゆる手段を使って自分の国を同質のままにしようと努めて、彼らの文化を変えようとする力に対抗する。


・シンガポールが一番アジアで西洋化しているだろ。


・ビートルズはハンブルクでキャリアをスタートした。
終戦から15年後だった。
まるで今、イラクでキャリアをスタートするようなもんだよ。
驚くね。


・日本は1966年までには、既に世界と一つになっていたよ。
この写真の2年前に東京オリンピックがあった。


・「頼むよ、みんな。誰か他の人が写真を撮ったちゃ駄目なのかい?
リンゴ・スターが残した有名な言葉。







・カラー化された写真が見たい。
俺にそんな技術があったらよいのに。


・ロンドンで彼らのショーを最前列で見た。
酷い音響よりもファンの叫び声がうるさくて、ほとんど何も聞こえなかった。


・ ボブ・スピッツ(ビートルズの伝記を書いた作家)によると、日本ツアーがビートルズがライブをやらなくなった大きな理由の1つとされている。
それまでの数年、彼らはあまりにうるさい観客とライブを行っていたために、自分たちの演奏する音すら聞くことが出来なかった。
反対に日本の観客は各曲の終わりに礼儀正しい拍手をするだけで、あとはとても静かだった。
ビートルズは自分たちが練習を欠いていたために、自分たちがどれほど生演奏で酷いのかに気付いた。
加えて彼らは日本の右翼に脅迫を受けたために、ホテルに缶詰めか護送された車で移動しかしなかった。
それにより東京での日々は酷いものとなった。
続いて起きたフィリピンでの容赦のない災害は、どうして彼らが1966年以降にスタジオに退却してしまったのかを理解させてくれる。

しかしそうした歓待の一方で、日本武道館という場所でポップ・ミュージックを演奏する事について批判する者が存在した。街宣車や「Beatles Go Home」と書かれた横断幕の前で街頭演説をする者が現れ、さらに実際にビートルズ側に対して脅迫する者もいた。この為、警視庁は大規模な警備体制を採り、会場内においても1万人の観客に対して3千人の警官を配備し監視を行った。またビートルズ自身も行動が著しく制限され、分刻みのスケジュール厳守および外出の禁止などの措置がとられた。

(マイク・スタンドの不備などの問題は生じたが)コンサート自体は事故や暴動などの問題は生じなかった。むしろ厳重な警備もあって(観客は立ち上がったり近づいたりする事が許されていなかった)会場が静かだったため、メンバーは最初のステージで自分達の音が合っていない事に気づいてショックを受け、次のステージまでに慌てて直さなければならなかった。

フィリピン事件

フィリピン公演は、日本公演の後に行われた。日程は1966年7月3日(日本航空機で香港に行き、キャセイパシフィック機に乗り換えてマニラに渡航)、4日にアラネタ・コロシアムでコンサート、5日に出立となっている。コンサートは2回行われ、合計10万人を動員した。コンサートが開かれた4日、そのコンサートの前にイメルダ・マルコスによる歓迎パーティーが大統領官邸でとり行われることになったが、コンサートの前の時間が滅多に無い休日だった(ポールの発言)ビートルズ側はこの出席を辞退した(ニール・アスピノールの発言によれば、プライアン・エプスタインの方で事前に出席辞退の連絡はしていた)。それにもかかわらずフィリピンのテレビは官邸からの生中継で「もうすぐビートルズが到着する」と放送し、フィリピンのプロモーターは出席を指示し続けたが、結局ビートルズ側は招待に応じなかった。

5日になってこの出来事は新聞やテレビで報道され、事件を知ったフィリピン国民はビートルズに対して怒りを向けた。帰国の途に付こうとしていたビートルズは空港等で多数の市民に取り囲まれたばかりでなく、警官や兵士までがビートルズに敵意を向けるという事態に発展する。ロードマネージャーが小突かれたり足蹴にされたり、飛行機の離陸許可がなかなか下ろしてもらえず、結局コンサートの収入をすべて当局に渡してようやく許可が下り、フィリピンを離れることができた。後にメンバー及び関係者がこの件についてコメントしており、 スタッフのマル・エヴァンスが死を覚悟する発言を口にした事、この一件によってエプスタインが体調を損ねた事などが語られた。そして二度とフィリピンには 行きたくないと断じ、マルコス夫妻が後年失脚した事に対して肯定的な見解を述べている。またニール・アスピノールは、この一件がビートルズからツアー催行 の意欲を奪った原因のひとつだったと述べている。(ウィキペディア)


・↑ポール・マッカートニーの引用が好きだ。
「ビートルズはステージ上で叫び声を受ける操り人形になってしまった。」




・彼らの日本公演の動画を見つけた。


http://goo.gl/etk1hE

follow us in feedly